※日経新聞連載記事
[迫真]変調 中国ビジネス
(1)もう逃げるしかない
中国随一の経済都市、上海。空の玄関口、上海浦東国際空港にその日本人男性が現れたのは寒風吹き付ける1月の夜のことだった。「どこでもいい。国際線のチケットを1枚頼む」。切羽詰まった表情に気押されるように、発券カウンターの女性は日本行きのチケットを手配した。
閉鎖されたシチズンの工場では後片付けが続いていた(5月30日、広東省広州)
「支払いが確認できるまで放すわけにはいかない」。数時間前。男は上海市郊外の日系縫製工場で複数の取引先の中国人に詰め寄られていた。
進出して20年。最盛期には200人の従業員を抱え、日本のアパレル大手に衣料品を供給してきた。安い労働力を活用して利益も上げていたが、この数年で急速に業績が悪化。ついに取引先に支払いすらできなくなった。
日本の本社も資金を差し出す体力がない。仲裁役の中国人を挟みながら取引先にわびを入れ、返済の繰り延べを懇願するも形勢は明らかに不利。「生きて帰るには、逃げるしかなかった」。事情を知る関係者が語る。
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中国が対外開放して約40年。安くて豊富な労働力と巨大な市場をにらみ、日本企業は1980年代から続々と進出してきた。政治リスクに翻弄されながらも拠点を増やし、日系企業は2万社を超える。
だが今の中国に少し前までの右肩上がりの成長は見込めない。この数年で一気に世界に名を知らしめた中国スマートフォン(スマホ)大手、小米(シャオミ)ですら成長に急ブレーキがかかる。
4月末の週明けの早朝。日系電子部品メーカーが北京オフィスで東京と結んで開いたテレビ会議。日本人幹部らは中国人営業マンの報告に凍り付いた。小米による今年2度目の大がかりな部品納入の延期要請だった。「小米のスマホが売れなくなっている」。日本人幹部らは一様に落胆した。
景気減速の影響がじわり広がるなか、5年で2倍のペースで上昇する人件費も企業に重くのしかかる。日本企業に限れば、円安の逆風も吹く。
企業は「撤退」も現実的な選択肢に据える。経済産業省が2014年7月に調べた「海外事業活動基本調査」によると、13年度に中国から撤退した現地法人数は205社と前年度を17社上回った。企業の事業再編を手伝う弁護士、賈維恒(44)は「景気減速で拠点の過剰感は強まっている。今後も撤退案件は増える」とみる。
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5月30日。雨期に入り、灰色の雲が覆う広東省広州。シチズンホールディングスが2月に閉めた時計部品工場を訪れると、わずか4カ月前に起きた騒動の記憶を消し去ろうとするかのようにフォークリフトがせわしなく設備や資材を運び出していた。
春節(旧正月)連休を目前に控えた2月5日。帰省を楽しみにする従業員の表情が一変した。「あしたで工場を清算します」。1千人いる従業員の一斉解雇通告だった。
「なぜ、解雇する直前に通告するんだ!」
従業員の不満を抑えつけるかのように雇用契約の解除を迫るシチズン。「書類にサインをしないと、あなた、近いうちに、ほんと大変なことになるよ」。深夜、見知らぬ男からこんな脅迫めいた電話を受けた従業員は300人を数えた。
「日本人経営者が憎い」。今、閉鎖された工場で最終の後片付け作業をする総務担当の男性社員、劉俊穎(40=仮名)が声を震わせる。真面目に19年間勤め上げた末の突然の解雇通告。「我々は使い捨てか」
撤退業務が完了する1カ月後には工場は完全に閉鎖される。劉の目が潤む。「私には中学生の息子がいる。お金がかかる。でも40歳を過ぎた私が働ける場所は簡単には見つからない」
経営難に陥った工場に乗り込んで従業員を解雇する。沿海都市部の工場街ではこんな「撤退屋」が出没している。
「この会社の資産を買い取った。これからは俺の言うことを聞いてもらうぞ」。企業から工場や設備などの機械を100ドル(約1万2千円)程度の破格の価格で買い取り、地元政府への面倒な手続きも口利きで解決する。手数料や資産売却で暴利をむさぼる。
「高速成長時代の“遺産”を金を払ってでも手放したい」。そんな企業の思いを見透かしたように撤退屋が暗躍する。(敬称略)
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景気減速が当たり前の「新常態」に入った中国。現地企業に忍び寄る変調の現場を歩く。
[日経新聞6月2日朝刊P.2]
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(2)拳突き上げる従業員
「やる気は全くないわ……」。中国東北部の中核都市、遼寧省大連。同市内の日系電機大手の工場に勤める40歳代女性従業員、李梅(仮名)がつぶやいた。
「世界の工場」では従業員の不満が募る(広東省東莞市)
10年以上も前に今の工場に入った李。とにかく毎日まじめに働いた。地道にモノ作りを続ける日本企業も自分に合った。そんな彼女が最近になって工場に背を向け始めた。きっかけは2013年末、近所の東芝の大連工場で起きたストライキだ。
「もっと補償金を出せ」。武装警察官が見守るなか、約900人の従業員が声を張り上げた。1997年からテレビを生産してきた大連工場。東芝は赤字を理由に閉鎖を決めたが職を失う従業員は退職金相当の補償金を少しでも多く得たいと経営側に抗議。東芝はやむなく要求をのんだ。あの日の事が、今の李には他人事に映らなくなった。
大連に今、景気後退の大波が押し寄せる。大連のある遼寧省の1〜3月域内総生産(GDP)は前年同期比1.9%増。中国が今年目標とする7%前後を大きく下回る全国最低に陥った。2000社近い日系企業が集積する大連。李の工場も「いつ閉鎖されてもおかしくない」。だから今は仕事より補償金を多く手にすることしか関心が向かない。「今は補償金を楽しみに待つだけだわ」
3月5日、北京で開幕した全国人民代表大会(全人代)。午前10時すぎ、所信表明演説で首相の李克強(59)が「中国は製造大国から製造強国へ転換する」と読み上げていた頃、広東省東莞の工場街では5000人規模のストライキが勃発していた。
「未払いの給料を払え」。ナイキなどの一流ブランド靴を作る台湾系工場の従業員が口々に叫ぶ。翌日には周辺の他の工場にも次々に波及。拳を突き上げた従業員数は数万人に達した。
「もう疲れた」。日本人幹部がこんな言葉を残して東莞から去った日本企業は過去5年で100社以上。輸出競争力は低下し「世界の工場」は苦境に立つ。「今、中国では何をすればよいのか」。厳しい現実を前に日系企業幹部の苦悩は深まる。
だが、今の中国の従業員は幹部らのそんな迷いに同情などしない。日系電機大手の工場で長く労働組合トップを務める共産党幹部はいらだちをあらわにする。「そんなに中国から出て行きたいなら、早くそうすればいい。でも二度と中国ではビジネスはさせない。中国とはそういう国だ」
(敬称略)
[日経新聞6月3日朝刊P.2]
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(3)IT業界「外資は踏み台」
中国首相の李克強(59)をうならせた新興企業は古びた雑居ビルの6階にあった。情報技術(IT)企業が集積する北京・中関村。壁は薄汚れ、電気が消えた通路には段ボールや資材がうずたかく積まれている。
IT人材の獲得競争は激しさを増す(5月29日、北京・中関村の創業支援施設)
IT専門の転職支援サイト「拉勾網」を2年前に立ち上げた北京拉勾網絡技術。5月7日午前、創業者の馬徳龍(31)は中関村に突然視察に訪れた李に自社の事業内容を説明した。「100人あまりの社員で昨年150万人の転職を支援しました」。行政の効率化に熱心な李は感心した。「それは見事だ。政府も見習わないと」
拉勾網の飛躍のカギは中国IT企業2万社の膨大な求人情報にある。起業家に無料でオフィスを貸し出す創業支援施設が整う中関村でもベンチャー企業が次々に生まれ、IT人材の需要は旺盛。成長企業でキャリアを積みたい若い人材もあふれている。馬はそこに目を付けた。
「何よりも中国企業で働きたかった」。3月に米系ソフト企業から中国のインターネット大手の部長職に転じた北京在住の張傑(仮名、29)が言う。魅力はその待遇。検索大手、百度(バイドゥ)や電子商取引最大手のアリババ集団など大手を中心に人材獲得競争は激しさを増し、中国IT企業では部長級で年数千万円の高給取りはざら。張の月給も2倍の5万元(約100万円)に跳ね上がった。
1990年代から米マイクロソフトなど外資系IT大手が進出して立ち上がった中国IT産業。「昔は給料が高い外資企業への憧れがあったが、今は中国大手の方がいい。外資は好待遇を手にする踏み台」。張は言う。
「調査を妨害したらどうなるか。賢明なあなたたちなら分かりますね」。昨年冬、中国独禁法当局の突然の来訪を受けた米半導体大手クアルコムの関係者は調査員の高圧的な態度に驚いた。それからまもない2月。中国当局は60億8800万元という巨額制裁金の支払いを同社に命じた。自社技術をスマートフォン(スマホ)メーカーに押しつけ、不当に特許使用料を得たとの判断だ。
アリババのような世界的企業が育ち、自信を深める中国IT産業。習近平(61)指導部も「国産技術・製品の育成を」と外資排除をいとわない。「昔はとにかく技術を教えてくれと頼ってきたのに。時代は変わった」。クアルコム関係者の言葉からは敗北感がにじむ。
(敬称略)
[日経新聞6月4日朝刊P.2]
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(4)危ない取引「何も言えない」
「不明朗な取引が行われている」。5月29日に子会社8社を化学品・医薬品販売の興和グループ(名古屋市)に譲渡して創業109年の歴史に幕を下ろした化学薬品商社の江守グループホールディングス(HD)。解体のきっかけは2014年7月に寄せられた匿名の電子メールだった。
中宇は変わらず事業を続けている(3日、上海市内で開幕した展示会)
疑惑の中心は江守HD中国現地法人トップだった謝飛紅(50)。髪を短く刈り込み、縁なし眼鏡をかけた謝は上海ではやり手の実業家として知られていた。「丸紅(の中国事業)を抜きますよ」。こう豪語する謝をHD社長の江守清隆(54)はかわいがった。HDの連結売上高は直近5年で3倍の約2200億円に膨らんだが、売上高の7割を謝が率いる中国事業が稼いだ。
その裏で謝は自身の親族がかかわる企業との取引を通じて見かけ上の売上高を膨らませていた。取引先の仕入れ代金を肩代わりして金利をつけて回収する。急成長を演出したビジネスモデルも景気減速で取引先から支払いが滞ったとたん、崩壊した。
「以前から危ない取引をしているのではと思っていた」と同社関係者は明かす。だが、背後に清隆が控える謝には「誰も何も言えなかった」。
3日午前、上海で開幕した住設機器の大型展示会。水栓金具や温水便座など100点以上の商品を出展した中宇建材集団(福建省)の営業担当者は「費用対効果の高さが私たちの強み」と来場者にアピールしていた。
どこにでもある展示会風景だが、その様子を苦々しく思っている日本人経営者がいる。同日、最大660億円の損失を発表したLIXILグループ社長の藤森義明(63)だ。
巨額損失の原因はドイツで上場する子会社ジョウユウの不正会計。創業者の蔡建設(62)が財務諸表を改ざんしていた。その蔡が中国で率いるのが中宇。中宇はジョウユウの子会社だ。
5月22日にジョウユウはドイツで破産を申し立てた。だが、蔡は虎の子の中国事業を手放さない。中宇の40歳代の男性社員は「破産はドイツの話。私たちに影響はない」と言い切る。
「(蔡氏らに対する)法的措置も辞さない」。3日午後2時。LIXILが都内で開いた記者会見で藤森は力を込めた。蔡の耳に藤森のその言葉は届いただろうか。
(敬称略)
[日経新聞6月5日朝刊P.2]
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(5) 「下げにもうけよ」
北京市西部の住宅街の一角。3月末、イトーヨーカ堂が運営する「華堂商場 右安門店」がひっそりと営業を終えた。今は看板も取り外され、店舗前の広場では地元の小学生たちがサッカーに興じる。のどかな光景を前に近所に住む主婦の王さん(56)は「昔は食品売り場がにぎわっていた」と教えてくれた。
イオンモール武漢店には毎月100万人が訪れる(2014年12月、湖北省武漢市)
ヨーカ堂が北京に出店したのは中国で近代的な小売店がまだ少なかった1998年。「従業員教育が大事」とヨーカ堂が主張すれば、「安いものを売る大衆店にすればいい」と国有企業の合弁相手も譲らない。経営の軸は時にぶれたが、経済成長時代は利益を出せた。
中国全土が沸いた北京五輪が終わった2008年夏。客足がぱたりと止まった。「北京の上客は五輪向けインフラ工事に駆り出されていた出稼ぎ労働者だった」。ヨーカ堂中国総代表の三枝富博(65)は振り返る。地元客を呼び戻そうと必死になるほど周辺の競合店との価格競争に巻き込まれる悪循環。日本流のサービスで増収を続ける四川省成都での事業とは対照的に不振が続く北京はこの1年で4店舗を閉めた。
「生鮮品以外、お店に出向いて買い物をすることはほとんどない」。遼寧省大連の銀行員、鄒婷婷(27)は話す。最近購入した空気清浄機もインターネット通販サイトで買った。安くて種類も豊富なネット通販は今や中国の小売市場の1割を占める。店舗を展開する既存の小売業を取り巻く環境は厳しさを増す。
人口1千万人を誇る内陸部の中核都市、湖北省武漢。昨年末に開業したイオンモール武漢店は平日の夕方にもなると、食材の買い出しやレストランで食事を楽しもうという地元客でにぎわう。現地法人の総経理、椎名孝夫(48)は「日本の安心・安全を求めて来店する顧客が多い」と手応えを口にする。
12年には山東省青島の店舗が「反日デモ」で破壊されたイオン。中国事業は赤字が続くが、それでも購買力が高まる中国の消費市場で商機を見いだす。
世の中が上げ潮の時の事業拡大は簡単。逆に苦しい時に知恵を絞って顧客に受け入れられてこそ価値がある――。イオンの源流の一つである岡田屋呉服店はこんな戒めを家訓に込めた。「下げにもうけよ」。高速成長時代の終わりを迎えた中国で椎名はその家訓をいま一度、かみしめる。
(敬称略)
小高航、中村裕、阿部哲也、原島大介、若杉朋子が担当しました。
[日経新聞6月6日朝刊P.2]