TBS 報道特集 「インドネシアでの戦時性暴力」 慰安所開設に関わった中曽根元首相 インドネシア元慰安婦の辛い証言
TBS 報道特集 「インドネシアでの戦時性暴力」
戦時性暴力 インドネシアで‥ 投稿者 tvpickup
報道特集
http://www.tbs.co.jp/houtoku/
7月25日の放送
インドネシアでの戦時性暴力
戦時中、日本軍が占領していたインドネシアでは現地の女性が「慰安婦」にされた。
また、強姦されたケースもある。
今なお、心の傷が癒えない戦時性暴力の被害者を取材した。
出演者
キャスター
金平茂紀(TBSテレビ報道局)
日下部正樹(TBSテレビ報道局)
小林悠(TBSテレビアナウンサー)
林みなほ(TBSテレビアナウンサー)
プロデューサー
制作プロデューサー:鈴木誠司
番組プロデューサー:齋藤泉、吉岡弘行
編集長:吉田豊
今週(7/25)の放送、後半の特集は…
【インドネシアでの戦時性暴力】
戦時中、日本軍が占領していたインドネシアでは現地の女性たちが「慰安婦」にされた。また、強姦されたケースもある。今なお、心の傷が癒えない戦時性暴力の被害者が取材に応じた。
— 報道特集(JNN / TBSテレビ) (@tbs_houtoku) 2015, 7月 24
TBS 報道特集「インドネシアでの戦時性暴力」
http://togetter.com/li/852111?page=1
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特集開始(お子さんには配慮が必要かもしれないが、そのまま流すと、冒頭で説明)
「インドネシアでの戦時性暴力」 報道特集
証言する女性。今でも苦しい。思い出したら泣いてしまいます。(泣いている)/すべて破壊された。日本のために働いていたときに
娘や孫には、そのことをこれからも話さない。
別の女性。15歳の時、学校に入れると誘われて連れてこられた。「昔の日本人はすべて悪かったです。良い人はいなかった。よく殴って殺していた。逃げられなかった。どこに行けばいいのか。死にたいほど後悔した。学校に入れるといってきてしまったこと。」
当時のことを聞いたら、言葉に詰まってしまった。(無理)
インドネシアの慰安所については文書がある/画面に防衛研究所 戦史研究センター所蔵「野戦高射砲 第45大隊 陣中日誌(複写版)/ジャワ島スラバヤに展開した部隊/「明日ヨリ慰安場を開設セラル」/日本軍がインドネシアを占領して1か月後のこと
慰安所には40名いたことがわかる/「慰安(門と書いて二重線で消した跡)公娼総計目下四0名」/性病にかかった慰安婦に赤い布を配って区別するなど、軍は厳格に管理した/「不許可 有毒患者」
メディカルチェックについて、先ほどの女性に質問。「女性は7人で、皆新品だと言われました。検査したのはインドネシア人の役人と日本人の医者です。皆新品だと、役人が言いました。全員が処女だったということです。」
日本軍は、性病と縁のないインドネシアの症状たちに目を付けた。
陣中日誌には、慰安所を利用する際の細かい規定が書かれている/事務所ニテ代金を支払い、キップヲ受取女にその切符を渡す/「入口左側事務所ニテ代金ヲ支払ヒ切符ヲ受取リ集合所ニテ女ニ切符ヲ渡ス」
画面、その隣の項目 「注意 入口以外ヨリ勝手ニ遊バザル(画面切れ)言語等不可解ノタメ暴行セザルヲ(画面切れ)」「使用時間 兵 自九時 至一六時 下士官 一六00 二一 00」
「突撃一番」 kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-386…
(どんな切符だったか?)スハルティさん「部屋に入るための切符でした」金平さんが図示して、長さを教えてもらう。ひえぴた大人用ぐらい。「切符の数で、何人相手にしたかわかったのです」
取材同行のオランダ人ジャーナリスト ヤンセンさん インドネシア在住(インタビュー中に女性の手を握ったり配慮されていた。取材の様子は、映画にもなったが日本では未公開)
ジャーナリスト ヤンセンさん 「慰安婦というのは、作り上げられた制度なんです。私が調べた全てのケースを見ても、その制度が女性に何をもたらし、衝撃を与えたかを説明できます。それは紛争地域での性暴力であり、戦争犯罪そのものです」
中曽根さんの『終わりなき海軍』。これについての2007年の日本外国特派員協会での会見の動画「彼らが集まったりあるいは碁・将棋をやったり、そういう彼らが娯楽をやる場所が欲しいと。そういう彼らの話もあって、そういうことをやったわけであります」
(『終わりなき海軍』の概要: lite-ra.com/2014/08/post-4… )
「しかしその後、新たな資料が見つかった」バリクパパンで見つかった「海軍航空基地第2設営班資料」、そこに中曽根の名前。(これも前ツイートのリンク先に記載)
スハルティさん(バリクパパンの慰安所にいた)「私が何を経験したのかわかってほしいです。私見たいみたいな目に合わないように。気を付けてくださいね。」/「新しい資料が見つかって以降、中曽根氏は沈黙を守っている」
QT 「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。 lite-ra.com/2014/08/post-4…
「報道特集では、中曽根氏に質問書を送った」画面にA4 2ページの質問書。6月8日/「貴殿が主計長として設置に関わった「慰安所」は、単なる碁を打つなどのための娯楽施設だったのでしょうか。現在の見解をご教示願います」など、5項目
2007年外国特派員協会での会見 中曽根氏「ま、私の考えでは、やはりああいう慰安婦というような事実はあったと。そういうことも聞いております。また、それにまつわるどういう状態であったかという話も聞いております」
2007年外国特派員協会で中曽根氏「やっぱり事実は事実なのであって、正直に事実があるとして認めて、そして人権を侵したようなことがあるとすれば、それは謝るべき性格のものである。そういうものにたじろいではいけないと、私は政治家として思っている次第であります」
報道特集の質問書に対して、おととい中曽根事務所は、電話で次のように答えた。「以前、外国特派員協会で申し上げたとおりで、それ以上でもそれ以下でもない」
画面に写った中曽根氏への質問状のその他の4項目。「二 防衛省防衛研究所所蔵の「海軍航空第二設営班資料」に、『主計長の取計でドキュメント人女を集め、慰安所を開設』と書かれていることについて、どのような見解をお持ちでしょうか。」
画面に写った中曽根氏への質問状のその他の4項目。「三 「土人女」と書かれているのは、現地のインドネシア人女性と思われます。現地のインドネシア女性は、何の目的で集められたのでしょうか。」
画面に写った中曽根氏への質問状のその他の4項目。「四 バリクパパンの「慰安所」にいた女性は「ナカソネ」という名前を記憶していました。彼女の証言によれば、ナカソネという日本軍幹部が見回りに来た時、「慰安所」の女性たちは部屋に隠れたということです(続く)
画面に写った中曽根氏への質問状のその他の4項目。「(四番目の続き)開設された「慰安所」を、当時貴殿が見て回られたことはありますか? また、あるとすれば、その際、何か記憶している事実はありますか。」
画面に写った中曽根氏への質問状のその他の4項目。「五 覚えておられることを、どのような些末な事実でも」(画面の字幕とかぶって残りは判読不明)
これら5項目に対して、中曽根さんが現時点で回答を拒否したということ。(2007年の外国特派員協会でのないようがすべてと)
バリクパパンで当時食料補給部隊にいた川崎さんに聞いた。
「軍の慰安所を見たことはありますか?」
「あります。月一回の検診ですね」
「何の検診ですか?」
「花柳病」
「いわゆる性病?」
「性病です」
「それは誰が受けるんですか?」
「慰安婦です」
検査は軍部が行っていたらしい、と川崎さん
別の軍人(当時)に金平さんがインタビュー。当時インドネシアにいた堀さん。率直に気持ちを語った。
「慰安所に行かれたことは?」
「はいいきましたよ」
「その時の気持ちは?」
「要するに突撃一番ですよ。男としてのあそびだけですよ。公衆便所と似たような感じ」
堀さん、続き「公衆便所は朝顔にふっかけるだけど、見たこともないような女性の服をこうしてやるわけだから」(笑いながら証言。金平さんは下向いて顔面硬直。黙っていたほうが得策だとはお身内も考えているだろうが、証言してくれてありがたいと、私は思う。とりあえず。)
堀さん引き続き笑顔「要するに、コンドームは必ず着けてですね」
「突撃一番っていうのは、軍から支給された?」
「支給してたんですよ。コンドームを」
コンドームを支給された堀さんは、明日死んでもいいように思い切り遊んで来いという意味だと受け止めていた。
堀さんの当時の写真(写真も出してくれた、堀さん)
堀さん「戦争というのはですね、人道も人権も道理もくそもないです。かたっぱしから殺すか殺されるかになる」(中間カット。堀さん真顔で涙ぐんでいる)「だから、慰安所の揉んだだけとかなんとかじゃありません。皆さん命がないんですよ。」(力説)「沖縄で若い人死んだでしょ」
堀さん続き「飛び降りて。(手振り)崖から飛び降りて死んだじゃないですか。そんなことを思い出したら、もう私は、たまりません。」(涙をこらえて口を結んだ) CMへ。
せっかく、9条を使って逃れてきたのにわざわざこっち方向に戻らんでも、と本当に心から思います。
だまして連れてきて、強制じゃないから問題ない、っていうのは相手は納得しないと思います。
再びインドネシア。ウミさんは、日本語の歌をまだ覚えていた。意味は分からない。「命令されて、ばっきゃろーと言われて歌いました。怖かったです」ウミさんは、「ばっきゃろー」の意味をよくわかっていなかった。
ウミさんの家は、当時のまま。日本兵が来たときに姉たち2人は屋根裏に隠れた。指をさすウミさん。日本兵は、少女だったウミさんではなく、18歳前後の姉たちが目当てだったと。姉たちは5人に無理やり連れていかれた。軍服着て、銃剣を持っていた。いやだと断っていた。
姉二人が連れていかれたという慰安所の跡地に向かった。今は市役所支所に立て替え。子供だったウミさんは弁当を届けに通っていた。1日2回。門番が顔を覚えていた。
「お姉さんと話しましたか?」
「姉歯泣いていて、私も泣きました。みんな捕虜みたいでした」
ウミさんは自分は子供だったからそんな目に遭うとは思っていなかった。家族のいないところで話をしてもらった。「本当は話したくないけど、あなたを娘のように思っているから話します」(唇が震えている。あなたというのは、ずっと取材しているオランダ人ジャーナリストの女性)
ジャーナリスト ヤンセンさん「わかっています。娘さんは別の場所にいますよ」
ウミさん「あなたは娘と同じです」
(ヤンセンさんとウミさんの対話)
ウミさん「部屋に連れていかれて、一人がズボンを脱ぎました。相手は3人でした」
「相手は軍人?」
「軍服を着ていた」
「帽子もかぶって、銃剣も持っていました。ここにきて寝ろと言われました。服を脱がされたんです。そして3人が、順番に。私は、何が起きているのかわかりませんでした。声も出ませんでした。頭が真っ白で。そんな目に遭いたくありませんでした。お兄さんのように思っていたのに」
「日本人は悪いです。強姦されるなんて考えもしませんでした。逆らえなかったです。日本人はすごく乱暴で。まだ小さな子供の時でした」ウミさん13歳。涙をぬぐっている。
日本軍によるインドネシアでの慰安婦性暴力被害については、現地のさまざまな支援団体が被害者の登録を呼びかけている/ある団体では2万人の登録/日本では1995年に民間の募金と政府の出資による「アジア女性基金」がインドネシア各地に高齢者のための福祉施設を設置
しかし、インドネシア政府は被害者の認定はしておらず、日本の政府から被害者に対して公式な謝罪も賠償もない
金平さん「一緒に取材したヒルデ・ヤンセンさんはオランダ人ジャーナリスト。現地で性暴力被害者の方々の実態をコツコツ現地で調べてきた。女性の被害者たちは、今でも身を隠すように生きている人が多い。そういう人に寄り添って取材をしてきたことが垣間見えた。信頼されている」
金平さん「僕は日本人の男なんで、被害者の女性に合うことは出来たとしてもああいうふうに心を開いてもらうことは出来なかったと思います。そういう意味では、ヒルデ・ヤンセンさんなしでは、今回の取材は成立しなかった。」
日下部さん「私が台湾で取材したときも、やはり寄り添う若い女性たちの助けなしでは取材できなかったと思うんですね。(支援者の)彼女らは、政治的主張から離れたところでもう一度元慰安婦のおばあさんの声を聞こうとしている。」
日下部さん「戦場で、女性はどう扱われたか、できれば苦しみも分かち合いたいという。こういう若い女性は、台湾ではなく、韓国でも増えている。こうした変化(政治的な主張とは離れて、戦時性暴力そのものに向き合う)というのは、我々、覚えておいた方がいいと思うんですよね。
金平さん「この問題は、戦後70年談話でも中心的な論点の1つになっていると内外からみなされている。VTRの中で聞くに堪えない生々しい証言がありましたけれども、歴史に誠実に向き合うことは、自分たちに不都合な事実に目を閉ざさない。耳をふさがないことだと思うんですね」
金平さん「その意味では、証言した下さった方々の勇気に敬意を表したい気持ちになったということを、申し添えておきたいと思います」ほうとく 戦時性暴力 おわり
『報道特集』続き
戦時性暴力 インドネシアにて
オランダ人女性ジャーナリストが追跡している。インドネシア在住だった女性の
日本兵からの性暴力についての証言
今でも「戦争の時の自分を思い出す。私は破壊された。」
繰り返し日本兵に強姦された(当時13歳)
過去を語っておられる。
— cassava274 (@cassava274) 2015, 7月 25
報道特集、インドネシアにおける性暴力の特集。金平キャスターによるインタビュー。被害女性「あの時のことを思い出すと今でも辛くて泣いてしまう。夜も眠れない。私は日本兵に繰り返し強姦されたのです」その時、まだ13歳だったという。「もう何も質問したくないです」と目を落とす金平キャスター。
— 山下 歩(解釈改憲絶対反対) (@neko_yamashita) 2015, 7月 25
報道特集、インドネシアの性暴力の被害女性「学校に行けると騙されて慰安婦にされた。私を強姦した日本人の名前はオノでした」日本軍がインドネシアを占領して一ヶ月後に慰安所が作られた。日本軍は性病の蔓延を避けるため少女が犠牲になった。「みんな新品だ、と言っていました。処女という意味です」
— 山下 歩(解釈改憲絶対反対) (@neko_yamashita) 2015, 7月 25
うお、中曽根御大出したよ。#報道特集 インドネシア慰安所設置の責任者として。 pic.twitter.com/sNl6ykgGPM
— Iwashita Yu (@sardinian1979) 2015, 7月 25
これな。 pic.twitter.com/H2vze5SplT
— mold (@lautrea) 2015, 7月 25
これも
pic.twitter.com/rtILgtviDS
— mold (@lautrea) 2015, 7月 25
「土人女を集め慰安所開設」/中曽根元首相関与示す資料/高知の団体発表 http://t.co/U9RWIWF3BJ pic.twitter.com/phm8yki3kP
— mold (@lautrea) 2014, 3月 1
#報道特集 外国特派員協会会見での中曽根康弘元首相。 pic.twitter.com/hpriGs9ZFQ
— Iwashita Yu (@sardinian1979) 2015, 7月 25
#報道特集 戦時中インドネシアでも現地女性が慰安婦にされた。中曽根康弘が慰安所を作った。昔の日本人は悪い人ばかりだったと。いかに日本軍が非人道的だったか。慰安婦なんかなかったと政治家がうそぶくこの国、今も本質は変わらないだろう。だから戦争法案なんか絶対通したらいけない。
— はげまる21 (@hagemaru21) 2015, 7月 25
報道特集、インドネシアにいた元日本兵、慰安所にも行ったことがある。「公衆便所のようなものですよ。便所は小便をひっかけるだけだけどね」
慰安所に行くように慰安所切符を渡された時、明日にも命がなくなるかもしれないから、思い切り遊んでこい、という意味だと思ったという。
— 山下 歩(解釈改憲絶対反対) (@neko_yamashita) 2015, 7月 25
事実を、証拠、根拠とともに提示している報道特集。ひとつひとつの証言が重い。インドネシアにおける日本軍による性暴力、中曽根康弘が慰安所設置に関わったという書類も残っている。中曽根氏は反論があるなら反論すべきだ。残酷で悲惨な戦争の事実を受けとめることから、すべては始まる。
— Naoya Mori (@b4mori1) 2015, 7月 25
報道特集『インドネシアでの戦時性暴力』
インドネシアの老女の証言「18歳前後だった姉二人が5人の男に連れて行かれた。塀の中の慰安所に姉に会いに行ったら、少女だった自分も被害にあった。部屋に連れて行かれて、銃剣も持った、3人の男がズボンを脱いで順番に強姦した。」
— はな (@run_bun) 2015, 7月 25
報道特集『インドネシアでの戦時性暴力』を放送中。
従軍慰安所を経験した元兵士が証言。
「公衆便所と同じですよ。朝顔にかけるのが小便で、それが違うだけで。兵隊は死ぬのだから…戦争そのものがいけないのですよ…」と涙声。
戦争当事国の兵隊とインドネシアの少女を同列に語るな!まじムカつく
— はな (@run_bun) 2015, 7月 25
そして、元日本兵の男性は「慰安所だけじゃないですよ。みんな生きるか死ぬかでみんな大変だったんですよ」と泣き出しそうになりながら、語気を強めた。
— 山下 歩(解釈改憲絶対反対) (@neko_yamashita) 2015, 7月 25
報道特集、インドネシアで性暴力の被害に遭った女性。姉が軍服を着て銃を持っている日本兵に無理やり慰安所に連れて行かれたという。その姉に弁当を届けに行った彼女も、部屋に連れていかれ、3人の日本兵がズボンを脱ぎ始めた。その3人に強姦された。まだ13歳のほんの小さな子どもの時だった。
— 山下 歩(解釈改憲絶対反対) (@neko_yamashita) 2015, 7月 25
慰安婦の性病検査を行っていたのは「軍」で、コンドームの支給も「軍」からだと。日本軍が慰安所に120%関わっていたことは火を見るよりも明らか。しかも設置したのが中曽根康弘。#報道特集
— 小林ユウジ (@malcolmyujixxx) 2015, 7月 25
報道特集の「インドネシアで繰り返された日本兵による戦時性暴力」があまりに凄惨すぎて言葉がない。
— S+FOR+SWEEP (@sforsweep) 2015, 7月 25
報道特集を見て、改めて、日本人であることが恥ずかしくなったな。それは、慰安婦問題全体を、吉田証言一つの虚偽を以て葬り去らんとする今の日本に生きている日本人であることが、心底から恥ずかしくなったということだ。
— 人見 基埜 (@hitomimotoya196) 2015, 7月 25
今日の報道特集。見ていて、辛かったよ…。まじ涙出てきた。ああいうふうに半笑いの軍人らに、毎日毎日、家族から引き離され、レイプされたなんで、むごすぎるじゃないか。「俺もお国(大日本帝国)のために、明日死ぬかもしれないから、お前らをレイプしていいだろう」って理屈、まじおかしい。
— Just a human (@sdofgjseojbf) 2015, 7月 25
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
http://t.co/rmByZtC0gw
— mold (@lautrea) 2015, 7月 25
元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦(未発表)
http://t.co/ICboSQJVKq
抜粋
https://t.co/p0fJzSt9C8
https://t.co/aHdMpQpy8H
https://t.co/YTz1k0mOZ9
— mold (@lautrea) 2015, 7月 25
報道特集。日本軍の中曽根康弘が慰安所作りに関わっていた新資料。資料の料という字の上に、主計長 中曽根康弘の記述。 pic.twitter.com/zTJzkQnYIA
— あや (@ayakumahotcake) 2015, 7月 25
(承前)報道特集。日本海軍の中曽根康弘が現地女性を集め慰安所を作ったという新資料。 pic.twitter.com/LLLMcgRXef
— あや (@ayakumahotcake) 2015, 7月 25
中曽根康弘
「三千人からの大部隊だ。やがて原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために私は苦心して慰安所をつくってやったこともある。」
松浦敬紀著『終りなき海軍』(文化放送開発センター出版1978年) pic.twitter.com/8SGChLrXl2
— BARA (@BARANEKO) 2015, 7月 25
1942年、中曽根がインドネシア人女性を性奴隷として集めた慰安所設置に積極的に関わっていた資料が、防衛省の公開している文書「海軍航空基地第2設営班資料」の中から見つかっている
— BARA (@BARANEKO) 2015, 7月 25
2007年外国特派員協会で中曽根氏「やっぱり事実は事実なのであって、正直に事実があるとして認めて、そして人権を侵したようなことがあるとすれば、それは謝るべき性格のものである。そういうものにたじろいではいけないと、私は政治家として思っている次第であります」ほうとく 戦時性暴力
— thouautumn (@thouautumn) 2015, 7月 25
今日の『報道特集』は2つの意味で衝撃的だったな。戦時下インドネシアの日本軍による性的暴行を取材。
資料に驚く。1つは「土人女を集めて慰安所を作った」の「土人」という言葉。人権も人道もない。
もう1つは慰安所を作らせた若き将校、中曽根康弘の名前。
や、お茶の間は知らなかったはずよ。
— ちゅーた (@WChuta) 2015, 7月 25
TBS 報道特集 台湾人元慰安婦の証言
韓国の慰安婦問題が下火になったから 日本の左翼 今度は台湾へ 報道特集 ianfu... 投稿者 massgo
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