コラム:トランプノミクスの「負の帰結」=河野龍太郎氏
http://jp.reuters.com/article/column-ryutaro-kono-idJPKBN13G0SA
2016年 11月 23日 09:49 JST
河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長
11月21日、BNPパリバ証券の河野龍太郎・経済調査本部長は、金利上昇とドル高の継続によって、トランプ景気は2018年中に転機を迎え、2019年以降にはトランプ不況に転じる可能性があると指摘。提供写真(2016年 ロイター)
[東京 21日] - 大規模財政、移民規制、保護貿易を掲げるドナルド・トランプ共和党候補が米国大統領選挙で勝利した。この先、何が起こるのか。2回に分けて、トランプ次期政権の経済政策(トランプノミクス)が世界経済と日本経済に与えるであろう影響について論じたい。
初回は、米国経済への影響を中心に、6つの論点からトランプノミクスの帰結を考察した。
――後編はこちら:トランプノミクスは日本経済に追い風か
<世界中で吹き荒れるポピュリズムの嵐>
トランプ氏の政治手法は、典型的なポピュリズムである。日々の生活に潜む人々の不安をあおり、既存の政治家では解決できないと強く批判し、非現実的な政策目標を有権者に約束することで、既成政治に不満を抱く人々から支持を得る。
事実、移民や自由貿易によって雇用が失われたと信じる低所得白人層からの強い支持が、トランプ氏勝利の原動力だった。しかし、大規模財政による景気刺激以外については、多くの約束はまず達成できないから、最終的には政治へのさらなる失望を生み出すだけだ。それを糊塗(こと)するため、さらなる大規模財政に頼ることになる。
周知の通り、ポピュリズムの台頭は世界的な現象だ。大陸欧州では、反移民、反欧州連合(EU)を掲げる極右政党が発言力を強め、一部の国では中道派が政権からすでに転落している。米国と並び自由貿易と移民に最も寛容だった英国でも、6月にEU離脱を国民投票で選択した。
グローバリゼーションに対する人々のいら立ちが強まっていることも背景にあるが、より深層には、労働力の伸びの鈍化やイノベーションの枯渇によって、潜在成長率が低下していることがある。税収が伸びず、分配可能な果実が失われているのだ。社会保障費の分担などを働き掛ける既存の政治家が嫌われるのも当然だろう。
ポピュリストは増税や給付削減以外の魅力的だが非現実的な解決方法を提示する。振り返ると、先進各国で民主主義がうまく機能していたのは、戦後の50―60年程度の期間だが、それは結局、「成長の時代」だったからだ。今後もポピュリズムの嵐は吹き荒れる。
<移民規制と保護貿易の帰結>
ではトランプ氏が掲げる経済政策(トランプノミクス)の帰結は何か。まず移民規制と保護貿易について言えば、経済のメカニズムは複雑であり、移民を規制したとしても、低所得白人層の雇用や所得が増えるわけではない。移民排斥で経済のパイが縮小すれば、むしろ雇用や所得が減少する可能性すらある。
これまで先進国の中で米国経済が比較的堅調だったのは、移民流入のおかげで、労働力の減少が避けられていたからだ。仮に移民が規制されると、労働力の制約で米国の潜在成長率は一段と低下する。
保護貿易策として、メキシコや中国からの輸入品に高率の関税を課すというが、それは両国経済に悪影響を及ぼすだけではない。米国人の生活が世界で最も豊かなのは、世界各国から安価な商品を低関税で輸入しているためだ。
保護主義的政策の結果、仮に生産拠点が米国に回帰し、国内で生産が増えるとしても、割高なものが増えるだけで、結局、長い目で見れば、物価上昇によって家計の実質所得は損なわれる。トランプ氏が助けると約束したはずの米国労働者は、さらに苦しむことになる。保護主義的な政策で国を豊かにするのは無理だ。
<トランプノミクス効果で米国経済は復活するのか>
目を眩(くら)ませるのは、大幅に上昇する米国の株価である。株価さえ上昇していれば、トランプノミクス成功の証しと、多くの人が誤認する。多くの人は、株価上昇を潜在成長率の改善と結び付けたがるが、全ての株価上昇が潜在成長率の改善によってもたらされるわけではないことは、アベノミクスでも実証済みだ。
短期的な視野で動く株式市場は、トランプ氏が掲げる大規模な減税やインフラ投資の効果に強い期待を寄せる。確かに、財政資金をばらまきさえすれば、一時的に成長率はかさ上げされ、少なくとも2017年中は高い成長が続く。18年も政策効果はある程度持続するだろう。賞味期限は1年半から2年程度ではないか。
12年末から14年年初までのアベノミクスを想像すれば良い。この間、「トランプノミクス効果で米国経済は復活した」と喧伝される。日本をはじめ世界経済もトランプノミクス効果の恩恵を享受できる。「トランプ効果で世界経済が復活した」と資産市場を中心に熱狂が当面続く。
だが、しょせん、追加財政の効果の本質は、将来の所得の前借りでしかなく、潜在成長率が改善するわけではない。日本と異なり社会インフラの不足する米国では、理論上、インフラ投資は潜在成長率を改善させる可能性はあるが、トランプ氏が掲げる民間を使った方法では、ワイズスペンディングとならない可能性が高い(そもそもワイズスペンディングは難しい。結局、財政赤字が大きく膨らむだけで、景気刺激効果は長続きしない)。
また、米国経済はすでに完全雇用にあるため、追加財政で景気をかさ上げすると市場金利が上昇し、それが原因で、いずれ景気拡大は終焉に向かう。永年にわたって緩和的な金融環境が続けられ、低金利永続を前提にしたビジネスや家計が増えているため、極端な過剰債務や過剰ストックを抱えていなくても、市場金利の上昇が総需要にブレーキをかけることになる。
<トランプノミクス逆回転のメカニズム>
米連邦準備理事会(FRB)も今年12月に利上げに踏み切るだけでなく、減税や歳出拡大の実行が予想される17年後半以降、「のりしろ」を少しでも確保しようと、四半期ごとの利上げを模索するに違いない。
今のところ17年は第3四半期、第4四半期の2度の利上げを予想している。18年に入っても、景気拡大が続いていれば、実質金利をゼロまで引き上げるべく、利上げが継続される。インフレ予想の上昇とともに、FRBの継続利上げに対する思惑から、長期金利も3%台へと上昇が見込まれる。これが景気後退の原因の1つとなる。
ドル高も続く。第1期レーガン政権時と同様、追加財政と金融引き締めのポリシーミックスがドル高圧力を生む。追加財政の景気刺激効果はドル高を通じ、海外に漏出、日本を含め多くの国もトランプノミクスの恩恵を享受する。結局、ドル高は、米国製造業の競争力を削ぎ、一段の苦境に追いやる。
17年後半には1ドル120円台後半までドル高円安が進む可能性がある。金利差からは、18年は1ドル130円台も考えられるが、そうなると米国製造業だけでなく、日本の家計部門や輸入部門も持たなくなる(詳しくは後編)。現状のターゲットは120円台後半としておこう。
どうやら次回の米国景気後退の輪郭が見えてきた。もともと景気拡大局面は7年を超え、成熟局面に入っていた。完全雇用がもたらす雇用所得環境の改善によって消費は回復しているが、一方で、自動車販売や設備投資などはすでに減速局面に入っていた。大規模な追加財政によって、これらはいったん持ち直すが、潜在成長率が改善するわけでない。むしろ移民規制や保護主義的な政策は潜在成長率を悪化させる。
かさ上げされた景気は、将来の所得を先食いすることに他ならず、トレンドを超えた成長が続けば、調整過程において超えた分だけ落ち込みが発生する。金利上昇とドル高の継続によって、トランプ景気は、トランプ不況に転じる。19年まで景気拡大は続かない。恐らく18年中に転機が訪れるだろう。
<スタグフレーション・リスク>
もちろん、ポピュリズム政治であるから、景気かさ上げのために、効果が剥落すれば、さらなる追加財政を決め、景気の延命を図るというシナリオも考えられる。その際には、金融政策も景気延命のために緩和に転じていると思われる。
ただ、経済が完全雇用にあり、かつ景気が最終局面に近づく段階で大規模財政を発動するのだから、民間投資を減少させるクラウディングアウト(押し出し)が生じ、いつまでも景気拡大を持続させることは難しい。FRBの金融緩和で金利上昇を避けようとしても、インフレ予想の上昇で長期金利を抑え込むことは難しいだろう。
そもそもインフレが加速する局面で、FRBが金融緩和を実行するのかと疑問を持つ人もいるだろうが、ポピュリズム政治においては、イエレンFRB議長の後任には、必ずしも金融政策に高い見識を持つ主流派経済学者が就くわけではなく、基本的には任命権者のトランプ新大統領と同じ考えを持つ人が選ばれる。トランプノミクスの帰結は、低い成長率と高いインフレ率の組み合わせ、つまりスタグフレーションということだろうか。
世界的にインフレ率の低下が続く中、アベノミクスを実施した日本ですら、低い成長率と低いインフレ率を変えることができなかったのだから、トランプノミクスの実験においても、インフレ率の低下傾向に歯止めはかけられないと考える人も少なくないだろう。米国もフィリップス曲線(縦軸にインフレ率、横軸に失業率)が水平化しており、いかにアグレッシブなマクロ安定化政策を行おうとも、インフレ率のトレンドを上向かせることは難しいのではないか、と。
確かにその可能性も排除はできないが、日本との大きな違いは、大規模な追加財政が完全雇用の下で発動されることだ。日本で大規模な追加財政が取られたのは、12年度の補正予算だけだが、当時はスラック(余剰)が残存していた。その後、主に金融緩和が続けられたが、自然利子率が大幅に低下しているため、景気刺激効果も限られていた。
追加財政は、財政資金が民間部門に手渡されるため、公的債務拡大が将来の増税不安などを通じて消費や投資を抑えるリカーディアン効果が強く働かなければ、短期的には景気かさ上げ効果を持つ。需給ギャップがプラスの領域で改善するため、インフレ率は高まっていく。米国の成長率は17年が2.2%(従来1.6%)、18年が2.8%、コア消費者物価(CPI)上昇率は17年が2.2%(従来2.0%)、18年が2.5%と予想している。
<当面のリスク要因は人民元の大幅切り下げ>
ところで、現在、筆者が最も懸念するのは中国人民元の大幅切り下げである。
今後、トランプノミクスによる拡張財政が取られると、FRBの継続的な利上げが予想されるようになり、ドル上昇とともに、中国から資本流出圧力がさらに強まる。資本規制で対応できなくなれば、元買い介入が必要になるが、それは金融引き締めに他ならず、景気を悪化させる。そもそも景気の下支えを狙っているのだから、中国当局はその場合、一度限りの大幅な元の切り下げを行う可能性がある。
元の大幅な切り下げが行われる場合、中国と競合する新興国の通貨も大幅に減価する。つまり、新興国通貨は下がり、先進国通貨が上昇する。リスクオフとなれば、先進国通貨の中でも円買いが進む。トランプノミクスがもたらす楽観が消滅することはないが、一時的には楽観論へ冷や水を浴びせることになるのだろう。いや、そうしたショックを吸収することで楽観は徐々に頑強になっていく。ブームは、崩壊するときは一瞬だが、醸成には時間を要するものである。
もう1つの懸念は、欧州中銀(ECB)が12月に量的緩和の延長に際し、資産買い入れの縮小を決定する可能性が高まっていることだ。景気が当初想定していたよりも堅調であることなどもその理由だが、来秋にドイツの総選挙を控える中、極端な金融緩和の銀行業や年金などへの悪影響の広がりで、ECB批判が強まっていることも影響している。引き締め方向への変化は、FRBだけではないという見方が広がり、世界的に長期金利がさらに上昇するリスクがある。
秋のドイツ総選挙の前には、春にフランス大統領選が予定されている。前述した通り、17年も世界各地でポピュリズムの嵐が吹き荒れる。そのこと自体、マーケットは新たな地政学リスクと捉えるだろうが、同時に各国ともトランプ新大統領をまねて、移民規制や保護貿易だけでなく、拡張財政も打ち出すだろうから、それは短期的にはマクロ経済を刺激する方向の政策となる。国民が緊縮財政を好むドイツを除くと、各国の政府与党も低下する支持率を維持しようと、可能な限り、拡張財政を打ち出そうと近視眼的な振る舞いとなる。
アベノミクスで始まりトランプノミクスで強化された大規模財政を伴うポピュリズム戦略は、各国のポピュリストに継承されていく。
*後編はこちら:トランプノミクスは日本経済に追い風か
http://jp.reuters.com/article/column-ryutaro-kono-trumponomics-idJPKBN13H04Y
*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。
(編集:麻生祐司)