2015年7月15日、米スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦氏が亡くなった。途上であった研究の後を託された同大学の同僚、星岳雄教授の寄稿によると、間質性肺疾患との2カ月半に渡る闘病の末であったという。77歳だった。
青木氏は、ゲーム理論などミクロ経済学の最新理論を応用し、様々な制度や慣習が社会に与える影響や、経済システムが成り立つ条件などを説き明かす「比較制度分析」の世界的権威であった。また、今や世界中のビジネススクールなどで教えられている組織の情報構造を分析する理論研究においても実績を残したイノベーターだった。
学問・実業といった分野に捉われず後進の育成にも熱心で、経済産業研究所(RIETI)をはじめ数多くの研究機関創立に力を尽くした。国内外、分野を問わず、青木氏の突然の逝去を惜しむ声が後を絶たない。本日付当サイトでは、スタンフォード大学出身で、青木氏と研究面において関係の深かった伊藤秀史・一橋大学教授の追悼寄稿も公開した。
ところで、青木氏の国際的な貢献として、若かりし頃の中国の改革知識人の多くが青木氏の薫陶を受け、敬愛されてきたことは意外に知られていない。そこで日経ビジネスオンラインでは、日経ビジネス2005年7月18日号に掲載した、中国随一の経済学者で胡錦濤・温家宝政権(当時)のブレーンであった呉敬l氏との特別対談を、青木氏の遺した偉業をお伝えするために再録する。
(日経ビジネス2005年7月18日号より)
「反日国家」と敵視するだけでも、「13億の巨大市場」の魅力に目を奪われるだけでもない、固定観念を排した中国観が、今ほど求められている時はない。本誌は、翻訳記事を随時掲載している中国の「財経」と、北京での特別対談を企画。当代中国随一の経済学者で胡錦濤・温家宝政権のブレーンである呉敬l氏と国際経済学の第一人者である青木昌彦氏が、中国の構造問題から人民元のあるべき姿、日中関係まで語り合った。
青木:私は最近、中国が歴史的に大きな変わり目に差しかかっているのではないかという気がしてなりません。
呉:正鵠を射た指摘です。過去二十数年間の改革開放を通じて、中国経済は大きく発展しました。しかし私は今、経済成長のあり方や制度の変化が新たな段階を迎えていると考えています。この問題は、経済界や学術界で深く考察する必要があると思います。
途上国にしてスーパーパワー
青木:呉先生と私が初めてお会いしたのは、1994年の「京倫会議*1」でしたね。あの頃は朱鎔基・前首相(当時は経済担当副首相)の強力なリーダーシップの下、中国経済をどのような方向に改革していくべきか、原則的な点でかなり明確な意見の一致がありました。例えば財政制度や金融システムの改革、国有企業のコーポレートガバナンス(企業統治)をどうやって改革していくかといったことについてです。
それから10年が過ぎました。1人当たりの国民所得という尺度で見れば、中国はまだまだ発展の余地が大きい。しかし、2003年には世界第2位の石油消費大国になり、昨年は世界第3位の貿易大国にもなりました。中国経済の動向が、世界経済に非常に大きな影響を及ぼすようになってきています。発展途上国がグローバル経済の行方を左右するスーパーパワー(超大国)になったというのは、世界史の中でも類のない、大きな変化です。
呉:中国は、長年の試行錯誤を経て、計画経済から市場経済に移行しました。計画経済の時代には、都市部と農村部の間で人口の移動が厳しく制限され、民間の自主的な経済活動は許されませんでした。経済発展に不可欠な労働力や天然資源は存在していたのに、活用できなかったのです。
しかし市場経済の時代に入ると、市場メカニズムの働きで、労働力や天然資源が本来の役割を果たせるようになりました。このことが、製造業や商業の発展に大いに役立ってきました。
ところが、経済の規模がここまで大きくなると、問題も出てきます。今までの経済成長は、いわゆる「ハロッド=ドーマーの成長理論*2」のようなモデル、要するに資本の大規模な投入に依存した成長だったと言えます。私見ですが、このような成長モデルには一定の限界があると考えます。
例えば、2000年以降の投資ブームでは、(エネルギー、土地、素材、輸送力など)様々な資源が一斉かつ急速に消費されたため、供給不足に陥りました。そのスケールが相当大きくなっているため、中国経済に「過熱」が生じると、世界経済にまで影響が波及するようになったのです。
中国政府は、今までのような成長モデルを転換しようと、相当前から努力してきましたが、遅々として進んでいません。手をこまぬいていれば、中国経済の持続的な発展は不可能だと思います。中国だけでなく、世界経済の次元で考えても耐えられないでしょう。
青木:中国がグローバル経済との調和を図りながら、安定した発展を維持するにはどうすればいいのか。私は、エネルギーと環境が大きな制約になると見ています。そして、この問題をうまく解決するためには、「制度」のあり方が重要なカギになると思います。
呉:過去二十数年間、中国の制度は政治でも経済でも大きく変化してきました。しかし、(先進資本主義国の)現代的な市場経済の制度と比較すると、依然開きがあります。
それは、主に2つの面に表れていると思います。まず、土地の手当てや資金の融資など、経済活動に不可欠な資源を分配する機能のかなりの部分を、今も(市場ではなく)政府が担っていることです。中央集権型の計画経済体制は打破されましたが、省や市など地方レベルの政府が依然として大きな権力を握っている。このため、政府が市場経済の制度に基づいて様々な調整を行う場合に、中立性が保証されないという矛盾が生じています。
次に司法制度の問題です。中国では、法の執行は政府及び司法部門が担当しています。しかし「法の支配」という観点では、現代的な市場経済のあるべき水準に達しているとは言えません。
制度が確立していないがゆえに、経済全体の効率が低く、壮大な資源のムダ遣いが繰り広げられています。契約における信義誠実の原則が守られず、詐欺なども発生しています。
地元の利益最優先で非効率に
人民元の変動は必要不可欠
青木:法治の確立は、市場経済の発展にとって極めて根本的な問題です。商人と商人の間の個人的な信用という枠組みを超えて取引が発展していくには、非人格的な契約の履行を保証するメカニズムが必要だからです。
その役割を政府が中立的に担えるようにするためには、市民が政府をコントロールしていくという、民主的な制度が重要になります。市場経済の発展と民主的な法治は、補完し合いながらともに進化していかなければならない関係にあると思います。
このような理論的な背景の下で、中国の制度の変化はこれからどういうふうに起こり得るのか。1つの可能性は、中立的な法の支配、つまり法治を徹底するという方向です。
2つ目は、政府は中立的と言うよりも能動的な役割を果たす。ただし、工業化を進めるために農業から強権的に資源を移転するといった、かつてのようなやり方ではなく、むしろ経済的に遅れた農村部の振興など、政府がバランスを取る役割を担っていくという方向です。日本、韓国、台湾など東アジアの経済が、高度成長の次のステップとしてたどった道に類似しています。
3つ目の可能性ですが、中国の公有財産を私有化する過程で、様々な不正や腐敗があり、社会的な不公平が拡大しています。そこで、市場化そのものに反対していくという考えも出てきているようですね。これを「新左派」と呼ぶ人もいますが、実際には守旧派的な考え方であると思います。
呉:この問題は、政府のあり方や財政にも関係してきます。我々の研究によれば、1994年以来の財政体制*3に大きな欠陥があったのではないか。すなわち政府の財源、職権、機能、責任を分散しすぎたのではないかという問題が浮かび上がりました。
例えば司法制度について言えば、中国では裁判所が地方ごとに設置され、地方で起きた事件は地元で裁判が行われています。巡回裁判所のような制度がないため、(全国の判例や情報が共有されず)地方の司法手続きは低いレベルのままです。
さらに、「司法の地方主義」の問題もあります。裁判官の任命、裁判所の設置、必要な運営経費などは、すべて地方政府が指示、手配します。このため、どうしても地元の利益を最優先に守ろうとしてしまうのです。
こうした状況を打開するためには、財源の裏づけを伴った“権力の集中化”が必要ではないでしょうか。
中台も経済は補完関係に
青木:確かに中国では、各地方の間で経済成長率を巡る激しい競争が行われてきました。この競争は驚異的な成長をもたらすと同時に、地方の保護主義的な傾向を助長した面もあります。
農村部の貧困問題などを解決していくためには、全国的な枠組みで資本や労働が自由に動く統一市場を作っていかなければなりません。その意味で、地方主義を打ち破るため、計画経済時代とは違う文脈での中央集権化が必要であるという指摘は、逆説的ですが、非常に示唆に富んでいますね。
次に日本と中国の経済関係についてうかがいたいと思います。
グローバル経済に占める中国の存在感の急上昇とともに、日中関係にも様々な政治的、経済的な問題が生じてきています。日中は競争関係にあるのか、補完的なのか、見方が分かれています。エネルギー資源の確保を巡る問題などでは、「ゼロサムゲーム」を戦っているという意見もあります。
呉:いや、中日関係は「プラスサム」のゲームでこそあれ、決して「マイナスサム」ではありません。
先日、台湾を訪問する機会がありました。台湾の政治家に意見を聞くと、やはり政治的な観点から、中国と台湾は競争関係にあると指摘します。ところが経済界の人々は、政治的な信条は別にして、中国と台湾が競争関係にあると考える人はいませんでした。極めて密接な補完関係にあるというのが、彼らの一致した見解でした。
中国と台湾の(経済的な)格差は、中日間のそれと比較すればかなり小さい。一方、経済学的な考えでは、格差が大きければ大きいほど補完性は高くなります。中日が経済的な補完関係を生かして協力すれば、両国の経済活動全体を間違いなくプラスサムに導けると確信しています。
さらに踏み込んで言えば、アジアで最大の経済力を有する中日両国は、アジア経済全体の繁栄に対して責任があると思います。
世界経済の中で、アジアは今や重要な地位を占めています。しかし、弱点も抱えています。米ドルを唯一の基軸通貨にしているため、投資は基本的にドル建てで、外貨準備も主にドルです。ドルに大きな異変があれば、アジア全体に多大な影響が及びます。
アジアでは、地域間の協力の必要性がより一層高まっています。仮にEU(欧州連合)のユーロのような統一通貨が実現すれば、アジアの安定と繁栄に大きな役割を果たすでしょう。
しかし、それには大きな課題があります。日中両国がお互いに協力し合わなければ、アジア経済全体の統合は困難だからです。EUの経済統合が、ドイツとフランスの協力がなければ実現しなかったのと同じです。
アジア統一通貨の条件
青木:日中関係はゼロサムではないということに関連して、エネルギー問題に一言触れておきたいと思います。例えば東シナ海における油田の開発の問題です。日中両国が境界線の両側で、お互い勝手に採掘することになれば、海底下では鉱脈がつながっているわけですから、資源をどんどん取り合う結果になります。
これではゼロサムどころか、いわゆる「共有地の悲劇*4」が起きてしまいます。エネルギーに関しては、やはり国を超えた公共財ととらえて、両国が協力して開発に当たることが合理的な選択肢ではないでしょうか。
アジア経済の統合に向けて、日本と中国が中心的な役割を果たさなければならないという意見は、その通りだと思います。いつも例え話で言うのですが、「楕円」は2つの焦点を持っていますね。日本と中国は離れていても、東アジア経済圏というきれいな楕円を作っていくための2つの焦点であると考えられます。
日中両国は楕円の2つの焦点
資源は協力して開発すべき
とはいえ、ヨーロッパのように経済の発展段階がかなり類似している国々でも、通貨の統合には時間がかかりました。アジアが通貨統合の方向に進むことができるかどうかは、まだ課題が山積していると思います。
呉:そうですね。人民元(切り上げ)の問題も国際的に議論されています。
青木:これは経済学者の間では「マンデルの三角形*5」として知られていることですが、為替の安定化、金融政策の独立性、そして自由な資本移動、この3つを同時に達成するのは、どんな国でも不可能です。中国の場合、自由な資本移動を犠牲にして為替の安定化を図ってきました。
しかし、中国経済の開放が進むにつれて、資本移動の規制は次第に中国自身の手を縛ることになるでしょう。また、世界貿易機関(WTO)加盟時の合意によって、来年からは外国銀行が中国国内でかなり自由に業務を展開できるようになります。彼らは豊富な資金力とリスク管理の高度なノウハウを持ち、サービスも洗練されています。外国銀行が中国で積極的に事業展開すれば、資本規制の自由化はおのずと課題に上ると思います。
そうなれば、「三角形」の他の一辺を犠牲にしなければならない。為替の安定化、つまり人民元の為替レートを事実上ドルに固定している現在の仕組みを、変えざるを得ないという問題が、経済学の論理として出てきます。
中国人民銀行(中国の中央銀行)の内部でも慎重に検討しているそうですが、元はドルだけでなく円やユーロなどにも、経済関係の重要性に応じてリンクする「バスケット制」に徐々に移行していくのが、論理的にふさわしいかもしれません。
呉:同感です。通貨の安定に関しては、異なる2つの考え方があります。まず国内での通貨の価値を安定させることです。インフレやデフレを防ぐことは、非常に重要な課題です。
次に(外貨に対する)為替レートの安定です。これは、必ずしも最優先の課題ではないと思います。為替レートが極端に乱高下すれば、確かに経済が混乱します。しかし、市場の需給に応じた適切な為替変動は、資源の適正配置に必要不可欠なものです。
98年から現在に至るまで、人民元は実質的な固定相場制を採用しています。こうした為替制度は輸出産業の経営の効率化を妨げており、中国の経済学者の大多数は94年の為替改革時の管理変動相場制*6に戻るべきだと考えています。為替レートは基本的に市場で決定し、急激な為替変動には中央銀行が介入するというやり方です。
ただ、為替制度の改革をあまり性急に進めると、予想外の事態を招きかねません。学者の間でも様々な議論がありますが、個人的には、政府が考えている(漸進的な)方向でよいのではないかと思います。中長期的な課題としては、やはり市場メカニズムを通じて為替レートを決定する仕組みを模索し、改革の準備を進めるべきです。
青木:経済だけでなく、政治の問題にも触れたいと思います。最近の日中関係は、しばしば「政冷経熱」と言われます。政治の次元で問題が続くと、経済関係までだんだんおかしくなってしまうというニュアンスが含まれた言葉だろうと思います。
例えば靖国神社の問題は、外国に言われたからではなく、日本人自身の手で解決すべきだと思います。こうした政治問題を解決するための努力は当然必要です。しかし、ちょっと逆説的な言い方に聞こえるかもしれませんが、私はむしろ「政経分離」でいくべきだと考えています。
日中の間には、様々な次元で意見の相違があります。今最も必要なことは、問題を何でもかんでも政治の次元に矮小化することではなく、お互いに広い視野で相手を理解しようとする努力ではないでしょうか。例えばビジネスマン同士であるとか、学術の世界であるとか、芸術やスポーツだとか、マスメディアの間だとか、それぞれの次元のプロフェッショナル同士が、高い職業倫理や知識、スキルに基づいて、もっと深く交流すべきだと思います。
反日デモの原因は「無知」
呉:経済の問題を政治化すべきではないという意見に、私も賛成です。とはいえ、中には政経分離がどうしても難しいケースも出てきます。その解決には、政治的に良好な雰囲気がやはり必要です。経済問題を政治化するのは避けるべきですが、同時に、中日関係の政治的な基盤も強化していかなければなりません。
抗日戦争の時代、私は旧日本軍の激しい爆撃を浴びた重慶に住んでいました。毎日、空襲警報が聞こえるたびにどこかへ逃げ込む生活でした。当時、私は数え年で10歳でした。日本の一部の政治家が、日本軍が行った残虐行為は作り話だとか、東京裁判での戦犯の扱いは違法であるとか発言するのを聞くと、私の世代は憤りを覚えます。
若い世代もまた問題を抱えています。19世紀から20世紀にかけての100年間、中国は外国から侵略され続けてきました。そうした背景があるので、中国の若者は今も列強に強い反感を持っており、火をつければすぐに燃え上がるようなところがあるのです。
青木:歴史的な根深さがある、と。
呉:ええ。しかし、先日上海で目にした同胞の行動*7は極めて非理性的なものでした。あのような行動は無知によるものです。反日デモに参加した若者の中には、農村部から出稼ぎに来た労働者も交じっていたそうです。彼らは日本の右翼の発言や、日本人全体に占める右翼の割合も知りません。ですから後日、人民日報の取材を受けた時、私は「日本人の大部分は中国に友好的な人々である」と話しました*8。
このような問題を解決するためには、先般のような非理性的な行動は間違ったやり方であると、中国政府は自国民に対して説得する責任があります。また、中日の知識人は、過去の出来事を将来の戒めとする使命感を持ち、問題の解決に向けて前向きに取り組んでいく責任があると思います。
中日関係を打開するため、経済、文化、政治など様々な分野の第一線のエキスパートがもっと交流すべきであるという指摘は、まさに卓見です。お互いに相手の事情を深く理解し、プロの手を通じて広く国民一般に情報が伝わっていけば、問題をより良い方向に解決していけるのではないでしょうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/072100037/