何事も楽しく、過ごしたい。から
http://ameblo.jp/kojinadai/entry-11173746718.html
南京大虐殺なんて真っ赤な嘘だ。事実無根のデタラメだ。
そもそも帝国陸軍による南京侵攻の事前通知により、
約30万人の南京市民は大半が疎開済みだった。
呆れたことに、恐怖におののいた蒋介石をはじめ支那軍は南京から逃げ出していた。
支那兵の残党が若干いたので小競り合いはあったものの、南京はあっさり陥落した。
昭和12年12月17日、松井石根大将率いる帝国陸軍が
人気のない南京市に堂々入城行進した姿が映像に残っている。
南京で閲兵する松井石根大将
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南京市に入った皇軍将兵は品行方正だった。何しろ南京は支那の主都だ。
大日本帝国陸軍の動きは世界が注視しているし、現地には欧米人の商社マンやジャーナリストもいる。
日本兵が横暴な態度を取れば国際外交の場で袋叩きにされる。
いいか、紳士的に振舞え、蛮行はまかりならん、との松根大将の指示が全軍に行き渡った。
これを見て仰天して驚き、また大喜びしたのが、現地の支那人だ。
何だ、日本軍て随分優しいじゃないか。
支那の軍人と違って遥かに身なりもいいし、略奪や暴行もはたらかない。
あれれ、治安までよくなったぞ。食料は配給してくれる。医療サービスまで提供してくれる。
ななな何て立派な軍人たちなのだ。
日本兵の姿に接し感涙を流す婆さん、歓喜する子供たちまで現れた。
南京市民は日本軍熱烈歓迎に湧いた。
南京城入城式当日の様子
南京の避難民が、日本兵から菓子・煙草の配給を受け、喜んで日本軍万歳を叫んでいる。
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周辺に一時疎開していた民間人が我も我もと、あっと云う間に南京へ戻ってきた。
周辺地域から南京が暮らし易くなったと聞いて、流入していくる者もいる。
南京の人口が僅か1ヶ月で40万人に膨れ上がった。
日本軍が入城した途端、人口が差し引き10万人も増えた。
もちろん、日本兵と南京市民との間に暖かい交流もあった。
名古屋の河村市長が正直に指摘したのは、このあたりの事情だ。
信じられない人もいるだろうが、
もともと当時の感覚では日本と支那が戦争しているわけではなかったのだ。
支那では現代風の国民国家の意識すら希薄だった。
国民党や共産ゲリラが入れ乱れて内戦が続き、
民間人にすれば何処の軍隊が勝とうが負けようが、どっちでもよかった。
支那の軍隊やゲリラは武装暴力団みたいなものでガラが悪くて危ない。
近代的で真面目で礼儀正しい大日本帝国陸軍を拍手で迎えた支那民衆の気持ちがよく分かる。
いやいや、支那の民衆が歓迎したのは毛沢東率いる八路軍だった。
と、支那共産党政府は史実を捻じ曲げる。
大虐殺記念館をでっち上げ反日感情を煽り、憎い日本に勝ったのは共産党のお蔭だと嘘をつく。
何から何まで嘘だ。嘘だらけなのだ。
蒋介石自身は、昭和41(1966)年9月に、
台湾で日本人のインタビューに答えて、次のように述べている。
「南京には大虐殺などありはしない。
何応欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録している筈です。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」
と涙ながらに語っている。