米軍は今後、さらに半世紀の間アフガニスタンに居続けると米の元国務長官首席補佐官が言う背景
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2016.02.19 櫻井ジャーナル
アメリカ軍は今後半世紀の間、アフガニスタンに居続けるだろうとアメリカ陸軍のローレンス・ウィルカーソン退役大佐は推測している。この人物はコリン・パウエル国務長官の首席補佐官を務め、ジョージ・W・ブッシュ政権の内情にも詳しい。
アフガニスタンに対する先制攻撃が始まったのは2001年10月。その直前、9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をしていない段階で即座にアル・カイダが実行したと断定する。そのアル・カイダを匿っていると主張してアメリカ軍はアフガニスタンを攻撃したわけである。ちなみに、本ブログでは何度も書いているように、アル・カイダという戦闘集団は存在しない。
パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカがアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめたのは1973年だというが、本格的な秘密工作はジミー・カーター政権の時代。大統領の首席補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンに誘い込み、イスラム武装勢力と戦わせようとしたのだ。戦闘員の主力はワッハーブ派/サラフ主義者。
将来の大統領候補としてカーターに目をつけたのはブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラー。1973年のことだ。つまり、カーター政権では大統領より補佐官の方が立場は上だった。
ブレジンスキーの作戦に基づき、CIAがイスラム武装勢力への支援プログラムを始めたのが1979年4月。ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのはその年の12月である。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争は ブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、1989年2月にソ連軍は撤退した。
1993年に暫定政権が成立するが、1994年末にタリバーンが台頭する。この集団を組織したのはアメリカとパキスタンの情報機関で、1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返したため、イスラム世界におけるタリバーンの評価は高くなかった。
ところが、アメリカ支配層は違った。例えばCFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明する。タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。(最近、シリアを侵略している戦闘部隊を「穏健派」だとアメリカ支配層は言い張っている。)
アメリカの石油企業は中央アジアの油田を開発するためにアフガニスタンを統一する必要があり、その役割をタリバンーンに期待していた。サウジアラビアのような親米体制ができると期待したようだが、トルクメニスタンからのパイプライン敷設計画で、タリバーンはアメリカ系のUNOCALでなく、アルゼンチンのブリダスを契約相手に選び、アメリカとタリバーンの関係が悪化する。1998年8月にはビル・クリントン政権がアフガニスタンをミサイルで攻撃している。
2001年の大統領はクリントンからブッシュ・ジュニアへ交代、9月11日の攻撃が引き起こされる。その攻撃の2日前、ロシアやイランとも友好的な関係を結ぼうとしていたアーマド・シャー・マスードは暗殺され、9月22日にCIAはウズベキスタン南部にある空軍基地へチームを送り込んで10月にアフガニスタンを先制攻撃、11月にタリバーン政権を倒した。
1973年にベトナム戦争が終結するまで、ヘロインなどの原料になるケシの最大産地は東南アジアの山岳地帯、いわゆる黄金の三角地帯だった。1973年当時、押収されたヘロインの量から類推すると黄金の三角地帯が供給していたヘロインの量は南西アジアの約4倍だったと言われている。(Alfred W. McCoy, "The Politics of Heroin," Lawrence Hill Books, 1991)
ところが、アフガニスタンで戦争が始まった直後、1980年にオランダで押収された東南アジア産ヘロインの量は前年の3パーセントに激減、その一方でヨーロッパにおける南西アジア産ヘロイン押収量は同じ期間に2倍以上に増えている。
ソ連消滅後、南西アジアで生産されたヘロインの大半はアフガニスタンからトルクメニスタンやタジキスタンへ運ばれ、そこからカスピ海を横断、カフカズ山脈を超えてトルコに入っている。西ヨーロッパに流入するヘロインの75%はこのルートを通っていると推測されていた。トルコの先はコソボ、アルバニアを通過するものが全体の約40%、残りは黒海を横断してウクライナへ入り、枝分かれする。西側の支援を受けていたKLA(コソボ解放軍)がヘロインの密輸で資金を調達してきたことは公然の秘密だ。
今もアフガニスタンはケシの最大産地で、ケシ畑をアメリカ軍の兵士がパトロールしている光景が撮影されていること、あるいは麻薬取引の伴う資金が西側の巨大金融機関を支えていることは本ブログでも紹介した。アメリカ政府を操っている金融資本は麻薬なしに存続できない状況で、「麻薬との戦争」を本気で行えるはずはない。シリアでアメリカ主導の連合軍がダーイッシュを実際には攻撃してこなかったことにも似ている。アヘン戦争以来、米英支配層を支えるシステムに変化がない。支配者たちがアメリカ軍をアフガニスタンへ居座らせる理由は石油と麻薬にあると言えそうだ。