海上自衛隊と米海軍のP3哨戒機(写真:米国防総省)

 安倍首相によるアメリカ連邦議会演説に対して、日本では「国会軽視の公約」「アメリカに対する属国的発言」「アメリカをヨイショし過ぎではないか?」といった批判がなされている。

 一方で「米国を持ち上げすぎているきらいはあるものの日米同盟強化に資した」「中国の日米分断策に打撃を加えた戦略的価値は大きい」といった肯定的評価も少なくない。

 これらの日本での評価のとりわけ反対論の多くは、安倍政権に対する政治的あるいはイデオロギー的スタンスから来るものであろう。

米連邦議会は日本の国防政策転換を公式に支持

 アメリカにおいても“反安倍”により集票を目論んでいる少数の連邦議員たちが、「安倍首相は議会演説で中国や韓国に対する謝罪を述べなかった」と理不尽な難癖をつけて批判している。

 しかしながら、そもそも日本の首相による米国議会における演説で、第三国に関する話題を述べる必然性はない。少数の悪意ある人々以外の“まともな”米連邦議員にとっては、そのような批判自体が意味不明の唐突な論説と受け止めざるを得ない。

 実際に、共和党議員であれ民主党議員であれ、ほとんどのアメリカ連邦議員たちは、安倍首相の議会演説を肯定的に受け止めているようだ。

 このことは、アメリカ連邦議会(上院、下院)が、安倍首相の米議会演説の直前に発表された『2015年版日米防衛協力のための指針』に示されている「日米同盟における日本の基本的姿勢の抜本的転換」、すなわち「日本の国防方針の大転換」を支持する意向を明文化したことが物語っている(『2016会計年度 国防権限法』、Section 1254:米国の日本との同盟に関する連邦議会の意見)。

 要するに、アメリカ側が安倍演説を評価しているのは、なにも安倍首相が「アメリカを持ち上げた」ために気分を良くしたからでも、安倍首相の政治姿勢を支持するからというわけでもない。安倍政権が推し進めようとしている「日本の国防方針の大転換」を、安倍首相自身がアメリカ連邦議会という、アメリカにおいては最高の“公の場”において宣言、すなわち“公約”したからに他ならない。

日本の国防政策転換はアメリカにとって好都合

 アメリカ軍の実質的戦力は、オバマ政権下での国防予算の大幅削減に伴って、目に見えて低下しつつあることは誰の目にも明らかである。このような厳しい現実があるため、日本やオーストラリアなどの同盟国に自主防衛努力を強化してもらうことによってアジア太平洋地域での軍事的優越性を何とか維持していこうというのがアメリカの苦肉の国防戦略である。

 そのようなアメリカの国防戦略に、安倍政権が打ち出した「日本の国防方針の大転換」は見事に合致しているかに(アメリカ側からは)思える。だからこそ、アメリカ側は「日本の国防方針の大転換」を積極的に支持しようとしているのである。

 例えば、安倍政権による集団的自衛権行使の容認方針は、同盟軍としての自衛隊からの各種支援が必要となっているアメリカ軍にとっては、まさに歓迎すべき動きである。

(ただし、日本における“制約付き”集団的自衛権行使と、アメリカ軍の考えている国際常識的な集団的自衛権行使の間にズレがあることには注意を払わなければならない。)

 同様に、「武器輸出禁止三原則」が「防衛装備移転三原則」に転換されたことにより、日本からアメリカが欲する優秀な先端技術をこれまで以上に容易に入手できる道筋もついた。

 戦力低下に喘いでいるアメリカ軍にとって、「集団的自衛権行使」や「防衛装備移転三原則」以上に歓迎すべき日本の国防方針の転換は、これまで永らく日本側が口にしてきた「アメリカ軍は『矛』、自衛隊は『盾』」の原則が『2015年版日米防衛協力のための指針』から姿を消したことである。

 すなわち、日本防衛のための戦闘が発生した場合、これまではアメリカ軍の(外敵を積極的に攻撃し撃破するための強力な戦闘能力)に頼っていた日本は、自衛隊自身が自らの打撃力を繰り出して外敵と戦い、アメリカ軍は「自衛隊の作戦を支援し補完するための作戦を実施する」ことが日本の国防原則となったのだ。

合同訓練中の海上自衛隊と米海軍(写真:米海軍)

自衛隊の「戦闘」参加で軍事社会学的施策が不可欠に

 「自分の国は第一義的には自分で守る」。このような原則こそが独立国家間における軍事同盟の本来的な姿であることはいうまでもない。まさに安倍政権は、国際常識に則った国防方針の方向性を目指しているということができよう。

 しかしながら、自衛隊自身が「盾」だけではなく「矛」の役割をも果たすということは、自衛隊がこれまで意図的に封じ込めてきた打撃力を、そしてこれまで以上の機動力を、身につけなければならないことを意味している。

 さらに、集団的自衛権発動に際しては、アメリカ軍をはじめとする友軍の戦闘部隊に対する各種兵站活動や、場合によっては米軍艦艇などの防御をも自衛隊が実施することになるのだ。

 このように抜本的に日本の国防システムを変換させるに当たり、政府や与党がいわゆる“安全保障法制整備”に議論を集中させているのは、甚だ心もとない。

 自衛隊が日本防衛における「矛」の役割を担うだけでなく、集団的自衛権の発動に際しては弾薬等補給を含む本格的な兵站任務も実施することが現実のものとなる以上、当然のことながら自衛隊が想定すべき戦闘の強度は質量共に増大することになる

 したがって、自衛隊員の戦死や戦傷、それにPTSDに関する具体的対策や、そのような自衛隊員の家族に対する保護やアフターケア、遭難した航空機や艦艇ならびに行方不明隊員に対する戦闘捜索救難能力の構築、それに戦闘発生にもパニックに陥らない政府機関やメディアの態勢作り等々、これまで等閑視されてきた軍事社会学的諸施策ならびにそれを実施するための関連法令整備こそが、概念論争に終始している“安全保障法制整備”より本当ははるかに優先されなければならない。

世界の国防費GDP比率の平均は日本の2倍

 上記のごとき「軍事社会学的諸法案」や“安全保障法制整備”といった法令の制定改変作業よりも決定的に重要なのは、自衛隊が「矛」となり外敵を撃破するための、そして集団的自衛権行使のために世界中に出動するための、極めて強力な軍事能力を構築・維持するために十分なだけの国防予算を計上しなければならないことである。

 これまでどおりの水準の国防予算では、高額な兵器の調達はもちろん弾薬や燃料の増強すらもできる道理はなく、自衛隊に打撃力を身につけさせ機動力を強化させることなどはとても不可能である。

 いくら安全保障関連法案を安倍政権の方針通り法令化しても、そして軍事社会学的諸法令が完備されたとしても、あるいはたとえ憲法第9条を修正あるいは廃止したとしても、国防予算が現状通りにGDPのわずか1%程度のレベルであり続けるならば、アメリカ連邦議会で安倍首相が“公約”した日本の“積極的”な国防方針は実施不可能である。

 空・海・陸での外敵の侵害に対してこれまで期待してきたアメリカ軍の打撃力を自衛隊自身が身につけるためには、ごく大雑把に見積もっても現状の国防費の2倍〜2.5倍は必要であり、日本国民がある程度枕を高くして眠ることができる程度にするには3倍以上が必要となる。

 このようなGDP比率は、とんでもない数字のように思われるかもしれないが、国際社会における国防費GDP比率の平均値はおよそ2.3%である。現在の日本の国防費を2.3倍にすると、ようやく国際水準の国防支出レベルになるわけなのだ。

国防費比較表(原データはストックホルム国際平和研究所)

 民主主義国家である日本の選挙で選ばれた安倍首相が、民主主義国の本場アメリカの連邦議会で「日本の防衛政策の抜本的転換」を明言した以上、もしその“公約”が口先だけに終わってしまった場合には、かつて鳩山首相がオバマ大統領に「トラスト・ミー」と約束した際の比ではない失望と非難と軽蔑が日本国民全体に跳ね返ってくることは必至である。

 そのようにならないための最大の条件は、国防費の少なくとも倍増にほかならない。

#倍増は現状では、明らかに非現実的 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43823
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/557.html