http://ameblo.jp/shimarny/entry-11508269208.html
2013-04-09 21:24:53NEW ! Shimarnyのブログ
もはや、東京電力の放射性汚染水の垂れ流し事故と言っても過言ではないだろう。
東京電力が「満水時の水面の上部に位置する漏水検知器を設置するために遮水シートに開けた穴から漏れた」と推測したことで、対策が汚染水漏れの貯水槽と全く同じ構造の貯水槽に移し替え作業の開始となったのである。
その結果、移送先の貯水槽からも汚染水漏れを示すデータが発見されたのである。
つまり、最初に汚染水漏れが発覚した2号貯水槽、その後に少量の汚染水漏れが発覚した3号貯水槽、移送作業中に汚染水漏れが発覚した1号貯水槽と、7つ中3つの貯水槽において汚染水漏れが発生したことになるのである。
やはり、どう転んでも貯水槽の構造的な欠陥が原因と考えるべき事態なのだろう。
参考記事:汚染水漏れで放射性物資が約35兆ベクレル流出か、水位計のデータ無視で危機意識ゼロ
http://ameblo.jp/shimarny/entry-11507615605.html
つまり、貯水槽が内側のポリエチレン製シート(厚さ1.5ミリ)2枚、外側の粘土質シート(厚さ6.4ミリ)1枚の3枚構造では防水できないのである。
それにしても、東京電力は素人でも犯さないほど後手後手の場当たり対応である。
やはり、福島原発事故以降の重度の緊張感がエンドレスで継続すれば、非日常的な感覚が日常的な感覚に変質して危機意識の感覚が麻痺してしまうのだろう。
東京電力の危機管理、組織体質、原因究明、再発防止など見れば明らかであろう。
もはや、貯水槽へ放射性汚染水の移送する計画自体が破綻してしまったのである。
この東京電力による放射性汚染水漏れ事故について、読売新聞を除く大手紙が下記のように東京電力の危機管理能力の欠如と場当たり的な対応を取り上げた。
朝日新聞:汚染水漏れ―福島原発の態勢見直せ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1
毎日新聞:原発汚染水漏れ 場当たり対応は限界だ
http://mainichi.jp/opinion/news/20130409k0000m070126000c.html
日経新聞:原発の汚染水対策に内外の知恵集めよ
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO53760430Z00C13A4EA1000/
産経新聞:汚染水漏れ 「現場の疲弊」を解消せよ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130409/dst13040903080005-n1.htm
さすがに、「原子力ムラ新聞」である産経新聞も日経新聞も取り上げざるを得ない社会問題となったが、読売新聞は最後まで東京電力を擁護するようである。
各紙の主張は、朝日新聞が「現状は、東京電力の管理能力を超えているのではないか。」、毎日新聞が「第1原発の廃炉作業を東電任せにしておいて良いのか」、日経新聞が「その場しのぎの対策を続けてきたツケとしか言いようがない。」、産経新聞が「東電だけで汚染水処理計画をはじめとする廃炉への工程を安定的に進めることは不可能だ。」となっている。
つまり、共通するのは廃炉作業の抜本的な体制刷新の必要性を説いたことである。
そして、政府や規制委員会、海外や国内の専門家の関与の必要性も主張している。
しかし、肝心の政府が主体的に関与するための体制について具体的な言及はない。
やはり、ネックとなるのは茂木経産大臣の発言にもあった通り、「一義的には事業者(東京電力)が行うべきこと」という民間事業者という位置付けである。
このことは、東京電力が事業者として存続し続ける限り、政府の主体的な関与も、規制委員会の主体的な関与も、海外や国内の専門家の主体的な関与は望めず、現状を打開する体制刷新はできないことを意味する。
つまり、読売新聞を除く大手紙は東京電力が主導する体制で福島原発の事故収束も廃炉作業も安定的に進行することが不可能であると認識しながら、具体的な提案について最後の一線を越えることができないのである。
それは、東京電力が経営破綻による福島第一原発の廃炉事業の分離国有化である。
本来なら、政府が東京電力への追加援助を断って、東京電力に会社更生法を適用させて、企業再生支援機構の支援のもと更生させることを主張すべきであろう。
このことで、東京電力の経営に関わる株主も金融機関も関係会社も応分の責任を取らせ、東京電力を分離解体して単純な電力会社として再生させるべきだろう。
その結果、東京電力の本業以外に抱える事故賠償事業も原発廃炉事業も国有化することにより、国が主体的に被災者にも原発に関与することが可能となろう。
現在の問題は、本業で利益を出す使命を持つ民間企業が、片手間で被災者の賠償保証や原発を廃炉する作業や原発事故の収束作業を行っていることにある。
このような現状では、いくら政府が巨額の追加支援という名目で税金投入しても、賠償保証、廃炉作業、収束作業に十分な予算を確保することは難しいだろう。
東京電力の存続があっての賠償保証、廃炉作業、収束作業であるから無理もない。
この東京電力が第一義の優先順位が変わらない限り、政府の認識も変わらず、規制委員会の認識も変わらず、海外や国内の専門家の認識も変わらないのである。
政府が、このまま東京電力を存続させる手段を選択することは正しいのだろうか。
この2年余りで国は東京電力に約3兆3000億円の税金を投入している。おそらく賠償保証、廃炉作業、収束作業を全て勘案すれば10兆円を超えるだろう。
さらに、想定されることは他の電力会社と同様に、今後の電力自由化や発送電分離により原発が不採算事業に転落することから生じる経営危機である。
既存の原発を稼動停止の認定から廃炉の認定に切り替えれば、巨額の減損損失が発生することになり、電力会社は債務超過となる可能性が高いのである。
もし、他の電力会社が債務超過となる可能性が高い場合、政府は東京電力と同様に原子力損害賠償支援機構を通じて追加支援を行うことになるのだろうか。
どうも、これでは原子力損害賠償支援機構の存在自体が、電力会社が経営危機に陥った場合の駆け込み寺の如く存在ではないのかと勘ぐることもできよう。
廃炉まで40年以上、追加支援が10兆円以上、作業事故の頻発、危機意識の低下、組織の隠蔽体質など2年余りの東京電力の成果から答えは出ている。
是非とも、被災者への賠償保証を遅延なく完了させるため、廃炉処理を安定的に完了させるため、対象事業を国有化して政府主体で取り組んでもらいたい。
是非とも、電力改革をスムーズに推進するため、東京電力を会社更生法を適用することで分離解体させて、電力会社の成功例として再生させてもらいたい。
もはや完全に失った東京電力に対する国民の信頼を取り戻すことは不可能だろう。
このまま放置すれば政府にも国民の賠償や廃炉に対する不信が向けられるだろう。
東京電力は計画的に破綻処理して分離解体して本業以外は国有化すべきであろう。