【公開収録より】原子力との41年「人生最大の間違いというのは、原子力などに夢を持ってしまったということが、私の最大の誤りだったと思います」〜第128回小出裕章ジャーナル
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2015年06月20日 ラジオフォーラム
今西憲之:
小出さん、1968年東京にいらしゃって、それから東北大学に進まれました。これ、何で原子力をやろうと思われたんでしょうか?
小出さん:
今日、この会場にも私と同世代ぐらいの方もいらっしゃってくださっていますけれども、私の子どもの頃は、鉄腕アトムという漫画が流行っていた時代でした。
今西:
僕の子どもの頃もありました。はい。
小出さん:
原子炉で動くロボットで、アトムの妹はウランちゃんだったし、兄貴はコバルトという名前で、これからは原子力の時代なんだというそういうことが社会にまん延していましたし、日本の国家の方も積極的に、「これからは原子力なんだ」と「化石燃料なくなっちゃうんだから、未来は原子力」というような宣伝をしきりに流していまして、中学・高校の頃に私はそれを聞かされて、てっきり信じてしまった。
今西:
なるほど。それがね、嘘八百とわかったのは、どんな瞬間でしたか? 大学で勉強されてて。
小出さん:
いくつももちろんありますけれども、私の場合には2つ契機がありました。1つは1968年という時に私は大学に入ったのですが、その時は大学闘争というのが闘われていた時代でした。私自身は大変右翼チックで保守的な学生だったので、学生服を着て大学に通っていましたし、1時間も授業を欠席しないといような愚かな学生でした。
今西:
いや、それは愚かなんですか?
小出さん:
はい。今から思えば、あまりに愚かだったと思います。大学闘争が何をやってるかもわからないまま、ひたすら原子力をやりたいと思っていた学生だったのです。そういう時代の中で、私が原子力をやり始めた時に、私は東北大学という大学に行きました。宮城県の仙台という結構大きな街で私は勉強していたわけですが、東北電力という電力会社が、原子力発電所を造るという計画を立ち上げたのです。
今西:
それが女川原発ですね?
小出さん:
はい。そのこと自身、原子力発電をやること自身は、私にとってはむしろありがたいことだと思ったわけですが、建てる場所が電気を使う仙台ではなくて、女川という本当に小さな田舎の町に建てるという計画だったのです。
そして女川の人達が、「なぜ電気を使う仙台ではなくて、自分達の町に建てるのか?」という疑問の声を上げたのです。それを聞いてしまいましたので「なぜだろう?」と。彼らが上げた疑問に答えなければいけない。答える責任があると私は思ったのです。答えなければいけないと私が思ったのが、その大学闘争に巡り合っていたからなのですけれども。
だんだんだんだん大学闘争というのが、何を問題にしていたかということを私自身も逃げることができなくなりまして、考えたところ、大学闘争で問われていたのは、自分がやっている学問が社会的にどういう意味を持っているかということをきちっと答える責任があるということだったのです。
そうなると、私がやってる原子核工学という所にいたのですけれども、その学問が社会的にどういう意味を持つか。原子力発電をやるということがどういう意味を持つかということを、私の責任として答えるしかないと私は思ったのです。
で、まあ答えを求めて、なぜかとずーっと悩み続けました。長い時間が経ちましたけれども、今から思えば答えは簡単で、原子力発電というのは都会では引き受けることができない危険を抱えてるから、過疎地に押しつけるんだという結論に、私はたどり着きました。そうなれば、そんな物は到底認めてはいけないと思うようになりまして、とにかく原子力発電を止めさせなければいけないということで、180度自分の人生を、その時点で変えました。
今西:
なるほど。その中で多くの研究者、同級生の方々とかは原子力ムラと闘う道を選ばず、原子力ムラに入る道を選択された方が多かったんじゃなかったですか?
小出さん:
基本的には大学という所は、例えば東北大学もそうですけれども、エリートとして社会に出て行って、出世をするのが人間の価値みたいなような世界なわけですし。
今西:
大学でもそういうことなんですね?
小出さん:
そうですね。だから、みんなそうやって思ってるわけですし、大学を出た時は少しでも良い企業にやはり就職しようと、みんなが思っていたと思います。それでも大学闘争という時代でしたので、私の周りの学生のかなりは当時、ドロップアウトというようなことを言っていましたけれども、社会的なステータスを求めていく道からは外れて、それなりに自分達の生き方を探すというような仲間はたくさんいました。
今西:
なるほど、なるほど。そういうこと振り返っても、小出さんが選択された道というのはもう全く悔いがない。間違ってなかった?
小出さん:
わかりません。私は少なくとも自分の人生最大の間違いというのは、原子力などに夢を持ってしまったということが、私の最大の誤りだったと思いますけれども、でもその愚かな過ちを犯したのは私なわけですから、その落とし前をつけるのは私でなければならないと思ったわけで、自分の愚かな選択の落とし前をどうやってつけるかということを考え続けてきました。
それでまあ原子力の場に残って、とにかく原子力を潰すために仕事をしようと思ったわけで。その私の思いがどこまでほんとに効果があったか、役に立ったかということを自分ではわかりません。ただし、初めにちょっとだけごあいさつしましたけど、41年間ひとつの職場で解雇もされることなく、やりたい放題やり続けてこられましたので、恵まれた人生だったと思います。
今西:
なるほど。そんな中でですね今日、女川原発のことを聞くにあたってですね、どうしても聞いてほしいという質問が私のところに来まして。東日本大震災がありました、4年前にですね。女川原発は、福島第一原発のような大事故は起こさなかった。そういう意味で、今、現地では「安全、安全」と繰り返し言われている、安全神話が続いてる。この現状をいかがお感じでしょうか?
小出さん:
まあ、全くばかげたことですね。東京電力の福島第一原子力発電所があのようになってしまったというのは、発電所全体がブラックアウトと、全所停電に追い込まれたからなのです。それは外部の送電線も鉄塔がひっくり返ってしまって、外部からの電源も来なくなったということなのですが、女川原発ももう首の皮一枚で止まった。
なぜかと言うと、一系統だけ鉄塔が潰れないで外部から電気が届いたということで、ようやくにして生き延びたわけで、外部の鉄塔が倒れるかどうかなんていうことは、まさに誰も予測できない。地震の強さによって、たまたま壊れてしまうということも起こり得たわけですから、女川原発の場合、もちろん良かったと思います。一系統だけ生き延びてくれて良かったと思いますけど、言ってみれば偶然です。
今西:
そうですね。そういう中でですね、ほんとに小出さん、長いことご苦労様でした。どうも今日はありがとうございました。
小出さん:
はい、ありがとうございました。