ぽんせん堂 主人 にこにこ にこざえもん
として 徹底して あそんじゃおう
というのが おれの いまの 方針なんだ
いま だけじゃ なく いつまで たっても
そうして いたいんだけどね
とにかく あそんでたいんだ
おなじ 考えるに しても
なるべく 気楽に おもしろ おかしく
考えて いたいんだよな
おれの もともとの すがたは
遊び人間 なんだよな
それが いままで ずっと
まじめに やりすぎちゃった みたいだ
正しい 道が あって
それを 誰もが おいかけなくちゃ ならない
なんていう ばかな はなしを
やってたんだ
まじめに なっちゃって ね
この 何千年かの ひとびとの 苦しみは
この ばかな はなし から 始まってるんだ
キリスト教 イスラム教
そして 仏教だって にたような ものに
なっちゃって
ひとびとを ながいこと 苦しみの なかに
とじこめて きたんじゃ ないのかなあ
すべてを 単純な ものさしで はかって
これは よい これは わるい
なんて
一直線に ならべて
その なかで 誰が より す進んでるか
なんて 競争させてたんだよな
そして ひとびとの こころを 貧しく
させて きたんだ
まじめ人間 ほど
これに やられちゃう
そして どうしても 他人に 冷たくなる
まあ いままでの 古い文明の ことは
もう どうでも いいんだ
これからの ことを 考えよう
これからは いろとりどりの うごきが
たがいに ひびきあい ながら
それぞれの 道を すすむ
という ことに なるんだろうなあ
誰が 誰よりも 進んでる
なんて ことは 関係ないんだ
だれもが それぞれの 道を
いろとりどりに おもい おもいに
歩くんだ
誰にも 共通の
進歩 進化 なんていう 考えは
ひとびとを くるしめる だけの
いびつな 考え方 なんだよ
いびつな 一直線イデオロギー なんだ
ああ いままでの ことは
もう どうでも よかったんだな
いろとりどりの 動きが たがいに ひびきあう
その おもしろさを 考えるんだった
あかんぼうが そこに いる だけで
そして ときどき にっこり 笑ったり
あるいは 無心になにかを していたり する
姿を みれば
見も知らぬ あかんぼう だって
だれでも なにかを 感じて あったかな 気持ちに
なれる はずだ
まあ 虫の いどころが わるければ
こんちくしょう と はらが たつときも
あるのが 当然だけど
文明 全体として 冷たい こころが
さきに たつのが あたりまえ
なんていう ことなら
それは いびつな 文明なんだよ
そして ある ときが くれば
当然のごとく こわれて いく 文明なんだ
そんな 文明から 逃げだす ときが
来たんだよな
あかんぼう だけじゃ ない
どんな ひと からも
あるいは 山や 川や 草木や 動物の
どんな すがたからも
いろんな ひびきあいを 感じながら いきていく
それが おもしろいんじゃ ないかな
その ひびきあいの なかで
それぞれが いろとりどりに 自分の 道を すすむ
それが 本来の ひとの すがた
本来の いきる おもしろさ
なんじゃ ないかなあ
ひびきあいの おもしろさ とは どんな ものだ
なんて 言われると 困っちゃうんだけどね
それを おもいだすのが いまの おれの
目指す ところ なんだと 思うんだよ
ふるさとの ひびき みたいな ものが
かすかに きこえて くるような 気が するんだけど
その ひびきが たぶん おれを みちびいて くれる
なんて 思いたい ところ だよな
その ふるさの ひびき みたいな もの から
つたわって くるのが
身のまわりの いろいろな うごきと
ひびきあい ながら 生きていく ことに
おもしろさが あるんだ
という こと なんだよな
そうに ちがいない と はらの そこから
おもうんだ
そして やっぱり 遊ぶことが 肝腎だと
おもうんだ
まじめに なって 一直線イデオロギーの
文明に はいって いくのは やめて
ひびきあいの おもしろさを 感じられる ように
あそぶ
このさい 徹底してあそんじゃうのが いい
そして いつまでも あそんで いるのが
本来の いきる たのしみ
という ふうに 思ってるんだよな
という ことで どうしたって
にこにこ にこざえもんの 出番だよな
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ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
… にこにこ にこざえもん
(原文は、ひらがなにほんごです)
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