160. 2018年9月27日 00:01:54 : yS5XGtozkA : mklQijw2vE4[-1021]
民族主義者と=ロシア(特に=プーさん)とは、こういう関係^^
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チェチェン紛争
チェチェン紛争 とは
http://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89
チェチェンはグルジアに隣接する人口約80万、日本の四国ほどの大きさのイスラム系住民が中心の共和国。首都はグロズヌイ。旧ソ連時代には石油を年間400万tほど産出し、交通、運輸、地政学上の要衝の地にある。チェチェン人は19世紀以来ロシアの支配に対して激しく抵抗した。
チェチェン紛争(チェチェンふんそう)は、ロシア連邦の北カフカース地方に位置するチェチェン共和国における、ロシア連邦軍と独立派武装勢力との紛争。
出典
チェチェン紛争 - Wikipedia
紛争の舞台となっているチェチェンは、16世紀のイワン雷帝の時代から帝政ロシアの侵略を受け、19世紀にロシアに併合された地域。もともとは人種、言語ともロシアとは異なる(現在のチェチェン人の多くはロシア語も話す)。併合後、現在にいたるまで、石油、農畜産物、兵役など、ロシアが必要とするさまざまな資源の供給源となってきた。
1991年11月、チェチェン出身のジョハル・ドゥダーエフ空軍少将を中心とするチェチェン民族会議が、ソ連邦からの独立を宣言した。そ れ以来、チェチェンは事実上の独立状態にある。この独立運動は、長年の植民地支配に対する異議申し立てだったが、94年にロシア軍が武力侵攻で応じたため、戦争(第一次、第二次チェチェン戦争)となった。この戦争で、およそ100万人のチェチェンの人口のうち、8万人から10万人が死亡したと言われている。
96年にいったん戦争は終わった。このとき結ばれた「ハサブユルト和平合意」では、チェチェンの独立は5年後の2001年にふたたび検討されるはずだったが、99年にロシア側は合意を無視し、二度目の武力侵攻(第二次チェチェン戦争)を開始した。前回以上に無差別かつ大規模な、チェチェンの民間人への攻撃が続いており、隣国のイングーシ共和国では、当初25万人、現在も5万人のチェチェン人が難民生活を続けている。親ロシア派、独立派が共に認める数字によれば、94年以来、10年間つづいているこの戦争の死者は20万人以上にのぼり、その多くは民間人である。
この戦争を続けているために、 チェチェンはもとより、ロシア国内もさまざまな混乱に見舞われ続けている。 チェチェン側による、市民を巻き添えにする自爆攻撃だけでなく、 ロシア政府・情報機関が関与していると見られる「テロ」も相次ぎ、 チェチェン問題を利用したロシア連邦の中央集権化も進められている。
http://chechennews.org/basic/whatis.htm
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http://www.asyura2.com/18/senkyo251/msg/180.html#c160