極右・弱肉強食・格差拡大・安倍自民党
へ従属の公明党・創価学会の大変質と正体 !
【理念と真逆・極右・自民党へ従属・創価学会総本部の好戦性が正体】
(blog.goo.ne.jp:2015年3月20日より抜粋・転載)
「ジャーナリスト同盟」通信
<本澤二郎の「日本の風景」(1938)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52098821.html
【信濃町の好戦性】 <官邸・自民党本部からの謝礼金>
数々の危険な憲法違反法制の実現に対する謝礼が何なのか、どれくらいなのか?
過去に自民党と部分連合を組んだ新自由クラブの例からすると、
莫大な謝礼金が公明に流れていることになるのだが。公にできない金である。
内部告発に期待したいものである。官邸や自民党本部の関係者は知っている。
まさかこれを特定秘密にしていることはないだろうから。
NHKのモミイのスキャンダルは、内部告発の成果である。
正義の士が官邸や自民党にいても不思議ではない。全文は下記に…
「ジャーナリスト同盟」通信:<本澤二郎の「日本の風景」(1938)
(信濃町の好戦性 :2015/03/19 05:09より抜粋・転載9
<国家・国粋主義に順応>
軍靴の音は神社本庁や日本会議だけだと思っていたが、実際は信濃町の方からも響いてきている。これは数年前までは誰も信じなかったことである。
何でもありの、2年余の自公政権の平和憲法に対する挑戦には、あきれるばかりである。
筆者も含め、自民党極右・国粋主義の暴走を止めてくれる公明・創価学会を信じた国民と隣国の日本研究者は多かった。
結論を言うと、完全に裏切られてしまっている。
信濃町の好戦性は、どこから来ているのだろうか?
<池田会長辞任後、平和主義をあっさり放棄>
公明新聞や聖教新聞を読んでいる国民は、ごく少数のはずである。
後者を中国社会科学院の事務所で見つけたときは、大いに驚いてしまった。
しかも、その新聞を日本語と日本研究に利用する大学院生がいたことにも。
ここに日本共産党の「赤旗」を見つけることは出来なかった。
外交学院の院生が公明党・創価学会についての卒業論文をまとめていたとき、あわてて担当教授が軌道修正して、その平和主義にブレーキをかけた。
特定秘密保護法の成立に狂奔した公明党。集団的自衛権の閣議決定にさいして、これを阻止する公明党・創価学会に期待した国民は多かった。
しかし、これも結果論からすると、単なるポーズでしかなかった。
財閥の要求は、武器輸出にとどまらない。
原発の輸出にも公明・学会がお墨付きを与えてきている。自衛隊派兵の恒久法も、公明がそそくさとまとめてしまった。
戦争放棄の憲法を信じて自衛隊員になった者は、家族を含めて衝撃を受けている。
これほど軽い平和主義の扱いに「そもそも信濃町はなんなのか」と重大な懸念が内外から沸き起こって当然だろう。
<自民党政権・官邸の脅しが原因>
過去に言論・出版妨害事件が表面化したときがあった。
自民党実力者を巻き込んだ大掛かりな出版妨害事件に国民は仰天させられた。
昔から、創価学会本部と自民党の関係は、水面下でつながっていたことになる。
したがって、自公連立は、以前から想定されていたことになろう。だが、今は国家・
国粋主義の政権である。憲法の平和主義を崩壊することを当面の目的にしている。
国粋主義との連携は、専門家も愕然とさせられる政治現象である。
平和主義をあっさりと放棄、好戦性をちらつかせる信濃町を、筆者は先に「国粋主義にレイプされた信濃町」という小論にまとめた。
ここで断定できることは、信濃町の弱点(不正経理・暴力団との癒着・大幹部のスキャンダル等)を官邸に握られ、それで脅されたのであろう。
現に、集団的自衛権行使の閣議決定の場面で、創価学会が抵抗を示すと、即座に首相参与とかいう飯島が「政教分離に違反する公明党を叩く」という脅し・迫害をかけた。
瞬間、創価学会総本部・信濃町の抵抗は、収まってしまった。
なんともあっけない幕引きだった。
自公の3分の2勢力は、創価学会のかくかくたる戦果だ。
それが飯島の一言で沈黙してしまった。まるで赤子の手をひねるように、信濃町の反撃を封じ込めてしまった。
<政教一致教義にも好戦性?>
創価学会は日蓮を教祖とする宗教法人である。法華経と政治の一体化、すなわち王仏冥合(政教一致)を目標にしている。
その点で、極右の神社本庁とは敵対関係のはずであるのだが?
呉越同舟なのだろうが、これも不思議な光景である。鎌倉時代に宗教革命に命をかけた日蓮、彼の立正安国論からは、すさまじいエネルギーを感じさせるものがある。
国粋主義との連携も戦略的に許される、というのであろうか。
国家神道の復活にかける神社・靖国派と、日蓮派の提携は、けだし見ものではあるが、
平和を愛するアジア諸国民にとって、これほど迷惑なことはない。
<国粋主義も脱帽>
ここ最近、2度の総選挙は、創価・信濃町の威力を存分に証明している。
信濃町が手を引けば、自民党の圧勝を考えることは、全く出来ない。
安倍・国粋主義・政府が、憲法違反の悪政の数々を強行できるのも、ひとえに選挙での
圧勝による。
自民党従属・創価学会のお陰なのだ。
選挙では、神社本庁も反共キリスト教団の統一教会も創価学会の力に及ばない。
象と蟻に比較される。
建前・平和主義・中道主義・大衆福祉・公明党・創価学会によって、靖国派・極右は、権力を手にすることが出来たのだ。
一般の創価学会員は、完全に騙されて、利用されているのだ 。
いくら財閥が金をまいても、現在の議席は不可能である。
金権腐敗を非難されるだけである。創価学会・信濃町に国粋主義も脱帽しているだろう。
<安倍官邸・自民党本部からの謝礼金>
数々の危険な憲法違反法制の実現に対する謝礼が何なのか、どれくらいなのか?過去に自民党と部分連合を組んだ新自由クラブの例からすると、
莫大な謝礼金が公明に流れていることになるのだが。
公にできない金である。
内部告発に期待したいものである。
官邸や自民党本部の関係者は知っている。
まさかこれを特定秘密にしていることはないだろうから。
NHKのモミイのスキャンダルは、内部告発の成果である。
正義の士が官邸や自民党にいても不思議ではない。
創価学会・信濃町の本性・好戦性に、今後も振り回される日本人とアジア諸国民でいいのだろうか。信濃町にも正義派はいないものか?
2015年3月19日記
(参考資料)
T 戸田会長の苦悩:“ほとんど全員が「退転する」”だろう !
獰猛・狡猾・甘美な権力の魔性に負けるであろう !
昭和30(1955)年2月、信濃町・学会本部における、文化部員の任命式で、戸田第二代会長が、「今日、ここのいるのは、わが愛弟子たちである。
しかし、“ほとんど全員が「退転する」”だろう。獅子は千尋の谷に子を突き落とし、這い上がらせて訓練をする。ここにいる皆も、千尋の谷に落とさざるを得ないのだ。
“だが、ほとんどの者が¼¼二度と這い上がれない”だろう。
それを思うと、私は余りの辛さに――涙がこぼれるのだ」と述べています。
牧口会長を獄死させた政治権力への怒り。
いまだ誰も果たしたことのない、日蓮仏法の「立正安国」「王仏冥合」という見果てぬ夢の実現。時期は来た。打つべき手は打った。
だが、「権力には魔性が棲んでいる。ここに居並び、これから政界に送り出さねばならぬ弟子たちの、誰一人として気づかぬほどの獰猛で狡猾で、甘美な魔性が」と記述されています。
U 池田三代会長の公明党への危惧
公明党が、既成政党並みになれば、創価学会は応援しない !
池田先生は、嘗て、「中道主義、中道政治は、単なる相対峙する二つの勢力の中間をいくものではない。
また、両方から、そのよいところだけをとって、自己の主張とするような行き方であってもならない。
真の中道主義は、独自の強い主義主張をもち、既成の思想をリードし、包容し、統一していく力ある大原理をさすのである」と指導されました。
また、「中道とは、『アウフヘーベン』に近い言葉と考えていただきたい。
すなわち、物欲主義と精神主義を止揚する第三の『生命の道』である」と、そして「中道思想とは、人間主義といいかえることができる」とも 述べられています。
1963(昭和38)年3月、池田先生は、横浜大会で、「権力は、魔性である。
政治は、魔物である。ゆえに議員には、徹底して厳しく。
恩師・戸田先生の厳命である。
一党一派に偏する必要は、
創価学会にはない。」などと訴え、さらに自民党、社会党、共産党を批判して、返す刀で公明党について、「こういう既成政党に成り下がったら、一切応援しない。期待に外れたら、叩き出そうじゃないか」と話されたと報道されています。
V 池田第三代会長等の箴言
(『池田名誉会長が語る恩師戸田城聖先生』第三文明社、より要約)
*日蓮大聖人は、全人類の未来のために、妥協なく「権力」と戦われました。
戦ったからこそ弾圧され、佐渡に流罪されたのです。
ところが、その姿を見て、多くの弟子達が、大聖人を守るどころか、非難した。
「師匠のやり方はまずい。あんなやり方だから、迫害されるのだ。私たちは、もっとうまく柔らかに法華経を弘めよう」こういって批判した。牧口先生の時も同じでありました。あからさまに「私は退転する」とは言わない。しかし、実際には、大難を恐れた「心の退転」であった。その臆病の姿を、大聖人は、悠々と見おろしておられました。
牧口先生もそうであられた。
この「牧口先生の大確信」をそのまま受け継がれたのが、戸田先生です(63〜64頁)。
*学会精神というと、なにかめんどうなことのように思うであろうが、それは、ただ「日蓮大聖人様の時代に還れ」というだけです。日蓮大聖人様の御心を心として、この大御本尊様を、みんなに受け持たせたいというだけなのです。
大弾圧・佐渡流罪からお帰りになった時に、「三千貫の寺領を受けて法華経を弘めてよい」という北条幕府の申し入れに対し、ニッコリ笑っておおせには、日本の国を救わんがため、間違った宗教が人心を弱めているから、それらをやめさせるために叫んだのであると、三度いさめて聞かずんば去ると申されて、身延の山へこもられたのであります。
この精神が、すなわち「学会精神」なのであります。「広宣流布して、日本の国を安泰にしたい」それが、我々創価学会の念願なのです(211〜212頁)。