「女性が農業やって困ることは?」「困ってません」
スゴ腕農業女子、「違和感」について語る
2015年6月12日(金) 吉田 忠則
今回のテーマは「就農」。ふつう会社に勤めることは就職と言い、自ら会社を興こせば起業と言う。なぜ農業はほかの仕事と区別し、あえて就農と表現するのか。そこには、ほかの仕事を選ぶのとは違う独特のニュアンスがある。農業を職業に選ぶことに伴う、ある種の「重さ」と言ったらいいだろうか。
このテーマで取材に答えてくれたのは、伏見友季さん。茨城県土浦市のカリスマ有機農家、久松達央さんのもとで働く農場長だ。彼女のものの見方の根っこには、農業の特殊性を強調する考え方への違和感がある。農作業にどっぷりつかりながら、外の世界の視点も失わない彼女の言葉を通し、就農とそして農業についてあらためて考えてみたい。
農園主になるつもりはない
農業を始める若者についてどう思いますか。
「地域のための農業は重い」と話す伏見友季さん(茨城県土浦市の久松農園で)
「『一生かけて』じゃないけど、就農する人たちは、それなりの思いと覚悟をもって農業を始めるんだと思う。でも、自分でやるのか、それとも農場で働くのか、何が好きで何をしたくて農業をするのかを整理したうえで、『よし、自分でやろう』って決めてるのかなあ」
「『農業をやりたい』って思ったとき、そういう選択をしているのかというと疑問。農業法人で働くのは、言われたことをやるだけの作業員というイメージなのかなあ。私はそうじゃない。そういう働き方をしている人もいることを知れば、法人に入るんでもよかったと思うんじゃないでしょうか」
独立しようとは思いませんか。
「私ははじめから、『独立して農業をやろう』っていう熱い思いは全然ない。料理教室で先生をしていたとき、自分でつくった野菜で料理をつくって出すお店を経営できたら理想だなあって思ったんです、単純に。農園主になろうとはまったく思わなかった」
久松農園のように力を発揮できる農場は少ないのではないですか。
農園主の久松達央さんとは、正面から意見をぶつけ合う
「ここだから私の力を発揮できたんじゃなくて、発揮できる内容にしてきたんです。農園の運営は、入ったときとはだいぶ変わってます。最初は下に人がいなくて、スケジュールも渡されず、当日、久松さんから『それやって』って言われて動いてた」
「いまは半期ごとに自分で栽培スケジュールをつくって、それを月ごと、週ごとにピックアップして、月曜日から金曜日に作業を割り振って、人を配置する。そういう仕事が好きだし、得意だと思ってます。もともとそういう仕組みがなかったから、つくっていったんです」
なぜチャレンジを認めないのか
久松さん同様、インタビューの依頼が多いですね。
「『女性で農業やってて、困ることは何ですか』って聞かれることがあります。でも、こういう立場だから、どうにかできるんです。トラクターを操作するのは好きだし、すべての作業を自分でこなせますよ。でも、実際に重たい機械を使うときは男性にやってもらうこともできるんです。教えなきゃいけないときは、がんばって重い機械も使うけど、『じゃあ、だれが作業する』ってなったときは、自分でやる必要はないんです」
農業の何に違和感を持ちましたか。
「まわりの農家が、こんなことを話してたんです。『近くでやってたあの子どうした』『あの子ねえ、半年前にやめて実家に帰ったみたい』『根性ねえな』って。すごく悪く言う。農業の世界に入って、新鮮なこともいっぱいあったけど、こういうのは違和感を感じます」
「畑を荒らしたまま撤退しちゃうのはいけないと思うけど、やってみて初めて知ることなんていっぱいあるじゃないですか。『私、ここじゃなかった。やめます。別のところに行きます』っていうの、全然ふつうでしょ」
「私だって、料理教室で働いていて楽しかったけど、野菜に興味をもって料理はやめた。農業だって、ふつうに転職でいいじゃないですか。『あんだけ言ってやったのに、ダメになった』っていうのを聞きますけど、なんでそのチャレンジを認めてあげないんだろう」
農業の世界に入るためのハードルを上げていますね。
「担い手っていう言葉もちょっとおかしい。もちろん世の中に食べ物をつくる人がいないとダメなんだけど、『担う』じゃないでしょって思う。べつにやらされてるわけじゃないし。この仕事が好きで選んで、楽しくてやってるだけ。『担い手』って、まるで農業者が国の政策のなかでやらされてるっぽい言われ方ですよ。私はそんな感覚はない」
いままでの農家には「農業はもうからない」って言う人が多かった。
「『もうからない』って言ってる人のことを聞くと、『じゃあ、なんでやってるの』って思う。じゃあ、もうかることをやればいいじゃないですか。農業じゃなくてもいいじゃないですか」
「お米を作っている農業法人で、従業員を雇い、広い面積をやっている人がいる。代々農家で、生まれ育った土地に愛着もある。地域のことを大切に思っていて、『この田んぼを耕して』って言われれば、むげには断らない。そういう人の考えを聞いていると、すばらしいとは思う。気持ちもすごく伝わってくる」
「でも、『だから農業はこういうものなんだ』って、そこだけを強調されると、従業員までそんな思いを背負ってやらなきゃいけないのって思う。ただ淡々とお米をつくってちゃいけないの。『地域の人のために、田んぼを守る』って思いながらやるのは、重いんです。うちはそういうのがないから、楽です」
いまの風景も、すごい
ほとんどの農家は「地域や風景を守る」っていいますよ。
「農業の教科書をみると、『風景の維持』って言葉が出てくるけど、すごく違和感がある。そこは農業の範囲とは違う、農業者がやることとは違うと思う。風景を守ろうとすると、時代に合わないことをやって、もうけることもできなかったりする。ちぐはぐじゃないですか」
「純粋にニーズに応えられることをしないでおいて、『風景を残さなければならない』とか、『荒らしちゃいけない』とか言う。だから畑をやるのって違うと思う。しかも、そこに補助金がついたりする。風景を守るのが目的なら、農業者以外でもできることがあると思うんですよ」
「棚田じゃもうかりにくいのは、だれでも分かりますよね。ああいう風景はいまの農業をあらわしたものじゃなくて、一昔前の田舎の風景。見渡す限りサツマイモの畝が広がっていて、その隅々までマルチが張ってある現在の農業現場の風景も、すごいなあと思う。日本の食料はこうやってできてるってことですよね」
マルチを張った畑は、現代の農的風景(写真は久松農園提供)
都会での暮らしに挫折して、農業を始める人もいます。
「社会のストレスにうんざりして農業の世界に入ってきた人たちって、成り立ってますかね。農業だけの話じゃありませんが、結局、一生懸命やらないと、もうからないんですよ。私は、農業をやっていて自然のなかで働いてるからストレスがないとは言わないですよ」
「もちろん、野菜と向き合ってるときは、ストレスを感じることはほとんどないです。だけど、スタッフのことを考えてるときとか、久松さんとぶつかったときとかは、会社に勤めているのと同じようにストレスはありますよ」
前職と結びついている
農園の仕事の楽しさは何ですか。
「いろんな品目をつくっていて、どれもまだ極められてはいない。作物の栽培は課題がたくさんあって、ゴールがなくて、追究し続けることができる。まずこれが面白さです。あとは雇われてはいるけど、自分で計画をつくり、どの品種をいつどの畑に植えるかを決めることができるのは面白い」
「どっちも、前にやってた仕事と結びついてます。日比谷花壇で働いていたので、植物を見慣れていて、作物を仕立てていく作業が感覚的に分かる。ABCクッキングスタジオにいたとき、キャリアの違う生徒をひとつにまとめて、とっさの判断でぱっぱって料理をつくっていた経験もすごく役立ってます」
転職についてどう思いますか。
「農業人フェアでブースに出ていると、ほかの農業法人に勤めている人がたまにきます。『給料はまあまあだが、やってる内容がイマイチ』とか、自分のところに不満があって、ほかを探しているという話ばかり聞きます。でもそれって、ステキじゃないですよ」
「ここでの仕事はそれなりにやってきた。あそこに行くと、ああいうことができる。違うステージでチャレンジしよう。そんな話を農業界で聞いたことないです。本来なら、前向きなステップアップのための転職はアリだと思いますが」
自身は転職の予定は。
「ここは課題もまだあるし、やってみたいこともあるから、まだ離れません。もし私が転職をしたくなったら、有機農法の多品目栽培の技術は極めてないけど、スタッフを抱えて畑をマネジメントすることはできると思う」
以前、理想にしていたレストランの経営は。
「当面はなし。あと1年はここでやります」
(注)必ずしも「1年たったらやめる」という意味ではありません。
久松農園はこの連載でも何回か紹介してきたように(1月16日「絶対にひっくり返されない経営とは」など)、農業界で最も注目されている経営の1つだ。脱サラし、有機栽培による農場経営を独自のアイデアでつくり上げてきた久松さんは講演の名手だが、その片腕として農場を切り盛りする伏見さんのインタビューも言いたいことが明快で、刺激的だった。
その勘違いがら脱せよ
冒頭で触れたように、根底に流れているのは、既存の農業への違和感だ。上の記事では割愛したが、インタビューのなかで「農家の生活がしたいのではなく、あくまで仕事の内容が農業」と強調していた。だから、「家でとれたもので漬物をつくるとか、興味ない」という。
違和感のもとにあるのが、「ふつうの仕事」と「ふつうでない農業」とのズレへの感受性だ。補助金の問題がそれをもっとも端的に示す。あるいは、彼女の働く農園がつくっているのがコメではなく、補助金の対象になりにくい野菜だから、既存の農家の感覚に染まらなかった面もあるかもしれない。
「日本の農業と農地のことを、国はもっと長期的に考えるべきだ」。この人はがんばっていると信じる農家から、どれほどこんなセリフを聞かされたことだろう。「日本がコメを見捨てるはずがない」。こうなると、もう「補助金をもらって当たり前」という発想と紙一重だ。
誤解を恐れずに言えば、日本の食料問題を考えるのは農家の仕事ではないのだ。もちろん、農業が大切だと思っているから、農業を取材しているわけだが、農家から日本の食料を担う農業の価値ばかりを強調されると、ときに興ざめになる。
「この仕事が好きで選んで、楽しくてやってるだけ」。彼女のこの言葉は、社会的なミッション性と保護の必然性が深層心理に重たく横たわる「農家の心理学」からは出てこない。そして就農する若者も、受け入れる地域も、多くは勘違いにもとづくミッション性から解放されなければ、持続可能な農業は実現できないと思う。
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このコラムについて
ニッポン農業生き残りのヒント
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加が決まり、日本の農業の将来をめぐる論議がにわかに騒がしくなってきた。高齢化と放棄地の増大でバケツの底が抜けるような崩壊の危機に直面する一方、次代を担う新しい経営者が登場し、企業も参入の機会をうかがっている。農業はこのまま衰退してしまうのか。それとも再生できるのか。リスクとチャンスをともに抱える現場を取材し、生き残りのヒントをさぐる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150610/284112
http://www.asyura2.com/15/hasan97/msg/615.html