日銀副総裁を止めてやっと真実を言える様になった岩田規久男
2019年2月18日
インタビュー:脱デフレへ財政・金融協調を、増税撤回は不可欠=岩田前日銀副総裁
[東京 18日 ロイター] - 岩田規久男・前日銀副総裁は、ロイターとのインタビューに応じ、デフレ脱却には、10月に予定されている消費税率引き上げを撤回するとともに、国債発行を財源として若い世代に所得分配する財政拡大が不可欠と訴えた。財政と金融の協調によって財政資金を日銀がファイナンスし、お金が民間に流れ続けることをコミットすることで、デフレマインドの払拭が可能になると語った。インタビューは15日に行った。
<成長と再分配政策が不可欠、財政・金融一体で民間に資金を>
岩田氏は、日本経済の現状について「デフレ脱却の過程にある。しかし、いつ崩れるか分からないくらい弱々しい」との認識を示し、デフレからの脱却には、前回の2014年4月の消費増税から5年近くが経過しても低迷を続ける個人消費がポイントになると指摘した。
消費活動とインフレ予想が高まっていない中での10月の消費増税は「とんでもない」と撤回を求め、特に子育て世代を中心にした若年層の消費性向の低下と教育費負担の重さを問題視。消費増税とともに10月にスタートする教育無償化は「政策として正しい方向」としながら、「増税したお金を戻すに過ぎない。若い世代の可処分所得を増やすには、増税ではなく、成長と再分配政策を組み合わせることが不可欠だ」と主張した。
前回の消費増税の教訓から「日銀の金融超緩和政策だけではインフレ予想を上げることができず、2%の物価安定目標の達成に失敗する可能性が極めて高い」との認識を示し、「財政と金融が一致協力して、お金を民間に流すことを真剣に考えるべき」と強調。
資金需要が乏しい中、通常の銀行貸出を通じたルートでは「デフレ脱却を可能にするほどマネーストックを増やすことはできない」とし、「若い世代の実質的な所得を増やすには、国債を発行して、その国債を買った銀行から日銀が国債を買い、お金を彼らに流すしかない。増税ではないので民間からお金が吸い上げられず、必ず民間に流れていく」と語った。
こうした対応によって、若い世代を中心に「消費が増えれば、設備投資も増える」と述べ、「デフレマインドを払拭するには、日銀資金が政府から財政資金としてとうとうと流れ、これが恒久的に続くということにコミットすることが重要だ」と訴えた。
<国債買入増で量的効果も、財政ファイナンスは有効>
国債増発によって財政再建が遅れ、金利が上昇する懸念があるが、「日銀が現在のイールドカーブ・コントロール(YCC)政策の下で、金利が上がらないように自動的に国債をさらに買えば、量的緩和と同じ効果がある」と説明した。
そもそも日銀が国債買い入れ額を減らしているにもかかわらず、長期金利をゼロ%程度に誘導できているのは「予想インフレ率が低いからだ」とし、政府と日銀が一体となってフォワードルッキングな予想形成を促す「リフレ・レジーム」の必要性を強調した。
リフレ派の中には、変動相場制の下では財政政策よりも金融政策の方が有効などとするマンデル・フレミング理論を重視する声があるが、「14年度の消費増税の結果は、マンデル・フレミング・モデルが通用しなかったことを示している」と指摘。デフレ脱却に向けて、今こそ「金融政策と財政政策とが協力して財政資金を回すという本来のリフレ派の考え方に沿って、マネーストックを増やすべき時だ」と訴えた。
こうした対応は、日銀による財政資金のファイナンスとの批判が強まる可能性がある。岩田氏は「今の政策はすでに財政ファイナンス。これ以外にデフレから脱却できる方法はない」と述べ、物価2%目標が歯止めになるため「ハイパーインフレになる心配は、まったくない」との見解を示した。
一方で「これ以上、金利を下げたら銀行がバタバタとつぶれてしまう」とし、「日銀だけが一生懸命やっているが、財政は逆噴射しているのが実情であり、今は日銀の金融超緩和政策と積極財政の協調が不可欠」と繰り返した。
そのうえで、このまま消費増税を実施すれば「黒田東彦日銀総裁は、10年かけても物価2%が達成できなかった駄目な総裁で終わってしまう」と述べるとともに、今後は2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けたインフラ投資がほぼ終わり、設備投資や個人消費も期待できないと指摘。「安倍晋三首相も、景気後退の時に辞めることになりかねない」と政府・日銀に対応を促した。
https://jp.reuters.com/article/interview-boj-iwata-idJPKCN1Q70B3
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岩田規久男元・日銀副総裁の「正しい転向」2019-02-20
元・日銀副総裁の岩田規久男教授。大変、立派なインタビュー記事をロイターに載せていらっしゃいましたので、ご紹介。
何が立派かというと、過去の自説を「正しく変更」されたこと。
ちなみに、わたくしは過去のリフレ派なり、構造改革派なり、緊縮派なりが過去の自説を「正しく変更」された際には、素直に評価します。
「あの時、何言っていたんだ! 間違えていたことを国民に謝罪しろ!」
などとやっていた日には、普通にグローバリズムに負けます。グローバリズムは、国民を分断し、争わせることで自己利益最大化を図るのです。
これは、帝国主義時代の欧米諸国からの伝統です。
ついでに書いておくと、過去に間違っており、正しいことを言い始めた人に、
「お前、前に何言っていたんじゃ、こらっ! 謝罪しろや!」
などとやっていると、正しく転向したい人も二の足を踏んでしまいますよ。
まとも(経世済民という意味で)に転向なされた方は、ただ正しいことを言ってくれればそれでいいです。岩田教授が日銀副総裁時代に下記のような発言をなされなかったことを今更責め立て、謝罪の言葉を引き出したところで、日本の現実は変わりませんよ。
『インタビュー:脱デフレへ財政・金融協調を、増税撤回は不可欠=岩田前日銀副総裁
https://jp.reuters.com/article/interview-boj-iwata-idJPKCN1Q70B3
岩田規久男・前日銀副総裁は、ロイターとのインタビューに応じ、デフレ脱却には、10月に予定されている消費税率引き上げを撤回するとともに、国債発行を財源として若い世代に所得分配する財政拡大が不可欠と訴えた。財政と金融の協調によって財政資金を日銀がファイナンスし、お金が民間に流れ続けることをコミットすることで、デフレマインドの払拭が可能になると語った。インタビューは15日に行った。 (後略)』
長いインタビューなので、岩田教授の発言のポイントをご紹介。
岩田教授は、日本のデフレ脱却のためには低迷を続ける「個人消費」がポイントになるとして、10月に予定されている消費税増税については、「とんでもない」
と、撤回を求め、増税すると同時に教育無償化をしたところで、
「増税したお金を戻すに過ぎない。若い世代の可処分所得を増やすには、増税ではなく、成長と再分配政策を組み合わせることが不可欠だ」
と、主張されました。
さらには、
「日銀の金融超緩和政策だけではインフレ予想を上げることができず、2%の物価安定目標の達成に失敗する可能性が極めて高い」
「財政と金融が一致協力して、お金を民間に流すことを真剣に考えるべき」
と強調されましたので、過去の自説(コミットメント理論)を完全に撤回されたことになります。
過去の岩田教授の理論については、ここで詳しく解説していますので、ご興味がある方はどうぞ。
【三橋TV第49回【デフレは貨幣現象ではありません】 】
さらには、「資金需要」が乏しい状況では、通常の銀行貸し出しのみではデフレ脱却に十分なマネーストック増加はなく、
「若い世代の実質的な所得を増やすには、国債を発行して、その国債を買った銀行から日銀が国債を買い、お金を彼らに流すしかない。増税ではないので民間からお金が吸い上げられず、必ず民間に流れていく」
と、これまた実に正しいことを主張。
また、昨日のわたくしのエントリーにもある、「日銀の量的緩和の抑制」についても触れ、日銀がMBを増やしていないにも関わらず、金利が「超」低迷していることを受け、
「予想インフレ率が低いからだ」
と説明。それはまあ、銀行が「将来もインフレにはならない」と予想している以上、金利は上がりません。つまりは、日本は未だにデフレなのです。
「14年度の消費増税の結果は、マンデル・フレミング・モデルが通用しなかったことを示している」
「金融政策と財政政策とが協力して財政資金を回すという本来のリフレ派の考え方に沿って、マネーストックを増やすべき時だ」
「今の政策はすでに財政ファイナンス。これ以外にデフレから脱却できる方法はない」
「ハイパーインフレになる心配は、まったくない」
「これ以上、金利を下げたら銀行がバタバタとつぶれてしまう」
「日銀だけが一生懸命やっているが、財政は逆噴射しているのが実情であり、今は日銀の金融超緩和政策と積極財政の協調が不可欠」
はい、全てその通りでございます。
ちなみに、マンデルフレミングモデルとは、2013年の時点からわたくし共が批判を繰り返していましたが、国債発行が金利を引き上げ、円高になり、輸出が減るため、財政出動によるGDP増加分を相殺してしまうという、新古典派経済学の「机上の理論」です。
国債発行が金利を引き上げ、民間投資が減るという「クラウディングアウト理論」と裏表になっているわけですが、MFだろうがクラウディングアウトだろうが、デフレで資金需要が乏しい時期には成立しないと、わたくし共が主張し、当時は散々に批判されたわけですが(経済学の教科書を読め、とか(爆笑www))、どちらが正しかったのか、もはや誰の目にも明らかでしょ。
ところで、別に岩田教授の正しい転向にケチをつけたいわけではないですが、重要な点を指摘しておきたいと思います。
それは、MB(マネタリーベース)はもちろん、MS(マネーストック)の増加ですら、GDP(需要)拡大に結び付くとは限らない、という点です。
【日本のマネタリーベースとマネーストック(左軸、億円)と貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_62.html#kaheijousuu
上記の通り、MBを増やす量的緩和は、MSを十分には増やさず、貨幣乗数が2倍という歴史的な低水準に落ち込んでしまっています。
とはいえ、マネーストックが「増えた」のは確かなのです。金額でいえば、13年3月から19年1月まで約383兆円増えています。
それでも、需要は拡大していない。
理由は簡単で、民間の銀行からの借入や、政府の国債発行は、間違いなく「MS」を増やしますが、需要=GDPになるとは限らない、ためです。
政府が国債発行で資金調達し、例えば一人10万円の給付金として国民に配ったとします(借り入れた日銀当座預金は、そのままでは支出できませんが、本日は細かいおカネの動きは省略)。
10万円の銀行振り込みを受けた国民が、
● そのまま預金し、消費に回さなかった
場合は、GDP拡大効果は限定になります。
商品券でもダメです。10万円の商品券を配り、
● 国民が商品券を全て消費に使ったが、その分、稼ぐ所得が浮いたので、10万円の預金を増やした(厳密には所得を使わなかった)
ケースでも、GDP拡大は限定的です。
要は、財政ファイナンスで政府が資金を調達するのはいいとして、確実に「需要」になるように支出しなければならない、という話です。
別に、公共事業だけやれとは言いません。防災インフラ、交通インフラの建設はもちろん、医療・介護サービスの充実、防衛費増強、科学技術投資の拡大、教育サービスの充実、食料安全保障強化など、「仕事」が生まれる形で政府が支出をすれば、その分、確実にGDPが増えます。(さらには、仕事の所得が増えた人が消費を増やし、乗数効果が発生)
加えて、日本国民が「仕事」をすることで、散々に破壊された供給能力(経済学用語でいう「潜在GDP」)を高め、日本の経済力を強化することが可能になるのです。
経済力とは、おカネの量ではありません。モノやサービスを生産する力(供給能力)の合計こそが、国家の経済力なのです。
公共投資を拡大したところで、土木・建設の供給能力が毀損し、人手不足が深刻化するだけだ。供給制約ガーッ、って、アホか! 供給能力が散々に傷んだからこそ、政府は「仕事」を安定的に増やしていき、中長期的な供給能力の拡大を目指さなければならないのです。
まあ、細かい話は色々とありますが、とりあえずわたくしは「コミットメント理論」「MFモデル」を否定し、「財政ファイナンス」「積極財政」「消費増税の撤回」を主張され、正しく転向された岩田教授を評価します。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12441454932.html
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岩田 規久男(いわた きくお、1942年10月3日 - )は、日本の経済学者。学位は経済学修士(東京大学、1969年)[1]。上智大学・学習院大学名誉教授[2]。前日本銀行副総裁。
専門は、金融論・都市経済学。
小宮隆太郎の弟子。リフレ派経済学者の第一人者として知られており[3][4][5]、学習院大学教授時代、積極緩和派の急先鋒として鋭い弁舌で知られていた[6]。
また日本銀行に批判的な論客として知られていた[7]。
日銀の国債買いオペレーション[8][9][10][11][12]、インフレターゲット[9][13][14]、日銀法改正[14][15][12]、規制緩和[16]を主張している。
岩田が主催する「昭和恐慌研究会」では、日本の昭和恐慌の原因について研究している[17]。
経歴
大阪府出身。東京都立小石川高等学校、東京大学経済学部卒業。
東大卒業後、都市銀行に就職したが4カ月で退職し、東大大学院へ進学。
1973年東京大学大学院経済学研究科博士課程退学。上智大学経済学部専任講師に就任。
1976年に同助教授に昇格、1976年から1978年までカリフォルニア大学バークレー校客員研究員、1983年に上智大学経済学部経済学科教授に昇格。
1998年に上智大学を退職後、上智大学名誉教授の称号を受け、学習院大学経済学部教授に就任。2004年サセックス大学社会学部客員研究員、2004年から2005年までオーストラリア国立大学アジア研究学部日本センター及び日豪研究所客員研究員。2007年から2008年まで学習院大学経済学部長。2009年から2010年までオタゴ大学経済学部客員研究員、2010年チュラロンコン大学経済学部客員研究員。
2013年3月末で学習院大学を退職。2013年3月20日、日本銀行副総裁に就任。
2018年3月19日、日本銀行副総裁を退任[18]。
専攻は、都市経済学(土地・住宅問題)。
この分野では所謂マルクス経済学者との地価論争や[19]マクロの金融政策の議論にも加わり、国際経済学の小宮隆太郎の論争(1973年-1974年にかけてのインフレーションを巡る日本銀行との間の論争)を見た岩田自身も、後に同様の論争(マネーサプライ論争)の当事者となっていく。
放送大学客員教授として「金融論」の主任講師を担当した。政府各種委員会委員・参与等も務めた。
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主張
金融政策について
日本の金融政策について「金融政策でデフレからインフレに変える力があるというのは少数派だった。20年くらい言っているが、そういう政策は採用されなかった。それが安倍晋三総理によって採用された」と述べている[20]。
バブル崩壊前後から「金融政策は資産価格を目標として運営してはならない」「株価でバブルが起こっているとしても、インフレ率が目標の範囲内であれば金融引締めを行なってはいけない」と主張していた[21]。
日本銀行について
岩田は「日本がデフレから脱却できない責任は日本銀行にある」と日銀批判の急先鋒に立ってきた[22]。岩田は、物価上昇率目標を中期的に達成することが「日銀の義務」と強調している[23]。
岩田は「よく、『何もかも日銀のせいにしている』と批判されるが、よく考えてみると、世の中で起きている問題の多くは、元をただせばやはり日銀のせいだと言える。少子化、非正規社員の増加、企業倒産の増加、国の税収が増えないことなどは、デフレや円高で不況が続いたのが原因。日本の自殺者が3万人台になっている状況も、このことと無関係ではない。実証研究したところによると、自殺の一定割合以上は経済的要因が原因だとわかっている。そう考えると、日銀の責任は重大だと言えないか」と述べている[24]。
岩田は「日銀は金融緩和に踏み切ろうとしないのか。それは、日銀が1980年代に行った量的緩和がバブル経済を醸成し、その崩壊によって、2012年現在も続く長期停滞の原因になったと、考えているからである。ここまで頑なに金融緩和を拒むスタンスを見ていると、日銀内部では、量的緩和によってバブルを招くくらいなら、デフレのままでいた方が良いという考え方が蔓延しているとしか思えない」と述べている[25]。
日銀の「中長期的な物価の目途(price stability goal in the medium to long term)」について「インフレーション・ターゲティングやFRBの金融政策と比較すると、コミットメントなき目途で、デフレ脱却の金融政策からは、依然として距離が遠い」と指摘していた[26]。
日銀の国債の直接引き受けには否定的であるが、2009年現在の経済状況がここまでくると、日銀の直接引き受けをしてもいいのではないかと述べている(財政法第5条但書を根拠としていると思われるが、但書の法趣旨は国会の議決を経た金額の範囲内の国債借り換えに限り応ずることができるに留まり、岩田の主張は妥当性を欠く)[27]。2011年の時点で、日本銀行が国債を直接引き受けてもハイパーインフレにならないと主張していた[28]。
潜在成長率について
潜在成長率については、岩田は「金融政策は需給ギャップを埋めることはできるが、潜在成長率を引き上げることはできない。潜在成長率を引き上げる政策手段は政府が持っている」と指摘している[29]。
消費税増税について
2014年4月の消費税率8%の引き上げが、予想インフレ率に与える影響について「安倍総理の増税実施の決断は、インフレ期待に影響を与えていない」と述べている[32]。
消費税率の10%への引き上げについては「一般論として、国全体として中期的に財政健全化を進めて、財政運営に対する信認を確保することは重要な課題だ」と指摘。その上で、安倍首相が「経済情勢を慎重に見極めて適切な判断をされると思う」と語った[33]。
物価目標について
2013年3月5日国会での所信聴取に臨み、2%の物価目標の達成について日銀が全面的に責任を持つ必要があるとした上で、今後2年間で目標を達成できない場合は辞職する意向を示した[34]。物価目標が達成困難となった2014年10月28日議院財政金融委員会で、就任前に2年程度で2%の物価目標が実現できない場合は辞職すると発言したことについて、深く反省している、と語った[35]。2015年11月現在、副総裁。
関わった論争
マネーサプライ論争
岩田の名を有名にしたのは、日本銀行の翁邦雄らとの間に起こした「マネーサプライ論争(岩田-翁論争[4]/翁-岩田論争[5])」である。
日本銀行が、従来からマネタリーベース(ハイパワードマネー)の能動的な意味での操作性を否定し(「積み進捗率」の幾分の調整については可能とした)、なかんずくマネーサプライの管理を否定し続けたのに対し、岩田はその操作が可能であることを主張し[5]、80年代末のバブル膨張とその後のバブル崩壊についての責任を逃れようとする日本銀行を批判した。
このように、マネーサプライは操作可能だという岩田と、操作できないという翁による論争は、『週刊東洋経済』(東洋経済新報社)誌上で行なわれた。植田和男は、「短期では難しいが、長期では可能」という「裁定」を下したが、ジャーナリストの川北隆雄によれば、植田の「裁定」は「学界や民間エコノミストなどからはあまり支持されたとはいえない[37]」という。
マネーサプライ論争における岩田の主張は、
マネタリーベース(ハイパワードマネー) × 信用乗数(貨幣乗数) = マネーストック(マネーサプライ)
という恒等式において、左辺のマネタリーベースから右辺のマネーサプライへの因果関係があり、かつ信用乗数は比較的安定しているから、日本銀行がハイパワードマネーを増やせばマネーサプライは増える、というものであった[38]。
一方、翁の主張は、日本銀行が所要準備の後積みを行っているという観察事実に基づくものであり、岩田が用いた上述の恒等式において、信用乗数には乗数の意味はなく、マネーサプライとマネタリーベースとの事後的な比率に過ぎない、とした。その上で、市中銀行の貸出し態度によってマネーサプライの大きさが決まり、それに見合うように日本銀行はマネタリーベースを受動的に供給するしかなく、マネーをコントロールすることはできない、と主張した[39]。
岩田の主張のうち、信用乗数の安定性については、1992年頃には約13だった信用乗数が、以後大きく低下し続けている(2000年以降は10を切り、さらに2001年には8を切り、2012年には6を切った)ことで、実証的に否定された。したがって、この論争が時間がたつにつれて、岩田の主張は間違いであったこと、翁の議論が正しかったこと、さらに植田の「裁定」が不適切であったことが、より明確になってきた。[要出典]
その後、実際に大規模な金融緩和による前代未聞のマネタリーベースの増加が黒田日銀によってなされた。2018年現在、マネタリーベースとマネーサプライは信用乗数が場合によっては大きく低下することにより比例関係にはないものの[40]、正の相関関係があることが示されている。すなわち、岩田自身が参画したマネタリーベースを劇的に上げる金融政策によって、マネーサプライは操作可能だという岩田の主張は証明されたといえる。ただし、デフレ脱却については、消費税増税などの日銀とは管轄の違う因子によりうまくいっていない。黒田東彦の記事を参照。
ゼロ金利政策・量的緩和・インフレ目標
マネーサプライ論争の後も政府日銀の経済政策に疑義を呈し続けた岩田は、橋本政権下の政策混乱と時期を同じくするデフレーションの経済下において、日銀に非伝統的な金融政策(ゼロ金利政策・量的緩和)の導入を強く主張した、いわゆるリフレーション政策陣営の実質的な旗頭としての役割を担った。岩田は著書『デフレの経済学』において、これまでの経済学があまり想定してこなかったデフレーションという現象を一般大衆に分かりやすく説き、かような状況から日本経済を救う為には、日銀による長期国債の買い切りオペや、人々の期待に働きかけるべくインフレターゲットを設定する必要があるということを主張した。このような認識は、ポール・クルーグマンやベン・バーナンキといった世界で著名な経済学者や、浜田宏一や原田泰、竹森俊平、伊藤元重、野口旭、若田部昌澄といった国内の経済学者の間でも共有され、日銀理論と対抗する一大基軸となったのである。
岩田規久男の「期待を変化させる金融政策」について、小宮隆太郎は「期待の変化が波及するルートが不明である」と指摘している[41]。岩田の恩師であり、かつて日銀理論を鋭く批判した小宮は、『金融政策論議の争点-日銀批判とその反論』で「日銀への嫌がらせ」などとインフレターゲットや量的緩和の効果を否定しており、岩田が編著者となった『金融政策の論点―検証・ゼロ金利政策』に収録された「百鬼夜行の為替・金融政策議論を正す」の中で「私は、現在の金融政策はほぼ100点だと思う」(p.15)と述べた上、「見当はずれの日銀バッシング」の中では「不況脱出に必要なことは(中略)構造改革・規制緩和を積極的に進めること」(p.62)と主張しており、岩田の主張には批判的であり、岩田自身も小宮同様「構造改革・規制緩和を積極的に進めること」は必要であるがまずはデフレをとめることが先決と解釈している[42]。
また、小宮門下で日本銀行の審議委員を務める須田美矢子も、ヘリコプター・マネー政策はハイパーインフレーションを招き、国民は「極端な場合には物々交換をするような状態になることすらあり得ないことではありません」と述べて岩田に批判的なスタンスをとっている[43]。
確かに、「いくら金融を緩和しても需要がないから物価は上がらずデフレ対策にはならない」といいつつ、同時に「金融を緩和するとハイパーインフレを招く」とする日本銀行の矛盾した姿勢には、日本銀行に好意的な研究者からも疑問の声が上がった[44]。だが、岩田らの求めた非伝統的な金融緩和策に対しても疑問の声はある。その1つは、原理的には正しいとしても政策として使えるのかという点である。もし、日本銀行がいうように、日本銀行がいくら金融を緩和しても物価が上がらないとするなら、日本銀行はお札をどんどん刷ることによって世界中のありとあらゆる資産を買い漁ることができるはずだ。しかし、そんなことはあり得ない。いつかは必ずお札の価値は下落する。つまり、物価が上がるわけである。論理的に考えれば、この推論に間違いはない。だが、問題は「いつか物価が上がる」といっても、一体いつなのか、どれぐらい金融を緩和すればよいのか見通しが立たないことである。
例えば、翁は、岩田ら経済学者の提案は、原理原則としては正しいとしても政策としては使えないだろうと批判している[45]。ただしそうしたインフレを抑えるためにインフレターゲット政策がNZを始め他の国では導入されているため当該指摘について岩田自身は反論と解釈していない。 また、物価が上がらないうちは日本銀行と政府を併せた広義政府部門が、通貨発行益をインフレというペナルティ無しで享受できるわけであり、財政支出を通貨発行益で賄えば将来の金利負担の恐れなく財政健全化が達成できることになり、いずれにせよ国民の利益となる政策であるから反対する理由とはならないとの再反論がなされている[46]。実際には、通貨発行益を用いた広義政府部門の支出による超過需要がまさに物価を上昇させる経路となるため、速やかに物価が上がると予測される[47]。
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評価
岩田自身の考え方は、かつての師と同じくマネタリスト的と評されることが多く、財政政策の有効性や金融政策の裁量というものに一定の理解を示していることから、ニュー・ケインジアン的な立場に接近していると捉える。
多くのリフレ派の経済学者たちや反デフレ議員連盟の主要メンバーらは岩田を英雄と称えている[48]。
他方で、麻生太郎財務大臣は岩田が副総裁就任前に物価安定目標2%について「2年で達成できる」と述べたことについて「20年続いた一般人の気持ち(デフレ期待)がいきなりインフレに変わるのは、そんなに簡単にはいかない」という認識を示した上で「私自身は『やっぱり学者というのはこんなものか、実体経済がわかっていない人はこういう発言をするんだな』と正直思った」と述べている[49]。
また、前原誠司「次の内閣」財務大臣は、岩田の主張は物価上昇のためには何でもやるという「物価上昇至上主義」と指摘し、岩田が政府に総裁解任権を付与する日銀法改正を主張していることを挙げ「相入れない」と副総裁起用に反対した理由を説明している[50]。尚、岩田が主張している日銀法の改正において、日銀が目標物価からの乖離した場合の責任は「文書での説明責任」であり「総裁解任権」は主張していない[51]。
副総裁人事案
2013年2月28日、政府は、衆参の議院運営委員会理事会に、同氏を次期日本銀行副総裁の候補者とする人事案を正式に提示した[52]。
2013年3月12日、民主党は政府が提示している次期日銀正副総裁人事案について、黒田東彦総裁候補と中曽宏副総裁候補に同意する一方、岩田には反対することを正式に決めている[53][54]。岩田を不同意としたのは「リフレ政策に一線を画す」ことに加え、解任権を含む日銀法改正は「とても飲める案件ではない」「日銀の独立性の観点から不適切[55]」との結論に達したためだとしている[53]。そのほかに生活の党、みどりの風、社会民主党、日本共産党も岩田に反対する方針を決定している[56]。社民党は「岩田氏のリフレ論に懸念を持つ」と説明している[56]。対照的にみんなの党は、物価目標を達成できなかった場合の責任に言及した岩田に賛成することを決めている[56]。
2013年3月15日午前の参院本会議で日銀副総裁人事案を自由民主党、公明党、みんなの党など各党の賛成多数で可決した[57]。採決結果は投票総数220、賛成124、反対96だった[57][58]。国会は日銀副総裁に岩田を起用する同意人事を承認した[57]。
賛否
政党
○ 自由民主党、公明党、みんなの党、日本維新の会、国民新党、新党改革
× 民主党、生活の党、日本共産党、みどりの風、社会民主党
日銀副総裁として
2013年3月20日、日銀副総裁に就任。 副総裁として実務を担って岩田は「外部にいたときは金融政策の観点でしか日銀をみていなかったが、信用秩序の維持がなければ物価の安定もできない。そのためには様々な人々の仕事、下支えがある。日本銀行の実務に対する理解を深めつつある状況だ」と述べている[59]。
2013年10月4日、投資助言会社アブラハム・プライベートバンクのグループが運営するウェブサイトに、日銀副総裁就任前の岩田のインタビュー記事が掲載されていたことについて、日銀は、岩田が「インタビュー以外の関係はない」「謝礼などは一切受け取っていない」と説明していることを明らかにした[60]。
2013年11月7日、参院財政金融委員会で民主党の尾立源幸が「副総裁になって歯切れが悪くなった」と批判したのを受け、岩田は「学者として言う場合にはマーケットに影響を直接与えることは心配する必要がなくて何でも話せた」と説明し「副総裁の立場になると様々な臆測をマーケットに呼んでしまって色々反応する。それがかえって金融政策上2%の物価安定目標を達成する障害になる」と述べている[6]。岩田は「友人の中には、『日銀に取り込まれたのではないか』と心配する人もいるが、これまでの主張はまったく変わっていない」と述べている[61]。
2014年5月26日、都内での講演で岩田は「(日本の)潜在成長率の強化が進まなければ、物価安定目標の達成は『マイルドなインフレ下における低成長』をもたらす可能性がある」と述べた[62]。
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著書
単著
『土地と住宅の経済学』(日本経済新聞社, 1977年)
『入門経済学』(東洋経済新報社, 1987年)
『日経を読むための経済学の基礎知識』(日本経済新聞社, 1988年/新版, 1990年/第3版, 1994年)
『土地改革の基本戦略』(日本経済新聞社, 1988年)
『インフレとデフレ-不安の経済学』(講談社〈講談社現代新書〉, 1990年)
『間違いだらけの経済常識--経済学が暴く俗説のウソ』(日本経済新聞社, 1991年)
『ストック経済の構造』(岩波書店, 1992年)
『ゼミナールミクロ経済学入門』(日本経済新聞社, 1993年)
『金融政策の経済学--「日銀理論」の検証』(日本経済新聞社, 1993年)
『金融入門』(岩波書店〈[岩波新書〉, 1993年/新版, 1999年)
『経済学を学ぶ』(筑摩書房〈ちくま新書〉, 1994年)
『日本経済の神話--「常識」のベールをはぐ』(日本経済新聞社, 1995年)
『国際金融入門』(岩波書店〈岩波新書〉, 1995年/新版, 2009年)
『日本型平等社会は滅ぶのか--円・土地・デフレの経済学』(東洋経済新報社, 1995年)
『嘘ばっかりの「経済常識」』(講談社〈講談社+α文庫〉, 1996年)
『マクロ経済学を学ぶ』(筑摩書房〈ちくま新書〉, 1996年)
『基礎コース マクロ経済学』(新世社, 1997年/新版, 2005年)
『金融法廷--堕落した銀行 堕落させた大蔵省』(日本経済新聞社, 1998年/〈日経ビジネス人文庫〉, 2000年)
『金融』(東洋経済新報社, 2000年)
『ゼロ金利の経済学』(ダイヤモンド社, 2000年)
『デフレの経済学』(東洋経済新報社, 2001年)
『スッキリ!日本経済入門』(日本経済新聞社, 2003年)
『日本経済を学ぶ』(筑摩書房〈ちくま新書〉, 2005年)
『日本経済にいま何が起きているのか』(東洋経済新報社, 2005年)
『「小さな政府」を問いなおす』(筑摩書房〈ちくま新書〉, 2006年)
『そもそも株式会社とは』(筑摩書房〈ちくま新書〉, 2007年)
『経済学への招待』(新世社, 2007年)
『景気ってなんだろう』 (筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉, 2008年)
『金融危機の経済学』(東洋経済新報社, 2009年)
『世界同時不況』(筑摩書房〈ちくま新書〉, 2009年)
『日本銀行は信用できるか』 (講談社現代新書, 2009年)
『「不安」を「希望」に変える経済学』(PHP研究所, 2010年)
『初歩から学ぶ金融の仕組み』(左右社〈放送大学叢書〉, 2010年)
『経済学的思考のすすめ』(筑摩書房〈筑摩選書〉,2011年)
『デフレと超円高』(講談社現代新書, 2011年)
『福澤諭吉に学ぶ 思考の技術』(東洋経済新報社, 2011年)
『経済復興:大震災から立ち上がる』(筑摩書房,2011年)
『ユーロ危機と超円高恐慌』(日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉,2011年)
『インフレとデフレ』(講談社〈講談社学術文庫,2012年)※『インフレとデフレ-不安の経済学』を加筆修正したもの。
『日本銀行 デフレの番人』(日本経済新聞出版社,2012年)
『リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済』(PHP研究所,2013年)
共著
『企業金融の理論--資本コストと財務政策』(日本経済新聞社, 1973年)
『金融』(東洋経済新報社, 1983年)
『財政と金融』(放送大学教育振興会, 1986年)
『金融論』(放送大学教育振興会, 1991年/第2版, 1999年/第3版, 2004年)
『土地税制の理論と実証』(東洋経済新報社, 1993年)
『デフレ不況の実証分析-日本経済の停滞と再生』(東洋経済新報社, 2002年)
『日本再生に「痛み」はいらない』(東洋経済新報社, 2003年)
『ゼミナール経済政策入門』(日本経済新聞社, 2006年)
編著
『金融政策の論点--検証・ゼロ金利政策』(東洋経済新報社, 2000年)
『まずデフレをとめよ』(日本経済新聞出版社,2003年/新版, 2013年)
『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社, 2004年)
共編著
『日本経済研究』(東京大学出版会, 1988年)
『住宅の経済学』(日本経済新聞社, 1997年)
『デフレ不況の実証分析--日本経済の停滞と再生』(東洋経済新報社, 2002年)
『失われた10年の真因は何か』(東洋経済新報社, 2003年)
『リフレが日本経済を復活させる』(中央経済社,2013年)
論文
日本再生に「痛み」はいらない - 日本経済モデル研究分科会 2004年1月31日
岩田規久男 【日本再生の鍵は日銀法を改正にあり(PDF)】 - 国家ビジョン研究会シンポジウム 2011年11月24日
なぜ、日本銀行の金融政策では デフレから脱却できないのか - 成城大学 経済研究所年報 25号 2012年4月
岩田規久男、原田泰「金融政策と生産:予想インフレ率の経路」政治経済学術院 No.1202 2013年3月
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E8%A6%8F%E4%B9%85%E7%94%B7