05. 2013年6月29日 00:00:39 : ieEe7Z9J8I
大阪から出て行って欲しいのに、専念されてもな〜
ハシゲ本人が参議院選挙に出る。(参議院は要らんと言ってたから、中から壊しに行って!)
ハシゲ本人が堺市長選に出る。(思い通りにならないときのいつもの手やろ!)
このどちらかが良いと思います。
そして、落選してチョ!
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ハシゲ本人が参議院選挙に出る。(参議院は要らんと言ってたから、中から壊しに行って!)
ハシゲ本人が堺市長選に出る。(思い通りにならないときのいつもの手やろ!)
このどちらかが良いと思います。
そして、落選してチョ!
オバマも、習も、朴も
例えばこういう多くの投稿に共通な情報を書こうとすると
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宇野さんがそれ以来50年間ずっと使い続けている装置
プリアンプ : 米マランツ♯7
パワーアンプ : 英クォードU型モノーラル用2台
スピーカー
トゥイーター : 英ワーフェデールスーパー3
ウーファー : 英ワーフェデールスーパー15
スコーカー : 英グッドマンのAXIOM80
エンクロージャー : テレビ音響製9立方フィートマルチホール型
ターンテーブル:トーレンス=TD126MK111
トーンアーム:SME3012
カートリッジ:シュアー=ウルトラ500
_________
次のエラーが出てしまうのですね:
”このコメント投稿は以前にコメント成功済み。
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前はAAを最初に貼るとエラーが消えたので、そのやり方でずっとやってきたのですが、最近はAAが貼れなくなってその方法が取れなくなってしまいました。
これは掲示板管理上で致命的な欠陥だと思います。
阿修羅を良くする為に”規制緩和”して頂けないでしょうか。
その流れから考えれば妥当な流れだよ
有権者の多くがそれを容認してるんだから仕方ないよねぇ
福島県民だってプルサーマルを身体張って阻止した前知事をパージしちゃったじゃない
【英文和訳】
1) add on an extra room. (5点)
2) add on the amount to future purchase. (5点)
3) add one more person to competition. (5点)
4) add one more strike to what obviously should have been a ball.(5点)
【和文英訳】
次回
/////////////
>>>>>>嘲笑<<<<<<
団地のパラポラアンテナは集中式に替わっていくことになる。外から見てもわからないようにしよう。
シオン議定書(10)
本日は、前の話と重複することから始めるが、記憶に留めていただきたいのは、各国政府と非ユダヤ人=畜生たち人民は、政治のことは上辺だけしか見ないで満足しておるということなのである。実際のところ、どれほど畜生(非ユダヤ人)共は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の代表者たちが全力を傾けて楽しませてくれる事の核心を把握しておるのか?
そのことを細部まで考慮に入れることが、我々(ユダヤ人たち)の方針にとっては、最高に重要なことなのである。権力の分立、言論の自由、新聞、宗教(信仰)、法の前の平等な結社の自由、財産の不可侵性、居住、徴税(脱税の考え方)、法の遡及力を熟慮するようにすれば、得る所が多いであろう。これらの問題は、すべて、直接手を出したり非ユダヤ人=畜生たち人民の前で、明からさまにすべきではないような事どもなのである。どうしても直接触れねばならぬ際には、明確に言い切ってはならない。現在の法についての我々(ユダヤ人たち)の原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、単にさらりと言ってのけるだけに留めなくてはならない。なぜ沈黙を守らねばならぬかというと、原理を明かさねば、我々(ユダヤ人たち)は、行動の自由を確保しておいて、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の注意を惹くことなくあれこれとそらせるが、一部でも明言してしまうと、たった一言だけで何もかも与えてしまったことになるからなのである。群集には、一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛を込めてこう言う。「ずるい!ほんとにずるい。だけど、頭が良い!..ペテンだ。しかし、何だな、巧いことしでかした。大変なことを仕出かすもんですね、大胆極まりないので、かないませんね!」我々(ユダヤ人たち)は、すべての国々を新たな重要な機構、我々(ユダヤ人たち)が練り上げてきた計画に惹きつけることを期待するのである。これが、何をさておいても、我々(ユダヤ人たち)が武装し、力を貯え、不退転の意志と絶対的な大胆さを身に付けねばならぬ理由であり、これがわが活動家たちの手で我々(ユダヤ人たち)の行手をすべてを粉砕することに役立つのである。
我々(ユダヤ人たち)のクーデターが成功した暁には、我々(ユダヤ人たち)は、さまざまの階層の(ユダヤ人・非ユダヤ人=畜生たち)人々にこう言うであろう。「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できぬ状態に陥ってますよ。諸君がこうむってる苦痛の原因、それは民族心、国境、身分の違いといったものであり、私達(ユダヤ人たち)は、それらを根絶しつつあるのですよ。もちろん、諸君が私達を断罪するのは自由だが、私達(ユダヤ人たち)が提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎるというものではないでしょうか。」・・・すると群集は、我々(ユダヤ人たち)を讃え、希望と期待にふくれ上がり、全員こぞって手を差しのべ、我々(ユダヤ人たち)を激励し、我々(ユダヤ人たち)を讃えるのである。人類の一番小さな成員グループにも、グループごとに集会を催させ、同意を取り付けてきた選挙という、我々(ユダヤ人生たち)が揃えてきた道具立てを使って、我々(ユダヤ人たち)は、世界王の座に就くのである。このような選挙が、我々(ユダヤ人たち)の目的に役立ち、最終的には、我々(ユダヤ人たち)に有罪宣告を下す前に、非ユダヤ人=畜生たち全員一致で我々(ユダヤ人たち)と、もっと親しくなりたいと望むようになるのである。
以上のことを確保するには、絶対的な多数を獲得すべく、階級や資格の別なく万人に投票させねばならない。知識人や有産者階級だけでは、絶対多数は 獲得できない。このように、自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、畜生(非ユダヤ人)共の家族主義や家庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は 引き離して一掃してしまうのである。我々(ユダヤ人たち)が操る非ユダヤ人=畜生たち群集は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を第一線に立たせぬし証言の機会すら与えてやらない。群集は、従順に応待すれ、見返りがある我々(ユダヤ人たち)の話を聞くことだけに慣らされるのである。このようにして、群集の指導者として我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の頭に据えてやった代理人の指導なくしては、如何なる方向へも一歩も足が踏み出せぬほど総員を一大盲目力に仕上げるのである。非ユダヤ人=畜生たち人民は、新しい指導者たちが、自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っておることが判るから、この方式に服従するのである。
政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っておるべきなのである。なぜならば、多数の頭で部分部分をばらばらに作らせると、決して確固不動のものにはならない。それゆえ、我々(ユダヤ人たち)は、行動計画を知っておるのは良いが、その巧妙さ、各部分の緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊せぬようにするには、討議してはならない。度重なる投票という手段でこの種の労作を討論し修正を加えることは、邪推と誤解の烙印を押すことになり諸計画の進行と結びつきを妨げるのである。我々(ユダヤ人たち)は、計画が強力に適切に仕組まれることを欲するのである。ゆえに、我々(ユダヤ人たち)は 我々(ユダヤ人たち)の指導の天才の労作を、群集やあるいは特別な団体にすら、投票により生じる邪推と誤解の毒牙にかけさせてはならない。
これらの計画は、現存する諸団体をまだ転覆はさせぬであろう。それらの経済を変化させるだけで、それによって進歩の動きを全体的に結び付け、我々(ユダヤ人たち)の計画に従った道に導くのである。
すべての国々には、名前は、似たり寄ったりであるが、内実は、同じものが存在するのである。議会、内閣、立法府、評議会、司法府、行政府などなのである。こういった機関の相互機能を説明する必要は無いのである。なぜなら、諸兄は、どれも御存知のものだからである。が、一つだけ注意しておきたいのは、ここに名を挙げた機関は、国家の中では、或る重要な役割を担っておるという点なのである。この「重要な」という言葉に御留意願いたいのである。これは、機関のことを指しておるのではなく、その機能のことを言っておるのである。これらの機関は、いくつもの部分に分れていて、その全体で政府という機能・・行政、立法、司法・・を果たしておる。そこでは、分割された機関は、人体の臓器に似た働きをするようになっておるのである。もしも、国家機構の一部を損傷すれば、国家は、病気にかかり、死ぬことになることは人体と同様なのである。
我々(ユダヤ人たち)が国家機関に自由主義の毒を注ぎ込んだら、その政治複合体全体が、或る変化を起こし、国家が不治の病い・・敗血症・・に犯され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりなのである。
自由主義は、立憲国家を作ったのである。それは、畜生(非ユダヤ人)共にとっては、唯一の安全装置である専制国家に代るものであったのである。よく御存知のように、憲法は、混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校・・一言にして言えば、これら何もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもないのである。「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞なのである。新聞屋は、支配者に怠慢無能の烙印を押し、よって無益無用であると断罪したのである。実にこの為に多くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時、我々(ユダヤ人たち)が支配者に代えて政府の似顔絵を描いたのだ。そして我々(ユダヤ人たち)は、奴隷(非ユダヤ人=畜生たち)たち、あるいは、我々(ユダヤ人たち)の人形たちの中から拾い上げた大統領・・を支配者の代わりに置き換えたのだ。これは、畜生(非ユダヤ人)共人民の地下に仕掛けられた地雷であったのである。敢えて申し上げるが、畜生(非ユダヤ人)共人民の地下に、それを設置したのである。
近い将来、我々(ユダヤ人たち)は、大統領を責任のある役職にするであろう。
その時までに、我々(ユダヤ人たち)は、表向きの役には就かず、我々(ユダヤ人たち)の人格なき人形たちに責任を負わせ続けるであろう。非ユダヤ人=畜生たちの権力亡者がだんだん少なくなったとしても、我々(ユダヤ人たち)の知ったことではないのである。大統領のなり手が少なくなり暗礁に乗り上げるとしても、暗礁があろうがあるまいが、国家は、最後には崩壊に向って行くのである。
我々(ユダヤ人たち)の計画が然るべき成果を挙げる為には、パナマ汚職事件その他のような、過去に隠れた古傷を持っておる候補を選んで選挙に臨む。すると、そういう連中は、旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、すなはち、大統領の地位に付きものの特権と名譽を失うまいとして、我々(ユダヤ人たち)の計画達成の当てにしてよい代理人となるのである。[フランス議会の]下院は、大統領を選出し、援護し、保護するであろうが、我々は新法案を提案したり既成法案を修正したりする権限を奪ってしまうのである。というのは、この権限は、責任ある大統領、我々(ユダヤ人たち)の手中にある傀儡に、我々(ユダヤ人たち)が与えるのである。さすれば、事の成行きとして、大統領の権威は、四方八方から攻撃の的となるのである。であるが、我々(ユダヤ人たち)は、自己防衛の手段として、非ユダヤ人=畜生たち人民に呼びかける権限、代議員たちの頭越しに直接(非ユダヤ人=畜生たち)人民に呼びかけて決定させる。すなはち、大統領といえども一員である盲目の奴隷・・群集の大多数・・に呼びかける権限を彼に確保してやるのである。そのこととは別に、我々(ユダヤ人たち)は、大統領に宣戦布告の権限を与えてやるのである。それには、国軍の長であり新共和国憲法の責任ある代表者たる大統領は、新共和国憲法防衛の際に備え、軍を自由に動かせねばならぬと説明しておくのである。
容易に理解されるように、この状況下にあって祭壇の鍵を手中にしておるのは、我々(ユダヤ人たち)であり、我々(ユダヤ人たち)以外の何者にも断じて立法権を行使させない。
その他に、新共和国憲法を成立させたら、政治的機密保持という名目で政府の処置に対する議会の質問を一切封じるのである。その上、新憲法によって議員の数を最少限に抑え、それに比例させ政治的煽動と政治熱を減らすのである。であるが、めったに起こることではないとは思うが、もしも最少限に縮小された議会が反抗の火の手を挙げるならば、我々(ユダヤ人たち)は、即刻全人民という絶対大多数に直接檄を発して議会を廃棄するであろう。大統領は、上下両院の議長・副議長の任命が杖となるのである。通常の議会の会期とは異なって、議員の任期を数ヵ月に縮めるのである。その上、行政の長である大統領には、議会召集解散の権限を持たせるのである。特に、解散した場合は、新議員任命を延期できるものとするのである。しかし、我々(ユダヤ人たち)の計画がまだ熟成していなくて、実際には非合法の状態でこれら一連のことを全部実行して、なおかつ我々(ユダヤ人たち)が立てた大統領に全責任を負わせぬ為には、 大統領周辺の大臣や高官を教唆して、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が自分たちの裁量でやったことであり、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を身代りにして責任を取らせることで、大統領の責任を回避させる。この件に関しては、我々(ユダヤ人たち)は、特別に上院、最高行政裁判所、閣僚会議に役割を与えるが、一個人には勧めないのである。
大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、我々(ユダヤ人たち)の意図する通りに解釈するであろう。大統領は、さらに進んで、我々(ユダヤ人たち)が廃止の必要を指示すれば、法律を廃止することもやるであろう。その他に、大統領は、臨時法を、また、国利国益の為にはこれが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限を持つであろう。
かような手を打っておくと、少しづつまた少しづつ、一歩一歩と破壊する力が働いて、我々(ユダヤ人たち)が諸権利を手に入れた当初、ことごとくの憲法を気付かれぬうちに無効にさせる為に憲法の中に隠し据え、ねじ込んでおいたものすべてが、我々(ユダヤ人たち)の独裁政権があらゆる政体の政府を束ねる日を到来させるのである。
憲法廃止以前に我々(ユダヤ人たち)の独裁者が認められるかも知れぬが、その時が来ればそれまでの非ユダヤ人=畜生たち支配者たちの無能無策に・・我々(ユダヤ人たち)が仕組んだことであるのであるが・・業を煮やした非ユダヤ人=畜生たち人民たちは、大声で叫ぶであろう。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは 一人でいいのである。おれたちをまとめて争いの種をなくしてくれ・・国境、民族、宗教、国債、そんなものは御免だ・・平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった平和と秩序を!」
であるが、ユダヤ人たち諸氏は、完璧に理解されておると思う、すべての国々でこのような叫びを挙げさせるには、すべての国々で、紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓によって、人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させることが絶対不可欠であることをのである。これら悪の予防接種を施すことによって、また欠乏によって、畜生(非ユダヤ人)共は、金銭その他すべてのことにわたって我々(ユダヤ人たち)の支配下に入る以外のことは考えなくなるのである。
ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、我々(ユダヤ人たち)が渇望する時は九分九厘到来しないのである。
http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/462.html
また茶々を入れたくなった(笑)
もともと俺は猫より犬が好きなんだが、米犬をみて
ますます犬が好きになりそうだ、だっておもしろいもん。
コバンザメが付くくらいなら中国は大きいぞ。
さしずめジンベイザメぐらいか(笑)
ジンベイザメは1匹で回遊できるがそれを孤立とはいわんな〜。
> 他の国はすべて日本の味方です
ってさ、この勘違いが恐い。
サメだろうが、クジラだろうが、マグロだろうが
彼らにとってイワシは美味しい味方じゃなかろうか。
だからだろうか古来より言われていたな
イワシの国ぞ秋津島大和の国は
シオン議定書(11)
国家評議会[国政会議]は、いわば、支配者の権威につけた光背であり、立法府の「見世物」の役割として、支配者が出す法令案を編集する委員会と言ってもよいであろう。
時に、我々(ユダヤ人たち)が用意しておる新憲法の要項は次の如きものである。我々は、法、権利、正義を確立する。
立法府に示唆するかの如く、一般法令と見せかけた大統領令、上院の命令、ならびに内閣の命令であるかの如く装おった国家評議会の決議により、ならびに適切な時到らば・・革命という形で実施される。
我々(ユダヤ人たち)の行動計画の大綱は、確立したから、国家機関をすでに述べた方針に従わせ、革命の完遂を促すべきあれこれの組合せの細目に入ろう。これらの組合せとは、新憲法発布の翌日からは、新聞報道の自由、結社の権利、信教の自由、その他あまたの事柄は、人間の記憶からは永久に抹消されねばならぬか、急激な変更が加えられねばならぬということを意味するのである。我々(ユダヤ人たち)が即刻全命令を公布できるのは、まさにその瞬間のみなのである。それ以後では、顕著な改革案は、ことごとく危険なのである。その理由は、次の通りである。もしも、その改革が峻厳さを増したものであり、幾分でも厳格かつ極限まで行ったのもならば、この先どこまで厳しい改革がなされるのかという恐怖で絶望感に囚われてしまうかも知れない。その逆に、最初よりも緩和した改革案を出すと、我々(ユダヤ人たち)が悪いことをしたのに気付いたかのように取られるし、そうなると、我々(ユダヤ人たち)の権威不可謬性の威信が失墜する。我々(ユダヤ人たち)が恐れを抱いて譲歩措置をとらざるをえなかったと言われるであろう。強制的という印象は、ぬぐえぬから、その為に我々(ユダヤ人たち)が感謝されることはない。以上、二つとも新憲法の威信を傷つけるのである。我々(ユダヤ人たち)が人民に叩き込まねばならぬのは、次のことなのである。憲法発布のその瞬間、世界の人民(非ユダヤ人=畜生たち)は、革命が成し遂げた厳然たる事実に呆然とし、まだ恐怖心と半信半疑の気持に捕われておる時から、我々(ユダヤ人たち)がすこぶる強力、難攻不落、かつ、十二分過ぎるくらい力に溢れていて、いかなる場合であっても、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)に一顧も与えず、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の意見や意志には、一瞥も加えず、いかなるささやかな反抗の表明も示威も、時と所を問わず、一つ残らず粉砕する用意があり、またそれが可能であり、我々(ユダヤ人たち)は、取るべきものはすべて取り、いかなる事情にせよ、我々(非ユダヤ人=畜生たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)と権力を分け合うことはありえない。さすれば、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、恐怖に身震いして、何事にも目を閉じ、事の成行きを最後まで見守るほかないであろう。
畜生(非ユダヤ人)共は、羊の群であり、我々(ユダヤ人たち)は狼なのである。狼が羊の群に入ったらどういうことが起こるか、御存知であろう。
我々(ユダヤ人たち)の羊が目を閉じるのは、別の理由も有るのである。我々(ユダヤ人たち)が平和の敵を打ち破り、あらゆる反対党派を黙らせたならば直ちにあらゆる自由を返してやると約束するからである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の手に自由が戻るまでどのくらいの時間を待ち続けねばならぬか、お話しする必要はあるまい。
では、何が故に我々(ユダヤ人たち)は、このような政策そのものを立案し、事の真相を看破する時を与えず畜生(非ユダヤ人)共の心に吹きつけるのか?
実際のところ、回り道をしなかったとしたら、四散した我々(ユダヤ人たち)の種族が直接目的を達成する方法には何があったのか?
基本的には、我々(ユダヤ人たち)が作った秘密のフリーメーソン、かの家畜畜生(非ユダヤ人)共が存在を知らず、知ってもその目的を考えてもみなかったフリーメーソンを作ったことが役立ったのである。畜生(非ユダヤ人)共御一同様の目を晦ませるべく、我々(ユダヤ人たち)がフリーメーソン・ロッジの「見世物」一座にやつらを惹きつけておいたのである。
神は与え給うたのである。我々(ユダヤ人たち)を神の選民に、離散という、贈り物をして下さったのである。それは、万人の目からは、我々(ユダヤ人たち)の弱さと映るが、我々(ユダヤ人たち)の強さは、離散より生れ来たったのである。それが今や全世界支配という戸口に到達しておる。
今や我々(ユダヤ人たち)が据えた基礎の上に築くべきことは、余すこと僅かとなっておるのである。
http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/463.html
シオン議定書(12)
「自由」という言葉には、いろいろの解釈があるが、我々(ユダヤ人たち)は、次のように定義する。・・自由とは、法律で許されたことをする権利なのである。この定義は、通常は 我々(ユダヤ人たち)だけに役立つ定義なのである。 なぜならば、法律というものが前に述べた計画に従って、我々(ユダヤ人たち)が思いのままに作ったり廃止したりできるものであるから、およそ自由と名の付くものは、すべて我々(ユダヤ人たち)の手中に有るのである。
新聞については次のように扱うのである。今日の新聞の役割とは 何か? それは、我々(ユダヤ人たち)の目的には有利な激情を爆発させ、燃え上らせることに役立つのである。さもなくば、諸党派の利己的な目的に役立つのである。新聞は、多くは 浅薄、不当、虚偽であり、大多数の(非ユダヤ人=畜生たち)人々は、新聞が本来何の役に立つのか考えようともしない。 が、我々(ユダヤ人たち)は、新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりと轡をはませるのである。 他の印刷物についても同様なのである。我々(ユダヤ人たち)が新聞の攻撃から免れても、小冊子や書籍の攻撃の的にされたままだったらどうなるか? 出版物の刊行は、今日ではそれを検閲するとなると大変金のかかることであるが、我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)の国家にとって得な財源に変えてしまうのである。新聞等の発行団体や印刷所に許可を出す前に、特別印紙税と[損害に備えての]保証金を納めさせるのである。これをやっておくと、新聞等のいかなる攻撃からも政府を守ることができるのである。我々(ユダヤ人たち)に対する新聞等の攻撃などがあろうものなら、我々(ユダヤ人たち)は、仮借なく罰金を科するのである。保証の形をとるこのような印紙税、保証金、罰金といった方法は、政府の大いなる財源となるであろう。政党の機関紙は、多額の罰金を取られても平気であろうが、以上の手を打てば、我々(ユダヤ人たち)に対して重ねて攻撃をした場合は、断乎発行禁止処分に付するのである。我々(ユダヤ人たち)が政府の不可謬性の後光に指一本でも触れようものなら、何人も無事ですむことはありえない。発行を禁止するには、何ら理由も根拠もなく公衆を煽動したという申立て理由を使うのである。一言御注意申し上げたいのは、我々(ユダヤ人たち)を攻撃するものの中には、我々(ユダヤ人たち)が設立した機関も含まれるということなのである。であるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は 我々(ユダヤ人たち)が予め改正しようと決めた部分のみを攻撃するのである。
一片の記事といえども我々(ユダヤ人たち)の検閲抜きには公表されることはないのである。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは、少数の通信社に世界中から集められ、そこから配付されるようになっておるのである。通信社は、追って完全に我々(ユダヤ人たち)の傘下に入り、我々(ユダヤ人たち)が許可したものだけが一般に供給されるようになるであろう。
今日すでに、我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共の社会の人心をうまく掌握しており、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)全員は、世界の出来事を、我々(ユダヤ人たち)が鼻にかけてやった色眼鏡で眺めておるに等しいとしたら、また、我々(ユダヤ人たち)には、畜生(非ユダヤ人)共の阿呆どもが「国家の機密」と呼んでおることに立ち入るのに障碍のある国家なぞ一つも存在せぬとしたら、全世界王という最高の統治者として認められた暁には、我々(ユダヤ人たち)の立場はいかがになるのであろうか・・・
話を新聞の将来に戻そう。誰であれ、出版人、司書、印刷人たらんとする者は、その資格免許証を取得することを義務づけるのである。その免許証は、何か過失があれば即刻取り消しとなるのである。こうしておくと、思想を伝えることが、我々(ユダヤ人たち)の政府の手中にある教育手段となるのである。この教育手段を講じておけば、(非ユダヤ人=畜生たち)国民大衆にもはや脇道や、進歩の有難みなどといったたわけた夢の小道に迷い込ませはしない。我々(ユダヤ人たち)の中には、ありもせぬその手の有難みは、(非ユダヤ人=畜生たち)人民と政府との間に無政府状態を生じさせる妄想に直通する道であることを知らぬ者がおるであろうか。如何となれば、進歩、いや、進歩思想は、あらゆる種類の解放運動を激励してきたが、限度ということを弁えなかったのである。いわゆる自由主義者は、実際はともかくとしても、思想に関しては例外なく無政府主義者なのである。自由主義者のどの一人も自由のお化けを追い求め、まっしぐらに放縦に、すなわち、反対のための反対という無政府主義に陥っておるのである。
定期刊行物の問題に移ろう。印刷物という印刷物に、一頁につきいくらという印紙税と保証金を課し、三十枚[六〇頁]以下の書籍は、その額を二倍にするのである。はやりのパンフレットは、その部類に入れるのである。一方で、雑誌の数は、減らすのである。雑誌というのは、有害印刷物の中では最低なのである。他方、著作人たちに、あまりにも長大で値段もはるのでほとんど誰も読まぬような本を書かざるをえぬように仕向けるのである。同時に、我々(ユダヤ人たち)の利益に適うように世論を導く我々(ユダヤ人たち)自身の刊行物は、廉価でむさぼるように読まれるのである。課税で無味乾燥な作家の野心は しぼみ、処罰が恐くて文筆家は、我々(ユダヤ人たち)の軍門に降りるのである。かりに我々(ユダヤ人たち)に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受けてくれる人間がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得ねばならないからである。これによって、我々(ユダヤ人たち)は、我々(ユダヤ人たち)に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われぬうちに抹殺することができるのである。
文学とジャーナリズムは、最も重要な教育手段のうちの双璧であり、それゆえに、わが政府は大多数の雑誌の所有主となるのである。このことは、独立系新聞の有害な影響を緩和し、公衆の精神に甚大な影響をもたらすだろう。・・・仮に十の新聞に発行許可を与えたとすると、我々(ユダヤ人たち)は、三十に及ぶ新聞社を設立するのである。しかしながら、(非ユダヤ人=畜生たち)公衆は、そんな事情は、夢知らず、考えてみようともしない。我々(ユダヤ人たち)が発行する新聞は、すべて、見た目には、反対の傾向や意見をもち、それゆえに我々(ユダヤ人たち)に対する信頼を深め、我々(ユダヤ人たち)にとっては、全き疑うことなき(非ユダヤ人=畜生たち)反対者を呼び寄せるのである。このようにして、我々(ユダヤ人たち)の(非ユダヤ人=畜生たち)敵対者は、罠にはまり、牙を抜かれるのである。
最前列に位置するのは、政府機関紙の性格をもった新聞であろう。この種の新聞は、常に我々(ユダヤ人たち)の利益を擁護するが、それゆえに比較的影響は弱いのである。
第二列に位置するのは、半官半民の刊行物で、なまぬるい無関心層を惹き寄せるのが役割なのである。
第三列に位置するのは、見た目には、全く我々(ユダヤ人たち)の反対者として設立されたもので、少なくともその紙上では、まさに我々(ユダヤ人たち)とは逆の立場に立つように見える論_説を掲載するであろう。そこで我々(ユダヤ人たち)の本当の(非ユダヤ人=畜生たち)敵対者は、この疑似反対論を真説と思い込み、自分の手の内のカードを見せてしまうのである。
我々(ユダヤ人たち)の新聞全体では・・もちろん、憲法が存続する間での話であるが・・およそ考えられる如何なる傾向も・・貴族的、共和国的、革命的、さらには無政府主義擁護的なものまでも・・持っておるだろう。・・・・インドのヴィシュヌ神の像のように、これらの新聞は、百本の手を持っていて、その一本一本の手が世論のどれか一つに指を触れるのである。脈拍が早くなると、これらの手は、我々(ユダヤ人たち)の目的に向って世論を導くのである。熱に浮かされた(非ユダヤ人=畜生たち)患者は、理性の判断力を失い、暗示にかかり易くなるのである。(非ユダヤ人=畜生たち)自分たちの陣營の新聞の意見を述べておると思い込んでおる阿呆どもは、誰ぞ知らない。我々(ユダヤ人たち)の意見や我々(ユダヤ人たち)が望んでおる見解を鸚鵡(おおむ)返しに唱えておるだけなのである。自分の党派の意見に従っておると虚しくも信じつつ、実際には、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に広げておる旗に従っておるだけのことなのである。
以上の意味で、我々(ユダヤ人たち)が新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織せねばならない。中央新聞局という名称のもとに、我々(ユダヤ人たち)は、文筆家の会合を設け、そこに我々(ユダヤ人たち)の覆面の(非ユダヤ人=畜生たち)代理人を送り込み、指令と当日の標語を示すのである。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をすることである。そして、ただ単に、当初の公式表明を補足する材料を提供する目的で、我々(ユダヤ人たち)の機関は、我々(ユダヤ人たち)の公式の新聞に対して見せかけの情報の一斉射撃を浴びせるのである。
我々(ユダヤ人たち)に対する集中砲火もある。これは、ほかの目的、すなわち、言論の自由は、まだちゃんと存在しておると納得させるに役立つ。我々(ユダヤ人たち)が(非ユダヤ人=畜生たち)代理人に、(非ユダヤ人=畜生たち)反対者たちは、我々(ユダヤ人たち)の指示に対して、実のある反対意見をこれっぱかりも示さなかったからには、我々(ユダヤ人たち)に反対する機関はみな空騒ぎしておるだけではないかと断言する材料を提供するのである。
公衆の目には感知されぬが絶対確実なこのような組織方法は、公衆の関心と信頼を、わが政府に惹きつけておくのに最高の方法なのである。この方法のおかげで、我々(ユダヤ人たち)は、公衆がどう受け取るかによって、必要に応じて時折、政治問題に対する感情を刺激したり鎮静したり、説得したり、混乱させたりする。今日は真実、明日は虚偽、事実に即して立論したと思えば、その反論を掲げたりするのである。だが、常に我々(ユダヤ人たち)は、足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べるのである。・・・我々(ユダヤ人たち)の(非ユダヤ人=畜生たち)敵対者は、前記の方法で新聞を操作することができず、十分かつ決定的な意見を開陳する新聞という最終的な手だてを欠いておる以上、我々(ユダヤ人たち)の勝利は、確実この上もないのである。よほどのことでもせねば、反論の必要もないくらいなのである。
我々(ユダヤ人たち)が新聞の第三列に放つ情報は、必要とあらば半官半民の紙上を通じて精力的に駁論を展開するのである。
フランス新聞界のみではあるが、今日でも、すでにフリーメーソンの連帯行動を物語る形態があり標語も持っておるのである。すべての新聞機関は、結束して職業上の秘密を守っておるのである。古代の卜占官さながらに、その成員は、過去に解決ずみの問題でない限り、情報源を漏らしたりはしない。ジャーナリストなら、ただの一人もこの秘密を暴露するような愚挙を犯しはしない。というのは、どの一人をとってみても、かねて過去に不行跡な事などをせぬ限りは、文筆仲間に入れて貰えぬからである。・・・秘密を漏らしたりしようものなら、直ちに過去の不行跡が暴露されるというものである。秘密が少数の間でだけ知られておる限りは、ジャーナリストの権威は、大多数の(非ユダヤ人=畜生たち)人々に行きわたり・・群集は、熱狂的に彼に従うのである。
我々(ユダヤ人たち)の計画は、特に地方に及ぶのである。いかなる瞬間にも首府に希望と欲求を浴びせられるよう地方の炎を燃え上らせることが必要不可欠なのである。我々(ユダヤ人たち)は、首府に向って、これが地方独自の希望であり欲求であると焚き付けるのである。当然のことであるが、地方世論の情報源というのは、同一無二のもの・・我々(ユダヤ人生たち)が指示しておるものなのである。必要なことは、我々(ユダヤ人たち)が十二分に支配力を得るまでは、我々(ユダヤ人たち)の代理人団(非ユダヤ人=畜生たち)が組織した多数者、すなわち地方の意見で首府を窒息させておくべきなのである。必要なことは、決定的瞬間には首府は、既成事実をとやかく言える立場にはないということなのである。それは、単純な理由であって、各地方の大多数の世論が受け入れておる事実だからであるのである。
我々(ユダヤ人たち)が完全な主権を手中にするまでの過渡期の新体制の時期まで進んだら、もはやどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は、載せさせないであろう。新体制下では(非ユダヤ人=畜生たち)万人が完全に満足しておるから犯罪を犯す者はいないと信じさせることが必要である。・・・犯行の真相解明は、被害者と、たまたま目撃した者だけに留めておくべきであって、それ以外には必要ない。
http://www.asyura2.com/13/cult11/msg/464.html
変動する地震数、日本で震度1以上を記録した地震数を半年ごとに1週間分を集計すると多少見えてくることがあります。
2013年の
6月22日から6月28日までの1週間:31回
2012年の
12月22日から12月28日までの1週間:47回
6月22日から6月28日までの1週間:50回
2011年の
12月22日から12月28日までの1週間:84回
6月22日から6月28日までの1週間:144回
2010年の
12月22日から12月28日までの1週間:39回
6月22日から6月28日までの1週間:17回
2009年の
12月22日から12月28日までの1週間:39回
6月22日から6月28日までの1週間:39回
また、2011年の3月11日の一か月前、つまり、2011年2月5日から11日までの一週間は38回でした。
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/entries?order=&desc=0&max_level=&p=677
(最後にある677という数字を変えるとその前後の日付の地震を見ることができます。日々地震が起こり、このデータベースに追加されていきますから、この数値はどんどん大きくなります。)
で見ることのできるこのデータベースの最も古い時期の1週間である
2008年7月25日から31日までの1週間では29回です。
上のデータから言えることは、311の地震の後の余震活動が今収まりつつあり、次の大地震へ向けて準備に入りつつあるということだと思います。
大地震が起こる前の半年とか数か月前には地震の静穏期が普通はあります。上の集計では1週間ごとなので、集計する期間があまりに短く、静穏期かどうかの判断はできないと思います。
311の前の地震静穏期は以前の記事である
過去の月別地震回数からの地震予知
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/736.html
投稿者 taked4700 日時 2013 年 3 月 11 日 14:36:28: 9XFNe/BiX575U
に述べてあります。
そこから関係すると思える部分を次に引用しておきます。
以下引用:
ところが、2011年1月は74回に減少し、2月は155回へ一気に増加する。74回と言うのは2008年8月以降で最も数が少ない。そして、2011年2月の155回と言うのは突出して多いのだ。ちなみに、2009年2月は105回、2010年2月は94回だ。
(途中省略)
注目するべきは、2011年3月の大地震の直前に減少(74回)と増加(155回)があったことだ。2013年の1月が183回、2月が248回がこれに当たるかどうかはよく判断が付かない。変動幅が小さいからだ。2012年12月は202回だから2013年1月の183回は一応減少している。しかし、2010年12月の106回から2011年1月の74回への約3割の減少に比べると2012年12月から2013年1月の減少は202回から183回なので約1割だ。増加についても、2011年1月から2月は74回が155回へ約2倍になっているのに2013年1月から2月は183回から248回なので、4割程度の増加だ。
しかし、ともかく、311の大地震後の月別地震回数が1年と半年程度経過したころから減少と増加を繰り返すようになっていることは注意するべきことのはずだ。そして、311の地震前のように、その変動幅が大きくなったらプレート境界型の大地震が近いと考えていいのではないだろうか。
以上引用終わり。
つまり、311の直前数カ月で地震の月別回数の減少と増加があったのです。現在は、まだこのような顕著な地震回数の変動は見られませんから、311のような海溝型の超大型地震はまだ起こらないということだと思います。
ただし、だからと言って、マグニチュード5から7程度の直下型地震や、日本の沿岸から200キロ以上離れた地震については分かりません。これらの地震については上のデータからはなんとも言えないと思います。
なお、本来は、次の大地震である南海地震の予知のためには、日本全国と言うよりも、西日本での地震回数の集計が必要だと思います。次回、これについてはきちんと集計をしてみたいと思います。
http://www.asyura2.com/13/jisin19/msg/166.html
去年コメントしあってる時に、解離性障害の疑いなんてなにもなかったです。 私自身自分で検証して納得してます。
けいこさん を 病気 扱いしだしたペリさんを見て、それまでペリさんを応援してた私たちは、けいこさんフォローをすぐに決断したのだもの。ましてや、チュップさんは 管理人さんにまで、言ってたよ。 いざとなったら、果敢な勇気のある女性です。
そのときのこと、知ってるから、チュップさんのためにコメントしてます。
病気の人を気違いあつかいする? むしろ、病気でないひとを病人扱いする危険性のことを、私は言ってます。ここが一番肝心でしょ?
共産党議員全員が国会質問で年次改革要望書や消費戻し税について追求していれば自民党くらい簡単に潰せたんだ。
思ってる人間には変われないのですよ〜、一人で生きているとか勘違いしてる人間は、
米国の指導力に翳りが見え、中国の台頭への警戒感が強まっている中で、そ
のマイナスを相殺する存在として、日本が捉えられているように見える。
勿論、それは「米国や中国などから日本に乗り換える」という意味では決してない
だが、安倍政権の方もそれに呼応するように、この半年の間で、国際社会の中
で日本の存在感が高まるように、計算して動いているように見える。
その大きな柱が「原発」なのは困ったことだが、相手国に需要があり、それに
応える形ではあることは確かなのだ。痛し痒し、と言ったところか。これについて
は、まず、国内で「脱原発」に持っていかなければ、状況を変えるのは難しいよう
に思える。
ただ、他のインフラなどの投資や援助は相当なものがあるから、先様の経済に
大きく貢献するだろうことは、まず確かだろう。尤も、「カネがあるなら、まず国内
に回せ」と言われれば、それまでなのだが。
この記事は、米・中・韓の3国だけを取り上げて、すなわち「日本の孤立化」と
指摘しているが、世界はこの3国だけではない。もっと視野を広げて全体として
どうなのか、意見を聞かせてもらえれば有り難いのだが、と思った。
ところがそこを、魚を離れないその水が何であるのか、あるいは鳥を離れない空が何であるのか、それをまず究めてからどちらへ泳ごうか、どこへ飛んでいこうか、そういうことを考えようとするような鳥や魚があるとするならば、魚は水の中にあってどちらへ泳いでいけばよいのか、その間題を解決することはできないし、鳥はどちらのほうへ飛んでいけばよいのかその間題を解決することはできない。
このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。
自己は自己を超えたものにおいて自己であるというその自覚を得れば自己の本来の命のありようというものがそこに実現するのだ。
このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。
水とともにある命、空とともにある命、それを自覚すれば、そのあり方そのものというものがおのずから実現して、真実そのものとして実現する。
このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑにかくのごとくあるなり。
自己は自己を超えたものにおいて自己を持つというその一真実。これは別に大きいとか小さいとかそういう問題ではないし、自分でもないし他人でもない。不動の実体的にあったわけでもない。自己を超えたものにおいて自己を持つということの自覚というのは、自己を対象的に捉えて自覚できることではないので分別を超えている。
「ひとり放送局」によると、放送法64条において、NHKが受信できる設備(テレビ・パソコン・ワンセグ)などがあると契約しなければならない(これだけはNHKと裁判で戦っている立花さんでも、どうにもならないそうだ、ただ、受信契約と受信料の支払いは別であり、不払いや支払い拒否は可能であるとのこと)
朝鮮はカイロ宣言で独立を約束されたので、この時点で朝鮮は日本が負ける
ことで戦勝国になりました。敗戦国じゃありません。
李承晩らアメリカなどで独立運動をしてた亡命者の手柄でしょう。
1941年12月8日に真珠湾攻撃を行い、約2年後にカイロ宣言が出されてますが
この時点じゃまだまだ日本にも勝てる可能性はあったのじゃないかね。
アメリカや中国としては、朝鮮人の戦争協力も欲しかったのでしょう。
1910年に韓国併合をし、朝鮮総督府に支配させてますがカイロ宣言まで
33年間の日本による植民地支配に過ぎなかったわけだ。
竹島は日露戦争のドサクサに島根県に編入してので、韓国から言えば火事場
泥棒だよね。竹島の編入の5年後に韓国全体が日本に編入されたわけだ。
それに朝鮮に選挙権があったわけじゃないから、敗戦国なんていえないでしょう。
ーーーーー引用開始ーーーーーー
前記三大国は朝鮮の人民の奴隷状態に留意し軈て朝鮮を自由且独立のものたら
しむるの決意を有す
(1943年11月27日 「カイロ」に於て署名 より)
閑話休題。
孫崎氏が述べているのはごく普通のこと、すなわち国家として真に独立すべきであること、そして国民と約束し支持を得た政権ならば国民の福利厚生に力を尽くすのが当然であること。逆に、アベ政権のさまざまな政策は国民を犠牲にして利権集団を温存し、米国・大資本の利益にのみ邁進し、そのことでアベは自身の保身を図っていることを見て判断すべきだと。至極真っ当な意見である。
シナ、シナと恍惚・梗塞老人=石原のように連呼するが、政情が安定すれば大気汚染や河川の汚染などで困難を極める中国は日本にとって大きなチャンスが生まれる。いつまでも米国の顔色を窺い続ける金魚の糞のような卑屈な姿勢を改めなければならない。
>40 利権温存第一 VS 国民の生活が第一
http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/44202931f6baeff93b73a3d47e4e8273
http://sun.ap.teacup.com/souun/9847.html
産業革命を10年前倒しすると科学の常識が反転するので,蒸気機関車からディーゼルそして電車に変遷したように,動力が電子蓄電やリニア電磁に変わる。そのために新幹線は時代の流れで変わることになる。もちろん脱リチウムや脱原発からエンジンレス車が中心になる。リチウムや原発はいらない。つまりイオンで噴射するロケットから電子で噴射するのに変わるのだから,実用化はもっと早い。但しアベノミクスで産業革命を10年前倒しすることが条件。
何を言い訳してるんだか。頭悪いくせにリベラルだとかぬかすなよな。
中国を怒らせると、米経済はめちゃくちゃになる。
なんといっても、中国は対米大債権国で、どこぞの国と違ってフリーハンドなのだ。
肉を切らせて骨を切る経済戦争をしかけたら中国の勝ち。
単純な話。
過去の慰安婦問題の比ではありません、原発を売りに行って女を買う、ベトナムで恥をかきすてたつもりでしょうが、そううまくはいきません。
こんばんは。
「こういった「未だ主観・客観の分かれる以前のその純粋経験の世界」を見るのは
当然「悟りの世界」にある者だけであり、悟っていない私などは、
どんなに月を見ようが花を見ようが、それは、ただ、単に私が見ている対象と
しての月であり花のままです。」
ここの、『「悟りの世界」にある者だけであり』、という認識が、その認識が、
何と言いますか・・・やや間違っている・・・と言いますか、
唯物還元論を世界中に布教した狂信に、我々が犯されている現状を物語っている
と言えるのではないでしょうか。
「悟っていない私などは、
どんなに月を見ようが花を見ようが、それは、ただ、単に私が見ている対象と
しての月であり花のままです。」という事を、おやじさまは「間違っていない」
ということで、「われ」を規定してのではないでしょうか。
当方が一貫してお話ししているところの、直達正観と言うところは、
世界をあるがまま見る、、と言うお釈迦様のお話しにもあるように、
我々は、世界をありのまま見ている・・・と信じて疑わないことを疑え、
と言う、我を照らすことから立ち上がってくる、「見ることへの誤解」
の発見についてお話ししております。
すなわち、世界をありのまま見ていると信じて疑わぬ、その我を疑えと。
我々は、素直に世界を見てはいない、という事を言っています。
一貫してお話ししております処の、「ものごころ」とは、乳幼児期における
世界認識の変化を指しているわけですが、「ものごころ」すなわち「物心」
であり、それまで「物体。物質」などと言う認識を一切持ち得ぬ世界観に、
登場してくる、「図と地」すなわち「物体と空間」という認知を指して呼ぶ
ものが「ものごころ」ではないでしょうか。
ものごころを抱く以前という自己においては、悟りであるとか、無いとかは
全く持って無縁であります。しかしそこには、物と空間に区別なく、
我とそれに区別なく、世界とは見えていることそのものである、それも、
いま大人である我々が「100%全員」が世界=我という意識状態にあった、
と言うことを言いたいわけです。
悟りに在る、悟りに無い、ことによって、「未だ主観・客観の分かれる以前の
その純粋経験の世界」に、自己が居る居ないが決しているのではない、
というのがここでの焦点であります。
では、その知覚、認知を決しているところの世界認識とは一体なんであるか
ということを、発見する、目からうろこの新・世界認識の思考様式とは、
なんであるのか、の入り口が、おっしゃるところの量子世界の認識である、
主客一致の認知、であることは間違いありません。
現代科学と称した狭窄視野セクトにおいては、「気の迷い」と言いたげな、
「量子世界の認識は、よく分からない」というお茶の濁し方に、我々は
慣れすぎてしまってはいないでしょうか。
それは、肉体を我と置いて、世界を空間と認知し、より小さいものが寄り集まって
より大きなモノを形作るという、全く説明になっていない世界認識に、
居心地は悪いが一応のコンセンサスを与えてお茶を濁す世界を後生大事に
しぶしぶ継続しているのが現代かと思われます。
繰り返しますが、「未だ主観・客観の分かれる以前のその純粋経験の世界」
に至るには、「捨てる」ことに拠るんだという仏教世界観からの要請に
応えるように、私たちが世界を観察する時に、「世界に修飾を与えすぎている」
ことに気が付くことを、一貫してお話ししておる処です。
その修飾・虚飾がなんであるのか。一言で言えば「他者の視線。直角の他者」だと
いう事になるのですが、この一言には、多少説明も必要かと思われます。
日本人が働いて築き営々と稼いできたこの国の富の大半はアメリカ資本に盗まれてしまい、日本国民は未だ貧民として耐乏させられ「日本文化だ」「世界遺産だ」という幻想を与えられゴマカされバカにされている
西武ホールディングスと筆頭株主・サーベラスの「攻防」を西武の幹部は「戦争だ」と語っていた。
あながち大げさとは思えないのは、西武が鉄道という公共事業を担っていて、広大な敷地を有する企業だからだ。
サーベラスの狙いはなるべく高値で再上場させて、一瞬にして巨額の利益を得ること。そのために、山口線の廃止など不採算路線の切り捨てやライオンズの売却を“迫った”のは、報じられている通りである。
サーベラスの理屈で「一時的な利益」に走れば、地域は大きな打撃を受けてしまう。だから、西武が拒否すると、サーベラスはまず、TOB(株式公開買い付け)で経営への関与を強めようとし、それが失敗に終わると、株主総会で8人の役員を送り込もうとした。
なりふり構っていられなくなった西武側はコールセンターを設置、1万3000人の個人株主全員に電話をかけて、支持を訴えるドブ板作戦に出た。それでも、今月25日の総会当日は延々5時間のロングランとなり、文字通り、死に物狂いで外資の株主提案を潰したのである。
こんなドタバタを見せつけられると、つくづく、日本の企業はこれからどうなってしまうのだろう、と思ってしまう。
◆いつのまにか日本中の企業が外資に
外資の攻撃にさらされているのは西武だけではない。ソニーは「物言う株主」として知られる投資ファンド、サード・ポイントに7%の株を握られ、グループ解体とエンタメ部門切り離しを迫られた。そのトップのダニエル・ローブは来日すると菅官房長官に面会、経産省、財務省、日銀などを回って、行動力と影響力を見せつけた。ソニーは慌てふためいているのだが、気が付けば、日本の大企業のほとんどが、こんなふうに外資に資本を握られてしまっている。
2012年度の株式分布状況調査によると、外国人投資家の日本株保有率は過去最高で28%になった。
日産自動車は72%、中外製薬は75%、新生銀行は55%、花王は49%、三井不動産は48%、スズキは48・5%……と、外資に握られている企業を挙げていけばきりがないのだが、その結果、どんなことが起こるのか。企業社会では、いつの間にか、外資の論理が当たり前になりつつある。グローバル化、合理化、効率化、スリム化といえば聞こえはいいが、要は「稼ぐが勝ち」の拝金主義だ。無駄なコストは極力切られ、工場は閉鎖され、人も切られ、雇用が消える。町全体がゴーストタウン化してしまうが、大メディアはそれをただすどころか、「物言う株主」になびいている。これじゃあ、サラリーマンはどうなるのか。日本の社会はどうなるのか。
◆自分勝手な大企業に優遇策は必要か
青い目の株主に利益をさらわれ、干からびてしまうのではないか。こんな懸念が浮かぶのだが、そうした危険性、大企業の無責任をズバリ、指摘したのが、大阪経済大客員教授の岩本沙弓氏が書いた「バブルの死角」だ。
〈輸出企業の儲けを自国民に還元してくれるのであれば別だが、ひたすら自社の利益だけを追求すれば、そういった企業や、そこで働く数少ない従業員にはメリットがあるとしても、圧倒的多数を占めるその他多くの世界中の中間層や低所得者層はひたすらその煽りを受けるだけである〉
こう書く岩本氏はいわゆるグローバル企業の専横な振る舞いを各国政府が認めてきたことこそが「世界経済の混乱と不公平の起因ではないか」と切り込んでいる。改めて、岩本氏に聞いてみた。
「戦後の日本は、大企業中心で経済が回ってきました。大企業が人を雇い、その下請けである国内の中小零細に注文を出すことで、日本経済が成り立っていたわけです。経済の血流であるお金を流していく重要な役割を担っていたからこそ、輸出企業などの大企業に対する優遇策が取られてきた。そういう側面が多分にあるはずです。優遇策はやがて国内の雇用や発注に結びつく。国内経済の循環に役立っていました。ところがここ十数年は大企業優遇の部分だけが残り、雇用の拡大や賃金の支払い、あるいは下請け会社への利益配分がないがしろになってしまった。優遇策だけが形骸化しているような状況ではないでしょうか」
そうなのだ。〈稼ぐが勝ち〉で、従業員の賃下げ、首切りしか考えないような大企業になぜ、法人減税や投資減税などの優遇が必要なのか。外資に食い荒らされ、日本の大企業はすっかり様変わりしてしまった現実を直視すると、アベノミクスとやらが「誰のためのものなのか」も見えてくるというものだ。
◆外資の理屈で日本の文化、自然が守れるのか
安倍は「クールジャパン」とか言って、日本の文化の輸出も景気対策の一環に挙げている。前の政権のときは「美しい国」と言い、今回も日本の美しいふるさと、自然などをやたらと強調しているが、どこまで本気か怪しいものだ。
成長戦略の核になっているのは、グローバル企業優遇、規制緩和大歓迎、つまり、外資のためのメニューがズラリだからだ。外資の席巻を奨励すれば、日本の文化や歴史、美しい自然なんて、吹っ飛んでしまう。
実は西武の幹部が「戦争」という言葉を使ったのも、自然が絡む。
「西武鉄道など鉄道3社とプリンスホテルで、西武ホールディングスは1億3600万平方メートルの土地を持っています。山手線の内側2つ分です。そのうち5000万平方メートルは山林や原野で軽井沢、富良野、雫石などです。こうした土地には美しい自然はもちろん、豊富な水源もある。外資に壊されてはたまらない。彼らが奮い立った裏にはこうした事情もあったようです」(事情通)
外資に言わせりゃ、そんな広大な遊休地があるのはもったいない、となるのだろう。売るか、ゴルフ場か、債券化か。そんな理屈を持ち出されたら、あっと言う間に自然は壊されてしまう。
TPPだって同じことだ。日本の農家が潰れてしまえば、田舎の田園風景そのものがなくなる。地域社会が崩れ、地方が過疎化してしまう。そうなりゃ、伝統文化も何もかもが壊されてしまう。
地方のシャッター通りをつくったA級戦犯は小泉構造改革だが、そこにTPPが重なれば、地方は完膚なきまでに叩きのめされてしまう。そのTPPで一番、得をするのは米国系グローバル資本の大企業なのである。
◆目先の利益を求めてもツケが来る
東大教授の鈴木宣弘氏(農政)はこう言った。
「グローバル化の本質は1%の人に99%の富が集中してしまうことです。そうしたグローバル企業は今だけ、金だけ、自分だけという論理で、短期的な利益を追求する。一部の人の目先の利益のために、99%の人が犠牲になるのです。その結果、地域は疲弊し、社会や文化は壊れてしまう。そんなふうにして、目先の利益を追ってどうなるのでしょうか。社会が崩れてしまえば、そのツケは自分たちに返ってくる。短期的には利益向上につながるかもしれないが、長期的には大きな損失になってしまう。そのことになぜ、日本の大企業や政治家は気づかないのでしょうか。こうしたグローバル化を推し進める最終仕上げがTPPなのです。安倍首相は口では日本の文化を守るみたいなことを言っていますが、デマカセです。本気でそう思っているのであれば、TPPを阻止しなければ矛盾する。いい加減な政権に高支持率を与えている国民もそろそろ気づくべきです」
国民が「富士山が世界遺産」で浮かれている間に、どんどん、日本は外資に食い荒らされている。それに気づかない日本人はホント、お人よしだ。もちろん、米国は安倍なんかどうでもよくて、外資が儲かる仕組みさえ作り上げておけばいい。その仕上げがTPPで、まんまと安倍は米国の罠にはまっている。
このままでは日本の企業は全部、米資本のグローバル企業の下請けになる。
頼むからお前のような考えの持ち主は福島で原発作業員として
一生働いてくれ。そうすれば将来どんな病気になろうが、保証をしなくて
済むから・・・
有田議員や安田氏のような「特定日本人」が「俺達に逆らうのは底辺層で異常なマイノリティ!」って言っても「底辺から上まで幅広い人が疑問を抱いてますけど?」と言われちゃうし、「アメポチの扇動に騙されるな!」と言っても「シナチョンの飼い犬がウォンウォン鳴いて構われたがってらw」と言われちゃうし。嘘・脅迫・報道しない自由 の3つを武器に何でもしてきたから、一度相手と同じ土俵に立たされると顔面フルボッコで何の抵抗も出来ないというw
2013年
1月183回
2月248回
3月159回
4月257回
5月200回
6月(28日まで)166回
ということで3月の減少と4月の増加が観察できますが、あまり大きな変動はないと思います。つまり、大きな地震の前兆現象としては判断できないということです。
「日本では原発続けましょう。プルトはOK。核兵器には転用しないと言う事で。」
との「現状維持」の「確認」でしょ。
MOX燃料を燃やして爆発させれば、ご存知”福一三号機核爆発”を福井県の原発銀座でやれるわけ。
それで日本は関西・中部は壊滅。千年の古都京都は無くなりまんねん。
でも、日本海側を本州東北部の太平洋岸のように汚染することは、
対岸のロシアも韓国も北朝鮮も許しはしないでしょうよ。
ロシアも韓国もそれに北鮮も(仲間はずれには出来ないわね)日本海に偵察機や潜水艦で米海空軍や自衛隊の動きや日本でのテロ工作活動をチェックしないと貴方達の国土も汚染されてしまいますよ。
新自由主義を標榜しながら、この大原則を曲げて延命させたところに、この国の病根がある。
なぜ、LALのように一旦倒産させなかったのか。
マスコミ嫌いのはずの阿修羅で何かしら紛らそうと必死になってる奴らが4匹いるんだが・・・笑
【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】NZで起きている「普通でない」M7の地震
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130628/dms1306280710003-n1.htm
2013.06.28 夕刊フジ
この1月から、ニュージーランドの首都ウェリントンの地下40キロのところでマグニチュード(M)7という大地震が「起き続けて」いる。
いや、群発地震ではない。たったひとつの地震が、半年もかかって、実にゆっくりと進行中なのである。
ニュージーランドは日本とよく似た地震と火山の国だ。日本と同様、太平洋プレートが東から地下に沈みこんでいる。2011年には大都市クライストチャーチの近くでM6・1の地震が起きて、日本人28人を含む185人が犠牲になった。
M7とは、この国に西欧人が入植して以来、最大の地震だ。普通の地震として一挙に起きれば、大変な被害を生じる可能性がある。しかし、いま起きている地震は、地下にある巨大な地震断層が、日々、ミリの単位で動き続けている不思議な地震なのである。
このような地震があることが分かったのは世界でもごく最近だ。いままでの地震計では捉えることはできなかった。精密で時間分解能もいい地殻変動の観測が行われるようになってはじめて、このような現象が起きることが分かったのである。
普通の地震計でさえ感じないのだから、住んでいる人たちは何も感じない。もちろん、被害もない。
普通の地震は地震断層が一挙に滑る。「一挙に」というのは、数秒とか十数秒以内という時間である。しかし、いま起きているニュージーランドの地震は、半年もかかっている。
実は、その2つの種類の中間にも地震があることも分かってきている。「一挙」ほどではないが、数分とか、数十分とかかかって地震断層が滑る地震である。
1896年に起きて東日本大震災よりも多くの津波による犠牲者を生んでしまった「明治三陸地震」は、この種の地震ではなかったか、と思われている。もちろん、当時は分からなかった。
この地震が起きたときに、沿岸の人々はせいぜい震度2か3しか感じなかった。そのうえ揺れがとてもゆっくりだったので、地震とは思わない人が多かった。
しかし、大津波が突然襲ってきて2万2000人もの犠牲者を生んでしまったのである。
つまり、この地震は、「震動」は小さかったが、津波だけが大きくなる地震だったのである。震源断層がゆっくり滑ると、このようなことが起きる。
ニュージーランドの地震は幸いなことに、もっとゆっくり滑っている。上に住む人々は、気味が悪いが我慢するしかあるまい。
このような「普通ではない地震」が巨大地震が繰り返す間にはさまっていて、巨大地震の繰り返しを左右しているのではないか、と思われはじめている。「次の大地震」を恐れている日本にも、ひとごとではないのだ。
■島村英紀(しまむら・ひでき)武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。理学博士。東大理学部助手を経て、北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。『直下型地震 どう備えるか』(花伝社)など著書多数。
●第4章 悲しき記録、広島・長崎の惨禍を見よ
★湯川秀樹ノーベル賞と原子爆弾との関係
この章では、主として原爆被爆者と国家との関係について記すことにする。しかし、私はすこし廻り道をしようと思う。それは、日本初のノーベル賞(物理学)学者である湯川秀樹について書いておきたいと思うからである。まずは、先に1度引用した中条一雄の『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』から引用する。
・・・私の高校の同窓生は、広島在住の有志が中心となって『ヒロシマと広高』という同人誌を不定期に発行している。そこには「被爆前から原子爆弾の存在を知っていた」とする2人の証言がある。1つは1997年8月発行のもので、同級の中野武彦君のものだ。彼は皆実町の高校の寮で朝食をとっている最中に被爆したが、全壊した食堂の残骸を押しのけて、やっとの思いではい出した。顔に深い切り傷を負っていた。その夜は近くの芋畑で野宿したという。
(被爆した夜、野宿していると)高校生の集団ができて、夜空になおも赤い炎をちらちら見せている市の中心部を見つめながら、私たちは時折元気づけに寮歌を歌っていた。ふと私は、京都帝国大学で物理学を専攻し、荒勝教室にいた義兄が、物知り顔に話していたのを思い出した。
「マッチ箱1個の大きさで、戦艦1隻すっ飛ばす爆弾があるんやデ。原子爆弾言うんや」
B291機か2機の爆撃で、これほど広範囲に被害を与え得る爆弾は、原子爆弾以外にないのではないか。そのことを持ち出したが、居合わせた化学を教えるH先生は、きっぱりと否定した。
「理論的には可能じゃが、いくらアメリカだって、まだそこまではいっとらんじゃろう」
けれどもやはりあれは、世界で最初に人類の上に落とされた、1発の原子爆弾だったのである。
これまた呉鎮守府の三井大佐の「京大・荒勝研究室(海軍)ニテ行ヒアルモ」と符合する。物理学者の間では、弁当箱とかマッチ箱とか、その大きさこそ違え原子爆弾は公然と語られていたようだ。・・・
私は、本書の1章を、日本の原子爆弾製造について書くべく、たくさんの資料を集めてきた。しかし、この構想は途中で断念した。この「マッチ箱1個の大きさで・・」の表現の中にあるように、日本の原爆製造は、ほんの初歩的実験ともいえない程度であったと知ったからである。日本の原爆開発を真正面から書いた本はないとはいえない。しかし、空想物語の域を出ない。何といってもウラン鉱石さえ、ほんの少量しか入手できていない。
国家が研究に投資した金額はマンハッタン計画の数万分の1もない。読売新聞社編『昭和史の天皇』の「原爆投下」の章を読めば、私の書いていることが事実であることがわかる。
この引用文中の「京大・荒勝研究室(海軍)」とあるのは、日本海軍が、京都大学の荒勝文策理学博士を中心とした研究室に原子爆弾の研究を委嘱したからである。陸軍は☆理化学研究所(理研)の仁科芳雄博士に研究を依頼した。「マッチ箱うんぬん」程度の研究であったと記しておく。この件で興味ある方は『昭和史の天皇』の「原爆投下」の項を是非読んでほしい。
『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』を続けて読んでみたい。あの★湯川秀樹博士が登場するからである。
(☆参考: http://blogs.yahoo.co.jp/sckfy738/23941835.html 「競馬放浪日録」)
・・・いま1人は私の中学、高校で2年先輩の永田泰次さんだ。2000年8月発行の同人誌の中で、やはり「広島に原爆が落とされていることがわかっていた」と次のように書いている。
「当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。原爆が投下される3ヵ月前の1945年5月のある日、冶金教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆製作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。そして、その第1回現地テストを広島で行なう予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした」
永田さんは西村教授の忠告にしたがって、両親をすぐに広島近郊の廿日市に疎開させた。おかげで両親は原爆の被害にあわなくてすんだ。この西村教授の忠告は、今や想像もできないくらい奇想天外ともいえる秘密情報だが、永田さんはこう言う。
「西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物理の湯川秀樹教授が座っておられた。それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ」・・・
私はこの文章に接したとき、「やっぱりそうだったのか」と正直思ったのである。これには理由がある。私は渡部悌治の『ユダヤは日本に何をしたが』(2003年)の中に書かれている、ある文章を思い出したからである。
・・・戦時中、日本で1日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱1つの大きさで戦艦1つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。しがし、その基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを1つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。・・・
この渡部悌治の「湯川秀樹論」については後述することにして、私が彼の本に書かれた湯川秀樹と関係する諸々の事実を調査していたとき、偶然とはいえ、中条一雄の文章に接したということである。中条一雄は次のように書いている。
・・・独自ルートで考えられるのは『もはや高地なし』〔フレツチャー・ニーベル、チャールズベイリー著、1960年〕の1節だ。原爆投下の約半年前の1945年初めごろから、1部の米学者の間から「原爆使用反対」の声が出て、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所だった。アーサー・コンプトン所長を中心に政治家や軍関係者に対し、さまざまな反対運動を繰り広げたようだ。その様子は「届かなかった原爆使用反対の声」という項目で詳しく紹介されている(同書111ページから119ページまで)。6月4日には「同研究所で対日原爆使用を阻止しようとして7人の科学者が会合を開いていた」とあるが、結局反対の声は通らなかった。
シカゴ大と京大、そして冶金研究所と冶金教室。冶金つながりに不思議な符合がある。学者の間では、あの戦時中でもスイスあたりを経由して、日米間でひそかに情報を交換していたという話もある。終戦後、西村教授か亡くなったのち、永田さんは同教授のご子息に「生前、こんな話を聞いていましたか」と尋ねたところ、「そんな話は一切聞かなかった」という返事だったという。だが、永田さんは、今でも日米間の「冶金つながり」を信じている。・・・
私は中条一雄のこの後半部分を読んで、先輩の永田に原爆情報を伝えたのは、間接的ではあるとはいえ、間違いなく湯川秀樹であったと思うに至った。アーサー・コンプトン所長を中心に、「日本に直接、無警告による原爆投下をやめ、事前に知らせてからにしろ」という反対運動が燃え上がった。アーサー・フランクによる「フランク報告」にその内容が詳しく書かれている。しかし、私は本書が莫大な頁数になるゆえに、学者たちの反対運動に触れなかった。これらの運動は、結局、原爆製造・投下の最高責任者スティムソン陸軍長官によって潰されるのである。
中条一雄は「シカゴ大学と京大、そして同じ冶金研究所と冶金教室・・」と書いているが、シ力ゴ大学の冶金研究所は、「原爆研究所」とは表現できないとのことからきた★偽名である。イギリスの原子力委員会が「管合金」という言葉を使ったのと同様の偽名である。京都大学は、このシカゴの冶金という言葉に倣った可能が高いと私は思っている。
湯川秀樹は戦争が終了してから3年たった1948年に『原子と人間』という本を出版している。その中に「アメリカ日記」が入っている。1939年10月3日の日記を見ることにしよう(英文の部分は私が和訳した)。
・・・10月3日(火)晴 稍々寒し(シカゴ)
午後零時30分汽車はシカゴ・セントラル駅着、船山氏の自動車で直ちにクォーディラングル・ヒルに向ふ。船山氏は私が昨日帰って来るかと思って迎へに行ったり、又コンプトン氏はディナーを途中で打切ってスティーブンス・ホテルヘ行ったりした由。
1時10過ぎホールに行くとコンプトン氏は既に待って居られて昼食を共にする。実に親切な、真面目な、頼もしい人である。丁度食堂にはデンプスター博士、マルキン博士、アリソン博士も居て一緒に賑やかに話する。それからコンプトン氏の案内でシェーンその他の人のやっているバルーンにカウンターを乗せて飛ばす実験装置を見せて貰う。バルーンはうすいゴムで22粁(最高)迄上る由。シェーンの最近の実験法は既にピス・レブュー(9月15日)に発表されて居るが、ソフト・コンポーネント(柔核力)が最高の度合いになる高さまで中性子によって作られる強分子は柔核力に比例して増す。これを中性子がフォトンであるとするとよく了解できる。・・・
湯川秀樹はコンプトンの案内で各種の実験装置を見て回る。そして、20人ばかりの関係者が集まった会議室で講演をする。その内容を翻訳して伝える技術を私は持たないので以下は省略する。
私はこのときから、湯川のコンプトンや他の学者たちとの交流が始まったとみている。
渡部悌治の『ユダヤは日本に何をしたか』に戻ろう。渡部は「軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬ」と書いているが、私が調べた範囲内で、日本の原子物理学の理論面での研究では、ある分野(中間子理論)では世界的水準に達してはいたと思えるが、どうも納得がいかない。日本の原爆研究で、アメリカにとって投に立ったものがあるとは思えない。
有馬哲夫が「月刊現代」(2008年1月号)で、「元CIA長官A・ダレスの『原爆投下阻止工作』の全貌」という記事を発表している。その中に、次のような文章がある。
・・・たしかにバーグは、ハイゼンベルクが1944年のクリスマスにスイスのチューリッヒにやってきて講演することを突き止め、現地に入り実際にそれを聴いている。だが、彼が12月30日に本部に送った報告書には、ナチス側の潜在的原爆開発者としてハイゼンベルク配下の科学者の名前があげられているだけだ。ちなみにそこには「キクチ(菊他正当時大阪帝大教授)」、「ユカワ(湯川秀樹、当時東京(ママ)帝大教授)」の名前も言及されている。・・・
私は、トマス・パワーズの『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』(1994年)を読み、ハイゼンベルクがたしかに、1944年のクリスマスにスイスのチューリッヒで講演をしている事実を確認した。しかし、このハイゼンベルクの生涯を追求した本の中に日本人の2人の原子物理学者の名前を発見できなかった。それだけではない。私はこの本を読み、ドイツの原爆は、他の本に書かれているのとは異なり、未完成であった、と思った。だから、私はドイツの原爆製造についてほんの少ししか書かなかったのである。
それでも、湯川秀樹には疑問が残る。ノーベル物理学賞受賞の理由は、彼の「中間子理論」による。この理論は仁科芳雄とその弟子たちが湯川秀樹に先んじて構想し、理論化しつつあったものであった。たしかに小沼進二編『湯川秀樹日記』(2007年)を読むと、湯川秀樹の中間子理論への情熱のすごさがうかがえる。彼は仁科芳雄たちに先んじて英文で書き発表した。アメリカの物理学者は彼を自国に迎えた。全米各地の大学で湯川は歓迎される。その様子を彼は「アメリカ日記」の中に書いている。
湯川は日本海軍の依頼を受けて、原爆研究に着手した京都大学の荒勝教授のもとで、理論面での原爆開発に協力している。私はこの理論面での原爆研究のデータがシカゴ大学のコンプトン研究所に何らかのルートで流れ、その見返りとして、広島に原爆を落とすというアメリカの極秘情報がコンプトン博士から湯川秀樹のもとへ伝わったと信じている。
小畑弘道の『被爆動員学徒の生きた時代』(2007年)から引用する。湯川秀樹が登場する。
・・・ところで、同じ市内にあった学校でも、農村部に疎開をしていて難を逃れたところもある。陸軍広島幼年学校と広島高等師範附属中学校である。
前者は、将校生徒を育成する目的で全国6ヵ所に開設された学校で、広島幼年学校(「広幼」)は、1897年(明治三〇)に開校された。〔中略〕疎開は6月に行われ、49期生と47期生が高田郡吉田町(現在の安芸高田市)に、また48期生が甲奴郡上下町(府中市)に移住していた。生徒の総勢は670名ほどであった。なお、疎開のことを陸幼では「転営」と言っていた。・・・
「幼年学校」といっても、現在の中学1年から高校生にあたる生徒たちであった。彼らは、第二総軍の畑元帥の命を受けて6月に「転営」となった。「6月」に注目したい。広島に原爆が投下することがほぼ決定したときである。畑元帥のおかげで彼ら670名は助かったが、広島高等師範附属中学を除いた学校の子供たちは、強制疎開という名の駆り出しを受けて死んでいったのである。ここにも畑元帥の奸計が読み取れよう。続きを引用する。
・・・一方、広島高師附属中学校は千田町(現在の広島大学千田キャンパス付近)にあり、ここも爆心地から1、5キロであり、疎開をしていなかったら大きな犠牲が避けられなかったところである。附属中学の1年生120人は賀茂郡原村(現在の東広島市)へ、2年生120人は豊田郡戸野村(東広島市)、また科学学級は比婆郡東城町(庄原市)へと疎開した。疎開の名目は、一応「農村動員」としていた。このうち科学学級というのは、44年2月にスタートした理数系に秀でた生徒を集めたもので、全国では東京、京都と広島にあった。戦況が厳しさを増すなかで、いわば速成で科学者の卵を養成しようとしたもので、湯川秀樹博士らの進言と軍の後押しで創設されたものである。生徒たちは動員に出ることなく、ずっと授業を続けていた。・・・
私はこの小畑弘道が淡々と書く文章を読みつつ、『原爆は8時15分に落ちたのか』を読んだときと同じ思いを抱いた。「湯川秀樹は原爆投下について事前に知っていた」と。
そしてまた次のようにも思った。「彼は間違いなく、日本の原爆研究のデータをコンプトン研究所に流し続けていた」と。そしてまた次のように思った。「少なくとも仁科芳雄と2人で受賞するべきノーベル賞が、湯川秀樹単独の受賞になった」と。
馬場重徳(科学者)の「仁科芳雄功績調書」(1946年2月11日の文化勲章授章のための功績調書として作成されたもの。日付不明)の中に「量子論に関する業績」が載っている(『仁科芳雄往復書簡集1 現代物理学の開拓』2006年)。
・・・殊に阪大の湯川博士の中間子理論には当初より多くの関心を示した。この理論は昭和12年、宇宙線中に予言されていた新粒子が発見されるに及んで、世界の学界の注目の的となったが、仁科博士は或いは研究室における宇宙線の実験的研究を以て協力し、或いは、関西と東京との理論的物理学者の会合を屡々主催するなど凡ゆる援助を惜まず、湯川博士の理論の完成に尽力した。・・・
ロバート・K・ウェルコックスの『ジャパン・シークレット・ウォー』(1995年)がアメリカで出版された。あたかも、日本が本格的に原爆製造に着手しているかのごとくに書いているが、丁寧に読むと、その製造がマンハッタン計画に比して、全くの初歩的なものであったことが分かるの
である。次のように湯川秀樹について書いている。
・・・荒勝は才能のある研究者のグループを持っていた。特に、1949年にノーベル物理学賞を貰った湯川秀樹がそのグループの中にいた。湯川は1939年以降、核分裂によるエネルギーの計算をし続けていた。湯川は世界での理論物理学の分野で有名な1人であった。荒勝はそんな湯川を彼の意のままに使ったのである。・・・
ウェルコックスの本の中に、海軍が京都大学の荒勝研究室に与えた研究費は1500ドルであったと書かれている。マンハッタン計画は20億ドル以上の金が使われた。この点から見ても日本の原爆製造物語は書く気にもなれない。しかし、戦後、湯川は原爆研究に関係したとは一切語っていない。彼は都合の悪いことはすべて封じ込めてしまった。
この頂の終わりに、湯川の戦後の活動について書いておきたい。
湯川は、朝永振一郎、坂田昌一との共著『核時代を超える』(1968年)の中で次のように書いている。
・・・世界平和を念願する人たちの活動の仕方は多種多様であった。しかし、それらの人々の出発点は同じだった。原爆投下、それからまた水爆実験があたえたショックは強烈であった。核兵器を廃絶し戦争を廃絶しなければ、人類の前途は暗黒だと直覚したのである。非常に多くの人々に共通するこの直覚を、最も簡明率直に表現したのが1955年のラッセル・アインシュタイン宣言であった。それは人類の良心の叫びであると同時に、新時代に処すべき人間の良識の具現でもあった。この宣言は、その最後において世界の科学者および一般の人たちに次の決議に署名するように呼びかけた。
「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしていくという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的手段をみいだすよう勧告する」
このラッセル・アインシュタイン宣言の呼びかけは無駄ではなかった。当時ほとんど不可能と思われていた東西両陣営の自然科学者の討議の揚が出現した。それが1975年の第1回バグウオッシュ会議であったのである。・・・
カナダにあるバグウォッシュという名のホテルは、「死の武器商人」であるサイラス・イートンが持ち主である。この会議は、朝鮮半島、ヴェトナム戦争で武器を売りまくり、巨万の富をつくった男が主催した会議である。
この会議の最後には巧妙な〔仕掛け〕があった。それはアイゼンハワー政権の副大統領であったリチャード・ニクソンを、会議が「次期アメリカ大統領にふさわしい」と宣言したことである。
J・F・ケネディは核実験反対を唱えていた。ニクソンは核実験継続を唱えていた。バグウォッシュ会議は続けられていくが、その費用は、あの原爆を広島と長崎に落とした連中が出し続けたものであった。
同じ湯川、絹永、坂田共著の『平和時代を創造するために』(1963年)の中で湯川は次のように書いている。
・・・それなら、その他の条件とは何か、また最終目標は何かという点になると、ラッセル・アインシュタイン宣言は、はっきりしたことは何もいっていない。ラッセルもアインシュタインも共に早くから世界連邦主義者であったから、おそらく両氏とも心の中では、最終目標として世界連邦のイメージを描いていたと思う。しかし多くの科学者の賛成を得るためには、そこまで飛躍しない方がよいだろうと判断したのであろう。私自身も世界連邦の理想には以前から大いに共鳴しているが、科学者の会議でそれをはっきりとだしてよいかどうかについては、いろいろと問題があったと思う。・・・
この本は1963年に出版された。湯川は生涯、世界連邦主義者として活躍した。
私はこの世界連邦主義を唱えた連中が、国際金融寡頭勢力から操られた人々であることを研究し尽くしている。その詳細は省くが、バートランド・ラッセルも、アルバート・アインシュタインも、原爆を日本に落とした金融寡頭勢力、ロックフェラー、モルガン・・・等の〔雇い犬〕であったと書いておく。
世界を1つの政府が支配するという思想ほどに恐怖に満ちた思想はない。原爆を落とした奴らは、この思想を平和思想という。私は平和とか平和主義とかいう言葉を嫌悪する。この西洋からたれ流された「ピース」を拒否する。私たちは汚れちまった「平和」という言葉に代わる、新しい思想を打ち立てて、世界連邦主義者たちに立ち向かわねばならない。
湯川は自分が原爆製造に関わったことをすっかり忘却し、ひたすら壇上から、平和主義と世界連邦を唱えた。
広島と長崎で死んでいった人々よ、広島と長崎で被爆し苦しみの中に生きていく人々よ、汚れちまった「平和」という言葉に代わる、ほんとうに美しい言葉を生き残った私たちに教えてほしい。あなたたちが心の中で叫び続けた言葉をこの私に教えてほしい。私は今から、新しく、美しい言葉を探す旅に出よう。
★湯川秀樹ノーベル賞と原子爆弾との関係 <了>
続く。
●第4章 悲しき記録、広島・長崎の惨禍を見よ
★元帥の述懐は「君!なるようにしかならんねェ」
私は原爆機「エノラ・ゲイ」が広島に原爆を投下するために、テニアン島を飛び立つ様子とか、どのように落としたとかを本書では書かなかった。まことに申し訳ないが、そのようなことを知りたい読者は、私がたびたび引用したゴードン・トマス、マックス・モーガン=ウィッツの『エノラ・ゲイ』、そしてこれから引用するジョセフ・マークスの『ヒロシマヘの7時間−原爆を運んだ12人の記録』(1968年)を読んでほしい。しかし、これらの本はすでに出版されて年月がずいぶん流れている。それでも、原爆投下の過程を書いた本は出ている。私は原爆投下の深層に迫りたいのだ。だから落ちた瞬間から描くことになる。
ジョセフ・マークスの『ヒロシマヘの7時間』1968年)から引用する。
・・・広島市民は閃光で目がくらんだ。「エノラ・ゲイ」の搭乗員と違って、これはかれらには予期しない出来事だった。
閃光に伴う音は全くしなかった。機の搭乗員も爆発音はなにも聞かなかったし、広島の人たちも音を聞いた覚えは全然ない。しかし瀬戸内海上のやや離れたところにいた漁夫は閃光を目撃し、爆発の轟音を聞いた。広島から少なくとも30キロは離れたところにいたのに、あの1発の爆発音はB29が8キロ先のまちを爆撃したときの音よりも大きかったと報告した。
広島では高空を飛行中の3機の爆音を聞いて、わざわざ上を見た人はごく少なかった。その少数の人たちは爆弾を見ることはできなかったが、奇妙な飛行機の動きには気がついた。1機が編隊を離れて右に急降下すると、他の1機は左に急降下した。それから3個のパラシュートが突然、花のように開いた。それは「グレート・アーチスト」から落された計測器類を積んだ包みだった。眺めていた人たちのなかには、これを編隊の1機が故障を起した証拠だと思って喜ぶ人もいた。かれらが、目撃した大事件から命拾いしたとすれば、現場からかなり離れたところにいたからにほかならない。市の上空3分の1マイルのところで起った閃光は、史上初めての人工熱風の目に見える証拠だった。〔ゼロ地点〕(爆発点真下の爆心地)の近くにいた人はすべてが瞬間的に、完全に灰と化した。
広島上空で爆発した原爆の効果は段階的に現われた。まず、ウラニウム235の2つの小さな塊りがいっしょになって臨界点に達し、ついで瞬時にして想像もつかないほどの熱と放射能を放出、そのとき、信じられない大閃光がひらめいた。その直後閃光から2、3秒後(〔ゼロ地点〕からの距離によって違う)に、この猛烈なエネルギーの放出によって、天地を砕くような衝撃が起り、続いて火炎と烈風、さらに熱火の嵐が巻き起った。
突然起った数百万度という高温の放出の効果はまさに驚くべきものだった。人も物も簡単に消滅した。なかには石の上に影を焼付けた人もいた。〔ゼロ地点〕から5百メートル以内のタイルや屋根瓦は簡単に溶けてしまった。雲母は溶けて花崗岩の墓石となった。・・・
これが原爆投下直後の〔ゼロ地点〕付近の地獄図であった。正直言って、広島の原爆資料館の展示は、あの瞬間の惨状を伝えていない。ただ、何もない投下後の写真だけが真実を物語っている。マークスの本を読み続けよう。マークスはこの惨状を冷静な眼でしっかりと見つめ、描き続けている。〔黒い雨〕も描いている。
・・・原子の火の玉と熱火の嵐は平地の大気を上空に吸いあげた。その大気が上空の冷たい空気の層に達すると、湿った空気は凝縮し、その1部が雨になって地上へ戻ってきた。それはふつうの雨ではなく、おはじきほどもある大きな黒い滝のような雨だった。この黒い雨は、降ってくるときに、ほこりと灰の雲を通り抜け、そこで黒い色をつけてきたのである。
広島の人びとは自分たちが原爆にやられたなどとはもちろん分っていなかった。パラシュートと閃光を見た人のなかには、かれらの上空でマグネシウム爆弾が破裂したと思った者もいた。うわさやもっともらしい理屈が広がった。市の上空にガソリンがまかれ、そこでマグネシウム爆弾が点火されたというのや、1種の毒ガスが使われたというのである。空気中には妙な臭いが漂っていた。無傷か、あるいは少なくとも致命傷を負ってはいないのに死んだ人も多いとみられた。しかし、医師たちには間もなくこれらの人たちが放射能で死んだのだと分った。
「リトルボーイ」のなかの少量のウラニウムは核分裂を起して中性子と、ベータ粒子と、ガンマ線を放出した。人間がこれらをあまりに大量に浴びると、細胞構造が変化し、その浴び方、その他の要素によって、死ぬか病気になる。・・・
私がこれから描こうとするのは、核爆発後の放射能とその放射能がもたらした死である。そして、放射能汚染はない、とするアメリカの主張に同意した日本政府の、否、国家の中枢にいた人々の動きである。原爆投下直後に運よく生き延びた人々も、放射能汚染で死んでいくのである。日本国家が彼らを見殺しにするのである。死に直面してかろうじて生きる人々に、「原爆患者は2度死すべし」と断言するのである。だから、この半世紀以上がすぎた過去を私は拳を握りしめて振り返ってほしいと思い、書き続けるのである。
ジョセフ・マークスは、この原爆投下の隠された重要点を暴いている。続けて引用する。
・・・爆弾を目標上空2千フィートの高空で爆発させた理由のひとつはここにあった。アラモゴルドの実験では、〔ゼロ地点〕から十分離れていても、そこにある土地や物体は放射能を浴びるようになり、それがしばらくの間続くということが分った。陸軍としては放射能でなく熱と爆風で被害を与えることを望んでいたので、爆弾は地上3分の1マイルの高さで爆発させることに決定した。しかし、医師たちは、〔ゼロ地点〕から半マイル以内にいた人たちの95%は放射能で死んだと推定した。医学専門家は、のちになって、ひどいやけどや爆風で傷ついた人の多くが、やけどや傷そのもののためではなく、放射能で死んだことを認めた。・・・
この記事の中に、原爆の恐怖が描かれている。爆心地近くで一瞬にして死んだ、ごく少数の人を除いて、多数の死者は、原爆投下後の爆風が静まった後に出たということを証している。ジョセフ・マークスが書いているように、もう少し上空で爆発させていたら、広範囲に放射能が拡散したことになる。
アルバカーキー・トリビューン編『プルトニウム人体実験』の中で、訳・解説の広瀬隆は、「ロバート・オツペンハイマーがエンリコ・フェルミに宛てた50万人殺戮計画の書簡」を載せている。
・・・1943年5月25日
イリノイ州シカゴ−シカゴ大学冶金学研究所
エンリコ・フェルミ様
放射能で食品を汚染させる問題について報告します。私はすでにいくつかの作業を進めています。また、エドワード・テラーが、あなたの直面している問題について話してくれました。
私がワシントンにいた時ですが、参謀総長がコナントに、放射性物質を軍事的に利用する方法について報告書をまとめるように言っていることを知りました。またコナントは、その報告のために資料を集めていました。そのため私は、グローヴズの承認を得て、有望と思われるその利用方法について彼(コナント)と話し合いましたが、具体的なことについて2、3説明した上で、その規模についての考えを述べました。〔中略〕
要点を申しますと、もしできることなら、もう少し計画を遅らせたほうがよいだろうというのが私の意見です(これに関連してですが、50万人を殺すのに食べ物を充分に汚染できない場合には、計画を試みるべきではないと考えます。というのは、均一に分布させることができないため、実際に被害を受ける人間がこれよりはるかに少なくなることは間違いないからです)。・・・
オッペンハイマー、エンリコ・フェルミ(シカゴ大学冶金研究所の総監督)たちは、単に原爆を投下するだけでなく、いかに多数の人々を殺害するかを考えていた。50万人殺害を狙うには、東京か、大阪か、そして京都しかなかった。グローブス将軍が最後まで京都を主張してやまなかったのはこのことを示している。
放射能に汚染された水と食料を口に入れて殺害する計画が見事に適中し、彼ら料学者たちは「快なり」と叫んだにちがいないのである。原爆投下による熱風だけでは死者が増えないことを投下前から彼らは知っていたのである。放射能汚染もいかに拡大するかに、「スペクタクル」の演出効果がかかっていた。そして、彼ら科学者の思惑は見事に現実となったのである。
私はたくさんの人々の記録を読んできた。しかし、本書ではいままで1つとして引用しなかった。引用する気になれなかったのである。原爆患者たちの手記や記録を読んで、私は彼らから、この本を書くエネルギーと勇気を与えられ続けたのである。
1つの物語を伝えたい。中国新聞社編『証言は消えない 広島の記録I』(1966年)の中から「この子を残して」という記事を引用する。林田奈々子さんは当時国民学校6年生だった。彼女は爆心地から1.3キロの天満国民学校で被爆した。奈々子さんは顔にケガをした。彼女の一家みんなも被爆する。
・・・苦労をみかねた奈々子さんは、広島女子商を中退して美容師になった。マシンひとつ、ドライヤひとつ、17平方メートル(5坪)たらずの小さな店。借金ではあったが、ともかく「奈々美容院」は開店した。客も少しずつふえた。昭和28年、奈々子さんは瀬戸彊さん(37歳)=広島西警察署勤務=と結婚。31年2月には長女真美ちゃんが生まれた。原爆で痛めつけられた1家に、やっとバラ色の末来が微笑んだとき、原爆は〔目まい〕というなにげない形で死を予告した。32年6月、奈々子さんは軽い貧血で倒れた。
近所の医者は「過労だ。4、5日でなおる」と言った。〔目まい〕はなおらない。やがて右手首の痛み、吐き気、歯茎からの出血−お歯グロのような黒い血は、原爆が届けた喪章だった。10月末、原爆病院に入院、翌年2月退院。同年5月再入院。そして翌年4月10日午前10時すぎ、死亡。
死の前日、幼稚園の制服を着た真美ちゃんをベッドにすわらせ、奈々子さんは「夕焼け小焼け」を歌った。翌10日「きょうが峠だ」と主治医が言った。家族、知人の輸血がつづく。ハチの巣のようになった堅い腕には、針が立たなかった。「手がダメなら足に、足がダメならここに・・」奈々子さんは訴えつづけた。「マミちゃん、マミちゃん」死ぬまでわが子の名を呼びつづけた若い母は「・・ネ、・・ネ」となにかを言おうと必死に繰り返した。ノドがクククッと鳴った。
マクラ元に大学ノート2冊に書かれた日記があった。
「マミよ、こんな病気の母をうらまないで・・。マミはきっとおとうちゃんのキレイな血をいただいているのよ。だから嘆かないで・・。そしておとうちゃんのような人と結婚するのですよ
死の床にあえぎながら娘と夫によせる一筋の愛。娘の血の中にまで〔原爆〕を見る母の苦悩−日記は『かえらぬ鶴』と題して出版され、原水爆禁止を願う母親の共感を呼んだ。・・・
この記録の中に奈々子さんの詩が1つ載っている。
・・・あまりにも残酷な
取り返しのつかぬ現実に
苦しみながら私は
生きぬかねばならない
近く終るであろうことを
察しながら ・・・
この悲しい記録の引用を続ける。
・・・広島市の西、三滝山の中腹に「かえらぬ鶴の碑」がある。遺族が昭和40年4月、「七回忌」に建てたものだ。碑文には奈々子さんの詩が刻んである。
「マミチャン、テンマヤ(広島市内の百貨店) ヘユコウネ」そう書いた母親は、約束を果たさずに死んだ。碑の前に立てば、近代ビルの立ち並ぶ50万都市が、夏の日をはね返す。今世紀最大の死が襲った当時のヒロシマは、どこへ行ってしまったのだろう。
「奈々子の苦しい戦いは終わった。しかし、私の苦しい戦いはいまもなおつづいている」
『かえらぬ鶴』のあと書きに、ミヤコさん〔奈々子さんの母親〕はこう書いた。ヒロシマが追憶の都市になっても、被爆者のケロイドが癒える日はない。・・・
この「奈々子さん」の記録には前文がある。ここで、その前文を記す。
〔昭和〕34年4月10日、皇太子ご成婚の日、皇居内〔賢所〕では午前10時から「結婚の儀」が 行なわれた。束帯姿の皇太子、十二単、紫の唐衣をまとった美智子妃。テレビは平安朝そのままの華麗な慶事を中継する。アナウンサーの興奮した声、テレビの前のため息・・同じとき広島原爆病院でひとりの被爆者が死んだ。骨髄性白血病、14年目に訪れた〔悪魔に魅入られた死〕だ。広島市福島町、瀬戸奈々子さん(旧姓林田)−妻として、母としてだれよりも生きつづけたいと願った27歳の女の死だ。・・・
この項の終わりに、有末精三中将と大屋角造中佐、そして畑悛六元帥の3人の出会いの場面を『終戦秘史 有末機関長の手記』(1976年)を通してみることにしよう。まずは大屋角造との再会の場面である。
・・・マンジリともしなかった1夜を明かしたわたしは、8日早暁7時過ぎ飛行場に行き、故李公殿下無言の京城ご帰還をお見送りした後、とりあえず自動車で広島北方の双葉山にある第二総軍の司令部へ向った。
途中、完全に焼けた街の道路、遮ぎる何ものもない両側に四ツ脚を虚空にふんばって斃れている数頭の馬の死骸、多分爆風に煽られて斃死したのだろう、いかにも被害が瞬間的だったその猛威を思わせられた。
市内北端に近い学校だった第二総軍司令部に立寄ったところ、ワイシャツ姿の大屋角造中佐参謀(第44期、さきに第二部米英課の課員、わたしの旧部下)が、かいがいしく焼け跡の見えるガラス窓のこわれた中で課内の残務整理(?)に任じていたのに会った。被爆当時の模様の実相を聞きながら、双葉山の中腹防空壕側の司令部に案内された。・・・
では、今度は畑俊六元帥に会う場面を引用する。
・・・10日早朝、双葉山中腹の総司令官宿舎に畑元帥を訪ね挨拶に行った。ソ連参戦のため急ぎ東京へ帰るべく、原爆の調査研究の一切は仁科博士一行に委任する旨報告したところ、元帥は当然至急帰京をすすめられ、独語のように、
「君‥ なるようにしかならんねエ」
と短い言葉を洩らされた。元来、元帥は昔から頭が俊敏で、先きの見透しのよいことで有名であった。わたしも参謀本部の演習練で勤務の折、隣りの作戦課長だった元帥(畑大佐)の評判をよく聞いていた。「5千メートルしか届かない砲弾を、7千メートルも先きの目標に向って 発射するような計画には絶対不賛成」といった性格の方であった。その元帥の独語を聞いて、わたしは心なしか和平への予感めいたものを感じたのであった。・・・
私は有末中将のこの2つの文章を原稿用紙にペンを走らせつつ思ったことがあるので記すことにする。それは「備えあれば憂いなし」という格言であった。ワイシャツ姿の大屋角造中佐参謀は原爆投下時間を予知するという「備え」をしていたから無傷であった。畑悛六元帥も、窓のない部屋の中央に座り、「備え」をしていたから無事であった。
私は読者に伝えたい。国家の奸計に備えをもって、日夜生きよ、と。そうすれば〔憂い〕は多少は消えるであろうと。そのために、国家の奸計に対し、〔あかんべえ〕の心を常時持つがいいと。
それにしても有末は妙なことを書いている。「5千メートルしか届かない砲弾を、7千メートルも先きの目標に向って発射するような計画には絶対不賛成」と。まさに、その通りであった。あの日、「エノラ・ゲイ」は、照準点の相生橋から50マイルのところを、高度3万8000フィートで飛びつづけており、2、3マイル後方を2機の観測機が追っていたのだ。広島の高射砲がたとえ、その3機を発見し空中に飛んだとしても「とんで火に入る夏の虫」で、届かないのであった。
「君! なるようにしかならんねエ」
もう1つ、有末は謎めいたことを書いている。「その元帥の独語を聞いて、わたしは心なしか和平への予感めいたものを感じたのであった」と。
有末は「第二総軍の使命が原爆投下で終わり、これから和平交渉に日本は入ることになった」と書いているのである。
「君! なるようにしかならんねエ」
この言葉こそが第二総軍が設立されたときに間違いなく畑悛六が発し、原爆投下後にも彼が発した言葉である。
私は瀬戸奈々千さんの詩と畑悛六の独語の中に、人生の悲哀を感じた。瀬戸奈々子さんの記録を原稿用紙に写しながら、私は溢れる涙を止めることができなかった。有末精三の文章を原稿用紙に写しながら私は、憤怒の情に心をわなわなと震わせていた。
ここで、どのくらいの人が広島原爆で死んだのかを記すことにする。正確な数は現在でも判明していない。
1946年8月10日付の広島市調査課がまとめた資料によると、死者数は11万6661人。被爆1年後の死者数である。被爆1年以内は10万7346人となっている。しかし、軍人の死者はこの中に入っていない。1945年12月10日提出の第二総軍参謀の報告によれば、6028人。ここでも第二総軍は死者数を隠している。軍人・軍属は被爆当時9万人を超えていた。少なくとも2万人以上の軍人たちが死んでいるはずである。それに、莫大な生ける屍と化した(表現は悪いと思うが)被爆生存者がいる。この数も正式に判明していない。
瀬戸奈々子さんも原爆で死んだ人なのである。平成の今日でも、原爆死は続いている。
「君! なるようにしかならんねエ」ですまされる問題ではないのである。
「マミチャン、テンマヤヘユコウネ」の母の約束を破った奴の正体をあぶり出さねば、私の気はおさまらないのだ。
★元帥の述懐は「君!なるようにしかならんねェ」 <了>
>降灰のほとんどない場所に住んでいる
確かに、あまり降灰で被害を受ける地域ではありません。
ただ、一応、ある程度の確認はしたのです。
火山灰で電線が切れるかとか、ショートするかということについては、鹿児島県庁に勤めているという方にも確認したことなのです。でも、自分が確認したのは立ち話でしたし、その方がある程度そういったことに関係した仕事をされているとのことではあったのですが、それでも精通されているというわけではないでしょうから、自分の言い過ぎだったと反省しています。
http://www.youtube.com/watch?v=DguBcLpWBS0
運転手が振り返りつつ、二発目を打っている状況が説明されています。
右手でステアリングを、左手でガンを。
英語が不得手な方は、自動字幕をオンにすると文字にしてくれるので分かり易いです。
グッキーさんももう、こうして、不毛に、やりあうと、身体によくないです。
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/151.html
ソ連が米国を日本の核攻撃から救った (ロシアの声) …昭和20年8月の話
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/406.html
国賊、湯川秀樹博士がユダヤからノーベル賞をもらえた真相!! ノーベル賞はカスの賞!!(意識の宇宙)
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/323.html
〉3.11地震は14:46,15:06,15:26,15:46と20分の規則で4回全てがM5以上の地震。 震の中の3回がM7以上の地震で、こんなに地球の自然的な地震としては不自然 はないことは、地震の国の普通の日本人なら誰でもわかる。 震は、2地点以上の複数地点で同時や1秒違いで破断・破壊が始まらない、とい 災も東日本大震災も複数地点が同時に壊れて揺れたのが不自然と有名らしい。
南米大陸が西に400KM移動しますーその前兆は出現しました、現在数キロ移動しました。
400kM移動すると日本の南北での二つの大地震M9+津波20-30Mの後にニューマドリッド大地震M9が起きるのがタイムラインですーまだ続きますが ポールシフトまで
現在インドネシアは沈降しています、ジャカルタは沈降し、海水が侵入して、海洪水になっていますー半分の面積も
スンダプレート自体が沈降し、回りの国ーヴェトナム南部、タイ南部、マレーシア、シンガ、ポール、スマトラ、インドネシアも海に引きずりこまれています
太平洋プレート圧縮のためマリアナプレート→フイリッピンプレートが傾いています
例えば、フイリッピンの東は上昇し、西は沈降しています 西は海洪水です
各国当局は★雨も降らないのに雨のせいにしています。
地球の温暖化はco2ではなくーこれも惑星Xの接近のためです
惑星Xの接近のため、地球のコアが攪乱され、海 陸の下から熱化していますね、海底火山もーメタンハイドレードも溶けかかり、現在泡になり上に
それとシベリアなどでは地下からの熱で永久凍土の融解が起きていますよね、それと★毎日の地球の「ぐらつき」ーこれは2004年から始まり、毎日おきています ひどくなりました。
ロシアの雪、ヨーロッパの洪水、米国の雪、嵐などはそれが真の原因です、エルニーニョ現象もねーこれは海底噴火が原因です。それで不定期なのです。各地で新記録更新ばかりです
ロシアの火球は惑星X由来のモノでした。太陽の方向からきました。
ロシアがミサイルで分断しました。ビデオを見ると解ります
なおロシアと中国は米国のオバマ大統領の★惑星X発表を後押ししています。プーチンは独立TV局を認可しました。
http://poleshift.ning.com/profiles/blogs/7-of-10-status-as-of-june-20-2013
市民に国を頼らずポールシフトへの対策をして欲しいので、中国は奥地にエリートのためのゴーストシテイを作っています。100万ー1000万人規模のー検索して下さい。
ロシアはウラルに掩蔽壕を
中国の“毒食品騒動”が止まらない。先月、中国南部・広州市周辺で流通する米の半分近くが、カドミウムに汚染されていたことが判明した。カドミウムは四大公害病のひとつ、「イタイイタイ病」の原因物質として知られる有害物質だ。中国国内では、汚染された“毒米”を避けようと、北部で生産された米や、輸入のタイ米を買い求める消費者が増え、値段も高騰している。
ところが、中国で大問題になっているこの“毒米”が、日本では「安全」とされ何の問題もなく流通しているというのだ。どうして、こんなことになっているのか――?
現地からの報道によると、中国のカドミウムの安全基準値は、1キログラムあたり0.2ミリグラム。広州市周辺に流通して問題になった米からは、0.21〜0.4ミリグラムのカドミウムが検出され、これを食品薬品監督管理局が発表して、市民が大騒ぎになった。
だが、これを日本に当てはめてみると、日本の食品衛生法で定められたカドミウムの安全基準値は、1キログラムあたり0.4ミリグラムだ。中国の基準値の2倍の数値にあたる。だから、中国の“毒米”も、日本の基準に合わせれば、まったくの「安全なお米」ということになってしまうのだ。現在、中国では0.2ミリグラムを超えるカドミウムが検出された“毒米”は流通できない。では、それらの米はどこへ――? そう考えると、日本へ入ってきても不思議はない。
海外から食品を輸入するときは、検疫を通る。ここでよく中国からの食品に違反が見つかっているのだが、厚生労働省の食品安全部監視安全課に聞くと、「(輸入)米のカドミウムの検疫基準は、国内と同じ0.4ミリグラムです」とのこと。ということは、中国で違反とされた“毒米”も、日本の基準値以下であれば、堂々と入ってこられるのだ。重ねて厚労省に聞くと「その可能性はある」と、あっさり認めた。
日本では「安全」とされた米でも、中国では違法の“毒米”とされる現実……。ひょっとしたら中国の人々は、日本の米を指さして、こうわらっているかもしれない。「日本人が食べているのは、毒食だぞ」と――。
取材・文/青沼陽一郎(ノンフィクション作家)
うーん…日米地位協定をして、この国が「主権国家だ」とは、
ものすごい違和感がありますな・・・
宗主国の立ち位置は、自分とこではやだかんね、実験動物の居る場所に
押し付けちゃえ、ではないでしょうか。
植民地日本でプルトを使わないんだから、いつでも宗主国において、
ジャイアン形式で「お前のものは俺のもの」と言えばいいだから。
プルトを「燃料」などと誤魔化していると、日本にプルト困る、って
表向き言うけど、ひとたび「それ兵器ね」と言えば、地位協定にのっとって
「俺のモノ」に変身するでしょう。
核弾頭のプルト、更新すんだから秘密裏に持ってくよ、オレんだから黙れ。
これが軍産複合体が牛耳る、米軍の基本姿勢でしょ。
日本国内のどこでも、好きに毒物捨てていた事実を、知らない訳でもあるまいに。
歴史を忘却する日本人(笑)
>「俺達に逆らうのは底辺層で異常なマイノリティ!」って言っても「底辺から上ま
>で幅広い人が疑問を抱いてますけど?」と言われちゃうし、「アメポチの扇動に騙
>されるな!」と言っても「シナチョンの飼い犬がウォンウォン鳴いて構われたがっ
>てらw」と言われちゃうし。
君の言う一般人は白人の飼い犬でいたいのね、でチョン。
時間を逆戻ししするのは不可能だから、まず世界を完全破壊しないと新世界は開けない
アカイ旗持ってる豚ゴミに壊されるってこと分かっていてコメントしたなら相当の悪だな>>14並に 笑
自分が信じたくない結果は不正(笑)
自分が信じたくない反論が来るのはバイト?(笑)
自分の親分の意見だけが正しい(笑)
恥かしくないですか?(笑)
なぜ証拠出さないの?(笑)証拠あれば全て解決でしょ?(笑)
信じているものが崩壊するのが怖いから責任転嫁(笑)
証拠探して、正面から向き合いましょう。(笑)
君の両親泣いてるよ。
ポストさんの感じるここのところは、「銀河連邦」と名乗るこの人たちが画策したことです。
コブラ・・・”イベント” 2013年5月10日 抄訳
↑このNESARAと呼ばれている法がもうすぐ施行されるかもしれません。
ポストさんは宇宙人詐偽と思われるかもしれませんが、くそじじい達が画策したグレイ型インチキ悪徳宇宙人ではありません。
あとディスクロージャーやらフリーエネルギーについてはこちらのサイトにいろいろ書いてありますのでぜひご覧ください。
(シオンの議定書やくそじじいについても詳しいですよ(笑)
ふるやの森
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/0?guid=ON
戦前日本の原爆開発史
(最新見直し2005.10.7日、只今学習中故云々)
(れんだいこのショートメッセージ)
ここで戦前日本の原爆開発史を確認しておく。「(ウィキペディア)日本の原子爆弾開発」、鬼塚英昭著「原爆の秘密 (国内編)」その他を参照する。
2011.7.30日再編集 れんだいこ拝
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【戦前日本の原爆開発史】
戦前、軍部には二つの原子爆弾開発計画が存在していた。陸軍の「ニ号研究」(仁科の頭文字より)と海軍のF研究(核分裂を意味するFissionの頭文字より)である。これを確認する。(理化学研究所「理研八十八年史より - 二つの「計画」、福井崇時「日米の原爆製造計画の概要」その他を参照する)
陸軍のニ号研究・F研究の経緯
1938年、ウラン鉱山の開発が行われる。
1940年、理化学研究所の仁科芳雄博士が安田武雄陸軍航空技術研究所長に対して「ウラン爆弾」の研究を進言したといわれている。研究には理化学研究所の他に東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学の研究者が参加した。
1941.4月、陸軍航空本部は理化学研究所に原子爆弾の開発を委託した。
1942年、アメリカ合衆国によるマンハッタン計画が開始される。
1943.1月、同研究所の仁科博士を中心にニ号研究が開始された。この計画は天然ウラン中のウラン235を熱拡散法で濃縮するもので、1944.3月に理研構内に熱拡散塔が完成し、濃縮実験が始まった。ニ号研究に投入された研究費は、当時の金額で約2000万円であった。ちなみに、アメリカのマンハッタン計画には、約12万人の科学者・技術者と約22億ドル(約103億4千万円、当時の1ドル=4.7円)が投入されている。
海軍のF研究の経緯
1941.5月、京都帝国大学理学部教授の荒勝文策に原子核反応による爆弾の開発を依頼したのを皮切りに、1942年には核物理応用研究委員会を設けて京都帝大と共同で原子爆弾の可能性を検討した。こちらは遠心分離法による濃縮を検討していた。
当時は岡山県と鳥取県の県境に当たる人形峠にウラン鉱脈があることは知られておらず、1944年から朝鮮半島、満洲、モンゴル、新疆の地でもウラン鉱山の探索が行われたが、はかばかしい成果がなかった。同年12月に日本陸軍は福島県石川郡石川町でのウラン採掘を決定、1945年4月から終戦まで旧制私立石川中学校の生徒を勤労動員して採掘させた。しかし、そこで採掘される閃ウラン鉱・燐灰ウラン石・サマルスキー石等は、ごく少量であり、ウラン含有率も少ないものであった。一方、日本海軍は、中国の上海におけるいわゆる闇市場で130kgの二酸化ウランを購入する。
当時、チェコのウラン鉱山がナチス・ドイツ支配下にあったので、ナチス・ドイツの潜水艦(U-234)による560kgの二酸化ウラン輸入も試みられたが、日本への輸送途中でドイツの敗戦となり、同艦も連合国側へ降伏してしまった(この点に関して、詳細はU-234及び遣独潜水艦作戦の項目参照)。こうして、どちらにせよ原子爆弾1個に必要な臨界量以上のウラン235の確保は絶望的な状況であった。
また、技術的には、理化学研究所の熱拡散法はアメリカの気体拡散法(隔膜法)より効率が悪く、10%の濃縮ウラン10kgを製造することは不可能と判断されており、京都帝国大学の遠心分離法は1945年の段階でようやく遠心分離機の設計図が完成し材料の調達が始まった所だった。
原爆の構造自体も現在知られているものとは異なり、容器の中に濃縮したウランを入れ、さらにその中に水を入れることで臨界させるというもので、いわば暴走した軽水炉のようなものであった。濃縮ウランも10%程度ものが10kgで原爆が開発できるとされており、理論自体にも問題があった。しかし、1999年9月の東海村JCO臨界事故は、この構造で爆弾にはならないが、殺傷可能な兵器になることの悲しい証明となった。
1945.5.15日、アメリカ軍による東京大空襲で熱拡散塔が焼失したため、研究は実質的に続行不可能となった。その後、地方都市(山形、金沢、大阪)での再構築をはじめたが、同6月に陸軍が研究を打ち切り、7月には海軍も研究を打ち切り、ここに日本の原子爆弾開発は潰えた。原爆投下の直後の1945年8月14日のポツダム宣言受諾時、日本の原爆開発は最も進んだところでも結局は基礎段階を出ていなかった。
常石敬一「原爆、七三一、そしてオウム」『AERA』1995年8月10日号(No.36)増刊「原爆と日本人」、P58〜59。なお本稿で常石は湯川秀樹が戦後に米軍から原爆開発の実態について尋問を受けたと記している
^ http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htm
^ 日本の核保有、外務省幹部が69年に言及か 西独と懇談朝日新聞2010年11月30日
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【戦前日本の原爆開発史】
平野貞夫氏が、「昭和天皇の極秘指令」の中で、戦前日本の原爆開発史を記述している。非常に興味深い裏舞台を明らかにしている。
日本は、米国に遅れること1年後の1940(昭和15).4月、原爆開発研究に着手する。1941(昭和16).4月、航空技術研究所長の安田中将が、理化学研究所の大河内正敏所長に「原爆製造に関する研究」を正式に要請した。仁科芳雄博士が責任者となり、研究を進めて行った。1943(昭和18)年初め、東条英機首相兼陸相が、川島虎之輔大佐に「アメリカとドイツで原爆製造計画が相当進んでいる。もし我々が遅れたら戦争に負ける。ひとつお前が中心になって製造を進めろ」との指示を与えている。陸軍は、仁科博士の研究をサポートしながら原爆開発に乗り出していくことになった。その研究は、仁科博士の「仁」をとって「二号研究」と呼ばれた。海軍の原爆開発は、1943(昭和18).5月、京都大学の荒勝文策教授に原爆開発研究を委託したことから始まる。しかし思うように進捗せず、1945(昭和20)年初め、仁科研究室に開発の協力依頼し、「F研究」を立ち上げる。
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【戦前日本の原爆開発史】
平野貞夫氏が、「昭和天皇の極秘指令」の中で、戦前日本の原爆開発史を記述している。非常に興味深い裏舞台を明らかにしている。
昭和天皇が、原爆開発研究を快く思わず制約し始めたと云う。1945(昭和20).2月当時の海軍航空本部嘱託で、ウランについての情報を担当していた岩田幸雄氏は次のように証言している。杉山元・元帥が私邸で岩田氏に話した内容とのことである。杉山元帥は次のように語った(出典は、出雲井晶編著「昭和天皇」)。 「岩田君、君は軍籍の無い一民間人であるにも拘わらず、この戦争では日本軍の為に挺身して偉大な貢献をしてくれ心から感謝している。その労苦に報いるためにも、一日も早く新兵器(原子爆弾)を開発し、劣勢を挽回すべく懸命の努力をしていたが、事情があって残念ながら新兵器製造は中止した。実は御上(天皇)から強いお叱りを受けたのだ」。
概要「自分としては猶予は赦されず、製造を急がせていた。そして完成すれば最初にハワイに落とし、その威力を示し、戦況を日本軍有利に導く計画であった」。
概要「日本が原爆開発を本格化させた段階で、当時首相だった東条英機がその旨を昭和天皇に上奏した。東条首相としては、『戦局は極めて困難な状況下にあり、起死回生の決定打として、天皇にお喜びいただけるものと思って申し上げた』のだが、昭和天皇は『意外に強い口調で反対された』」。
概要「昭和天皇のご叱責は次のような観点からのものであった。『数カ国が、新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡させることになる。それでは人類滅亡の悪の宗家になるではないか。またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには、日本の同胞が多数移住し、現地アメリカ人民と共に苦労し、今日を築き上げたところだ。そのような場所に新兵器を製造することには賛成できない』」。
概要「天皇陛下のそういう態度に接して、東条首相は、天皇陛下のご意志に反することは出来ないと尻込みし始めた。私は、敗戦となれば日本が滅びてしまい、全てをなくしてしまう。そう考えて製造促進を主張した。次のように述べた。『参謀総長の立場に在る者として日本を敗戦に導くことはできない。戦争とは結果に於いて勝利を導くことが肝要であり、今の日本は手段を云々できる時ではない。勝てば天皇にお喜び頂けるに違いない。そして天皇が希求される世界平和を実現できるではないか』。私はこういって東条首相を説得したが、結局同意は得られず、1944(昭和19).2月に参謀総長の座を東条に譲り、野に下った」。
概要「ところが、同じ年の7月、東条内閣が総辞職して小磯国昭内閣が誕生し、私は再び陸軍大臣として入閣した。復帰した私は、秘密裏に再度原爆の開発を急がせることを決定したのだが、新兵器を積むロケットの燃料製造過程で誤爆事故が突発し、再び昭和天皇の知られるところとなった。天皇陛下に呼ばれた私は、『まだやっていたのか!』と強く叱責され、誠に面目なく、これ以上開発を進めることは出来なくなった」。
概要「私は、日本が勝っても負けてもこの責任はとる覚悟だ。例え勝てたとしても天皇陛下の大御心を煩わせた罪は万死に価する。更に、多くの部下をしに至らしめた責任から逃れることはできない。ここで話した事は誰にも話さないでくれ給え。このことを知っている者は天皇陛下と東条と自分だ。いずれにしてもその時が来れば自決してお詫びする覚悟だ」。(杉山元帥は、杉山メモを残し、敗戦直後に自決した。そのメモには昭和天皇との原爆開発遣り取りの記載は無い)
これによれば、昭和天皇が、「人類滅亡の悪の宗家になる。人類滅亡の原因が我ら大和民族であってはならない」として原子爆弾の研究禁止を通告したことになる。これにより、軍部の核兵器研究は極度に内密に研究されて行くことになった。しかし、このことが昭和天皇に知れ渡り再度研究の禁止が通告されている。
広島、長崎に原子爆弾を投下された。昭和天皇は玉音放送の中で次のように抗議している。
「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ 」。
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【戦後日本の原爆研究史】
日本は、8月6日の広島市への原子爆弾投下、8月9日の長崎市への原子爆弾投下で被爆し、8月14日にポツダム宣言を受諾した(調印は9月2日)。敗戦後、GHQにより理化学研究所の核研究施設は破壊された。なお、この際に理研や京都帝大のサイクロトロンが核研究施設と誤解されて破壊されており、その破壊行為は後に米国の物理学者たちにより「人類に対する犯罪」などと糾弾されている(ただし、京都帝大のサイクロトロンの「ボールチップ」と呼ばれる部品は関係者の手で保管され、現在は京都大学総合博物館に収蔵されている)。その後、占領が終了するまで核分裂研究は一切禁止された。
これにつき、小出裕章氏は「『原子力ムラ』は、なぜメルトダウンしないのか?」(「東電・原発おっかけマップ」)の文中で次のように述べている。 「米国が日本を占領した直後にまず何をしたかと云えば、日本で行われている核研究に使われていた基礎的な実験装置をすべて破壊したことです。東大、京大、阪大、理化学研究所(理研)にあったこれらの装置の中には原子力開発とはあまり関係ない極めて基礎的な物理学の実験装置まで含まれていた。しかし、米国はそれらを全て破壊し、東京湾に沈めました。これが意味するのは、米国が日本に原子力研究を一切させないという意思表示でした」。
ニ号研究・F研究には当時の日本の原子物理学者がほぼ総動員され、その中には戦後ノーベル賞を受賞した湯川秀樹(F研究)も含まれていた。関係者の中からは、戦後に湯川を始め被爆国の科学者として核兵器廃絶運動に深く携わる者も現れるが、戦争中に原爆開発に関わったことに対する釈明は行われなかった。この点に関し、科学史を専門とする常石敬一は次のように批判している。
「少なくとも反核運動に参加する前に、日本での原爆計画の存在とそれに対する自らの関わりを明らかにするべきであった。それが各自の研究を仲間うちで品質管理をする、というオートノミー(引用者注:自治)をもった科学者社会の一員として当然探るべき道だったろう」。
第二次世界大戦後の日本は、原子爆弾・水素爆弾などの核爆弾を含む核兵器を保有しておらず、開発計画もない。日本は国際原子力機関(IAEA)による世界で最も厳しい核査察を受け入れている国でもある(駐在査察官の人数も200人で最大)。2004年6月15日のIAEA理事会では日本の姿勢が評価され、「核兵器転用の疑いはない」と認定し、査察回数を半減する方針も明らかにされている。
1953.12.8日、アイゼンハワーアメリカ合衆国大統領が国連総会で「原子力の平和利用(Atoms for Peace)」と題する演説を行い、日本にも原子力を平和のために利用することの道が開かれてから、日本は原子力開発を非軍事に限定して積極的に行ってきた。理由は石油などのエネルギー源をほとんど海外に依存している事への危険感からである。
1954年、初の原子力予算を成立させ、日本原子力研究所を設置した。これを皮切りに、複数の大学や民間企業が研究用原子炉を建設し、原子力発電を主目的として核技術の研究を再開した。更に核燃料サイクルの完成を目指して、高速増殖炉(常陽ともんじゅ)や新型転換炉(ふげん)、再処理工場(東海再処理施設と六ヶ所再処理工場)などの開発を積極的に行っている。この分野では核兵器非保有国の中で最も進んでおり、原料となる使用済み核燃料も大量に保有している。なお、原子力基本法では「原子力の研究、開発および利用は、平和目的に限る」と定められており、核燃料の供給国と結ばれた二国間の原子力協定でも、軍事転用や核爆発装置の開発が行われた場合の返還義務を明示している。
1969年、核拡散防止条約調印後、日本の外務省高官が西ドイツ外務省の関係者を箱根に招いて、核保有の可能性を探る会合を持っていた事実が明らかにされた(2010.10.3日、放映のNHKスペシャル「核を求めた日本」で、元外務事務次官の村田良平(2010.3月、死去)の証言その他による)。当時の佐藤内閣が、専門家の意見を集めた上で内閣情報調査室に極秘に核兵器の製造能力についての報告書を作成させていた事実も明らかにされた。報告書では外交・内政上の障害を理由に「有効な核戦力を持つには多くの困難がある」と結論づけていた。これらの背景には1964年に中国が核保有国となったことが挙げられている。
この報道を受けて外務省は、省内で調査をおこなった結果を同年11月29日に報告書として発表した。それによると、日本と西ドイツの外交当局者が1969年に「政策企画協議」を東京で開催した後に箱根で懇談した事実を確認し、「政策企画協議」自体は「自由な意見交換が目的で、政策の交渉や調整の場ではない」としたものの、西ドイツ側関係者の証言などに基づき、日本の核保有の可能性に関連する発言が「何らかの形でなされていた可能性を完全に排除できない」と結論づけている。
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だからそれがどうしたの?
森の方が、落ち葉とか木とかにセシウムが残りやすいから、高めになるね。そんだけの話だね。
庭の0.14μSv/h 事故後何日経ったときのものだね?
チェルノブイリ事故後の同様の状況では、どの位の数値だったのか想像できんのかね?
その庭の数値自体が、とても低くて安心安全そのものだがね?
3.8μSv/hが一年間続く(減衰を無視する有り得ない想定)場所で、屋外に8時間、室内に16時間とどまったと仮定しても、10ミリにしかならない。(20ミリと一般に思われているのは誤解である。)
その庭の数値なんて、全然安心ではないか?
なぜ、その程度の数値で狂っているのだ?どこがチェルノブイリ並みなのだ?
本気でそう思ってるやつが
そんな九官鳥みたいな嫌がらせな書き込みする
わけないでしょうに・・・。
「あわれな・・・白鳥(丁)。」
10さん、追加のコメントありがとうございます。
>下水処理施設(排水路、下水路、処理場全て含むものを指します)が雨水などが相当に流れ込むシステムである場合が多く、火山灰の降下量次第で大きな影響を受ける事もある、と言う意味です。
自分は雨水などが相当に流れ込むシステムと言うものを知りませんが、10さんがおっしゃるのであればそうなのでしょうね。
そして、実際、そういった事態になれば、10さんが言われるととおり、確かに下水処理施設は機能を果たせなくなる可能性が高いと思います。
しかし、そうなったら、どうなるのでしょうね。処理しないで河川に流すのでしょうか。それとも、各家庭などからの下水への排出を禁止するのでしょうか。多分、両方を規制しようとするのでしょうが、かなり大きな影響を与えることになりますね。
お前は掃除されるゴミなんだよ〜
ハエの荒らせる場所は雑談板だけだって言ってるだろ〜が〜
アクセスランキング上位スレを荒らさないと
お給料がもらえないんだよな〜
放射脳たたきの「プロフェッショナルとしての誇り」とやらも
所詮はキャラ、小銭稼ぎの為の荒らし活動が大事だからね〜
化けの皮が剥がれるから リングには上がれないのか?
また また逃げるんだよな〜
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伝説の荒らし iyao VS 爺さん
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/471.html
最近の iyao ID
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>不安に対する賠償請求って、単なる「たかり」じゃないのかなぁ。
>原発を金づるにする卑しい態度だ。結局だれが負担するのかい?
これは現状を誤解されています。
「不安」と言っても現実に被害はあると考えるべきです。被曝を確実にしているわけであり、その影響はすでに顕在化している場合もあれば今後数年から数十年してから表面化する場合もあるわけです。
そして、より重要なことに、本来顕在化している被害について、補償は全くきちんとはやられていません。例えば、福島県内の学童への甲状腺検査で甲状腺がんが確認された人たちについて、福島医大は原発事故が原因だとは認めていません。つまり、彼らの場合、既に甲状腺がんと言う形で被害が表面化しているのにもかかわらず、原発事故とは無関係と認定されていることから賠償も受けれないのです。そのために、「不安」というあいまいな被害を訴えるしかない状況に追い込まれているのです。
住宅などへの賠償もまったくおかしな評価しかされず、大きな損害を被っているというのが事実です。
そして、5年後とか10年後には東電そのものが多分もう存在しなくなっている可能性が高く、その後に出てきた被害は政府を相手に損害賠償を求めることになり、より一層困難になるはずです。
IDがころころ変わるのはADSLの所為だとカキコしていたのがいました。
命名されたいくつかは同じ虫かもしれません。
どうでもいいけど・・・
私はなんと言われようが、バカウヨウドもが現れて言われ無きネガキャンを始めたら、此奴らが嫌がる情報をどんどん貼り付けることに徹しましょう。
5日後には公示!
0.073μSv だ。な〜んにも気にしてない。誰も気にしていないだろう。
その庭の数値は、そのたった二倍に過ぎないし、時期も明言していない。
何でびびってんだ?
ちなみに花崗岩の多い地域は、その数値以上くらいにはなるぞ。
https://gbank.gsj.jp/geochemmap/setumei/radiation/setumei-radiation.htm
アメポチtvなんて観ても洗脳されるだけ
それどころか「食べて応援」などとほざく”殺人集団”
自民党は、中国韓国が怖くて何も出来ないから、鳩山さんを叩いているって事になるんだよ。少しは、考えてものをしゃべりなよ。
結局、自民党は自分達だけでは何も出来ないから、鳩山さんにやってもらってるって事になるんだよ。
鳩山さんが動いて、その結果どうなるかを見てて、失敗したら叩けばよい、うまくいったら横取りってことだろ?
強度の回転性の眩暈で救急搬送、喉は焼けるような痛み、仙台周辺。家族は原因不明出血で失明可能性。
2013-06-28 09:39:33 |
福島第一原発東京の一人でも多くの人に聞いて欲しいと博士は念願しています。
【7/20(土)バンダジェフスキー博士東京講演 with 木下黄太】
開場13:40 開演14:30 場所:新宿文化センター 大ホール
e+お申込み⇒PC用購入ページ
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P0100P002103383P0050001P006001P0030001
携帯用購入ページ
http://eplus.jp/m/msys/T1U55P0010844P0100P002103383P0050001P006001P0030001?uid=NULLGWDOCOMO
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きのうの豊橋にイベント参加してまいりました。特記することはとくにありませんが、三重県南部で19歳位の女性の突然死報告を伺いました。前日まで大変元気にしていた女性が突然心臓死したそうで、自室で起き上がろうとして、亡くなったということです。ことしになってからの話です。勿論一例なので、なにもわかりません。三重県内では、別の地域からは、複数突然死がおきているのではないのかという話は聞いてはいて、これが本当に多発しているのかどうかということは、僕は気にしています。
通常、三重県内の大半の地域は汚染がありませんが、一部地域には10Bq/kg前後の今回由来の汚染は確認できます。この程度の汚染で、健康被害が目に見えておきるとは想定は立ちにくいです。
しかし、従来の枠組みで考えると、そうした方が間違う可能性も当然あり得ますから、慎重に精査したいと思います。
実は気になっていることが一つあります。
アユの日本汚染地図は、放射性物質汚染状況のイメージマップとして確認して下さい。南足柄漁網説明会報告。
ここに転載した汚染地図は、僕はかなり役に立つと思います。IPPNWに酷評されている、販売中の線量マップよりも、この地図の方が汚染イメージは遥かにつかみやすいです。
この地図内に、三重県内に複数検出エリアがあるということです。こうしたことも、僕はとても気にかかっています。当然ながら、汚染食材を、別に大量に食べる状況があれば、地域は関係ありませんが。。。
きのうは仙台避難の30歳位の独身女性のお話を伝えました。きょうは、仙台で被災し、津波が押し寄せる病院から、妻子を救い出した父親が、その後、健康症状が出て、避難移住されたお話です。
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2011.3.11
仙台市で被災→生後4日の息子が母子ともに病院にいたため、救助に向かう。深夜1時到着。病院の近くまで津波が押し寄せていたため、そのまま宮城県南部に避難。ここから1週間生活。
2011.3.17
宮城県名取市の住居へ戻る。
2011.4
喉が焼けるよな痛みと下痢の症状が出始める。喉の痛みは、約1ヶ月で治まったが、下痢は半年続いた。
2011.8
朝5時に目が覚めたが、強度の回転性の目眩になり、救急車で病院に運ばれる。検査結果は、原因不明。耳鼻科や脳外科など、有名と言われている病院で検査してもらったが、異常なし。ただこんな強度の目眩は見たことがないと言われた。ここから2週間の入院。強度の目眩は、退院してからも3ヶ月継続。現在は、軽い症状。
2011.11
検査会社に名取市の土壌検査を依頼。約30万Bq/平方メートルを検出。
2012.2
国立大学に土壌検査を依頼。
約30万ベクレル/平方メートルを検出。
国立大学より、あまりにも高い数字なので、もう一度検査したいと依頼があり、再検査。しかし、また同じ数値が検出。
2012.4
妻、息子の3人で西日本へ避難移住。
宮城県からの避難は、身内から賛成を得れず、笑われながら引越。
私以外の者の症状としては、宮城県南部に住んでいる親父は、目から原因不明の出血。目の白い部分が血で染まっており失明の可能性。この症状は、2回ありました。
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およそ30万Bq/平方メートルなのであれば、4600Bq/kg位になるでしょうか。ご自宅が新幹線の高架近くということで、ふつうの敷地よりもたまりやすい立地です(じめじめしているそうです)が、庭を普通に採取した数値だということです。仙台周辺でも、断トツに高い数値です。この数値の環境下では、いろんなことが想定されます。
気になるのは、焼けるような喉の痛みが襲っているということです。仙台周辺は、セシウム以外の核種が、当時来ていたのではないのかという疑いが、風向やブルームの状況から考えると拭えません。米軍の展開していた地域の中で、公開されたデータで、最も被曝していたのは、実は仙台でしたし。こうした事から考えると、おきてくる健康被害の実態は、さらに切迫すると思いますし、実は汚染食材の流通は東京よりも多いですから。
被曝という現実についての拒否感覚も宮城県内の人達が、強すぎるのも本当に気になっています。「笑われながら引っ越し」が現実なのでしょう。しかし、ここにきて、その宮城から、なぜか連日、報告が続いているということも、僕は不思議な感覚で捉えています。
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「白内障のほか、検査を受けた子どもに硝子体の破壊、毛様体筋力低下、屈折異常という形の視覚器官の形態的機能的障害が見られた。検査を受けた子どもの多くで、体内に放射性セシウムが蓄積している場合に心筋細胞内の生物物理学的プロセスおよび代謝プロセスの重大な障害を裏付ける心電図異常が見られることを指摘したい」
バンダジェフスキー博士2013専門家セミナー(京都&東京)テキストより(仮訳・鋭意翻訳中)
*セミナー両会場とも、一般の方で関心のある方の参加も可能。大会場の講演会場と異なり、セミナーは、直接、バンダジェフスキー博士と話す機会があります(人数限定の為)。
【7/14(日)京都 専門家&医師向けセミナー】
9:00開場。9:30〜16:30終了。 17時半迄延長可能性。逐次通訳。開催場所は京都駅至近、キャンパスプラザ京都。
詳細・参加申込⇒http://kokucheese.com/event/index/96723/
【7/21(日)東京 専門家&医師向けセミナー】
9:10開場。9:30〜16:30。逐次通訳。恵比寿駅5分の会場。
詳細・参加申込⇒http://kokucheese.com/event/index/97131/
*両会場とも、電話申込も可能です。 080-8051-3045(11時〜19時 木村)
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僕が、随時更新作業を続けています。
バンダジェフスキー博士2013日本講演公式HP⇒http://bandazhevsky.jimdo.com/
専門家セミナーチラシ⇒http://bandazhevsky.jimdo.com/%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7/
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福島避難者と福島県民は無料です。
【7/11(木)バンダジェフスキー博士新潟講演 with 木下黄太】
開場:13:30〜/講演:14:00〜16:30頃迄に終了予定
会場:東区プラザ/ホール(定員300名) 新潟市東区下木戸1-4-1(東区役所2階)
参加費:1,200円 中学生以上。
福島の方は無料(新潟講演のみ。当日、何かわかるものをご提示ください)
託児:下記までお問い合わせください。
お申込み・お問合せ先: E-MAIL:hepati@msn.com 電話: 080-6607-6940(阿部)
(参加者のお名前、人数、ご連絡先、お子様などがいる場合はそれも明記して、できる限りメールでお願いいたします。福島の方は、その旨もお伝えください。電話は常識的な時間で対応可能)
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福岡講演、「こくちーず」予約=前売り扱い、人数限定。
【7/12(金)バンダジェフスキー博士福岡講演 with 木下黄太】
場所:福岡市立早良市民センター大ホール 福岡市早良区百道2-2-1 地下鉄藤崎駅前至近
時間:開場18時 開演19時 21時15分終了予定
前売:1200円 当日:1500円
こくちーず経由の申込みも、前売り料金扱いで会場対応致します。必ず確認メールの画面をプリントアウトか携帯画面でお示し下さい。人数限定の対応です。お急ぎください。
こくちーず申込⇒http://kokucheese.com/event/index/98019/
e+PC用購入ページ
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P0100P002102855P0050001P006001P0030001
e+携帯用購入ページ
http://eplus.jp/m/msys/T1U55P0010844P0100P002102855P0050001P006001P0030001?uid=NULLGWDOCOMO
問合せ先 infohukuoka@gmail.com
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岡山講演も「こくちーず」予約=前売り扱い、150人限定。
【7/13(土)バンダジェフスキー博士岡山講演 with 木下黄太】
開場13時半 開演14時
◎会場 岡山県総合福祉会館 大ホール 岡山市北区石関町2−1
◎料金 前売1,200円 当日1,500円
※前売券が事前に完売した場合、当日券の販売は行いませんのでご了承ください。
※座席が必要なお子様は、大人と同一料金が必要です。
※託児やキッズスペースの用意はございません。
◎こくちーずでネット予約(150人限定)
http://kokucheese.com/event/index/97677/
上記サイトで予約して頂いた方は、当日会場で前売り料金で入場できます。
※申込完了メールが予約票の代わりとなります。
プリントアウトか携帯電話のメール画面を当日ご提示下さい。
◎電話予約
フリーダイヤル0120−240−540 カンフェティチケットセンター 平日10時〜18時
※予約時に払込票番号をお伝えしますのでメモをご用意下さい。※予約有効期間内に、払込票番号を持ち、セブンイレブンのレジでお支払い。※お客様の都合によるお支払い後の変更・取り消しは出来ません。※手数料210円が別途必要です。
◎お問合せ先 bandazhevskyokayama@gmail.com
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京都講演・午後(昼)は満員です。夜の部にお申込み下さい。
京都講演、夜の部は受付中。
【7/15(月・祝) 夜 バンダジェフスキー博士京都講演 with 木下黄太】
17:30受付開始。18:00スタート。 途中10分休憩。20:15頃終了予定。
場所:ひと・まち交流館 京都 大会議室 参加費1500円当日支払いのみ
詳細&参加申込⇒http://kokucheese.com/event/index/98253/
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徳島講演、四国唯一の開催!
【7/17(水)バンダジェフスキー博士徳島講演 with 木下黄太】
18:00開場 18:30スタート 20:30終了予定
場所 あわぎんホール(郷土文化会館)4F大会議室
・メール申込:info@panda.eek.jp
「申込者のお名前、参加人数、参加者全員の名前、電話番号が必要事項」
・ネット申込
http://kokucheese.com/event/index/96047/
・前売りチケット販売。小山助学館、平惣各店、徳島大学生協など。
日時 7月17日(水) 18:00開場 18:30スタート 20:30終了予定
場所 あわぎんホール(郷土文化会館)4F大会議室
料金 前売り&予約1200円 当日1500円 定員300名 座席のいらない幼児は無料
保育無しですが、一時待避用として和室を借ります。(音声だけでも流せないか検討中)
電話問い合わせ 070-6434-6318(柏木)
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僕はこういうツイートをしました。
「衛生面、放射性物質⇒ロシア医局長、ロシア人にスシ離れを呼びかける
http://japanese.ruvr.ru/2013_06_25/116565832/ 」
この記事の中で書かれていないけれども、寿司離れということは、日本でも当然在りえる話です。そもそも魚の放射性物質は、危険度が高い。この記事は衛生面のことを主に書いていますが、僕の感覚では、当然放射性物質も想定している可能性も鑑みました。。ロシアは、日本の海産物の汚染に関してのガードは下げていない。鮨は当然他国でも、日本の魚も入ってくる可能性も想定されます。ただし、これは、一言だけ書いた印象批評のようなもので、この一言で何かしようなどと考えていません。
そうするとこのツイッターアカウントがしつこく絡んでいて、確認すると、僕のことをこうまで言いだしています。もはやツイッターの病は、感極まれり。
「人の不安につけ込む行為って、法の華がやってきたことと同じってことを自覚するべきだよ。足裏診断と同じ。本当に不愉快。」
もう本当に頭がおかしい人が多くて、嫌になりますが、ロシアの記事に、一言、僕が放射性物質と書くことが、なんの不安に付け込んで、カルト団体が高額(1人当たり数十万円が最低、ここを突破口に数千万円を取られる実状)巻き上げていた足裏診断(僕はこの取材は大手メディアの中ではもっともおこなった人間)となんで一緒になるでしょうか。
僕は、社会的に、常識で対応できる範疇のことしかしていませんし、誰か個人から、高額の現金を頂くこともありません。僕が、何にもやっていないことで、なんで、刑事事件になっているカルト団体と、同じになるのか。さっぱり理解もできません。
まともなビジネスとかのレベルにさえ、放射能防御はほとんどなりません。本当に、いい加減にしろと思います。ほとんど名誉棄損。ツイッターは本当に酷いです。
前から、僕のことを他にもカルト扱いしている特定の個人がいますが、これも乳酸菌の高額商品をマルチ販売していたグループを実名を確認し、放射能防御プロジェクト関係から、僕がたたき出しただけです。そんなものが、水面下で利用していたら、その方が問題になります。そのことが、なんで「木下カルト」になるのか、皆目見当がつきません。
「マルチ商法を止める」=「木下はカルト」。理解不能です。こちらの講演会の妨害も平気でほのめかすようなこうした人間の方が僕は遥かに性質が悪いとおもいます。
はっきりいいますが、内在的におかしかった人が、3.11.以降に顕在化していること。さらに、ツイッターなどのネット手段で、そうした自己顕示欲の発露が容易となっていることはあきらかです。しかも内在的におかしいが、それを隠して生きてきた人は、外見的に、一見正常に見える場合も多いです。狂気というのは、自分と他者との違いを、気づいていない人にこそ、実は宿っている場合が多いです。「自分はおかしいかも」と内省している人よりも、一見外面的に正常にふるまっていて、実はおかしな行為や言動を突然行う人は、本当に危険です。これが狂気の本質と思います。
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僕のメールアドレスに「失せろクズ」と嫌がらせメールをしてきたメールアドレスがありました。本日12:56に届いてます。ネットの病は深いです。⇒saitou8_saitou@yahoo.co.jp
福助です。
三重県であろうと何処であろうと食品は注意して摂取すべきでしょう。
放射能汚染された農水産物が東北関東から遠く離れた地域で産地を偽装して密かに売られていることはこの国で大いにありえる事です。
海産物はどこから入ってくるか突き止めにくい事があります。
寿司離れ…どうなんですかね。あり得ますかね? 私は寿司はシャリもネタも気をつけられる限り気をつけて食べていますけど。鰻も。
まあ、「騙されちゃってもハッピー」なんて歌もありますから国民を騙す事が今の政治の第一目標でしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=oKqMg034Fhg
SUSHI PIZZA(やついいちろう&IMALU)/マイティDISCO
↑この歌、楽しいですね。時々歌ってます。
クズねえ。人にクズはいないでしょう。どんな悪人もクズではありませんわね。
黄太さんのクズさかげんを言わなければ意味がありませんわね。
嫌がらせ受けるのは正しい証拠でしょう。
>>66
日ソ共同宣言を出したのは鳩山の祖父だが、この時北方四島は棚上げして
ソ連に取られた。
鳩山家は棚上げ→取られる が家訓なのかね。
(まあ元々はアメリカに戦犯にされたことから反米の恨みがあるのだろうけど)
本気でそう思ってるやつが
「で、1回の書き込みでいくらもらってるの?」
みたいな嫌がらせな書き込みする
わけないでしょうに・・・。
例えば、AtoZでは、関西の893の手配師が1人紹介で手数料を40〜50万円ほど東電から受け取っていることや、住民票のない人を故意に送って〜つまり病みに捨てる〜ることまで暴露してましたし(893にボカシ出演)、
また、311の2年前には、地震や津波学会の協力で、15mの津波が三陸を襲う特集番組を放映、震災まで何度も再放送してました。
YグループのWTが故・児玉氏の右腕で、自由に北朝鮮に出入り&裏取引してた証明の直筆メモを公開したりと、
全てが政府のやらせではありません。
BSドキュメンタリも、地デジの福祉番組も、人間として知るべき観るべきに値する番組も多いです。
要は、受け手が情報を精査すべきであって、極論になるのはかなり浅はかで稚拙です。
ステレオタイプは、経験値のみならず、広汎性発達障害の傾向があるのかもしれません。ネット世界の情報も、かなりいい加減で政府系ネトヨウバイト要員の書き込みも多いですし、ウィキペディアでさえ過りが多すぎます。
料金の強制徴収は問題で、更に、子会社でたんまりと儲けてるのに、還元しないで居るのも問題です。
それと、番組内容は別問題。
全く観ない人間は、余程に極端な思想か趣向か、軽度の広汎性発達障害の傾向が有るのか、かなりの問題を内在させている人間にしか思えません。
NHKを含めて、観るべき価値のある番組は、少ないですがそれなりにあるものです。
>>148の前までは「不正選挙が無かった証拠が出せないのは不正があった証拠だ!」と威勢が良かったのにいきなり「ウヨクが書き込むな、出て行け工作員!」と言う反応になるあたり、「野党も含めた監視の下で選挙が行われ、問題なく承認された」と言う事実がクリティカルな事実、目を背けたい現実 なのですかね。
日本国民は憲法に反した行動を取ったら、国家反逆者だろうよ。
自民党は、国家反逆者か?
日本は太古の昔から地震があるのだから、その研究はもとより、史実として多数の文献記録が残っている。
また、日本の学術的な地震研究は世界のトップを独走していて、他の追随を許さない。
ありきたりなことを書けば、TSUNAMIはサザンの歌でもあるが、世界共通の自然災害用語でもある。
しかし、その地震研究の中で未だに未解決の問題がある。
予知は不可能ということだ。
そりゃナマズや地震雲の観測、地中の微振動の観測もやってるが、結論は予測は不可能と規定されている。
世界の叡智が結集して、ようやく地震の原理が解明され始めた段階なのだから、何をどう騒いでも、陰謀論者が言うように都合よくはいかない。
それほど言うなら、ご自分で先ず地震研究の最先端を学び、尚且つここが不自然だ!ということを研究論文にまとめ、然るべき場で公表すれば良い。
間違ってもインチキジャーナリストのブログにコメントする程度の庶民の世間話を真に受けたり、無知なイノシシ顔の空想に付き合うことは無い。
貴重な人生の時間の無駄である。
いや、下のサイトを見れば、中韓が大喜びしてるぞ。
自民党は、中韓の政党なんだろ?
http://www.ifvoc.org/sekaisisou/sekai13_03.html
【安部首相の正体】安倍晋三氏と統一教会が繋がっている数々の証拠!大手マスコミが触れない安倍自民党総裁の秘密とは!?
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-140.html
以下の写真は週刊ポストが取り上げた、安倍総裁が「山口組の金庫番」という言われる韓国人男性と一緒に写っている写真です。
正社員(営業事務)
時給730円
土日祝 休み
交通費 なし
賞与は寸志程度
社会保険完備
支援者の娘(大学生)からOLまで。
夜に議員宿舎を抜け出すときの変装は笑った。帽子に大きなマスク。
これじゃ目立ちすぎ。
小泉さんも奥さんには逃げられてるし・・・
妾を2人も抱えてる桝添さんは、子供認知の証拠の戸籍謄本まで載せられた。
これで自民党を辞めましたが・・・。
外「遊」〜官房機密費で遊ぶからで、これだから官僚のやりたい放題になる。
経産省の報道官も原発事故中に省内で部下の女の子とやってたわけだし・・・。
自虐的な歴史観などという言葉もいつしか○○ウヨが好んで使っているようなところがあるが、何を求めて言ってるのだろうか、それこそ渇望して求めるがあまり、極端な論理や論調、論法に進化させて次第に恫喝するかのような主張をしている。
もしも外国が侵略してきたらどうするんだ。このような脅かし文句に半世紀ほど前の日本人はなすすべもなかったのだろう。いまでさえ人の冷静さを破壊するには強敵になっているのではないのか。
しかし本質を深く洞察するならば、自由の名を借りて主張する過程において、主張の実行を執拗に求めるがあまり既に論理が自虐的であることに気づくだろう。仮想現実において既に自虐的に過ぎている。低能ウヨとされる理由だろう。右翼の台頭は断じて許してはならないものである。
バランスを保って国家を前進させるべく左翼は両輪のごとく重視されなければならない。国民は胴体部分に搭乗するからだ。国家は正しい方向へと直進するべきであろう。
で、何が飛び出るのか?
★これが自民党の正体か?誹謗中傷、名誉毀損のオンパレードだよ。
これはひどいな。自民党は、人を陥れるだけの政党なのか?
何様のつもりなんだよ自民党よ。
(-д-)本当にあったずうずうしい話
第118話http://changi.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1260317311/
64: おさかなくわえた名無しさん:2009/12/13(日) 10:28:13 ID:4dodJWN1
このスレでよく出る、まちがい電話ネタ。
うちの固定電話の番号は、以前は新聞販売店が使っていたらしい。
ここに越してきて(つまり、今の番号になって)1年ほどになるんだが、
当初は、たまに「新聞が入ってない」って電話があった。
その時点で販売店が廃業して何年か経っていたわけで、
そういう電話をしてくる人は、登録した番号を変えていないんだろうけど、
「うちは新聞屋じゃありませんよ」
って言って納得するやつは少なくて、
「えっ、○○−○○○○でしょ?」
と聞いてくるのは、まあいいとしても、
「じゃあ、今のところの番号教えてください」
ってのはなんなんだ。
新聞屋じゃねえっつってんだろうが。
で、さっき、じつにひさしぶりに、その手の電話があった。
なんか、ジジイがいきなり怒ってるわけだ。
「新聞が入ってないんだが、どういうことかな?」って。
こっちはちゃんと苗字を名乗ってるんだぜ?
新聞屋だなんて言ってないのに、聞いちゃいねえ。
「どちらにおかけですか?」
って聞いても
「とぼけるな!」
って、とぼけちゃいねえし、ボケてるのはおまえのほうだろう。
それで、その新聞屋はもう何年も前に廃業したらしいよ
って言ったら、あんのじょう
「で、あたらしい番号は?」
って、日本語の読解力がないのに新聞読んでどうするんだ、バカ。
65: 64:2009/12/13(日) 10:34:51 ID:4dodJWN1
念のため書いとくと、態度がていねい、というか、ふつうの人には、
「うちではわかりませんので支局に聞いてみてください」
と言って支局の電話番号を教えることにしている。
支局が教えてくれるのかどうかは知らんが、
タウンページみても、どこが引き継いだ販売店なのかわからないわけだし、
わざわざ調べて答を用意しておく義理もないしね。
でも、こういう電話をかけてくるやつぁ、新聞が来てなくて腹を立ててるので、
たいていは横柄な態度なんだよなあ。
67: おさかなくわえた名無しさん:2009/12/13(日) 11:05:33 ID:cph++lqx
>>65
お気の毒ですね。
新聞代の領収書に、販売店名と電話番号ぐらい書いているのにねぇ。
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/864.html
しかも、その女性を取った写真が奥さんにバレてバラまかれたようで、それがいつ出るのかというのが永田町で話題だとか。
公務員は思っているんだ。
そんなもんだと思ってたよ。
盗電・・・東電と同じだな。
自分さえ税金で楽して暮らせれば、あとはどうでも良いんだよ。
そうやって、どんどん人間のクズになっていくんだよ。
国民からの血税に吸い付いて決して離れない、ヒルみたいなもんだ。
やり方が、人として最低だ。
哀れだな。
原発の下の土壌とか、3年後に砂漠みたいになったりしませんか?
皇室とその周囲のえせ貴族どもが、真の反日。
まあ、結論だけ書いても、納得いかないと思うが、これが真実。
そこまで言いながら、なんで、安倍晋三自民党は、自分でやらないの?
安倍晋三自民党は、鳩山さんを叩いて、中韓と交渉したつもりになってるの?
何も出来ない外交音痴の安倍晋三自民党にとっては、鳩山さんは神様ってことになるな?
自分で、中韓と交渉したらどうなんだ?
人に責任をなすりつけるだけなんて情けないと思わないか?
安倍晋三自民党政権は、中国韓国ロシアから領土をトリモロすって言って選挙やったんだろ?
いつまで、遠くできゃんきゃん吠えてるの?
「ワタミ」 ワタミフードサービス 2年連続2回目
「Eath music&ecology」 クロスカンパニー
ベネッセコーポレーション
「ステーキのくいしんぼ」 サン・チャレンジ
「餃子の王将」 王将フードサービス ※新人研修:アイウィル 染谷和巳氏
「カンガルーの西濃」 西濃運輸
東急ハンズ
東北大学
そして、この本土決戦準備のための時間稼ぎとして沖縄戦を行う
ことにしたが、琉球民族を沖縄から避難させずに現地に残したので、
日本と天皇のために、琉球民族は多数の犠牲を出すこととなった。
満州でも、米国から、一刻も早く対日戦に参戦することを求めら
れていたソ連の参戦は確実であったのに、住民を避難させる
と満州国の破滅となるので、関東軍は棄民した。
戦後も、原爆や都市爆撃被害者、水俣などの公害や薬害の被害者、
そして、沖縄県民を棄民し続けた。
それとも単にテレビ局への抗議電話がうるさいから? (「氏」になっても
抗議電話があまりないとしたらアメポチの『電凸』は甘いものということか)
こんばんわ。
お互いに大変な夜更かしです。
さて、いただいたコメントについてですが、
まず、私自身について確認しておきたいのは、今回、長々と現成公案の解説意訳を掲載していることは、曹洞宗の宣伝ではなく、一つの目的、つまり、橋田邦彦なる人物についての考究の一環である、ということです。
私個人としては、道元その人に迫るということが主目的ではないのですが、このように関わっていく過程において、当然のことながらその影響を受けつつあります。
何冊かの正法眼蔵関連の本を読みました。いずれも初心者向けのものであり、確たることは申せませんが、感触としては、これは「神秘体験」について語っているものであるというものを得ています。
そして、その神秘体験そのものは、究極的には言語による説明を超えており、そこから、「教外別伝」「以心伝心」「不立文字」というような概念が生まれてきたのだと考えます。(道元ご本人は、当時の臨済宗にあったこの傾向を、むしろ世俗化の言い訳として極めて批判的であったことは特筆すべきです。)
私としては、この「語りえぬもの」を如何に継承するかということについて、信じ難いほどの努力と人命の損失がこの世にあったのだと思います。また、この問題に遭遇してきた先人たちが、私たちより劣っていたとは到底思えません。
私はその「語りえぬもの」にわずかでも触れたいとは思いますが、それは、実に容易ではないと考えます。かつて多くの人が人生を賭けて取り組んでも結果が出ないことのほうが多かったのではないかと考えます。それはすこし見方を変えるといった次元の解決ではないと思います。そして、その「語りえぬもの」が実在するのかどうかすら実はわからないと考えています。
自己の確信を得られぬものは徹底的に疑う、これは流儀としては仏陀にも道元にも適うものであると思います。
>一言で言えば「他者の視線。直角の他者」だと
いう事になるのですが、この一言には、多少説明も必要かと思われます。
よろしくお願いいたします。
それと、使用済み核燃料プールが保管してある原発周辺の住民の方は、
電力会社や自治体がこの2年間で原子力防災の向上した取り組みをしているか確認できていますか?
事故発生時の通報やオフサイトセンターからの知らせ、避難場所が十分被ばく防護できる体制かどうか、お手持ちのヨウ素剤の服用方法、
風向きをどう調べるのか、服装はどうするのか。
原発と地下水脈との関係、飲料水は飲めるのかどうか。
地震などで道路が断絶して原発事故時に思うように逃げられない場合の、屋外での被ばく防護の方法なども十分に電力会社や自治体から具体的な方法の説明は受けていますか?
小さなお子さんがいる場合、お年寄り、持病のある方、障害のある方の対応方法はどうですか?
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