第五章 パワーの源泉〜ワッハーブ主義
アメリカとサウジの同盟関係は、数十年の間、中東地域を安定させていた。しかし今、イスラーム国の嵐はこうした同盟関係を乱そうとしている。
この同盟関係、そしてイスラーム国がなぜ、サウード家の将来を脅かす存在となっているのかを理解する鍵となるのは、極端なまでに厳格なスンナ派のワッハーブ主義である。
イスラーム国は、自身を「18世紀ムハンマドが示した道を忠実に歩む唯一の存在」と称し、サウジ王族を「宗教から逸脱した一族であり、殺害されなければならない」としている。
こうした彼らの主張は空疎なものに思われるが、サウジの多くの人々がイスラーム国の思想に傾倒していることを考えると、この主張は意味を持つことになる。
≪ワッハーブ主義とは何か≫
ワッハーブ主義の基幹は、「崇拝の対象となるのはアッラーのみ」という考え方である。この考えの下、聖なるもの、聖者、写真、聖なる場所、聖廟は否定され、「宗教を改竄する行為」とみなされた。タリバーンがバーミヤンの大仏二体を破壊したのは、この教えに彼らが従ったためである。
≪サウド王家とワッハーブ主義の関係≫
1790年、アラビア半島の大半は、ワッハーブとサウードの支配下となる。イスラーム国と同様、二人の連合は敵を恐懼(く)させるポリシーを持っていた。
1803年、この連合はメッカとマディーナの支配権を握った。ワッハーブ主義者の戦闘員のマナーを知っていた二つの都市は、即座に降伏したのである。
過剰な暴力と破壊の方針は、二人の連合が心理的効果をもたらすために考え出したものだった。この方針は現在、イスラーム国の戦闘員が踏襲している。
2014年6月、イラク軍はイスラーム国の前に武器を捨てて敗走したが、これは(運ではなく)イラク軍が恐怖に駆られた結果起きたことだった。
サウジの矛盾点は、ワッハーブ主義に基づいた教育を行っていることである。その結果、卒業後の彼らの「進路」は、ジハードに向かうことになる。イスラーム国の支持者、参加者にサウジ人が多いのは、こうした理由によろう。
イスラーム国はワッハーブ思想に基づき類似の機構を有し、民主主義を否定している。イスラーム国はサウド家と同じワッハーブ思想を報じる立場であるにもかかわらず、サウジの政体を「自らの恥部を隠すため宗教を利用している」と非難し、サウド家を「ムスリムの統治者」と認知していない。サウジはカリフ、バグダーディーの支配下に入るべきとしている。(石油発見の後、サウジは腐敗)
≪宣教ーー蒔かれたワッハーブ主義の種≫
サウジは、自国の王を「すべてのムスリムの指導者」(守護者)という見方をしている。しかし、ビンラディンやバグダーディーに代表されるワッハーブ主義者、サラフィー、原理主義者らはこうした見方に同意していない。
サウジの政権は過去80年間、ワッハーブ主義に依拠している。そして自国の宣伝のためにメディア帝国を確立し、世界各地のムスリム二世代、三世代にわたって影響を与え続けてきた。これらの若者は厳格主義に走り、若い厳格なウラマーの「軍団」が誕生した。彼らは説教壇から、西欧や不信心者へのジハードを呼びかけた。
サウジは今、自らが作りあげた怪物と戦っている。この怪物はしかし、あまりにも巨大化してしまい、壊滅は困難となっている。7000人のサウジ人がイスラーム国に参加しているとの情報が存在している。私は信頼できる筋から、シリアとイラクでの戦闘に参加するジハード主義者の中で、サウジ人の若者が最も熱意があり、残忍な処刑や自爆攻撃に進んで参加するという話を聞いたことがある。
サウジ当局が、シリアとイラクでのジハードに、自国の若者が参加していると気付いた時は手遅れだった。
アメリカ軍によるイスラーム国拠点を標的にした空爆の後、イスラーム国の人気は急上昇し、「イスラーム国はアメリカが作った」とするデマは姿を消した。