「国際化」とは米国への適応なのか
≪外国人労働問題に無邪気でいいのか≫
周知の通りパリは人種による階級構造の都会である。すなわちパリの底辺を中近東、黒人、アルジェリア、モロッコ、チェニジア人等が支え、第二の層にポルトガル、スペイン、イタリア人たちがいて、上部構造がフランス人である。響庭孝男氏が生き生きと描出した評論で、氏はフランスのブルジョア階級が所有しスペイン人が管理するアパルトマンに住んだ。日々に出されるゴミの回収に来る作業員は黒人やアルジェリア人である。
この町では搾取する人種と搾取される人種とがもう何百年と、何の疑いもなく区別されている。人々は人種による「差別」には慣れっこになっていて、もう誰も驚かない。後から来る外国人は、既成事実を認め、承知の上でこの構造のどこかに納まる。だから町全体は安定しているし、フランス人の支配は動かない
。
私見では、米国もまた同様な人種階層構造国家だと思う。米国とパリは地球上の二大特殊例外といってよいだろう。
日本が仮に独仏と同じく7%の外国人(約800万人)、をASEAN諸国から受け入れた場合、東京に住む日本人はパリのフランス人のように、搾取する階級として彼らの上に平然と君臨する覚悟があるだろうか。人種による「差別」を眉一つ動かさず、冷静沈着に実行できるだろうか。自信のある人だけが、外国人労働者を受け入れ、西欧先進国に倣う「義務」だとして主張するがよい。
そしてアジアの民への日本人の偏見と差別感を、人道主義の名において非難するがよい。西独がとくに外国人対策に苦しんでいるのは、パリ市民ほど「差別」に慣れていない体質にある。日本の場合は西独以上に破滅的な災厄を子孫に遺す結果になるであろう。
綺麗ごとの「国際化」を語る段階から、いよいよ実行の段階に入れば、「鎖国」政策をも戦略として堅持する自由を保持しなくては、日本が日本として成り立って行かない局面を迎えよう。労働者受け入れ問題は、ほんのその一例である。…先進国中の「少数民族」であるわが日本に、民族的統一と教育水準の高さ以外に一体どんな武器があるというのか。われわれはいつか下降する運命をも予想される日本の将来を、戦略的に先読みして歩まなくてはならない。
(注)私がこの一文を欠いた後、フランスでは移民排斥を掲げて、ルペン国民戦線という右翼政党が大統領選挙で得票を伸ばし、話題になった。
「人の自由化」は悲劇的錯誤
(欧州におけるさまざまな人種差別の実態が描写されている)
「西ドイツに見習え」論のウソ
≪「国際化=自由化」に立ち遅れた日本の幸運≫
≪民族的統合が毀れてゆくドイツ≫