イスラム国に「性的暴力」受け追われた少数民族「ヤズディ」の悲劇 5千人が殺され、6千人が性的被害に
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50547
2016.12.27 林 典子 写真家 現代ビジネス
報道写真家の林典子さんが写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を発売する。イスラム国に攻撃された少数民族・ヤズディを、故郷であるイラク西北部のシンガル山から、移民先のドイツまで追ったフォトドキュメンタリーである。彼女はなぜ、ヤズディを撮影しようと思ったのか?
■なぜヤズディは攻撃の対象になるのか?
2014年8月下旬、取材でたまたまトルコ北部に滞在していた私は、現地メディアの報道で、ダーシュ(IS、イスラム国、以下「ダーシュ」)にイラク北西部のシンガル山周辺の故郷の村々を攻撃された中東の少数民族ヤズディが大勢国境を越えてトルコ国内へ逃れてきたということを知った。なぜヤズディがここまで攻撃の対象になったのか、彼らの思いやその独特な信仰について取材をしたいと思った。
宗教的・民族的な少数派であるヤズディの信仰はゾロアスター教、イスラム教、ミトラ信教、キリスト教などに通じ、口承で伝えられてきたと言われている。そのため起源についてもさまざまな形で語られてきた。
ヤズディの人口は世界全体で約60万人~100万人と言われ、その多くがイラク北部の標高1463メートルのシンガル山周辺の村々に集中し、ここの住人たちはここで、何世紀にも渡り先祖から引き継いできた独自の信仰や伝統を守りながら暮らしてきた。ヤズディはクルド人だとされる報道が多いが、私が出会ったヤズディは、
「私たちはクルド人ではない。ヤズディは宗教であると同時に、独立した民族としてのアイデンティティをもっている」
と話していたのが印象に残っている。
シンガル山で避難生活を送るヤズディの少女たち。夕暮れ時に家族が待つテントへ水を運ぶ。photo by Noriko Hayashi
「2014年8月3日……あの日の夜、不思議な夢を見たんです。夢の中でお父さんがどこか知らないところで戦っていました。すると突然、銃声が聞こえてきたのです。夢の中ではなく、現実に。時計を見ると午前3時でした」。
直後、ダーシュの戦闘員に捕らえられた当時15歳のサラはこう振り返る。支援団体によると、約5000人のヤズディが殺害され、戦闘員に連れ去られ人身売買や性的暴力の被害にあった女性は約6000人だと推定されている。
ヤズディが攻撃の対象とされる理由に、ヤズディは異端者であり、ヤズディが信仰の対象とする孔雀天使はコーランに記されるシャイターン(悪魔)に重なるからだといわれている。故郷を追われたヤズディの多くは、シンガル山中や150キロほど離れたクルド人自治区の都市ドホークの難民キャンプや民家に避難した。
私は2015年2月からイラク北部を訪れ、シンガル山麓のカナソール村出身のヤズディ、アショール一家が避難生活を送るドホーク郊外の小さな平屋の家に滞在し、約2年の間に4回イラクを訪れ取材を続けてきた。その間、長男のハサンと妻、幼い2人の息子、両親、弟や妹など15人ほどの大家族と一緒に過ごした。
薬剤師の長男ハサンと、大学に通いながらクリニックで歯科医として働く三男シフォック、NGO職員の五男ムスタファや六男のナイフ、 高校生のジョージと末っ子のフセインなどそれぞれが入れ替わり私の通訳をしてくれた。
ダーシュに拉致され、人身売買の被害に遭いながらも、何とか脱出することができた女性たちの多くはイスラム国に顔を記録されている可能性があり、親族を捕らえられているため、撮影の際には個人が特定されないよう、ヤズディの女性が頭を覆う白いスカーフをカメラの前にかざして撮影することにした。
スハン(1991年コーチョ村生まれ)。村に侵攻してきたダーシュの戦闘員に捕らえられ、数ヵ月に渡り精神的、身体的暴力を受けながらも、何とか脱出することが出来た。photo by Noriko Hayashi
美容師を夢見て、地元の美容院で働き始めた1ヵ月後にダーシュの攻撃を受け、故郷を追われた21歳のデルシムは現在、トルコやシリアなどからイラク国内に入って来たクルド人女性兵士らと共に、銃を手にして毎日最前線で戦っている。
「2年前はメイクをしたり、お洒落を楽しむのが好きでしたが、今は美容師になることも、将来結婚をして子どもをもつことも考えていません。 毎日カラシニコフを枕元に置いて寝るのが、私の日常になりました。私の親戚たちはいまもダーシュに捕まったままなのです。私はシンガルとヤズディのためにいつでも死ぬ覚悟ができています」。
■難民としてドイツへ
2016年になり、イラクからドイツへ渡ったヤズディの取材を始めた。 この時、イラクから既にドイツへ難民として陸路で渡っていたアショール一家の19歳の息子ジョージがデュッセルドルフ国際空港まで迎えにきてくれた。空港からジョージが暮らすアパートへ移動する電車の中で、イラクからドイツまでの過酷な旅の話をしてくれた。
この頃、ジョージと同じように中東からヨーロッパへ押し寄せる難民たちの姿が毎日のようにテレビに映され、「欧州の難民問題」として日本でもニュースになっていた。ドイツ国内では難民の受け入れに反対する人々によるデモなどが相次ぎ、難民が暮らす予定だった東部の施設が放火されるという事件もある時期だった。
そんな中で、1人当たり約300ユーロ(約36700円)と家族で暮らす住居を政府から支給され、ヤズディたちはドイツ語を学びながら新しい生活をスタートさせていた。英語とクルド語、アラビア語、そして基礎レベルではあってもドイツ語でコミュニケーションが出来るようになっていたジョージと一緒にドイツ国内を周り、2月、4月、10月の3回にわたり、シンガルからドイツへ渡ってきたヤズディの取材をした。
2015年夏、イラクから密航斡旋業者と共にドイツへ陸路で渡った、20歳のジョージ。イラクを出発する前に、高校時代の友人からプレゼントされた時計。箱の中にしまってリュックに入れ、ドイツまで持ってきた。photo by Noriko Hayashi
ドイツでは何十年も前にイラクから難民として渡ってきたヤズディの子どもたちが成長し、いまは独立してドイツ国内で医師や弁護士などとして活動している20代〜40代のヤズディが少なくない。彼らが新しく保護を求めてドイツへ渡ってくるヤズディたちを支援する団体を立ち上げるなどしていた。あるトルコ料理店に立ち寄った際には、クルド語を話すシェフの男性に「ドイツには何をしに来ているの?」と訪ねられた。「ヤズディの取材に」と答えると、
「長くドイツに暮らしているけど、僕もイラク出身のヤズディなんだ。 食事のお金はいらないよ」
と言われることもあった。
ドイツでは,イラクで取材をしたダーシュに捕まっていた女性たちに再会し、彼女たちの新しい暮らしの取材をした。また難民として陸路でドイツへ渡ったヤズディが、故郷のイラクを去る時に小さなカバンに入れて持ってきた、大切なモノなどの撮影もした。それはヤズディの故郷でのかけがえない記憶と、これから続いていくドイツでの新しい人生とをつなぐ個人の象徴である。イラクとドイツで彼らの思い出をかき集めるように取材を重ねていった。
取材を通して出会ったヤズディの人々が、2年前まで暮らしていた故郷シンガルの自宅を訪れた。 2015年末にイスラム国から奪還されたばかりの村の彼らの家の中に足を踏み入れてみて、はじめてそこにかつてあった日常を想像することが出来た。 イスラム国の攻撃を受けながらも彼らが自宅から持ち出した思い出の写真。友人や家族、土地を奪われ全てを失ってしまったヤズディに残されたものは言葉や信仰、アイデンティティ、個人の思い出だった。
■民族としてのアイデンティティ
今回の写真集『ヤズディの祈り』には彼らの民族として、個人としてのアイデンティティが象徴されている、こういった写真をたくさん紹介し、この写真集そのものがヤズディにとっての未来へ続いていく思い出のアルバムのような存在でもあってほしいという願いもこもっている。
イラクのヤズディの置かれてきた歴史が、政治的にも地理的にも非常に複雑な背景が絡んでいることから、ヤズディのことをどう伝えるか、そして彼らがこの本を手に取った時の感覚を想像して、本書ではパートごとに言語を使い分けている。
インタビューをまとめたページは、日本語の他に英語やドイツ語、クルド語クルマンジー方言のラテン文字表記で表記し、写真ページのヤズディの村々の地名は彼らの文字を使用したいという思いで、アラビア文字で表記されている。
そして、表紙はヤズディの女性たちが伝統的に頭を覆う白いスカーフをイメージしたジャケットで、この本を丁寧に包むような存在になっている。
ヤズディを取りまく状況は変化し続けている。今も故郷のシンガル山で避難生活を送る住人たち、 家族と別れヨーロッパを目指す若いヤズディ、ドイツに渡り現地の学校に通い始めている子どもたちなど、時間の流れと共に日々変化し続ける感情と向き合いながら、それぞれの人生を歩んでいる。
朝起きると、母親のバハールは娘のスハン(6歳)を抱え、テントに取り付けたヤズディの平和の象徴であり、家の守り神である「ボクジック」に キスをさせる。photo by Noriko Hayashi
ダーシュ戦闘員に約3ヵ月に渡り監禁され、強制的に「結婚」を強いられた23歳のナディアは、2015年9月にドイツに渡り、現在は国連親善大使として虐殺の実態やヤズディ女性の悲劇の代弁者として世界中を周り活動している。2016年10月には欧州議会によりサハロフ賞を授与されたことが日本のメディアでも大きく報道された。
「中東の内戦」などニュースの一部としてではなく 、 写真に写るヤズディ一人一人について、彼らの人生や未来を本書を通して、想像していただけたらと願っている。
~あとがきからの抜粋〜
2016年7月、4回目のイラク取材の最終日に再びシンガル山の頂上に向かった。そこでは、今も山で避難生活を送るヤズディ女性たち数人が、山の南麓の方角を向きながら、土釜を囲みパンを焼いていた。
彼女たちの視線の先には今もダーシュに支配されているテル カサッド村が見える。その手前には破壊されたシンガル市の全景とモスルへと続く国道47号線が山に平行して真っ直ぐに延びている。女性たちの背中のすぐ後ろには、神聖なチャルメラ寺院がひっそりと佇んでいる。
夕暮れ時、山で暮らすヤズディの難民たちがここへやってきた。靴を脱ぎ、この小さな寺院の中へ入ると、奥にあるシルクの布を結びながら祈りを捧げる。山の麓の混沌とは対象にここでは静かな時間が流れている。寺院からゆっくりと出てくるヤズディの姿に、きっとここで同じように祈りを捧げていた彼らの祖先の姿を想像し重ねてみた。
かつて、この場所からどのような景色を眺め、ヤズディの未来に何を思いながらここを訪れたのだろうか。この土地で受け継がれてきたヤズディの暮らしや信仰が、絶えることなく存続することを願っている。
林 典子(はやし・のりこ)国際関係学,紛争・平和構築学を専攻していた大学時代に西アフリカのガンビア共和国を訪れ,地元新聞社「The Point」紙で写真を撮り始める。以降,国内外の社会問題やジェンダー等に焦点を当て,写真と言葉でひとりひとりの生と記憶を伝える活動をしている。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳─いま,この世界の片隅で』(岩波新書),写真集『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナル ジオグラフィック社)がある。2013年フランス世界報道写真祭ビザ・プール・リマージュ「報道写真特集部門」Visa d’Or(金賞),2014年NPPA全米報道写真家協会Best of Photojournalism「現代社会問題組写真部門」1位など受賞。英ロンドンのフォトエージェンシー「Panos Pictures」所属。
スラム国に攻撃され、美しい故郷を失った民族、ヤズディ。ひとりひとりの存在に寄り添い、その祈りと願いをあらわすフォトストーリー。