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2015.07.18 ニュース
英国人ホステスのルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)が神奈川の洞窟でバラバラ死体となって発見されたのは2001年2月のことだった。ほとんど忘れられたこの事件を英紙『タイムズ』東京支局長のリチャード・ロイド・パリーさんが丹念に取材した著書『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』が話題だ。なんと発売から2か月弱で4刷達成である。英国人の著者にとって、「在日外国人」という存在、「水商売」や「ホステス」という仕事など、「今の日本」を深く探る機会にもなったという。
リチャード・ロイド・パリー
「この事件にかかわる人間が私を含めて全員アウトサイダーである点が、読者としても興味深いところでしょう。私も『ガイジン』としてこの事件から様々な発見を得ることができた」と語るパリ―氏
――本書は異常な事件を追ったドキュメンタリーとしてはもちろん、外国人ジャーナリストによる「日本人論」あるいは「在日論」としても面白く読めました。ルーシーを殺害したとされる織原城二は、裕福な在日韓国人の家庭で生まれ育ち、2010年暮れに準強姦致死罪など9人の事件で無期懲役の判決が確定しました。現在も服役中ですが、ルーシーの殺害については証拠がないとして無罪になっています。
パリ―(以下略):実は、日本語版の出版が決まるまでに時間がかかりました。古い事件なので、読者が興味を持つかどうかも問題でしたが、それ以上に織原による訴訟が懸念されたからです。織原は裁判を受けている間、私を含め多くの記者や出版社に対して名誉毀損の損害賠償請求訴訟を起こしました。私は勝訴しましたが、労力や費用がかかりましたし、大手の新聞社が負けたケースもあるのです。
――資産家の織原は、当時たくさんの弁護士を雇っていましたね。たしかに出版社にとってはハイリスクですが、読者からは「上質なミステリーのようだ」と好評です。
ありがとうございます。読者の皆さんも、事件の異常性や複雑性に惹かれたのだと思います。ルーシー以外にも何人もの人が亡くなっていますからね。
◆「水商売」も日本独特
――『タイムズ』東京支局長として、東京を拠点にアジアの大半をカバーして取材されています。ご多忙の中、この事件について書かれたのは、なぜですか?
当時は英国でも事件が注目され、私は英紙『インディペンデント』の記者として取材していました。調べていくうちに、事件にはたくさんの複雑な「要素」があり、私はそれに魅了されました。そして、新聞の記事だけでは書き足りないと思ったのです。
まず、イギリス人の女性が日本で行方不明になったということは「ミステリー」でしたが、その後に遺体となって発見されたことで「犯罪」となりました。犯人は誰か、そして動機、方法は? と続いていきます。
そして、その過程で、ルーシーと織原、その家族の姿、そして日本の独特な現実――日本独特の「水商売」、移民とは異なる「在日」(※主に韓国・朝鮮人を指す。戦後、日本に居留した外国人のうち韓国・朝鮮人が最多数であり、その後在日中国人が数を上回ったが、サンフランシスコ講話条約により特別永住者となった経緯や、文化・経済・スポーツなど日本社会に少なからず影響を与えてきたことから在日韓国・朝鮮人の代名詞として使用されるケースが多い)、日本の警察の捜査と異常に長い裁判などは、外国人には理解が難しく、またSMの愛好家やドラッグ使用者、ヤクザに関することなど、調べなくてはならないものがたくさんありました。
このような現代の日本をふまえて事件について記すには、400ページの書籍にまとめる必要があると思ったのです。
――取材に膨大な時間と労力をかけられたことは、よくわかります。現在は、本書についてどのように思っていらっしゃいますか?
「人間」とは、一言では語れない、複雑な存在であることが改めてわかりましたね。取材を始めた当初は、本書でルーシーについて書くことはほとんどないだろうと思っていたのです。ルーシーは、21年という短い生涯を日本で閉じましたが、日本にはわずか2カ月しかいませんでしたから。
しかし、ルーシーの家族に取材すると、その愛について書くために多くのページを割くことになりました。ルーシーの家族は、ごく一般的な英国人の家族だと思いますが、事件をめぐって、いろいろなことが起こっていきます。
たとえば、織原から1億円の「お悔やみ金」を受け取ったとされるルーシーの父親については、当時は「がめつい」イメージで報じられました。たしかにそうした面もありましたが、同時に、それだけではないこともわかりました。
◆織原以上にミステリアスな父親
――織原は帰化していますが、そのこともあまり日本のメディアは報じませんでした。「在日」について、どのように思われましたか?
織原が、どのような人生を送ってきたのかを調べるために、まず在日の社会について調べなくてはなりませんでした。在日とは、「移民」とは異なる存在であり、歴史的な経緯も複雑で、日本のメディアはほとんどタブーに近い扱いをしていますね。こうしたことは知らなかったのですが、織原について取材していく中で、在日についても詳しく知ることができました。
また、織原の父親は、織原に以上に興味深い存在でした。貧しい生活からパチンコ店の経営などで莫大な財産を築き、若くして香港で不可解な死を遂げていますが、詳しいことはわからないのです。
また、彼が韓国系の民団(在日本大韓民国民団)と北朝鮮系の総聯(在日本朝鮮人総聯合会)のいずれに属するのか、いくら調べてもわかりませんでした。
――民団と総連のいずれにも属さない在日もめずらしくないので、どちらでもなかったのかもしれませんね。1952年生まれの織原も、その父親もかつての在日の典型といえます。親たちの世代は読み書きができないながらも必死で働いて裕福になり、子どもたちには高等教育を受けさせようとしました。
そうした事実関係を私も本書で追及しました。もちろん織原は「在日だから」事件を起こしたわけではありませんが、織原という謎の多い人間を知るためには必要な作業でした。
◆市橋達也と織原の共通点は?
――本書では国会議員の西村慎吾さんや福島瑞穂さん、作家の宮崎学さん、ジャーナリストの大谷昭宏さんなど、たくさんの日本人に取材されていますが、「ルーシーに覚せい剤を売った」というヤクザも登場していて、驚きました。
その人物には直接は取材できませんでしたが、関係者から話を聞くことができました。実は、イギリスは日本ほどドラッグを規制していないので、ルーシーのような若い女性もたまにドラッグを使うことは珍しくありません。これはいいことではないですね。
――同じくイギリス人女性を殺害して逃亡し、2009年に逮捕された市橋達也(12年に無期懲役の刑が確定)も取材されていますが、織原と共通点はありますか? 織原と同様にプライドも学歴も高い一方で、白人女性に対してコンプレックスを抱いているイメージがあります。
私の印象では、この二人にはむしろプライドや自信がなく、劣等感にさいなまれているように見えました。それが犯罪につながったのではないかと考えています。ただ、市橋は衝動的に女性を殺して逃走するなど愚かで短絡的であったのに対し、織原は何年もの間、計画的に強姦を続けることができたのは、それなりに知恵もあったのではないかと思います。
また、被害者の人数などは違いますが、裁判員裁判の導入により、二人の裁判の長さが全く違うことは興味深かったですね。
いずれにしろ、取材の過程で、加害者も被害者も含めて誰のことも「白」や「黒」にはっきり色分けをすることはできないことがよくわかりました。どんな人間もグレーな部分があり、影があります。本書では、こうした人間の持つ複雑さを書きました。
また、ある方から、「この本は書いている人も書かれている人もアウトサイダーだ」と指摘されました。たしかにそのとおりです。織原は在日であり、ルーシーも私もイギリス人です。私は「ガイジン」として、日本をいろいろな側面から見て書くことができました。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
【著者プロフィル】英紙《ザ・タイムズ》アジア編集長・東京支局長。1969年・英マージーサイド州出身。95年に英紙《インディペンデント》の東京特派員として来日、2002年より《ザ・タイムズ》へ。東京を拠点に、日本、韓国・北朝鮮、東南アジア地域を主に担当。これまでにアフガニスタン、イラク、コソボ、マケドニアなど27カ国・地域を取材し、イラク戦争、北朝鮮危機、タイやミャンマーの政変、東日本大震災などを報じてきた。05年にはインド洋大津波の取材と二重被爆者の故・山口彊氏へのインタビューでBBC(英国放送協会)の番組の「今年の外国特派員」賞を受賞。著書にインドネシアのスハルト政権終焉を描いた『In the Time of Madness』(未訳)。本書は『People Who Eat Darkness: The True Story of a Young Woman Who Vanished from the Streets of Tokyo–and the Evil That Swallowed Her Up』(2012年)の翻訳。現在は東日本大震災に関する長篇ノンフィクションを執筆中。
文中一部敬称略/聞き手・越谷優、安英玉(本誌) 撮影/石川真魚
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