02. 2013年3月29日 00:01:30 : GVYsLuFuCE
井出正敬は1980年代の国鉄分割解体の頃、大多数の国鉄職員や首脳陣が反対していたにも関わらず、分割解体に賛成し、解体された新会社で社長に就任。「井出商店」と呼ばれる、強固な独裁体制を築いた。この井出体制の下で、信楽高原鉄道列車事故や福知山線脱線事故といった、鉄道の存在を否定するような大事故を頻発させた。当方は国鉄一家だったので、JR西日本の在来線の電車の運転台の後ろから、いつも運転士の動作を見ていた。明らかに、何者かにせき立てられるような、余裕のない運転であった。
いつだったか、充分安全確認をせずに発車して乗客の傘がドアに挟まれ、引き抜いて一難を避けた事例があった。運転台の横にある表を見て、各駅の停車時間が異様に短いことに気づいた。停車が僅か30秒とか、15秒刻みになっているのである。これでは充分な安全確認はできない。国鉄時代では考えられない、追いまくられるダイヤになっていたのである。ちなみに事故が起きたのは、朝のラッシュ時であった。
JRになって新快速に限らず、快速も普通も大幅に速度が向上した。天王寺〜奈良の快速電車など、国鉄時代には85km/hだった最高速度が120km/hに引き上げられた。しかし関西本線は線路等級が乙線で、構造上そこまでの速度は認められない。いくら重軌条に交換したとしても、基本は乙線だ。蒸気機関車だとC59やC62は入線できない。C57クラスだ。それなのに120km/hでぶっ飛ばす。おいおい、やりすぎじゃないのか。動力近代化以降の機関車だと、ディーゼルのDD51機関車は入線できるが、軸重の大きいEF65電気機関車は無理だ。
当方が関西本線の話を出したのは、福知山線と同じ乙線だからである。大事故を起こした福知山線だが、国鉄時代はDD51ディーゼル機関車がゆっくり旧型客車を引いていた。電気機関車は入線できず、JRになってからも夜行急行だいせんが長く残っていた。福知山駅の構内に福知山機関区があって、ここのディーゼル機関車が山陰本線や播但線など、山陰方面の客貨運用を担当していた。大阪駅に乗り入れるDD51ディーゼル機関車は、いかにもローカルなイメージを持っていた。
この偉大なるローカル線、福知山線を、井出正敬はライバルの阪急電鉄に対抗するため、名称を「宝塚線」に変更した。井出は東海道本線も阪急に対抗して「京都線」に改め、神戸方面は「神戸線」に改めた。阪急電鉄をターゲットにして乗客の奪還を始めたのである。福知山線の電車本数は飛躍的に増え、大幅にスピードもアップ。国鉄時代のイメージは消えた。案の定、多くの乗客がJRに流れた。
しかし、ここに思わぬ落とし穴があった。尼崎駅を東海道本線(神戸線)、JR東西線と乗り換えられる構造にしたため、列車が少しでも遅れると乗り換え出来なくなる危険なダイヤになってしまった。そして福知山方面から尼崎駅に到着する電車が、途中駅で遅れるようになり、ダイヤ通りに走らないと処罰されることを恐れた運転士が、危険なカーブを脱線すれすれの速度で通過することが日常的になってしまった。制限速度30km/hのところを35km/hで通過しても大丈夫だった。ここでダイヤを回復しようと、運転士は「回復運転」をすることに慣れてしまった。大事故が起きる環境は育ちつつあったのである。
ダイヤの遅れをカバーするために、途中の駅と駅の間を急加速、急減速する運転を強いられ、途中駅でのオーバーランが増えた。無理な会社命令が、運転士を追い込んで行ったのである。もうやれない、もう駄目だ…。事故を起こす前にJRを去る若者も出た。タクシーとかバスに転向した人を知っているよ。道路も危険だが、一度に百人以上死んだ鉄道事故のようなことはないだろう。そう自分に言い聞かせて、彼らは鉄道を捨てた。
JR西日本は打倒阪急を目指して、阪急と同じ路線名に変更したり、電車本数を大幅に増やして速度も著しく向上させた。だがJR西日本は阪急になれなかった。阪急の、あの上品な美しい電車。どこも真似できない電車。マルーンの電車を見るたびに、車内も美しく掃除され、駅も花がいっぱいで感動する。小林一三氏の美的哲学は、今も継承されている。
これに対してJR西日本は、車内の掃除も経費節約で手抜きが目立ち、げんなりする。そもそも電車自体が、塗装レスのステンレス製じゃないか。(国鉄は採用しなかった。)外装が水あかで汚れており、シールも退色している。美しいマルーンの電車に慣れている、目の肥えた阪急沿線の乗客から見れば、明らかにグレードは低い。同じく、駅もきれいじゃない。本当に阪急に対抗するのなら、「いつもきれいな電車と駅」にしなければいけない。しかし井出商店は、掃除の経費など「利益を生まない」ものだと割り切り、手を抜いてきた。JRなんてマスゴミのつくりあげた虚像に過ぎない。この虚像が福知山線大事故で明らかとなり、かつての国鉄一家ばかりでなく、昔からの鉄道愛好家もJRから離れていった。鉄道関係のブログや掲示板を見れば、昔からの著名なファンがいなくなっていることに気がつくだろう。