「極限の民族〜アラビア遊牧民」本多勝一/朝日新聞社’82年 から抜粋
(1965年、6〜7月)
≪サバクの首都リヤド≫
リヤドの町の外観の変容はさておき、日本のような国から来た旅行者にとっては、この首都はやはりまだ異様な町だと思う。大部分のイスラム教国では、これくらい大きな町だと、ヴェール(ブルカ)をかぶっていない女もみられるし、トルコやイランは法的に廃止しているが、リヤドでは女のおとなが100%ヴェールをかぶっている。素顔をみせているのは、旅客機のスチュワデスと看護婦だけだというが、
スチュワデスも看護婦も、パレスチナやレバノンあたりから”輸入”された婦人だった。サウジ出身の婦人では、ついに一人として素顔を出した者がいなかったことになる。
また、もともとイスラム社会では、原則として宗教・道徳・法律が分化していない。イスラム法は近代法と異なり、慈悲ふかく慈愛あまねきアラーの、はかりしれぬ意志による教えの一部であって、アラーの意図をくんでそれに従うことが即法を守ることである。こういう考え方と当然関連して、イスラム法では公法が不完全であり、…。
≪親切で慎み深いベドウィンたち〜遠慮ごっこ≫
(砂漠のベドウィンから夕食の招待を受け、出かけると、招待客より少ないヒジまくらが三つ。それを巡って延々と譲り合いをする)
≪招待の栄誉≫
「ターム、ターム(どうぞ、どうぞ)」と、自分こそ食事の座に、あとでつこうと互いに争う遠慮ごっこは、その後常に見られた。
みんなの食い方のスピードがやや鈍ってきたかと思うと、突如として食事は中断され、完了した。用意されていた水で簡単に手を洗うと、ふしぎなことに、客たちはそのままドンドン帰りだした。招待者に「ごちそうさま」とも何ともいわず、あとを見向きもしない。
何となく変な気がするので、通訳に聞くと、私たちは招待者に「招待する栄誉を与えてやった」のであった。
≪厚い障壁≫
リヤドを出発したとき、政府当局はガイドを通じて私たちにこう忠告したー「ベドウィンの女には近づかないように。写真もとらないように」。…
エスキモーやニューギニアの主婦たちは、ここの比べたら何と早く気心が知れたことだろう。この厚くて黒いヴェールは、日本人としての私たちと、最もアラビア的アラビア人たるベドウィンとの、厚い障壁を象徴しているかのようだ。ベドウィンがエスキモーやダニ族(ニューギニア)と決定的に違う点は、いわゆる文明人ではないにしても、原始民族、あるいは未開人では決してないことだ。