トランプとロシアの「疑惑文書」を書いた英元情報部員の正体
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/post-6718.php
2017年1月13日(金)17時34分 ジャック・ムーア ニューズウィーク
<ロシアは本当にトランプを脅迫できるネタを持っているのか。問題の文書を書いたのは、ロシアでの情報活動の経験もあるイギリスの元情報部員だった>(写真:文書を書いた元情報部員が幹部を務めるロンドンの調査会社)
今週12日、欧米の情報関係者たちは、誰もがクリストファー・スティールという人物の話題に熱中していた。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の報道によれば、スティールは52歳、イギリス情報機関の元情報部員で、現在は民間調査会社「オービス・ビジネス・インテリジェンス」の幹部となっている。今週、米ニュースサイトのバズフィードが報道して大きな騒動となった、トランプとロシアの深い関係を示す「文書」の作成者だ。
35ページに及ぶこの文書には、トランプがロシアの売春婦と「不名誉」な行為に及んだことや、ロシアの政府関係者がトランプの弱みを握るために金儲けになる取引の体裁を装って賄賂を持ちかけたこと、またトランプ陣営とロシアの情報機関の間の緊密な関係などが、まだ事実とは確認されていないが、書かれている。
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また文書には、大統領就任後のトランプに不利益となるような情報をロシア側が収集していたとも書かれている。文書はロシアの銀行名の綴りなどに明らかな間違いがあったものの、米情報機関は十分に「重要」と判断し、文書の内容を2ページに要約してオバマ大統領とトランプに伝えた(米情報機関はトランプに対し、文書が連邦議員や政府機関、情報機関の職員やジャーナリストの間で数カ月前から出回っていると警告した。またロシア政府がトランプに影響力を行使しようとした可能性も文書では指摘されているが、捜査機関はそれを事実とは認めてない)。
■姿を消した作成者
トランプ自身は、まるでナチスドイツが仕掛けるような「フェイクニュース(デマ)」だとこの文書を非難した。そして今や作成者たるスティールに注目が集まっている。
英メディアの報道によると、スティールは「身の危険を感じ」、今週11日にロンドン近郊の自宅から姿を消した。BBCの報道では、近所の住民に3匹の猫の世話を頼んで「身を隠して」いる。ロシア政府に関する情報を流したことで、報復されることを「恐れて」いるようだ。
スティールは、入手したロシア情報の信憑性に疑問を感じ、アメリカやイギリスの情報機関に照会していた、という。情報が余りにも重大なため、スティールは大統領選に利用されることを懸念していた、と英情報機関MI6の職員はニューヨーク・タイムズに話した。
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ニューヨーク・タイムズによると、スティールがトランプのことを調べ始めた経緯はこうだ。2015年9月、ワシントンの調査機関「フュージョンGPS」がスティールを雇い、当時共和党の大統領候補として先頭を走っていたトランプに関するスキャンダルを集めさせた。
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報道では、特定されていないある共和党の人物が、この調査の資金を提供したという。トランプが共和党の指名を受けた時点で、この人物は調査への興味を失ったが、民主党側は情報に政治的価値があると考え、新たな顧客が調査の資金提供を引き継いだ、とニューヨーク・タイムズは報じている。民主党のどのグループが動いたのかは、はっきりしていない。
イギリスやヨーロッパ各国の元情報部員は、ロシアの情報を求める企業にとって価値が高い。ロシア国内での経験も豊富で、ロシアの情報源との関係も密接だからだ。ニューヨーク・タイムズによると、スティールは90年代前半にロシアに潜伏して情報活動に従事し、イギリスに帰国後にMI6のロシア担当のトップとなった。
2009年、英外務省の元職員クリストファー・バロウズと共に、顧客企業に情報・調査サービスを提供する前述の「オービス」を設立した。バロウズは、スティールと今回の文書に関するいずれの報道にもコメントしていない。
ロシア政府は、トランプを陥れる材料を集めていたという疑惑を否定している。米国家情報長官のジェームズ・クラッパーは今週公表した声明の中で、「この文書の信憑性についてはいかなる判断もしていない」と述べている。オバマとトランプに情報を伝えたこと自体が文書の信憑性を裏付けているのではないか、という見方を否定するためだ。
■スパイとして優秀
文書には、トランプの弁護士マイケル・コーエンが、ロシア外務省の国内機関である連邦交流庁の職員オレグ・ソロドクリンと、昨年8月〜9月上旬にかけてプラハで面会した、という記述がある。しかしこれに関しては、双方が面会を否定。またトランプ陣営は、パスポートを調べたところコーエンはこの間国外に出ておらず、文書に出てくるコーエンと別人だと反論している。
スティールが文書の作成者だと特定されて以降、本誌の取材からはスティールの信頼性や文書の正確性に関して相反する証言が集まっている。匿名を条件に取材に応じたイギリスの調査会社の幹部は、この文書を「でたらめ」で「粗悪な代物」と見るが、同時にスティールに関しては、「優秀で信頼でき、とても実直な男」と聞いている、と語った。
英諜報機関のGCHQ(政府通信本部)の元トップ、サー・デービッド・オマンド元長官は、スティールと面識はないと断った上で、文書についてメールでこう答えた。「(私なら)本能的に注意するだろう」「よい記事の核になる材料かもしれないが、大げさに書かれている可能性もある」
一方、英ガーディアン紙の取材に応じたスティールの親しい友人は、ベテランの情報部員が故意にウソの情報を流すことなどあり得ないと語っている。
「スティールは、ゴシップを広めるような人間じゃない」と、25年前からスティールを知っているという元英情報機関職員は言う。「検討の価値がある情報でなければリポートに書いたりしない。空想家や思慮の浅い人間は、この仕事では生き残れない」
アメリカの大手メディアはもう何カ月もこのセンセーショナルな文書の存在を知りながら、真偽が確認できないため公表しないできた。ロシアは米大統領選に介入したのか、ロシアはトランプを脅迫できるネタを持っているのか。スティールは、その確証に最も近い人物として世界中の関心を集めている。
素性がばれたスティールが身を隠したのは驚くにあたらない。だが、史上最も支持率の低い大統領の就任式まであと8日と迫っているのに、アメリカ人は自らの指導者について何を信じたらいいかわからないまま。いつ事実が明らかになるのか、その見通しさえ立たない。その答えに最も近いのは、スティールに他ならない。