戦後最大の経済事件の内幕を張本人が綴る『住友銀行秘史』がスゴい! 約四半世紀を経て、衝撃の事実が…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49929
2016.10.19 山崎 元 経済評論家 現代ビジネス
■戦後最大級の経済事件
國重惇史氏の『住友銀行秘史』は「凄い本」だ。発売から1週間で10万部を突破したと聞くが、それも納得である。
想像していただきたい。メガバンクのエリート行員が、銀行の幹部が深く関わる悪事に気づき、これを事細かに記録するかたわら、銀行を救うために自ら内部告発を行った。そして、当時の記憶と記録とを、その本人が一冊にまとめ上げた。
悪事とは「イトマン事件」のことだ。
住友銀行から社長が派遣されていた中堅商社イトマンを通じて、バブルの時代を舞台に不動産や絵画などに対して裏社会に流れたものも含めて不適切なカネの流れが発生し、住友銀行は泥沼に嵌まった。
著者によると、同事件は住友銀行に約5千億円の損失をもたらした。戦後最大級の経済事件だと言える。
著者は、後に住友銀行の取締役になった人物だが、これまで彼が内部告発を行った当人であったことは一切明かされていなかったし、彼が克明に残したメモもおそらくは墓場まで持って行くつもりの記録だっただろう。
元銀行員が書いた小説は少なくないが、本書は、金融界や銀行員を題材にした凡百の小説とは、スケールと迫力が違う。何と言っても実話なのだ。直接内部告発に関わった当事者が著者なのである。あえて名前を挙げた比較はしないが、世間でよく読まれている銀行小説、金融小説の100倍は凄いと申し上げておく。
銀行というビジネス・組織を深く理解したい現役の銀行員、就職先として銀行を考える学生、加えて、日本の「組織」「世間」「官庁」「マスコミ」などについて深く理解したい人には、本書を複数回読み込むことを薦めたい(複数回の理由は後述)。
■記憶と記録のスーパーマン
本書を評するにあたっては、評者と著者との関係を説明しておくことがフェアだろう。著者の國重惇史氏は、評者が約10年前に現勤務先の楽天証券に入社した時の社長であった。評者は、数年間、國重氏の部下だった。
本書を読んだ方は一端が分かると思うが、國重氏は、他人を惹き付けるチャーミングな人物で、相手の懐に巧みに入ることができる対人スキルの持ち主である。同時に、頭脳明晰で諜報に長けた策士でもあった。時代劇に出て来る黒田勘兵衛をもっと女性にモテるようにしたような人物だと想像していただくといい。
加えて、氏は、他人と話した内容を、後から再現してほぼそのままにメモにまとめられるような記憶力を持ち、同時に、記録を確保し整理することに熱意のある、「記憶と記録のスーパーマン」であった。
本書は、著者が克明に残した手帳の記述と、著者の記憶に基づく本文によって構成されているが、こと内容の正確性については、元部下として保証してもいい。この本の記述は事実であり、著者は、根拠のない事実以外の推測や都合のいい創作を混ぜる人ではない。そして、事実だけで十二分に面白い。
ただし、事実の大半を明かした書ではあるものの、内容に大きな影響を与えない範囲でだが、当事者の名誉や現在の利害に関わる影響を考えて公開を抑制した部分があることは、あらかじめ申し上げておく。必要な抑制は利いており、暴露趣味の本ではない。
多くの関係者が鬼籍に入り、あるいは引退した。また、著者も(まだまだお元気なのだが)70歳になった。今だから書ける話になったのだろう。約四半世紀前の事件だが、記録としての価値は高く、内容がはらむ教訓は普遍的だ。
一方、この本の読み方に関わってくるが、記述に間違いはないはずだが、この本に書かれた事実は、あくまでも「著者の立場から見た事実」だ。そう思って見直すと、この本の内容は一層膨らむように出来ている。特に、金融マンには、再読、三読をお勧めする。
■イトマン事件から浮かび上がること
著者は、おそらく、本書のテーマ以外にも、本に出来る題材をいくつも持っているはずだが、本書の「住友銀行」と「イトマン事件」こそが、著者の人生にとって最大の事件だったにちがいない。
著者である國重氏は、当時、MOF担(大蔵省担当)で抜群の実績を上げ、住友銀行本店の業務渉外部の部付部長になった出世コースに乗った銀行員だったが、早くからこの問題の存在に気づき、何とかこの流れを止めようとした。
しかし、住友銀行内部の構図が問題の解決を難しくしており、住友銀行はどんどんイトマンに取り込まれて行く。
詳しくは、是非、本書を読んでいただきたいが、行内の構図とは、以下のようなものだった。
イトマンは商社なので、バブル対策として当時の大蔵省によって導入された不動産融資規制の対象外であり、住友銀行はイトマンを通じて不動産に多額のカネを流した。
しかし、その過程でイトマンの不動産投資の大きな部分が不良債権化し、ここに不動産のプロを名乗る伊藤寿永光という人物が入り込み、さらに伊藤氏を通じて在日韓国人実業家で裏社会ともつながりのあった許永中氏という人物までが絵画取引などで食い込んで、イトマンを通じて住友銀行のカネが彼らの食い物にされる事態となる。
しかし、住友銀行からイトマンに派遣されていた社長は、当時の住友銀行の実力会長で「天皇」とも呼ばれた磯田一郎会長のかつての子飼いの部下であった河村良彦氏であり、そのうちに磯田会長自身もイトマン側に取り込まれて行く。
伊藤寿永光、許永中、河村良彦の三氏は後に逮捕される。
他業界の人や若い読者には分かりにくいかも知れないが、実力会長の「実力」とは人事への影響力のことであり、また、人事こそは銀行員にとって「至上の価値」であり、当時の磯田会長は住銀にあって絶対権力者と言ってもよかった。
著者や著者の上司筋に当たる改革派の常務などは、イトマンを問題化してイトマンに対する不適切なカネの流れを止めようとするのだが、一方の次期頭取候補だった副頭取を筆頭に磯田会長に取り入ろうとする人々が磯田会長側に集まり、イトマンの改革を主張し彼らに対抗しようとするグループとの間で、住友銀行内には一大人事抗争が勃発した。その間にもイトマンを巡る状況はさらに悪化する。
銀行の幹部諸氏は、磯田会長に近い人々と、改革が必要だと考える人々、さらに様子を見て態度を決めようとする人々に分かれ、そこでは、一人ひとりの銀行員の、人事を巡る嘘を含めた駆け引きや、人生と仕事に対する価値観などが、否応なく浮かび上がることになった。
■銀行志望者へのテストに使える
読者本人、あるいは読者のご子息が銀行への就職を希望しておられる場合があろう。実は、本書は銀行員を志望する人に対して、本書は「銀行員適性」を測るテストに使える。
まず、夕食を済ませてから、寝るまでに用事のない日に試して欲しいのだが、本書を1日で通読できるかを試してみよう。
本書は、460ページ台の大部の書籍だが、銀行の業務メモのような著者のメモと本文が相補ってストーリーが進む。
これを、1日で読みこなす程度の文書通読能力がない人は、銀行員の仕事には向かない。銀行への就職は止めた方がいい。銀行という環境に対する興味の度合いも結果に影響するので、これは信頼度の高いテストである。
次に、本書の冒頭には、翻訳物の長編小説のように「主要登場人物一覧」が掲載されているが、銀行員志望の読者は、これを一度も見ずに本文を通読してみて欲しい。
本文だけを読んで、人間関係とカネの流れが頭に入らない人は、銀行員人生に向いていない。人事とカネ(カネの背後には「リスク」がある)がすっと頭に入らない人は、銀行の競争環境に不向きだ。
ついでに補足するが、本書の「主要登場人物一覧」をあらためて見てみよう。住友銀行関係者のほとんどに、当時の役職だけではなく、「入行年次」と「卒業大学」が記載されている。皆、事件当時は役員や部長の年代の人々だ。これが銀行員の基本的な相互識別方法であり、卒業大学が自分の識別子として「一生付いて回る」世界であることを覚えておこう。
銀行員の上級者向けのテストにも使える。
本文中におびただしい数で存在する著者のメモを見て、(1)情報ソースが想像できるか、(2)自分が同じ状況でこのようにメモを残すことができるかを自問してみよう。
「YES!」と自信を持って言えるなら、あなたは能力的には余裕を持ってメガバンクの役員になれるだろう。もっとも、「NO!」であっても、気落ちするには及ばない。著者の國重氏は「特別に優秀な」銀行員だったのだ。
それにしても、当時の國重氏の情報網と人脈には舌を巻く。
彼は、優秀なMOF担だったので、新聞記者や官庁に個人的な情報ソースと人脈を持っていることには驚かないが、銀行内の反対勢力の役員の動静や時には会話の内容まで把握しているし、裏社会の事情にも通じている。
銀行の秘書室や、平和相互銀行の合併を画策した時に親しくなったフィクサー的な人物との個人的に深い人間関係が「特別なソース」ではなかったかと評者は推測するが、國重氏のスパイ顔負けのインテリジェンス能力には、ただただ感心するしかない。
■「自分の利害」に制約された人々
さて、内容的に本書の核心部分に当たるが、著者の國重氏は、当時イトマン社員の匿名告発を装って、書中で「Letter」と称している内部告発文書を、大蔵省銀行局長(当時)、マスコミ、住友銀行関係者などに、数度にわたって送っている。
これらは、今まで誰の手によるものかが明らかではなかった謎の告発文書だった。
また、本件に関してはなかば著者の盟友であった日本経済新聞社の大塚記者をはじめとするマスコミに情報を流して報道させてもいる。
結果的に、一連の「Letter」は、イトマン問題が事件化し、住友銀行の損失拡大を止める上で役に立ったと評価できるが、本書を読むと、当時の銀行局長、マスコミ、住友銀行幹部などの反応は皆驚くほど鈍い。
全ての関係者が「自分の利害」に制約されて、正しい身動きが取れない様子が続々と、そして淡々と綴られている。
一般市民の目線で眺めるなら、「お前が、本当に住友銀行が、いや住友銀行の預金者をはじめとする顧客が大事なら、証拠を確保した上で実名を名乗り出て世間に問題を告発してみよ」と言いたくなるような問題が指摘されているのだが、レトリックとして「私も辞表を書く」と口にする人物はいるものの、著者も含めて、本当に辞表を書く人物は本書には一人も出て来ない。
実は、國重氏ほど大掛かりな話にならなかったが、評者(山崎元)も、内部告発の当事者になったことがある。詳細は省くが、実質的な訴え先は、本書の國重氏の場合と同じ当時の銀行局長である土田正顕氏(故人)だった。
内部告発を行うことは自分個人にとっては、ほぼ100%得にならない。しかし、やむにやまれずに行う。そして、再びしかし、実に心細いものである。
内部告発が露見した場合に失うかも知れない、生活の根拠、社会的立場と人間関係、さらに、場合によっては身の危険は、当事者にならなくても、普通のビジネスパーソンなら想像できるだろう。
正義感のある普通の市民が本書を読んだとしたら、最もストレートな感想は、著者も含めて、それなりに責任のある関係者が、自分の職を賭してでも正義を実現するために立ち上がらない事への失望ないしは憤りだろう。
お気持ちは分かる。しかし、お互い生身の人間なのだ。この点は、大目に見てやって欲しい。
それにしても、本書を読むと、銀行員にとって「人事」こそが、社会的な正義よりも相当に重大な価値であることが痛いほど分かる。
■バブル経済を活写した第一級の史料
さて、先に述べたように、本書は、イトマンの改革を主張する改革派であり反磯田会長側に立って動いていた國重氏の視点から書かれている。
事実は同じであったのだとしても、別の登場人物から見て事態がどう見えていたのかと想像すると、本書は何度も楽しめるし、別の様相を見せる。
例えば、本書では悪役側に描かれているが、磯田会長に近かった当時の副頭取からは、磯田氏の名誉を傷つけずに事態を収束させる道筋が見えていたのかもしれないし、あるいは、彼こそが、自分を取り立ててくれた磯田氏への忠誠とイトマンの問題の大きさ深さとの板挟みに、個人的には最も苦しんだ人物だったのかも知れない。
さらに、この磯田派の副頭取の立場から見るなら、國重氏の「暗躍」をどうして把握し、対策を取ることができなかったのかという問題が浮かび上がる。本書は俄然、ビジネスパーソンにとっての問題集となり、資料集的な副読本の様相を帯びる。
ちなみに、視点を変えて読んでみて、評者が一番興味を持ったのは、イトマンに入り込んだ天性の詐欺師にしてバブル紳士であった伊藤寿永光氏だ。
彼の着眼と立ち回りは、悪党ながら見事だ。イトマンと住友銀行のどこに目を付けて、どうやってがっちり食い込むことができたのか。
彼は、逮捕されるような境遇に陥らなければ、成功したビジネスパーソンとして「ロール・モデル」(いかにもチープな言葉で恐縮だが)になり得たような人物だったのではないかと、想像が拡がる。
現在成功しているビジネスパーソンの中には「逮捕されなかった伊藤寿永光」のような人物が複数いるにちがいない。
また、本書に答えの一部が書かれているが、掛け値無しに日本を代表するバンカーの一人であった磯田一郎氏に伊藤氏はどのように取り入って、彼を利用し、翻弄するに至ったのだろうか。彼は、人物的にも相当に魅力のある人だったのではないかと想像されるし、國重氏に近いが異なるスーパーマンだったのかもしれない。
『住友銀行秘史』は完成された実話の記録であり物語でもあるが、悪役も含めて、別の視点からの物語を読みたいと思わせる開かれた素材であり、何よりもバブル時代の経済を活写した第一級の史料である。
銀行員はもちろん、ビジネスマンなら必読の一冊である。(amazonはこちらから)