分裂する米国と中国、極度に相互依存する覇権なき世界…企業は生存率をどう高めるのか
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140907-00010001-bjournal-bus_all
Business Journal 9月7日(日)6時0分配信
連載を開始するにあたって、まず、本連載の前提となる考えを提示したい。
●なぜ、「インターナショナル」ではなく「グローバル」なのか
昨今、洋の東西を問わず、「インターナショナル」ではなく「グローバル」という表現が使われるようになっている。しかし、日本では「インターナショナルはもう古い、これからはグローバル」という程度のよくある用語の使い捨てでしかなく、その違いは意識されることがあまりない。実際、日本では「インターナショナル」も「グローバル」も「国際的」と訳されることが多い。筆者の所属する明治大学「国際日本学部」の英語表記は「School of GLOBAL Japanese Studies」である(なお、「この英語表記は学部名の英訳として正しいのか?」という疑問は脇に置いておくとする)。
しかし、今後の世界を考えるには、欧米では理解されている「インターナショナル」と「グローバル」の違いを、日本でも理解する必要がある。そもそも「インターナショナル化」とは「国際化」と訳されるように国家が前提であり、「グローバル化」とは漢語で「全球化」と訳されるように国家を前提に置いていないのである。
1990年の冷戦終焉によるアメリカのヘゲモニー(覇権)【註1】確立がもたらしたグローバル化は、19世紀の大英帝国下のグローバル化という資本と技術による地球の物理的ネットワーク化とは異なり、高度化する物理的ネットワーク化に加えて、情報通信技術が主導する指数関数的に進歩する技術革新による地球の論理的ネットワーク化が始まり、それが物理的ネットワーク化と高度に融合しつつあることにその特徴がある。
このグローバル化による国境を越えた人と企業の自由な社会・経済・政治活動がもたらした連結・結合と相互依存の緊密・強度化によって、国民国家の主権は急速に弱まり、国家は個人や企業に選ばれる存在となりつつあり、主権国家の力は相対的に低下し、絶対的な力を有する国家の存在は希薄化していくのである。アメリカと中国によるジョイント・ヘゲモニーの模索はその流れの始まりであろう。
言い換えれば、グローバルな課題に対処するには非力であり、一国内のローカルな課題に対処するには柔軟性に欠ける国民国家は、上方統合と下方分散の圧力に屈しつつあると言えよう。上方統合に関しては、EU同様に誰も自国の上に同じような専権性を持つ国家の存在を望むことはなく、現状の主権国家に代わるあらたなスキームの模索が試みられるであろう。
つまり、これからの世界は、ヘゲモニー(覇権)を有する強力なひとつの国家への収斂ではなく、集団的主権(一国家の主権という専権性の低下)を有するひとつの世界への収斂に向かっていくのではないか。国家の専権性の低下は、集団的自衛権を経て、集団的主権の形成に向かう。集団的主権は、力の低下する国家の生き残りの方策であると考えることができる。
ウクライナの騒動や中国の領土拡大政策をして、東西冷戦の再来を主張する論もあるが、米国、中国、ロシアの3国が深く世界経済のシステムに組み込まれ、相互に強く依存する状態において、冷戦のような「アウタルキー」という閉鎖経済圏をつくることはなんら利益を生まず、むしろ現在の政権にとって逆に命取りになるであろう。事実、ロシアにしても中国にしても過激な行動は取っていない。いや、取れないのである。
●ヘゲモニー(覇権)の黄昏
これから2050年に向かって訪れるのは、ヘゲモニー(覇権)がなく、経済的、社会的に極度に結合・相互依存した国境の低い世界の中に弱体化した主権国家が最低限の集合的主権を持つという、これまでに経験したことのない環境ではないだろうか。現在、共同ヘゲモニーを有するアメリカと中国は、強国への道ではなく、分裂への道を歩むであろう。
アメリカでは今後ヒスパニックの人口が急増し、人口の半数以上がスペイン語を母国語とすることになる。この時点で、アメリカが現在同様の成長を維持できると考えるのは難しい。アフリカ系のアメリカ人との摩擦も一層強まるであろう。インドと中国のアジア系移民の数も増加する。ヒスパニック系の大統領の誕生は想像できるが、はたして、アジア系の大統領がアメリカで生まれるであろうか。結果的に、地域による経済格差が大幅に拡大する可能性が高い。最終的にはメキシコとカナダとの境界もあいまいになり、南北戦争当時と同様に「アメリカ合衆国」を維持するのが難しくなるのではないか。
一方、中国が、このまま経済成長を続けることを想定することも極めて難しい。現在、GDPの規模では日本と同様であるが、人口は10倍であり、一人当たりでみれば10分の1でしかない。これを日本の半分にするには、GDPを現在の5倍の大きさにしなければならないが、果たして可能であろうか。2010年代に人口構成の変化が経済にとってマイナスに作用する人口オーナス期に入る中国では、GDP規模を今の2倍(年率7%で約10年かかる)、つまり一人当たりのGDPを日本の5分の1にするのでさえ、かなり難しいのが現状ではないだろうか。例えば、今後の中国経済の規模が今の2〜3倍程度で停滞したとすると、現在の中央集権体制を維持することは難しく、人民解放軍の問題もあり、紆余曲折はあろうが、歴史が示すように北京、上海、福建、広東、成都の中核地域が自律的に機能する可能性が高い。
このように、2050年に向かって、アメリカと中国に現在同様のヘゲモニー(覇権)を期待するのは難しい。そして、アメリカと中国にかわるヘゲモニー(覇権)国家の出現を、現状のグローバリゼーションを前提において考えることも極めて難しい。
●強度に結合し相互依存した世界
このことは、一国による覇権で世界が安定し、かつ経済的に発展するとする覇権論の主流である、国際政治経済学者のロバート・ギルピンによって確立された覇権安定論(Hegemonic stability theory)における、以下の3つの条件を満たさない世界が訪れることを意味する。
(1)ある国家が他の国々を圧倒する政治力及び経済力を有している状態にあること
(2)(1)の状態にある国家が自由市場を実現するための国際秩序の構築と維持を積極的に主導すること
(3)(1)の状態にある国家によって構築・維持される国際秩序内に留まることで、覇権を有さない諸国にとって経済活動から利益を享受することができること
つまり、(1)の要件である飛びぬけて強力な国家を前提にし、かつ、存在意義と力のある国民国家を前提にした国際社会でない。むしろ、強力なヘゲモニー(覇権)は存在せず、存在意義と力の低下した国家が集合した、強度に結合し相互依存した世界を迎え、これまでの国家を一義に前提と置くパラダイムを転換しなければならないのだ。これまでの前提であった、政治家の望む、国家主導の国家と企業と個人のインタレストの三位一体はもはや機能しない。グローバル化する社会で各々が異なるインタレストをもって行動することになる。極論を言えば、国家という存在は、もはや、個人や企業に対して優位に立つ存在ではなく、同列化しつつあるのである。
●技術革新と融合したグローバル化がもたらすビジネスにおけるパラダイムの変化
国家の存在意義と力の相対的かつ絶対的低下をもたらす、技術革新と結合した現在のグローバル化は、人類に選択権のある進歩ではなく、人類が自らつくってしまった選択権のない環境適応としての進化環境であると考えたほうが、個人も企業も国家も適応率・生存率は高まるのではないか。情報通信技術の発展を核とする技術革新と融合した加速化するグローバル化がもたらすパラダイム転換を示唆する、以下の3つのキーワードを理解することは、企業と個人の生き残りにとって大きな意味を持つ。
(1)Beyond boundary(これまでの境界や常識は通用しない)
(2)Acceleration(変化は加速度的に速くなる)
(3)Leverage(小さな力で大きなものを生み出せる)
次回は、この3つのキーワードについての論を進めてみたい。
【註1】ヘゲモニー(覇権)
国際社会におけるヘゲモニー(覇権)とは、特定の勢力が長期にわたり、最優位な地位(権力の掌握)を安定的に維持していることを意味する。歴史的には、覇権を得る過程は、合意によるものではなく、相対的に武力、政治力、経済力において優位な立場にある勢力が、それらのパワーの行使によって、敵対的立場にある勢力を服従させ、最優位の立場に立つことであるとされる。覇権は、被支配者の「同意に基づく」支配を強調した統治体系という理解が一般的であり、軍事支配とは異なる。この意味で、ヘゲモニー(覇権)は、世界を安定化し、拡大化する方策として有効な手段であるため一概に否定すべきものであるとはいえない。
文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授