『MADE IN JAPAN』(朝日新聞社/盛田昭夫)
ソニー創業家・盛田家の没落と信用失墜 長男の事業ことごとく失敗で巨額損失
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150420-00010004-bjournal-bus_all
Business Journal 4月20日(月)6時2分配信
井深大氏と盛田昭夫氏。敗戦直後、東京・日本橋の白木屋3階で2人が手を携えてつくった東京通信工業(現ソニー)は、日本の戦後復興を上回るスピードで「世界のソニー」への道を駆け上がっていった。
その故盛田氏の妻、良子氏が3月14日死去した。享年85歳。ソニーの古手役員やOBたちの間では「ミセス」が通り名だった。1982年から95年まで社長を務めた大賀典雄氏は、しばしば良子氏の呼び出しで東京・青葉台の盛田邸を訪れた。良子氏に詰問され不機嫌になって本社に帰ってきた大賀氏を、何人もの社員が目撃している。
95年に社長に就いた出井伸之氏は、良子氏の覚えがめでたかった。欧州に留学していた盛田氏の長男と長女の面倒を見たことから、盛田家と家族ぐるみの付き合いに発展した。盛田氏の長男の妻は、出井氏の従兄弟の娘である。血のつながりはないが、出井氏は盛田ファミリーの一員と見なされ、「盛田家の家庭教師」と言ってはばからないソニー幹部も多かった。出井氏が社長に就いたのは、良子氏の強い意向が働いた結果だといわれている。05年、出井氏が後任に指名したハワード・ストリンガー会長兼CEOへの申し送り事項の中に、「良子氏をリスペクト(尊重)せよ」という内容が入っていたとされる。
盛田氏の次男、昌夫氏は6月に開かれるソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の株主総会で、会長を退任し、ソニーグループのアドバイザーに退く。盛田家の資産管理会社レイケイは、95年時点ではソニーの筆頭株主だった。しかし、今では大株主名簿に名前が見当たらない。盛田家とソニーをつなぎ留めていた良子氏が亡くなり、完全に縁が切れた。
●長男の事業が失敗の繰り返し
盛田家がソニーの大株主でなくなったのは、長男・英夫氏が手掛けた事業の失敗の穴を埋めるために、持ち株を売り払ったからである。93年、昭夫氏が病に倒れると、英夫氏は社長を務めるレイケイが保有するソニー株式を担保に、巨額の資金を調達し、さまざまな事業に注ぎ込んだ。だが、事業は失敗の繰り返しだった。
最初に手掛けたのは、新潟県妙高市の大規模スキー場「新井リゾート」。日本が世界に誇る高級保養地を目指し、レイケイの投資額は500億円に及んだが、バブル崩壊で開業当初から苦戦が続いた。
続いて米コロラド州の大規模スキー場を100億円で買収。最後には自動車レースのF1関連事業で230億円の巨額損失を出し、レイケイは税金も払えなくなり、05年6月に解散した。事業が失敗するたびに同社はソニー株式を次々と売却し、最後には保有するソニー株をすべて失った。こうして盛田家は、ソニーのオーナーの座から滑り落ちた。
●出資先で詐欺事件
盛田昭夫氏が設立した鈴渓(れいけい)学術財団、盛田国際教育振興財団は13年12月に解散した。昭夫氏の死後、理事長に就任した英夫氏が財団の基本財産に手をつけていたことを文部科学省から指摘されたからだ。両財団は盛田アセットマネジメントに貸し付けていた。盛田アセットは盛田家の江戸時代から続く家業である酒造会社の盛田からスピンアウトした、英夫氏の資産管理会社である。レイケイで失敗した英夫氏は盛田アセットを拠点に復活に懸ける。資金は財団のカネだった。
05年に、ヒマラヤ東京というパンメーカーに出資した。子供に人気のアニメキャラ「甲虫王者ムシキング」のカード入りパンだが、これも失敗。同社は07年に破産。同社創業者は詐欺事件で逮捕された。足りない資金を埋め合わせるために、億単位の詐欺事件を起こしていたのだ。
ヒマラヤ東京は、盛田家の名前を出すことで取引を拡大してきた。この事件で盛田家は信用を失墜させ、英夫氏が資金を流用していた2つの財団は解散に追い込まれた。
良子氏の葬儀の喪主は、長男の英夫氏ではなく、次男の昌夫氏だった。
(文=編集部)