日録1 私事片々 2015/11/10〜
・きのふYさんがクリスマスローズを坪庭に植えてくれた。赤い実をつけた鉢も移植したが、名前を失念した。今朝、さっそく鳥が飛んできた。赤い実をついばんだところは見ていない。高桑さんとけふ「社会ファシズム論」とコミンテルン第7回大会の「人民戦線路線」について長いこと話す。数十年ぶりのおさらい。疲れた。トロツキーの「社会ファシズム論批判」のことも。1920〜30年代にはすでに、いまの怪(珍)現象の祖型のほとんどがあったのにはあらためておどろかされる。げんざいの歴史は、いまはじめて経験されているのではない。まあたらしいテクノロジーはあっても、新品の歴史はない。1920〜30年代は複雑で、やっかいで、どこまでもいやらしい。あくことない陰謀と裏切りと組織の内訌。なぜニッポンの民衆はたちあがって戦争をやめさせることができなかったのか。革命は人間的な理由から発して非人間的な結果を生じる、にしても、ニッポンのマスメディアそして知識人≠フオポチュニズムと幼稚さ無知、無責任ぶりは、いまもむかしもまったく変わるところがない。「反資本・反共・反ファシズム」の三反主義をかかげた社会大衆党は、なぜあれほどまでにファッショ化し、結局、大政翼賛会に合流してしまったのか? 対中侵略戦争直前のこのクニには、天皇制ファシズムも軍国主義も自由主義も社民主義もあるにはあったのだった。天皇制ファシズムと軍国主義が言論のすべてを圧殺して、その結果、戦争が発動されたとはかならずしも言えない。日中戦争開始までは言論活動がそれなりに許されていたのであり、ニッポン型社民主義はまだかつかつ生きてはいた。デモクラシーが理念としてもかんぜんに燼滅したのは、主として戦争発動後である。社民主義は反戦運動をまったく組織せず、戦争を阻止し(でき)なかったけれども、戦争は社民主義さえ一気に消滅させたのだった。だいたい社民主義が帝国陸軍と連携し戦争を積極的にあとおしするなどという、およそありうべからざることがおきていたのだ。とうじは社民主義か国家社会主義か、その区別さえ知識層のあいだでもわからなくなっていた。それが実相だ。いまとの類似点、いま学ぶべき点、検証されるべきできごとが無数にある。高桑さんは「砕氷船理論」についても持論をかたった。砕氷船理論!耳にしたのは学生のときいらい。なんだかなつかしかった。けふ、来春の大阪講演のスケジュール、コンセプトのあらましが実行委員会から送られてくる。コンセプトには「戦争法の強行採決、原発再稼働、格差の拡大、ネオファシズムの台頭、自由度の縮小等、歴史が目まぐるしく反転する中にあって、私たちはどこに連れていかれようとしているのか。さまざまな疑問と難題が沸騰するなか、原点にかえり、反戦主義の可能性を探る言説を展開中の辺見庸氏を招き、今どのような時代に生きているのか、私たちにどんな可能性があるのかを考える」とあった。「反戦主義の可能性」の文言だけ、「妥協なき徹底的反戦主義の可能性」に変えていただくことにする。来月19日の横浜講演の趣旨と基本的にはおなじだ。大阪講演では、会場でチェリスト中山由香里さんに約15分の演奏(バッハ「無伴奏チェロ組曲1番からプレリュードほか」)をしていただくことになった。うれしい。横浜講演にせよ大阪講演にせよ、まったく少数のひとびとの手づくりだ。こちらとしてはそれまで最低限、生きていないといけない。(2015/11/10)
・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)
・〈暴力〉とはなにか、は、〈顔〉とはなにか、とともに、すぐれて今日的テーマでなければならない。このことも来月19日の横浜講演(および来春の大阪講演)で触れざるをえないだろう。〈暴力〉にかんする誤解は、スターリニズムにたいする無知と誤解に、かつてもいまもじつによく似ている。スターリン主義を、たんに粛正とテロルと抑圧という行動現象だけでとらえるのはとんでもないまちがいだ。一見平穏で一見遵法的で一見理知的な静かなるスターリニズム≠ヘ、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン存命中にもあったし、没後にもあり、ファシズムとともに、いまも綿々としてつづいている。歴史の目的論と国家論、組織論ひいては偏頗な人間論に根ざす静かなるスターリニズム≠ノは一時、サルトルやメルロ=ポンティも同調していたほどだが、なぜそうだったかはここでは措く。さしあたり〈暴力〉のかくされた位相が静かなるスターリニズム≠熹O頭に、いまはイメージされなければならない。そして〈暴力〉の従来型イメージは大胆にめくりかえされなければならない。わたしに言わせれば、たとえば、遵法的服従はしばしば犯罪よりもよりいっそう犯罪的な〈暴力〉となりうる。それはミルグラムが『服従の心理』(山形浩生訳)の第1章「服従のジレンマ」で引用しているC.P.スノーのことば「人類の長く陰気な歴史を考えたとき、反逆の名のもとに行われた忌まわしい犯罪よりも、服従の名のもとに行われた忌まわしい犯罪のほうが多いことがわかるだろう」にもかかわる。服従という非〈暴力〉は、無関心という非〈暴力〉とともに、反逆的〈暴力〉よりもはるかに暴力的で犯罪的である……とわたしは年来おもっている。辺野古におけるあからさまな国家暴力をまえにして見て見ぬふりをするホンド民衆の非〈暴力〉は、沖縄にたいするホンドの圧倒的かつあまりにも理不尽な〈暴力〉の行使にひとしいことは言うまでもない。安保法制反対をとなえる服従(屈従)的デモのあとにデモ参加者が路上清掃をしたという美談≠、もしもアーレント(あるいはローザ・ルクセンブルク)が聞いたらなんと言うだろうか。ハハハとふきだすか、ちょっと、それは国家暴力と同質じゃないの、と言うにちがいない。町内会(あるいは自治会、自警団)的〈暴力〉、貧困と差別の〈暴力〉が各所に伏在するこのクニには、自覚せざるネオ・ファシズムのほかに、それを支持、補強する静かなるスターリニズム≠熕ィいを伸張しつつある。じつに面妖である。〈顔〉について書くのが面倒になった。一言だけ。ドブのような目をしたあの男の〈顔〉は、外部にとりかえしのつかないかたちで露出してしまった〈暴力〉なのであり、ことばの本質的意味あいで公序良俗に反する。現行犯逮捕すべきである。(2015/11/12)
・昨日は久しぶりに東京にいった。1日だけでたくさんのことがあったようにおもいだされる。堀田善衛の『時間』復刊(岩波現代文庫)にかんし、岩波書店で北日本放送TVのインタビュー。『時間』の復刊はひとつの「事件」だ、とおもったままのことを話す。復刊を企画、実現した編集者Nさんとそこではじめて会う。メールのやりとりはしていたが、初対面。『時間』復刊をおもいたち、わたしに解説を書かせた編集者。オシップ・マンデリシュタームやシャラーモフに詳しい男……というのはメールで知ってはいた。文面に落ち着きがあり、ですぎず、問い合わせへの応答がはやく、抑制的ながらわたしの下品なユーモアを解し、しかし、あくまでも礼儀正しいので、熟達の編集者で、当節めったにはいない教養人、歳のころは推量するに50〜60くらいか。てっきりそうおもっていた。仰天した。眼前の男は長身痩躯でじつにもの静かな若者。おもわず歳を訊いたら、こともなげに28だという。絶句。昭和末年に生まれ、身体的には昭和をなにも知らないであろうはずの若者が、1950年代の堀田の問題作『時間』を復刊したとは!N君にはまったく気負いがなかった。わたしの連載「1★9★3★7」を読んでいて、そこになんども引用されている『時間』が絶版になっていることを知り、復刊をかんがえたという。笑いだしたくなるぐらいおどろいた。愉快だった。近来まれな快事とはこのことだ。絶版になった新潮文庫版『時間』の古本はAmazonでいっとき7000〜8000円の高値になっていた。だから復刊して儲けようという意図など毛頭ないことは、かれとのやりとりでわかりきっていた。そんなことより、『時間』復刊の歴史的意味がはるかに重い。それは南京大虐殺という史実への編集者の現在的位置を表明することにもかかわる、すぐれて個的なあかしでもある。それなりの勇気もいる。が、N君は涼しげだった。まったく力みがなかった。にもかかわらず、『時間』―『1★9★3★7』―げんざい、という流れに、戦慄すべきなにものかをかんじとっていることはあきらかであった。わたしが内心、驚倒したのは、そうした歴史的、世界史的イメージ(普遍的危機)の感得が28の若者にも可能らしいという、わたしの偏見を軽々とくつがえす事実に、である。かいかぶりではない。昨日は北日本放送の濱谷さんのはからいで堀田善衛の著作権継承者であるお嬢さんと電話でお話しすることもできた。電話のむこうに歴史と時間がはげしくうずまいていて目眩がした。昨日はまた、早稲田のホテルのロビーで転倒し、ガーナのコワクさんに助けおこされた。深い美しい目をした人だ。くらべものにならないほどの色模様の内面がつややかな瞳からこぼれ落ちている。夜、M君から電話。日本共産党機関紙しんぶん赤旗が、みずから申し込んできた『1★9★3★7』(イクミナ) にかんするわたしへのインタビューを急きょ中止するむね連絡してきたという。数日前に、インタビューしたいので都合のいい日時を提示してほしいということで、今月17日午前11時半を提案した矢先の、不可解な、そして無礼千万なドタキャン。不快だな、とはおもうが、まったく予期していなかったわけでもないので、心はさほどに沸騰しない。ただ、なにか不気味なものを感じる。M君ら編集者たちは一様におどろき、国会前の権力屈従的デモにたいするわたしの批判を、日本共産党への批判と同一視したすえの、「スターリン主義的な傲慢・短絡」の発露だろうと言う。だろうか?わからない。ともあれ、インタビューはかれらが申し込んできたのだ。それを、納得できるじゅうぶんな理由もなくキャンセルするというやりかたはとうてい尋常ではない。「国民連合政府」樹立をよびかける政党の、これが〈道理〉というなら、わたしはちゃんちゃらおかしいと嗤うしかない。とまれ、流砂的政治状況のいま、これは考察の対象ではある。『時間』を復刊したN君のあくまでも静かな目、ガーナのコワクさんの、視たものを吸いこむような瞳をおもう。それらの目こそ視るに値する。そう言えば、堀田善衛は共産党を信じなかった。昨日、朝日新聞朝刊一面に『1★9★3★7』の三八広告が載る。オビ文をそのままつかっているようでいて、じつはそうではない。おもしろいものだ。肯綮がちゃんとはずしてある。おどろくべき「獣性」と「慈愛」をつないだ天皇……の文言は、だれがそれを指示したのか、きれいに消えていた。隣には佐藤優なる人物の本の広告、2センチ右上には皇室特集記事の案内。膚がザワザワする。(2015/11/14)
・大道寺将司最新句集『残(のこん)の月』(太田出版)を読む。ブスリ。脳天に垂直に五寸釘を打ちこまれる。どんな評言も『残の月』には近づけまい。(2015/11/15)
・日本共産党機関紙しんぶん赤旗が、拙著『1★9★3★7』をめぐるインタビューを申しこんできながら、こちらがそれをOKし、インタビュー日時を提示したにもかかわらず、突如「中止」を通告してきた経緯は、むろん、釈然としない。だが、このような言い方は党機関の内部文書のように人間のにおいに欠ける。インタビューを申し込んできたK記者は、「辺見さん」と「われわれ」には考え方のちがいはあるけれども、『1★9★3★7』は赤旗紙上でもぜひ紹介したいので……と要請の理由を率直に話してくれたのだそうだ。わたしはK記者の取材動機と発意を、わたしの担当編集者から聞いて、なにがなし好感をもった。わたしは同党と考え方がぜんぱんてきにことなる。しかし、これまで赤旗のインタビューを断ったことはない。極右紙ならいざしらず、とくに断る理由がないからである。『1★9★3★7』は、多喜二虐殺と官憲のかかわり、それについての国会でのやりとりなどについて、昔の赤旗の記事を参考にもしている。だから、そのこともふくんだうえでのインタビュー申し込みなのかな、とおもっていた。急きょ「中止」を連絡してきたK記者は極度に緊張し、泣きだしそうなほど声がふるえていたそうだ。突然のとりやめがK記者の意思ではなく、「上部からの指示」であることは歴然としていた。わたしの担当編集者M君はかなり怒って、赤旗編集局に抗議の電話をした。すると、責任者は紙面スケジュール上の理由であるむねを冷然と言いはなったそうだ。そんなことは理由にならない、失礼ではないかと反ばくしたところ、言いがかりをつけるのか、邪推≠ヘやめろ……といった趣旨のことを傲然と告げられたという。この話はすべてM君からの伝聞であり、赤旗責任者からちょくせつに聞いたことではない。責任者はきょうにいたるも、ドタキャンの「弁明」をわたくしにしてきてはいない。わたしのほうも、共産党に謝ってほしい、釈明してほしいとは、かならずしもおもっていない。どのみちそうはしないだろうから、求めもしなかったのだ。M君は先だって、お父さんを亡くしている。この1年でご両親があいついで他界した。共産党にはあずかり知らぬ話だろう。だが、わたしにはとても大事な話だ。『1★9★3★7』の編集、校正の追い込み期間には、危篤状態だったお父上が、息子の仕事をわかっていたかのように、なんとかがんばって小康をたもってくれたのだった。『1★9★3★7』編集、校正をやっとのことで終えるのとほぼ同時に、お父さんは息をひきとった。日本共産党にはなんの関係もない話だ。だが、インタビューがあったら、わたしはそのことを言おうとおもっていた。紙面に載ろうと載るまいと。一冊の本をこしらえるということは、ありとある人間の葛藤をためらわず、ひきずるということだ。『1★9★3★7』は赤旗だけでなく志位和夫委員長らにも献本されているらしい。志位さんの読後感を聞いてみたかった。わたしは中野重治を何冊か読んだことがある。『甲乙丙丁』も。中野はニッポンとニッポンジンそして共産党を知るうえで、たいへん重要な作家だ。赤旗編集局の諸君は、中野重治をどれほど読んでいるのだろう。中野重治についてなにをおもっているのだろう。M君はまだ怒っている。「辺見さんは赤塚不二夫の漫画『狂犬トロッキー』のようにおもわれているんじゃないですか。ハハハ……」と冗談を言われた。怒りをまぎらわしているのだ。『狂犬トロッキー』をわたしは知らない。わたしが提示したインタビュー日時は明日朝、2015年11月17日午前11時半からだった。K記者にはなんの責任もない。志位さん、ぼくは前よりもっと憂うつになったよ。(2015/11/16)
・(承前)というわけで、2015年11月17 日の朝をむかえた。ずいぶん暖かな午前。穏やかだけれど、この気温は不穏だ。不時現象という。だが、毎日毎日が不時現象のれんぞくである。すると不時現象が常態となり、「常」とは、結果、「不時」となる。「ときあり」ということばは死語になるのかもしれない。11時半。この時間に、もともと柏木氏と会うことになっていたのだが、日本共産党機関紙しんぶん赤旗のインタビュー申し込みのために、日時をずらしてもらったのだ。柏木氏にはわるいことをした。わたしはかれに詫びた。だが、日本共産党も「赤旗」も、インタビュー中止について、わたしに詫びてきてはいない。電話1本こない。11時35分。志位さんは電話をくれない。小池晃さんからも梨のつぶて。たったの電話1本。それもできないのだろうか、とわたしはほんとうはおもってはいない。それは、本音を言えば、無人冷酷資本主義システムAmazonからの〈ほんとうの人の声〉を期待するのとおなじほど、おそろしく無意味なことであろうからだ。ただ、「もしや」という気分もまったくないわけではなかった。インタビューはこちらからお願いした話ではない。「赤旗」のほうから要請してきて、わたしに日時場所を提示させたのだ。こちらが中止したのではない。非礼なのはどちらかぐらい、自民党の村会議員(失礼!)にでも(のほうが、と言うべきか)わかる話ではないか。これは瑣事かもしれない。忘れてしまえ。そうおもわぬでもない。が、なにかが黒いネバネバした蜘蛛の巣のように胸にひっかかる。K記者は「上部の指示」に泣く泣くしたがわざるをえなかったのだろう。紙面スケジュールを無視してインタビューを申し込むなど、党機関紙だろうが商業紙だろうがありえない。K記者という生きている人間の意思を「上部の指示」が消したのである。この「上部の指示」の理由と背景、あるいは指示の発出者がだれかについて、党には外部に公開する義務も意思もない――ということか。ほう、それって、ちょっとすごくないか。拙著『1★9★3★7』は、聞くところによると、天皇には、(そうすべきなのに)献本していない。本文中で昭和天皇の戦争責任についてさんざ書いてあるにもかかわらず、今上天皇には送られていない。送り方がわからないからだろう。安倍晋三というならず者にも献本されていない。どうせ読まないだろうだろうからだ。安倍の私的年表には、どだい、「1937年」がまるっきりないからである。しかし、志位さんや小池さんには献本した。昭和史という、日本共産党も大いにかかわる底なしの謎について、ともにかんがえる度量と姿勢くらいはあるだろうとおもったからだ。尊敬する在日コリアンの学者らからは『1★9★3★7』につよく感応するメッセージがたくさんとどいた。しかし共産党からはK君をのぞきゼロ。なにかが変わったようだ。少なくとも、わたしにたいする「かれら」の態度は変わった。「かれら」は以前、わたしに(とくに選挙前などに)インタビューし、党を支持する文化人≠フような体裁で記事化していたのだ。謝礼はたしか7000円(税別)ではなかったか。それが「上部」の指示で変更された。わたしはずっと余儀なくわたしでありつづけているのだが、日本共産党がわたしを広義の「味方」から「敵」とみなしはじめた。そうとは知らないK記者が、 『1★9★3★7』を「赤旗」読者にも紹介しようとわたしにインタビューを申しこみ、それを知った「上部」に叱責された。そうではないのか。わたしはそう訝り、そのように想像する権利も根拠もあるとおもっている。邪推ではない。このほかにもこのところ不可解なことがつづいている。「やつは敵だ。敵は殺せ」――あらゆる政治の、いっかな超克のあたわない究極の原型は、この論理である。政治はこれをのりこえようとしながら、まったくのりこえられずに、ここまできた。「上部の指示」をはねかえせない下部≠スち。志位さんか小池さんは、ドタキャンにつき、わたしに電話1本くらいくれるべきだった。わたしと近所のマックで不味いコーヒーを飲みながら10分ほど話したって損はなかったはずだ。「敵」とはなにも話さないというのか。わたしには話す用意がじゅうぶんにあるのに。『1★9★3★7』には、〈「敵」と人間〉の問題についても根をつめて書いたつもりなのだが……。先日、編集者のN君と堀田善衛の『橋上幻像』のことを話したのをぼんやりとおもいだす。カダヴル(cadavre)のこと。「カレラノアイダニヒトツノ屍(カダヴル)ガアル」というフランス語は、「カレラハグルニナッテナニカヤッテイル」という意味になるらしいということ。N君の静かな目が、キラリと光ったっけ。N君は28歳だ。あのとき以来、口笛を吹きたくなるような浮きたつ気持ちと暗澹たる気持ちが交互にわいてくる。(2015/11/17)
・劈開(へきかい)ということばがある。裂きひらくことだ。とくに、方解石や雲母などについて、結晶が一定の方向に割れたり、はがれたりして、平面を現すことを言うらしい。ひとや組織には劈開ということばはもちいられない。けれども昔から、政治組織や政治党派を劈開してみたら、なにがみえてくるのか……といった突拍子もないことを想像(妄想)する癖がぬけない。組織の結晶度がかたければかたいほど、劈開面の紋様は他との異動と変化にとぼしく、種々様々であるべきひとの顔も見えにくかろう、というのがわたしの仮説だ。日本共産党機関紙「赤旗」のわたしにたいするインタビュー中止(ドタキャン)にさいし、この党を劈開するといったいなにが見えてくるのか、とまたも想像してしまった。説明・釈明・弁明・謝罪なき一方的ドタキャンを、ま、こんなもんでしょう、と苦笑いですますきもちもある。共産党なんてどうせそんなもんだよ、と割りきる気分だね。だが、一方で日本共産党に〈人間的例外〉を待つ(待ちたい、待つべき)という、甘い期待ではないけれど、好奇心のようなものもわたしは捨ててはいない。問答無用の例外なき〈断定〉こそ、スターリニズムの許すべからざる犯罪であった。岩波現代文庫『時間』(堀田善衛)の末尾は、「人生は何度でも発見される」である。主人公の中国人は南京大虐殺の惨禍ののちでも「人生は何度でも発見される」と言うのだ。志位さん、そうおもいませんか?あなたとわたしは歳もちがうし生き方もちがう。かんがえかた、好きな映画、好きな音楽もちがうかもしれないし、おなじものを好きかもしれない。志位さんのすべてがわたしとことなっていても(そんなことはありえようがないけれど)、わたしはあなたを一個の人間存在として、口はばったい言いかたですが、みとめる。一個の人間存在としてみとめるということは、対話可能ということだ。つまり、わたしは志位さんや個々の共産党員と、会話が不可能なのであり、だから物理的に排除すべきであるとはまったくかんがえていない。ただ、わたしは言うだろう。「共産党」を名のるということは、じつにものすごいことなのだ、と。「共産党」の名のもとに、ひとを組織し、率い、議論し、たたかい、それでもなおかつ、主体的で自由な一個の人間存在でありつづけるということは、じつにじつに大変なことですよね。そうかたりかけるだろう。そうした文脈から、わたしは志位さんに問う。あなたがたはなぜ、いったんは申しこんだわたしへのインタビューを、急きょ中止することにしたのか?なぜ中止の理由を、わたしおよび党内外に(本日午後5時にいたるも)、率直に説明しないのか?この沈黙はやや傲岸不遜ではないか……そう吐き捨てたくなる衝動をわたしはおさえている。志位さん、「戦後民主主義」などという美言をかんたんに信じるにはあまりにも濃い泥闇をわたしは漕いで、ここまで生きながらえてきた。伊藤律・元日本共産党政治局員を、あなたはご存じだろうか。妖しい魅力のある人物でした。1980年、北京国際空港で「伊藤律さんですか?」と、かれにさいしょに声をかけた記者はわたしだ。いまの若い党員は、ながく中国で収監されていたかれの名前も、ぶったまげるほかない経歴も知らないだろう。かれの顔をまじかに見、かれの声を耳にして、わたしは涙がでそうなほど感動した。そのときいらい、ニッポン近・現代史の基本テーマは、天皇制と日本共産党、思想転向と公安警察だ、と直観したのだ。志位さん、これらをあなたと話してみたいのですが、無理だろうな。それから、2004年の第23回党大会で改定された「日本共産党綱領」の、「一、戦前の日本社会と日本共産党」についても貴兄のご意見を聞きたいが、これもかなわぬ話だろうね。このなかの「(二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった」という箇所につき少しく吟味してみたいのですが、いかがでしょうか。じつは、こうしたことをすべて念頭に、拙著『1★9★3★7』(イクミナ)は書かれたのです。志位さん、わたしたちは徹底的に率直でなければならない。「赤旗」がわたしへのインタビューをとつぜん中止した事実を、志位さん、あなたはご存じでしたか?理由はなんですか?ほんとうのわけは、ひところの国会前のデモを、あまりにも「権力迎合的」だとわたしが口汚く非難したからではないですか。そのことをみとめれば、問わず語りに、あそこには「まっさらの若者たち」だけでなく、共産党や民青の別働隊≠ェ多数入っていた事実を承認することになるので、あなたがたは卑小な沈黙をきめこんでいるのではないですか。いや、いいのです。わたしは別働隊≠ェ潜りこんでいようと、純粋な若者≠偽装しようと、いわばあたりまえのことだし、ましてニッポン近、現代思想・精神史がふくみもつ天皇制と共産党の役割にくらべれば、そんなことは屁のように小さななことだ、とおもっているのです。にしても、党はあまり変わらんな……と感じるのです。やっぱりつくづく「人間というものはたまらない」と。志位さん、これはだれのセリフか知っていますか。「人間というものはたまらない」。けれども、ひとを十把一絡げに断じる愚をおかさないように、わたしはいま、じしんになんども言いきかせております。志位さん、わたしと『1★9★3★7』について「赤旗」紙上で対談をしませんか。多くの読者がそれを望んでいます。朝日にも毎日にも讀賣にもできない企画です。わたしは半身不随でヨロヨロではありますが、代々木にでむき、あなたと真摯に『1★9★3★7』について話します。どうでしょう、「人生は何度でも発見される」とおもいませんか。志位さん、日本共産党史上、もっとも例外的に自由で勇気ある委員長になる気はないですか?(2015/11/18)
・午前中に、犬にさそわれ犬といっしょに空―雲をみた。ジェット雲のようなの、ドーナツのようなの、きしめんのようなの、ダックスフントのようなの、沈下するもの、斜交いにまじわるもの、アト知恵の輪、目路のかぎり凍結した屍体、青いパイパンの刃、死者の息……。犬をのこして外出。家をでるなり特高がつけてくる。威圧尾行というやつだ。金井貞吉と会うわけでもないのに。駅前でシンニッポンなんとかというのが、たすきがけで愛国連合政府樹立署名活動をやっている。特高が電柱の陰からじいっとみている。とおりすぎるわけにはいかない。おばさんに言う。ぅわたくすぃ、手がわるいのでアナルコサンディカサインでもよかですか?愛国おばさん「アナルコでもハメルコでもよかどすえ。おっちゃん、元気だそう!」。ほなと、ケツメドで落款す。ペタ。失敗。もいっかい。朱肉が穴にちゅめたいわ。腸が冷えるわ。ペタ。乱れし菊のご紋。聞こえよがしにうたへ、キミガヨ。ニッポンゼンコク、ソウイン、起立!右むけぇ右!
ケツメドでうたへ、キミガヨ
(文科省推薦・ヌッポン国旗国歌法第2条に基づくソネット)
ケーツーメドはケツメドだ
おれのケツメドは ただれ ゐわをとなりて
こけのむすまでおれのケツメドだ
おまえのケツメドはおれのケツメドじゃない
エンペラーのきったねえケツ チンのケツ
アベのケツ
の眼窩の襞
を頌え 頌えってんだよ
エンペラーのケツの眼窩の襞の
クソのかけら
のアルシーヴ
を読め
アホウども 党のハンドラーたちよ
洪積期のウンコの眩惑
くっちゃい穴(孔)と穴(孔)のまわりを
さあ、たんとお舐め
ペチョペチョ
ぼくちゃんのアルコーヴ
ウンコのエノンセでいっぱいの
夢のアルシーヴ
ケーツーメドはケツメドだ
おれのケツメドはおれのケツメドだ
ちよにやちよにケツメドだ
おまえのケツメドはおれのケツメドじゃない
さあ、やったんさい
いれて
ぶちこんで
さして
ちょっとぬいて
すぐ
ついて
こねて
たれて
だして
ちよにやちよに
あへあへ あへりんこ
タマのーむーうーすーまああで
いってえ!
あっあっ、いっちゃふ!
みんすすぎってなんだあ?
ケツメドだあ!
(2015/11/19)
・ちょっとおどろいている。北日本放送が昨日夕、ニュース番組でわたしへのインタビューを放送した。堀田善衛の小説『時間』の復刊(岩波現代文庫)、南京大虐殺と歴史修正主義、拙著『1★9★3★7』などについて話したのだが、正直、ここまで放送できるとはおもっていなかったのでびっくりした。東京主要紙、NHK、民放各キー局ではとてもかんがえられないことだ。本ブログの読者にもぜひみていただきたい。
http://www.knb.ne.jp/news/detail/?sid=9462
けっきょく「独り」である。たった独りの営為が、連鎖して、つぎの独りの存在を意味あらしめることが、ごくまれにある。『時間』の復刊を企画、実現した奈倉君、北日本放送の濱谷さん、『1★9★3★7』のすべての読者たち……の、どうにもならない「独り性」に感謝し、敬意を表したい。「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件でわたしが夢想しているのは、日本共産党の「機関決定」的な「公式」の謝罪なんかではない。勘違いしないでほしい。巨大組織に属する人間の、どうにもならない「独り性」が内側から発する肉声。もしも、もしもだ、そんなものがあれば聞きたいとはおもうが、まったく期待なんかしていない。かつて小泉政権下で、いったいどれほど多数の日本共産党支持者たちが、どうじに、小泉純一郎の政治を熱烈に支持、歓迎したか。信じがたい。噴飯ものである。じつにばかげている。だが、おもいだしてほしい。流砂はあのころからとっくにはじまっていたのだ。流砂のただなかで、どうにもならない「独り性」を発揮して、しがない砂一粒として踏みとどまった者がいったいどれほどいたのか。であれば、「国民連合政府」樹立構想をいぶかしむ理由はいくらでもある。一朝ことあれば、たとえば、朝鮮有事ないし尖閣有事、はたまた国内テロがおきたら、「国民連合政府」は、ほどなくして「愛国連合政府」になりかねない。「反戦平和」はいつだって「愛国統一」に変位しうる。週刊金曜日だって怪しい。インタビュ・ードタキャン事件で、週刊金曜日は日本共産党にたいし抗議なんかしていない。一部編集部員をのぞき、さして怒りもしていない。記事にさえしていない。なぜか?電話で抗議したのは、ながくわたしを担当している週刊金曜日の外の編集者である。モサドの回し者≠フような人物にも平気で原稿を書かせて、ゼニになればなんでもやりそうな、一見、市民運動ふうの雑誌も、いまはうす汚い流砂に流されっぱなしではないか。日本共産党機関紙「赤旗」も週刊金曜日も、「独り」をナメてはいけない。言っておく。「独り」はペラペラの一票ではない。自覚的「独り」こそがもっともよくたたかうのだ。(2015/11/20)
北日本放送は日本テレビ系列の放送局であり富山県を放送エリアとしている。
シリーズ私と戦争、堀田善衞の「時間」 2015/11/19
シリーズ私と戦争です。
長く絶版となっていた小説がこのほど復刊され18日県内の主な書店に並びました。
高岡市伏木出身の芥川賞作家、堀田善衞の「時間」です。
日中戦争下の1937年、日本軍による南京虐殺事件を中国人の眼を通して描いた小説です。
これが復刊された「時間」です。
文庫も出版されていましたが、絶版のため読者は古本でしか手に入れることができなくなっていました。
今回、岩波書店が復刊することとなり、その解説を作家の辺見庸さんが執筆しました。
戦争の被害ばかりが強調され、加害者としての戦争責任が忘れ去られようとしている今、辺見さんに「時間」復刊が今、私たちに何を問いかけているのかを聞きました。
辺見さん「南京に南京大虐殺記念館ができるというのを報じたのは僕が初めてなんですよ日本で。歴史の問題というものが、僕流に言えば、こう流砂状にですね、足もとが崩れてゆくくらい、自明であったことが自明でなくなってきているという印象を僕は持っていまして、慌てていたわけですよ。南京にせよ慰安婦の問題にせよ、僕は直接取材した問題でもあり、直接原稿を書きもしたことがあるわけで、ということは僕にも一端の責任があると思っていたわけですね。」
1937年、日本軍の南京攻略に伴う、一般市民を巻き込んだ南京虐殺事件は、日中歴史共同研究で殺害された人数の差はあれ、双方が歴史的事実として認定しています。
堀田善衞の小説「時間」は日本軍が迫りくる1937年11月、陳英諦という「わたし」が体験し目撃する南京事件を一人称で語らせ、かくも悲惨な所業を行う人間とは何かと問いかけています。
戦中から戦後にかけて上海で暮らし、中国を熟知していた堀田だからこそ書けた小説でした。
辺見さん「陳英諦という『「わたし』ですね主人公が中国人のインテリだということですね、これは離れ業もいいところで、あっと驚くわけですね。僕の表現でいえば目玉の入れ替えみたいなことをやっているわけですね。見る側と見られる側をひっくりかえしちゃう、ひっくり返してやる。つまり我々の日中史観というか対中国侵略戦争史観にたりなかったのはそれなんですよ。やられた方からはどうなんだと。やられた方はどういう風に考えたんだ。」
『時間』より朗読 「妻の莫愁も、その腹にねむっていた、九ヵ月のこどもも、五歳の英武も、蘇州から逃れて来た従妹の楊嬢も、もはやだれもいないのだ。恐らく嬲りものにされ、姦されての後に殺されたのだ。」「何百人という人が死んでいるーしかし何と無意味な言葉だろう。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある・・・。」
辺見さん「僕はものすごく力説したいのは、この「時間」というテクストは残されるべきであったと思う。学校教科書として配ってもいいくらい。だからここの中にも国家というか集団対ひとりとか、あれは戦争のせいだったんだからというふうな総括の仕方、まとめ方というのを堀田はすごく嫌ったということですね。ここにも書いてありますね。戦争のせいだけという言い方はたまったもんじゃないと、そこを堀田はあくまで、そうではない、個人の目で見たらどうなんだと。という書き方をしている」
『時間』より朗読 「おそろしく基本的な時代だ、いまは。人間自体とひとしく、あらゆる価値や道徳が素裸にされてぎゅうぎゅうの目に遭わされている。ひょっとすると、いまいちばん苦しんでいるもの、苦しめられているものは、人間であるよりも、むしろ道徳というものなのかもしれない。」
辺見さん「そこで「時間」のリアリティというか「時間」でかかれているスケッチしている日本軍の所業のナマナましさとか、それに対する堀田さんの自由な展開の仕方、南京というのがあれほど無残にズタズタにされたけれども、これは人類史的には基本的な時代なのかもしれない、ということを言ってみたりするわけですよ。すげぇこというな、と思うわけです。大きいんですね、なんか、目が大きい視野が大きいというんですかね。この「時間」じゃないけれど今の時間というのは堀田さんが過ごしてこられた時間よりももっと極度に歴史というものがほとんど転覆されてしまった時間にあると思う。それは南京大虐殺だけではない、従軍慰安婦もそう、東京裁判もそう、サンフランシスコ講和条約もそう、ポツダム宣言も、そんなもんなんですかという時代ですよ。僕は今の為政者たちかなりの過半の人間がそう思っている可能性があると思う。それを何の痛みともしていない。」
岩波書店が「時間」を復刊したのは辺見さんが雑誌に連載していた「1★9★3★7」)がきっかけでした。
辺見さんは日中戦争が本格化した1937年に焦点を当て、堀田の「時間」と辺見さんの個人的な記憶を織り交ぜて、戦争へと傾斜する今の時代を浮き彫りにしています。
辺見さん「はっきり言って人間は、ぼくは『1937』の中でも書いていますが、戦争するべき、戦争するべく生まれてきた存在だと思っているけれども、現実可能性としての戦争、あるいは局地戦というのは、かなりリアルに迫っていると僕は思う。はっきり言って状況は。状況は僕の言い方でいえば、これから来るんじゃなくて、もうそのプロセスにもう入った。戦争期に入ったと思う。その意味では始まっている。それに対する反対する世論というのは、人間的な力ですね、それは僕はある意味、知的な力というのは、極めて弱いと思っている。かつてよりも格段に弱い。」
『時間』より朗読 「絶望的なこの状態を超えようとせず、身を委ねれば、そしてそこへ精神を閉じ込めておけば、わたしは幸福にさえなれるだろう。奴隷の幸福。」
辺見さん「今くらい絶望を深めなきゃいけない時期はないんじゃないかと思う。メディアがそうですよね基本的に。自衛隊の特殊訓練というものをこんなに無批判にまるで美化するように写している時期というのはないです。そういうときにこの「時間」というテキストは、ちょっと次元が高すぎるといえば、そうかもしれないけれど。何も化学変化がないとは言えないですね。僕はちっちゃなものでいいと思う。ちっちゃな化学変化でも起きてくるといいなと思っているし、勘で起きると思う。」
『時間』より朗読 「してみれば、南京暴行事件をも、一般の日本人は知らないのかもしれない。戦わぬ限り、われわれは「真実」をすらも守れず、それを歴史家に告げることも出来なくなるのだ。」
1937年12月から始まる日本軍の南京総攻撃には富山県の36連隊も参加し、南京攻略後、市街地の掃討作戦を実行しています。
その事実を伝える当時の報道は36連隊の武勇を掲載し、日本軍による虐殺行為には触れていません。
戦争はいったん始まれば多くの市民が被害者になるだけでなく、加害者の立場になり人間を傷つけてしまいます。
今だからこそ堀田善衞の「時間」から戦争という過ちを犯す人間とは何かを見つめていく時です。
http://www.knb.ne.jp/news/detail/?sid=9462
はてさて、明日はどこ行こうか。
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/382.html