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(2007年09月09日ミクシイ日記)
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大韓航空機撃墜事件について、中曽根康弘元首相と石原慎太郎都知事が、その著書『永遠なれ、日本』(PHP出版・2001年)の中で、興味有る対談をして居るので、その一部を参考までに御紹介しておきます。
(以下引用)
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KAL機撃墜事件の真相とは−−石原
「中曽根さんの総理時代の話を伺いたいのですが、1983年にKAL(大韓航空)機がオホーツク海上でソビエト空軍によって撃墜されるという事件が起こりましたね。日本人乗客を含む269名の乗客と乗員すべてが死亡したのですが、空軍の戦闘機が民間機を撃墜したということで、世界を大いに震撼させました。
この5年前には、やはりKAL機がムルマンスク上空に侵入して氷原に強制不時着させられた。それが今度はペトロバブロフスク上空を通過して、撃墜されたわけです。二つの戦略基地はソ連にとっては最重要戦略基地ですから、東西冷戦の最中、その上空を侵犯して撃墜させられるのはある意味で当たり前でもあります。
この事件が日本にとって大きな意味を持っていたのは、撃墜されたKAL機のコックピットから成田の管制塔に向かって、交信が行われていたことです。これによって日本は、どの国にも先駆けて、この事件に関する重要な情報を入手することができた。
とくに注目したいのは、「デルタ、010」という言葉です。じつは、この言葉は、大韓航空とアメリカのCIAの間に設けられた暗号だった。
その意味はいまだにわかりませんが、普通の国の飛行機が、アメリカの情報機関と暗号コードを交わすことなど考えられません。これは、あのときのKAL機が偶然、領空侵犯したのではなく、アメリカの意向を受けての行動だったことを、ほぼいい表している。
もっとも、KAL機が何を目的としていたか、アメリカがそこに関与していたかどうかという真相は、すべて藪の中です。あの事件について国会でも、社会党の大出俊議員が私の書いたものも含めていろいろな情報をもとに質問しましたが、政府はアメリカの関与をいっさい否定しました。「デルタ、010」という暗号の存在も認めなかった。
しかし私は政府はあの暗号の意味はもちろん、少なくとも中曽根さんをはじめ、高官の人たちは、なぜあの事件が起きたかも知っていると思っています。日本はKAL機との交信記録をはじめ、貴重な情報をいろいろと持っていた。また政府はこれを、かなりの部分アメリカに渡しましたが、その過程でアメリカからさまざまな情報を得ることもできたでしょう。
私はこの事件を、韓国とソ連だけの問題ではなく、アメリカや日本も絡んだ、まさに冷戦構造の中でこそ起きた、特殊な事件だと思っています。もちろん、いまも言えないことはあるでしょうが、あれから20年近く経って、ぜひ中曽根さんの口から、当時のことについて、いろいろお聞きしたい。その前に、私はあの事件に強い関心があって、自分で出かけて当時のJAL、ANA、JAS大手三社の整備担当の重役と部長に一人一人会って確かめました。出発前にコックピットにいる三人のスタッフが、三人とも間違ってコースをインプットすることなど、百兆分の一もないと全員がいっていましたがね。」
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この石原氏の発言に対して、中曽根元首相は、この対談において、こう発言して居ます。
(以下、中曽根元首相の発言より)
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「あの事件では、大韓航空機を撃墜したソ連戦闘機とソ連のサハリン司令部との交信を、日本はすべてキャッチしていました。もっとも、交信はロシア語で行なわれていますから、内容を知るにはこれを翻訳するという一段階が必要です。撃墜が行なわれたのは、たしか夜中の二時か三時ごろですが、どのような内容が語られているかを突き止めて、私のもとへ第一報が入ったのは朝の六時ごろでした。
ただ、このときは、「何かあった」という程度の情報です。「大韓航空機が撃墜された」と伝えられたのは、午前八時ごろです。そのときには、翻訳もほとんど完了していたようです。その後も、いろいろと情報を確認して、「ソ連の戦闘機が大韓航空機を撃墜したことに間違いない」と確定したのが、午前11時頃です。その時点で、韓国とアメリカだけには知らせろと指示を出しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いま石原さんが述べられた「デルタ、010」と称する暗号については全く知りません。初めて聞く話です。」
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皆さんは、お二人のこの対話をどう読まれるでしょうか。
この本(『永遠なれ、日本』)の対談において、石原都知事が、この問題(大韓航空機撃墜事件)について語った言葉の別の部分を御紹介しておきます。
(以下同書における石原都知事の発言より引用)
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「大事なことをもう一つお聞きしたいのですが、安保理事会ではっきり公表したことで、ソビエトが撃墜したことは間違いない、ということになりました。
このあとソビエトは、西側の記者を相手に公式会見を行いますが、ここでオルガコフという村夫子然とした参謀総長が出てきて、「KAL機はスパイ活動を行っていた」と主張しました。このスパイ疑惑を西側の記者は一笑に付していましたが、私はオルガコフのほうが正しいと思っています。
先にもいったように、私はあのKAL機の行動は、アメリカに指示されて韓国が行ったものだと考えています。あのKAL機には当初、アメリカの国会議員も乗っていましたが、与党だった共和党の議員は、全員ほかの用事をつくってシアトルで降りています。野党である民主党の議員だけが乗っていて、事故にあい、死亡している。このあたりがアメリカの怖さであり、かつ、したたかさを感じるところですね。
しかもKAL機が撃墜された日は、チュタラムというカスピ海にあるソビエトのミサイル基地から、新型のICBMをオホーツク海のあるところに打ち込む実験が行われる予定でした。そこでオホーツク海には、観測のために二十数隻のソビエトの観測船が集まっていた。このことも、KAL機のスパイ説を裏付ける一つになるでしょう。
もちろんアメリカでは、スパイ説を完全に否定しています。『ワシントン・ポスト』では、国防総省と結託してこれを否定する記事を書いている。アメリカの偵察機はアリューシャン基地から出て、いつもソビエトに領空侵犯していた。このシルエットが遠くから見ると、ジャンボ機とそっくりな形をしている。そこで、これを誤認したのだろうという。
ソビエトのオルガコフ参謀総長はこの件も含めて、「そんなことはない」と否定したのですが。これが非常に毅然とした態度で、私はやはりソビエトの参謀総長になるまでの男はバカではないと思った。
またこの事件によってアメリカは、ソビエトの平時における防御体制が、いかにもろく、ずさんであるかを知ることができました。ソビエトも、それをさらしたことを自己認識した。そのためアメリカでは、今後ソビエトは容易に核の引き金を引くだろうと考えたという。
戦略核とまでいかなくとも、戦術核の引き金ぐらいは簡単に引く。そういう認識を持って、その後の警戒態勢を強めたということです。いずれにせよ、あのとき真実を知っていた日本というのは、アメリカとソビエトの狭間にあって、非常に苦しい立場だったと思います。
もっともこの件については、KAL機がスパイ活動を行っていたことも含めて、本当のところは中曽根さんも官房長官だった後藤田正晴さんも、永遠に口には出さないでしょうね。中曽根さんは総理をやるなかで、いろいろ人にいえない情報もたくさんお知りになられた。それを黙っていることも総理の重要な務めの一つでしょう。このことを私は以前、私の盟友だった中川一郎がなぜ死んだのか、中曽根さんに聞きに行ったときに強く感じました。(後略)」
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この後の、中川一郎氏の変死についての話も恐ろしいのですが、割愛します。
2007年9月9日
西岡昌紀