参考人が「憲法違反」明言 ! 世論も「違憲」批判拡大 !
安保法案ムード一変で官邸に焦り ! 剛腕・小沢一郎氏も動きだした !
T 参考人・憲法学者3人が「憲法違反」と揃って明言 !
(日刊ゲンダイ:2015年6月9日より抜粋・転載)
◆「そもそも違憲の法律を作っていいのか」と国民多数も疑問視 !
安保法案の成立を確信していた安倍自民党が焦りだしている。憲法学者3人が「憲法違反」と揃って明言したことで、世論のムードが一変してきたからだ。
「自衛隊員のリスク」や「事態の具体的要件」といった各論ばかりで、チンプンカンプンだった国民も、「そもそも違憲の法律を作っていいのか」という本質に気づき始めた。国民をケムに巻いて、数の力で押し切ろうとした安倍シナリオが狂ってきた。
◆この週末、安保法案に対する批判が各地で一気に広がった !
6日、都内で開かれた「立憲主義の危機」シンポジウムは700人収容の会場から人があふれ、1400人が詰めかけた。7日に大阪弁護士会が開いた野外集会には4000人が参加、「集団的自衛権はアカン」と訴えた。
一方、自民党も7日、国民の法案への理解を深めようと谷垣幹事長が都内で街頭演説したが、「戦争反対」「帰れ」の怒号に演説がかき消される事態に。
◆安倍首相のヤジや閣僚の曖昧答弁等に野党が猛反発 !
衆院での法案審議のスケジュールも自民のもくろみから大きくズレ始めている。当初は週3回、1日7時間の審議で6月第3週までには80時間を超える計算だった。
ところが、安倍首相のヤジや閣僚の曖昧答弁、委員長の強行運営に野党が反発した。
委員会が空転したうえ、6月8日も開けず、安倍官邸が想定していた今月24日までの会期内の衆院通過は絶望的だ。
会期延長は、既定路線だが、とうとう自民党内からは「6月中に衆院を通過させられなければ、法案成立は危うくなる」(ベテラン議員)という声まで出始めた。
こうなると数の論理で諦めムードだった野党も本気を出さざるを得ない。
剛腕の小沢一郎氏も動きだした。
すでに維新の党の松野頼久代表は小沢氏と会ってアドバイスをもらい、民主党の岡田克也代表も小沢氏と急接近している。9月に予定される小沢氏の地元の岩手県知事選で、現職の達増知事を野党共闘で推す計画も進んでいる。
◆安倍政権の倒閣をめざして野党共闘を強める必要がある !
民主や維新内部では、「安倍政権の倒閣をめざして野党共闘を強める必要がある。2度の政権交代を実現した小沢一郎さんの知恵を借りるべきだ」という意見も広がっている。
「小沢さんはいろんな人から相談を受け、『じゃあ会ってみようか』という感じで、かなり元気です。
昔と違うのは自分がプレーヤーとして中心になるのではなく、裏方に回って支えようとしていることです。そこに野党再編に向けた小沢さんの覚悟が見えます」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
小沢氏は本紙のインタビューで、「安保法制だって、委員会で机を突き飛ばしてでも反対する、っていう騒ぎになったら、そう簡単にいかない。マスコミも報道するし、国民の関心も高まる」と語っていた。
安保法案が成立しなかったら、安倍政権は一気に瓦解していく可能性が高い。
(参考資料)
小沢一郎氏の本質をどう見るか ?
(岩浪貞芳著『権力闘争の内幕』330〜338頁より抜粋・転載)
1)旧民主党と新民主党の政治的影響力
平成15(2003)年9月26日、自由党と合併し、新しい民主党として、合併党大会が開かれた。
@ 合併直後の参院選結果
2004年7月11日に、第20回参院選挙が実施された。党派別当選者は下記のとおりであった。
岡田・民主党は、比例区で2100万票を超え、小泉自民党より多く、第一党となった(得票率:自民・30.03%、民主・37.79%)。
選挙区の得票率は、自民・35.09%、民主・39.09%であった。
A 小沢氏の強靭な政治力
民主党大躍進を牽引した、小沢氏の群を抜いた政治力を植草一秀氏は『日本の独立』に次のように記している。
2003年に自由党と合併した民主党ではあったが、2006年4月までは、旧民主党人脈が民主党全体を牽引していた。党代表は管直人氏、岡田克也氏、前原誠司氏が交代で務めたが、結局、この体制で党勢は衰退の一途を辿ったのである。
2006年には偽メール問題への対応を誤り、国会議員はその後に自死で失うとの悲劇も生み出した。
民主党は解党の危機に追い込まれた。
この窮地に火中の栗を拾ったのが小沢一郎氏である。小沢一郎氏が民主党代表に就任し以降に、民主党の大躍進が始まった。その結果として、2009年9月の政権交代の偉業が成就したのである。
小沢一郎氏の力なくして民主党を軸とする政権樹立はなかった。
しかし、旧民主党勢力、そのかなりの部分が対米隷属、市場原理主義、官僚利権温存葉に分類される議員集団であるが、この旧勢力は、2010年まで一貫して小沢一郎氏の失脚を画策してきたのである。
自らの力では政権交代を実現できず、小沢一郎氏の力に依らなければ政権交代の大業を成就できない。
しかし、その大躍進の中心で活躍する小沢一郎氏の存在を認めたくない。こうした屈折した心理が見え隠れし続けた。
2)旧自民党系・旧社会党系・旧民社党系など纏める器量・人脈
@ 自民党、社・公・民との広い人脈
1993年8月、どこで、何が違って、非自民政権が生まれ、自民党は野党に転落したのか。一にかかって、「小沢の違い」でそうなった。小沢の行動は、素早かった。
決断の基盤になっていたのは、自民党幹事長以来培ってきた、「社公民中枢との人脈」だった。
開票の大勢がはっきりした段階(18日)で、まず自民党に目を向けた。開票速報に登場した自民党幹部たちの発言を丁寧に拾って、自民党は選挙前の苦戦の予想を覆して1議席増やしたことから勝った気分でおり、本音は過半数に足りない分は日本新党か新党さきがけを取り込むか、連立してやれば、大丈夫と考え、事態を楽観していると見えた。
しかしその時、小沢はすでに「細川でいける」とつぶやいていたのだった。
小沢は選挙前に新生党と社公民、社民連による選挙協力を仕掛け、5党首会談で外交など基本政策の継承といった3項目の合意を取り交わしていた。社会党が一人負けした選挙になったが、自民党を過半数割れに追い込むという所期の目的は曲がりなりにも現実のものになった。
小沢は3人と3項目合意を確認しながら、連立政権の可能性に言及したと考えられる。こうした手順を踏んでことを運ぶ細心さは知られていない。さらにもう一人、電話した人物がいた。日本新党の細川護熙であ。
A 保守層・労働組合・農村漁村など幅広い人脈
偏見や好悪を超越して公平・客観的に考えれば、小沢氏が代表または幹事長として、実力を発揮した、2007年参院選での民主党大勝、2009年衆院選の民主党大勝は小沢氏の広い人脈と選挙戦術の巧みさによるところが大きいといえよう。
それと比較して、2010年参院選は、菅執行部が世論に迎合して、脱小沢路線で「小沢氏を排除」して、選挙を戦った結果、告示前の世論調査による予測を大幅に下回る大敗北となり、参議院は、与党が過半数割れした。
脱小沢の民主党は、選挙にも官僚にも弱いと見抜いて、守旧連合は分断作戦(小沢vs反小沢)を仕掛けていたのに、守旧連合のワナにはまってしまったことに、菅執行部は、選挙惨敗後も、気がつかないほど重症である。
3)リーダーシップ
@ 小沢一郎氏のリーダー論
リーダーとは、自分の目指すものを明確に掲げ、自分で決断し、自分の責任において実行できる人物である。
「あちら立てれば、こちら立たず」という言葉があるとおり、現実の世界には「模範解答」などない。
何かを選択するということは、何かを捨てるということでもある。そうした現実と理想とのせめぎ合いの中で、志を捨てない者だけがリーダーになれる。
優れたリーダーに求められる資質とは何か
第1番に挙げたい「リーダーの資質」とは「志」を持っているということである。
2番目に挙げたいのは、「自立した人間」「主体性を持った人間」であることだ。
資質の第3番目は、自分なりに「志」、「ビジョン」をもつために不可欠な「広い視野」と「先見性」をもつことだ。
資質の第4番目は、「自分の言行に責任を持つ」ということである。
資質の第5番目は、「歴史観を持っている」ということだ。
A 小沢氏の主張と行動
小沢氏が民主党代表の時、鳩山氏・菅直人氏を重視し、反小沢と称される前原氏・枝野氏・玄葉氏・仙石氏なども役職につけて、挙党一致体制をつくった。
トロイカ体制を堅持し、人事で排除の論理をとらず、全員の力を発揮できるよう配慮した。
小沢氏は、自民党政権・検察・マスコミの猛烈なネガティブキャンペーンの渦中で、政権交代・マニフェストを掲げて、2007年参院選、2009年衆院選を大勝利に導いた。
2010年6月、鳩山執行部後、菅執行部が、脱小沢路線で小沢グループを排除した行動とは、かなり違うようである。
排除の論理を断行した菅民主党は、結局2010年7月・参院選で大敗北した。
日本においては、自民党等の政治家と比較すれば、自民党離党後、長年の苦闘を経て、小沢一郎氏には、信念、実行力、包容力、庶民性、楽観主義、不屈の精神など抜群の「リーダーシップ」が、備わっていると考えられる。
4)清貧の政治家だけで強大な長期政権を打倒できるか?
大政党をつくる要件を無視
個人献金を中心にした政治家は自分一人当選する活動が精一杯になってしまう。
清貧にこだわりすぎると、自民党以上の多数の当選者を育てる政治力・資金力は身につかない。
つまり、民主党に対して理想を要求し、クリーンな政治を第1義に主張することは、意識的か無意識かを問わず、結果的には、自民党政権の永久化・政治腐敗の恒久化を支援することになってしまうであろう。
半世紀以上の悪政・政治腐敗は、一挙に良くなるほど現実は簡単でない。
一挙に理想的な政治を民主党にのみ要求することは、机上の空論であり、5年〜10年かけて段階的に改革が進むことを辛抱強く見守る寛容さが有権者には必要である。
政治は、何回も政権交代を経て、次第に向上することが世界の常識である。