経済の教室(基礎編1) 地震予知はなぜ当たらないか?
http://takedanet.com/2013/03/post_de7f.html
平成25年3月23日 武田邦彦(中部大学)
「経済の崩壊」と掛けて「地震予知」と解く、その心は「被害が出てから解説します」。
1929年のブラックマンデー、1972年の第一次石油ショック、1990年の日本のバブル崩壊、そして2008年のリーマンショック・・・いずれも社会に大きな影響を与えたショックだったけれど、すべて「予想外」だった。
でも「予想外」自体がおかしい.第一次石油ショックは第四次中東戦争をキッカケにして始まったのだが、「第四次」と言われるぐらい、イスラエルとアラブ諸国の対立は激化していたし、戦争をより有利に進めるために、イスラエルの後ろ盾になっている欧米諸国に石油という武器を使うことも予想されていた.
一般の人なら情報が入らないこともあるが、政府、石油業界、専門家が知らないはずも無い.
1990年のバブル崩壊の時もそうだ。著者は1989年12月28日の仕事納めの時に、若い技術者に「株価が3万8千円にもなって、大丈夫なのですか?」と聞かれたことを今でも覚えている.サラリーマンでもおかしいと感じていたのに、株を専門としている人の多くが「まだ天井では無い。突然の大暴落など起こらない」と言っていた.
経済学や金融学は「経済という現象、金融の状態」を解析する学問で、予想ができないからと言って存在価値がないわけでもないが、これほど多くの専門家がいて、あれほど大きな変動を専門家の多くの予想が一致しないのも不思議である.
2008年のリーマンショックでは、すでに2006年からショックの原因になったサブプライムローンの破綻が予想され、2007年から2008年の春にはヨーロッパに飛び火、アメリカの住宅公社も怪しくなっていた.その収集のためにアメリカの財務関係者が中国に飛んで説明を行ったのが、リーマンショックの半年前だったことを考えると、これも奇妙である.
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国家の財務を運営したり、会社の経営に資することを別にすれば、一般人にとってテレビの解説者や新聞の経済専門記事の意味は「おおよそどのように経済が進むか、暴落やショックは来ないか」を知ることである.
それが1972年、1990年、そして2008年と18年おきに起きる経済ショックを一つも予測できないとはどういう理由だろうか?
まさに「地震予知」と同じである.
東海地震が来ると言ったのが1970年台はじめ。1996年に阪神淡路大震災、それから15年目の2011年に東北大震災。当の東海地震はさっぱり音沙汰がない.地震の専門家は「4年以内に東京に大地震が来る確率は80%」と自信たっぷりに言う.
株価暴落(経済崩壊)と地震予知が似ているのは、
1)予想が当たらない、
2)それでもいばっている、
3)それでも言い続けている、
という奇妙さだ.あまり自信たっぷりに言うのでつい信じてしまうが、本当は恥ずかしくて口に出せないのが普通の感覚である.
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なぜ、こんなにも予想ができないのだろうか? まず第一に「学問としてはまだ未熟」だからだ。学問というのは確実なデータや理論に基づき、積み上げていくもので、時に失敗がある場合もあるが、同じ対象物なら経験を積めば予測に間違いは生じない.
たとえば航空機を例に取ると、最初の内はデータも理論も不十分で墜落した歴史があるが、「航空工学」が確立すると、次の飛行で航空機は墜落しないということを合理的に説明できる。専門家の間で鋭い意見の対立があれば、それは「まだ不十分だから飛ばすのは止めよう」と言うことになる.
天文学も完成した部分、たとえば日食や月食の予測などはきわめて正確にできる。でも、学問が未完成のところ、たとえば2013年にロシアに落下した隕石などはまだ予測できない.
そして学者は「学問が未完成な場合は予測しない」のが原則である.「まだ、できません.頑張ります」と言う.ところが地震学者と経済学者は何回くり返してもそのように言わないところに特徴がある。
第二に、「結果は巨大でも、引き金は小さい.もしくは引き金が複数ある」という場合には、現在の学問はどの分野でも未完成である.崖に巨大な石が今にも落ちそうになっているというような状況では、「石が落ちるとどうなるか」がわかっても「いつ落ちるか」はわからない.それが現在の学問のまだ未完成のところだ。
地震は巨大な岩盤がなにかのキッカケでずれる。経済崩壊は巨大な経済システムがなにかの小さなキッカケで崩れる.どちらも「崩壊が予想されるが、いつかわからない」というものだから、予測ができない。
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私が地震学の予測の本質を良く理解し、対策を採ったのは恥ずかしながら2006年だ.それまでは「いつ来るか」ということに注意していたが、それ以後は「明日来る」と思って備えている.これと同じだから、「暴落は明日来る」のが正しい.でも、大地震が明日来るのに、今日も生活をしているのは、「備えられるところだけ備えて、あとは運を天に任せないと人生を送れない」からだ。
株価は暴騰し、暴落する.円ドルは暴騰し、暴落する。その方向も時期も誰にもわからない.時に幸運が訪れて当たることもあるが、それは自分の予想が当たったのでは無い.単に偶然か幸運に過ぎない.
だから、常に「あらゆる状態に備える」こと以外に手は無い.また、次の機会に整理をしたいと思うが、「国家の経済運営」と「個人の財産運営」、「個人の就職活動」というのは同じ政策でもまったく違う結果をもたらす。多くの解説が「国家」のほうであることも注意が必要だ。