満足する医療
小泉頃からの、"分かり易い"医療は何故必要とされたのだろうか?
医療は典型的な専門職である。素人にわからない事を行うのが専門家である。わかるなら自分でやればよい。専門家の仕事を支えるのはプロとしての矜持と意識である。これは教師でも八百屋でも公務員でも原則同じである。
ところで彼らの行う仕事自体が専門的なのではなく、只そのカテゴリーの商品を提供することであると認識されたらどうなるのだろう?
それはサービスとなる。
金を出して代行させるやり方である。
サービスの肝は頼んだ側がその内容を分かっている(と思っている)ことにある。
商品なのだから、顧客がわからない商品は扱えず、クレームが来る。
サービスを支えるのは資本家側からのコスパである。これを医療分野の市場化という。
もうお分かりであろう。"分かり易い"医療は、医療のサービス化の為に必要だったのである。それを推進するのはサービスという国民教育と、専門家の"意識改革"である。
(分かっている者は皆無だが、生活習慣病推進はこの様な文脈の中にある。)
顧客第一と言って、(命は地球より重い、に似ている!と言うか、医療はそのイメージで本体を隠す)一般人を表に立たせ、自分達は株価上昇を目的にする。
これをミンエーカと言う。
もう一度繰り返す。専門家の仕事を支えるのはプロとしての矜持と意識である。それを失った者はたたかれても仕方あるまい。
「怠けず顧客の為に働け!」
だがこの論理は破綻している。まず、自分に対して恥ずかしくない、嘘をつかないのがプロなのだから。
顧客の為とは、資本が顧客にブレインチャージした欲望の為というのに同義である。
顧客第一とは、従来の物作りではその強欲に見合う成長が不可能となった資本主義が騙しの段階に進んだ時に起きた現象である。
カイカクとはそのようなものであった。
人体市場資本主義分野開発の為には、医療の商品化が不可欠であったのである。
満足する医療とは、仕掛けられたとはいえ自ら喜んで騙されていく人々の誕生を意味する記念すべき言葉なのである。
キーワードは、"死んでもシアワセ"
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/675.html