「読売新聞の社説である。強烈な欺瞞論法のサンプルとして解析する。:安冨歩氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14258.html
2014/5/24 晴耕雨読
大島堅一氏のツイートより。https://twitter.com/kenichioshima
ぜひ分析してください。RT @anmintei @Yomiuri_Online
> 【こりゃすごい。あまりにも不合理な社説に、呆気にとられる。あとで、分析する。】 大飯再稼働訴訟 不合理な推論が導く否定判決 : 社説 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) http://t.co/MLiC0gK6yo @Yomiuri_Onlineさんから
東京電力のHPに【「福島の復興」が私たちの原点です。」】と書いてあるけれど違うと思う。
東電の賠償打ち切りや不誠実な態度で、まだ復興にほど遠い状況にあるから、これは原点にならない。
原点は、【福島原発事故を引き起こしたこと】ではないか。
正しく書いてほしい。
>安冨歩 ブログを、こうしん、したよ? 「大飯原発3,4号機運転差止請求事件判決」に対する読売新聞の社説の分析 http://t.co/qcWEZyH1DQ
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http://t.co/qcWEZyH1DQ
「大飯原発3,4号機運転差止請求事件判決」に対する読売新聞の社説の分析
読売新聞の社説である。
強烈な欺瞞論法のサンプルとして解析する。
引用文は【】に入れる。
【大飯再稼働訴訟 不合理な推論が導く否定判決】2014年05月22日 01時25分
大島堅一教授が指摘していたが、「大飯原発運転差止請求」なのであって、「再稼働訴訟」ではない。社説のタイトルからいきなり、名を歪めている。原告は、「再稼働するな」と言っているのではなく、「そもそも運転すんな」と言っているのである。
【「ゼロリスク」に囚とらわれた、あまりに不合理な判決である。】
いきなり、無茶苦茶である。判決文は、「リスクをゼロにしろ」などと、一言も言っていない。万が一の場合の被害があまりも巨大であり、その事態を完全に封じることができないばかりか、それを実行する責任を負うはずの原子力の専門家が信頼に値せず、そのリスクを見積もる地震の専門家もたよりにならないので、原発はやめろ、と言っている。
【定期検査のため停止している関西電力大飯原子力発電所3、4号機について、福井地裁が運転再開の差し止めを命じる判決を言い渡した。原発の周辺住民らの訴えを認めたものだ。】
「周辺住民」というが、判決は、半径250キロを「周辺」と認めたのだ。京阪神や愛知はもとより、岡山・和歌山・長野・静岡あたりまでが含まれている。とてつもなく画期的なことを、スルーしている。
【判決は、関電側が主張している大飯原発の安全対策について、「確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに成り立ち得る脆弱ぜいじゃくなもの」との見方を示し、具体的な危険があると判断した。】
一応、正しいが、それだけのことではない。
【「福島第一原発の事故原因が確定できていない」ため、関電は、トラブル時に事態把握や適切な対応策がとれないことは「明らか」とも一方的に断じた。】
これも話がすり替えられている。この判決は「原発に求められる安全性」を詳しく論じ、人格権の中核部分に対して、電気の生産という経済活動の自由が憲法上劣位に置かれるべきである、という明確な設定を行い、その上で、原発の危険性の本質とその被害の大きさが福島第一原発事故で「明らか」になった、と言っているのである。
【昨年7月に施行された原発の新たな規制基準を無視し、科学的知見にも乏しい。】
この判決文は、上記のような事態を招く具体的危険性が万が一にもあるかを裁判所が判断すべきであって、これを回避することは、重要な責務を放棄することになる、としている。ここで判断しているのは、原発の本質であって、小手先の規制基準の問題ではないがゆえに、無視しているのである。こういうところで「科学的知見にも乏しい」と悪口を言って済ませる態度は、実に、非科学的である。
【判決が、どれほどの規模の地震が起きるかは「仮説」であり、いくら大きな地震を想定しても、それを「超える地震が来ないという確たる根拠はない」と強調した点も、理解しがたい。】
なによりも、この文が、理解しがたい。日本語になっていないのである。
「いくら大きな地震を想定しても、それを『超える地震が来ないという確たる根拠はない』と強調」
などという日本語を書いて平気な人間が、この判決文を理解できないのは、やむを得ないところであろう。ここで言わんとしていることはおそらく、
これ以上の規模の地震は来ない、と根拠を以て示すことはできない、と強調
くらいのことかと思う。これは、実に科学的に正しい発言であって、これを正確に見積もることは不可能である。というのも地震の規模はベキ分布という性質を持つので、どんな規模の地震も「あり得ない」とはいえないのである。社説の筆者はそういう科学的知見に乏しい人物である。また、
「どれほどの規模の地震が起きるかは「仮説」であり」
という日本語もおかしい。多分、
地震の規模の見積もりを厳密に与えることはできず、あくまで「仮説」としてしかできない、
ということであろうが、これは当たり前のことである。地殻の運動などというものを、予測したりなど、できるはずがそもそもないことは、自明である。判決文は、わざわざ、
「しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に、5回にわたり想定した地震動を超える地震が、平成17年以後、10年足らずの問到来しているという事実を、重視すべきは当然である。地震の想定に関し、このような誤りが重ねられてしまった理由については、今後、学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。」
と厳しく批判している。
【非現実的な考え方に基づけば、安全対策も講じようがない。】
これが最強の噴飯ものの文である。そもそも「安全対策を講じる」責任を負っているのは電気会社の方であって、この言葉を電力会社に投げつけるなら、意味は通じる。しかし、その責任を負っていない裁判所にこんなことを言って、何の意味があろうか。
しかも興味深いことに、非現実な考えに基づいて、まともな安全対策を講じていないのが、電気会社であって、この判決はまさにこの点を批判しているのである。そもそも原子力発電が非現実的な考え方に基づいているため、原理的に安全対策の講じようがない、としてこの判決は原子力発電そのものを否定しているのである。
【大飯原発は、福島第一原発事故を受けて国内の全原発が停止した後、当時の野田首相の政治判断で2012年7月に再稼働した。順調に運転し、昨年9月からは定期検査に入っている。】
それがどうしたというのだ。「万が一」の問題を判決文は問題にしているのであって、「万が一」でない事態を言ってみせたところで、何の意味もない。
【関電は規制委に対し、大飯原発3、4号機が新規制基準に適合しているかどうかの審査を申請している。規制委は、敷地内の活断層の存在も否定しており、審査は大詰めに差し掛かっている。】
で?
【別の住民グループが同様に再稼働の差し止めを求めた仮処分の即時抗告審では、大阪高裁が9日、申し立てを却下した。規制委の安全審査が続いていることを考慮し、「その結論の前に裁判所が差し止めの必要性を認めるのは相当ではない」という理由からだ。常識的な判断である。】
この判決文は、このような態度が裁判所の重要な責務を放棄することになっている、として鋭く批判しているのである。そういう決意を帯びた判断に対して、「そんなん、非常識じゃ?」と言って、何の意味があろうか。
【最高裁は1992年の伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「極めて高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との見解を示している。原発の審査に関し、司法の役割は抑制的であるべきだ、とした妥当な判決だった。各地で起こされた原発関連訴訟の判決には、最高裁の考え方が反映されてきた。】
福井地裁は、そんなことは知った上で、福島第一原発後に、こういう責任回避を続けていては、司法そのものに対する国民の信頼が失われる、と考えて、この判決に踏み切ったのである。
【福井地裁判決が最高裁の判例の趣旨に反するのは明らかである。関電は控訴する方針だ。上級審には合理的な判断を求めたい。】
まさにここが問題になっている。司法が、この国家的危機を経ても、行政に阿る態度をとりつづけるのか。それとも、司法に対する国民の信頼を得べく、「裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」という日本国憲法の規定の実現に向けて踏み出すのか。日本の司法の運命が掛かっていると言っても良いであろう。
上級審には合理的な判断を求めたい。
大島堅一立命館大学教授のツイートを引用しておく。私と違って温厚な大島氏の発言である。
大島堅一@kenichioshima
読売の社説は、阿呆が書いたと思われても仕方がない。判決文、全文読んだんだろうか。しかも「再稼働訴訟」とか書いてるし。判決では「大飯原発3,4号機運転差し止め請求事件」と書いてある。略すとしたら、「大飯原発差し止め訴訟」だろ。名称まで歪めるとは。