「核燃料サイクル。「トイレなきマンション」である原発の「空想的なトイレ」:toriiyoshiki氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18988.html
2015/12/5 晴耕雨読
国は核燃料サイクルを決して手放さない。
なぜなら「トイレなきマンション」である原発の「空想的なトイレ」だから。
核燃料サイクルを放棄した途端、使用済み核燃料は行き場を失い、原発は止まる。
だから、実現不可能なことを知りつつ旗を掲げ続ける。https://t.co/2KDzyRO8Bb
>そして、本州最北の地「六ヶ所村」に建設中のプラントは、燃料製造施設からゴミ処理施設へと性格を変えることになる。青森県側は大きな交付金とひきかえに「燃料製造工場」を引き受けたのだが、ゴミ処分施設を引き受けたつもりはないと主張することになるだろう。
その六ヶ所村(青森県)との約束が脱原発の一番のネック。
核燃料サイクルを止めた時点で、いま一時保管中の高レベル放射性廃棄物を村内から運び出さなければならないことになっています。
しかし、現時点で受け入れ先は皆無、この先も現れる目処は立たない
だから、民主党政権は、原発をゼロにする一方で「核燃料サイクルは継続」という矛盾した政策を打ち出さなければならなかったのです。
何度も書くように、核燃料サイクルは「究極の先送り」政策なのである。
例えできないことは判っていても、「できる」といい続ける限り原発を動かすことができる。
もちろん、その間に矛盾は膨らみながら蓄積されるから、将来の我々の子孫がとんでもないツケを払わされるハメになるのだ。
民主党政権は核燃料サイクルの悪循環を止めようとしたが止められなかった。
自民党政権はハナから止める気がない。