関東とはスケールが違う!「関西の大金持ち」はこんなにおもろいで 歴史的風土が生んだエネルギー
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2017.01.27 週刊現代
「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんなぁ」。関西では挨拶代わりのやりとりだ。
「なんぼ儲けてますの?」。資産家に率直に聞くと、スケールが大きくて、おもろい話が次々と飛び出した!
■先祖が織田信長と戦をした
かつての大和国、奈良県には神代の昔から今も連綿と続く名家がある。それが橿原市今井町にある今西家だ。当主の今西啓仁氏(57歳)が語る。
「神武天皇が大和東征を行ったときにこの地を統治していたのが磯城彦(シキヒコ)でした。神武天皇は降伏を促しますが、兄磯城(エシキ)は立ち向かい、逆に弟磯城(オトシキ)は降伏することを提案します。
結局、兄磯城は神武天皇に滅ぼされましたが、弟磯城は服従したため、その家系が残った。それが現在の今西家につながっているのです。弟磯城から数えれば、100代以上になります。出雲大社の千家(国麿)さんが85代なので、それよりも古い(笑)」
今西家はその後、「十市県主」を名乗り、今井町の自治を担ってきた。戦国時代には、かの織田信長とその配下、明智光秀と対立し、一歩も引かず、織田信長が「敵ながらあっぱれ」と戦いぶりを認めたことで、町の自治権を守ったという。
「その結果、江戸時代はほんまもんの自治都市として栄えました。『海の堺、陸の今井』と並び称されるほどに。明治時代になると、自治権こそなくなりましたが、私の5代前の今西逸郎に市中取締役をしてほしいということで、今西家は引き続き、行政に携わりました。
そのときのことです。この今井町に鉄道の駅を置きたいと明治政府が言ってきたそうです。神武天皇陵や橿原神宮にも近いので、天皇も乗られる列車の駅として。今の畝傍(うねび)駅ですね。
しかし、うちの今西逸郎は今井町に作ることに反対したんです。江戸時代から続く、環濠のある町並みがめちゃくちゃになると思ったんでしょうね。それによって今井町の近代化が遅れたと当時の町の人からは非難囂々でしたが、今となっては感謝されていますよ。『あの時、反対してくれたから、今井町の町並みは残った』と」
今西家は明治期以降も行政に携わってきて、今井町に1000坪もの邸宅を所有してはいたが、けっして裕福というわけではなかった。だからこそ、江戸時代から続く邸宅を改築することなく、当時のまま大事に使い続けたのだ。そのことによって、'57年に「今西家住宅」は、国の重要文化財に指定される。
そして、なんと今西家が守ってきた今井町の町並みが、ユネスコの「世界遺産」に登録されるチャンスが訪れた。'95年頃のことだった。
「実は世界遺産について日本人の多くがあまり興味を持っていなかったとき、ユネスコが橿原市に対して今井町を世界遺産に登録したいと言ってきたんです。
父親にその話が来たんですが、今井町の人が誰も世界遺産についてわからなかったので、『今井は反対だ』と言って断ってしまった(笑)。その代わりに登録されたのが、岐阜の白川郷だったとのことです。
世界遺産に登録されていたら、今頃、エライことになっていたと思います。今でしたら、世界遺産にしてほしいと言っている人もいますけどね」
啓仁氏は現在、今西家住宅と今井町の町並みを守るため、公益財団法人「十市県主今西家保存会」の理事長として活動する。現在の今西家の財を築いたのは、啓仁氏の父親の代だったという。
「父は不動産業をしていて、'70年に大阪万博があって、それで財を築いたと聞いております。父は吉野の山にも山林を購入し、私も林業をしております。なかなか経営的には難しいですがね。
正直に言いまして、(今西家住宅を活用して)自分だけ儲けようとしたら、様々なオファーがあるのは事実です。ITの若い経営者とか、ブライダル関係など、古くからの町並みが残る今井町に目をつけた話は色々あります。
ただ、たんに観光客が増えてもありきたりの町になってしまいます。それだと、これまで今井町を守ってきた先人に顔向けできませんからね。私一人の考えでどうこうしたらいけないと考えています。時代を越えて、今西家は自らを盾にして護るべきもののために死に物狂いで戦ってきました。今井町の歴史はまだまだ続くのですから」
たしかに現在の日本の首都は東京だが、そこは江戸期以降に発展した「歴史の浅い」都市にすぎない。歴史的に見れば、関西には古くから都があり、長い間、日本の中心として栄えた。
そのため、全国的には有名ではないかもしれないが、長い血筋に裏打ちされたとてつもない名家がいくつも存在する。
■ド派手な女社長、登場!
関西は長く商都でもあった。今西家が民間人ながら自治を担ったことからもわかるように、市井の人間のパワーはケタ外れ。時にとんでもなくキャラクターの濃い派手好きな金持ちが登場する。
苦労人が故に36歳の若さで巨万の富を手にしたのが、ジュネル社長の伊與田美貴氏だ。昨年、念願のロールス・ロイス・ファントムを5000万円で購入した。
「もう1台、チェリーピンクのロールス・ロイスは日本に1台しかない希少価値の高い車で、これを逃してはダメだと思って買いました」
多忙な毎日を送る中、自分へのご褒美は時計だという。フランクミュラーをはじめ、これまでに買った時計は2000万円分に達する。大阪・江坂にある自社ビルをキャッシュで購入したが、これは女性支援を念頭においたものだ。
「女性の従業員が働きやすい環境を考えて設計したんです」
そんな伊與田氏も一時期、日々の生活にも困るほど、困窮した経験があるという。
「27歳で結婚、28歳で出産したものの、31歳で離婚をして人生がガラリと変貌しました」
OLを経て、フラワーデザイナーとして起業するも、待機児童の問題に頭を悩ませた。認可外の保育所に稼いだおカネのすべてを吸い取られる日々。
「ジュースを飲みたい」と言う娘に缶ジュース1本買ってあげることさえできず、ワーキングプアだったという。
「正直、死のうと思ったこともあります。でも、死ぬ気になれば何でもできる。『人が嫌がる仕事でもなんでもやろう』。考えを改めて自分が変わったら、周りが変わった。思考が現実を作るんです」
この開き直りこそが、関西人の真骨頂。余談だが、大阪府の自殺率(人口10万人あたり)は全国でもっとも低い('15年、警察庁発表)。
伊與田氏が開き直ったそんな時、ある人物と出会った。エステサロンなどの経営者で、伊與田氏を誘ったのだ。彼女はエステも始めたが、ちょっとした不満があった。
エステでは他人に施術するため、大好きなネイルができなくなる。つけ爪もあったが、すぐに外れたり、手間がかかったりと問題が多い。伊與田氏はここにビジネスチャンスを見出した。
「私が開発した『ジュネル』は、取り外し可能なチップネイルです。アクセサリーと同じようにTPOに合わせてチェンジできますし、仕事に支障があれば、取り外しておくことも可能です。
それでいて、いったんつければ取れにくい。開発には3年半かけて、'15年6月にグランドオープンすると、爆発的にヒットしました。年商数十億円が視野に入っています」
グランドオープンの際に行われたパーティーには、グッチ創業家のフィリッポ・グッチ氏も招かれた。彼は、「イタリアで売れば、ヒットする。イタリアでのビジネスを手伝ってほしい」と、真剣に語ったという。
「海外からのオファーも殺到中です。ニューヨークやドバイ、マレーシア、インドネシア、シンガポールなどでの展示会を通じて世界にも広まり、海外展開も視野に入れています。ドバイの女性王族からは『パーティーでジュネルを着けていると、それを見たみんなが欲しがる』と聞きました。
おかげさまでジュネル開業以来、次々と大きな買い物をしてワーキングプアだった生活は劇的に変わりましたが、実は忙しすぎてまったく休みが取れないんです。働き詰めなのは、昔とあまり変わりませんね(苦笑)」
■豚の餌を食べた子供時代
もう一人、極貧から成り上がり、一財産を築いた大阪の女社長を紹介しよう。バウムクーヘンが人気のカウカウフードシステム会長、川村信子氏(65歳)、通称「マダムシンコ」だ。
自宅は兵庫県西宮市の甲山(かぶとやま)山麓にあり、大阪湾まで見下ろす絶景の高台にある。600坪の広さで5億円。だが、ここにたどり着くまでは紆余曲折があった。
「子供の頃から貧乏やったからね。いつになったらお金持ちになれるんやろかと、ずっと考えていましたよ。うちは島根で豚を飼っていましたから、近所にリアカーを引いて豚の餌にする残飯をもらって回っていたんです。
それで家に帰ったら、(残飯の)きれいな部分を取って、お母さんが私に食べさせるんです。そんな生活をずっとしていました。だから私、食い意地が張っているんです。腐りかけのものばっかり食べてきたから、今はちょっとでも古いものが出てくるとあの当時を思い出して、絶対嫌。
それで、お父さんが大阪に働きに行くことになって、家族全員で尼崎に引っ越したんです。大阪に来たら何かが変わると思ったんですけど、雨漏りする市営住宅で、家族9人でカラダを曲げて寝る生活でした」
川村氏は水商売の世界に入り、頭角を現す。北新地でナンバーワンホステスになると、銀座に進出し、ここでもナンバーワンに。銀座に店を構えた後、大阪に戻った。
「銀座には10年くらいおりましたが、大阪で知り合いに焼き肉屋をしてくれと言われて始めました。6店舗目までは比較的順調だったのですが、そこで狂牛病の問題が起きよった。そのうえ、店も放火されて、従業員にも給料が払えない。
私の運命も終わりやな、と思ったときに大阪・箕面の喫茶店で、ケーキ1個とコーヒーで2000円くらい取る店が流行っているのを目の当たりにしたんですよ。こっちは焼き肉食べ放題で1980円でしたからね。これや!と思って喫茶店を始めました。それがマダムシンコの始まりです」
もちろん、喫茶店も順風満帆ではない。当初は雇ったパティシエに散々わがままを言われたり、挙句の果てに辞められたりと大いに苦労した。だが、幼少の頃から培った負けん気が勝った。
「パティシエにいじめられるたびに『くそ、くそ、くそ、誰がカネ出してるねん』と燃えて、それで自分たちで作れるバウムクーヘンを選んだんです。だから今はあのときにいじめられたことに感謝していますよ(笑)」
■「可愛げ」が一番大事やで!
バウムクーヘンが売れに売れて、今や年商100億円を視野に入れる企業に成長した。先に紹介した川村氏の豪邸については、こんな味わい深いエピソードがある。
「家を建てようと考え始めたときに、銀行の人がここの土地の話を持ってきたんです。聞いたら、『600坪って、そんなん体育館やんか、そんなの無理やわ』って、言っていたんですよ。
ところが、お父さんが『ようやった、いいところ見つけた』と泣かはるんです。よくよく聞いたら、お父さんが関西に出てきたときに、(肉体労働者として)山を切り崩して開拓した土地らしいんです。
『お金持ちのために造成した土地に、まさか娘が住むことになるとは夢にも思っていなかった。こんなにうれしいことはない』って……。お父さんにそんなことを言われたことがなかったので、私も涙が出ましたね」
スイーツにも流行り廃りがあり、大ブームを引き起こした商品は飽きられがちだ。だが、バウムクーヘンにバーナーで焦がしたキャラメルをトッピングした「マダムシンコのマダムブリュレ」は今も売れ続けている。なぜか。
「それは日本の味やからです。これは高度成長期の味、青春の味なんですよ。私は子供の頃、バウムクーヘンに憧れていました。でも、食感が冷たくて、ちょっと気取っているようにも感じていた。私はブリュレ(プリン)が好きだったので、キャラメルを載せたらどうやろ?って。そこから生まれたんです。
青春の味といったら、最近、また焼き肉にハマっています。尼崎の出屋敷に50年行っている『味楽園』というお店があるんですけど、しばらく食べないとおかしくなる。尼崎と言えば、私たちの青春時代。だからこれを食べているとき、私はご機嫌さん(笑)。
昔は物欲も食欲も金欲も凄かったですけど、最近はそうでもありませんね。普通に買い物では好きなものを買いますけど、高いものを買うかと言えばそうでもありません。
でも1年くらい前、値札も見んと帽子とカーディガンを買ったら、想像より高くてヒョーっと驚きましてん。100万円。シャネルやで(笑)。そんなのは例外で、今は『欲』というよりも、祈るのは健康と事故がないことだけです。
あと、今度、三重県の100年続いている老舗の和菓子屋さんと組んで商品を開発しますので、それもよろしくお願いします」
ちゃっかり自分の次の商売を売り込むところもまさに大阪の商売人。この抜け目なさがビジネスで成功する要因なのかもしれない。そうして最後に、川村氏は独自の人間哲学を開陳してくれた。
「私は会社のトップでありながら、ろくに学校も出ていません。そんな私が常に言うのは、『人間として可愛げを持て』ということ。いろんな人間を見てきましたが、可愛げのない人間なんて、誰が相手にするんですか。たとえ、ええ大学を出たって、実社会で偉くなるかといったらそんなことはあらしません。
ナンバーワンになろうと思ったら、他人のヘルプが大事なんです。それには可愛げがないと。自分ひとりの力なんて、たかが知れてますから」
■叔母に5億持っていかれた
いくら稼いでも、金持ちなら誰でもいずれは直面しなければならない問題がある。相続だ。
大阪府南部の住宅街で、名家として300坪を超える自宅とマンションを6棟保有する不動産会社取締役のT氏が嘆き、ぼやく。
「私は祖父から後継者として財産を受け継ぎました。祖父が亡くなる直前に、祖父の養子となったんです。私の義兄となった父は相続上、何も引き継いでいません。相続税対策で一世代飛ばして、私が引き継いだということです。もちろん父も納得ずくの話ですよ。
死後、開封した祖父の遺言書には、約15億円相当の財産の9割を私に、残りを他の子供で分けるように、とありました。問題はそこからです。父の妹2人がこれに不服を申し立て、烈火のごとく怒り出した。
それまでは私にとってすごく優しいおばちゃんたちだったのに、おカネを前にするとあれだけ人間が変わり、がめつくなるんだと恐ろしくなりましたよ。結局、叔母たちは裁判所に持ち込み、5億円程度あった現金をすべて持っていきました。私は現金に替えられない自宅や不動産などの固定資産だけを相続することになりました。
その後、親戚の葬儀などでまれに顔を合わせることもありますが、一言も言葉は交わしませんし、顔も見たくない。それまでは仲が良かったのですから、相続が生んだ悲劇ですわな」
相続時に財産を分割していくと、資産は次第に散逸していく。一人に集中させることは商家の知恵だが、T氏のケースのように、骨肉の争いになることは少なくない。
T氏が再びぼやく。
「悲劇と言えば、もう一つありますわ。私には弟がいるのですが、彼にはまったく遺産が巡ってきません。ある意味で家に縛られず自由にできるから、私にしてみれば羨ましく思えるのですが、彼の嫁はそうは思っていなかった。
遺産を得られないことを知ったとき、嫁はかなりショックを受けていたといいます。それ以来、私の両親と弟の嫁の関係は悪い。
私自身の結婚も大変でした。カネ目当てで近づいてくるのがわんさかおった。いくら美人でも、そんなんは嫌ですわな。結局、私は似たような家柄のお嬢さんを嫁にもらって、私の両親との関係も良好です。
そうすると、両親も弟の嫁と比べてしまいます。それで当然、弟の嫁はうちの嫁と仲が悪くなる。たまたま子供同士が同い年で、来年小学校に入るのですが、同じ学校になるのは嫌だということで、向こうが別の学区に引っ越すことになっています。
私は自分の家を守り抜くことが長男の使命と考えていますが、実際のところ、何も相続しなかったほうが幸せやったんやないかって、たまに考えますよ。まだウチの子供は小さいですが、いずれまた相続のことを考えないといけません。今からため息もんですわ」
資産を受け継いだことで縛られる人間もいれば、自ら莫大な資産を築いて散財した末に「すっかり足を洗った」と豪語する富豪もいる。
日本でのポーカー普及を手がける『ポーカージャパン』の株主で、自らもポーカープレイヤーとして世界中を飛び回るS氏だ。
S氏は中学校卒業後、生活費を稼ぐために、様々な商売に従事。人材派遣会社や携帯電話ショップを複数経営し、ソフトウェアの納入などで資金を稼ぎ、さらには大手企業の大株主となって、売却益で十数億円の現金を手にしたという。
派手に稼いだためか、脱税で逮捕されたことをきっかけに今は経営の立場から退き、いくつかの会社の株主に収まった。
「人が望むことは一通り経験したと思います。北新地に毎晩のように出かけ、クラブで高級シャンパンやワインを次々と空けたものです。毎月、飲み代は500万〜1000万円。最終的に北新地の超有名店に2億円投資して、経営まで手がけました。
でも、自分で経営してみて、クラブの裏側がわかってしまった。客の前と『素』のホステスのギャップがいかにすごいか(笑)。だから、クラブ遊びからはきれいサッパリ足を洗いました。
ルイ・ヴィトンやエルメスのファッションショーにもVIPとして招かれ、著名人や有名人と食事をする機会もよくありましたね。自家用車もフェラーリ456やロールス・ロイスのファントム、ランボルギーニのガヤルド、ベントレー・コンチネンタルGTなど有名なものにはほとんど乗りました。
結局、今の車はアルファード・ロイヤルラウンジ。疲れたら車内で寝られるほど広いし、後部座席でパソコンを叩いて仕事もできる。一通り試して、自分は見栄っ張りではないという確信を得たんです。モノで虚栄心を満たしても、自分が寂しくなるばかり。心は物では満たされなかったんです」
■賞金14億円のポーカー!
自宅は神戸市東灘区にある超高級マンションの一室だ。敷地内には居住者専用のプールやフィットネスクラブ、有名中華料理店や高級寿司店があり、広大な緑豊かな庭園もある。その他にS氏は大阪・梅田にもタワーマンションの最上階、いわゆる億ションを複数所有しているという。
そんなS氏が行き着いた究極の趣味が、ポーカーなのだとか。日本人から見ると、いささかアウトローめいているが、欧米では「頭脳のスポーツ」として位置づけられ、ゴールデンタイムにテレビ中継されるほど人気だという。
サッカーのスーパースター、ブラジルのロナウドやネイマールらもポーカープレイヤーとして活躍し、ゴルフのような人気と知名度を誇る。
S氏が続ける。
「世界最大のトーナメント、WSOPがラスベガスで毎年開催されていますが、数千人が参加して、優勝賞金は14億円です。ランキングの上位200名が、総額30億〜40億円を稼いでいます。
私も先日、アジア最大級のトーナメントにエントリー費140万円を支払って参加し、結果は5位でした。賞金は、日本円で2200万円。昨年の獲得賞金は4000万円になります。
かつては乗馬やゴルフにも夢中になりましたが、今はもっぱらポーカーですね。このゲームの奥深さは企業経営にも通じるところがあると感じています」
関西の資産家の中には「中央」、つまり東京の価値観に背を向けている者も多い。京都の冷泉家25代当主の冷泉為人氏もそんな一人である。
「冷泉家は平安時代から800年も続く『和歌の家』であり、伝統文学を守り続けてきました。平安・鎌倉時代の歌聖、藤原俊成や定家らの和歌集や歴史書など、冷泉家に伝わる典籍類は国宝5件、重要文化財47件をはじめ、2万点を超えます。戦後の50年間は相続税などの問題が重くのしかかって、先代夫婦もものすごく苦労されました。
あまりにも固定資産税が莫大になってしまうため、先代は公益財団法人『冷泉家時雨亭文庫』を作り、重要な歴史資料の管理をなんとか永続していこうとしているわけです」
■おカネより大切なもの
こう言う冷泉氏は、日本の戦後教育の問題について熱弁を振るう。その矛先は安倍晋三総理にも容赦なく向かう。
「今、日本では歴史や文化をないがしろにして、それ以外のところに価値を置いています。安倍さんも目先の利益のことばかり言っています。そうした発想からは何も生まれません。おカネはもちろん大事ですが、目先のおカネにとらわれては、歴史や文化を作れない。
グローバル化の進展と戦後70年の学校教育で自由と平等の価値観を大事にするようになり、反面で文化や伝統が軽視されるようになってしまった。そうしたことをわかっている日本人ははたしてどれくらいいるのでしょうか」
千年の都で800年続いた「誇り」を強烈に抱く冷泉氏の話は、さらに行政や税制のあり方、近年の大金持ちの話へと広がっていく。
「昔の名家は地域の発展のためにインフラを整備したり、文化を作ったりしてきた面があります。しかし、今ではそれを行政の役割としてしまいました。自由や平等ばかり主張すると、多数決で多く手が挙がったほうにおカネを使うようになっていく。
歴史や文化の大切さを理解している人は、今や1割くらいしかいないでしょう。そして多数決の結果、歴史や文化には税金は使われないようになります。
ホリエモン(堀江貴文氏)にしても村上ファンド(の村上世彰氏)にしても、法律ギリギリのところでおカネを稼ぐのは上手かったのでしょうが、その使いかたがまずかった。
国や地域のためにおカネを使うこともなければ、米国の富豪のように寄付をするわけでもない。自由と平等を教えるだけで、義務を教えてこなかった戦後教育の問題ですね。今の日本はおカネのことばかりで品格がなくなりました」
歴史的風土の中で醸成されてきたマグマのようなエネルギーが、関西にはある。関東とはちょっとスケールが違う、関西のおもろい大金持ちたちが、新しい日本の起爆剤となる――かもしれない。
「週刊現代」2016年1月28日号より