天皇陛下「最後のお言葉」、中継は何時から ? 【平成最後の日】
幕末・明治維新の深層・真相は ?
(www.huffingtonpost.jp:2019年04月29日 10時39分より抜粋・転載)
いよいよ平成が最後の日を迎える。注目は、国民に向けた天皇陛下による「最後のお言葉」だ。
生田綾:天皇陛下「最後のお言葉」、中継は何時から?【平成最後の日】
4月30日、天皇陛下が退位され、30年続いた平成の時代が終わる。
今回は生前退位に伴う皇位継承で、10連休とも重なることで、お祝いムードに包まれているが、注目は、天皇陛下による国民に向けた「最後のお言葉」だ。
☆最後のお言葉は30日午後5時ごろから
30日には、皇居・宮殿で代替わりの重要儀式「退位礼正殿の儀」が国事行為として催され、天皇陛下が国民に向け、最後の「お言葉」を述べる。
30日限りで「平成」が終幕し、5月1日に皇太子さまが新天皇に即位し、「令和」に改元される。
儀式の模様は、NHKなどテレビで生中継されるほか、首相官邸の公式YouTubeアカウントでもライブ配信される。
首相官邸の公式YouTubeアカウント:
儀式の細目によると、安倍晋三首相が「国民代表の辞」を述べた後、天皇陛下が国民に向けた「お言葉」を述べるという。
儀式に要する時間はわずか10分程度と短いため、見逃さないよう、録画やリマインダーを設定しておくなど忘れないようにしよう。
(参考資料)
“裏切られた、三人の天皇”勤皇派英雄・明治天皇と明治政府首脳の正体は ?
T 幕末維新革命の真相は ?
(欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐((おおむろとらのすけ:南朝系子孫と勤皇派は主張するがそれは、ウソとの主張もある:幕末長州奇兵隊士であった)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦説より抜粋・転載)
鹿島 昇(かしま のぼる))”の、まえがき部分、におきます、引用、甚大紹介、です。(2004年、10月、20日、午後、10時、40分、ocr、+、打ち、の、ログ!)) 投稿者:・白金 幸紀(しろがね ゆうき))会員番号 1738番 投稿日:2004/10/23(Sat) 18:47:08
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、
山縣、大久保の日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。著者は私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者はかつて早大研究室で刑法の研鑽を積み研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。この著者の特性はかつて檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても遺憾なく発揮されていることを知った。
☆幕末・明治時代の「官学合同の偽史シンジケート」
維新以降の「官学合同の偽史シンジケート」によってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壌され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
☆孝明天皇、その子睦仁、大室寅之祐の明治天皇の謎
本書のなかで著者が展開する史観は、三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子睦仁、及び実は大室寅之祐の明治天皇は、或いは、明治維新を推進した、岩倉具視や木戸孝允(きどたかよし:元の名は桂小五郎)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、山県有朋(やまがたありとも)、大久保利通(おおくぼとしみち)たちに暗殺され、或は裏切られた、悲しい存在であったという事実である。
☆天皇親子を暗殺、身代わりを明治天皇にすり替え、歴史捏造
まず孝明天皇は、長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。そして、睦仁の身代わりになった明治天皇は実は南朝の末孫という長州力上隊の大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。