公明党・創価学会支援・知識人への批判論 !
佐藤優は、公明党を持ち上げるのが趣味らしい !
内田樹と佐藤優の害毒/北一輝に利用された鳩山一郎の愚劣 !
(caprice.blog63.fc2.com:2015年3月23日より抜粋・転載)
公明党が全く歯止めにならないことを露呈 !
自衛隊の活動範囲の拡大について、公明党が全く歯止めにならないことを露呈したり、三原順子が誰かの教唆があったか自発的かは知らないが「八紘一宇」をポジティブな言葉に転換させようと画策して、それに、馬淵澄夫のような右翼的な野党政治家が相乗りしたりと、先週もまたろくでもないニュースばかりだった。
★書店に、排外的な右翼本が目立って陳列されていることが多い !
最近は街のチェーン店の本屋ばかりか、三省堂や紀伊国屋といった大きな書店でも、排外的な右翼本が目立って陳列されていることが多く嫌になるのだが、経営統合された丸善とジュンク堂のグループは比較的その弊害が小さいようだ。
しかしそれらの本屋でも売り上げを無視するわけにはいかないから、右翼本はそれなりに置いてある。
そんな論外の右翼本はさることながら、「リベラル」層に取り入ったとみられる本にもろくなものがない。
少し前には孫崎享の本が目立ったが、最近は、というよりそれ以前から、内田樹と佐藤優が、出している本の数も多く、「リベラル」への影響力も強いように思われる。
★佐藤優は「右から左までのさまざまなうんちく
を繰り出して人々を煙に巻くトリックスター」
彼らのうち、内田樹には「誰とでもつるむお手軽文化人」、佐藤優は「右から左までのさまざまなうんちくを繰り出して人々を煙に巻くトリックスター」だと私はみている。
2人とも、日本の右傾化を止めるのに全く貢献していないとしか言いようがない。
もっとも、内田樹は保守、佐藤優は自ら認める通りの民族主義者だから、そんな人たちに期待したり彼らの言説に感心したりする方が間違っていると私は思う。
最近も、内田樹は右翼の鈴木邦男と対談本を出したかと思うと、「非主流派の左翼」と思われる白井聡とも対談本を出したりしている。
鈴木邦男は同じ右翼の高木尋士との「対談『北一輝とは何者なのか』」で「八紘一宇」を無批判に受け入れているし、「リテラ」によると「内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を『人格乖離』『インポ・マッチョ』と徹底批判」しているとのことだが、後者にしたところで「リベラル」にガス抜きさせるだけの駄本としか思えない。
安倍晋三をこき下ろした本を読んでいっとき溜飲を下げたところで、人々が内田や白井が言うような「安倍晋三の正体」を知って内閣支持率が低下するようなことにはつながりようがないのである。
仲間内のマスターベーション以外のなにものでもない。
そもそも内田樹と白井聡の対談本の題名は『日本戦後史論』である。またぞろ孫崎享式の議論が展開されているのではないかと勝手に想像しているが、私は内田と白井の対談本も、内田と鈴木邦男の対談本も、ともに立ち読みもしていない。
得意の「読まずに批判」をやらかしている(笑)。
★佐藤優もひどい。最近は公明党を持ち上げるのが趣味らしい !
佐藤優もひどい。最近は公明党を持ち上げるのが趣味らしいが、公明党が安倍晋三の歯止めになど全くならないことは、先週の自衛隊の活動範囲拡大の議論でも改めて証明された。
最近ひどいと思ったのは、『AERA』か何かに載っていたピケティとの対談で、そこでは佐藤の得意技の一つである、「宇野経済学」(宇野弘蔵流のマルクス経済学)的な立場からピケティに突っかかっていっていた。
佐藤は、「チュチェ思想」信奉者としても知られる「宇野経済学」の老経済学者・鎌倉孝夫との共著も出しているが、かと思うと先般の「自称イスラム国」による日本人人質事件では安倍政権の対応を評価するなど、「言論サーカス」で読者を幻惑しながら、公明党擁護論といい、最終的には安倍晋三を助ける方向にしか人々を導かない「ハーメルンの笛吹き」のようにしか私には見えない。
先週は「kojitakenの日記」で、「八紘一宇(田中智学)−北一輝−岸信介−安倍晋三」を肯定的な評価でつなげようという動きに対抗しようとあがいた。不人気なテーマと見えてアクセス数が激減した(笑)。
しかし、「リベラル」であるらしい田中良紹が「北一輝は坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者である」などと書いて、それが「リベラル」から批判されない状況を打破しなければならないと私は考えている。
北一輝の研究で有名な松本健一が書いた全5巻の『評伝 北一輝』を、第4巻の6割あたりくらいのところまで読んだ。
北一輝は確かにその出発点においては「坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者であ」ったといえるが、中国の辛亥革命への関与を経て帰国して『日本改造法案大綱』を書いた以降の北一輝は、とてもではないけれども「民主主義者」といえるような人間ではない。
テロを支援し、政党政治をぶち壊そうとした極右以外の何者でもなかった。
『評伝 北一輝』の第4巻を読むと、北一輝は政友会の田中義一内閣打倒工作をしたかと思うと、民政党の浜口雄幸内閣打倒工作も行ったことが書いてある。
後者は有名な「統帥権干犯」論である。「統帥権干犯」という言葉自体は北が編み出したものではなく、海軍軍令部長の加藤寛治の発案らしいが、その「統帥権干犯」を「魔語」として政党政治をぶち壊そうとした首謀者はまぎれもなく北一輝その人だった。
★北一輝の謀略に引っかかった、鳩山一郎 !
その北の謀略に引っかかった愚かな政治家がいた。鳩山一郎である。
鳩山が国会で「統帥権干犯」を持ち出して浜口内閣を攻撃したことはよく知られているが、松本健一はその鳩山を下記のようにこき下ろしている。
鳩山の発言は、政党政治とその責任内閣制を否定し、そこから独立した聖域に軍部=統帥権を置こうとするもので、政党人としては、慎まなければならないものであった。
その論理は、政党政治を破壊したのが軍部ではなく、政党(人)そのものにあったことを物語っている。
(松本健一『評伝 北一輝 IV - 二・二六事件へ』(中公文庫,2014)207-208頁)
★政権交代への人々の期待を裏切って戦後
の政党政治をぶっ壊したのが鳩山由紀夫 !
戦前の政党政治をぶっ壊す、自滅を演じたのが鳩山一郎なら、政権交代への人々の期待を裏切って戦後の政党政治をぶっ壊したのが鳩山由紀夫といえるかもしれない。
「岸信介−安倍晋三」と「鳩山一郎−鳩山由紀夫」の世襲政治家は、4人が4人ともろくでもない人間ばかりである。
ついでに書いておくと、鳩山由紀夫は先日クリミアを訪問した。誰がどこに行こうが勝手であって、鳩山由紀夫のクリミア行き自体を批判するつもりは私にはない。
だが、一部の「リベラル」のように鳩山由紀夫を擁護するつもりには間違ってもならない。
鳩山由紀夫のクリミア行きの動機には、安倍晋三と同じようなつまらない「祖父愛」しか感じられないからである。
* 小沢一郎氏の西松事件・陸山会事件、、鳩山政権破壊工作は、
悪徳ペンタゴンによる史上最悪最大の政治謀略である事を知らない人の見解です。
話を鳩山一郎と北一輝に戻すと、北に引っかかった鳩山一郎もバカだが、北一輝は「巨悪」としかいいようがない。
『評伝 北一輝』を読んでいると、初期の北一輝と後期の北一輝は別人かと思えるほどだ。中国から帰国後極右化した北は、テロを肯定するばかりか賛美してテロを煽るかたわら、政財界人を恐喝して金をむしり取るとんでもない極悪人だった。
『評伝 北一輝』の著者で、民主党の仙谷由人と親友であったことでも知られた松本健一が、そんな北一輝に入れ込む心理は私には理解できないが、北のシンパだった松本が描いても、後期の北一輝からはどす黒い凶悪な姿しか浮かび上がってこないのである。
三原順子の「八紘一宇」の妄言を発した直後、さる「小沢信者」系リベラルの人間が、「八紘一宇」の造語者・田中智学の弟子筋にあたる北一輝を描いた手塚治虫の漫画『一輝まんだら』を一気読みした、などと嬉しそうにTwitterに書いていた。
私は『一輝まんだら』を読んだことはないが、編集者にこの路線では売れないと判断されたために未完に終わった作品だということはネットで調べたことがあって知っている。
ということは、初期の北一輝しか描かれていないと思われる。手塚治虫がどす黒い極右思想家となったあとの北一輝を描かなかったことは痛恨事と思えるのである。
蛇足ながら書き添えておくと、北一輝の主要な著作として『国体論及び純正社会主義』、『支那革命外史』、『日本改造法案大綱』の3作が挙げられるが、「革新官僚」だった若き日の岸信介が心酔したのは『日本改造法案大綱』であって、北一輝が「どす黒い極右」としての本領を発揮した時代の著作であった。
さらに蛇足の蛇足だが、『日本改造法案大綱』は小沢一郎の主著とされる本(実は官僚や竹中平蔵ら御用学者の作文だが)のタイトルを連想させる。
もちろん、小沢のブレーンの官僚だか竹中平蔵だかが北一輝と田中角栄を掛け合わせて書名をでっち上げたものであろう。
―この続きは次回投稿します―
(参考資料)
池田第三代会長時代・
本来の公明党の理念・基本路線と自公連立後
の実態を比較の参考 ! 真逆に大変質 ?
☆ 結党時の理念:
政界浄化と大衆政党公明党の結党大会は、1964年11月17日、東京・両国の日大講堂で行われた。
しかし、創価学会は結党前の56年7月に行われた第4回参議院選挙で、初めて無所属候補として全国区2人、大阪地方区1人の3人を当選させ、第6回参院選(62年7月)までの3回の参院選で15人の参院議員を擁し、「参院公明会」という国会内会派を結成するまでになっていた。
創価学会の池田大作名誉会長=2008年5月撮影(時事)
その後、創価学会の池田大作名誉会長が、1960年5月に32歳の若さで第3代会長に就任すると、翌61年11月に「公明政治連盟(公政連)」を結成した。
掲げた目標は、「政界浄化」であり、その3年後に、公明党の結党が実現する。
結党大会で掲げた方針は、
@政界浄化A議会制民主主義B大衆福祉―の3本柱で、
あいさつに立った池田会長は、「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」と、大衆政党としての立場を強調した。
同時に、公明党は、結党のもう1つの基本理念として「王仏冥合」「仏法民主主義」を掲げた。
現在では政教分離原則が厳しくチェックされているが、こうした基本理念は、仏法の絶対平和思想が、世界を戦争から守る道だとするもの。こうした理念はのちに同党とは切り離された。
キャスチングボートを握り野党として躍進した。
公明党は、1956年に参議院で議席を得た後、衆議院に議席を獲得するまで11年かかかっている。しかし、その躍進ぶりは、政界の台風の目となり、“黒い霧解散”といわれた1967年1月の第31回総選挙では25人を当選させ、自民、社会、民社3党に次ぐ第4党に躍進した。
1969年12月の第32回総選挙には、47人を当選させ、民社党を抜いて第3党に躍り出た。
この結果、竹入義勝委員長、矢野絢也書記長の新執行部体制が発足、政界のキャスチングボートを握った。
だが、政党としての路線は、揺れ動き続ける。結党当初は、保守、革新のどちらにも偏しない「中道」を模索していたが、結党2年後には、
「日米安保条約の段階的解消」を打ち出し、”反自民”を鮮明にして野党化した。
自民党長期政権のもとでの金権腐敗政治の横行など、政界浄化を掲げた公明党は、さらに野党化の流れを強め、1972年の「中道革新連合政権」構想を経て、1973年9月の「安保即時廃棄」論へとエスカレートした。
1972年8月、中国訪問を終えて帰国し、田中角栄首相(中央)と会談する公明党の竹入義勝委員長(右)。左端は大平正芳外相=東京・首相官邸(時事)
*池田会長時代:「中道革新連合政権」構想5項目の解説
(島田裕巳『創価学会・もう一つのニッポン』139頁):
@反自民党、反大資本
A平和・自立・中立政策に基づく外交政策:
「日米安保条約の段階的解消」在日米軍基地段階的縮小
B日本国憲法と議会制民主主義の擁護
C国民福祉優先の経済政策
D政治経済の改革手段としての暴力革命・急進主義を否定し、漸進主義を選択する
*昭和42(1967)年8月、創価学会学生部幹部会で、池田会長は「沖縄返還」を主張した。
昭和43(1968)年、「安保条約廃棄」を基本としていた、公明党は、在日米軍基地を実態調査し、有効利用されていない、基地の一部返還を主張した。
さらに、昭和43年9月、池田会長は、学生部総会で、「日中国交回復」を提言した。
昭和44(1969)年10月、創価学会系学生組織・新学生同盟が、東京で結成大会を行い、
7万5千人を結集し、「安保粉砕」を叫んでいた。