『美味しんぼ』第111巻(小学館)
炎上した“鼻血シーン”はどう変わった? 修正された『美味しんぼ』最新単行本を読む
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141223-00010001-otapolz-ent
おたぽる 12月23日(火)20時0分配信
2014年4〜5月にかけ、事故後の福島第一原発を取材で訪れた主人公たちが“鼻血”を出す描写などで話題となったグルメマンガ『美味しんぼ』(小学館)。それに加えて「今の福島に住んではいけない」といったセリフの数々が問題視され、メディアはこぞって報道。閣僚までも『美味しんぼ』に言及するという異例の展開を見せてから半年あまりが経過し、ついにそのエピソードを収録した単行本111巻――「福島の真実編(下)」が12月10日に発売となった。
今回は雑誌掲載時とどのように描写が変わったかを中心に、この『美味しんぼ』最新巻をレビューしてみたい。
■単行本で修正された主なセリフ
前巻にあたる110巻から全24エピソードで描かれる「福島の真実編」。作中では福島第一原発の事故から7カ月たった2011年10月〜2013年4月にかけ、主人公の山岡士郎、その父親である海原雄山たちが福島県へ“真実”を探りに行く。山岡たちは当然架空のキャラクターだが、取材先で出会う人々は実在の人物が多く混在している。
さて、実際に大きな批判を受けた描写が、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)連載時と単行本収録時でどう変化したのか、主要なセリフを以下に列挙する。
1.鼻血が出た山岡を診察した医師のセリフ
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年22・23合併号)より。
福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません。
↓
【単行本】
お話の様子からでは原発見学で鼻血が出るほどの線量を浴びたとは思えません。
2.上記の話を受けて山岡の返答
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年22・23合併号)より。
うっかり関連づけたら大変ですよね。
↓
【単行本】
原発内での外部被ばくが原因ではありませんね。
3.山岡たちの鼻血・疲労感を知った井戸川克隆氏(双葉町前町長)のセリフ
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年22・23合併号)より。
福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。
↓
【単行本】
私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。
4.低線量被ばくと鼻血・疲労感の関連を説明された海原雄山のセリフ
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年24号)より。
放射線の被害というと癌のことばかり取り沙汰されるが、放射線は人間の体のすべての部分に影響を与えるのだ。
↓
【単行本】
放射線の被害というとガンのことばかり取り沙汰されるが、政府は体のあらゆる症状について予見を持たずに調査すべきだ。
5.自身が町議会で不信任を受けた時のことを話す井戸川氏のセリフ
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年24号)より。
私はとにかく、今の福島に住んではいけないと言いたい。
↓
【単行本】
私はとにかく、今の福島の外に出ろと言いたい。
(※ほかの箇所もこれに対応して「外に出るべき」と変更されている)
6.荒木田岳氏(福島大学准教授)のセリフ
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年24号)より。
福島がもう取り返しのつかないまでに汚染された、と私は判断しています。
↓
【単行本】
震災前の政府の基準に従えば、住んではいけない所に多くの人が住んでいる、それが福島県の現実です。
7.同じく、荒木田氏のセリフ
【連載】「ビッグコミックスピリッツ」(2014年24号)より。
福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います。
↓
【単行本】
福島のすべての地域を除染して、危険を完全に取り除くなんて、できないと私は思います。
■改善された点と、今なお残る問題点
前項でご覧いただいた通り、単行本化にあたって多くのセリフ改変が行われていることがわかる。「科学的根拠が乏しい」「事実を意図的に誤認させている」「風評被害を助長する」と批判を受けた部分が、全体的に断定口調を避け、より婉曲的な表現へと変わっている。
また、単行本の欄外と巻末資料には、「スピリッツ」掲載後に出てきた新情報や、批判を受けての注釈も数多く追加されている。たとえば双葉町民に「体がだるい、頭痛、鼻血」といった症状が実際多く報告されている調査結果などはその一例だ。連載時に「大阪で処理した被災地のがれきが福島県のものだと誤認させかねない」と批判を受けた描写についても、欄外に注釈が付けられている。単行本を読んでみた印象として、連載時に受けた“ひとりよがりな論調”はずいぶんおとなしくなったと感じた。
ただし依然として残る問題点もある。多少セリフが改変されたとはいえ、大阪の市民団体が行ったインターネット調査結果が無断使用されていたり、荒木田氏からのオフレコ要請を無視したりした箇所は単行本でもほぼそのまま残っている(当件についての釈明や謝罪の言葉は巻中に記されていない)。井戸川前町長の話に多くコマを割きながら、実はもう一方の当事者である双葉町への取材がまったく行われていなかったことが「スピリッツ」掲載後に明らかになったが、そうした“取材の偏り”についても全般的に改善は見られない。この点は被災地に住む人や読者からは「セリフだけを変更することに意味はあるのか?」と批判を受けても仕方ない部分だろう。
そもそもセリフを変更した対応が正しかったのか? という疑問も残る。山岡や海原雄山のセリフは架空のキャラクターだから改変はいくらしても問題ないが、井戸川氏や荒木田氏は実在の人物である。取材時に聞いた生の声を、読者から批判されたからといって軽々に変えてしまってよいものだろうか。原作者の雁屋哲氏は非常に作家としての高い矜持を備えていることから、おそらく小学館側とずいぶん話し合いが持たれた結果として「一部セリフを改変して単行本化」という折衷案に落ち着いたと推測されるが、“マンガのキャラと実在の人物を混在させ、現実世界の事象を扱う”手法の限界をかいま見たような気がする。
もうひとつ惜しいと感じたのは、一連のエピソード最終話が載った「スピリッツ」2014年25号の特別記事「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」(http://spi-net.jp/special/spi20140519/)が、単行本に収録されなかったことだ。単行本の奥付に「弊誌ホームページで公開しています」とアナウンスがあるだけである。111巻は300ページ近い大ボリュームのため印刷・流通上の都合で見送られた可能性もあるが、専門家たちによる“鼻血”描写への賛否さまざまな意見はきわめて示唆に富んでいただけに、できれば単行本に収録してほしかったとも思う。
■完全に成された父子の和解――そして“反論本”の出版へ向けて
若干批判めいた書き方になったが、長年の『美味しんぼ』ファンである筆者個人としては、111巻の発売を心から歓迎している。110巻に記載された発売予定時期を半年以上過ぎても音沙汰がなかったので、ひょっとして永遠に発売されないのでは……と気をもんでいたからだ。
鼻血描写ばかりがクローズアップされたため誤解されがちだが、110巻から続く「福島の真実編」を通して読めば、本エピソードの目的は“原発事故に揺れる被災地の現状を深く理解することで、日本のこれからを考える”ことであったと理解できる。ただ行き過ぎた描写があまりに目立ったのと、騒動時に原作者自身が「鼻血ごときで騒ぐ人は発狂するかも」などと煽りすぎた失敗は真摯に受け止めていただきたいものだが。
ストーリー面でも福島への複数回の取材を通じて、山岡と雄山の“完全な和解”が成立したことは大きなトピックだ。両者はすでに102巻で和解はしていたものの、依然として山岡は雄山を「あの男」「お前」と呼ぶなど、読者から見ても違和感のぬぐえない状態だった。しかしこのたび発売された111巻では若き日の雄山(これは大注目)と妻とのなれそめが回想シーンで語られ、雄山の想いを聞いた山岡も長年のわだかまりを解こうと必死にもがき苦しむ……その果てで互いの気持ちが通じ合い、山岡が雄山を「父さん」と初めて呼ぶシーンは感動ものである。
「福島の真実編」が完結してから『美味しんぼ』は連載を休んでおり、今後も続きのエピソードが描かれていくのかは明かされていない。代わりというわけではないが、今回の“鼻血騒動”について原作者の雁屋氏が意見を述べた書籍を出版することがブログ内で発表された(http://kariyatetsu.com/blog/1713.php)。表現を修正して単行本を出し、父子の完全な和解も成った――そこから雁屋氏はさらに何を語るのか? これが新たな議論再燃のきっかけとなるのか? 2015年1月に発売されるという書籍にまつわる動向にも注目したい。
文/浜田六郎