3.11から7年。放出された放射性物質はどこに行ったのか? 放射能汚染の「その後」(前編)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56504
2018.09.01 雨宮 崇 日本科学未来館 科学コミュニケーター 現代ビジネス
2011年3月に発生した、東日本大震災とその後の福島原発事故。 それによって放出された放射性物質は、事故から7年以上が経過した今、どこに、どれだけあるのでしょうか。 日本科学未来館では、2018年3月10日に研究者を招いてシンポジウムを開きました。そこで研究者が語った内容のうち、大気や陸地、海洋に関する知見をまとめました。 シンポジウム登壇者: 中島映至(国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 地球観測研究センター) 恩田裕一(筑波大学 アイソトープ環境動態研究センター) 山田正俊(弘前大学 被ばく医療総合研究所) 信濃卓郎(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構) ※本稿は登壇者のプレゼンテーションをまとめたものです |
8割が海に、2割が陸に飛散した
事故によってどれほどの放射性物質が放出され、その後どこにどれくらいの量が飛散して、今はどこにあるのか。これを解明するための研究は、事故直後から続けられてきました。
多くの研究者がさまざまな観測によりデータを取るとともに、時間的にも空間的にも限られた観測データを補完するため、コンピュータ上でモデル計算を重ねて、放射性物質の動きをとらえ、原発事故と汚染状況の全貌を解明しようとしています。
原発から放出された放射性物質の行き先と総量
2011年3月以降、原子炉建屋の水素爆発やベント作業により、炉内にあったさまざまな放射性物質が放出されました。
半減期が約30年と長く、最も考慮すべき放射性物質の1つであるセシウム137の量でみると、事故により15〜20PBq(ペタべクレル:「ペタ」は10の15乗)が大気中に放出されたと推定されています(Aoyamaほか,2016)。
大気中に出た放射性物質は、風に乗って遠くまで運ばれ、最終的にその大部分である12〜15PBq(約8割)が海上へ、3〜6PBq(約2割)が陸上へ降下したと推定されています。
原子炉から海への放射性物質のおもな漏洩経路には、大気経路の他に、もうひとつ汚染水として原発から直接漏洩するものがあり、その量は3.6±0.7PBqと見積もられています。
すなわち、原子炉から海へは、15〜18PBqもの放射性セシウムが放出されたと考えられています。
これはどのような大きさなのでしょうか?
そもそも核実験由来の放射性物質があった
原発事故前にも、海洋には放射性物質が存在していました。1950〜1960年代に行われた大気圏内核実験由来のものです。
北太平洋の人工放射能濃度の推移
(Aoyama and Hirose, 2004, HAM database and updateのデータをもとに日本科学未来館が作成)
表面水中のセシウム137の濃度は、1960年代をピークにして徐々に低くなってきていました。
そして福島原発事故の直前には、1m³あたり1〜2Bqほどで、北太平洋全体では、約69PBqが存在していたと見積もられていました(Aoyamaほか,2016)。
そこにあらたに15〜18PBq追加されたので、この事故によって北太平洋のセシウム137の総量は、22〜27%増加したことになります。
では原発事故後、海洋に取り込まれた放射性物質の行方について見ていきましょう。
薄まりながら広がり、東へ流れた
海水表面の放射性物質の分布を知るためには、広域における調査が必要でした。そこで研究機関の観測船以外にも、貨物船などが協力し、2011年3月から2012年12月までに、440地点で観測が行われました。
北太平洋での観測地点(Aoyamaほか,2016)
まず、表面水中のセシウム134濃度を見てみます。
事故から3ヵ月ほどの間は、日本近海で比較的高い数値が観測されました。その後、10Bq/m³の濃度が観測された地点を追うと、事故後半年後に東経165度、さらに3ヵ月後になると東経170度……というように、徐々に東に移動していることがわかりました。
表面水のセシウム134濃度の経年分布(実線はおおよそ10Bq/m³の部分)(Aoyamaほか,2013)
また、それらの観測値と海流モデルなどを組み合わせ、放射性セシウムの拡散シミュレーションも行われました。
その結果を見てみると、放出された放射性セシウムは、薄まり広がりながら東側に流れていき、事故から4〜5年後の2015〜2016年にアメリカ西海岸付近に到達したことがわかります。
原発由来の放射性セシウムの拡散シミュレーション(丸印は実測値)(Tsubonoほか,2016)
動画→https://www.facebook.com/kodanshablue/videos/240942656614522/
北太平洋の表面海水に存在するセシウム137の量は、約8PBqと見積もられています。海洋に放出された総量が15〜18PBqと推定されているので、およそ半分が表面海水に存在し、薄まりながら東へ移動したといえます。
また、その移動速度は約7km/日。その速度は日付変更線を超えたあたりから遅くなり、約3.5km/日程度になったと見積もられています。
沈み込んで南下していった放射性物質も
放射性物質は表面水中だけに残っているわけではありません。ここまで、海流の水平方向の移動により拡散する放射性物質の様子を見てきましたが、海流の中には、深さ方向にももぐりこみ循環している「モード水」と呼ばれるものもあります。
たとえば、東経165度の線に沿った鉛直方向の分布を見てみると、表面水に存在していた放射性セシウムの一部が亜熱帯モード水に乗り、北緯30°〜35°あたりでより深い方向へともぐっていることが分かります。
亜熱帯モード水に取り込まれるセシウム134(Kumamotoほか,2014)
モード水としていったん沈み込んだものは、赤道付近から再び日本近海に戻ってきます。
その周期は約30年と見積もられているので、30年後に原発事故由来の放射性セシウムの一部が還ってくる、ともいうことができるでしょう。ただし、その段階で半減期の作用もあると思われます。
太平洋における放射性セシウムの内部循環予測(数字は水深を表す)(Courtesy of Dr. Aoyama)
少量ではあるが、今なお続く直接漏洩
次に、原発からの直接漏洩について見ていきましょう。
東京電力が公開している原発近海のセシウム137濃度のデータによると、事故後すぐに減少するものの、特に原発1km地点では、事故から数年が経った後も、事故前の濃度範囲までには下がりきっていないことが見て取れます。
つまり、事故後ほどの濃度ではないものの、いまだに直接漏洩が続いていることがわかります。
表面海水中のセシウム137濃度の推移
(東京電力、公益財団法人海洋生物環境研究所のデータをもとに日本科学未来館が作成)
現時点まで、海洋に流入した放射性物質の動態についてまとめると、以下のようになります。
●原発由来の放射性セシウムは、15〜18PBq。
●そのうち、海洋表面を東に薄まりながら移動していったものが8PBq。
●そのほかの大部分は亜熱帯モード水および中央モード水として海洋の内部循環に沈みこんでいる。
●量は少ないものの、いまだ直接漏洩も続いている。
陸地に降った3〜6PBqの放射性セシウムの行方
陸地といっても市街地や農地、森林などさまざまです。
なかでも森林は、福島県の面積のうち71%を占めており、そこに降った放射性物質の行方を知ることが非常に重要となっています(林野庁,2012)。
まず、土壌に着いた放射性物質がその後どのように移動したかについて、見ていきましょう。
一般的に、福島の土壌には雲母由来の鉱物が多く含まれています。それらの鉱物が乾燥・湿潤を繰り返し、風化して開いたところを「フレイドエッジサイト」といい、そのサイトにセシウムは強く結合する性質を持っています(McKinleyほか,2004)。
そのため、地上に降った放射性セシウムの大部分は、イオン化して水に溶けるわけではなく、土壌粒子と移動を共にしています。
風化した雲母中に存在するフレイドエッジサイト
セシウムの「土壌粒子へ強く吸着する」という性質は、土壌深さ方向のセシウム濃度からも見て取ることができます。
放射性セシウムの深度分布(Katoほか,2011)
2011年に福島の川俣町で、土壌を5mmずつ10cmまで掘り、それぞれの深さの土中にどれほど放射性物質があるか、調査が行われました。
その結果、初期に沈着したセシウム137や134の98%が、深さ5cmよりも浅い土中に存在していることが分かりました。
これらの放射性セシウムは、耕作や除染といった人為的撹乱がない場所では、この後平均して年間約5mmずつ下方に移動していくというデータもあります。
土壌粒子に強く吸着したセシウムのほとんどは、雨水と一緒に一気に地下水まで移動するのではなく、ゆっくりとしたスピードで潜っていくのです。
そのため、事故直後に表層5cm程の土壌を除染した土地では、空間線量が大きく下がりました。
2011年と2017年の地上1mでの空間線量(原発から80km圏内)
(日本原子力研究開発機構「本件は、平成23年度から文部科学省にて、平成25年度以降から現在まで原子力規制庁の委託事業として実施されている『放射性物質の分布状況等に関する調査』で得られた成果の一部である」)
また、放射性セシウムが土中に潜ることで、上層の土壌の遮蔽効果によって空間線量は低くなります。林縁から20m以遠の森林は除染が行われていないのですが、そういった土地でも空間線量が下がっているのは、放射性セシウムがなくなったからではなく、下に潜っているから、という要因が大きいのです。
一部は河川に流れ出た
陸地に降った放射性セシウムのほとんどは土壌粒子に吸着しましたが、その粒子ごと河川に流れ出たものもありました。その形態は「懸濁態」と呼ばれます。
懸濁態で流れるセシウム137の濃度変化を調べるために、福島の阿武隈川という大きな川と、その支流である口太川という川で調査が行われました。すると、本川でも支流でも、観測開始当初は非常に高かった濃度が急激に下がり、そのあとはゆっくりと下がり続けていることがわかったのです。
懸濁態のセシウム137濃度の経年変化(恩田教授の講演スライドより)
当然、流れ出る土砂の量は事故直後でも、数年経ったあとでも、大きくは変わりません。
しかし時間が経つにつれ、河川に流れ出す放射性セシウムの量は減っています。これは、セシウムの吸着した土壌粒子が下に沈降していき、雨などで流れ出す土壌表面の粒子の放射能が減ったためだと考えられます。
さらに、その懸濁態の放射能の低下スピードは、市街地や水田、畑といった人為的な活動が活発な場所ほど速いこともわかりつつあります。そのため、流域にそういった土地の多い阿武隈川本川の方が、支流よりも低下スピードが速いのです。
また、懸濁態の流出総量を調べるため、阿武隈川と口太川でセシウム137の累積流出量を計測したところ、どの観測地点の総量も、初期沈着量に対して3%以下に留まりました。
つまり、陸地に堆積したセシウム137のほとんどは土壌にとらえられたまま下方に移動してしまい、河川を通じて海へはほとんど流れ出ていないと言うことができます。
では、ここまでの陸地に降った放射性物質の動態についてまとめます。
●事故により放出され、風に乗り陸上の広範囲に広がった放射性物質は、河川を通じてはあまり動かなかった。
●放射性物質は土壌の粒子に強く吸着し、粒子ごと除染されたり土中に潜り込んだりしたために、結果的に空間線量は減少している。
大気・陸地・海洋で調査研究は続く
上記のようなまとめは、あくまで大きな視点で見たものなので、単位体積あたりの放射能が非常に大きいセシウム粒子やホットスポット、放射性セシウム以外の放射性物質など、これからさらなる解明が求められる課題は未だ多く残っています。
また、事故直後にはヨウ素131も大量に放出されましたが、半減期が8日と短いため、今となっては直接観測することはできません。
そのため、当時のデータをなんとか掘り起こし、今よりもさらに精緻なモデル計算を行うことで、初期被曝の実態を解明しようとする研究もすすんでいます。
農業はどうなっているのか
陸地の空間線量は下がってきているとはいえ、土の中には大量の放射性物質がほとんど動かずにじっと身を潜めていることを見てきました。
一方で、セシウム移行対策や検査体制を敷きつつ農業は再開され、検査をパスした農作物が市場に回っています。
では、農地では具体的にどのような工夫がなされているのでしょうか。次回更新の後編では、農業について詳しく検討していきます。
(2018年9月11日配信予定)
3.11から7年。放出された放射性物質はどこに行ったのか? https://t.co/rNNAMkOcgJ #ブルーバックス
— 生きがいネットワークyuwajiji (@yuwajiji) 2018年9月1日
「事故によって北太平洋のセシウム137の総量は、22〜27%増加」やっぱり結構大きいなあ / “3.11から7年。放出された放射性物質はどこに行ったのか?(雨宮 崇) | ブルーバックス | 講談社(1/3)” https://t.co/HCUPTRxP6a
— tach (@tach_on_the_web) 2018年9月1日
※詳しくはこちらをご覧ください
シンポジウム「原発事故から7年、放射能汚染の状況はどこまで改善したのか
MiraikanChannel
2018/05/08 に公開
福島第一原子力発電所の事故により放出された放射性物質の状況は、除染や気象現象などさまざまな要因により、大きく変化を続けています。7年が経過した現在、放出された放射性物質はどこへいったのでしょう。また、一度汚染された土地で農業はどのように行われているのでしょう。調査研究を行ってきた研究者たちより、重要な知見を聞くとともに、残された未解決の問題と今後も見張り続けなければならない事柄について、また、科学者と市民そして社会の役割について、参加者全員で考えます。
プログラム(動画公開は第1部のみです)
第1部 トークセッション
放射能汚染の問題について、これまでの7年間に、どのような研究が行われて何が解明されたのでしょうか。長期的な放射性物質の観測やシミュレーションなどから明らかにになったことを研究者からお話いただきます。
「大気への放出と飛散実態はどこまで解明されたのか?」
事故によって放射性物質は大気中にどれくらい放出されたのでしょうか。各地の空間線量や、放射能をもつ浮遊粒子について新たに掘り出されたデータ、そして事故の後の気象データなどを総合的に分析してわかった、放出と飛散の実態をお話しします。
登壇者: 中島 映至氏 (JAXA 地球観測研究センター センター長)
「陸はまだ汚染されているのか?」
私たちが住み、食物を生産している陸地の汚染実態は、事故後7年間でどのように変化してきたのでしょうか。経年モニタリング結果を中心に、放射性物質の河川による移動や、土壌中の粒子の作用による移動、また森林生態系内での放射性物質の循環についてお話しします。
登壇者: 恩田 裕一氏 (筑波大学 アイソトープ環境動態研究センター センター長)
「海へ流れ出した放射性物質はどこへ行ったのか?」
事故によって放出された放射性物質の約8割は海洋に降り注ぎました。その後の放射性物質の動きや減少の様子を、海水・海底土のモニタリング結果とともにお話しします。また、懸念されている海底付近に住む生物への影響についても、経年モニタリングの結果を紹介します。
登壇者: 山田 正俊氏 (弘前大学 被ばく医療総合研究所 教授)
「農業は復興できたのか?」
農業における放射能低減対策として、有効なカリウム施肥の効果をお話ししつつ、現在農産物の放射能検査体制がどのように敷かれているのか、またこれまでの検査結果はどのようなものなのかについて紹介します。
登壇者: 信濃 卓郎氏 (農業・食品産業技術総合研究機構 東北農業研究センター 農業放射線研究センター センター長)
主催:
日本:科学未来館
共催:消費者庁
※本イベントは2018年3月10日に日本科学未来館で開催しました。