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2019年4月03日09時51分 〜
記事 [経世済民131] 年収850万超は来年から負担増、会社員の「隠れ増税」はもう始まっている(ダイヤモンド・オンライン)
年収850万超は来年から負担増、会社員の「隠れ増税」はもう始まっている
https://diamond.jp/articles/-/198636
2019.4.3 老後のお金クライシス! 深田晶恵 ダイヤモンド・オンライン




年収が100万円アップしても
手取りは64万円しかアップしない?!


 新年度の4月を迎え、昇進などに伴い給与がアップする人もいることだろう。うれしい気持ちでいっぱいの中、水を差すようで恐縮だが、額面収入がアップしたとしても、昇給した金額と同じだけ「手取り収入」が増えるわけではないので注意が必要だ。

 額面収入から所得税・住民税と社会保険料を差し引いたものが「手取り収入」で、実際に使えるお金のことだ。FPの教科書には「可処分所得」と表記されている。

 たとえば昨年の年収700万円の人が、管理職に昇格して今年の年収が100万円アップするとしよう(税務上の扶養家族は妻)。額面年収700万円の手取りは537万円、800万円の手取りは601万円だ。

 額面100万円アップに対して、手取りは64万円のアップに過ぎない。えっ、64万円!と目を疑うのではないだろうか。

 同じだけ手取りが増えないカラクリは、所得税の税率アップによるもの。年収がアップすることで、累進課税である所得税の税率が上がるため、税金の負担が重くなり、手取りを押し下げている。

 このように手取りを知らずに額面年収だけで家計プランを立てると、絵に描いた餅になる可能性が大。手取り計算は重要なのだ。

 FPになって数年経った頃、手取りが大きく減る制度改正が相次ぎ、「これからは手取りが減ることはあっても、増えることはないだろうな」と思い、2002年から毎年1月に年収・属性別のパターン別に手取りを試算し、一覧表にまとめている。当コラムでも1月に「今年の手取りはこうなる!」と題して試算結果をお伝えしている。

 数年前に「そろそろ試算データが蓄積してきたのでグラフにしてみよう」とグラフ化したのが次の図だ。



 グラフだと、手取り収入が試算をはじめた翌年から見事に下がり続けているのが一目瞭然だ。額面収入700万円の手取りは、15年間で50万円も減っているのである。

 先日、ある朝のテレビ番組に出演した際にこのグラフを使ったところ、翌日同じ時間帯の情報番組から「グラフを使わせてほしい」と依頼があった。わかりやすくインパクトがあるようで、他からも同様の依頼が相次いでいる。このグラフはとても人気者だ。

 ちなみにグラフだけが一人歩きするのは本意でないため、私自身の出演やコメント解説付きの依頼がある場合のみ受けるようにしている。メディアの方々、この点についてどうぞご了承ください。

高収入会社員の増税は
すでにはじまっている!


 さて、2003年から毎年続いた手取り減少は、ようやく今年で一段落した。手取り減少の要因となる所得税・住民税、社会保険料の制度改正は2019年にはないからだ。2019年は昨年とほぼ同じ手取り額となりそうだ。

 ただし、高収入の人の増税はすでにはじまっていて、この先も税金の負担増になることが決まっている。1000万円を超えるような高収入の人は、全体から見ると少数であるため、新聞や雑誌などのケースとして取り上げにくいという。

 昨年2018年実施の配偶者控除の改正では、額面年収1120万円超で受けられる控除額が縮小、1220万円超になると控除は一切受けることができない。なかなか厳しい改正だ。

 特筆すべきは、来年、2020年には額面850万円を超える人も増税対象となることだ。仕事をがんばって昇給したとしても、増税になるとその恩恵はわずかしか受けることができなくなるのである。

 増税の要因となるのは、「給与所得控除の頭打ち」だ。会社員の給与収入には、「給与所得控除」といって「一定のみなし経費」が設けられており、収入そのものが所得になるわけではない。

 税金の話でよく出てくる「控除」とは、「非課税枠」のことだと覚えておこう。控除額が多いと、その分所得が減るので、かかる税金は少なくなる。わかりやすいものだと、「扶養控除」や「医療費控除」がある。給与の非課税枠は「給与所得控除」であり、もちろん多いほうがいい。

 給与所得控除は、給与収入に応じて一定率をかけて求めるもので、収入が増えるほど控除額は増える。2012年までは上限額は設定されていなかったのだが、2013年より額面年収1500万円を超えると、控除額が頭打ちになる税制改正が実施された。

 給与所得控除の上限設定の改正は、すでに次のように段階的に実施され、2020年には年収850万円超の人も対象となる。

 ◆2013年:額面年収1500万円超で控除額245万円が上限
 ◆2016年:額面年収1200万円超で控除額230万円が上限
 ◆2017年:額面年収1000万円超で控除額220万円が上限
 ◆2020年:額面年収850万円超で控除額195万円が上限

 控除額の推移を年収別にまとめてみたのが図(2)である。年収が高いほど、給与所得控除の上限引き下げの影響が大きいことがわかるだろう。



 読者のなかには「年収が1000万円を超えることはないから、関係ない」と思う人もいるかもしれない。しかし、私が高年収の人向けのこのネタをあえて取り上げるのは、多くの会社員に関心を持ってもらいたいからだ。

 給与所得控除の縮小については、なぜか税制改正案のニュースのなかで大きく取り上げられない。このため、会社員は気がつかないうちに増税になっているのが現状だ。

 上限引き下げは年収850万円超まで迫ってきているし、数年先の税制改正でさらに控除が縮小する可能性がある。

 すでに決まっている税制改正により、2020年から給与所得控除は一律10万円縮小になる。ただし、年収2600万円以下の人は基礎控除が10万円拡大するので、差し引きゼロで影響はない。2021年以降の改正案は見逃せない。仕組みを知って、関心を持とう。

 最後に年収900万円〜1500万円までの手取り収入推移のグラフを掲載する。額面年収と手取り年収とのかい離が大きい点に注目してほしい。



(株式会社生活設計塾クルー ファイナンシャルプランナー 深田晶恵)












http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/780.html

コメント [経世済民131] 年収850万超は来年から負担増、会社員の「隠れ増税」はもう始まっている(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
1. 赤かぶ[8359] kNSCqYLU 2019年4月03日 09:52:19 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3398]



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/780.html#c1
コメント [経世済民131] 年収850万超は来年から負担増、会社員の「隠れ増税」はもう始まっている(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
2. 赤かぶ[8360] kNSCqYLU 2019年4月03日 09:52:51 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3399]



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/780.html#c2
コメント [経世済民131] 年収850万超は来年から負担増、会社員の「隠れ増税」はもう始まっている(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
3. 赤かぶ[8361] kNSCqYLU 2019年4月03日 09:53:30 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3400]



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/780.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
7. スポンのポン[11013] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年4月03日 09:54:12 : YLRU9o6eFk : dUpJOXhqbEFjRlU=[193]
 
 
■元号は国の発展を妨げる手枷足枷にすぎない。

 元号の存在によって得られる利益など何もない。

 元号は即刻廃止するべきが
 民主主義国家としての当たり前な判断である。

 そういう議論がされないことが
 この国の国民の愚かしさと、
 この国の民主主義のまやかしの証である。
 
  
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
15. 2019年4月03日 09:57:06 : gq5HByNE2E : Sk1KbkRGa1ByTnc=[5]
枝野君はW,DCや日本会議なんとやら、自民党公明党から鼻薬を嗅がせられているか、脅しでも受けているのかね?
いずれにしても小粒だね。

HATE TV何とか?嫌いだから、侵入してくるな!しつこい!



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
10. 2019年4月03日 09:57:22 : G8pg0pL4va : UzJMamVhMWJiV1k=[25]
最終案6つの中でも”令和”は一つだけ際立って見えるのは、伝わってくる冷たさからか?鋭さからか?単に格好いいからか?安倍首相がなんでこの字を選んだのか近いうちに得意げに”自分が元号を決めた”と自ら言い出すような気がする。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c10
記事 [経世済民131] 鳥貴族、赤字転落で危機突入…値上げ嫌われ15カ月連続客数減、過剰出店で客の“共食い”(Business Journal)
鳥貴族、赤字転落で危機突入…値上げ嫌われ15カ月連続客数減、過剰出店で客の“共食い”
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27298.html
2019.04.03 文=佐藤昌司/店舗経営コンサルタント Business Journal


「鳥貴族の店舗(「Wikipedia」より)


 鳥貴族が絶不調だ。同社は3月8日、2019年7月期の単独最終損益が3億5600万円の赤字(前期は6億6200万円の黒字)になる見通しだと発表した。今期中に不採算店21カ所の閉鎖に伴う減損損失を計上する。通期の最終赤字は14年の上場以来初めてとなる。従来予想は7億4700万円の黒字を見込んでいた。今期の売上高予想は従来予想より20億円少ない358億円(前期比6%増)に下方修正した。

 17年10月に全品税抜き280円均一を298円に引き上げ、客離れが起きた。既存店客数は19年2月まで15カ月連続で前年割れとなっている。さらに問題となっているのが客単価の低下だ。値上げ以降は、客単価は前年を超える月が続き、値上げした17年10月から18年9月まで12カ月連続でプラスだったが、値上げしてちょうど1年後となる18年10月から一転して前年割れが続くようになり、19年2月まで5カ月連続でマイナスとなっている。この間の客単価のマイナスは2〜3%だ。値上げ後のプラスが2〜3%程度なので、客単価は値上げ前の水準に戻ってしまった。

 値上げから1年たって客単価が下落に転じたのは、値上げを嫌った客が注文点数を減らした可能性が挙げられる。均一価格を値上げしたので、平均注文点数が変わらなければ客単価は上がるはずだが、そうなっていないということは、注文点数が減ったと考えられる。飲み放題・食べ放題のメニューもあるので一概にはいえない面があるが、単品ごとに注文する客のほうが圧倒的に多いので、平均注文点数が下がったと考えるのが妥当だろう。

 値上げで平均注文点数が減ったとみられるのは、居酒屋がほかの飲食業態と比べて注文点数が多いことが影響したと考えられる。鳥貴族の平均客単価が仮に2000円だとして、値上げ前の均一価格が税込みで302円なので、平均注文点数は7点程度となる。7点と注文点数が多いので、客は注文点数を調節することでトータルの出費をコントロールしやすい。たとえば、常連客が値上げ前は平均7点注文していたところ、値上げ後は6点に抑え、結果としてトータルの出費が減るというケースが増えたと考えらえる。こうして客単価が低下したのではないか。

 こういった現象は、ほかの業態ではあまり見られない。たとえば、牛丼1杯だけを食べて帰る人も多い牛丼チェーン「吉野家」の場合、値上げしても注文点数の調節では1回あたりの出費をコントロールすることが難しいという側面がある。値上げ分が単純に上乗せになるだけのケースが多く、そのため、鳥貴族のように客単価が値上げ前の水準に戻ることはほとんどない。

 吉野家は14年12月中旬に値上げを実施し、主力の牛丼並盛りの価格を税込み300円から380円に引き上げているが、その結果、客単価は大きく上昇し、14年12月から15年12月までは前年同月比9〜19%増の大幅なプラスが続いている。この13カ月のうち11の月が2桁増となっている。その後は落ち着いて、マイナスとなる月もあったが、2桁のマイナスになる月はほとんどなく、全体的に小幅なマイナスにとどまっている。こうしたことから、値上げは客単価を押し上げたといっていいだろう。

 いずれにせよ、鳥貴族は値上げによる客数の減少を客単価でカバーすることができずに苦戦を強いられているわけだが、価格面で今後問題となりそうな要因が、10月に予定している消費増税だ。税率が8%から10%に引き上げられる予定だが、増税分をそのまま価格に転嫁すれば、さらなる客離れが避けられないだろう。税込み価格において増税分をそのまま上乗せするのか、税込み価格を現状と同じにして本体価格を下げるのか、はたまた税込み価格をも下げるのかに関心が集まりそうだ。

■値上げ以外の客離れの要因

 鳥貴族は客離れで苦しんでいるわけだが、要因は値上げだけではない。それ以外の要素として特に大きいのが、類似業態が増えたことだろう。ワタミの「三代目鳥メロ」、コロワイドの「やきとりセンター」、DINAMIXの「鳥二郎」、エー・ピーカンパニーの「やきとりスタンダード」などが台頭しており、鳥貴族を脅かしている。

 こういった類似業態が台頭することで生じるリスクは、直接的に客を奪われることだけではない。埋没して存在感が低下するリスクも大きいだろう。鳥貴族はかつて「焼き鳥居酒屋といえば鳥貴族」という強いポジションを保持していたが、類似業態が増えるにつれて「数ある焼き鳥居酒屋の中のひとつ」という弱いポジションに移行してしまい、かつてほど存在感を発揮できなくなっている。このことが客離れにつながった側面がある。

 特に台頭著しいのが、焼き鳥居酒屋「三代目鳥メロ」だ。ワタミは不振の総合居酒屋「和民」から転換するかたちで「三代目鳥メロ」を増やしている。18年9月末時点の店舗数は134店で1年前から11店増えている。から揚げが主力の居酒屋「ミライザカ」の149店を加えると、国内外食事業の6割を占めるほどで、ワタミは鶏居酒屋の色を強めて鳥貴族に対抗しようとしている。

 ワタミは鳥貴族とは対照的に、集客に成功している。国内外食事業の既存店客数は2月まで5カ月連続で前年を上回っている。18年4〜12月までの累計では前年同期比1.6%増となっている。18年3月期(通期)は5.5%増だった。鳥貴族の失速を尻目に躍進を続けている。ワタミは、店舗数では鳥貴族に遠く及ばない。だが、無視できるほど少ないわけではない。鳥貴族にとっては手強いライバルといえるだろう。

 鳥貴族は自社競合でも苦しんでいる。同社はドミナント(集中)出店を原則としており、関東と関西、東海に集中して出店し、店舗数を伸ばしてきた。客離れが著しかった18年7月期は大量出店しており、1年間で98店も純増している(期末店舗数は665店)。割合でいえば17%も増えた。この大量出店により、自社の店舗同士で客の奪い合いが起きた側面がある。

 外食チェーンでは、規模が大きくなるにつれて自社競合の問題がついて回るようになる。ペッパーフードサービスが展開する「いきなり!ステーキ」も、自社競合が一因で客数が減るようになった。既存店客数は18年4月から前年割れが起きるようになり、8月と10月こそわずかに前年を上回ったものの、それら以外の19年2月までの月すべてがマイナスという深刻な状況が続いている。ブームの一巡や値上げのほか、大量出店による自社競合が影響したとみられる。

「いきなり!ステーキ」の2月末時点の国内店舗数は417店。1年前から204店増えてほぼ倍増した。大量出店したことで自社競合するケースが増え、それにより既存店の客数減になっている側面がある。

 幸楽苑ホールディングスが全国に500店超を展開するラーメンチェーン「幸楽苑」も、自社競合で業績が悪化した。そこで自社競合していた幸楽苑を「いきなり!ステーキ」に転換したところ、転換せずにそのまま残した幸楽苑の業績は上向くようになったという。自社競合が解消されたためだ。

 これらが示すように、店舗網が大きくなったチェーン店は自社競合という難題に直面する。それは鳥貴族も同様で、巧緻な対応が問われている。

 鳥貴族は業績の下方修正と合わせて、18年7月期〜21年7月期の中期経営計画を取り下げることを発表した。「3商圏1000店舗、営業利益率8%」を掲げていたが、最終年度の目標達成が困難になったと判断した。営業利益率8%については引き続き経営目標として取り組む。新たな中期経営計画は19年9月をめどに改めて公表する予定だ。抜本的な対策を示せるかに関心が集まる。

(文=佐藤昌司/店舗経営コンサルタント)

●佐藤昌司 店舗経営コンサルタント。立教大学社会学部卒。12年間大手アパレル会社に従事。現在は株式会社クリエイションコンサルティング代表取締役社長。企業研修講師。セミナー講師。店舗型ビジネスの専門家。集客・売上拡大・人材育成のコンサルティング業務を提供。



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/781.html

記事 [カルト20] 安倍サックスは隷和と考え、CIAサックスはreiwarと考えたようだが、国民と中国は張衡のように前者を見下す事である。
安倍サックスやCIAサックスは、本当は大伴の意味じゃないもんねー、長州田布施キムチが支配を強めるからねー、飼い主サックスは戦争を派手にやらかすからねーという意味を込めたようだが、本歌取りの原典が支配者の馬鹿さ加減にため息をつくという内容が最上位にあり、大伴のパクリに語呂合わせしても呪いとしてはB級で、親父ギャグみたいに勝手にマスタベしてろという感じだが、日本人は、これまで通り万葉集経由で漢籍から引用された元号を素直に歓迎すればよく、張衡にあやかって馬鹿の退陣と馬鹿の飼い主の追い出しを願っていけばいいのである。
ところで、中国で令和と言えば酒の銘柄だそうで、酒だ酒だ酒だー、酒なら令和でーとサブちゃんも言ってる訳で、最古の医学書から採用したのかどうか知らないが、酒に暗い名前や悪巧みを込めた名前はないからめでたくていいんじゃねという感じである。
てな訳で、わが社は商事や物産の機先を制して令和の独占輸入販売を羽毛布団事業部の柱に据える事にしたが、日中友好にもプラスである。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/607.html
コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
8. 2019年4月03日 10:07:21 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[226]
マスコミが挙って元号に大騒ぎし安倍政権の政治利用としか思えない、あれほどまでに国中を大騒ぎしてするなら多額の税金と年月をかける気の遠くなるような辺野古の埋め立てを同じ様に騒ぎ立てるべきだ、国民にとって新元号などいずれ知る事だ、日本のマスコミは安倍広告塔としか言えない世界でも最低なマスコミだ。国民が知らなくてはいけないことは嘘をつきひた隠し、全国民が知るべきことは隠蔽する、安倍政権のこれまでのやり方だ。一緒に騒ぐ愚民も政治音痴で平和ボケも甚だしい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
16. 2019年4月03日 10:09:30 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-702]
ワロタw】

立憲民主党「韓国の悪口を言う奴は絶対に許さない」 弁護士・落合洋司の公認を悪口を理由に取消w

2019/04/03(水) 07:27:19.14ID:szNBNr309

立民が参院選候補の公認取り消し

 立憲民主党は、夏の参議院選挙での擁立を決めていた弁護士の落合洋司氏がツイッターに、
韓国について「ごろつき」などと書き込みをしたとして、公認を取り消しました。

 立憲民主党によりますと、落合氏は自身のツイッターで、「韓国のようなごろつき」などと投稿
していたということです。

事態を把握した立憲民主党は、「一連の投稿は党としては到底、容認できない」として、
夏の参議院選挙で比例代表候補として擁立を決めていた落合氏の公認を取り消しました。

h ttps://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190402-00000043-jnn-pol


参考

【ワロタw】「韓国の悪口を言う奴は絶対に許さない」 立憲民主党、左派弁護士の公認を悪口を理由に取消w
h ttp://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1554240214/l50
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK259] 宮本岳志衆院議員を擁立 衆院大阪12区補選に無所属で (しんぶん赤旗) AAA+
10. 2019年4月03日 10:11:07 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[227]
野党を一丸とさせない人間は安倍以上の卑劣人間、安倍政権を倒すには野党が大同小異でまとまるしかないことは素人でも解る。それができない人間は政治家でなく政治屋だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/197.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK259] 小沢氏、国民側に合流の決断促す 月内決着なければ「破談」(共同通信)「結論が出ないようなら、この話は無しだ」と小沢一郎 完璧帰趙
1. 2019年4月03日 10:11:25 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[424]
史上最悪のペテン政権アベを倒して打ち首・獄門・さらし首ー小沢一郎&山本太郎「自由党」代表、定例会見 2019 04 02
.
日仏共同テレビ局France10
2019/04/02 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=yv0g6gjzD8w
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/246.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
198. 前河[1818] kU@JzQ 2019年4月03日 10:11:45 : VSSjjTpXR6 : WW5XLzdIYURYU2c=[9]
バグちんとタマちんがうるせえな。お前ら荒しだろ。

濃く魔術?意味不明。日本には革命がない〜んだョなどは百田の自己満妄想本の宣伝か?
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c198

コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
17. 2019年4月03日 10:12:10 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-701]
>>10

「ネトウヨ」というワードを、ネット上、阿修羅コメント上で、繰り返す在日輩は

当然、外人参政権反対派潰し目的、在日コリアンの内政工作を存続させるための、ネット工作員

まったく、頭を使うことなく、こうした在日キムチ監修・言論狩り用語を、用いて

小学生でも恥ずかしくなるような、駄文を書き込むだけで、日銭が稼げる

楽で愚かな商売だな
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c17

記事 [国際26] ロシア疑惑「シロ」で地団駄の反トランプメディア 歴史的フェイクニュースに終わった「トランプとロシアの共謀」 
ロシア疑惑「シロ」で地団駄の反トランプメディア
歴史的フェイクニュースに終わった「トランプとロシアの共謀」
2019.4.3(水) 古森 義久
トランプ氏、ロシア疑惑捜査は「反逆行為」
米首都ワシントンで記者会見を行うドナルド・トランプ大統領(2019年3月24日撮影)。(c)Eric BARADAT / AFP〔AFPBB News〕

(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 米国の2016年大統領選挙でトランプ陣営がロシア政府と共謀して得票を不正に操作したという「ロシア疑惑」は実際にはなかったことが、ロバート・モラー特別検察官の捜査によって示された。つまり、これまでの2年以上もの「ロシア疑惑」報道はフェイクニュースだったということになる。

 この新展開によって、米国の国政の場での民主党とトランプ政権の攻守の構図は一気に逆転し、トランプ政権や共和党側はフェイクニュースを広めた犯人の糾弾を開始した。

 トランプ大統領は就任当初からロシアとの“不正な関係”を疑われていた。司法長官が任命したモラー特別検察官による捜査が始まってからこの3月末で22カ月、実際にはその前の2016年夏ごろから連邦捜査局(FBI)による捜査が開始されていたから、実に2年半もの間、フェイクニュースが流されていたことになる。日本でも同様だったから他人事ではない。

「ロシア政府との共謀」は完全にシロと判定
 モラー特別検察官事務所の捜査報告の骨子は3月24日、ウィリアム・バー司法長官により発表された。

 モラー報告書には、捜査の最大対象だった「ロシア政府機関とトランプ陣営の共謀」という疑惑について、「2016年の米国大統領選挙にトランプ陣営のメンバーとロシア政府が共謀、あるいは協力して介入したことは裏づけられなかった」ことが明記された。「ロシア疑惑」についての捜査はこれで終了し、これ以上の起訴はないという。

モラー米特別検察官、ロシア疑惑の報告書を提出
2016年米大統領選挙でのドナルド・トランプ陣営とロシアの共謀疑惑をめぐる捜査を指揮するロバート・モラー特別検察官(左)とトランプ大統領(右、2018年1月8日撮影)。(c)SAUL LOEB and Brendan Smialowski / AFP〔AFPBB News〕

 トランプ大統領がジェームズ・コミーFBI(連邦捜査局)長官を解任したことに対する司法妨害の容疑については、起訴とも赦免とも判断を下さないという灰色の記述だった。だが、この捜査の最終責任を持つウィリアム・バー司法長官は「起訴の対象にはならない」というシロの判断を打ち出した。

 こうした結果、「疑惑」の主対象だった「トランプ陣営とロシア政府との共謀」は完全にシロと判定されたのである。このことは、捜査の標的だったトランプ大統領自身はもちろん、息子のドナルド・トランプ・ジュニア氏や義理の息子のジャレッド・クシュナー氏なども特別検察官の刑事訴追はされず、無罪の判定が下されたことを意味する。

「反トランプ」メディアの論調の変化
 では、この2年間にわたる連日連夜の米国主要メディアによる「ロシア疑惑」報道とは一体なんだったのか(おまけにその大部分は「疑惑」というよりも、トランプ大統領を「有罪」と決めつける「トランプ陣営とロシア政府の共謀」報道だった)。

 共和、民主両党の衝突がこれで終結したわけではない。最終的な捜査報告書が公表されても、反トランプの主要メディアは簡単には自分たちの非は認めない。反トランプ陣営は、民主党支持層の厚いニューヨーク州の検事局や裁判所を巻き込んださらなる攻撃も検討している。

 だが、モラー報告書の概要が発表されてから1週間ほどの4月2日の時点では、「ロシア疑惑」を大々的に報道してきたニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストの紙面にも顕著な変化が現われてきた。

 1つは当然ながら「ロシア疑惑」に関する記事ががっくりと減り、ほぼゼロになりつつあることだ。トランプ大統領への批判も医療保険改革や違法移民などの内政問題へとシフトしてきた。

 2つ目は、たまに出る「ロシア疑惑」関連記事においてもゴールポストや焦点を変えて、「疑惑を流した犯人をトランプ大統領が追求するのは逆に民主党を利することになる」「ロシア側は、トランプ陣営との共謀などないことは最初から知っていた」などという趣旨の論評が見られるようになったことである。

 しかしそうした論評は、トランプ陣営側の「『ロシア疑惑』は反トランプ勢力によるでっちあげである」とする主張の説得力を、結果的に一段と強める結果となっている。

民主党への反撃に出る共和党陣営
 モラー氏が「ロシア疑惑」の特別検察官に任じられたのは2017年5月だった。ただしFBI(連邦捜査局)による同疑惑の捜査は前年の2016年から始まっていた。モラー検察官はこれまでの刑事訴追34人(うちロシア人が26人)のうち6人を有罪確定、あるいは有罪自認とした。

 だがこれまでに起訴された人たちの罪状は、選挙期間中の「ロシア機関との共謀」とはまったく関係がなかった。みな脱税や横領という個人レベルでの罪状だったのである。

 また選挙に不当に介入したとされるロシア側の工作員は、みなロシア独自の干渉とされ、トランプ陣営との共謀や共同の違法行為はなにも指摘されなかった。いずれにしろロシア人容疑者はみなロシア国内にいるため、今後追及することは現実的には困難である。

 与党の共和党陣営も今回の展開に喜びを隠さない。それどころか「この報告書によって『ロシア疑惑』が民主党側の捏造、でっちあげだという事実が証明された」という激しい反撃を開始した。

 トランプ大統領は、この2年余り一貫して叫んできた「ロシア疑惑は魔女狩りだ」という主張をさらに強め、中西部ミシガン州の大集会でも、1時間以上熱気をこめた演説で自らの無実と民主党側の陰謀を訴えた。

「疑惑」をでっちあげた面々とは
 共和党側で「ロシア疑惑」はそもそも民主党側のでっちあげだと主張してきた下院情報委員会の筆頭メンバーのデビン・ヌーネス議員は、3月下旬に「この捜査終了によって『ロシア疑惑』は今世紀最大の政治スキャンダルであることが証明された」と述べ、この捏造事件の特別捜査の必要性を訴えた。

 下院情報委員会は2018年11月の中間選挙で民主党が下院の多数派となり、委員長も民主党のアダム・シフ議員となった。シフ議員も、議会で「トランプ陣営とロシア政府の共謀」を再三主張してきた1人である。そのため同委員会の共和党議員は、全員でシフ議員の委員長解任を求めている。

 一方、トランプ大統領の2020年の再選を目指す「トランプ再選委員会」はモラー報告書の骨子が発表された直後、主要テレビ局に書簡を送り、「以下の6人の議員、元政府高官はトランプ大統領に対して証拠のない不当な誹謗を再三、述べてきた。今後、テレビ番組で起用する際には、ジャーナリズムの正しい規範を適用して慎重にしてほしい」と要請した。この6人には前述のシフ議員のほか、オバマ政権でCIA(中央情報局)長官を務めたジョン・ブレナン氏らも含まれていた。

 トランプ陣営ではブレナン氏のほか、オバマ政権の国家情報長官だったジェームズ・クラッパー氏、FBI長官だったジェームズ・コミー氏らに対しても「トランプ陣営とロシア政府との共謀」説を有形無形に広めたという疑いを深めており、その責任の追及を検討している。

 日本でもこの2年ほど、主要メディアの多くが「トランプ陣営はロシアと共謀していた」という趣旨の報道をしてきた。その具体的な事例は数えきれない。今となれば、その種の報道はみなフェイクニュースだったということにもなろう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55977
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/102.html

コメント [政治・選挙・NHK259] <安倍首相の責任は、あまりにも大きい!>準強姦罪が無罪になるような国になってしまった日本  天木直人  赤かぶ
6. 2019年4月03日 10:14:08 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[228]
安倍政権になってからは法も秩序も無い、安倍友や自民党議員は何をしてもお咎めなし、安倍自身どれだけの大罪を犯しているか、それでも総理の座に居座っている、それをさせている与党議員とマスコミの責任は重大だ。この国は安倍独裁政権だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/212.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK259] 令和問題は 石破の違和感 と 天皇陛下不参加  赤かぶ
26. 2019年4月03日 10:14:45 : 32gaobLF6I : WlBpTm96Rmw1dnM=[62]
●「令和」は、「万用集」の中の詠み人「安部の心像」の歌から採りました。

『我が「令」に 「和」して服する 民ぞ愛(かな)しき』(万用集 安部の心像)

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/220.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
9. 2019年4月03日 10:16:34 : JNdpMeXSQE : aHcxdHlMSFZaWC4=[1]
誰も信用していない 
虚偽の内閣支持率、新元号の好感度
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/47326
          

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c9
記事 [国際26] 「変化」は唐突、トランプ現象やブレグジットを見よ  文大統領、もはや北朝鮮非核化の邪魔者  韓国で囁かれ始めたクーデター

「変化」は唐突、トランプ現象やブレグジットを見よ

何も変わらないという停滞感、ダムが決壊したらあっという間
2019.4.3(水) Financial Times
(英フィナンシャル・タイムズ紙 2019年3月30/31日付)

英下院、EU離脱代替案をすべて否決

英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)をめぐる政府案の代わりとなり得る選択肢の採決を終えた英下院議員ら。英議会記録部(PRU)の動画より(2019年4月1日撮影)。(c)AFP PHOTO / PRU〔AFPBB News〕

 古代ギリシャ演劇の伝統的な手法にデウス・エクス・マキナというものがある。

 劇中の人物が解決困難な問題に苦しんでいる場面で、クレーンのようなものを使って舞台の中央に神を登場させ、その神聖な命令によってすべてを丸く収めてしまうやり方だ。

 今こそ、このデウス・エクス・マキナが少しでも使えればとてもありがたい気がする。

 米国では、ロバート・モラー特別検察官によるロシア疑惑の報告書がその役目を担ってくれることを、多くの人が期待していた。

 非常に批判的な内容になれば、ドナルド・トランプ大統領という解決困難な問題を一気に吹き飛ばしてしまうだろう、来年の大統領選挙で対立候補の支持者を探し集めるという過酷な作業も不要になる、というわけだ。

 しかし、連邦議会の構成上、弾劾が成立する公算はなかった。

 それどころか、モラー氏の報告書には(中を見られると想定するなら)誰かに影響を及ぼす情報が含まれているわけでもなさそうだ。

 人は皆、今頃はもう、自分がトランプ氏のことをどう思っているか分かっているに違いない。

 英国では欧州連合(EU)残留派の一部が、記録破りの請願によって神がかり的などんでん返しが生じることを期待している。

 リスボン条約第50条の発動を撤回し、最終幕に入る前にブレグジット(英国のEU離脱)の悲劇から抜け出すよう英国に求める人の数が、ほぼ600万人に達しているのだ。

 英国政府は3月26日にこれに反応したが、その答えは(筆者が言い換えるとするなら)「うせろ、どこの市民でもないくせに」というものだった。

 では、翌27日の議会下院での「示唆的投票」で問題が解決するのではないか――。

 確かに、投票は少なくとも何かを示唆していたが、それは議会の行き詰まりだった。

 それでも、変化というものは起こりうる。それも、驚くべきスピードで進むことが時折ある。

 つい数年前には、ブレグジットというプロジェクトは妄想に憑りつかれた少数の人々の夢想でしかなかった。

 EU加盟の是非が最も重要な問題だと思っている英国民の割合は、1ケタの前半にすぎなかった。

 ところが、今ではそのブレグジットが二大政党の(達成がいささか難しいことに気づいてはいるものの)正式な目標になっている。

 同様に、トランプ氏が米国と世界の政治にぶちまけた変化は、数え切れないほど多い。確かに、そのほとんどは悪い変化だが、停滞は避けられないと主張するのは困難だ。

 私たちはカオス的な変化と不毛な停滞に同時に対処しているというこの奇妙な感覚は、どうすれば説明できるのだろうか。

 キャス・サンスティーン氏は近著「How Change Happens(変化はいかに起こるのか)」で、「パーティズム(党派心)」なるものが一つの説明になると論じている。

 レイシズム(人種差別主義)やセクシズム(性差別主義)といった悪しきものと音が似ているのは、同氏の意図によるものだ。

 サンスティーン教授はこの本で、自分とは異なる政治的主張を有する人々をまるごと切り捨ててしまう人が今日では多くなっている、と説得力豊かに論じている。

 例えば、人種が異なる人との結婚に対する人々の態度は劇的に寛容になってきたが、最近はその一方で、支持政党が異なる人との結婚に拒否反応を示す人が少なくない。

 サンスティーン教授の報告によれば、自分の子供が自分とは異なる政党の支持者と結婚することになったらどう思うかと2010年に尋ねたところ、不愉快だと答えた人の割合は共和党支持者で約49%、民主党支持者で33%に達したそうだ。

 1960年にはどちらも約5%だったというから、かなり増えたことになる。同様なトレンドは英国でも生じている。

 政治学者のシャント・イエンガー氏とシーン・ウェストウッド氏は、このパーティズムを調べるために「潜在連合テスト(IAT)」という、無意識的な偏見の測定に(物議を醸しつつも)一般的に使われている試験を行った。

 その結果、政党の好き嫌いがもたらす潜在的な偏見の度合いは、人種がもたらすそれよりも強いことが分かったという。

 パーティズム自体には悪いところなど一つもない、と主張する人がいるかもしれない。

 ジェンダーや民族性に基づいて他人を不当に評価しているのではなく、当人がしてきた選択をもとに正当な評価を下しているのだ、というわけだ。

 それでも、ある政党がその支持基盤から揺るぎない支持を得ると同時に、敵対する勢力からはトコトン嫌われるという環境は、合理的な議論につながりにくい。

 ひょっとしたら、前述の停滞感はこれで説明できるのかもしれない。私たちは、誰も他人の話に耳を傾けないし妥協もしたがらない、と感じているのだ。

 閉塞感があっても、劇的な変化は明らかに起こりうる。

 既存の政党構成が敵対的な勢力に乗っ取られれば、パーティイズムは行動を抑制する力から抜本的な変化を促す力に変わる可能性がある。

 EU離脱派がやり遂げたのはこれだ。

 労働党のジェレミー・コービン党首も、そしてあのトランプ大統領も同じことを(それも相当派手に)やってきた。

 変化を起こす主体は既成政党ばかりではない。選挙制度で変化が認められている国では、新しい政党が誕生して勢力を伸ばしている。

 組織の確立した大政党が選挙で非常に優遇される制度になっている英国でさえ、離脱派と残留派は今や、伝統的な政党よりも強い政治的アイデンティティーの源になっている。

 伝統的な政治以外の分野では、「#MeToo」運動がその一例に挙げられるだろう。

 強い権力を持つ男性の行動を社会はどこまで許容するのかという問題を、遅まきながら劇的に見直す流れの契機になっている。

 こうした変化が突然生じるのは、私たちが社会的な生き物だからだ。

 私たちは、他の人々がどんな立場を取っているかを知って初めて、自分がどんな気持ちを抱いているかに気づくケースが多い。

 今は何も変化がなく、永遠に何も変わらないように感じる。しかしそれは、状況がある重要な限界を超えてダムが決壊してしまうまでの話だ。

 ひとたびダムが決壊すれば、無視されていた問題が脚光を浴びる。同じ問題に対する人々の反応が、「さあね」と肩をすくめるしぐさから街頭での行進への参加に変わる。

 そうした変化は予測できないし、変化が起こった後も、私たちは、もともと避けられないことだったのだと自分を欺いてしまうことが多い。

 つまり、長期の停滞、行動の突然の盛り上がり、そしてかなりの量の幸運に恵まれるという流れこそが、政治における変化がたどるプロセスなのだ。

 この裏側には、長期に及ぶ説得、支持集め、苛立ちがある。栄えある長旅というよりは、果てしなく続くランニングマシンに似ている。

 なるほど、これなら、ほとんどの人が神聖な介入の方を好むとしても不思議はないだろう。

By Tim Harford

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55983


 


 
文在寅大統領、もはや北朝鮮非核化の邪魔者に

2回の米朝会談失敗で完全に見限ったトランプ米大統領の次の手
2019.4.3(水) 高濱 賛
米韓首脳会談、4月11日に実施へ 文氏が訪米
米ニューヨークで握手を交わす韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領(左)とドナルド・トランプ米大統領(2018年9月24日撮影、資料写真)。(c)Nicholas Kamm / AFP〔AFPBB News〕

 韓国の文在寅大統領が4月10日ワシントン入りし、11日にドナルド・トランプ米大統領と会談する。

 2月末のベトナムの首都ハノイで行われた米朝首脳会談が決裂してから初の米韓首脳会談だ。

 トランプ大統領が金正恩朝鮮労働党委員長との会談に応じたのは文大統領の仲介がきっかけだ。2回目会談も文大統領の口車に乗ってトランプ大統領はハノイまで出かけて行った。

 ところが会談は決裂。理由は、トランプ大統領が「北朝鮮が保有する核兵器関連物資をすべて米側に手渡せ」と言い出しからだといった情報が支配的になってきている。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/post-11905.php

 「すでに北朝鮮には何度も騙された」(ディビッド・スティルウェル米国務次官補=東アジア太平洋担当)と見る米政府部内の対北朝鮮強硬派の判断に、トランプ大統領は突き動かされたからだろう。

 トランプ大統領の対北朝鮮アプローチは昨年3月8日に文在寅大統領の特使、鄭義溶国家安全保障室長を通じて伝えられた金正恩朝鮮労働党委員長からの米朝首脳会談開催の提案からだった。

 歴代米大統領が実現できなかったことをやろうとするトランプ大統領は、これに食いついた。折からの「ロシアゲート疑惑」を払いのける絶好の政治スタンスでもあった。

 第1回米朝首脳会談(シンガポール)、2回目のハノイ会談と、そのお膳立ては韓国の文大統領だった。

 だが2回目会談直前になっても水面下で続けられてきた交渉でも非核化に向けた北朝鮮からの譲歩は見られなかった。

「韓国は北朝鮮の非核化に役立たず」
 それでも文在寅大統領は「仲介役」として楽観論を流し続けた。そして金正恩委員長からの譲歩を引き出すためには対北朝鮮制裁の緩和を米側に助言し続けた。

 米側の意向を無視して南北統一に向けた具体的な動き(開城での南北朝鮮連絡事務所設置、鉄道・道路網接続着手など)すら見せてきた。

 米議会には「韓国は非核化交渉で米国への協力をするどころか、非核化には役立たない同盟国だ」(コリー・ガードナー上院外交委員会東アジア太平洋小委員会委員長=共和党、コロラド州選出)といった露骨な対韓不信感が噴出した。

非核化交渉の仲介役は中国にバトンタッチ
 朝鮮半島情勢を定点観測している韓国外国語大学のマンソン・リッチィ准教授(ハワイ東西センター客員研究員)は、朝鮮問題専門サイト「38 North」でハノイ会談以後の米国と北朝鮮、韓国の関係についてこう見ている。

 「ハノイでの米朝首脳会談はそれ自体が孤立して行われたものではない。従ってそれによって生じた波及効果は他の事案やこの地域における当事者にも影響を与えて始めている」

 「米朝首脳会談が決裂したことにより、一番衝撃を受けたのは韓国だ。韓国は米朝首脳による(非核化)交渉が進むことで南北朝鮮の協力、朝鮮半島の平和、それによって恩恵を受ける経済的利益を期待してきたからだ。その大きな期待はほど遠いものとなった」

 「文在寅大統領としては(米朝間の仲介役を自負してきた経緯もあり)義務感もあり、再び仲介役を演じようとするだろうが、その役目は韓国の手から離れている」

 「韓国に代わって仲介役を演ずるのは中国だ。ハノイ会談は中国にこの地域での影響力を強める絶好のチャンスを与えたからだ」

 「(古代ギリシャの歴史家)トゥキュディデス*1は『強きものはできうることを為し、弱きものは為すべきことができず苦しむ』と記している」

*1=前5世紀中葉のアテナイで寡頭派指導者として活躍した政治家。ペロポネソス戦争に従軍、戦争中に失脚し、亡命。ペロポネソス戦争を叙した「史書」は有名。

https://www.38north.org/2019/03/mrichey032919/

文在寅大統領は引き続き仲介役を懇願か
 米韓関係に精通する米政府高官OBの一人はリッチィ准教授の見解に共鳴し、筆者にこう指摘している。

 「文在寅大統領は、4月11日のトランプ大統領との会談で、米朝首脳間の交渉を何とか再開させるために自分に仲介役を引き続きやらせてほしい、と持ちかけるだろう」

 「トランプ大統領の本心は、もうお前には頼みたくない。俺はビジネスマンだ。成果の上がらない取引には興味はないし、どちらの味方か分からないお前さんなんぞは、『You fire!』(お前は首だ!)と言いたいところだろう」

 「もっとも米韓は同盟国同士。外交儀礼的にはトランプ大統領は『よろしく』とは言うかもしれないし、そう記者発表するかもしれない。文在寅大統領はそれを誇張して発表するのだろう」

 「内憂外患の文在寅大統領にとっては米朝関係の仲介役を続けられるか否かは、政権運営には絶対不可欠だ。北朝鮮の非核化と南北朝鮮和解促進は文在寅大統領にとって『命綱』になっているからだ」

 「だが現実的にみて韓国にはもはや『仲介役』はできない。米国の信用を完全に失ってしまっているからだ。北朝鮮にあまりにものめり込みすぎてしまった」

 もはや韓国は米朝間の仲介役にはなれないのではないのか、といった見方は韓国側にも出ている。

 『朝鮮日報』のアン・ジュンヨン政治部記者は2月28日、会談の先行きを楽観視してきた韓国大統領府はハノイ会談決裂の報を受け終日右往左往していた現実をとらえて、こう書いている。

 「韓米両国は緊密に協力していると口では言うが、米国は韓国が対北朝鮮制裁の免除や緩和を呼びかけたり、北朝鮮の人権問題を放置していることについて批判している」

 「真実を隠し、現実から顔を背けて、小細工ばかりしているようでは最終的には韓国は誰からも信頼されなくなり、その結果、米朝間の『仲裁者』『促進者』どころか、単なる『見物人』になりかねない状況に追い込まれている」

それでも韓国を無碍にできない米国のジレンマ
 しかしながらトランプ大統領にとって、文在寅大統領をそれほど無碍にはできない存在だ。

 そのへんの実情をケリー・マグサメン元国防次官補(アジア太平洋担当)は3月26日開かれた上院外交委員会聴聞会でこう証言している。

 「米韓同盟関係はお互いが機敏さを必要とする新たな段階に入っている。米韓関係を引き裂くことを北朝鮮は外交上の最重要課題の一つと考えているからだ」

 「米国は米韓同盟のメカニズムをより有効に生かすために政府高官たちを訪韓させる必要がある。特に重要なことは(ほぼ合意に達した)在韓米軍駐留経費交渉(SMA)*2などで米国が荒っぽい高圧的なアプローチをしないことだ」

*2=米韓事務レベルでは韓国が在韓米軍経費を従来からの年間8億6000万ドル(全経費の40%)から10億ドル(16%増)に引き上げることで合意している。

https://thediplomat.com/2019/02/what-does-the-signed-cost-sharing-agreement-mean-for-the-us-south-korea-alliance/

 「対北朝鮮非核化交渉では米韓の緊密な同盟関係は不可欠だ。対北朝鮮との交渉は今後も長丁場になる。外交が暗礁に乗り上げた時には長期的な観点に立った抑止力強化、さらには北朝鮮包囲シナリオも必要になる」

 「トランプ大統領は米韓合同演習の一時中止を一方的に発表したが、これは不幸な決定だ。率直に言って、軍事演習や訓練においては駐韓米軍よりも韓国軍の即応能力の方が重要だ」

https://www.foreign.senate.gov/imo/media/doc/032619_Magsamen_Testimony.pdf

「トランプ大統領は日韓関係改善に努力せよ」
 もう一つ、今回の米韓首脳会談で避けて通れないのが日韓関係だ。前述のマグサメン氏は上院外交委員会での証言でこう述べている。

 「同盟関係を論ずるときに米国が取り上げねばならないのが悪化の一途をたどっている日韓関係だ。1965年の日韓基本条約締結以来最悪の状態にある」

 「北朝鮮は日米韓3国が協力できるか、否かに最大関心を示している。米国は大統領を含む最高レベルで日韓関係を改善させるための弛みない外交努力をすべきだ」

 「日韓関係の改善が遅れれば遅れるほど東アジア地域の安全保障上の米国の国益に支障をきたすことになる」

 これは米政府部内だけでなく、米議会における総意だ。だがトランプ大統領が文在寅大統領に面と向かって何と言うか。

 かって駐韓米大使館に勤務したことのある米国務省OBはため息交じりに筆者にこう語る。

 「慰安婦問題にしても徴用工問題にしても国際社会の常識としては日韓政府が締結した日韓基本条約を誠実に遵守すればいいだけのことだが、今の韓国は、EU離脱をめぐるトラウマに陥ってしまった英国と同じようにみえる」

 「正論が正論として通らない。韓国人自身、自分でしか解決できない反日トラウマで身動きできずにいる」

 「日本との関係を全面的に見直すことをマニフェストに掲げて登場した文在寅政権のスタンスが行政だけではなく、司法、立法にまで蔓延してしまった」

 「これに米国が口を挟むわけにはいかない。外交音痴だが、商売上手なビジネスマンのトランプ氏だからこそ利害の絡む日韓同士の喧嘩に割って入るようなことはしないだろう」

 「となると、トランプ大統領は文在寅大統領に苦言を呈す場面などは考えられない」

 「日本人にしてみれば、安倍晋三首相との個人的な関係も深いトランプ大統領に、『そろそろ御託を並べるのをやめて安倍とうまくやってくれよ』と文在寅大統領をたしなめてもらいたいと考えるところだ」

 現在主要シンクタンクに籍を置く別の国務省OBは、「それは甘い」とこう指摘する。

 「今の米国は、外交の機微とか国際的倫理や常識などには疎い、頭の鈍い、思い通りにいかないとわめき散らすガキが大統領だということを忘れないことだよ」

 「彼の関心はすべてカネ、儲かるか儲からないか、だけが判断の尺度だ」

文大統領がどうしても欲しい訪米みやげ
「トランプの一言」
 この国務省OBの見立てはこうだ。

 「トランプ大統領は、米議会が日韓関係を憂いていることを引き合いに出して、『日韓首脳同士、何とか収めてくださいよ。何か私でできることがあったら言ってね』というのが関の山だろう」

 「それを文在寅大統領は『トランプ大統領は仲介役になってくれた』と国内向けに宣伝できるし、ありがたい土産になるはずだ」

 「安倍首相にとっても対韓国で別に譲歩を迫られるわけでなし、問題はないはずだ。外交音痴のトランプ大統領がそこまで本音と建て前を使い分けることができる本来の米大統領外交ができるかどうか、だ」

 「ワシントン政界筋には今、トランプ氏の頭の中には2020年大統領選での再選しかないのではないのか、といった見方が広がっている。「ロシアゲート疑惑」の暗雲がひとまず去ったからだ」

 「決裂した米朝首脳会談の後、トランプ大統領には焦りのようなものは感じられない。トランプ氏の動物的勘のなさせる業なのか」

 「大統領選の結果が出るまで北朝鮮の非核化交渉は動かない、日韓関係もどちらかの国で政権交代があり、トップが変わらない限り好転はしない」

 トランプ流の根拠のない、あくまで動物的勘なのだろうが・・・。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55976

 

韓国で囁かれ始めた「クーデターが必要」の主張
3・1独立記念日で見えた「反日勢力」の実相

2019.4.3(水) 赤石 晋一郎
3・1独立運動記念日に反文在寅のデモも行われていた(筆者撮影)
(赤石晋一郎:ジャーナリスト)

 韓国の3・1独立運動記念日から約1カ月、相変わらず日韓関係の緊張が続いている。本稿ではこれまでマスコミで報じられなかった、3・1独立運動記念日の裏側ついてレポートをしたい。

 3月1日、記念式典に登壇した文大統領の顔色は冴えなかった。イベント会場で登壇し、長々と演説を続けたものの、声に力がなかったのだ。

「文大統領は演説では日韓の協力を呼びかけるなど、日韓の融和を滲ませる言葉が目立ちました。当初、確実視されていた元徴用工裁判の話や慰安婦問題などの懸案事項については言及しなかったのは意外でした」(ソウル特派員)

文在寅の頭の中の8割は北朝鮮!?
「3・1独立運動」とは日本植民地支配時代に起きた運動のことである。いわゆる、現在語られる「反日」活動の原点ともいえる運動であり、100年を記念した今回の式典では、文大統領がより過激な日本批判を口にするのではないかと、日本政府側からは警戒されていた。

 タレントが総動員されたような華やかなステージからは、国家的な記念日であることを強く認識させられる。しかし肝心のメインゲストである文大統領は、ウダウダと演説を続けるだけで言葉が冴えず、唯一、言及したのが、植民地時代に日本が韓国人独立運動家を鎮圧した際に多数の死傷者が出たことを、「蛮行」や「虐殺」といった言葉で紹介したときだった。そして「親日残滓(ざんし)の清算はあまりに長く先送りされた宿題だ」と語ったのだ。

 私はイベントが行われていた光化門近くで現場の様子を取材していた。数万人の聴衆が集まっていたが、会場に流れる空気の冷ややかさはどうにも否定できなかった。大統領の歯切れ悪い演説が、現場の空気をしらけさせているようにも思えた。

 それには理由がある、と語るのは韓国人ジャーナリストだ。

「大統領の言葉に勢いがなかったのは、前日まで行われていた米朝会談が物別れに終わったことが大きかった。韓国政府は米朝会談が成功し、南北統一の機運が高まると期待していただけに、文大統領としては期待外れの結果に終わった。大統領の顔色が冴えなかったのもそのせいだ、という論調は韓国内でも多く見られました」

 文大統領が大々的に反日宣言をしたかったであろうことは、容易に予想できた。イベントの列席者のうち、メインゲストとなる大統領夫妻のすぐ横に席を用意されていたのが元慰安婦・イ・ヨンス氏だったからだ。

「おそらく米朝会談が成功裏に終わっていれば、元慰安婦イ・ヨンス氏による反日的な演説が行われ、大統領も慰安婦問題に言及するはずだったであろうことはゲストの席順からも明らかでした。しかし、結果、目立った発言はなかった。それだけ米朝会談のショックが大きかったのだと思います」(前出・ソウル特派員)

 朝鮮戦争の終戦宣言も、との観測もあった米朝交渉の「決裂」は、想像以上に文大統領の大きなダメージを与えていたのだ。ブルームバーグが文大統領を「金正恩の報道官」と評して韓国内で大騒動になったことは記憶に新しいが、実は韓国内でも、文在寅は「頭の中の8割が北朝鮮で占められている」(韓国紙記者)と評されるほど、親北朝鮮であることがよく知られている。

「文在寅大統領の周りは、『チュサパ(主思派)』で固められています。チュサパは北朝鮮よりも強い主体思想(金日成が提唱した独自の社会主義理念)を持つ人達のことで、文大統領が、北朝鮮が核放棄する前から38度線の武装解除を始めたのはその思想に基づいてのこと。さらに、文政権が反日姿勢を強めているのも主思派の影響と見られています。つまり『親北』=『反日』であり、北朝鮮と近づけば近づくほどに文政権は反日姿勢を強めていくはずです」(前出・韓国人ジャーナリスト)

 そのような状況下にある韓国で、3・1独立運動記念日のさなか、同国の知られざる一面を、私は現地で見ることになる。つまり韓国国内はいま分裂の危機にあるのではないか――という光景だ。

露わになった民族の分断
「Moon Jaein OUT!」

 3月1日、ソウル市内では大々的なデモ行進が行われていた。大音量で音楽を響かせ、参加者は熱いシュプレヒコールをあげる。「反日デモ」ではなく「反文在寅デモ」だ。

3・1独立運動記念日に「文在寅 アウト!」のプラカードを掲げてデモする人々(筆者撮影)
 軍服に身を包んだ参加者はこう胸を張った。
「この集会には30万人の韓国人が集まっている(*現地報道では数万人)。われわれはアカの政権を打倒する!」

「太極旗部隊」と名乗るデモの行列がソウル市内を埋め尽くしていた様子は確かに壮観だった。人々を観察していると韓国軍OBや、中高年の男性や地方出身者が多い。いわゆる保守層、右派によるデモが太極旗部隊であるようだ。

〈ムンジェインは北朝鮮のスポークスマンだ!〉というプラカードを掲げた中年男性もいた。デモの所々で韓国国旗である太極旗と、米国国旗である星条旗がはためいていた。彼らを勢いづかせたのが、前日の米朝会談の決裂であることは明らかだった。

3月1日、ソウルで目立ったのは「反日デモ」ではなく「反文在寅デモ」だった(筆者撮影)
 いま韓国で、右派と左派による分断が深く進行していることをうかがわせる光景だった。左派政権である文政権が反日姿勢を見せる背景には、北朝鮮の姿が色濃くあるのは先に述べた。

 その様子は左派陣営でも確認できた。

 3月1日の在韓日本大使館前。こちらで見られたのは、もちろん左派のデモ隊の姿だ。しかし、その数は50名ほどと、かなり少ない。参加者の多くが若者で、うち半数ほどは動員された学生のようだ。

 リーダーの運動家は、マイクでこうシュプレヒコールを上げる。
「日本は謝罪しろ!」

 聴衆も拳を振り上げてはいるが、その様子はシュプレヒコールに合わせたコンサート的なノリに見える。「怒りで拳を突き上げる」といった風情ではない。

3・1独立運動記念日の日本大使館前の様子。反文在寅デモに比べ明らかに人が少ない。(筆者撮影)
 そしてリーダーはこう演説を始めた。
「アメリカのトランプ大統領は北朝鮮の金正恩を友達だという。それならなぜ、制裁をするのか! 制裁をやめるべきだ!」

 いまも確実にある北朝鮮の核保有問題の存在を無視しためちゃくちゃな暴論なのだが、リーダーは大真面目にそう主張しているのだ。理屈もなにもあったものではないが、韓国左派がいかに親北であるかということだけは、この演説によく表れている。

 そして、左派デモの人数の少なさが示唆するものは、韓国内における反日派は実は少数であるという事実だ。

 過去に植民地支配された歴史があるので韓国内には公に「親日だ」とは言いづらい雰囲気があるが、熱く拳を振り上げているのは一部の左派政治家と市民運動家だけでしかない。

「親北朝鮮政権を倒すためクーデターを起こすべき」との声
 問題は文政権がそうした国内情勢を知ってか知らずか、反日姿勢を維持するために強権的になっていることにある。

 2月15日、文在寅は大統領府本館中武室で行われた「国家情報院・検察・警察改革戦略会議」に出席した。そこで次のような「宣言」を行った。

「今年は特別な年です。100年前、独立運動によって正義に満ちた大韓民国が建設された。日帝強占期(植民地支配時代)、警察と検察は独立運動家を弾圧する植民地支配を補完する機関だった。いまも残る暗い影を改革し、完全に脱ぎ捨てなげればならない。そのために大統領、青瓦台は常に監視、牽制する」

 つまり政権は権力機関の掌握に力を注ごうというのだ。こうした姿勢に右派は反発を強めているという。

「いま『親北朝鮮、アカの政権を倒すためにクーデターを起こすべきだ』という意見までが右派や韓国軍関係者の中で囁かれるようになっているのです。韓国軍や国家情報院はこれまで北朝鮮を『敵国』とみなし、演習・情報収集をしてきたわけです。それだけに、無条件に北朝鮮に歩み寄る文政権を危険視しているのです」(韓国メディア記者)

 文在寅大統領の任期はあと3年以上ある。このまま親北路線を突き進むのならば、深刻な左右激突は避けられないのかも知れない――。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55971
http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/103.html

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
10. 2019年4月03日 10:20:37 : JNdpMeXSQE : aHcxdHlMSFZaWC4=[2]
テレビの支持率調査結果が嘘だとバレた
http://www.asyura2.com/18/senkyo251/msg/150.html


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c10

コメント [カルト20] 安倍サックスは隷和と考え、CIAサックスはreiwarと考えたようだが、国民と中国は張衡のように前者を見下す事である。 ポスト米英時代
1. 2019年4月03日 10:22:00 : WJfBckkeXQ : bEJvblA2S2Z5QTI=[65]
正直クリスチャンとしていい年号だと思います。
「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」とミサのたびに歌うわけで、令を「神のおきて」と捉えれば、神の国のイメージに捉えることができるのです。
ご参考まで(笑)
 
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/607.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化(Business Journal) 赤かぶ
1. 赤かぶ[8362] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:25:46 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3401]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/257.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
11. 2019年4月03日 10:26:31 : N2ngKxg6J2 : a0tJc0t4STFzbkk=[23]
号外に群がっている人たちは秩序のある日本人ではないな。
ちょっと待てばもらえるものをああやって手を伸ばすのはヤラセっぽい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c11
コメント [経世済民131] 平成元年に新卒女子が直面した男性社会の壁、女性活躍30年後も道半ば ブランドに興味ない「ジェネレーションZ」が主役 うまき
2. 2019年4月03日 10:28:36 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-706]

だって女は扶養しないじゃん


http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/768.html#c2

コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
15. 赤かぶ[8363] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:32:10 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3402]



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
11. 2019年4月03日 10:32:37 : oHxGCishuA : RjIvaURUODBzNjI=[1]
誰も広辞苑に触れない。特にマスコミや学者。
何故だろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c11
コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
16. 赤かぶ[8364] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:32:48 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3403]



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
12. 2019年4月03日 10:32:52 : JNdpMeXSQE : aHcxdHlMSFZaWC4=[3]
>>11
ヤフオクとかの転売で儲けている人達だと思います。

希少価値がありますから。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c12

コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
17. 赤かぶ[8365] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:33:47 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3404]



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c17
コメント [国際25] 米国警備艦が北朝鮮の「瀬取り」監視で異例の韓国入り 韓国への警告の意図も?(ニューズウィーク) 赤かぶ
4. 2019年4月03日 10:35:18 : ZzavsvoOaU : aHVwMGJ2SHM5RE0=[74]

なぜ韓国当局が、あれほど日本のLaser照射問題で迷走したのか

米国は把握しているということだ

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/900.html#c4

記事 [カルト20] BJ・森友・NHKが野党批判報道。最早ゴミ売り産経並み、支持率調査も推して知るべしである。
岩田サックスに安倍サックスをよいしょさせるだけでも酷過ぎるというのに、とうとう野党批判までさせるとは電通マンサックスもやり過ぎである。
そんなNHKサックスが出す内閣支持率は出鱈目ですと自ら白状しているようなもので、csisサックスももう少し後先を考えて悪さをすべきである。
ところで、ビンによると、小学校の乱射事件の犠牲者という設定の小娘達の集合写真がネットに流出して大騒ぎだそうだが、日米ダマスゴミはちゃんとけじめをつける事である。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/608.html
記事 [近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義
日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義

日本人は、人間関係を壊してはいけないという刷り込みが強い 2013-01-04

日本で不文律のように言われていることがある。それは


「人間関係は維持しなければならない」

「どんな人間関係でも、それを壊すと自分が困る」


というものだ。日本人は農耕民族なので、協調性も非常に重要視されており、どうしようもない人間とも嫌々付き合わなければならないとも言われている。


「世の中、誰もが好きな人間とだけ付き合って生きていけるほど甘くない。ときには嫌な人間とも付き合わなければならないのだ。我慢しなければならない」


日本人は昔は「村」の人間関係から逃れられず、今は「職場」の人間関係から逃れられない。だから、自分の我を出すのは非常に嫌われ、子供の頃から「我慢」と


「孤独な人間には価値がない」


と徹底的に刷り込まれていく。日本人は、


「人間関係を壊してはいけない」


という刷り込みが、極度に強い社会なのだ。


金を失い、時間を失い、平常心も失ってしまう

嫌われたら「村八分」される。村八分されたら生きていけない。だから、日本人は仲間はずれにされたり、孤独にされるのを非常に恐れており、孤独にも恐怖を感じる人も多い。はた目から見ると、人間関係の強迫観念にとらわれているかのようにも見える。社会がそれを強制している。だから、日本人は、仲間はずれにされないように他人に合わせるようになり、主張することもできず、何でも流されるように受け入れてしまう。

夜の街、歓楽街、欲望の街、売春地帯では、これが致命傷になる。手練手管に長けた女性や、自由奔放でまったく他人のことを考えない女性に、とことん振り回されるのである。

相手に不満があっても、流されるように受け入れ、そのために、どんどん金を失い、時間を失い、平常心も失ってしまう。そうなってしまっても、相手を切れず、利用され、カモにされ、踏み台にされる。

怒ったり、たしなめると、


「本当はあなたを愛してる」

「次からはきちんとする」


と答えて反省するが、しばらく経つとまたもや同じことを繰り返す。こういった女性は、他の男とトラブルを起こし、社会的なルールを守らず、金銭トラブルを起こし続けるのである。それでも、切れずに、ずるずると付き合って行く。人間関係で、「流されている」典型的な例である。

売春地帯では、日本人が束になっても敵わないほど奸知に長けた恐ろしい女性もいて、セックスをエサに男を破滅させる光景を山ほど見る。売春地帯で男が飛び降り自殺したり、自棄になって女性を殺害したりする事件が多発している。時には最悪の事件を起こす男もいる。日本人に多いのは


「ずっと貢がされる」

「断り切れなくて金を毟られる」

「次々とタカられる」


というものである。


詐欺で逮捕されたタイ女性。外国人を手玉に取って騙すような女性は、どこにでもいる。


流される人間関係が致命傷になってしまう

フィリピンでも、タイでも、ずるずると金を毟り取られる一方の男が山ほどいて、すべて奪われたら大使館前に「捨てられる」ような男もいる。すべて毟り取られて乱射事件を起こす男もいる。

なぜ、そうなるまで関わってしまうのか。ここに、人間関係で我慢し、村八分を恐れ、人間関係を切ることができない日本人の「刷り込み」を見ることができる。日本社会が日本人に強要している「刷り込み」とは、


「我を殺して協調性を重視する」


ことと


「ノーと言って人間関係を壊してはいけない」


というものだ。日本人の多くは子供の頃からそれを「刷り込まれている」ので、まったく意識していないが、だから危険なのである。過度に協調性を意識すると、それを良いことに、ずるずると利用され、タカられ、毟り取られていく。

東南アジアで女性ひとりと知り合ったら、その女性の友人や家族や親戚が次から次へと出てきて、当たり前のように、毎日のようにタカられる。

日本人は、それに強烈な不満を感じても、決してそれを口に出さず、ただ耐えて耐えて耐え抜いて、タカられるがままになる。それに何とも思わないで溶け込める人間ならいいのだが、最後に爆発して事件を起こすのであれば、最初から人間関係は遠慮なく切り捨てるほうがいい。日本から一歩出ると、むしろ「人間関係の切り捨て」ができるようにならないと、どうしようもなくなってしまう。特に、アンダーグラウンドではそうだ。流される人間関係が致命傷になってしまうのである。


自分のためにならない人間関係は、容赦なく切る

裏社会(アンダーグラウンド)は、常に表社会とは、逆のルールが作用している。

愛は表社会では正しい感情。
愛は裏社会では間違った感情。

信じることは表社会では正しい感情。
信じることは裏社会では危険な感情。

疑うことは表社会では嫌悪されること。
疑うことは裏社会では重要なこと。

何もかもが、表社会と裏社会ではそっくりそのままひっくり返っていて、表社会のルールで裏社会を泳ぐと、たちまちのうちにカモにされてしまう。

特に日本人は、自分の我を出すのは非常に嫌われ、子供の頃から「我慢」と「孤独な人間には価値がない」と徹底的に刷り込まれているので、世界中どこでもカモだ。カモにされても、気がつかないほどだ。

そこから逃れるには、


自分のためにならない人間関係は「容赦なく切り捨てる」

「ノーと言う」

「付き合えないと言えるようにする」


べきなのである。あなたのためにならない人間関係は、長く生きていると必ず出てくる。単に、群れるための人間関係、流されてできてしまった人間関係、我慢しているだけの人間関係、自分をダメにしてしまう人間関係、破滅が目に見えるだけの人間関係……。

そんな人間関係を強いる人間が、必ずあなたの目の前に現れる。特に海外では「友達」を押し売りする男と、「愛」を押し売りする女が、高確率で現れる。そのときに、人間関係を切れるかどうかが命運を分ける。悲劇を避けるためには、一刻も早く、日本社会特有の「刷り込み」から脱して、「悪い人間関係を切る」経験を積まなければならない。

大切にしなければならない縁と、容赦なく切らなければならない縁を見極めて、切るべきものは早めに切るべきだ。


重荷になっている人間関係に囚われてはならない。日本社会特有の「刷り込み」から脱して、悪い人間関係を切る。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130105T0000060900.html

▲△▽▼

迷走する日本の「働き方改革」への処方箋 2019年4月3日
日本企業が「議論」を封殺する本当の理由
立花 聡(エリス・コンサルティング代表・法学博士)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15819


 議論や異議申し立てなく、上位者の意思・指示命令に従う代わりに、組織から守られ、定年までの雇用やキャリアが保障される。日本人サラリーマンの基本的な立場である。権威への服従・忖度は、「深く考えること」を排除する。「深く考えること」が排除されたところ、「議論」も問題視される。あらゆる前提を排除するゼロベース思考は、「もう1人の自分」から自己否定・現状否定される結果をもたらし得るため、事柄によってはタブーとなる。


 今回は、その「議論」をめぐって考察したい。

「議論」のタブー化

「深く考える」ことと「議論」は双子である。深く考えても、議論しなければ、企業経営には何ら意味もなさない。

「納得できない」「合点がいかない」「腑に落ちない」……。日本語の表現は実に多様である。英語の「disagree」は、「私はあなたの意見に同意しない、反対する」という「主体の客体に対する指向性」が非常に明確である。これに対して、日本語の表現はいずれも、客体指向がなく、自分の中で完結する「自己完結型」になっている。いくら納得できなくても、合点がいかなくても、腑に落ちなくても、それはあくまで自分の中の葛藤であり、相手の意思や行動に反対や阻止の意思を直接にぶつけるものではない。しかも、このような間接的な反対すら相手に表明しない(できない)のが日本人である。負の意思や感情を自分の中に抱え込む。

 日本人サラリーマンは一般的に、たとえ深く考えたとしても、会議などの場では本音をぶつけて議論することができない。議論を避けるために、根回しするわけだ。結局のところ、各方面の利害関係の調整になり、問題の本質に触れずに折衷案で折り合いをつけることが多い。

 そこから理不尽な結論が生まれても、腑に落ちないことがあっても、私的な場で愚痴をこぼしたり、酒場に持ち込むしかない。やけ酒を呷りながら、議論を展開し本音を仲間に打ち明け、似たような境遇にある者同士が傷の舐め合いをしたりする。

 私も外資企業に入社したばかりのときは、ロジックに長ける欧米系の外国人と議論したら、あっという間に撃沈されていた。彼たちは見事に三段論法を使いこなす。 普遍的な法則と個別の事実を挙げ、そこから結論を導き出すという演繹法には反論する余地がない。ただ面白いことに、議論はあくまでも議論であり、議論が終わると、連れ立ってパブに駆け込むことも珍しくない。日本人の場合、議論を仕掛けたら、すぐに攻撃と捉えられ対立が生まれる。

日本人には議論する力がないのか?

 一般論として、「日本人は議論が苦手だ」とよく言われる。理由としては、組織の協調を重んじる気質や自分の意見を述べるのが苦手な国民性が挙げられることが多い。この通説には概ね賛同だが、1つの疑問が残る。日本人は果たして技能レベルの議論力に欠けているのか。

 コンサルの現場で、非常に論理的な日本人経営幹部と議論を展開したことは一度や二度ではない。特に海外拠点の場合、現地の事情が日本国内と異なるため、阿吽の呼吸というわけにはいかない。明確な言葉や文書にする必要があり、議論が始まる。そこで抽出された要素や法則的な大前提とその企業の状況(個別の事実)を羅列し、演繹的に推論して結論を導き出す。その結論に双方が納得した時点で、提案も合意される。

 その過程を見ると、日本人だから論理的思考力が欠けているとか、そういうことは一切感じない。ときには現地コンサルタントの私よりも一歩二歩先行して結論を導き出す人もいる。ところが、そこから先で明暗が分かれる。現地拠点の改革案が日本本社に提出されると、必ずしも全数が通るとは限らない。本社の経営陣に否決される案件も一部出てくる。

「なぜ?」。現地法人の社長に聞くと、「本社の方針です」と一言。いや、むしろ、本社の方針に沿った提案をしたはずだ。アプローチが「日本的ではない」、それが却下の理由だという。アプローチは現地の状況を考慮したもので、それだけにしっかりと議論して双方が納得したではないか。もう一度本社に掛け合うことはできないのか。

「理屈は分かっていますが、すみません、今回の案件は本社、役員の意思で却下されています。これ以上の議論はもう勘弁してください。私も議論する立場にありません」。深々と頭を下げる現地法人の社長を見ると、私は胸が詰まる思いだ。

 議論する力がないわけではない。そもそも議論する権限を与えられていない、あるいは暗黙の圧力で議論の権限を自主規制せざるを得ないのだ。前例踏襲でない斬新な提案、あるいは「脱日本的な」提案であるが故に、本社から異端視され、議論にすら至らず潰された事案もあった。タテ型社会である日本の多くの組織は「議論」を受け入れる基盤を持ち合わせていないのである。

日本企業が議論を封殺する理由

 前例がないこと、あるいは日本的でないことを理由に制度改革の提案が否決され、しかもそれ以上の議論まで封印されたのはなぜだろうか。おそらく本社役員がリスクや「承認責任」を取りたくないからであろう。つまり、「前例がない、日本的でない」という理由は根拠が薄弱で到底議論に耐え得ない。議論を続けると、「承認責任回避」という真実が露呈してしまい、そこで問題の役員が芋づる式に出てくるので、都合が悪いわけだ。

 故に、日本企業では、このようなマズイ状況にならないために、最初から議論を封殺することが多い。

 今の日本は会社や組織だけでなく、社会においても、「対人型」(Who)でなく、「対事型」(What)の議論を理性的に展開できる土台が必要とされている。これが一種の無形社会インフラ、ソフトパワーとして定着すれば、日本はとても強い国になり、日本企業もとても強い企業になるだろう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15819


2019年3月27日
ゴーン被告報酬にサイン、日産・西川社長はなぜ「深く考えなかった」のか?
立花 聡(エリス・コンサルティング代表・法学博士)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15756

 日産前会長カルロス・ゴーン被告らが起訴された役員報酬過少記載事件で、同社の西川廣人社長が東京地検特捜部の調べに対し、有価証券報告書に記載されなかった報酬の支払い名目を記した文書にサインしたと認めていることが分かった。「ゴーン被告と(前代表取締役の)グレゴリー・ケリー被告との間で話ができていると思い、深く考えなかった」と話しており、改めて説明責任を問われそうだ。(2019年3月22日付け 共同通信)


「深く考えること」への恐怖感

「深く考えなかった」

 どこかで聞いたセリフだ。日大アメフト部の悪質タックル事件で、部員たちは声明文を発表した。そのなかで、監督やコーチに頼りきり、その指示に盲従する原因として、「深く考えることもなく信じた」と説明した。


 体育会系の若者ならまだしも、14万人の社員の頂点に立つ社長まで「深く考えなかった」とは、開いた口が塞がらない。西川社長に「論理思考力」が不足しているのか、それとも「深く考えようとしなかった」のか。いずれにしても社長としてあるべき姿ではなかった。その根底にあるのは、「深く考えること」への恐怖感なのかもしれない。

「深く考えること」とは、何か?

 哲学者ニーチェいわく「一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている」(フリードリヒ・ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』)

 つまり「深く考える」とは、自分の判断や行動を否定する「もう1人の自分」が存在すること、そしてその「もう1人の自分」とリアルな自分とが対話することを前提とする。言いかえれば、自己否定のできるもう1人の自分の存在が求められている。

 緻密に論理を積み上げていく力は、技術的な「論理思考力」である。これはどちらかというと「浅く考える力」にあたる思考の基礎、あるいは初歩的な段階である。一方、「深く考える力」とは、「考える自分を考える」という「もう1人の自分」を必要とし、認知バイアスや感情バイアスたる希望的観測を徹底的に排除し、あらゆる誤謬を是正する真の叡智を意味する。

 ここまでいうと、「深く考える力」をもつことがいかに難しいかと思われるかもしれないが、実はそうではない。

 実際は、誰にもその「もう1人の自分」が存在している。ただ、「もう1人の自分」は自分を否定するだけに、怖い存在になっている。故に、「もう1人の自分」から逃げ出そうとする自分、あるいは逃げ出している自分がいることに気付く。いや、逃げ出していることに気付きすらしないときもある。


権威への盲従のメカニズム

 仮説として、日大アメフト部の部員が、監督やコーチから何らかの形で悪質タックルを指示されたとしよう。彼は「もう1人の自分」から、「相手チームの選手に酷い怪我をさせるかもしれないし、最悪の場合、後遺症や死亡に至らせるかもしれない。そういう指示に従うな」と、指示に盲従しようとする自分が否定されるであろう。

 この「もう1人の自分」との格闘がいかに苦しいものか。そこから逃げ出すには、「深く考えること」を回避するのが最善の手段となる。これを日常的に繰り返すことで習慣となり、ついにその「逃げ出す行為」の存在にすら気付かなくなる。つまり、無意識に「深く考えること」をしなくなるのである。

 2018年4月4日、大相撲春巡業中の出来事。土俵の上で挨拶をしていた舞鶴市の多々見良三市長は突然その場に倒れた。複数の女性がとっさに駆け寄って応急処置に当たったところ、行司が場内アナウンスで「女性の方は土俵から下りてください」と繰り返し呼びかけた。

 大相撲では伝統的に女性が土俵に上がることを禁じているが、1秒を争う人命救助を前にして明らかにその価値判断は間違っている。「どんな伝統や規則よりも、人命救助を最優先せよ」という「もう1人の自分」がついに出てこなかったわけだ。「女性は土俵に上がるな」というアナウンスをする行司と、それを否定する「もう1人の自分」の戦いすらなく、本能的にリアルな自分が先行してしまったのかもしれない。

 その行司は世論に批判された。しかし、われわれ一人ひとりがいざその場に置かれた場合、「もう1人の自分」が出てくるのだろうか、そして自分に対する否定を瞬時に受け入れられたのだろうか、胸に手を当ててみたい。

 いざ問題が表面化すると、世論が動き出す。世論の参加者はほぼ全員事件に無関係な人たちであり、つまり世論そのものが外野の騒ぎにすぎない。自分に無関係である以上、外野の一人ひとりがみんな、当事者の「もう1人の自分」(正義の代弁者)になるのである。事件がすでに発生した(している)のだから、事後に現れた「もう1人の自分」は牽制役でなく、批判者に転じるわけだ。

 前述の通り、多くの日本人は、無意識に「深く考えること」をしなくなっている。上位者や規則、既存の権威に無条件に従い、環境に順応することが本能化してしまったのである。環境への順応はあらゆる生物の自己保存本能である以上、果たして批判の対象になり得るのだろうか。

 現状に対する批判は、ある意味で現状への変革願望を表わす。建設的な動きに持っていくには、特定事件の特定人物に対する批判や非難にとどまらず、その背後に隠されているメカニズムをえぐり出し、社会規模の構造改革に取り組まなければならない。ただ、いざ気がつけば批判者や改革者自身も、部分的であれ、現行体制の受益者だったりする。それでも改革者の一員になれるのか。三人称ではなく、一人称で既得利益にメスを入れると。

 本題の西川社長の話に戻ろう。


西川社長はなぜ「深く考えなかった」のか?

 西川社長も若い頃、日大のアメフト部員と同じような日常があったのではないかと推測する。そして「深く考える」こととの断絶が生まれ、知らないうちに深く考えなくなり、深く考える力も失われた。ゴーン被告とケリー被告との間で話ができているのだから、深く考える必要もなく、渡された書類にサインをしてしまった。

 もしその当時、西川社長が問題となる報酬について「深く考えた」なら、どうなっていたか。不審に思えた報酬について根掘り葉掘りゴーン氏やケリー氏に追及すべく、議論を持ちかけたに違いない。「ゴーンさん、ケリーさん、恐縮ですが、この報酬の詳細について説明をお願いします。なぜ、その報酬があるのですか。どういう根拠や基準で決めたのですか」と。

 なぜ、西川社長は議論を持ちかけることができなかったのか? その前に、議論を持ちかけたらどうなっていたかを考えてみたい。結果的に、西川社長の牽制により、不正の報酬計上も、有価証券報告書の記載漏れも避けられたかもしれない。日産自動車という会社は、不正行為による不利益や損害から守られたかもしれない。それはまさに西川社長の「もう1人の自分」の出番であり、本来、社長として為すべきことであった。

 だが、一方で西川社長はこのような議論を持ちかけることによって、ゴーン氏から睨みつけられたかもしれない。あるいは潜在的な対立が顕在化し、ゴーン氏との関係が一気に険悪化し、西川社長の個益には不利な展開になったかもしれない。そこに西川社長のリアルな自分があったと推察される。

 西川社長は「もう1人の自分」から「リアルな自分」を否定されないためにも、「深く考える」ことを避けるよりほかになかった。結果的に、彼は、「深く考えなかった」のだ。

 反対の仮説を見てみよう。西川社長がもし深く考え、「もう1人の自分」から「リアルな自分」を否定されても、ゴーン氏やケリー氏に異議を申し立て、堂々と議論を促していたら、どうなったのだろうか。

 役員会には議事録がある。西川社長が疑問や不審に思っていた事項を役員会のアジェンダに上げ、議論したところで、一部始終をすべて議事録に克明に記録したとすれば、状況は一変していただろう。仮に悪事を企んでいたゴーン氏であっても、やりたい放題できなくなったのではないか。ゴーン容疑者が独裁者で暴走していたとすれば、牽制役の不在が主因だったのではないだろうか。独裁者の暴走を許した西川社長には重責がある。その責任は経営上の責任か、あるいは法的責任か、これからの調査で明らかになっていくだろう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15756

2019年2月11日
観客席の悲劇、日大アメフト事件の本質をえぐる
他人事なのに一般市民はなぜ熱くなるのか?
立花 聡(エリス・コンサルティング代表・法学博士)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15322

 日大アメフトの悪質タックル事件は大変な局面を迎えた。警視庁が第三者委員会の報告書に相反する捜査結果を発表した。内田前監督と井上元コーチについては、試合映像の解析や関係者への聴取結果などから選手への悪質タックル指示は認められなかったと判断し、シロとした。他方では、タックルをしたA選手を傷害の疑いで書類送検するとした。


期待を裏切られたどんでん返し

 大方の日本人の予測に反する、いや、正確に言うと期待を裏切った結果になり、世論が騒然としている。

 正義の実現を期待し、法律や警察・司法がそのための装置であることを確信する一般の人々にとってはショックだった。いくら警察が丁寧に捜査したからといって、やはり受け入れ難い結果である。捜査が丁寧であればあるほど、ショックが大きい。私のフェイスブック上では「警察の捜査が不十分だ」と抗議する人もいる。完全に感情的になっている。

 こういった一般の人々だが、A選手や事件の被害者となった選手の家族でも関係者でもない。ただの第三者なのに、かくも熱くなって当事者たちよりも憤慨し、抗議し、あるいは警察を非難し、監督らの刑事責任の追及を求めようとする。それは、なぜであろう。

 まず、第三者委員会の関与の影響が大きかったことが原因の1つとして考えられる。仮に第三者委員会を設けず、最初から案件を警察に丸投げした場合、捜査結果に納得できなくても、ここまで怒りを爆発させることはなかっただろう。

 ある事物に対して人間は自分の判断に基づいて、「こうなるだろう」あるいは「こうなるべきだろう」と一定の期待をもつ。その期待は必ずしも確信の持てる期待ではない。ある意味で潜在的期待と言ってもよかろう。それが権威(一次権威)によって追認されると、確信の持てる期待に変わる。

 ところが後日、別の権威、しかも上位にあたる二次権威が正反対の結論を出す。するとすでに一次権威によって確信を得た期待がどん底に突き落とされる。このギャップは大きければ大きいほど、落ち込みと反発が強くなるわけだ。希望が失望、絶望、怒りへと変わっていく。

「不当判決」の旗は何を意味するか?

 なぜ、第三者委員会の調査が必要だったのか。

 第三者委員会とは、その名称で分かるように、直接の利害をもたない中立的な第三者によって構成される委員会のことである。では、「直接の利害をもたない中立的な第三者」たるものは存在し得るのか?神が存在すれば別だが、生身の人間では無理だ。

 第三者委員会の中立性に影響する要素は、設置元との利害関係や世論などいろいろある。たとえば、日大アメフト事件の場合、世論が強い影響を及ぼしていた。A選手が直接加害者だったにもかかわらず、あたかも被害者のように同情され、教唆事実の証明はそっちのけで、監督やコーチは最初から悪者の烙印を押されていた。

 結果的に事件調査を担当した第三者委員会は、当時の世論に流され、有罪バイアスがかかり、結論ありきの報告書を作成したところで、最終的にこのたび発表された警察の捜査結論によって覆された。報告書の中身も証拠より合理性偏重の推論が多く、推定無罪の原則に反していた。結局のところ、第三者委員会は中立的な第三者ではなくなり、第一者側、あるいは第二者側に立った市民裁判の装置になり下がったわけだ。

 裁判といえば、テレビのニュースにもよく見られる、判決が出た時に当事者(代理人)がダッシュしながら見せにくるあの定番の旗を想起する。正式には「判決等速報用手持幡」というものだ。勝訴の場合は「勝訴」あるいは「全面勝訴」となっているが、敗訴の場合は「敗訴」ではなく、「不当判決」と書かれた旗を見せるのだ。

 司法判決の結果に納得せず、我が方の正義たる主張を裁判所が無視したうえで出した判決は当然「不当判決」になる。ずいぶん昔のことだが、この光景を不思議に思った知り合いの欧米系外国人に聞かれたことがある。「日本人はとても法律やルールを守りますが、なぜ司法(判決)をリスペクトしないのか」

 一般市民が考えているいわゆる正義は道徳的なものであれ、あるいは経験や常識に基づく合理的な推論・判断であれ、いざ司法の場に持ち込まれるとそれが司法の正義に転換されない限り、期待されていた正義の実現はできない。したがって、「不当判決」の旗は期待された正義が司法に裏切られたという意思表示なのであろう。

 日大アメフト事件の場合、法的には、監督とコーチの2名を刑事事件に巻き込むには、関門が高すぎる。たとえ第三者委員会の報告に合わせて警察から捜査報告を出され、それで送検立件したとしても、難題を検察や裁判所に投げるだけで、司法資源の無駄遣いにほかならない。これをめぐる法律や司法実務の蘊蓄を語るには紙幅が足りず、ここでは割愛する。結果的に警察は監督とコーチをシロとし、容疑をA選手にかけたのであった。

 この事実を受け、内田氏らが第三者委員会や日大、マスコミを名誉毀損として提訴する可能性も出てくる。とにかく一言でいえば、第三者委員会のやり方は拙かった。世論に流されて良い結果にはならなかった。


他人事なのに、一般市民はなぜ熱くなるのか?

 事実は1つしかない。正確にいうと、真の事実は1つしかない。法律上の事実とは別物で、分かりやすくいえば、法律のルールに基づいて、裁判官が認める客観的証拠によって証明された事実である。要するに証拠がすべてだ。どんなに合理的な推論であっても、客観的証拠には勝てない。

 言いかえれば、クロを証明する証拠がなければ、すなわちシロである。この冷徹なルールは世間一般になかなか理解されない。というのは、一般の人々はその人生体験や固定概念、善悪を判断する普遍的倫理観・価値観を持ちあわせているからである。これらの要素はしばしば熱血的で、冷徹なルールを排斥するものである。

 一般の人々は熱血的なものをもっていると、中立的な第三者になり得ず、英語で「Pick a side」というが、第一者側か第二者側か、どちら側に付くかを選択することになる。とはいっても、本件は他人事であることに変わりない。こうした「疑似第三者」は、なぜ、無関係の他人であるはずのA選手を擁護し、監督らを非難することで興奮し、熱くなるのか。この問題に触れておきたい。

「感情移入」と「自己投影」の結果ではないかと私は思う。

 仮説として、もし、私、あるいは、あなたが日大のアメフト部員の1人だったら、監督から仮に反則のタックル行為を指示・命令された場合、きっぱりとそれを拒否できるのか、と主体を置き換えて自問したい。

 上司や会社の指示、その内容の如何を問わず、部下として忠実に行動に移し遂行する。これを美徳とする一方、指示された内容の不正義で服従の美徳を捨てられるかという問いである。

 2018年5月29日、日大アメフト部の部員たちは声明文を発表した。そのなかに、こんな一節がある。

「これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることもなく信じきっていました」

 ここ数年、日本企業の不祥事が続出している。その多くは、思考停止、権威に盲従することに起因している。本質的には日大アメフト事件と病巣を共有している。指示命令への絶対服従、ないし上意への忖度は、組織の構成員の存続条件や個人利益と化している。日大アメフト部員だけでなく、多くの一般会社員も同じ組織構造のなかに置かれている。

 自らの倫理観や価値観に照らして、これらに反する行動を不本意ながらもやってしまっている人、あるいは深く考えず本能的にやってしまっている人、このような人々はこの事件から、無意識的に、我が身と我が身を取り巻く組織環境を想起し、事件の当事者に自己投影し、感情移入してしまうのである。三人称(他称)の一人称(自称)化現象と言っても差支えない。

 しかしながら一方、このような組織や共同体を作り上げたのもまた日本人自身である。組織に守られるというもう1つの側面からいえば、構成員はその受益者でもある。二項対立の下で苦悩と葛藤を抱えながら、積み上げる欝憤を晴らすには、ソーシャルメディアほど都合のよい捌け口はほかにない。

 組織が抱える構造的諸問題は、個別構成員の力によっては到底解決できない。そこで、法や正義に希望を託す。しかし、最終的に期待を裏切られ、悲劇的な結末を見せつけられた。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15322


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今の私たちに求められているのは、対立に身を投じることだ

戦後の日本人は意識的にも無意識にも「友愛、理解、平和、協調」を外交の柱として、誰とも争わず、ひたすら相手を立てる外交だけをやってきた。

裏工作も不得手で、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家に騙されても大騒ぎすることもないし、ただ忍の一文字で耐えてきた。今の安倍政権もそうだ。

反日国家が何をしても我慢し、何を言われても言い返さず、相手に恫喝されたら一方的に謝り、相手に恐喝されたら金を出す。問題には事なかれ主義で対処し、対立を避け、衝突を先延ばしし、まったく相手の言いなりだった。

それで、どうなったのか。

結局、「日本人は叩けば叩くほど折れる」「日本人は言いがかりを付ければ金を出す」と中国・韓国・北朝鮮に見下されるだけで終わった。

さらに、これらの国々の工作員が日本に大量に潜り込んで、国内でも反日工作をしているのも見て見ぬフリをして、結局は日本の中枢をことごとく乗っ取られてしまった。

マスコミは言うに及ばず、政治界も、財界も、教育界も、すべて乗っ取られて、もう日本人は自分の国旗すらも掲げることができなくなってしまっているのだ。


「きれいごと」では渡っていけない世の中になった

もう我慢は終わりにしなければならない。日本人はやり方を変えなければならない。もう先延ばしも事なかれ主義も捨てて、あえて対立と衝突の嵐の中に身を投じなければならない。

そもそも、世の中は友愛や平和や協調みたいなもので成り立っているわけではない。どんなに目を背けても世界には暴力、陰謀、戦争、対立が蔓延している。

世の中は、対立によって成り立っているのだ。

学校でいくら「みんな仲良く平等で」と教えられても、社会に出た次の日には、競争社会に巻き込まれる。仲良くも平等も吹き飛んでいき、必死に生きなければならなくなる。競争の本質は、対立である。

世界に目を転じると、宗教問題で、歴史問題で、領土問題で、人種問題で、絶対に妥協できない対立が激しくぶつかり合っていて、血で血を洗うような事態が起きている。

これらのすべての問題は民族のアイデンティティに直結しているので、話し合いも成立しないし、譲り合いも成立しない。譲れば民族としての存続が不可能になるので、絶対に譲れないのである。

だから、民族の生存をかけて、暴力にも、陰謀にも、戦争にも訴えて相手に勝とうとする。現実にあちこちで民族対立が発生し、テロが起き、ミサイルが飛び交っているのだ。

グローバル社会に入ると、すべてが競争と対立になるので、日本もまた宗教問題・歴史問題・領土問題・人種問題のすべてで対立の渦の中に放り込まれていく。

要するに、これからは「きれいごと」を言っているだけでは渡っていけない世の中になったということだ。自分だけが「きれいごと」に終始していても、世の中がそれを許さなくなってきているのである。

グローバル化によって世界はつながったのだが、つながったというのは対立が生まれるということである。それが現実だ。


今まで日本人は、協調性を意識しすぎた

中国・韓国・北朝鮮は反日であり、日本に向けて憎悪を剥き出しにしているのだから、日本が激しい対立に巻き込まれているのは当然のことだ。

すでに、歴史問題・領土問題で中国・韓国との闘争に巻き込まれているが、今までのように弱腰外交をしていると、日本民族そのものの信頼も信用も失墜してしまう。

日本も、日本人としての主張を「押し通す」必要が生まれてきている。今までの理解・平和・協調から脱して、いよいよ闘争本能に目覚めなければならないのである。

歴史問題は、何も言わないと相手の都合の良い主張が世界の歴史になる。

韓国は自分たちの都合の良いように歴史を改変して日本を責めるが、これは日本が対立の道を選ばなかったから嘘をエスカレートさせているのである。

領土問題は妥協していると次々と土地を奪われていくことになる。今は尖閣諸島や竹島の問題だけだが、やがては対馬も沖縄も九州もことごとく奪われていく。

妥協したら奪われる。当たり前のことだ。

だから、民族の存続をかけて、きれいごとから去らなければならなくなっている。

今まで日本人は、協調性を意識しすぎた。

批判することを恐れ、主張することを恐れ、復讐することを恐れ、バッシングされることを恐れ、関係が壊れることを恐れてきた。

だから、逆に日本人が立ち上がるためには、この恐れをすべて捨てて、脱皮しなければならないということになる。どうするのか。

反日の人間を激しく批判することを恐れない。反日の人間に対してこちらの主張を押し通すことを恐れない。反日の人間に復讐するのを恐れない。反日の人間からの批判やバッシングを恐れない。反日の人間との修復不可能な敵対・対立を恐れない。

こうした動きに転換しなければならないのである。


日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく

日本人は何事も徹底する癖がある。戦後から今までの日本は、あまりにも優しくなること、諸外国に配慮すること、対立を避けることに徹底しすぎた。

普通の民族は何事にもほどほどで止まるのだが、日本人は「平和優先」と決めたら徹底的なまでに平和優先になっていき、あまりにそれが行き過ぎる。

そして、良かれと思って徹底した「平和至上主義」が、今や日本の主権そのものが脅かされるところにまで到達している。

民進党や共産党の売国政治家や「ゴミ」と称される朝日新聞のようなマスコミに至っては、日本人よりも諸外国の人権の方が大事だと言うところにまで飛んでいった。

そんな「平和至上主義」が蔓延していつまでも対立も恐れて何もしないから、信頼が失墜し、諸外国から嘲笑され、愚弄されるような立場になってしまったのだ。

そうであるならば、いよいよ日本人全員が意識を変えなければならない日が来ているということだ。

日本人は誰かに批判されたり、罵られたりする状況に慣れていない。そういった対立を非常に恐れている。しかし、今の日本人に求められているのは、「対立できること」なのである。

日本人として、国内外の「反日の人間」と対立することを恐れてはならない。

対立できるというのは、反日の人間に自分自身も激しく批判されるのも辞さず、それでも自分の主張を押し通すことを恐れないということだ。

反日国家は、執拗で陰湿で汚らわしい批判やバッシングを、個人に向けて次々と仕掛けていく。そのような状況になっても一歩も引かないということだ。

歴史をみれば、侵略や破壊活動を仕掛けられて消えた国など山ほどある。対立に負けて、消された民族も山ほどある。それが世の中の必然だ。日本も例外ではない。

今後も日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人も変わらなければならないのは議論の余地もない。

今の私たちに求められているのは、対立に身を投じることだ。反日の人間に好かれる必要はまったくない。日本が大事だと思うのであれば、反日の人間と激しく敵対して当然だ。

敵対していないというのであれば、逆に日本を大事に思う気持ちが足りていないということでもある。

日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人も変わらなければならないのは議論の余地もない。
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世の中では何をしても嫌われる、世の中の人間の 9割 はどうしようもないアホ

「誰にも嫌われないこと」を重視して生きるのは危険なこと


アメリカ人はイスラム教徒に嫌われる。イスラム教徒はキリスト教徒に嫌われる。キリスト教徒は共産主義者に嫌われる。共産主義者は資本主義者に嫌われる。富裕層は貧困層に嫌われる。貧困層は富裕層に嫌われる。

テロリストは全世界に嫌われる。しかし、助けに来たアメリカ軍は、他国に介入したとして嫌われる。

軍人は平和主義者に殺人鬼と罵られて嫌われる。平和主義者は夢想家だと言われて現実主義者に嫌われる。現実主義者は宗教心がないと宗教家から嫌われる。保守派は左翼に嫌われる。愛国者はグローバリストに嫌われる。

ありとあらゆる国で、国民は隣の国の人間を嫌う。国民は国民で、何重にも割れて互いに相手を嫌い合う。考えてみれば、なかなか悲惨な世界だが、これが人間社会の実態でもある。

つまり、私たちは何をどうしても、他人に嫌われる運命にある。ただ道ばたに立っているだけでも嫌われてしまう。どんな生き方をしても、何を言っても言わなくても、他人に嫌われない生き方はない。

私たちは存在してるだけで誰かに一方的に嫌われる。どんなに品行方正であっても、どんなに愛すべき存在であっても無駄だ。この世で嫌われない人間はどこにもいない。


この世の中は、何もしても嫌われるのが現実だ

嫌われないことを考えて生きるのは立派に見える。しかし、それは基本的に報われることはない。誰にも嫌われないで生きるのは不可能だからだ。

別に無理して嫌われる必要はないが、何をしても嫌われるのが現実なのだから、そんなものを重視して生きると100%失敗してしまう。

他人に媚びても、結果的には何も得られない。媚びることが嫌われるからだ。他人に同調しても、それが自分の本意でないのであれば自分で自分を壊してしまう。

嫌われたくないために他人に謝罪なんかしてしまうと、足元を見られて「もっと謝罪しろ、賠償しろ、誠意を見せろ」と恐喝されることもある。

誰でも人間関係を円滑にしたいと思う。しかし、嫌われたくないと思うが故に自分が折れると、自分の立場を悪くするだけである。自分で自分の首を絞めることになる。

何らかの意見を言えば必ず嫌われる。どんな意見でも、その意見と対立する意見が必ずあるからだ。逆に意見を持たなければ持たないで嫌われる。意見を持たない人間は愚かだと思われ、愚かな人間は本能的に嫌われるからだ。

立場を築くと必ず嫌われる。どんな立場でも、その立場を嫌っている人が必ずいるからだ。立場を築かない人も嫌われる。立場も築けないほど実力のない人間だと思われるからだ。

若いと若いがゆえに嫌われる。歳を取れば歳であるがゆえに嫌われる。男であれば男だから嫌われる。女であれば女だから嫌われる。

目立つと目立つというだけで嫌われる。嫌われないように目立たない生き方をしても、その生き方自体が姑息だと言われて嫌われる。

何をしても嫌われるのだ。そんな社会で私たちが生きるためには、誰もが最後に同じところへ落ち着いていく。

それは「嫌われることを恐れない」ということだ。


何をどう言っても、他人に理解されないのが現実

「嫌われることを恐れない」と言っても、誰かの悪口や罵詈雑言を恐れずに言い回ってもいいというわけではない。わざわざ他人に嫌われることを進んでする必要はない。

私たちは自分が心地良く生きるために、ある程度の常識や良識を持って生きなければならない。

しかし常識や良識を持って生きたとしても、嫌われることは最初から受け入れておく必要がある。どんなに常識や良識を持っても、それを持っているが故に嫌われるのだ。

分かってもらおうと思ってはいけない。徒労に終わる。相手は説得されることを望んでいないからだ。理解してくれる人もいるかもしれないが、理解してくれない人もいる。

理解してくれない人は、それがいかに理路整然とした正論であっても絶対に耳を傾けない。

なぜ分かってくれないのかと、隔靴掻痒の気持ちになることもあるかもしれない。しかし、世の中は何をどうやっても交われない人間が存在するのは誰も否定できない事実だ。

自分とはまったく逆の世界観を持つ人も多い。同じ人間であっても、同じ言葉を話していても、そこに横たわる溝は限りなく深い。

だから、自分を嫌い、何を言っても理解してくれない人がいるからと言って、落ち込む必要もなければ激怒する必要もない。

また、そういった人たちにひどく嫌われているからと言って、それを気に病む必要もない。媚びる必要もなければ、理解してもらう必要もない。

大人になればなるほど、意見を持てば持つほど、地位が上がれば上がるほど、有名になればなるほど、反対するために反対している人たちと山ほど遭遇することになる。

つまり、私たちは何をやっても批判され、何を言っても反対され、行いや生き方や主張が正しくても必ず反対者に嫌われるということだ。


嫌われるということ自体は、誰もが経験すること

「誰にも嫌われないこと」を重視して生きるのが危険なのは、それが確実に失敗するのが分かっているからだ。

嫌われる度合いは発言内容な信条や性格によって違う。しかし、どんな性格でも、どんな発言でも、誰かに嫌われることだけは間違いない。

だから、嫌われること自体は別に気にする必要はない。

職場でも、家庭でも、友人関係の中でも、世間の中でも、自分を嫌う人は必ず生まれ、自分の敵が必ず生まれる。私たちはそれに慣れなければならないのだ。

現代のような高度情報化時代になると、多くの人がインターネットで自分を嫌う人を発見することも多い。自分が「受け付けない」と思う人を発見すると同じく、相手もこちらを「受け付けない」と考える。

しかし、それほど気に病む必要はない。それは個人的な問題のように見えるが、本当のことを言えば誰もが経験する普遍的な問題であるからだ。

嫌われるということ自体は誰もが経験することであり、個人的な経験ではないのだ。

気持ちが収まらないかもしれない。潔癖な人であればあるほど、自分が誤解されたり、嫌われたりすることに苦悩する。人間関係の悩みで自殺する人もいれば鬱病になる人もいる。それほど苦しみ抜いたということなのだ。

しかし、マザー・テレサのような聖女さえも批判の対象になるのだから、聖人でも何でもない私たちが、誰かの怒りを買わない方がむしろどうかしている。

だから、誰かに嫌われて気に病むのは無駄だ。私たちが生きている世界は、誰かが誰かを嫌い、批判し、嫌悪し、恨み、排斥し、衝突する世界なのだ。それが現実だ。

そうであれば、逆にこうした世界に早く慣れておく必要がある。特に日本人であれば尚更だ。なぜなら、日本人は日本人であるというだけで、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家の人間に嫌われるからである。

嫌われて何か問題でもあるのだろうか。何もない。相手を嫌うことに問題はあるのだろうか。何もない。相手と断絶することに問題はあるのだろうか。もちろん、何もない。

全般的に、蛇は嫌われる。中には蛇を愛する人がいて、この生き物がいかに愛すべき存在なのかを主張したとしても、やはり多くの人は蛇を嫌う。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180115T1809470900.html  


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価値感を共有しない国家、集団、人間と分かり合えると思ったら大間違いだ

2017年3月に入って、中国が事実上の制裁を韓国に課すようになっている。なぜか。韓国が高高度ミサイル防衛システム「THAAD(サード)」を配備しようとしているからだ。

これはミサイル攻撃に対する防衛システムなのだが、これが配備されると北朝鮮のミサイルどころか中国のミサイルまでもが防衛されることになる。

中国は以前より韓国にTHAADミサイルの配備は絶対に認めないと通告していたのだが、韓国はアメリカには早く配備しろと命令されていた。

結局、コウモリ外交のツケで板挟みになった韓国は、アメリカの命令の方に従うことに決めたのだが、それは中国を蹴ることでもあった。だから、中国は激怒して韓国を追い込んでいるのである。

中国のやり方は傲慢だが、日本は韓国に対する扱いはこの中国に学ぶ必要がある。韓国のような、すぐに裏切り、約束を守らず、価値感を共有しない国家は、中国のように有無を言わさない「制裁」や「報復」によって関係を断ち切らないといけないのである。

韓国は反日を繰り広げている。あちこちに「嫌がらせ像」を立てて日本を嘲笑している。このように価値感を共有しない韓国に対しては、日本こそが中国のように報復で返さなければならないのである。岸田文雄外相はすぐにそれをすべきだ。


「価値観を共有しない」とは、このようなことだ

価値感を共有しない国家、集団、人間と分かり合えると思ったら大間違いだ。絶対にそれはない。結果的には関係はうまくいかない。無理に一緒になっても、常に同床異夢であり、呉越同舟である。

この事実を認識するのは重要だ。

人間関係の軋轢や問題は、そのほとんどが「価値観を共有するかしないか」だ。相手が同じ価値観を持っていないと、どんなに長い時間一緒にいても必ず破綻が待っている。

自分の譲れない部分で価値観を共有していないと、一緒にいられない。個人でも、グループでも、民族でも、国家でも、重要な部分で価値観が共有されいないと必ず関係は壊れる。

「価値観を共有しない」とは、具体的にどのようなケースが考えられるのか。日本人の一般的な性格を元に考えれば、いくつもの例が挙げられる。

たとえば、日本人は自立心が高い。生活でも経済問題でも、その多くは他人に迷惑をかけず、自分で何とかしようと努力するし、困難にも耐える人が多い。

そうすると、依存心が強く、何でもかんでも他人を利用しようと考える民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は黙々と「すべきこと」をする。他人がどうであれ、自分のやることはしっかりとやる人が多い。ある意味、これも自立心の高さから生まれている。

そうすると、すべきことをせず他人に期待し、裏切られると恨んだり非難するような民族とは「価値観を共有しない」と言える。日本人には合わないのだ。

日本人は、それぞれ他人には他人の考え方があることを理解する。他人と意見が違ったり、思想が違ったりしても、できる限り相手を許容する人が多い。

そうすると、相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思って頭ごなしに批判してくるような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、すぐに目の見えるような成果がでないことでも、長い目で取り組み、少しずつ効果を生み出せるように努力する。他人が見ていなくても責任を持って取り組む人が多い。

そうすると、すぐ目に見える成果をあげようと行動し、効果が出ないと分かると、さっさと見捨てて顧みないような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、見栄や虚栄心よりも身の丈に合った生活や考え方を好む。うわべを飾り、外観を取り繕い、他人に良く思われようと過剰な努力をしたところで、内面が伴っていないと意味がないと考える人が多い。

そうすると、整形手術でも嘘でも詐欺でも騙しでも何でもいいからうわべだけを飾ろうとするような民族とは「価値観を共有しない」と言える。


日本と「価値観を共有しない」民族が存在する

日本人は、個人的な約束から公的な約束まで、たとえ自分が損をかぶることになっても、責任を持とうとする人が多い。いったん約束したことはきちんと果たそうと考える。

そうすると、自分の都合によって約束を守らなかったり、前に言ったことを翻したり、約束などした覚えはないと言い張るような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、物事を徹底して取り組み、綿密さや正確さをできる限り保障しようとする人が多い。また、そうやって物事に取り組むことに誇りを感じている。

そうすると、物事には適当に取り組み、問題が出たら責任を他者に押しつけ、それでいて最初は「何でもできる」と根拠もなく言うような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、信頼されることや信用されることをモットーとして取り組み、そのために地道な努力をする人が多い。信頼を得るには長い時間がかかる。しかし、その時間は無駄だとは思わない。

そうすると、金のためなら、嘘でも裏切りでも詐欺でもゆすりたかりでも何でもするような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、事実関係が間違っていると謝罪し、同じ間違いが起きないように物事を改善しようと考える人が多い。自分の感情よりも、事実を優先する。

そうすると、都合が悪くなると泣き叫び、ごまかし、逆切れし、被害者を装ったりするような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、他人に対する思いやりや、恩義を忘れない。また、思いやりには思いやりを返し、恩義には報いようと努力しようとする人が多い。

そうすると、思いやりを見せる相手は弱い人間だと考えたり、恩を受けたことをなかったことにし、恩を仇で返すような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。


関係を断たなければ、問題はますます深刻になる

もちろん、個人間や民族間で、すべての価値観が完全に一致しているというのはあり得ない。

人間はひとりひとり違っており、民族もそれぞれ違っている。文化も違えば、人種も違えば、宗教も習慣も何もかも違う。だから、完全一致を目指すとすべてがうまくいかなくなる。

しかし、根本的な部分で、ある程度の価値観の共有が為されていないと、最初からうまくいかないというのも事実である。

あまりにも価値観が違っていると、どこかで妥協したとしても、他のほとんどの部分が対立してしまって、次から次へと問題が発生していく。

無理に一緒になっても、関係は必ず破綻してしまう。ただ破綻するだけではない。互いに最も不幸な形で関係が破綻するのである。常に同床異夢であり、呉越同舟というのは、そういう意味だ。

したがって、「価値観を共有していない」「今後も共有できる見込みがない」と分かれば、互いに深入りすべきではなく、関係は断絶するか、もしくは必要最小限の関わりにとどめておくしかない。

「価値観を共有していない」というのは、共に生きるのに適していないということだ。生きている世界が違っているのだ。その上、相手が憎悪を向けてくるのであれば、関係は断絶すべきであり、関わるべきではない。

「誰とでも仲良く」というのは幼稚園か小学生低学年の標語であり、それは現実的ではない。うまくいかない関係は、いずれ壊れる。悪化する可能性のあるものは、いずれ悪化する。

日本は八方美人になってあちこちに良い顔をしても仕方がない。「価値観を共有していない」と悟った国とは関係を断たなければ、問題はますます深刻になっていく。

価値観を共有していない相手とは戦略敵に関係を断つというのは、問題を複雑化させないために、とても大切なことだ。

今後、韓国のように価値観を共有していない相手と関係を断てるかどうかで日本の命運が決まる。

日本は、韓国の反日で凄まじく迷惑を受けている。民族の尊厳を貶されていると言っても過言ではない。それならば、なぜ政治家は躊躇しているのか。日本も中国を見習って、さっさと韓国に報復すべきなのだ。

そして、最終的には韓国と一切の関係を断つべきだ。国交断絶と非韓三原則こそが、正しい韓国との付き合い方である。


最終的には韓国と一切の関係を断つべきだ。価値感を共有しない国に遠慮は要らない。国交断絶と非韓三原則こそが、正しい韓国との付き合い方である。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/05/20150527T1321560900.html


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反日国家との関係はマネージなどできないので断交が正しい

「一見、良いことを言っているように見えて、実は裏には別の意図がある」というのは、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家が常に使う手口である。

たとえば、「平和を守れ、平和は素晴らしい」というのは、とても美しい言葉だ。人は誰でも平和でいたいし、協調したいと思っている。誰も他人と衝突しながら生きたくない。

しかし、それを反日国家が日本に強要したとしたらどうだろうか。日本の防衛力をゼロにするために「平和を守れ」と諭しているのだから、言うがままに反日国家を信じていると、あっさりと侵略される。

「平和を守る」というのは美しい言葉であり、理想だ。しかし、現実には暴力国家・独裁国家・詐欺国家が日本のまわりに存在するのだから、きれい事など聞いている場合ではない。

反日国家が、あの手この手で日本を侵略しようとするのが現実社会のリアルな姿なのである。

日本の侵略にはいろいろあるのだが、その中のひとつの大きな手法が捏造ファンタジーの歴史プロパガンダを日本に押しつけて「謝罪しろ、賠償しろ、金を出せ」と恫喝したり、「平和を守れ」と叫んで武装解除させる方法だ。

日本はやりたい放題されている。


建前の美しい言葉は、警戒心を解くための手口

「信じ合うのは美しい」というのは間違いない。しかし、簡単に中国・韓国・北朝鮮のような国を信じてしまったら、日本は騙されて終わりだ。

韓国を見ればいい。国と国の約束すら守れない史上最悪の詐欺国家である。

だから、普通の常識を持った日本人であれば、他国を信じたいと思っても、それは「お花畑の理想論だ」と一定の警戒心を持って生きている。

この「警戒心」こそが反日国家にとって、最も邪魔なものだ。だから、反日国家はこのように言う。

「友好関係は美しいのに、日本人は他人を疑って生きている。間違っている。我々を信じなさい」

そうやって彼らは自分を信じさせて、守りもしない合意を結んで金を毟り取っていく。現に、日本は日韓合意で10億円を毟られて合意も反故にされている。

韓国の方は国内で好き放題しているのに、「友好関係は美しい。協力し合うべきだ」と都合の良い建前や理想を日本に押しつけているのは日本をカモにするための手法でしかない。

悪人ほど美辞麗句や理想を語りたがる。その理由は明らかだ。それは、要するに相手から「疑う心」を奪い取るためのテクニックなのである。

どこかのインチキ宗教の教祖も、美辞麗句を語って自分を信じさせている。もちろんそうやって自分を信じさせて、信者の財産を根こそぎ奪うためだ。

建前や美辞麗句を押しつける人間というのは、本当のところを言えば、非常に危険なタイプの人間であることも多い。

問題は、日本人はこの手の手法に弱いということだ。

日本政府も、中国・韓国・北朝鮮から「友好しろ」と押しつけられると友好し、「友好のためには謝罪しろ」と迫られると謝罪し、「謝罪するなら賠償しろ」と凄まれて賠償してきた。

日本政府がそうなら、日本人個人もまた「きれい事」に弱い。赤ん坊の手をひねるように簡単に騙される。日本人は友好を好み、弱者を守りたいという美しい気質があるので、そこを見透かされている。


自分が弱者になりすまして「弱者を守れ」と叫ぶ

生活保護にしてもそうだ。やむにやまれぬ事情で生活が困窮して生活保護を受けている人もいる反面、わざと働かないで生活保護を不正受給をするクズのような人間もいる。

本当に困った人にとって、生活保護は一縷の望みであるにも関わらず、それを不正受給する一部のクズのために生活保護というシステムは崩壊の危機に瀕している。

こうした生活保護に寄生する悪人どもは、自分が弱者になりすまして「弱者を守れ」と叫ぶ。

よくよく考えれば、本当の弱者というのは、自分が弱者であることを恥じてそれを隠そうとする。間違えても「自分は社会的弱者だが、世間は自分を守れ」と叫ばない。

そんなことを叫んで社会運動している暇があるのなら、一日でも早く仕事を見つけてまっとうに暮らせるように努力する。あるいは、心情的に、世間に迷惑をかけないように慎ましく目立たないようにする。

しかし、弱者を装ってタカリをする人間は逆だ。

「弱者を守れ」と声高に叫び、「弱者の人権を保護しろ」と役所の職員を恐喝し、もっと金をよこせと声を荒げて要求する。弱者という立場にあぐらをかいて、「保護しないのは差別だ」とわめいて、上から目線で高飛車に金を要求する。

「弱者を守る」というのは、当たり前のことであり、これは誰も否定することができない。だから、弱者を装っている悪人は、ことさらに建前や理想を他人に語って金を奪い取る。

「人を信じろ」「弱者を守れ」という正論は、悪人の手にかかるとそれ事態が相手から金を毟るための「ワナ」となる。それは、正論を無理やり相手に押しつけて、自分の都合の良いように相手を動かす手法に過ぎない。

宗教ビジネス、弱者ビジネス、人権ビジネスというのは、こうした「理想の押しつけ」「善意の押しつけ」によって成り立っている。

それを国単位でやっているのは韓国である。この国はありとあらゆる問題にケチをつけて自分が被害者だと言い張り、事あるごとに「謝罪しろ、賠償しろ」とわめき、合意を結んでも平気で破る。


悪人が善人に見え、善人が悪人に見える理由

「友好関係は美しい」という人と、「騙されるな。友好関係は破棄しろ」という人がいたら、どうしても「友好関係は美しい」というメッセージを発した人の方に好感が集まる。

「友好関係は美しい」と言っている人は、一見すると悪人に見えない。

悪人どころか善人のように見える。たとえ、友好関係を結んでから「友好を壊したくなければ謝罪しろ、賠償しろ」という邪悪な魂胆があったとしても人格者に見える。

逆に「騙されるな。友好関係は破棄しろ」と言っている人は、邪悪で心が狭い人のように見える。

たとえ反日国家の友好に裏があると分かっていて、日本を守りたいと思うがゆえの発言であっても、そのメッセージからはどうしても偏狭な悪人のような印象に見える。

悪人の方が善人に見えてしまうというのは、別に不思議なことではない。悪人は信用されなければ商売にならないから、必要以上に信用されるために外見を飾り、言葉を飾るからだ。

たとえそれが嘘でも、そのように振る舞っていれば人々が騙されることを悪人は知っている。

だから内面が真っ黒な人間ほど、外見を飾って飾って飾りまくる。美辞麗句を語り、善意を声高に要求する。そんな人間こそが危険なのである。

もう日本人は分かったはずだ。

「平和を守れ」も「友好関係は美しい」も、邪悪な人間や国家が言うと、そこには裏があるのだ。「騙した方と騙された方では、騙される方が悪い」とうそぶく国民や国家が美辞麗句を言うのはワナなのである。

美辞麗句に騙されてはならない。

中国・韓国・北朝鮮は反日国家であり、すでに日本の敵国と化している。歴史は捏造し、何の約束も守らない。ただ、日本を責め立て、日本を貶め、日本を崩壊させようとしている。

特に韓国は許せないほど卑劣だ。そうであれば、日本人はもう韓国と関わるべきではないというのは誰でも分かる。反日国家との関係はマネージなどできない。

相手にして騙されるくらいなら、完全に関係を断ち切ってしまうのが正しい。そして、それは政府だけに突きつけるのではなく、日本人ひとりひとりが肝に銘じるべきなのだ。個人も「非韓三原則」をすべきなのである。


相手にして騙されるくらいなら、完全に関係を断ち切ってしまうのが正しい。そして、それは政府だけに突きつけるのではなく、日本人ひとりひとりが肝に銘じるべきなのだ。個人も「非韓三原則」をすべきなのである。
http://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171229T1755460900.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html

コメント [リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
67. 2019年4月03日 10:38:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1029]
日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c67
コメント [政治・選挙・NHK240] TOKYO MXが『ニュース女子』打ち切りも他局やネットで番組続行! “DHCがバックにいる”と開き直る出演者(リテラ) 赤かぶ
270. 2019年4月03日 10:40:01 : jxk59l1RoQ : ZWg1ZWxhV0VOemc=[1]
▼NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化

NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化 | ビジネスジャーナル
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27326.html
 2月4日、NHKは「森友学園問題 立民・共産の議員の発言に工事業者反論」と偏向報道ともいえる放送を行った。3月22日、市民団体「森友 ごみ問題を考える会」(加藤弘吉共同代表)は放送法第7条に基づき、NHKに苦情処理を提出し、NHKの担当者は速やかに返答する旨を約束した。
 なぜNHKが、ここまで現政権の側に立って野党を牽制するのか。今年に入って、野党の活躍は目覚ましい。森友問題では、1月17日の野党合同ヒアリングでの写真偽装を認める藤原工業株式会社(以下、藤原工業)の発言に続き、2月4日、国交省は参議院の理事懇談会への回答書でも偽装を認め、2月27日の衆議院財務金融委員会では、ついに国交省は国会の委員会で偽装を認めたのである。
 これまでも、現政権を忖度する勢力が政権擁護に動くことが数々あったが、NHKまでもが野党を中傷するような政治的公正性を欠いた偏向放送を行った。実際、NHKは2月28日に統計データの不正操作をめぐり根本匠厚労相の不信任決議案の主旨説明を小川淳也衆院議員(立憲民主党)が行った件について、悪質な編集によって小川議員が反対のための反対意見を述べているように報じた。
 森友問題にしろ統計データにしろ、問われていた核心点を、最初から事実に基づいて報道するつもりはなかったのであろう。
また、統計データの不正は、GDPのかさ上げやアベノミクスによる賃上げという虚構を明らかにし、本来なら野党による不信任案提出は大きく報道され、国民の共感を得るものであろう。
 NHKは、これらの事実を覆い隠す報道を行い、森友問題では名指しで野党を批判した。統計不正問題の報道では、小川議員の発言の要約すら欠落させ、国民の疑問の声をバックにした鋭い政権批判を削ってしまった。議長の進行発言なども組み合わせ、自民党議員の「反対のための反対でしかない」という発言を挿入し、大きく脚色して「白」を「黒」に変えてしまった。組織的な悪意がなければ実現できない放送であり、公共放送による異なる意見を抹殺する放送テロといってもいい過ぎでない酷さであった。
 いずれも放送法第4条の目的、公正な報道、異なる意見の多角的な報道、事実に基づく報道に違反する放送であり、現政権を批判する野党への傍若無人とでもいうような中傷報道である。先の市民団体は、提出した苦情処理で、放送法第7条に基づき、訂正放送を行わせるとともに、責任を問い謝罪を求めているが、その返答が注目される。
 小川敏夫参議院議員は、「検察が共謀者と特定しながら、なぜ藤原工業の家宅捜査を行わなかったのか。本丸追及への意思がなかったと見られても仕方がない」と語る。今回検察審査会からも指摘されたように、検察はなぜ8億2000万円の値引きがされたのかについて、事実に基づく捜査を行っていない。その鍵は藤原工業にある。
 振り返って、NHKによる野党批判報道は、この藤原工業の言い分を全面的に認めた報道であった。NHKは、森友問題の陰の主役であるとんでもない事業者の発言を鵜呑みにして野党批判を行っていたことになる。そして多くの善良な国民の目を、真実から逸らせることになる。

【CHRISTIANITY TODAY】ニュージーランドのイスラム教徒襲撃にクリスチャンはどう対応すべきか(前編) | クリスチャンプレス
https://www.christianpress.jp/new-zealand-mosque-shooting-christchurch-christians-muslims/
常にヘイト・スピーチに反対すべきです。各国の極端な先入観、無制限な言論、そして不作法な言葉や行為は、私たちを破壊する文化を生み出しました。人間性を奪い、レッテルをはり、他の人種や宗教を軽蔑し、社会の最下層にいる人々を傷つけることは、傲慢(ごうまん)で自己中心的な究極の罪です。SNSの普及により、新しいタイプの嫌悪感が生まれています。

フェイスブック、白人ナショナリズム投稿を禁止 ヘイト対策で 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3217942
交流サイト(SNS)最大手、米フェイスブック(Facebook)は27日、ヘイトスピーチ(憎悪表現)対策強化の一環として、白人ナショナリズムや白人分離主義を称賛したり支持したりする投稿を禁止すると発表した。
 禁止措置は来週から、フェイスブックと同社傘下の写真共有アプリ「インスタグラム(Instagram)」で導入される。

http://www.asyura2.com/18/senkyo240/msg/643.html#c270

記事 [国際25] 「名将」ロンメルの歯車が狂い始めた瞬間 「砂漠の狐」ロンメルの知られざる姿 第2回 
「名将」ロンメルの歯車が狂い始めた瞬間
「砂漠の狐」ロンメルの知られざる姿 第2回
2019.4.3(水) 大木 毅

 日本では不世出の名将として語られることが多い第2次世界大戦のドイツ軍人、ロンメル。だが近年、欧米における評価が変化してきているのをご存じだろうか。40年近く認識のギャップが生じている日欧の「ロンメル論」を、軍事史研究者の大木毅氏が3回に分けて紹介する。前回は、1970年以降、ヨーロッパでは「名将ロンメル」という評価が変わりつつあることを紹介した。今回は、ロンメルの戦場での指揮方法に、どのような欠陥と限界があったのかを見ていこう。(JBpress)

(※)本稿は『「砂漠の狐」ロンメル』(大木毅著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

自らの師団の活躍をヒトラーにもアピール
(前回)「名将」ロンメルの名声はいかにして堕ちたか
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55860

 エルヴィン・ロンメルが、第2次世界大戦初期の西方攻勢(フランス・イギリス軍の撃破)でめざましい功績をあげると、その活躍はたちまちナチスのプロパガンダを積極的に広げるヨーゼフ・ゲッベルスらによって伝えられた。

 自ら陣頭に立ち、ときには敵の銃火を顧みずに前進するロンメルは、ナチスの理想を体現する将軍として称揚するのにうってつけだった。新聞、雑誌、ラジオやニュース映画は、ロンメルの活躍をもてはやした。たとえば『西方におけるドイツの勝利』という宣伝パンフレットでは、「もっとも勇猛な人物。総統は騎士鉄十字章を与えて、褒め称えた」などと記されている。

1917年、イタリア戦線でのロンメル(出所:Wikipedia)
 ロンメル自身も自己宣伝につとめ、とりわけヒトラーに対してはぬかりなく行った。1940年末、彼は西方攻勢における第7装甲師団の戦史をまとめ、革装の特製本にしてヒトラーに贈呈している。そのなかで、自らが率いた第7装甲師団の果たした役割を、過大に描いたことはいうまでもない。

 しかし、西方作戦におけるロンメルの功績には、のちに疑問が投げかけられるようになった。第7装甲師団は、将校48名、下士官108名、兵526名の戦死者を出していたのである。この数字は、他の師団が勝利を達成するのに払った犠牲に比べ相対的に大きい。

 たとえば、常に進撃の先鋒を務めていた第1装甲師団の戦死者は267名にすぎなかった。第7装甲師団に比べれば半分以下である。こうした事実をもとに、第7装甲師団は多くの損害を被っているとして、ロンメルの冒険的な戦法や苛酷な部隊運用を批判する者も現れた。

 けれども、この主張は必ずしもフェアであるとはいえない。たしかに、ロンメルは側背の敵を顧みずに突進した。だが、第7装甲師団は1940年のムーズ川の渡河に際しても、空軍の主力が主攻方面に割かれたために、充分な航空支援を受けられなかった。

 また、アラスの戦闘でも、イギリス軍機甲部隊の反攻を真正面から受けるという危機的状況に置かれた。第7装甲師団の損害を批判するのであれば、彼らが何度かこのような難局を経ていることを考慮しなければならないであろう。

「前方指揮」はなぜ行われたのか
 ロンメルがしばしば司令部との連絡が取れなくなるのも構わず、先遣部隊のもとに赴いて指揮を執ったことは、実は彼独自のスタイルとはいえない。当時のドイツ軍、とくに師団ないしは軍団レベルの装甲部隊にあっては、無線設備を整えた装甲車に乗った司令官が、現場で状況を掌握しつつ指示を下すという「前方指揮」が有効であることが確認されていたのだ。

 装甲部隊の出現によって、きわめて流動的になった戦場では、危急のときに重要地点で指揮官が判断を下すことが必要になったのである。前線ではなく、後方の都市に司令部を置いて指揮をしたとみられがちな陸軍将帥、エーリヒ・フォン・マンシュタインも、西方戦役ではロンメルさながらに前線を訪れ、危険を冒している。

 このような司令官の「前方指揮」を可能としたのは、ドイツ軍の参謀養成システムであった。このシステムによって、参謀将校たちはきわめて高いレベルで能力を平準化されていた。司令官が、前線で状況を把握しつつ将兵の士気を鼓舞する。その間に参謀将校は、後方の指令所で作戦参謀あるいは参謀長として、作戦遂行に必要な手はずを整えて部隊をサポートする。

戦術レベルでは適切だったが
 したがって、西方攻勢でのロンメルが取った指揮方法は、それ自体としては責められるべきではない。師団や軍団レベルの戦術次元の行動としては、むしろ適切だったといえる。けれども、こうした原則は上位の指揮階梯である軍司令官や、軍集団司令官に当てはまることではない。

 戦場での戦い方として「戦術」レベルで有効な方策を、勝利という目的を達成するために立案される「作戦」、ましてや最終的な目的達成の最重要シナリオである「戦略」に当てはめたからといって、通用するとは限らない。軍司令官の「前方指揮」という行為は、決定権を持つ者が前線に出て、わが身を危険にさらし、さらには後方司令部と連絡が取れず、麾下部隊に指示を下せないという事態になりかねない。

 つまるところ、勇敢さであるとか、前線での状況掌握能力といったロンメルの長所が発揮できたのは、第7装甲師団長時代までだった。戦術的には非の打ちどころがなくとも、より高い戦略次元レベルの指揮をゆだねられるにつれ、ロンメルの思考の乏しさは露呈していった。おそらくは、参謀教育を受けなかったことにより、その方面への知見を伸ばす機会を逸したことも作用していたであろう。

『「砂漠の狐」ロンメル』(大木毅著、角川新書)
 さような意味において、西方戦役でのロンメルの独断専行に煮え湯を飲まされた、直属の上官だったヘルマン・ホート(彼は、のちの独ソ戦で装甲軍司令官として、自らが作戦の名手であることを実証している)が作成した報告書は恐ろしいほど的を射ていた。

 ホートは「装甲師団の指揮において、あらたな道を切り開いた」と称賛しながらも、ロンメルは衝動的な行動を取りすぎるとし、「より大きな経験を積み、より優れた判断力を得たなら」軍団長に適格な人材になると断じた。

 しかしながら、ロンメルはホートのいう「より大きな経験」を積むことも「より優れた判断力」を得る機会もないまま、軍団の指揮を命じられるのであった。

(第3回に続く) 
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55864
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/902.html

コメント [近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
1. 中川隆[-10996] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:41:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1030]

憲法について - 内田樹の研究室 2019-03-31
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

 2018年の5月に日仏会館で憲法についての講演を行った。

 護憲派はなぜ「弱い」のかという問題について考察した。この日は憲法学の泰斗である樋口陽一先生も客席にいて、ずいぶん緊張した。さいわい、講演後の打ち上げでビールを酌み交わしながら、「おもしろいお話でした」と言って頂いて、ほっとした。


 今晩は。ご紹介いただきました内田です。

 錚々たる憲法学者の方たちが例年憲法講演会をされているところで、私のような何の専門家かわからない人間が登壇するというのは、まことに申し訳ないことです。

 時々改めて「あなた、何の専門家なの」って訊かれると、いつも返答に窮します。専門がないんです。いろんな分野に手を出して、いろいろな論点について一知半解のコメントをしているだけなので、ちょっと専門家に突っこまれると、すぐにしどろもどろになってしまう。

 でも、せっかく手を拡げている以上、どのトピックについても「その分野の専門家が誰も言っていそうもないことを言う」ということを原則にしています。他の人がすでに言っていること、その領域では「常識」として共有されていることを僕が繰り返しても意味がありませんから。せっかく発言の機会を頂いたら、どんな分野のことでも、「まだ誰も仰っていないこと」を言う。そういう方針でおります。

 ですから、憲法についても、「誰も言わないこと」を選択的に語ってきたのですけれども、最近は同じような意見を言って下さる方がだんだん増えてきました。僕が言わなくても言ってくださるのでしたら、わざわざ僕が出てくる必要はありません。白井聡さんなんかの書かれたものを読んでいると、「そう、その通りだ」と膝を叩いてしまいます。僕よりもはるかに見事に現状を分析しているので、こういう仕事はそういうできる人に任せて、僕はもっと違う分野に移動する時期かなとも思っております。それでもまだ僕や白井さんのような立場は圧倒的に少数意見ですので、当面は共同戦線を張って戦ってゆくつもりでいます。

 僕が憲法に関して言いたいことはたいへんシンプルです。それは現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということです。だから、この空語を充たさなければいけない、ということです。

 日本国憲の掲げたさまざまな理想は単なる概念です。「絵に描いた餅」です。この空疎な概念を、日本国民であるわれわれが「受肉」させ、生命を吹き込んでゆく、そういう働きかけをしていかなければいけないということです。

 憲法は書かれたらそれで完成するものではありません。憲法を完成させるのは、国民の長期にわたる、エンドレスの努力です。そして、その努力が十分でなかったために、日本国憲法はまだ「受肉」していると呼ぶにはほど遠い。というのが僕の考えです。

 もう一つ長期的な国民的課題があります。それは国家主権の回復ということです。

 日本はアメリカの属国であって国家主権を持っていない。その国家主権を回復するというのはわれわれの喫緊の国家目標です。これはおそらく百年がかりの事業となるでしょう。これもまた日本国民が引き受けなければならない重い課題です。
そして、国家主権の回復という国民的事業を一歩ずつでも前に進めるためには、「日本国民は今のところ完全な国家主権を持っていない」という痛ましい事実を認めるところから始めなければいけません。

 日本はアメリカの属国です。安全保障であれ、エネルギーであれ、食糧であれ、重要な国家戦略についてわれわれは自己決定権を有していない。この事実をまず国民的に認識するところから始めなければいけません。けれども、現在の政権を含めて、日本のエスタブリッシュメントはそれを認めていない。日本はすでに完全な国家主権を有しているという「嘘」を信じているか、信じているふりをしている。すでに国家主権を有しているなら、アメリカの属国身分から脱却するための努力の必要性そのものが否定される。この重篤な病から日本人が目覚めるまで、どれくらいの時間が要るのか、僕には予測できません。恐ろしく長い時間がかかることは間違いありません。
 
 最初に「憲法は空語である」という考え方について、少しご説明を申し上げておきます。

 憲法集会では、いろいろな団体に呼ばれます。もちろん、呼んでくれるのはどこも護憲派の方たちです。今日はちょっと違うようですが、護憲派の集会へ行くと、客席の年齢層が高いんです。ほとんどがお年寄りです。平均年齢はたぶん七十歳くらい。若い人はまず見かけることがありません。日頃から、駅頭でビラを撒いているの方たちもそうです。地域の市民たちが文字通り「老骨に鞭打つ」という感じで情宣活動をしたり、護憲派集会の会場設営の力仕事をされている。若い人が来ないんです。どうしてこんな老人ばっかりなんだろう。どうして日本の護憲派の運動は若い人に広がらないのか。

 それはどうやら、若い人たちはむしろ改憲派の言説の方にある種のリアリティーを感じているかららしい。改憲派の言葉の方に生々しさを感じる。そして、護憲派の言説は「空疎」だという印象を持っている。どうして護憲派の言説にはリアリティーがないのか。

 僕は1950年生まれです。僕にとって日本国憲法はリアルです。それを「空疎」だと思ったことがない。憲法は僕にとって山や海のような自然物と同じようなものだからです。生まれた時からそこにあった。良いも悪いもありません。自然物についてその良否を語らないのと同じです。「憲法を護ろう」というのは、僕たちの世代にとっては、当たり前のことなわけです。それは「大気を守ろう」とか「海洋を守ろう」とかいうのとほとんど変わらないくらい自然な主張に思えていました。

 でも、これはあくまで世代の問題なんです。だから、護憲派の人たちに六十代、七十代の人が多い。それが当然なんです。この世代にとっては、憲法は自然物としてのリアリティーがあるからです。でも、若い人は憲法にそのようなリアリティーを感じない。同じ文言であるにもかかわらず、育った年齢によって、その文言のリアリティーにこれほどの差がある。この差はどうして生まれたのか。この差を決定づけたのは戦中派の人たちが身近にいたか、いなかったのかという先行世代との関わりだと僕は思います。

 戦中派というと、われわれの世代では、親であったり、教師であったりした人たちです。この人たちの憲法観が僕たちの世代の憲法への考え方を決定づけた。戦中派の憲法理解が、戦後日本人の憲法への関わりを決定的に規定したというが、僕の仮説です。

 僕自身は、戦中派であるところの両親や教師たちやから、「とにかく日本国憲法は素晴らしいものだ」ということを繰り返し聞かされてきました。そして、「この憲法は素晴らしいものだ」と言う時に彼らが語る言葉は本当に重々しかったのです。声涙ともに落つという感じで。こんなよい憲法の下で育つことができて、お前たちはほんとうに幸せだ、と深い確信をこめて彼らは語った。その言葉に彼らはほとんどその実存を賭けていた。子どもにもそれは分かります。だから、「この憲法のどこが素晴らしいの?」というような質問は思いもつかなかった。大人たちがこれだけはっきりと、全身全霊をかけて言っている言葉に疑義を差し挟むことなんか、子どもにはできません。 
 
 僕らの子どもの頃、天皇制を批判する人は結構いたんです。学校の先生にもいました。天皇制について、はっきり反対だと言い切る先生はふつうの公立の小学校や中学校に何人もいました。「天ちゃん」というような侮蔑的な言葉遣いで天皇を呼ぶ人もいた。それを咎める人もいなかった。

でも、憲法について批判的なことを言う大人は、僕が子どもの頃には、周りにまったくいなかった。僕自身の個人的な経験から言うと、一人もいなかった。

 僕の世代には名前に「憲(のり)」っていう字が入っている男子がたくさんいます。今はもうほとんどいないと思うんですが、1946年の憲法公布から10年間ぐらいは、「憲男」とか「憲子」という名前はそれほど珍しくなかった。この時期だけに特徴的な命名だったと思います。それだけ親の世代が憲法に関して多くのものを期待していた。だから、自分の子どもには憲法の憲の字を背負って一生生きてもらいたいという強い願望をこめた。

 ですから、改憲論というものを僕はずいぶん後年になるまで聞いたことがなかったんです。自民党は党是として結党時から自主憲法制定を掲げていたようですが 、憲法を改正することが国家的急務であるというような言説がメディアを賑わせたことなんか、小学生から大学生時代に至るまで、僕はまったく記憶にありません。とくに1960年代末から70年にかけて、僕が高校生大学生の頃は、全共闘運動の時代ですから、改憲論なんて話題にもなりませんでした。活動家たちはブルジョワ民主制を打倒して革命をしようというような話をしている訳ですから、そもそもブルジョワ憲法の良否が政治的議論のテーマとなるはずもない。憲法を護持すべき、あるいは改正すべきだと真剣に語る学生なんか僕はその時代には見たことがないです 。

 ところが、ある時期から改憲論が声高に語られるようになって来た。そして、改憲論のほうが護憲論よりもリアリティーを持つようになってきた。若い世代において顕著だったと思います。ある時期から、護憲論を聞いてもそんな空疎な議論は聞きたくないという冷たい目を向けてくるようになった。そう言われると、確かに空疎な気がするんですね、護憲論というのは。

 憲法は素晴らしいものである。でも、突っこまれて一番厳しいところは、日本国憲法は日本人が人権を求める戦いを通じて自力で獲得したものではない、ということです。戦争に負けて、日本を占領したアメリカの軍人たちが「こういう憲法がよろしかろう」と判断して、下賜された。日本人が戦い取ったものではない。負けたせいで手に入ったものです。

 ところが、僕自身はそんなふうに思ったことがなかったのです。だって、生まれた時からあったわけですからね、憲法は。自然物として、あった。それが日本国民の闘いを通じて獲得されたものではないということは、歴史的事実としては知っていました。にもかかわらず、それを実感したことはなかったんです。なぜかというと、戦中派世代の人たちが、憲法の制定過程に関してほぼ完全に沈黙していたからです。日本側とGHQとの間で、どういう駆け引きがあって、どういうプロセスでこのような文言に定まったのか、僕たちには何も説明がなかった。

 戦中派は二つのことがらについて沈黙していたと僕は考えています。一つは戦争中における彼ら自身の加害経験についての沈黙。戦争の時の被害経験に関してはずいぶん語られてきましたけれど、加害者として、特に中国大陸や南方において自分たちが何をしたのかについては口を噤んでいた。どういう風に略奪したのか、強姦したのか、拷問したのか、人を殺したのか、そういうことについてはほぼ完全な沈黙を守った。

 それは戦争経験文学の欠如というかたちでも現れていると思います。敗戦直後の45年、46年にはほとんど見るべき文学的達成はありません。戦争から帰ってきた男たちが戦争と軍隊について書き出すのはその後です。

 最も早いのが吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、46年には書き上げられていました。大岡昇平の『俘虜記』が48年。50年代になってからは、野間宏の『真空地帯』、五味川純平の『人間の条件』、大西巨人の『神聖喜劇』といった「戦争文学」の代表作が次々と出てきますけれど、加害経験について詳細にわたって記述した作品は僕の世代は少年時代についに見ることがありませんでした。ただ、僕は戦中派の人たちのこの沈黙を倫理的に断罪することにはためらいがあるのです。かれらの沈黙が善意に基づいたものであることが分かるからです。

 ひどい時代だった。ついこの間まで、ほんとうにひどいことがあった。たくさんの人が殺したり、殺されたりした。でも、それはもう終わった。今さら、戦争の時に自分たちがどんなことをしたのかを子どもたちに教えることはない。あえて、そんなことを告白して、子どもたちに憎まれたり、軽蔑されたりするのでは、戦争で苦しめられたことと引き比べて、「間尺に合わない」、彼らはたぶんそう考えたのだと思います。子どもたちには戦争の詳細を語る必要はない。子どもたちに人間性の暗部をわざわざ教えることはない。ただ「二度と戦争をしてはいけない」ということだけを繰り返し教えればいい。戦後生まれの子どもたちは戦争犯罪について何の責任もないのだから、無垢なまま育てればいい。戦争の醜い部分は自分たちだけの心の中に封印して、黙って墓場まで持って行けばいい。それが戦後生まれの子どもたちに対する先行世代からの「贈り物」だ、と。たぶんそういうふうに考えていたのではないかと思います。戦争の罪も穢れも、自分たちの世代だけで引き受けて、その有罪性を次世代に先送りするのは止めよう。1945年 8月15日以降に生まれた子どもたちは、新しい憲法の下で、市民的な権利を豊かに享受して、戦争の責任から完全に免罪された存在として生きればいい。その無垢な世代に日本の希望を託そう。そういうふうに戦争を経験した世代は思っていたのではないか。そうでなければ、戦中派の戦争の加害体験についての、あの組織的な沈黙と、憲法に対する手放しの信頼は説明が難しい。

 例えば僕の父親がどういう人間であるか、僕はよく知っているつもりでいます。筋目の通った人だったし、倫理的にもきちんとした人でした。だから、彼が戦争中にそれほどひどいことをしたとは思わないんです。でも、父は十代の終わりから三十代の半ばまで大陸に十数年いたわけです。でも、戦争中に中国で何をしていたのかは家族にさえ一言も言わなかった。北京の冬が寒かったとか、家のレコードコレクションにクラシックのSPが何千枚あったかとかいう戦争とは無関係な個人的回想も、ある時期から後はぱたりと口にしなくなりました。戦争経験についての黙秘というのは、あの世代の人たちの暗黙の同意事項だったんじゃないかという気がします。

 村上春樹がイスラエルでの講演の時に自分の父親の話をしています 。彼の父も京都大学の院生だった時に招集されて中国大陸に行っている。その父が毎朝仏壇に向かって読経をしている。「何してるの」と訊くと、「死んだ人たちのために祈っている。敵も味方もない、戦争で死んだすべての人たちのために祈っている」と答える。けれども、彼自身が中国大陸で何を経験したかに関してはついに死ぬまで一言も言わなかったそうです。

 そういう戦争経験についての沈黙というのが世代的な合意としてあったのだと思います。自分たちの戦争犯罪を隠蔽するとか、あるいは戦争責任を回避するといった利己的な動機もあったかもしれません。でも、もっと強い動機は、戦後世代をイノセントな状態で育ててあげたいということだったと僕は思います。そういう「穢れ」から隔離された、清らかな、戦後民主主義の恩恵をゆたかに享受する資格のある市民として子どもたちを育てる。それこそが日本の再生なのだ。この子たちが日本の未来を担っていくのだ。そういう希望を託されてきたという感覚が僕にはあります。それは僕と同年代の人は多分同意してくれると思うのです。

 僕が小学校五年の時の担任の先生がその頃で35歳ぐらいでした。もちろん戦争経験がある。その先生が大好きだったので、いつもまつわりついていました。何か時に「先生は戦争行ったことある?」と聞いたら、ちょっと緊張して、「ああ」と先生が答えた。で、僕がさらに重ねて「先生、人殺したことある?」って聞いたら、先生は顔面蒼白になったことがあった。聞いてはいけないことを聞いてしまったということは子どもにもわかりました。その時の先生の青ざめた顔色を今でも覚えています。大人たちにはうかつに戦争のことを聞いてはいけないという壁のようなものを感じました。

 戦争経験についての世代的な沈黙というのと対になるかたちで憲法制定過程についての沈黙があります。これも僕は子どもの頃から聞いたことがないのです、その世代からは。学校の教師も、親たちも、近所の大人たちも、憲法制定過程について、どういう制定過程でこの憲法が出来たのかという話を聞いたことがなかった。話題にされているのをかたわらで聴いた記憶さえない。憲法制定は親たち、教師たちの年齢でしたら、リアルタイムで、目の前で起きたことです。1945年から46年にかけて、大人たちは何が起きているか、新聞を読めばだいたいのことは分かったはずです。おそらく、かなりの人が憲法制定過程に関してさまざまな「裏情報」を聴き知っていた。でも、子どもたちには一切伝えなかった。子どもたちはテキストとしての日本国憲法をポンと与えられていて、どういう過程でこれが制定されたのかに関しては何も教えられなかった。

 改憲派が随分あとになってから「押し付け憲法」ということを言い出した時には実はびっくりした。子どもの時はそんなこと考えたこともなかったから。憲法が日本人が書いたのか、アメリカ人が書いたのかについて、あれこれの説が憲法制定時点から飛び交っていたということを知ったのは、恥ずかしながらずいぶん大人になってからです。

 最初に結婚した女の人のお父さんが平野三郎という当時岐阜県知事だった人でしたけれど、彼は長く衆議院の議員をやっていました。その岳父が、当時はもう70歳を過ぎていましたけれども、酔うと僕を呼んで日本国憲法制定秘話を語るわけです。僕が個人的に、日本国憲法の制定にはみんなが知らない秘密があるという話を聴いたのは彼からが最初です。25歳を過ぎてからです。岳父は議員時代に幣原喜重郎の秘書のような仕事をしていたので、死の床で幣原喜重郎が語ったことを、後に国会の憲法調査会で証言しているんです。九条二項を思いついてマッカーサーに進言したのは幣原さんだと岳父は主張するんです。憲法九条二項は日本人が自分で考えたんだ。押し付けられたものじゃない、と。彼は自民党の代議士ですよ。大野伴睦の派閥に属していたベタな自民党議員でした。その彼が憲法九条二項を書いたのは幣原さんだと切々と訴えるわけです。誰も信じてくれないけれども、と。ほとんど声涙共に落つという感じで。

 そういう話を聞いて、どうしてこういう事実がもっとオープンに議論されないのか不思議に思いました。憲法制定過程については、実にいろいろな説が語られているわけです。「藪の中」なんです。でも、憲法というのは国のかたちの根幹を決定するものじゃないですか。その制定過程に関して諸説があるというのはまずいでしょう。歴史的事実として確定しないと。国民全体として共有できる歴史的な事実を確定して、それ以上真偽について議論する必要はない、と。そうじゃないとまずいと思うんです。でも、現代日本では、憲法制定過程に関して、これだけは国民が事実関係に関しては争わないということで共有できるベースがない。

 なんでこんなことが起きたのか。それはリアルタイムで憲法制定過程を見ていたはずの世代の人たちが、それについて集団的に証言してくれなかったからです。知っていることを言わないまま、沈黙したまま死んでしまった。

 戦中派より上の世代、敗戦の時に40歳、50歳という人たちは銃後にいただけでさきの戦争には行っていません。実際に戦争に行ったのは明治末年から大正年間、昭和初年に生まれた世代です。この戦争を現場で経験したこの人たちが、戦争の現実についての証言を避けた。復員してきた後、結婚して、家庭を作って、市民として生活を始めた。当然、これからの日本はどうなるんだろうということを興味をもってみつめていた。日本の行く末がどうなるか心から案じていた。ですから、国のかたちを決める憲法については、その制定過程だって、日々どうなっているんだろうと目を広げて、日々話し合っていたはずなんです。でも、その過程で「では、憲法はこういうふうに制定されたという『話』を国民的合意として採用しよう」ということがなかった。

 日本国憲法には前文の前に「上諭」というものが付いていますが、僕はそれをずっと知りませんでした。上諭の主語が「朕」だということも知らなかった。でも、日本国憲法は「朕」が「公布」しているんです。天皇陛下が「枢密顧問の諮詢」と「帝国憲法73条による帝国議会の議決を経て」日本国憲法を公布している。日本国憲法を公布した主体は天皇なんです。ちゃんと「御名御璽」が付いている。でも、僕らが憲法について教えられた時には、その上諭が削除されたかたちで与えられた。どういう法理に基づいてこの憲法が制定されたかという「額縁」が外されて、テキストだけが与えられた。

 憲法の個々の条項については、その適否についていろいろな意見があっても構わないと思います。でも、その憲法がどういう歴史的な過程で、どういう議論を経て制定されていったのかという歴史的事実についてだけは国民的合意があるべきだと思うんです。その合意がなければ、憲法の個別的条項についての議論を始めることはできない。でも、日本人にはその合意がない。憲法制定の歴史的過程は集団的な黙契によって隠蔽されている。

 憲法についての試案があったとか、マッカーサー三原則があったとか、GHQの民生局が草案を作って、11日間で草案を作ったとか、いろんな説があって、それについていちいちそれは違うという反論がある。どれかが真実なのか、部分的な真実が諸説のうちに散乱しているのかわかりませんけれど、「これが出発すべき歴史的事実」として国民的に共有されているものがない。

 憲法ってわれわれの国の最高法規ですよね。最高法規の制定過程がどういうものだったのかについて国民的な合意が存在しない。マグナカルタでも、人権宣言でも、独立宣言でも、どういう歴史的状況の中で、何を実現しようとして、誰が起草したのか、どういう議論があったのか、どういう風に公布されたかということは歴史的な事実として開示されている。それが当然です。でも、日本国憲法については、それがない。制定過程が隠蔽されたしかたで僕たち戦後世代に憲法は与えられた。それをなんの疑いもなく、天から降ってきた厳然たる自然物のように受け止めて来たのが今や70にならんとしている僕らの世代の人間なんです。ですから、改憲派の人たちに、「こんなもの押し付けられた憲法だ」、「こんなものはGHQの作文だ」と言われるとびっくりしてしまうわけですよ。自然物だと思っていたものがこれは「張りぼて」だと、これは舞台の書き割りのようなものだと言われたわけですから。

 でも、この舞台の書き割りを自然物のように見せていたのは、先行世代の作為だったわけです。戦中派世代の悲願だったわけです。「張りぼて」の日本国憲法を、あたかも自然物であるかのように絶対的なリアリティーをもつものとして僕らに提示した。その戦中派の想いを僕は「可憐」だと思うんです。僕には彼らの気持ちがわかる気がする。もうみんな死んでしまいました。父も岳父も亡くなった。大事なことを言い残したまま死んでしまった。だから、僕らはそれに関しては想像力で補うしかない。

 僕が子どもの頃、内田家では、お正月には毎年日の丸を立てていました。どの家もそうでした。お正月や祝日には必ず日の丸を揚げた。黒と黄色に塗り分けられた旗竿の上に金のガラス玉を入れて、ぺらぺらの日の丸の旗を張って揚げた。僕は子どもでしたから、その儀式が大好きでした。だから、年末になると父が日の丸のセットを押し入れから出して、飾りつけをする手伝いをするのを楽しみにしていました。でも、ある年、僕が小学校の低学年の頃でしたけれど、お正月だから「お父さん、日の丸出そうよ」と言ったら、父親がふっと「もういいだろう」って言ったんです。

 もう日の丸を揚げる義理もなくなった、そういう感じでした。1958年か59年くらいのことだったと思います。その頃、たしかにまわりの家もだんだん日の丸を揚げなくなってしまった。こういうのってほんとに不思議なもので、別に「日の丸を揚げるのをやめましょう」なんていう運動があったわけじゃない。でも、申し合わせたように、揚げなくなった。その時の国旗掲揚を止める時の理由が「もういいだろう」だった。

 あとから思うと、1958年って大日本帝国の十三回忌なんですね。帝国臣民たちは帝国が死んでから13年くらいまでは死せる大日本帝国に対して弔意を抱いていた。当然ですよね、彼らは生まれてからずっと「神国不敗」「天壌無窮」の大日本帝国臣民だったわけですから。でも、もういつまでも消えた帝国を懐かしんでいてもしかたがない、と。親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。もう十分に悼んだから、このへんでいいだろう、と。1958年頃に、日の丸が一斉に東京の街角から消えていったのは、あれは大日本帝国の十三回忌も営んだし、もう昔のことは忘れようという暗黙の国民的な合意だったんじゃないか。

 そういうのって、やっている本人だって、自分が何をしているのかよくわかっていないんだと思います。口に出さないけれど、何となく、そんな気分になる。無意識的にやっているわけです。でも、僕はそういう暗黙の、無意識の集団的な行動が、結局はある時代のイデオロギー的な大気圧をかたちづくっていて、その時代を生きている人間たちの思考や感受性を深く規定していたんじゃないかという気がするのです。
 
 ですから、ずっと後年になって、安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから。

 でも、そう言われて初めて、憲法を自然物のように思いなすというのは、僕たちの世代的な「偏り」であって、戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を僕たちと同じようにはとらえていないのだということを知ったのです。

 だから、護憲論が空疎になるのです。護憲論を批判するのはほんとうに簡単なんです。こんなものただの空語じゃないか、「絵に描いた餅」じゃないか、国民のどこに主権があるのか、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんか誰が信じているのか、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」なんて白々しい嘘をよく言えるな。そう言われると、まさにその通りなんです。

 憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の11月3日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。だって、公布前日の11月2日までは、列島に存在したのは大日本帝国だったわけですから。そこにいたのは「大日本帝国臣民」であって、「日本国国民」なんていうものはどこにもいない。どこにもいないものが憲法制定の主語になっている。「この主語の日本国民というのは、誰だ」と言われたら、答えようがない。

 日本国憲法を制定した主体は存在しない。存在しない「日本国国民」が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根源的な脆弱性なわけです。

 と言っておいてすぐに前言撤回するのもどうかと思いますけれど、実は世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ「そういうもの」なんです。宣言に込められている内容はおおかたが非現実なんです。宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるか疑わしい。

 例えばアメリカの独立宣言(1776年7月4日公布)では「法の下で万民が平等である」と謳っていますけれど、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いていました。奴隷解放宣言の発令は1862年です。独立宣言から100年近いタイムラグがある。奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃありません。人種差別を公的に禁じた公民権法が制定されたのは1964年。独立宣言から200年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃありません。厳然として存在している。独立宣言の内容と現状の間には乖離がある。

 でも、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいません。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なんです。でも、日本だけがそうではない。宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちが政権の座にいる。

 世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に描いた餅」だったわけです。宣言を起草した主体が「われわれは」と一人称複数で書いている場合だって、その「われわれ」全員と合議して、承認を取り付けたわけじゃない。そうではなくて、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけです。それでいいんです。日本国憲法を確定した「日本国民」なんてものは現実には存在しない。でも、そこで掲げられた理念が善きものであると人々が思うようになるのなら、「憲法を起草してくれ」と誰かに頼まれたら、すらすらとこれと同じ憲法を起草することができるなら、その時「日本国民」は空語ではなく、実体を持ったことになる。

 この憲法を自力で書き上げられるような国民に自己造型してゆくこと、それが憲法制定以後の実践的課題でなければならなかったはずなんです。ただし、その努力を行うためには、日本国民が「われわれは『日本国民』にまだなっていない。われわれは自力でこの憲法を起草できるような主体にまだなっていない」ということを自覚しなければならない。

 護憲論の弱さはそこにあります。護憲派はそういうふうには問題を立てなかったからです。そうではなくて、「日本国民は存在する」というところから話を始めてしまった。僕はそれが最初のボタンの掛け違えだったと思います。「日本国民」が集まって、熟議を凝らした末に、衆知を集めてこの憲法を制定したというふうに、たしかに憲法前文は読める。しかし、そういう事実はない。

 だから、護憲派は「そういう事実はない」ということを隠蔽した。僕はそれがいけなかったのだと思うのです。いいじゃないですか、「そういう事実」がなくても。歴史上のどんなすばらしい宣言だって、憲法だって、多かれ少なかれ「そういうもの」なんですから。たしかに日本国民が衆知を集めて憲法を制定したという事実は実際にはないのだけれども、仮にもう一度憲法制定のチャンスを与えられたら自発的にこれと同じ憲法を自力で書けるような日本国民を創り出してゆくという遂行的な責務は現に目の前にある。そういうふうに考えるべきだったんじゃないかと、後知恵ですけれども、僕は思います。戦中派の人たちが憲法制定過程における日本国民の関与の薄さということを僕たちに向かって率直に開示して、「でも、自力でこれを書けるようになろう」というかたちで戦後の市民意識の成熟の課題を掲げてくれたのであれば、それから何十年もして改憲派に足をすくわれるようなことは起きなかったと思います。

 改憲派の護憲派に対するアドバンテージというのは、まさにその一点に尽きるわけです。憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。

 憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言いますし、護憲派もGHQの関与については語りたがらない。でも、そんなのすらすら認めていっこうに構わないじゃないかと僕は思うのです。憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。それは大日本憲法だって同じです。大日本帝国憲法において主権者は天皇でした。たしかに「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。現に、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してあります。でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはありません。勅諭や綸旨ならいくらでも出したことがあるけれど、憲法という概念自身が近代の産物なんですから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲です。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定した。

 憲法というのは「そういうもの」なんです。圧倒的な政治的実力を持つ「超憲法的主体」がそれを制定するのだけれど、それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていた。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていた。

 日本国憲法だってそうです。これもまた圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体によって制定された。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」は、憲法のどこにも書かれていない。「上諭」にも書かれていない。でも、知っている人は知っている。そして、日本国憲法の場合は、「知っている人」たちがそれについて久しく口を噤んでいたということです。憲法が「ろくでもないもの」だと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろうと思います。でも、戦中派はそう思わなかった。すばらしい憲法だと思った。だから、制定過程について何も語らないことにした。

 戦中派はそれを善意で行ったのだとおもいます。戦後の日本社会を1945年8月15日以前と完全に切り離したものとして、戦前と繋がる回路を遮断した無菌状態のものとして立ち上げようとした。だから、戦争の時に何があったのか、自分たちが何をして来たかについて口を噤んだ。憲法制定過程についても、黙して語らなかった。語るためには、日本には、主権者である「日本国民」のさらに上に日本国民に主権者の地位を「下賜」した超憲法的主体としてのアメリカがいる。それは自分たちが戦争をして、負けたせいだという真実を語らなければならない。それもまた戦後世代の子どもたちに言って聞かせるにはあまりにつらい事実だった。

 戦争経験について、とりわけ加害経験について語らないこと、憲法制定過程について、日本は国家主権を失い、憲法制定の主体たり得なかったということを語らないこと。この二種類の「戦中派の沈黙」が戦後日本に修正することの難しい「ねじれ」を呼びこんでしまった。僕はそう思います。でも、僕はそのことについて戦中派を責めるつもりはないのです。彼らは善意だったと思うから。僕たち戦後世代が戦争と無縁な、戦時における人間の醜さや邪悪さとも、敗戦の屈辱とも無縁な者として育つことを望んでいたからそうしたと思うからです。

 だから、彼らの沈黙には独特の重みがあった。実存的な凄みがあった。「その話はいいだろう」といって低い声で遮られたら、もうその先を聞けないような迫力があった。だから、彼らが生きているあいだは歴史修正主義というようなものの出る幕はなかったのです。仮に「南京虐殺はなかった」というようなことを言い出す人間がいても、「俺はそこにいた」という人が現にいた。そういう人たちがいれば、具体的に何があったかについて詳らかに証言しないまでも、「何もなかった」というような妄言を黙らせることはできた。

 歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じです。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は「修正」のしようがないのです。それは、ドイツでもフランスでもそうです。今日は日仏会館での講演ですから、フランスのことに詳しい方もおられるでしょう。
 
 フランス人も自国の戦中の経験に関しては記憶がきわめて選択的です。レジスタンスのことはいくらでも語りますけれど、ヴィシー政府のこと、対独協力のことは口にしたがらない。フランスでヴィシーについての本格的な研究が出て来たのは、1980年代以降です。それまではタブーだった。それはその時期を生きてきた人たちがまだ存命していたからです。自分自身がヴィシーに加担していた人もいたし、背に腹は代えられず対独協力をして、必死で占領下を生き延びた人もいた。彼らがそれぞれの個人的な葛藤や悔いを抱えながら、戦後フランスを生きていることを周りの人は知っていました。そして、それを居丈高に責めることに抵抗があった。

 ベルナール=アンリ・レヴィが『フランス・イデオロギー』という本を書いています。僕が訳したんですけれども 、ドイツの占領下でフランス人がどのようにナチに加担したのかを赤裸々に暴露した本です。レヴィは戦後生まれで、ユダヤ人ですから、戦時中のフランスの行為については何の責任もない。完全に「手が白い」立場からヴィシー派と対独協力者たちを批判した。でも、これが出版当時大論争を引き起こしました。

 少なからぬ戦中派の人々がレヴィの不寛容に対して嫌悪感を示しました。レイモン・アロンもレヴィを批判して、「ようやく傷がふさがったところなのに、傷口を開いて塩を擦り込むような不人情なことをするな」というようなことを書いていました。せっかく忘れかけているトラウマ的過去なのに、それをまた思い出させるようなことをすべきではない、と。

 アロンの言っていることは筋の通らない話なんです。でも、「大人の言葉」だとは思いました。「もう、その話はいいじゃないか」というアロンの言い分は政治的にはまったく正しくありません。でも、その時代を生きてきた人にしか言えない独特の迫力があった。アロン自身はユダヤ人ですし、自由フランス軍で戦ったわけですから、ヴィシーや対独協力者をかばう義理はないんです。だからこそ、彼がかつての敵について「済んだことはいいじゃないか。掘り返さなくても」と言った言葉には重みがあった。

 80年代からしばらくはヴィシー時代のフランスについてのそれまで表に出なかった歴史的資料が続々と出てきて、何冊も本が書かれました。でも、ヴィシーの当事者たちは沈黙を守った。秘密の多くを彼らは墓場に持っていってしまった。人間は弱いものですから、自分の犯した過ちについて黙秘したことは人情としては理解できますけれど、結果的にヴィシーの時代にフランス人が何をしたのかを隠蔽したせいで、そのあとに歴史修正主義者が登場して来て「ガス室はなかった」というようなことを言い出すようになった。そのあたりの事情は実は日本とそれほど変わらないのです。

 アルベール・カミュの逡巡もその適例です。カミュは地下出版の 『戦闘(コンバ)』の主筆としてレジスタンスの戦いを牽引しました。ナチス占領下のフランスの知性的・倫理的な尊厳を保ったという点で、カミュの貢献は卓越したものでした。ですから、戦後対独協力者の処刑が始まった時、カミュは最初は当然のようにそれを支持しました。彼の仲間たちが彼らとの戦いの中で何人も殺されたわけですし、カミュ自身ゲシュタポに逮捕されたら処刑されていた。ですから、彼には対独協力者を許すロジックはありません。でも、筋金入りの対独協力者だったロベール・ブラジャックの助命嘆願署名を求められた時、カミュは悩んだ末にそれに助命嘆願に署名します。ブラジャックの非行はたしかに許し難い。けれども、もうナチスもヴィシーも倒れた。今の彼らは無力だ。彼らはもうカミュを殺すことができない。自分を殺すことができない者に権力の手を借りて報復することに自分は賛同できない。カミュはそう考えました。このロジックはわかり易いものではありません。対独協力者の処刑を望むことが政治的には正しいのですけれども、カミュはそこに「いやな感じ」を覚えた。どうして「いやな感じ」がするのか、それを理論的に語ることはできないけれど、「いやなものはいやだ」というのがカミュの言い分でした。

 身体的な違和感に基づいて人は政治的な判断を下すことは許されるのかというのは、後に『反抗的人間』の主題となるわけですけれど、アルベール・カミュとレイモン・アロンは期せずして、「正義が正義であり過ぎることは人間的ではない」という分かりにくい主張をなしたわけです。

 歴史的事実が開示されないとことで苦しんだという点でカミュは人後に落ちません。というのは、戦後における歴史修正主義の最初のかたちは「レジスタンスについての詐称」だったからです。

 レジスタンスは初期の時点では、ほんとうにわずかなフランス人しか参加していなかった。地下活動という性格上、どこで誰が何をしたのかについて詳細な文書が残っているはずがないのですが、概数で1942年時点でレジスタンスの活動家は二千人と言われています。それが、パリ解放の時には何十万人にも膨れ上がっていた。44年の6月に連合軍がノルマンディーに上陸して、戦争の帰趨が決してから、それまでヴィシー政府の周りにたむろしていたナショナリストたちが雪崩打つようにレジスタンスの隊列に駆け込んできたからです。その「にわか」レジスタンたちが戦後大きな顔をして「私は祖国のためにドイツと戦った」と言い出した。そのことをカミュは苦々しい筆致で回想しています。最もよく戦った者はおのれの功績を誇ることもなく、無言のまま死に、あるいは市民生活に戻って行った。

 『ペスト』にはカミュのその屈託が書き込まれています。医師リウーとその友人のタルーはペストと戦うために「保健隊」というものを組織します。この保健隊は明らかにレジスタンスの比喩です。でも、隊員たちは命がけのこの任務を市民としての当然の義務として、さりげなく、粛々として果たす。別に英雄的なことをしているという気負いがないのです。保健隊のメンバーの一人であるグランはペストの災禍が過ぎ去ると、再び、以前と変わらない平凡な小役人としての日常生活に戻り、ペストの話も保健隊の話ももう口にしなくなります。カミュはこの凡庸な人物のうちにレジスタンス闘士の理想のかたちを見出したようです。

 フランスにおける歴史の修正はすでに1944年から始まりました。それはヴィシーの対独協力政策を支持していた人々が、ドイツの敗色が濃厚になってからレジスタンスに合流して、「愛国者」として戦後を迎えるという「経歴ロンダリング」というかたちで始まったのでした。でも、それを正面切って批判するということをカミュは自制しました。彼自身の地下活動での功績を誇ることを自制するのと同じ節度を以て、他人の功績の詐称を咎めることも自制した。他人を「えせレジスタンス」と批判するためには、自分が「真正のレジスタンス」であることをことさらに言い立てて、彼我の差別化を図らなければならない。それはカミュの倫理観にまったくなじまないふるまいでした。ですから、ナチス占領下のフランスで、ヴィシー政府にかかわったフランス人たちがどれほど卑劣なふるまいをしたのかというようなことをことさらに言挙げすることを戦後は控えた。カミュは「大人」ですから。

 でも、各国で歴史修正主義がそれから後に跳梁跋扈するようになったのは、一つにはこの「大人たち」の罪でもあったと僕は思います。彼らがおのれの功績を誇らず、他人の非行を咎めなかったことがいくぶんかは与っている。「大人」たちは、歴史的な事実をすべて詳らかにするには及ばないというふうに考えたのです。誇るべき過去であっても、恥ずべき過去であっても、そのすべてを開示するには及ばない。誇るべきことは自尊心というかたちで心の中にしまっておけばいいし、恥ずべき過去は一人で深く恥じ入ればいい。ことさらにあげつらって、屈辱を与えるには及ばない。そう考えるようになったのには対独協力者たちへの暴力的で節度を欠いた「粛清」に対する嫌悪感もかかわっていたと思います。「大人」たちは愛国者ですから、勝敗の帰趨が決まった後になって、敗者をいたぶるようなことはしない。それよりは同胞として改めて迎え入れようとした。人間的にはみごとなふるまいだと思いますけれど、実際には「大人」たちのこの雅量が歴史修正主義の温床となった。僕にはそんなふうに思えるのです。

 それと似たことが日本でもあった。それは戦中派の「大人たち」の僕たち戦後世代に対する気づかいというかたちで現れた。憲法は自分たちで制定したものではない。日本国民なるものは空語であるということを彼らは知っていた。でも、自分たちに与えられた憲法は望外に「よきもの」であった。だったら、黙ってそれを受け容れたらよい。それを「日本国民が制定した」という物語に仕立て上げたいというのなら、あえて異論を立てるに及ばない。それは戦後世代の子どもたちに「親たちや先生たちがこの憲法を制定したのだ」というはなはだしい「誤解」を扶植することだったわけですけれども、彼らはそのような誤解をあえて解こうとはしなかった。

 小津安二郎の映画『秋刀魚の味』には。駆逐艦の艦長だった平山(笠智衆)が、かつての乗組員であった部下坂本(加東大介)と語り合う場面があります。坂本が酔余の勢いで、「けど、艦長。これでもし日本が勝っていたらどうなっていたでしょうね?」と言い出します。平山はそれを制して「けど、負けてよかったじゃないか」とつぶやきます。意外な答えに一瞬戸惑った後、坂本も「そうですかね。うん。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」と同意する。

 この「負けてよかったじゃないか」という言葉を僕も父の口から聴いた記憶があります。会社の部下たちが家に来て、酒を飲んでいる席で、なぜか話題が戦中のことになった。その時に父親が話を打ち切るように、「敗けて良かったじゃないか」と言ったことがあります。今となると、そこには「子どもたちの前で戦争の話をするな」というニュアンスがあったようでした。

「敗けて良かったじゃないか(だから、戦争の時に自分たちが何をしたのか、何を見たのかについて話すのはもう止めよう)」という戦争について語ることへの抑圧は1950年代から60年代にかけて多くの日本の戦中派が口にした言葉ではないかと思います。戦争は敗けたけれど、負けたせいで、こういう「良い社会」になったのだ。結果オーライじゃないか。自分たちがどれほど罪深いことをしたのか、どれほど理不尽な目に遭ったのかというようなことについては口を閉じて、黙って墓場まで持ってゆけばいい。

 小津安二郎の『秋刀魚の味』は1962年の映画です、戦争が終わって17年目です。小津の映画には戦争の話が始まると誰かがぴしゃりと話の腰を折るという場面がいくつかあります。『早春』でも、『彼岸花』でも、誰かが戦争の時の話を始めると、「その話はもういいじゃないか」と誰かが制して、話はそこで終わる。おそらく、これと同じ情景が60年頃までは日本のあちこちで実際にあったのではないかと思います。

 そして、この戦中派の節度と、僕たち戦後世代に対する気づかいが、その後の歴史修正主義者や改憲派の登場の素地を作ってしまった。僕たち戦後世代が憲法に対して、それをあたかも「自然物」のように見なして、イノセントな信頼を寄せていたのは、この憲法を日本人が持つに至った歴史的過程については子どもたちにはできるだけ何も言わずにおこうとした先行世代の黙契の力だったということです。憲法に力があったわけではなく、この憲法は素晴らしいものだと信じていた人たちの思いに力があった。彼らの生身が憲法の堅牢性を担保していたのです。ですから、その人たちが死んでいなくなってしまったとたんに、僕たちの手元には、保証人を失った一片の契約書のごときものとして日本国憲法が残された。

 これが改憲派が強くて、護憲派が弱いという現実を生み出した歴史的背景だと思うんです。この事実がなかなか前景化しなかったのは、それが「起きなかったこと」だからです。戦争における無数の加害事実・非人間的事実について明らかにする、憲法制定過程についてその全容を明らかにするということを怠ったという「不作為」が歴史修正主義者や改憲派が今こうして政治的勢いを有している理由なわけです。「何かをしなかったこと」「何かが起きなかったこと」が原因で現実が変わったわけです。歴史家は「起きたこと」「現実化したこと」を組み立てて、その因果関係について仮説を立てて歴史的事象を説明するのが仕事ですけれど、「起きなかったこと」を歴史的事象の「原因」として論じるということはふつうしません。

 それはフランスでもたぶん事情は同じで、もし戦後、対独協力者の徹底的な告発を行って、国民の相当数を「非国民」「裏切者」として処断した場合、その後のフランスの国民的統合はあり得なかったでしょう。対独協力したけれど、それを「恥じて、黙っていた」市民については、それ以上の追求を手控えたことで、フランスは国民的な和解を手にした。でも、それが歴史修正主義者の登場や、国民連合のような極右勢力の伸長に対して無防備な社会を創り出してしまった。もっと非寛容であるべきだったのか、と問われると僕にも答えようがありません。僕がその時代に生きていたら、レイモン・アロンやアルベール・カミュのような「大人の対応」に賛同の一票を投じたと思います。そして、今のフランスの排外主義や人種主義のありさまを見て、深く悔いるということをしたのではないかと思います。でも、それ以外にどうしようがあったのか。

 それは日本の戦中派も事情は同じだと思います。彼らが自分自身を含めて戦争責任を徹底追及し、憲法の空語性をきびしく難じて、「日本国民などというものは存在しない」と宣言した場合、戦後の日本はどうなったのか。たぶん僕たちの世代は国そのものと親たちの世代に対する嫌悪と軽蔑を扶植されることになったでしょう。子どもでも厳しく理不尽な現実を見つめて育った方がよいのだというタフな育児戦略を信じる人もいるかも知れませんけれど、僕は戦中派の「常識」に与します。それ以外にどうしようがあったのか。

 護憲派はこの常識と抑制の産物なわけです。だから、激しい感情や露悪趣味に対して弱い。ですから、護憲運動を1950年代60年代と同じように進めることはできないと思うのです。だって、当時の護憲運動の主体は戦中派だったわけですから。彼らはリアルな生身を持っていた。「空語としての憲法」に自分たちの願望と子どもたちの未来を託すというはっきりした自覚を持って護憲運動をやっていた。でも、僕らは違う。僕らは「自然物としての憲法」をぼんやりと豊かに享受しているうちに、ある日「お前たちが信じているものは人工物だ」と言われて仰天している「年取った子ども」に過ぎません。

 となると、これから僕らが進めるべき護憲運動とはどういうものになるのかというと、これはとにかく「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。現実を認めるしかない。われわれの憲法は脆弱である、と。根本的な脆弱性を孕んでいる、と。それを認めるしかない。そして、その上で、どのような宣言であっても、憲法であっても、法律であっても、そのリアリティーは最終的に生身の人間がその実存を賭けて担保する以外にないのだと腹をくくる。憲法条文がどんなに整合的であっても、どんなに綱領的に正しいものであっても、そのことだけでは憲法というのは自立できません。正しいだけでは自存できない。絶えず憲法に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、死文に過ぎない。

 死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗です。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、そのことを語らないんです、護憲派は。憲法はそれ自体では空語だということを認めたがらない。憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死し、倒れてしまうという切迫した危機感を僕は護憲派にあまり感じることができないのです。危機を感じるためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならない。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていたけれど、口にはしなかった。でも、知っていた。僕たちは、この憲法が空語だということを知らずに来た。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。

 それを認めるというのは、言い方は厳しいけれど「護憲派は間抜けだった」と認めるということです。それはきっとみんな厭なんだと思います。でも、僕は認めます。僕は間抜けだった。だから、歴史修正主義者や改憲派がこれほど力を持つようになるまで、ぼんやり拱手傍観していた。憲法はもっと堅牢なものだとイノセントに信じていたから。でも、改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたいと思っている人がこれだけ多く存在するということ、僕たちの失敗なわけです。それは認めなければいけない。

 だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならない。戦中派がしたように、今度は僕たちが憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての僕の基本的なスタンスです。なんだか護憲運動にとってあまり希望のない話になってしまって済みませんでした。長時間ご清聴ありがとうございました。

http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] <真性の目立ちたがり屋であり、おめでたい首相である!>新元号の選定にかかわり過ぎた安倍首相は愚かである  天木直人  赤かぶ
10. 2019年4月03日 10:42:55 : sIBP8FVPfU : OHduLndJMy93ZGs=[49]
安倍の愚かさは、今始まってのことではない。

マリオの扮装で出て来るかと思ったが、それは東京オリまで

取っておくのだろう。

安倍の談話など馬鹿らしくって聴いていられなかったよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/243.html#c10

コメント [国際25] 米国警備艦が北朝鮮の「瀬取り」監視で異例の韓国入り 韓国への警告の意図も?(ニューズウィーク) 赤かぶ
5. 2019年4月03日 10:44:58 : 1GJFQVU66M : c0lqbmRoR2RQY2c=[43]
制裁違反する国は米国にはむしろ好都合だ。交渉がうまくいかない理由を他国の制裁違反があるからだと責任転嫁できる。トランプ大統領には有利に働く。

実際に、制裁違反をしている側は国ではなく企業である。違反企業の身元が特定されるとどうなるか。どう料理されるか。トランプ大統領の手中にある。
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/900.html#c5

記事 [国際26] ウクライナ大統領茶番選挙(マスコミに載らない海外記事)
ウクライナ大統領茶番選挙
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-b229.html
2019年4月 3日 マスコミに載らない海外記事


2019年4月1日
Stephen Lendman

 ウクライナはナチがはびこるファシスト警察国家で、本物ではない、白日夢の民主主義で、基本的自由は抹殺されている。全体主義支配が、それに置き換わっている。

 2014年2月、民主的な国家統治は、オバマ政権による画策で廃止され、抑圧的な政権に対する抵抗は許されない状態だ。

 日曜、茶番大統領選挙の一回目が行われたが、投票用紙上の候補者は39人だった。

 重要なのは三人だった。アメリカに指名されたファシスト億万長者/オリガルヒの超悪者現職ペトロ・ポロシェンコ、有罪宜告された重罪犯ユリア・ティモシェンコと、コメディアン/エンタテイナーのヴォロディミル・ゼレンスキーだ。

 日曜日、候補者の結果は以下の通りだった。月曜早朝、投票の半分以上が集計され、30%の支持を得ているゼレンスキーが先行し、(一桁の支持率にもかかわらず)16.5%を得ているポロシェンコと、13%のティモシェンコが続いている。

 いわゆる「選挙」より数日前の世論調査では、ゼレンスキーが最高の得票で、ティモシェンコが、ポロシェンコを、5ポイント、リードして第2位で、他の候補者の支持はごくわずかということだった。

 日曜投票二日前の疑わしい世論調査では、ポロシェンコが、ティモシェンコに先行して、二位だった。もし最終集計で、彼がゼレンスキーに次いで二位となれば、彼らはティモシェンコや他の候補者が排除される4月21日の決選投票で対戦することになる。

 大統領として、彼は起訴からの免責特権を享受している。もし決勝で負ければ、彼は賄賂や他の犯罪の責任を問われることになるだろう。

 伝えられるところによれば、昨日の投票の前日土曜日、彼はウクライナ治安機関と警察に、「選挙を守る」口実で、道路をパトロールし、投票所を掌握するようを命じた。

 それは、一回目投票での落選を回避する狙いだった可能性が高い。一桁支持なので、それはありそうに見えた。現状では、彼は少なくとも4月21日までは生き残った。

 2013年末/ 2014年早々のオバマ政権が計画したマイダン・クーデターの際、彼はアメリカに支援される反乱派への資金援助に関与するキエフでのワシントン代理人だった。

 「チョコレート王」とあだ名されている彼のロシェン製菓会社は、これら商品で世界第18番位のメーカーだ。

 彼の他の事業権益には自動車、運送業、メディアがある。ウクライナの他の地域のオリガルヒ同様、重窃盗や他のよこしまな手段という昔ながらの手で、彼は富を蓄積した。

 億万長者/メガ泥棒ティモシェンコは、横領と深刻な「公職乱用」のかどで以前投獄されていた。

 罪には、環境プロジェクトのための4億2500万ドルを違法に年金基金に転用したこともある。二件目に、個人使用のための約1億3000万ドル盗用がある。

 彼女はウクライナ統一エネルギーシステム社(UES)を率いた。彼女のいかがわしい商習慣で、「ガスの王女」というあだ名を得た。

 アメリカが画策した2004年オレンジ革命の首相として、司法管轄外で活動して、もし得られれば、更なる職権乱用と汚職ができる地位、大統領への野心を強めながら、経済改革を無視した。

 ゼレンスキーはウクライナのオリガルヒ、イホル・コロモイスキーと親密な絆がある。東ウクライナの知事に任命され、彼は2014年5月2日のオデッサ大虐殺を監督し、多数のクーデター反対派を抹殺した。

 コロモイスキーとポロシェンコは宿敵だ。現職大統領はコロモイスキーのPrivatbankを国営化した政権に「復讐するため」ゼレンスキーを支援したと彼を非難した。

 テレビ番組でウクライナ大統領を演じたゼレンスキーが、今や4月21日の決選投票後に、その地位につくことになる先頭走者だ。

 誰が今月末、ウクライナ大統領に任命されようとも、2014年早々そうだったと同様、旧態依然の汚い仕事が打ち勝つだろう。

 アメリカでも、他のほとんどの西側諸国でも、イスラエルでも、どこでも、ことはそのようにして動いている。強力な既得権益団体が物事を進め、選挙は茶番となる。普通の人々に発言権はない − ウクライナでは確実にそうだ。

 ドンバスで断続的な戦争が続いている。誰がウクライナ大統領に選ばれようと、ワシントンの闇の勢力が、ことを支配するはずで、キエフとのミンスク和平会談での飛躍的進展はありそうにない。

 月曜日、ドネツク人民共和国作戦司令部のエドゥアルド・バスーリン司令官は「ゼレンスキーとの対話はないだろう」と言い、更にこう述べた。

 「彼は、クヴァルタル95とともに紛争地域を訪問し、コンサートを催し、ウクライナ犯罪軍人に、一般人の殺害を奨励したことを想起願いたい。それが彼との対話あり得ない理由だ。ミンスク交渉プロセスも、同様に飛躍的進展はないだろう。」

 バスーリン司令官は、ポロシェンコが、政権に留まれるようにする方法として、4月21日の決選投票に先んじてドンバスで交戦を命令し、戒厳令を宣言する確率が高いと信じている。

 ティモシェンコは、彼女のチームによる開票結果では、彼女が16%の支持で、二位となっていたと主張した − ポロシェンコよりリードしていて。

 彼女は日曜日の選挙プロセスを違法に変更したと言って保安部隊を非難した。ザ・ジッチャ(生活)党候補のユーリー・ボイコも同様な非難をした。

 ウクライナ中央選挙管理委員会は、日曜、深刻な規則違反はなかったと述べた。内務省は2,100件以上の違反報告があり、日曜夜、そのうち39件の捜査を開始すると述べた。

 ウクライナでは、何事も単純ではなく、支配は専制的で、選挙過程には深刻な欠陥がある。モスクワは、ロシア内の最大1000万人の国外居住ウクライナ人が日曜日の投票権を拒否されたと言って、正当性を疑問視した。

 彼らは、ドンバスでの戦争や、徴兵適齢男子の強制徴兵や、経済的苦難や、手に負えない汚職や、独裁的統治ゆえに、国境を越えて逃れたのだ。明らかに、ポロシェンコに敵対的で、それが彼らの投票権を奪った理由なのだ。

 ウクライナの状況の不穏さを考えると、誰が大統領を勤めようとも、ウクライナの一般国民はひどい待遇を受け、搾取され、虐待されることになるだろう。

 私の新ウェブサイトを訪問願いたい。stephenlendman.orgホーム − Stephen Lendman)。lendmanstephen@sbcglobal.netで連絡できる。


 編集者と寄稿者としての最新本の書名は“Flashpoint in Ukraine: How the US Drive for Hegemony Risks WW III”という題だ。

www.claritypress.com/LendmanIII.html

記事原文のurl:https://stephenlendman.org/2019/04/farcical-ukraine-presidential-election/

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http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/104.html

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
12. 2019年4月03日 10:49:25 : 9bESHEjuhs : QVFFUC5pOVljWk0=[164]

「厳しい寒さの後に来る春の訪れ」の安倍の言葉に、

「うーん、そだねー」の国民6割。

バカってこんなもん。

平成も似たようなもん。中国から取ろうが、万葉から盗もうが。平和を

愛してもいないのに、和をつけたがる国民性。


そのくせ、安倍政権が率先して、中国の悪口を言う。

韓国の悪口を言う。北朝鮮の悪口を言う。ロシアの悪口を言う。

国民も大合唱。

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
13. てんさい(い)[1006] gsSC8YKzgqKBaYKigWo 2019年4月03日 10:49:30 : 0kUGInjLpY : ZUJoU1c2MzFGUzY=[14]
広辞苑 れい【令】
@命ずること。いいつけ。
Aおきて。のり。
B長官。→令長。
C他人の家族などを尊敬していう語。「―夫人」
→りょう(令)
https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91/prefix/%E4%BB%A4

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c13
コメント [近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
2. 中川隆[-10995] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:51:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1031]

比較敗戦論のために - 内田樹の研究室 2019-03-20
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html


2019年度の寺子屋ゼミは「比較敗戦論」を通年テーマにすることにした。

どうしてこのようなテーマを選ぶことになったのか。それについて姜尚中さんとのトークセッションで語ったことがある。
そのときの講演録を再録しておく。講演があったのは2016年


敗戦国は日独だけではない

 今回の「比較敗戦論」というタイトルは、問題提起という意味でつけました。特に僕の方で用意した結論があるわけではありません。ただ、歴史を見るときに、こういう切り取り方もあるのだというアイディアをお示ししたいと思います。

「比較敗戦論」という言葉は『永続敗戦論』(太田出版 二〇一三年)の白井聡さんと対談をしまたときにふと思いついたのです(この対談はその後、『日本戦後史論』(徳間書店、二〇一五年)という本にまとまりました)。

『永続敗戦論』での白井さんの重要な主張は「日本人は敗戦を否認しており、それが戦後日本のシステムの不調の原因である」というものでした。「敗戦の否認」というキーワードを使って、戦後七〇年の日本政治をきわめて明晰に分析した労作です。

ただ、僕が思ったのは、白井さんと話をしていて、日本人が戦後七〇年間にわたって敗戦経験を否認してきたということは全くご指摘の通りなんだけれども、日本以外の敗戦国ではどうなのか、ということが気になりました。日本以外の他の敗戦国はそれぞれ適切なやり方で敗戦の「総括」を行ったのか。その中で日本だけが例外的に敗戦を否認したのだとすれば、それはなぜなのか。そういった一連の問いがありうるのではないかと思いました。

白井さんの言う通り「敗戦の否認」ゆえに戦後日本はさまざまな制度上のゆがみを抱え込み、日本人のものの考え方にも無意識的なバイアスがかかっていて、ある種の思考不能状態に陥っていること、これは紛れもない事実です。でも、それは日本人だけに起きていることなのか。他の敗戦国はどうなっているのか。多の敗戦国では、敗戦を適切に受け容れて、それによって制度上のゆがみや無意識的な思考停止を病むというようなことは起きていないのか。よく「ドイツは敗戦経験に適切に向き合ったけれど、日本はそれに失敗した」という言い方がされます。けれども、それはほんとうに歴史的事実を踏まえての発言なのか。

まず僕たちが誤解しやすいことですけれど、第二次世界大戦の敗戦国は日独伊だけではありません。フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敵国として認定した国です。それ以外にも、連合国がそもそも国として認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア自由国、満州国、中華民国南京政府があります。これだけの「国」が敗戦を経験した。でも、僕たちはこれらの敗戦国で、人々が敗戦経験をどう受け容れたのか、どうやって敗戦後の七〇年間を過ごしてきたのかについて、ほとんど何も知りません。例えば、「フィンランド国民は敗戦をどう総括したか」というような研究は、フィンランド国内にはしている人がいるのでしょうけれど、僕はそれについての日本語文献のあることを知らない。でも、「敗戦の否認」という心理的な痼疾を手がかりにして現代日本社会を分析するためには、やはり他の敗戦国民は自国の敗戦をどう受け止めたのか、否認したのか、受容したのかが知りたい。敗戦の総括をうまく実行できた国はあるのか。あるとしたら、なぜ成功したのか。敗戦を否認した国は日本の他にもあるのか。あるとしたら、その国における敗戦の否認は、今その国でどのような現実を帰結したのか、それを知りたい。「敗戦の否認」が一種の病であるとするなら、治療のためには、まず症例研究をする必要がある。僕はそんなふうに考えました。


フランスは果たして戦勝国なのか

 このアイデアには実はいささか前段があります。枢軸国の敗戦国というと、ふつうは日独伊と言われます。けれども、フランスだって実は敗戦国ではないのか。僕は以前からその疑いを払拭することができずにいました。

ご承知の方もいると思いますが、僕の専門はフランス現代思想です。特にエマニュエル・レヴィナスというユダヤ人哲学者を研究してきました。その関連で、近代フランスにおけるユダヤ人社会と彼らが苦しんだ反ユダヤ主義のことをかなり長期にわたって集中的に研究してきました。そして、そのつながりで、19世紀から20世紀はじめにかけてのフランスの極右思想の文献もずいぶん読み漁りました。

 僕がフランスにおける反ユダヤ主義の研究を始めたのは1980年代のはじめ頃ですが、その頃フランスの対独協力政権、ペタン元帥の率いたヴィシー政府についての研究が続々と刊行され始めました。ですから、その頃出たヴィシーについての研究書も手に入る限り買い入れて読みました。そして、その中でも出色のものであったベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』(国文社、一九八九年)という本を翻訳することになりました。これはフランスが実はファシズムと反ユダヤ主義というふたつの思想の「母国」であったという非常に挑発的な内容で、発売当時はフランスでは大変な物議を醸したものでした。

 歴史的事実をおさらいすると、一九三九年九月にドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスはマジノ線を破られて半年後の六月にフランスは独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直接統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンが掲げた対独協力政府ができます。

フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人やレジスタンスを行いました。フランス国内で捕らえられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツへ送られました。

 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くに人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指されて殺された。真実はわからない。

アルベール・カミュは最初期からのほんもののレジスタンス闘士でしたけれど、戦後その時代を回想して、「ほんとうに戦ったレジスタンスの活動家はみな死んだ」と書いて、今生き残って「レジスタンス顔」をしている人間に対する不信を隠そうとしませんでした。このあたりの消息は外国人にはなかなかわかりません。

シャルル・ド・ゴールもその回想録の中で、ヴィシー政府壊滅後のフランス各地の混乱に言及して、「無数の場所で民衆の怒りは暴力的な反動として溢れ出した。もちろん、政治的な目論見や、職業上の競争や、個人的な復讐がこの機会を見逃すはずもなかった」と証言しています。(Charles De Gaulle, Mémoire de guerre, Plon, 1959, p.18)

 国防次官だったシャルル・ド・ゴールはペタン元帥が休戦協定を結んだときにロンドンに亡命して亡命政府を名乗りますけれど、もちろん彼の「自由フランス」には国としての実体などありません。国際法上はあくまでヴィシー政府がフランスの正統な政府であって、自由フランスは任意団体に過ぎません。そもそもド・ゴール自身、フランスの法廷で欠席裁判のまま死刑宣告されているのです。

ド・ゴール以外にも、フランソワ・ダルラン将軍、アンリ・ジロー将軍といった軍の実力者がいて、フランスの正統な代表者の地位を争っていました。最終的にド・ゴールが競争相手を排除して、自由フランス軍のトップに立ちますけれど、それでも一交戦団体に過ぎません。44年にド・ゴールが「フランス共和国臨時政府」を名乗ったときも、アメリカもイギリスもこれを承認するのを渋りました。ド・ゴールが一交戦団体に過ぎなかった自由フランスを「戦勝国」にカテゴリー変更させたのは、彼の発揮した軍事的・外交的実力によってです。44年、ノルマンディー上陸後西部戦線でのドイツ軍との戦闘が膠着状態にあったとき、ド・ゴールはこの機会にフランスを連合国に「高く売る」ことに腐心しています。回想録にはそのことが率直に書いてあります。

「戦争がまだ長引くということは、われわれフランス人が耐え忍ばなければならない損失、被害、出費を考えれば、たしかに痛ましいことである。しかし、フランスの最優先の利害を勘案するならば、フランス人の当面の利益を犠牲にしても、戦争の継続は悪い話ではなかった。なぜなら、戦争がさらに長びくならば、アフリカやイタリアでそうだったように、われわれの協力がライン河・ドナウ河での戦闘にも不可欠のものとなるからである。われわれの世界内における地位、さらにはフランス人がこれから何世代にもわたって自分自身に対して抱く評価がそこにかかっている。」(Ibid., p.44、強調は内田)

 ド・ゴールは、パリ解放からドイツ降伏までのわずかの時間内に、フランス軍の軍事的有用を米英に誇示できるかどうかに戦後フランスの、国際社会における立場がかかっているということを理解していました。ほんとうにこのときのフランスは綱渡りだったのです。ノルマンディー上陸作戦の時点ではド・ゴールの自由フランスの支持基盤は国内のレジスタンスだけでした。それが戦局の推移に伴ってそれ以外のフランス人たちも自由フランスを自分たちの代表として承認する気分になり、最後に米英はじめ世界の政府がド・ゴールの権威を承認せざるを得なくなった。ですから、ド・ゴールが「国を救った」というのはほんとうなのです。対独協力国、事実上の枢軸国がいつのまにか連合国の一員になり、さらに国際社会の重鎮になりおおせていたわけですから、これはド・ゴールの力業という他ありません。

でも、このド・ゴールが力業でフランスの体面を救ったことによって、フランス人は戦争経験の適切な総括を行う機会を奪われてしまった。ほんとうを言えば、ドイツの犯したさまざまな戦争犯罪に加担してきたフランス人たちはもっと「疚しさ」を感じてよかったのです。でも、フランス人は戦勝国民として終戦を迎えてしまった。フランス人は「敗戦を総括する義務」を免除された代わりにもっと始末におえないトラウマを抱え込むことになりました。


イタリアは戦勝国ではないのか

 僕たち日本人はイタリアがどんなふうに終戦を迎えたかについてはほとんど知るところがありません。世界史の授業でもイタリアの敗戦については詳しく教えてもらった記憶がない。教科書で教えてもらえないことは、映画や小説を通じて学ぶわけですけれども、イタリアの終戦時の混乱については、それを主題にした映画や文学も日本ではあまり知られておりません。『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督、一九四五年)にはイタリアのレジスタンスの様子がリアルに描かれていますが、僕が知っているのはそれくらいです。ですから、ナチスと命がけで戦ったイタリア人がいたことや、イタリア人同士で激しい内戦が行われていたという歴史的事実も日本人はあまり知らない。

一九四三年七月に、反ファシスト勢力が結集して、国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ三世が主導して、ムッソリーニを20年にわたる独裁者の地位から引きずり下ろしました。そして、首相に指名されたピエトロ・バドリオ将軍は水面下で連合国と休戦交渉を進めます。その後、監禁されていたムッソリーニをドイツの武装親衛隊が救い出して、北イタリアに傀儡政権「イタリア社会共和国」を建て、内戦状態になります。最終的にドイツ軍はイタリア領土内から追い出され、ムッソリーニはパルチザンに捕らえられて、裁判抜きで処刑され、その死体はミラノの広場に逆さ吊りにされました。イタリア王国軍とパルチザンがムッソリーニのファシスト政権に引導を渡し、ドイツ軍を敗走させた。ですから、イタリアは法理的には戦勝国なんです。でも、たぶん「イタリアは戦勝国だ」と思っている日本人はほとんどいない。自分たちと同じ敗戦国だと思っている。

たしかに、戦後イタリアを描いた『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1948年)のような映画を観ると、街は爆撃でひどいことになっているし、人々は食べるものも仕事もなくて、痩せこけている。「ああ、イタリアも日本と同じだ」と思っても不思議はない。でも、違います。イタリアは戦勝国なんです。だいたい、イタリアは一九四五年七月には日本に宣戦布告しているんです。

 フランスとイタリアを比べれば、フランスよりイタリアの方がずっと戦勝国条件が整っている。フランスは先ほど述べたように紙一重で戦勝国陣営に潜り込み、国連の常任理事国になり、核保有国になり、今も世界の大国としてふるまっています。それは一にシャルル・ド・ゴールという卓越した政治的能力を持つ人物が国家存亡のときに登場したからです。ド・ゴールがいて、ルーズベルトやチャーチルと一歩も引かずに交渉したから、フランスは戦勝国「のようなもの」として戦後世界に滑り込むことができた。でも、イタリアにはそんなカリスマ的な人物がいませんでした。戦争指導者であったヴィットリオ・エマヌエーレ三世とバドリオ将軍は、ドイツ軍がローマに侵攻してきたとき、市民を「無防備都市」に残したまま自分たちだけ逃亡してしまった。そのせいでイタリア軍の指揮系統は壊滅しました。戦後の国民投票で国民たちの判断で王政が廃止されたのは、このときの戦争指導部の国民に対する裏切りを国民が許さなかったからです。

フランスとイタリアのどちらも「勝ったんだか負けたんだかよくわからない仕方で戦争が終わった」わけですけれど、フランスにはド・ゴールがいて、イタリアにはいなかった。それが戦後の両国の立ち位置を決めてしまった。

でも、僕はこれを必ずしもフランスにとって幸運なことだったとも、イタリアにとって不幸なことだったとも思わないのです。イタリアは「敗戦国みたいにぼろぼろになった戦勝国」として終戦を迎えました。戦争の現実をありのままに、剥き出しに経験した。戦勝を誇ることもできなかったし、敗戦を否認する必要もなかった。だから、彼らの戦争経験の総括には変なバイアスがかかっていない。

先日、イタリアの合気道家が僕の道場に出稽古に来たことがありました。稽古のあとの歓談のとき、「そういえば君たち、昔、日本に宣戦布告したことがあるでしょう」と訊いてみました。たぶん、そんなこと知らないと思ったんです。意外なことに、彼はすぐに苦笑して、「どうもすみませんでした」と謝るんです。「イタリアって、どさくさまぎれにああいうことをやるんです。フランスが降伏したときにも仏伊国境の土地を併合したし。そういう国なんです。申し訳ない」と。僕は彼のこの対応にびっくりしました。自国の近代史のどちらかというと「汚点」を若いイタリア人が常識として知っているということにまず驚き、それについて下手な言い訳をしないで、さらっと「ごめんね」と謝るところにさらに驚きました。事実は事実としてまっすぐみつめる。非は非として受け容れ、歴史修正主義的な無駄な自己弁護をしない。そのとき僕は「敗戦の否認をしなかった国民」というものがあるとしたら、「こういうふう」になるのかなと思いました。

イタリアは「ほとんど敗戦」という他ないほどの被害を蒙った。内戦と爆撃で都市は傷ついた。行政も軍もがたがたになった。戦死者は30万人に及んだ。でも、その経験を美化もしなかったし、否認もしなかった。「まったくひどい目に遭った。でも、自業自得だ」と受け止めた。だから、戦争経験について否認も抑圧もない。

フランスの場合は、ヴィシーについてはひさしく歴史的研究そのものが抑圧されていました。先ほど名前が出ましたベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』はヴィシーに流れ込む十九世紀二○世紀の極右思想史研究ですが、この本が出るまで戦後四四年の歳月が必要でした。刊行されたときも、保守系メディアはこれに集中攻撃を加えました。「なぜせっかくふさがった『かさぶた』を剥がして、塩を塗り込むようなことをするのか」というのです。それからさらに30年近くが経ちますが、ヴィシー政府の時代にフランスが何をしたのかについての歴史的な研究は進んでいません。

ナチスが占領していた時代のフランス人は何を考え、何を求めて、どうふるまったのか。いろいろな人がおり、いろいろな生き方があったと思います。それについての平明な事実を知ることが現代のフランス人には必要だと僕は思います。ド・ゴールが言うように「自分自身に対して抱く評価」を基礎づけるために。でも、それが十分に出来ているように僕には思えません。フランスの場合は「敗戦の否認」ではなく、対独協力国だったという歴史的事実そのものが否認されている。その意味では、あるいは日本より病が深いかもしれない。


 現在の政治状況と敗戦の総括との関係

 本来なら、ヴィシー政府の政治家や官僚やイデオローグたちの事績を吟味して、「一体、ヴィシーとは何だったのか、なぜフランス人は民主的な手続きを経てこのような独裁制を選択したのか」という問いを徹底的に究明すべきだったと思います。でも、フランス人はこの仕事をネグレクトしました。ヴィシー政府の要人たちに対する裁判もごく短期間のうちに終えてしまった。東京裁判やニュルンベルク裁判のように、戦争犯罪の全貌を明らかにするということを抑制した。ペタン元帥や首相だったピエール・ラヴァルの裁判はわずか一ヶ月で結審して、死刑が宣告されました。裁判は陪審員席からも被告に罵声が飛ぶというヒステリックなもので、真相の解明というにはほど遠かった。この二人に全責任を押しつけることで、それ以外の政治家や官僚たちは事実上免責されました。そして、この「エリートたち」はほぼそのまま第四共和政の官僚層に移行する。

 レヴィによれば、フランスにおいて、ヴィシーについての歴史学的な検証が進まなかった最大の理由は、ヴィシー政府の官僚層が戦後の第四共和政の官僚層を形成しており、彼らの非を細かく咎めてゆくと、第四共和政の行政組織そのものが空洞化するリスクがあったからだということでした。事情を勘案すれば、フランス政府が、国家的選択として対独協力していたわけですから、それをサボタージュした官僚はうっかりするとゲシュタポに捕まって、収容所に送られるリスクがあったわけです。組織ぐるみの対独協力をせざるを得なかった。だから、一罰百戒的に、トップだけに象徴的に死刑宣告を下して、あとは免罪して、戦後の政府機構に取り込むことにした。それは当座の統治システムの維持のためには、しかたなかったのかも知れません。

ですから、ヴィシーについての歴史学的な実証研究が始まるのは、この官僚たちが現役を引退した後になります。一九八〇年代に入って、戦後四〇年が経って、ヴィシー政府の高級官僚たちが退職したり、死んだりして、社会的な影響がなくなった時点ではじめて、最初は海外の研究者たちが海外に流出していたヴィシー政府の行政文書を持ち出して、ヴィシー研究に手を着け始めた。フランス人自身によるヴィシー研究は『フランス・イデオロギー』が最初のものです。戦争が終わって四五年後です。「ヴィシーの否認」は政治的に、意識的に、主体的に遂行された。でも、そのトラウマは別の病態をとって繰り返し回帰してきます。僕はフランスにおける「イスラモフォビア」(イスラーム嫌悪症)はそのような病態の一つではないかと考えています。

 フランスは全人口の一〇%がムスリムです。先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは一九五〇年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面した時、暴力的な弾圧を以って応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由・平等・友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。

もしフランスで終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、五〇年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。

 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力は全て「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民には、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。

 他の敗戦国はどうでしょう。ハンガリーは最近、急激に右傾化して、排外主義的な傾向が出てきています。タイも久しく穏やかな君主制でいましたけれども、近年はタクシン派と反タクシン派が戦い続けて、国内はしばしば内戦に近い状態を呈しています。スロバキアとかクロアチアとかにもやはり政治的にある種の不安定さを常に感じます。

戦争後は、どの国も「この話はなかったことに」という国民的合意に基づいて「臭いものに蓋」をした。当座はそれでよかったかも知れません。でも、蓋の下では、抑圧された国民的な「恥辱」や「怨嗟」がいつまでも血を流し、腐臭を発している。だから、ハンガリーの現在の政治状況や、タイの現在の政治状況が、それぞれの国の敗戦経験の総括と全く無関係かどうかということは、かなり精密な検証をしてみないとわからない。そこには何らかの「関連がある」という仮説を立てて検証をしてみてよいのではないか。してみるだけの甲斐はあると僕は思います。


 ドイツ統合は敗戦の否認か

 戦争の記憶を改竄することによって、敗戦国民は当座の心の安らぎは手に入れることができるかも知れません。でも、そこで手に入れた「不当利得」はどこかで返済しなければならない。いずれ必ず後でしっぺ返しが来る。世界の敗戦国を一瞥すると、どこも七〇年かけて、ゆっくりと、でも確実に「記憶の改竄」のツケを支払わされている。『永続敗戦論』が明らかにしたように、日本も敗戦の否認のツケを払わされている。そして、この返済はエンドレスなんです。「負債がある」という事実を認めない限り、その負債を割賦でいいから返して行かない限り、この「負債」は全く別の様態をとって、日本人を責め続ける。

 「ドイツは敗戦経験の総括に成功した」と多くの人が言います。でも、本当にそうなんでしょうか。僕は簡単には諾うことができません。東ドイツのことを勘定に入れ忘れているような気がするからです。

東ドイツは「戦勝国」なんです。東ドイツはナチスと戦い続けたコミュニストが戦争に勝利して建国した国だという話になっている。だから、東ドイツ国民はナチスの戦争犯罪に何の責任も感じていない。感じることを国策的に禁止されていた。責任なんか感じてるはずがない。自分たちこそナチスの被害者であり、敵対者だということになっているんですから。悪虐非道なるナチスと戦って、それを破り、ドイツ国民をナチスの軛から解放した人々が、何が悲しくて、ナチスの戦争犯罪について他国民に謝罪しなければならないのか。

 一九九〇年に合併した当時、西ドイツと東ドイツとは人口比でいうと四対一でした。ということは、その時点では、全ドイツ人口の二〇%、一六○○万人は「自分たちはナチスドイツの戦争犯罪に何の責任もない」と子供のころからずっと教えられてきた人たちだったということです。それが合併後のドイツの国民的自意識にどういう影響を与えたのか。僕は寡聞にして知りません。

 日本国内に「日本軍国主義者の戦争犯罪について、われわれには何の責任もない。われわれは彼らと戦って、日本を解放したのである」と教えられて来た人が二四○○万人いる状況を想定してください。そう信じている「同胞」を受け容れ、戦争経験について国民的規模での総括を行い、合意を形成するという作業がどれほど困難であるか、想像がつくと思います。さて、果たして、ドイツでは東西ドイツが合併した時に、戦争経験の総括について、国民的合意を形成し得たのか。僕は「ドイツはこんな風に合意形成を成し遂げました」と納得のゆく説明をしたものをこれまで読んだことがありません。いや、それは僕がただ知らないでだけで、そういう「全く相容れない戦争経験総括を一つにまとめあげたドイツの素晴らしい政治的達成」については既に色々な報告や研究が出ているのかも知れません。でも、そうだとしたら、それこそ「国民的和解」の最良のモデルケースであるわけですから、国内的な対立を抱える様々な国について、何かあるごとに、「ここでも『和解のためのドイツ・モデル』を適用すべきではないか」ということが言及されてよいはずです。でも、僕はそのような「和解モデル」について聞いたことがない。

 ドイツの戦争総括の適切さを語るときに、よくヴァイツゼッカー元大統領の演説が引かれます。この人はヨーロッパの諸国を訪れては、そのつどきちんとナチス・ドイツ時代の戦争犯罪について謝罪しています。その倫理性的な潔さは疑うべくもありません。けれども、やはり日本とは話の運びが微妙に違う。ヴァイツゼッカーは五月四日、ドイツが連合国に無条件降伏した日を「ドイツ国民解放の日」と言っているからです。われわれはナチスの暴虐からその日に解放されたのである、それをことほぐという立場を取る。悪いのはあくまでナチスとその軍事組織や官僚組織や秘密警察組織であって、ドイツ国民はその犠牲者であったという立場は譲らない。ドイツ国民の罪はナチスのような政党を支持し、全権を委ねてしまったことにある。そのような過ちを犯したことは認めるけれども、基本的にはドイツ国民もまたナチスの被害者であり、敗戦によってナチスの軛から解放されたという物語になっている。

 日本人にも敗戦が一種の解放感をもたらしたということは事実だったでしょう。けれども、八月一五日を「解放の日」だと言う人はほとんどいません。表だってそう発言するのは、かなり勇気が要る。けれども、実感としては、それに近いことを思っていた日本人は少なくなかったと思います。

 小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』(松竹、一九六二年)の中で、笠智衆の演じる今はサラリーマンをしている駆逐艦の元艦長平山と、加東大介の演じるかつての駆逐艦の乗組員坂本が、町なかでばったり出会うという場面があります。坂本が平山を誘って、トリスバーのカウンターに座ってウィスキーを飲む。この時に坂本が「ねえ、艦長、もしあの戦争に勝っていたらどうなったんでしょうね」と問う。平山は静かに笑いながら、「負けてよかったじゃないか」と答える。そうすると、坂本は「え?」と一瞬怪訝な顔をするのですが、ふと得心したらしく、「そうかもしれねえな。ばかなやつが威張らなくなっただけでもね」と呟く。これは敗戦がもたらした解放感についての、あの世代の偽らざる実感だったんじゃないかなと思います。

 僕は一九五〇年生まれで、父はもちろん戦中派なのですが、僕が小さい頃に、父が会社の同僚を家に連れてきて飲んでいるときに誰かが「負けてよかったじゃないか」と呟くのを僕は二三度聞いたことがあります。特に力んで主張するというのではなく、何かの弾みにぽろりと口にされる。そして、その言葉が口にされると、男たちは皆黙り込む。それで怒り出す人もいないし、泣き出す人もいない。それは思想とは言えないものでした。敗戦の総括としてはあまりに言葉が足りない。けれども、おそらくこれが戦中派の実感だったと思います。それが世代的な実感として、言挙げしないでも共有されている限り、そのような敗戦の総括もそれなりのリアリティーを持ち得た。けれども、そういう片言隻句だけでは、彼らの思いが輪郭のしっかりした思想として次の世代に継承されることはありません。


 恥ずべき過去も含んだタフな物語

 白井さんの本を読んでいると、日本は異常な仕方で敗戦を否認してきたことがわかる。これは全くその通りなんですけれども、それだけでなく、多くの敗戦国はそれぞれ固有の仕方で自国の敗戦を否認している。僕にはそう思われます。

それぞれの国は自国について、長い時間をかけてそれまで積み上げてきた「国民の物語」を持っています。これは戦争に勝っても負けても手離すことができない。だから、自分たちの戦争経験を、世代を超えて語り継がれる「物語」になんとかして統合しようとした。

 日本人は歴史について都合の悪いことは書かないと指摘されます。それは全くその通りなんです。でも、それは程度の差はあれ、どこの国も同じなんです。戦争をどう総括するかということは、まっすぐに自分たち自身に対する、世代を超えて受け継がれる「評価」に繋がる。だから、大幅に自己評価を切り下げるような「評価」はやはり忌避される。もし敗北や、戦争犯罪についての経験を「国民の物語」に繰り込むことができた国があるとすれば、それは非常に「タフな物語」を作り上げたということです。

 自分たちの国には恥ずべき過去もある。口にできない蛮行も行った。でも、そういったことを含めて、今のこの国があるという、自国についての奥行きのある、厚みのある物語を共有できれば、揺るがない、土台のしっかりとした国ができる。逆に、口当たりの良い、都合のよい話だけを積み重ねて、薄っぺらな物語をつくってしまうと、多くの歴史的事実がその物語に回収できずに、脱落してしまう。でも、物語に回収されなかったからといって、忘却されてしまうわけではありません。抑圧されたものは必ず症状として回帰してくる。これはフロイトの卓見です。押し入れの奥にしまい込んだ死体は、どれほど厳重に梱包しても、そこにしまったことを忘れても、やがて耐えがたい腐臭を発するようになる。

 僕は歴史修正主義という姿勢に対しては非常に批判的なのですけれども、それは、学問的良心云々というより、僕が愛国者だからです。日本がこれからもしっかり存続してほしい。盤石の土台の上に、国の制度を基礎づけたい。僕はそう思っている。そのためには国民にとって都合の悪い話も、体面の悪い話も、どんどん織り込んで、清濁併せ呑める「タフな物語」を立ち上げることが必要だと思う。だから、「南京虐殺はなかった」とか「慰安婦制度に国は関与していない」とかぐずぐず言い訳がましいことを言っているようではだめなんです。過去において、国としてコミットした戦争犯罪がある。戦略上の判断ミスがある。人間として許しがたい非道な行為がある。略奪し、放火し、殺し、強姦した。その事実は事実として認めた上で、なぜそんなことが起きたのか、なぜ市民生活においては穏やかな人物だった人たちが「そんなこと」をするようになったのか、その文脈をきちんと捉えて、どういう信憑が、どういう制度が、どういうイデオロギーが、そのような行為をもたらしたのか、それを解明する必要がある。同じようなことを二度と繰り返さないためには、その作業が不可欠です。そうすることで初めて過去の歴史的事実が「国民の物語」のうちに回収される。「汚点」でも「恥ずべき過去」でも、日の当たるところ、風通しの良いところにさらされていればやがて腐臭を発することを止めて「毒」を失う。

 その逆に、本当にあった出来事を「不都合だから」「体面に関わるから」というような目先の損得で隠蔽し、否認すれば、その毒性はしだいに強まり、やがてその毒が全身に回って、共同体の「壊死」が始まる。


カウンターカルチャーがアメリカの強さ

 なぜアメリカという国は強いのか。それは「国民の物語」の強さに関係していると僕は思っています。戦勝国だって、もちろん戦争経験の総括を誤れば、毒が回る。勝とうが負けようが、戦争をした者たちは、口に出せないような邪悪なこと、非道なことを、さまざま犯してきている。もし戦勝国が「敵は『汚い戦争』を戦ったが、われわれは『きれいな戦争』だけを戦ってきた。だから、われわれの手は白い」というような、薄っぺらな物語を作って、それに安住していたら、戦勝国にも敗戦国と同じような毒が回ります。そして、それがいずれ亡国の一因になる。

 アメリカが「戦勝国としての戦争の総括」にみごとに成功したとは僕は思いません。でも、戦後70年にわたって、軍事力でも経済力でも文化的発信力でも、世界の頂点に君臨しているという事実を見れば、アメリカは戦争の総括において他国よりは手際がよかったとは言えるだろうと思います。

アメリカが超覇権国家たりえたのは、これは僕の全く独断と偏見ですけれども、彼らは「文化的復元力」に恵まれていたからだと思います。カウンターカルチャーの手柄です。

 七〇年代のはじめまで、ベトナム戦争中の日本社会における反米感情は今では想像できないほど激しいものでした。ところが、一九七五年にベトナム戦争が終わると同時に、潮が引くように、この反米・嫌米感情が鎮まった。つい先ほどまで「米帝打倒」と叫んでいた日本の青年たちが一気に親米的になる。この時期に堰を切ったようにアメリカのサブカルチャーが流れ込んできました。若者たちはレイバンのグラスをかけて、ジッポーで煙草の火を点け、リーバイスのジーンズを穿き、サーフィンをした。なぜ日本の若者たちが「政治的な反米」から「文化的な親米」に切り替わることができたのか。それは七〇年代の日本の若者が享受しようとしたのが、アメリカのカウンターカルチャーだったからです。

カウンターカルチャーはアメリカの文化でありながら、反体制・反権力的なものでした。日本の若者たちがベトナム反戦闘争を戦って、機動隊に殴られている時に、アメリカ国内でもベトナム反戦闘争を戦って、警官隊に殴られている若者たちがいた。アメリカ国内にもアメリカ政府の非道をなじり、激しい抵抗を試みた人たちがいた。海外にあってアメリカの世界戦略に反対している人間にとっては、彼らこそがアメリカにおける「取りつく島」であった訳です。つまり、アメリカという国は、国内にそのつどの政権に抗う「反米勢力」を抱えている。ホワイトハウスの権力的な政治に対する異議申し立て、ウォール街の強欲資本主義に対する怒りを、最も果敢にかつカラフルに表明しているのは、アメリカ人自身です。のこの人たちがアメリカにおけるカウンターカルチャーの担い手であり、僕たちは彼らになら共感することができた。僕たちがアメリカ政府に怒っている以上に激しくアメリカ政府に怒っているアメリカ人がいる。まさにそれゆえに僕たちはアメリカの知性と倫理性に最終的には信頼感を抱くことができた。反権力・反体制の分厚い文化を持っていること、これがアメリカの最大の強みだと僕は思います。

 ベトナム戦争が終わると、ベトナムからの帰還兵が精神を病み、暴力衝動を抑制できなくなり、無差別に人を殺すという映画がいくつも作られました。ロバート・デ・ニーロの『タクシードライバー』(一九七六年)がそうですし、『ローリング・サンダー』(一九七七年)もスタローンの『ランボー』(一九八二年)もそうです。アメリカ人はそういう物語を商業映画・娯楽映画として製作し、観客もこれを受け入れた。僕たちはそのことにあまり驚きを感じません。けれども、もし日本でイラク駐留から帰ってきた自衛隊員が精神を病んで、市民を殺しまくるなんていう映画を作ることが可能でしょうか。まず、企画段階で潰されるだろうし、官邸からも防衛省からも激しい抗議があるでしょうし、上映しようとしたら映画館に右翼の街宣車が来て、とても上映できないということになるでしょう。それを考えたら、アメリカのカウンターカルチャーの強さが理解できると思います。彼らはベトナム戦争の直後に、自分たちの政府が強行した政策がアメリカ人自身の精神をどう破壊したかを、娯楽映画として商品化して見せたのです。同じことができる国が世界にいくつあるか、数えてみて欲しいと思います。

 アメリカではこれができる。ハリウッド映画には、大統領が犯人の映画、CIA長官が犯人の映画というような映画も珍しくありません。クリント・イーストウッドの『目撃』(一九九七年)もケヴィン・コスナーの『追い詰められて』(一九八七年)もそうです。警察署長が麻薬のディーラーだった、保安官がゾンビだったというような映画なら掃いて捨てるほどあります。アメリカ映画は、「アメリカの権力者たちがいかに邪悪な存在でありうるか」を、物語を通じて、繰り返し、繰り返し国民に向けてアナウンスし続けている。世界広しといえども、こんなことができる国はアメリカだけです。


 歴史上の汚点を供養する

 米ソは冷戦時代には軍事力でも科学技術でも拮抗状態にありましたが、最終的には一気にソ連が崩れて、アメリカが生き残った。最後に国力の差を作り出したのは、カウンターカルチャーの有無だったと僕は思います。自国の統治システムの邪悪さや不条理を批判したり嘲弄したりする表現の自由は、アメリカにはあるけれどもソ連にはなかった。この違いが「復元力」の違いになって出てくる。

どんな国のどんな政府も必ず失策を犯します。「無謬の統治者」というようなものはこの世には存在しません。あらゆる統治者は必ずどこかで失策を犯す。その時に、自分の間違いや失敗を認めず、他罰的な言い訳をして、責任を回避する人間たちが指導する国と、統治者はしばしば失敗するということを織り込み済みで、そこから復元するシステムを持っている国では、どちらが長期的にはリスクを回避できるか。考えるまでもありません。

 もちろん、ソ連や中国にも優れた政治指導者がいました。個人的に見れば、アメリカの大統領よりはるかに知性的にも倫理的にも卓越していた指導者がいた。でも、まさにそうであるがゆえに、体制そのものが「指導者が無謬であることを前提にして」制度設計されてしまった。それがじわじわとこれらの国の国力を損ない、指導者たちを腐敗させていった。中国だって、今は勢いがありますけれど、指導部が「無謬」であるという物語を手離さない限り、早晩ソ連の轍を踏むことになるだろうと僕は思います。

 ヨーロッパでは、イギリスにはいくらか自国の統治者たちを冷笑する、皮肉な文化が残っています。カナダにも。だから、これはアングロサクソンの一つの特性かもしれません。アメリカの国力を支えているのは、自国について「タフな物語」を持っているという事実です。「タフな胃袋」と同じで、何でも取り込める。

アメリカ人は、自国の「恥ずべき過去」を掘り返すことができる。自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンの土地を強奪したこと、奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと。それを口にすることができる。そのような恥ずべき過去を受け入れることができるという「器量の大きさ」において世界を圧倒している。

 カウンターカルチャーとメイン・カルチャーの関係は、警察の取り調べの時に出てくる「グッド・コップ」と「バッド・コップ」の二人組みたいなものです。一方が容疑者を怒鳴り散らす、他方がそれをとりなす。一方が襟首をつかんでこづき回すと、他方がまあまあとコーヒーなんか持ってくる。そうすると、気の弱った容疑者は「グッド・コップ」に取りすがって、この人の善意に応えようとして、自分の知っていることをぺらぺらとしゃべりだす。映画ではよく見る光景ですけれど、メインカルチャーとカウンターカルチャー権力と反権力の「分業」というのはそれに似ています。複数の語り口、複数の価値観を操作して、そのつどの現実にフレキシブルに対応してゆく。

 だから、アメリカには「国民の物語」にうまく統合できない、呑み込みにくい歴史的事実が他国と比べると比較的少ない。「押し入れの中の死体」の数がそれほど多くないということです。もちろん、うまく取り込めないものもあります。南北戦争の敗者南部十一州の死者たちへの供養は、僕の見るところ、まだ終わっていない。アメリカ=メキシコ戦争による領土の強奪の歴史もうまく呑み込めていない。アメリカにとって都合の良い話に作り替えられた『アラモ』(1960年)で当座の蓋をしてしまった。この蓋をはずして、もう一度デイビー・クロケットやジム・ボウイーの死体を掘り起こさないといずれ腐臭が耐えがたいものになっている。いや、現代アメリカにおける「メキシコ問題」というのは、遠因をたどれば「アラモ」の物語があまりに薄っぺらだったことに起因していると言ってもよいのではないかと僕は思います。アメリカ=スペイン戦争もそうです。ハワイの併合に関わる陰謀も、フィリピン独立運動の暴力的弾圧も、キューバの支配がもたらした腐敗もそうです。アメリカがうまく呑み込めずにいるせいで、娯楽作品として消費できない歴史的過去はまだいくらもあります。でも、これらもいずれ少しずつ「国民の物語」に回収されてゆくだろうと僕は予測しています。アメリカ人は、統治者が犯した失政や悪政の犠牲者たちを「供養する」ことが結果的には国力を高めることに資するということを経験的に知っているからです。そして、どの陣営であれ、供養されない死者たちは「祟る」ということを、無意識的にでしょうが、信じている。彼らの国のカウンターカルチャーは、「この世の価値」とは別の価値があるという信憑に支えられている。


 淡々と記述し物語ることこそが最大の供養

 僕の父は山形県鶴岡の生まれです。ご存じでしょうか、庄内人たちは西郷隆盛が大好きです。庄内藩は戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗して、力戦しました。そして、西郷の率いる薩摩兵の前に降伏した。けれども、西郷は敗軍の人たちを非常に丁重に扱った。死者を弔い、経済的な支援をした。一方、長州藩に屈服した会津藩では全く事情が違います。長州の兵はところが、会津の敗軍の人々を供養しなかった。事実、死者の埋葬さえ許さず、長い間、さらしものにしていた。

 薩摩長州と庄内会津、どちらも同じ官軍・賊軍の関係だったのですが、庄内においては勝者が敗者に一掬の涙を注いだ。すると、恨みが消え、信頼と敬意が生まれた。庄内藩の若者たちの中には、のちに西南戦争の時に、西郷のために鹿児島で戦った者さえいますし、西郷隆盛の談話を録した『南洲遺訓』は庄内藩士が編纂したものです。一方、会津と長州の間には戊辰戦争から150年経った今もまだ深い溝が残ったままです。

 靖国参拝問題が、あれだけもめる一因は靖国神社が官軍の兵士しか弔っていないからです。時の政府に従った死者しか祀られない。東北諸藩の侍たちも国のために戦った。近代日本国家を作り出す苦しみの中で死んでいった。そうい人々については、敵味方の区別なく、等しく供養するというのが日本人としては当然のことだろうと僕は思います。

僕の曽祖父は会津から庄内の内田家に養子に行った人です。曽祖父の親兄弟たちは会津に残って死にました。なぜ、彼らは「近代日本の礎を作るために血を流した人たち」に算入されないのか。供養というのは党派的なものではありません。生きている人間の都合を基準にした論功行賞でなされるべきものではありません。だから、僕は靖国神社というコンセプトそのものに異議があるのです。明治政府の最大の失敗は、戊辰戦争での敗軍の死者たちの供養を怠ったことにあると僕は思っています。反体制・反権力的な人々を含めて、死者たちに対してはその冥福を祈り、呪鎮の儀礼を行う。そのような心性が「タフな物語」を生み出し、統治システムの復元力を担保する。その考えからすれば、「お上」に逆らった者は「非国民」であり、死んでも供養に値しないとした明治政府の狭量から近代日本の蹉跌は始まったと僕は思っています。

「祟る」というのは別に幽霊が出てきて何かするという意味ではありません。国民について物語が薄っぺらで、容量に乏しければ、「本当は何があったのか」という自国の歴史についての吟味ができなくなるということです。端的には、自分たちがかつてどれほど邪悪であり、愚鈍であり、軽率であったかについては「知らないふりをする」ということです。失敗事例をなかったことにすれば、失敗から学ぶことはできません。失敗から学ばない人間は同じ失敗を繰り返す。失敗を生み出した制度や心性は何の吟味もされずに、手つかずのまま残る。ならば、同じ失敗がまた繰り返されるに決まっている。その失敗によって国力が弱まり、国益が失われる、そのことを僕は「祟る」と言っているのです。

 「祟り」を回避するためには適切な供養を行うしかない。そして、最も本質的な供養の行為とは、死者たちがどのように死んだのか、それを仔細に物語ることです。細部にわたって、丁寧に物語ることです。それに尽くされる。

司馬遼太郎は「国民作家」と呼ばれますけれど、このような呼称を賦与された作家は多くありません。それは必ずしも名声ともセールスとも関係がない。司馬が「国民作家」と見なされるのは、近代日本が供養し損なった幕末以来の死者たちを、彼が独力で供養しようとしたからです。その壮図を僕たちは多とする。

司馬遼太郎は幕末動乱の中で死んだ若者たちの肖像をいくつも書きました。坂本龍馬や土方歳三については長編小説を書きました。もっとわずか短い数頁ほどの短編で横顔を描かれただけの死者たちもいます。それは別に何らかの司馬自身の政治的メッセージを伝えたり、歴史の解釈を説いたというより、端的に「肖像を描く」ことをめざしていたと思います。

司馬遼太郎の最終的な野心は、ノモンハン事件を書くことでした。でも、ついに書き上げることができなかった。一九三九年のノモンハン事件とは何だったのか、そこで人々はどのように死んだのか、それを仔細に書くことができれば、死者たちに対してはある程度の供養が果たせると思ったのでしょう。でも、この計画を司馬遼太郎は実現できませんでした。それはノモンハン事件にかかわった軍人たちの中に、一人として司馬が共感できるが人物がいなかったからです。日露戦争を描いた『坂の上の雲』には秋山好古や児玉源太郎や大山巌など魅力的な登場人物が出て来ます。けれども、昭和初年の大日本帝国戦争指導部には司馬をしてその肖像を仔細に書きたく思わせるような人士がもう残っていなかった。これはほんとうに残念なことだったと思います。

ノモンハンを書こうとした作家がもう一人います。村上春樹です。『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社 一九九四〜九五年)で村上春樹はノモンハンについて書いています。でも、なぜノモンハンなのか。その問いに村上は答えていない。何だか分からないけれども、急に書きたくなったという感じです。でも、ノモンハンのことを書かないと日本人の作家の仕事は終わらないと直感したというところに、この人が世界作家になる理由があると僕は思います。日本人にとっての「タフな物語」の必要性を村上春樹も感じている。それが今の日本に緊急に必要なものであるということをよくわかっている。

「美しい日本」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧を施していると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」についての薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に適切に対応できるはずがありません。集団の場合も同じです。

国力とは国民たちが「自国は無謬であり、その文明的卓越性ゆえに世界中から畏敬されている」というセルフイメージを持つことで増大するというようなものではありません。逆です。国力とは、よけいな装飾をすべて削り落として言えば、復元力のことです。失敗したときに、どこで自分が間違ったのかをすぐに理解し、正しい解との分岐点にまで立ち戻れる力のことです。国力というのは、軍事力とか経済力とかいう数値で表示されるものではありません。失敗したときに補正できる力のことです。それは数値的には示すことができません。でも、アメリカの「成功」例から僕たちが学ぶことができるのは、しっかりしたカウンターカルチャーを持つ集団は復元力が強いという歴史的教訓です。僕はこの点については「アメリカに学べ」と言いたいのです。日本の左翼知識人には、あまりアメリカに学ぶ人はいません。親米派の学者たちも、よく見ると、まったくアメリカに学ぶ気はない。アメリカに存在する実定的な制度を模倣することには熱心ですけれど、なぜアメリカは強国たりえたのかについて根源的に考えるということには全く興味を示さない。アメリカの諸制度の導入にあれほど熱心な政治家も官僚も、アメリカにあって日本に欠けているものとしてまずカウンターカルチャーを挙げる人はいません。連邦制を挙げる人もいない。でも、アメリカの歴史的成功の理由はまさに「一枚岩になれないように制度を作り込んだ」という点にあるのです。でも、日本のアメリカ模倣者たちは、それだけは決して真似しようとしない。

 ほかにもいろいろ言いたいことはありますけれど、すでに時間を大分超えてしまったので、この辺で終わります。ご静聴ありがとうございました。


【Q&A】


ナラティブの力

姜 今日のお話を聞いていて、どういう「物語」をつくるかということが最大のポリティクスになっている気がします。内田さんの比較敗戦論は、我々のパースペクティブを広げてくれました。韓国や中国では日本例外論、単純にドイツと日本を比較して日本はだめなんだ、だから我々は日本を半永久に批判していい、そういう理屈立てになりがちです。そのときに内田さんの比較敗戦論をもちいてみると、我々のブラインドスポットになっている部分がよく見えてくる。解放の物語の自己欺瞞みたいなところも見えてくる。ところが、安倍さんのような人が出てくると、逆に、かつて自分たちが植民地であった、侵略をされた国は、ますます解放の物語を検証することをやらなくて済んでしまいますね。

内田 イージーな物語に対してイージーな物語で対抗すれば、どちらもどんどんシンプルでイージーな話に落ち込んでしまう。実際の歴史的な事件は「善玉と悪玉が戦っている」というようなシンプルな話ではないんです。さまざまな人たちが複雑な利害関係の中でわかりにく行動を取っている。うっかりすると、本人たち自身、自分たちがどういう動機で行動しているのか、いかなる歴史的な役割を果しているのか、わかっていないということだってある。それが歴史の実相だろうと思います。ですから、それをありのままに淡々と記述していく。軽々には評価を下さない。わかりやすいストーリーラインに落とし込むという誘惑にできる限り抵抗する。そういう歴史に対する自制心が非常に大事になると思います。

 こういう仕事においては、歴史を叙述するときの語り口、ナラティブの力というのが大きいと思うんです。最近、読んだ本の中でフィリップ・ロスの小説『プロット・アゲンスト・アメリカ──もしもアメリカが...』(柴田元幸・訳、集英社、二〇一四年)がとても面白かった。これは一九四〇年の米大統領選挙でルーズベルトではなく、共和党から出馬した大西洋単独飛行の英雄チャールズ・リンドバーグ大佐がヨーロッパでの戦争への不干渉を掲げて勝利してしまうという近過去SFなんです。現実でも、リンドバーグは親独的立場で知られていて、ゲーリングから勲章を授与されてもいます。ロスの小説では、アメリカに親独派政権が誕生して、ドイツと米独不可侵条約を、日本とは日米不可侵条約を結ぶ。そして、アメリカ国内では激しいユダヤ人弾圧が起きる・・・という話です。

 僕はナラティブというのは、こういうSF的想像力の使い方も含むと思います。もし、あのときにこうなっていたらというのは、ほんとうに大事な想像力の使い方だと思う。

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』(浅倉久志・新訳 早川書房、原著一九六二年)というSFがあります。これは枢軸国が連合国に勝った世界の話です。日独がアメリカを占領している。東海岸がドイツ占領地で、ロッキー山脈から西側が日本の占領地。そういう場合に、日本人はアメリカをどういうふうに植民地的に統治するのか、それを考えるのは実は非常に大事な思考訓練なんです。実際に日本がアメリカ西部を安定的に統治しようとしたら、日本の価値観とか美意識とか規範意識を「よいものだ」と思って、自発的に「対日協力」をしようと思うアメリカ人を集団的に創り出すしかない。ドイツがフランスでやったのはそういうことでした。でも、日本の戦争指導部にそのようなアイディアがあったと僕は思いません。

アメリカの方は、日本に勝った後にどうやって占領するかの計画を早々と立案していた。日本人のものの考え方とか組織の作り方とかを戦時中に民族学者に委託して研究しています。卓越した日本人論として今も読み継がれている『菊と刀』はルーズベルトが設置した戦争情報局の日本班のチーフだったルース・ベネディクトが出した調査報告書です。日本社会を科学的に研究して、どういう占領政策が適切かを戦争が終わる前にもう策定していた。

果たして日本の大本営にアメリカに勝った後、どうやってアメリカを統治するか、何らかのプランがあったでしょうか。どうやって対日協力者のネットワークを政治家や学者やジャーナリストやビジネスマンの中に組織するかというようなことをまじめに研究していた部門なんか日本の軍部のどこにも存在しなかったと思います。戦争に勝ったらどうするのかについて何の計画もないままに戦争を始めたんです。そんな戦争に勝てるはずがない。

 僕のSF的妄想は、一九四二年のミッドウェー海戦の敗北で、これはもう勝てないなと思い切って、停戦交渉を始めたらどうなったかというものです。史実でも、実際に、当時の木戸幸一内大臣と吉田茂たちは、すでに講和のための活動を始めています。近衛文麿をヨーロッパの中立国に送って、連合国との講和条件を話し合わせようという計画があった。もし、この工作が奏功して、四二年か四三年の段階で日本が連合国との休戦交渉に入っていれば、それからあとの日本の国のかたちはずいぶん違ったものになっただろうと思います。

ミッドウェー海戦で、帝国海軍は主力を失って、あとはもう組織的抵抗ができない状態でした。戦い続ければ、ただ死傷者を増やすだけしか選択肢がなかったのに、「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」というような、まったく非科学的な軍事思想に駆動されていたせいで、停戦交渉という発想そのものが抑圧された。

この時点で戦争を止めていれば、本土空襲もなかったし、沖縄戦もなかったし、原爆投下もなかった。300万人の死者のうち、95%は死なずに済んだ。民間人の死傷者はほぼゼロで済んだはずです。ミッドウェーは日本軍の歴史的敗北でしたけれど、死者は3000人に過ぎません。ほとんどの戦死者(実際には戦病死者と餓死者でしたが)はその後の絶望的、自滅的な戦闘の中で死んだのです。

空襲が始まる前に停戦していれば、日本の古い街並みは、江戸時代からのものも、そのまま手つかずで今も残っていたでしょう。満州と朝鮮半島と台湾と南方諸島の植民地は失ったでしょうけれど、沖縄も北方四島も日本領土に残され、外国軍に占領されることもなかった。四二年時点で、日本国内に停戦を主導できる勢力が育っていれば、戦争には負けたでしょうけれど、日本人は自分の手で敗戦経験の総括を行うことができた。なぜこのような勝ち目のない戦争に突っ込んで行ったのか、どこに組織的瑕疵があったのか、どのような情報を入力し忘れていたのか、どのような状況判断ミスがあったのか、それを自力で検証することができた。戦争責任の徹底追及を占領軍によってではなく、日本人自身の手で行えた可能性はあった。日本人が自分たちの手で戦争責任を追及し、戦争責任の追及を行い、憲法を改定して、戦後の日本の統治システムを日本人が知恵を絞って作り上げることは可能だった。

「もしミッドウェーのあとに戦争が終わっていたら、その後の戦後日本はどんな国になったのか」というようなSF的想像はとてもたいせつなものだと僕は思います。これはフィクションの仕事です。小説や映画やマンガが担う仕事です。政治学者や歴史学者はそういう想像はしません。でも、「そうなったかもしれない日本」を想像することは、自分たちがどんな失敗を犯したのかを知るためには実はきわめて有用な手立てではないかと僕は思っています。「アメリカの属国になっていなかった日本」、それが僕たちがこれからあるべき日本の社会システムを構想するときに参照すべき最も有用なモデルだと思います。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
13. 2019年4月03日 10:52:59 : sIBP8FVPfU : OHduLndJMy93ZGs=[50]
トイレの紙にもならない号外を奪い合って、何が得になるのかな。

これからのニッポンの行く末を見るような、不穏な感じしか持たなかった。

もし、サラリーマン連中があの中に居たら、平日の午前中、会社をサボって

奪い合いをしていたのだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c13

コメント [近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
3. 中川隆[-10994] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:53:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1032]


「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」1995年4月
 

序  

 1971年末から72年にかけて、この国を震撼させた大事件が起こった。「連合赤軍事件」がそれである。

 連合赤軍とは、当時最も極左的だった「赤軍派」と、「日本共産党革命左派神奈川県委員会」(日本共産党から除名された毛沢東主義者が外部に作った組織)を自称した軍事組織である、「京浜安保共闘」が軍事的に統合した組織で、その最高指導者に選出されたのは、赤軍派のリーダーである森恒夫。更に組織のナンバー2は、京浜安保共闘のリーダーである永田洋子。

 彼らは群馬県と長野県にかけて、「榛名山岳ベース事件」と「浅間山荘事件」(注1)を惹き起こした。とりわけ前者の事件は、組織内の同志を「総括」の名において、次々に凄惨なリンチを加え、12名を殺害、遺棄した事件として、この国の左翼運動史上に決定的なダメージを与えた。

 なお、「浅間山荘事件」は前者の事件で生き残り、逮捕を免れたメンバー5人よる、時の警察当局との銃撃戦としてテレビで実況中継され、当時の国民に鮮烈な印象を与えたが、それはあくまで、「榛名山岳ベース事件」(「総括」の死者の多くが「榛名山岳ベース」において現出したことから、以降、筆者はこの名称を使用)の一連の流れの中で突出した事件であった。従って、「連合赤軍事件」は、この「榛名山岳ベース事件」がなぜ惹き起こされたかという、その構造性を解明することこそ、私は緊要であると考える。

 本稿は、事件の当事者の同世代の者としての問題意識から、看過し難いこの震撼すべき事件を、主に心理学的アプローチによって言及したものである。

(注1)1972年(昭和47)2月、連合赤軍のメンバー5人が、軽井沢町にある「浅間山荘」(河合楽器の保養所)に、山荘の管理人夫人を人質に立てこもり、警官隊と銃撃戦を展開し、3名の犠牲者を出した末に全員が逮捕された事件。               
 

 連合赤軍事件は、この国の革命運動というものが、もう「やさしさの達人」を生む一欠片の余地もないことを露呈した極めつけの事件であった。

 事件に関与した若者たちの過剰な物語を支えた革命幻想は、彼らの役割意識を苛烈なまでに駆り立てて、そこに束ねられた若い攻撃的な情念の一切を、「殲滅戦」という過剰な物語のうちに収斂されていく。しかし彼らの物語は、現実状況との何らの接点を持てない地平で仮構され、その地下生活の圧倒的な閉塞性は若者たちの自我を、徒(いたずら)に磨耗させていくばかりだった。

 ここに、この事件をモノトーンの陰惨な映像で突出させた一人の、際立って観念的な指導者が介在する。当時、先行する事件等(「大菩薩峠事件」、「よど号ハイジャック事件」)で、殆ど壊滅的な状態に置かれていた赤軍派の獄外メンバーの指導的立場にあって、現金強奪事件(M作戦)を指揮した末に、連合赤軍の最高指導者となった森恒夫(注2)その人である。
 
 この事件を、「絶対的な思想なるものを信じる、若者たちによる禍々しいまでの不幸なる事件」と呼ぶならば、その事件の根抵には三つの要因が存在すると、私は考える。
 
 その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。

 その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。
 
 ―― 以上の問題を言及することで、私はこの事件の構造性が把握できると思うのだ。
 

(注2)1944年、大阪で生まれる。大阪市立大学在学中に田宮高麿と出会って大きな影響を受け、社学同の活動家となり赤軍派に参加。当時、多くの派内の幹部が検挙されたこと(「大菩薩峠事件」)で、派内のリーダー格的存在となり、金融機関を襲撃し、多額の資金を手に入れていた。同時期に、銃砲店を襲って武器を調達していた京浜安保共闘との連携を図ることで、「連合赤軍」を結成するに至る。               

 ―― 以下、それらの問題について、詳細に言及していこう。

1.最高指導者  

 森恒夫はかつて、赤軍派の内ゲバの恐怖から敵前逃亡を図り、組織から離脱したという過去を持つ。当時、赤軍派の創立者であった塩見孝也の意向により組織への復帰を果たすが、実は、この消しがたい「汚点」が、後の連合赤軍事件の陰惨さを生み出す心理的文脈に無視し難い影響を与える波動となっていて、しばしば党内の過剰なラジカリズムの奔流が、一個人の「汚点」の過去の補償行程であったと心理解析できるような側面をも、事件は宿命的に抱え込んでいたように思えるのである。

 連合赤軍事件は、多くの部分で本質的に、この森恒夫という男の事件なのである。

 国家権力と苛烈な「殲滅戦」を戦い抜くという、極めつけの物語に生きる若い攻撃的な情念を束ねる組織の最高指導者としては、この男はあまりに相応しくなさ過ぎた。これはもうミスマッチで済ますには、とうてい処理し切れないほどの莫大な代償を払い過ぎている。

 絶対に選ばれてはいけない男が最高指導者に君臨し、絶対に回避しなければならない状況がその指導者によって開かれてしまったとき、状況に拡散する様々な人間的な思いを鋭利に削ぎ落としていく暗い旋律を胎動させながら、事件は足早に上州の厳冬を駆け抜けていったのだ。

 最高指導者になった森恒夫という人格には、最高指導者に相応しい強靭で、不屈な指導者を演じ切ることが絶対的に要請されていた。彼の自我は、彼の内側からのこの要請に応えていくという文脈にしか、その安定の根拠を見出せなくなる世界を既に開いてしまっている。

 森恒夫の自我の跳躍のうちに、私は事件の最も深い所に潜む、何かドロドロと液状化した澱みのような風景を垣間見てしまうのである。
 
 森恒夫の跳躍は、恐らく、彼の能力の範疇を遥かに超えた地平を開かせてしまったのだ。

 事件のコアとも言える、「共産主義化論」(完璧な共産主義的人間を目指すための党内闘争を、実践的に選択していくことで、来るべき殲滅戦に備えるというもの)の登場は、彼の自我の跳躍を検証する集中的表現であって、その限りにおいて、跳躍の実態そのものであったと把握できるだろう。

 組織的指導者としての彼の貧弱な能力は、多分に、人間一般に対する精緻な観察眼や、個々のケースにおける心理学的洞察を欠如させたところに集中的に現れていて、「共産主義化論」の身体化というものが分娩してしまうであろう状況の負性過程への洞察と、この過程を統御する戦略を構築できない能力的劣性は否定し難いものがあるのだ。

 森恒夫は、自己の立場の優越性を確保することに必要以上に配慮したと想像できる。

 山岳ベースでの彼の自己批判は、自らの「汚点」を指導者自身が晒すことによってもなお、自らの党内ポジションが絶対に変わらないという確信を前提にすることで成立し、そのことによって、寧ろ、他の下位同志からの心理的共感と信望を手に入れるばかりか、却って今後の自己のイニシャティブの掌握を容易にするというコスト計算が、彼の内側に脈打っていたように推測される。それは、この男がドロドロした人間的感情の体現者であることを思い知らされる仮説である。

 私の推測によると、森恒夫という男は、ごく普通の感受性、認知力、洞察力、指導力、且つ、人並みの理性的能力を持つが、しかしそれ以上ではなかった。そして、内に抱えた劣性意識を無化し得ると信じられるまで事態を感情的に処理できない限り、容易に充足できない自我を、いつもどこかで引き摺っているようなタイプの人物であるとも考えられる。私には、彼の攻撃性や残虐性が病理的様相を示すに足るほどのものであるとは到底思えないのである。

 赤軍派時代からの盟友、坂東国夫(注3)は「永田さんへの手紙」(彩流社刊)の中で、森恒夫の人物像を正確に伝えている。

 「指導者として一切を放棄しないで頑張ろうとしていること、人にやさしいことで私は信頼していました。しかし同時に人に対して迎合、妥協したり、すぐ動揺する信念のなさが、何度か矛盾とあつれきをつくり出していることを知っていました」

 この指摘は重要である。

 何故なら、この文脈の中にこそ、森恒夫という自我が果たした危険な跳躍の心理的背景があると思われるからだ。

 森恒夫という自我は、恐らく、自分の劣性がどこにあるかについて正確に見抜いていた。正確に見抜いていたが故に、彼の自我はそれを他の同志に見透かされることを恐れていたのではないか。就中、党派としての力関係を常に意識し、競合さえしていた京浜安保共闘の年少の闘士たちに、「森恒夫という指導者は大したことないな」と侮られることを最も恐れていたと思われるのである。

(注3)京大卒。事件当時、25歳。赤軍派出身のメンバーとして、「浅間山荘事件」においてリーダー格的役割を担い、逮捕後3年目、昭和50年、「クアラルンプール米大使館占拠事件」における「超法規的措置」によって、釈放されるに至る。

 因みに、虚栄心とは、私の定義によれば、「見透かされることへの恐怖感」である。

 それは、見透かされることを恐れる自我が、見透かされたら困る内側の何かを隠そうという心情であり、紛れもなく、そこに、「隠さねばならない何か」を抱えているという心理的事実がある。「隠さねばならない何か」を抱える自我は、いつでも関係の内側に、ある一定の緊張を運んでくるのだ。

 人間の自我は生命の羅針盤であると同時に、社会的関係付けの羅針盤なのである。自分が他者の劣位に立つときは、劣位に立つことの方が状況適応に有効であると考えるからだ。劣位に立った相手が自分を攻撃して来ないという確信がなければ、人は決して、自ら敢えて劣位に立つことを選ばない。「君子危うきに近寄らず」の如く、相手からの有効攻撃距離を解体し得るスタンスの辺りにまで後退することで、常に難に遭う確率を低減する努力をするのもまた、人間の自我の枢要な機能である。これは本能ではない。全ては、人間の二次的学習の産物である。
 
 更に付言すれば、心理学では、「ホウレン草は体に良いから食べる」というのを一時的学習と呼び、「ホウレン草は体に良いから食べなさい」と言い続ける母の気を引くために、ホウレン草を食べるという文脈を二次的学習と呼ぶが、この心理は階層的秩序を成している。「これが人間の性格を形成していく」、と国立小児病院の崎尾英子は、「現代の母親像」という論文の中に書いている。(「思春期と家庭」より所収 誠信書房刊)

 これは元々、ダブルバインド仮説で有名なアメリカの社会学者、グレゴリー・ベイトソンが提起した概念として有名だが、人間の自我は「二次的学習」の中で社会化を果たし、その中で巧みに敵味方を嗅ぎ分け、優劣関係を複雑に拵(こしら)え上げていく。

 しかし、自分を決して攻撃して来ない「良き理解者」の前では、特段に虚栄心の発動を必要としないから、人間の自我は限りなく裸になれるのである。自我には、自らを裸にする休息の時間が絶対に必要なのだ。人間が落ち着いて睡眠を確保できる場所こそが、自我のレストステーションである。何故なら、そこは「誰も自己を襲わない場所」であるからだ。

 以上の推論から、私は森恒夫という男の自我に張り付く、虚栄心という名の、「見透かされることへの恐怖感情」を無視し難いと考えたのである。

2.箱庭の帝王  

 森恒夫と永田洋子が上州の山奥に構築した場所は、およそ人間の自我を適度に休ませる場所から最も隔たっていた。
 
 人間の自我に恒常的に緊張感を高める場所にあって、森恒夫の自我は常に裸にされることを恐れつつ、必要以上の衣裳をそこに被せていたと思われる。彼の虚栄心の対象は京浜安保共闘に集中的に向けられていたから、例外的に裸の自我が洩れ出すことがある。

 それを目撃する機会が最も多かったのが、盟友であった坂東国男である。坂東の伝える森恒夫像の正確さが根拠を持つ所以である。

 京浜安保共闘が山岳ベースに入る際に、既に、二人の粛清犠牲者を出したという報告を坂東から受けたときの森恒夫の動揺は、この男の平均的な人間性を、寧ろ余すところなく伝えていると言えるだろう。

 森はそのとき、「またやったか。あいつらはもはや革命家じゃないよ」と言った後、暗鬱な表情で暫く視線を落としていたと言う。(以上のエピソードは、植垣康博著「兵士たちの連合赤軍」彩流社刊参照)

 森恒夫が坂東からの報告を受けたときのインパクトは、想像するに余りある。

 森はこのとき、自分が相当の覚悟を括って対峙していかないと、状況が自らの脆弱さを醜いまでに晒しかねない恐怖感を感じ取ったと思われる。

 「覚悟」と「胆力」―― 決定的な状況下で、その状況を拓く役割を担っている者に常に問われるのは、この二つのメンタリティ以外ではないだろう。「覚悟」とは、「逃避拒絶」であり、「胆力」とは、「恐怖支配力」である。私の定義である。まさにこのとき、森恒夫という男には、このような強靭な精神性が求められていたのである。 

 幸いにして、自らは連合赤軍の最高指導者の地位にあるから、自らの跳躍によって「箱庭の帝王」を貫徹することが可能であり、そこでの「あるべき革命家像」の仮構によって自己史を止揚し得ると踏んでいたのだろうか。いずれにせよ、山岳ベースに入ってからの森恒夫の変身は、赤軍派内の同志たちに近寄り難い印象を残したようだ。
 
 京浜安保共闘からの遠山美枝子批判に端を発する、「内なるブルジョア性」との戦いは、やがて「総括」を日常化するに至り、ここに、「共産主義化論」を大義名分とした粛清の嵐が澎湃(ほうはい)していくのである。狭義に括られる所の、「連合赤軍事件」である。

 今、この事件を改めて整理してみる。

 この事件を考えるとき、連合赤軍の「殲滅戦」の思想を避けて通ることができないだろう。「殲滅戦」の思想こそ、この事件の母体となった思想である。この事件にまつわるあらゆる不幸は、全て「殲滅戦」の遂行という基本命題から出発しているとも言えるのだ。

 「殲滅戦」とは、敵(国家権力)を倒すか、敵に倒されるかという絶対状況を作り出すことである。彼らの意識において、それは革命戦争以外ではなかった。この思想は京浜安保共闘の根幹を成すマオイズム(毛沢東主義・注4)の影響もあって、山岳ベースの構築に帰結していくことになるが、そこには既に、不幸な事態の過半の要因が出揃っていた。

 山岳ベースという閉鎖的空間の選択が、「殲滅戦」の思想の理論的帰結と言っていいかどうか多いに疑問が残る所だが、若い攻撃的な情念は自らの思想と肉体の純化を、明らかに、都市と隔絶した「聖なる空間」に求めたのである。

(注4)農村が都市を囲繞し、都市ブルジョアジーを打倒することで達成されると考えられる労農一体の革命理論だが、農民がどこまでも中心的主体と看做すところがあり、階級闘争を絶対視する。このラジカルな思想が、後の「大躍進」や「文化大革命」という国内的大混乱を惹き起こしたと言っていい。その影響力は、カンボジアの「キリング・フィールド」を起こしたポル・ポト思想や、ネパールのマオイストらの行動に多大な影響を与えた。

 この文脈から言えば、「殲滅戦」を戦い抜く不屈な意志と強靭な肉体によって武装化されたスーパーマン(「共産主義化された人格」)に変身する(「自己変革」)までは決して下山しないという実践的テーゼ(「共産主義化論」)の登場は、彼らが山岳ベースを選択した時点で、半ば開かれた行程であったと言えるだろう。

 最高指導者によって提起された「共産主義化論」は、それがどのような理論的枠組みを持っていたにせよ、本質的には、最高指導者の権威と権力を強化していく方向にしか動かないのは自明である。何故なら、「共産主義的人間」のイメージは、ある特定の個人の観念の恣意性に依拠しなければ、そこに統一的な把握が困難なほどに漠然としたものであるからだ。

 「殲滅戦」の思想は、当然、「軍」の創設を必然化し、「軍」の創設は強力な上意下達の臨戦的な組織を要請する。山岳ベースは、この要請に応える形で構築されたのだ。この状況下で提起された実践的テーゼは、それを提起した最高指導者の観念の恣意性に全面依存する以外にないのである。

 有体に言えば、最高指導者が白と言えば白になり、黒と言えば黒になってしまうのだ。最高指導者の正義こそ組織の正義であり、「軍」の正義なのである。

 「共産主義化論」の登場は、本人がそれをどこまで自覚していたかに拘らず、最高指導者を神格化する最強のカードであったのだ。最高指導者としての森恒夫の変身は、自らが出したカードの効用の加速化と軌を一にして成ったものと見ていいのである。

 同時に、特殊な状況下にあって、森恒夫に内深く求められていたであろう、「覚悟」と「胆力」という強靭なメンタリティによる武装は、最高指導者を神格化し得る「共産主義化論」の提示によって、そこに構築された関係を権力性の濃度の深い様態に変容せしめるプロセスの内に収斂され、その過剰な観念系を仮構されていくに至ったと思われる。

 坂東国男や植垣康博に、「土建屋」を思わせるまでに変貌した、自らの風貌から滲み出る押し出しの強さと威厳性。総括等で、しばしば見せる迫力ある弁舌によって年少の同志たちを煙に巻き、二言目には、「力量の違いだよ」と驕って見せる態度などが求心力となって、「聖なる空間」において、森恒夫の神格性をより際立たせていく。

 森は恐らく、自らのヒロイックな自己総括を含めた印象的なパフォーマンスによって、年少の同志たちの思いを束ねることができたという実感に、一時(いっとき)漬かっていたはずだ。この実感は尊敬感情であると言っていい

 尊敬感情とは、関係における能力の落差に価値観を挿入することで、その関係を「優劣性」によって際立たせていく感情傾向である。それを被浴することは、人が人を動かすときに無視し難い力の源泉にもなる。尊敬感情を浴びることは、全ての権力者が均しく熱望するものであり、これを手に入れるために、彼らがどれほど醜態を演じて見せてきたかについては、私たちの知る所でもある。

 そして、この類の尊敬感情が、しばしば畏敬感情に繋がり得る心理的文脈については殆ど自明であるだろう。畏敬感情の本質は、恐れの感情である。恐れの感情を相手の人格に抱かせてしまうこと―― それが権力者の最も簡便な支配の様態であるということだ。
 
 森恒夫は、相手に畏怖感を与える一定の人格表現によって、「軍」と「党」の覇権を掌握し、自らも威厳的な態度を選択的に押し出していく。植垣康博は森の変貌に驚き、そこに越え難い距離感を覚えたことを自著に記していた。

 越え難い距離にいる者に対する普通の人々の基本的対応は、三つしかないだろう。

 「拒否」、「無視」、「同化」である。

 相手の権威を絶対に認めず、権威が自己に侵入してくることを毅然と拒むか、それとも、「自分とは無縁である」と言って、関係上の接点を持たないか、或いは、相手の権威に同化していくかのいずれかの対応である。

 ここで問題となる対応は、同化という態度である。

 人々が極限状況にでも置かれない限り、そうは易々と、他者の前で卑屈な自我を晒す訳にはいかない。そこで大抵の人間は、相手が垣間見せる「弱さ」や「寛大さ」を、自分(または自分たち)だけに特別に届けた表現であると思い込むことで、そこに都合のいい物語を創作していく。

 曰く、「天皇は私たちの苦難に心を痛めている。天皇をこれ以上苦しめてはならない」

 曰く、「毛沢東主席は私たちの心を分っている。主席の指示に誤りがあるはずがない。悪いのは全て、走資派(注5)のブタたちだ。革命を進めていくしかない」(「四人組」との闘争の勝利後に提起された、「毛沢東主席の決定を守り、その指示に従え」という、華国鋒の「二つのすべて」論も、そのイデオロギーの基幹には、この物語が横臥する)

 更に曰く、「金日成将軍は、本当は自分の銅像なんか作りたくないのだ。私たち国民が未熟だから悪いんだ。皆で将軍を守っていくしかない」等々。
 
 このような「確証バイアス」(自分が都合の良い情報によって、事態を把握すること)が一人歩きしてしまったら、権威への同化はほぼ完成したと見ていい。こうして人々は卑屈な自我を脱色しつつ、心地良く甘美な物語に陶酔していくことになるのだ。

(注5)劉少奇・ケ小平に代表される実権派のこと。中国文化大革命で、資本主義への復活を目指す党内幹部として打倒の対象にされた。

 
 森恒夫が自己総括の場で、自分の「汚点」を告白したという行為は、まさしく「天皇の涙」であり、「毛沢東の呻吟」であり、「金日成の苦渋」である。
 
 森恒夫はこの夜、「箱庭の帝王」になった。
 
 彼の重苦しい総括は、その後の忌まわしい総括の方向性を決定付けたのである。

 これが一つの契機となって、自己の過去と現在を容赦なく暴き、抉り出し、迸(ほとばし)る血の海の中から奇蹟的な跳躍を果たしていく厳しさが強要されるという、この「箱庭」の世界での総括のスタイルが定着するのである。

 この夜、最高指導者の一世一代の大芝居を聞く者の何人かは、明け方には疲労で眠りに入ってしまったが、それまでは、感極まって啜り泣く者もいたと言う。

 このようなエピソードには、厳冬の自然に抱かれて、生命を賭けた革命のロマンを語る若い情念の熱気を彷彿させるものがあり、時代さえ間違えなければ、語り継がれる感動譚の定番となる2、3の要素が揃っていたとも言えようか。

 いずれにせよ、このエピソードは、森恒夫の権力性が山岳ベースにおいて形成されていったことを雄弁に語っている。

 つまり森は、山岳ベース構築の当初から同志たちの肉体と精神を苛烈に管理していった訳ではないということだ。彼の「共産主義化」論の提示も、京浜安保共闘の永田洋子らの遠山美枝子批判(会議中に髪を梳かしたり、化粧をしたり等の行為によって、ブルジョア的とされた)への誠実な反応と理解・把握されたのである。

 しかしこれが、遂に自力で覚醒に逢着し得なかった全ての悪夢の始まりだった。榛名山岳ベースでの、「死の総括」の始まりである。
 
 髪を梳(と)かすことに象徴される、男女のエロス原理がブルジョア思想として擯斥(ひんせき)されるのだ。これは男の中の男性性と、女の中の女性性の否定である。

 その極めつけのような、森の表現がある。

 「女は何で、ブラジャーやガードルをするんや。あんなもん、必要ない」

 森はそう言ったのだ。

 彼は女性の生理用品の使用すら否定し、新聞紙で処理しろと要求したのである。こうした森の批判は、女性に「女」であることを捨てて、「戦士」としてのみ生きることを求めたもので、当時、女の中の女性性を否定していたはずの永田洋子は、獄中で記した「十六の墓標」(彩流社刊)の中で、これを「反人間的行為」であると批判している。

 森恒夫のエロス原理否定の思考は、山岳ベースに集合する若者たちを名状し難い混乱に陥れたであろう。

 大槻節子(京浜安保共闘)に恋情を抱いた植垣康博(赤軍派)が、大槻が過去の恋愛事件を理由に、「死の総括」を受けているとき、自分との関係を問題化され、「総括」を求められることの恐怖感に怯えていた日々を、彼は「兵士たちの連合赤軍」(彩流社刊)の中で率直に語っている。

 閉鎖的小宇宙の中で、森の「共産主義的人間」観は、男女の感情を惹起させる「性」の否定にまで行き着いたのだ。
 
 同様に、女性同志への恋愛問題が理由(後に、3人目の犠牲者となる小嶋和子と恋愛関係にあった)で、最初に総括を求められた後に、4人目の総括死に至る加藤能敬(京浜安保共闘)は、自らの性欲を克服すると総括した後、森に「性欲が起こったら、どうするのか?」と問い詰められた。

 この問いに対して、加藤は何と答えたか。

 「皆に相談します」

 ここまで来ると、殆ど喜劇の世界である。

 しかし、この小宇宙の基本的旋律は安手の喜劇を彷彿させるが、その内実は、一貫して悲劇、それもドロドロに液状化した極めつけの悲劇である。この小宇宙が喜劇なら、加藤のこの発言が他の同志たちの爆笑を買い、「この、ドアホ!」と頭を軽く叩かれて、それで完結するだろう。

 ところが、加藤のこの発言は森の逆鱗に触れて、総括のやり直しを求められることになり、遂に死の階梯を上り詰めていってしまうのである。

 この小宇宙にはもう、自らを守るための人間の愚かな立居振る舞いをフォローしていくユーモアの、些かの余裕も生き残されていなかった。

 因みに、私の把握によれば、ユーモアとは「肯定的なる批判精神の柔和なる表現」である。そんな精神と無縁な絶対空間 ―― それが革命を呼号する若者たちが構築した山岳ベースだった。その山岳ベース内の闇の臭気の濃度が自己生産的に深まるにつれ、若者たちの自我は極度に磨り減って、アウト・オブ・コントロールの様相を呈していく。

 追い詰める者も、追い詰められる者も、自我を弛緩させる時間を捕捉することさえ為し得ず、「総括すること」と、「総括させること」の遣り切れなさを客観的に認知し、その行程を軌道修正することさえ叶わない負の連鎖に、山岳ベースに蝟集(いしゅう)する全ての若者たちは搦(から)め捕られていたのである。

 そんな過剰な状況が小さな世界に閉鎖系を結ぶとき、そこに不必要なまでに過剰な「箱庭の帝王」が現出し、そこで現出した世界こそ、「箱庭の恐怖」と呼ぶべき世界以外の何ものでもないであろう。

3.箱庭の恐怖   

 ある人間が、次第に自分の行動に虚しさを覚えたとする。
 
 彼が基本的に自由であったなら、行動を放棄しないまでも、その行動の有効性を点検するために行動を減速させたり、一時的に中断したりするだろう。

 ところが、行動の有効性の点検という選択肢が最初から与えられていない状況下においては、行動の有効性を疑い、そこに虚しさを覚えても、行動を是認した自我が呼吸を繋ぐことを止めない限り、彼には行動の空虚な再生産という選択肢しか残されていないのである。

 このとき自我は、自らの持続的な安寧を堅持するための急拵(きゅうごしら)えの物語を作り出す。即ち、「虚しさを覚える自分が未熟なのだ。ここを突破しないと私は変われない」などという物語にギリギリに支えられて、彼は自らを規定する状況に縋りつく以外にないのである。

 彼には、行動の強化のみが救済になるのだ。

 そこにしか、彼の自我の安定の拠り所が見つからないからである。行動の強化は自我を益々擦り減らし、疲弊させていく。負の連鎖がエンドレスの様相を晒していくのである。

 平和の象徴である鳩でも狭い箱に二羽閉じ込められると、そこに凄惨な突っつき合いが起こり、いずれかが死ぬケースを招くと言う。

 これは、コンラート・ローレンツが「ソロモンの指輪 動物行動学入門」(早川書房刊)で紹介した有名な事例である。

 全ての生物には、その生物が生存し得る最適密度というものがある。人間の最適密度は、自我が他者との、或いは、他者からの「有効攻撃距離」を無化し得る、適正なスタンスを確保することによって保障されるだろう。
 
 最適密度が崩れた小宇宙に権力関係が持ち込まれ、加えて、「殲滅戦」の勝利のための超人化の達成が絶対的に要請されてくるとき、その状況は必ず過剰になる。その状況はいつでも沸騰していて、何かがオーバ−フローし、関係は常に有効攻撃距離の枠内にあって、その緊張感を常態化してしまっている。人間が最も人間的であることを確認する手続き、例えば、エロス原理の行使が過剰な抑圧を受けるに至って、若者たちの自我は解放への狭隘な出口すらも失った。この過剰な状況の中で、若者たちのエロスは相互監視のシステムに繋がれて、言語を絶する閉塞感に搦(から)め捕られてしまったのである。

 欲望の否定は、人間の否定に行き着く。

 人間とは欲望であるからだ。

 人間の行為の制御を、その行為を生み出す欲望の制御というものもまた、別の欲望に依拠せざるを得ず、そのための司令塔というものが私たちの自我であることを認知できないまでも、少なくとも、それが人間に関わる基本的経験則であることを、私たちは恐らく知っている。私たちの欲望は、その欲望を制御することの必要性を認識する自我の指令によって、その欲望を制御し得る別の欲望を媒介項にして、何とか制御されているというのが実相に近いだろう。

 例えば、眼の前に美味しいご馳走が並べられているとする。

 しかし今、これを食べる訳にはいかない理由が自分の内側にあるとき、これを食べないで済ます自我の戦術が、「もう少し我慢すれば必ず食べられるから、今は止めておけ」という類の単純な根拠に拠っていたとしよう。

 このとき、「今すぐご馳走が食べたい」という欲望を制御したのは、自我によって引っ張り出されてきた、「もう少し我慢した後で、ご馳走が食べたい」という別の欲望である。後者の欲望は、自我によって加工を受けたもう一つの欲望なのである。

 このように、人間の欲望は、いつでも剥き出しになった裸の姿で身体化されることはない。もしそうであったなら、それを病理と呼んでも差し支えないだろう。欲望を加工できない自我の病理である。欲望の制御とは、自我による欲望の加工でもある。これが、些か乱暴極まる私の「欲望」についての仮説である。

 もう一つ、事例を出そう。

 愛する人に思いを打ち明けられないで悩むとき、愛の告白によって開かれると予想される、素晴らしきバラ色の世界を手にしたいという欲望を制御するものは実に様々だ。

 「今、打ち明けたら全てを失うかもしれないぞ。もう少し、『恋愛』というゲームに身を委ねていてもいいじゃないか」

 そんな自我の急拵えの物語よって引っ張り出されてきた別の欲望、つまり、「もっとゲームを楽しもう」という欲望が、元の欲望を制御するケースも多々あるだろう。ここでも、欲望が自我の加工を受けているのである。

 或いは、「諦めろ。お前は恋愛にうつつを抜かしている場合ではない。お前には司法試験のための勉強があるだろう」などという物語が自我によって作り出されて、「愛の告白」によるエロス世界への欲望が制御されるが、このとき、自我は「司法試験突破によって得られる快楽」に向かう欲望を、内側に深々と媒介させているのかも知れない。欲望が別の欲望によって制御されているのである。

 また、ストイックな禅僧なら、「耐えることによって得られる快楽」に向かう欲望、例えば、尊敬されたいという欲求とか、自己実現欲求等が、自らの身体をいたずらに騒がせる性欲を制御するのかも知れないのである。

 このように、欲望を加工したり、或いは、全く異質の欲望を動員したりすることで、私たちの自我は元の欲望を制御するのである。欲望の制御は、本質的には自我の仕事なのだ。私たちの自我は、「A10神経」から流入するドーパミンによる快楽のシャワーを浴びて、しばしばメロメロになることもあるが、欲望を制御するためにそれを加工したり、全く異質の欲望を作り出したりことすらあるだろう。

 人間とは欲望であるという命題は、従って、人間とは欲望を加工的に制御する、自我によってのみ生きられない存在であるという命題とも、全く矛盾しないのである。私たちができるのは本質的に欲望の制御であって、欲望自身の否定などではない。欲望を否定することは、美しい女性を見ただけで、「触れてみたい」という殆ど自然な感情を認知し、それを上手に加工する物語を作り出す自我を否定することになり、これは人間の否定に繋がるだろう。

 森恒夫に象徴される、連合赤軍兵士たちが嵌ってしまった陥穽は、理念系の観念的文脈、及び訓練された強靭な身体の総合力によって、人間のドロドロした欲望が完全に取り除かれることができると考える、ある種の人間の自我に強迫的に植え付けられた、それもまた厄介な観念の魔境である。

 まさしく、それこそが唯物論的な観念論の極致なのだ。その人間観の度し難き楽天主義と形式主義に、私は殆ど語るべき言葉を持たない。

 彼らが要求する「総括」というものが、本来、極めて高度な客観的、分析的、且つ知的な作業であるにも拘らず、彼らの嵌った陥穽はそんなハードなプロセスとは全く無縁な、過分に主観的で、感覚的な負の連鎖の過程であった。

 自らを殴らせ、髪を切り、「小島のように死にたくない。どう総括したらいいか分らない」と訴える遠山美枝子に、永田洋子が発した言語は、「ねぇ、早く総括してよ」という類の、懇願とも加虐嗜好とも看做し得る不毛な反応のみ。かくも爛(ただ)れた権力関係のうちに露呈された圧倒的な非生産性に、身の凍る思いがするばかりだ。

 生命、安全という、自我の根幹に関わる安定の条件が崩れている者は、通常その崩れを修正して、相対的安定を確保しようと動くものである。自我の基本的な安定が、理性的認識を支えるのである。死の恐怖が日常的に蔓延している極限状況下で、最も理性的な把握が可能であると考えること自体、実は極めて非理性的なのだが、元々、山岳ベースを選択させしめた彼らの「殲滅戦」の思想こそが非現実的であり、反理性的、且つ、超観念的な文脈以外ではないのだ。

 森や永田は、総括を要求された者が、「死の恐怖」を乗り越えて、自己変革を達成する同志をこそ、「共産主義的人間」であると決め付けたが、では、「死の恐怖」からの乗り越えをどのように検証するのか。また、そのとき出現するであろう、「共産主義的人間」とは、一体どのような具象性を持った人間なのか。

 「総括」の場に居合わせた他の同志たちの攻撃性を中和し、彼らの心情に何某かの親和性を植えつけることに成就した心理操作の達人こそ、まさに「共産主義的人間」であって、それは極めて恣意的、人工的、情緒的、相対的な関係の力学のうちに成立してしまうレベルの検証なのである。

 要するに、指導部に上手く取り入った人間のみが「総括」の勝利者になるということだ。しかしこれは、本来の人柄の良さから、森と永田に適正なスタンスをキープし得た植垣康博のみが例外であって(それも状況の変化が出来しなかったら、植垣も死出の旅に放たれていただろう)、「総括」を要求された他の若者たちは、このダブルバインドの呪縛から一人として生還できなかったのである。

 「12人の縛られし若者たち」を呪縛した「ダブルバインド」とは、こういうことだ。
 
 遠山のように、知的に「総括」すれば観念論として擯斥(ひんせき)され、加藤のように、自らの頭部を柱に打ちつけるという自虐的な「総括」を示せば、思想なき感情的総括として拒まれるという、まさに出口なしの状況がそこにあった。そのことを、彼らの極度に疲弊した自我が正確に感知し得たからこそ、彼らは、「生還のための総括」の方略を極限状況下で模索したのである。

 仮に貴方が、自分を殺すに違いないと実感する犯人から刀を突きつけられて、「助かりたいなら、俺の言うことを聞け」と命令されたら、どうするだろうか。

 過去のこうした通り魔的な事件では、大体、皆犯人の命令どおりに動いているが、これは生命の安全を第一義的に考える自我の正常な機能の発現である。

 然るに、森と永田は、「総括」を求められた者が自分たちの命令通りに動くことは、「助かりたい」という臆病なブルジョア思想の表れであると決めつけた挙句、彼らに「総括」のやり直しを迫っていく。指導部の命令を積極的に受容しなかったら利敵行為とされ、死刑に処せられるのである。

 「12人の縛られし若者たち」が縛られていたのは、彼らの身体ばかりでなく、彼らの自我そのものであったのだ。

 この絶対状況下での、若者たちの自我の崩れは速い。
 
 あらゆる選択肢を奪われたと実感する自我に、言いようのない虚無が襲ってくる。生命の羅針盤である自我が徐々に機能不全を起こし、闇に呑まれていくのだ。「どんなことがあっても生き抜くんだ」という決意が削がれ、空疎な言動だけが闇に舞うのである。

 連合赤軍幹部の寺岡恒一の、処刑に至る時間に散りばめられた陰惨なシーンは、解放の出口を持てない自我がどのように崩れていくのかという、その一つの極限のさまを、私たちに見せてくれる。兵士たちへの横柄な態度や、革命左派(京浜安保共闘)時代の日和見的行動が問題視されて、「総括」の対象となった寺岡が、坂東と二人で日光方面に探索行動に出た際に、逃げようと思えば幾らでも可能であったのに、彼はそうしなかった。

 その寺岡が、「総括」の場で何を言ったのか。

 「坂東を殺して、いつも逃げる機会を窺っていた」

 そう言ったのだ。

 俄かに信じ難い言葉を、この男は吐いたのである。

 この寺岡の発言を最も疑ったのは、寺岡に命を狙われていたとされる坂東国男その人である。なぜなら坂東は、この日光への山岳調査行の夜、寺岡自身から、彼のほぼ本音に近い悩みを打ち明けられているからである。坂東は寺岡から、確かにこう聞いたのだ。

 「坂東さん、私には『総括』の仕方が分らないのですよ」

 悩みを打ち明けられた坂東は当然驚くが、しかし彼には有効なフォローができない。寺岡も坂東も、自己解決能力の範疇を超えた地平に立ち竦んでいたのである。坂東には、このような悩みを他の同志に打ち明けるという行為自体、既に敗北であり、とうてい許容されるものではないと括るしか術がないのだ。自分を殺して、脱走を図ろうとする者が、あんな危険な告白をする訳がない、と坂東は「総括」の場で考え巡らすが、しかし彼は最後まで寺岡をアシストしなかったのである。

 逃げようと思えばいつでも逃げることができる程度の自由を確保していた寺岡恒一は、遂にその自由を行使せず、あろうことか、彼が最後まで固執していた人民兵としてではなく、彼が最後まで拒んでいた「階級敵」として裁かれ、アイスピックによる惨たらしい処刑死を迎えたのである。

 寺岡恒一は、「あちらも、こちらも成り立たず」というダブルバインドの絶対状況下で、生存への固執の苦痛より幾分かはましであろうと思われる死の選択に、急速に傾斜していった。

 彼の生命を、彼の内側で堅固にガードする自我が、彼の存在を絶対的に規定する、殆ど限界的な状況に繋がれて、極度の疲弊から漸次、機能不全を呈するに至る。ここに、人間に対する、人間による最も残酷な仕打ちがほぼ完結するのだ。

 人間はここまで残酷になれるのであり、残酷になる能力を持つのである。

 人間に対する最も残酷な仕打ちとは、単に相手の生命を奪うことではない。相手の自我を執拗に甚振(いたぶ)り、遂にその機能を解体させてしまうことである。人間にとって、拠って立つ生存の司令塔である自我を破壊する行為こそ、人間の最も残酷なる仕打ちなのである。

 「自我殺し」(魂の殺害)の罪は、自我によってしか生きられない最も根本的な在り処を否定する罪として、或いは、これ以上ない最悪の罪であると言えるのかも知れない。

 「12人の縛られし者たち」は自分たちの未来を拓いていくであろう、その唯一の拠り所であった自我を幾重にも縛られて、解放の出口を見つける内側での一切の運動が、悉(ことごと)く徒労に帰するという学習性無力感(この場合、脱出不能の状況下にあって、その状況から脱出しようとする努力すら行わなくなるという意味)のうちに立ち竦み、ある者は呻き、ある者は罵り、ある者は泣き崩れるが、しかし最後になると、殆どの者は、まるでそこに何もなかったかのようにして静かに息絶えていった。

 そして「12人の縛られし者たち」が去った後、彼らを縛っていたはずの全ての攻撃者たちの内側に、「最も縛られし者たちとは、自分たちではないのか」という、決して言語に結んではならない戦慄が走ったとき、もうその「聖なる空間」は、「そして誰もいなくなった」という状況にまで最接近していた、と私は考察する。この把握は決定的に重要である。何故なら、この把握なくして「浅間山荘事件」のあの絶望的な情念の滾(たぎ)りを説明することが困難だからである。

 「浅間山荘事件」の被害者の方には、不穏当な表現に聞こえるかも知れないが、「浅間山荘」は、紛れもなく、山岳ベースでの、「そして誰もいなくなる」という極限状況からの少しばかりの解放感と、そしてそれ以上に、同志殺しの絶望的ペシミズムに搦め捕られてしまった自我に、身体跳躍による一気の爆発を補償する格好のステージであったと言えようか。

 束の間、銃丸で身を固めた者たちの自我もまた、山岳ベースの闇に縛られていたのである。縛る者たちの自我は、昨日の同志を縛ることで、自らの自我をも縛り上げていく。明日は我が身という恐怖が、残されし者たちの自我に抗いようもなく張り付いていく度に、縛る者の自我は確実に削り取られていく。削り取られるものは思想であり、理性であり、感情であり、想像力であり、人格それ自身である。

 こうして闇は益々深くなり、いつの日か、「そして誰もいなくなる」というミステリーをなぞっていくかのように、空疎なる時間に弄(もてあそ)ばれるのである。

 残されし者たちの、その自我の崩れも速かった。

 自我が拠り所にする思想が薄弱で、それは虚空に溢れる観念の乱舞となって、自我を支える僅かの力をも持ち得なくなる。山岳ベースで飛び交った重要な概念、例えば、「共産主義化」とか、「敗北死」とかいう言葉の定義が曖昧で、実際、多くの同志たちはその把握に苦慮していた。
 
 「実際のところ、共産主義化という概念はじつに曖昧で、連合赤軍の生存者たちは一様に、まったく理解できなかったと述べている。彼らは、いわゆる自己変革を獲得しようという心情的呼びかけはよく理解できた。問題は、変革を獲得した状態とはどういうものなのか、獲得する変革とはいったいなんなのか、何も描き出されていないことだった」

 これは、パトリシア・スタインホフ女史(注6)の「日本赤軍派」(河出書房新社刊)の中の共感する一節であるが、「共産主義化」という最も重要な概念が把握できないのだから、「総括が分らない」と訴えるのも当然であろう。
 

(注6)1941年生まれ.ミシガン州デトロイト出身.ミシガン大学日本語・日本文学部卒業後,ハーバード大学にて社会学博士号を取得.現在,ハワイ大学社会学部教授.戦前期日本の転向問題をはじめ,新左翼運動の研究で著名。(「岩波ブックサーチャー・著者紹介」より)

 「私は、山崎氏と土間にしゃがんで朝の一服をしながら話をしていたが、しばらくして、加藤氏が死んでいるのに気がついた。

 『大変だ!死んでいるぞ!』
 と叫ぶと、指導部の全員が土間にすっ飛んできた。皆は、加藤氏の死を確認すると、『さっきまで元気だったのに』といい合い、加藤氏の突然の死に驚いていた。特に加藤氏の弟たちの驚きは大きく、永田さんは二人を抱きかかえるようにしてなぐさめていた。

 『どうして急に死んでしまったんだろう』といいながら話し合っていたが、話し合いを終えると、永田さんが、指導部の見解を、『加藤は逃げようとしたことがバレて死んだ。加藤はそれまで逃げることが生きる支えになっていた。それが指摘されてバレてしまい、絶望して敗北死してしまった』と私たちに伝えた。

 誰も陰鬱な様子で何もいわなかったが、私は加藤氏の急な死が信じられない思いでいたため、永田さんの説明に、なるほどと思った。

 そして加藤氏の死因を絶望したことによる精神的なショック死と解釈し、この段階で、初めて『敗北死』という規定が正しいのだと確信した。それまでの私は、『敗北死』という規定がよくわからず、総括できずに殺されたと思っていたのである」(筆者段落構成)
 
 これは、植垣康博の「兵士たちの連合赤軍」からの抜粋であるが、同志たちの死に直面した一兵士が山岳ベースの闇の奥で、どのようにして自我を支えてきたのかということを示す端的な例である。

 「革命」を目指す人間が、同志殺しを引き摺って生きていくのは容易ではない。普通の神経の持ち主なら、例外なく自我の破綻の危機に襲われるだろう。自我の破綻の危機に立ち会ったとき、その危機を克服していくのも自我それ自身である。

 その自我は、自らの危機をどのように克服していくのか。

 同志殺しを別の物語に置き換えてしまうか。或いは、それを正当化し得ないまでも、心のどこかでそれを生み出したものは「体制」それ自身であるとして、引き続き反体制の闘士を続けるかなどの方略が考えられる。
 
 後者の典型が、後に中東に脱出した坂東国男や、獄内で死刑制度と闘うと意気込む永田洋子だろうか。然るに、山岳ベースの只中で闇の冷気を呼吸する若い自我が、なお「革命家」として生きていくには前者の選択肢しか残されていない。彼らは、「同志殺し」を「敗北死」の物語に置き換える以外になかったのだ。

 植垣康博の自我は、「総括」で死んでいった者は「総括する果敢な自己変革の闘争に挫折し、敗北死した」という把握に流れ込むことによって救済されたのである。だからこそ、寺岡恒一の指示で死体を殴れたのであり、その寺岡の胸をアイスピックで突き刺すことができたのである。

 しかし、植垣康博の自我の振幅は大きく、度々危険な綱渡りを犯している。

 指導部に入ることで人格が変貌したように思えた坂東国男に向かって、彼は「こんなことやっていいのか?」と問いただす勇気を持っていた。

 「党建設のためだからしかたないだろう」

 これが、坂東のぶっきらぼうな解答だった。

 連合赤軍兵士の中で、相対的に激情から最も程遠い自我を有していると思われる植垣は、結局、「敗北死」という物語に救いを求める外はなかったようだ。

 激情に流された遠山美枝子は、吉野雅邦(注7)らの指示で裸にした同志の死体に馬乗りになり、こう叫んだのだ。

 「私は総括しきって革命戦士になるんだ」

 彼女は叫びながら、死体の顔面を殴り続けた。その遠山も後日、死体となって闇に葬られる運命から逃れられなかったのである。彼らの自我は死体を陵辱する激情でも示さない限り、自己の総体が崩れつつある不安を鎮められなかったのだ。

(注7)事件当時23歳。横浜国立大学中退。京浜安保共闘出身。猟銃店襲撃事件や「印旛沼事件」(組織を抜けた二人の同士を永田の命令によって殺害した事件)に関与した後、山岳ベース事件後の「浅間山荘事件」に参加し、逮捕。1983年、東京高裁で無期懲役の判決を受け、上告せず、刑は確定した。なお、11番目の犠牲者となった金子みちよの事実上の夫でもあった。

 
 しかし事態は、悪化の一途を辿る。

 いったん開かれた負の連鎖は次第に歯止めがきかなくなり、「総括」に対する暴力的指導の枠組みを超える、処刑による制裁という極限的な形態が登場するに及んで、その残酷度がいよいよエスカレートしていくのだ。

 森と永田が、金子みちよ(京浜安保共闘)の母体から胎児を取り出す方法を真剣に話し合ったというエピソードは、最高指導部としての彼らの自我の崩れを伝えるものなのか。何故なら、「総括」進行中の金子から胎児を取り出すことは、金子の「総括」を中断させた上で、彼女を殺害することを意味するからであり、これは指導部の「敗北死」論の自己否定に直結するのである。

 森と永田の理性の崩れは、彼らが金子の腹部を切開して胎児を取り出せなかった判断の迷いを、事もあろうに、彼ら自身が自己批判していることから明らかであると言えようか。

 それとも「総括」による激しい衰弱で、もはや生産的活力を期待すべくもない肉体と精神を早めに屠って、未来の革命家を組織の子として育てた方がより生産的であるという思想が、ここに露骨に剥き出しにされていると見るべきなのか。

 いずれにせよ、こうして少しずつ、時には加速的に、人間の、人間としての自我が確実に削り取られていくのであろう。
 
 削り取られた自我は残酷の日常性に馴れていき、その常軌を逸した振舞いがほぼ日常化されてくると、同志告発の基準となる彼らの独善的な文法の臨界線も、外側に向かって拡充を果たしていく。

 これは、どのような対象の、どのような行為をも「総括」の対象になり得るということであり、そして、一度この迷路に嵌ったら脱出不能ということを意味するのだ。この過程の中で崩れかかっていた自我を一気に解体に追い込み、そして最後に、身体機能を抹殺するという世にもおどろおどろしい「箱庭の恐怖」が、ここに完結するのである。
 
 連合赤軍のナンバー3であった坂口弘は、遠山の死後、「敗北死」論によってさえも納得できない自我を引き摺って、遂に中央委員からの離脱を表明するが、しかし彼の抵抗はそこまでだった。

 パトリシア・スタインホフの言葉を借りれば、坂口のこのパフォーマンスは一時的効果をもたらしただけで、状況の悪化の歯止めになる役割をも持ち得なかった。

 彼女は書いている。

 「実際には何一つ解決してはいなかった。粛清への心理的ダイナミズムは相変わらずで、ただ延期されていただけなのだ。しかもその延期状態も不完全なものだった。すでに犠牲者となった人、弱点を警告された人、まだターゲットになっていない人、この三者のあいだに明確な区別は何もなかった」(前掲書より)

 今や、「箱庭」の空気は魔女裁判の様相を呈して、重く澱んでいたのである。

 16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに猛威を振るった魔女裁判の被害者は、身寄りなく、貧しく、無教養で陰険なタイプの女性に集中していたという報告があるが、やがてその垣根が取り払われて、「何でもあり」の様相を呈するに至るのは、抑止のメカニズムを持たない過程に人間が嵌ってしまうと、必ず過剰に推移してしまうからである。
 
 人間の自我は、抑止のメカニズムが十全に作動しない所では、あまりに脆弱過ぎるのだ。これは人間の本質的欠陥である。

 いったん欲望が開かれると、そこに社会的抑制が十全に機能していない限り、押さえが利かなくなるケースが多々出現する。上述したテーマから些か逸脱するが、ギャンブルで大勝することは未来の大敗を約束することと殆ど同義である、という卑近の例を想起して欲しい。

 これは脳科学的に言えば、ストレスホルモンとしてのコルチゾールの分泌が抑制力を失って、脳に記憶された快感情報の暴走を制止できなくなってしまう結果、予約された大敗のゲームに流れ込んでしまうという説明で充分だろう。「腹八部に医者いらず」という格言を実践するのは容易ではないのである。ましてや六分七分の勝利で納得することなど、利便なアイテムに溢れる現代文明社会の中では尋常な事柄ではないと言っていい。

 因みに、戦国武将として名高い武田信玄は、「甲陽軍鑑」(武田家の軍学書)の中で、「六分七分の勝は十分の勝なり。八分の勝はあやうし。九分十分の勝は味方大負の下作也」と言っているが、蓋(けだ)し名言である。私たちの理性の強さなど高が知れているのだ。

 榛名山の山奥に作られた革命のための「箱庭」には、適度な相互制御の民主的なルールの定着が全くなく、初めから過剰に流れるリスクを負荷していたのであろう。

 二人の処刑者を出した時点で、この「箱庭」は完全に抑止力を失っていて、「そして誰もいなくなる」という戦慄すべき状況の前夜にあったとも言えるのだ。

 連合赤軍の中央委員であった山田孝の「総括」の契機となったのは、何と高崎で風呂に入ったという瑣末な行為であった。

 これを、土間にいる兵士たちに報告したのは永田洋子である。
 
 「山田は、奥沢君と町へ行った時、車の修理中に風呂に入ったことを報告しなかったばかりか、それに対して、奥沢君と一緒に風呂に入ったのは指導という観点からはまずかったとは思うが、一人ならば別にまずいとは思わないといった。これは奥沢君はまだ思想が固まっていないから、そういう時に風呂に入ればブルジョア的な傾向に流れるが、山田の様な思想の固まった人間ならば、町に出て風呂には入ってもよいということで、官僚主義であり、山の闘いを軽視するものだ。山田は、実践を軽く見ているので、実践にしがみつくことを要求することにした」(「兵士たちの連合赤軍」より)
 
 要するに、二人で町の風呂に入った行動を批判された山田が、「一人で風呂に入れば問題なかった」と答えた点に対して、それこそ、「官僚主義の傲慢さの表れ」だと足元を掬われたのである。

 逮捕後、まさにその官僚主義を自己批判した当人である永田のこの報告を受けた兵士たちが、異口同音に、「異議なし!」と反応したことは言うまでもない。

 続いて森が、山田の問題点を一つ一つ挙げていき、恫喝的に迫っていく。
 
 「お前に要求されている総括は実践にしがみつくことだ」

 その恫喝に、山田の答えは一つしかない。

 「はい、その通りです」

 更に森は、冷酷に言い渡す。

 「お前に0.1パーセントの機会を与える。明日から水一杯でまき拾いをしろ」
 
 これが、最後の「総括」者、山田孝粛清のプロローグである。
 
 森恒夫は、自著の「銃撃戦と粛清」(新泉社刊)の中で、山田孝の問題点を以下のように記している。

 @ 尾崎、進藤、加藤、小嶋さんの遺体を埋めに行く際、彼が動揺した様子で、人が居ないのに居るといったりした事。 
 A 70年の戦線離脱の頃から、健康は害していたが、そうした自己を過度に防衛しようという傾向がある事。
 B 常に所持すべき武器としてのナイフを、あるときは羽目板を夢中で刺したりしながら、置き忘れたりする事。
 C これらと軍事訓練ベースの調査報告を厳しく行い、自然環境の厳しさのためには科学的対処が必要だと称して、多くの品物を買い込んだ事、等々。
 

 以上の山田の問題は、階級闘争への関わり方の問題であり、常に書記局的、秘書的な活動に終始した問題であり、更にかつて、「死の総括」を批判しながら、「これは革命戦士にとって避けて通れない共産主義化の環である」、という森らの見解にすぐに同調する弱さなどを指摘した。

 この最後の「すぐに同調する」という指摘は、当時の森恒夫による兵士たちへのダブルバインド状況を証明する貴重な資料となるものだが(批判を許さず、且つ、同調を許さずという二重拘束状況)、それにしても、@〜Cに網羅されてあることの何という非本質性、末梢性、主観性、非合理性。

 まさに重箱の隅を突っつく観念様式である。こんなことに時間をかけて労力を費やすなら、いかに殲滅戦を結んでいくかということにエネルギーを傾注したら良さそうなのに、とつい余計なことを嘆じてしまうほどだ。

 しかしこれが、抑制系のきかない過程を開いてしまった者の、その過剰の様態なのである。果たして、誰がこの冥闇(めいあん)の袋小路から脱却できるだろうか。

 ところで永田洋子は、巷間で取り沙汰されているように異常なサディストではない、と私は考えている。

 例えば、一審で中野裁判長は、永田洋子の人格的イメージを、「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格と共に、強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵している」と決め付けたが、この巷間に流布された「悪女」伝説には、「こんな禍々(まがまが)しい事件を起こした女」という先入観によって、かなりラベリングされたイメージが色濃く反映されている。

 私には、永田の手記、書簡や他の者たちの手記から受ける彼女のイメージは、山岳ベース内で下位の同志たちに、「鬼ババア」という印象を与えていた事実に見られるように、確かに、以上に列記した感情傾向を内在させていなかったとは思わないが、それでも、「極めつけの悪女」とは縁遠いという印象が強いのだ。寧ろ、外国人のパトリシア・スタインホフが提示する永田評の方が説得力を持つと思われる。

 彼女は書いている。
 
 「ことさら内省的な人間でも分析的な人間でもないが、すべてうまくいくと信じて、一つの行動方針に頑固にしがみつくずば抜けた能力をもっている」(前掲書)
 
 この指摘には、とても鋭利なものがある。
 彼女の犯した誤りの奥にある何かが垣間見えるからである。

 これだけはほぼ確信的に言えることだが、森や永田の執拗な追及は、所謂、「ナンバー2を消せ」というような心理的文脈とは殆ど無縁であり、ましてや、「気に入らない者」を排除するという目的のためだけに、そこに考えられ得る全ての罪状を並び立てていくというような文脈とも異なっているということだ。

 彼らは、「排除のための排除」という論法に、狂気の如く憑かれた権力者などではない。誤解を恐れずに言えば、彼らは本気で「革命戦士」であろうとしたのである。本気で、資本制権力との殲滅戦を結んでいこうとしたのだ。

 確かに、森恒夫には権力に固執する態度が見られるが、だからといって、自らの権力を維持するためだけに「総括」を捏造(ねつぞう)するという言動を一度も晒していない。

 森は寺岡恒一を裁くとき、「お前はスターリンと同じだ」と言い放ったが、極めてスターリン的行動に終始した森恒夫が、悪名高い「粛清王」のスターリンと別れる所は、キーロフ事件(大粛清の発端となった、党幹部への暗殺事件)に見られる、「邪魔者は殺せ」という体質の有無である。

 森恒夫と永田洋子は、単に「革命戦士」としてあるまじき人間的資質が我慢できなかったのである。ましてや、森は自分の過去に「汚点」を持つから、それが他者の中に垣間見えてしまうことが我慢ならなかったのだ。そう思えるのである。

 因みに、人間はなぜ他者を感情的に嫌い、憎むのか。

 他者の中に、自分に内在する否定的価値を見てしまうか、或いは、自分に内在すると信じる肯定的価値を見出せないか、いずれかであるだろう。

 これは、それらの価値にセンシブルに反応する自我ほど根強い傾向であると思われる。真面目な人間ほど、この傾向が強いのだ。潔癖であることは、しばしば罪悪ですらある。連合赤軍の兵士たちもまた、あまりに潔癖たる戦士たろうとしたのである。
 
 森恒夫の遺稿を読んでいくと、この男が物事を杓子定規的に把握する性向の持ち主であることが良く分る。しかし、物事を合理的に解釈する人間が、非合理的な発想といつでも無縁であるとは限らない。一つの人格の内部に、際立った合理主義と極端な非合理主義が同居するケースがあっても、別に不思議ではないのである。森恒夫のロジックは、しばしば信じ難いほどの精神主義によって補完されていたし、彼のパトスはロゴスを置き去りにして、暴発する危険性を絶えず内包していた。

 当時の「革命派青年」の多くがそうであったように、史的唯物論者であるが故と言うべきか、森恒夫の極めて観念的な傾向は、恐らく、同様の観念傾向を持つ下位の同志たちの、その思想性を被せた振舞いのスタイルの方向付けにとって明らかな障壁になったし、それが「総括」を要請された者の内側に軽視し難い混乱を与えたことは事実であろう。

 森と永田は、連合赤軍という「思想家族」の子供たちにとって威厳に満ちた父であり、また些かの怠惰をも見逃してくれない厄介で、嫉妬深い母でもあった。彼らは我が子を支配せずには済まない感情から自由でなかったばかりか、子供たちの隠れ遊びの何もかも把握しないではいられない地平にまで、恐らく、知らずのうちに踏み込んでしまっていたのだ。それと言うのも、彼らのそうしたフライングを抑止し得る必要な手続きを、「箱庭」の小宇宙の内側に彼ら自身が作り上げてこなかったからである。

 一切は、「革命戦士」への変革という絶対命題の産物でもあった。

 彼らは好んで、自らの子供たちへのダブルバインドを弄(もてあそ)んだ訳ではあるまい。プライバシーの垣根を取り払い、誰が誰に対してどれほどの愛欲に煩悶したかという、それ自体、至極人間的なる振舞いを、山岳ベースに侵入するまではさして問題にされなかった事柄に及ぶまで、彼らは悉く革命思想の絶対性の名によって裁いてしまう世界を強引に開かせてしまったのだ。
 
 ある種の捨て難き欲望が別の厄介なる欲望によって裁断を下されるという、踏み込んではならない禁断の世界を開いた行為のツケが、理性の継続力が困難な厳寒の上州の冬に、集中的に、且つ爆発的に表現されたのである。

 プライバシーのボーダーが曖昧になることで、相互の人格の適正なスタンスを確保することが困難になり、「有効攻撃距離」の臨界ラインが容易に超えられていく。関係の中に序列が持ち込まれているから、序列の優位者が劣位者の内側に踏み込んでいくという構図が般化される。

 序列の優位者によって過剰に把握された下位者のプライバシーは、不断に「革命戦士」という極めて恣意的な価値基準によって日常的に検証されるから、極度な緊張状態の下に置かれることになるのだ。当然の如く、強度な緊張が作業ミスなどを生んでいくだろう。そして、そのミスを必死に隠そうとするから、緊張状態は飽和点に達する。また絶えず、上位の者の眼差しを捕捉して、そこへの十全な適応を基本戦略にするから、自分の意見や態度などの表出を極力回避してしまうのである。

 これは自我の戦略なのだ。

 自我の疲弊が加速化するから、それが崩れたときのリバウンドが、あまりに呆気ないほどの死というインパクトをもたらすケースも起こり得る。これが「敗北死」の心理メカニズムである。

 ともあれ、パーソナルスペースの適正なスタンスの解体が、「有効攻撃距離」を日常的に設定してしまうという畏怖すべき状況を生んでしまうのだ。序列の優位者からの下位者に対するダブルバインドが、ここに誕生するのである。

 「有効攻撃距離」の日常的設定が、序列の優位者の支配欲を益々増強させ、序列の下位者の自我を益々卑屈にさせていく。序列の下位者はポジションに対応した有効な適応しか考えないから、その卑屈さを見抜いた優位者によって、解答困難なテーマが連続的に放たれることになる。これが、ダブルバインドのメカニズムである。

 Aという答えしかあり得ない状況の中で、Aという答えを表出することが身の危険を高めることを予測し得るとき、人は一体、何と答えたらいいのであろうか。ここには、人間の自我を分裂に導く最も確度の高い危険が潜む。人はここから、どのように脱出し得るのか。

 人間はこういうときに、或いは、最も残酷な存在に変貌する。

 自分以外に自分の行為を抑止し得る何ものなく、且つ眼の前に、自分に対して卑屈に振舞う下位者の自我が映るとき、Aという答えしかあり得ないのに、Aという答えを絶対に表出させない禅問答の迷路に追い詰めたり、AでもBでもCでも可能な答えの中で、いずれを選択しても、必ず不安を随伴させずにはおかない闇に閉じ込められてしまったりという心理構造をダブルバインドと呼ぶなら、それこそ、人間の人間に対する残酷の極みと言っていい。

 何故なら、相手の自我を分裂させ、それを崩壊に導く行為以上の残酷性は、自我によって生きる人間世界には容易に見当たらないからだ。
 
 ここに、山岳ベースの恐怖の本質がある。
 
 山岳ベースで起こったことは、そこに蝟集(いしゅう)するエネルギッシュな自我をズタズタに切り裂き、遂に闇の奥に屠ってしまったということ以外ではない。自我殺し(魂の殺害)の罪こそ、縛りし者たちが一生背負っていかねばならぬ十字架なのである。

 ここで、以上の仮説を整理しておく。

 題して、「総括という名の自我殺しの構造」である。(これについては、本章の最後に一つの表にまとめたので、参考にされたい)

 これは、「榛名ベースの闇」の心理解析である。
 
 連合赤軍は、最強のダブルバインドを成立させてしまったのだ。ここに「箱庭の恐怖」が出現し、常態化してしまったのである。

 「箱庭の恐怖」のコアは、「箱庭」に蝟集(いしゅう)した特定の物語(革命幻想)を厚く信仰する、「優しさの達人」の志願者たちの自我をズタズタに切り裂いて、闇に屠(ほふ)ってしまったことにある。「人民法廷」の向こうにいる者もこちらにいる者も、押し並べて、精神に異常を来していた訳ではない。彼らは一様に、「革命の捨石」になろうと考えていたのであり、強大な資本制権力と殲滅戦を結んで、立派に殉じようと願っていたのである。

 少なくとも、彼らの主観的心情はそうであった。

 そんな彼らの「ピュア」な思い入れが、「榛名ベースの闇」にあっという間に呑み込まれていく。「箱庭」状況と「箱庭の帝王」の出現を接合したのが、「帝王」もどきの人物による「共産主義化論」の唐突なる提示であった。これが、状況の闇を決定づけてしまったのである。加藤能敬への総括過程の初期には、加藤を立派な革命戦士に育てようという思いがまだ息づいていて、加藤自身もそのことを感知していたから、眼の輝きも失っていなかった。

 榛名ベースに遅れて参加した植垣康博は、その辺の事情について「兵士たちの連合赤軍」の中で書いている。
 
 「小屋内には張り詰めた雰囲気がみなぎり、大槻さんにも共同軍事訓練のようなはつらつとした感じが見られなかった。土間の柱の所には一人の男が縛られていた。加藤能敬氏だった。加藤は憔悴した顔で静かに坐っていたが、眼には輝きがあった。私は、彼が総括要求されている男だなと思い、総括要求のきびしさを感じたが、この張り詰めた雰囲気に負けてはならないと思った」
 
 実はこの時点で、既に加藤への「暴力的指導」が開かれていたのだが、しかし殴打という重大な制裁をきちんと定義するための確認が、まだそこでは行われていて、加藤への最初の殴打が、単に感情的暴発の産物ではなかったことが分るのである。 

 詳細に言及しないが、「革命左派」だった加藤の様々な問題点が左派の側から報告された後、森恒夫は以下のことを言い放ったのだ。
 
 「革命戦士としての致命的な弱さを抱えた加藤を指導するために殴る。殴ることは指導なのだ。殴って気絶させ、気絶からさめた時に共産主義化のことを話す。気絶からさめた時に共産主義化のことを聞き入れることができるはずや」
 
 森はそう提起して、それを指導部が受け入れたのである。(この辺については、坂口弘の「あさま山荘1972・下」や、永田洋子の「続十六の墓標」に詳しい。共に彩流社刊)

 このとき永田洋子は、自らが「今から殴ろう」と提案しつつも、心中は穏やかではなかった。

 彼女は書いている。
 
 「私はこたつのなかに入れていた手がブルブル震えていた。殴ることに抵抗があったうえ、指導として殴ることの殺伐さに耐えられない思いがしたからである。しかし私はこの震えを隠し、指導として殴るならば耐えねばならない」
 
 これが、「悪女」と罵られた一被告の、暴力的総括への心理のブレの断面である。

 しかし、全てはここから開かれていく。

 気絶させるまで集団暴行を加えるという行為が、「革命戦士」として避けられない行程であると位置づけられることで、物語は脚色され、一人歩きしていく。「気絶による共産主義化」という、森の信じ難い人間理解の底知れぬ鈍感さは、恐らく、彼の固有の欠陥であった。森は加藤を殺害する意志など毛頭なかったのだ。これは、赤軍派時代から身に付けてしまった、ある種の暴力信仰の悪しき産物でもあったと言える。

 しかし、ここは都市ではなかった。

 叫びを上げる者が緊急避難する僅かのスペースもここにはなく、裸の自我を強制的に晒されて、もはや隠そうとしても隠し切れない卑屈さが、周囲の冷厳な眼差しの中に引き摺り出されてくる。ここに、「箱庭の恐怖」が出現するのである。

 まもなく、暴力の加担者の自我にも、相手の卑屈さに怒りを覚える感情がまとってきて、却って攻撃を加速させることになる。「こいつは革命戦士であろうとしていない」と感受してしまうことで、益々相手が許し難くなってしまうのだ。序列の明瞭な関係が「箱庭」状況を作り、そこから脱出困難な事態に直面したり、過剰な物語によって補強されてしまったりすると、極めて危険な展開が開かれてしまうことがある。人民寺院事件(注8)やブランチ・ダビディアン事件(注9)を想起して欲しい。「榛名ベースの闇」こそ、まさにこの典型的な突出だった。

 誰も、ここで犯罪者になろうとしたのではない。誰も、ここで「敗北死」による死体であろうとしたのではない。様々に異なった因子が複雑に重なり合って闇に溶けるとき、そこに通常の観念ではおよそ信じ難い過程が突如開かれてしまい、「これは変だな」と思いつつも、誰もそれを軌道修正することができず、唯、いたずらに時間だけが流れていく。

 人間は過去に、こうした闇の記憶を嫌というほど抱え込んできているのに、記憶の正確な伝達が理性的に行われてこなかったために、いつでも同じような誤りを重ねてきてしまうのだ。人間はなかなか懲りない存在なのである。

(注8)1978年に、ジム・ジョーンズという男が率いる米国キリスト教系カルト宗教団体(「人民寺院」)が、南米のガイアナで集団自殺を行ったことで知られる事件。

(注9)1993年、アメリカ・テキサス州で起きた事件。デビッド・コレシュ率いる「ブランチ・ダビディアン」というカルト的宗教団体が、武装して篭城した挙句、集団自殺した事件だが、自殺説には今も疑問が残されている。当時警官隊の突入の際、その映像が全米で中継され衝撃を与えた。

 
 ここに、あまりに有名な心理実験がある。

 1960年代に行われた、エール大学のスタンリー・ミルグラムという心理学者による実験がそれである。パトリシア・スタインホフ女史も、「日本赤軍派」の中で紹介していたが、私もまた、この実験に言及しない訳にはいかない。連合赤軍事件の心理メカニズムにあまりに酷似しているからである。

 実験はまず、心理テストに参加するごく普通の市民たちを募集することから始めた。応募した市民たちにボタンを持たせ、マジックミラーの向こう側に坐る実験対象の人たちのミスに電気ショックを与える仕事のアシストを求める。

 こうして実験はスタートするが、事前に実験者たちから、あるレベル以上の電圧をかけたら被験者は死亡するかも知れないという注意があった。それにも拘らず、60パーセントにも及ぶ実験参加者は、被験者の実験中断のアピールを知りながら、嬉々としてスイッチを押し続けたのである。これは、学生も民間人も変わりはなかった。

 勿論、実験はヤラセである。電気は最初から流れておらず、被験者の叫びも演技であった。しかし、これがヤラセであると知らず、実験参加者はボタンを押したのである。このヤラセ実験の目的は、実は、「人間がどこまで残酷になれるか」という点を調査することにあった。
 
 そして、この実験の結果、人間の残酷性が証明されたのである。

 しかし実は、この実験はこれで終わりにならない。この実験には続きがあるのだ。即ち、被験者がミスしても、今度はどのようなボタンを押してもOKというフリーハンドを許可したら、何と殆どの市民は、最も軽い電圧のボタンを押したのである。

 この実験では、人間の残酷性が否定されたのである。

 これらの実験は、一体何を語るのか。

 人間の残酷性か、それとも非残酷性か。その両方なのである。人間は残酷にもなり得るし、充分に優しくもなり得るのである。

 両者を分けるのは何か。

 一つだけはっきり言えることは、命令系統の強力な介在の有無が、人間の心理に重要な影響を与えてしまうということである。つまり人間は、ある強力な命令系統の影響下に置かれてしまうと、そこに逆らい難い行為の他律性が生じ、これが大義名分に深々とリンクしたとき、恐るべき加虐のシステムを創造してしまうのである。

 就中、平等志向が強く、且つ、「視線の心理学」に振れやすい私たち日本人は、多くの場合、横一線の原理で動いてしまう傾向があるから、隣の人のスイッチ・オンを目撃してしまうと、行為の自律性が足元から崩れてしまうようなところがある。

 しかも、ここに「傍観者効果」の構成因子の一つである、「責任分散の心理学」(自分だけが悪いのではないと考えること)が媒介すると、加虐のメカニズムは構造化するだろう。

 これは疑獄事件の中心人物に、「私だけが悪くない」と言わしめる構造性と同質であり、この国の民がアジア各地で傍若無人の振舞いをしておきながら、「国に騙された」と言ってのける醜悪さとも大して変わりないだろう。
 
 人類学者の江原昭善氏は自著の中で、人間の内側に潜む「殺戮抑制」について言及しているが、これは、このような醜悪極まる私たち人間を救う手がかりと言えるかも知れない。

 江原氏は、「十九世紀の中頃には捕虜を射殺することを命じられた十二名の兵士の銃のうち、十一丁には実弾を、一丁には空砲をこめておくのがふつうだった」というクロポトキンの言葉を紹介したあと、つまりどの兵士も、自分は殺害者ではないと考えて自らの良心を慰めたことを指摘し、そこに人間の「殺戮抑制」を見ようとするのである。

 私は人間の「殺戮抑制」というものについて、否定も肯定もしない。人間には「何でもあり」と考えているから、性善説とか性悪説とかの問題の切り取り方にどうしても馴染まないのである。

 因みに、死刑制度を維持するわが国の処刑手段が、刑法11条1項によって絞首刑であると定められている事実を知る人は多いだろうが、実際に処刑のボタンを押す人が複数存在し、その中の一つが、処刑を成功裡に遂行する本物のボタンであるという事実を知っている人は少ないに違いない。この国もまた、刑務官の心の負担を軽減するためのシステムを維持しているのである。

 ただ、これだけは言える。

 人間は感情関係のない相手を簡単に殺せない、ということである。

 人間が人間を殺すことができるのは、通常そこに怨念とか、思想とか、使命感とか、組織の論理とかが媒介されているからであり、役職とはいえ、法務大臣にしたって、自らの在任中になかなか死刑執行の許可を与えにくいのである。仮に死刑執行の赤鉛筆署名をした法務大臣が、刑務場を事前に確認する行為を回避するという話もよく聞く所である。司法行政の最高責任者もまた、様々な感情を持った一人の人間であるということだ。

 翻って、連合赤軍の死の「総括」は、感情関係がドロドロに液状化した澱みのような溜りで噴き上がっていて、際立って人間的だが、しかし、あまりに過剰な狂宴に流され過ぎてしまったと言えるだろうか。

 残されし者たちの自我も跳躍を果たせずに、侵蝕による崩れの危機に立ち会って、じわじわと自壊の恐怖に呑み込まれつつあった。殲滅戦という本番に備えたはずのトレーニングの苛酷さの中で、肉体と自我のいずれもがブレークダウン(この場合、生体機能の衰弱)を起こしてしまって、本番を見ずに朽ちてしまいかねなかったのである。

 「箱庭の恐怖」は最も危険な心理実験の空気の前線となり、全ての者が電気スイッチを掌握し、誰とは言わずに被験の場に引き摺り出されるゲームの渦中にあって、ひたすら「革命幻想」の物語に縋りつく他はない。もうそこにしか、拠って立つ何ものも存在し得ないのである。人間はこうして少しずつ、そして確実に駄目になっていく。

 残されし者たちの何人かが権力に捕縛され、何人かが権力との銃撃戦に運命を開いていくことになったとき、残されし者たちの全ての表情の中に、ある種の解放感が炙り出されていたのは、あまりに哀しきパラドックスであった。

 「それまでの共産主義化の闘いの中で、見えない敵とわけのからない闘いを強いられ、激しい重圧によって消耗しきっていたところに、やっと眼に見える敵が現れ、共産主義化の重圧、とりわけ多くの同志の死に耐えてきた苦痛から解放され、敵との全力の闘争によって、多くの同志を死に追いやった責任をつぐなえると思ったからである。私は、本当に気持ちが晴れ晴れとしていた。皆も、同様らしく、活気にあふれていた。しかし、そうした気分とはうらはらに、凍傷と足の痛み、体の疲労が一段とひどくなっており、はたしてこの山越えに私の体が持つだろうかという不安があったが、体が続く限り頑張るしかなかった」(「兵士たちの連合赤軍」より)

 これは本稿で度々引用する、連赤の一兵士であった植垣康博の手記の中の、実に印象的な一節である。

 「総括」を要求され続けていた植垣の運命を劇的に変えた山岳移動の辛さを、「解放」と読み解く心理を斟酌するのは野暮である。兵士たちを追い詰めた「箱庭の恐怖」が去ったとき、彼らの崩れかかった自我は信じ難いほどの復元力を示して見せた。そこでの反応には勿論、それぞれの置かれた状況や立場による個人差があるだろうが、少なくとも、植垣のような一兵士にとって、それは魔境を閉ざす険阻な壁の崩壊を実感するほどの何かだったのだ。

 この山越えの先に待っていたのが権力による捕縛であったにせよ、山越えは兵士たちにとっては、「箱庭の恐怖」を突き抜けていく行為であった。

 山を越えることは恐怖を越えることであり、恐怖を越えることによって、崩れかけた自我を修復することであった。

 それは、もうこれ以上はないという苦痛からの解放であり。この解放の果てに待つものが何であったにしても、兵士たちには難なく耐えられる苦痛であると思えたに違いない。「榛名ベースの闇」に比較すれば、それは均しくフラットな苦痛でしかなかったのだ。

 連合赤軍の兵士たちが上州の山奥に仮構した世界は、人々の自我が魔境にアクセスしてしまうことの危険を学習するための空間以外ではなかった。

 そして兵士たちは、最後までこの小宇宙からの脱出を自らの意志によって果たせなかった。小宇宙の外側で起こりつつある状況の変化を読み解くことによってしか、兵士たちは自らの自我を縛り続けた小宇宙からの脱出を果たせなかったのである。

 まるで、自らの墓穴を黙々と掘り続ける絶滅収容所の囚人のように、縛られて凍りついた自我は、いたずらに時間に弄(もてあそ)ばれていただけだった。人々の自我は限りなく絶望の極みに嘗め尽くされてしまうとき、声も上げず、体も起こさず、思いも表さず、ひたすら呼吸を繋いでいくばかりとなる。生存の内側と外側を分ける垣根がそこになく、季節の風も、それを遮る力がない自我を貫流し、凍てつく冬をそこに置き去りにしていくのだ。
 
 兵士たちは、そこで何を待っていたのか。

 何も待っていないのだ。 彼らの自我は長い間、待つことすらも忘れていたのである。

 待つことすら忘れていた自我に、一陣の突風が吹きつけてきた。突風は、自我が自我であることを醒ますに足る最も刺激的な何かを運んできた。

 兵士たちの自我は突き動かされ、通俗の世界に押し出されていく。

 このとき、「箱庭の恐怖」の外側に、もう一つの別の世界が存在することを知った。兵士たちは、この世界こそ自分たちが、自分たちの信仰する教義によって破壊されなければならないと覚悟していた世界であることを、そこに確認する。

 崩れかかっていた兵士たちの自我は、この世界を前にして見事に甦ったのだ。自分たちのこれまでの苛酷は、この世界を倒すために存在し、その苛酷の補償をこの世界に返済してもらうことなく、自分たちの未来が決して拓かれないであろうことを、兵士たちの自我が把握したのである。
 
 兵士たちは山を越えることで、苛酷の過去を越えていく。恐怖を越えていく。自らを縛り上げていた闇を明るくしていく。

 時間を奪還する兵士たちの、無残なまでに独りよがりの旅が、こうして開始されたのだ。

 

〔総括という名の自我殺しの構造〕(連合赤軍というダブルバインド)

           組織の誕生と殲滅戦の思想の選択
           (序列の優位者と下位者への分化)
                  ↓
「箱庭状況の出現」= 山岳ベースの確保と革命戦士の要請
           (「共産主義化論」の下達)
                  ↓
「箱庭の帝王の出現」=「共産主義化論」による「総括」過程の展開
                  ↓
           「総括」過程の展開によるプライバシーの曖昧化
              (個と個の適性スタンスの解体)
                  ↓
「箱庭の恐怖の成立」=有効攻撃距離の日常的設定による
               暴力的指導の出現
                  ↓
「箱庭の恐怖の日常化」=序列の優位者と下位者間の緊張の高まりと、
            自我疲弊によるアウト・オブ・コントロールの日常化
                  ↓
    卑屈さの出現(下位者→優位者)と支配力の増強(優位者→下位者)
    
            最強のダブルバインドの成立
      (Aしか選択できないのに、Aを選択させないこと、或いは、
        あらゆる選択肢の中からいずれをも選択させないこと)

4.恐怖越えの先に待つ世界  

 しかし兵士たちの山越えは、兵士たちの運命を分けていく。

 時間を奪還できずに捕縛される者と、銃撃戦という絶望的だが、せめてそれがあることによって、失いかけた「革命戦士」の物語を奪還できる望みがある者との差は、単に運命の差でしかない。この運命の差は、同時に、抑え付けていた情念を一気呵成(かせい)に噴出させる僥倖(ぎょうこう)を手に入れるものができた者と、それを手に入れられなかった者との差であった。

 もっとも坂口弘のような、同志殺しの十字架の重みで崩落感の極みにあった「革命戦士」がいたことも事実であった。しかし本人の思いの如何に拘らず、銃撃戦という劇的な状況展開のリアリティが、「榛名の闇」で集中的に溜め込んだストレスを、束の間、吐き下す役割を果たしたことは否定できないであろう。

 銃撃戦に参加した戦士たちは一気に通俗の世界の晒し者になるが、5人の内側で殲滅戦という極上の観念が銃丸を放つ感触の中に、何某かの身体化を獲得するような徒(ただ)ならぬ快感をどれだけ踊らされていたか、私は知る由もない。

 いずれにせよ、彼らが山荘の管理人の夫人に対して慇懃(いんぎん)に対応し、それは恰も、「人民からは針一本も取らない」という物語を実践する、彼らの固有のストイシズムが自壊していなかったことを思えば、「革命戦士」という物語へのギリギリの固執をそこに見ることができる。

 彼らは管理人の夫人を人質にしたというよりも、人民の生活と権利を守るための自分たちの戦争に、人民が加担するのは歴史の義務であるという思いを抱き、そのことを啓蒙するという使命を持って夫人に接近したようにも思われた。

 彼らの内側では、自分たちの行為はあくまでも革命の切っ先であり、そのための蜂起であり、都市叛乱に引火させる起爆的な決起であったと考えたのであろう。

 だがそれは、どこまでも彼らの方向付けであり、それがなくては支え切れない苛酷の過去からの眼に見えない脅迫に、彼らの自我が絶えず晒されていたことを、私たちは今読み解くことができる。兵士たちはここでも、自分たちを縛り続けた過去と戦争していたのである。
 
 この戦争については、これ以上書かない。

 当然、「浅間山荘」という代理戦争にも言及しない。言及することで得られる教訓は、本稿のテーマに即して言えば、殆ど皆無だからである。

 一切は、「榛名ベースの闇」の奥に出現し、そこに戻っていく。縛りし者たちの自我が、縛るたびに自らを縛り上げていく地獄の連鎖に捉われて自らを崩していくさまは、私たちの日常世界でもしばしば見られる風景である。

 「自立しろ」と説教を垂れた大人が、その説教をうんざりする位聞かされていた、子供の自立への苦闘を目の当たりにして、「こうやるんだ!」とか、「そっちに走れ!」とか叫んで過剰に介入してしまうフライングから、私たちは果たしてどこまで自由であり得るのか。子供の自我を縛るたびに、私たちは私たちの自我をも少しずつ、しかし確実に縛り上げているとは言えないか。

連合赤軍の闇は、実は私たちの闇ではなかったか。連合赤軍の兵士たちが闘い抜いたその相手とは、国家権力でも何でもなく、解放の行方が見定められない私たちの近代の荒涼とした自我それ自身であったのかも知れない。

 兵士たちは残らず捕縛された。
 
 そして、そこに十二名の、縛られし者たちの死体が残された。そこに更に、二名の死体が発見されるに至った。凍てついた山麓に慟哭が木霊(こだま)する一方、都市では、長時間に及んだアクション映画の快楽が密かな自己完結を見た。

 それは、都市住民にとっては、簡単に口には出せないが、しかし何よりも格好の清涼剤であった。このアクション映画から、人々は絶対に教訓を引き出すことをしないだろう。「連合赤軍の闇」が、殆ど私たちの地続きの闇に繋がっていること(注10)を、当然の如く、私たちは認知する訳がない。狂人によって惹き起こされた狂気の宴とは全く無縁の世界に、自分たちの日常性が存在することを多くの人々は認知しているに違いない。

 それで良いのかも知れない。

 だから、私たちの至福の近代が保障されているのだろう。それは、森恒夫というサディストと、永田洋子という、稀に見る悪女によって惹き起こされた、殆ど理解不能な事件であるというフラットな把握以外には、いかなる深読みも無効とする傲慢さが大衆には必要だったのだ。

 私たちの大衆社会は、もうこの類の「人騒がせな事件」を、一篇の読み切りコミックとしてしか処理できない感性を育んでしまっているように思われる。兵士たちがどれほど叫ぼうと、どれほど強がって見せようと、私たちの大衆社会は、もうこの類の「異常者たちの事件」に恐喝されない強(したた)かさを身につけてしまったのか。

 連合赤軍事件は、最終的に私たちの、この欲望自然主義に拠って立つ大衆社会によって屠られたのである。私たちの大衆社会は、このとき、高度成長のセカンドステージを開いていて、より豊かな生活を求める人々の幸福競争もまた、一定の逢着点に上り詰めていた。人々はそろそろ、「趣味に合った生き方」を模索するという思いを随伴させつつあったのだ。

 そんな時代の空気が、こんな野蛮な事件を受容する一欠片の想像力を生み出さないのは当然だった。大衆と兵士たちの距離は、もう全くアクセスし得ない所にまで離れてしまっていたのである。

 これは、本質的には秩序の不快な障壁を抉(こ)じ開けるという程度の自我の解放運動であったとも言える、1960年代末の熱狂が、学生たちの独善的な思い込みの中からしか発生しなかったことを自覚できない、その「思想」の未熟さをズルズルと引き摺ってきたツケでもあった。彼らの人間観、大衆観、状況観の信じ難い独善性と主観性に、私は言葉を失うほどだ。彼らには人間が、大衆が、その大衆が主役となった社会の欲望の旋律というものが、全く分っていなかったのである。
 
 人間に善人性と悪人性が、殆ど同居するように一つの人格の内に存在し、体制側にもヒューマニストがいて、反体制側にも極めつけの俗物が存在してしまうということが、その人間観の本質的な把握において、彼らには分っていなかった。この把握の圧倒的な貧弱さが、彼らの総括を、実は更に陰湿なものにしてしまったのである。

(注10)「箱庭の恐怖」が人間の棲む世界において、どこにでも形成されてしまうことを、私たちは認知せねばならないだろう。

 即ち、以下の条件を満たすならば、常に「箱庭の恐怖」の形成はより可能であるということだ。
 
 それは第一に閉鎖的空間が存在し、第二に、その空間内に権力関係が形成されていて、第三に、以上の条件が自己完結的なメカニズムを持ってしまっていること、等である。そこに、何某かの大義名分や思想的文脈が媒介されれば、「箱庭の恐怖」の形成は決して困難ではない。例えば、閉鎖的なカルト集団や、独善的な運動団体、虐待家庭、等々。

 加藤能敬の自我を裸にして、その性欲の蠢動(しゅんどう)を引き摺り出してきたときの、森や永田の当惑のさまは、人の心の様態を世俗の水準で洞察できない理論居士の、ある種の能力の著しい欠損を晒すものであった。 

 彼らには、「性欲の処理で悩む革命戦士」は絶対に存在してはならない何かであったのか。当然の如く、欲望は生み出されてしまうもので、生み出されてしまった欲望は、欲望を生み出した、極めて人間的な学習過程の不可避な産物であり、それを自我が十全に統御し得なかったから、少なくとも、それを噴出させるべきではない状況下でギリギリに制御する仕掛けを、内側に拵(こしら)え上げていくように努めるというような文脈の中でしか処理できないのである。
 
 「共産主義化をかちとれば、本当に人間を知り、人間を好きになることができる」
 
 これは、森恒夫の常套句。

 自分でも恐らく、深く考察しなかったであろう、この「人間音痴」の命題の底流に脈打っている理性への過剰な信仰は、実は、自分が拠って立たねばならないと考えているに過ぎない内側の事態処理システムであって、森恒夫という自我自身によって、充分に検証を受けたものではないことが推測される。資料で読む限り、森恒夫という人間ほど非合理的で、非理性的な人間はいないからである。
 
 例えば、山崎順(赤軍派)の処刑の際、山崎が呻くようにあげた「早く殺してくれ」という声を、森は、「革命戦士の自己犠牲的誠実さ」という風に規定してしまうのである。

 これは、山岳ベースにおいてではなく、逮捕後の獄中での比較的冷静な、彼の「総括」の時間の只中においてである。山岳ベースでの遣り切れなさが、ひしひしと伝わってくるようだ。

 こういう遣り切れなさが、最も陰惨な風景の中で語られてしまうのは、もう一人の処刑者、寺岡恒一のケースである。

 寺岡は追い詰められたとき、「銀行強盗をやるつもりだった」とか、「宮殿をつくって、女をたくさんはべらせようと思った」とか、「女性同志と寝ることを年中夢想する」などという戯言を吐いたのである。

 最後の告白は、寺岡の本音かも知れないが、前二者の告白は明らかに、どうせ何を告白しても告発者を納得させられないという、自暴自棄的なダブルバインド状況が生んだ産物以外ではない。ここに、寺岡恒一の生産性のない自我の、底なしの冥闇(めいあん)を見る思いがする。

 ところが、居並ぶ告発者たちの自我も劣化しているから、この寺岡の告白が死刑相当であるという解釈に直結し、ここに最も陰惨な同志虐殺が出来してしまうのである。寺岡の自我は回復不能なまでに裂かれ、破壊されてしまったのだ。
 
 ここで事件のサブ・リーダーであった、永田洋子の手記を引用してみる。そこに、永田洋子の浅薄な人間観を伝えてくれる印象的な記述があるからだ。
 
 「坂東さん、覚えていますか。

 『共産主義化』のための暴力的総括要求中でのことでしたが、森さんが、『共産主義化をかちとれば、本当に人間を知り、人間を好きになることができる』と述べていたことを。それは、共産主義の理念に基づいたものでしたが、同志殺害時もそれを心していた私は、敗北後もこの理念は間違っていないと思うのでした。

 そうして、獄中での看守との接触に新鮮さを感じました。やさしい看守がいることには驚き、なかなか慣れませんでした。

 勿論やさしい看守も、結局東拘(注:東京拘置所のこと)の指示に従い獄中者支配の一翼を担っているのですが、そのやさしさが私の心をはずませ、楽しくさせ、私の生を心楽しいものにしてくれることを感じるのでした。獄中者と看守の関係ですから大きな限界があるわけですが、そのため楽しさは大きくなるのでした」(「獄中からの手紙」彩流社刊より/筆者段落構成)
 
 この永田洋子の人間観の根柢には、「看守=権力の番人=人民を抑圧する体制の直接的な暴力マシーン=卑劣な冷血漢」という、極めて機械的な把握の構造がある。

 そしてそんな把握を持つ人格が「心やさしき看守」の出現に当惑し、驚き入ってしまうのだ。唖然とするばかりである。信じ難いようなその狭隘な人間観に、寧ろ、私たちの方が驚かされる。

 この人間観からは、「親切なお巡りさん」とか、「社員のために骨身を削って働く経営者」という存在様式は決して導き出されることはなく、「経営者」とは、「鞭を持って労働者を酷使する、葉巻タバコを咥(くわ)えたブタのように太った輩」という極端にデフォルメされたイメージが、どこかで偏狭な左翼の人間観に影を落としていて、これは逆に言えば、「共産主義者は完全なる者たちである」という信仰を定着させることに大いに与っているということだ。

 「東拘の指示に従い、獄中支配の一翼を担」う、「やさしい看守」のその「やさしさ」に、「心をはずませ」る感性を持つ永田洋子は、それでも、「獄中者と看守の関係」に「限界」を感じつつ、「楽しさ」を「大きく」する幅を示している。

 しかしそのことが、何ら矛盾にならないことを認知できないという、まさにその一点において彼女の「限界」があるのだ。

 「看守のやさしさ」が「看守」という記号的な役割、即ち、「体制の秩序維持」という本来的役割から必ずしも発現するとは限らない所に、まさに人間の自由があり、この自由が人間にしばしば心地良い潤いを与えることを、私たちは知っている。

 役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。そこに人間の、人間としての自由の幅がある。この自由の幅が人間をサイボーグにさせないのである。

 因みに、私の愛好する映画の一つに、リドリー・スコット監督の「ブレード・ランナー」があるが、ここに登場するレプリカント(地球を防衛する有限生命のロボット人間)はロボットでありながら、彼らには自らの生命を操作する自由が与えられていない。所謂、「レプリカントの哀しみ」である。その哀しみは深く、その結末の残酷さは比類がなかった。だから、コンピューター社会における暗鬱な未来をイメージさせる、「サイバーパンク」の先駆的作品として、それは何よりも重い一作になったのだ。

 言わずもがな、拘置所の看守は断じてレプリカントなどではない。

 「獄中支配の一翼を担う」などという、ニューレフト特有の表現は思想的規定性を持つものだから、いちいち、異議申し立てをするべき筋合いのものではないが、しかし、このような厄介な規定性が、殲滅戦を闘うはずの軍事組織を率いた「女性革命家」の、その抜きん出て偏狭な人間観のベースになっていることは否定すべくもない。人間の行使し得る自由の幅までもが役割によって決定されてしまうならば、人間の未来には、「未来世紀ブラジル」((注11)や、ジョージ・オーウェル(注12)の文学世界しか待機していないことになるだろう。

 然るに、それは人間の能力を過大評価し過ぎているのである。

 人間には、役割によって全てが決定されてしまうに足る完全な能力性など全く持ち合わせていないのだ。それに人間は、人間を支配し切る能力を持ってしまうほど完全な存在ではない。いつもどこかで、人間は人間を支配し切れずに怠惰を晒すのである。

 これは、人間の支配欲や征服感情の際限のなさとも矛盾しない。どれほど人間を支配しようとも、支配し切れぬもどかしさが生き残されて、遂に支配の戦線から離脱してしまう不徹底さを克服し得るほど、私たちの自我は堅固ではない。

 人間の自我能力など、高々そのレベルなのだ。私たちは相手の心までをも征服し切れないからである。ここに人間の自由の幅が生まれるのである。この幅が人間を生かし、遊ばせるのだ。

 人間とは、本質的に自由であるという存在の仕方を、何とか引き摺って生きていくしかない、そんな存在体である。

 人間は、この自由の海の中でひたすら自我に依拠して生きていくという、それ以外にない存在の仕方を引き受けるのだ。 自我はひたすら、十全に適応しようと動いていくのである。どのようなシフトも可能だが、一切の行程が時間の検証を受けていく。適応の成功と失敗に関わる認知が、自我によって果たされていく。成功が単一の行程の産物でないように、失敗もまた、それ以外にない行程の産物であるとは言い切れないのだ。

 しかし、いつでも結果は一つでしかない。この結果が、次の行程を開いていく。自我がまた、駆動するのだ。自我のうちに、加速的に疲労が累積されていくのである。

 シビアな状況下では、自我はフル回転を余儀なくされるだろう。

 確かに人々には、状況から退行する自由もある。しかし自我は中々それを認めない。退行はリスクを随伴するからだ。退行のコストは決して安くない。自我は退行する自由を行使しないとき、そこに呪縛を感知する。この呪縛の中でも、自我は動くことを止めようとしない。止められないのだ。自我はそこに出口を見つけられないでいると、空転するばかりとなるだろう。

 人間は自由である外はないという存在でありながら、しばしば、自由であることの重圧に押し拉(ひし)がれていく。人間は同時に、過剰なまでに不自由な存在でもあるのだ。そのことを自我が認知してしまうとき、人間は一つの、最も苛酷な存在様式と化すであろう。

 絶対的な自由は、絶対的な不自由と同義となる。

 結局、人間は程々の自由と、程々の不自由の中で大抵は生きていく。人間の自由度なんて高が知れているし、また、人間の不自由度も高が知れている。この認知の中で全うし得る「生」は、幸福なる「生」と言えるだろうか。

 ともあれ、永田洋子が「やさしい看守」の中に見たのは、程々の自由と程々の不自由の中に生きる平均的日本人の、その素朴な人間性である。永田にとって「やさしい看守」の発見とは、どのような体制の下でも変わらない、人間の持つある種の「善さ」=「道徳的質の高さ」の発見であると言っていい。

 然るに、このような発見を獄中に見出す他にない青春を生きた、一人の女性闘士のその偏狭性は、殆ど圧倒的である。彼女は過去に何を見、何を感じてきたのかについて、その偏狭性によって果たして語り切れるか、私には分らない。

 彼女のこの発見が、同時に、「冷酷なる共産主義者」の発見に繋がったのかどうかについても、私には分らない。しかし彼女の中で、「共産主義者はやさしい」という命題が、「やさしい人間こそ共産主義者である」という命題に掏(す)り替ったとしても、私から言わせれば、そこにどれだけの「学習」の媒介があったか知れている、という風に突き放つしかない次元の「学習」のようにしか思えないのだ。

(注11)1985年米英製作。テリー・ギリアム監督による、近未来の管理社会を風刺したブラック・コメディ。

(注12)20世紀前半に活躍したイギリスの作家。「動物農場」、「1984」という代表作で、社会主義的ファシズムの危険性を鋭く風刺し、未来社会の予言的文学とされた。

 坂口弘にしろ、植垣康博にしろ、大槻節子(京浜安保共闘)にしろ、彼らの手記を読む限り、彼らが少なくとも、主観的には、「やさしさの達人」を目指していたらしいということが伝わってくるのは事実である。次に、その辺りを言及してみよう。

 ここに、大槻節子の日記から、その一部を引用する。

 断片的な抜粋だが、彼女の心情世界がダイレクトに伝わってくるので参考になるだろう。彼らが「凶悪なる殺人者集団」であると決め付けることの難しさを感受すると同時に、メディアから与えられた、通り一遍の「物語作り」によって括ってしまうことの怖さを痛感するに違いない。

 「私にはどうすることもできない、何ができようというのか、この厳然とした隔絶感の中で、なお私は見えてしまい、私の中に映像化し、暗転する。一つの死に焦がれて邁進する狂気した情念と、それに寄り添う死の花・・・」

 「テロル、狂気した熱い死、それのための生、許してよいのか?許す―とんでもない、そんな言葉がどうして吐かれようというのか、許すもへったくれもなく、厳然としてそこに在るのだから・・・」

 「そして打ちひしがれた、その哀れで、コッケイな姿態と位置から起上がって来るがいい。お前には死ぬことすらふさわしくない。アレコレの粉飾は鼻もちならない。“死”と流された鮮血を汚すな、汚してくれるな、その三文劇で!」

 「ああ愛すべき三文役者―お願いだから。その時、私は温かいしとねにもなれるだろうに・・・.私自身の傷跡もぬぐいさられるだろうに・・・」

 「わかって欲しい、わかって下さい。孤独な演技者よ、孤独な夢想者よ。私を殺さないで欲しい、私を無残に打ちのめさないで欲しい。あかくえぐられた傷口をもうこれ以上広げないで欲しい。助けて欲しいんです。もうどうしようもない」

 「優しさをクダサイ。淡いあたたかい色調の優しさをクダサイ」

 「既に奪われた生命と流された血を、せめて汚すまい、汚してはならない」

 「否が応でも、去る日は来る。それが幸いとなるか、悲しみを呼ぶか、一層の切実さを与えるか、全てを流す清水となるか、それは今、私は知らない。ただ、素直でありたい、自然でありたい」

 
 以上の大槻節子の日記のタイトルは、「優しさをください」。

 因みに、彩流社刊のこの著書のサブタイトルは、「連合赤軍女性兵士の日記」。
 上記に引用した文章は、1968年12月13日から71年4月4日にかけて大槻節子が書いた、この日記の肉声の断片である。

 正直言って、極めて稚拙な表現のオンパレードだが、しかしそれ故にと言うべきか、技巧にすら届き得ないその肉声から、彼女の自我が状況の激しい変化に必死に対応していこうともがくさまが、直接的に伝わってきて、とても痛々しい限りである。

 彼女にとって革命家であり続けることは、正義の貫徹のための確信的テロリスムを受容し切ることを意味していたが、それでもなお、それを受容し切れないもどかしさを認知してしまうとき、却って、不必要なまでの自虐意識を内側で加速させてしまうのだろう。

 沸々と煮え滾(たぎ)った状況下で、どうしても怯(ひる)んでしまう自我に何とか既成の衣を被せて、状況の先陣を疾駆するが、しばしば虚空に晒され、狼狽(うろた)えて、立ち竦むのだ。

 彼女もまた、「共産主義者はやさしい」という命題に憑かれているが、これがテロルを合理化する方便に安直に使われることを許せない感性と、拠って立つ思想との均衡に少なからぬ波動が生じていて、彼女の自我はそれを充分に処理し切れていないのである。

 恐らく、自我が状況を消化し切れないまま、大槻節子は跳躍を果たしていく。
 
 大槻には助走のための充分な時間が与えられることなく、ギリギリの所で「物語」が内包する圧倒性に引っ張られていった。しかし、この内側の貧困を仲間に見透かされてはならない。等身大の世界から決別するには、それなりの覚悟がいるという含みを内側に身体化していく過程を拓いたとき、ここに誰が見ても感激する、「気丈で頑張り屋」の「女性革命家」が誕生するのである。

 大槻節子という自我は、それがいつもどこかで感じ取っていたであろう、言語を絶する困難な未来にやがて嬲(なぶ)られ、噛み砕かれていく。彼女が欲した「優しさ」は、「共産主義化」という苛酷な物語が開いた闇の世界の中で宙吊りにされ、解体されていくのだ。

 彼女は、「死刑囚」としての寺岡恒一の顔面を殴り、熱心な粛清者を演じて見せた。その果てに、彼女自身の煩悶の過去が「人民法廷」の前に引き摺り出された挙句、末梢的な告発の連射を執拗に浴びて、自らも縛られし者となっていくのである。

 大槻節子の死は、一切の人間的感情を持つ者のみならず、一切の人間的感情を過去に持った者をも裁かれる運命にあることを示して見せた。

 「共産主義化」という苛酷な物語は、「プチ・ブル性」という名において、人々の意識や感情や生活のその過去と現在の一切を、執拗に裁いていくための錦の御旗であったのだ。

 考えてもみよう。

 このような裁きによる対象から、果たして自由であり得る者が、一体どこにいるというのか。この裁きによって生還を果たす者など、理論的にはどこにもいない。一歩譲って、これを認めるなら、裁かれし者の筆頭には、「敵前逃亡」の過去を持つ森恒夫が指名されて然るべきなのである。

 大槻節子の死は、圧倒的なまでに理不尽な死であった。
 
 彼女はその理不尽さに抗議するが、それが虚空に散っていくことを知ったとき、絶望的な空しさの中に沈んでいく。ギリギリまでに持ち堪(こた)えた彼女の自我は、遂に崩れ去っていったのだ。

 これは、一つの青春の死ではない。人間の、人間としての基本を支える、それなくしては生きられない、互換性を持たない何かの全き生命の死なのである。

 彼女の自我は遂にテロルの回路に搦め捕られてしまったが、その想像力の射程にはなお、「貧困と圧制に喘ぐ民衆の哀しさ」が捕捉されていた。「全人類の解放」という甘美な物語が紡ぐ極上の快楽のうちに、「やさしさの達人」への跳躍が準備されたに違いない。

 しかし大槻を始め、少なくない若者たちを捉えた大物語の大時代性は、既に拠って立つ基盤を失いかけていた。少なくとも、大槻たちが呼吸を繋いでいた社会には、彼らの殉教的なテロルによって救済されるべき「民衆の哀しさ」など、もう殆ど生き残されていなかったのだ。

 高度に成熟しつつあった大衆消費社会の出現は、自分の意見を暴力によって具現する一切の思想を、明らかに弾き出す精神文化を抱え込んでいたのである。連合赤軍事件の悲劇の根柢にあるのは、このような大衆文化の強靭な世俗性である。この社会では、彼らは最初から凶悪なテロリスト以外ではなかったのだ。

 大槻節子がどれほどの跳躍を果たそうと、彼女はヴェーラ・ザストリッチ(19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの女性革命家)にはなれないし、ローザ・ルクセンブルク(注13)にも化けられないのである。ローザがその厖大な書簡の中で表出したヒューマニズムを、大槻節子はもはや移入することさえできないのだ。

 彼らがどう主観的に決めつけようと、もうこの社会では、「やさしさの達人」を必要としないような秩序が形成されている。時の総理大臣を扱(こ)き下ろし、それが不可避となれば、首相経験者を逮捕するまでに発達した民主主義を持ち、アンケーをとれば、つい先年まで、9割以上の人が「中流」を自認するような大衆社会にあって、人を殺してまで達成しなければならない国民的テーマの存在価値などは、全く許容すべくもなかったのである。

 「やさしさの達人」を目指すなら、どうぞ国外に脱出した後、思う存分やってくれ。その代わり、国の体面だけは傷つけてくれるな、などという無言のメッセージがこの国の文化にたっぷりと張り付いていて、大衆の視線には60年安保のような、「憂国の青春」へのシンパシーが生き残されていなかったのだ。

 高度成長という日常性のカーニバルは、この国の風土を変え、この国の人々の生活を変え、この国の人々が拠って立っていた素朴な秩序を変えていった。それは人々の感性を変え、文化を変え、それらを紡ぐ一つのシステムを変えていったのである。

 大物語の大時代性に縋り付くテロリストだけが、そのことを知らない。

 彼らは時代に置き去りにされたことを知らない。人々の現在を知らないから、人々の未来を知らない。人々の心を知らないから、人々の欲望を知らないし、その欲望の挫折のさまを知らない。井上陽水の「傘がない」(注14)のインパクトを知らないし、ハイセイコー(注15)への熱狂を知らない。

 人々の心を知らないテロリストは、とうとう仲間の心までも見えなくなっていたのである。彼らはもう、「やさしきテロリスト」ですらなくなった。人々を否定し、仲間を否定したテロリストは、最後には自らをも否定していくのだ。これが、森恒夫の自殺であった。

 彼らは切っ先鋭く、「欺瞞に満ちた時代」を砕こうとして、激情的興奮を求める時代の辻風に屠られたのだ。ここからもう何も生まれない。それだけなのである。

 因みに、反日武装戦線(注16)によるテロルの拡散は、連合赤軍事件で否定されたものに固執するしか生きていけない情念が、醜悪にも演じて見せた最後の跳躍のポーズである。

 彼らは「左翼」であることの矜持すら打ち捨てて、殆ど、大義名分だけで動いたかのような杜撰(ずさん)さを晒して見せた。大衆社会の反応は、言葉の通じぬ犯人の闖入(ちんにゅう)によって被った、理不尽極まる大迷惑以外の何ものでもなかった。従って、それは通り魔的な事件を処理される文脈のうちに終焉したのである。
 
 世の中は、すっかり変わってしまったのだ。

 時代は、森恒夫や永田洋子はおろか、もはや、一人の大槻節子すらも求めることはない。事件に対する関心などは、アクション映画の快楽を堪能したらもうそれで完結したことになり、それを気難しく解釈する思いなど更々ない。まして裁判をフォローする理由などは全くなく、永田や坂口の死刑判決の報に接し、胸を撫で下ろすという程度の反応で擦過してしまうであろう。

 連合赤軍事件は、最初から過去の事件として処理されてしまったのである。

 それは事件の開始と共に既に過去の事件であり、そこでどのような陰惨な活劇が展開されたにせよ、どこまでもそれは、現在に教訓を引き出すに足る類の事件とは無縁の、おぞましい過去の事件の一つでしかなかったのだ。

 連合赤軍事件は、こうして最初から、政治とか思想とかいう次元の事件とは無縁の何かとして、高度大衆消費社会から永久に屠られてしまったのである。 
 

(注13)ドイツ革命の象徴的存在。ポーランド生まれのユダヤ人で、ドイツ移住後は「スパルタクス団」を結成、やがて組織はドイツ共産党に発展的解消。1919年に武装蜂起を指導するが、カール・リープクネヒトと共に虐殺される。

(注14)“都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨  傘がない 行かなくちゃ  君に逢いに行かなくちゃ  君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ・・・”という歌詞で有名なフォークソング。時代や社会よりも、個人の問題を優先する思いが歌われている。

(注15)1970年代半ばに活躍した、アイドル的な競走馬。増沢旗手による「さらばハイセイコー」というヒット曲でも有名。

(注16)正式には、「東アジア反日武装戦線」。1970年代半ばに、三菱重工ビル爆破事件を嚆矢とする、所謂、「連続企業爆破事件」を起こし、日本社会を震撼させた。

5.魔境に搦め捕られた男の「自己総括」  

 稿の最後に、「連合赤軍」という闇を作り上げた男についてのエピソードを、ついでに記しておく。永田洋子と共に、仲間が集合しているだろう妙義山中の洞窟に踏み入って行った森恒夫は、そこに散乱したアジトの後を見て動揺する。黒色火薬やトランシーバーなども放り出されていて、山田隆の死体から取った衣類も、そのまま岩陰にまとめて置かれていた。(因みに、この衣類が凄惨な同志粛清の全貌を解明する手懸りとなる)

 そのとき、森は上空にヘリコプターの音を聞き、下の山道に警官たちの動静を察知して、彼の動揺はピークに達する。彼は傍らの永田に絶望的な提案をする。
 
 「駄目だ。殲滅戦を戦うしかない」
 
 永田はそれを受け入れて、ナイフを手に持った。二人は岩陰に潜んで、彼らが死闘を演ずるべき相手を待っている。

 ここから先は、永田本人に語ってもらおう。
 
 「私はコートをぬぎナイフを手に持ち、洞窟から出て森氏と一緒に岩陰にしゃがんだ。この殲滅戦はまさに無謀な突撃であり無意味なものであった。しかし、こうすることが森氏が強調していた能動性、攻撃性だったのである。

 私はここで闘うことが銃による殲滅戦に向けたことになり、坂口氏たちを少しでも遠くに逃がすことになると思った。だから、悲壮な気持ちを少しももたなかった。私はこの包囲を突破することを目指し、ともかく全力で殲滅戦を闘おうという気持ちだけになった。

 この時、森氏が、『もう生きてみんなに会えないな』といった。

 私は、『何いってるのよ。とにかく殲滅戦を全力で闘うしかないでしょ』といった。

 森氏はうなずいたが、この時、私は一体森氏は共産主義化をどう思っていたのだろうかと思った。『もう生きてみんなに会えないな』という発言は、敗北主義以外のなにものでもなかったからである。

 しばらくすると、森氏は、『どちらが先に出て行くか』といった。

 私は森氏に、『先に出て行って』といった。

 森氏は一瞬とまどった表情をしたが、そのあとうなずいた。

 こうした森氏の弱気の発言や消極的な態度に直面して、私は暴力的総括要求の先頭に立っていたそれまでの森氏とは別人のように思えた」(永田洋子著・「十六の墓標・下」彩流社刊/筆者段落構成)
 
 
 この直後に二人は警察に捕縛され、粛清事件などの最高責任者として「裁かれし者」となるが、周知のように、森恒夫は新年を迎えたその日に獄中自殺を遂げたのである。 ともあれ、以上の永田のリアルな描写の中に、私たちは、森恒夫という男の生身の人間性の一端を垣間見ることができるだろう。

 自分の命令一下で動くことができる仲間たちと別れ、傍らには、下山以来行動を共にしてきた気丈な「女性革命家」しかいない。山中では、彼女を含めた殆ど全ての同志たちの前で、「鋼鉄の如き共産主義者」というスーパーマンを演じていて、それは概ね成功していたかに見えた。

 しかし事態は、同志殺しの連鎖という、恐らく、本人が想像だにしなかったはずの状況を生み出してしまった。

 自らが積極的に関与したこの負性状況の中にあって、彼はますます「鋼鉄の如き共産主義者」という、等身大を遥かに越える役割を演じ続けて見せた。この心理的文脈の尖った展開が、忌まわしい粛清の連鎖に見事なまでにオーバー・ラップされるのだ。

 彼の人格が、「共産主義者」の「鋼鉄性」(冷酷性)の濃度を増していく度に、同志の中から人身御供(ひとみごくう)となる者が供されていくのである。このような資質を内在させた人格があまりに観念的な思想を突出させた武装集団の最高指導者になれば、恐らく、不可避であったに違いないと思わせるほどの、殆ど予約された悲劇的状況が、厳寒の上州の冬の閉鎖系の空間の只中に分娩されてしまったのだ。

 一つの等身大を越える役割を演ずるということは、長い人生の中でしばしば起こり得るということである。しかし、それを演じ続けることは滅多にない。人間の能力は、等身大以上の役割を演じ続けられるほど、中々その継続力を持ち得ないのだ。等身大以上の役割を演じ続けるということは、自我のリスクを高めるだけで、自我を必要以上に緊張させることになる。緊張はストレスを高めるだけだ。

 セリエ(カナダの生理学者)のストレス学説によると、ストレスとは、「生物学的体系内に非特定的にもたらされた、全ての変化に基づく特定症候の顕在化状態」であり、これには、ユーストレス(良いストレス)とディストレス(悪いストレス)がある。

 人間が環境に普通に適応を果たしているとき、当然、そこにはユーストレスが生じている。適度なストレスは適応に不可欠なのだ。

 ディストレスは、アンデス山中に遭難(「アンデスの聖餐」/注17)してしまうとか、阪神大震災に遭うとか、殺人鬼にナイフを突きつけられるとか、アウシュヴィッツに囚われるとかいうようなケースで生じるストレスで、しばしば、自我を機能不全化してしまう。いずれのストレスも自我の臨界点を越えたら、本来の自我の正常な機能に支障を来たすのに変わりないのである。

 人間が等身大以上の役割を演じ続けることに無理が生じるのは、自我に臨界点を越えるほどのストレスが累積されることによって、自我内部の矛盾、即ち、等身大以上の人間を演じることを強いる自我と、そのことによって生じるストレスを中和させるために、等身大の人間を演じることを要請する自我との矛盾を促進し、この矛盾が自我を分裂状態にさせてしまうからだ。人間は、分裂した自我を引き摺って生きていけるほど堅固ではないのである。
 

(注17)1972年、ラグビー選手たちを乗せたチリ行き旅客機がアンデスの山中で遭難し、生き残るためにやむなく人肉食いを余儀なくされた衝撃的な事件を描いた、ブラジルのドキュメンタリー映画。『生きてこそ』(フランク・マーシャル監督)というアメリカ映画も話題になった。

 
 森恒夫が演じ続けた「鋼鉄の共産主義者」は、あくまでも彼が、「そうであるべきはずのスーパーマン」をなぞって見せた虚構のヒーローであった。

 然るに、そのヒーローによる虚構の表出が、彼をして、「箱庭の帝王」の快楽に酩酊させしめるほどのものであったか、些か疑わしいい所である。森恒夫の自我に、「箱庭の帝王」の快楽がべったりと張り付いていなかったとは到底思えないが、私には、彼の自我が浴びた情報が快楽のシャワーであるよりも、しばしば、等身大以上の人間を演じ続けねばならない役割意識が生み出した、厖大なストレスシャワーであるように思えてならないのだ。

 自我が抱え込めないほどのストレスはオーバーフローせざるを得ない。「鋼鉄なる共産主義者」を演じ切るには、考えられる限りのパフォーマンスの連射が要請されるに違いない。「敗北死」を乗り越えていく意志を外化させることで、自らの「鋼鉄性」を検証する。「鋼鉄性」の濃度が、「冷酷性」によって代弁されてしまうのである。この「冷酷性」こそ、実は、オーバーフローされたストレスの吐瀉物なのである。

 従って、森恒夫が等身大以上の人間を演じ切ろうとすればするほど、オーバーフローしたストレスが「冷酷性」として身体化されることになる。「鋼鉄なる共産主義者」への道という等身大以上の物語の仮構が、その物語が抱えた本質的な虚構性の故に、更にその虚構性を観念の範疇に留めずに、「あるべき身体」として押し出してくるとき、そこに極めて危険な倒錯が発生するのだ。
 
 即ち、「あるべき身体」であらず、「あるべき身体」であろうとしないと印象付けられた全ての身体、就中、「あるべき身体」でないために、「あるべき身体」を欲する身体を成功裡に演じ続ける器用さを持たない、真に内面的な身体、例えば、大槻節子のような身体が、「総括」の名によって烈しく否定されてしまうという状況を生み出すのである。

 「あるべき身体」の仮構が、「あるべき身体」であらない身体を拒むとき、そこで拒まれることのない身体とは、「あるべき身体」以外ではない。そこでの「あるべき身体」の検証をする身体もまた、「あるべき身体」でなければならないのである。だが、「悪魔」が「神」を裁けないのだ。

 では、「あるべき身体」としての「神」の存在を前提にすることで成立し得るこの状況性にあって、その「神」を担う身体は、一体どのような身体なのか。

 それが、「鋼鉄なる共産主義者」を演じ切ることを要請された、森恒夫という固有なる身体である。森恒夫という身体は、「あるべき身体」として、他の全ての「あるべき身体」を目指す、「あるべき身体」ではない身体を相対化する、唯一の絶対的な身体となる。少なくとも、それ以外には粛清を合理化するロゴスはないのである。「あるべき身体」ではない身体が、他の「あるべき身体」ではない身体を否定することは理論的に困難であるからだ。
 
 こうして、森恒夫という身体は、「あるべき身体」の体現者を演じ切らねばならないという十字架を負っていく。
 
 これが私をして、「箱庭の帝王」=「森恒夫の快楽」という風に、安直に決め付けることを困難にさせる根拠がある。問題はそれほど単純なものではないのである。

 森恒夫の跳躍は、まず「あるべき身体」を仮構するという困難さの中に端を発し、ここに埋没して果てたと言うべきか。どだい、その跳躍自体に問題があったのだ。「覚悟」と「胆力」を不足させた男の自我の、その過激な、あまりに過激な跳躍が、この陰湿極まる事件の根柢にあったとは言えないだろうか。
 
 高度大衆消費社会のとば口で、山岳ベースに依拠して殲滅戦を結ぶという、およそ信じ難い倒錯(この場合、社会的規範から外れた行動を示すこと)を生き切るには、それを内側で支えるに足る烈しく狂信的な物語と、その物語に殉教し得る持続的なパトスが不可欠であった。

 森恒夫という身体の内側に、それらの強靭な能力が備わっていたかどうかの検証が、少なくとも、山岳ベースではギリギリの所で回避されていた。森恒夫という能力の検証が回避されたことは、森恒夫という身体が、山岳ベースで、「あるべき身体」を仮構し得ていたことを意味するだろう。

 彼の能力の検証の回避は、同時に、「箱庭の恐怖」=「榛名ベースの闇」からの解放の可能性が開かれないことを意味していたのである。平凡な能力しか持ち得ない一人の男の、その過激な跳躍が、単なる愚行を忌まわしい惨劇に塗り替えてしまったのか。

 しかし、このドラマ転換は、恐らく、男の本意ではなかったように思われる。男はただ、演じ切ることが殆ど困難な役割を、一分の遊び心を持たないで、男なりに真摯に、且つ、徹底的に演じ切ろうと覚悟しただけなのだった。

 男のこの過激な跳躍を保証した山岳ベースとは、男にとって魔境であったのだ。

 男はこの魔境に嘗め尽くされ、翻弄された。この魔境は、平凡な能力しか持たない男に制御され、支配されるような宇宙ではなかったのである。男が支配したのは、男によって縛られし者たちの肉体のみであって、それ以外ではない。男もまた、その忌まわしい宇宙に縛られていたとしか説明しようがないのだ。

 男は恐らく、この魔境に入らなければ権力にきついお仕置きを受けた後、「俺の青春は華やかだったんだぞ」と声高に回顧する、理屈っぽい中年親父に転身を遂げたのではないか。

 男を擁護するつもりなど更々ないが、私にはこの男が、このような秩序破壊の暴挙を貫徹する能力において際立って愚昧であることを認知しても、その人格総体が狂人であるという把握をとうてい受容できず、誤解を恐れずに言えば、男の暴走の当然の帰結とは言え、男が流されてしまったその運命の苛酷さに言葉を失うのみである。

 ともあれ、最高指導者としての自分の能力の「分」を越えた男の所業の結果責任は、あまりに甚大であり過ぎた。踏み込んではならない魔境に侵入し、そこで作り上げた、「箱庭の恐怖」の「帝王」として君臨した時間の中で、この最高指導者は「同志」と呼ぶべき仲間の自我を裂き、削り抜いてしまったのだ。

 詰まる所、「箱庭の恐怖」の凄惨さは、最高指導者としての男の自我の凄惨さをも、存分に曝け出してしまったのである。

 ――― 男を縛った魔境は私たちの日常世界にも存在していて、それがいつでも私たちの弱々しい自我を拉致せんと、甘美な芳香を漂わせて、木戸を開けて待っている。それが怖いのである。その怖さは、或いは、近代文明の諸刃の剣であるだろう。

 近代文明の快楽は、いつでも快楽に見合った不条理を懐深く包含させているのだ。エール大学での心理実験が炙り出した根源的問題は、まさに私たちの自我の脆弱さが、その栄光の陰にまとっていることの認知を私たちに迫るものだった。そのことを少しでも認知できるから、私は近代文明への安直な批判者になろうとはゆめゆめ思わないのである。

 もう既に、私たちの文明は、私たちの欺瞞的な批判によっては何ものをも変えられないような地平を開いてしまったのである。甘い飴をたっぷり舐(な)め尽した後、虫歯になったからと言って、ギャーギャー泣き騒ぐのはフェアではないし、誠実さにも欠ける。誰のせいでもない。私自身の何かが欠落していたのである。文明の問題は、畢竟(ひっきょう)、私自身の問題であるという外はない。

 感傷的な物言いは止めて、男についての私の最後の感懐を記しておく。

 男は魔境の中で、遂に裸になれなかった。

 男が最後まで裸になれなかったなら、恐らく、私は本稿を書こうとは思わなかったであろう。終始、男と共に魔境にあった女が、「十六の墓標」という本を上梓しなかったら、私は「連合赤軍の闇」について、思考を巡らすことをしなかったかも知れない。

 私はこの本を読み進めていくうちに、次第に胸が詰まってきて、男の内側の見えない風景の中に、何とも名状し難い煩悶のようなものが蠢(うごめ)いているのが感じられたのである。この男は、自分の能力ではどうすることもできないような魔境の磁場に引き摺られて動いている、という思いが痛切に伝わってきて、これが逮捕劇の醜態を読み解く伏線になっていた。

 私には、この男の「弱気な発言や消極的な態度」に、何の違和感も覚えない。男は逮捕に至る酷(むご)く閉鎖的な状況下で、一瞬、仮面を脱ぎ捨てて、「最高指導者」としての決定的な役割を放擲(ほうてき)しようとしたのである。男は革命劇の最後のシーンで、裸の自我を完全に曝して見せたのだ。そしてこれが、過激な跳躍を果たした男の、最初にして最後の、赤裸々な自我の表出となったと言えるか、私には分らない。

 或いは、男が首を括ったとき、その顔は男が執拗に求め続けた「あるべき身体」の、威厳に満ちた、しかし情感に乏しい表情に戻っていたと言えるのだろうか。

 男は最後まで、「鋼鉄の如き共産主義者」という物語を捨てられなかったのか。それがせめてもの、男の死出の旅の拠り所であったのか。私には何も分らない。ただ、人間は死んでいくにも、何某かの物語を必要としてしまう何者かであることだけは分っているつもりだ。

 男は「自死」というあまりに見えやすい身体表現によって、「自己総括」を果たしたのか、それとも、それが男の「敵前逃亡」の自己完結点だったのか、今となっては、一切は想像の限りでしかない。少なくとも、魔境に搦め捕られた男の「自己総括」が、「自死」という見えやすい身体表現によって完結点を結んだと括るには、男が魔境で吐瀉した情動系の暴走は突き抜けて過剰だったと言えるだろう。
 
 その過剰なる暴走に対して、もう男は全人格を持って引き受ける何ものをも持ち得なかったに違いない。あのとき男は、自らが倒すべき標的だった権力機関の一画に捕捉されて、それと全人格的に闘争する合理的文脈の欠片をも所有することなく、その絶望感の極みを、あのような見えやすい身体表現のうちに、辛うじて、かつて「最高指導者」であった者のギリギリの矜持(きょうじ)を鏤刻(るこく)したのであろうか。             

(1995年1月脱稿)                          

〔尚、本稿の中での全ての注釈、本稿の一部については、本稿を「Word」に転記していく際に、若干の補筆を加えながら、2007年1月に記述したものである〕

 
【余稿】
 
 本稿を擱筆(かくひつ)後、2ヵ月経った3月20日に、「地下鉄サリン事件」が発生した。所謂、一連の「オウム真理教事件」として世を震撼させる事件が顕在化する契機となった凶悪犯罪である。

 事件の真相が明らかにされるにつれ、「サティアン」と呼ばれる特殊空間の中で、生物化学兵器である物質を製造し、あろうことか、それを既に使用したという現実を、この国の人々は目の当たりにすることになったのである。
 
 私が瞠目したのは、事件の凶悪さそれ自身よりも、寧ろ「サティアン」という名の、特定的な権力関係の暴走を許す小宇宙が、富士山麓の風光明媚な国土の一角を占有していたという現実だった。

 そこだけが閉鎖系に自己完結する、おぞましい空間が生み出した権力関係の内実は、まさしく「箱庭の恐怖」の様相を呈するものだったのだ。当然の如く、そこには「箱庭の帝王」が君臨し、その「帝王」によって支配される偏頗(へんぱ)な階級構造の仮構によって、その小宇宙の権力関係は、紛れもなく、ラインを判然とする暴力機構の機能を発現していたのである。

 この事件は、「箱庭の恐怖」の最もおぞましい様態を晒していて、必ずしも不可避な現出を検証する事態であるとは言えないだろう。

 それにも拘らず、近代文明社会の只中に物質文明の自然科学の情報のみを吸収しつつも、精神文化の異様な尖りを見せた世界が、そこだけは偏頗(へんぱ)な様態を顕在化させて、長きに渡って継続力を持ってしまったという事実に着目する限り、常に私たちのこの秩序だった社会の隅に、私たちが拠って立つ一般的な規範を逸脱する事態の出来が裂かれるようにして、一つの禍々(まがまが)しい「状況性」を結んでしまう恐怖感 ―――まさにそこにこそ、この事件の本当の怖さが伏在していたと考えるのである。
 

 「連合赤軍の闇」という本稿の冒頭に、「榛名ベースの闇」を形成した因子として、私は三つの点に注目した。それらを、ここで改めて確認する。

 その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。
 
 その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。
 
 この三つの要因が組織的に、構造的に具現化された世界の中で、私は「箱庭の恐怖」の出現の可能性がより増幅されると考えている。

 まさに「オウム真理教事件」の「サティアン」こそ、「箱庭の恐怖」以外の何ものでもなかったのである。そして、「サティアン」というカルト教団が作り出した「箱庭の恐怖」は、以上三つの形成因子を堅固にリンクすることで立ち上げられていたということだ。

 「サティアン」という名の小宇宙の闇の本質は、支配命令系統の絶対化と、脱出不能の閉鎖系の時間を日常化させていた所にある。就中、そこでの権力関係の組織力学は、およそ大衆的な宗教団体の柔和性と融通性とは完全に切れていて、「ハルマゲドン思想」という危機な物語の共有化によって、より極左集団の硬直性と酷似する苛烈さを内包するものであった。

 まさに「権力関係の陥穽」を存分に炙(あぶ)り出す、その組織の硬直した構造性こそ、このカルト教団の闇を貫流する、その本質的な暴力性を必然化する決定的な因子であると言っていい。
 
 このような問題意識によって、私は事件直後に、「権力関係の陥穽」と題する小論を書き上げた。それは、「権力関係の陥穽」というものが、ある一定の条件さえ揃ってしまえば、私たちの日常性の中に容易に出来してしまうという把握を言語化したものである。
 
 以下、本稿をフォローする「補論」として、それを記述していきたい。

(2007年1月記)

 

補論 「権力関係の陥穽」  

 人間の問題で最も厄介な問題の一つは、権力関係の問題である。権力関係はどこにでも発生し、見えない所で人々を動かしているから厄介なのである。 権力関係とは、極めて持続性を持った支配・服従の心理的関係でもある。この関係は、寧ろ濃密な感情関係の中において日常的に成立すると言っていい。
 
 例えば、極道の世界で生まれた階級関係に感情の濃度がたっぷり溶融したら、運命共同体に呪縛が関係を拉致して決して放すことはないだろう。

 或いは、最も非感情的な権力関係と見られやすい軍隊の中でこそ、実は濃密な感情関係が形成され得ることは、二.二六事件の安藤輝三隊(歩兵第3連隊)を見ればよく分る。決起に参加した下士官や兵士の中には、事件そのものにではなく、直属の上司たる安藤輝三大尉に殉じたという印象を残すものが多かった。
 
 心理理学者の岸田秀が折りに触れて言及しているように、日本軍兵士は雲の上の天皇のためというより、しばしば、彼らの直属の上司たる下士官や隊付将校のために闘った。また下士官らが、前線で驚くべき勇士を演じられたのも、普段から偉そうなことを言い放ってきた見知りの兵卒たちの前で、醜態を見せる訳にはいかなかったからである。まさに軍隊の中にこそドロドロの感情関係が澱んでいて、そこでの権力関係の磐石な支えが、視線に生きる人々を最強の戦士に育て上げていったのである。
 
 因みに、「視線の力学」は、この国のパワーの源泉の一つであった。

 この力学が集団を固く縛り、多くの兵卒から投降の機会を奪っていったのは事実であろう。日本軍将兵は単騎のときには易々と敵に平伏すことができたのに、「視線の力学」に呑まれてしまうと、その影響力から解放されることは極めて困難であった。この力学の求心力の強さは、敗戦によって武装解除された人々のうちに引き続き維持され、深々と温存されていることは経験的事実であると言っていい。

 こうした「視線の力学」の背後に感情関係とリンクした権力関係が存在するとき、そこに関わる人々の自我は圧倒的に呪縛され、その集合性のパワーが状況に雪崩れ込んで、しばしばおぞましい事件を惹起した。その典型例が、「連合赤軍事件」と「オウム真理教事件」であった。

 そこでは、個人の自我の自在性が殆ど済し崩しにされていて、闇に囲繞された「箱庭の恐怖」の中に、この関係性がなかったら恐怖の増幅の連鎖だけは免れていたであろう、様々にクロスして繋がった地獄絵図が、執拗なまでに描き込まれてしまったのである。

 権力関係は日常的な感情関係の中にこそ成立しやすいと書いてきたが、当然の如く、それが全ての感情関係の中に普通に生まれる訳ではない。
 
 ―― 例示していこう。
 
 ここに、僅かな感情の誤差でも緊張が生まれ、それが高まりやすい関係があるとする。

 些細なことで両者間にトラブルが発生し、一方が他方を傷つけた。傷つけられた者も、返し刀で感情的に反撃していった。相互に見苦しい応酬が一頻り続き、そこに気まずい沈黙が流れた。よくあることである。しかしそこに感情の一方的な蟠(わだかま)りが生じなければ、大抵は感情を相殺し合って、このように一過的なバトルが中和されるべき、沈黙という緩衝ゾーンに流れ込んでいくであろう。

 そこでの気まずい沈黙は、相互に感情の相殺感が確認できて、同時に、これ以上噴き上げていく何ものもないという放出感が生まれたときに、殆ど自然解消されていくに違いない。沈黙は手打ちの儀式となって、後は時間の浄化力に委ねられる。このようなラインの流れを保障するのは、そこに親和力が有効に働いているからに他ならないのである。

 このように、言いたいことを全て吐き出したら完結を見るという関係には、権力関係の顕現は稀薄であると言っていい。始まりがあって終わりがあるというバトルは、もう充分にゲームの世界なのだ。

 然るに、権力関係にはこうした一連なりの自己完結感がなく、感情の互酬性がないから、そこに相殺感覚が生まれようがないのである。関係が一方的だから、攻守の役割転換が全く見られない。攻め立てる者の恣意性だけが暴走し、関係が偶発的に開いた末梢的な事態を契機に、関係はエンドレスな袋小路に嵌(はま)りやすくなっていく。

 事態の展開がエンドレスであることを止めるためには、関係の優劣性を際立たせるような確認の手続きが求められよう。「私はあなたに平伏(ひれふ)します」というシグナルの送波こそ、その手続きになる。弱者からのこのシグナルを受容することで、関係の緊張が一応の収拾に至るとき、私はそれを「負の自己完結」と呼んでいる。権力関係は、しばしばこの「負の自己完結」を外化せざるを得ないのである。

 然るに、「負の自己完結」は、一つの始まりの終わりであるが、次なる始まりの新しい行程を開いたに過ぎないも言える。権力関係は、どこまでいってもエンドレスの迷妄を突き抜けられないのである。

 ―― 他の例で、具体的に見ていこう。
 
 ある日突然、息子の暴力が開かれた。

 予感していたとは言え、その唐突な展開は、母親を充分に驚愕させるものだった。母親は動揺し、身震いするばかりである。これも予測していたこととは言え、母親を守るべきはずの父親が、父親としての役割を充分に果たしていないことに、母親は二重の衝撃を受けたのだ。

 父親は口先では聞こえの良いことを言い、自分を庇ってくれている。しかしそれらは悉(ことごと)く客観的過ぎて、事態の核心に迫ることから、少しずつ遠ざかるようなのだ。父親は息子の暴力が反転して、自分に向かって来るのをどこかで恐れているようなのである。

 母親は急速に孤立感を深めていった。父親と同様に、息子の暴力を本気で恐れている。最初はそうでもなかった。髪をむしられ、蹴られるに及んで、自分を打擲(ちょうちゃく)する身体が、自分がかつて溺愛した一人息子のイメージと次第に重ならなくなってきて、今それは、自分の意志によっては制御し得ない暴力マシーン以外ではなくなった。
 
 何故、こうなってしまったのかについて、母親はもう理性的に解釈する余裕を持てなくなってしまっている。それでも、自分の息子への溺愛と、父子の対話の決定的な欠如は、息子の問題行動に脈絡しているという推測は容易にできた。

 しかし今となってはもう遅い。何か埋め難い過誤がそこにある。でも、もう遅い。息子の暴力は、日増しに重量感を強めてきた。ここに、体を張って立ち向かって来ない父親にまで、息子の暴力が拡大していくのは時間の問題になった。
 
 以上、この畏怖すべき仮想危機のイメージが示す闇は深く、絶望的なまでに暗い。
 
 母と息子の溺愛を示す例は少なくないが、必ずしも、その全てから身体的暴力が生まれる訳ではない。しかしドメスティック・バイオレンス(DV=家庭内暴力)の事例の多くに、溺愛とか愛情欠損といった問題群が見られるのは否めないであろう。

 その背景はここでは問わないが、重要なのは、息子の暴力の出現を、明らかな権力関係の発生という風に把握すべきであるということだ。母子の溺愛の構図を権力関係と看做(みな)すべきか否かについては分れる所だが、もしそのように把握したならば、ここでのDVは権力関係の逆転ということになる。
 
 歴史の教える所では、権力関係の逆転とはクーデターや革命による政権交代以外ではなく、その劇的なイメージにこの暴力をなぞってみると、極めて興味深い考察が可能となるだろう。

 第一に、旧政権(親権)の全否定であり、第二に、新政権(子供の権利)の樹立がある。そして第三に、新政権を維持するための権力(暴力)の正当性の行使である。

 但し、「緊張→暴力→ハネムーン」というサイクルを持つと言われるDVは、革命の暴力に比べて圧倒的に無自覚であり、非統制的であり、恣意的であり、済し崩し的である。

 実はこの確信性の弱さこそが、DVの際限のなさを特徴付けている。暴力主体(息子)の、この確信のなさが事態を一層膠着(こうちゃく)させ、無秩序なものにさせるのだ。権力を奪っても、そこに政治を作り出せない。政治を作り出せないのは、自分の要求が定められないからだ。要求を定められないまま、権力だけが動いていく。暴力だけが空気を制覇するのだ。

 この確信のない恣意的な暴力の文脈に、息子の親たちは弱々しい暴力回避の反応だけを晒していく。これが息子には、許し難い卑屈さに映るのだ。「卑屈なる親の子」という認知を迫られたとき、この文脈を解体するために、息子は暴力を継続させる外になかったのか。しかし継続させた暴力に逃げ惑う親たちを見て、息子の暴力はますますエスカレートしていった。「負の自己未完結」の闇が、いつしか「箱庭」を囲ってしまったのである。
 
 母親の屈従と、父親の沈黙。

 その先に父親への暴力が待つとき、この父親は一体、息子の暴力にどう対峙するのだろうか。
 
 近年、このような事態に悩む父親が、専門的なカウンセリングを受けるケースが増えている。その時点で、既に父親は敗北しかかっているのだが、かつて、そんな敗北感を負った父親に、「息子さんの好きなようにさせなさい」とアドバイスをした専門家がいて、一頻り話題になった。マスコミの論調は主として、愚かなカウンセリングを非難する硬派調の文脈に流れていった。

 私の見解もマスコミに近かったが、ここで敢えて某カウンセラー氏を擁護すると―― 息子の暴力に毅然と対処できないその父親を観察したとき、某カウンセラー氏が一過的な便法として、相手(息子)の感情を必要以上に刺激しない対処法を勧めざるを得なかった、と解釈できなくもない。

 某カウンセラー氏は常に、敗北した父親の苦悶に耳を傾けるレベルに留まらない、職域を越えた有効なアドバイザーとしての、極めてハードな役割を担わされてしまっている。だから、彼らが敗北した父親に、「息子と闘え」という恐怖突入的なメッセージを送波できる訳もないのだ。それにも拘らず、彼らが父親に、「打擲に耐える父親」の役割のみを求めたのは誤りだった。この場合、「逃げてはいけません」というメッセージしかなかったのである。

 敗北した父親に、「闘え」というメッセージを送っても、恐らく空文句に終わるであろう。そのとき、「我慢しなさい」というメッセージだけが父親に共振したはずなのだ。

 父親はこのメッセージをもらうために、カウンセリングに出向いたのではないか。他人をこの苛酷な状況にアクセスさせて、自分の卑屈さを相対化させたかった。他者の専門的な判断によって、息子との過熱した行程の中で自らが選択した卑屈な行動が止むを得なかったものであることを、ギリギリの所で確認したかったのではないか。そんな読み方もまた可能であった。

 結局、父親も母親も息子の暴力の前に竦(すく)んでしまったのだ。彼らは単に暴力に怯(おび)えたのではない。権力としての暴力に竦んだのである。DVというものを権力関係というスキームの中で読んでいかない限り、その闇の奥に迫れないであろう。
 
 息子の暴力の心理的背景に言及してみよう。

 以上のケースでの父子関係に、問題がない訳がないからだ。
 
 このケースの場合、ここぞという時に息子に立ち向かえなかった父親の不決断の中に、モデル不在で流れてきた息子の成長の偏在性を見ることができる。立ち向かって欲しいときに立ち向かうべき存在のリアリティが稀薄であるなら、そのような父親を持った息子は、では何によって、一人の中年男のうちに、より実感的な父親性を確認するのだろうか。

 そのとき息子は、長く同居してきた中年男が、どのような事態に陥ったら自分に立ち向かって来るのか、という実験の検証に踏み出してしまうのだろうか。それが息子の暴力だったというのか。DVという名の権力の逆転という構図は、こんな屈折した心象を内包するのか。

 いずれにせよ、これ以上はないという最悪の事態に置かれても、遂に自分に立ち向かえなかった父親の中に、最後までモデルを見出せなかった無念さが置き去りにされて、炸裂した。息子に言われるままに買い物に赴く父親の姿を見て、心から喜ぶ息子がどこにいるというのだろうか。
 
 「あ、これが父親の強さなのだ。やはりこの男は、俺の父親だったんだ」
 
 このイメージを追い駆けていたかも知れない息子の、あまりに理不尽なる暴力の前に、イメージを裏切る父親の卑屈さが晒された。

 卑屈なるものの伝承。

 息子は、これを蹴飛ばしたかったのだ。

 本当は表立った要求などない息子が、どれほど父親を買い物に行かせようとも、それで手に入れる快楽など高が知れている。そこには政治もないし、戦略も戦術も何もない。あるのは、殆ど扱い切れない権力という空虚なる魔物。それだけだ。

 家庭という「箱庭」を完全制覇した息子の内部に、急速に空洞感が広がっていく。このことは、息子の達成目標点が、単に内なるエゴの十全な補償にないことを示している。彼は支配欲を満たすために、権力を奪取したかったのではない。ましてや、親をツールに仕立てることで、物質欲を満たしたかったのではない。

 そもそも彼は、我欲の補償を求めていないのだ。

 彼が求めているのは自我拡大の方向ではなく、いつの間にか生じた自我内部の欠乏感の充足にこそあると言えようか。内側で実感された欠乏感の故に、自我の一連なりの実在感が得られず、そのための社会へのアクセスに不安を抱いてしまうのだ。

 欠乏感の内実とは、自我が社会化できていないことへの不安感であり、そこでの免疫力の不全感であり、加えて自己統制感や規範感覚の脆弱感などである。

 息子が開いた権力関係は、無論、欠乏感の補填を直接的に求めたものではない。もとより欠乏感の把握すら困難であるだろう。ただ、社会に自らを放っていけない閉塞感や、社会的刺激に対する抵抗力の弱さなどから来る落差の感覚が、内側に苛立ちをプールさせてしまっているのである。
 
 何もかも足りない。決定的なものが決定的に足りないのだ。

 その責任は親たちにある。思春期を経由して攻撃性を増幅させてきた自我が、今やその把握に辿り着いて、それを放置してきた者たちに襲いかかって来たのである。

 当然のように、暴力によって欠乏感の補填が叶う訳がなかった。

 そこに空洞感だけが広がった。もはや権力関係を解体する当事者能力を失って、かつて家族と呼ばれた集合体は空中分解の極みにあった。そこには、内実を持たない役割記号だけしか残されていなかったのである。

      
            *        *       *       *

 ここで、権力関係と感情関係について整理してみよう。それをまとめたのが以下の評である。
           
      ↑              感情関係   非感情関係
     関自
     係由   権力関係       @       A
     の度  非権力関係     B       C
       低        
       い          ← 関係の濃密度高い

  
 
 @には、暴力団、宗教団体、家庭内暴力の家庭とか、虐待親とその子供、また大学運動部の先輩後輩、旧商家の番頭と丁稚、プロ野球の監督と選手や、モーレツ企業のOJTなどが含まれようか。

 Aは、パブリックスクールの教師と寮生との関係であり、警察組織や自衛隊の上下関係であり、精神病院の当局と患者の関係、といったところか。

 また、Bには普通の親子、親友、兄弟姉妹、恋人等、大抵の関係が含まれる。

 最も機能的な関係であるが故に、距離を保つCには、習い事における便宜的な師弟関係、近隣関係、同窓会を介しての関係や、遠い親戚関係といったところが入るだろうか。
 
 権力関係の強度はその自由度を決定し、感情関係の強度はその関係の濃密度を決定する。

 ここで重要なのは、権力関係の強度が高く、且つ、感情関係が濃密である関係(@)である。関係の自由度が低く、感情が濃密に交錯する関係の怖さは筆舌し難いものがある。

 この関係が閉鎖的な空間で成立してしまったときの恐怖は、連合赤軍の榛名山ベースでの同志殺しや、オウム真理教施設での一連のリンチ殺人を想起すれば瞭然とする。状況が私物化されることで「箱庭」化し、そこにおぞましいまでの「箱庭の恐怖」が生まれ、この権力の中心に、権力としての「箱庭の帝王」が現出するのである。

 「箱庭」の中では危機は外側の世界になく、常に内側で作り出されてしまうのだ。密閉状況で権力関係が生まれると、感情関係が稀薄であっても、状況が特有の感情世界を醸し出すから、相互に有効なパーソナル・スペースを設定できないほどの過剰な近接感が権力関係を更に加速して、そこにドロドロの感情関係が形成されてしまうのである。そこには理性を介在する余地がなく、恣意的な権力の暴走と、その禍害を防ごうとする戦々恐々たる自我しか存在しなくなる。いかような地獄も、そこに現出し得るのだ。

 ―― この権力の暴走の格好の例として、私の記憶に鮮明なのは、連合赤軍事件での寺岡恒一の処刑にまつわる戦慄すべきエピソードである。

 およそ処刑に値しないような瑣末な理由で、彼の反党行為を糾弾し、アイスピックで八つ裂きにするようにして同志を殺害したその行為は、暴走する権力の、その止め処がない様態を曝して見せた。このような状況下では、誰もが粛清や処刑の対象になり得るし、その基準は、「箱庭の帝王」の癇に障るか否かという所にしか存在しないのだ。

 実際、最後に粛清された古参幹部の山田孝は、高崎で銭湯に入った行為がブルジョア的とされ、これが契機となって、過去の瑣末な立ち居振る舞いが断罪されるに及んだ。山田に関わる「帝王」の記憶が殆ど恣意的に再編されてしまうから、そこに何か、「帝王」の癇(かん)に障(さわ)る行為が生じるだけで、反党性の烙印が押されてしまうのである。

 そしていつか、そこには誰もいなくなる。

 そのような権力関係の解体は自壊を待つか、外側の世界からの別の権力の導入を許すかのいずれかしかない。いずれも地獄を見せられることには変わりがないのだ。

 感情密度を深くした権力関係の問題こそが、私たちが切り結ぶ関係の極限的様態を示すものであった。従って私たちは、関係の解放度が低くなるほど適正な自浄力を失っていく厄介さについては、充分過ぎるほど把握しておくべきなのである。

 ―― 次に、介護によって発生する権力関係について言及してみる。

 ある日突然、老親が倒れた。幸い、命に別状がなかった。しかし後遺症が残った。半身不随となり、発語も困難になった。

 倒れた親への愛情が深く、感謝の念が強ければ、老親の子は献身的に看護し、恩義を返報できる喜びに浸れるかも知れない。その気持ちの継続力を補償するような愛や温情のパワーを絶対化するつもりはない。しかしそのパワーが脆弱なら、老親の子は、看護の継続力を別の要素で補填していく必要があることだけは確かである。

 では、看護の継続力を愛情以外の要素で補填する者は、そこに何を持ち出してくるか。何もないのである。愛情の代替になるパワーなど、どこにも存在しないのである。強いてあげれば、「この子は親の面倒を看なければならない」という類の道徳律がある。しかしこれが意味を持つのは、愛情の若干の不足をそれによって補完し得る限りにおいてであって、その補完の有効限界を逸脱するほどの愛情欠損がそこに見られれば、道徳律の自立性など呆気なく壊されてしまうのである。

 「・・・すべし」という心理的強制力が有効であった共同体社会が、今はない。

 道徳が安定した継続力を持つには、安定した感情関係を持つ他者との間に道徳的実践が要請されるような背景を持つ場合である。親子に安定した感情関係がなく、情緒的結合力が弱かったら、病に倒れた親を介護させる力は、ひとり道徳律に拠るしかない。しかしその道徳律が自立性を失ってしまったら、早晩、直接介護は破綻することになるのだ。

 直接介護が破綻しているのに、なお道徳律の呪縛が関係を自由にさせないでいると、そこに権力関係が生まれやすくなり、この関係をいよいよ悪化させてしまうことにもなるだろう。

 介護の体裁が形式的に整っていても、介護者の内側でプールされたストレスが、被介護者に放擲(ほうてき)される行程を開いてしまうと、無力な親は少しずつ卑屈さを曝け出していく。親の卑屈さに接した介護者は、過去の突き放された親子の関係文脈の中で鬱積した自我ストレスを、老親に向かって返報していくとき、それは既に復讐介護と言うべき何かになっている。

 あれほど硬直だった親が、何故こんなに卑屈になれるのか。

 この親に対して必死に対峙してきた自分の反応は、一体何だったのか。そこに何の価値があるのか。

 何か名状し難い感情が蜷局(とぐろ)を巻いて、視界に張り付く脆弱な流動体に向かって噛み付いていく。道徳律を捨てられない感情がそこに含まれているから、内側の矛盾が却って攻撃性を加速してしまうのだ。この関係に第三者の意志が侵入できなくなると、ここで生まれた権力関係は、密閉状況下で自己増殖を果たしていってしまうのである。

 直接介護をモラルだけで強いていく行程が垣間見せる闇は、深く静かに潜行し、その孤独な映像を都市の喧騒の隙間に炙り出す。終わりが見えない関係の澱みが、じわじわとその深みを増していくかのようだ。

 ―― 或いは、ごく日常的なシーンで発生し得る、こんなシミュレーションはどうだろうか。

 眼の前に、自分の言うことに極めて従順に反応する我が子がいる。
 この子は自分に似て、とても臆病だ。気も弱い。この子を見ていると、小さい頃の自分を思い出す。それが私にはとても不快なのである。

 人はどうやら、自分の中にあって、自分が酷く嫌う感情傾向を他者の中に見てしまうと、その他者を、自らを嫌う感情の分だけは確実に嫌ってしまうようだ。また、自分の中にあって、自分が好む感情傾向を他者の中に見てとれないと、その他者を憧憬の感情のうちに疎ましく思ってしまうのだろう。多くの場合、自分の中にある感情傾向が基準になってしまうのである。

 我が子の卑屈な態度を見ていると、自分の卑屈さを映し出してしまっていて、それがたまらなく不愉快なのだ。この子は、人の顔色を窺(うかが)いながら擦り寄ってくる。それが見え透いているのだ。他の者には功を奏するかも知れないこの子の「良い子戦略」は、私には却って腹立たしいのである。それがこの子には分らない。それもまた腹立たしいのである。

 この子に対する悪感情は、家庭という「箱庭」の中で日増しに増幅されてきた。それを意識する自分が疎ましく、不快ですらある。自分の中で何かが動いている。排気口を塞がれた空気が余分なものと混濁して、虚空を舞っている。

 そんな中で、この子がしくじって見せた。

 他愛ないことだが、私の癇に障り、思わず怒気が漏れた。卑屈に私を仰ぐ我が子の態度が、余計私を苛立たせる。感情に任せて、私は小さく震えるその横っ面を思わず張ってしまった。それが、その後に続く不幸な出来事の始まりとなったのだ。

 以来、我が子の、自らを守るためだけの一挙手一投足の多くが癇に障り、それに打擲(ちょうちゃく)を持って応える以外に術がない関係を遂に開いてしまって、私にも充分に制御できないでいるのである。

 感情の濃度の深い関係に権力関係が結合し、それが密閉状況の中に置かれたら、後は「負の自己完結」→「負の自己未完結」を開いていくような、何か些細な契機があれば充分であろう。

 ここでイメージされた母娘の場合も、父の不在と専業主婦という状況が密室性を作ってしまって、そこに一気に権力関係を加速させるような暴力が継続性を持つに至ったら、殆ど虐めの世界が開かれる。

 虐めとは、身体暴力という表現様態を一つの可能性として含んだ、意志的、継続的な対自我暴力であると把握していい。それ故、そこには当然由々しき権力関係の力学が成立している。

 母娘もまた、この権力関係の力学に突き動かされるようにして、一気にその負性の行程を駆けていく。

 例えば、この暴力は食事制限とか、正座の強要とかの直接的支配の様態を日常的に含むことで、関係の互酬性を自己解体していくが、これが権力関係の力学の負性展開を早め、その律動を制御できないような無秩序がそこに晒される。もうそこには、別の意志の強制的侵入によってしか介入できない秩序が、絶え絶えになってフローしている。親権のベールだけが、状況の被膜を覆っているようである。

 ―― 虐めの問題を権力関係として捉え返すことで、この稿をまとめていこう。

 そもそも、虐められる者に特有な性格イメージとは何だろうか。

 結局、虐められやすい者とは、防衛ラインが堅固でなく、それを外側でプロテクトするラインも不分明で(母子家庭とか、孤立家庭とか)、そのため人に舐められやすい者ということになろうか。

 しかしそこに、少なからぬ経験的事実が含まれることを認めることは、虐めを運命論で処理していくことを認めることと同義ではない。

 虐めとは、意志的、継続的な対自我暴力であって、そこには権力関係の何某かの形成が読み取れるのである。この理解のラインを外せば、虐めの運命論は巷間を席巻するに違いない。

 虐めの第一は、そこに可変性を認めつつも権力関係であること。第二は、対自我暴力であること。第三は、それ故に比較的、継続性を持ちやすいこと―― この基本ラインの理解が、ここでは重要なのだ。

 虐めによる暴力の本質は、相手の自我への暴力であって、それが盗みの強要や小間使いとか、様々な身体的暴力を含む直接、間接の暴力であったとしても、それらの暴力のターゲットは、しばしば卑屈なる相手の卑屈なる自我である。ここを打擲(ちょうちゃく)し、傷つけることこそ、虐めに駆られる者たちの卑屈なる狙いである。

 卑屈が集合し、クロスする。

 彼らは相手の身体が傷ついても、その自我を傷つけなければ、露ほどの達成感も得られない。相手が自殺を考えるほどに傷ついてくれなければ、虐めによる快楽を手に入れられないのだ。対自我暴力があり、その自我の苦悶の身体表現があって、そこに初めて快楽が生まれ、この快楽が全ての権力関係に通じる快楽となるから、必ずより大きな快楽を目指してエンドレスに自己増殖を重ねていく。

 そして、この種の暴力は確実に、そして果てしなく増強され、エスカレートしていく。相手が許しを乞うことで、一旦は暴力が沈静化することはあっても(「負の自己完結」)、却って、その卑屈さへの軽蔑感と征服感の達成による快楽の記憶が、早晩、次のより増幅された暴力の布石となるから、この罪深き関係にいつまでも終わりが来ないのだ。

 虐めというものが、権力関係をベースにした継続的な対自我暴力という構造性を持つということ―― そのことが結局、相手の身体を死体にするまでエスカレートせざるを得ない、この暴力の怖さの本質を説明するものになっていて、この世界の際限のなさに身震いするばかりである。

 「虐め」の問題を権力関係として捉え返すことで、私たちはこの世に、「権力関係の陥穽」が見えない広がりの中で常に伏在している現実を、いつでも、どこでも、目の当たりにするであろう。それが人間であり、人間社会の現実であり、その宿痾(しゅくあ)とも呼ぶべき病理と言えるかも知れない。

 結論から言えば、私たち人間の本質的な愚昧さを認知せざるを得ないということだ。人間が集団を作り、それが特定の負性的条件を満たすとき、そこに、相当程度の確率で権力関係の現出を分娩してしまうかも知れないのである。

 繰り返すが、人間の自我統御能力など高が知れているのだ。だから私たちの社会から、「虐め」や「家庭内暴力」を根絶することは、殆ど不可能と言っていい。ましてや、権力関係の発生を、全て「愛」の問題で解決できるなどという発想は、理念系の暴走ですらあると断言していい。

 しかし、以上の文脈を認めてもなお、「虐め」を運命論の問題に還元するのは、とうていクレバーな把握であるとは思えないのだ。「虐め」が自我の問題であるが故に、その自我をより強化する教育が求められるからである。

 人間は愚かだが、その愚かさを過剰に顕在化させないスキルくらいは学習できるし、その手段もまた、手痛い教訓的学習の中で、幾らかは進化させることが可能であるだろう。少なくとも、そのように把握することで、私たちの内なる愚昧さと常に対峙し、そこから逃亡しない知恵の工夫くらいは作り出せると信じる以外にないということだ。

 人は所詮、自分のサイズにあった生き方しかできないし、望むべきでないだろう。

 自分の能力を顕著に超えた人生は継続力を持たないから、破綻は必至である。まして、それを他者に要求することなど不遜過ぎる。過剰に走れば、関係の有機性は消失するのだ。交叉を失って、澱みは増すばかりとなる。関係を近代化するという営為は、思いの外、心労の伴うものであり、相当の忍耐を要するものであるからだ。

 人は皆、自分を基準にして他者を測ってしまうから、自分に可能な行為を相手が回避する態度を見てしまうと、通常、そこでの落差に人は失望する。どうしても相手の立場に立って、その性格や能力を斟酌(しんしゃく)して、客観的に評価するということは困難になってくる。そこに、不必要なまでの感情が深く侵入してきてしまうのである。

 また逆に、自分の能力で処理できない事柄を、相手が主観的に差し出す、「包容力」溢れる肯定的ストロークに対して、安直に委託させてしまう多くの手続きには相当の用心が必要である。そこに必要以上の幻想を持ち込まない方がいいのだ。自分以外の者にもたれかかった分だけ拡大させた自我の暴走は、最も醜悪なものの一つであると言っていい。そのことの認知は蓋(けだ)し重要である。

 私たちはゆめゆめ、「近代的関係の実践的創造」というテーマを粗略に扱ってはならないということだ。それ以外ではない。
http://zilx2g.net/index.php?%A1%D6%CF%A2%B9%E7%C0%D6%B7%B3%A1%D7%A4%C8%A4%A4%A4%A6%B0%C7

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相アピール 令和の出典「初の国書」というマヤカシ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 赤かぶ[8366] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:53:12 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3405]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/231.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相アピール 令和の出典「初の国書」というマヤカシ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 赤かぶ[8367] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:53:52 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3406]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/231.html#c19
コメント [政治・選挙・NHK259] 剛腕小沢も手を焼く不協和音 参院選の野党共闘進まず(中央公論)敵は安倍政権のはずだ。内ゲバに労力をさいている場合ではない 完璧帰趙
6. 2019年4月03日 10:54:22 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[146]
自由党の小沢以外(太郎ちゃん、森おばさん、デニー知事)で新党作ればいい。
小沢には出ていってもらう。
ウーマン村本が芸能界引退してこの新党の党員になってもらう。いずれ選挙に出て衆院議員になってもらう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/204.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相アピール 令和の出典「初の国書」というマヤカシ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 赤かぶ[8368] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:54:25 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3407]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/231.html#c20
コメント [近代史3] 日本を滅ぼした日本人エリートの事なかれ主義、先延ばし主義 中川隆
4. 中川隆[-10993] koaQ7Jey 2019年4月03日 10:56:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1033]

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=q_uMjzQAwnM
https://www.youtube.com/watch?v=cicGFPx-4GE

▲△▽▼


<再現>日本赤軍事件 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QNNokzO4u-Y
https://www.youtube.com/watch?v=3dN3r3H4mSU


重信房子独占インタビュー 1973 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=rXIUjCImv1M

映画『革命の子どもたち』予告編 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=93xiGKx5ASU


▲△▽▼


連合赤軍あさま山荘事件 完全版 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=_7538Mapqd8

https://www.youtube.com/watch?v=JbXHqyyCvRY
https://www.youtube.com/watch?v=UgCwy_WQP60
https://www.youtube.com/watch?v=6dy2fbMgILE

<再現>連合赤軍 山岳ベース事件  - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%EF%BC%9C%E5%86%8D%E7%8F%BE%EF%BC%9E%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D+%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6&sp=mAEB

銃撃と粛清の神話 1972年連合赤軍あさま山荘事件 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%8A%83%E6%92%83%E3%81%A8%E7%B2%9B%E6%B8%85%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1+1972%E5%B9%B4%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

【昭和】連合赤軍30年目の真実【大事件】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=VwrRJSLg7nU

連合赤軍兵士 41年目の証言 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=fBusjiyrX78


▲△▽▼


しかし、昔の学生やインテリは随分 IQ が低かったみたいですね。

当時の日本は一億総中流で、マルクス主義の前提になる階級自体が存在しなかったので、いくら社会不安を起こしても階級闘争や革命なんか起きる筈がなかったのですけどね。


まあ、今の学生やインテリが賢くなったというのでなく

今だけ、金だけ、自分だけ

という価値観に変わっただけなのですが。


世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです
そしてそれは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。

日本共産党や労働組合を創設させたのも GHQ なのですね。

平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。

20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。


参考


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/318.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」への首相説明には平成を継承する視点が欠けている 日本史 縦横無尽(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[8369] kNSCqYLU 2019年4月03日 10:57:16 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3408]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/256.html#c3
記事 [経世済民131] WTOが19年の世界貿易見通しを下方修正、高関税などリスク、米自動車輸入制限、米中貿易摩擦より影響大 ドル年末6%下落へ
WTOが19年の世界貿易見通しを下方修正、高関税などリスク
Bryce Baschuk
2019年4月3日 10:10 JST
• 今年の伸び率は2.6%、来年は3%と予想−2018年は3%
• 見通しの下方修正は2年連続−貿易摩擦の高まりが背景
世界貿易機関(WTO)は高まる通商摩擦や関税の影響を挙げ、2019年の世界貿易成長見通しを3年ぶり低水準に引き下げた。
  WTOは2日公表した報告書で、世界のモノの貿易伸び率を今年2.6%と予想。昨年の3%から減速するとした。来年は3%と予測。昨年9月時点の見通しは18年が3.9%、19年は3.7%だった。見通しの下方修正は2年連続。
  アゼベド事務局長はジュネーブで「貿易を巡る緊張が高まる中、この見通しに誰も驚かないだろう」との声明を出し、「摩擦を解消し、今日の経済が抱える真の課題に対処する世界貿易のため前向きな道を示すことに注力する緊急性が一段と高まっている」と指摘した。
Collateral Damage
The WTO slashes its global trade growth projection for 2019

Source: World Trade Organization
  WTOは報告書で、貿易財に幅広く影響する新たな関税や報復措置など、貿易の伸びを抑制するさまざまなリスク要因を挙げ、金融市場の不安定と金融情勢の引き締まりも圧迫要因だとした。
原題:Tariff War Will Hammer Global Trade Growth This Year, WTO Says(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-03/PPCXEI6K50XU01


 


米国の自動車輸入制限、米中の貿易摩擦より影響が大きい−WTO
Bryce Baschuk
2019年4月2日 23:53 JST
外国車の輸入を制限するとのトランプ米大統領の脅しは、米中間の貿易摩擦よりも世界経済への影響が大きいと、世界貿易機関(WTO)のチーフエコノミスト、ロバート・クープマン氏が指摘した。
  同氏は2日、ジュネーブで記者団に対し、おおざっぱな計算だと前置きした上で、「米中間の貿易は世界全体の約3%だ。世界全体の自動車貿易は貿易全体のおよそ8%となっている。そのため、自動車関税の影響の方が米中の貿易摩擦よりも大きいことが想像できるだろう」と述べた。

https://assets.bwbx.io/images/users/iqjWHBFdfxIU/i56OQ309_7PE/v0/576x-1.png
  WTOは2019年の世界貿易成長率予想を3年ぶりの低水準に下方修正。貿易摩擦や関税の影響を理由に挙げた。
  自動車輸入が国家安全保障に及ぼす影響に関し、米商務省は報告書の作成を終えている。トランプ政権はこれを踏まえて、自動車および同部品の輸入に対する関税や割り当てなどの制限を検討している。米国は昨年、鉄鋼に対して25%、アルミニウムに対して10%の関税を賦課したが、今回の自動車を巡る対応は、金属と同様のプロセスを経ている。
原題:If You Think Trump’s China Policy Is Tough, Wait for Car Tariffs(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-02/PPC7IV6K50XS01?srnd=cojp-v2


 
ドルはすでに今年のピーク過ぎ、年末までに6%下落へ−モルガンS
Ruth Carson
2019年4月3日 1:29 JST
• ドル、市場が予想する以上に下落する−モルガン・スタンレー
• 世界他地域の株価見通しが改善へ、米投資家の資金環流も減る見込み
モルガン・スタンレーの見方に従えば、ドルはもう今年のピークを過ぎた。
  ハンス・レデカー氏ら同行ストラテジストは2日のリポートで、ドルは年末までに6%下落すると予想。他国と比較した米経済成長ペースが減速し、米金融当局のハト派的な姿勢がドルを圧迫すると見込む。
  レデカー氏らは「ドルはすでに現サイクルでのピークを付け、市場の予想以上に下がると考えられる」とし、「最近まで米投資家による資金の本国環流がドル相場を支えてきたが、米国と比べて世界の残り地域の株価見通しが改善するのに伴い、この環流も減るだろう」と続けた。
  ゴールドマン・サックス・グループやウエスタン・アセット・マネジメントなどもドル安の見通しを明らかにしている。ブルームバーグ・ドル・スポット指数は昨年1年で約3%上昇。今年に入ってからはほぼ変わらずとなっている。

原題:Morgan Stanley Sees Dollar Sliding 6% in 2019 on Growth Concerns(抜粋)
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【引受実績】みずほ証券3冠、サムライも首位−18年度社債・財投含め
伊藤小巻
2019年4月3日 5:45 JST
• 年度引受額は5641億円−マレーシア債で3月にSM日興を逆転
• 財投機関債で8年ぶり、社債で2年ぶりのトップになっていた
2018年度のサムライ債引き受けランキングは、みずほ証券が3年連続で首位となり、社債と財投機関債を含めて年度3冠になった。
  ブルームバーグのデータによると、みずほ証のサムライ債引受額(自社発行分除く)は5641億円だった。1、2月まではSMBC日興証券に続く2位だったが、3月のマレーシア債2000億円の主幹事になり逆転した。マレーシア債は引受額の内訳が開示されず、データ上は主幹事3社が均等に表示される。みずほ証はHSBCホールディングスの初のTLACサムライ債を含めて件数でも他社をしのいだ。
  年度引受額でみずほ証は財投機関債で8年ぶりのトップだった。7年連続首位の三菱UFJモルガン・スタンレー証券は6月末に表面化した国債相場操縦が影響、5大証券で最下位になった。社債でもみずほ証は、17年度首位の野村証券を上回り2年ぶりのトップになった。サムライ債でみずほ証は16年度から首位を堅持している。
  サムライ債は金融庁のTLAC(総損失吸収能力)債リスクウエートの経過措置で、国際金融システム上で重要な銀行(GーSIBs)の発行が増えた。みずほ証の長嶋慎一郎グローバルキャピタルマーケット推進部次長はTLAC債について「1件当たりの発行額増加に加え、年度に複数回起債する発行体も増えた」と述べた。国際協力銀行(JBIC)部分保証債、フィリピンとマレーシアの久しぶりのソブリン債を含めて「象徴的な案件を幅広く手掛けることができた」としている。
3月順位 引受会社 引受額(億円) シェア(%) 件数
1 HSBC 667 33.3 1
1 みずほ証 667 33.3 1
1 大和証 667 33.3 1
2018年度
(2月まで) 引受会社 引受額
(億円) シェア
(%) 件数
1(2) みずほ証 5641 23.1 48
2(1) SM日興 4991 20.4 44
3(3) 大和証 4703 19.2 41
4(4) 三菱モル 3932 16.1 36
5(5) 野村証 3164 12.9 33
6(ー) HSBC 667 2.7 1
7(6) シティ 498 2.0 7
8(7) メリル日本 467 1.9 3
9(8) JPモル 163 0.7 1
9(8) ガスプロム 163 0.7 1
11(10) BNP 75 0.3 1

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-02/PPC7O3SYF01Z01

http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/782.html

コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の時だけ、護憲派とは笑わせる!>いつから安倍首相はそんなに憲法順守になったのか  天木直人  赤かぶ
6. 2019年4月03日 10:57:51 : FehvLrQ8PQ : SkZHQzZJc2lBTVU=[28]
>いつから安倍首相はそんなに憲法順守になったのか 

 とんでもない!!  アホ晋三は『憲法遵守』の気持ちなどさらさらない。
 いろいろ考えて発言などアホ晋三は大の苦手だ。

  こいつはその時々の思い付きの言動しか出来ない! 
 天木さん、この間アホ晋三の正体を見事に現した瞑台詞(笑い?)を言ったでは  ないか
 『ポンコツ頭のアベ晋三はLEADERではなく、READERだ』と。
 
  
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/255.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] 令和問題は 石破の違和感 と 天皇陛下不参加  赤かぶ
27. 2019年4月03日 11:00:41 : sIBP8FVPfU : OHduLndJMy93ZGs=[51]
「れいわ」「どうわ」・・・。

ひところの「同和問題」を思い出させる嫌な語呂合わせ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/220.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の私物化効果か!>共同通信、内閣支持9ポイント増の52% 新元号「令和」好感73% 安倍首相の総裁4選反対54% 赤かぶ
44. 赤かぶ[8370] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:01:29 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3409]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/230.html#c44
記事 [経世済民131] トレンド追随クオンツが復活探る−債券大幅高の波に乗り 資産780億円は「ばかげた」金額、グーグル目指さぬKudan大野氏
トレンド追随クオンツが復活探る−債券大幅高の波に乗り
Justina Lee、Ksenia Galouchko
2019年4月3日 10:21 JST
• ソシエテが集計する大手CTAは17年終盤以来の好成績
• 自動取引のファンドは短期のトレンドに対して脆弱
世界資産のモメンタムを追うクオンツファンドは国債の強気相場に乗り、一時的に苦境を脱した。
  コモディティー・トレーディング・アドバイザー(CTA)とも呼ばれるトレンド追随ファンドは1−3月(第1四半期)に、2017年終盤以来の好成績となった。大手ファンドをモニターするソシエテ・ジェネラルの指数が示した。リセッション(景気後退)を巡るパニックが債券のロングポジションに利益をもたらした。
  ただ、1−3月期は株式と原油にとってここ10年余りで最良の第1四半期だったものの、CTAファンドのリターンはプラス1.9%にすぎない。自動取引のモデルは昨年終盤の急落で警戒シグナルを発していたため、こうしたファンドは上昇相場の大半に乗り遅れた。
 

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  ソシエテのクロスアセットクオンツ調査責任者、サンドリン・ウンガリ氏は「トレンド追随ファンドは昨年、市場の乱高下から痛手を被った」とした上で、「債券のトレンドは相対的に安定している傾向がある。リセッション懸念とハト派的な中央銀行の姿勢によって引き起こされた強気相場の環境では特にそうだ」と分析した。
  ソシエテは、この種のクオンツファンドが今、株式には幾分オーバーウエート、商品に中立、債券は顕著に買い持ちにしているとみている。今後数カ月にリスク資産の値上がりが続き、米国債弱気派が冬眠から一斉に覚めた場合の痛みが示唆される。

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  国債とリスク資産が景気循環について相反するシグナルを送っている中で、自動取引のファンドが決定的なトレンドに乗ることができるかどうかは不透明だ。トレンド追随戦略は短期でのトレンド転換に対して脆弱(ぜいじゃく)だ。
  49億ドル(約5500億円)規模のヘッジファンド、トランストレンドのエグゼクティブディレクター、アンドレ・ホニグ氏は、最近の債券値上がりによる追い風にもかかわらず、業界の将来を憂える。「市場のダイナミクスがあまりにも速く展開するので、過去に合わせて構築されたCTAシステムが将来も有効であるのは簡単ではない」と同氏は述べた。

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原題:Trend-Following Quants Attempt Comeback Powered by Bond Bonanza(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-03/PPBZKI6JTSE801

 

資産780億円は「ばかげた」金額、グーグル目指さぬKudan創業者
Yoojung Lee、Min Jeong Lee
2019年4月3日 1:00 JST
• 伝統的な日本企業で働きたくない気持ちから最終的に起業
• 競合する会社参入リスクもあり、株価は割高とみるアナリストも
大野智弘氏は日本の大学卒業時に自分が何をしたいかは分からなかったが、伝統的な日本企業で働きたくないことは分かっていた。
  経営コンサルタントとして職業人生を始めた大野氏はその後、英ブリストルにある新興企業での勤務を経て、最終的により最先端の企業を起業することになった。拡張現実(AR)の世界にいち早く入り込んだ同氏が設立したKudanは、コンピューターに人間の目と同様の機能を持たせるプログラムを開発している。
  同社は昨年12月に東京証券取引所に上場。素晴らしいデビューを飾り、株価は今年2月末に公開価格の6倍超という高値を付け、大野氏の資産は8億ドル(約890億円)を超えた。その後幾らか下落したものの時価総額は依然、13億ドル前後で、過半数株を保有する大野氏の資産は約7億ドルに上る。ブルームバーグ・ビリオネア指数が示した。

ブリストルのオフィス内の大野氏
Source: Kudan Inc.
 
  しかし大野氏(49)は舞い上がっていない。東京都内でのインタビューで、「ばかげた金額だ。意味がない。時価総額を上げるためにやっているわけではない」と語った。
  ARと聞けばスマートフォンゲーム「ポケモンGO」を思い浮かべる人が多いが、この技術にはもっと大きな意味があるという。「ポケモンGOにケチを付けるわけではないが、ピカチューが部屋の中に現れるというだけだ」と同氏は話す。
  KudanのARが目指すところは違う。大野氏によれば、同社はコンピューターが人間の目と同じように現実世界の物を3次元で認識できるプログラムを開発中で、この技術は自動運転車やドローン、掃除機にすら活用できる。人工知能(AI)などの技術と組み合わせて自律的で双方向の体験を可能にする。
  「AIが脳でわれわれは目だ。目と脳がともに働く必要がある」と同氏は述べた。Kudanは最近、米カリフォルニア州に本拠を置くシノプシスとの提携を発表した。モバイルから自動車市場までカバーするシノプシスの製品にKudanの技術を組み込む。大野氏はKudanを大きくすることが目的ではないとしているが、こうした提携を通じてKudanのエクスポージャーは高まる。
  「次のグーグルになりたいとは思わない」と大野氏は話す。むしろ、ほとんどのスマホに技術が採用されている半導体設計の英アーム・ホールディングスのようになりたいという。「アームは巨大だがインテルに比べると極小だ。しかしあらゆるところにある。われわれが目指すのはそこだ」と同氏は語った。
  ただ、松井証券の窪田朋一郎シニアマーケットアナリストはKudanには「同じような形で競合する会社が参入してくるリスクがやはりある」としたほか、高い期待を背景に同社株は「かなり買われている状況で、いわゆる割高というところ」と指摘した。Kudanの株価は純資産価値の150倍以上、株価収益率は3万6000倍を超える。
  

https://assets.bwbx.io/images/users/iqjWHBFdfxIU/iSVVCeKPBdrs/v2/pidjEfPlU1QWZop3vfGKsrX.ke8XuWirGYh1PKgEw44kE/576x-1.png
  だが、大野氏は過度に心配せず、中国に部門を設立し上場させるといった目標などに集中している。Kudanの従業員は20人足らずで、専門家のみを採用し各自がやるべきことを分かっているので、不要な会議はしないという。ブリストルのオフィスは元教会の中にあり、移転の予定はない。
  大野氏の席のすぐ後ろにはステンドグラスの窓があり、晴れた日にはそこから光が降り注ぐ。「そこでは私は神のように見える」と同氏は話した。
原題:He’s Worth About $700 Million. And He Says It’s ‘Ridiculous’(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-02/PPA5RT6KLVRG01?srnd=cojp-v2

 
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/783.html

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
14. 2019年4月03日 11:04:04 : HkfpbM36QY : NFZhdllTc1ozeEk=[1]
令には清らかの意味があるらしい
だとすると

令和=清和
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の私物化効果か!>共同通信、内閣支持9ポイント増の52% 新元号「令和」好感73% 安倍首相の総裁4選反対54% 赤かぶ
45. 赤かぶ[8371] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:04:18 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3410]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/230.html#c45
コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の私物化効果か!>共同通信、内閣支持9ポイント増の52% 新元号「令和」好感73% 安倍首相の総裁4選反対54% 赤かぶ
46. 赤かぶ[8372] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:05:04 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3411]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/230.html#c46
記事 [経世済民131] サウジアラムコ世界最大油田の「驚くほど低い」生産能力が判明 SP500下埋 原油年初来高 米耐久財受注予想外コア資本財減
サウジアラムコ世界最大油田の「驚くほど低い」生産能力が判明
Javier Blas
2019年4月3日 0:08 JST
• ガワール油田の生産能力は日量最大380万バレル−予想下回る
• 債券目論見書でサウジの巨大油田に関する詳細が判明
それはある王国の国家秘密であり、富豪の資金源だった。あまりの重要性から、かつて米軍が武力での掌握について議論したほどだ。そして石油トレーダーにとっては、消えることのない臆測の源でもあった。
  市場はようやく実態を知ることになった。世界最大の油田、サウジアラビアのガワール油田の生産能力はほとんどの人が予想していたよりもずっと少なかった。
  サウジアラビアの国営石油会社サウジアラムコは1日、約40年前の国有化以降で初めて利益を公表。同時に、保有する巨大油田を巡る秘密のベールを脱いだ。同社の債券目論見書によればガワール油田の生産能力は日量最大380万バレルで、市場で広く考えられていた500万バレル超を大きく下回った。  
King of Oil
Saudi Arabia relies on a handful of mega-fields to sustain its 12 million b/d capacity

Source: Saudi Aramco bond prospectus
  シンガポールのコンサルティング会社エナジー・アスペクツの上流部門責任者、ビレンドラ・チャウハン氏は「ガワールはサウジ最大の油田であり、驚くほど低い生産能力の数字は目論見書の中でも際立っている」と指摘した。
  米エネルギー情報局はガワール油田の生産能力について、2017年は日量580万バレルとしていた。アラムコ自体も04年に行ったプレゼンテーションで、同油田の生産能力は日量500万バレル超だとし、少なくとも10年前から同水準を維持してきたと説明していた。
  目論見書には、現在の生産能力が15年前と比較して約4分の1減っている理由を示す情報は記されていない。
原題:Saudi Aramco Reveals Sharp Output Drop at Super-Giant Oil Field(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-02/PPC7306S972801?srnd=cojp-v2

 


S&P500種が下げ埋める、原油は年初来高値
Vildana Hajric
2019年4月3日 5:44 JST 更新日時 2019年4月3日 6:22 JST
• ダウ平均は4日ぶりの下落、ウォルグリーンが大幅安
• 米国債は前日の下げを一部回復、長期債の上値は重い
2日の米株式市場ではS&P500種株価指数がほぼ変わらず。1−3月(第1四半期)に四半期ベースで2009年以来の大幅高となったことを踏まえて見直し買いが入り、日中安値から戻した。米国債相場は反発。
• 米国株はS&P500種が下げ埋める、ナスダック総合は小幅続伸
• 米国債は反発、10年債利回り2.47%
• NY原油は年初来高値、OPEC減産で楽観広がる
• NY金は小反発、世界経済減速懸念で逃避需要高まる
  ダウ工業株30種平均は4営業日ぶりに下落。ドラッグストアチェーンのウォルグリーン・ブーツ・アライアンスが決算発表を受けて大きく下げた。一方、テクノロジー株は好調となり、ナスダック総合指数を押し上げた。S&P500種は軟調な場面が目立ったが、下げを埋めて終えた。
  S&P500種株価指数は前日比0.05ポイント高の2867.24。ダウ平均は79.29ドル(0.3%)下げて26179.13ドル。ナスダック総合指数は0.3%上昇。ニューヨーク時間午後4時50分現在、米10年債利回りは3ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)低下し2.47%。
  ニューヨーク原油先物相場は3営業日続伸。石油輸出国機構(OPEC)の原油生産が減少し、市場引き締まりの様相を呈した。ニューヨーク商業取引所(NYMEX)のウェスト・テキサス・インターミディエート(WTI)先物5月限は99セント(1.6%)高の1バレル=62.58ドルと、重要な節目の200日移動平均線を上回って終了。ロンドンICEの北海ブレント6月限は36セント上げて69.37ドル。
  ニューヨーク金先物相場は小反発。世界経済減速の兆候を受け、金の逃避需要が高まった。3月の米自動車販売は大半のメーカーで減少を示したこと、2月の米耐久財受注統計でコア資本財の受注が過去4カ月で3度目の減少となったことなどが注目された。ニューヨーク商品取引所(COMEX)の金先物6月限は0.1%高の1オンス=1295.40ドルで終了した。

  ZEGAファイナンシャルのジェイ・ペストリケリ最高経営責任者(CEO)は「世界は慎重ながらも楽観的で、最善の事態を願いつつ最悪の事態に備えるといった状況にある」との見方を示した。
  米国債は前日の下げの半分程度を埋めた。幅広い年限で買いを集めたが、長期物は短期物に比べ上げ幅が小幅だった。今月の大量の社債発行や今週の長期債入札を前に長期債の上値は重かった。
原題:Stocks Climb From Lows; Treasuries Resume Rally: Markets Wrap(抜粋)
Treasuries Advance; Curve Steepens as IG Credit Issuance Mounts
Oil Rises to Highest This Year as OPEC Curbs Stoke Optimism
PRECIOUS: Gold Advances as Growth Concerns Boost Haven Demand
(第6段落以降を追加し、更新します.)


英首相「政治宣言」共同案を野党党首に要請へ−EUと締結目指す
Tim Ross、Robert Hutton、Kitty Donaldson
2019年4月3日 7:32 JST 更新日時 2019年4月3日 8:56 JST
• 合意すれば共同案の議会承認を求め、10日のEU臨時首脳会議に臨む
• 合意なければ複数の選択肢を下院の採決に付し、政府は決定に従う

メイ首相
Photographer: JOHN STILLWELL/AFP
メイ英首相は、欧州連合(EU)離脱を巡る行き詰まりを打開し、無秩序な「合意なき離脱」を回避するため、最大野党・労働党のコービン党首に共同プランの立案への協力を求めた。共同案はEUとの将来の関係の枠組みを描く「政治宣言案」部分に的を絞ったものを想定している。
  メイ首相の労働党党首への協力要請は、場合によってEUとの関税同盟にとどまるような首相案よりかなりソフトなEU離脱の可能性に道を開きかねない。首相にとって交渉のレッドラインを大きく踏み越えることを意味するが、産業界にとっては朗報となる。この動きを受け、ポンド相場は上昇した。
  コービン党首はメイ首相の申し出を歓迎し、「非常に喜んで」会うと発言。EUサイドの最初の反応も前向きなものとなった。
  メイ首相は7時間に及ぶ異例の長時間閣議の後、危機を乗り切るために4月12日の離脱期限のさらなる延長が必要になるだろうと語った。メイ氏は首相官邸でテレビカメラに向かい、「この議論、この分裂状態をずっと長く続けるわけにはいかない。国益のために国の結束が必要だ」と訴えた。
  メイ首相の計画の主なポイントは次の通り。
• 合意の下でのEU離脱を確実なものとするため、コービン党首と共同案での一致に向けて協議。将来のEUとの関係に的を絞る
• 両者が合意すれば、共同案の議会承認を求め、その後EUが10日に開く臨時首脳会議で締結を目指す
• メイ首相とコービン党首が合意に至らない場合、英・EUの「将来の関係について複数の選択肢」を下院に提案し、採決に付す。議会の決定がどのようなものであれ政府は実行を約束する
• 英国のEU離脱を可能にし、5月の欧州議会選挙への参加が必要になる事態を避けるために関連法をその後成立させる
  メイ首相はコービン党首とのいかなる合意も、下院で3度否決された「離脱協定案」部分を含む形で議会の承認を得る必要があると主張した。
メイ首相は最大野党・労働党のコービン党首との会談を提案
ソース:ブルームバーグ)

労働党のコービン党首
写真家:Jason Alden / Bloomberg
原題:U.K.’s May Seeks Deal With Labour to Break Brexit ‘Logjam’ (1)(抜粋)
(メイ首相の発言などを追加して更新します.)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-02/PPCU4B6JTSE901

 

米耐久財受注:予想外のコア資本財減、マイナスは4カ月で3度目
Reade Pickert
2019年4月2日 21:36 JST 更新日時 2019年4月2日 23:05 JST
2月の米耐久財受注統計では、設備投資の先行指標となる航空機を除く非国防資本財(コア資本財)の受注が、過去4カ月で3度目の減少となった。世界的な景気減速や米中貿易戦争を巡る不透明感を背景に、企業の投資が引き続き抑制されている状況が示唆された。
キーポイント
• コア資本財は0.1%減
o ブルームバーグがまとめたエコノミスト予想中央値は0.1%増
o 前月は0.9%増(速報値0.8%増)に上方修正
• 全体の耐久財受注は1.6%減、予想1.8%減

https://assets.bwbx.io/images/users/iqjWHBFdfxIU/iT2v.YkZigC8/v2/pidjEfPlU1QWZop3vfGKsrX.ke8XuWirGYh1PKgEw44kE/576x-1.png

インサイト
• 今回の統計は米経済成長が昨年のペースを失いつつあることを新たに示唆。中国や欧州の景気減速が米企業への重しとなっている
• 国内総生産(GDP)の算出に使用されるコア資本財の出荷は前月と変わらず。予想は0.1%減。前月は1%増(速報値0.8%増)に上方修正
• 全体の耐久財受注の数字は、変動が大きい民間航空機・部品の受注が31.1%急減したことを反映
詳細
• 輸送機器を除く耐久財受注は0.1%増。市場予想と一致。前月は0.1%減。国防資本財の受注は3.4%減
• 耐久財の在庫は0.3%増
• 統計の詳細は表をご覧ください
原題:U.S. Business-Equipment Orders Post Third Drop in Four Months(抜粋)
(統計の詳細を追加し、更新します.)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-02/PPC2XWSYF01S01?srnd=cojp-v2

http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/784.html

コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
18. 2019年4月03日 11:12:24 : Ye6rWhFDQo : aTBYYW50UldiZDI=[92]
流れは政党が創るのか、有権者が創るのか、日本のデモクラシーは試されたことがない。
また、有権者のデモクラシーを阻害する社会的圧力は存在する。
いよいよ日本も追い込まれてきた。
打開するものは有権者以外にはあり得ない。

この圧力を突破するには巨大なエネルギーの集約が必須だ。
そのエネルギーは大きな不幸の後に来るのか、事前に来るのか、我々次第だ。
日本人が賢明なら大きな不幸は遭遇しないが、今のままでは無理だと考えざる負えない。

何とかしたいと考える人々のエネルギーをまずは結集すべきである。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c18

コメント [国際25] 米国警備艦が北朝鮮の「瀬取り」監視で異例の韓国入り 韓国への警告の意図も?(ニューズウィーク) 赤かぶ
6. 2019年4月03日 11:14:33 : 1GJFQVU66M : c0lqbmRoR2RQY2c=[44]
>日韓関係を決定的に悪化させた昨年末の韓国海軍駆逐艦による海上自衛隊哨戒機に対する「レーダー照射事件」についても、瀬取りとの関係を指摘する政府関係者や識者もいる。韓国船が瀬取りを支援している現場を押さえられそうになったため、海自機をレーダー照射によって追い払おうとしたのではないかという見方だ。海自機は、救難信号を出していたとされる北朝鮮の漁船を韓国の小型ボートや警備艇が取り囲んでいる状況を確認している。ちなみに、日本側は北朝鮮船の救難信号をキャッチしていない。

瀬取りとは何の関係もない北朝鮮の小型船舶を韓国海軍駆逐艦が拘束したのには、重大な理由があるだろう。韓国海軍がレーダー照射までして哨戒機を追い払い、隠さねばならない理由だ。

韓国軍は北朝鮮の小型船を拘束して、その船舶に乗っていた人物を北朝鮮に引き渡したことだけは明らかだ。

北朝鮮の誰かがその小型船に乗って逃亡した後、これを知って、あわてた北朝鮮の当事者が直接に韓国大統領に通報した。そこで、韓国大統領は北朝鮮の意向に無条件に従った。
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/900.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化(Business Journal) 赤かぶ
2. 2019年4月03日 11:15:18 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[257]
工事業者は維新系の業者、末端の造園業者社長は自殺。ゴミがあるかないかは掘ってみればわかる。1日で出来るよ。

何が本当で何がうそか、少しは自分の頭で考えなさい。それが出来ない人は生きてきた値打ちがない人生。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/257.html#c2

記事 [経世済民131] 「逆イールドは米景気後退の予兆」は鉄の法則か 仮想通貨の冬終わる 米大統領とFRB似てきた 豪黒字過去最高 中国指標春へ
為替フォーラム2019年4月3日 / 10:44 / 11分前更新

「逆イールドは米景気後退の予兆」は鉄の法則か

村嶋帰一 シティグループ証券 チーフエコノミスト
5 分で読む

[東京 3日] - 米国の利回り曲線(イールドカーブ)の長短逆転、いわゆる「逆イールド」は、近い将来の景気後退局面入りを意味するのだろうか。この点を巡る関心が高まっている。実際、過去の経験に基づく限り、「逆イールドは米国景気後退の予兆」という説は、例外のない、いわば「鉄の法則」のようにもみえる。

1960年以降、米国の10年物国債利回りから3カ月物財務省短期証券(Tビル)利回りを引いた長短金利差が逆転し、逆イールドが発生した際には、ほぼ例外なく、それほど時間を置かずに景気後退局面を迎えていた。唯一の例外は1966─67年に発生した逆イールドだ。こうした経験則を踏まえれば、今回も逆イールドが発生する中、金融市場で米国景気後退への懸念が強まったのは無理からぬことと言えるだろう。

<今回、法則を裏切る理由>

その理由を簡単に言えば、これまでの景気後退入り前には政策金利がはっきりとした引き締め領域までに引き上げられていたのに対して、今回は、政策金利であるフェデラルファンド(FF)レートが、景気抑制効果を及ぼし始める水準よりも低い水準にとどまっていることが指摘できる。やや込み入った話にはなるが、この点を具体的に議論していこう。

景気に対して刺激効果も抑制効果も及ぼさない実質金利の水準は「中立金利」と呼ばれる。これと、FFレートからコア個人消費支出(PCE)デフレーターの前年比を引いたもので定義される現実の実質政策金利を比べることにより、金融政策が景気に対して刺激的か、抑制的かをおおまかに判断できる。中立金利は推計する必要があるが、ここでは、米ニューヨーク連銀のウィリアムズ総裁らの推計値を使用する。

ここでも、1960年以降の期間について振り返ると、実質政策金利の中立金利からの乖離幅は、1969─1970年の後退局面を除くと、いずれの景気後退局面の手前でも、はっきりとしたプラス(おおむね1.5─2%以上)となっていたことが分かる。すなわち、実質政策金利が中立金利を明確に上回ることで、経済活動に対する抑制効果が表れ、タイムラグを伴いながら、景気が後退局面に入ったことになる。

また、そうした景気見通し(あるいはそれを受けて利下げが実施される可能性)を織り込む形で、長期金利が短期金利を下回り、逆イールドが発生したことになる。

しかしながら、今回の局面では、依然として、実質政策金利が中立金利をわずかながら下回っており、理屈上、経済活動に対する抑制効果は顕在化していない。具体的には、現在の実質政策金利は0.5%程度、ウィリアムズ総裁らによる中立金利の推計値は0.8%程度である。こうした点を踏まえると、今回の逆イールド現象については、少なくとも、従来経験とは異なる解釈余地があると考えるべきだろう。

例えば、日本とユーロ圏の超低金利を背景とする米国債市場への資金流入(サーチ・フォー・リターン)や、米国で中期的にインフレ率(あるいはインフレ期待)が低位にとどまるとの見通しが、米長期金利を抑制している可能性がある。また、現象面から言えば、タームプレミアム(期間のより長い債券に要求される追加的な利回り)がマイナスとなっていることが、長期金利を低位にとどめている。

以上のような理由から、弊社は、今回の逆イールドが、近い将来における米国景気の後退局面入りを意味するという見方とは一線を画している。むしろ米連邦準備理事会(FRB)が3月の連邦公開市場委員会(FOMC)会合で、政策金利を、中立金利を下回る水準にとどめる姿勢を極めて鮮明にしたことで、緩和的な金融環境が続き、今回の米国景気拡大が(緩やかだとしても)より息の長いものとなる可能性が出てきていると考えるべきではないか。

<FRB政策運営の軸足はインフレに>

次の問いとして頭に浮かぶのは、なぜ、FRBがこのタイミングで、政策金利を中立金利よりも低い水準に維持する方針を鮮明にしたかという点であろう。金融市場の不安定化や海外景気の下振れリスクがその理由の1つと考えられるが、最も重要なのは、低インフレが定着することへの懸念と考えられる。

FRBは今年、インフレ目標の枠組み見直しについて、本格的な検討を始める予定である。議論の方向性が示されたのが、今年2月に開催された「米国金融政策フォーラム」であり、そこでFRBのクラリダ副議長やウィリアムズ総裁らがインフレ目標の枠組み見直しについて問題提起を行っている。

クラリダ副議長は「金融政策の戦略・手段・情報発信に関する再検討」と題された講演の中で、「長い期間にわたってインフレ率が目標を下振れれば、より長期のインフレ期待がうまくアンカーされない、もしくはインフレ目標よりも低い水準でアンカーされるリスクを伴う」と指摘した。そうした問題意識の下、インフレ率が目標を下回った場合には、その後に目標からの上振れを許容する「埋め合わせ戦略」についても言及。その具体的な方法として、複数年の平均的インフレ率をターゲットとすることや、物価水準ターゲットを挙げた。

クラリダ副議長の問題意識を少し敷衍(ふえん)すると、FRBはこの間、「2%のインフレ目標」をうたいながら、それをあたかも上限であるかのように運営してきた。インフレ率が目標値を下回る期間が続いても、ひとたび2%に戻れば、金融緩和措置は弱められる傾向が強かった。これにより、現実のインフレ率が平均で2%を下回る事態を招いたと考えられる。

ウィリアムズ総裁は、現在の景気拡大局面では、PCEインフレは食料・エネルギーを除くコアでみても、全体でもみても年率で約1.5%にとどまり、目標の2%を下回っていると指摘している。

 4月3日、米国の利回り曲線(イールドカーブ)の長短逆転、いわゆる「逆イールド」は、近い将来の景気後退局面入りを意味するのだろうか。「鉄の法則」のようなこの説が、今回裏切られる理由をシティグループ証券の村嶋帰一氏が説明する。写真は3月、米FRBのパウエル議長。ワシントンで撮影(2019年 ロイター/Jonathan Ernst)
現実のインフレ率が平均的に2%を下回った結果、企業や家計のインフレ期待が低下し、それがさらに現実のインフレ率に対して大なり小なり下押し圧力を及ぼしている可能性が高い。

だとすれば、「2%のインフレ目標」を上限であるかのように運営するのではなく、ある程度の期間の平均で2%を目指すことが、インフレ期待の低下と、現実のインフレ率の下振れを防ぐ意味で望ましい政策ということになる。ウィリアムズ総裁は同フォーラムで、「(インフレ率を平均的に2%にするためには)約半分の期間で目標を上回り、約半分で下回ることになるだろう」と述べているが、これはFRBが目指している状態だと推測される。

FRBがここで述べたような枠組み見直しを検討し始めた背景としては、景気拡大局面が長期化する中、次の景気後退局面ではインフレ率が一段と低下し、それが中長期のインフレ期待を一段と押し下げる可能性に対する危機感が挙げられよう。

ややうがった見方をすれば、枠組み見直しの正式決定がまだ先だとしても、今回の景気拡大局面における残りの期間で、2%をやや上回るインフレを実現したいと考えているのではないか。これが、政策金利を、中立金利を下回る水準にとどめる方針を鮮明にしたことの基本的な背景だと考えられる。

以上の通り、FRBのインフレ重視スタンスは、長期間にわたって政策金利を中立金利を下回る水準にとどめる公算が大きく、緩和的な金融環境を通じて、米国景気の拡大をより息の長いものとするだろう。「逆イールドすなわち米国景気後退」説は、今回、裏切られる可能性が高いように思われる。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

村嶋帰一氏(写真は筆者提供)
*村嶋帰一氏は、シティグループ証券調査本部投資戦略部マネジングディレクターで、同社チーフエコノミスト。1988年東京大学教養学部卒。同年野村総合研究所入社。2002年日興ソロモン・スミス・バーニー証券会社(現シティグループ証券)入社。2004年より現職。

(編集:下郡美紀)
https://jp.reuters.com/article/column-forexforum-kiichi-murashima-idJPKCN1RE0FH

 


ビジネス2019年4月3日 / 02:23 / 9時間前更新
ビットコイン一時20%超高、「仮想通貨の冬」終わるとの指摘
Reuters Staff
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[2日 ロイター] - 仮想通貨のビットコインBTC=BTSPが一時23%高の5080ドルと、4カ月半ぶりの高値を付けた。取引時間中の上げでは2017年12月以来の大きさ。

金融コンサルタンシー、ディーヴァー・グループのナイジェル・グリーン最高経営責任者(CEO)は、相場が底を打ち「仮想の冬」が終わったと指摘した。

この日の急伸について「様子見していた多くの投資家を引き寄せる公算が大きい」と分析し、数カ月中に7000ドルを付けると予想。

アナリストらによると、匿名の買い手が1億ドル規模の大型注文を出し、他の仮想通貨にも影響が広がったという。

イーサリアムETH=BTSP、リップルのXRPXRP=BTSPも10%超上昇した。
https://jp.reuters.com/article/bitcoin-soars-idJPKCN1RE1XR


 


外国為替2019年4月3日 / 10:54 / 15分前更新
〔マーケットアイ〕外為:
ドル111円前半、米大統領とFRBの主張「似てきた」との声
Reuters Staff
2 分で読む

[東京 3日 ロイター] -

<10:50> ドル111円前半、米大統領とFRBの主張「似てきた」との声

ドルは111.46円付近。米中が通商交渉で最終合意に近づいているとの報道を手がかりに一時111.52円まで上昇、抵抗線となっていた200日移動平均(111.48円)を踏み上げたものの安定的に上昇できず、小幅に反落している。

為替市場では、トランプ米大統領と米連邦準備理事会(FRB)の主張や発言が同一化しているとの指摘が聞かれる。

「トランプ氏は以前から利上げは駄目、ドル高も駄目と繰り返しているが、最近のFRBは(トランプ氏に)似てきたようだ」とFXプライムbyGMOの常務取締役、上田眞理人氏は言う。

FRBは3月19―20日に開催された米連邦公開市場委員会(FOMC)で、事実上規定路線になっていた利上げ休止を決定。年内追加利上げを見込まないFOMC参加者が11人もおり、為替市場では利上げ休止が長引くとの見方が広がっている。

FRBのクラリダ副議長は28日パリでの講演で、他国のリセッションは当該諸国での金利低下をもたらすため相対的にドル金利が高くなり、ドル相場を押し上げ米輸出の競争力を削ぎ輸入を拡大すると指摘。また、ドル高は輸入物価の下押し圧力を醸成し、インフレを押し下げるとの見方を示した。

さらに、諸外国の景気減速への懸念は避難先通貨としてのドル需要を高めドルを一段と強くするかもしれないと、ドル高を巡る懸念を列挙した。

<09:57> ドル111円半ばに上昇、米中が最終合意に近づいているとの報道で

ドルは111.48円付近。一時111.52円まで上昇した。

きっかけは、米国と中国が通商を巡り最終合意に近づいている、とのフィナンシャルタイムズ紙の報道。

同紙は関係筋を引用し、米中高官は通商合意に向け懸案事項の大半を解決したが、合意の履行方法を巡っては依然議論に隔たりがあるという。

この報道をきっかけに、ドルは壁となっていた200日移動平均線(111.48円)を踏み越えたが、安定的に111円半ばを超えられるか、現時点では不透明だ。

<07:30> ドル111.00─111.80円の見通し、英ポンド高/ドル安で上値重いか

ドル/円は111.33円付近、ユーロ/ドルは1.1202ドル付近、ユーロ/円は124.70円付近。

きょうの予想レンジはドル/円が111.00―111.80円、ユーロ/ドルが1.1170─1.1250ドル、ユーロ/円が124.20―125.40円とみられている。

前日の海外市場では、英国のメイ首相が欧州連合(EU)の離脱交渉期限の延長を要請することを明らかにしたことを受け、英ポンドは一時1.3150ドル、対円では146.44円付近まで上昇した。

メイ首相は議会のこう着状態脱却に向け、野党・労働党のコービン党首と協議する意向も表明した。

英ポンドは現在も堅調で1.1340ドル、146.22円付近を推移している。

前日は「ポンド高/ドル安がユーロにも波及し、ユーロが下げ幅を縮小する場面がみられた」(外為アナリスト)とされ、きょうも英ポンドやユーロの相対的な強さがドル/円の上値を抑える余地がある。

ドル/円ではさらに111.48円付近に200日移動平均線があり、目先のレジスタンス(抵抗線)を形成しているため、これを上抜けられるかも焦点だ。前日の海外市場では上抜けできなかった。

きょうは米国時間にISM非製造業景況指数や米サービス部門PMI改定値など主要指標を控え、午後の取引では様子見姿勢が強まりそうだ。

自動車メーカー各社が2日に発表した3月および第1・四半期の米国内販売は低調な結果となった。

ゼネラル・モーターズ(GM)の第1・四半期販売台数は7%減、トヨタ自動車は3月が3.5%減、第1・四半期は5%減、日産自動車は3月が5.3%減、第1・四半期は11.6%減だった。ホンダは3月に4.3%増、第1・四半期は2%増。 「自動車販売は、米消費者が景気の先行きをどのようにみているかが反映される指標で、同指標の落ち込みは、小売売上高などの低迷につながるだろう」(国内エコノミスト)とみられている。

全スポットレート(ロイターデータ)

アジアスポットレート(同)

欧州スポットレート(同)

通貨オプション

スポットレート(ロイター・ディーリング約定値)

スポットレート(日銀公表)


 
ワールド2019年4月3日 / 10:44 / 25分前更新
豪貿易黒字、2月は過去最高 予想上回る
Reuters Staff
1 分で読む

 4月3日、オーストラリア連邦統計局が発表した2月の貿易収支は季節調整済みで48億豪ドルの黒字と過去最高となった。写真は羊毛倉庫の前に積まれた輸出用コンテナ。シドニーで昨年9月に撮影(2019年 ロイター/Jonathan Barrett)
[シドニー 3日 ロイター] - オーストラリア連邦統計局が発表した2月の貿易収支は季節調整済みで48億豪ドルの黒字と、黒字額は市場予想の38億豪ドルを上回り、過去最高となった。
https://jp.reuters.com/article/tokyo-frx-idJPL3N21L0I2?il=0


 

2019年4月3日 The Wall Street Journal
春告げる中国指標、慎重ながらも楽観的な判断を
中国
Photo:DOL
――WSJの人気コラム「ハード・オン・ザ・ストリート」

***

 中国経済に春が訪れているのだろうか。信ぴょう性のないデータを案内役にするのは頼りない。

 世界2位の経済大国である中国の3月の製造業購買担当者指数(PMI)は6カ月ぶり高水準に達し、民間業者による同様の指数も力強く回復した。だがいつものことながら、早春は中国経済データがぶれやすい時期だ。年毎に期日がずれる1週間の旧正月(春節)や銀行の新たな融資割当枠の決定など、さまざまな季節要因で1-3月期は景気判断が難しい。中国経済は3月にやや上向いたかもしれないが、PMIが節目の50を上回り、経済活動の拡大を示す水準へ上昇したのは、おそらく実際以上の数字に上振れしたものだろう。2月のPMIは49.2だった。

 こうした統計のゆがみはすでに、数年ぶり低水準となった2月の貿易・工業統計で明白になっていた。昨年の春節は非常に遅く、2月16日に始まったため、季節要因による活動低下が3月まで持ち越された。今年は春節が早まり、2月の活動が弱く、3月が好調となった。中国国家統計局は問題を是正しようと取り組んではいるが、完全には対処できないだろう。2009年終わり以降、中国製造業PMIの標準偏差は1?3月に他のどの月よりも26%高くなっている。

 それでも、慎重ながら楽観的な見方ができる理由もある。2年にわたり極めて高い水準で推移していた低格付けの債券利回りは、12月以降に小幅に低下してきた。経済に借り入れコスト低下の影響が現れるまでには通常、6?9カ月かかる。だが民間の中小企業は長らく資金繰りにあえいできたため、今回も新たな借り入れがより迅速に投資へ向かう可能性がある。インフラ投資も引き続き、昨年の資金不足から回復している。

 投資家は借り入れコストが一段と低下するかどうか、不動産市場が悪化する兆候が強まるかどうか、を見極めていくべきだろう。そうした動向の方が、季節性の強い3月の製造業PMIの回復より信頼性が高そうだ。

(The Wall Street Journal/Nathaniel Taplin)
https://diamond.jp/articles/-/198691
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/785.html

コメント [リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
132. 中川隆[-10992] koaQ7Jey 2019年4月03日 11:17:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1034]

JBLの低域ユニットではD130が好きですね - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年04月03日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f0a7f6b24f7496ce7fedd5bf3697f947

オリンパスシステムが非常に良いサウンドを出しても手放さなかったD130のシステム。その訳は「軽く弾む低音がする」からだ。これに「低音の音の厚み」が加われば他のユニットでは追随できないだろうと思っていた。それが今出て来始めている。だから聴くのが楽しくて仕方がない。それも、まだNo1グレードのケーブルで電源ラインも信号ラインも「活性化中」だから、更に良くなっていくのが判っている。

45年前のアンプを使ってどうなるかな?と実験で入れたパイオニアのC3+M4。プリアンプ単体で考えれば、自作管球プリの方が音質やSN比は上だろうと思うが、敢えてパイオニア純正の組み合わせにしている。ただC3もM4も「オリジナル」と云う訳ではない。「音質アップ」のノウハウをこの15年追及して来た。その結果「電源ケーブル」と「ラインケーブル」を自主開発して、CD等のソース機器に入っている情報をすべて取り出して余裕のあるケーブルグレードにしたと自分では推定している。

SP間にラックやTV等が有るが、それらに関係なく音が詰まって来て、音が面で出て来る一歩手前まで来ている。多分「活性化」が完了すればオリンパスシステムと同じ様に「音が面で出て来る」はずだと思っている。スケール感も非常に大きくなっている。

部屋的にも10畳の空間が有り、オリンパスシステムの7.5畳より音の広がりやヌケが良い。聴いていて心地よく弾む低音の質感が良い。D130は軽く弾む低音が魅力だ。いつまでも聴いていられる心地よさが有る。オリンパスのLE15ではちょっと重たい低音なので、体力が無い時は苦痛に思える時がある。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f0a7f6b24f7496ce7fedd5bf3697f947


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c132

コメント [リバイバル3] ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 _ JBLの本当の音とは 富山誠
133. 中川隆[-10991] koaQ7Jey 2019年4月03日 11:19:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1035]

高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/402.html#c133
コメント [原発・フッ素51] 量の概念を無視して放射線の恐怖を煽り立てる? 誰も放射能をゼロにしろとは言っていない 量を無視しているのはどちらか  魑魅魍魎男
4. 2019年4月03日 11:19:56 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[179]
>>3
断続的に再臨界しているのは確実。
ヨウ素131が何度もあちこちで検出されているからね。

どうなるか誰にもわからない。
溶融燃料が外界に出たことは一度もないから。

今後も住民が大量に被ばくすることはまちがいない。

神奈川・逗子市の下水道終末処理場で大量のヨウ素131が検出された 
福島第一で大規模再臨界か?
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/383.html

2017年12月に二本松市・下水処理場の汚泥から8800ベクレル/kgもの
ヨウ素131を検出 再臨界は確実
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/876.html

福島県下水場で4月にヨウ素131を大量検出か? 
脱水汚泥の測定値が公表されなくなった
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/833.html

下水から検出されるヨウ素131は臨界の動かぬ証拠だ 医療用ヨウ素ではない
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/628.html

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/299.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の時だけ、護憲派とは笑わせる!>いつから安倍首相はそんなに憲法順守になったのか  天木直人  赤かぶ
7. 2019年4月03日 11:20:59 : FehvLrQ8PQ : SkZHQzZJc2lBTVU=[29]
>6 (続き)

  アホ晋三「私はね、憲法9条改憲などどうでもいいんだよ。別に変えなくても解釈改憲で今でもどうにでもなるんだから(笑い)。本当は、『緊急事態条項』を忍ばせて、私の好きなときに『戒厳令』を敷き、憲法・法律を停止させれば、後はボクちゃん晋三は生涯首相で居られるんだよ。それが主眼さ」

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/255.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の私物化効果か!>共同通信、内閣支持9ポイント増の52% 新元号「令和」好感73% 安倍首相の総裁4選反対54% 赤かぶ
47. 2019年4月03日 11:24:27 : JnWnx4lhrM : TmRoLjV2MjVKcVk=[73]
号外をもらう民衆の画像を見てごらん。
なんだか幸せそうな人たちはいないみたいだよね。
下層の人たちばかり「髪は整っていない、服装はドカジャン」
まあこの時間には、普通働いているわな…
しかも月曜日なんて会議やミーティングでバタバタするし
怒涛の週明け!
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/230.html#c47
コメント [政治・選挙・NHK259] 新時代にふさわしい政権に/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[8373] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:29:08 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3412]

自民・吉田参院幹事長、片山さつき氏諭す「『自分が』ではなく『感謝』で」
https://mainichi.jp/articles/20190329/k00/00m/010/261000c
毎日新聞 2019年3月29日 18時45分(最終更新 3月29日 18時46分)


閣議に向かう片山さつき地方創生担当相=首相官邸で2019年(平成31年)1月8日、川田雅浩撮影

 自民党の吉田博美参院幹事長が29日の同党参院議員総会で、片山さつき地方創生担当相の国会対応などを諭す一幕があった。吉田氏は冒頭あいさつで片山氏を名指しし「『自分が、自分が、自分が』ではなく、『感謝、感謝、感謝』の気持ちで頑張っていただきたい」と求めた。

 政府が成立を目指す国家戦略特区法改正案の国会提出が遅れ、与党から片山氏への不満が出ているため、吉田氏が丁寧な対応を促したとみられる。総会に出席した片山氏は緊張の面持ちで起立し、深々と頭を下げるなど平身低頭の様子だった。

 吉田氏は脚の不調で今月4日から車椅子を使っており、この日は約1カ月ぶりの総会出席となった。来年度予算成立を受けて同僚議員らに謝意を表したうえで、片山氏には「お願いしたいのは役所、参院、参院自民党、衆院の皆さんに支えていただいているという感謝だ」と指摘した。【松倉佑輔】











http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/259.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号案は6案すべてが判明 「令和」考案者は中西進氏(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 2019年4月03日 11:29:17 : NsdVQlotUg : VE4yZHY0L1ZuMFk=[5]

安帝に擬すのは、反骨精神とはいえ、悪意からの、こじつけだね。安倍支持者は安心しな。

日本会議陰謀説も煽り過ぎ。

むしろ、張衡「帰田賦」というのは、政治運動から離脱した「生長の家」が田舎暮らしを提唱しているのを想起させる。今は護憲派という。そういう意図ならあるかもしれない。

張衡 (科学者) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%A1%A1_(%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85)
「彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。順帝の時代の宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。」


安帝 (漢) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B8%9D_(%E6%BC%A2)
「殤帝がわずか2歳にして死去すると、13歳の安帝が擁立された。」「延光4年(125年)2月に安帝は南に巡狩したが、3月に客死した。32歳であった。」


順帝 (漢) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%B8%9D_(%E6%BC%A2)
「反閻氏派の宦官孫程ら19名は11月の地震に乗じてクーデターを起こし、閻顕や江京ら閻氏派の勢力を一掃し、劉保を擁立し帝位に就けた。」「順帝は玉堂前殿に死去した。30歳であった。」


中西進 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E9%80%B2
「山上憶良を朝鮮半島からの帰化人とする説を提唱した。しかし、この説には青木和夫や佐伯有清が歴史学の立場から批判を加えている(詳しくは山上憶良の記事を参照)。 」
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/253.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK259] 新時代にふさわしい政権に/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[8374] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:30:06 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3413]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/259.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK259] 新時代にふさわしい政権に/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[8375] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:30:51 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3414]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/259.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 新時代にふさわしい政権に/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[8376] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:32:36 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3415]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/259.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK259] 令和問題は 石破の違和感 と 天皇陛下不参加  赤かぶ
28. 2019年4月03日 11:32:48 : yhqgtQH9sI : YlRMQ1M4N3F5cGM=[47]
>23に追記

4月3日(水)の各局は
❶「令和」ブームが過熱❗「新元号特需」が日本経済を救う❗
❷新元号ブーム、新元号各地で大フィーバー❗
↓↓↓
腐敗しきった「第四の権力=マスメディア」が「安倍政権の政治ショー」で国民を煽りまくり❗
「アベノミクス偽装」で地に落ちた日本の経済を救う???
それこそ「ぼぉーとしてんじゃねえよ❗」と良識ある国民は声を大にして言いたい❗

こんな状態が腐敗しきった「第四の権力=マスメディア」が5月1日まで報道し続けるのかと思うと腹わた煮えくりかえるぅ~~~~~~❗
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/220.html#c28

コメント [政治・選挙・NHK259] 新時代にふさわしい政権に/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[8377] kNSCqYLU 2019年4月03日 11:35:32 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3416]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/259.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK259] 腹立たしいほど悪運が強い安倍晋三! 赤かぶ
3. 2019年4月03日 11:36:12 : w4kHSrrfvo : S0ZjYk9wemc1NVU=[11]
おもいっきりピンポイントな瞬間風速に
何を騒いでいるの?


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/245.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 習近平が大喜びする「日韓・日ロ関係悪化」を全力で回避すべき理由 日本のサバイバルは ロシアにかかっている うまき
1. 2019年4月03日 11:38:09 : ZzavsvoOaU : aHVwMGJ2SHM5RE0=[75]

>中国、ロシア、韓国で、「反日統一共同戦線」を作る(2) 目的は、日本の領土要求を断念させる(3)断念させるべき領土とは、北方4島、竹島、尖閣・沖縄である (4)日本に沖縄の領有権はない!(5)反日統一共同戦線には、米国も引き入れなければならない
> 要するに、中国は、日米関係、日ロ関係、日韓関係を破壊することで、日本を孤立させ、破滅させようとしている

別に領土を周辺国に渡したところで日本は破滅しない

今後、中国が発展し、米国が衰退して太平洋の覇権を失うなら、

北方領土や尖閣はもちろん、当然、沖縄を中国に渡すことも検討すべきだろう

自分の国を守る気概も経済力も科学技術・軍事力もなければ、当然のことだ


それにいずれ中国も分裂する

奢れる国とは必ずそうなるものだ



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/260.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 腹立たしいほど悪運が強い安倍晋三! 赤かぶ
4. 2019年4月03日 11:39:30 : w4kHSrrfvo : S0ZjYk9wemc1NVU=[12]
というか、そのための改元フィーバーでしょ?
それでもこの程度
これをこの世の終わりみたいに騒ぐ
貴方のほうがよほど安倍を助けてますよ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/245.html#c4
コメント [カルト20] BJ・森友・NHKが野党批判報道。最早ゴミ売り産経並み、支持率調査も推して知るべしである。 ポスト米英時代
1. 2019年4月03日 11:41:11 : mqBEk9NHPU : WEZaUlVuNWR0Mm8=[25]
「・・・小学校の乱射事件の犠牲者という設定の小娘達の集合写真がネットに流出して大騒ぎ・・・」

これですか?

https://www.tah-heetch.com/wp-content/uploads/2018/2/fbi-records-vault-on-twitter-sandy-hook-elementary-school.jpg
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/608.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 令和問題は 石破の違和感 と 天皇陛下不参加  赤かぶ
29. 2019年4月03日 11:45:19 : yhqgtQH9sI : YlRMQ1M4N3F5cGM=[48]
>28に追記

今巷では「改元に便乗した詐欺」が横行❗

安倍政権の「どアホノミクス」や「新元号を利用した政治ショー」こそ「改元に便乗した詐欺」ではないか⁉

「腐敗しきった安倍政権」「第四の権力=マスメディア」「アベ様の犬HK=公狂放送」国民舐めんな❗
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/220.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK259] 新時代にふさわしい政権に/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
6. 日高見連邦共和国[12948] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年4月03日 11:46:45 : 0nvyZmqwOI : OG1uRFQxbDR3M0k=[196]
間違っちゃ〜イケない。『政権』が“時代を造る”ンじゃない。

『時代』が“政権を造る”んだヨ?

自民党幹部の連中の面々を見ろよ。

どこをどう見ても“旧時代”の化石だ。(笑)

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/259.html#c6

コメント [国際25] 飢える北朝鮮──ハノイ会談で非核化をけちったツケ(ニューズウィーク) 赤かぶ
3. 楽老[416] inmYVg 2019年4月03日 11:47:28 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[140]
偏見に満ちた記事だと思う。

金正恩体制となって、金正日が破綻させた農業政策を3公7民(生産性の低い地域は2公8民)政策により改善させている。
最早社会主義ではない。
チャンマダン(闇市場)でのコッチェビ(浮浪児)の激減が証明している。
元々韓国に比べ地下資源は豊富で、金日成・金正日の経済失政が無ければ韓国を上回っていたかもしれない。

経済制裁を受け、頼みの綱は中国への石炭輸出のみという状況で核開発し、米国とチキンレースまでできる底力を軽視してはいけない。
金日成金正日の経済失政もソ連の裏切り(朝ソ貿易40億ドル⇒1億ドルへの縮小)がきっかけだ。

米朝ベトナム会談の不調はトランプ側の事情だったとみるべきではないだろうか。
トランプは『世界の警察官』の役割を下りた。
これは続くだろう。
だとすると、朝鮮半島南北の融和は紆余曲折があろうとも進むに違いない。
韓国のパラノイア的愛国主義者は南北統一による核保有国化を願っていると考えるべき。

問題は中国の大国化と日本の弱体化なのだ。
日韓の一人当たりGDPも3.2と2.9万ドルと近づいている。
自衛隊員24万人に対し南北合わせて187万人の兵力もある。

ウソノミクスと安倍の無能外交により
政治も経済も学力も目も当てられない状況に

7人に一人が貧困層という現状から目をそむけ
オトモダチだけが潤う政治を破壊しなければならない。

子どもの貧困対策は15歳の1学年を取っても2.9兆円の経済的損失を防ぎ、さらに1.1兆円の社会福祉費の削減効果がある(2015年「子どもの貧困の社会的損失推計レポート」より)

転げ落ちる日本の国力回復には
5年あるいは10年と限っても良いからタニマチを辞める(止める)ことだ。
国連にも、米国に対しても
当然、北に対しても、拉致問題の解決が無い限り、人道支援も一切行わない。
韓国に対しては朴正煕(高木正雄)と岸信介一味の権力者同士によるものではあっても、日韓協定を前面(全面)に押し出し、韓国との断交も辞せずと強く出るべきなのだ。

    
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/899.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相が「令和」を安倍応援団に事前リークか! NHK岩田明子が知っていたとしか思えない解説、田崎史郎も…(リテラ) 赤かぶ
38. 2019年4月03日 11:48:38 : choKwogTNY : WnlEdURtZzRzRjY=[3]
37の続きです。

韓国の反日も在日の反日も究極の目標は
日本を乗っ取った後は日本人の撲滅です。

奴隷がいなくなったら自分等が困るとか
そんな風には考えません。
あくまでも「感情」が優先する民族です。
(勿論彼等は「カネ」も大好きですが)

って事で再度1晩考えた・・・
私も甘かったですね、修正致します。
奴隷の目標はもう既に達成しています。
よって・・・

「令=零=0」で、「和=倭人=日本人」
つまり「日本人殲滅!」のスローガンも含んでいると思います。

只でさえ絶滅危惧民族1位の日本人です、
奴等のせいで日本のおカネは搾取され尽くし、
世界最悪の311原発テロ後、日本中に故意にばら撒かれ続けている
放射能汚染の被害も深刻化している。
(勿論世界にも影響が・・・)

このままメディアが反日朝鮮系に
乗っ取られた状態であれば、これは本当にまずい。
せめてネットとメディアが正常に機能し
真実を多くの日本人が知る事が出来れば・・・と思います。

トランプ大統領には米国でだけではなく
日本の偽メディアの完全解体の鶴の一声を
是非発して欲しいものです。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/225.html#c38

記事 [カルト20] 日本の酒造メーカーは、日中共同で日本酒ウイスキービールワインジュースを醸造すべきである。
そうでないと紹興酒だかなんだか知らないが、令和でカンパーイとやれない訳で、漢籍を避けた積もりの馬鹿への当てつけの為にも商売の為にも、一時流行った日中合弁で令和酒造を立ち上げる事である。
そして、よくラベルにあーたらこうたら書いてあるように張衡の帰田やら最古の医学書のうんちくかんちくを書いて、おまけに馬鹿が万葉集の大伴から採用した積もりだったとさとか書いておけば、非正規が鳥貴族で女の子を口説くツールになる訳で、ナウでヤングな若者にバカウケ確実である。
てな訳で、酒造メーカーからブラジャー屋まで令和にあやかって便乗商法の波に乗りたい企業は、馬鹿に気兼ねせずに令和酒造に三顧の礼で出掛ける事である。
中国に敵意剥き出しの元号をつけた積もりが、古代も現代もどっぷり中国ありきだった訳で、一人相撲の安倍サックス馬鹿じゃねという感じである。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/609.html
コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
19. 2019年4月03日 11:54:16 : WJfBckkeXQ : bEJvblA2S2Z5QTI=[66]
>>10

>「小沢信者」というワードを、ネット上、阿修羅コメント上で、繰り返す輩は当然、野党共闘潰し目的・・・

すごい妄想だな(笑)

まずは、この記事。どう見ても悪質なデマだろうが。
アリバイ的に志位さんツイッターを載せてあるが、タイトルと本文しか見なかったら、「野党共闘に協力しない立憲」としか思わないだろ。

これが野党共闘潰しでなくて何なのか。

こういう輩を「小沢信者」と呼ぶことはある。支持政党がどうのというより人として疑問だからね。
もちろん、全ての小沢支持者=小沢信者と思っているわけではないよ。
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号案は6案すべてが判明 「令和」考案者は中西進氏(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2019年4月03日 11:58:41 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[258]
いくら頑張っても漢字はしょせん中国で発明され発展してきたもの。日本はそれを表意文字として利用してきただけ。読みも複数あってわけがわからない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/253.html#c10
記事 [IT12] アップルの「News+」、ニュースの未来とは言えず 記事読み放題もコンテンツや使い勝手に難あり
2019年4月3日 The Wall Street Journal
アップルの「News+」、ニュースの未来とは言えず 記事読み放題もコンテンツや使い勝手に難あり
アップル・ニュース・プラス画面
アップル・ニュース・プラスは数百冊の雑誌が読める Photo:Emily Prapuolenis/The Wall Street Journal
――筆者のデービッド・ピアースはWSJパーソナルテクノロジー担当コラム二スト

***

 アップルの新しい定額制のニュース・雑誌読み放題サービス「Apple News+(アップル・ニュース・プラス)」は、ある意味、アマゾンの「キンドル」や初代「iPod(アイポッド)」と考え方は同じだ。本やCDといった物理的なモノを寄せ集め、1つの端末でまとめて利用できるようにする。

「音楽ライブラリーを丸ごと常に持って歩けるのは、音楽鑑賞における飛躍的な進歩だ」。スティーブ・ジョブズ氏は2001年にiPodについてこう語った。今度は雑誌の売店を丸ごと持ち歩けるというわけだ。

 ニュース・プラスでは、雑誌に加えてウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)などの新聞記事も読める。しかし雑誌同様、読める記事数は限られている。

「ウォール・ストリート・ジャーナルから」というセクションがあり、そこにはWSJのさまざまな分野の一握りの記事が表示される。アップルによると、WSJの「ニュース」チャンネルを検索または閲覧すれば、過去3日分の記事が読める(ウォール・ストリート・ジャーナルを発行するダウ・ジョーンズはアップルのサービスを通じてニュースを提供する契約を交わしている)。

 アップルは、これはニュース・プラスの始まりにすぎず、記事配信会社がもっとツールを活用してクールな機能などを作れば、さらに良くなると説明している。現時点ではアップルも記事配信会社も、先進的な閲覧体験やコンテンツを検索・共有する新しい方法はほとんど提供していない。現在のところ、紙雑誌を熱心に読むようなタイプの人以外、このサービスにコストに見合った価値を見いだす人はほとんどいないだろう。

使い勝手
 既にiPhone(アイフォーン)、iPad(アイパッド)、Mac(マック)向けの無料ニュースアプリ「アップルニュース」を使用している人もいるかもしれない。これはさまざまな情報源から各ユーザーの関心に沿ったニュースを収集・配信するアプリで、世の中で何が起こっているかを素早く把握するのに便利だ。

 ニュース・プラスはこのアプリ内に設けられた独自のセクションで、そのコンテンツは有料会員だけが読める。アップルによると、毎月10ドルで300を超える雑誌や新聞が閲覧できる。ライブラリー内を数えたところ251種類の雑誌があった。筆者が探した限りでは、全ての人気雑誌が何らかの形で閲覧できるようになっていた。そのほか、WSJ以外にロサンゼルス・タイムズ紙や「Vox(ヴォックス)」「theSkimm(ザ・スキム)」などのニュースサイトのコンテンツが提供されている。


雑誌は大型画面で読んだ方がデザインや写真を本来あるべき状態で楽しめる Photo:Emily Prapuolenis/The Wall Street Journal
 価格は魅力的に見える。1カ月に雑誌を3冊購入する程度の値段で数百冊の雑誌や新聞を閲覧できるのだ。しかし、1カ月10ドル払っても、それら雑誌や新聞を丸ごと読めるわけではない。ニュース・プラスの会員になっても、ニューヨーカー誌の有料コンテンツが全て読めたり、ESPNプラスの動画コンテンツにアクセスできたりするわけではない。定期的にリフレッシュされる雑誌の「キャッシュ」を閲覧できるだけだ。

 ニュース・プラスで閲覧可能なものの中には、単に雑誌をPDFファイル化しただけのものもある。つまり、基本的に雑誌の各ページをデジタルスキャンし、読めるようにしたものだ。こうしたコンテンツはiPadでは問題ないが、iPhoneで閲覧する場合、全ての文字を読むには絶えずページを動かしながら拡大表示をしなければならない。

 幸い、ほとんどの著名雑誌はアップルニュース・アプリ向けに最適化されているため、iPhoneでも閲覧に問題はない。記事を移動するにはスワイプするが、記事を読むには上下にスクロールすればいい。

 しかし、大抵どの記事も同じレイアウトで表示されるため、各雑誌を魅力的にしている独自のデザインやアートは失われる。目次のような基本的な要素でさえもうまく機能しない。単に記事の見出しが表示されるだけで、文脈が分からないため、あまり意味がない。


アップル・ニュース・プラスでは、読みかけた雑誌を後ですぐに閲覧できるようになっているが、筆者のテストではデバイス間の同期がうまくいかなかった Phoro:Emily Prapuolenis/The Wall Street Journal
 雑誌を読んでいる途中でも、読んでいた場所が保存され、後でそこに素早く戻れるようになっている。しかし、1度に1冊しか記憶されないため、すぐにどこを読んでいたかが分からなくなる。また筆者のテストでは、デバイス間の同期がうまくいかなかった(アップルによると、本来は同期できるはず)。また記事を保存して後で読むこともできない。

 アップルニュース・アプリ向けに最適化された雑誌であれば、文字サイズを変更できる。しかし、フォントを変えたり、ベッドで読みやすいよう黒画面に切り替えたりはできない。こうした機能は、アップルの「iBooks(アイブックス)」を含め、実質ほぼ全ての他の電子書籍アプリでは利用できる。アップルは明らかにデザインは雑誌のデザイナーに任せようとしているが、筆者はもう少し自分でコントロールしたい。

コンテンツ
 雑誌を読む経験は実際に楽しめた。乱雑な感じがするオープンなウェブと比べて、パッケージ化されてまとまりがある感じがした。それで1カ月10ドルの価値があると思えれば、購読すればいい。しかし、トレンドは逆だ。われわれは多くの情報源から1週間または1カ月に1度以上の頻度でニュースを受け取っている。またポッドキャストや動画からもニュースを得ているが、アップル・ニュース・プラスではまだそれらは利用できない。

 もっと多くの情報源を求めているのであれば、読む価値のあるニュースや記事を収集してくれる優れたアプリが他にもたくさんある。以下は筆者のお気に入りのアプリだ。


アップルは目次や表紙など閲覧体験を向上させるために手を加えると述べている David Pierce/The Wall Street Journal
・Nuzzle(ナズル):ツイッターやフェイスブックのアカウントでログインすると、ナズルが自動的にユーザーのソーシャルメディアのフィードを調べ、フォローしている人や友達がシェアしている記事を人気順に表示してくれる。さまざまな記事の最新情報を追うのにとても便利だ。

・SmartNews(スマートニュース):ウェブからユーザーの興味に合った記事を集めてエンタメやスポーツ、政治などカテゴリー別に分類し、定期的に配信してくれる。

・グーグルニュースとマイクロソフトニュース:アップルニュースと同様の製品で、人間やアルゴリズムが集めたニュース記事が配信され、絶えず更新される。1つの問題についてあらゆるサイドから情報を得ることができる。

 あるいはアップルニュースを使ってもいいだろう。ニュース・プラスは無視し、無制限に供給される良質な記事を楽しめばいい。アップルが日常的なニュースや長めの雑誌記事、ポッドキャスト、動画を1カ所に集約し、より優れた消費体験を提供できれば、スポティファイと同程度の料金の価値はあるかもしれない。恐らくアップルはその方向で取り組んでいるのではないか。だが現状では、ニュース・プラスは数年遅れの製品といった感じだ。


アップルが25日に発表したTVやニュース、ゲーム、クレジットカードなどの新サービスについて、イベントを取材したジョアンナ・スターン記者が解説する(英語音声、英語字幕あり)Photo: Reuters/Stephen lam
(The Wall Street Journal/David Pierce)
https://diamond.jp/articles/-/198688
http://www.asyura2.com/14/it12/msg/279.html

コメント [カルト20] 新元号、馬鹿の名前なし、皇太子が阻止、平成天皇も令和天皇も優等で合格である。 ポスト米英時代
65. 2019年4月03日 12:05:03 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[100]
これで最終;マトメ

 て;丁寧に  説明すれば  何でもやれる //下々にはまあ事後通知で了トス 
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/596.html#c65

記事 [IT12] (バロンズ)アップル動画配信、期待外れの臆病さ   世代別エンジェル投資家図鑑、スタートアップ人脈は循環する
2019年4月3日 The Wall Street Journal
【バロンズ】アップル動画配信、期待外れの臆病さ
アップル社
Photo:Reuters
発表されたのは既存サービスの
中途半端な発展形
 3月25日、アップル(AAPL)が本社で開催したイベントで最高経営責任者(CEO)のティム・クック氏が登壇すると、サービス企業への変化がようやく軌道に乗ったことを示す証拠を待っていた投資家、消費者、記者の期待は最高潮に達した。

 では、アップルが期待に応えたのかというと、必ずしもそうとは言えない。新たなニュース配信、クレジットカード、ゲームサービスとともに発表した動画配信サービスの番組ラインアップが曖昧だったためだ。株価が今年1月の底値から30%上昇した要因が新しいサービス戦略への熱狂だったこと踏まえると、同社の臆病な姿勢は問題だ。

 ウォール街がiPhone(アイフォーン)の2019年の販売台数が2桁台で落ち込むと予想する中、アップルはサービス戦略を強調するための計画を実行してきた。今年1月、同社は9億台のiPhone、合計で14億台の同社のデバイスが使用されていると発表した。この発表は、投資家に同社の巨大だが未開発の収益化機会に注目させることを意図したものだ。ところが、25日に発表された新サービスはいずれも既存サービスを中途半端に発展させただけの内容で、同社の熱心なファンをも失望させた。

動画コンテンツへの投資は
ネットフリックスに大きく見劣り
 ARKインベストのアナリスト、ジェームス・ワン氏は本誌の取材に対し、「今回のイベントは、プレゼンテーションとストーリー性の観点から見て、同社のこれまでのイベントの中で低調な部類に入る。発表されたサービスには、非常に魅力的で競争相手に差を付けていると言えるものが一つもない」と述べた。

 恐らく、最も期待外れだったのが定額制有料動画配信サービスのアップルTV+(プラス)の規模が小さく、詳細が曖昧だったことだろう。同社はイベントに多くの著名人を招いた一方で、実際のコンテンツはほとんど披露せず、サービス料金も示さなかった。

 ゴールドマン・サックスのアナリスト、ロッド・ホール氏は、進捗がなかったことと、イベントが今回のタイミングで開かれたことに当惑した様子だ。同氏は25日のレポートで、「アップルが発表したサービスは、われわれが予想していたものと全く違っていた。動画サービスの開始が(当社の予想より遅い)今年秋と発表されたこと、さらに料金に関する情報が提供されなかったことに驚かされた」と書いている。

 ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、アップルは既に10億ドル以上を投じ、年末までに10本以上のストリーミング番組の放映を計画しているようだ。別の推定では、コンテンツへの総支出額は最大20億ドルにすぎないとしている。そうだとすると、同社は市場のリーダーである動画配信大手のネットフリックス(NFLX)と同じ世界にいないことになる。バンクオブアメリカ・メリルリンチの推定では、ネットフリックスは2019年に総額150億ドルをコンテンツに投じる見通しだ。同社のウェブサイトには900本を超える独自番組がリストアップされている。

 こうした状況を踏まえると、アップルは何を恐れているのか、という疑問を感じざるを得ない。緩慢で暫定的な動きでは、時価総額9000億ドルの巨大企業である同社に目立った変化は起こらない。同社は1300億ドルのネットキャッシュを抱え、年間利益は500億ドルを超える。競争のための原資は潤沢だ。

新サービスは目先的には
利益を生まない
 アップルのためらいは、新たな定額制有料ゲームサービスのアップルアーケードにも表れている。このサービスでは約100種類のゲーム(主に比較的低予算で制作される芸術系のオリジナル作品)へのアクセスを提供する。だが、カンタン・ゲームスのゲーム業界アナリスト、セルカン・トト氏は、「アップルアーケードはニッチ(すき間)サービスとなる可能性が非常に高い。携帯端末では無料ゲームが主流であり、今後もそれは変わらない」と指摘する。

 同社は決済とテレビでも後手に回っている。消費者相手の企業の多くが既に自社ブランドのクレジットカードを発行済みだ。サードパーティのストリーミングサービスとの契約を許容するアップルTVチャンネルは、アマゾン・ドット・コム(AMZN)が2015年からアマゾン・プライムで取り入れている手法のまねである。

 ゴールドマンのホール氏は、最も重要なことは新サービスがアップルの利益にあまり寄与しないことだと考えており、「新サービスはユーザーをプラットフォーム内にとどめる観点からは興味深いが、当社の試算では、どの新サービスも目先的には1株当たり利益(EPS)に大きな影響を及ぼさないと思われる」と評価する。

 ARKインベストのワン氏は、アップルがウォール街をなだめようとする中でアイデンティティーを犠牲にしているかもしれないと懸念しており、「同社がウォール街を満足させ、財務モデルを示そうとしていることは見て取れる。一方で、同社がコアのDNAを失おうとしていることがやや心配だ。そのDNAとは、これまでにない素晴らしい製品を生み出し、新たな市場を創造することだ」と指摘する。

 先週、S&P500指数が1%を超えて上昇したにもかかわらず、アップルの株価は1%下落して引けた。投資家の関心が落ち目のiPhone事業に再び向けられる中、目下のリスクは年初来の上昇分を全て失うかもしれないことである。

(The Wall Street Journal/TAE KIM)


https://diamond.jp/articles/-/198689

 

2019年4月3日 ダイヤモンド編集部 ,岩本有平 :副編集長
世代別エンジェル投資家図鑑、スタートアップ人脈は循環する
Photo:123RF
『週刊ダイヤモンド』4月6日号の第1特集は「スタートアップ4.0」です。ベンチャーの命は人です。日本では起業家が少ないといわれて久しいですが、エンジェル投資家の増大やミドル起業家の登場など、人を取り巻くエコシステムが急速に変化しています。(本記事は特集からの抜粋です)
 「シリコンバレーのように渋谷をITベンチャーの集積地として盛り上げる」と、ネットエイジ(現ユナイテッド)創業者の西川潔氏が1999年に「ビットバレー構想」を打ち出してから20年。これまでに数多くの起業家が誕生し、その一握りがイグジット(起業家や投資家がそれまで投資した資金を回収すること)に成功した。そして成功者たちは、かつて自分たちがそうしてもらったように、次の世代の起業家を支援する側に回っていった。
 中でも個人でベンチャーに資金を提供し、支援する「エンジェル投資家」として活躍する元起業家が増加している。
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 2004年に上場したオプト創業者の海老根智仁氏や05年上場のディー・エヌ・エー(DeNA)共同創業者の川田尚吾氏をはじめ、成功したビットバレー世代がエンジェルに転身。次の世代の起業家を支援してきた。下の世代の起業家たちもその流れを受け継ぎ、エンジェルの裾野は広がる。
「自分が受け取ったバトンを下の世代に渡す。僕にとってエンジェルは『恩返し』」
家入一真(CAMPFIRE 社長)
Photo by Yuhei Iwamoto
 かつて日本でイグジットといえば、そのほとんどがIPO(上場)であった。だが近年ではM&A(買収など)も増加し、エンジェルに転身する起業家の顔触れも多様化した。創業後わずか数年でイグジットした90年代生まれの起業家も現れ、彼らがエンジェルとなって同世代の起業家に投資するという新たな循環も生まれた。
 エンジェルは、本業としてベンチャーに投資をする「専業タイプ」と、自分の会社を経営しながら活動をする「兼業タイプ」の大きく二つのパターンに分かれる。前者には、投資先の起業家を束ねてコミュニティー化し、知識や技術を共有する場を設けて成長を支援する動きもある。
 コロプラ元副社長の千葉功太郎氏による「千葉道場」、コーチ・ユナイテッド創業者の有安伸宏氏による「チーム有安」などのコミュニティーでは、投資先起業家向けの合宿や開発向けソフトウエアの割引プランを提供。ベンチャーキャピタルさながらの運営を行う。また兼業タイプの中には、立場上名前を明かさずに支援を続ける上場企業の経営者なども多い。
「ハードシングスを共有し合うことで切磋琢磨できる。千葉道場は起業家の『研修所』」
千葉功太郎(DRONE FUND 創業者・代表パートナー)
Photo by A.Y.
 ベンチャーの支援スタンスもさまざまだ。事業に対して強く口を出すエンジェルもいれば、「普段は口を出さず、もし起業家が困ればアドバイスをする」(千葉氏)というような投資家もいる。世代、手法共にエンジェルの輪が広がる。
 起業家の輪も大きく広がった。ビットバレー構想よりさかのぼること12年、大阪で学生ベンチャーのリョーマが発足。KLab取締役会長を務める真田哲弥氏をはじめ、現在もネット業界で活躍する人材が集まる。同時期、東京では学生サークルのSYNに起業家予備軍が集まった。96年には学生ベンチャーの電脳隊が登場。99年設立のベンチャーのピー・アイ・エムと合併し、ヤフーに買収されたが、ここにも現ヤフー代表取締役社長の川邊健太郎氏など後の業界キーマンが集まった。それ以後も、学生時代にネットに触れた「76世代」、バブルを知らない「81世代」、10代でスマートフォンに触れた「92世代」など、世代ごとに特徴のある起業家が集まっている。
 大学別に見て面白いのは東京大学だ。起業サークルとして名高いTNKは、Gunosyの福島良典氏、ナイルの高橋飛翔氏、Candleの金靖征氏などの創業者を輩出した。
 メガベンチャーから飛び出した起業家も多い。古くはリクルートやヤフー、楽天が起業家の輩出企業として有名だったが、最近ではDeNAやサイバーエージェントなどから多くの起業家が生まれている。こうした企業では「100人を超えるOBのコミュニティーがあって、人材紹介などのやりとりが頻繁にある」(DeNA出身でアカツキ社長の塩田元規氏)など、起業家をバックアップする土壌が存在する。
(ダイヤモンド編集部 岩本有平)
【ベンチャー用語辞典】
[会話]『ジョイン』
→組織に参加すること。要は入社。(例)「新しいCFOがジョインして違う戦いが可能になった」
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https://diamond.jp/articles/-/198629

http://www.asyura2.com/14/it12/msg/280.html

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
14. 2019年4月03日 12:09:25 : Ye6rWhFDQo : aTBYYW50UldiZDI=[93]
令和・・これ、使えないとおもう。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c14

コメント [原発・フッ素51] 凍える4月 マスコミは全く報道せず 温暖化はどうなった?  魑魅魍魎男
4. 2019年4月03日 12:14:30 : JnWnx4lhrM : TmRoLjV2MjVKcVk=[74]
地軸が微妙にずれているのかもしれない

地球本体の膨張や収縮で気が付かないだけかもしれないが
北極点よりもシベリア中部 カナダの北部の陸地の方が
20℃も気温が低かったりしたのが今年の冬だ。
 
ただ言えるのは、寒冷化の前には必ず気温の大きな変動が
顕著になり激しくなるのは言わずとも確立されたことで
世界中で昨年、噴火した火山もここ数年で最も多い数で
規模も大きい。
また太陽活動も停滞が続いていてここ数年で活動状況は最低

このままいけば、寒冷化に傾くと考える方が自然だと思う。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/307.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] <新元号の時だけ、護憲派とは笑わせる!>いつから安倍首相はそんなに憲法順守になったのか  天木直人  赤かぶ
8. 赤かぶ[8378] kNSCqYLU 2019年4月03日 12:17:09 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3417]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/255.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK259] <真性の目立ちたがり屋であり、おめでたい首相である!>新元号の選定にかかわり過ぎた安倍首相は愚かである  天木直人  赤かぶ
11. 2019年4月03日 12:17:55 : 6s8bZ4YuiQ : RkdXU0suOVJwSTI=[45]
有働由美子インタビュー。

いいね。

安倍のバカさがにじみ出る。

質問にきちんと答えられず。

アドリブが効かない。

国内での記者会見はあらかじめ用意された答弁ばかり。

海外の記者会見はぼろでまくり。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/243.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
15. 2019年4月03日 12:18:38 : 6s8bZ4YuiQ : RkdXU0suOVJwSTI=[46]
だけどさー羽鳥、巧言令色鮮し仁知らないって。

学校で漢文習い始めるときに真っ先に出てくる言葉だろ。

論語の入り口の入り口。

羽鳥早稲田政経卒、大丈夫か?

玉川も巧言令色ならって心もとない限り。

この人も京大卒なのに。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
20. おじゃま一郎[6996] gqiCtoLhgtyI6phZ 2019年4月03日 12:18:52 : pDY4Kcf412 : TTdUdXRJd21Pbms=[11]
宮本の政治歴見ると、衆議院の選挙では比例で4回当選している。
政治の世界では比例区の当選は、選挙区に比べ格下でこれは共産党
も同じある。
59歳と年齢のいっている割には宮本は党内の序列は低い。

そこで、宮本は自分の党内の序列を上げるため、今回の補欠選
を利用したのだろう。しかし、今まで衆議院の選挙区では
勝ったことがないので、選挙には弱いとみなければならない。
そのため無所属に「なりすまし」、他の野党の協力を得なければ
ならなくなった。

これは宮本には大きな賭けであると同時に共闘する野党との
関係が深化したことになる。しかし、共産党は選挙では
マイナス要因として働くので、宮本のリスクを共闘野党が
しょったことになり、今後は共倒れの可能性が強くなった。

共産党と共闘しない立憲はりこうである。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍氏のライバル・石破氏は新元号・令和の“令”に違和感を覚えたと発言:野党は今国会で、安倍氏追及の絶好ネタとすべき  赤かぶ
2. 2019年4月03日 12:19:35 : 32gaobLF6I : WlBpTm96Rmw1dnM=[63]
こんな事で国会を使うな!

やることがワンサカあるだろうが。

何一つ問題は解決してないだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/247.html#c2

コメント [国際26] ウクライナ大統領茶番選挙(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
1. 2019年4月03日 12:21:31 : ZrjjO4P5Sk : T25Rd2wzdjVZTi4=[16]

う、暗いな。 アベ政権が続く日本の未来図。


http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/104.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化(Business Journal) 赤かぶ
3. スポンのポン[11014] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年4月03日 12:25:18 : YLRU9o6eFk : dUpJOXhqbEFjRlU=[194]
 
 
■そもそもこの国のマスコミが真に健全に機能したことは一度もない。
 売国と利権に腐敗した自民政権が60年も続いていることが
 その何よりの証拠だ。
 
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/257.html#c3
記事 [経世済民131] 日産のEVが圧倒的販売量を誇るらしいノルウェーの月間新車登録台数、EVが初めて半数上回る(かいけつ ニュース&記事 速報
日産のEVが圧倒的販売量を誇るらしいノルウェーの月間新車登録台数、EVが初めて半数上回る
https://gansokaiketu-jp.com/kaiketukeijiban/kokusai/light.cgi?

ノルウェーの月間新車登録台数、EVが初めて半数上回る
https://www.jiji.com/jc/article?k=20190402038447a&g=afp

【オスロAFP=時事】ノルウェー交通情報評議会(OFV)は1日、米電気自動車(EV)大手テスラの「モデル3」の先行予約分の納車が始まったことを受け、先月、月間新車登録台数の半数を初めてEVが上回ったと明らかにした。(写真は資料写真)
 OFVによると、3月に国内で新車登録された1万8375台のうち、58.4%に当たる1万728台がEVだった。
 EVはノルウェーでここ数年高い人気を保っているが、先月登録された全新車に対するEVの台数が占める割合は前月の約40%に比べ急伸。背景にはテスラのモデル3の納車が始まったことがある。
 ノルウェーは2025年までにすべての新車をゼロエミッション車にする目標を掲げてさまざまな政策を取り入れており、EV推奨を目的に助成金制度も実施している。
 EVを所有することで税優遇が受けられることも、ガソリン車やディーゼル車との価格競争で優位となっている。また、所有者は公営駐車場での駐車や充電を無料でできるほか、市内通行料も免除されている。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2019/04/02-13:10)

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・関連ニュース1・
日産「リーフ」が快進撃!ノルウェーでは圧倒的ベストセラー、欧州全体でもEV部門売上げトップをキープ
http://creative311.com/?p=55203

「リーフ」はヨーロッパでもとにかく大人気!
日産の100%電気自動車「リーフ(Leaf)」が、ノルウェーにて販売されている電気自動車の中で圧倒的な売上げ台数を誇っていることがわかりました。


2018年でのノルウェー全体での売上げ台数は12,303台と最も売れており、更に電動ハッチバックモデルも欧州では最も人気のある一台であるとして40,699台を記録しており、他の電気自動車を製造するメーカからすると、この記録を更新することは相当に難しく、いかにして「リーフ」が高性能でコストパフォーマンスに優れた一台かがわかるかと言われています。

今回のラインナップ拡大で更に売れること間違いなし
日産「リーフ」は新機能の導入と62kWhの大容量バッテリパックを搭載する「リーフe+」をラインナップしたことで、WLTP基準の航続可能距離は458km(JC08モードは570km)を達成しています。
一方でバッテリ容量別のスペックにおいても、従来型40kWhバッテリ搭載モデルは、最高出力110kW(150ps/3,283rpm〜9,795rpm)、最大トルク320Nm/0〜3,283rpmに対して、62kWhバッテリ搭載モデルは、最高出力160kW(218ps/4,600rpm〜5,800rpm)、最大トルク340Nm/500〜4,000rpmに向上しています。

その他の追加機能としては、カラーラインナップの拡大と、新しいNissan Connect EVモバイルアプリの提供とナビゲーションシステムのアップロード等、更に実用性が向上しています。

なお、今回の結果を踏まえて、日産のセールス&マーケティング担当する巣に亜バイスプレジデントのケン・ラミレス氏は、「日産の電気エコシステムが持続可能なライフスタイルの選択肢として、どのように確立しているかを示している。今回新型が登場したことで、さらに実用性は向上し、よりパワフルな車へと進化しているため、今後更に顧客はEVへの関心が高まるだろう」と説明しています。

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・関連ニュース2・
日産の攻勢に守りに入った!?トヨタ
トヨタ、HV特許無償開放・・囲い込み転換、市場拡大へ
https://news.biglobe.ne.jp/topics/entertainment/0403/74106.html

トヨタ自動車が、ハイブリッド車(HV)など電動車の関連技術の特許を無償で開放する方針を固めたことが3日、分かった。モーターや電池などの中核部品が対象となる。世界的に環境規制が厳格化される中、自社で技術を囲い込む戦略を転換。他社の導入を後押しして市場拡大を狙う。主要部品を共用する電気自動車(EV)などのコストダウンも図る。

 寺師茂樹副社長が同日午後、名古屋市内で記者会見して発表する。

 トヨタはHVの開発や販売で先行する。HVは燃費性能が高い半面、車両のきめ細かい制御が求められ、開発には高い技術力が必要になる。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/786.html

記事 [経世済民131] 「東証一部」足切りは時価総額「250憶円」? 市場は疑心暗鬼〈AERA〉
「東証一部」足切りは時価総額「250憶円」? 市場は疑心暗鬼
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190402-00000058-sasahi-bus_all
AERA dot. 4/3(水) 11:30配信 AERA 2019年4月8日号より抜粋


東京と大阪の両株式市場が統合したのは2013年。東証には現在、新興企業向けにマザーズ市場があるほか、大阪から引き継いだジャスダック市場が並立しているが、両市場の違いや役割分担は不明確なままだ (c)朝日新聞社


 東京証券取引所が、東証1部を頂点とする市場の再編を検討している。時価総額を基準に「東証プレミアム」「東証スタンダード」「東証エントリー」の3分類する案が有力で、多くの企業が最上位市場から脱落する。市場関係者は、飛び交う足切り情報に困惑している。

*  *  *
 昨年11月から、東証の有識者会議「市場構造の在り方等に関する懇談会」で議論が始まった。その中で、東証1部銘柄の過剰状態の解消策として一定の“足切りライン”を設定し、1部市場の選抜メンバーで構成される「プレミアム市場行き銘柄」と、中堅企業向けの「スタンダード市場行き銘柄」に分ける案が出された。

 線引きの道具は時価総額。最低ラインとして500億円から1千億円の間をボーダーとする案が出たようだ。

 プレミアム市場の当落線上にある企業は、増配や自社株買いなど株主への利益還元を強化することで株価上昇の努力を行い、時価総額を引き上げようとするだろう。時価総額は「株価×発行済み株式数」で算出されるため、プレミアム市場に入りたければ株価を上げることが有効策になるからだ。

「小規模な銘柄が多い地方銀行は、増配などの短期的な施策にとどまらず、近隣地銀との経営統合で基準達成を狙うことも考えられます」(大槻さん)

 もし1千億円で選別すれば、プレミアム市場に移行できるのは2139もの1部銘柄のうち700ほど。ハードルを500億円まで下げても1050程度にとどまり、残り1千銘柄を超える企業は事実上の降格だ。プレミアム市場から脱落すると、当該企業の株式は大量に売られる可能性が高い。どれほど業績が良くて配当が高くても、機械的に大量の売りが出てくるのだ。その理由は何か。

 東証は、1部上場の全銘柄の値動きを表す東証株価指数(TOPIX)を日々算出している。機関投資家は東証1部の全銘柄に投資することを「TOPIXを買う」と形容する。日銀が量的金融緩和政策で購入する上場投資信託(ETF)や、公的年金を扱う年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)などの年金マネーは日本株に投資する際、運用成果がTOPIXに連動するよう、東証1部全銘柄を保有している。

 TOPIXがプレミアム市場の銘柄を対象にした指数になった場合、ETFの運用会社やGPIFなどがプレミアムに残れなかった銘柄を自動売却することになる。またTOPIXは株価指数としての連続性を失うことになり、TOPIXに連動する投信の基準価額(値段)も荒れるだろう。

 3月には「情報漏れ」を指摘する報道があった。それによれば、1部昇格・降格のボーダーラインについて、東証は時価総額500億円ではなく250億円に設定したい意向だとの情報が証券大手から機関投資家らにメールで配信されたという。情報の出所は市場再編を議論する東証の有識者懇談会の委員と書かれていたことから市場関係者の疑心暗鬼を呼んだ。

 マーケットが「250億!? 本当かそれは」と騒いでいる傍ら、3月は12社が東証1部の仲間入りを果たした。いずれも時価総額は数百億円だ。財産ネット企業調査部長の藤本誠之さんは、「せめて検討中は1部昇格を凍結するべきです。審査料を取って1部に昇格させた直後に降格を言い渡す事態になれば、東証は企業から訴えられかねません」と語る。

 市場再編に向けた議論は今後も続く見通しで、東証と経済産業省の摩擦も予想される。

 SMBC日興証券の伊藤桂一チーフクオンツアナリストは、「今いい銘柄と今後改善が期待できる銘柄のどちらが優良銘柄であるかは、有識者や取引所ではなく、投資家が決めることです」と指摘。東証がプレミアム市場を新たに作ることは優良銘柄とそうでない銘柄の線引きをすることにつながり、「投資家の自由度を阻害します」と批判している。(経済ジャーナリスト・大場宏明、編集部・中島晶子)







http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/787.html

コメント [政治・選挙・NHK259] 日米FATをTAGと言い換え報道するマスメディアは報道の自由を放棄している。(日々雑感) 笑坊
1. 佐助[6707] jbKPlQ 2019年4月03日 12:28:33 : z5Sx38n0Sg : VHN1VmMvUE9LZS4=[164]
物品貿易協定(TAG)であろうがなんだろうが,悪夢の基本は「FTA」になるから

2008 年のリーマンショックや2011 年の関東東北大地震後、次々に発生する危機。それに対して、安倍政治と経済の指導者とマスコミの答えは、人々の不安を静め騙すことが目的。

1930 年代の恐慌の結果から経済学は「関税高くしたり、通貨を切下げたり、自国経済の救済のみを優先させたために、恐慌は発生した」という教訓で一致している。

だから、2008 年のリーマンショック後も、世界の政治と経済の指導者は、自国の農業畜海産と対外競争力の低い中小企業を犠牲にしても、関税障壁を低くし、外資を導入し、土地や株のバブルを復活させれば、恐慌にはならない、と確信しているのです。

すでに世界的な一括関税引き下げは2005年に挫折している,だから,すべての企業は,内需の縮小を外需の拡大でカバーすることは不可能となる。そこで内外の市場の縮小は加速される。

ところが,元号「令和」で愛国的熱狂に国民の不満をスリ替え,支持率を回復させると,貿易・外資導入には,マイナスに作用するために諸刃の剣となる。

過去に事例がある,このジレンマを解消するために,かってのナチスドイツと軍国日本は,領土と軍需生産拡張によって,信用・信頼のどん底から,脱出している。

安倍政権はこのヒットラーと軍国日本が読み違えたことと同じことをやろうとしている。

政治と経済は独立した思考と行動をもって進行するのだが,結果から見ると,連関し一体化しているように見える。

そのために安倍政権はアベノミクスの失政を隠すために「第3次世界大戦」に期待し,陸上自衛隊員を派遣させようと狙っている。歴史の周期は同じことを繰り返すものだ。

つまり、どんな理由であれ、能動的であれ受動的であれ、「経済鎖国は、世界的金融バブルの打撃を軽減する。だが、経済現象の停滞は免れない」のがバブルである。

安倍政権は,どうして、戦争が金融大恐慌から脱出る早道だという妄想を捨てられないのか!私には阿呆としか思えない,森羅万象・私が国家では呆れるばかり。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/261.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 副大臣「安倍、麻生を忖度して引受」と発言〜凍結された1800億の道路、事業再開か?+宮崎緑の着物(日本がアブナイ!) 笑坊
1. 2019年4月03日 12:28:52 : ZrjjO4P5Sk : T25Rd2wzdjVZTi4=[17]

 上意下達の正直者じゃあないのかい?
 
 アベさん、修身のお手本にしたらどうだい。


 言うまでもないが、上意下達(じょういかたつ)とは、組織や団体において、上位・上層の命令や言辞を下位・ 下層へと伝えて、意思の疎通を図る方法である。トップダウン (英:top-down) ともいう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/263.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
16. 2019年4月03日 12:29:02 : 6s8bZ4YuiQ : RkdXU0suOVJwSTI=[47]
令の字は巧言令色の意味を含むものとして意図せず選んじゃったとすれば、その偶然は面白い。

まさに自ら戒めの文字を選んだということになる。

安倍と取り巻き、田崎やら八代、小松靖に最も届けたい言葉、巧言令色鮮し仁。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK259] 日米FATをTAGと言い換え報道するマスメディアは報道の自由を放棄している。(日々雑感) 笑坊
2. 2019年4月03日 12:30:36 : 1KODOKKw9U : Nmd5d1c3U1Z6c2s=[1]
FTAを「FAT」と書き間違えるブロガーに言論の自由あれ…
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/261.html#c2
記事 [環境・自然・天文板6] 生命誕生の鍵を握る驚異の「リボソーム」 
生命誕生の鍵を握る驚異の「リボソーム」

川端 裕人
文筆家
2019年4月2日
https://www.youtube.com/watch?v=TfYf_rPWUdY
全5364文字
生命は地球以外にも存在する? だとしたらどんなもの? 生命は宇宙(地球)でどのように誕生した? など、宇宙と生命という究極の問いに挑み続ける宇宙生物学が活況だ。その中心地であるNASAのエイムズ研究センターを経て、最前線をひた走る東京工業大学(ELSI)の藤島皓介さんの研究室に行ってみた!その4回目。
(文=川端裕人、写真=内海裕之)
 前回のペプチド(短いタンパク質)と鉄・硫黄クラスターの話は、主に代謝にかかわる話として理解していたところ、最後は「卵が先か、鶏が先か」のジレンマが出てきた。エネルギー代謝とセントラルドグマ、つまり、代謝系と翻訳系が両輪になっていないといけない、と。
 藤島さんの関心は、まさにそういった「両輪」の秘密をめぐる部分へと進む。
 キーワードは、「リボソーム」だ。
 高校の生物を学んだ人なら、「タンパク質を合成する工場」として記憶しているだろう。DNAから転写されて運ばれてきたタンパク質の設計図を、ここで翻訳してひとつひとつアミノ酸をつないで合成する。こんな精巧な仕組みがどうやって出来上がったのか素人考えでも不思議だし、プロの生物学者たちはもっと不思議に思ってきたらしい。だから、リボソームの起源は、長年の謎とされる。

宇宙生物学者の藤島皓介さん。
「僕がおもしろいと思うのは、このリボソームというのは、実はそれ自体、RNAとタンパク質の両方からできている分子だということです。タンパク質をつくるときに、mRNA(伝令RNA)がリボソームに結合して、そこにtRNA(転移RNA)がアミノ酸をつれてきてタンパク質を合成するわけですけど、実はその舞台となるリボソーム自体、RNAとタンパク質の複合体なんですよ」
 リボソームは数十種類以上のタンパク質と、数種類のRNA分子(リボソームRNAと呼ばれる)からできている。立体的な構造は代表的なものをネットでいくつも見ることができるのだが、それらは本当に「絡まり合っている」というのがふさわしい。 2種類の「紐」が、解きほぐし難く一つの構造物を作り上げ、そこで、紐1(核酸)の情報から紐2(タンパク質)の合成が行われる。リボソームそのものが、二重の意味で、2つの「紐」が交わるところになっている。
https://www.youtube.com/watch?v=TfYf_rPWUdY
リボソームの構造と働きを可視化した動画。働きがよくわかる映像は1分25秒前後から。青と紫のいちばん大きなかたまりがリボソームで、黄色い紐がタンパク質を作る情報を記録したmRNA。緑色のブロックがアミノ酸を連れてくるtRNA。その先端の赤い部分が、タンパク質の合成に使われるアミノ酸だ。テープレコーダーのようにリボソームが黄色い紐を取り込んで、その情報(3塩基分ごと)に対応するtRNAが順番にくっつき、赤い紐がどんどん伸びてゆく、つまり、アミノ酸の紐であるタンパク質が合成される様子が巧みに再現されている。
 生命の起源の議論では、RNAが先か、タンパク質が先かという議論があって、それぞれ、RNAワールド仮説、プロテインワールド仮説、などと呼ばれている。リボソームは、セントラルドグマの中で重要な役割を果たすものだから地球生命の進化のきわめて早い段階からないと困るのに、いきなり両方が絡まり合って存在しているから謎が深まる。
「そこで、僕の立場は、RNAが先かタンパク質が先かという話ではなく、恐らく同時に進んできたのではないか、というものです。原始地球の頃からRNAとタンパク質の紐が共存していて、両方の紐が同時にあることがお互いにそれぞれ有利に働くような共進化が働いて、そのおかげで徐々に大きいリボソームのようなものができてきたんじゃないかというふうに考えています」
 RNAが先でも、タンパク質が先でも、両方が絡まり合ってできているリボソームの起源は説明しにくいのだとしたら、両方が共存してともに進化しきた可能性があるのではないか、というのが藤島さんの見立てだ。
「RNA、つまり核酸の紐と、ペプチド、つまりアミノ酸の紐、2種類の紐が共存している世界があったと仮定して、2つが同時に存在することがそれぞれの進化にとって有利だったということを証明したいんです。それがもし証明できれば、タンパク質とRNAからなるリボソームができた過程も分かるでしょうし、そもそも、地球の生命が核酸とタンパク質の2つの紐をかくも見事に協調させて使っていることの説明もできるはずです」
 具体的には、藤島さんは徹底的、網羅的な手法を取る。あたかもコンピュータの中でシミュレーションのプログラムを走らせるかのように総当たり的な組み合わせを実際に試す。
「今、合成生物学の世界では、ランダムな配列のDNAをデザインして注文することができて、それだと10の13乗ぐらいの異なる配列のDNAが手元に届きます。そこから転写して、10の13乗種類のRNAを作り、さらにそれを翻訳してタンパク質を作るものも市販されているので、試験管の中でまぜまぜしてRNAとタンパク質のカクテルを作ることができます。その時に、できたタンパク質が逃げてしまわずにそのままRNAとくっついているような化学物質を加えておくと、RNAタンパク質複合体ができます。そして、その中から、何か特定の機能を持っているものをスクリーニングしていきます」
 藤島さんが考える原始の「RNA・ペプチド共存ワールド」では、RNAとそこから翻訳されたペプチドが一緒にいることで有利になったと想定されるので、それが実際に起きるかを見ていく。
「これまでの過去の実験事例から、RNA自体が折りたたまって、それ自体、触媒活性を持ったり(リボザイム)、特定の分子に結合能があるもの(アプタマー)が見つかっています。つまり、それらは、原始地球でRNAワールドがあったという時に引き合いに出されるものです。でも、RNAだけよりも、タンパク質も一緒にあると、より適応度が高くなるような状態を示したいわけです。これもう、黒板に書いてしまいますね──」
 藤島さんはさっと立ち上がって、黒板になにやら図表を描き始めた。
 3次元の座標がまずあって、その「底面」から山がいくつも立ち上がる。

「こういうのを適応度地形と言います。縦の軸は『適応度』といって、どれくらい分子が環境に適応しているか、この場合は、RNAの機能の高さを測った尺度だと解釈してください。そして、横軸といいますか底面は、配列空間です。たとえば、RNAの配列に応じて、この底面に点を打てるわけです。そして、それぞれのRNAについて『適応度』を見ていきます。『適応度』の尺度には、ここでは、RNAがエネルギーの共通通貨といわれるATPという物質と結合する能力を考えましょうか。最初のスクリーニングをすると、結合能が高いものが小さな山として立ち上がって見えてくるので、今度はそういった能力が高いものを集めてまたスクリーニングするというサイクルを繰り返します。すると、最終的にある程度高い山がいくつかできていきます。こうやってRNAの機能が高いものの配列がとれます」
 ここまではRNA単独での話で、既存の研究がある。RNAワールドでも、たとえばATPとの結合能が高い方が分子の生存に有利であるならば、そういった「適応度」が高いものが選ばれて残っていくことが観察できる。藤島さんが試みるのは、ここに同時にペプチドの紐があったらどうなるか、ということだ。
「結局、環境中を考えると、RNAのような複雑な分子がそれ単独で存在しているなんてことはあり得ないですし、RNAがある世界では、それよりも出来やすいペプチドはもうあったはずなんです。RNA・プロテインワールド、つまり両方の紐が共在していた世界ですね。そういう前提で考えると、RNA単独では見られなかったようなところにも山が立ち上がってくるはずです。そうなると山の裾野同士がオーバーラップする場所がでてくるかもしれない。そうすると一つの機能に対して、より高い山に登りやすくなる、つまり進化が連続的に起きやすいということでもあります。RNA単独、ペプチド単独よりも、両方存在する時により連続的な高分子の進化が成り立ちやすいんだということを示せれば、ながらく謎だったリボソームの起源にも近づけると思っています」

RNAとペプチドの両方があると、山の裾野がオーバーラップして、高い山により登りやすくなるような現象がもし確認できれば、地球の生命が核酸とタンパク質の2つの紐を見事に協調させて使っていることも説明できると藤島さんは考えている。
 以上、藤島さんが実験室で、自ら手を動かし、原始地球で起きたかもしれない進化を再現しようとしている一連の実験を紹介した。
 合成生物学的な方法で、生命の起源を問う学術領域の熱い雰囲気が伝わればなによりだ。
 もう一点だけ、ずっと気になっていたことを確認したい。
 これまでの議論は、「紐」ができたり、それらが共進化したりという、生命のシステムに必要なことばかりだけれど、何かが足りない。
 いったい何だろうか、と考えていて、ふと気づいた。足りないのは「形」だ。
 これは生き物である、生命である、という時には、シロナガスクジラみたいに大きなものにせよ、大腸菌のように小さなものにせよ、すべて「形」がある。形がないと境界がなくなって、「これは生命だ」といえなくなるのではないだろうか。
「それって、たしかにその通りで、例えば膜がないと生命じゃないという立場もあります。それは理にかなっていて、つまり自己と他己を分ける境界線が膜なので、それがないと、大きなスライムみたいなかたまりの中でいろんな分子のやりとりをして……エヴァンゲリオンでいうあれですね、人類補完計画の補完後の状態みたいなものです。でも生命は補完前に戻ろうとするという(笑)。つまり個で自立できた系を生命と名付けたにすぎません」

システムが働いたとしても、形がないものを生命といえるだろうか?
 この点は本当に奥深く、自己と他者の区別がつかない状態でも生命のシステムが動いている状態というのは想定できるということだ。でも、そんな中から、くっきりとした「個」が登場するというのはどう考えればいいのだろう。
「その議論はある意味おもしろくて、偶然か必然かという話もあります。かりに必然じゃなくて偶然だったとしても、たまたまちぎれた一つの個体が、周囲の環境に適応した場合、そのまま増えていく可能性があります。適者生存のダーウィン的進化に突入していくと。その前はダーウィン的進化ではなくて、水平伝搬の嵐ですね。自己と他者の区別が曖昧な状況でお互いがお互いに必要なものを作って交換していくという。もちろん僕たち今の生命は、ダーウィン的進化の結果できたものです」
 ダーウィン的進化というのは、端的に言えばダーウィンが考えた生存競争による「適者生存」によって起きる進化のことだ。これは、生命が「個体」であることを前提にしている。言われてみればそのとおりだ。
「ダーウィン的進化が起きるための必要条件というのは、遺伝情報物質を持っているということと、それが膜に包まれているということですね。つまり自分と他が分かたれているような状態であること。そうじゃないと、ヨーイドンである環境にさらしたときに、適応しているもの、してないものの差がつかない以上、ダーウィン的進化が起こっていきません。逆にそれが観察できるということは、遺伝情報物質を持っていて、他己と自己が分かれている、ちゃんとセパレートしているような系であるということです。そこにあとはエネルギーを自分自身がつくれるような仕組みもあれば、限りなく今の生命に近いものになってくると思います」
 今のぼくたちは生命の歴史に思いを馳せて系統樹を描き、古細菌と真核生物はいつ分かれたなどと議論するわけだが、それはこういったダーウィン的進化があってのことだ。藤島さんが今、研究のリソースを集中させている2つの「紐」の共進化の問題と隣接してこんな議論もあって、またスリリングであることをお伝えしておきたい。

https://cdn-business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00112/00010/p5.jpg

第2回で紹介したこの図にも「膜」と書かれていた。(画像提供:藤島皓介)
つづく
(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版サイトに掲載した記事を再掲載したものです)
藤島皓介(ふじしま こうすけ)
1982年、東京都生まれ。東京工業大学地球生命研究所(ELSI)「ファーストロジック・アストロバイオロジー寄付プログラム」特任准教授、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任准教授を兼任。2005年、慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、2009年、同大学大学院政策・メディア研究科博士課程早期修了。日本学術振興会海外特別研究員、NASA エイムズ研究センター研究員、ELSI EONポスドク、ELSI研究員などを経て、2019年4月より現職。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。
近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。


K.Gotou
情報処理従事者
の大好きなリボソーム。
そこから、ヒントを得て「#人と人が信じあう電子社会」を構想しています。
https://note.mu/k_gotou_1962/n/n6bcda823502e
(日経新聞:「noteの投稿から(下)資本主義、
2019/04/02 06:10:021返信いいね!


quartiertokio
形の問題は偏微分方程式を研究していた40年前の自分のテーマの一つで、微分多様体の特異点問題。懐かしですね。
2019/04/02 11:39:23

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00112/00010/

http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/708.html

コメント [原発・フッ素51] 自転車競技でもトップクラスの日本人選手2人が骨折 ガタガタになってきた日本のスポーツ界  魑魅魍魎男
2. 茶色のうさぎ[-10427] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月03日 12:36:37 : KYhbvbwb1U : c1IvTnZZNmRNWFE=[2]

 ぷっ♪

 多摩ちゃん、勝ちー♪

 魑魅ちゃん、負けー♪

結論: ??? 長文省略 うさぎ♂ 昼麦しよー♪1


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/306.html#c2

コメント [カルト20] 皇室と、ずっと大喧嘩をしている安倍政権は、新天皇にこんなヘンな元号を与えた。皇室への嫌がらせだ/副島隆彦 仁王像
20. 知的上級者さん[124] km2TSY_ji4mO0oKzgvE 2019年4月03日 12:37:37 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[44]
>19. 空虚[1966] i_OLlQ
日本のどの部分が美しいんだ低能
天皇は1300年前から日本人殺し以外に何かしたことはあるのかうじ虫朝鮮人
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/606.html#c20
記事 [経世済民131] アマゾン、出品企業に値下げ強制の実態…GAFA、巨額利益あげる日本で見合う税金納めず(Business Journal)
アマゾン、出品企業に値下げ強制の実態…GAFA、巨額利益あげる日本で見合う税金納めず
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27325.html
2019.04.03 文=浜田和幸/国際政治経済学者 Business Journal


アマゾンの倉庫(「Wikipedia」より/Asacyan)


 この3月、自民党の競争政策調査会は「GAFA」と呼ばれるアメリカ大手IT企業を相次いで党本部に呼び、非公開でヒアリングを行った。GAFAとはグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン4社の頭文字を組み合わせた略称である。これら巨大IT企業は国家を上回る資金力を背景に世界中から優秀な人材を集め、AI(人工知能)やビッグデータの技術を進化させ、インターネット関連のビジネスを思うがままに牛耳るまでになっている。日本の消費者も企業もGAFAのサービスへの依存度は深まる一方である。

 まさに「第4次産業革命」の旗手のような存在感を発揮している。特に、過去10年間の急成長ぶりは目を見張るばかりだ。フェイスブックの売上高は7億770万ドルから560億ドルへ拡大。グーグルの場合は240億ドルから1360億ドルへ。そしてアマゾンに至っては245億ドルから2330億ドルへと爆発的な伸びを記録している。各社ともこれまで一貫して売上増を達成しており、アマゾンは世界最大の小売業であるウォルマートの時価総額を3割も上回る勢いだ。

 そのアマゾンは従業員数も使用するロボット数も、また買収した企業数もマルチメディアやクラウドコンピューティングへの投資金額でも、すべてにおいて他社を圧倒している。顧客数は3億人を軽く突破してしまった。顧客の要望にこたえるため、理由のいかんを問わず、「返金スピードの速さ」でもナンバーワンの評価を得ている。

 と同時に驚かされるのは、働き方であろう。アマゾンの物流センターを訪ねると、至る所に掲げられる標語に目を奪われる。「Work Hard, Have Fun, Make History」。日本で話題の「働き方改革」とは真逆の発想である。実は、創業社長のジェフ・ベゾス氏は物流センターで働いていた期間が長く、「顧客満足度を左右するカギは物流にある」との考えの持ち主。創業から20年間は物流に120億ドルもの投資を行ったという。

 要は、利益よりも物流に資金をつぎ込み、顧客の利便性を追求したのである。何しろ、自社の空港まで所有するほどの力の入れようだ。こうした独自の発想と実行力で他社を寄せつけないシェアを獲得したのが、アマゾンである。言い換えれば、電子商取引の世界を物流面で支えるという前代未聞の覇権を確立したといえるだろう。

 また、フェイスブックの登録利用者数は23億2000万人という。これは世界の全人口のほぼ3分の1に達する。このフェイスブックの傘下に入ったインスタグラムも負けてはおらず、2018年に10億人の大台に乗った。インスタグラムのユニークな点は、「インスタ映え」を競う20代、30代をターゲットに「ファッション・パス」と銘打った洋服やアクセサリーのレンタルビジネスを立ち上げたこと。「同じ衣装でインスタグラムに登場したくない」というユーザーの願望をとらえた新種のシェアリングビジネスといえよう。

■利益の実態は闇の中

 互いに競合する部分もないわけではないが、GAFAはそれぞれの強みを活かし、大躍進を遂げているわけだ。残念ながら、今の日本企業のなかにはGAFAに匹敵するスケール感は見られない。

 しかし、日本企業が彼らの軍門に完全に下ったわけではない。たとえば、アマゾンにしても、日本のネット販売の物流代行会社であるイー・ロジットと提携することで日本市場でのサービス向上を確実なものにしている。日本の得意とする「おもてなし」や「もったいない」の発想はGAFAにとっても世界市場を開拓する上で欠かせないとの認識が生まれていることは間違いなく、日本企業の出番も当然あるだろう。

 では、本題に入るが、自民党がこれら「超国家企業」4社からヒアリングを実施したのは、なぜなのか。

 実は、GAFAはインターネット検索や通信販売の分野で急成長を遂げ、データの囲い込みを加速させているのだが、彼らの勝利の方程式の根幹をなしている個人情報の取り扱いや取引ルールに関しては、利用者や商品出店企業(ショップ)からさまざまな懸念や問題が指摘されるようになったからである。

 なかでも今、問題視されているのが「アマゾン・ポイント」にほかならない。本年5月以降、全商品に1%以上のポイントを提供することが発表されたばかりである。問題は、このポイント還元の原資はアマゾンが負担するのではなく、ショップに負担させるという点だ。ショップからすれば、ポイントを提供しても、利用者がそのポイントで自社の商品を買ってくれる保証はないわけで、アマゾンの利用者囲い込み戦略のために実質的な値下げを強制されるに等しい。その意味では、「アマゾンによる中小出店企業泣かせ」と言われても仕方がないだろう。

 さらに大きく問題視されているのは「GAFAは莫大な利益を計上していながら、それに見合った税金を納めていない」という指摘である。2018年10月〜12月期決算の最終利益は4社合計で388億ドルに達する。しかし、国内に支店や工場など恒久的施設がなければ、課税されない。ネットを通じて日本の消費者に商品を売り、大きな利益を上げていながら、原則として法人税を支払うことがない。これでは楽天やヤフーなど日本企業との公正な競争が阻害されることになる。

 いうまでもなく、タックスヘイブンを使った節税対策はお手の物。しかも、「GAFAがどのような方法で利益を生み出しているのか」、そのメカニズムも不透明である。利用者の同意を得たわけでもなく、一方的に集めた購買履歴や検索履歴をもとに個人向けの「ターゲット広告」を打ち、企業から広告収入を得ているようだが、その実態は闇の中。

 ほかにも、金融当局の関心を集めているのは、GAFAが進めるプラットフォームを利用した顧客の特性に合わせた金融商品やサービスの提供である。すでに既存の金融機関はクラウドサービスの活用を拡大しており、基幹業務はもとより金融商品の販売にもGAFAに依存する度合いが増してきた。銀行や証券会社がGAFAに飲み込まれる日も近いかもしれない。アップルの場合は、2019年からクレジットカードのサービスを始めた。しかも、「年会費なし」だ。物流でも金融決済でも地殻変動が起きている。

■「デジタル課税」

 こうした指摘を受け、日本政府は本年6月末に大阪で開催されるG20首脳会議を機会に、世界的な巨大IT企業に対する「デジタル課税」に関する国際的なルールづくりを主導する考えである。今回の自民党によるヒアリングはそれに向けての提言をまとめるためのもの。具体的には、「巨大IT企業の監視機関の創設」「中小企業に対する不公正取引の防止策」「不当な個人データ収集の適正化」が提言の柱になる見込みだ。

 日本政府は経済産業省、公正取引委員会、総務省が合同で「デジタル・プラットフォーマーを巡る取引環境整備に関する検討会」を発足させており、本年6月までにGAFAの規制策を取りまとめ、わが国の成長戦略に盛り込む方針を固めている。公正取引委員会では年初から「デジタル・プラットフォーマーの実態に関する調査」を始めており、中小企業からの情報提供を求めている最中である。

 要は、GAFAのような巨大企業がデータを独占し、中小企業を圧迫し、公正な競争環境を阻害している、との危機感が沸き上がっているわけだ。このままでは、ネット上の競争において、日本企業はプラットフォームを海外に握られ、すべてのビジネスがGAFA経由でなければ成り立たなくなりかねない。実に由々しい事態といえよう。

 と同時に、GAFAが巨大な資金力を背景に有望な新興企業を相次いで買収し、傘下に収めていることも無視できない。たとえば、グーグルはユーチューブを、フェイスブックはインスタグラムを買収。ライバル企業を買収することで本来あるべき競争を回避し、寡占化を加速させているわけで、消費者の選択の幅を狭めていることは間違いないだろう。

 とはいえ、自民党の要請に応じてヒアリングに臨んだGAFA各社の担当者は一様に疑念や批判を否定し、「意図的に独占的な対応をしているわけではない。競争相手は多い。透明性と公正性に配慮し、企業努力を続けている」と自己弁護を繰り返した模様だ。
 
 しかし、こうした巨大企業が圧倒的に有利な立場を利用し、取引企業に対して不公正な契約を強要していることの裏付けは、枚挙にいとまがない。日本政府は独占禁止法の「優越的地位の乱用」条項を適用することで規制を図ろうとしている。加えて、独禁法を補完する方向で、「重要な取引条件には開示を義務付ける」ことや、「違反した場合の課徴金の引き上げ」も検討中である。

■日本企業はリアルデータで勝負せよ

 では日本企業がGAFAとの勝負に勝つにはどうすればよいのか。日本政府が公正な競争環境を整えるのは当然のこと。とはいえ、政府が日本企業を保護するがゆえに、外国の企業を独禁法で排除するようなことになってはまずいだろう。肝心なことは日本企業の国際競争力を高めることである。

 幸い、日本は世界規模で展開中の「第4次産業革命」のうねりのなかで独自の路線を追求できる立場にある。即ち、GAFAが得意とする「バーチャルデータ」の分野と対極にある「リアルデータ」の収集と蓄積で勝負をかけることが、日本のIT企業の生き残りを決することになる可能性が高いと思われる。

 具体的には個人データではなく、産業データの活用を図る道である。GAFAが手をつけていない分野で日本が先行しているのは「個人の健康・医療・介護データ」や「製造工場の稼働データ」など、個人のネット売買とは異なるリアルデータである。こうした分野では日本の優位性は抜群といえよう。日本の基幹産業を形成する「自動車等の製造業」や「ヘルスケア」の分野では日本企業の持つデータはGAFAをはるかに凌駕しているからだ。日本発のプラットフォームを形成するには昨年閣議決定された「未来投資戦略」にも合致するリアルデータでの勝負に賭けるべきである。

 しかし、残された時間は少ない。なぜなら、ヘルスケアのリアルデータを取得し、新たなビジネスの中心に据えようとする動きをアマゾンが始めたからだ。彼らの動きは速い。シアトルの病院と提携し、患者のデータを収集、分析し、自動診断や個別治療薬の開発に着手したという。

 と同時に、注目すべきはグーグルの動きだ。一度は撤退した中国市場への再参入に舵を切ったといわれる。グーグルが狙うのは14億人という中国人のビッグデータにほかならない。中国にはGAFAと肩を並べるBATが存在する。バイドゥー、アリババ、テンセントの3社で、中国版プラットフォーマーだ。日本がまごまごしていれば、米中のプラットフォーマーによる覇権争い、あるいは合従連衡が進み、日本は瞬く間に飲み込まれてしまうことにもなりかねない。

 グーグルの創業社長で今やグーグルの持ち株会社アルファベットの取締役を務めたエリック・シュミット氏の言葉が重く響く。

「AIに関していえば、2019年の時点では、アメリカはまだ優位といえるだろう。しかし、『中国製造2025』が実現する頃には、たぶん米中は肩を並べている。いや、ひょっとすると、中国に先を越されているかもしれない」

 トランプ大統領もペンス副大統領も事あるごとに、中国脅威論を振りかざしている。しかし、政府の規制がどこまで功を奏するのだろうか。GAFAもBATも国家の枠を超越した存在となりつつある。彼らが手を組むことになれば、アメリカ政府も中国政府も手を出せない。そんな超国家企業の時代が迫っている。

(文=浜田和幸/国際政治経済学者)







http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/788.html

コメント [経世済民131] アマゾン、出品企業に値下げ強制の実態…GAFA、巨額利益あげる日本で見合う税金納めず(Business Journal) 赤かぶ
1. 赤かぶ[8379] kNSCqYLU 2019年4月03日 12:40:44 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3418]



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/788.html#c1
コメント [国際25] <これ以上の犯罪はない!>選挙に勝つためにパレスチナを挑発したネタ二ヤフの非道  天木直人  赤かぶ
7. 2019年4月03日 12:40:46 : Fdxo12lTTc : dGcxclQ0NWgzN3c=[19]
俺がこのことについて言及すると俺の望む方へは行かないだろう。
ここに書き込むこと自体、リスクが伴うのだ。
>>6 その通りだ。だがそれは一部の狂信者、イルミナティの思惑通りになってしまう。それは避けなければ。一部の人間たちは黙示録、特にヨハネの黙示録を未来の出来事、預言と規定し、その通りに事が運ぶように操っている。もちろんそんなものなど1ミリも信じておらず、狂信者を利用しようとしている者もたくさんいる。
皆、ユダヤ人のことなど心底どうでもいいと、特に日本人は思っているので、真実を口にするのは危険だし、あえてしないのだろう。
これは全く逆のことなのだ。もしネタニヤフが再選されるようなことがあれば、ロスチャイルドは相当力を落としたと、そう定義せざるを得ない。

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/885.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK258] 世界的な波に致命的に乗り遅れて凋落した平成日本の現実 永田町の裏を読む(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
48. 斜め中道[6253] js6C35KGk7k 2019年4月03日 12:41:41 : 460ZVzz1ys : SDZ2LjR6cm1sVk0=[207]
>>47 ・・・のあんちゃん

そりゃ人によるだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/885.html#c48

コメント [カルト20] 樹林・徐々に追い込まれるディープ、金玉・史上最悪の大洪水。ノアの馬鹿舟作戦で抵抗である。 ポスト米英時代
2. 2019年4月03日 12:51:57 : gq5HByNE2E : Sk1KbkRGa1ByTnc=[6]
Deep Stateは盤石で、この意見は希望的観測だね。
アメリカはどれだけ!日本の金銀財宝、奴隷=日本人を吸い込んだと思う?
これからも吸い続けるよ!自分等アメリカ人だけの為に!

困ったことに、日本人の自分さえよければいい≪漁夫の利体質!≫を読まれた。
これに付けこんでいるアメリカの民主党、共和党であろうと、Japanに対するスタンスは両党、同じ!

アメリカ民主党は健康保険を政策に掲げているが、何十年かかっても実現は無理だろう。

野球の天才に近ICHRO!でさえ、成績が出せない!と自覚し、Fire!首を斬られる前に‟引退”した。
プロとしての‟プライド”を守る為かな?
国内でも有名な日本人Musician、曰く「アメリカへ行くなら、日本でも相当な実績、実力がないと」ピンポン!
発光ダイオードを発明した人等々、皆、そう。
それ位、西欧社会は激しい社会だ。
注意喚起
そこらの大して何の才能も持たない日本人に外人が近づいてきたら、⚠要注意だ!
何か、疚しい目的が蔭にあると考えるのがふつうだ。
アメリカ人に食われ続けているアベ自民党公明党がいい例だ。
その多大なる犠牲者がアホの日本殖民地人だ!

http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/604.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化(Business Journal) 赤かぶ
4. 2019年4月03日 12:53:45 : 2izLR1Dtrs : UVhkSzVNcGpidjI=[47]
 
近畿財務局+大阪航空局+大阪府私学振興会+総理夫人だけではなく、
新たな疑惑ルートが発覚
藤原工業+検察庁+NHKだ。

事件の舞台はどんどん進化発展をしている。
どこまでもどこまでもスクスク伸びて行きそうだ。
しかも時代は平成から令和までまたがる。
新天皇の時代も汚辱にまみれた腐敗政治と腐敗報道が続くとは・・・。
正しく「零倭」の時代の号砲が轟くのか?

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/257.html#c4

コメント [原発・フッ素51] 凍える4月 マスコミは全く報道せず 温暖化はどうなった?  魑魅魍魎男
5. 2019年4月03日 12:58:35 : 05COWJ2Yqg : alpqWnE3Uk15dFU=[70]
最後は温暖化のせいで気温が下がってます、とか言いそうだな
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/307.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK259] 参議院選挙に交差軸を 「自由人連合」で窓が開く  赤かぶ
1. 2019年4月03日 13:00:30 : 7dFX72vGQs : WTJIWDJSUmNVZk0=[1]
アホ、売国奴の小泉なんぞ挙げる時点で底が知れてるわ。

ハッタリと捏造だけのホラ吹き落合と、キチガイに近いデビ夫人。

ただ知名度だけで集めただけだろうが、異分子というより、害分子なんぞいらん。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/264.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
1. 2019年4月03日 13:02:20 : 2izLR1Dtrs : UVhkSzVNcGpidjI=[48]

有識者会議がやっぱり無識者会議だったと言うことだ。

これからも何時だって、政府の有識者会議は無識者か利害関係者会議(第三者性ゼロ会議)として続く事だろう。


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c1

コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
18. 2019年4月03日 13:04:08 : 7dFX72vGQs : WTJIWDJSUmNVZk0=[2]
マスゴミ共はこう云うとこでもウソを付く。

良識と慎重な正論を、アホな長州朝鮮陸軍のように猪突猛進で進むだけで何も計算など無い。

とはいえ、原発利権の福井は、どうしょうもないアホ県ではある。否田というカルト女と、平和の敵オバマにエールを送って、世界に恥掻いた自覚が無いんだし。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
15. 2019年4月03日 13:06:15 : 6uyhymepjo : anozYUwxaGpsRVU=[20]
【令和】とかけて閣議決定と解く。

内閣が命【令】して自民党、与党に持ち帰る。

持ち帰った内容を議論すると【和】を乱すので議論せず法案成立。

いつもの慣れた風景。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK259] 維新は邪道「なんで八尾のオッチャンが大阪市を潰すんや」 大阪市が消える日(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 赤かぶ[8380] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:10:32 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3419]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/249.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK259] 維新は邪道「なんで八尾のオッチャンが大阪市を潰すんや」 大阪市が消える日(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 赤かぶ[8381] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:11:22 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3420]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/249.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK259] 維新は邪道「なんで八尾のオッチャンが大阪市を潰すんや」 大阪市が消える日(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. 赤かぶ[8382] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:12:19 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3421]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/249.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK259] 古賀茂明「安倍総理がダメにした日本の悲惨な未来をジム・ロジャーズが警告」〈dot.〉  赤かぶ
29. 2019年4月03日 13:12:21 : 7dFX72vGQs : WTJIWDJSUmNVZk0=[3]
アリとキリギリスが昆虫学者のファーブルから「実際の生態ではウソ!」と批判されたのを古賀は知らんらしい。アリというのは情は元々無いだろうが、実際は働き者では無く、何でもかんでもかっさらったり、生物界では集団強盗の組織である。

実際の生態ではキリギリス(原典はセミ)は普通に野原で唄いながら生きていても、強盗集団のアリに泣かされる生態を送っている。我々がキリギリスなら、アベ達は薄情者、破落戸で軍隊集団のアリだという事をストレートにいうべきだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/211.html#c29

コメント [経世済民79] 日本株GW暴落!? 米市場は「ヒンデンブルグ・オーメン」警戒 (日刊ゲンダイ)  赤かぶ
1408. 2019年4月03日 13:14:11 : wIAagQZn5c : UVEzem5pTUxLbE0=[5]
次の、ならおかファーム さんの ものへの プレゼント。

【 ハゲ対策に川シャンのススメ/ ならおかファーム 】― YouTube
2019/01/10 (木) 、4:35 、ならおかファーム さん
# http://youtu.be/gE-kXH29GBE

【 【入浴】これが噂の川風呂だ‼ 【外はまだ雪】 】― YouTube
2019/03/13 (水)、4分54秒 ならおかファーム さん
# http://youtu.be/kOlo4sNAptY

【 【ゼロからの制作】山奥に露天風呂を作ってみた‼‼ 】― YouTube
2018/10/11(木)、5分30秒、ちゃがまらん さん
# http://youtu.be/TAkSLHd9MY

【 【ゼロからの制作】山奥に露天風呂を作ってみた‼‼ #2 】― YouTube
2018/10/14(日曜)、5分40秒、ちゃがまらん さん
# http://youtu.be/AX0xTxETze4

----- 木灰は、石鹸の代わりになります。
確か、ヨモギは 入浴剤に成ります。
一斗缶の側面の下の方に 蛇口を付け 、そこから ホースで お湯を送ったら良いと
思います。



http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/610.html#c1408

コメント [戦争b22] マレーシアに設立された日本兵慰霊碑への波紋。現地紙報道に見る「批判の理由」(誤訳の性か?) 戦争とはこういう物
1. 2019年4月03日 13:17:15 : FeBmwTYCBk : a0FneWt5eUViNFE=[33]
マレーシアに元からいた人たちにとって、華僑こそ侵略者。華僑団体が批判的なのはむべなるかな。

日本が大東亜戦争において、太平洋戦線に引きづりこまれたのは、華僑の執拗な日米交渉へのアメリカ側からの介入。これでハルノートに関して妥協。が成立しなくなってしまった。華僑にとっての目的は、商圏としての大陸の確保。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/586.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和」への首相説明には平成を継承する視点が欠けている 日本史 縦横無尽(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 2019年4月03日 13:27:07 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[425]
新元号「全否定」のテレ朝『羽鳥慎一モーニングショー』に批判続々

4月3日(水)10時32分 まいじつ


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(C)まいじつ

新元号が「令和」に決まり各メディアがこぞって特集を組む中、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)での新元号の取り上げ方が「異常だ」との声が上がっている。


【関連】新元号『令和』に『SMAP』『嵐』ファンが歓喜した意外な理由とは… ほか


発表から一夜明けた4月2日の放送では、コメンテーターからゲスト解説者に至るまで、そろって「令和」に否定的、あるいは嫌悪感を表すという場面が終始続いた。重苦しい雰囲気に耐えかねたのか、司会の羽鳥慎一が思わず「心が折れそうなので何か前向きな意見をお願いします」と、アシスタントの女子アナに助けを求める場面もあった。


「人によって肯定否定それぞれ意見があるのは当然ですが、スタジオの全員が全員、否定的というのはいかがなものでしょうか。今回の改元に関しては多くの人が明るい話題として捉えていると思いますので、肯定的に扱わないまでも、せめてバランスを取った方が良かったという印象です」(番組制作関係者)


特集では、まず「令和」以外の候補が紹介され、「(候補に上がっていた元号案の方が)申し分なかった」とゲスト解説者が熱弁。名物コメンテーター≠ニして知られるテレビ朝日社員の玉川徹氏は「保守の方々は歴史や伝統と言うが、これまでの漢書由来ではなく国書(万葉集)由来の元号にした時点で伝統じゃない」といった趣旨の発言をしている。


「結局、政権批判がしたいだけ」のコメンテーター


「『令和』の『令』がお上≠ゥらの『命令』を連想するのでイメージが悪い、といった論調でスタジオ内が統一されていましたね。中でもジャーナリストの青木理氏は極論が目立ちました。元号の話から、彼らの言うところの天皇制≠フ是非にまで話を広げるのは、脱線を通り越しているような気がしました」(同・関係者)


ネットユーザーの多くも同様に感じたようで、以下のようなコメントを寄せている。


《「令和」に批判的な専門家呼んでくるあたり実に汚い》

《青木の不満そうな表情w》

《どうせ何に決まってもケチ付ける気だったんだろ?》

《最初からずっとダメ出しと嫌味、愚痴ばっかり》

《「令」のついた名前の人もたくさんいるのに、批判している人は配慮がないのかね》

《結局、政権批判がしたいだけに見えるんだけど》

「令和」には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」との談話だが、改元前からすでに心を寄せ合う≠フが難しくなっているようだ。

https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0403/myj_190403_5964190466.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/256.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号は「令和」  赤かぶ
199. 地下爺[5606] km6Jupbq 2019年4月03日 13:27:58 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[535]
◆参考情報
安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け!
大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判
https://lite-ra.com/2019/04/post-4640.html


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/185.html#c199

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[8383] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:30:55 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3422]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[8384] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:31:43 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3423]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c2
コメント [経世済民87] 1200万円超がパー 薬学部生の4割が薬剤師になれない(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
24. 2019年4月03日 13:32:08 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[1]
>17
お相撲さんがトップの日大と世耕関連の近大、合格者は多いwが合格率は1割程度だろう
http://www.asyura2.com/14/hasan87/msg/189.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
17. 2019年4月03日 13:32:31 : 9Gqb5g2dvk : WGM1b2FRM3Q5ZTY=[48]
令和さわぎで支持率がUPしたらしい!
本当に愚民でしかない「日本人!」
だからいつまでもバカな安倍にバカにされ、騙されるんだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c17
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[8385] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:32:44 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3424]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[8386] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:34:20 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3425]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c4
コメント [カルト20] 皇室と、ずっと大喧嘩をしている安倍政権は、新天皇にこんなヘンな元号を与えた。皇室への嫌がらせだ/副島隆彦 仁王像
21. 日本も黄ベスト革命を[1] k_qWe4LgiamDeINYg2eKdpa9gvA 2019年4月03日 13:34:52 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-608]
>>17

>選挙によらない政権交代(ナポレオン兄弟による議会制圧など)はフランス語でクーデターっていうんですね

1799年11月9日の「500人会議」解散のことですね。

ナポレオン・ボナパルトは、弟リュシアンの協力のもと、サンクルウで

500人会議を解散して(ブリュメールの無血クーデター)

執政政府(第一コンスル)を設立した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AB

2019-1799=220

で、220周年記念アマキ革命が予定されていたワケですね。

見事、失敗したわけですが・・・


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/606.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[8387] kNSCqYLU 2019年4月03日 13:35:06 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3426]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c5
コメント [経世済民116] 70平方m未満の3LDKマンションなど絶対に買ってはいけない!極めて使い勝手悪い(Business Journal) 赤かぶ
3. 2019年4月03日 13:38:08 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[2]
4〜5年前?、高橋英樹さんの、こじんまりした自宅マンションをテレビでみたが、
夫婦2人暮らしだからか、面積は小さいのにとても上品で暮らしやすそうだった

http://www.asyura2.com/16/hasan116/msg/750.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
16. 地下爺[5607] km6Jupbq 2019年4月03日 13:42:57 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[536]
◆参考情報
安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け!
大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判
https://lite-ra.com/2019/04/post-4640.html

>新元号「令和」の大元ネタの作者・張衡の「思玄賦」にはこんな一節がある。

 折り合わないことなどは、本当の憂いではない。
 
 真に悲しいのは、多くの偽りが、真実を覆い隠してしまうことである。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c16

コメント [経世済民119] 「危険なゼネコン」大成建設…建築物で「あり得ない」大事故続出、新国立競技場への懸念(Business Journal) 赤かぶ
1. 2019年4月03日 13:44:24 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[3]
建築学会の発表で、自社ロゴの入ったOHPで発表し、
発表者の取り巻き数人が「マンセー!マンセー!」と、
五月蝿いのなんの
http://www.asyura2.com/17/hasan119/msg/158.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 副大臣「安倍、麻生を忖度して引受」と発言〜凍結された1800億の道路、事業再開か?+宮崎緑の着物(日本がアブナイ!) 笑坊
2. 地下爺[5608] km6Jupbq 2019年4月03日 13:44:26 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[537]
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/263.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK259] 新元号「令和」に識者から批判続出…「命令の“令”」「安倍政権の国民への統制強化」(Business Journal) 赤かぶ
17. 2019年4月03日 13:45:33 : sRr6kRZiV2 : dHlEZ1hjVHdkcVE=[23]
 多摩散人です。

「令」の中に「ア」と「ヘ」が入っていますね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/252.html#c17

コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
19. 2019年4月03日 13:47:12 : SjbDVz8On2 : bGc0WjRZN0tlQlE=[1]
思考停止愚民福井県人
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c19
コメント [政治・選挙・NHK259] 副大臣「安倍、麻生を忖度して引受」と発言〜凍結された1800億の道路、事業再開か?+宮崎緑の着物(日本がアブナイ!) 笑坊
3. 2019年4月03日 13:51:33 : EkPwN3PWjk : Q0VWNU1UbEtsb1E=[15]
まあ客観的に考えれば、
開通から60年以上経過した上に、2車線運用である「関門トンネル」、
開通から45年以上経過した上に、台風など天候の影響を受けやすい「関門橋」、
これらのバックアップ機能として、この道路の建設をすすめること自体は、
ある程度、道理には叶っている。
(本州⇔四国と比べ、本州⇔九州はあまりにも線が細い)

しかし、そういう事情があれ、この道路を無条件で建設することなど、
国民感情としては断固許されることではない。
だったらこうしたらどうか。
この道路の建設とバーターで、
”長州出島”に普天間に代わる米軍基地を移設、
同時に嘉手納以外の在沖縄米軍基地を無条件閉鎖。
李晋三にとって、決して悪い条件でないはずだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/263.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] <真性の目立ちたがり屋であり、おめでたい首相である!>新元号の選定にかかわり過ぎた安倍首相は愚かである  天木直人  赤かぶ
12. 2019年4月03日 13:52:24 : 9Gqb5g2dvk : WGM1b2FRM3Q5ZTY=[49]
さすがは程度の低い首相だけのことはある!
しゃしゃり出るしか能がない。

引っ込むことを何年たっても覚えないねぇ!

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/243.html#c12

コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
20. 2019年4月03日 13:55:00 : 9Gqb5g2dvk : WGM1b2FRM3Q5ZTY=[50]
身近な原発が事故を起こさない限り、
日本人は想像という事が出来ないから、いつまでも他人事!
未来が想像できない、かわいそうな人種だ

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c20
コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
18. 2019年4月03日 13:55:31 : uQwMJi8LPY : SlBsMUVSU2JUYVk=[5]
今朝の羽鳥モーニングショーは「令和」礼賛一色になっていた。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c18
コメント [経世済民131] “レオパレス発”金融ショックの足音…国の違法建築一斉調査に不動産業界が戦々恐々(Business Journal) 赤かぶ
12. 2019年4月03日 13:57:54 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[4]
>4
ポン大レベルの建築建設系を出ても、8〜9割は結局1級免許を取れないから、
詐称しても滅多に追求されないこともあり、詐称が当たり前の業界になっちゃいました
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/568.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK259] 「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題 空っぽの愛国君
2. 地下爺[5609] km6Jupbq 2019年4月03日 13:59:15 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[538]
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/258.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK259] NHK、森友問題の共謀者の主張を根拠に野党批判報道…安倍政権批判者を中傷する機関化(Business Journal) 赤かぶ
5. 地下爺[5610] km6Jupbq 2019年4月03日 14:00:52 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[539]
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/257.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK259] あまりにお粗末だった新元号発表の段取り(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
1. 地下爺[5611] km6Jupbq 2019年4月03日 14:03:21 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[540]
    あらためて思った ほんと 

    我が 東○○自民飲酒主義狂倭国 にふさわしい元号だと。。。


          〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(天声人語)奈良時代から来た元号
2019年4月2日 朝日新聞 朝刊 天声人語

〈なかなかに人とあらずは酒壺(つぼ)に成りにてしかも酒に染みなむ〉。
いっそ人間をやめ、ずっと酒に浸れる酒壺になりたい。
突拍子もない願望を歌にした人がいたものである。
大伴旅人(おおとものたびと)。奈良の昔、公卿にして一流の教養人だった

 旅人は天平2(730)年春、九州・大宰府の公邸で宴を催している。
招かれたのは九州一円の役人や医師、陰陽師(おんみょうじ)ら31人。
庭に咲く梅を詠み比べる歌宴だった。「初春の令月(れいげつ)にして、
気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ」。旅人の書き残したとされる
開宴の辞から採られたのが、新元号「令和」である
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 辞には続きがある。「天空を覆いとし、大地を敷物として、くつろぎ、
ひざ寄せ合って酒杯を飛ばす。さあ園梅を歌に詠もうではないか」。
枝を手折り、雪にたとえ、酒杯に浮かべる公卿らの姿が浮かぶ

 「令和」にどのような感想をお持ちになっただろう。令や和の字を名に
持つ方は、これからしばらく話題に事欠くまい。ここを商機と万葉集コーナーを
設けた書店もある。お祭り騒ぎはしばらく続きそうだ

 さて、万葉の昔に戻れば、60余年の大伴旅人の生涯に、元号は
驚くほど頻繁に代わっている。やれ吉兆の亀が発見されたと言って「神亀」。
奇跡の水が見つかったと「養老」。ほかに「朱鳥」「大宝」「慶雲」
「和銅」「霊亀」「天平」。まるで改元のインフレ期のようである

 そんな時代を知る旅人だが、酒席で述べた挨拶(あいさつ)が
              〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1300年後の元号になってしまうとは。二日酔いの夢にも想像
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
しなかったことだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/266.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
6. 地下爺[5612] km6Jupbq 2019年4月03日 14:07:17 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[541]
  冷 が 去り

  和 むなら

    良いかもしれない、安倍の時代はもうすぐサル。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝日新聞 夕刊 2019/04/02 素粒子 より


 改元した内閣は半年以内に崩壊してきた歴史あり。

 明治から大正への第2次西園寺、昭和への第1次若槻、平成への竹下。

 単なる偶然だけど。



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c6

コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
21. 2019年4月03日 14:09:47 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[5]
幸福度日本一
を捏造発表したとこだから
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c21
コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
22. 赤かぶ[8388] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:11:44 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3427]



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c22
コメント [政治・選挙・NHK259] 副大臣「安倍、麻生を忖度して引受」と発言〜凍結された1800億の道路、事業再開か?+宮崎緑の着物(日本がアブナイ!) 笑坊
4. 2019年4月03日 14:12:38 : 17yo3W2TPh : aTZpR0x4SFBUSk0=[26]
宮崎緑さんの着物、なんか踊る宗教の教祖みたいで異様に見えた。
若い人には漫画的でいいのかもしれないけど、、。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/263.html#c4
コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
23. 赤かぶ[8389] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:13:01 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3428]



http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c23
コメント [リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
14. 中川隆[-10990] koaQ7Jey 2019年4月03日 14:13:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1036]

『「いつものパン」があなたを殺す』白澤卓二教授に聞いた“グルテン”と“脳”の真実とは 2015.4.2
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088


美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本

『「いつものパン」があなたを殺す』

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837957552/urepi-22/ref=nosim/

の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

最近、人気モデルや著名人が実践中ということでも話題の“グルテンフリー”。健康に関心の高い人やダイエットを目指す人たちを中心にじわじわと注目を集め、グルテンフリー食品や専門店なども登場している。

しかしこの“グルテン”、どうやら特別な人々だけに関わる問題ではないらしい。

私たちの「脳」に着々と、深刻な影響をおよぼしている可能性が高いのだ。


アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる『「いつものパン」があなたを殺す』(デイビッド・パールマター/クリスティン・ロバーグ著 原題:Grain Brain)の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

■白澤卓二(しらさわ・たくじ)
順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。日本抗加齢(アンチエイジング)医学会理事。専門は寿命制御遺伝子の分子遺伝子学、アルツハイマー病の分子生物学など。
著書に『100歳まで元気に生きる食べ方』(三笠書房)、『ココナッツオイルでボケずに健康』(主婦の友社)、訳書に『小麦は食べるな!』(日本文芸社)などベストセラー多数。

小麦に含まれる「グルテン」が脳を鈍くしている!?

セルビア出身の男子テニスプレーヤー、ノバク・ジョコビッチ選手。彼は世界ランク3位で伸び悩んでいたとき、ある簡単な検査でグルテンに過敏な体質を持っていることを知った。

そこで彼は14日間、グルテンを含む小麦食品を一切断った。すると体調がよくなり、パフォーマンスもアップした。2週間後、再びグルテンを含むベーグルを1個食べてみたところ、その翌朝は体のキレが悪く体力が続かなかったという。

「腸管に炎症が起きていたんですね。『リーキーガット』になっていたんです」

普通、小腸の粘膜を覆っている細胞は、1つ1つが規則正しく結びついて並んでいるのだが、グルテンアレルギーがあると、この細胞の結びつきが崩れて緩み、腸管に穴が開く。すると中から毒素が漏れ出し、それが脳へと到達して「キヌレニン」という神経毒性物質を生み出すという。これが『リーキーガット』。

「『キヌレニン』が脳のニューロン(神経細胞)に作用すると、神経伝達物質が出にくくなります。つまり、『キヌレニンがジョコビッチ選手の脳を犯していた』ということです」

ジョコビッチ選手は本格的に小麦食品を除去し、良質なタンパク質や脂質を十分に摂る食生活に変えた。そして世界ランキング3位から1位へと上り詰め、快進撃が続いている。

「グルテンを除いた影響ですね。相手がボールを打ってから次の動きを始める前には、信号が脳のいくつかの『シナプス』を経由するんですが、そのシナプスの結合が良くなったんです。相手が打った瞬間に動けるから、ストロークが安定したんでしょう」

グルテンを断つことで、脳の働きがよりスムーズになった。逆に言えば、“グルテンが脳の働きを悪くし、動きを鈍らせていた”ことになる。実際に映像で観てみると、同じトップクラスの選手と比べてみても、動きの速さが段違いであることがわかる。

「こういうことが、小麦で起きているんです。『パンがあなたを殺す』というのはそういう意味です。たとえ全粒粉のパンを食べたとしても同じです。『脳の中が空っぽ(Grain Brain=穀物脳)になる』、ということなんです」

“袋入りパン”が売られているのは、実は日本だけ!

ジョコビッチ選手はグルテンに過敏性があった。だが、私たちはどうなのだろう?

スーパーやコンビニなど街のいたるところで“袋入り”で売られているパン。日本で流通しているような“ふわふわ”と伸びがよい、“日持ちする”パンを作るためには、グルテンを多く含む「強力粉」を使う必要がある。

日本での強力粉の自給率は1%程度。そのため輸入に頼るしかない。日本のパンの原料となっている小麦は、ほとんどがアメリカやカナダからの輸入品なのだ。

「フランスでパンといえば『バゲット』で、強力粉は使いません。日持ちしないので、パンを買いに、街のパン屋さんに足を運ぶわけです。

パンがビニール袋に入って売られているのは、日本だけです。

日本ではこれ(袋入りの食パン)が普通のパンだと思っていますよね? 学校給食でも袋入りで配られますからね。でもこれ、もともとが『強力粉』を使わないと作れないものなんです。100%、輸入小麦を使わないと作れない仕組みに、最初からなっていたわけです」

あなたのイメージする小麦は、“本当の小麦”?


いくつか、小麦の穂の写真を見せていただいた。広々とした畑の中で、ゆらゆらと穂をなびかせながら大きく育つ…。小麦にはそんなイメージがある。しかし、1960年から1980年までの間に行われた度重なる品種改良によって、小麦はその姿・形を大きく変えた。

「現在作られている小麦のほとんどがこれです」。
白澤先生がそう言って指し示した小麦は、1960年代に作られていた小麦と比べ、背丈は半分以下。大量の化学肥料や農薬を使わないと育つことができない。

『小麦は食べるな!』(Dr.ウイリアム・デイビス著)によれば、現代の小麦は、収穫量を増やし、病気や日照りなど環境への抵抗力をつけるために、“異種交配”や“遺伝子情報の大幅な変更”が繰り返され、高い生産性をもつ矮性小麦へと変わった。現在、世界で作られている小麦の99%が、こうした矮性小麦や半矮性小麦だという。

グルテンの含有量が少ない昔の小麦では、“ふわふわ”した食感のパンやパンケーキは作れない。品種改良によってグルテンの量が増えたからこそ、より“ふわふわ”な食感になる。つまり私たちは、昔とは性質の違う、「体が受け入れる準備が整っていない」小麦を食べているらしい。


誰もが、グルテンで脳に“炎症”を起こしている


小麦グルテンによって小腸が損傷する「セリアック病」という病気がある。これはごく少数の人がかかる小麦に反応する自己免疫性疾患だ。
しかし、「セリアック病」でないからといって安心できる訳ではない。この病気でなくとも、グルテンを適正に処理できない過敏症である可能性があるという。

「小学校の頃から炭水化物ばかり食べさせられてきて、グルテンに対するアレルギー検査も受けていない。それにコレステロールの多い食事も摂っていないでしょう? 条件的には、日本人はほぼ、腸管に穴が開いているとしても不思議ではありません。ほとんど日本人全員にあてはまるのはないでしょうか、彼(デイビッド・パールマター)が言っていることは」

つまり私たちの誰もがグルテンに過敏であり、「脳」にグルテンの影響を受けている可能性が極めて高い、ということなのだ。

さらに、グルテン以外の「糖質」、「炎症を促進する食べ物」、「環境有害物質」などが組み合わさることで、脳への影響が加速する…と著者は指摘する。

「1日の糖質は60g以下に、と彼は言っています。そうしないと脳に炎症が起きてきます。『キヌレリン』という毒が発生して、脳を犯すんです」

今まで小麦を食べてきた量によって、その影響に差は生まれるのだろうか?

「彼は『(小麦以外も含む)炭水化物の影響は蓄積される』と言っています。人生において、炭水化物を食べれば食べるほど脳が燃えている時間が長くなり、脳の中の空洞が大きくなる、と断言しています。濃厚に食べていればそれだけ、たとえ生きている時間が短いとしても、『脳が空っぽになる』と」

ふわっふわの美味しい「パン」が、心の病の原因に

実際に「小麦を断つ」、ただそれだけのことで、うつ病や統合失調症、注意欠如・多動性障害(ADHD)、自閉症、記憶・認知障害などの精神や行動にかかわる病が治った、という多くの例が存在する。

グルテンにはまた、強い依存性がある。グルテンが胃で分解されると、アヘンに似た作用を持つ「エクソルフィン」という物質に変わる。それが脳の“関門”をするりと突破し、脳内に入り込む。すると「おいしい!」「最高!」という恍惚感を生み、依存性を引き起こす。

「パンを食べて『ふわっ』とした快楽が脳に走るのは、血糖が上がったからではなくて、エクソルフィンが脳まで行き、『アヘン受容体』と結合したからなんです。つまり、神経回路が行動を制御している、ということです」

精神の病を引き起こす“だけでなく”、脳などの神経系組織を破壊し、しかも依存性がある。それが多くの食品に含まれているとなれば、問題が大きいのではないか?

小学生は給食でパンを食べている。集中力を保てない、疲れやすい、キレやすい、アレルギーの増加…。ちょうど1980年代頃から指摘され始めた子どもたちのこうした変化も、小麦がひとつの要因となっているのだろうか?

「まず、すべき事は『パン』を食べないこと。給食でも、みんなで『パン』を食べなければいい、ボイコットすればいいんです。牛乳も本当はやめるべきなのです」


美味しい「パン」が知らぬ間に人々の「脳」を蝕んでいる…!? アメリカでベストセラーとなり、日本でも大きな反響を呼んでいる本『「いつものパン」があなたを殺す』の翻訳をされた、順天堂大学大学院教授・白澤卓二先生にお話を伺った。

問題は「パン」だけではない!

“小麦を断つだけ”で、慢性疲労、自己免疫疾患、アレルギー、関節炎、偏頭痛、じんましん、心臓疾患、といった多くの原因不明の病気が治ることがある。つまりそれだけ、小麦がいろいろな病気の引き金になっているということだ。アメリカでは、小麦をやめてお米を食べる人が増えてきているという。

しかし、パンをほかの穀物に変えればいい、という問題ではないと、白澤先生は指摘する。

「パンをやめて、うどんを食べていたら意味ないですし、グルテンフリーにすればいい、というわけではないんですよね」

炭水化物(糖質)が多くの現代病の原因になっている。したがって、なるべく健康でいたい人はまず、糖質の摂取量を減らさなければならない。糖質を摂ることで“糖化反応”が加速し、体のあらゆる組織を酸化させる。“健康にいい”イメージのある全粒粉のパンも、グラノーラも、ブランのシリアルも、その本体は糖質であることに変わりはない。血糖の急上昇を招き、体にダメージを与える。


「グルテンフリーが健康にいい、というわけではないんです。全粒粉のパンが健康にいい、と勘違いしてたくさん食べた結果がこうなっている(糖尿病などが増えている)のです。肝心な部分を理解していないと、グルテンフリーを食べて病気が増えた、という話がおそらく何十年か後にまた繰り返されるでしょう」

世間では、ある特定の“機能性”だけに着目した食品や情報があふれているが…。

「体にいいものを摂り入れれば『毒』がなくなるかというと、そうではない。何かを足せばいい、混ぜればいい、という発想は間違っています。いくらブロッコリーを食べても、いくら白米に雑穀を混ぜても『毒』は相殺されない。『毒』は取り除かなければ意味がないのです」

“低糖質”をアピールした食品を目にする機会も多くなった。もちろん、それで健康になれるというわけではない。重要なのは、食生活全体のバランスだ。ただ、その“食生活のバランス”にもまた、問題がある。「コレステロールは体に悪い」という誤解が、あまりにも世間一般に浸透しているからだ。

なぜ、コレステロールに関して、こうした認識が広まってしまったのだろう? その背景にある“いろいろな事情”についても、私たちは知っておいた方が良いだろう。
http://ure.pia.co.jp/articles/-/34088
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
19. 地下爺[5613] km6Jupbq 2019年4月03日 14:20:48 : 4Exlh1atJU : RXkveWhSL05OSms=[542]


            ハ ゲ だ わ !!



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c19

コメント [不安と不健康18] 「お菓子習慣」があなたの体を秘かに蝕むワケ 意外と知らない「超加工食品」の脅威  うまき
1. 2019年4月03日 14:21:42 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[6]
欧米に比して、日本だけがガンの罹患率が上昇している理由は
フクシマ第一汚染、
抗がん剤等のガン利権、
欧米では使用禁止されている発ガン加工デンプンの大規模な使用、、、
あと何だっけ?

http://www.asyura2.com/16/health18/msg/742.html#c1
コメント [原発・フッ素51] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査  赤かぶ
24. 2019年4月03日 14:23:12 : fVmzl2gB1s : d29uSUlmR05tSUU=[58]
 「エコだ、高燃費だ」とテレビが言えばハイブリッド・カーを買い、「痩せる、身体に良い」とテレビが言えばサプリメントを買う。其んな人達は原発も消費税増税もすんなり受け容れる。俺の両親がそうだ。テレビは思考を奪う。彼らは無知文盲より愚かだ。自分の言葉を持たないのだから。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/305.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK259] あまりにお粗末だった新元号発表の段取り(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
2. 2019年4月03日 14:25:12 : GQOsxaC3q2 : dUsxZlVuNnpiZEE=[1]
⇒《メディアは新元号に批判的な見解が「少数意見」であるように演出している。人心が、新元号に批判的見解に対して批判的になるように誘導を試みている。》

元号は要りません。そんな区切りで何かが変わるわけがありません。

植草氏、がんばってください。応援しております。
日本の独立・民主化・脱土人・脱原発……立共政権樹立へ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/266.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
7. 赤かぶ[8390] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:27:08 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3429]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
8. 赤かぶ[8391] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:28:14 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3430]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
9. 2019年4月03日 14:29:56 : 8U3xgblDtc : bnVKZnNjWGxFdms=[10]
> 〈折り合わないことなどは、本当の憂いではない。真に悲しいのは、多くの偽りが、真実を覆い隠してしまうことである。〉(小杉みすず)

〈森友学園の8億円などは、本当の憂いではない。真に悲しいのは、韓国・北朝鮮系銀行への3兆円の金銭贈与と言う真実を覆い隠してしまうことである。〉(日本国民) [1]

[1] 前原誠司 第189回国会 衆議院予算委員会 国会議事録 2015/02/20
http://www.maehara21.com/report/%E7%AC%AC189%E5%9B%9E%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E3%80%80%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E4%BA%88%E7%AE%97%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-3/
○前原委員
預金保険機構に伺います。
こういう十六の破綻をした朝銀信用組合全体に、一体幾らの公的資金が投入されたのですか。

○田邉参考人 お答えいたします。
 幾ら公的な資金が投入されたのかというお尋ねでございますけれども、救済金融機関への金銭贈与が約一兆一千四百四十四億円、不良債権の買い取りが約二千九億円でございます。

○前原委員 ということは、合計で一兆三千四百五十三億円の公的資金がこのいいかげんな金融機関に対して投入をされて、国民の税金、血税としていわゆる穴埋めをされた、こういうことであります。
 そして、先ほど理事長からお話がありましたけれども、では、朝鮮総連が、預金保険機構、RCCに対して、東京地裁の判定によって確定された、いわゆる返還しなければいけない総額は幾らですか。

○田邉参考人 お答えをいたします。
 当初の、私どもが請求を裁判所に対して行いましたのは六百二十八億円でございましたが、その直後に一億円の回収がございましたので、六百二十七億円につきまして裁判所から認定をいただいております。

○前原委員 一兆三千四百五十三億円で、認定されているのが、たったですけれども、それでも六百二十七億円という金額でありまして、このうち幾ら回収できましたか。

○田邉参考人 お答えをいたします。
 買い取りました不良債権のうち、競売等で約三十七億円を回収いたしました。

○前原委員 六百二十七億円のうち回収できたのが三十七億円、つまりは、いまだに朝鮮総連に対してはRCCは五百九十億円の債権を持っている、こういうことになるわけであります。
 さて、ここからが本題なんですが、次の三枚目の図(配布資料)をお願いします。 略
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
10. 2019年4月03日 14:30:41 : IwH54j116U : bUxvMEJLN2tDc00=[55]
うちの母親は基本、テレビ様の言う通りに信じ込む愚民タイプなんだが、令和の支持率を聞いてさすがに違和感を感じたようだ。

そんなにいるとは思えない、それほど良い元号ではない、と言った。

発表当日テレビ画面に登場した涙を流して「すばらしい」と讃えている女性を見て、金日成広場で将軍を讃えている北朝鮮市民を連想したらしい。

やりすぎたようだぞ、安倍統一教会。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c10

コメント [経世済民131] 日産のEVが圧倒的販売量を誇るらしいノルウェーの月間新車登録台数、EVが初めて半数上回る(かいけつ ニュース&記事 速報 怪傑
1. 2019年4月03日 14:30:58 : ZabswqmlRs : WVBBbjJsNHlWTGM=[2]
雄安新区に無人配達車が登場 河北省
https://twitter.com/XHJapanese/status/1113058104445362177

ドイツのハノーバーで1日、世界最大規模の産業見本市「ハノーバーメッセ2019」の一般公開が始まった。目玉は第5世代移動通信システム(5G)ネットワークや人工知能(AI)。75の国と地域から6,500社が出展している。
https://twitter.com/XHJapanese/status/1113307599317786624

EV、5G、AI…
それからドローン、量子コンピュータだと思うなぁ…
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/786.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判(リテラ) 赤かぶ
11. 赤かぶ[8392] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:31:04 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3431]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/267.html#c11
コメント [原発・フッ素41] 世界で唯一、放射能汚染食品を食べ続ける国民! 買い物で注意する食品! 放射能汚染食品の簡単な見分け方 てんさい(い)
126. 2019年4月03日 14:32:18 : GwY0d2QM02 : VWpydFo1Uzl6NUk=[7]
絶対に買わない食品の表記
国産米使用、豚肉(国産)、鶏肉(国産)、国産小麦、、、
二人に一人がガンになるとの言い出しっぺ?のACジャパンは、
その役員が東電社長やらなんやら、原発ムラだらけで目からウ◉コ
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/240.html#c126
コメント [政治・選挙・NHK259] 腹立たしいほど悪運が強い安倍晋三! 赤かぶ
5. 2019年4月03日 14:38:47 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[259]
安倍晋三は別に運は強くないよ。日本はマスコミ以下多くの組織が腐っておりそれが安倍を立てているだけだよ。アメリカもそうだし。

この半歩前も安倍と同じ阿呆な歴史認識を信じているしな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/245.html#c5

コメント [経世済民131] 平成元年に新卒女子が直面した男性社会の壁、女性活躍30年後も道半ば ブランドに興味ない「ジェネレーションZ」が主役 うまき
3. 2019年4月03日 14:41:47 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[260]
女も年寄りもみんな働けというのが一億総活躍社会。これでは少子化は止まらない。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/768.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] <え〜〜〜>原発「必要」近畿46.5%=福井は52.8%−時事通信世論調査 :原発板リンク 赤かぶ
5. 2019年4月03日 14:47:14 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[261]
石坂浩二のCMがうるさい。また関電のCMのキャッチフレーズ、パワーウィズハートもうざい。そのコマーシャル料は実質マスコミの買収費。地域独占の電力会社に宣伝費は必要ないはず。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/240.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK259] 安倍首相アピール 令和の出典「初の国書」というマヤカシ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. 2019年4月03日 14:52:03 : MwqM2u5ylY : WmdFRGhUVFJRdkk=[229]
安倍の様な大学の講義さえ受けなかった人間、単位さえ取れない人間、自分の出た大学の成の字も真面に書けない、間違った字で色紙に「成長力」と書いたのは後世にずっと残る、云々をでんでんと読むような阿呆者が総理をしていること自体この国が異常なのだ。そんな人間が万葉集の中身を解説するなど馬鹿らしくて聞いていられない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/231.html#c21
コメント [カルト20] BJ・森友・NHKが野党批判報道。最早ゴミ売り産経並み、支持率調査も推して知るべしである。 ポスト米英時代
2. 2019年4月03日 14:52:14 : sErKmmx2tw : bGZWaFA4R2tqZFE=[1]
元JOCの竹田の息子が令和を予見してたと言うのもリークを裏付ける話として合点が行くだろう。
安倍のとりまきらへの元号事前リークは日銀をたぶらかし、国民の財産を食いつぶして金融崩壊に導く戦犯の存亡を掛けた選挙に向けた擬装支持率上昇対策として一か月前倒しで利用されたということだ。
大体誰でもおかしいと思うし、意図してわざと無視してるのかは知らないが、大概矢面に立つ盾役ひとりの思惑で悪政が動いているなんてことがあるはずは無いだろう。トランプ然り。トランプとは安倍は同列に取り上げるバカが絶えないが、トランプとは真逆で安倍は糸釣りオモチャ。安の文字を入れるというのは本人ひとりの執拗な願望によるというより、それを包括する組織全体の意志だろう。籠池氏の時に出てきただろう。日本会議の生駒を名乗るメールが。そこに悲願という言葉があっただろう。盾役の陰に隠れた中枢のパペットマスターの要請を聞いて動く連中が何かと云う事だ。貴乃花も一緒だ。そこにあるのは密儀に人の心を縛り操る思想がある。
正当な「令」の文字に隠れた真意とは人が神の言葉を聞くというものであるが、その神御意とは、横並びに人々が繋がり和をもって、畏敬の念を互いに持ち合い、正き真当な心にのみかしづかえるというものだ。それ以外の意味を流布してこれに対抗しようとするのでは、安倍らの利するところに適い、思うつぼではないか(笑)。
今回も案の定というか、あいかわらずというか、依然として連中らしく慌ただしく付け焼き刃の擬装工作ぶりが浮き彫りになってるのも神の御意あってのことだろう。それほど連中は最後らしく存亡に必死に奔走してると言うのが伝わってくる。
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/608.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK259] 当時の橋下市長に反論 4年前の発言から知る小西候補の気骨 ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[8393] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:54:58 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3432]









http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/268.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK259] 当時の橋下市長に反論 4年前の発言から知る小西候補の気骨 ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[8394] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:56:18 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3433]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/268.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK259] 当時の橋下市長に反論 4年前の発言から知る小西候補の気骨 ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[8395] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:56:54 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3434]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/268.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK259] 当時の橋下市長に反論 4年前の発言から知る小西候補の気骨 ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[8396] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:57:53 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3435]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/268.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK259] 共産宮本氏を野党統一候補支持は国民民主、自由、社民、社保。何故いない立憲。(かっちの言い分) 一平民
21. 2019年4月03日 14:58:34 : jPcAkMxGVg : QTFwRWNuSkVLMEk=[11]
ペンギン枝野は
日本の為に
突然死してほしい

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/236.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK259] 当時の橋下市長に反論 4年前の発言から知る小西候補の気骨 ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[8397] kNSCqYLU 2019年4月03日 14:58:36 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[3436]



http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/268.html#c5
コメント [戦争b22] 中台緊張!は「アメリカのせいだ」(ニューズウィーク) 赤かぶ
2. 2019年4月03日 14:59:40 : Zl0FNPXLFY : WUFLY2tXNHFqM1E=[1]
アメリカが台湾防衛にどれくらい資源をつぎ込むつもりなのかだな。
毎月軍艦を派遣して台湾海峡を通過するのもしんどいだろう。

止めた途端にどうなるか。台湾国内の世論は完全に二つに分かれている。
政府筋は中国に徹底抵抗だし退職者や軍公務員などはアメリカを非難する論調さえある。中国と平和条約を結び統一せよというのが本音だろう。中国大陸の論調は今の中国の実力をもってすれば台湾陥落など容易い問題はアメリカだけだというものだ。いずれにせよ、中国の戦略としてはアメリカを消耗戦に巻き込むつもりなのは明らかだな。

朝鮮半島もくすぶっているし、アジア地域での米軍の出費は増大する一方だな。当然だが日本に対する負担要求も増大するものと思われる。日本のみなさんは覚悟ができているのだろうか。

http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/591.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK259] あまりにお粗末だった新元号発表の段取り(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
3. 2019年4月03日 15:00:25 : IwH54j116U : bUxvMEJLN2tDc00=[56]
信じることは無根拠で良いためバカでもできる。
疑うことは検証や反証を必要とするため、知性が無ければできない。

本来なら小学一年生から疑うための教育を必要としているなか、疑うことは悪いことで、無条件に信じることばかりを教え込んでいる。

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/266.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK259] モーニングショー「羽鳥パネル」今日の最高傑作、元号が「令和」になるまでをパネルで解説(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
20. 2019年4月03日 15:05:46 : 3WeQLyRQrU : UlVtL2YxcGo0WE0=[16]
平成と令和をローマ字にして、先頭の1字を変えるとどうなるか?
自民党の2代に渡って続く天皇冒涜に他ならない。

HEISEI -> KEISEI
REIWA -> SEIWA

何のことはない。経世会から清和会に変わったのだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c20

コメント [原発・フッ素51] ますます深刻化する健康被害 (43) 2019年3月 人がどんどん亡くなる時代 新元号は令和より霊和がふさわしい  魑魅魍魎男
17. 茶色のうさぎ[-10429] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年4月03日 15:06:35 : yxiGI0FcOg : eUhTM1hpU0JrUHc=[1]

 うんむ♪ ボク? 李白が好きです。 海?山? 空いこよ♪ぷっ

本題: 空から、死の灰は? 廃炉まで、40年? 100年と思います。

 空へは、毎日10億Bq放出です。 ←マコさん💛追及♪ 排気筒

 海へは、毎日300トン行方不明、原水1億Bq/ℓ。 年間1京Bq以上流出と思います。驚愕

結論: 汚染は拡大してるのに、死の灰、、 ばか 帰宅すればー♪あほ うさぎ♂ 麦3


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/301.html#c17

コメント [原発・フッ素51] 凍える4月 マスコミは全く報道せず 温暖化はどうなった?  魑魅魍魎男
6. 2019年4月03日 15:07:32 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[180]
>>5
もう言っているよ。

「温暖化ばかりを偏向報道するマスコミ 「温暖化で寒くなる冬」という珍説も登場」
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/349.html

なかなか暑くならないものだから、寒冷化も異常気象もすべてCO2のせいにしている。
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/307.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK259] 露骨な新元号、新天皇の政治利用「令和」幕開けの異様<下>国家元首を気取る首相のセレモニーに全面協力する大メディア 赤かぶ
14. 2019年4月03日 15:09:09 : 3WeQLyRQrU : UlVtL2YxcGo0WE0=[17]
経世会の世から、清和会の世に代わることがそんなにおめでたいか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/213.html#c14
コメント [国際25] 飢える北朝鮮──ハノイ会談で非核化をけちったツケ(ニューズウィーク) 赤かぶ
4. 2019年4月03日 15:09:14 : Zl0FNPXLFY : WUFLY2tXNHFqM1E=[2]
俺たちがこんなに頑張って制裁しているのだから、飢えて欲しいw

まぁ中国とロシアの国境を封鎖しない限り無理だろうな。やれるものなら国境地帯を空爆したらどうなんだ。怖いからできませんってかw


http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/899.html#c4

コメント [近代史3] 赤川次郎 ふたり (松竹 1991年) 中川隆
1. 中川隆[-10989] koaQ7Jey 2019年4月03日 15:19:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1037]
尾道ロケ地巡り 〜 ふたり編 〜 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=PIFg2HWTSyo


2012/01/08 に公開

大林宣彦監督の映画「ふたり」。
公開から20年あまり経った尾道のロケ地を巡ってみました。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/317.html#c1

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