物証ほぼゼロの逮捕、自白強要の疑惑。被害者遺族を前にして、素人裁判員は何を裁けというのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここから)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016022802000114.html
栃木女児殺害 あす初公判 供養の日々「真実は」
2016年2月28日 朝刊
*有希ちゃんの白木の位牌を前に座る長谷川住職。同じ本堂には昨年5月に亡くなった母親の位牌も納められている=栃木県日光市で
写真略
栃木小1女児殺害事件で犠牲になった吉田有希ちゃんの菩提(ぼだい)寺である日光市の泉福寺には、有希ちゃんの白木の位牌(いはい)が、今も置いてある。この寺では、本来は一周忌の後に寺でたき上げるが、事件解決を祈り、そのままにしてきた。「真実が明らかになってほしい」。29日の初公判を前に、長谷川興賢(こうけん)住職(67)は願う。 (後藤慎一、大野暢子)
祖母、両親、姉、妹の六人家族だった有希ちゃん。地域住民らの話では、姉妹で仲良く遊ぶ様子や、楽しそうに自転車を走らせる姿がよく見られたという。
人見知りな性格だったが、学校では多くの友達に囲まれ、体を動かすことが好きだった。保育園の卒園文集には、のびのびとした字で将来の夢を「ゆうえんちをつくりたい」と書き、観覧車や女の子が登場するにぎやかな絵をページいっぱいに描いていた。
その夢は、わずか七歳で絶たれた。小さな遺体と対面した母親は「学校が好きだったので、ランドセルをお棺に入れてあげたい」と泣き崩れたという。葬儀で中心的役割の導師を務めた長谷川さんは「(遺族は)信じられない感じだった。ぼうぜんとしていた」と振り返る。
事件後、有希ちゃんの家族は市外へ転居した。
容疑者が逮捕されたのは発生から八年半後の一四年六月。長谷川さんは地元住民として「ひと安心した。裁判が早く始まってほしい」と進展を期待した。しかし、公判の期日はなかなか決まらない。この間、いったんは関与を認めた被告は否認に転じ、争点を整理する手続きは長引いた。
有希ちゃんの母親は昨年五月、くも膜下出血で公判を待たずに四十七歳で亡くなった。母親の葬儀でも長谷川さんが導師を務めた。
「有希ちゃんの供養をしていくのが仕事。真実が分かっても戻ってくることはないけど、実際はどうだったのだろうか」。母と子の位牌が置かれた本堂で朝晩の読経をしながら、静かに行方を見守る。
遺族の代理人弁護士によると、有希ちゃんの父親と祖母は被害者参加制度に基づき、法廷で遺族としての思いを陳述する予定。参加は母親の希望で、残された二人が遺志を継ぐ。父親は「裁判を見守り、何があったかを知りたい。被告に自分たちの思いを直接伝えたい」と話しているという。
◆自白信用性、任意性が焦点
写真略
二〇〇五年に起きた栃木県今市市(現日光市)の小一女児殺害事件で殺人罪に問われた勝又拓哉被告(33)の裁判員裁判初公判が二十九日、宇都宮地裁(松原里美裁判長)で開かれる。直接証拠はなく、検察側は被告の自白を立証の柱にする見通し。弁護側は「事実と異なる自白をさせられた」と無罪を主張する方針で、その信用性や任意性が争点となる。
起訴状によると、勝又被告は〇五年十二月二日、常陸大宮市内の林道で吉田有希(ゆき)ちゃん=当時(7つ)=の胸をナイフで多数回刺し、失血死させたとしている。
凶器や被害者の所持品は見つからず、事件で使われたとされる車も廃棄されている。客観証拠がない中、検察側は被告が殺害を認めた取り調べの録音・録画で信用性や任意性を補強する考えだ。一方、弁護側によると、被告は昨年五月から「事件に一切関与していない」と主張。威圧的な取り調べで強いられた自白で、殺害の時刻や方法が遺体の状況などと矛盾し、犯人しか知り得ない「秘密の暴露」もなかったと訴える。
公判は三月二十二日の結審まで十五回開かれる。裁判官だけによる商標法違反罪と銃刀法違反罪の区分審理で今月九日に有罪の部分判決が出ており、これを踏まえて三月三十一日に判決が言い渡される予定。
<栃木小1女児殺害事件> 2005年12月1日、栃木県今市市(現日光市)の市立大沢小学校1年、吉田有希ちゃんが下校中に行方不明となり、翌2日、約60キロ離れた茨城県常陸大宮市の山林で遺体で見つかった。死因は、刃物で胸を約10カ所刺されたことによる失血死。14年2月、商標法違反容疑で逮捕、勾留中だった栃木県鹿沼市の無職勝又拓哉被告が殺害への関与を認め、栃木、茨城両県警は同年6月、殺人容疑で逮捕した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここまで)
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/676.html