この種の問題でよく出される“「芸術」か「わいせつ」か“といった設問がナンセンスである。
意図的に猥褻な芸術も成立するように、猥褻と芸術は二項対立的な概念ではない。
何度見てもその都度性的な刺激をくすぐられしたくなる春画があるとしたら、それこそがみごとに「猥褻な芸術」と言えるものだ。
刑法的猥褻問題は、表現の自由と“見聞きしないで済む自由”のバランスをどう採るかということに尽きる。
他の事例で言うとタバコの問題が近い。「喫煙する自由」と「喫煙から自由」(副流煙をはじめとする喫煙から生じる煙や匂いを感受しない自由)をどう調整するかという問題である。
かつてほどではないが日本は今なお喫煙規制が遅れている国で、喫煙者はどこまで喫煙を我慢し、非喫煙者はどこまで喫煙の影響を受け容れなければならないのかという境界線がより明らかにされなければならないと思う。
日本国憲法は、能動的自由主義を擁護する傾向が強く、受動的自由主義がそれほど重視されていない傾向がある。
国家権力が、国民をはじめとする人々の自由な活動をできるだけ制限しないことを重要視し、人々が見たくないことや聴きたくないものから自由になれる権利をそれほど尊重していない。
ある人が見たくないことや聴きたくない音そして受けたくないものから“自由”になれる権利を法的に主張するとなると、第十三条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」を援用するするしかないが、 第十三条の条文自体が、能動的自由主義で生きる権利に傾いているとも言える。
ルーブル美術館には“ひげ付き”の女性器にみごとに焦点を当てて描いた絵画(横たわった女性がM字開脚している状態を女性器の真っ正面から描画)が飾られているが、それは他の絵画とつながったかたちで展示されており隔離されているわけではない。展示されている絵画を順番に見ていくと否応なく目に入ってしまう。
このM字開脚女性器絵画を見て男性器がむずむずしたり勃起したりしても不思議ではない(この絵を見たフランスの子どもたちは、わあっ、あららという感じで顔を見合わせくすくす笑っていた)
猥褻に関する刑法の条文は次の二つである。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(公然わいせつ)
第百七十四条 公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
(わいせつ物頒布等)
第百七十五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
2 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ともに、頒布を含む公然性が犯罪を構成する要件である。同じ行為や同じ図画でも、私的空間で楽しむぶんには罪に問われない。
転載する記事にあるように、「『わいせつ』について、判例は『いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの』と定義」されている(大判大正7年6月10日、最判昭和26年5月10日)
しかし、犯罪の基準になるものがこのように曖昧でどうとも言えるようなものになっていること自体が問題である。
「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ」ることのどこが問題なの(悪いの)?、「普通人の正常な性的羞恥心」の普通人とはどういう人?「善良な性的道義に反する」の善良な性的道義ってどういうもの?
公然性がなければ、「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ」たり、「普通人の正常な性的羞恥心」をくすぐったり、「善良な性的道義に反する」ことは、性的スパイスとしてお好みに応じて自由に使うことができるものである。
判例のような曖昧で抽象的で主観的な基準が、人の自由や財産(罰金)を奪う罪の基準になっていいわけがない。
男女の生殖器そのものやそれらの結合状態、男女の生殖器や男女の生殖器結合を描写した映像・画像・絵画(医学書など特定目的のものは除外)を「わいせつ」とするなど、具体的例示的な基準が示さなければならない。
そのうえで、公然性を規定しなければならない。
今回の春画展のように、「わいせつ」なものが展示されていると明示され年齢制限も行っている場合には、刑法第百七十五条で言うわいせつ物の陳列には当たらないと判断することもできる。
刑法第百七十四条の公然わいせつも、私的空間に他人を招き入れ夫婦の営みを見てもらうような行為はOKだが、それに金銭など経済的利益の獲得が付随する場合はNGといった基準も設定できるかもしれない。
記事は、「出版物や映像などメディアが多様化した現代の社会通念において、『春画』がいたずらに性欲を興奮させたり刺激させたりするものとはいえず、わいせつ物に当たらないのではないかというのが私の意見です」とまとめられているが、そのような観点ではなく、展示物の内容を明示することにより見たくない人の自由を尊重していることで、刑法第百七十五条の罪を構成しないとしたほうがすっきりすると考える。
=========================================================================================================================
日本人の性風俗を描いた「春画展」開催――「芸術」か「わいせつ」か、法的に分析
弁護士ドットコム 9月29日(火)10時39分配信
男女の性愛を描いた春画をテーマとした国内初の「SHUNGA 春画展」が9月から12月まで、東京・目白台の美術館「永青文庫」で開催されている。
春画は、江戸時代を中心に発展した、日本人の性風俗を描いた絵画。海外では、2013年の大英博物館での「春画展」が好評を博すなど、春画の芸術性が高く評価されており、今回の展覧会も注目を集めている。
一方、春画は、エロティックな描写が多く、男女の性器が露骨に描かれているものもある。そのため、展覧会というパブリックな催しは異例で、今回の春画展も、18歳未満は入館が禁じられている。
これまで、性描写が過激な作品は「わいせつ物」にあたるとして、たびたび刑事裁判の対象とされてきた。春画についてはどうか。「わいせつ物」にあたる可能性はないのだろうか。伊藤諭弁護士に聞いた。
●その時代の社会通念として判断
「『わいせつ』について、判例は『いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの』と定義しています(大判大正7年6月10日、最判昭和26年5月10日)。
もっとも、この概念は、その時代や場所の社会通念によって変わる可能性があります。
また、『ポルノか芸術か』という議論がよくされますが、判例は、芸術作品であっても、わいせつの文書として扱うことは差し支えないともいっています(『悪徳の栄え』事件。最大判昭和44年10月15日)」
芸術作品でも「わいせつ物」と扱われる可能性があるというわけだ。春画については、どう考えればいいだろうか。
「これらを前提にすると、春画がわいせつ物といえるかどうかは、芸術作品といえるか否かではなく、今の時代の社会通念として、春画がわいせつの定義にあたるかどうかという判断をしていかなければなりません。
春画のわいせつ性について正面から検討した裁判例はありませんが、『春画』という言葉が、先に挙げた小説『悪徳の栄え』事件の反対意見のなかで出てきます。
奥野健一裁判官は『刑法175条の猥褻物に関する罰則は、主として所謂春画、春本、エロ映画の類を取締の対象として規定されたものと思われる』とし、結論として『悪徳の栄え』という小説について処罰の対象とすることに反対しています。
ただ、この反対意見は、立法当時の考え方のあくまでも例示の1つにすぎません。これをもって現代において『春画がわいせつにあたる』と考えるのは早計です」
●いたずらに性欲を興奮させるものとはいえない
「また、男女の性交や性戯場面を露骨に描写した漫画を印刷掲載したという事案において、弁護人が証拠として提出した春画について、東京地裁は次のように判断しています。
『浮世絵ないし江戸時代や明治時代の春画は、それぞれに、著名な浮世絵作家の作品として、あるいは懐古趣味に応える歴史的文物として、興味を抱かせるものであり、性行為の指導書も、夫婦を中心とする男女の性生活の充実に資するものであるなど、本件漫画本とは、読者が興味の対象とする目的及び内容を異にしており、専ら読者の好色的興味に訴えるものとはいえない』(東京地判平成16年1月13日)
これも、正面から春画のわいせつ性が争われた事案ではないので、先例性はありません。しかし、『春画』に対する現代の評価としては、この感覚がもっとも社会通念に合っていると思われます。
つまり、出版物や映像などメディアが多様化した現代の社会通念において、『春画』がいたずらに性欲を興奮させたり刺激させたりするものとはいえず、わいせつ物に当たらないのではないかというのが私の意見です」
【取材協力弁護士】
伊藤 諭(いとう・さとし)弁護士
1976年生。2002年、弁護士登録。横浜弁護士会所属(川崎支部)。中小企業に関する法律相談、交通事故、倒産事件、離婚・相続等の家事事件、高齢者の財産管理(成年後見など)、刑事事件などを手がける。趣味はマラソン。
事務所名:市役所通り法律事務所
事務所URL:http://www.s-dori-law.com/
弁護士ドットコムニュース編集部
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150929-00003748-bengocom-soci&pos=1