アベノミクスの提唱者は今年、屈辱的な夏を経験している〔AFPBB News〕
アベノミクス:的を外す矢
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2014.08.28 Financial Times :JBpress
(2014年8月26日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
ゴルフがスキャンダルの種になるのは、有力国の首脳にとって決して良い兆しではない。
米国のバラク・オバマ大統領は、ミズーリ州のファーガソンという町が人種差別への抗議行動で揺れていたり、シリアでイスラム過激派の武装勢力が米国人ジャーナリストの首を切り落としたりしていた時期にゴルフに興じていたとして批判を浴びているが、日本の安倍晋三首相も、危機の最中にゴルフをしていたことで非難されている。
安倍氏は、広島県で豪雨のために土砂崩れが発生して50人以上の犠牲者が出たとの報告を受けた後にゴルフに出掛けたと言われている。ただ、オバマ氏への攻撃と同様に、この安倍氏への批判――野党は国会での閉会中審査を要求している――は、もっと深刻な脆弱性の兆候であるように感じられる。
かつて絶大な支持率を誇った「アベノミクス」の提唱者は今年、屈辱的な夏を経験しているのだ。
そうなった理由はいくつかある。まず安倍氏は、日本にとって重要なことだと安倍氏自身は思っているが世間の人々には好まれていないことの実現に向けて、政治的資本をふんだんに使ってきた。具体的には、軍事行動に対する憲法の制約を解除することや、2011年の福島第一原子力発電所でのメルトダウン(炉心溶融)以降停止されている原発の再稼働などがそれにあたる。
■安倍首相にとって最大の政治的資産だった経済政策に不満
だが実は、安倍氏にとって最大の政治的資産だった経済政策に対する不満もあり、こちらの方が理由としては大きいのかもしれない。第2四半期の国内総生産(GDP)が前期比・年率換算で6.8%も縮小したことが今月の政府統計で確認される前から、首相の景気刺激策に対する疑念は強まっていた。
例えば、普段は安倍政権を支持している産経新聞が7月、世論調査で政府の経済運営を「評価しない」という回答が「評価する」を上回ったことを受け、アベノミクスに「陰り」が見えると評した。また、安倍政権全体の支持率は複数の世論調査で50%を割り込んでおり、政権発足1年目の大半の時期に記録されていた70%超の水準よりも大幅に下がっている。
「アベノミクスは難しい状況に直面している」。モルガン・スタンレーMUFG証券のチーフエコノミスト、ロバート・フェルドマン氏はそう語り、一般の人々だけでなく投資家の間でも信頼されなくなっていると指摘している。そして、非常に厳しかった第2四半期を経て一部の経済指標は上向き始めているものの、「そのペースはあまりに遅く、急回復するとの期待を裏付けるには至っていない」と懸念している。
以前は、アベノミクスについて最もよく耳にする疑問と言えば、安倍氏は成長率を高める構造改革――いわゆる第3の矢――を実行できるのかというものだった。この答えはまだ出ていない。今のところは、達成できた分野もあれば妥協した分野もあり、チャンスを逃した分野もあるという、まだら模様の成績であるようだ。
いずれにしても、規制緩和やその他の計画を実行に移すには年単位の時間がかかり、それが経済成長に影響を及ぼすまでにはさらに長い時間が必要になることを、今日では楽観論者ですら認めるようになっている。
アベノミクスの最大の目玉と考えられてきた施策、つまり財政政策はもとより金融政策で経済を活気づけるというアイデアにも、懐疑的な目が向けられつつある。
■じわじわ高まるスタグフレーションへの懸念
最新のGDP統計が問題なのではない。4月1日の消費税率引き上げにより第2四半期の景気が落ち込むことは、事前に広く予想されていた。確かに、成長率のマイナス幅は専門家の当初の予想を上回ったものの、税率引き上げ前の経済活動の盛り上がりも予想以上に大きかった。要するに、前倒しで消費をした人が多かったのだ。
問題は、不況でありながらインフレが進むスタグフレーションを懸念する声が一部で上がり始めるような経済全般の情勢にある。税に関係するGDPの変動をならせば、日本経済は2013年半ばから2014年半ばにかけて、物価の変動を除いた実質ベースでほぼゼロ成長にとどまっている。
その一方で、日銀による積極的な金融緩和はインフレ率を押し上げている。賃金は6月に若干上向いたものの、物価はそれ以上に上昇しており、実質雇用者所得は前年比で3.2%減少している。
アベノミクスの責任者たちでさえ、計画通りに進んでいないことを認めている。彼らは、インフレ自体は問題視していない。消費者物価が一貫して下落する状況から抜け出すことが、彼らの戦略の重要な目標だったからだ。
しかし、責任者たちが約束した「良い」インフレの好循環、すなわち物価の上昇がそれに見合った所得の増加をもたらすという循環は成立していないように見える。物価ばかりが上昇し、人々は以前よりも貧しくなっている。
日銀の黒田東彦総裁は先週末、米ワイオミング州ジャクソンホールで開催された中央銀行総裁らの会合に出席し、この問題について講演した。
黒田氏は、マネーを大量に供給している中で賃金が上昇していないことを「厄介な問題」だと形容し、日本のデフレ脱却はまだ「道半ば」だと述べた。
ただ、物価が上昇するのが日本のニューノーマル(新たな常態)であることを企業や勤労者が受け入れるようになれば、賃金は物価の上昇に追いつくだろうとの見通しを披露した。
「日銀が予想物価上昇率を2%にしっかりとどめておくことに成功すれば、それが労使の賃金交渉の前提になり得る」と黒田氏は述べた。この見方に基づけば、アベノミクスは何かと難しい思春期を通過しているだけということになろう。だが当の黒田氏でさえ、この状態は「しばらく」続くかもしれないと認めていた。
■念願の賃金上昇、構造的な問題が妨げに
確かに、この賃金の伸び悩みは不思議な感じがする。企業は記録的な好業績を上げており、日本は失業率が4%を下回る事実上の完全雇用状態にある。賃上げを要求するには理想的な状況であるはずだ。しかし、エコノミストたちは所得が上向くと見込んでいるものの、その幅は構造的な問題によって抑制される恐れがある。
「日本では2012年11月ごろに現在の景気回復が始まって以降、労働市場の力学が変わってきたように思われる」。バークレイズ証券のエコノミスト、森田京平氏はこう語る。「これは人口動態の問題でもある」
かいつまんで言えばこういうことだ。ベビーブーム世代が引退する年齢になり、最も高い給料を取っていた人たちが、その職とともに職場を去っていく。その後を引き継ぐのはパート従業員や請負業者、あるいはその他のタイプの低賃金労働者(その中にはベビーブーム世代の子供たちも含まれている)である可能性が非常に高い。
また「エコー」ベビーブームの時代(ベビーブーム世代が子供をつくった時代)に生まれた母親たちも、自分の子供が学校に通うようになってから再び働き始めているが、給料は以前に比べると低い場合がほとんどだ。
こうした変化が相まって、働いている人の賃金は全体的に上昇しつつあるものの、給料が最も高い職が消えつつあるために平均所得は伸び悩むという逆説が生まれているのだ。
構造的な変化は、ほかの分野でもアベノミクスの妨げになっている。為替レートを円安にしてトヨタ自動車やソニーといった大手輸出企業の競争力を高めることは、かつては日本経済を刺激する際に頼りになる手法の1つだった。
しかし、安倍政権になってから円レートが20%以上下落しているにもかかわらず、今回はこの手法が威力を発揮していない。
これは福島の原発事故後に石油・ガスの輸入が増加し、日本が純輸入国になっているせいでもある。だが、輸出の方も期待通りには伸びていない。これについては、企業が以前よりも日本国外でモノを作るようになったからだとの解釈が多い。例えば自動車メーカーの場合、外国での生産台数は比較可能な前回の円安局面(ほぼ10年前)以降80%増えており、国内生産は逆に減少している。
■追加の消費増税は?
前政権が成立させた法律に従って2015年10月に消費税率を再度引き上げるか否か、安倍氏は今年のうちに判断しなければならない。
景気が弱々しいため耐えられないと判断すれば、増税をやめることも可能だ。だが第3四半期にはGDPが反転増加すると見られること、債務問題に取り組めという政治的圧力――特に、強い力を持つ財務省からの圧力――が続いていることから、安倍氏は税率の引き上げに踏み切るとみる向きが多い。
日本経済新聞が25日に報じた世論調査の結果によれば、消費税率を2015年10月に引き上げるべきだとする回答は30%にとどまり、先月の調査より6ポイント低下している。
次回の引き上げ幅は2%で、今年4月の3%より小さいが、政治的なリスクはむしろ大きいように見える。安倍氏は、2016年半ばまでには国民の審判を再度仰がねばならないからだ。
By Jonathan Soble
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