01. 2013年3月04日 00:00:39 : rwgORSmgTI
全面的に賛成!
ただ、既得権益側の抵抗は極めて大きい。
多大な犠牲者も覚悟しなければならない。
それでもやる価値は大いにある。
問題はどのように実行するかだ。
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2013年3月 > 04日時分 〜 ★阿修羅♪ |
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ただ、既得権益側の抵抗は極めて大きい。
多大な犠牲者も覚悟しなければならない。
それでもやる価値は大いにある。
問題はどのように実行するかだ。
今、一番知りたいことは、まだ何とかTPP交渉に入らず、それ以前の白紙状態に戻れるのか、それとも、実はこれからいくら反対しても、もう引返せないところまで首根っこを押さえられてしまった状態なのか、である。日本の将来がかかっている。この点だけは、直ちに自公民政権に問い詰め、うそ偽りのないところを言わせる必要がある。
だってさぁ、<パンパース安倍ちゃん>が必死こいてる‘集団的自衛権の行使’ってのは、一体全体、「何処でどのような状況下で」行使されるものなんだい?
例えばさぁ、日本領海内で同盟国<アメリカ様>の艦船が‘どこかの国’に攻撃されたとすれば、我がジャパーンの自衛隊が援護・反撃するのはアッタリマエダのクラッカーじゃん。
じゃぁ公海上はどうなんだい?って話だが、両国が連携して「同一行動」をとっている場合には、これもアッタリマエダのクラッカーなんだよ。「同一行動」をとっていなければ、それは<アメリカ様>の問題でしかない、ってことさ。
‘集団的自衛権の行使’に関して予てから四の五の問題になってるのは、「ショウ・ザ・フラッグ」なんて<軍隊バカ・アーミテージくん>の恫喝に恐れ戦いて、<アメリカ様>の大義名分無き、根拠無き「アラビア半島・石油シマ争い」に引き摺り込まれたケースや「国連・安保理」の打算的且つ曖昧な「制裁処分」に嫌々協力しなければならなかったケースでの‘集団的自衛権の行使’なのである。
それらの大半は、元来が極東の民主主義国家<ジャパーン>が関与してはならない、「欧米諸国対中近東諸国」という、古代史以来の「相互侵略の歴史」の尻尾を未だに引き摺っている‘民族的な問題’なのである。
そうした教訓を省みれば、<尖閣>なんてチッポケナ取るに足らないお話であり、中国側が攻め込まない限り‘サスペンデッド状態’でいいじゃん。
だってさぁ、<尖閣>の帰趨を巡って揉めている根幹は、「漁業資源・海底資源」の争奪戦ってだけなんでしょう?オイラに言わせてもらえば、その「漁業資源・海底資源」だって、どの程度‘商業的な採算に見合う’ものかは、??ってのほうが圧倒的に多いんですよ。
お互いに、話し合い・交渉・妥協するしか、戦争以外の‘道’はない…ってオイラは思うわけ。しかも、戦争に勝てるって目算は、世界中の‘どの国家’にも‘どの政府’にも‘どの軍隊’にも、在り得るわけが無い。
チョイと疲れちまったから、続きはまた後で…。
生産性が上昇して企業収益があがり、それにあわせて給与も上昇し、それによってインフレが生じた高度成長の時代ですね
単なる通貨価値下落による円安インフレでは、残念ながら負けにしかならないのは、ハイパーインフレが生じたジンバブエなどを見れば明らかです
つまり重要なのは
生産性上昇=>企業収益上昇=>賃金上昇=>需要増大=>価格上昇
名目税収増大=>社会保障充実=>失業者など低所得層の生活上昇
という2重の好循環が生じるかどうかということです
>口先だけ綺麗なことを言って、心の中で悪事を企む
お前のことだろ。図星か。
鼻糞、犬の糞の烏合の外道ばかり。ところで外道とゆえば肺炎で死に掛け
の東京の三文物書きの他意様のゴロツキは死んだか?
>2009年民主の奴らほど悪い奴らはいない
嘘八百のデタラメ野郎の君がそう言うってことは
民主党は相当まともだったということだな。
>いや日本をボロボロにした
自民信者のクズ野郎!
ボロボロはお前の脳みそだ。
率直な感想。
胸糞悪い。私はこんな流れのために投稿してきたのではない。
記事が長くて斜め読みなので、趣旨をはずしていたらすいません。
それから1さんのコメントに追加して、
先日のフクイチ視察の折、現場担当者が話していたのは、
4号機の使用済み燃料の破損は見られないということでした。
ですから、4号機の使用済み燃料から取り出しの準備を始めているそうです。
しかしながら1号機と3号機は話が別で、
3号機の使用済み燃料プールは、事故前は100体以上燃料が保管されていたのにもかかわらず、並んでいるはずの燃料が、水中カメラの映像では一部しか見当たらない。3号機は4号機と違い、使用済み燃料プールのある階で作業もできないというありさまです。
東電は、1号機の使用済み燃料プールの話題は会見においても扱いません。
国会事故調の視察は、1号機の4階あたりを希望していましたが、虚偽の理由をつけて視察を断るほどです。
事故当初1号機の水が空になったという報道は、4階にある使用済み核燃料プールの水も空になっていた・・・とも考えられると思います。
これは正確な情報かは定かではありませんが、
1号機と3号機は、原子炉の損傷は少ないと聞いた記憶があります。
原子炉圧力容器の下部温度が毎回発表になっていますが、メルトダウンした燃料の下をどのようにして温度を測っているのか、にわかに疑問です。
いわゆる「安倍トレード」で、日本株は上昇し、円は大きく下げてきた〔AFPBB News〕
大方の日本人投資家は、通貨を押し下げ、新たな財政刺激策に乗り出す首相の決意を歓迎した。安倍晋三氏が昨年12月に首相に選ばれてから、TOPIX(東証株価指数)は22%上昇し、円相場は大幅に下落した。
そして今後、財務省の元キャリア官僚で新たに日銀総裁に指名された黒田東彦氏が、より積極的な量的緩和策を指揮することになる。
だが、もっと懐疑的な向きもある。構造改革の不足や不利な人口動態、低い生産性、中国、韓国などの近隣諸国からの競争上の脅威を考えると、こうした政策は金利上昇を招く一方、悪影響を相殺する恩恵が見込めないと考えているからだ。
数十年とは言わないにせよ、もう何年も、日本円と日本国債に対する空売りは、損失が膨れ上がるために墓場トレードとして知られてきた。
「墓場トレード」と呼ばれてきた日本売りに異変
ところが今、アベノミクスという決して新しくはないが素晴らしい世界のおかげで、円売りは利益を上げており、日本に対する弱気筋は、弱気に基づく賭けの対象を日本企業に広げている。
こうした投資家のポジションは、政府がやろうとしていることにどれだけ大きな利害が絡んでいるかを物語るとともに、多くの運用担当者やエコノミストが、新政権が日本を今より高く持続的な成長軌道に乗せられる可能性について悲観的な理由を示している。
なぜなら、政府の政策課題は概ね、過去にうまくいかなかった手っ取り早い対策から成り、長年の低成長ないしマイナス成長を経た今では、従来以上に危険な対策だからだ(そして現在、日本はマイナス成長が3四半期続き、再び景気後退に陥っている)。
いくつかの面では、安い円は確かに日本の輸出企業の収益に貢献する。だが、そうした効果はある意味で人為的だ。むしろ、より魅力的な製品を作り、価格決定力を持つ方が望ましいだろう。
純粋な恩恵ではない円安
いずれにせよ、円安は決して純粋な恩恵ではない。何しろ日本は依然、原材料の輸入に依存している。福島の原発事故で原子力発電が大幅に減少したため、現在は輸入エネルギーに対する依存度が高まっている。円安により、貿易収支と経常収支の双方に大きな圧力がかかる。
そのうえ、もし政府が望んでいるように円安進行が続いたら、外国人投資家は為替サイドのリスクを補うために、高いリターンを求めるようになる。こうした資金は市場に流れ込む投資の一部にすぎないが、変化は常に周縁から始まるものだ。
金利の上昇は、政府にとっても、過度な借り入れを行っている日本企業にとっても問題になる。後者のような企業が、新政権の政策に納得していない例の投資家の標的だ。
政府の支出政策も、お粗末な対策に終わる可能性が高い。景気刺激策はこれまで、特に建設業界の既得権益の要求をそのまま反映しており、乗数効果がゼロだった。こうした事業は日本の有名な光景であるコンクリートで舗装された川や山間の小川にかかる立派な橋を生んだ。
だが実際、そうした政策はこれまでは逆効果だった。消費者は、これらの不要な工事の代金を払うための増税を見越して、従来以上に節約しなければならないと感じたからだ。
日本の人口高齢化を考えると、道路よりも老人ホームを建設した方がずっと良かった。そうした施設は、発展の遅れた日本のサービス部門を育成するとともに、老後のために貯蓄する動機を減らす助けにもなるはずだ。だが、それには移民が必要となるかもしれない。移民の受け入れは、政策課題に挙がってさえもいない多くの構造改革の1つだ。
「オールドジャパン」銘柄に目を付ける弱気筋
さらに言えば、たとえアベノミクスが円安の結果としてより高い物価上昇率をもたらすことに成功したとしても、賃金は恐らくインフレに追いつかないだろう。賃金は物価に追いついたことがないからだ。その場合、弱い内需は一段と弱くなる。
こうした理由から、米国の一部ヘッジファンドの運用担当者は今、まさに安倍政権の政策の恩恵を最も受けるはずの「オールドジャパン」銘柄に対してネガティブなポジションを取っている。
こうしたファンドは例えばクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場で、製紙業界や海運業、鉄鋼業界の多くの企業のプロテクションを買っている。これらの企業がデフォルトすると考えているからではなく、事業衰退のリスクと比べて、CDSの保証料率が安く思えるからだ。
これらの投資家が考えているように信用スプレッドが拡大すれば、投資家は儲かる。一部の鉄鋼メーカーは、アルセロール・ミタルよりも債務負担が大きく、同社以上に中国に影響されやすい。また、日本人がファクスされた地図の代わりに様々な機器を使うようになり、製紙会社ではついに需要が減少し始めている。
最軍備関連銘柄が買われ始めたら・・・
さらに、多くの日本人でさえ、安倍氏の右派の国家主義的な見解のために、こうした政策が短命に終わったり効果がなかったりしたらどうなるか心配している。
一部のバンカーは、ほぼ150年前の明治時代以来、日本は戦争によってしか景気後退から脱したことがないと指摘する(望むらくは、1950年代の朝鮮戦争などの他国の戦争だった)。
再軍備関連の銘柄が高騰し始めたら、日本の運勢は短期的に上向くかもしれないが、長期的には一段と大きな危険にさらされるだろう。
By Henny Sender
まだ円安ではない。1ドル=107円が適正
古森重隆・富士フイルムホールディングス会長・CEOに聞く
2013年3月4日(月) 西 雄大
日本の製造業は円高による競争力の低下に苦しんできた。アベノミクスの登場で円相場の流れは変わったが、古森重隆・富士フイルムホールディングス会長・CEOはまだ円安と呼べる水準ではないと見ている。適正なレートはどこなのか。
アベノミクスへの期待感から円安が進行しています。
古森:円安ではありません。行き過ぎた円高の是正と考えるべきです。日本は工業製品を輸出して稼ぐ国です。経済を成長させるには為替水準の是正が欠かせません。
政府には電気料金や為替、税金など国の基礎的な競争力を整えてほしい。なかでも円のレートがフェアであることが一番大事です。購買力平価をみると1ドル=107円が適正な水準の目安ではないかと思います。そのなかで安倍さんが「行き過ぎた円高を是正します」と表明したことで変わりました。就任直後に第一声として表明して頂いたことは評価できます。
(写真:的野 弘路)
リーマンショック前は1ドル=115円くらいで推移していました。我々は来年度が中期経営計画の最終年度になります。売り上げ2兆5000億円、営業利益が1800億円を見込んでいます。仮に115円の水準に戻れば、売り上げは3兆円、利益は3000億円になります。いかに企業がダメージを受けているのかお分かりいただけるでしょう。企業努力でできる部分はもちろんありますが、円高の為替水準では他国と競争になりません。
行き過ぎた円高になると、製造業は生きていけません。海外へ製造拠点を移転させるか、国内に残ってつぶれるのを待つしかありません。電機業界など一部の業界は赤字で苦しんでいますが、ほかの競争力が弱い業界も同じような状況に陥り、ついには誰もいなくなるかもしれません。
企業の活動が活発になれば雇用の問題も解決します。国内に製造拠点が残るというのは最も大事なことです。
デフレから脱却するために賃金を上げるべきだという声もありますが、賃上げをして経済が良くなるのではありません。順番が逆で、まず原資が必要です。企業が売り上げを上げてから分配しなければならないのです。
世界でフェアに戦えるようにしてほしい
安倍政権に注文したいことはありますか。
古森:大きく4つあります。まず1つ目が税制改革です。法人税は海外に比べて高い。研究開発関連の減税ももう少し拡充してほしいですね。中小やベンチャー企業は利益率が低く、減税の恩恵を受けられる企業は少ないように思います。
税制はそもそもの問題があります。税金を払っていない企業が多すぎるように思います。聞く所によれば、7割が法人税を払っていないといいます。やはり公平に負担してもらいたいところです。
2つ目が規制緩和です。我々は医療機器を製造していますが、実に規制が多いと感じます。例えば医療機器のソフトウエアはハードウエアに組み込まれていないとダメ。ソフトだけの認可はしてもらえません。これではソフトウエア産業が育たないです。医薬品の承認も時間がかかりすぎています。アメリカは5年程度のところ、日本は倍かかります。時間もコストもかかる。規制緩和をしてもらわないと産業が育ちません。
3つ目はエネルギーコストが高いことです。日本向けのLPガスは高値で推移しています。日本はアメリカに比べて6倍ほど高いそうです。我々だけでも600億円ほど払っています。アメリカの企業は100億程度で済んでしまいます。これでは競争になりません。
最後に教育です。若者の教育を強化してほしい。みんな戦って紳士的にやろうしている。たしかにルールは守らないといけませんが、世界では熾烈な競争が繰り広げられています。昔の日本人のレベルと遜色がないくらいに資質を高めてもらえれば多くの課題に勝てると思うのです。
製造業が弱くなっているとの指摘もあります。
古森:それは違います。為替さえ適正な水準に戻してくれれば我々はきちんと経営できます。精密機器や化学など競争力が強い領域はあります。繰り返しになりますが、行き過ぎた円高を是正してさえくれれば負ける気はしません。
適正なハンディキャップにしてもらえれば我々は自力でやっていきます。有利になるような制度を作って下さい、と国に頼ることはしません。とにかく世界でフェアに戦える状態にしてほしいだけです。
安倍首相とは以前からのお付き合いですが、印象はどうですか。
古森:安倍さんは色々な人の意見を聞かれます。経営者を交えて意見交換会をしていますが、じっと聞かれていることも多いです。
前回と比べて余裕が出てきたように思います。ご本人も第一次内閣の時には「肩肘がはっていた」と振り返っていました。最近は自民党総裁選や総選挙を勝ち抜いた自信と経験からでしょう。このところ頻繁に会っていませんが、応援しています。
昨年の総裁選でもご自分がなられると思っていなかったようです。僕も「立候補されたらどうですか」とお薦めしました。前回、政権を担っていた時も国の問題をご自分のこととしてとらえられている。私は応援していますよ。
西 雄大(にし・たけひろ)
日経ビジネス記者。
徹底検証 アベノミクス
日本経済の閉塞感を円安・株高が一変させた。世界の投資家や政府も久方ぶりに日本に熱い視線を注ぐ。安倍晋三首相の経済政策は日本をデフレから救い出す究極の秘策か、それとも期待を振りまくだけに終わるのか。識者へのインタビューなどから、アベノミクスの行方を探る。
TPP交渉で農業改革に号砲
日米首脳会談
2013年3月4日(月) 安藤 毅 、 張 勇祥
日米首脳会談を経て決定的となった日本のTPP交渉参加。政府は交渉進展のカギを握る農業改革に本腰を入れる方針。守る対象から“稼げる”農業へ。政府の改革姿勢が試される。
本誌が2月18日号で報じた通り、安倍晋三首相は近くTPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加を表明する。2月22日のバラク・オバマ米大統領との首脳会談で、すべての品目の関税撤廃を前提にしないことを確認したためだ。自民党内では今夏の参院選での農業票離れを懸念する声がなお根強いが、安倍首相は交渉参加の判断について党役員会で一任を取りつけた。
自由貿易推進論者の安倍首相は、日米同盟強化や成長戦略に弾みをつける観点からも、再登板前からTPP交渉参加に意欲を示していた。
日本国内で「聖域」確保が交渉参加の条件との空気が広がる一方、米国も高い水準の自由化を目指しつつ、自動車や砂糖など一部品目は例外扱いとしたいのが本音だった。年明け以降、両国政府は首脳会談に向けた事前協議で、双方の顔が立つ落としどころを探った。
政府関係者によると、「聖域」確保の感触が強まった2月上旬に安倍首相は交渉参加を決意した。それを前提に共同声明の文言調整が加速。「日本には一定の農産品、米国には一定の工業品というように両国ともに2国間貿易上の重要品目が存在する」とする共同声明が固まったのは首脳会談の前日だったという。
交渉参加は6月決定か
TPPは関税撤廃に加え、投資や知的財産権保護などのルール整備を進めることで、アジア太平洋地域で企業活動がしやすくなる効果が見込まれる。
ただ、交渉の見通しはなお霧の中だ。交渉に参加する11カ国は10月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の場での大筋合意を目指す。日本の交渉参加には米議会の了承を得る必要があり、正式な参加決定は早くても6月。交渉参加は9月からになりそうだ。
TPP推進を主張してきた日本の自動車業界も手放しで歓迎しているわけではない。米側は自らの「聖域」として、乗用車で2.5%、トラックで25%の輸入関税の当面維持を求めると見られるほか、軽自動車の税負担の軽さが非関税障壁に当たるとの主張を下ろさない可能性が大きいためだ。
9月の交渉参加時には日本が重視する農林水産物の扱いなどに関する議論が大詰めを迎えている可能性が大きい。今のところ政府は2つのアプローチで農業対策を進める方針だ。農家にとってプラスになる議論を先行。農産物の輸出拡大や農商工連携の強化、耕作放棄地の解消策などを整理し、6月にまとめる成長戦略に盛り込む。
一方、コメ、砂糖などのうちどの品目を例外扱いにし、農家向けにどのような補助金や振興策を用意するかに関する検討は激論が必至だ。自民党内では1993年のウルグアイラウンド合意時に約6兆円の対策費が投じられたことを念頭に、「10年で10兆円」といった構想が早くもささやかれる。
だが、「金額ありき」の姿勢では農家や農協向けの単なるバラマキに終わりかねない。一律の支援を前提とする農政から、専業農家や中山間地向けに支援を手厚くするなど「選択と集中」が欠かせない。
本間正義・東京大学教授は「成長が見込める分野はコメ。輸出産業化には農地集積による大規模化とコストダウンが必要」と指摘する。“稼げる”農業への脱皮に向け企業の農地取得や減反制度見直しなどタブー視されてきた課題に今度こそ手をつけられるのか。TPP交渉参加は安倍政権の改革姿勢の試金石になる。
安藤 毅(あんどう・たけし)
日経ビジネス編集委員。
張 勇祥(ちょう・ゆうしょう)
日経ビジネス記者
時事深層
“ここさえ読めば毎週のニュースの本質がわかる”―ニュース連動の解説記事。日経ビジネス編集部が、景気、業界再編の動きから最新マーケティング動向やヒット商品まで幅広くウォッチ。
景気映す業種・地域の広がり
2013年3月4日(月) 大村 法生
企業のIPO(新規株式公開)が回復基調をたどっている。業種の広がり、地方銘柄の増加が企業業績の回復を示唆する。一方、個人を中心に売買は過熱。相場に波乱を招きかねない。
2012年のIPO(新規株式公開)社数は48と2011年の37社を上回り、3年連続で前年比プラスになった。上場を準備している企業の動向を分析しているが、2013年の新規上場は60社ほどと、引き続き増加しそうだ。
なぜか。アベノミクスへの期待で株価が上昇していることが主たる要因ではない。多くの場合、企業は株式公開による調達額の多寡より、上場そのものを通じた信用力、知名度の向上に重きを置いており、上場できる時には上場する傾向が強いためだ。むしろ、上場予備軍の企業業績が上向いていることが大きい。
このことは、次の2つの「状況証拠」からも見て取れる。1つ目は、上場する企業の業種が良い意味でばらけてきたことだ。
上場企業、業種が多様化
日本経済が振るわない時期には、それでも底堅い収益が稼げる医薬品・ヘルスケアの新規上場がどうしても目立つようになる。例えば2010年はIPO件数の18%、2011年は16%が医薬品・ヘルスケアで、比率としては最も高かった。それが2012年はサービス業が16社と全体の3分の1を占めた。足元は住宅、不動産の動きが活発なうえ、円安に伴い製造業の業績も改善しつつある。海外経済などに変動がない限り、今後は製造業の上場増も期待できる。
2つ目は地域の分散だ。景気が悪い時は、やはり経済規模の大きい東京の企業の割合が高くなる。東京以外の企業が増えることは、日本全体の景気が改善していることを表しているのだ。
2011年は37社中25社が東京の企業だったが、2012年は48社中26社だった。九州に本社を置く企業の割合が1割に乗ったことも特筆できる。新幹線の整備が進んだこともあって熊本や鹿児島が九州経済圏として一体化しつつあり、地域全体の生産性が向上していると考えている。
円高修正を除けば新政権による景気対策の効果が出てくるのはこれから。しかし、企業はこれまでのデフレや円高に必死に対応し、その成果が出つつあることがIPOの回復に表れている。
ただ、株価を見ると個人を中心に売買が過熱している。今年に入り株式を公開した4社の初値は公開価格を大きく上回り、短期筋の投資意欲は過去数年にないほど盛り上がっている。この点は、株価形成のうえで波乱要因として意識する必要がある。
(構成:張 勇祥)
会社に姥捨て山を作らない方法
2013年3月4日(月) 蛯谷 敏
「100歳の現役サラリーマン」、福井福太郎氏をご存知でしょうか。日経ビジネスの読者なら、昨年9月10日号の特集「隠居ベーション」で紹介したその活躍ぶりを記憶している方も多いでしょう。文字通り、100歳を超えた今も現役の会社員です。
毎朝、神奈川県藤沢市から東京都内のオフィスに約1時間かけて通勤。宝くじを委託販売する会社で事務仕事を精力的にこなしています。万歩計を常に身につけ、1日7000歩が日課。矍鑠としたスーツ姿は、実年齢を感じさせません。「衰えは感じないねえ。まあ、97歳を超えた頃から、老化を感じるようになったけれど」と福井氏は笑います。
60歳の定年を超えても、福井氏のように能力を発揮できる高齢者は少なくありません。引退世代を「隠居」と呼んで社会から追い出すよりも、むしろその力を積極的に活用してはどうか。それが、閉塞感漂う日本経済の活性化につながり、高齢化社会を生き抜く処方箋となる――。特集には、そんなメッセージが込められていました。
ところが、物事はそう簡単ではありません。確かに、福井氏のように経験と能力と体力、さらにはモチベーションまで備えた人物であれば、会社も喜んで働いてもらいたいと願うでしょう。しかし、残念ながら世の中そんな人ばかりではありません。
本日から公開している2013年3月4日号特集「定年延長パニック」では、今年4月1日から本格化する定年延長制度の実態に焦点を当てました。年金支給開始年齢の引き上げに合わせ、段階的に実施されてきた定年延長制度。法改正によって4月1日以降は、一定の猶予期間後、希望する全社員を65歳まで雇用する義務が、すべての企業に課されます。
いわゆる、「65歳定年時代」の到来です。これまで60歳で定年を迎えていた多くの会社員が65歳までの雇用継続を選択することが想定されることから、企業がその対応に追われています。企業にとっての人件費増加は言うまでもありませんが、元上司が部下になるといった指揮系統の混乱、新規採用の停滞など、その余波は決して小さくはありません。特集班の試算では、65歳定年制によって、雇用しなければならない社員数は最大で約100万人増加。企業の人件費も、1.9兆円増え、各産業の利益率に0.1ポイントの押し下げ効果があると見ています。
「新人でも半日でこなせる仕事に丸一日費やしている。電話を取ったかと思えば、他部署の人と世間話。パソコンに向かったかと思えばゲームの『ソリティア』。定年延長でこういう人が増えていくのかと思うと不安になる」。特集に登場する現役社員の冷ややかな言葉からは、定年延長世代の活用を間違えると、組織の活力を落としかねないリスクをはらんでいることが分かります。
無論、すべての60代がこのような社員ではないでしょう。しかし、福井氏のような優秀な人ばかりでないのもまた現実です。制度が走り始める以上、企業の対応は不可避。では、経営者はどう向き合っていけばよいのか。特集では、4種類の方法を具体的な企業ケースと共に提示しています。若干品はありませんが、本質を言い当てた特集のサブタイトル「会社に“姥捨て山”を作らない方法」。定年世代を抱える企業にとって無縁ではいられないテーマを深堀りしました。
蛯谷 敏(えびたに・さとし)
2000年、日経BP社入社。通信業界誌『日経コミュニケーション』記者を経て、2006年より日経ビジネス記者。情報通信、ネット、金融、不動産、政治、人材など色々担当。「一極集中」から「多極分散」へと移り変わる様々な事象をテーマに日々企画を考えている。
特集の読みどころ
企業が直面する変化や課題に多角的に切り込む日経ビジネスの特集。その執筆の動機やきっかけ、誌面に込められたメッセージをお届けします。誌面と併せてお読みいただくことで、理解がより深まる連載です。
バカでも知事はできる
住民がバカならば
バカでも総理はできる
国民がバカならば
結局、何を主張したいのかよく判らんぞ。
申し訳ないと思いつつも、
やはり写真を撮るべきと思い、
店主の目を気にしつつ、
2個だけ写真にした。
普通の人参より倍ぐらいのサイズがある。
しかも、所謂奇形が多い。
大きいダンボールで一ダンボールがあった。
これって、やはり放射線の影響でしょうか。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2939.html
国会でも東電も廃炉作業中とし、廃炉が出来る事を前提にして再稼動という道筋へ
突き進んでいるようだが・・・
廃炉作業と言われている作業とは・・・・・・全てが調査段階でしかなく廃炉への作業方法を
模索中である事を誰も語ろうとしない! いや、敢えて触れようとしない。
チェルノブイリ原発事故では、原子炉自体が壊れて燃料が丸出しになっており、状態を確認することが出来たが
福島は、未だに燃料の状態すら確認できておらず、当然ながら廃炉方法が確立出来ていない。
廃炉方法が判っていないのだから、当然廃炉工程など立てることなど到底無理だ。
現場では、日々燃料の場所を確認するため色々なアイデアを出して、調査を進めるが
未だに決定的な方法が見つかっていないようだ。
事故から2年が経過しようとしている現在でも、原発の状況すら把握出来ていないという
異常事態なのだ。
核が暴走を始めると人間の力では、到底制御出来ない事はこの状況からも判るはずなのだが・・・
安部政権は、原発推進に舵を切ったが、それに反対する政治家の声は小さい。
それだけ、原発村の持っている利権が大きくその利権に呑み込まれることで、自分の政治家としての
立場を守ろうとする政治家がいかに多いかと言うことを物語っている。
国民に大きな影響を与えるマスコミなどは、大手になればなるほど真実を伝えない。
全ての記事に利権の匂いがする。
頭のおかしい物同士のケンカ
日本のゴミ同士のケンカ
無知無強要無能能無し同士のケンカ
恥知らず同士のケンカ
道徳観の欠片も無いもの同士のケンカ
自己中同士のケンカ
インターネットや通信機器の犯罪が、まことしやかに引き起こされるならば、
9月11日のテロのあとに米国が仕組んだ『電気通信をくまなく監視する大規模な計画』と同じことが、日本で起きていると考えられます。
そうなると、ますます311が怪しくなりますが。。。。
『 令状なしに、国民を監視するシステム 』を早急に日本政府が作ろうとしている、その後どうなっていくのか。
私は歴史も社会も弱いので、得意な方におまかせしたい。
米国内でどのように上記の計画が暴かれたのか、も学びになると思います。
311を前に思うのは、
消防庁も防衛省も、いつになったら災害に対応できるようになるのだろうかと。
スマトラ津波の際は、後進国がゆえに津波予想も避難指示もできなかったと日本にいて見くびってしまった。
30分おきに気象予報が流れるような発達した日本では、起こりえないだろうと。
『福島県教育委員会メールマガジン
「ベラルーシを訪問してきました」
福島県教育委員会委員長 境野米子』
http://www.pref.fks.ed.jp/mailmaga/backnumber/2012/20130220essay.pdf
次は境野氏のビジネスサイトにあるビタペクトの宣伝。
http://komekosk.blog55.fc2.com/blog-entry-2112.html
反原発活動家と理論家の皆さんへ、
爺さんこと私は、こんな流れのために投稿してきたのではありません。
なぜか世界の反核・反原発が足並みをそろえて無視し隠蔽する、放射線防護にかかわる内容を広く知らせて、支配層の棄民政策への怒りを掻き立て、放射能拡散にたいする戦いが広がることを祈って投稿してきました。
プロパガンダやスローガンでなく、事実が一番まっとうな怒りを呼び起こすと考えました。
それが私の家族を守ることになると判断したからです。
ところが上に上げたpdfとサイトを見ると、反原発が表立って取り組まない内容を、すでに福島の支配層は取り込んでしまっています。
茶番劇エートスの悪が叫ばれる中、これは漫画のような事態です。
放射線ミティゲーターとベラルーシのベルラドにも学んだ数々の放射線防護策を活用して、汚染食品や汚染製品を全国の非汚染地へと拡散する地域共同体の、世界史的モデルケース。
私は、私の家族の未来のためにも、反原発勢力に負けて欲しくはありません。
しかし、これでは負けます。
何であなた方が、被害者の全うな怒りの輪をまとめる前に、『敵』の方が現実的な対処作を用いた取り込み策をここまで進めているのか。
おおっぴらには、阿修羅に投稿しているだけの小さな私ですが、この悲しい事態に、怒りを通り越してただ笑うしかありません。
私は、こんな流れのために投稿してきたのではありません。
他人に毒を食わすために存在するものなど滅び去るがいい。
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/537.html
日本の記念日:「私たちは忘れない」と天皇が語る(BBC)
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/146.html
天皇陛下のおことば 東日本大震災1周年追悼式 平成24年3月11日(日)(国立劇場)(宮内庁・ANN)
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/147.html
どこに投稿すべきでしたか?
今年も同様の投稿をするかも知れませんので、お教えいただければ有り難いです。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/898.html
で親がなくなって自然に帰る。でも一応 ○○のみこと という名をつけて自然に帰ったけれども親には霊魂のようなものはあると考えているからです。で天皇陛下は日本人の本家の親と考えています。日本人は日本人部族の兄弟姉妹親戚でひとまとまりっていうことです。
でなくなっても霊魂のようなものが生き残った家族の守り神になってくれているに
違いないって考えるので神社でお祈りします。守っていてねとか。
で結婚の神とか、縁むすびの神とか(笑)なんらかのゆかりの人で神の名前をつけてしまっているのでその場合には親じゃない親戚のその人に神頼みする場合もあるわけです。・・・ だから八百万の神でもいいわけです。
神社では雷の音のするところに神が現れますから 鈴で雷をならし、しめ縄の入道雲に神さんがあらわれてコンタクトすることができます。
お辞儀や垂直の姿勢をとるのは風や水と同化して今生きている自分も自然と同化を
する意味があるようです。太鼓を叩いて神様が歩いてきて我々の前に現れます。
神様にはお供えをしますけど酒やもちや潮や水も備えて、神様には食事をしていただいてもてなしをして酒を飲んでいただきながら神様にいい気分になってもらってそのうえで我々が祝詞をお願いごとを声をだしてお願いすると・・・きっと聞いていてくれているに違いないと・・いうことでお願いやお祈りをするわけです。
お供えしたり神社に神様がいるっていうのはまさに古代旧約聖書の世界と同じなのです。事実長野の諏訪神社ではアブラハムの逸話とまったく同じ祭りがあったりします。
英米さんが日本はキリストっていうのは伊勢神宮では生贄をもうやめているからなのです。詳しくは過去のログのコメントでもでていますのでさがしてみてください。伊勢の言葉はイエス・・イエッセです。
在英ジャーナリストの小林恭子さんが、米大手ネット通販・アマゾンの配送センターをルポした英紙フィナンシャル・タイムズの記事を紹介しておられたが、英大衆紙デーリー・メールもFT紙の記事を転載した。競争の厳しい英メディアが、「後追い」記事を載せることはあっても「転載」は非常に珍しい。
米映画ターミネーターは、人工知能スカイネットや殺人ロボット・ターミネーターの支配に抵抗する人間の近未来を描いた。アマゾンの配送センターでは、サトナブ(衛星測位システム)の携帯端末を持たされた労働者がコンピューターの指示通りに働いている。
人間性より効率性を優先するアマゾンの人間オートメーションは、ディストピア(ユートピアとは正反対の社会)を英国人に連想させるのだろう。英作家ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』は、英国人が一番嫌う社会だ。
サッカー場を9つ合わせた広大なアマゾンの配送センターでは、オレンジ色のベストを着た数百人の労働者がせわしなく歩き回る。サトナブが本を棚から集める最も効率の良いコースを表示する。もたもたしていると、「急げ」のシグナルが送られてくる。
配送センターが開設された英スタッフォードシャー州は産業革命で石炭、製鉄業などが栄えた。しかし、次第に国際競争力を失い、サッチャー革命で地盤産業が衰退、失業者があふれた。ネットの寵児、アマゾンの進出でバラ色の未来が約束されると地元住民は胸を踊らせた。
薬物・アルコール中毒検査をクリアした労働者は最低賃金に近い金額で3カ月働いた後、正社員になるチャンスを与えられる。
配送センターの仕事は4分類される。他の場所から送られてくる本の受け取りライン、配送するための荷造りライン、本を棚に収納する係、注文のあった本を棚から集めてくる係だ。
本を集める係の人はサトナブ片手に手押し車を押して、1日8時間、コンピューターの指示通り倉庫の中を歩き回る。昼休みは30分。歩行距離は1日11〜24キロ。配送センターから出る時は何も盗んでいないかをチェックする探知機を通らなければならない。
アマゾンは最近、ロボットメーカーを買収した。アマゾンのマネージャーは記事の中で、配送センターで働く労働者について「あなた方は人間の姿をしたロボットのようなものだ」「人間オートメーションと表現しても良いかもしれない」とつぶやいている。
「消費者のため」は本当か
アマゾンは2006年に欧州本部をVAT(付加価値税)が20%の英国から15%のルクセンブルグに移した。2011年に英国での売り上げが33億5000万ポンド(約4700億円)もあったのに、納めた法人税は180万ポンド(約2億5000万円)だった。
アマゾン、スターバックス、アップルなど米国の国際企業は国際競争を勝ち抜いて消費者に安価な商品を提供するためには、法人税を低い国で納めて節約する必要があると主張する。「私たちは英国に投資をして、雇用を生み出している」と強調してみせるのだ。
しかし、アマゾンが成功すればするほど、目抜き通りの量販店は消えて行く運命にある。今年1月、英国最大のCD、DVD販売チェーンのHMVが倒産し、従業員が大量解雇されたばかり。
では、アップルはどうか。時価総額が世界最大になったアップルのビジネスモデルについて、英シンクタンク、社会文化的変化研究センターが報告書をまとめている。
「スマートフォン(高機能携帯電話)iPhoneの生産拠点を中国から米国に移しても50%近い粗利益率を維持でき、米国で数十万人の雇用を創出できる」という結論だった。
本社では製品の設計とマーケティングに徹し、生産は低賃金の中国など新興国・途上国に移すのがグローバル時代の典型的ビジネスモデルだ。
社会文化的変化研究センターの調査では、中国で生産した場合、組み立て労働コスト7・10ドルを含む総生産コストは178・45ドル。販売価格は630ドルなので、粗利益は451・55ドル(粗利益率71・7%)。
米国に生産拠点を戻した場合、組み立て労働コストは165・67ドルに跳ね上がり粗利益は292・98ドルに圧縮されるものの、46・5%の粗利益率を維持できることが確認できた。
中国の低賃金労働はiPhoneの値下げにつながっておらず、アップルの利益最大化に貢献していた。潤っているのは消費者ではなく、株主の大口投資家や役員たちだった。
中国にあるアップルの下請け工場では、労働者の自殺や自殺未遂が相次いだ。劣悪な搾取工場ではなかったが、効率化された単純な作業が延々と続けられていた。
100年前はトイレ時間も制限
アマゾンの人間オートメーションに関する記事を読んで、処女航海の途中で沈んだ英豪華客船タイタニック号を作った造船所を思い出した。
約100年前、英国と米国を結ぶ大西洋航路のスピード化、大型化が急速に進んでいた。タイタニックなど大型客船を作る英・北アイルランドのベルファストにある造船会社ハーランド・アンド・ウルフでは約1万5000人の労働者が働いていた。
造船所の玄関を労働者がくぐり抜けるだけで約30分を要した。鉄と鉄がぶつかり合う轟音で難聴になる労働者が多かった。リベットを打つ際、穴に指を入れている最中に鉄板がずれて指を切断する労災事故が続出した。
客船1万総トン当たり1人が死亡した。タイタニック号は4万6328総トンなので4人強が死亡する計算だったが、死者は8人にのぼった。
昼食時間は30分。週49時間労働で、週給2ポンドだった。トイレ時間は1日7分。トイレの前にタイムウオッチを持たせた「ミニッツ」と呼ばれる監視係が立っていた。賃金を低く抑えるため、時間超過すると容赦なく賃金がカットされた。
西洋の没落
100年経って、労働搾取工場は人間オートメーションに姿を変えた。これは資本主義の発展を意味するのだろうか。タイタニック号の時代はまだ、植民地からの搾取で先進国は発展と繁栄を享受できた。
英国で話題になっているアマゾンの人間オートメーションは、これまで先進国が途上国に押し付けてきた単純労働がブーメランのように先進国自身にふりかかってきたことを物語る。
ホワイト・カラー(事務労働者)ではなく、ホワイト・ワーキングクラス(白人の肉体労働者)が英国では増えている。この現象は西洋の没落のほんの序章にすぎない。
経済協力開発機構(OECD)が2012年11月にまとめた報告書では、OECD先進諸国の国内総生産(GDP)の合計は2030年には非OECD諸国に追い抜かれる。
世界経済における各国GDPの占める割合
国・地域 現在 2030年 2060年
米国 22・7% 17・8% 16・3%
ユーロ圏 17・1% 11・7% 8・8%
日本 6・7% 4・2% 3・2%
中国 17% 27・9% 27・8%
インド 6・6% 11・1% 18・2%
※2005年の購買力平価で換算、OECDホームページより
各国の経済力も上図のように大きく変化する。
2060年までに、インドや中国の国民1人当りの所得は7倍以上に増え、非OECD諸国では平均で4倍になる。これに対し、OECD先進諸国の所得成長率は2倍にとどまる。
半世紀後も、先進国と新興国・途上国の1人当たりの所得格差はまだまだ大きい。しかし、格差は確実に縮まり、中国の国民はイタリア、ギリシャ、ポルトガルよりも豊かになっている。
私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」
ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに
貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑
張って成功した人の足を引っ張るな」と。
と、小泉政権で構造改革を進めた竹中平蔵さんが東洋経済オンラインのインタビューに述べ、話題になったことがある。
しかし、私たちは望むと望まざるとにかかわらず、「貧しくなる資本主義」を生き抜かざるを得ない。日本は、急激に変貌するアジアの真っ只中にある。人間がコンピューターに使われる人間オートメーションであっても、「仕事があるだけありがたい」と思わなければならない時代はもうそこまで来ている。
(おわり)
木村 正人
在英ジャーナリスト
ロンドンを拠点に活動する国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。日本国憲法の改正問題(元慶応大学法科大学院非常勤講師=憲法)や日英両国の政治問題、国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部で大阪府警・司法キャップを務めるなど大阪で16年間、事件記者を務め、東京で政治部や外信部を経験。2002〜2003年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2012年7月、独立してフリーに。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20130303-00023711/
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/356.html
僕はもうそうなってしまっていますよ。
野球やマラソンならまあテレビをみていいかった思う。
韓国などの映画は放映がはじまった時点でチャンネルをすぐ変えるし、
ニュースの場合も切ることが多いが、「どれどれ今日はどんな嘘つくのかな」
(笑)っていう感じでみて、阿修羅にきていろいろなソースでいろいろな見方
をみて自分で判断しています。
くだらない番組は「あ、3S政策の番組だ」ってすぐテレビきっちゃう。
いまはテレビより阿修羅や動画での意見ニュース分析のほうがためになります。
ただ阿修羅にも外国のプロパガンダ工作員もでるようになってきているので
それも分析します。だいたい工作員はわかりますね。日本語や考え方が変だ。
日本維新の会は3日、大阪市内の党本部で、国会議員団と大阪系の幹部による役員会を開き、橋下徹共同代表(大阪市長)と国会議員団との間であつれきが生じていた日銀総裁人事について、国会議員団に判断を委ねることで一致した。
役員会には、藤井孝男、松野頼久両衆院議員や松井一郎幹事長(大阪府知事)らが出席。橋下氏は欠席した。
松井氏は会合で、日銀総裁に黒田東彦(はるひこ)アジア開発銀行総裁を充てる人事案に異議を唱えたものの「最終的には国会議員団の判断を尊重する」と述べた。国会議員団と大阪系幹部との意思疎通不足が指摘されていることから、近くテレビ会議システムで東京と大阪を結んで拡大役員会を開くことも確認。また、参院選の候補者公募には3日現在で200人超の応募があり、今週末から幹部による面接選考を行うことも決めた。【堀文彦】
http://mainichi.jp/select/news/20130304k0000m010048000c.html
本稿では、運用初心者のための心得を四つお伝えしたい。心得は以下の通りだ。
(1)自分がわからないものには投資をしない。
(2)お金の話においては他人を信用しない。
(3)勝ち負けでなく「将来の損得」のみにこだわる。
(4)判断に感情を混ぜない。
まず、自分が完全にわかっていない金融商品を買わないということが、何をおいても重要だ。
自分が「わかっている」とは、その金融商品について、自信を持って他人に説明できて、質問にも答えられるような状態を指す。そうでない商品については、購入を見送るべきだ。
そうした場合に、チャンスを逃す可能性はあるが、危ない話に引っかかったり、損な金融商品を買ってしまったりする可能性を考えると、メリットのほうがはるかに多い。「転ばぬ先の杖」的な心得だ。
また、この際に、商品を売ることで売り手(運用会社と販売会社)がいくらもうかるのか、「実質的な手数料」についてわからないと、商品がわかったとはいえない。売り手のもうけ分は、投資家にとって「確実なマイナスのリターン」だが、これがわからないと、商品の期待リターンもわからない。期待リターンのわからない商品を買っていい道理はない。
お金の話では他人を信用しないことも大切だ。退職金が振り込まれた銀行のセールスマンの話に乗って、その銀行の商品で運用してしまう、というようなケースが、典型的な「失敗例」だ。
金融商品は広い範囲の中からベストなものを選ぶべきだし、同じ商品でも販売窓口によって手数料が異なることがある。銀行や対面営業の証券会社で2〜3%もの販売手数料を取られる投資信託が、ネット証券で買うとノーロード(販売手数料ゼロ)といったケースもある。使う金額が大きいだけに、この差は侮れない。
原則として、運用についてアドバイスを受ける相手から運用商品を買ってはいけない。この心得を守ると、怪しいもうけ話にも引っかかりにくくなるはずだ。
FP(ファイナンシャルプランナー)に運用を相談するのは悪くないが、FPが紹介・仲介する金融商品(保険を含む)を買ってはいけない。
運用で難しいのは、運用商品ごとの損得に対するこだわりの感情の扱いだ。株式でも投資信託でも、どうしても、自分の買値から見た損得が、あたかも「勝ち負け」のように気になってしまう。そうすると、客観的で適切な判断ができなくなる。
自分の買値は市場の材料でもないし、過去の問題だ。自分の買値ではなく現時点と比較した「今後の損得」はどうなのか、ということのみに注意を向けて行動を決めるべきだ。「こだわる」という言葉をよい意味にも使うのは気に入らないが、こだわる対象は将来の損得のみにすべきと申し上げておく。
お金に関する判断に感情を混ぜないことは重要だが、完全にそうすることは無理だろう(筆者にも無理だ)。しかし、例えば「株価が下がっても株主優待で楽しめるからいい」とか、「投資として高くとも自宅用の不動産ならいい」といった具合に、言い訳や感情を混ぜると、適切な判断ができなくなる。お金は、計算に基づいてドライに扱うべきだ。
【第6回】 2013年3月4日 野地 慎 [SMBC日興証券為替ストラテジスト]
今年も米国金利は4月がピーク
“リスクオン”相場は長くない
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2012年11月以降、内外市場のリスクオン(リスクを取った投資をする)傾向が持続する中、米国債券市場では10年国債利回りが2%を上回った。他方、日本国債市場では日本銀行の新体制における資産買い入れ等基金拡大への思惑などから10年国債利回りの低位安定が続いており、米日10年国債利回りの較差は拡大傾向である。
ここ数カ月に限れば、米日10年国債利回り較差と円の対ドルレートとの連動性も高まっており、米国の長期金利動向には為替市場からも大きな注目が集まっている。
リーマンショック以降、毎年1月から4月前半には米国の長期金利が上昇する傾向があり、同時に円安や株高も進行している。リーマンショック後にその傾向が顕著であることを考えると、同ショック後、雇用統計など米国経済指標に季節調整のゆがみが生じ、年初に強めの数値が出やすくなっていることが大きな要因と考えられる。
ヘッジファンドなどの新規資金が年初に株式市場に流入することも一因と思われるが、11年初においては、前年秋に決定されたQE2(量的緩和第2弾)が株高をさらに後押しした。
また、10年末のオバマ政権による減税パッケージが11年初の株高を、12年2月の給与税減税延長が同年初の株高を支えている。振り返ってみれば「リスクオンの季節」を演出する材料がそろっていたように思われる。
13年については、12年12月にFRB(米連邦準備制度理事会)が資産買い入れ政策を大きく拡大したことや、「財政の崖」について米与野党が一定の妥協点を見いだしたことなどがリスクオンの推進力となっており、例年同様に4月中旬までは米長期金利上昇、そして円安が続くとの期待が高まっている。
もっとも、米国長期金利上昇抑制要因もある。FRBの「失業率が6.5%を下回らない限りは金融緩和を続ける」とのメッセージが市場に浸透し、超低金利政策が長期化するという時間軸はより堅固なものとなっている。
「労働参加率上昇による失業率上昇圧力」などにより、当面米国の失業率が下がりにくいことがコンセンサスとなる中、今年は2年債の変動幅は拡大しそうにない。ある程度長期金利が上昇すれば、市場参加者による長期債買いが進みやすい環境である。
株高が続けば続くほど「実体経済との乖離」がうたわれやすいが、米国の増税や欧州の緊縮財政により、先行きグローバル経済の総需要が拡大しないとみられることを考えれば、今年のリスクオンも例年同様の「季節的なもの」である可能性は高い。
4月にピークを迎えた長期金利はその後5月に向けて大きく低下する(債券価格は上昇する)傾向がある。「ターニングポイント」まで、およそ1カ月であるが、そろそろ債券買いのタイミングを計る時期に差しかかっている。
(SMBC日興証券為替ストラテジスト 野地 慎)
TPP参加の“最終列車乗車”も
小さくない出遅れの代償
日本はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加の“最終列車”にぎりぎりで乗り込む。
TPP参加に向けて前進はしたが、日本が自国の立場を主張できる時間は少ない
Photo:CNP/PANA
安倍晋三首相がオバマ米大統領との会談で、“聖域なき関税撤廃”が前提条件ではないことを確認したことで、3月上旬にも参加表明するとみられる。ただ、表明直後に米国との事前協議が終了したとしても、米議会に日本の参加を通知して承認を得るまで90日かかるため、正式参加は6月以降になる。
TPP参加国は今年12月の会合での妥結を目指している。それまでの会合は、3、5、9月。よって、日本が正式に交渉に参加できるのは最後の9月だけだ。
これまで日本の国内市場をいかに守るかに注目が集まってきたが、TPPはモノの貿易以外も含めた包括的なルール作りを進めるもの。その中に、日本にとってメリットがあるものは少なくない。例えば、参加国の政府調達の対外開放が進めば、日本は鉄道などインフラ輸出で有利になる。
9月の会合だけで、こうした得るものが多い項目のルール作りに日本の主張を盛り込めるのか。参加がずれ込んだ代償は小さくない。
また、7月の参議院選挙を前に、農業対策として“バラマキ財政”政策が取られる可能性は高い。日本がコメの輸入を認めたウルグアイ・ラウンド時には6兆円強が費やされたが、農業の生産性向上には結び付かなかった。今回も同様の対策が繰り返されれば、巨額の政府債務をさらに膨らませるだけである。
アベノミクスの第3の矢、成長戦略の重点項目であるTPP参加に向けた道筋が見えてきたことは一歩前進だが、先行きに不安は隠せない。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 竹田孝洋)
厚労省のお役所仕事で日本は韓国に完敗する日本の再生医療とがん治療を考える2つの新連載
2013.03.02(土)
川嶋 諭:プロフィール
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今回も新しく始まった連載についてお送りしたい。最初は内科医であり東京大学医科学研究所・がん研究会がん研究所で客員研究員を務める谷本哲也さんの連載「徒然薬」。世界で最も薬が好きな民俗かと思われる日本人にとっての薬について、つれづれなるままに専門家の立場から厳しくチェックしようという企画である。
iPS細胞による再生医療、国民そっちのけで利権化目論む厚労省
今週のランキング
順位 タイトル
1 日本語しか話せない在日韓国人が祖国で受けた衝撃
2 班目氏が認めた事故対応の失敗
3 零下20度の中で味見したマツダ「CX-5」
4 米国テレビ業界を震撼させたネットドラマ
5 世襲議員は本当にダメなのか
6 戦ったらかなわない日本艦を中国艦が自信満々でロックオンする理由
7 サイバー犯罪:動かぬ証拠
8 「絶好の商機」ではなくなった中国での環境ビジネス
9 オバマ大統領はなぜ尖閣問題に「無言」だったのか
10 韓国新政権、公約実現のカギ握る「地下経済」
11 中国を後進国と見下し続けたしっぺ返し
12 尖閣よりホットな米中サイバー紛争
13 米国で再び登場した日本の核武装論
14 私の父親は誰?
15 日本とこんなに違う!ドイツでの会社の休み方
16 中国語を話す者は信用できない、に変化の兆し
17 シリア:国家の死
18 全米に広がる「成績の悪い公立学校は閉鎖」の波
19 北朝鮮の核実験にピント外れの号外
20 求む! 金融政策の力を信じる日銀総裁
第1回「厚労省が虎視眈々と狙う『再生医療ムラ』の権益拡大」は、最先端医療と国の規制についての問題提起だ。
行政の特徴として、新しいことに挑戦することは苦手で、できるだけ問題が発生しないようにことなかれ主義に走る。
iPS細胞を使った再生医療は、世界が激しくしのぎを削る。
京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことは日本にとっての誇りだが、それはさらに世界最先端を走り続けることで輝きを増す。
しかし、いまの厚生労働省はお役所仕事よろしく、規制強化に走り、新しいことに挑戦させないような仕組みを作ろうとしているという。
谷本さんは、かつて白血病の先端研究に携わってきた経験から、最先端医療の分野ではこうした厚労省による規制を安易に導入すべきではないという。
白血病の治療でも不幸なことに新薬の開発段階ではお亡くなりになる人が続いたそうだ。しかし、あえて死のリスクを冒しても治療に取り組もうとした患者さんと医師のおかげで白血病の治療は飛躍的な進歩を遂げた。
ようやく始まろうとしているiPS細胞を使った再生医療も最初は危険があるのは事実。しかし、だからといってほかに治療法がない患者さんの願いを規制強化で潰してしまうのはいかがなものか、と谷本さんは問う。
再生医療の治験では日本よりも韓国の方が進んでいる。もし厚労省のお役所仕事をそのまま許せば、日本はこの分野で韓国の後塵を拝することになることは間違いない。私たちはその意味でも、厚労省の行政をきちんとチェックする必要がある。
もう1つ紹介したい新連載は元ミス日本、元全日本ダンス選手権ファイナリストである吉野ゆりえさんの「いのちを懸けたブラインドダンス」。熱心な読者の方はすぐにお分かりになると思うが、以前「元ミス日本、ガンとの壮絶すぎる闘い」でご紹介したがんとの壮絶な闘いを続けている方だ。
このときのインタビュー記事はおかげさまで多くの読者の方に読んでいただいたが、私の力不足でお伝えできない大切なことがいっぱい残っている。
また、吉野さんにはご自身の筆で、がんとどのような挑戦をされてきたのかをぜひ書いてほしかったのでお願いした。連載のご愛読をぜひお願いしたい。
ロシアでは今、エネルギー分野において、地殻変動が起こりつつあります。
現在、ロシア最大の石油会社は国営ロスネフチです。国営ロスネフチは10年前までは国内では中堅の石油会社に過ぎませんでしたが、ロシア最大の民間石油会社ユーコスの資産を実質的に乗っ取ることにより、ロシア最大の石油会社に成長しました。
ウラジーミル・プーチン大統領最側近の1人、イーゴリ・セーチン前副首相(エネルギー管掌)は昨年5月に誕生したドミトリー・メドベージェフ内閣においては閣内に残らず、国営ロスネフチ社長に転出。そのセーチン社長が訪韓・訪中後の今年2月19日、日本を訪問したのです。
ロシア紙や日系各紙報道に拠れば、翌20日、ロシア極東の大陸棚探鉱・開発におけるエネルギー協力案件にて、エネルギー関連の民間5社幹部と会談しました。
ロシアでは現在、天然ガス輸出はロシア国営ガス会社たるガスプロム1社の独占事業となっています。ロシアの法律で、そう規定されているのです。一方、ロシア紙報道によれば、プーチン大統領は2月13日、LNG(液化天然ガス)輸出の自由化を閣僚に検討指示したと報じられています。
ここで、疑問が湧きます。なぜ、ロシア発展のベクトルは東方に向かうのでしょうか?
またなぜ、プーチン大統領はLNG輸出の自由化を閣僚に検討指示したのでしょうか?
これこそまさに、これから始まるであろうプーチン大統領によるロシア・エネルギー政策の地殻変動の兆候にほかならないと言えましょう。
第3期第1回プーチン大統領年次教書/東方発展構想
ロシアは今後、どのような対アジア・エネルギー戦略を展開するのでしょうか?
ロシアのプーチン大統領は昨年5月、本人としては第3期目のロシア大統領に就任。その後、昨年12月12日に第3期目最初の大統領年次教書を発表しました。
従来のプーチン大統領年次教書は発表文のみ掲載されていましたが、今回大統領府より公表された年次教書全文には、発言の一部が大文字で表記されております。ですから、その部分こそ、プーチン大統領が強調したかった内容ということになります。大文字文章は全部で21箇所あり、18番目が『ロシア東方発展構想』です。
では、この東方発展構想の要旨を訳出したいと思います(次ページ、訳=筆者)。
21世紀には、ロシア発展のベクトルは東方に向かいます。シベリアと極東−これはかつてロマノソフ氏(筆者註:モスクワ大学創始者)が述べているごとく、我々の巨大な(発展)潜在力です。
我々は今こそ、東方発展を実現しなければなりません。東方発展こそ、世界で最もエネルギッシュ、かつダイナミックに発展している地域である環アジア・太平洋諸国において、ロシアが然るべき地位を占める可能性にほかなりません。
つい最近(註:2012年11月29日)開催された国家評議会総会にて、我々はザ・バイカルおよび極東地域における具体的な経済発展策を検討しました。何を協議したかはここでは繰り返しませんが、魅力ある生活条件を創出することで合意しました。
ロシア政府は2013年第1四半期末までに、新規参入企業用の暫定免税措置や、エネルギー・インフラ発展計画などを含む詳細な対策案を策定することになっております(中略)。
最優先順位の発展課題。それは、地域間航空・海港・北洋航路・バム鉄道(註:第2シベリア鉄道)・幹線シベリア鉄道、その他トランジット回廊の整備です。
これらすべて、単に考えるだけではなく、真摯に作業を続けることが必要なのです。我々には、ロシア全土を統一的に接続する輸送手段を確保することが、言葉の真の意味において必要なのです。
このプーチン大統領発言の中に、ロシアは東シベリア・極東において今後、何をしなければならないのか明示されています。
また、広大な国土を東西南北統一的に接続する輸送インフラ整備の必要性が強調されており、特に道路・鉄道・海港整備が最優先課題として言及されています。もちろん、東シベリア・極東発展が対中関係を視野に置いていることは言うまでもありません。
原油・ガスパイプライン(P/L)建設が言及されていないではないかと思われるかもしれませんが、それは既に決定済みです。東シベリアのタイシェットからロシア極東原油出荷基地コズィミノ港までの原油パイプライン(P/L)(ESPO P/L)は2012年12月25日に全面稼働開始。既に、順調に原油を輸送・出荷しております。
天然ガスP/L建設に関しては、ガスプロムは2012年10月末、極東サハ共和国(ヤクーチャ/Y)からハバロフスク(K)経由ウラジオストク(浦塩/V)までの天然ガスP/L(通称 YKV P/L)を建設すると発表。天然ガス供給源はサハ共和国のチャヤンダ・ガス田と、将来的には東シベリア・イルクーツク州のコビィクタ・ガス田を想定しています。
一方、サハリン(S)からハバロフスク(K)経由浦塩(V)までの天然ガスP/L(通称 SKV P/L)は、2011年9月に全面稼動開始となりました。
東シベリア・極東発展公社設立構想
東シベリア・極東発展公社設立構想は2012年1月、プーチン首相(当時)の意を受けて、ショイグ非常事態相(当時/その後モスクワ州知事に転出/現在は国防相)が東シベリア・極東開発公社設立構想を策定し、プーチン首相に上程しました。
プーチン首相が同年3月の大統領選挙に当選すると、ロシア経済省は翌4月、東シベリア・極東の16連邦構成主体(国土の6割以上)に特別法を適用して、天然資源開発促進を目指す『東シベリア・極東開発法案』を策定。
これは、16連邦主体の資産を新設予定の東シベリア・極東開発公社に統合して、プーチン大統領直属の国営会社とする構想でした。
ところが、同年5月に誕生したメドベージェフ内閣では、極東開発を担当する極東発展省は新設されましたが、開発推進母体となる開発公社は設立されませんでした。
では、東シベリア・極東開発公社設立構想は破綻したのでしょうか?
筆者が聞いている限りでは、今年2013年度予算にて開発公社が設立される可能性が高いようです。この場合、開発公社の権限はどの程度のものになるのか、開発公社の社長(総裁)が誰になるかが、注目の的になります。
21世紀、ロシア発展のベクトルは東方に向かう
ではここで、冒頭の問いに戻りたいと思います。
なぜ、ロシア発展のベクトルは東方に向かうのでしょうか?
プーチン大統領はなぜ、東シベリア・極東開発にこだわるのか、東シベリア・極東発展構想の背景を考察したいと思います。
西シベリアでは、ソ連邦時代に探鉱・開発された原油・天然ガス鉱区の生産量が減少しています。西シベリア油田を生産拠点に持つロシア第2の石油会社ルークオイルは直近の3年間、原油生産量が減少しています。
直近の3年間で原油生産量が毎年減少しているのは、ルークオイルとスラブネフチの2社だけです。同じく、西シベリアの大ガス田を生産拠点とするガスプロムもガス生産量が減少しており、ガスプロムの地盤沈下が目立ちます 。
上記のごとく、西シベリアを生産拠点とする石油会社ルークオイルとガス会社ガスプロムは生産量が減少。かつ、ガスプロムは欧州ガス市場にてシェア低下しつつあります。
ゆえにここに、東シベリア・極東開発の必要性と、新規市場としての環アジア太平洋諸国市場の重要性が増しているのです。
上記の事情がプーチン大統領をして極東開発に走らせていることは確かですが、ここではほかの側面にも言及してみたいと思います。
ロシアの人口は約1億4300万人ですが、このうち、ロシア極東連邦管区(創設時10連邦構成主体/現在9連邦構成主体)の人口は約650万人に過ぎません。
中国の人口は約13億人。うち、ロシアの東シベリア・極東と国境を接する中国東北3省には1億人以上が居住しています。
プーチン大統領は、大統領就任直後に発表した文書(2012年5月7日付け『外交方針に関する大統領令』)にて、「中国・インド・ベトナムが露の戦略的パートナーである」と指摘しました。
ここでの注目点は、中国とベトナムを並立して挙げたことです。両国は南シナ海の領有権を巡り、対立しています。その両対立国をロシアにとり戦略的パートナーとして大統領令に記載したことは、中国に対する牽制の意味合いが含まれていると考えて間違いないでしょう。
実は、このことをもっと直截的に表現した人がいます。誰でしょうか?
それは、メドベージェフ首相その人です。2012年8月10日付けデイリータイムズ(Daily Times)によれば、メドベージェフ首相は「ロシアは極東地域を、国境を接する国々による過度の拡張政策から防衛しなければならない」と述べました。
「国境を接する国々」と複数形を用いることにより一国を名指しすることは避けましたが、それが誰を(どの国を)指すのかは一目瞭然です。これは、ロシア首相による隣国脅威論・敵視論にほかなりません。
一見、蜜月関係を標榜するロシアと中国ですが、プーチン大統領の東シベリア・極東開発構想の真意・背景は「隣国警戒感」にほかならないと言えましょう。
東シベリア・極東を開発し、各種インフラを整備して、外資を積極的に導入する。また、ロシア人を極東に移住させ、対中防衛の防波堤とする。これがプーチンの本音と、筆者は理解しております。
プーチン大統領は何故、LNG輸出自由化構想を指示したのか?
ここで、もう1つのなぜに迫りたいと思います。ロシアでは、天然ガス輸出はガスプロム1社の独占事業になっています。ですから、ロシアの石油会社は従来、天然ガス輸出は不可能で、国内で生産する天然ガス(随伴ガス)はガスプロムに国内売りしていました。
では、プーチン大統領はなぜ、LNG輸出の自由化を閣僚に検討指示したのでしょうか?
その鍵は2013年2月13日にあります。プーチン大統領はモスクワ郊外の大統領別荘で2月13日、『ロシア燃料・エネルギー分野発展戦略・環境保護大統領諮問委員会』の定例会を開催。プーチン大統領はその席上、LNG輸出の自由化に言及したのです。
ちなみに、同委員会は2012年6月15日付け大統領令#859にて設立され、同年7月10日にプーチン大統領主催のもと、第1回委員会がクレムリンで開催されました。
今回2月13日に開催された会議におけるエネルギー関連の要点は、記の通りです。
(1)資源埋蔵量に関する透明性を高める。
(2)探鉱・開発にあたり、相応しい技術を導入し、効率を高める。
(3)天然ガスの世界市場への供給拡大と供給路多様化。特に、LNG輸出の自由化必要。
上記のプーチン大統領指示と関連しますが、ロシア政府のエネルギー担当ドヴォルコビッチ副首相は2月15日、今年3月末までにLNG輸出自由化政策に関する政府原案を策定予定と発表しました。
プーチン大統領自身がLNG輸出自由化を指示していますので、政府原案も多分、この指示に沿ったものになると予測されます。
プーチン大統領はガスプロムによるLNG輸出独占に風穴を開けることにより、ロシアの天然ガス生産と輸出産業に競争原理を導入し、ロシア産天然ガス輸出市場の多様化を視野に入れているのではないでしょうか。
東シベリア・極東を新規探鉱・開発して、原油・天然ガスの増産を図る。一方、LNG輸出を自由化して、ロシア天然ガス産業を活性化する。
これが、プーチン大統領の意図ではないかと推測します。もちろん、このプーチン構想が実現・成功するのかどうかは、今後のプーチン大統領その人の具体的政策いかんとなりましょう。
今年2月20日には、森喜朗特使がロシアを訪問しました。今年4月末には、安倍晋三首相がロシア訪問予定と報じられています。両国間には領土問題が存在しますが、両国間の氷は少しずつ融け始めました。
日本はエネルギー安保確立のため、隣国ロシアの天然資源を必要としています。ロシアは天然資源輸出市場多様化の一環として、近隣の日本市場を含む環アジア・太平洋諸国の市場を必要としています。
ロシア発展のベクトル。それはまさに「東方に向かわざるを得ない」と言えましょう。
シェールガス革命の死角
熱狂を超えた調達改革を
2013年3月4日(月) 北爪 匡
連日のように報道で「シェールガス」という言葉が飛び交っている。低コストに非在来型の天然ガスが採取できるようになり、北米ではこの3年ほどの間に急速な開発が進んだ。その結果、北米における天然ガス価格は暴落し、天然ガスは最有力の化石燃料に生まれ変わった。
改めてこのシェールガスとは何か。採取方法としては、地中深くの頁岩(けつがん=シェール)層にヒビを入れることで、内部に吸着した天然ガス成分を抽出する。存在そのものは以前から確認されていたが、米国において低コストの開発技術が確立され、瞬く間に開発が北米に広がった。回収可能量は世界で208兆立方メートルとも言われ、単純にLNG(液化天然ガス)に換算すれば1664億トン。実に日本の年間輸入量の2000年分に相当する。この天文学的な量が、北南米や中国、東欧などに分散して埋蔵されている。
このガス田からは、同様に原油(シェールオイル)を採取できるケースも多い。こうした膨大な資源を低コストで開発できることで、IEA(国際エネルギー機関)などの予測では、米国は2025〜30年頃に、世界最大のエネルギー生産国になる。最大の経済国が最大のエネルギー生産国になることのインパクトは、まさに「革命」の呼び名にふさわしい。現に、震源地の米国は革命に沸いている。
高給取りはウォール街からシェールガス開発へ
「指5本」。米国でシェールガス開発に携わるある日本の大手商社の幹部は、現在の米国における鉱山技術者や地質学者の給与水準をこう言い表す。つまり、年収50万ドル(4500万円強)。以前のこの業界では考えられなかった水準で、「2008年までのウォール街の金融工学の専門家の給与水準がそのままシフトした」のだという。
この事例が示す通り、全米各地で開発に次ぐ開発が進み、米国の天然ガスの指標価格は2008年ころまで100万BTU(英国熱量単位)当たり6〜8ドルで推移していたが、昨年には一時2ドルを割り、現在も3ドル強の低水準にある。天然ガスは燃焼時の二酸化炭素排出が原油や石炭と比べても大幅に少ないことから、米国の火力発電燃料も一気に天然ガスへとシフトしている。
また、天然ガスを使用する製造業にも大きな影響が及ぶ。製鉄プロセスでガスを使う鉄鋼メーカーや、シェールガスの副産物を使用してエチレンを造る化学メーカーの恩恵は莫大だ。シェールガス由来のエチレンは、日本でナフサ由来のエチレンを造る場合に比べて、原料のコスト競争力が3〜4倍ともされる。製造業の復権と、輸出振興を目指すオバマ政権にとって、シェールガス革命は強力な切り札となっているわけだ。
米国に次いで、この革命に最も大きな期待を寄せているのが、日本だろう。1月に1兆6000億円強という単月で過去最大の貿易赤字を生みだした主因はまぎれもなくLNG輸入の増加。東日本大震災と原子力発電所事故の影響からいまだ脱しきれず、天然ガス火力が急増。かつガス価格の高止まりが日本の貿易収支を圧迫している。それだけに、太平洋の対岸で勃興するエネルギー革命が大きなインパクトを持って受け入れられている。
しかし、この日本におけるシェールガスの論議が、熱しすぎてはいないかという懸念を抱く。「安いガスが日本に入ってくる」との論点のみが先行し、本来見落としてはいけない懸念材料が封殺されてしまっているためだ。
その1つが、2月25日号の日経ビジネス時事深層の欄でも指摘した価格の問題だ。米国のヘンリーハブという価格体系はアジアや欧州の指標価格と比べても、その変動性の高さが懸念される。米国では発電所や製造業向けの内需がこれから本格的に盛り上がり、LNG輸出も始まれば天然ガスの需給は急速に締まる。つまり、価格が高騰する可能性は高い。また、日本へは天然ガスをそのままパイプラインで供給できるはずもなく、プラントで液化し、それを長距離海上輸送するという物流コストが、8〜10ドルほどガス価格に上乗せされる。
現在のヘンリーハブ価格は歴史的にも極めて低水準。日本への輸出プロジェクトは早ければ今春にも許可が下りる公算が大きいが、実際の輸出開始は2017年以降だ。その時に米国産シェールガスが安価に入手できる確証はどこにもない。
日本の製造業の強力ライバルが復活
また、米国の政治リスクをゼロと考えるのも過信だろう。確かに米政府はシェールガス輸出に前向きな姿勢を示しているが、輸出許可は議会の意向が色濃く反映される。日本と同様、米国は上下両院で与野党が「ねじれ」状態にあり、かつシェールガス革命で打撃を受けた石炭産業がロビー活動におけるネガティブキャンペーンを繰り広げている。
さらに、日本の産業界への打撃も看過できない。米国の製造業が低コストの原料・燃料で復活することは、日本の産業界にとって、強力なライバルが復帰することを意味している。ただでさえ国内製造拠点の存続が厳しさを増す汎用化学品などの分野への負の打撃も勘案すべきだ。
過剰にも思える日本のシェールガスブームの裏側、エネルギー業界内では様々な憶測、思惑が錯綜し始めている。
「シェールガス輸入のための旗を振る経済産業省は、これを機に予算を多額計上して“ナワバリ”拡大に動いていないか」
「価格の不安定さを承知でシェールガスを輸入しようという電力会社は、シェールガス調達を電力料金値上げの言い訳に利用しているのでは」
調達力を自ら失う日本
こうした議論の真偽とは別に、日本は冷静にシェールガスを輸入する本来の意義を見つめ直すべきだ。それは、日本のエネルギー調達戦略の改革だ。あるエネルギー業界関係者は次のように解説する。
「日本は巨大なエネルギー輸入国でありながら、バイイングパワーがない。電力会社などは、調達の安定性、経済合理性、柔軟性など別々の注文をつけ、これまで共同調達が実施されてこなかった。しかも原油・ガスの調達先は中東や東南アジア、オーストラリアに偏り、小口の契約ばかり。それでは売り手に足元を見られる」
このゆゆしき事態を打開するための一里塚になるのが、シェールガス調達ではないだろうか。北米からのガス輸入によって、調達先の地域分散が実現される。しかも、アジア価格とヘンリーハブという2つの価格体系のガスを手中に収めてバランスできれば、新規契約の際に高値に吊りあげられるリスクは減る。米国のシェールガスに限らず、一層の調達ソース拡大が必要だ。
ここに、電力・ガス会社などの意思疎通による調達時の量の拡大が実現できれば、日本は強力な輸入国へ変貌できる潜在力を秘めている。最も避けるべき事態は、現在のように日本ばかりが割高な燃料を掴まされることにある。「メタンハイドレート」など、日本近海に非在来型の資源は眠るが、商用化にはなお時間がかかる。それまで日本はやはり「持たざる国」だ。シェールガス革命という熱狂の中で、あえて冷静さを保った日本の調達改革は待ったなしだ。
北爪 匡(きたづめ・きょう)
日経ビジネス記者。
記者の眼
日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。
JBpress>海外>Financial Times [Financial Times]
半ば公然となった英国のポンド切り下げ計画
2013年03月04日(Mon) Financial Times
(2013年3月1日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
この1週間ほど、筆者が少しも心配しなかったニュースが1つあるとすれば、格付け会社ムーディーズが英国の格付けをトリプルAから引き下げたことがそれだ。
格下げの重要性は、批判的な新聞記事と変わらない。米国とフランスは既に格下げされたが、波紋は広がらなかった。格付け会社は過去数十年間、世界経済にかかる重圧についても深い洞察力は示してこなかった。格付けは個々人の評価にとどまっている。
「為替レートの目標はない」と言うが・・・
ポンドの対ドル相場は1ポンド=1.50ドルの節目を割り込み、2010年7月以来の安値をつけた〔AFPBB News〕
それより重要なのは、英ポンドの下落だ。
2007〜09年の世界金融危機が勃発した時には、ポンドは公式の貿易加重指数で約25%下落した。その後、2012年には再び徐々に上昇し始めた。
ポンド高は「競争力」に悪影響を及ぼすと思われているため、財務省とイングランド銀行を不機嫌にしたはずだが、彼らは心配する必要はなかった。
過去数週間の混乱に対する反応として、ポンドは今、2009年以降の平均をわずかに下回るところまで下落しており、さらに下落しそうな勢いだ。
誰か公的な立場にある人に電話をかけて反応を聞けば、「為替レートの目標はない」という答えが帰ってくるだろう。目標はないかもしれないが、公言されていない政策はある。
「経済をリバランス(再調整)させること」に関する話はどれも、輸入に比べて輸出を増やすことを意味している。期待外れの第4四半期の国際収支統計が発表されてから、一段と重要度が増した目標だ。
2つの目的を果たすための手段
輸入に比べて輸出を増やす戦略には、2つの目的がある。成功すれば、財務省とイングランド銀行では眠れない夜の数が減るはずだ。また、完全に立派な方法で国内の経済活動と雇用も後押しするだろう。これを実現するための公言されていない手段がポンド安だ。
兆候は一目瞭然だ。イングランド銀行の金融政策委員会は2%というインフレ目標を、さらに遠のく地平線の先へ追いやることに新たな意欲を示した。また、過去数カ月間は英国の長期金利が徐々に上昇してきた。
では、これは近隣窮乏化政策に当たるのだろうか?
「当局」はこれを強く否定し、自分たちは単に経済のリバランスを図っているだけだと言うだろう。あたかも、生産高と輸出、輸入の「普通」の構成がどんなものであるべきかを知っているかのように・・・。
名目GDPを政策目標に据えよ
それなら筆者の代案は何か、と問われるかもしれない。筆者がずっと主張してきたように、経済政策の立案者たちは名目国内総生産(GDP)を目標にすべきだ。この種の指標で通常使われる、仮定に基づいたインフレ調整後のマネーではなく、普通の現金という観点から測られる国民所得をターゲットにするのだ。
当局者は実質GDPを決定することはできないが、名目ベースでのGDPの動きに影響を与えることはできる。
例えば、5%の名目GDP成長率という目標を設定したとしよう。当局者は、どれだけが実質成長で、どれだけがインフレであるのかを決定することはできない。しかし、このような目標が公式政策であれば、賃金や価格を設定する人たちはそれに適応するはずだ。
この政策に対する反論は、GDP統計は四半期ごとにしか公表されず、遅れが出るうえ、改定されることが多いと言うことになるだろう。
政策が日々高い精度を必要としているのであれば、こうした反論は決定的に重要だ。だが、政策を引き締める必要があるのか緩和する必要があるのかを決定するうえでは、大雑把なトレンドが分かれば十分なはずだ。
イングランド銀行次期総裁も一定の共感
イングランド銀行の次期総裁マーク・カーニー氏は英議会の財政特別委員会への証言で、名目GDPを目標とすることに共感を示した。
「特に経済が(短期金利の)下限であるゼロ%近くにあって、政策の効果がインフレ期待を高め、より高い信頼度で実質金利を効果的に低下させることに基づいている時」には、理にかなうという。
何よりも、「名目GDPを目標にした場合には、過去が過去でなくなる。かつてのトレンドに戻るために経済に刺激を与えた当初の数年間に追加的な不足があれば、ギャップが広がっているため、中央銀行はそれを埋めなければならない」とカーニー氏は述べた。
そして、この事実を知ること自体が経済に刺激を与える。
開かれた議論に価値
カーニー氏は最後に、名目GDPを目標にすることに暫定的に反対の意を表明した。というのは「経済主体のかなりの割合がルールに従わず、中央銀行のやっていることを理解しなければ、名目GDPを目標にすることの主な利点がなくなってしまう」ためで、そうなると、インフレ目標に戻ることになるからだ。
だが、議論には価値があるとカーニー氏は付け加えた。言うまでもなく、枠組みを決めるのは財務相のジョージ・オズボーン氏だが、同氏ですら、開かれた議論から恩恵を受けるだろう。
By Samuel Brittan
イタリア総選挙:道化たちの登場
下手をすればユーロ圏全体が日本化する恐れ
2013年03月04日(Mon) The Economist
(英エコノミスト誌 2013年3月2日号)
ベッペ・グリッロ氏とシルビオ・ベルルスコーニ氏がイタリアとユーロの未来を脅かしている。
注目の総選挙で勝ったのはシルビオ・ベルルスコーニ氏(上)とベッペ・グリッロ氏(下)という2人の“道化”だった〔AFPBB News〕
逆境の時にはユーモアのセンスが魅力となることもあるが、いつも役に立つわけではない。
イタリア国民は、1930年以降で国内最悪の景気後退と欧州単一通貨の内部崩壊という可能性に直面し、現実から目を背けることにした。
先日の総選挙では、有権者の4分の1が投票所へ行こうとさえしなかった。この投票率は戦後最低だ。
投票に行った人のうち、ほぼ30%がシルビオ・ベルルスコーニ氏を支持した。道化じみた首相として破滅的な政策を実行し、イタリアを経済的苦境に陥れた張本人だというのにだ。
さらに25%は、こちらは正真正銘のコメディアン、ベッペ・グリッロ氏率いる「5つ星運動」に票を投じた。
それに対して、改革志向の実務家として過去15カ月にわたってイタリアを率い、地に落ちた国の信用を大きく回復させてきたマリオ・モンティ氏は、わずか10%の票しか得られなかった。
イタリアにとっても欧州にとっても最悪の選挙結果
この結果は、イタリアにとっても、欧州にとっても、最悪のものだ。選挙前には、ピエル・ルイジ・ベルサニ氏率いる中道左派連合が本命視されていたものの、蓋を開けて見ればベルルスコーニ氏をわずかに上回る票しか得られなかった。
現在ローマでは、その中道左派連合が連立政権の樹立に向けて奮闘している。だが、それは安定した政権にも継続的な政権にもならない可能性が高い。
一方、欧州全域の金融市場は、このニュースに卒倒した。ほぼすべての市場で株価が急落した。地中海沿岸諸国の国債利回りが3カ月前の水準にまで跳ね上がる一方で、ドイツ国債の利回りが低下し、ユーロ危機が再び舞台の中央に戻ってきた。
実際のところ、危険が大きいのはユーロ崩壊よりも景気停滞だ。この2月最終週は、いずれ歴史によって、ヨーロッパ人が改革に興味はないという意志を明確に示した週だったと言われるようになるかもしれない。
9カ月前にはフランス国民が変革から逃げ去ったが、イタリア国民は全速力でフランスを追い抜いた格好だ。
イタリア国民の実に3分の2が、ドイツに押し付けられた緊縮策だけでなく、ほぼゼロ成長という惨憺たる自国経済を改善するための改革計画全体を拒絶した。この道を進んでいけば、イタリアは、ここ20年にわたって日本が苦しんできた経済の麻痺と政治の衰退に行き着く。
進路を変えねば日本の二の舞い
今回のイタリア総選挙の結果は、これまでに中道左派が勝利した最後の総選挙である2006年に恐ろしいほど似ている。その選挙の後、ロマノ・プロディ氏率いるほころびだらけの連立政権は、よろよろと走った挙げ句、結局は2年ももたずに崩壊した。
連立を模索するピエル・ルイジ・ベルサニ氏だが、再選挙なしで今年を乗り切ることは難しそう〔AFPBB News〕
今回のケースでは、ベルサニ氏が中道左派から中道右派までを寄せ集めた「大連立」の樹立を試みることもできるだろうが、そのためにはベルルスコーニ氏と取引しなければならない。
それよりは、モンティ氏と手を組んで少数与党政権を立て、政権外でグリッロ氏の5つ星運動と連携する方がうまくいくかもしれない。このやり方は、シチリアで多少なりとも機能している。
「グリッリーニ」と呼ばれる、グリッロ氏が新たに獲得した上下両院の議員たちは、ただ政権に反対して政治秩序全体をひっくり返したいだけなのか、それとも責任のある態度で賢明な改革を支持するのか、態度をはっきりと決めなければならない。
事態を複雑にしているのが、新議会でジョルジョ・ナポリターノ大統領の後任も選ばなければならないということだ。
最有力候補は、かつて中道左派の首相を務めたジュリアーノ・アマート氏だ。だが、誰が大統領に選ばれたとしても、そしてどんな連立が組まれたとしても、新たな選挙を実施せずに今年を終えるのは難しい。
どうせならその選挙は、新たな政治的指導者たちが、今の行き詰まり状態を再び招かないような新たな選挙制度の下で戦う形にする方がいいだろう。
その一方で、改革が止まってしまうことが懸念される。窒息状態のイタリア経済が活力を取り戻すためには、是が非でも改革が必要だ。何もしないという選択肢は――イタリアの有権者はそう願っているようだが――イタリアの問題を解決する答えにはならない。
実際、イタリアの1人当たりの国内総生産(GDP)は、ユーロが導入されてからの13年間で減少している。
一部のユーロ批判派は過度の緊縮財政に起因する需要低下を声高に訴えているが、イタリアの1人当たりGDPの縮小はそれとはほとんど関係がない。そもそもの原因は、長年にわたって毎年毎年、人件費が着実に上昇し、生産性が低下してきたことだ。それがイタリアの競争力と輸出を蝕んでいる。
イタリア政府が、労働市場と製品市場のさらなる自由化、そして法制度と福祉制度の改革により、失われた競争力を回復させ、成長に再び火をつけることができなければ、イタリア経済は苦しみ続け、若年失業率は現在の36%よりもさらに高くなるだろう。
大きすぎて潰すことも救うこともできない
大国イタリアを失ったユーロは・・・〔AFPBB News〕
それは危険だ。そうしたひどい苦境にあるイタリアが、ユーロ圏内にとどまるとは考えにくい。そして、イタリアを失ったユーロが生き延びられるとも思えない。
イタリアはユーロ圏第3位の経済大国で、財政赤字はごく小さいものの、公的債務残高(GDP比130%近くに相当)はユーロ圏で最も多い。救済するには大きすぎるのだ。
だが、経済成長がなければ、イタリアは債務を返済できなくなる。そうなれば、どんなパターンになるかは明らかだ。
危機を巡る一連の会合、ドイツのアンゲラ・メルケル首相を抱き込むための中途半端ないくつかの改革の取り組み、不十分な成長、行き過ぎた緊縮財政、そしてまた新たな危機――という展開が続くわけだ。
ユーロは生き延びるが、膨大な経済的コストを支払うことになる。ユーロ圏は日本と化すだろう。
その道をたどる必要はない。イタリアの政治的動揺が如実に示しているのは、メルケル首相の書いた処方箋を状況に適応させなければならないということだ。これまでの処方箋は、緊縮策が非常に多く、改革は一部だけだった。それを逆にする必要がある。
地中海諸国全域に及ぶ深刻な景気後退と失業率の上昇は、大衆の反感の引き金になっている。
ユーロ圏の南部諸国が競争力を取り戻し、成長に再び火をつけたいと望むなら、今後も構造改革が必要不可欠だ。だが、有権者の反応と景気後退の規模を考えれば、今は緊縮財政継続の圧力を弱める必要がある。
緊縮の手を緩め、構造改革に軸足を
いくつかの国――最新の例はフランス――では、今年の財政赤字目標を達成できないことが見込まれている。各国政府が改革を実行しているのなら、欧州委員会は目標の未達を容認しなければならない。そして、ユーロ圏の北部諸国、特にドイツは、減税と支出増により需要を刺激する態勢を強化すべきだ。
皮肉なことに、イタリアの道化は2人とも、それぞれ1つの点で正しい主張をしている。グリッロ氏は、イタリアの政治家の過剰な報酬と腐敗を正しく指摘した。ベルルスコーニ氏は、緊縮だけでは欧州危機を解決できないという点で正しい。
しかし、だからといって、イタリア国民が窮地から抜け出せるわけではない。このまま改革を拒み続ければ、現実が追いついてくるだろう。道化たちが何を言おうが、それは面白い話ではない。
彼ら医者どもは正確に危険を察知していた。
しかし、自分たちの保身だけ考えて、黙って逃げ去った。
本投稿では、逃げ出した医者の数と、勤務地域の一覧表を掲載する。これは昨年の二月に発表されたものである。
どの地域から逃げ出したかの一覧を見ると、どこが危険かが一目で分かる。
*****平成23年3月から12月における福島県内の医者の増減*****
県北 +14
県中 −29 (→危険)
県南 + 3
会津 + 1
南会津 + 2
相双 −59 (→最悪の危険)
いわき − 3 (→それなりに危険)
合計 −71
→ 県中の人々よ、君らへの危険を医者どもは警告しないままに逃げていったのだ。
→ 相双地域の人々よ、今残っている医者どもが何を言っているのかにかかわりなく、もう晩発性の疾病による被爆地獄の現実が迫っていることは、避けようのない事実だ。
***相双地方***
人口:195,938人(2010年国勢調査)
-相馬広域行政圏
相馬市
南相馬市
相馬郡
新地町 - 飯舘村
-双葉広域行政圏
双葉郡
広野町 - 楢葉町 - 富岡町 - 川内村 - 大熊町 - 双葉町 - 浪江町 - 葛尾村
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福島の医師流出深刻 原発周辺は半減の61人 (産経新聞)
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/547.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 3 月 04 日 00:50:07: igsppGRN/E9PQ
東日本大震災以降、福島県内138病院の常勤医が71人(3・5%)減少し、1942人になったことが3日、県の調査で分かった。中でも東京電力福島第1原発周辺の相双地域(2市7町3村)が120人から61人に半減しており、同地域の医療空洞化が、復興の遅れにつながる恐れが指摘されている。
県の調査は、昨年3月1日と12月1日時点を比較した。看護師の減少率は医師に比べてやや低く、116病院で170人(1・3%)減の1万2949人。ただ、相双地域だけをみると、23%減の938人になった。県は「病院の閉鎖のほか、医師が放射線への不安で避難して大きく減り、穴埋めするだけの流入もない」としている。
一方、同じ被災地の宮城県は「実数調査は行っていないが、福島のような減少は特になかった」と説明。岩手県によると、県立病院では震災前とほぼ同数の医師がいるとしたうえで、応援にきた医師のうち19人が「岩手に残りたい」と希望し、現在も県内で医療活動を続けているという。
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これに対する阿修羅コメント欄
03. 2012年3月04日 11:58:40 : Wb3Tcvboz6
2さん
>危険だと声を上げることが医者の社会的責任ではないのか。
医者がここでは先頭に立って発言すべき状況であるはずなのに、一向にそうした動きは見られない。
結局危険だと声を上げないことが医師資格の絶対条件であって、それで医者の資格が保てるわけで、医者を止めない以上、本人は声は出せないのだと思う。
異論があったとしても偉い御用学者の権威には、立場上とても逆らえない。
権威ある者が絶対的な力を持つという、それほどに封建的世界なのだと思う。
だから、ここでは社会的責任などは何の意味もないというところだろう。
そうとしか思えないよ。
05. 2012年3月05日 23:54:33 : innbXwBAPM
>03さん
大学病院や大きな病院に勤めているサラリーマン医師なら声を上げられないということもあるかもしれないけど、
ただの町の1開業医ならば危険と声を上げるだけで医師免許取り消しはないんじゃない、
声を上げないのはただの事なかれ主義か臆病者
一般人となんらかわりはありません
06. 2012年3月06日 09:04:03 : y8YOqqDMuQ
05さん
>ただの町の1開業医ならば
ただの町の1開業医ならばこそ、余計にものが自由にはいえないと思うよ。
開業医は単独ではその業態は維持しにくいといえる。
大学病院や医師会との連携が必須であって、単独で組織に立ち向かえる立場ではないはずだ。
権威にもっとも左右される業種であり、専門職だと思うね。
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検察の武器は「法と証拠」でしたよね。
証拠がなければ戦いになりませんな。警察とマスゴミよ、ダメなものはダメだよ。諦めなよ。もう冤罪をつくるなよ。それが正しい人間の行ないです。
『中国共産党と資本主義』第6章を読む(1)
2013年3月4日(月) ロナルド・コース 、 王 寧
1910年生まれ、今年103歳となるノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コース氏は、いまも現役の研究者である。肩書きはシカゴ大学ロースクール名誉教授だが、中国人の王寧アリゾナ州立大学准教授との共著で、中国社会主義の資本主義への制度変化を分析した『中国共産党と資本主義』(原題はHow China Became Capitalist)を2012年に出版した。この連載は、2013年2月に出版された邦訳の中でも、白眉である第6章「一つの資本主義から複数の資本主義へ」をまるごと公開するものだ。中国的特色をもつ資本主義の到達点と限界を独自の視点から分析する。
2008年7月18日、中国の市場転換に関するシカゴ会議の閉会のスピーチの最後にロナルド・コースは「中国の奮闘は世界の奮闘である」と宣言した。2008年12月10日付『タイム』誌は、中国の30年間にわたる市場転換と、この卓越した人間ドラマでケ小平が演じた英雄的役割についての時事解説を載せた。記事はこう締めくくられている。「これはわれらの時代の偉大な物語だ。我々の、誰しもの物語―─中国だけではない」
この物語が1976年の毛沢東死後の中国に新たな一章を開いたとき、ポスト毛政権は文化大革命後に断固たる政策転換へと舵を切った。階級闘争の教義を捨て、「社会主義の優越」を実現する代替のアプローチとして社会主義的近代化を掲げた。
1950年代半ばから続いていた急進的イデオロギーがようやく誤りで有害だと認められ、ここから政策立案に良識とプラグマティズムの入りこむ余地が生じたのだ。この指導体制と政策の転換によって社会主義イデオロギーの締めつけがゆるみ、その後の経済改革が促された。
毛沢東時代は社会主義の命令を押しつける政治活動が次々にくり出されたが、中国は繁栄を共有できる約束の地にたどり着けなかった。失望と不満が、とりわけ毛沢東時代に地位を失った党の長老に、「右派」として攻撃された知識人に、農業集団化のせいで口に糊するのに必死の8億人の農民の大多数に広がり、深まっていた。彼らは変化を求めてやまなかった。
階級闘争論を斥け、社会主義的近代化を受け入れた中国は、政界の内紛というマイナスサム・ゲームの呪縛からついに解かれ、経済発展というプラスサム・ゲームにとりかかった。毛の壮大だが破滅的な社会主義の実験の苦汁をなめさせられた中国人は明らかに、改革の遠大な計画に懐疑的になっていた。
また同時に、外界から長いあいだ孤立していたので、社会主義の代案にほとんど心当たりがない。このため指導部は、即席とありものの利用でひねり出したことに取り組むしかなかった。なおも社会主義イデオロギーの旗印のもとに集いながら、実際的な目的を達するための多様な方法を模索した。
しかし20世紀末には、中国は1978年コミュニケで意図したような公有制と国家計画にもとづく「近代化した社会主義の強国」になったことを祝すのではなく、気がつけば、私有企業家の活動と市場原理に満ちた活気ある経済を備えていた。これは中国の経済変革の最も意外だった面だ。
中国は社会主義を近代化しようと努めながら資本主義になった。中国の物語は、アダム・ファーガスンが「人間の行為の結果ではあるが、人間の設計の結果ではない」と述べたものの典型だ。中国のことわざがもっと詩的に表現している。「有意花を栽えて花発かず、無心柳を挿して柳陰を成す」(花を咲かそうと思って植えた花が開かず、誰も気にかけなかった柳が成長して木陰をつくる)。
偶然から「致命的な思いあがり」を免れた中国
中国の経済改革は、当初そう受けとられ進行中ずっと思われていたような、社会主義を解体して、資本主義へ移行することを意図したものでは断じてなかった。むしろ、その目標は「社会主義的近代化」、毛沢東が果たせなかった経済開発を実行するための第2次革命、もう一つの「長征」であり、1978年コミュニケが宣したように、中国を「20世紀中に近代化した社会主義国」にすることであった。
共産主義は資本主義を葬り去る運命にあると主張しているから、共産党は市場改革とは両立しないと広く信じられている。しかし政治組織(共産党)と政治イデオロギー(共産主義)を同一視する過ちを犯してはならない。人間は一人ひとりが多様なアイデンティティ(例・男性、教授、夫、経済学者、アダム・スミスの崇拝者)をもつ。政治組織も同様に、多様かつ流動的なアイデンティティをもつ。マルクス主義の個人や組織がただマルクス主義であるだけのはずはない。共産主義と資本主義が互いに対抗しあうイデオロギーとして正反対の立場をとる一方で、共産党は存続の危機に際しては、資本主義も含めたあらゆることを受け入れ、実地に試すことがありうるのだ。
共産党と共産主義を分けて考えなかったために、多くの人が経済体制移行の取り組みを誤ることになった。市場改革は、まずはイデオロギーも政治組織も含めて共産主義システムを一掃しなければ不可能なものだ、との考えが浮上した。共産主義だった過去との完全な決別が、市場経済へ新たな歩を進めるための絶対条件と考えられた。
結果として、既存の経済システムに手を加えての漸進的方式は、そもそもの最初から除外され、改革のビッグバン方式と呼ばれた手法が誕生した。加えて、政策立案者の顧問である多くの経済学者は、その現代経済学の専門知識をもって市場経済を新たに建設するには、社会主義を跡形もなく消し去らねばならないと信じた。
しかし市場経済が合理的に設計されうると考えることは、設計主義的な合理主義という「致命的な思いあがり」とハイエクが称した誤りを犯していた。何十年も前にハイエクは、ノーベル賞受賞の記念講演で警告していた。「社会の進展を自分らの好きなように形づくるための知識も権力も、実は持っていないのに持っていると考えて行動すると、大きな害を引き起こしやすい」
中国は幸運にも、まったくの偶然から、この致命的な思いあがりを免れた。経済改革に着手したてのころ、中国は共産主義を一掃してゼロから始めようとは(とうてい考えられなかったし)考えなかったから、まっさらの計画をもって臨むのでなく既存のシステムを調整することから開始した。
だが社会主義をひきつづき奉じていたので、その欠点を認めはしなかった。実のところ、毛沢東の死後には中国の社会主義の本質と展望をめぐる公的な議論が噴出した。毛の指導下では何がいけなかったのか、中国は次はどこへ向かうべきか。1981年、華国鋒から中国共産党主席の座を引き継ぎ、82年に党総書記となった胡耀邦は、84年にイタリア共産党の機関紙『ウニタ』のインタビューに応えるなかで、自身と党に対し疑問を提起した。「〔1917年〕十月革命から60年以上たった。多くの社会主義国が資本主義国の発展に追いつけていないのはどうしてなのか。〔社会主義の〕どこがいけなかったのか」
社会主義に傾倒してはいても、中国指導部はその外遊中に資本主義の洗礼を受けるや、これを見直し称賛しさえもした。当時、工業開発担当副総理だった王震は1978年11月6日〜17日にイギリスを訪問、この国の労働者階級が果たした高次の経済的・社会的発展を知って驚嘆した。訪英前のこの国の資本主義に関する知識は多分にマルクスの著述に依っていた。ロンドンの貧民街を、貧困と窮乏と搾取を目にすると予期していた。
だが驚いたことに、王の給料はロンドンのごみ収集員の賃金の6分の1にすぎなかった。外遊が終わるころには、王震はイギリスの資本主義と中国の共産主義への信奉に関して、これまでより深く正確な理解に達していた。
イギリスはよくやったと私は思う。生産物は豊富にある。3つの不平等〔都市と農村、工業と農業、精神労働と肉体労働の不平等、マルクスはこれらの廃絶を社会主義の使命とした〕はほとんど除去されている。社会正義と福祉は大いに強調されていた。イギリスが共産党政権に治められていたなら、そのままわが国の共産主義社会の手本となった。
イギリスに共産党支配を足したものが共産主義に等しいという王震の公式は、資本主義と社会主義に対する現実的で非イデオロギー的な態度とともに、いつまでも変わらぬ党への愛着を示していた。このプラグマティズムの精神がなかったら、中国に残っている社会主義信仰のせいで、その後の市場改革は達成されなかったに違いない。
共産党の組織としての柔軟性と順応性の証左
中国の経済改革の何より尋常ならざる特徴は、30年にわたる市場転換中に中国共産党が存続し、むしろ繁栄したことだろう。これは明らかに、社会主義の実験が失敗したのちの共産党の組織としての柔軟性と順応性の証左であり、党が無敵だとか社会主義そのものの優越を証拠立てるものではない。
だが、もっと驚くべきは、社会主義を救うはずだった改革が、いつしか中国を市場経済へと変えていたことだ。この驚異の物語の攪乱要因は、中国の「実事求是」の教え、ケ小平が誤って「マルクス主義の真髄」と呼んだものである。
中国が巨大な経済の実験場と化したとき、競争力がその教えの魔法を発揮できたのだ。発見の実験的過程で、原材料が最大の利益を生む使用へと向けられ、集団学習を容易にする制度的な取り決めや組織構造が出現した。
毛沢東の遺産をいじくり回しつつ、中国は一歩また一歩と、脇道には逸れず後退もせずに進むうち、ふと気づくと、社会主義を救うはずだった30年の改革ののちに市場経済へ変貌を遂げていた。
ベルリンの壁崩壊後、社会主義は旧ソ連圏で廃された。中国においても敗北した。飢えた農村は私営農業を復活させ、郷鎮企業は国有企業の収益を上回った。都市部では個人企業と私営企業が導入され、国家主導の企業改革が与えたよりも大きな活力を都市経済にもたらした。
中国の経済改革の物語は、頑固な私企業家精神の物語でもあり、大胆だが漸進的な社会実験の物語でもあり、また、より良い生活を求める人間の謙遜と忍耐の物語でもある。
(次回につづきます)
ロナルド・コース (Ronald Coase)
1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。著書に『企業・市場・法』(東洋経済新報社)。
王寧(ワン・ニン)
アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授。
103歳のノーベル賞学者の 中国資本主義論
1910年生まれ、今年103歳となるノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コース氏は、いまも現役の研究者である。肩書きはシカゴ大学ロースクール名誉教授だが、中国人の王寧アリゾナ州立大学准教授との共著で、中国社会主義の資本主義への制度変化を分析した『中国共産党と資本主義』(原題はHow China Became Capitalist)を2012年に出版した。この連載は、2013年2月に出版された邦訳の中でも、白眉である第6章「一つの資本主義から複数の資本主義へ」をまるごと公開するものだ。中国的特色をもつ資本主義の到達点と限界を独自の視点から分析する。
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スウェーデンの日本語教育と学校の財政難
日本に憧れ、日本語を学ぶ生徒たち〜北欧・福祉社会の光と影(3)
2013年03月04日(Mon) みゆき ポアチャ
現在、スウェーデンの高校と夕方から始まる成人学校の2校で日本語を教えている。
「スウェーデンは移民のスウェーデン人化に成功している」かどうかは議論が分かれるところだが、クラスの生徒は様々な国籍のルーツを持っている。と言っても、全員がスウェーデン生まれでスウェーデン国籍を有しているのだが、彼らの両親のバックグラウンドは実に様々だ。
様々なルーツを持った日本語クラスの生徒たち
日本語を学ぶ2年生と3年生(写真は筆者撮影)
写真は2年生と3年生だが、真ん中にいる1人を除いて、両親かどちらかの親がスウェーデン外にルーツを持っている。
そのルーツも、チリ、ポーランド、中国、サルバドール、セルビア、そしてアッシリアと多様だ。
家庭内ではそれぞれの言葉で話しているという生徒も多い。
そして調査によると、家庭内で別の言語を話している子供の方が、スウェーデン語の成績が比較的よい傾向があるという。また、複数の言語を話す子供ほど未知の言語の習得が早い、という調査結果もあった。
そして、途中でドロップアウトせず2年、3年と継続して日本語を選択する生徒の率は、やはり他国のバックグラウンドを持つ生徒の方が高いようである。
日本語を学習するきっかけも様々だ。
ポケモンやGACKTに魅せられ日本に憧憬
昨年の卒業生のアネリに、どうして日本語を勉強するのと聞いた時に、こんなふうに答えてくれた。「小学校4年の時に『ポケモン』を見て、その冒険の世界に強くあこがれた。その時から、将来は日本語の勉強をして絶対に日本に行くと決めていたの」
彼女は在学時、たった1人で上級のコースを学習して単位を修めた。現在はヨテボリ大学の日本語科で勉強している。春から慶応義塾大学に留学するようだ。
時折ピカチュウの衣装を着て学校に来るイザベラ
日本の歌とバンドが好きで、「GACKT」や「雅-MIYAVI」をいつも聴いているというイザベラ。彼女はたいてい黒っぽいメイクに黒いジャケットを身に着けていて、なかなかタフな雰囲気なのだが、時々は「ピカチュウ」の衣装を着て学校に来る。
彼女は日本に行くために、10歳の時から貯金をしているという。この6月に卒業し、夏に日本へ行く予定だ。
「ドラゴンボール」に魅了され、10歳時からカンフーを始めたロバート。彼は一昨年に卒業し、現在はヨテボリ大学で日本語とシステムサイエンスを学んでいる。
もうすでに、日常会話程度はほぼ問題なく日本語で話せる。時々ふらっと教室に顔を出す。先日は、授業後に「先生、遊びすぎですよー。もうちょっとちゃんと授業しなきゃ」とたしなめられた。
それぞれが、心の中に独自の「日本の風景」を持っている。そしてその世界に憧れ、その幻影を追いかけ続けている。
ひらがな習得の工夫、「『ゆ』はサカナに見えるね」
1年生の時には「ヘイ、ミユキ!」と挨拶していた生徒が、2年時には「ミユキ、オハヨー」、さらに翌年には「センセー、オハヨーゴザイマス」と言うようになっていくのも楽しい。別に私は「そのように言いなさい」などと指導しているわけではないのだが、どういった方法でか勝手に覚えて実践していく。1人が言い始めると、ほかの生徒に伝染していく。
アルファベットとは全く異なる文字を見て、様々な想像を描き、その習得のために各人がそれぞれの工夫をこらす。
「『と』はつま先(トゥ)の形に似てるね」
「『ゆ』はサカナに見える」
「『い』は、iが2つ並んでる」
HOだから「ほ」
『は』と『ほ』などは区別が付きにくい。これを解決したのは、両親がハンガリールーツのマイケルくん。
「『ほ』の右上には横になっている『H』があって、その下に『O』がある。だからHO『ほ』」
習字も生徒たちに人気だ。ある程度漢字を学習した2、3年生たちには、好きな言葉を自分で選んで書きなさい、と言う。
「六月」「子犬」「愛の戦士」「悟り」「龍」「霊感」「音楽」「苺牛乳」など様々な言葉が登場する。とはいえ多くの学生が書く一番の人気は、やはり「愛」だ。
生徒たちには習字も人気
「勉強する」と書いたのは、秀才ダニエル。彼は高校を首席で卒業し、現在はストックホルムの王立工業大学でコンピューター技術とあわせて日本語も学んでいる。
「自由」「平和」、そして「音楽」と書いたのは、両親がチリから政治亡命してきた生徒。彼はミュージシャンだ。
「『憎しみ』って、どう書くの」と聞かれたので、『憎』という漢字を教え、「『愛』と『憎』は紙一重だね」と言ったら深ーーーくうなずいた3年生。18歳はもう子供ではない。
と、こんなふうに授業自体は和気藹々としている。
が、楽しいことばかりでもない。
高まる財政不安、開講取りやめの危機も
学校側の「予算削減攻撃」はすさまじい。
1ページ目に掲載した写真は、2年生と3年生合同のクラスだ。1年生はある程度の人数がいるが、学年が進むにつれてギブアップする生徒が出て、生徒数が減ってくる。そのため2、3年生が同じ教室に座らされているのが現状だ。
これも実は1年前、「来年は日本語クラスが開講されないかもしれない」と心配した生徒たちが皆で校長のところへ直訴し、校長から「2、3年生が一緒に授業するなら開講する」という約束を取り付けたのだ。
学校側はウソばかりだ。
先に紹介したアネリが、「もっと上級を勉強したい」と言った時に、学校は彼女と私に上級コースの開講を約束した。それで彼女と2人で、テキストを選んで日本に注文し、学習スケジュールを立てて試験の日程などを決めた。そうこうしている矢先に学校は「やはり上級コースは開講しない。たった1人の生徒のために開講できない」と言ってきたのだ。
アネリは私のところに来て、ほとんど泣きそうになりながらそのことを訴えたので、私はとにかく計画通り学習を進めよう、ということにした。私にとっては不払い労働だ。
その後、校長が別の人に交代した。新しい校長は私に「タダ働きをさせるわけにはいかない。仕事をしている分は給与を支払う」と約束したのだが、その3日後には「やっぱり払わない」「アネリはほかの生徒といっしょに座って勉強しなければならない」と言ってきた。レベルが違いすぎ、そんなのは不可能だ。
ちなみに、私が不払い労働をしていたことは、夫には内緒だった。夫に限らず、スウェーデン人は絶対にタダ働きはしない。夫がそれを知ったら、激烈に怒るだろう。
昨年までは「新入生歓迎会」「忘年会」などと称して、全学年で一緒に映画を見てから皆で寿司を食べにいく、ということも時々していたのだが、今年は「スーパーでお菓子を買ってきて教室で食べなさい」ということになった。
映画を見たくても、DVDは購入してもらえなくなり、「もっと安く映画を見る方法はあるだろう。生徒はよく知ってるよ」と言われた。暗に違法ダウンロードをせよということだ。
プレーヤーは何台もあるが、1台としてまともに稼働しない。校長に「授業で使いたいから新しいものを買ってほしい」と言ったところ、彼はやにわにプレーヤーをバンバン叩き始めた。数分バシバシした後、「ミユキ、直ったよ」。事実直っていた。
一昨年の卒業式の際は、卒業生にコンドームなどの「おみやげ」を配っていたが、昨年からはそんなものも一切なくなった。
低給料で不安定な教職
日本語クラスの試験中の風景
私自身は教員の資格を持っていないので、給与は最低レベルだが、ほかの先生方もそれほどたくさんもらっているわけではない。
この高校では、日本語のほか、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語が選択できるが、必須科目と違い授業数が多くないので、ほとんどの先生方は数校をかけ持ちで教えている。
それでもほぼ毎学期のように先生が交代する。つまり就任しては辞め、新しい先生がまた来る――が繰り返されているわけだ。
先学期にイタリア語の先生が辞めたが、その後に新しい先生が来ず、今学期のイタリア語の授業はキャンセルされた。ドイツ語の先生も決まるのに時間がかかり、授業が開始されるのが数週間遅れた。財政難が、生徒の学ぶ機会を直接侵害しているのだ。
これは恐らく、単純な財政難とか収支バランスの問題ではない。学校の経営自体が、利益重視システムに転換しているのだろう。
2006年、政権が社民党から保守連合に交代して以降の民営化、すなわち資本主義化の波は大きい。特に教育と医療分野において、生徒と患者たちに直接大きく影響している。
週に1度の職員会議では、「イジメのない、魅力的な学校にするために我々ができること」などが議題に上がるが、その背後に隠された真のテーマは「入学者数をどうやって増加させるか」だ。
「インターネットを活用した学校宣伝のアイデア」などを職員らで話し合わせたりもする。「生徒は『お客さま』なのだ」と言われたこともある。「生徒は『顧客』であると認識せよ」――。これが学校の本音だ。
とはいえ、私が来てからの2年半で、何と校長が3人交代している。最近、校長を見かけないなと思っていたら、彼の部屋のドアには「校長は病気療養中」の張り紙。
学校のトップらも恐らく、急激な変化の葛藤に苦しんでいるのかとも思う。
「国民の家」だったはずのスウェーデン社会の変容
社会民主党から交代した保守連合の責任なのか、あるいは社民党が政権をとり続けていたとしても、似たような結果になっていたのかもしれない。社民時代からも教育市場の競争の激化は始まっていた。
いずれにせよ、かつて世界の国々を魅了した国民の平等と階級の撤廃を旗印にした「国民の家」であったはずのスウェーデン社会は大きく変容している。
ではあるが、生徒たちは屈託なく、とりあえず明るい。
こんな欧州の北辺の、日本人などほとんど見かけられない田舎で、全く異なる言語体系を持つ語を習得するためには、どれほどの強靭なモチベーションを保ち続けなければならないだろう。
ドイツ語の先生に「あなたの生徒って、みんなとっても優秀なのねえー。ドイツ語でAを取った生徒はたった1人なのよ」などと言われるのだが、それでも私は授業に出席し、ひたすら日本への憧憬を持ち続ける生徒たちには最高の成績をつけざるを得ないのだ。
JBpress>日本再生>人材育成 [人材育成]
42大学のグローバル人材育成構想を比較する(上)
どうすればグローバル人材の育成ができるのか(18)
2013年03月04日(Mon) 村田 博信
昨年9月、文部科学省による「グローバル人材育成推進事業」に42の大学が採択されました。
この事業は、若い世代の内向き志向を克服し、国際的な経済・外交の舞台で積極的にチャレンジできる人材を育成するため、平成24(2012)年から5年間にわたり趣旨に適った取り組みをする大学へ財政支援するというものです。
1校当たりの補助金は最大で年間2.6憶円と、送り出し留学の促進に関する国家事業としては、大規模なものとなっています。いよいよ政府も本腰を入れ始めたということでしょうか。これをきっかけに社会総がかりでグローバル人材の育成が推し進められることを期待したいと思います。
そこで、2回にわたり当事業における各大学の構想を見ていきたいと思います。
各大学が掲げるグローバル人材の定義はさまざま
ひとくちにグローバル人材と言っても、各大学が文科省に提出した事業企画書に謳われているその人材像はさまざまです。
例えば、東京医科歯科大の考える人材像は以下のようなものです。
「成熟国家の日本が、生命科学研究や国際保健/医療政策、国際協力/医療観光等の分野において世界を支え牽引していくために中心的役割を担うグローバルヘルスリーダー」
背景には、日本は国連拠出金では米国に次いで2位であるにも関わらず、世界保健機構(WHO)における日本人スタッフ数は他の国連機関同様にかなり低い状況があります(日本が払っている分担金の額と比較すると、日本人の国連職員は本来あるべき数の4分の1程度です)。
また、現在、日本では医薬品・医療機器の分野でも輸入超過の状態ですが、その基盤となる基礎研究における国際競争力の向上が急務です。
2008〜2011年の4年間に世界の主要医学雑誌に掲載された論文数を見ると、基礎研究分野では4位と、2003〜2007年を集計した前回調査の3位から順位を下げました。また臨床研究分野ではさらに深刻で、前回の18位から25位へと大きく順位を下げています。
各大学が考えるグローバル人材像
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これらは英語運用力、情報発信力の不足に大きく起因しているとともに、海外研究留学希望者数の減少も将来の競争力を考えると憂うべき状況です。
そして、東日本大震災の際には他国のボランティア医療スタッフから多大なる支援を受けたように、日本も他国が医療を必要とした時に積極的に国際協力に関わるべきで、そのためにも高度な英語力のもと質の高い災害医療を行える人材の育成が必要となります。
さらに近年アジア諸国の一部では医療観光産業が成長してきていますが、日本は高い医療サービスを持ちながら大きく出遅れています。この状況を打破するためにも英語によるコミュニケーション力を高める必要があります。
グローバル人材育成推進事業の5つの柱
この事業における各大学が取り組む分野は、以下の5つに分類できます。
(1)グローバル人材として求められる能力の育成
(2)大学のグローバル化に向けた戦略と教育課程の国際通用性の向上
(3)教員のグローバル教育力の向上
(4)日本人学生の留学を促進するための環境整備
(5)語学力を向上させるための入学時から卒業時までの一体的な取り組み
プログラムのコンテンツはもとより、それを実行するための体制、学生と教員への啓蒙など包括的な枠組みとなっており、従来の局所的な取り組みからの脱皮が感じられます。
今回は、(1)の「グローバル人材として求められる能力の育成」について取り上げたいと思います。
飛び入学、早期卒業を生かしたグローバルプログラムを計画する千葉大学
多くの大学で挙げられている能力・素養は、課題解決力や論理的思考力、チームワーク、チャレンジ精神、コミュニケーション能力、異文化理解力、語学力などです。
それらを習得するためのプログラムとして、地球規模の課題をテーマにしたより実践的なグループ学習や教養教育、さらには国際ボランティア/インターンシップに代表されるフィールドワーク等が計画されています。
またそれらの能力の習得度合いを測定するような取り組みも見られ、従来のアカデミックなカリキュラムとは一線を画すものが目立ちます。
例えば、千葉大学では、1〜2年次には導入としての短期留学を必ず経験させる計画です。
そのための事前教育として、日本文化、異文化、帰国後の日本再発見などの国際日本学に関する授業を18単位以上受講させることで日本人としてのアイデンティティもしっかり醸成しようとしています。
また、千葉大学の特徴的な取り組みである飛び入学や早期卒業を全学標準とし多様な修学年限を持つグローバルプログラムを計画しています。
千葉大学:プログラム概要(画像提供:筆者、以下同)
例えば飛び入学者は、「0.5年高校(短期留学)+3.5年学部(短期留学1〜2回)+0.5年仮卒業半年留学」により3〜4回の留学を経験できます。また大学院進学者には3.5年学部(短期留学1-2回)+2.5年修士(1年留学)などの長短合わせた留学の機会が与えられます。
千葉大学ではこのような特別な修学年限での人材をスーパー・グローバル人財と呼び、年間100名程度を育成するとしています。
日本の社会にはエリート教育に対して異を唱える風潮が他国に比べて強いですが、能力が異なる学生を無理に平等に扱うこと自体が不公平であると思います。ポテンシャルのある学生がより自己研鑽できる土壌をつくらないと日本の大学は世界の競争に生き残っていけないでしょう。
そういう点でも千葉大学のような取り組みは注目に値します。
中国重視の杏林大学、途上国に目を向ける鳥取大学
次に杏林大学ですが、こちらは中国を重視した施策が特徴的です。過去や現在、未来にわたる中国の影響力に鑑み、中国語文化圏で卓抜した語学力とスマートでタフな交渉力を兼ね備える人材の養成を図っています。
事実、通訳翻訳トレーニングメソッドを導入した中国語教育においては日本の中でも秀でた存在で、中国大使館や中日友好協会職員の委託研修などの実績もあります。
それらにより中国の名門大学から数多くの優秀な学生が送り込まれているため、日本にありながらも多くの中国人留学生と切磋琢磨できる中国語学習環境に恵まれています。
また中国語・英語サロンの設置による交流の場づくりや海外放送を常時流すなどより実践的な語学力の育成を計画しています。
昨今中国との関係が問題となっていますが、次世代が活発に交流することで将来の友好関係構築に大きく寄与することは間違いありません。杏林大学のような中国重視型のグローバル人材育成は中長期的に見て大きな意義を持ってくるでしょう。
鳥取大学:プログラムビジョン
最後に鳥取大学を取り上げます。同大学ではアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の開発途上国や新興国をフィールドとした海外実践教育を実施する計画です。
それらのプログラムを通じて、国連機関やJICA(国際協力機構)及び国際NGO等のほか、特に開発途上国や新興国への世界展開を考えているコンサルティング会社や海外進出を図る各種企業にとって魅力的な人材を育成することを掲げています。
特に、アフリカやラテンアメリカといった他大学では手薄な地域へ送り込み、学生に半強制的にカルチャーショックを与えることでメンタルを鍛える方針は、どうしても頭でっかちになりがちな大学教育の中において「まずやってみる!」というスローガンの下、たくましい学生を育てるという信念が見受けられます。
これからは途上国におけるBOPビジネスなどがグローバル企業にとっての新規マーケットになる中で、想定外の事態への対応力やリスクテイクのマインドを備えた人材はますます必要とされるでしょう。
鳥取大学の取り組みは地方大学のグローバル化の一つのモデルになる可能性を秘めています。
以上、各大学で多岐にわたるプログラムが計画されていることが分かりますが、限られた学生を対象としているものもあります。
まずは数年間取り組んでみてプログラムが洗練された後に全学に展開するなり、またはエリート教育に徹するなら、選抜された学生から他学生が触発されるような仕組みをつくるなども今後は求められてくるでしょう。
以下に他の大学の特徴的なプログラムをご紹介します。
各大学の特徴的なグローバル人材育成プログラム
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37028
「インドを探求する」シリーズ
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/08/001117.html
で、インドの歴史と仏教などを追求していますが、今回、新たな視点を加え、再構築してみようと思っています。その新たな視点とは、統合様式(支配様式)と最先端の観念との関係構造(統合様式は宗教を含む最先端の観念を規定する)です。
前回、当チームで追求した
「シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」
http://www.jyoumon.com/blog/2012/10/001448.html
では、日本の仏教に触れ、共同体や本源性(受入体質など)を色濃く残してきた地域における仏教の成立と発展の仕方に独特のものがあることが分かりました。
それは、その最終回、【「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人〜】のタイトルのように、とことん受け入れ、改良して共同体に溶け込んで発展してきた日本の仏教像でした。
仏教の発祥の地、インドでは、日本同様、本源性を残しているといわれます。「インドを探求するシリーズ」でも分析されていますが、その教えは、遠く離れた日本や東アジア地域の人々の心には、深く、広く行き渡っているのに、発祥の地インドでは、消滅してゆく歴史をたどっています。現在のインドの仏教徒は、人口の1%も満たない状況のようですが、私たちの身近な宗教である仏教の原点の地では、日本とは相当異なる状況があり、改めて考えてみようと思います。
その成り立ちと歴史は、よくまとまっている「インドと探求する」等を通して、他国の仏教の成立と発展を見てゆく中で、支配階級と観念との関係構造を明らかにして行き、「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?」を追求していきたいと思います。
一般的に教科書的には、13世紀イスラム教の侵略で、インド仏教は、滅ぼされたと言われます。また、その前史のアショカ王時代は、国教ともなり、インドでは広範囲に定着していたとされます。しかし、少なくともインドの仏教信者は、現在では、ほとんど存在しないという傾向にあるようです。
仏教は、大衆のために作り出されたものとも考えられがちでありますが、実は、その教えは民衆に向かっていないようにも思えます。
民衆を巻き込んだ、主だった戦争も少なかったインド地域では、日本と同じく、本源性を残し、共同体を存続してきた長い歴史があったようです。
そのようなインドの人々は、アーリア人が持ち込んだバラモン教とその発展系であるヒンドゥー教、その身分制度であるカースト制度に、生活全般を委ねているように見えます。
また、この地域は、ほぼ、ヒンドゥー教の世界であり、2000年も継続するカースト制度=身分序列が事実として存在します。一体、それらは、どういったもので、この収束力の違いはいったいなんでなのでしょうか?
私たちは、カースト制度=身分制度、仏教=民のための宗教、アーリア人=牧畜の好戦的人種と捉えていますが、そこには、多分に私権社会の否定形、及び、先入観、思い込みが混入しており、実態は相当異なるのではないか?という疑問を抱きました。
仏教は、民衆を支配するために必要だった観念なのかもしれません。カースト制度は、力の序列に基づいた身分制度でもありますが、一方で、社会秩序(共同体)を維持するための制度であり、同類闘争(=戦争など)を止揚するための制度だったのではないでしょうか?さらに、アーリア人を十派一絡げで認識していますが、彼らは、渡来人としてインドの土着民をどういう形で融合し、支配・統合しようとしたでしょうか?戦争をせずに、観念支配するところは、実は、朝鮮半島からの渡来人と日本列島の縄文人との関係に近い構造を見出せるようにも思います。
※インド・中国・日本の仏教は、
「仏教の歴史について 〜インド・中国・日本〜」
http://www.jyoumon.com/blog/2009/09/000918.html
・高句麗、百済、新羅における仏教とは?
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/02/000732.html
も参考になります。
コメント
>仏教は、民衆を支配するために必要だった観念
とありますが、これには甚だ疑問です。
ヒンドゥー教もそうかと言われたらそれにも疑問ですが。 釈迦も含め、当時の出家者は、単にそれぞれが抱いた疑問をひたすら追求していただけではないでしょうか?
その追求過程が、弟子にも引き継がれ、仏教においては八万宝蔵と言われるほど膨大な経典になったのだと思います。 それが、中国において整理されました。
果たして、何もかも統合側から考えていくことが、正しいのでしょうか?
記事を読む限り、それが固定観念化しているように感じられます。
宗教を考える上では、もっと視野を広くすると同時に、人とはどういうものなのか?どういう傾向にあるのか?というところに、焦点を当てた方が良いと思います。 特に根付く根付かないを論じるのであれば。
まぁ歴史は支配者の歴史しかないので、難しいとは思いますが・・・。
また、仏教を考える上で大事なのが、日本の葬式仏教は仏教に非ずという認識だと思います。 葬式仏教の認識で以って、仏教を考えると必ずズレると思います。特にインドを論ずる時は。
投稿者 ツクシ : 2012年11月01日 19:53
インドはイギリスの植民地になるまで、「宗教対立」が今以上にありませんでした。
この世の宗教の対立の多くは近世から始まるものだと、私は確信しております。
そしてその原因は植民地の宗主国が現地民に歯向かわぬ様に、宗教対立を利用し、現地民同士を争わせる為の統治をしたのは、イギリスが非常に有名です。
そして統治の方法に限らず、『歴史の書き方』も影響を受けています。
イスラム教が仏教を滅ぼしたというには怪しいものがあります。イスラム教徒が侵入するまでに仏教は既に衰退しきっておりました。
仏教寺院の破壊にしても、イスラム教徒がやったと言われていますが、衰退した宗教施設が崩壊するのは何も戦火によるものだけではありません。
煉瓦を調達するために、廃墟になった宗教施設を解体して煉瓦を調達するのは非常によく知られた事です。
デリーの町には城郭の一部が点々と残っていますが、あれは、為政者の都市の整備の為に、古い城壁を取り壊して建材にした為です。
更に言うのであれば、「仏教が衰退した」という言葉、根付いていないという言葉も、怪しいものがあります。
ご存知かと思いますが、ヒンドゥー教徒はブッダをヴィシュヌの化身としています。ゆえに、統計上もブッダを拠り所とする仏教徒は、実はヒンドゥー教徒として統計上処理されています。
インドは政教分離の国ではありますが、事実上、ヒンドゥー教の影響力が政治の世界にも非常に強く影響されています。
必生 闘う仏教という本があります。日本人の伝記ですが、その折々でヒンドゥー教がここまで強い影響力を持つのかと、正直、とっても驚きました。
私は旅行会社で仕事をしており現地に添乗員として行きますが、デリー大学で考古学を修めたガイドから、インドの歴史は非常に捻じ曲げられているという話を良く聞きます。
資料を参考される際は、誰がいつ書いたものなのかも是非、考証する際にご検討されますと、このブログがきっと素晴らしいものになると思っております。
投稿者 うい : 2012年11月02日 22:53
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/10/001453.html
「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?〜統合様式と宗教の関係〜
第2回 仏教とインドの歴史(概要)」
意外と知っていそうで知らない「仏教とインドの歴史」の概要を、以前に当ブログで扱った内容をダイジェスト的にまとめて見て行きます。
おおまかに見ると、仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。
釈迦はバラモン教の拡大により肥大する私権社会を何とかしなければと純粋に思い、本源回帰の道を探った。しかし仏滅以降の仏教は上座部と大乗に分断され、かつ土着の大衆意識を汲み取れなかった。同時期に発生したヒンズー教がインドの第一宗教となり、仏教が排斥されたのはイスラム教による影響はあるが、本質はインドの(私権)秩序維持に対して仏教が適応していなかったからではないか。他民族が共存し様々な民族間の軋轢があるインドを統合するにはヒンズー教的土着のバックボーンが必要不可欠であった。仏教が根付かなかったのは思想の問題でなく、統合手法の脆弱さ故であった。
コメント
インドはユーラシア大陸固有の領土ではない!
では何処から流れて来たんだろうと考えるのが賢明。
エジプト・アンコールワット・中南米の巨石文明のルーツは同じ!
http://www.youtube.com/watch?v=Jciqq98ETww&feature=related
投稿者 KESSELRING : 2012年11月24日 23:24
インドに仏教がなぜ生まれたのか?
これは古代インドになぜ思想が蔓延したのかという問いと同義だと思います。仏教は他の宗教に比べてとにかく難しい。難解です。だから大乗仏教などという大衆にわかりやすい仏教が後に登場するなどしてきたのでしょう。
インドのカースト制度は最上位が僧侶です。貴族ではありません。宗教家がカーストの最上位という事は社会全体に必然的に観念に特化していく事になります。仏教が誕生する前のバラモン教の世界でインドでは観念世界が異常に発達した。事実古代インドでは天文学、数学、哲学などあらゆる観念世界の産物が登場しています。なぜそこまで観念世界を先鋭化させたのか?そこに焦点をあてていけば見えてくると思います。
仏教はそうした観念世界がどんどん深化していく過程、あるいは最後に登場します。
それと現代のインド人が頭がよく、議論好き、追求好きです。それは頭が良いという事に非常に価値を置く民族である事のように思い、これらの古代からの伝統と関係しているかもしれません。
仏教は結局インドには根付かなかった、ただ、非常に難解な小乗仏教はどこにも根付いていないのかもしれません。
投稿者 tano : 2012年11月25日 18:25
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/11/001457.html
なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?3〜先住民に触れ変化したアーリヤ人〜
今から3500年前にインドに侵入したアーリヤ人。一体、どのような民族だったのでしょうか?
さらに、それまで住んでいた住民族との関係性はどうだったのか?アーリヤ人の特性と、アーリヤ人が形成した部族社会を詳しく押さえていきます。
インドにアーリア人が侵入した時代背景と先住民との関係性を克明に記している本をベースに『先住民に触れ変化したアーリア人』を展開させていただきます
『古代インドの文明と社会 山崎元一著』より引用。
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@アーリヤ人の登場
前2000年ころ、インド・ヨーロッパ語に属する言語を話し遊牧生活を送る一団が、中央アジアに移住し、自らをアーリヤと称し優れた血統を誇った。そして、牧畜に適したこの地で人口を増加させるとともに、民族としての独自性を育んだ。
前1500年ころ、そのアーリヤ人の一部が南下を開始し、ヒンドゥークシュ山脈を超えてインドに入った。移動の原因としては、人口の増加や気候の乾燥化による牧草地不足、部族間の抗争などが考えられる。インドに入った者たちは、今日インド・アーリヤ人と呼ばれている。
一方、中央アジアからイラン方面へのアーリヤ人の大規模な移動が、前1000年ころ始まった。かれらの自称「イラーン」は「アーリヤ」と語源を同じくする。また、あとでふれるように、かれらが伝えたゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の神々と、インド・アーリヤ人のヴェーダ聖典の神々との間には共通するものが多い。
Aパンジャーブのアーリヤ人
インド・アーリヤ人の中央アジアからの移動は、家族と家畜をともない、氏族ないし部族の単位で行われたものである。おそらくシルダリヤ流域北方の草原地帯を出発したあと、アムダリヤ流域やカーブル盆地といった広大な草原の存在するところで多くの年月をすごし、やがてよりよい放牧地を求めて移動を再開するといったような、数十年あるいはそれ以上の年月をかけての移動であった。そして最後の難関であったスレイマーン山系の峠越えを果たし、緑豊かな理想郷ガンダーラの地にたどりついた。
かれらはこの地で、後続を待ちながら長い年月をかけて態勢を整え、その後にインダス川とその諸支流の流れるパンジャーブに進出した。そして先住民を征服し、またかれらとの間に経済的かつ文化的な交流をもちつつ、牧畜を主とし農耕を従とする半定着生活を始めた。
(中略)
パンジャーブに入ったアーリヤ人が遭遇したのは、農耕に従事する先住民、つまりインダス文明衰退後の文化を担った者たちであった。アーリヤ人はかれらをダーサ、ダスユと呼び、その多くを支配下に置いた。
ダーサがプルと呼ばれる城塞あるいは壁で閉まれた町に立てこもったことについては、インダス文明の滅亡の原因について述べたところで記した。ヴェーダの宗教の雷神かつ軍神のインドラは、アーリヤ人のために多くのプルを破壊したとして讃えられている。インドラは戦車に乗って戦う英雄であるが、戦士と御者が乗り二頭ないし四頭の馬が引く二輪戦車の機動性と、すぐれた金属製の武器によって、先住民に対するアーリヤ人の軍事的優位がもたらされた。
アーリヤ人は先住民ダーサを「黒い肌の者」と呼んでいる。そうした肌の色の違いが支配者・被支配者の区別を示したことは、「色」を意味するヴァルナという語が身分・階級の意味をもつことからも知られる。さらにアーリヤ人は先住民を「牡牛の唇を持つ者」「鼻のない(低い)者」とも呼び人種の遣いを強調し、また意味不明の敵意ある言葉をしゃべる者と非難して、文化の違いを強調した。
このような先住民の主体は、ドラヴィダ系の民族であったらしい。 『リグ・ヴェーダ』ではさらに、先住民について、神々に供物を捧げず、男根を拝するなど奇妙な信仰をもつ者と述べられている。これらの信仰は、インダス文明時代の地母神信仰や、生殖器崇拝に関係するのであろう。
Bアーリヤ部族社会
当時のアーリヤ社会の最小の単位は家族であり、家父長を中心とし、通常は三世代から構成されている。また家族が集まってヴィシュ(氏族)が、ヴィシュが集まってジャナ(部族)が組織されていた。
女性は息子を産むことが最高のつとめとされ、妻には夫に従うことが求められている。しかし後世におけるような極端な女性差別の風はなく、ヴェーダの讃歌を作った数人の女性の名も伝えられている。また親子・兄妹のようなごく近い親族との結婚は忌避されたが、後世のような複雑な婚姻規制は存在せず、寡婦再婚も非難されることはなかった。
氏族・部族を単位とする大きな戦闘が、先住民との間で、またアーリヤ人の他部族との間でたたかわれた。当時のア−リヤ人の最も重要な財産は牛であったため、戦闘はしばしば牛の掠奪や牧草地の獲得を目的としてなされている。こうした牛と戦闘との関係は、「牛を欲すること」を意味するガヴィシュティという語が「襲撃」「戦闘」を、「牛を勝ち取った者」を意味するゴージットという語が「英雄」を、「牛を守る者」を意味するゴーパという語が「首長」をそれぞれ意味することからもわかる。
牛は重要な祭祀のさいの犠牲獣になり、また牛乳とそれから造られるバター、チーズ、ヨーグルトなどは、アーリヤ人の貴重な蛋白源であるとともに、神々への最高の供物にもなった。牛はさらに動力源として運搬用に使われている。しかし当時のアーリヤ人の間には、後世のヒンドゥー教徒の間に見られるような牛の神聖視や、牛肉食のタブーは存在していない。
家畜としては、牛のほかに馬、山羊、羊などが飼育されている。このうち馬は数が少なく、牛よりも貴重であった。馬は軍事用・移動用に利用されたが、また首長が自己の力を誇示するため挙行する祭祀の犠牲獣としても用いられている。この祭祀は次の時代に、王が挙行する最大の供犠アシュヴァメーダ(馬祀祭)となった。
Cラージャンと仲間たち
部族の首長はラージャン(ラージャー)と呼ばれた。ラージャンの役割は、部族内の家畜や牧草地をめぐる争いを調停すること、外部の敵と戦い部族民と畜群を守ること、牛の掠奪を目的とした襲撃や、より大規模な部族間の戦闘の指揮をとること、などであった。
ラージャンの地位は世襲される傾向にあったが、専制王ではなく、部族の仲間から選ばれた首長としての性格をもっていた。権力の行使はサバー、サミティなどと呼ばれる部族集会によって制限を受けている。それぞれの集会の構成メンバーや機能の逢いについては不明な点が多いが、いずれにせよこれらの集会は、政治・軍事的な行動の決定の場であると同時に、裁判の場、宗教儀礼の場でもあった。
当時のアーリヤ人は歌と踊りを楽しみ、戦車競技やサイコロ賭博を好んで行い、祭事にはソーマ酒を神に捧げつつ飲み、平時には穀物から造ったスラー酒を飲んだ。こうした儀礼や娯楽が右の集会とともにしばしば催されている。ソーマ酒は、ソーマという同じ名の植物から造られる神酒である。その植物については、最近キノコの一種ベニテングタケとみる説が有力視されているが、確かなことはわからない。
氏族・部族はもともと血縁を同じくする平等な成員から成っていたが、当時のアーリヤ人部族の内部には、ラージャンを中心とする有力集団と一般成員との間に階層の分化が生じていた。前者はラージャニヤと呼ばれ、後者は氏族を意味するヴィシュという語で呼ばれているヴィシュは緊急時にはラージャンに率いられて戦闘に参加し、平時には牧畜を主とする生産活動に従事していた。
部族の司祭者たちは、祭祀をひんぱんに執り行って勝利や繁栄を祈願した。また機会あるごとにラージャンの偉業を讃え、気前のいい贈与を求めている。ラージャンは獲得した富のかなりの部分を祭祀のために消費し、また金銀、牛、馬、女奴隷などを司祭者に贈った。司祭者も同じ部族であったが、祭祀の規則が複雑となるにつれて、その職は世襲されるようになり、その結果、ヴィシュやラージャニヤとは別の階層の形成が促された。しかし階層間の壁は、まだ越えがたいほど高いものではなかった。
D先住民との融合
アーリヤ人と先住民との間には敵対関係や支配・被支配の関係があったが、その一方で、ダーサの首長のなかにアーリヤ人の首長と友好関係をもつ者や、アーリヤ部族と共同して戦う者もいた。またアーリヤ文化を積極的に採用する先住民も出た。アーリヤ人の司祭者に気前よく贈与したとして称讃されているダーサの首長は、自らのアーリヤ化を試みたのであろう。
パンジャーブにおける両民族の長年の接触の結果、人種的な混血も進行した。そのさい一般的に見られたのは、アーリヤ人の家族に先住民の女性が奴隷や妾として入るというものである。アーリヤ人の男と彼女らとの間に生まれた子は、その家族の成員あるいは準成員として受け入れられた。その子たちは当然、母親の言菓になじむことになる。
このような混血や、同一地域で二言語が長年にわたり接触した結果として、先住民の言語がアーリヤ人の言語に大きな影響を与えることになった。すでに『リグ・ヴェーダ』に、先住民に起源する単語や発音が見出される。舌をはねるようにして発音する反舌音もその一つである。この反舌音はドラヴィダ語に特徴的なもので、インド・ヨーロッパ語族のなかではインド・アーリヤ語にのみ現れる。
アーリヤ人は農耕文化のもろもろの技術をも先住民から学んだ。たとえば、陶工を意味するクラーラという語や、犂を意味するラーンガラという語は、非アーリヤ起源のものである。これらの語がヴェーダ文献に見出されるのは、ア−リヤ人が先住民から陶器を手に入れ、また陶器の製法や耕作の技術を学んだことを意味している。
E農耕社会への移行
前期ヴェーダ時代も後半になると、アーリヤ人の経済活動における農業の重要性がしだいに高まった。『リグ・ヴェーダ』のなかでも成立の新しい第1巻と第10巻では、耕作、種まき、取り入れ、脱穀などに関係する記事がかなり見られるようになる。アーリヤ人は農耕民への道を着実に歩んでいるのである。農作物としてはヤヴァが主として栽培された。ヤヴァは穀物の総称としても用いられる語であるが、当時は大麦を意味していた。
この時代のアーリヤ人は、アヤスと呼ばれる金属の知識をもっていた。この語は後世「鉄」を意味するようになるが、『リグ・ヴェーダ』の時代には銅あるいは青銅をさして用いられている。
インドで鉄の使用が始まるのは、前1000年ないし前800年ころからである。
工芸の面でアーリヤ人がとくに優れていたのは、戦車を造る技術であった。職人としては車造りのほかに、鍛冶エ、弓矢造り、陶エ、大エ、皮革工、織布工、理髪師、酒造りなどが知られ、職業の専門化があるていど進んでいたことがわかる。それらに先住民が加わっていたことは、いうまでもない。
『リグ・ヴェーダ』によると、先住民のなかのパ二と呼ばれる種族は、富裕であるが貪欲で、ア−リヤの神々を祀らず、ときには家畜を盗むこともあったという。このパニがインダス文明時代に活躍していた商人の末裔であった可能性は否定できない。
貨幣はまだ出現せず、取引としては物々交換が一般的であったが、牛や金塊などが交換の媒介物として用いられることはあった。ニシュカと呼ばれる金製の装飾品も媒介物となったが、この語はのちに貨幣価値の単位となっている。
アーリヤ人は、パンジャーブの地で先住民との融合を進めつつ、生活の基盤を牧畜から農耕へとしだいに移していった。前1000年ころ、そのようなアーリヤ人の一部が、より肥沃なガンジス川流域に向けて移動を始め、やがてその地で農耕社会を完成させた。かれらが移動を始めてから約400年間は、後期ヴェーダ時代(前1000〜前600年頃)と呼ばれる。これはその時代に後期ヴェーダ文献として知られるバラモン数の諸聖典が編まれたからである。
(中略)
アーリヤ人のガンジス川流域への移動のようすが、後期ヴェーダ文献のなかにヴィデーハ国の建国伝説として語られている。それによると、アーリヤ人の英雄とかれの司祭者が、地を焼き払いつつ東に進む火神アグニのあとに従って、サラスヴァティー川の岸を出発し、ガンジス川の支流サダーニーラー川(現ガンダク川)の岸に達した。この川の東方の地はそれまで聖なる火によって浄められていなかったため、司祭階級バラモンの居住に適さなかったが、これ以後は祭式によって浄化されてアーリヤ人の住地となり、この英雄を祖とするヴィデーハ国が建国されたのであるという。
この伝説のなかのサラスヴァティー川は、インダス川の支流の一つで、パソジャーブの東端部を流れる聖河である。その流域には前期ヴェーダ時代にバラタ族など有力なアーリヤ部族が拠っていたが、やがて気候の乾燥化、あるいは上流における流路の変更のため、川は涸れてしまった。ア−リヤ人の移住が、こうした自然環境の変化によるものか、人口の増大や部族の内紛によって引き起こされたものかはわからないが、右の話のなかに、森林を焼き払いつつ開拓を進めるア−リヤ人の姿を読み取ることができる。
そうした開拓は、はじめ厚い森林で覆われたガンジス河畔の地を避け、ヒマラヤ山麓の丘陵地帯に沿って進められた。この地帯は開拓が比較的容易で、また川幅も狭かったからである。さきの英雄もこの道をたどっている。移住者たちは、開拓した土地に村をつくって定着した。考古学の調査によって、ア−リヤ人の進出以前のガンジス川流域に農耕文化が存在したことがわかっている。前1000年ころからこの地に移動してきたアーリヤ人は、こうした文化をもった先住民と接触し、米の栽培を学んだ。
鉄器の使用はおそくとも前800年ころまでには始まっている。鉄ははじめ武器に、のちには農具にも用いられるようになった。鉄製農具の使用によって、ガンジス河畔の森林の開拓は容易になり、また鉄の刃先をもつ犂(すき)を牛に引かせる耕法も発達し、農業生産の増大がもたらされた。
経済活動の中心は牧畜から農耕へと完全に移ったが、牛はいぜんとして重要かつ貴重な家畜であった。
----引用終わり
上記は本の引用ですが、インドに侵略したアーリヤ人と先住民(ドラヴィダ人)との関係性がかなり詳細まで克明に記述されていますね
まず、驚くべきことは、インドに侵入してきたアーリヤ人と、先住民であるドラヴィダ人とが、それぞれの文化を相互に取り入れている点です。
特に、侵入した民族(アーリヤ人)側が先住民の文化を取り入れている点は、大変興味深いです。
というのも、通常、大陸における侵略の場合、『皆殺し』が常であるのに、インドに侵入したアーリヤ人は、先住民を皆殺しにするどころか、先住民と融合を図っているからです。
当時の時代背景を鑑みると、これは世界的に見ても極めて稀な事例と捉えることができそうです。
また、先住民と触れることでアーリヤ人の『言葉』と『生産様式』が変化したことの意味合いは大きく、これは先住民が、アーリヤ人を受け入れたと見ることができます。
これに似たような構造は、古代日本にもありました。
支配目的で日本にやってきた渡来人が、縄文人(弥生人)の受け入れ体質(縄文体質)に触れることで、下への配慮(=共同体を壊さなかった)意識が芽生えたという構造とそっくりなのです。
先住民(ドラヴィダ人)が、侵入してきたアーリヤ人と激しく闘うことなく、受け入れ体質(縄文体質)を有する民族だった場合、アーリヤ人は先住民の共同性を完全に破壊しなかったと考えられます。
これは、先住民が、本格的な略奪闘争に巻き込まれたことがなかったとしたら、十分ありえる話です。
しかし、1点だけ日本とインドとで大きく異なる点があります。それは、古代日本の場合は、渡来人が新しい生産様式(=農耕生産)を日本に持ち込んで拡めたのに対して、インドの場合のアーリア人は、生産様式(=牧畜・遊牧)を先住民の生産様式(=農耕生産)に転換している点です。
生産様式の転換は、統合様式との関係が大きく絡んできそうですが、この点に関しては日本とインドとで構造が180度異なります。
いずれにしても、アーリヤ人は、先住民(ドラヴィダ人)に触れることによって、
@言葉と生産様式が変化した。
A共同体を壊さなかった。
上記2点については、インドという国の歴史基盤を考える上で、特に重要であることをここでは固定化しておきたいと思います。
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001470.html
なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?4〜カーストに繋がる身分制度の形成〜
農耕社会を成立させてきたインドでは、生産体制が安定化し、司祭者や王族に余力が出てくるようになります。その中で、自らの立場を守るために、のちのカースト制度に繋がる身分制度:ヴァルナが形成されていきます。
その過程の内容を紹介します。
以下、ヴァルナ制度の内容です。
『古代インドの文明と社会』山崎元一著 より
○四つのヴァルナの形成
農業技術が向上し十分な余剰生産がえられるようになったため、生産に直接たずさわる必要のない司祭階級や王侯・武士階級の形成が促された。かれらは前期ヴエーダ時代の部族司祭とラージャニヤの後継者たちであるが、前代にくらべてはるかに排他的な階級となっている。
そうした階級は「色」を意味する「ヴァルナ」という語で呼ばれている。この時代になると先住民との混血も進み、肌の色と身分・階級との対応関係はほとんどなくなったが、ヴァルナという語はそれ以後も、身分・階級の意味に用いられつづけたのである。
第一のヴァルナの呼称バラモンは、ヴェーダの聖句にそなわる呪術的な力「ブラフマン」をもつ者、つまりヴェーダ聖典を伝持しヴェーダの祭祀を執り行う者を意味している。
第二のヴァルナの呼称クシャトリヤは、クシャトラ(権力)をもつ者という意味である。これら両ヴァルナは支配階層を形成している。
これに対し前代の一般部族民ヴィシュは、上位の両ヴァルナから切り離され、生産と貢納を役割とする第三のヴァルナとなった。このヴァルナの呼称ヴァイシャは、ヴィシュから派生したものである。
アーリヤ人の支配下に置かれた先住民の多くは、隷属的な奉仕階級シュードラとなった。おそらくシュードラに近い発音の名で呼ばれた先住民がアーリヤ人の隷属下に置かれ、この固有名詞がのちに同じ境遇の者が属する階級の呼称となったのであろう。
以上の四ヴァルナから成る社会制度が成立したのは、後期ヴェーダ時代の半ばのことである。
ヴァルナ制度のきっかけとなったのは最上位にいる、司祭者(バラモン)。いかに自分の身分を守るかという意思で身分制度を形成していきます。
●バラモン・ヴァルナの形成
○特権身分の要求
農耕社会の成立とともに、自然の災害から国と住民を守るための祭祀の重要性はいよいよ高まった。司祭者バラモンはこの機会をとらえ、自己の特権的地位を確保しようと努めている。
そのために採用した手段の第一は、祭祀を複雑にしてそれを独占することであった。かれらの説くところによれば、祭祀は絶対的な力をもち、それが規則通りに行われるならば、神々も司祭者の意思に従わざるをえないという。かれらが不注意に、あるいは故意に祭祀の手順を違えるならば、大きな富を費やした祭祀の全体が無効となるだけでなく、災いの原因にもなるのである。
要するにバラモンは、祭祀を通じて神々を動かし、自然界の諸現象を支配できる者たちということになる。こうしたバラモンを司祭者とする祭祀万能主義の宗教は、バラモン教と呼ばれる。
第二の手段は、厳格な婚姻規則を定めて排他的な内婚集団をつくり上げることであった。司祭者の家に生まれた男女の結婚のみを正当とし、その他の組み合わせの結婚を原則的に禁じたのである。司祭者の家に生まれた子は幼いときから特別の専門教育を受け、おもにその知識を自分の子に授ける。こうして司祭職は、バラモン・ヴァルナの内部で世襲されることになった。
第三の手段は、身分秩序の最高位を獲得するために、自分らを「人間と神との仲介者」「人間の姿をした神」「ア−リヤ人の純粋な血を引く最清浄な存在」などと、くり返し主張することである。こうした主張はのちに、バラモン・ヴァルナを最清浄・最高位とし不可触民を最不浄・最下位とするカースト社会の身分秩序の形成を促すことになる。
第四の手段は、自己の生計を確保するための機会を増やすことである。司祭者たちは祭祀や宗教教育に対する報酬で生計を立てねばならず、戦士になることや農業・牧畜・商業という庶民の職業に従事することは原則的にはできない。そこでかれらは、王に向かって祭祀を頻繁に挙行するよう奨励し、また上位三ヴァルナ(アーリヤ)の家長に向かって、日常の宗教儀礼に少なくとも一人のバラモンを招くよう求めた。
バラモンはまた、上位三ヴァルナの子弟にヴェーダの教育を義務づけることにより、宗教的権威と生計の手段をより確実なものにした。上位三ヴァルナの男児は、十歳前後にウパナヤナ(入門式)を挙げてバラモンのもとに弟子入りすることになったのである。
この入門式はアーリヤ社会のメンバーとなるための重要な儀式であり、第二の誕生とみられた。
上位三ヴァルナに属する者は、人生で二回の誕生を経験するためドヴィイジャ(再生族)と呼ばれ、母親の胎内から生まれるだけのシュードラはエーカジャ(一生族)として差別の対象となった。
このようにクシャトリヤもヴァイシャも、ヴェーダ聖典を学び、それぞれの家の小さな祭式を自ら執り行ったのである。しかしバラモン以外の者が他人のために祭式を執り行ったり、他人にヴェーダを教授したりすることは厳しく禁じられた。
このように、バラモンは徹底して自らの優位性を確立しようとしました。
しかし、バラモンは絶対的な身分制度を確立しようとしたのではなく、相互依存を図りながらお互いの身分を守るための制度という位置付けで考えていたようです。
○クシャトリヤとの相互依存
バラモンとクシャトリヤが身分秩序の最高位をめぐって争うこともあった。バラモンがヴェーダ文献のなかでクシャトリヤに勝ることをくり返し強調するのは、そのためである。
しかしそのバラモンも、クシャトリヤと相互に利用しあってはじめて支配階級になりうることは十分にわかっていた。「バラモンとクシャトリヤは相互依存の関係によって共に栄える」というのがヴェーダ文献の説くところである。
インド古代史を通じてバラモンは、宗教や儀礼にかかわる議論では王権に対する自己の優越をあくまでも主張したが、現実の生活においては、王に従属し、与えられた職務を果たすことによって地位と収入を保証されている。王とバラモンのそうした関係をまとめてみるならば、次のようになろう。
バラモンはまず、特別な儀式によって王権の正統性を保証し、また呪術の力によって王と王国に繁栄をもたらす。こうした役割を果たすバラモンのなかで最高位にあるのが、宮廷司祭長のプローヒタである。
次にバラモンは、王の守るべき神聖な義務を説くことによって、政治に参加した。王は法の制定者ではなく、バラモンの伝持する聖なる法(ダルマ)に従って統治する者とみられたからである。この面でもプローヒタが指導的役割を果たしている。
さらに知識階級としてのバラモンは、大臣や裁判官として、また上下の役人として王に奉仕する。かれらが国政の運営と、国家の秩序の維持の上に果たした役割はきわめて大きい。
また、出自で厳密に身分制度を規定しているように見えますが、実体は混血も進んでいたようです。
やはり都合良く、柔軟に制度を利用していたようです。
○混血バラモン
バラモン・ヴァルナは純粋なアーリヤの血を保持する内婚集団ということになっているが、現実にはさまざまな出身の者を受け入れている。
アーリヤ化した先住民のなかからも、ヴェーダ聖典と儀礼を学び、バラモンと称する者が出た。バラモンのパラシュラーマが祭祀に必要な数の司祭者を見つけることができなかったため、火葬の薪から六〇人の男を作りバラモンの地位を与えたという話や、英雄ラーマが多数の山岳民の出身者をバラモンと認めたという話がある。これらは先住民がバラモン・ヴァルナに組み込まれた事実を語るものであろう。
混血者や先住民のバラモン・ヴァルナへの編入が見られたのは、とくにアーリヤ社会の周縁部においてであった。ガンタス・ヤムナー両河地域のバラモンは、周縁部のバラモンを「バラモンと自称するにすぎない者」として蔑視している。しかし、かれらの活動があってはじめて、アーリヤ文化はインド亜大陸全域におよぶことになったのである。
バラモン、クシャトリヤという上位層に対し、ヴァイシャ、シュードラという庶民も身分制度に組み込まれていきますが、過酷な差別があった訳ではなく、例えば奴隷という存在はほとんどいなかったなど、身分差はありながらも、生活は出来ている状態だったようです。
●庶民と下層民
○ヴァイシャの経済活動
アーリヤ部族の上層が、この時代に上位両ヴァルナを形成したのに対し、一般部族民は、農耕・牧畜などの生産活動によってそれら両ヴァルナを支える第三のヴァルナ「ヴァイシャ」とされた。かれらは生産物の一部を王に納めたが、それは自分たちを保護してくれる王に酬いる「分け前」、ないし王の「取り分」と説明されている。こうして組織的な徽税制度の第一歩が踏み出された。
しかしヴァイシャは、シュードラとは異なりアーリヤ社会の正式メンバー「再生族」であり、ウパナヤナ(入門式)を挙げ、バラモン教師のもとでヴューダ聖典を学ぶ資格を与えられていた。
ヴァイシャのなかから、獲得した富を商業活動に振り向ける者も現れた。かれらが住みついたのは王侯の居城のある「都市」や、街道沿いの町であったが、その活動はいまだ小規模にとどまっていた。貨幣や文字の使用もまだ始まっていない。
○厳しいシュードラ差別
ガンジス・ヤムナー両河地域に進出したアーリヤ人に対し、先住民は強く抵抗することはなかったようである。先住民のなかからア−リヤ化した個人や集団も出たが、多くの者は第四のヴァルナ「シュードラ」とされた。また敗戦によって、あるいは従事する職業によって、シュードラの地位に落ちたアーリヤ人もいたことが想像される。シュードラに与えられた義務は上位三ヴァルナへの隷属的奉仕であり、さらに手工芸や芸能の仕事もかれらの役割とされた。
シュードラは隷属民として差別されたが、奴隷とは異なり、一般に自分の家族をもち、わずかではあるが財産を所有している。当時の社会には主人の所有物として売買や譲渡の対象となる「奴隷」も存在していたが、奴隷制は古代のインドでは発達しなかった。これはシュードラという隷属階級が存在したからであろう。高価かつ喪失(病気・死)の危険の大きな奴隷を手に入れるよりは、シュードラを使用するほうが有利なのである。
女性の地位は前代にくらべて低下したようである。女性は宗教的にはシュードラに等しいとされ、ヴエーダ聖典の学習はできなかった。しかし妻は夫を助けて家庭の祭式を執り行う役目をもたされており、シュードラの宗数的無資格との違いは大きかった。
○不可触民の出現
後期ヴューダ時代の終わり近くになって、社会の最下層に重要な動きが生じた。浄・不浄の観念が発達し、排泄、血、死などに関係する行為や物が極度に不浄視されるようになった結果、それらにかかわる職業に従事していた人びとが、不可触民の地位に落とされたのである。
不可触民の起源について、これまでさまざまに論じられてきたが、なお未解明の部分が多い。ただし確実にいえることは、バラモンが自己を最も清浄な存在と主張しつつ身分秩序の最上位を確保したこの時代に、不浄とされる賎民集団が社会の最下層に押し出されるようにして形成されたことである。
賎民視されるにいたった諸集団の多くは、ア−リヤ社会の周縁部に住む狩猟採集民であった。狩猟採集民のなかには、農耕民となってア−リヤ社会に編入される者も出たが、そうした機会を失った者たちは、旧来の習俗を維持しつつ、アーリヤ社会の最下層に組み込まれた。
また、これら賎民視された諸集団の間にも上下の区別がもち込まれ、その最下位にチャンダーラと呼ばれる不可触民が置かれた。チャンダーラという呼称は、アーリヤ人に征服された先住民部族の名から出たものらしい。
不可触民は、はじめシュードラの最下層に位置づけられていたが、やがてシュードラ以下の存在、第五のヴァルナとみなされるにいたった。
チャンダーラには清掃、体刑執行、屍体処理などの仕事が割り当てられている。
不可触民の存在は、ヴァイシャとシュードラにある種の優越感をもたせ、経済活動の担い手であるかれらと支配階級との間に生ずる緊張関係を緩める効果をもっていた。これ以後、不可触民制は、ヴァルナ・カースト社会の安定的な維持に不可欠な装置として発達することになる。
○ヴァルナ制度のひろがり
ガンジス・ヤムナー両河地域で成立したヴァルナ制度は、アーリヤ文化の伝播にともなって周辺地域に伝わり、やがてインド亜大陸全域におよぶことになる。こうした伝播には、必ずしもアーリヤ人の大量移住を必要とはしない。南インドのドラヴィダ世界に見られたように、先住民の有力者が北の文化と制度を受け入れて、王権の強化と社会の秩序化を図るということもあったからである。
先住民のこうしたアーリヤ化にさいして、バラモンの果たした役割は大きかった。かれらは祭式の報酬と布施に頼って生活する者であり、したがって保護者を求めてしばしば遠隔の地に移住することも辞さなかった。周縁の地に赴いたバラモンのなかには、先住民の有力者の保護を受けつつアーリヤ化の先駆となる者も出たのである。
ヴァルナ制度の理論は、最高のヒンドゥー法典とされる『マヌ法典』において完成する。またこの制度は、六、七世紀ころから複雑に発達するカースト制度の基本的な枠組みとしても機能することになる。そして時代や地域によって厳しい緩いの差はあるものの、カースト社会の大きな枠組みとして、日常の生活で意識されるか否かにかかわらず、今日まで存続しつづけている。
近年の例でいえば、庶民の日常生活においては、バラモンの場合を除きヴァルナの区別がとくに意識されることはない。しかし特定のカーストが社会的ランクを上昇させようと試みるとき、かれらは突然バラモンやクシャトリヤといった高位ヴァルナの子孫であることを主張しはじめるのである。
このように、ヴァルナという身分制度がインド全土で見事に確立していきますが、なぜ、現代のカースト制度にまで繋がるこの身分制度が、存続し続けているのでしょうか?
それは、インド人に脈々と受け継がれている、輪廻思想が影響しています。
○業・輪廻思想の誕生
業・輪廻思想はインド人の死生観の根本である。また仏教にともなってわが国に伝来し、日本人の死生観に大きな影響を与えた。寺の僧侶の説法に六道輪廻という語が出てくるが、これは霊魂がこの世の善悪の行為(業)に従って地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六種の世界の間で生死をくり返すことを意味している。われわれはだれでも「地獄に堕ちるぞ、畜生に生まれるぞ」とおどされた経験をもっている。
インドの気候は雨季と乾季がはっきり分かれており、乾季の間に干上がった大地は雨季の到来とともに蘇る。そしてあたり一面緑の世界となり、地中では虫どもが活動を始める。輪廻思想の起源を先住民に求める説も有力であるが、いずれにせよこうした雨季・乾季の循環が見られるインドの大地でこの思想は誕生した。
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そのさい、どのような姿をとって再生するかは、前世の行為(業)によってきまる。祭祀や布施や善行に努めた者はパラモンやクシャトリヤとして生まれ、悪を行った者はシュードラや畜類などとして生まれる。さらに極悪の者は祖先たちの道に入ることもなく、単に虫けらとして地上で生死をくり返すのであるという。
>
この世の生まれは前世の業の結果であるから、シュードラに生まれようと、不可触民に生まれようと、宿命として甘受せねばならないのである。こうした宿命観は、ヴァルナ制度や、のちのカースト制度を思想的に支えることになる。 俗世を支配する王といえども、輪廻転生から自由ではありえない。古代インドの王たちは、善政や大供犠・大布施・寺院建立といった功徳を積んで来世に天国に生まれることを願い、悪政や不信心の報いで地獄に堕ちることを恐れた。
この輪廻思想により、信仰心が高いインド人は、神官(バラモン)を頂点とする身分制度を甘んじて受け入れました。また、元々の共同体も残存し、職業の役割分担も含めて、安定的な秩序を守るための、社会統合、共存のシステムとして確立していったと言えます。
このように古代に身分制度が確立し、古代国家が成立していきますが、その後、私権拡大とともに権力闘争も激しくなります。
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001471.html
なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?5〜古代インドの社会構造
今回は、仏教が生まれた時代はどのような社会だったのかを見ていきたいと思います。
仏教が生まれた時代のインドは幾つもの都市王国が頻繁に闘争を行っており、徐々に統合されていく時代でした。
仏教が生まれた時代と言うと、自分の内面を見つめる平和で落ち着いた社会をイメージしてしまいますが、現実には交易による経済発展と貧富の差の拡大、王に対して商人が力を付け、市場拡大が進展する、私権獲得の可能性が開かれた時代でした。
それでは、仏教が生まれた時代のインド社会の様子を見ていきましょう。
『古代インドの文明と社会 山崎元一著』からの引用です。
(以下引用)
■古代王国の成立
●ガナ・サンガ国の興亡
ブッダはガナ・サンガ国に生まれた
仏教興起時代(前六〇〇〜前三ニ○年頃)の初期、北インドにはマハージャナパダ(大国)と呼ばれる国家群が割拠していた。十六大国と総称されるそれらの国々を国家の形態から眺めると、ヴリジ国やマッラ国のように部族共和制(ガナ・サンガ制)を採る国と、マガダ国、コーサラ国のように王制を採る国とに分類できる。
ここでいう部族共和制国とは、ガナ・サンガなど「集団」「共同体」を意味する語で呼ばれる国家であり、部族的な集団支配を特色としていた。(中略)
ブッタの時代の北インドに存在したガナ・サンガ国の多くは、ガンジス川北岸からヒマラヤ山麓にいたる地域に拠っていた。小国ではあったが、ブッタの出たシャーキャ (釈迦)族の国もガナ・サンガ政体を採用している。
(中略)
●王国の強大化
仏教興起時代に入ると、ガンジス川の中・下流域に、専制的な王を戴く強国が台頭してくる。
そうした王国の官僚組織と軍隊を維持するための財源は、米の栽培を中心とする農業生産の増大と、都市経済の発展による豊かな税収入によってもたらされた。諸国の王たちは群雄割拠の時代を生き抜くため、富国強兵策を進め、出身地や出身部族、ときには出身ヴァルナにこだわることなく、有能な者を臣下の列に加えた。
(中略)
王の周囲にはまた、プローヒタと呼ばれる宮廷司祭長を中心とする司祭者群が存在した。王権の強化のためにはバラモンたちの宗教的な補佐を必要としたからである。王は財物のほか村や土地を施与することによって、かれらのはたらきに報いた。その一方で王たちは、精神的な支えを仏教やジャイナ教などの非バラモン的な新興宗教に求め、教団に保護の手をさしのべている。
(中略)
仏教興起時代のガンジス川中・下流域では、都市(ナガラ、プラ)が発達し、都市を結ぶ交易活動が活発に行われた。貨幣の使用が始まったのも、ブラーフミーの名で呼ばれるようになる文字の使用が始まったのも、このころである。
厳格派のバラモンたちは郡市の生活を軽視し、商業とりわけ金融業を低級な職業とみていた。
これに対し、仏教ではそれらの職業による利潤を正当に評価しており、また商人から経済的援助を受けていた。仏典のなかに都市の生活や商人の活動に関する記事が多いのは、そのためである。
(中略)
●商人と交易活動
都市の経済活動の中心に位置するのはガハパティ(家長)と称される上流市民であった。かれらの代表は金融業者や交易商人であり、ときには都市行政の一端を担わされている。商業はヴァイシャ・ヴァルナの職業とされているが、現実にはバラモン出身やクシャトリヤ出身の商人もいた。
遠路を往来する交易商人が運んだ商品としては、上質の織物、金銀象牙細工、宝石、栴檀香(せんだんこう)などの高級特産品、鉄製品やもろもろの金属などがあった。
(中略)
海上貿易活動には、常に難破の危険が待ち受けている。商人たちは出発にさいし神々を祀ったり仏教教団に布施したりして、旅の安全を祈願した。無事帰国し巨富をえた者たちは、お礼詣でを行っている。
これら大商人以外にも、多くの行商人たちが、荷を背負ったり、驢馬の背に載せたりして、村や町を渡り歩いた。村の集会堂が行商人たちの宿泊の場として利用されることもあったらしい。
主要な街道にはところどころに関所が設けられており、商人から通行税や商品税を徴収した。貨幣の使用もこの時代に始まった。
インドでは、前六世紀ころはじめて国家の保証印をともなった貨幣が発行されている。
(中略)
仏典は都市社会を背景にして編まれたものであるが、そこにおいても社会は、四つのヴァルナとその下の賤民階層という五つの大きな枠組みから成るとみられている。しかし四ヴァルナの順序はクシャトリヤを第一とし、それにバラモン、ヴァイシャ、シュードラがつづくという形に変えられている。
これはブッダがクシャトリヤの出身であること、クシャトリヤが仏教を支持したこと、生まれを重視するバラモン至上主義の主張に仏教が批判的であったこと、などによるのであろう。クシャトリヤ重視の主張は、同じ非正統派であるジャイナ教の伝承にもみられる。
(中略)
●農村と森林
仏教興起時代は、商業活動に劣らず積極的な農業活動の行われた時代であり、開拓の進展とともに、新しい村落が数多く誕生した。ガンジス川中・下流域の平原で見られた集約的な水稲栽培は、単位面積当たりで麦や陸稲の栽培をはるかに上回る収穫をもたらし、マガダ国発展のための基盤を提供した。
(中略)
耕地は一般に私有されており、農作業はそれぞれの家単位で行われた。村人の間には所有する耕地の広さ、家畜の数に応じた貧富の差が存在した。つまり、広い耕地を所有する地主、奴隷や雇人を使用する富農、主として家族の労働に頼る中農、他人に雇われて働く貧農などが、一つの村に住んでいるのである。富裕な農民は、都市の上流市民と同じくガハパティと呼ばれ、そのなかの有力者が、村長となり、末端の行政官・徴税官に協力して村内行政にあたった。
(中略)
都市や村は広大な森林に囲まれていた。村の周囲の森の中では牛飼いや山羊飼いが、柵や小屋を作って住んでおり、森の近くの大工村の住民は、森に入って木を伐り出し、都市に運んで家を建てている。猟師たちは森の中の猟師村に住み、獲物の肉や毛皮を都市に運んで売った。
(中略)
森を出て村や町の近くで暮らすようになった人びとは、村人や市民から、社会の最下層に位置する賤民として扱われた。不可触民として差別されたチャンダーラの多くがそうした森の住民に起源することは、かれらが農耕社会に獣の肉を供給したり、王から森の守備を命じられたりしているところからも知られる。
森の住民や不可触民はまた、農耕社会の住民から、病気、死、災厄など目に見えない世界と特別な関わりをもち、それらを調伏する呪術力をもつ者とみられていた。古代の文献には、チャンダーラの呪術に関する話がさまざまに語られている。
(中略)
(以上引用終わり)
稲作を生産様式とする部族国家は、私権統合されつつも共同体性を色濃く残し続けていきました。そして、周辺の森で狩猟採取を行っていた森の民を不可触民として私権社会に組み込み、農村共同体における4つのヴァルナの人々は、例え下層のヴァルナであっても更に下に不可触民を設けることで安定化し、国家全体を秩序化していきました。
ここで改めてインド特有の「カースト制度」について見てみましょう。
(以下引用)
●カースト制度とその起源
グプタ朝滅亡後、ムスリム王朝のインド支配が始まるまでの600〜700年の間に、ヴァルナ制度の枠組みの内部に多数のカースト集団が生み出され、カースト社会が徐々に形成された。
(中略)
インドでは、カーストを「生まれ」を意味するジャーティという語で呼んできた。つまり「生まれを同じくする者の集団」という意味である。
ジャーティ、カーストという語の意味からも知られるように、カースト社会に暮らす人びとは自分と同じ「生まれ」に属する者と結婚せねばならない。またそれぞれのカーストは固有の職業と結ばれており、カーストの成員はその先祖伝来の職業を世襲する。
(中略)
このようにカーストは自治的機能を具えた排他的な集団である。そしてインド人は貧富の差や失敗・成功に関係なく、自分のカーストから生涯離れることができない。
カーストの数は、20世紀初めの調査によるとインド亜大陸全体で2000〜3000におよんでいる。そしてこれら厖大な数のカースト、サブ・カーストは、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという四つのヴァルナと、その下の不可触民を加えた、五つの大きな枠組みのいずれかに属している。
(中略)
村の諸カーストの中心は、最も多くの人口を抱え、最大の耕地をもつ農業カーストである。そしてこのカーストを取り巻くかたちで、農業生産を直接・間接に補助する多数の職人カースト、サーヴィス提供カーストが存在する。司祭カーストのバラモン、書記カースト、大工カースト、陶工カースト、理髪カースト、洗濯カースト等々であり、また皮革加工カースト、清掃カーストなど不可触民に属するカーストも含まれている。中程度の村の場合、村内に存在するカーストの数は20ほどになる。
(中略)
カースト間のタテの関係とは、ヒンドゥー教の浄・不浄思想に基づく上下の関係である。こうした関係の最上位にはバラモンが、最下位には不可触民の諸カーストが位置し、中間にはその他の諸カーストが上下に並んでいる。
このような上下関係によって、社会には全体として一つの秩序が形成されているのである。
(中略)
●多数のカーストから成る村落の形成
古代の村は農耕民を主体とする比較的単純な構造をもつものであったが、グプタ時代以後に、多数のカーストを抱え込んだ村へとゆるやかに変わった。こうした村落社会の再編成は、おそらく次のような経過をたどって進行した。
村の経済活動の中心は土地保有農民である。かれらは古代以来の農民と、地位を向上させたシュードラ耕作者、さらに新たに農耕民となった旧部族民などであり、大多数はシュードラ・ヴァルナに属すとみられるようになっていた。
この時代に農民たちは、それぞれの地域で農業カーストとして団結し、他カーストによる経済的な侵害から自分たちの生活を守った。つまりかれらは村の支配的なカーストとなったのであり、かれらのなかの有力者が村長や長老として村を治めた。
雨季と乾季のはっきりしたインドで、農業において最大の収穫を上げるためには、限られた時期に大量の労働力を用いる必要がある。しかし、そうした労働力の提供者を、農繁期だけのために村に常住させておくことはできない。
一方、職業の専門化がカーストの形成というかたちで進み、またヒンドゥー教の浄・不浄思想が浸透した結果、他カーストの労働に頼らねばならない種類の仕事が増えた。たとえば、宗教儀礼の執行、大工・陶工・理髪・洗濯の仕事、死畜の処理や汚物清掃といったさまざまな労働である。これらの労働の提供者は、いまやそれぞれのカーストに所属する者たちであった。
そこで農民は、これらのカーストの成員に住む場所と生活の保障を与えて、かれらを村に抱え込んだ。新たに村に住みついた者は、バラモンなど一部のカーストの成員を除き、農繁期における農業労働を提供した。こうして農民は、日常生活において自分らにふさわしい浄性を保ち、農繁期に安定した労働力を確保するという、二重の希望をかなえることができたのである。農業以外のカーストの成員にとっても、村での定住生活は願わしいことであった。安定した生活のためのさまざまな便宜をえることができたからである。
(中略)
●不可触民差別は広がった
四つのヴァルナの下には、被差別階級である不可触民の諸カーストが存在した。グプタ時代以後の社会でシュードラ差別が徐々に消えたのとは逆に、不可触民差別はさらに複雑に発達した。シュードラ差別のかなりの部分が不可触民差別の中に吸収されたのである。
(中略)
農耕社会の周縁部に住んでいたそれぞれの賤民集団は、部族組織をカースト組織に変えて維持しつつ分散し、村々に定住したのである。かれらは村の生活における「不浄」部分の分担者として、また農繁期の労働者として迎え入れられた。
不可触民の存在は村人たちに一種の優越感を与え、そうした感情によって、不平等に起因する村内の緊張関係が緩められた。こうした安定は、地方の権力者や地主・土地所有農民の期待に応えるものでもあった。
(以上引用終わり)
カースト制度とは単なる差別制度では決してなく、私権社会と共同体性を両立させる統合システムだったのです。
共同体性が崩壊した私権社会では、固定の身分序列は差別制度になってしまいますが、共同体性を色濃く残したインド私権社会では、争いを止揚し社会全体の秩序化、安定化を第一とした社会役割共認の重要なシステムとなっていました。
私権社会における上下関係は明確にしつつ、それぞれのカーストが職業=生産の場、婚姻制度=生殖の場を保証された共同体維持を前提としつつ、社会の中で無駄に争わず共存できる、人々の安定期待・秩序収束に応えるもの、それがカースト制度だったのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001472.html
なぜインドで仏教が根付かなかったのか6〜仏教の成立、社会とのズレ
ご存じのように仏教は、インド北部にて「お釈迦様」こと仏陀が開いた宗教です。
キリスト教やイスラム教が発祥地で今も多くの信者がいるのに対して、仏教はご当地インドではすっかり廃れてしまいました。
新興の仏教は、結局土着の宗教(というより規範・秩序体系にちかい)であるヴァルナ教=ヒンズー教への回帰の中で廃れてゆきますが、これは教義教典の内容云々というより、当時のインド社会において仏教は大衆の意識から「ズレていた」、ゆえに長期にわたる社会共認を得られなかった、というのが実態と思われます。
さて、当時のインドはどんな社会だったのでしょうか。
これは前回の「古代インドの社会構造」の中で扱いました。
意識の根底には社会規範や役割規範の要となる伝統的な身分制度「カースト制度」が強く存在していましたが、その一方で当時の古代インドは小国家が勃興、抗争、衰退を繰り返す極めて不安定な時代を迎えており、さらに浸透する貨幣経済の中で商人等の中産階級が台頭し、社会の秩序が大きく揺さぶられていた時代でした。
そこで「仏教」も産声を上げますが、当時は他にも様々な思想や観念が登場した百花繚乱の時代であったことにまず注目する必要があります。
以下、山崎元一著 「世界の歴史 3 古代インドの文明と社会」 より引用します。
非正統派思想の興起
新思想の誕生
六十二見と呼ばれる思想家群
仏教興起時代においても、バラモンたちは、ガンジス川上流域(ガンジス・ヤムナー両河地域)を中心に、自分らの教学を充実させるための努力をつづけていた。かれらの思想をここでは「正統派」と呼ぶことにしたい。しかし、こうしたバラモンの教学は一部の特権集団のみに関わるものであり、宗教運動としては停滞を免れなかった。東方の地に興った「非正統派」の宗教運動は正統派のそうした弱点を衝き、下層民をも加えた大きなうねりとなって展開した。
ガンジス川中・下流域における政治・経済の発展を担ったのは、国王を頂点とするクシャトリヤ・ヴァルナと、バラモンたちから低い地位を与えられてきた商人階層であった。かれらはいずれも部族制の束縛を脱し、伝統にあまりとらわれることなく行動した。
(中略)
非正統派の主張
この時代のガンジス川中・下流域で活躍した思想家の間には、いくつかの共通点が存在する。
その第一は、いずれもヴェーダ聖典の権威とヴェーダの祭祀の有効性を否定していることである。
とくに多数の犠牲獣を必要とする大供犠が攻撃の的となった。輪廻転生思想の発達もあって、動物の殺生を厭う傾向が出てきたが、そうした風潮も供犠批判を促している。
共通点の第二は、宗教・思想におけるヴァルナ差別を否定したことである。
バラモンに特別な地位と権威を与え、思想と行動をヴァルナの枠に押し込めようとする制度は、都市で活動する入びとにとって受け入れがたいものである。新思想家たちの主張は、王侯から下層民にいたる都市の住民に歓迎された。
共通点の第三は、思想家たちが広範囲の人びとを対象に、平易な言葉で教えを説いたことである。
この態度は、難解なヴェーダ聖典を独占的に伝えてきたバラモンの態度とは対照的といえよう。仏教の経典もジャイナ教の経典も、初期のものは俗語(プラークリット語)で編まれている。
共通点の第四は、いずれの思想家も個人として自己主張をし、信者たちも出身ヴァルナや出身地に関係なく個人として帰依していること である。
生まれではなく、個人の能力、意思、行為が評価された。「個」が血縁の中に埋没していた前代の社会には見られなかった現象である。
以上引用終わり
社会潮流の中で様々な思想が芽生え始めていた、そしてその担い手は、貴族や商人を皮切りに、下層市民へと広がっていった事がよく分かります。
興味深いのは、彼らは古代宗教にありがちな死後の「救い」を求めたのではなく、既存の権威や枠組みを取り払うことで、より自由で広範な思想や行動を希求した点です。
現実社会の中で充足感や活力源を見いだそうとする、インド大衆の活動的な姿が目に浮かびます。
こうした中でいよいよ仏教があらわれます。 以下、引用します。
仏教の成立
ブッダの生涯とその教え
仏教の開祖ゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)は、ヒマラヤ山麓に拠っていたシャーキヤ(釈迦)族の有力者の家に生まれた。
(中略)
ゴータマは生後すぐに母を失ったが、叔母の手でなに不自由なく育てられ、結婚して一児をもうけた。しかし感受性ゆたかなかれは、恵まれた環境の中にあっても老・病・死をはじめとする人生の問題に悩み、29歳のとき妻子を棄てて出家した。
出家したゴータマは、新しい宗教活動の盛んであったマガダ国に行き、6年のあいだ苦行に専念したが、満足な結果はえられなかった。そこで苦行をやめ、今日のブッダガヤーの地に移って、菩提樹の下で静坐・瞑想に入り、悟りを開いた。35歳のときのことである。これ以後ゴータマは、ブツダ(仏陀、悟った者)、シャーキヤ・ムニ(釈迦牟尼、シャーキヤ族出身の聖者)などの尊称で呼ばれることになった。
その後の45年間、ブッダはマガダ国・コーサラ国をはじめとするガンジス川中・下流域の諸国を旅して回り、修行と教化の日々を送った。教化の対象は、王族やバラモンから、都市・農村の下層民にまでおよんでいる。
(中略)
ブッダは生きることを「苦」とみて、そこから脱するための道を求めた。
そしてその苦の原因が、諸行無常(あらゆる存在は遷り変わる)という真理に気づかず、無常である存在に執着するところにあることを知った。人間はいつまでも生き長らえることなどできず、また最愛の人ともいつかは死別する。こうした諸行無常の真理をわきまえない無意味な願望が煩悩であり、その煩悩のとりこになった凡人は、迷いのうちに輪廻転生をくり返すとみたのである。
(中略)
仏教教団サンガの成立
ブッダは悟りを開いたあと、ブッダガヤーの地を離れて、ヴァーラーナシー(バナーラス)へ行き、郊外の鹿野苑(ろくやおん)(現サールナート)で苦行時代の5人の仲間に教えを説いた。これが初転法輪(しょてんほうりん)といわれる出来事である。この5人がブッダの弟子になったことにより、仏教教団が誕生した。
その後もブッダの周りに、かれと同じ方法で悟りをえようと志す出家者(比丘(びく)、原語のビクシュは乞食する人の意味)が集まり、教団はしだいに大きくなった。仏教教団をサンガ(僧伽(そうざや))と呼ぶが、これは集団、共同体を意味する語である。仏法僧という三宝のなかの僧は、個々の僧侶の意味ではなく、仏教教団サンガのことである。
以上、引用終わり
他の思想と違い仏教が特徴的なのは、まず開祖仏陀が、裕福な階級の出身なのにも関わらず 「すべてを投げ出している」 点、そして悟り、解脱といった、あくまで 現実社会からの超越を志向 している点です。
もっとも、これを大衆にも響く観念体系としてまとめ上げたのはやはりお釈迦様の凄いところで、存命中は広く大衆に受け入れられたようです。
しかし、仏陀の非凡な能力とカリスマ性に依存していた感も否めず、現実に立脚しない観念群に支えられた思想基盤の脆さは、彼の死後すぐに露呈します。
以下引用です
仏教の展開
仏典編集のはじまり
ブッダの没後、師の言葉の理解をめぐって意見の対立の生ずるおそれが出たため、長老マハーカーシュヤパ(大迦菓(だいかしょう))は、ラージャグリハ郊外の七葉窟(しちようくつ)に500人の比丘を集め、教団の規則(律)とブッダの教説(経)を確認しあった。これが第一結集として知られる仏典編集会議である。
結集の原語「サンギーティ」は「一緒に唱えること」という意味である。当時の教団では文字を使用しておらず、全員でくり返し唱えることによって暗記したのである。このときの律と経が、後世の諸部派によって多少の改変の手を加えられつつ伝えられ、今日の『律蔵』と『経蔵』になった。
仏教教団の分裂
第一回の仏典結集から100年間は、教団の統一がなんとか維持された。そしてこの間に仏教は、通商路にそってガンジス川上流域や西インドに伝えられた。
教団の組織は、ローマ・カトリック教会の組織とは異なり中央集権的なものではなく、一地方の比丘の全員が集まったところに一つの自治的な教団が形成されるというものである。そのため布教活動が遠隔地におよぶようになると、地方で独自の活動を行う集団も現れた。
仏滅後100年(あるいは20年)に開かれた第二回の仏典結集は、ガンジス川中流域の豊かな都市で安易な修行生活を送る比丘たちと、遠隔地の厳しい環境のなかで布教・修行の生活を送る比丘たちとの対立というかたちをとった。
(中略)
戒律や教義の理解をめぐるこのような対立が原因となって、第二結集のころ(一説によると第二結集の結果)、教団に最初の大分裂が生じ、保守派の上座部(テーラヴァーダ)つまり長老たちの部派と、革新的な立場をとる大衆部(だいしゅうぶ)(マハーサンギカ)が成立した。
さらにその後の200年間に、二大部派の内部に新たな分裂が生じ、合計20ともいわれる部派となった。
以上引用終わり
現実離れした理想論、観念論をこねくり回して対立し、権力闘争と分裂を繰り返す。
そこには社会や人々の意識に目を向けた形跡はありません。
まるで、どこかの国の学者や政治家達を見ているようです。
ここで、現実に立脚したかつての社会秩序体系がリバイバルします。
以下引用です
正統派の抵抗−ヴァルナ制度の理論と現実
ヴァルナ制度の理論的根拠
ガンジス川中・下流域で都市が発達し、入びとがヴァルナ制度の諸規則にとらわれずに活動していたころ、その西のガンジス川上流域は、依然としてバラモン文化の中心でありつづけた。
(中略)
バラモンたちは、時代の流れに抗し、身分秩序の強化と維持をめざしてヴァルナ制度の理論の確立を図った。そうした努力の結晶が、『ダルマ・スートラ(律法経)』 である。
ダルマとはインド思想の中心概念の一つで、真理、教理、義務、法律、慣行などさまざまな意味をもつが、ダルマ・スートラのダルマは、各ヴァルナに属する者が守るべき宗教的・社会的な規範を意味している。「スートラ (経)」とは、暗記しやすいように要点を簡潔に記した作品のことである。
この文献の語るヴァルナ制度の理論は、およそ次のようなものである。
(1)人間社会は、バラモンを最高・最浄とし、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラと、しだいに地位・浄性を低下させる四つのヴァルナから成っている。
この世の生まれは前世の業の結果であるから、人は生涯にわたって自分のヴァルナから離れることはできない。
(2)各ヴァルナは独自の職業と結ばれている。それぞれのヴァルナに生まれた者は、自分のヴァルナの職業に専念せねばならない。それこそが、よりよい来世をえるための最も功徳ある行為である。
(3)各ヴァルナに属する者は、同じヴァルナに属する者と結婚せねばならない。また各ヴァルナの成員は、日常生活において、それぞれのヴァルナにふさわしい慣行を守らねばならない。
(4)四ヴァルナの区別は人類出現の昔にさかのぼる。人間の生命がランクと機能を異にする身体の各部分の調和によって維持されるように、社会は四ヴァルナがそれぞれの役割を果たすことによって、平安に維持される。
結婚に見られる柔軟な現実対応
しかし現実には、ヴァルナ制度の理想とは相容れないさまざまな事態が生ずる。『律法経』 の編者であるバラモンは、こうした事態にきわめて柔軟に対応した。そうした対応は結婚と職業の問題によく示されている。
ヴァルナ制度は、各ヴァルナの成員が自分と同じヴァルナの者と結婚することによって維持される。しかし違法とされる異ヴァルナ間の結婚はしばしば見られ、その結果として混血の子も多く生まれた。これを放置するならば、ヴァルナ制度は根底から崩れてしまう。
この事態に対処するため、バラモンはアヌローマ(順毛)の理論を唱えた。つまり、男が上位ヴァルナ、女が下位ヴァルナの組み合わせを、髪の毛を上から下にとかすような自然な関係と認め、この組み合わせを準合法としたのである。
(中略)
窮迫時における柔軟な現実対応
ヴァルナ制度では、人びとは自分のヴァルナに固有な職業で生計を立てるよう求められている。しかし現実の生活においては、その理想に反する事態がしばしば生じた。
(中略)
理想と現実の間のこうした矛盾は「窮迫時の法」という臨時法を定めることによって解決された。困窮に陥っている者にかぎり、下位ヴァルナの職業で生活することを準合法として認めたのである。
(中略)
「窮迫時の法」は、あくまでも臨時的な救済法であり、本来の職業で生活できるようになった者は、ただちにその生活に戻らねばならない。しかし現実には、この法を一つの口実として、自己のヴァルナの職業とは異なる雑多な仕事に従事する者は、きわめて多かった。このように「窮迫時の法」は、ヴァルナ制度の理想と現実との間の溝を埋め、四ヴァルナの大枠を維持させるための有効な理論だったのである。
以上、引用終わり
なんと柔軟で現実的な制度でしょう!
一目して、仏教など、かないっこない!と思ってしまいます。
と同時に、仏教のなにがズレていたのか、その中身が鮮明になってきました。
仏教は現実社会やそれを構成する人々の意識を対象化せず、現実を捨象した観念世界に埋没してゆきます。観念世界に埋没すればするほど、みなの意識からズレてゆく、というのは当然といえます。
これでは人々の期待に応える事など出来ません。
挙句の果てには教団内で権力争いと分裂を繰り返してゆきます。
これでは大衆に受け入れられ、定着する訳がありません。
もっとも、新興宗教が勃興する中で、バラモン階級もその存在意義をかけて、現実と人々の意識を直視し、硬直した思想と体制を見直したのかもしれません。
その結果、社会秩序を司る身分制度を「安定」基盤としつつ、様々な現実の問題に柔軟に対応する「変異」の要素を併せ持つことで現代まで続く精神基盤となり得ました。
そしてこれが、「ヒンズー教」へと発展してゆきます。
「安定」と「変異」は様々な外圧に適応するための、いわば「自然の摂理」です。
社会秩序もまたその例外ではないと言うことが、この事実からも見て取れます。
翻って現代社会を見ても、今は「自由」や「個人」を偏重し、序列や身分制度を旧弊とする風潮があります。しかしこれは「普遍」「安定」をないがしろにした、いびつな社会体制と言えるのではないでしょうか。現代社会の諸問題もこうした観念の「偏り」に起因していることは明らかです。
観念のみに傾斜し、社会とどんどんズレて行ったインドの仏教。
「安定」と「変異」を両輪とし大衆に深く浸透していったバラモン教とカースト制度。
現代社会の諸問題を解く鍵もここにあるように感じます。
このバラモン教がさらに発展し、諸聖典やカースト制度を引き継ぎながら出来上がったのが、現在ほとんどのインド人が帰依する「ヒンドゥー教」です。
コメント
インドの仏教が、結集をする度に観念のみに傾倒し、権威主義に陥っていったことは間違いないでしょう。そして、それが大衆から遊離する原因にもなったのは確かです。
しかし、それが釈迦の頃からそうであったとするのはどうでしょう?
>これを大衆にも響く観念体系としてまとめ上げたのはやはりお釈迦様の凄いところで、・・・現実に立脚しない観念群に支えられた思想基盤の脆さは
と書かれていますが、これは明らかに間違えです。
まず、観念体系をまとめ上げたのは、結集をした後の弟子たちです。
釈迦は、出会う一人一人の「苦」に同化し、その「原因」を見抜き、適切に助言をして歩いただけです。それが、彼の全てです。
とことんまで、一人一人の現実に目を向けて、その解決に全力を注ぎました。決して「悟り」や「解脱」を目指していたわけではないのです。
インド中を歩いたからこそ、彼の助言が膨大な数になり、弟子がそれをまとめた結果、様々な経典が出来上がってしまったのでしょう。
弟子に対するある助言の中では、観念の世界に入り込むことを、意味のないものとして、明確に戒めています。
故に、釈迦存命中は、仏教の観念論なるものは一切ありません。
そのことは、引用の中でも書かれている『律蔵』や『経蔵』を読めば、明確に書いてあります。
おそらく、後の弟子たちが観念に埋没してしまった背景としては、釈迦の言葉があまりにも多岐に渡り、中には180度違う意味の言葉もあることから、それを何とかまとめようとしたために、色々と理由付け(正当化)をし始めてしまったのでしょう。
180度違うのは当たり前で、状況が正反対の人に対する助言なのですから。それを、同じ人間に当てはめてしまったことが失敗だったのだと思います。
180度違う助言があるという点を見ても、釈迦がいかに柔軟であったかがわかると思います。
つまり、釈迦が何をしたかったのか?が弟子には分かっていなかったということが、仏教が観念論に陥ってしまった原因だと思います。
原始仏典を紐解くならば、いかに釈迦が現実主義者であったかが、よくわかると思います。彼は今ある現実を、より良い方向へ向けるにはどうしたら良いか?人としてどう生きるか?を助言して歩いただけなのです。
投稿者 仏典を読んだ者 : 2013年01月28日 03:10
是非中村元先生の著作(『原始仏教』など多数)をお読みになることをお勧めします。仏教の真髄は釈迦〜龍樹にあると思います。仏教は論理学や哲学の範疇にまで入り込みながらギリギリのところですべてを翻し野へ向かわせる他の宗教にない思想的凄み、深みがあります。そして釈迦は悩まぬものには悟りは必要ない(違約)とまで言っています…
投稿者 原始仏教ファン : 2013年02月05日 05:49
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001476.html
なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?7〜ヒンドゥー教の成立
前の記事:シリーズ「なぜ、仏教がインドが根付かなかったのか?6」〜仏教の成立、社会とのズレ〜で
>新興宗教が勃興する中で、バラモン階級もその存在意義をかけて、現実と人々の意識を直視し、硬直した思想と体制を見直したのかもしれません。
その結果、社会秩序を司る身分制度を「安定」基盤としつつ、様々な現実の問題に柔軟に対応する「変異」の要素を併せ持つことで現代まで続く精神基盤となり得ました。
そしてこれが、「ヒンズー教」へと発展してゆきます。
インド人の83%が信仰するヒンズー教も、人々の意識を統合するためにその内容を時代に応じて変容して行くようです。
この流れを見て行きたいと思います。
『古代インドの文明と社会 山崎元一著』からの引用です。
●ヒンドゥー教の形成
渾然一体としたヒンドゥー教
本節では、グプタ朝という時代にはとらわれず、ヒンドゥー教そのものについて紹介してみたい。
ヒンドゥー教はアーリヤ人の宗教であるバラモン教(ヴェーダの宗教)と先住民の信仰との融合というかたちで、長い期間をかけて徐々に形成されたものである。そして、グプタ時代までひとまず成立し、それ以後においても、時代と地域の要請に応じてさらに新しい要素を加えつつ今日にいたった。ヒンドゥー教の形成にともないインドラ、アグニなどヴェーダの宗教で人気のあった神々は背後に退き、代わって非アーリヤ的な性格を強くもった神々が舞台に登場する
このようなヒンドゥー教形成の歴史のなかで、聖者と呼ばれる宗教家は多く現れたが、キリスト教、イスラム教、仏教の開祖に相当する人物は存在しない。また聖典の類は多数編まれているが、バイブルやコーランに相当する唯一最高の聖典も存在しない。ヒンドゥー教は、インド哲学の名で呼ばれる高度かつ難解な哲学思想からアニミズム的信仰にいたるさまざまな要素を包み込んだ、渾然一体とした宗教なのである。。ヒンドゥー教徒は今日のインド共和国人口の約83パーセントを占めている。
ヒンドゥー教徒が祀る神としては、まず家の神がある。これにはかまどの神や敷地の内外に棲む精霊などがあるが、とくに祖先の霊の供養は、家長が日々行う最も重要な宗教的義務とされている。
家を超えた地域社会には村の神々がいる。それらはコレラ・天然痘をもたらす女神や、境界の神、沼の神などで、人間の姿をした像から単なる石にいたるさまざまな形に偶像化され、多くは村はずれの小さな祠の中に祀られている。これらの祠を守るのは、バラモンではなく一般に下層カーストの者である。
地域を超えて信仰される神々も多数あるが、そうした神々の頂点に、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという最高神が存在する。
ヒンドゥー教は確かに多神教であるが、ヒンドゥー教徒の間では最高神への憧れが強く、最高神に絶対的帰依を捧げるバクティという信仰形態が広く見られる。村の中央の寺院に祀られているのは、これらの最高神やその一族であり、寺院を管理するのは一般にバラモンである。
礼拝の方法としては、バラモン教における形式重視の祭祀に代わって、プージャーと呼ばれる礼拝が一般的となった。これは神々に水、食物、花、香を供え、神像の前に額(ぬか)ずき、真心から神に祈りを捧げるものであり、形式よりも信仰心の強さが求められている。今日のヒンドゥー教寺院で見られるのは、この種の礼拝である。
最高神としてヒンドゥー教徒の信仰を二分しているのはヴィシュヌとシヴァであるが、これら両神のそれぞれがヒンドゥー教形成の歴史の一面を語ってくれる。
●恐怖と恵みの神シヴァ
シヴァ神信仰はインダス文明の昔にさかのぼるように思われる。というのは、この文明の遺跡から出土する印章の面に、シヴァ神の原初の姿が見出されるからである。またインダス文明では、豊鏡・多産を祈る生殖器崇拝も行われていた。
インドに入ったアーリヤ人は、先住民の信仰を拒絶していたが、のちにこの「原シヴァ神」を、かれらの宗教の暴風神ルドラと同一視するという方法で受け入れた。ヒンドゥー教においてシヴァ神はリンガ、つまり創造のエネルギーを象徴する男性の性器の形に表現されている。シヴァ寺院の奥殿の中央に安置されているのは、ヨーニと呼ばれる女陰に囲まれた姿の御神体シヴァ・リンガである。
額に「第三の目」をもち三叉のほこを手にしたシヴァ神は、凶暴な一面をもつ神であり、ハラ(奪う者)、バイラヴァ(恐ろしい者)の名で呼ばれ、宇宙を破壊し焼きつくす役割を演ずるとみられている。しかしその一方で、この神は人類に恩恵を与えてくれる慈悲深い神でもある。シヴァという名そのものが、サンスクリット語で 「吉祥」「幸福」を意味している。
たとえば、シヴァ神は破壊した宇宙を再び創造する神であり、またヒマラヤ山中で苦行しつつ天の聖河ガンガーの水を頭髪の中に受け止めて、大洪水から人間世界を守る神である。その頭髪を伝わって落ちた水が聖河ガンジスなのであるという。またこの神は世界を滅ぼす猛毒を飲んで神々や人類を救い、自らは青い頸(くび)をもつにいたったともいわれる。さらに踊りつつ宇宙を創造、維持、破壊するところから舞踏の神(ナタラージャ)、芸術の神としても崇拝されている。
●シヴァ神に従う親族たち
このようにシヴァ神は、さまざまな働きをする神々を一身に取り込んだともいえる神格であるが、この神はさらに、地方的に信仰を集めていた多数の神を自分の一族(けん属(ぞく))として抱え込むという方法で、信者の輪を拡げた。
まず土着の農耕民・狩猟民に信仰されていた地母神が、強い生殖力(性力、シャクティ)をもった妃神となり、崇拝された。ドゥルガー、カーリーはそうした女神であり、いずれも悪魔の殺戮などシヴァ神の恐ろしい面を代行する役割を果たしている。彼女らはまた、動物や人間の犠牲を喜ぶ残忍な女神として、さらに、献身的な信仰を捧げる者に恵みを惜し気もなく与える慈悲深い女神として信仰された。両女神(別名で呼ばれる同一女神ともいわれる)に対する信仰は、今日なおベンガルをはじめインド各地でさかんである。
ヒマラヤ山麓の住民に信仰されていた山の女神パールヴァティーもまた、シヴァの妃神とされたが、彼女はどちらかといえば、やさしい豊饒の女神である。さらに女神の性のエネルギーとしてのシャクティが独立して崇拝の対象となった。シャクティ信仰は、のちにヒンドゥー教や仏教のタントリズム(密教)として新たな展開を見せることになる。
象頭・太鼓腹という異様な姿をしたガネーシャ(ガナパティ)も、土着の信仰に起源する神であるが、シヴァとパールヴァティーの息子として最高神の一族の仲間に加えられた。この神は、災いを除く神、知恵と富と幸運の神としてインド全域で信仰されている。六つの頭をもち孔雀を乗物とする軍神カールッティケーヤもまた土着信仰起源の神であったが、シヴァとパールヴァティーの息子とされ、スカンダとも呼ばれて信仰された。ガネーシャもスカンダも仏教とともにわが国に渡来し、それぞれ歓喜天、韋駄天となっている。
さらにスカンダは、ドラヴィダ民族とくにタミル民族の間で人気のあった「山の神」「戦いの神」ムルガンと同一視されることにより、南インドの住民をシヴァ信仰の中に取り込んだ。南インドではまた、マドゥライ地方で崇拝されていた幸福の女神ミーナークシーが、パールヴァティーと同一視され信仰された。そしてシヴァとパールヴァティの結婚がミーナークシー崇拝の中心に据えられ、これを記念する春祭りがマドゥライの大寺院で今日なお盛大に催されている。
●ヴィシュヌは変身して世界を救う
もう一方の最高神ヴィシュヌは『リグ・ヴェーダ』に太陽神の一つとして現れるが、主要な神ではなかった。その後しだいに信仰を集めるようになり、『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』では慈悲深い神、宇宙を創造し維持する神として崇拝されている。この神は、同一視と権化という二つの手段によって土着の神々を取り込んだ。
このうち第一の手段は、土着の主要神をヴィシュヌと同一視することである。ヴィシュヌは多数の名を持つ神として知られるが、それらの名の多くは地方的に信仰されていた神に起源する。たとえば、デカン西部のパンダルプル地方などで信仰されていたヴィトーバー神は、ヴィシュヌと同一視されることによってヒンドゥー教の最高神としての地位を獲得した。この地の住民は従来どおりに祈りを捧げていれば、ヴィシュヌを拝したことになるのである。
またインド半島東北部のオリッサ地方の部族神も、ヴィシュヌと同一視され、ジャガンナート(世界の主)として大寺院に祀られることになった。プリー市にあるこの寺院で催される祭りは、インド最大の祭りの一つである。
第二の手段の権化(化身、アヴァターラ)とは、「ヴィシュヌはさまざまな姿に身を変えて地上世界に現れ人類を救う」という信仰に基づくものである。それらのなかで十権化が名高い。十権化とは出現の順に、魚、亀、いのしし、人獅子、小人、パラシュラーマ (バラモン出身の英雄)、ラーマ (『ラーマーヤナ』 の主人公)、クリシュナ(牧畜民の神、『マハーバーラタ』の英雄神)、ブッダ(仏教の開祖)、カルキ(未来の救済者)である。 このように、土着の信仰に起源する神々や、叙事詩の英雄、さらにブッダまでが権化という手段でヴィシュヌ信仰に取り込まれているのである。仏教信者がいかに反論しょうとも、ヴィシュヌ派ヒンドゥー教徒の立場からすれば、仏教徒はブッダの姿をとったヴィシュヌ神を崇拝していることになる。
ヴィシュヌ神の妃は、ラクシュミーあるいはシュリーの名で知られる美と幸福の女神である。グプタ朝をはじめインド土着王朝の発行した貨幣には、裏面にこの女神を打ち出したものが多い。ラクシュミー女神は仏教にともなってわが国に伝来し、吉祥天として崇拝されている。
●二大宗派は共に栄える
土着の主要な神々は、このようにしてヒンドゥー教の二大神のなかに取り込まれた。シヴァ派、ヴィシュヌ派の信徒は、そうした地方神が最高神と同一であることを証明するために、豊かな想像力を駆使して神話や伝説を創作し、それが文学や芸術をいっそう多彩なものにした。
二大宗派の信徒たちは、いずれが真の最高神であるかをめぐって争うこともあったが、一般的には協調関係を保ってきた。
たとえば、坂田貞二の調査したヴィシュヌ信仰(クリシュナ信仰)の聖地ヴリンダーヴァンにあるシヴァ寺院の縁起によると、クリシュナが牧女たちとたわむれつつ吹いた笛の音にさそわれ、ヒマラヤ山中からシヴァ神がこの地に飛来し、女装して牧女の群れに加わったという。
あまりにも激しく踊ったため、シヴァの顔を覆っていた布が落ちた。クリシュナはそれを見てシヴァの来訪を喜び、この地に住居、つまりシヴァ寺院を建てることを許した。今日、ヴリンダーヴァンを訪れるヴィシュヌ派の巡礼者たちは、みなこのシヴァ寺院にも詣でるという。
さらに、ヒンドゥー教徒の最高神への憧れは、ヴィシュヌ(ハリ)とシヴァ (ハラ)を一体とみるハリハラの観念や、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三神を一体とみるトリムールィの観念を生んだ。
一方、二大神に関係するこのような展開と並行して、中扱・下級の神々も、ヒンドゥー教のパンテオンの内部にそれぞれにふさわしい場所を与えられた。ナーガ(蛇)、ヤクシャ(夜叉)、ハヌマーン(猿神)、ガンダルヴァ(半大半神の音楽神)、アブサラス(天女)、さらには川、湖、船 木、石までが崇拝の対象とされている。
バラモンは不動の地位をえた。
このようなヒンドゥー教の形成にあたり、司祭老バラモンはどのような役割を演じたのであろうか。
もともとバラモンは、アーリヤ人の宗教の指導者であると自負し、先住民の信仰を拒絶していた。その後、仏教やジャイナ教などの非正統派が興ると、かれらはこれに圧倒され受け身に回った。つぎにかれらは、シュードラ以下と蔑視していた異民族の支配下に入るという屈辱をあじあった。バラモンにとって不本意な時代がつづいたのである。
バラモンたちはこれらの危機に対処し退勢を挽回するため、自分たちの宗教、つまりバラモン教の大衆化(ヒンドゥー教化)という手段を選んだ。非アーリヤ的な土着の神々を崇拝の対象として受け入れたのも、シュードラへの宗教的サーヴィスを始めたのも、そうした苦心の現れである。さらに偶像崇拝、寺院参詣、聖地巡礼、プージャーといった大衆的な信仰形態が、バラモンたちに受け入れられた。かれらは時代の状況に応じて自分たちの宗教を変質させ、非正統派を退けるとともに、地位と特権を守ったのである。
ヒンドゥー教徒の生はサンスカーラと呼ばれる通過儀礼の連続である。それらは結婚後に新郎・新婦つまり両票行う受胎式ー息子を妊娠するよう祈願する儀礼ーに始まる。この世に生を享けてからは、誕生式、命名式、食い初め式などとつづき、入門式、結婚式などを経て葬式にいたるのである。さらに、死後には祖霊として子孫たちから祭られた。祖霊の祭り子孫たちにとって最も重要な宗教的義務とみられている。
不可触民など最下層の家を除くヒンドゥー教徒の家では、こうした家庭の祭事にバラモンを司祭者として招くことになっている。したがってバラモンとヒンドゥー教徒の家とは、わが国の家と檀家の関係を幾重にも強化したような関係で結ばれているのである。どの村にも、村人の祭事を先祖代々執り行ってきたバラモンの家族が住んでおり、大きな村の場合は、幾人ものバラモンが村の家々の祭事を分担している。 このように、バラモンは地域社会の生活の中に完全に組み込まれているのである。バラモンを指導者とするヒンドゥー教の根強さはここにある。のちにインドにやって来たイスラム教の支配者も、インドの大地に深く根を下ろしたバラモンと、かれらの指導するヒンドゥー教の排除を、断念せざるをえなかった。
前回に続いて、実に柔軟な現実的な考え方で庶民の意識を統合しています。
>土着の主要な神々は、ヒンドゥー教の二大神のなかに取り込まれた。この、シヴァ派、ヴィシュヌ派の信徒は、そうした地方神が最高神と同一であることを証明するために、豊かな想像力を駆使して神話や伝説を創作し、それが文学や芸術をいっそう多彩なものにした。
共同体的な側面を残す民族は少ないので世界では珍しい統合様式ですね。日本に近いと感じるのは、共同体を残すためでしょう。
観念(頭)の先端を塗り替えるだけで、カースト制度も含めた元々の共同的な生活は認めていっている。共同体(ウンマ)の制度を組み込んだイスラム教でも入り込めなかったことを見ると、その本源(共同体)性は高いと思います。
又、カースト制度は、バラモンの地位は守るが、金・地位・いい女という私権の独り占めは出来ない。一方、クシャトリア、商人、王侯は、私権をどれだけ得ても、バラモンにはなれない。権利の1極集中を避ける制度といえます。私権を得た王が神格化してゆく西洋はもとより、中国の皇帝とも異なることが大きな特徴と言えます。
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001475.html
「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?8(最終回)〜統合様式と宗教の関係
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?1」〜プロローグ〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/10/001453.html
>インドの社会状況から、統合様式(支配様式)が最先端の観念(宗教等)を規定するという構造を解明していきます。
プロローグでは、統合様式と最先端の観念がインドではどのような関係になっているのか?を提起しました。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?2」〜仏教とインドの歴史(概要)〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/11/001457.html
>仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。
市場化・都市化の押し寄せる中、バラモンの衰退と仏教の成立が見て取れます。クシャトリア・王侯貴族・商人たちには、バラモンやカーストが邪魔な存在であり、それを捨象している仏教を新しい教えとして採用した経緯が見て取れます。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?3」〜先住民に触れ変化したアーリヤ人〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001470.html
>侵入した民族(アーリヤ人)側が先住民の文化を取り入れている点は、大変興味深いです。
というのも、通常、大陸における侵略の場合、『皆殺し』が常であるのに、インドに侵入したアーリヤ人は、先住民を皆殺しにするどころか、先住民と融合を図っているからです。
当時の時代背景を鑑みると、これは世界的に見ても極めて稀な事例と捉えることができそうです。
また、先住民と触れることでアーリヤ人の『言葉』と『生産様式』が変化したことの意味合いは大きく、これは先住民が、アーリヤ人を受け入れたと見ることができます。
>先住民(ドラヴィダ人)が、侵入してきたアーリヤ人と激しく闘うことなく、受け入れ体質(縄文体質)を有する民族だった場合、アーリヤ人は先住民の共同性を完全に破壊しなかったと考えられます。
最先端の私権原理を持ち込んだアーリヤ人は、先住民(ドラヴィダ人)に触れることによって、彼らを征服・皆殺しにしないで融合していったようですね。特徴的なのが、@言葉と生産様式が変化した。A共同体を壊さなかったの2点については、特に重要で、共同体体質を色濃く残す社会の私権原理への適応様式が見て取れます。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?4」〜カーストに繋がる身分制度の形成〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001471.html
>インド人に脈々と受け継がれている、輪廻思想が影響しています。
>この輪廻思想により、信仰心が高いインド人は、神官(バラモン)を頂点とする身分制度を甘んじて受け入れました。また、元々の共同体も残存し、職業の役割分担も含めて、安定的な秩序を守るための、社会統合、共存のシステムとして確立していったと言えます。
もともとインドには輪廻という思想があり、ヴァルナ、カーストにつながっていきます。輪廻思想は、これらを裏付ける原点となっていることが分かりました。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?5」〜古代インドの社会構造〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001472.html
>カースト制度とは単なる差別制度では決してなく、私権社会と共同体性を両立させる統合システムだったのです。
共同体性が崩壊した私権社会では、固定の身分序列は差別制度になってしまいますが、共同体性を色濃く残したインド私権社会では、争いを止揚し社会全体の秩序化、安定化を第一とした社会役割共認の重要なシステムとなっていました。
私権社会における上下関係は明確にしつつ、それぞれのカーストが職業=生産の場、婚姻制度=生殖の場を保証された共同体維持を前提としつつ、社会の中で無駄に争わず共存できる、人々の安定期待・秩序収束に応えるもの、それがカースト制度だったのです。
カースト制度は、差別制度、身分制度といわれますが、欧米の私権社会から見れば、そう見えますが、共同体の基盤がしっかりと残っているインドにおいては、共同体を安定⇒秩序化して維持・継続できるシステムであったのだろうと思います。だからこそ、現在までこの制度は生き残り、人々が拠り所にしたのだろうと思います。
シリーズ「なぜ、インドで仏教が根付かなかったのか6」〜仏教の成立、社会とのズレ〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001476.html
>現実離れした理想論、観念論をこねくり回して対立し、権力闘争と分裂を繰り返す。
>仏教は現実社会やそれを構成する人々の意識を対象化せず、現実を捨象した観念世界に埋没してゆきます。観念世界に埋没すればするほど、みなの意識からズレてゆく、というのは当然といえます。
これでは人々の期待に応える事など出来ません。
挙句の果てには教団内で権力争いと分裂を繰り返してゆきます
>新興宗教が勃興する中で、バラモン階級もその存在意義をかけて、現実と人々の意識を直視し、硬直した思想と体制を見直したのかもしれません。
その結果、社会秩序を司る身分制度を「安定」基盤としつつ、様々な現実の問題に柔軟に対応する「変異」の要素を併せ持つことで現代まで続く精神基盤となり得ました。
そしてこれが、「ヒンズー教」へと発展してゆきます。
>観念のみに傾斜し、社会とどんどんズレて行ったインドの仏教。
「安定」と「変異」を両輪とし大衆に深く浸透していったバラモン教とカースト制度。
現代社会の諸問題を解く鍵もここにあるように感じます。
シリーズ「なぜ、インドで仏教が根付かなかったのか7」〜ヒンドゥー教の成立〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/001475.html#more
>(ヒンドゥー教は、)実に柔軟な現実的な考え方で庶民の意識を統合しています。
>共同体的な側面を残す民族は少ないので世界では珍しい統合様式ですね。日本に近いと感じるのは、共同体を残すためでしょう。
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この上記の二つの記事から、仏教は、インド社会とずれていたと理解できたのですが、具体的に何が、ずれていたのか見てみたいと思います。当時は、新たな私権原理・市場原理の圧力に晒されたインドを前提に考えて見ましょう。
まず、生殖:性において、仏教は俗世の煩悩として排除しています。共同体の中で育まれてきたインドのおおらかな性に対して、輪廻からの解脱と称して、排除してしまったところに大きな問題があると思われます。
さらに、仏教は、社会を秩序化・安定化させるカースト制度を排除しようとした点も問題でしょう。
闘争:食=職業において、カースト制度は、インドにとっては、単なる身分制度ではなく、社会を安定・秩序化する制度そのものであったと思われます。社会を構成する集団(共同体)を維持する機能としてみなに受け入れられていたのだろうと思います。
仏教は、私権社会で台頭してきた新しい勢力(私権社会の勝ち組であるクシャトリア(王侯貴族など)・商人)の後ろ盾を得て、成立していた教えであり、本源的な部分を捨象しようとする姿勢が、庶民から見れば、受け入れがたいものと写ったでしょう。
このように仏教は、自ら、社会との断層を生み出して、大衆の共認を得る事ができず、インドに定着しなかったのでした。逆に、ヒンドゥー教は、その全てを柔軟に受け入れ、かつ、己の教義や主張である観念内容を変え、現実のカースト制度と古代インドの観念体系を踏襲して、人々の意識を秩序立て、収束させていったと思われます。この受け入れ姿勢は、庶民との共認形成を得て、インド社会を包摂する大河のような教えとなっていったと思われます。
その基盤となっている原住民(ドラヴィダ人等)の本源性・共同体性は、アーリヤ人の私権意識をも変質させて、共同体を破壊することなく、本源的な安定⇒秩序収束を連綿と受け継いで現在のインド社会が形作られたのだろうと思います。それは、誰もが変えられなかったのだと思います。
その後、仏教は、大乗仏教や、密教へと大衆寄りに変化して引き継がれ、ネパール等の周辺諸国、東南アジアや、朝鮮半島、日本へと伝来していったのだろうと思います。
このような本源的な共認原理による社会統合期待が根付いていたインドにおける観念体系は、日本の神道(八百万の神や神話の世界等)に見られ、ヒンドゥー教と似たものとなっています。また、その構造には特長があるのではなかろうか?と思い調べてみたところ、とても、参考になる記事がありましたので、下記に紹介します。るいネットからの引用です。
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『なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束 (冨田彰男)』
しかし、イスラムでは王はいないし、インドでは王がいるが形式上は神官の方が上である。(また、身分序列が確立しているからと言って、必ずしもキリスト教のような一神教になるわけではない。日本然り、インド然り。インドのバラモン教でも、シバ神などの部族連合時代の神々が生き残っている。)
イスラムとインドは何故こうなったのか? その共通項は?
ここで東洋と西洋の違いに触れておく。
6000〜5000年前、イラン高原において乾燥化を契機に、最初の略奪闘争(戦争)が起こり、それが玉突き的に伝播して武力支配国家が出来上がったわけだが、その伝播ルートは二つある。一つはメソポタミア・エジプト・アラブへというルート、もう一つは中央アジア〜モンゴル高原へというルート。
イラン高原は急速に乾燥していったことにより、極めて深刻な食糧危機に陥り、そこでの略奪闘争は皆殺しが常態となったが、モンゴル高原はイラン高原ほど乾燥が激しくない。従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての共同体性を強く残すことになる。
インドを征服したアーリア人も「我々は神である」と言ってインド先住民を支配したわけで、大して殺戮していない。だからインド人にも共同体体質が残っている。
〜中略〜
市場圧力は共同体を破壊する。つまり市場原理VS共認原理は決定的に対立する。そこで共同体原理に立脚して宗教集団の強力な規範で以って、市場原理の弊害を封鎖したのが、マホメットが創始したイスラム教である。だから、イスラム教では利息の禁止や喜捨が規定されている他、日常の生活規範までがコーランによって細かく定められているのである。
つまり、インドとイスラムの共通項は、共同体性の残存度が高いということ。
イスラムは国家全体が宗教集団化し、インドは未だにバラモン教時代のカースト制度が残存している。
これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果である。
共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとっては身分序列は居心地が良い。実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)
日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。
〜中略〜
日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。そこでは観念性はほとんど見られない。先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。
東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。
言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。
それに対して、救い期待に応えて一神教が登場したのは西洋特有の構造である。また、仏教も救い欠乏を土台にしており、それがインドにおいて仏教が根付かなかった理由であろう。
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重要なキーセンテンスは、
『これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果』
『日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。』
です。
当初の疑問に答えるなら、共認統合社会が私権統合社会に適応していく過程では、このように、安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造になり、最終的には、みなが充足できるものとなっていく法則がありそうです。これは、社会統合様式(=共認統合)に沿った形で規範や観念群、生産様式などの社会システムが形成されるということがいえるのではないでしょうか?
また、
『日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。』
というところが、日本ととても似ているのではないでしょうか?
この両者の精神構造は、今後の新しい共認社会にとって、重要な視点となってくるのだろうと思います。新しい社会の構造を垣間見て、最終章とします。
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/02/001481.html
町の電器屋に行った所業は棚上げかいな
米国で脚光浴びるトラブル予防とコスト削減の新手法
2013年3月4日(月) 山崎 良兵
日本より先にインフラの大量老朽化を経験した米国。1930年代のニューディール政策を契機に大量に建設された橋や道路で、1980年代以降に問題が一気に噴出。落橋や穴だらけの道路が事故を誘発し、「荒廃するアメリカ」と呼ばれた。
そんな米国で今進むのがコンピューターやソフトウエア、センサーの技術を活用したインフラの維持管理だ。インフラ運営の「可視化=見える化」は、どのような効果を生むのか。
米テキサス州南部のメキシコ湾に面した人口29万人の港湾都市、コーパスクリスティ市。同市ではソフトウエア技術を活用したインフラ管理の徹底した「見える化」に取り組んでいる。
総延長2000kmの下水道管と2400kmの上水道管、下水処理場と浄水場、総延長1760kmの市道、8万世帯を対象にしたガス供給システム……。様々な公共インフラを網羅する形でリアルタイムに監視・管理する仕組みを導入する。
何かトラブルが発生すると、市のコールセンターの職員が地理情報システム(GIS)と連動したシステムを活用して場所を特定。市民からの通報内容などを入力して必要な補修作業を迅速に指示して作業の進捗も確認する。
水道管の破裂は1時間、ガス漏れは30分以内に対応
地理情報システムと連動した米IBMのインフラ監視・管理システムの一画面
通報を受けて、保全の担当者が現地で対応するまでの時間は、上水道管の破裂の場合は1時間以内、ガス漏れの場合は30分以内。国土が広い米国の市町村では、インフラのトラブル解決に時間がかかるケースが多いのに対して、極めて迅速に対応できるようになった。
水道管の破裂は、道路の陥没などの問題に発展する場合も多いが、水道関連の部署だけでなく、同時に道路の保全を担当する部署にも、補修作業の指示書を自動的に作成して通知する。
事後対応だけでなく、ソフトを活用して集めたデータを詳細に分析することで、将来的なインフラのトラブルを減らす「予防」に活用しているのが特徴だ。
コーパクリスティ市では、インフラ関連のデータ分析を進めた結果、衝撃的な事実が分かった。下水道を管轄する部署の仕事の33%が、人口比でわずか1.4%の地域で発生する問題の解決に費やされていることだ。該当する各地域ではいったい何が起きていたのか。
以前は雨水による増水などで下水道管が滞留してトラブルが発生すると考えられてきたが、データから浮かび上がった実態は異なっていた。晴天時でも事故が頻発する場所を調査すると、埋設から時間が経った下水道管自体に問題があることが分かったのだ。
空間分析の機能を使って、下水道管の問題箇所を特定して補修計画を策定。大幅なトラブルの減少につなげた。コーパクリスティ市が2008年に導入したシステムは進化を続けている。
コスト削減にも力を発揮
同市向けにインフラ管理のシステムを開発したのが米IBMだ。「インフラの維持管理の“可視化”は老朽化対策にだけでなく、地方自治体が悩む財政難の解決にも役立つ」。IBMで都市インフラの高度化を担当するゼネラル・マネジャー、マイケル・ディクソン氏はこう強調する。
米IBMで都市インフラの高度化を担当するゼネラルマネジャー、マイケル・ディクソン氏
コンピューター、ソフトウエア、ネットワークに加えて、センサーなどの技術が進化。インフラの物理的な老朽化とそれによって生じる問題をリアルタイムで把握しやすくなった。集まってくる膨大なデータを分析すれば、問題が起きがちな箇所を調査して対策を施したり、保全のために必要な人員を適切に配置したりすることが可能になるからだ。インフラ運営を効率化する様々な対策につなげて、コスト削減を実現できるという。
IBMはインフラの問題をビジネスチャンスと捉えて、世界各国の都市にシステムを売り込む。米国ではコーパクリスティ市以外でも、インディアナ州やカリフォルニア州の都市で水道関連のインフラ管理のシステムを構築。「老朽化が進んでいる橋やトンネルでも、センサーやGPSを活用して監視・管理すれば、トラブルを予防できる」(IBMのディクソン氏)とする。
都市には水道、道路、ガスなど様々なインフラ関連部門があるが、1つのオペレーションセンターで横断的に全体像を把握できるシステムにとりわけ力を入れる。部門の壁を超えた管理を導入し、データを収集して分析すれば、運営効率を高められるケースが多いからだ。
2014年のサッカー・ワールドカップの開催予定地であるブラジルのリオデジャネイロ市。同市もインフラなどを運営する30以上の部署の情報を、一元的にリアルタイムで把握できるオペレーションセンターを設置。緊急対策が必要な水道管関連のトラブル、市内の道路混雑、交通事故などを監視して、問題が生じれば短時間で対応できる体制を構築している。
日本でも市町村などを中心に、老朽化するインフラの現状把握と対策に悩む自治体は多い。IT(情報技術)関連のノウハウ活用は導入コストが大きくなるというネックはあるが、データ分析による維持運営の効率化など、上手に活用できれば、中長期的なコスト削減に役立つ様々なメリットがある。
山崎 良兵(やまざき・りょうへい)
日経ビジネス記者。
インフラ クライシス 迫りくる崩壊の足音
2012年12月に中央自動車道の笹子トンネルで起きた天井板崩落事故。9人の犠牲者を出す大惨事は、高度経済成長期に急ピッチで建設された大量のインフラが、一斉に老朽化し始めていることに対して改めて警鐘を鳴らした。
国や地方自治体の財政が悪化の一途をたどる中、これから容赦なく訪れるインフラの膨大な改修・更新需要にどう立ち向かえばいいのか──。日経ビジネスでは2013年2月11日号の特集「インフラ クライシス」で、老朽化先進国である欧米諸国の取り組みを紹介する現地リポートを交えて、答えを探った。このコラムでは、特集の連動企画として、国内外の専門家や実務家へのインタビューを通して、大改修時代への備え方を考える。
27です。そのとおりです。
福島での放射能によるものと思われる昆虫の奇形はすでに出ているようです。
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/529.html
ここで恐ろしいのは、昆虫は比較的放射線に強いと言われていること。また奇形が1割と報告されていますが、これは観察できる外形的奇形に過ぎないところが怖いのです。つまり内臓奇形や生殖行動などの行動異常は、まったくわからないのです。実際のDNAに対する影響は計り知れないものがある。人間にまったく関係ないとするのはあまりに非科学的と言えるでしょう。
ここに冗談めかして書き込みしている輩は、少し頭を冷やしたほうがいい。
起こっている事は日本国民の未来にかかわる極めて重大な事象です。
「アベノミクス」は、かつての自民・自公政治のゾンビの如き復活であり、従米屈米隷米の下、利権構造を温存・増進し、格差社会を助長するものです。
それは、一握りの既得権益亡者(シロアリ)どもが潤う反面、大多数の国民は、暮らしといのちを破壊される危険に晒され、なかには、生きる希望を奪われ、孤独死・餓死〜自死といった悲惨な状況に陥る方々も増えるでしょう。
これからは、「アベノミクス」という「アホノミクス」〜「アベノリスク」ではなく、「原発ゼロノミクス」の成長戦略で地域の再生・復興〜展開を図りましょう。日本人は、各地各分野で手がけてきたことであり、今後ともその仕組みづくりが可能です。また、人材を通じて、国際的にも貢献することができましょう。
いま21世紀の13年目の時を刻みつつあります。
これからは、地域特性に照らして、「ハイテク」(人類そのものの破滅に繋がるものは除く)だけでなく「ローテク」をもうまく組み合わせて、ヒトはもとより環境にも優しい仕組みを構築するシステム化・デザイン化の技術・技能のレベルが問われることになるはずです。
日本人は、欧米の文明に通じつつも、伝統文化も継承しており、各地各分野で日本的地域特性を組み込んだ再生・復興事例をすでに生み出してきています。
このことは、「官僚主体の中央集権化」でなく、小沢一郎氏や生活の党が唱える、地域のことは地域で決められる「地域主権の確立」によって、展開が促進されるはずです。
「原発ゼロ」とは、地域特性を活かした「自然・再生エネルギーの開発と利活用のシステム化」を図ることを根底に据えることが期待されます。
そのためにも、発送電分離をして、電力の狭域的・広域的な利活用システムを構築することが必須の課題となります。
「原発ゼロノミクス」では、地域産業の再生・復興と併せて、地域雇用システムの再構築も可能となりましょう。
これからの農林水産業は、規模の生産性に依存した発想は止めて、エネルギーや雇用も含めた循環システムと併せて、展開を図るべきです。全国的にはすでに、先進事例ないしは先鞭事例が少なからず見受けられます。安全安心を基本としながら、生産・加工〜流通・消費に至る多様性に柔軟に対応できるようにしましょう。
それぞれの段階に止まらず、全行程をつなぐ流通・配送システム、末端消費に向きあう仕組み等々を支える技術・技能も必要となるでしょう。
大規模な製造企業の裾野を為す中小企業の技術・技能の基礎は、農林水産業という裾野からもたらされたものと言っても過言ではないでしょう。
雇用・就労の仕組みについても、従来の発想を超えて再構築すべきであると考えます。
青壮年層が中心となることは言うまでもないのですが、高齢層でも、とりわけ前期高齢層の場合は、心身の状態と本人の意欲に照らして、雇用・就労の仕組みに組み込むことも期待されるでしょう。生き甲斐づくり、健康づくりにもつながるでしょう。
15〜60歳未満は正規雇用を基本とし、60〜65歳は本人の希望に照らして、正規・非正規の選択を可能とする。65歳以上については、本人の健康状態と希望に応じた就労形態を選べるようにする、等々の対応が必要となるでしょう。
これを支える仕組みとしては、地方・地域の公的ないしはそれに準じる機関・組織が対応すべきであって、これまでのような民間派遣会社は不必要であると考えます。
一方、雇用者を使い捨て、人格破壊が問題となっている「ブラック企業」については社会的に制裁可能な法整備を急ぐべきです。
標高5メートル以上だから安全で対策が不要とも言えないでしょうし、全てを行政に頼るのは馬鹿げています
結局、自分の生活環境を十分調べ、自分で対策を立てることに尽きますね
http://1000ya.isis.ne.jp/1334.html
突然ですが↑ここに、「統計学」(statistics)の出自が語られています。ギリシャ哲学から19世紀の近代へと飛んでしまいますが、このスレッドで話し合われている事のヒントになるように思いますので、紹介してみます。
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A=それはね、「偶然」(chance)を統計的な法則のなかで見るという態度こそが、その後の社会で人間社会を「平均的に見る」とか「正常と異常で見る」といった見方をつくったからだね。
Q=そうなんですか。それっていつごろの話ですか。
A=これはっきりしている。ナポレオンが登場してからのことだね。
Q=ナポレオンと関係あるんですか。
A=あるね。ナポレオンによって世の中に「統計学」(statistics)が生まれたようなものですからね。
そもそもナポレオンってのは、あの精密で厖大な『エジプト誌』でもわかるように、たいへんな記録魔なんだね。あらゆることを記録させた。そうすると、そこに病気や犯罪や自殺などのデータが、毎年、似たような規則でおこっていることが知れてきた。それはナポレオンが作ろうとした近代国家からすると、社会の「逸脱」とか「変なこと」についての項目ばかりなんだけれど、そのことが次々に公的な統計表から見えてきた。そうするとね、そういう「逸脱」や「ばらつき」の数字から逆に、「平均」とか「正常」という概念が新たに生じていくことになったんです。
Q=統計の誕生が正常と異常を分けたんですか。
A=まさにそういうことです。ナポレオンはヨーロッパの統一世界をつくって、そこに君臨しようとしたわけだけれど、その社会では統治すべき人民は数値的属性であり、かつ上から下へ向かって階層的になっているようなものであってほしかったからね。
だからこそナポレオンは官僚たちに出生と死亡の記録だけでなく、病気の発症率、個人の身体属性、犯罪の分類、労働者たちの家計などを調べさせて、徴税とか徴兵とかの国力評価に役立つデータをできるだけ集めさせたわけだ。
そうすると、そこにはいろいろの「ばらつき」(dispersion)があることが見えてきた。そこで、これらを国力に寄与するものとそうでないものに分けた。寄与するものを「正常」(normal)とし、そこから逸脱してるものは「社会病理」(pathological)としたわけだ。そして、こういう見方を国民国家(nation state)の基準に置いて、その根拠となる情報(データ)を独占することをもってナポレオン帝国を強化しようとした。さらにはそのための役所をつくって、情報管理の新しい制度にもしていくんだね。これを“統計的官僚”というんだけれど、ヨーロッパ近代が生んだ官僚制度は、実はすべてこの統計的官僚の制度なんです。
Q=でも、ナポレオンは早くに失脚してしまいますよね。
A=そうだね。ナポレオン執政府の崩壊が、そういう統計情報を密室から流出させて、世界に向けて垂れ流す結果になるんだね。統計的官僚たちが管理していた数字が官僚的統計として世に洩れていったわけです。これはきっかり1820年から1840年にかけてのことで、これをイアン・ハッキングは「印刷された数字の洪水」というふうに名付けている。ちょうど印刷術が革新されていたことも手伝っていたからね。
Q=印刷された数字になったデータが洩れたわけですね。それで何がおこるんですか。
A=それまで誰もが見たことがなかった統計学や確率論がだんだん社会化していって、そのぶん決定論が後退した。
Q=決定論の後退というのはどういうことですか。
A=ヨーロッパの哲学や思想では、長いあいだ、世界がなんらかの「秩序」によって決定されているはずだという「決定論」(determinism)が支配していたわけです。ある現象は必ずや何かの現象に帰結する。そこでは、はっきり原因と結果が結びつけられている。
だから将来に何がおこるかは過去に決定されていると見られた。ニュートン力学はこのルールでできているわけでしょう。世界はそういう決定論的な世界秩序でできていて、そこにこそ「合理」があると考えられていたんですね。
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この後、対話は優生学の方向に進んでゆきます。
詳しくは是非お読みになってください。
感想めいた物いいになってしまいますが、この社会の一部の学者たちは近代の優生学的な桎梏から未だ脱しきれていないのではないでしょうか。世の中の争いも区別から始まるようにも思います。恐らくそれは、ろうしさまの重要な指摘である「自己の持つ視点と他者」「自分とは他人であるということ」と関係があるように思います。
自戒をこめて感じ考えると、私および私たちは、もっと強くもっと一杯に、他者に照らし返されねばならない。そうやって照らされれば照らされるほど、おやじさまが提起された「残酷な装置」を作って、その中に他人を放り込むようなことはできないはずなのです。
私は量子力学から積極的な倫理性が派生してくるようには思えません。それは科学は科学であり人格とは無縁であるはずだからです。つまり使う側の問題ですね。だけれども、ろうしさまのお話を拝聴していますと、何か微弱なる電流が伝わってくる。その「何か」は、うまく説明できないのですが…w
先ずお前が日本人であるなら、核保有論者を止めろと言っているのだ!
分からないのか、馬鹿野郎! 偉そうに見えると言うお前が馬鹿である証拠。アメリカや中国の前で言っているということを理解していないお前が馬鹿な証拠でもある。
お前だけに限ったことではないが、今どき日本の核保有論者はミイラにでもなってるようなもんだ。愚弄されても文句を言うな、馬鹿野郎!!
千葉 聖子 · 桃山学院大学
なんで録画、録音して取り調べしないんでしょう。それだけで、確たる証拠はないんだなぁって印象を受ける。
これ、結局立証、起訴できなかったら警察はもちろん、逮捕前から隠し撮り映像を放送しまくって、犯罪者として印象づけたマスコミはどう対応するのかも気になります。
香田 祐一 · 立教大学 Rikkyo University
理論上…
去年「誤認逮捕」した4件で「別件逮捕→起訴前勾留」を繰り返せば(最初の逮捕の容疑となった1件と合わせて)合計110日間も“起訴しないまま”身柄の拘束を続けられる…
それを理論上だけじゃなくて現実に実行しそうでコワいんだが…
Seiichiro Hayashi · 勤務先: 某S社
警察としては、意地でも有罪にしたいんでしょうね。
面白くなってきた。警察が先に折れるか、ゆうちゃんが先に折れるか?
原則、クロに限りなく近いグレーでも、疑わしきは罰せず、が基本。警察の無能ぶりとアナクロぶりにはあきれてものも言えないが、それよりもまずこの原則を思い出してほしいものだ。
あと、マスコミはいったいどんな立場なんだ?本人のプライベートなことまでいろいろ報道していたが、それは本当に知る権利の範疇なのか?マスコミは、視聴者のため、知る権利の行使、というのを隠れ蓑にして、単にヤジウマごっこを楽しんでいるようにしか見えない。それでなくても、福島事故以降明らかにメディアは信頼を失墜させた。その意味を深くかみしめてほしいものだが。
杉山 智治 · 勤務先: 某官庁
警察の威信を賭けた捜査でも自白偏重。しかも処分保留で釈放、さらによく分からない再逮捕。
誤認逮捕だったらどうなるのか。警察庁長官辞任?それでも警察組織としては誰かに責任を取らせるだろうが、メディアは過ぎたこととしてスルーするんだろうな。
真偽も分からない片山氏の子供時代の評判まで垂れ流す集団的過熱取材(メディアスクラム)で視聴率や販売部数を稼ぎまくり、あとは知らないでいいわけない。責任を取ればいいという話しではない。同じ過ちを何度繰り返しても、検証もせず、再び繰り返すこの国メディアのありようはなんとかしなくては。
滝澤 丈一 · 早稲田大学教育学部
警察や検察の取り調べの問題もさることながら、まだ容疑者の段階なのに成育歴から社会に出てからの挫折までプライバシーを容赦なく暴き立てているマスコミは相変わらずひどい。もちろん、犯罪者だとしてもそのプライバシーは保護されなければならないのは言うまでもないが・・一方、江川氏は本来のジャーナリストの気概をもってこの事件に取り組んでいるようで頼もしい。
治療ではなく、予防でもないなら、そこは、終末医療施設。
治療 よりも患者の心身の苦痛を和らげ、穏やかに日々を過ごせるように配慮する療養法。
/ 乃了 `ヽ ヽ∨∧ヽ \`、
//_/7 ′ ハ `、〈〈_ノ ノ ヽヽ
r,ニY/」 ′〃 , ' l| ト、 l l ̄l「`、 | ハ
__〉イ〃 , /, l / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/ 、
, -ァ7イ { l |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ 、、 `、
// 〃l ハ 、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ // rヘ川 U ヽ ヽ
// {l { い、、\V,ィf赤 // ,ィ|l | ト、 \
{_/ ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′ { ! 仆// ,′ | ヽ ヽ
ノ{ { 八_〉、 ` , - ァ ゝ, ' V ハl / ハ } \
, -‐'´/ハ 、 { |lヽ、 ∠ニ-V リ / / ∨
,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,' ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´ `ヽ、' ,.. - ''"´ ``ヽ 、`ヽ、ィ
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: : : : : : : . ,,,.. -- ーー-、 __ : : :,, -‐''´
釈迦の教えが滅びた本当の理由は?
1.仏教の反自然主義
仏教は宗教ではない。という見解がある。
宗教とは、人間と神の関係を<信仰>を軸に構築したものである。そこにおける神とは、ユダヤ教や、イスラム教のように創造神であったり、キリスト教のように創造神/聖霊/メシアの統合体(三位一体)、クリシュナ教徒のように近代化された古代神だったりするが、ある種の霊的超越者であり、多くは宇宙創造神である。
ところが、仏教は成立の初期において、教祖自身にこの種の信仰心が希薄なのである。教祖シッタータ王子は、人間として真理に到達したが、自分が神であると宣言した訳ではないし、神の預言者であった訳でもない。
そもそも釈迦族のシッタータ王子は、クシャトリア階級の出目であるからバラモン階級のように精神世界に没入する訳にはいかなかった。インドのカースト制度において伝統的な神事は、バラモン階級の専売特許であった。そこで、かれは当時流行の精神世界ヒッピーである「沙門」になる道を選んだ。沙門になるのは、簡単である。身分も問われない。「わたしは、沙門になった。」と宣言し、林住期や遊行期の老バラモンのように無一文で修行三昧の生活に入れば良いのだ。
かれは様々な行者に倣い瞑想を深め、宇宙と人のあり方を追求した。その意味で、シッタータ王子は宗教家と言うよりも実践的哲学者、精神修行者であった。かれが求めたのは宇宙構造、なかんずく人間(小宇宙)と大宇宙の関係に関する真実(真理)であり、輪廻という循環構造からの自己の解放であった。最近のひ弱な修行者のように精神的な安寧や、既存の神話体系を借定したヌミノース体験を追求した訳ではない。
その意味で、かれはニューエイジ・サイエンスを極めたと言っても良い。
そして、<12因縁の順観と逆観>という瞑想法を経て<成仏>したのである。
シッタータ王子が悟りを開いた後、その悟りを開くプロセスを<現法的梵行>と呼んだ。現法的梵行とは、津田博士の言を借りると「八正道の本質というのは、<現法的梵行>、すなわち、一生の間性的貞潔を守る、要するにセックスをしないということです。」(参考文献F参照)ということだ。つまり、仏教において、最大の戒律は、<不犯>であった。 もちろん、これは人間の本能に著しく反する行為である。インド人にとって、性生活を営むことと生きることはほとんど同義語であり、<現法的梵行>に従うことは、生きることを放棄せよと命令するのに等しい。
悟達したシッタータ王子、いや釈迦無二仏陀は、この非人道的なシステムに人間が耐えられる訳がないと判断し、教えを伝授するのを断念(これを<不説>という。)し、そのまま涅槃に入ろうとした。いかに真理であろうと、多数の人間が賛同できるか、少なくとも甘受できるシステムでないと、衆生の絶望を深めるだけだからだ。このときのシッタータ王子の判断は、良く理解できる。かれは衆生のために真理探究の道に入った訳ではない。深刻な実存的疑問を味わって、その解決のために天才的な能力を傾けた青年なのである。大宇宙と小宇宙に通底する真理を会得したからには、それを理解できず、まして、実践するなどおよそ不可能であろう大多数の人間に、無理な教えを提示するよりは、自得した理法を用いて、存在の次の位相に転移し、先を探ろうとするのは、探求者としては自然な成行きである。
ところが、伝承によると、梵天王(ブラーフマン)が釈迦無二菩薩の<不説>をいち早く知り、その場に伺候して熱心に説法を勧請する。つまり、「世界に教えを説くまで、涅槃に入るのを思いとどまる」ように懇願した。釈迦が法を説かねば人間社会(六道を含めると人間以外も含まれるが)が敗壊する。世界そのものが敗壊すると、梵天は惑乱したという。梵天は、いわば上位霊的存在であったが、人間のように活動界に根を置いていないため、輪廻を解脱する方法を開発できなかったのだ。また、護法天としての本能が、いまや六界に教えを説く立場となった仏陀が責任を放棄して、自分の手の届かない領域に避難してしまうのを阻止するという使命感にも燃えていたのであろう。この勧請は成功し、釈迦はこの熱意に打たれて、あらためて世界を慈悲の目で見て説法に踏み切る。これを<梵天勧請>と言う。
ところで、津田眞一博士は、ここに梵天を使嗾した上位の無名神を想定する。かれの作業仮説である<開放系の神>においては、梵天勧請がなされるまで釈迦が<不説>に傾いていたことから、釈迦の<慈悲>を外部からもたらした存在、<閉鎖系>である釈迦の仏法をも内包する<開放系>の神を想定したのだ。
この<開放系の神>とは、『リグ・ヴェーダ』に言及される根源神プルシャのように、世界を身体とする神、地球そのもの、或いは生命の自然の流れの総体のようなものと考えられる。<出家主義的な現法的梵行>という生命の潮流に反する行為は、巨大な宇宙の順流に対する部分的な反流を発生させる。そして、この意図的に起こされた反自然のベクトルが、「世界を敗壊させない」ために必要な刺激となっている。
梵天勧請により、釈迦が不説を撤回し、人間の生命潮流に僅かな反流を発生させた。
生命潮流とは、何か。それは、個々の生命が織りなす巨大な潮流である。その一端は、『リグ・ヴェーダ』にある宇宙の開闢に端を発し、インド神の宇宙論によれば無窮の未来において目覚めたヴィシュヌ神(または、シヴァ神)が新羅万象を破壊し尽くす、宇宙の終焉までの長い時間軸を中心に螺旋状に存在するすべての生命の軌跡である。その一部のみが地上の生命として現れ、目にすることができるが、インド的輪廻転生の思想によれば生と死はひとつの道の表と裏であり、生命潮流の螺旋は、その上昇弧では誕生、成長、老衰、死という生命の顕在部分を、下降弧においては、輪廻転生を準備する同じ生命の糸の未顕現部分を表すことになる。そして、幾億とも知れぬ生命の支流の総体が、意志をもつ、プルシャ、すなわち未顕在の<梵(ブラーフマ)>と無数の目覚めた<神我(アートマン)>として、<開放系の神>を形作る。この巨大で、かつ微小の存在が、自らの運動の正常値を保つために、<現法的梵行>という反流、または生命潮流からの逸脱を必要としていた。
星ひとつ分の生命、インド人の思想によれば、その中には人間のみならず、鳥獣草木はおろか、六道の精霊、魔獣すべてが含まれる巨大な生命のうねりに比べると、仏教の一僧侶の生命は余りにも小さいが、その生命の輝き(津田博士は、<intensite>(激烈さ)という用語を使っているが)において、神と対面し、神を癒すほどの働きをもつのであると言う。当代随一の仏教思想家(哲学者)の思想が、SF作家光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』と同じような結論に導かれるのも面白い。
津田博士の仮説は大胆であるので、その後の歴史的動きを見てみよう。
仏陀の生存中の教団は、その哲学を科学的正確さで追求した。理法の内容からして、一般の社会人が、たとえ王侯貴族であろうと、身分を保持し、社会生活を営みながら<最初期の解脱プログラム>を履修できるものではない。そのためには社会生活と肉親の全てを犠牲にし、出家する必要があった。仏陀が懸念したように、ほとんどの人間には実修できるものではない。しかも、後に<波羅密の方法>(パーラミターナヤ)と呼ばれる釈迦の教えは、非常に時間を必要とした。人間の一生ではまかない切れず、<三阿僧祇劫>という膨大な時間をかけて、何度も生まれ変わり、僧として修行を繰り返して、初めて解脱できるのである。大多数の衆生は、仏陀の教え、最終的な解脱からは切り離されていた。仏陀の教団についていける者たちは小数のエリートだったのだ。
従って、当然のことだが、カリスマ的指導者である仏陀の没後に、教団は崩落した。
それは<神秘哲学の閉鎖的実践集団>から、<教祖を神格化した布教集団>への変貌、或いは教えの民衆化という運動に現れた。これを追求した者たちは、自分たちの運動を<大乗>と呼び、仏陀の本来の教えに忠実な者たち(上座部仏教)を侮蔑の念をこめて<小乗>と呼んだ。「乗」とは<乗り物>の意味であり、<大乗>の方が多くの民草を救えるという自負が呼ばせたものだ。
しかし、仏陀の発見した真理の本質的部分が変化した訳ではない。大乗仏教の僧侶は、トリックを使ったのだ。釈迦の方法論は、人間の業や煩悩を無くすために否定的な努力を重ねる<止滅の道>(ニヴリッティ・マールガ)と、世間的活動を積極的に行い心活動を活発にする<促進の道>(プラヴリッティ・マールガ)という二つの相反する方法論に集約できるが、上座部仏教では主として<止滅の道>を、大乗仏教では主として<促進の道>を励行した。正しい行為を積み重ねれば、仏陀への信仰心を維持し、「やがては安心往生できる」というのは<促進の道>としても、かなり欺瞞的な教えである。単なる善行のレベルで、修行もしない衆生が輪廻の枠の外に出ることはないからだ。
ユダヤ教のハシドのように、日々の生活のなかにティクーンを織り込み<殻>(クリパー)の内部に聖なるものを満たすことにより、<神聖なる火花>(フンケ)をひとつひとつ解放していこうという運動に似ていなくもないが、ハシドにしても<輪>(ギルガル)から離脱するためには超人的な刻苦勉励が必要なのである。ハシディズムの教えでは、毎夜、人間の霊魂は眠りとともに肉体を離れ、その一日分の罪科について天使の審判を受けるとされた。そして、死の瞬間に罪科が重ければ、抜き身の剣を保持した天使が、復活もままならぬように死者の霊体をぎざぎざに切り刻んでしまうのである。
大乗仏教の僧都が、衆生の目から真理を隠して、道徳性で埋めて教えた動機は、あまりにも残酷な真理(在家信徒は所詮、解脱できない。)から目をそらす<大慈悲>であっただろう。そこにはドストエフスキーの『大審問官』がクリストスを非難する感動的な場面に通じる「神に離反しても民草を愛する」という覚悟が読みとれる。しかし、哲学的立場から見れば、嘘は嘘である。
後に、この欺瞞が密教の発展とともに自然解消し、<真言の方法>(マントラナヤ)と呼ばれる現在の時間短縮の手段が開発される。弘法大師は、これを<即身成仏>と呼んだ。ある意味では「嘘から出た誠」である。<真言の方法>にもいくつものやり方がある。日本に伝教し真言密教では、『大日経』において、真口意の<三密行>が説かれ、『金剛頂経』では<五相成身観>が説かれた。ところが、後期密教においては、成仏実現のリアリティを高めるため、三密のうち身体要素が強調され、生理的行法や、性的行法が導入され、それを理論化、細密化していく。
性を否定した仏教が、インドにおける最後の発展形態である後期密教において、性を肯定するがごとき教義に変化していったのは、興味深いものがある。
チベット仏教のサキャ派の碩学サチェン・クンガーニンポは、著書『密教概論』において、大乗仏教の顕教と密教の違いを次のようにまとめている。
顕教は、愛欲などの煩悩を打ちきる必要があり、<法身>と<色身>を成就するための菩薩としての修行期間が長い。それ故に<因乗>と呼ばれる。
密教は、愛欲を立つ必要がない。短い期間で果を得るので、<果乗>と呼ばれる。
つまりは、シッタータ王子が反自然的かつ直線的な技法で得た果を、自然かつ迂回的な技法で達成しようとするのが密教であるとも言える。システムは常に進化するのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/1anti.html
2 尸林の土着信仰
尸林(しりん)、シュマシャーナとは中世インドの葬儀場のことである。大きな都市に隣接して、この寂しい尸林が存在する。死者の遺骸は、都市部から尸林に運ばれ、荼毘に付されるか、そのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられた。しばしば、尸林は処刑場をかねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていた。
これは腐りやすい死体の輸送という問題に直面した古代の都市が、いずれも採用した解決策である。ユダヤ教の地獄(のひとつ)であるゲヘナとは、イェルサレムの近傍にあった葬儀場の名前である。また、墓無人(インセプルティ)になることを恐れたローマ人は、旧市街(ローマ・クアドラタ)の周囲に墳墓を設けた。そして、現代のカリフォルニアのフリーウエィを走ると大都市の郊外に集合墓所( city cemetry )の巨大で陰鬱な壁を目にすることになる。
これらは、まともな神経の人間には、実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所でもあった。そして、しばしば、魑魅魍魎が徘徊する場所として、恐れられていた。インドの尸林には、嘗て女神が祀られていた。そして、尸林自体もバドラカーリーなどのように女神の名前がつけられていた。これらは土着宗教の女神たちであり、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か、仏教の女神(守護女尊)として崇拝されている。それぞれの尸林の女神の祠には、巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術(Necromancy)を生業としていた。その巫女は、苦行母(ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)という。大神シヴァの神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に、彼女たちは、侍女兼巫女として仕えている。
その聖地(ピータ)に土着(クセトラジャー)の女性たちは、多くはアウト・カーストの出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていた。彼女らは一年の特定の祭日、または、月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物(<三昧耶>(サマーヤ))をとり、酒を呑み、歌舞音曲を楽しむというオルギアを行った。古代のディオニュソスの祭儀か、どちらかと言うとキリスト教によりディフォルメされた魔女のサバトに似た狂乱の宴である。
もちろん、この土着の「尸林の宗教」(津田眞一博士の命名による)は、文献も残さず、伝承も不確かな存在であり、ヒンドゥー教や、仏教サイドの文献から存在そのものを再構築するしかない。しかし、その痕跡は現代にも残されている。津田博士が1975年にカルカッタのカーリー寺院を訪れたときは、暗い回廊の下に黒衣をまとったダーキーニーが、黒い羊の首、四、五体を並べた前にひとり座していたという。
もちろん、多かれ少なかれ性的儀礼を含む自然崇拝的宗教は、世界中に伝播している。『旧約聖書』においても、IHVH神はバアル神と鋭く対立した。何故なら、バアル(男性原理)及びバアラテ(女性原理)とは大地の豊饒を司る精霊で、その集合体が神格化、宗教化したバアル神だったからだ。夫婦の神の交わりにより、土地を肥やし、作物を生む。農民は、その神々に帰依する者となり、神々の交わりを模倣して神聖な性交を行うことで豊饒を祈る。遊牧民の神であるIHVH神は、この性的な豊饒儀礼とは無縁であった。
性的祭儀はハムの子孫であるカナン人が発展させ、イスラエルに教えたのである。聖書は、これを避難して<アモリ人の悪>(『創世記』15章16)と呼び、その祭儀に参加する者を「高きところでバアルと頸城をともにする者」と呼んだ。潔癖主義のユダヤ教は、カナン人の信仰だけでなく、神殿娼婦を置き性の崇拝を織り込んだ古代の有力な宗教と対決を続けてきた。しかし、その一方、ギルガメッシュとイナンナ女神の恋愛神話を旧約聖書のなかの『雅歌』に翻案して残したりしている。(S.N.クレーマー著『聖婚』参照)
しかし、農耕神の素朴な性的儀礼と尸林の宗教は、かなり異なる。バアルの聖なる交合は、大地の実りをもたらす開放的な営みであるが、墓所における性の儀礼は、人間の心の深奥部へ辿り着こうとする閉鎖的な営みだからだ。
この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式である。中世インドまでの中期密教において、九想観等の死体が崩壊する様を瞑想する技術はすでに確立しており、宗教者が修行のためや、純粋に供犠のために尸林を訪問する機会はあったのである。インドにおいて宗教者とは常に男性であり、タントラ行者は、土着宗教の巫女たちと性交を含む儀式を行ったと考えられている。
ガナチャクラの構成員は9名である。つまり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神パイラヴァを召喚した男性行者が1名、そして、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行う儀礼である。天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽する。この位置変換を<瑜伽女の転移>(サンチャーラ)という。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者ではない女性)を1名加えた9名という説もある。その場合は、中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女一組に対して、円形に8名の女性行者が並び、曼陀羅が常時成立することになる。この結果、中央の男性行者は、すべての女性行者と平等に和合することになる。この儀式は、インドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっている。ちなみに、切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地(ピータ)である。
星辰の回転を象徴しながら、都合、8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は、<大楽>(マハースーカ)と呼ばれ、この<大楽>が行者を<梵我一如>の境地に連れ去るのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/2smshna.html
3 神的憑依のシステム
その昔、プラトンは占い師(マンティス)と予言者(プロフェアタイ)を区別した。(『ティマイオス』72B 参照)
占い師は、ダイモーンの霊威を受け、受動的な熱狂のなかで謎めいた言葉を口走る熱狂者(マネンテース)である。その口走る言葉は、不可視の濃霧のなかから響くダイモーンの言葉、理解不能な暗号である。ダイモーンと人間は、共通の地盤をもつ意志疎通のための言語機能(パロール)を有していない。ダイモーンの記号言語(ラング)は、われわれには未知のものであり、占い師は、それを人間の言葉としてではなく、自分の生理的発声器官(喉)を通して異種の記号言語のまま発声する。すなわち、異言である。
一方、予言者は、神々の代弁者として神秘的な言葉を解釈し、人間的な言葉に翻訳する予告者である。例えば、巫女(ピュティア)が、憑依状態で神の語り部となるとき、巫女自身はその言葉の意味を理解していない。それを聞く予言者が、翻訳し、人間の言葉(ロゴス)に再形成するのである。
このように古代ギリシアでは、恍惚状態(マイネスタイ)にある憑依される者、すなわち占い師、巫女などの受動的存在と、感銘を与える者(プロエイペン)、すなわち神霊者として霊言を解釈する予言者に機能が2分されていた。
この霊媒、審霊者の2重構造は多くの原始社会に共通する。
イスラエルの神は、創世記の時代には、アダムからアブラハムに至るまで直接、選ばれた民の心に語りかけていた。この時代の素朴な遊牧民たるユダヤ人の精神は、自我の境界が曖昧で霊的世界と現象世界に明確な区分がなかったからである。エジプト捕囚(厳密にはエジプト移民だったようだが)によって、文明の洗礼を受けたユダヤ人は、素朴な霊性を失い預言者の時代に移行する。
イスラエルの預言者(ナビ)は、上記の巫女と予言者の機能をひとりで兼ねている。
ここで預言者(ナビ)と予言者(プロフェアタイ)を区別しておかねばならない。ギリシャでは、哲学の解釈者も、競技の伝令さえも、何かあることを隠さずに語り、公に告知する者は、予言者と呼ばれることがある。それに対して、預言者とは、ただ、神と人間の関係においてのみ、上から下へ神の使者として、下から上に人間の祈りをあげる者として、両者の仲に立つ者である。以後、この用語を使う。
神がモーシェに語る場面で、「見よ、わたしはあなたをファラオに対して神(エロヒム)のごときものとする。あなたの兄弟アロンは、あなたの預言者(ナビ)となるであろう。」(『出エジプト記』7章1)そして、「かれはあなたの口となり、あなたは彼のために神(エロヒム)に代わるであろう。」(同 4章16)とも言う。
ここで重要なのは、<神の預言者>(ナビ・エロヒム)とは、神の「口」であることだ。独立した機能である<神の口>は、異種言語(神のラング)である<異言>を自分の内部で翻訳して、ヘブル語による預言(人に向けた神のパロール)として物語る。
ギリシャのダイモーンと同じく、IHVHまたはALHIMは、人間の心には言葉以前の声なき声を預言者に与える。その神的根元語をそのまま発声すれば、「激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐると閃きわたりながら北から来た。」(『エゼキエル書』1章4)という風におよそ言葉とかけ離れた自然の雄叫びとなる。つまり、預言者は、燃える柴のなかから、或いは雲のなかから神の声を聞き分け(感知し)人間の言葉に翻訳するのである。
イスラムにおいてはどうであろうか。スーフィズムの行者は、神に憑依され、自己の消失(ファーナー)を得るために、1日のほとんどの時間、ズィクルを行ずる。イブン・ハルドゥーンによれば、忘我の状態にあるとき「己の人間性(バシャリヤー)が駆逐され、天使性(マラキヤー)を帯びるように強要される」という。かれは一時的に神の分光である天使界の一部になる。
この他動的なプロセスを、古代アラビア語の<憑き物(ジンに憑かれること)>(タジュニーン)という言葉で表現できる。
イスラム教成立以前の<無道時代>において、このタジュニーン(ジンに憑かれた人)や、マジュヌーン(ジンにやられた人)となったのは、次の三つの典型的な人物であった。
その1は、<詩人>(シャーイル)である。かれらの詩才は、文字通りジンから与えられる。と言うより、ジンの方から詩人を捕まえにいくのである。ジンは、自分の好みの人間を選び、突然、その人間を地面にねじ伏せ、馬乗りになって自分専用の詩人にしてしまう。それまで一言半句も分からない羊飼いや、石工が、ジンに憑かれた瞬間に、部族の霊的権威である詩人として言葉を紡ぎ始める。いわば強姦同然の憑依現象で詩人にされた者たちは、自分の相方のジンを固有名詞で呼ぶ。かれらにとってジンは<親友>(ハリール)であり、常にともにいる者である。例えば、後期無道時代の大詩人アル・アーシャーは、かれのジンを<なめらかに舌を動かす者>(ミスハル)と呼んでいた。
その2は、<祭司>(カーヒン)である。無道時代は、前イスラムの多神教時代なので、アラブの諸部族は部族ごとに特殊な神をあがめていた。カーヒンは、特定の神殿に所属し、神託を告げる祭司のことである。ただし、その神は、創造神ではなく、強い力をもつジンなので、かれらの性格はジンとの個人的結合によりオカルト的能力を身につけた職業占い師のようなものである。事実、かれらはお布施ならぬ、<心付け>(ハルワン)を受け取って、民衆のために魔術を行った。かれらが神託を伝えるときの<サジュウ調>と羯呼ばれる独特の語法は、ジンがごろごろと喉を鳴らす異様な音として響いた。
その3は、<預言者>(ナビィー)である。もちろん、イスラム世界において預言者とはムハマンドその人のことである。かれはジンの祭司ではなく、創造神の預言者であった。「神のお恵みでお前(ムハマンド)は祭司(カーヒン)ではない」(『クルァラーン』52章29)とあるように、預言者は、ジンの力を借りて託宣をする者(カーヒン)より、さらに上位の存在、創造神が人類に対する啓示を与える媒体である。
啓示には、三つの形態があり、実のところ『クルァラーン』の記述(42章50〜51)を見ると、これは特殊な憑依・半憑依のシステムそのものである。
つまり、第1が神から直接的に預言者にコミュニケーションを図る<霊感>(ワヒー)型、前イスラムの預言者であるモーシェが燃える柴越しに聞いたのは、神の霊感である。残念ながらムハマンドにはこの第一の啓示は下されていない。第2は「垂れ幕の後ろから聞こえる声」、これは「鈴のじゃらじゃら鳴る音のように」(ミスラ・サルサラティ・アル・ジャラス)聞こえる一種の非言語的な音響である。
ムハマンドは、啓示を受け終わり日常意識に復帰した途端、その金属的な無意味な音が、明瞭に文節された有意味的語の連鎖であることに気づく。それは『クルァラーン』の本文を見て分かるように、しばしば、前出の<サジュウ調>の文章に自動翻訳されている。第3は、天使ジブリールを介して行われる啓示である。ただし、『クルァラーン』を啓示したのは、最初の頃は、得たいの知れない圧倒的威厳に満ちた巨大な霊的存在であった。それは<神性の息吹>(ルーフ・アル・クドス)(ヘブル語の<神聖なる息吹、聖霊>(ルアク・ハ・コデシュ)と同義)とも呼ばれた恐ろしい霊的存在である。後世になって、そのすべてが人間の世話をやく天使ジブリール(ガブリエル)に結びつけられたのである。
ここで、仏教に戻る必要がある。仏教では、些か様相が異なる。
初期仏教から7、8世紀頃までの仏教は、その最大の手段は、業と煩悩の止滅を追求する<止滅の道>であった。この多分に都会的な形而上学的、自己探求型の宗教は、当時の豊かな商業経済に裏付けられた都市型の文明に支えられていた。シッタータ王子も生まれてから青年に達するまで宮殿をほとんど出たことがない。仏教は、アーバンな衒学的な色彩を有した貴族の宗教たり得たのである。ところが、貿易相手の西ローマ帝国の滅亡とともに、社会のあり方が、重商経済国家から、帰農国家に様変わりしていったのだ。農村中心の社会が再構成されるに従い、仏教も土臭い庶民の心に対応していくことになる。つまり、出家僧個人の精神的至福の追求から、在家信徒の現世利益追求型へのゆるやかな転換である。
その過程において、4、5世紀頃から徐々に7、8世紀頃にかけて、護摩祭などの集団的祭礼、血骨皮を用いる土着信仰儀礼の浸食、性的オルギア、そして、憑依現象の利用などが顕著になってきた。ただし、こと憑依に関しては、完全な忘我状態にあるのではなく、自意識を有して観想状態に入るというというという優位性を主張できたのではあるが。
チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパは、ラマ行者ウマパに師事し、<成就法(サーダナ)>を収めて、文殊菩薩に会い、その姿をいつでも目の当たりにすることができたと言う。のちに、かれは『大真言道次第』(ガクリムチェンモ)という著作のなかで、生起次第を本格的に履修してから約1年ほどで「神々が面前にはっきりと現れる」ことを示した。かれは文殊菩薩から直接教えをもらっていたのである。これは現代風に言えば、チャネリングになるのだろう。心霊科学では<憑依>と呼ばれる。ある精神回路が開き、かれの心は見神状態で固定されたのだ。この種の宗教体験は珍しいものではない。ラーマクリシュナは、いつでも母神カーリーを現前に見ることができた。主イエス・キリストの花嫁として恍惚状態に陥る尼僧ヒルデガードの例など枚挙に暇はない。
しかし、チベット仏教の場合は、その手段をシステム化することに成功している。たとえば、後世のゲルク派は、<ヤマーンタカ成就法>を完成させた。<閻魔を殺す者>(ヤマーンタカ)とは、宗祖ツォンカパの<守護尊>(イダム)となった神であり、ヒンドゥー教の破壊神シヴァが憤怒の相を表したときの神格ヴァジュラ・パイラヴァと同一視されている。また、ヤマーンタカはゲルク派自身の守護尊とも呼ばれ、後世のゲルク派の<三密教>(サンデジクスム)とは、父タントラに属する<秘密集会>、母タントラに属する<チャクラサンヴァラ>そして、<ヤマーンタカ>である。さて、その修行法は、次の三段階に区分される。
その1は、<初加行三摩地>である。この段階では、本尊であるヤマーンタカを観想し、修行者がヤマーンタカ神そのものにほかならないことを体得する。このとき<死の光明>を通過し、歓喜とともに<空性の智>の体験が得られる。さらに<中有>において、身体が浄化されると<幻身>が構成される。その後、月輪観及び日輪観を経てヤマーンタカが種字から顕現する。そして、ヤマーンタカが単体ではなく本尊(ヤプ)と明妃(ユム)になり、種字が性器となり交合するさまを観想する。修行者は双子のアンドロギュノス的体験をする。明妃を貫く本尊の男性的快楽と、本尊に貫かれる明妃の女性的快楽の双方を<大楽>として感じるのである。しかも、それら全てが万物の空性の故であると悟らねばならない。むろん、神格と自己の融合は、一種の憑依現象であるが、修行者は手綱を放すことなく、憑依をコントロールしている。
その2は、<曼陀羅最勝王三摩地>である。ヤマーンタカの十三尊からなる曼陀羅全体を観想する。その曼陀羅は修行者の心臓のなかに置かれる。交合する本尊(ヤプ)の全身から光明が発せられ、そのなかに万余の仏と菩薩が招来され、本尊の口から呑み込まれて凝集されひとつの滴(ティクレ)となる。ティクレは、喉から、心臓へ、そして男性器へと下降し、明妃(ユム)の女性器のなかに射精される。ティクレは女性器から明妃の心臓へと上昇し、そこで2分割される。片方のティクレは、宮殿と座を表象する種字となり、もう一方のティクレは、十三対の歓喜仏となり、先の座につく。<生起の門>の完成である。
この曼陀羅となってティクレは、心臓から女性器に再度降下し、本尊の男性器に吸い込まれて本尊の心臓に戻る。そこで、修行者は曼陀羅を身体の外に放出する。<放出の門>である。曼陀羅は虚空に無限に拡散し<行為の門>となり、極微に収斂し点となり<集約の門>となり、再度、拡大し正しい位置に戻り<安住の門>となる。これが五門の成就である。魔術の召喚技法において、神格を纏った術者が、神の権威で下位神格や、霊を統制する場面を想起してもらいたい。また、I∴O∴S∴の神殿儀式における精密なアストラル・ライトの投射も、同様の(性魔術部分は、通常の祭儀には執行されないが)プロセスを辿る。
その3は、<羯摩最勝王三摩地>である。細部を記述するときりがないが、<外供養>、<内供養>、<秘密供養>の三つの供養を行い。微細な生起次第を学び。生起を思念し。念踊を行い。ヤマに供物を捧げて謝し、曼陀羅を収斂させて終える。技術的には豪華絢爛な儀軌の連続であり、いかに視覚的な細部を固めながら人間の精神を変質させていったかが理解できる。住する段階を越えるダイナミックな変化を<変容>というが、まさしく儀典による精神の変容を目的としている。
これまで見たとおり、召喚の根源となる仕組みは<憑依>のプロセスであり、それは世界の主要な宗教のなかに変質して潜んでいる。チベット密教は、その<憑依>のプロセスを応用、改善し、より高度な意識変容システムを完成させた。そして、<憑依>のシステムに力動的な推進力を与えているのが、初期の古怪な性魔術(尸林の儀軌)とは、一線を画する精密な性の哲学と技術である。
むろん、他のシステムにも性の密儀は存在する。カバリストは、完全な性的結合の上にシェキナーが訪れることを知っていた。ハシドたちによって発展した<神聖なる交わりの奥義>は、ラビ・フリッシュが「・・・家庭を神殿とし、寝室を至聖所となす。・・・低き交わりと高き交わりをともに完成させるために、性愛のさなかに・・・」(『セフェル・ケドゥシャー・ヴェ・ツニゥート』イェルサレム。1979年)と語り、ラビ・ヴィダスが「男女が性の交わりにおいてひとつの霊魂とひとつの身体になり、ついに一個の人格に融合するとき、聖なるかな、誉むべき主はその上に宿られる。」(『レシト・ホクマー』イェルサレム。1984年)などと語ったことなどが含まれている。前者は、マニュアル的な細部に至るまで記述しているので、詳細は略させてもらう。
その本質は、性の喜びをシェキナーに帰することであるが、性愛の前後の複雑な手順と最中の瞑想を含んでいる。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/3posss.html
4 大印契(ザ・グレート・ライト)
チベット仏教がインド後期密教からその精緻な教えを伝承したとき、当然のことだが、大印契(マハー・ムドラー)などの教義に融合した尸林の土着信仰の残滓を飲み込むこととなった。密教が象徴主義による直接的な悟りを得る技法を追求した段階で、人間の営みの全てを捧げることになるのは、ある意味で自然の流れである。むろん、宗祖である釈迦の<現法的梵行>という枠を大きく逸脱しているのは事実であるが。
尸林の宗教において、性交を伴う儀式集会(メーラー)が行われたことはすでに述べた。その儀式に召喚される主神は、パイラヴァ神であったが、これがチベット化してヘールカ神となり、同様の儀式構成を取るようになったのが<ヘーヴァジュラ・タントラ>である。
ガナチャクラは、通常のパターンのほかに、儀式の施主を招いて灌頂を授けるという参入儀礼スタイルのものも実施されていた。中央の阿闍梨を囲む8人の女性たちは<印>(ムドラー)と呼ばれる。<印契女>たちは、性ヨガの経験を積んだ在家信者たちであるが、入門儀礼のために初めて参加する<大印>(マハー・ムドラー)と呼ばれる「月経期間中の16歳の美しい処女」が準備される。彼女が祭礼の中心になる。
8人の<印契女>たちは、女尊を召喚し、独自のヨガに入る訳だが、この霊威が円の中心において最初に阿闍梨と交わる<大印>にすべて集中する。従って、すべての<印>を束ねる<大印>たりうるのだ。入門儀礼でなければ、阿闍梨は、<印契女>たちを転移させながら、都合8回和合することになるか、さらに複数の侍僧が円の外周で同時に<印契女>と和合するという次第になるが、入門儀礼では転移するのは阿闍梨の側である。
入門儀式は、いくつかの段階に分かれる。
第1の段階では、先に述べたように阿闍梨自身が性魔術を実践する。
阿闍梨は、<大印>と交わる。このとき般若波羅密を体現する処女(大印)と阿闍梨の和合により生じた体液の混合物(アレイスター・クロウリーならば、「Birth of Elixir(精液)とElixir Rubaeus(月経血)の混合物」と呼ぶであろう。)を<菩提心>と呼び、この液体を志願者の口に含ませる。いや、植え付けるのである。これが<秘密灌頂>である。
「みめ美しい一六歳になる女を得て、加持の三句をもって秘密裡に供養を始めるべし。如来の大いなる妃であるローチャーナー等として観相すべし。二根交合によって、仏(となる)悉地を得ることになろう。」(松長有慶著『秘密集合タントラ校訂梵本』第7分参照)
第2の段階では、阿闍梨は脇に移動し、志願者は先ほどの16歳の乙女と和合する。志願者は、射精しないように自己をコントロールしながら、性魔術ではカレッアと呼ばれる技法であるが、菩提心を下から徐々に頭頂に導き、サンスクリットの種字に変成し、いわゆる<ポワ>を完成させる。これが<般若智灌頂>である。
ここまでで精緻な象徴主義により、構築された入門儀礼は終了する。
だが、さらに、第3の段階がある。<第4灌頂>と呼ばれるその儀軌は、逆説的に言葉で伝授される。これまでの課程が、性エネルギーによって活性化された自己の変容であるとすると、言葉での伝授は即時性はなく、その意味が志願者の心に徐々に染み込んでいくまで完成はしない。津田博士は、<第4灌頂>を密教の自己否定、つまり。<反密教>と捕らえている。密教の方法論を自ら否定することで、自らを完結させる。このとき伝授される秘密の言葉は公開されていない。しかし、『ヘーヴァジュラ・タントラ』の末尾にある次の偈のようなものであろうと推測される。
「この智慧はきわめて微妙であり、金剛曼陀であり、
虚空のごとくである。
離塵であり、静寂であり、解脱をもたらす。
『汝は自ら、汝の父である』。」
(参考文献D 284ページ)
これが象徴化され洗練されてチベットに導入された。
ゲルク派の『大印契の滴』(チャクチェン・ティクレ)によると<大印契>とは、四灌頂を正しく授かり、生起次第の修行を満了した後に収める行である。
「『手(チャク)』とは空性の智慧であり、
『印(ギャ)』は輪廻の在り方から解放されることである。
『大いなる(チェンポ)』は、二つのものが合一することであり、
『大いなる手印(チャクチェン)』と呼ばれている。」
(参考文献H 93ページ)
その技法には、金剛身たる修行者の外的な手段、つまり、儀軌、呼吸、その他の条件付けなどによる環境整備を行い、修行者の内的手段、主として観想技法により、<風>(ルン)を中央脈管に導き、停止させ、溶解していく。この過程で生まれるのが純粋な歓喜、性的歓喜を超越するとも呼ばれる<大楽の光明>である。しかも、この<光明>を通じて<空性>をイメージとして理解することが必要とされている。ゲルク派は、サムィエーの宗論のカマラシーラの末裔とも言える立場にあり、かれらは中観思想の立場を発展させ、<無自性>を中心に組み立てていく。従って、<大印契>の行においても、光明によって空性を直接自覚することが重視されている。
このとき方便(手段)である<大楽>は、智慧である<空性>と不可分一体になるのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/4gtrite.html
インドにおける密教は、次のように発展してきた。『 』内は、伝統的な和訳文献名である。
初期密教 いわゆる<雑密>期。成立する組織的教典なし。
<明呪>(ヴィドヤー)なる呪法が盛んである。
中期密教 金剛界 『金剛頂経』
胎蔵界 『大日経』
後期密教 無上瑜伽 父タントラ系 『秘密集合タントラ』など
母タントラ系 『ヘーヴァジュラ・タントラ』など
双入不二タントラ系 『時輪タントラ』
後期密教になると密教の面白さは、倍加する。もともと、象徴主義を突き詰め、動作(身)、呪文(口)、精神集中(意)により、速やかに悟りに達するというシステムを極端に追求していた中期密教が、身体内部の生理的変化、場合によっては顕微鏡的正確さによる内臓器官への瞑想と、感覚の制御を行い、さらには性エネルギーまで自在にする後期密教へと進化していったのである。
西洋魔術における技法の進化も、同様のプロセスを辿ってきたので、大いに力づけられる。文中でぼかしてあるが、ユダヤ教のカバラは、本来、神の身体(シウル・コーマー)の段階から、かなり性的なイメージが内在している。カバリストの立場は、極端な禁欲か、性交渉の聖化という選択であった。そして、発達する技法のなかには、性エネルギーの利用も当然あった。
むろん、ベースとなる宇宙論の差違が、技法にも影響を落としている。インド人が固執した<空性>は、カバラにはない。そもそも宇宙観が違うのだ。ユダヤ〜キリスト〜イスラムという<教典の民>の宗教では、<空性>ではなく<神性の充溢>が基本に置かれている。この宇宙の全て、一木一草どころか、砂の一粒、空に舞う塵ひとつにも、光と闇が内在し、そのいずれも神の創造の行方なのだ。これは<神聖なる火花>を包含するクリパーという思想で、アリから派生し、ハシドが倫理的に突き詰めていった<修正>の思想に端的に現れている。スーフィーの賢者が、「わたしはない。」と言うときの<無>は、絶対神への完全な没入による自我の消滅を指すのであって、別の賢者はその境地で「神はわれなり。」と叫ぶのである。
従って、半可通の知識で他の流儀を非難するなどもってのほかである。
かの<寒いぇーの宗論>のときから、関連する何十冊もの宗教書、哲学書を読んで得た感慨である。とは言え、共通点も多々あるので、チベットの技法を参考にするには問題はない。団員諸兄姉には、本論を参考に魔術の研鑽に励んでもらいたい。
もし、密教に興味がないという人間でも、<3 神的憑依のシステム>だけは目を通してもらいたい。召喚魔術の思想に示唆するものがあると思う。
個人的には、津田眞一博士の斬新な哲学に共鳴している。その意味で、津田眞一と松本史郎の論争は非常に興味深かった。
残念ながら日本においては、カバラの思想は仏教ほど多数紹介されていない。実は、紹介されていないだけで、外国語のカバラの文献は多数出版されているのだ。その学問的研究もショーレム博士に限らず多彩なものがある。興味のある団員は、せめてマルティン・ブーバー著作集から『ハシディズム』と『ゴグとマゴグ』だけでも読んで欲しい。すでに絶版本となって久しいが大都市の図書館には、残っていると思う。わたしは、神戸市立図書館の震災のあとも生々しい版を借りて読んだ。なお、『ハシディズム』は、みすず書房から再版されているので入手可能であろう。ハシディズムは、中世までのカバラと現代をつなぐ生きた伝統の宝庫である。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/5forios.html
模範的な自民党支持者の皆さんは、もちろん反発なんかしないよね?
安倍がTPP参入を事実上表明したとたんに、それまでTPP参入に声高に反対してたのに、全然反発せず雪崩を打ったように転向しちゃって。選挙前までは偉そうにTPP参入に反対の声を揚げてたのにこの体たらく。ま、安倍様に逆らうなんてもってのほかだから当然だね。ゴミクズのような支援者よりも安倍様のご機嫌のほうが大事だもんね。
頑張って竹中の方針に唯々諾々と従い、死ぬほど苦しみながら日本の国力強化に貢献してくれよ。まあ「日本を強くする」というのが具体的にどんなものなのか、俺にはよくわからないけどね。
繰り返すけど、間違っても竹中に反発したりするなよ。竹中に反発するってことは安倍と自民党に反発するのと同義なんだから。ま、君たちは模範的な自民党信者なんだから逆らうはずはないよねぇ。
しかし、問題は次の5点にあるとみられる。1は、昨12月選挙運動中、従ってまだ総理に就任する前に、オバマ大統領との会談日程予定(1月初旬)が報道された。日程調整は事務方が非公開で交渉するべきであるにも拘わらず、安倍氏が首脳会談予定を選挙活動に利用した。
US側首脳陣は、軽薄な言動をなす政治家だと印象を持ったことであろう。
2 安倍総理の祖父殿は、第2次対戦のA級戦犯容疑者であり、昭和11年満州国実業部次長,16 年東条内閣の商工相となり,戦時経済体制を推進した。たまたま、世界情勢が激変したので、戦犯不起訴となっただけである。無罪判決のゆえに絞首刑を免れたわけではない。ナチス政権の高級官僚は、ニュールンベルク裁判に基づき絞首刑を受けている。
その孫が歴史修正を声高に主張すれば、近隣諸国が眉をしかめることは、容易に理解しうる。その限りにおいて、第二次大戦の戦争責任について孫の見解が全世界から注目されているのである。身内の身びいきは、プライベートな範囲でのみ許されることである。
この点では、US側首脳陣のみならず、産業諸国の首脳陣も又、戦争責任について軽率な言動をなす政治家だと印象を持ったことであろう。
祖父殿を超克できれば、お孫さんも見直されるであろう。
3 福島原発事故が発生し、放射性物質が今後も長く日本国内のみならず世界中にまき散らされ、かつ、使用済み核燃料の処理問題がすみやかに解決される見込みもない。事故発生から年月もたたないにも拘わらず、総理は原子力エネルギーを推進するとみられている。
この点でも、US側首脳陣のみならず、産業諸国の首脳陣も又、エネルギー政策について短絡な言動をなす政治家だと印象を持っていることであろう。
投資に損切りがあるように、エネルギー政策を切り替え、損切りする方が評価を得られることだろう。
4 USからの自主独立を標榜する政治家、自主独立憲法を制定しようとする政治家に対して、US政権が座視するわけではないであろう。第2次大戦後の日本の政治家を振り替えると、明瞭であろう。
US側首脳陣は、自国にとって不用意な言動をなす政治家だと印象を持ったことであろう。
5 TPPなど重要政策について、自国民向けの所見とUS向けの表明が同一ではなく、総理の見解は曖昧である。意志薄弱な政治家は、ごまんといる。これにおつきあいしているほど大統領に余裕はない。
二枚舌の政治家は、日本国民にさえ尊敬されないであろう。
日本国内での世論操作は、『我が闘争』を凌ぐほどの腕前である。他方、国民はITネットなどの力で、どこまで彼らに対抗できるであろうか。
第一に喝破するべきは、仏教は外道に特段に勝る宗教である。このことを知らないだけで国が乱れるということを思い知るべきだ。そういう意味では外道すら知り得ていないと目を覚ますべきだろう。もちろん人の為ではなく自分の正見を取り戻すためにである。
第二に喝破すべき理由は、日本人でも他国の人間であっても、何ら人を救う意識や人を益するという論拠が見当たらない。これでは断片的な知識を酒に酔って羅列しているようなもんだ。娯楽性だけはあるかもしれないが、宗教を論じているだけに何らクソの役にも立たないのは明らかだ。
宗教を分かった風に論じるのは人を惑わすだけであるから止めるべきだ。せめて仏教の邪宗派に対する攻撃の必要性が認識される有意義な主張をしたらどうだろうか。邪宗・邪義を消滅させてこそ、人を益すると自覚するべきだ。
懲りない集団ダネ!
コンナヤツラ ナンデ税金デ
ヤシナワナキャ ナランノダロウ?
証拠の無いものは なんぼ疑わしかっても
犯罪人には 出来ないの!
もっとレベルを上げた 仕事しろ!
お前らの方が 犯罪行為をやっているのが 解らんのか
考えてみ〜 お前の親が・子供が 同じ事やられたとしたら
お前 親が悪い・子が悪い 言えるか?・・・アホ!
私はこうして自分の使う言葉を理解を通して自分と云うものが何かを理解しています
私は何か目的があって書こうと決めて書くのではなく
衝動的に自分にせっつかれてそうした自分に逆らわず書くという場合が殆どです
そこには何より自分がそれを「したい」のだという認識があります
今もこうして読み返してみてその時頭にあった語群の印象を
きちんと伝える言葉にできていないと感じてしまうのですが
悲観をやめればいずれ改善されるでしょう
誰もが自己の中に様々な性格の自分や他人を人格として捉えて抱えています
無意識に自己の対話の中から到底それ迄の自分になかったと言えるような文言も
こうしてたまに吐き出されています
様々な私の中の人格からの支援によってひとつの言葉が生まれることもあります
自分の中に素直な関心と興味があれば通説に縛られることなくそれを紐解くことです
苦痛は「抵抗」の象徴的な現れだと見ることが出来ます
電気的な信号がその抵抗によってかき乱されるとそれが意識的には痛みとして感じられる様になります
感情の抵抗は、普段自分の受け容れている物事の捉え方や考え方に対して、
それとはまったく真逆の行動を自分がとろうとする時に生じます
>01
言葉はそもそも想いを分解して組み替えて外側に伝える為の道具です
あなたの御使いの「内言」は「言葉に被せない脳内に生じる想いそのもの」と捉えて良い訳ですね
そして「外言」とは言語変換されて脳内に生じたものと言う事が出来るでしょうか
「質を良くする」とありますが、それはイメージとして捉えられるもののような気がします
自己にとって"望ましさ"を表すビジョン全体が、より明瞭になることこそがそこに期待されたものです
「喜び」の体験的行為の本質とは、「喜び」の純粋な感情の状態そのもの(に浸る)同化すると云う事です
それは明瞭なビジョンを必ずしも期待したものではないにしろ、より明確さを与えることにより、
それらは現実的に変換されるエネルギーのディティールを持ち始めます
よく瞑想などで云われる無思考や脳内の無言語化、沈黙を促すよりも
そうしたビジョンを通して自己の本質に浸ることの方がより自身の向上心を具現化することに繋がります
出家した者や世捨て人と云った人達は純粋に自然に帰依する人々であり
イルカやクジラ目の存在の様に自然のポジティヴなバランス状態を維持する存在として
地球環境の健全化に務める意識的存在としてみることが出来ます
聴覚に依る外からの音ということですが、自己の意識の集中の度合いで、意識的に無音化した状態を保つことは可能です
「抵抗」しない為の方法その条件は「自分で決める」、ただそれだけで十分です
よく言う「静かになれる場所」などの条件づけは本来必要なものである訳でもなく
例えば「自己の心の開放」は視覚的に「窓を開ける」イメージを浮かべる方法などでも、
特定の方法に定められている訳ではありません
どんなルールも自分で作れば良いだけです
それら「条件づけ」はただの暗示効果を生むためのものに過ぎません
ただし信頼にたるものであればそれは当然有効です
過去に極度に患部への痛みを感じた場合、私はよく「気功」という題材を用いました
手を自身にかざせばエネルギーを得られると決めて、患部や額に"手かざし"して
そこに意識を集中して暗示を与えます
それは方法として、両手で掴みきれないくらいの空気のボールを支える形を手で作って
その両手間(10センチ程度)の距離を保ったまま、その"見えないボール"を意識的に引っ張ったり推したりします
そのとき身体はなるべく力みを捨て、緊張している場所から意識を離し、
ボールを持つ手には"力み"が入らないようにします
そして呼吸にあわせて吸う時に左右に引っぱり、吐く時に推すイメージを繰り返します
すると肉体はまるで動かしてないものの、腕にはその意識の動作と連動して
なんらかのエネルギーの流入を感じるようになります
勿論普段から肉体的にストレッチしたり意識的に違和感を感じる場所を伸ばしたりする事は大事です
そうした自分独自の「決め事」を作って遊んでみれば良いのです
そうした芸事に慣れてくるとただ「法悦の空間」に(いつでも自分がそうなりたい時に)自分を置くのも
コツを掴んでしまえば簡単なことです
脳波はそこに安定を見せているでしょう
一度脳内麻薬の分泌スイッチが入れば、あなたが他のことに気を乱さない限り、
どうした場にあなたが立っても、あなたの心はただ見える景色の全貌だけを無心に眺めることになります
勿論そうした中にもあなたは冷静に物事を捉えただ物事の有様を把握することが出来ます
ただ感情がざわめかないというだけのことです
そうした状態の中に望ましい治癒力もまた働くこととなります
そしてその心的状態がまたあなたの現実的な経験に反映されることとなります
あなたが何かに追われていると感じれば心のざわめきが起こり
追われていないことを知れば法悦の時が静かに訪れます
常に自分の今の状態がこの場に何を「表している」のか
客観的に自分の心の状態やその在り方を捉えてみて下さい
そこに必ず気付きがあります
自分にとって現在の環境が望ましくないことを悟ったとしても
そこに折り合いを生み出すことで自身の感情を段階的に望ましい方向性に近づけていくことが出来ます
あらゆる人々に対して向けられる共感というものに対して
段階的にその人自身の本来の力を信頼するという方向にあなたが移行する必要があります
その都度その心のざわめきが何故生まれているのかについての原因を探る必要はないです
ごく最近の映画で「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という映画があります
共感と云うものに幅を持たせたいと考える人にとってオススメです
わびしい、さびしい。
劣こそ優でもある。
そんな感性を私たちは持っている…
かつて持っていたはずです。
今、テレビや雑誌などで、ヨガや瞑想が取り上げられ、若い女性を中心に流行っていますが、何も知らずに興味本位や健康法、趣味などで生活に取り入れると、取り返しのつかないことになります。
何故、ヨガや瞑想が危険かと言うと、これらの起源は一般には良いこととしてしか知られていませんが、およそ健康法などとは全く関係の無いものだからです。もともと、ヨガや瞑想は一般の人たちには縁の無い、インドやチベットなどの行者が「悟りを開く」と言う目的で行なっている修行法です。
ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。
これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。
この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。
その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。
その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。
この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。
ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。
天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。
この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。
星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。
上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。
というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。
そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。
ヨガや瞑想が危険であるのは、健康法などとごまかしてヨガのポーズをとったり、瞑想したりしている内に、知らず知らずに黒魔術の儀式を行なっていることになり、そこに数多くの悪霊を呼び寄せ、額にある霊的な目(第三の目)を横目(正しくは縦目)に開き、サタン(悪魔)との契約を結ぶことになり、悪の強靭なエネルギーを得て、自らの体内に取り入れて、魂を悪魔に捧げることとなり、それが密教で言う「悟り」であるとされていますが、ヨガや瞑想に関わり続けることで、人生を台無しにし、魂をも堕落させ、取り返しのつかない過ちを犯すことになるからです。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html
巫女は神と交わる聖なる女性
オルギア、狂宴(Orgy)
ギリシア語の o[rgia に由来する語で、「秘密の礼拝」を意味した。
ほとんどの秘教の礼拝には、エレウシス、カビリア、シャクティスム、スーフィー教、キリスト教の一派の拝蛇教などの秘儀におけるごとく、性の儀式が含まれていた。
「宗教は、自然と密着したすべての祭儀につきもののオルギア的傾向をもはやとらなくなったときでさえ、……つねに性愛的な一面を持っている。
……遠くさかのぼればさかのぼるほど、性愛と聖礼の違いを見分けるのはますます困難になる。
そして『遠くさかのぼる』のは単に時間的な意味だけでなく、経験の深さをもまた意味する」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/orgia.html
少女が娼婦に身を落として、自分や親の罪を贖うという物語は実は世界中のあちこちにある。お姫様や絶世の美女が苦界に落ち、我が身を男たちに与えていくが、本当の優しさにめぐり合った時、天女になって天に召されるという草紙だ。
古来、神に仕えるものと娼婦は同一視されていた。日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に娼婦でもあった。 神に身を捧げることと、誰にも分け隔てなく我が身を与えることは、同じことだからだ。
民俗社会においては、巫女は、神の妻であり、人間にとっては処女であり(誰の妻でもなく)、、同時に娼婦でもある(誰の妻でもある)。 巫女との性行為を通じて人は神と対話した。
http://blog.livedoor.jp/deal_with0603/archives/51331139.html
何者かと深くつながるとき、たとえそれが神という存在であっても、結婚という形をとるのですね。 神に所有されるというのとは、やはりニュアンスは違うようです。
人の痛みを知るため、自らを不幸の中に置くというよりも、逆に神との結合・一体化のエクスタシーを通じて、神の意図をダイレクトに感じ、知るという面が強いようです。
実際、ここで紹介した根間さんが神とつながったときの表情は、非常にエロチックに見えました。 一般人である我々には理解しがたい境地ですが、案外その歓喜を知ってしまったら、かえって人間の男では到底満たされないのかもしれません。 おそらくは、離婚されたカミンチュの方々も、もともと人間の男性には満たされていなかったのではないか、とも思います。
一つ確実に言えることは、宗教的感性とは、本来決して反性的なものではなく、非常にエロチックなものであるということです。 とくに、インドの神々のエロチックさったらないですね。
http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-55.html
シュメール人と言えば、史上最古の民族とされ、紀元前3000年頃にはメソポタミア南部に都市国家をつくり、楔形文字を発明したことで知られる。このシュメールに「神殿娼婦」と称する、性交に熟達した女達がいた。後にギリシア人は、彼女達を「ヒエロドゥロス」と呼んだ。
各地から男達が貢ぎ物を持って神殿にやってくる。神殿娼婦達は、そうした男達のすべてと性行為を行う義務があった。 彼女達は神の側女とされ、性交為はいわば接待であり、見知らぬ男達との性交は、神秘的な夫婦関係と見なされた。つまり彼女達が性交するのは神へ奉仕するのと同じこととされたのである。
また、シュメールの娘達は、神殿で処女を捧げるのが習慣になっていた。 処女が流す血は神の好む供物とされていたから、娘達は祭壇の前で、神の代理人である祭司に身をまかせ、処女の血を流した。その神をイシュタルといい、愛と結婚、性愛、豊穣の女神だった。 しかしイシュタルは同時に男神でもあり、両性具有神なのである。したがって娘達は、祭司を男神としてのイシュタルの神聖な化身と信じて疑わなかった。
逆に言えば、娘達は聖職者からそう思い込まされていたのである。こうして処女を捧げると、娘達は祝福を受け、初めて結婚が認められた。 イシュタルは結婚の守護神であると同時に神殿娼婦達の守護神でもあった。
ところでシュメールの結婚は、男が妻を買うということでまとまった。 基本的には一夫一妻制だが、既婚の男が他に妾を持っても、あるいは神殿娼婦とセックスを楽しんでも、背徳の行為として非難されることはなかった。
娘を誘惑し、性交為におよんだ場合、独身の男ならその娘と結婚しなければならない。 既婚の男であれば娘の父親に慰謝料を払って償う必要があった。
この地域は、やがてバビロニアとなるが、それでもこうした性習慣は引き継がれた。バビロニアの娘達は神殿で処女を捧げてから結婚したり、情事に耽った。 無論、神殿娼婦もいたが、彼女達はもはや慈善的な性交為をするのではなく、金をもらって相手をする神殿内の売春婦となっていた。
http://tig.seesaa.net/article/11028153.html
ヒンズー教のデヴァダシスdevadasis(寺院娼婦)のように、古代の中東の神殿では、娼婦-巫女が女神の恵みを分け与えた。彼女たちは美と善意の比類ない結びつき(カリスcharis、ラテン語のcaritas)に関わっていたため、しばしばカリスたち、あるいは美の女神たちとして知られていた。 charisはのちに「慈善」charityと訳されるようになる。 実際にはカリスは、母の愛、優しさ、慰め、神秘的啓示、そして性交、がすべて一体となったヒンズー教の慈悲karunaと同様のものであった。
古代の娼婦はしばしば高い社会的地位を占め、彼女たちの持つ学識は尊敬を受けていた。 パレスティナにおいてカデシェト(偉大なる娼婦)と呼ばれた天界の女王の化身のように、娼婦はギリシアと小アジアのミノア島の学問の中心地において、女王のように崇敬された。実際に女王になった者さえあった。ユスティニアヌス帝の妻であるテオドラ皇后は、最初は神殿娼婦であり、コンスタンティヌス帝の母である聖ヘレナは、皇后-聖人になる前は娼婦であった。
エジプトの物語では、ブバスティスのある巫女は、彼女の愛の一夜の代償として、男の現世の財産すべてを要求した。 彼女は「私は神に捧げられた奴隷である。すなわち私は人間ではない」と言った。
最近までエジプトには「神聖娼婦」ghazyeと呼ばれた階級があった。 ghazyeはマルムーク王朝(1250-1517)の時代には大いに尊敬され、奉仕の期間が終わると花嫁として重んじられた。
神殿娼婦は病気を治癒する者として崇められた。 彼女たちの分泌物そのものが医療的効力があると考えられた。スーウィー教徒の「女性の膣には治癒力がある」という諺は今もなおこの考え方を暗示している。 彼女たちの唾液でさえ病気を治すことができた。イエスが唾液で盲人を治す話(『マルコによる福音書』第8章 23節)は、母権制社会の伝承を模倣したものである。ニネヴェ(古代アッシリアの首都)から出土した粘土の銘板は、眼の病気が娼婦の唾液で治ることを示している。
娼婦はまた魔術師、預言者、占い師であった。 ヘブライ語のzonahは、娼婦と女予言者の両方を意味する語である。
霊を持つ女性としても知られ、多くの男性と交わった日本の巫女-シャーマンは、「聖なる母たち」と呼ばれていた。彼女たちは神の花嫁となって神殿に入り、神の霊の乗り移った神主とともに横たわった。
同様の慣習は、天界のみだらなニンフを模倣したインドの寺院娼婦デヴァダシスdevadasisの特徴となっていた。
娼婦という職業は一般的な職業であった。エリュクス、コリント、キプロスその他の地にある アプロディテの神殿には1000人の神殿娼婦が仕えていた。 古代ギリシア人が妻を召使いの地位にまで引き下ろしたとき、高等娼婦hetairaiは法的にも政治的にも男性と同等の地位にとどまった。
ローマの貴族で最も身分の高い女性は、啓示が必要なとき、ユノ・ソスピタの神殿で、自ら娼婦となった。 バビロニアの女性はみな、結婚前に神殿で娼婦となった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/prostitution.html
中期密教ではヒンドゥー教の隆盛に対抗できなくなると、理論より実践を重視した後期密教が誕生した。
後期密教では仏性の原理の追求が図られた。
ヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受けて、男性原理(精神・智・方便・金剛界)と女性原理(肉体・感・般若・胎蔵界)との合体(性交)を修行する無上瑜伽も後期密教の特徴であり、男尊(男性原理)と女尊(女性原理)が性交する歓喜仏も多数登場した。
ヨーガ・タントラの修行方法が探究されるにつれて、下半身のチャクラからプラーナを頭頂に導くこと(ジョル)が最上とされ、性交がその最も効果的な方法とされた。
しかし男性僧侶が在家女性信者に我が身を捧げる無上の供養としてセックスを強要したため、仏教徒の間には後期密教を離れて戒律を重視する部派仏教(上座部仏教)への回帰もみられた。
また僧侶の破戒に対する批判を受けて、無上瑜伽も実際の性行為ではなくクンダリニー・ヨーガによる性的な瞑想へと移行する動きも生じた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99
中世のインドでは、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教という宗教の枠を超えて、性を重要なテーマとする宗教「タントリズム」が爆発的に流行した。つまり後期密教がこの方向に走ったのは時代の潮流がその背景にあったということだ。
性的ヨーガ
仏教徒が輪廻からの解脱を実現する方法として、努力して少しずつ煩悩を排除してゆくという一般的方法をあえて採らず、ある秘密の技法によって一気に解脱に達しようとする方法が性的ヨーガ。
タントラとは、密教経典、とくに性的ヨーガの実践を主張する経典のこと。
それはつまり、「無上瑜伽タントラ」のことだ。
ある高名なタントラの成就者は、タントラの道について、それは選ばれた者だけが知ることができるのであって、余人に知らしめてはならぬという意味の文を書き残したそうだ。
「無上瑜伽タントラ」は「父(ふ)タントラ」「母(も)タントラ」「双入不二タントラ」に分けられ、それぞれにまた複数のタントラが存在する。
父タントラには敵を調伏する修法が多く、母タントラは性的ヨーガの実践に積極的だった。
双入不二タントラは父・母両タントラを統合止揚しようとするもの。
後期密教では、人間の体の中に「霊的な器官」があると思われていた。
身体論を導入したものとして大日経の「五字厳身観」がある。
これは、地水火風空を象徴するア・ヴァ・ラ・ハ・カの5字を身体の5箇所に観想する。
この5字に加持された行者の身体は大日如来の五輪塔となり、清浄な仏の身体に転化する。
このような身体の中の特別な場所は、後期密教ではチャクラと呼ばれるようになる。
「ヘーヴァジュラ・タントラ」では4つのチャクラが説かれ、それらは身体の臍・心臓・喉・頭頂にあり、そのうちの3つが如来の応身・法身・報身に対応する。
チャクラは蓮華の形をしていて、花弁の数はチャクラによって異なる。
また身体にはチャクラの他に脈管がある。
脊髄のそばに1本、その左右に各1本。
並行して走るこの3本は、上端・下端とチャクラの部分でだけ接合している。
これが当時のインドの生理学説で、「四輪三脈」説という。
脈管の中はそれぞれ精液、血液、その混合物が通る。
母タントラでは精液が「世俗の菩提心」と呼ばれ重視された。
精液は快感の源であり、これを脈管の下端から次第に上のチャクラへと送る。
それぞれのチャクラで得られる快感には名前が付けられ、4つ目の「倶生歓喜」を成就することが生理学的ヨーガの課題とされた。
前述のように精液は菩提心なので、射精は菩提心の放棄でありタブーだった。
行者は睡眠中の夢精すら許されなかった。
なお、上述の快感が下から上へ行く説の他に、上から下へ降りるとする説もあった。
一番下のチャクラは会陰部にあり、これはまだ性的な力にすぎない。
この力を順次上のチャクラに送り、次第に浄化し、頭頂にある最上のチャクラに送ると修行者は解脱するという。
現代では実際に性的な行為をするのでなく、観想によって精神的に修行するそうだ。
しかし8−10世紀頃のインドでは修行者が実際に女性と性交することでヨーガを実践していたらしい。
後期密教の灌頂はそれ以前のものよりも複雑になっている。
それは4つに分かれていて、まず瓶灌頂は、瓶から香水を取り出し受者の頭頂に灌ぐのでこの名が付いている。この瓶灌頂では受者の本尊も決める。またそれ以外にも複雑な儀礼が付加されている。
瓶灌頂は中期密教の灌頂の内容を継承したものになっており、もともと国王の即位式を真似たものだった。そういえばキリスト教の洗礼ともどこか似ている。ここまでなら私にも納得できる。
ところが後期密教は、この国王の即位式を真似た最高の儀礼であるはずの瓶灌頂を格下げして灌頂の第1段階とし、その先におぞましいものを持ってきた。
第2の灌頂である秘密灌頂から先は、後期密教になって付け加えられた灌頂だ。
秘密灌頂では受者が阿闍梨に女性を献ずる。
あるいは阿闍梨が瞑想に入り女性を観想する。
阿闍梨はこの女性と交わり、「金剛杖の中の菩提心」つまり精液を取り出し、指でつまんで受者の口に入れる。
これで「菩提心を授けた」ことになる。
なお、精液だけでなく赤白二滴(経血と精液の混合物)を授けるとする文献もある。
次の般若智灌頂では、こんどは受者は阿闍梨から与えられた女性と交わる。
女性と交わりつつ受者はヤブユムの本尊の境界を悟る。
受者は射精を我慢して究竟次第の4つの歓喜を体験しなければならない。
そして受者が射精を我慢できなくなった時は女性の体内に菩提心を放出し、赤白二滴(経血と精液の混合物)を服用する。
最後の第4灌頂は、阿闍梨が受者に「言葉によって」大切な教えを授ける。
人は死ぬと「中有」になる。 最大で四十九日間。
中有はやがて未来の父母の性行為の場面に遭遇する。
それを見て失神し、赤白二滴(経血と精液)の中に吸着される。
父母の性行為をまのあたりにして父に愛欲を起こして母に嫉妬すると中有は女になり、母に愛欲を起こして父に嫉妬すると男になる。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300688127-1
[3.85 射精し終わるや、ゆっくりと、適正に精液を吸い上げることを習熟すべし。
男性はもちろん、女性でもヴァジローリーに熟達することができる。]
(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より。)
ヴァジローリー(性器による吸引)に関しては「実際見せてもらったことがある」というスナックのママさんの話を聞いたことがあります。
曰く、温泉場で同伴した長年ヨーガを実践している女性が性器から湯を吸い上げたり、吐き出したりすることを自在にやって見せたそうです。
私は当時沖正広師の著作を読んでいたので、周囲の人ほど驚くこともなく聞いていましたが、ほとんどの人は話そのものを信じていない様子でした。
ただし、この女性はおそらくこれを「性技」として活用しているのだと思われました。
私の考えでは、ヴァジローリーとは、修練すれば性器でさえ自在にコントロールすることができる証しなのだと思うわけです。
もう少し突っ込んでいうなら、交接時に「受け身」である女性は性器を巧みに絞ったりゆるめたりすることで、男性の射精を適宜操ることができるのです。そしてこれは「女性の修行法」に相当します。
[3.88 ヨーガの道を心得た人は、かようにしてビンドゥを保全して、死を克服する。ビンドゥを漏らすことによって死があり、ビンドゥを保全することによって生がある。]
[3.90 人間の精液は心に依存し、生命は精液に依存する。それ故に、精液と心の保全につとめなければならない。]
「ビンドゥ」は精液と同義のようです。
「接して漏らさず」的な考え方がここにも表れています。
[3.98 ヨーギニー:男子が適正な行法を巧みに行なってビンドゥを回収した時、婦人がヴァジローリーをもってラジャスを保全するならば、彼女はヨーギニー(女行者)である。]
「ラジャスとは、ここでは交接時の女性の分泌物であろう」
との佐保田師の解説があります。
3.101には「ラジャスを回収し保全するならば、空中を歩むことができる」という記述もあります。
そしてこの部分も「女性の修行法」に相当すると思われます。
これはこの著作の際だって特異な記述です。
つまり、ヴァジローリーはともかくとして、女性も男性同様に「もらさない(下世話にいえば、イカナイ。多量の愛液をもらさない)」ことが健康法レベルでの禁欲的な実践になるのでしょう。
そしてヴァジローリーができない限りは、「絶頂感」は男女ともに慎んでおくべきなのです。
http://redsnake.seesaa.net/article/94566521.html
性的パートナーと性的ヨーガ 2008年 10月 27日
チベット仏教に精通している人っておられますか?
もち、密教は仏教のなかの一部なんだけど、歴史的にインド仏教が後に興隆したヒンドゥー教に押されてしまいインド仏教の高僧が人里はなれたチベットに移り住みそこでインド仏教を根付かせた。
チベット密教の本を手に取ればそこには性的パートナーっていう、俗に言うセックスフレンドというかセックスパートナーを公認している。
そのセックスパートナーとは性的ヨーガによりつながり互いの性の力の高まりにより悟りを開くというものだから、、、ちょいと驚くよね。
このセックスパートナーって言うのは夫婦関係以外のことも多いからよけい驚く。
インドの仏画をみたりしたら男女が裸体で性器を突き入れているっていう感じのものがよくあるよね。
それが性的ヨーガを一部現したようなものなんだそうな。
ただし注意しないといけないのは、この性的ヨーガをするならばチベット密教の密教的原理だけを理解していて実践するのは絶対にダメだということ。
釈迦が説いた数多くの説法を読み込んでからにしたほうがいい。
そうじゃないと女性がいいように他人に操られるようになってしまう。
おそらくしっかり仏教経典を読み込んでいれば人間の生命場をあらわした超能力的な不思議な目に見えないような世界の話もでてくることがわかるだろう。
だがそれだけじゃなくて仏教の土台を理解してそのうえにひとつの教義としてチベット密教の考え方がある、そう受け止めちゃえば変ないかがわしい人間の甘言や脅しなどにも抗し得るだろう。
そうやって仏教に対してのバランス感覚がよくなった人ならば安心だろう。
チベット密教はやはり私たちの常識では計り知れない叡智がある。
性的ヨーガで得られる悟りを開けるほどのトランスとエクスタシーはそれを我が身で体験した女性は性的に熟練し若さを保て魅力的になるにとどまらず人生観までも転機するといったような。。。。。。。
ぞくぞくっとするような。あのチベット密教の寺院にこだまする読経の声こそ深くこの世の世界から天界へと意識をトリップさせるためのマントラのパワフル極まりないエネルギーに満ちたものだった。
そのことは僕が実際に女性とのセックスをしたときにBGMがチベット密教の寺院で読経された音源だったからこの身をもって体感した。
だけどもチベット密教での性的ヨーガはヨーガの修行体系のひとつでもあり瞑想の行でもあるわけだから、それなりに男女とも修行って言うものがひとしきりする覚悟がないといけない。
そこは安直な簡単で短時間にとかいったような浅薄なことに慣れて面倒なことをしたくないっていう人には向かないよね。
それにチベット密教の行をする過程でリンガといった男性性器が力をつけていくしヨーニという女性性器も変わっていくのを感じた。
セックスのとき極々従順にすべてを受け入れてくれる女性が、セックスの回数を重ねるたびに美しくなっていくっていう秘密のひとつがこういったものなんだよね。
性的パートナーとして整体師さんである僕の性技を味わえば、セックスで整体していく感覚を持てるのかもしれない。
http://sexbody.exblog.jp/8834718/
アベノミクス支持論ですね
インフレから世界不況に転じた当時にはピッタリの政策でしょう
ただし、永久に財政赤字を増やし続けられるわけもなく、ブロック化と物資不足で世界経済がスタグ化していけば、ユダヤ人からの借り入れ(その後、財産没収)などが陰で行われていました
wiki/ナチス・ドイツの経済
シャハトの時代 [編集]
「#労働政策」も参照
シャハト(左端)とエミール・ポール(de)らライヒスバンク首脳。1934年
5月31日にヒトラーは指導的経済人と会議を行い、この席で道路網整備と住宅増加が雇用増大の出発点であるとした。また大企業からの要請に基づき、租税の5年間据え置きと、社会政策支出削減によって予算を均整化する方針を固めた[24]。これ以降6月1日には第一次失業減少法(ラインハルト計画)、9月21日には第二次失業減少法(第二次ラインハルト計画)、9月23日からはアウトバーンの建設といった半奉仕活動的な雇用による失業抑制策がとられた。また結婚奨励金や家事手伝いの奨励により、女性を労働から家庭に送り込む事を奨励したが、生活消費を増加させる効果もあった[25]。これらの政策によって登録労働者は1933年のうちに200万人減少したが、奉仕活動的な雇用や統計操作を含むものであり、再軍備や軍需拡大による雇用創出が行われるまでの時間稼ぎ的な性格のものであった[26]。一方で企業に対して租税減免措置がとられ、自動車産業に対する保護育成策もとられた。また低調であった民間投資を集中するため、重点的事業でない繊維・紙パルプ・ラジオ・自動車部品製造などの分野には投資禁止措置がとられた[27]。
1934年3月をピークとして雇用創出での雇用は減少しはじめ、1935年には20万人程度まで低下した[28]。この間に生産財製造業や建築業、自動車産業での雇用が進んだ[29]。また1935年3月16日には正式に再軍備(en)が開始され(ドイツ再軍備宣言)、徴兵制が再開されたことで国防軍に86万人が吸収された[30]こともあって失業問題は解決され、ほぼ完全雇用が達成された。
また大規模な公共投資は直接的な雇用だけではなく、関連企業の投資を促して景気回復を促した[31]。1936年には国民総生産が1932年比で50%増加し[32]、1936年には国民所得が42%、工商業各指数生産指数が88%、財・サービスへの公共支出が130%、民間消費指数が16%増加した[33]。しかし各種政策への出資に伴い、1933年から1937年の期間で国家債務が110億マルク増大していた[34]。産業面では公共事業に直結する生産財製造業や建築業の活況が景気を支えた。特に自動車産業の成長が目立ち、1934年の生産額は過去最高の1928年比で148%、1935年には200%を超えた。さらに雇用数は1934年には過去最高の1928年の水準に達し、1935年にはこの水準をも超過した[35]。さらに石炭・冶金・機械工業企業では総利益が2倍になっている[36]。この一方でヴァイマル時代からの外貨不足状況は変わっておらず、原材料である生糸や綿の輸入が進まなかったため、消費財分野の主力である繊維工業は停滞し[37]、消費財分野全体の雇用者もほとんど増加しなかった[29]。また、統制による賃金抑制は国内消費水準回復の遅滞を招いた[38]。また、同時期には食糧相リヒャルト・ヴァルター・ダレが推進した血と土イデオロギーに基づく農本主義的農業政策が行われたが、自立小農民を保護する政策は経営合理化を妨げ、増産につながらなかった。また農地の長子単独相続を定めたために次男以下の離農が進み、農業振興とは逆行する事態が発生した[39]。この事と天候不順が重なり、食料輸入が1936年代の課題となる。
ゲーリングの時代 [編集]
1936年夏頃には外貨不足と2年連続の農業不振が重なって、ドイツ経済は深刻な原料危機を迎えており、景気失速の危険があった[30]。この危機を乗り越える方策としては協調外交と軍拡の減速に政策を切り替えるか、軍備拡大を続けて領土拡大によって占領地から収奪するかという二つの道があったが、ヒトラーとナチ党にとっては後者以外の選択はあり得なかった。このため前者の路線を志向するシャハトは放逐される運命であった[49]。さらに食糧輸入への外貨割当拡充をめぐってシャハトと食糧相ダレが深刻な対立を開始した。ヒトラーの命令でナチ党No2の航空相ヘルマン・ゲーリングが仲介に入り、彼は外貨・原料問題の全権を掌握した[50]。
8月の夏期休暇の最中、ヒトラーはオーバーザルツベルクのベルクホーフにおいて、「第二次四カ年計画」の秘密覚書を書き上げた。この覚書には「4年以内に戦争を可能ならしめるための国防経済体制」への移行計画が書かれていた。9月9日、ヒトラーはニュルンベルク党大会において、覚書に基づいた「自給経済体制(ドイツ語: Autarkie、アウタルキー)」の確立を目指す第二次四カ年計画の開始を発表した[51]。10月18日には「四カ年計画施行令」が発令され、ゲーリングが四カ年計画受託官として、計画遂行のための全権を付与された[30]。シャハトはゲーリングと対立し、11月に経済相を辞任した。以降ゲーリングが経済相も兼ねる事となり、経済分野の全権を掌握する事となった。
計画が進展する1938年頃には過剰な通貨供給と軍需拡大によってさらに景気が過熱し、インフレの危機と外貨不足がいっそう深刻化した[52]。このため1936年11月の「物価ストップ令」など物価抑制措置が相次いでとられた[53]。また資本集中もいっそう進み、ドイツ企業の12.5%を占める500万マルク以上の大株式会社が、全企業の資本金総額の78.5%を占めるようになっていた[36]。
四カ年計画 [編集]
カール・クラウホ。1942年
「四カ年計画」も参照
四カ年計画による自給経済構築とは、外貨不足により輸入が困難であるため、資源の国内自給を高めるものである[51]。ゲーリングが12月17日の演説で「政治の必要に応じて採算を無視した生産を行わねばならない。どのくらい費用がかかってもかまわない。戦争に勝利すれば十分に償いがつくからだ。」[54]と語ったように、計画の実行は経済性を無視したものであった。1937年2月にはヴァルター・フンクが経済相と戦争経済特命委員に就任したが、フンクはゲーリングの腹心であり、大きな路線変更は行われなかった。この四カ年計画で実権を握ったのは、最終的にはゲーリングに次ぐナンバー2となったIG・ファルベンのカール・クラウホ(en)であった。
四カ年計画では戦時の輸入途絶を前提として、化学繊維や人造石油・合成ゴムなどの代用品開発が推進された[30]。また1937年7月には国営企業として「国営企業ヘルマン・ゲーリング(Reichswerke Hermann Göring)」が設立され、これまで不採算のため放棄されてきた国内資源の開発にあたった。四カ年計画のために投じられた資金は、ドイツ全体の設備投資金額の半分以上を占める莫大なものであった[55]。また四カ年計画の技術者はIG・ファルベンの関係者が多く、1939年の段階で20%、戦時には30%がIG・ファルベン出身者であった[56]。また10月29日の執行令により四カ年計画局にライヒ価格形成監理局が設置され、経済集団と連携して全国の価格を監視した[57]。
しかしドイツ国内の資源類は偏っており、また軍需産業への労働力集中は農業人口の減少を招き、食糧自給が困難になった[58]。1937年11月5日の秘密会議でヒトラー自身も完全な自給経済体制構築は不可能であると述べ、自給が可能であるのは石炭・鉄鉱石・軽金属・食用油にすぎず、食糧にいたっては「まったく無理」であるとした[59]。ヒトラーは食糧自給のためにはヨーロッパ内での領土獲得が不可欠であると述べ、近い将来における戦争準備推進を要求した(ホスバッハ覚書(en))。
1938年になると四カ年計画の軍備への傾斜がいっそう鮮明となった。7月以降いくつかの部分計画が追加されたが、四カ年計画としてのまとまりを欠くようになった[56]。12月にはアウトバーン総監であったフリッツ・トートが建設経済統制特命委員に任ぜられ、彼の指揮下にある「トート機関」が、アウトバーンの他に西部国境の要塞線ジークフリート線などの軍事施設建設を開始している。1939年頃には四カ年計画の機構すらも統一性を失っていった[56]。これらの政策で石炭は8000万トンの増産に成功[注釈 3]し、鉄鉱石生産高は1932年の260万トンから1938年の1500万トンへ急成長した[60]。しかし自給の努力にもかかわらず、物資備蓄ははかばかしく進展せず、1939年10月の時点でガソリン、ゴム、鉄鉱石、銅、ボーキサイトの備蓄量はわずか半年分に過ぎなかった[61]。また、政府は耐久消費財や住宅建設の削減といった国民生活に負担のかかる政策を好まなかったため、戦争準備に全力を注げたわけではなかった[62]。
経済の脱ユダヤ化 [編集]
ナチ党は発足時から反ユダヤ主義を掲げており、政権獲得後にはユダヤ人商店に対するボイコットなどを扇動していた。しかしシャハトは1935年11月に全国の商工会議所会頭にユダヤ人の「自由な経済活動」を保障する必要性を説く書簡を送るなど[63]、経済分野を阻害する反ユダヤ主義には反対の立場を取っていた[64]。
しかし1937年後半以降、「経済の脱ユダヤ化」(ドイツ語: Entjudung der Wirtschaft)[注釈 4]政策が加速し始めた[65]。1938年4月26日にはユダヤ人の財産に申告義務が課せられ[66]、6月14日には経営陣に一人でもユダヤ人がいる経営を「ユダヤ経営」と見なし[67]、諸官庁のリストに登録された。11月12日にはユダヤ経営の営業や、ユダヤ人が経営を行う事が禁止され[68]、12月3日にはユダヤ経営資産や有価証券の譲渡が定められるとともに(ユダヤ人資産税(ドイツ語版))、ユダヤ人の土地取得が禁止された[69]。またこうして譲渡された経営に勤務していたユダヤ人は解雇が厳命された[70]。こうして1938年のうちにユダヤ経営の大半はドイツから姿を消し[71]、ユダヤ人の9割が経済基盤を失った。このためこの年はヴォルフガング・ヴィッパーマン(de)によって「ドイツユダヤ人の財政の死」と表現されている[72]。さらに1939年にはユダヤ人保有の金・銀・プラチナや宝飾品の供出が義務づけられるなど[73]、迫害はますます進行した。
資金調達 [編集]
1937年の時点でメフォ手形の発行額は120億マルクに達していた。シャハトはこれ以上の増発は国家の支払い能力を超える[74]として、1938年にメフォ手形を発行停止にした。しかし軍拡のためにはさらなる資金が必要であり、ゲーリングらはメフォ手形の償還を行わず、中長期債による資金調達を開始した。シャハトらライヒスバンク首脳はこれに抗議し、1939年1月7日に債権増発の危険性を警告するヒトラーに書簡を送った。ヒトラーは激怒してシャハトらを更迭し、フンクをライヒスバンク総裁に据えて人事を一新した[75]。6月15日にはライヒスバンク法が制定され、独立性を失ったライヒスバンクは国家に従属する一官庁に位置づけられた[76]。
安倍政権が同じミスをするとは思えませんが、今の内向きな世界の国民を見ていると、全く可能性がないとは言えないでしょう
光が乱舞する心の深層の世界
仏教タントラではブラフマン(創造神)とアートマン(真我)の合一を体験することをサマジー(三昧耶)・・・暝想の極致という。
ダンマ(真理)に接近しこれと合一する(即身成仏)ことを目的にした、究極的な高度で、深い暝想のはてに、浄化がある。
○想像力は目にみえないものを見させる
ハワイのフラダンスは、もともと神に奉げれていた神舞であった。
フラの巫女には、女神ペレのマナ(霊力)が感応してくる。
ハワイ語でマナとはスピリチャル・パワーのことだという。
そこで、もともとフラは神霊との交流の儀式であった。
始めに、詔(みことなり)や、リズムと歌で、神々しい雰囲気と聖なる場を整える。
「真如」の導入である。
次に、フラのダンサーは、そのリズムで踊りながら陶酔し、やがて「没我」となる。
そこに、神霊が「感応」する。
恍惚が踊り手を支配する。
すると、神からの返答が現れ、「天恵」が現象化する。
こうしたプロセスをもつ古代儀式は、世界中に普遍的にある。
ダンスがそもそも交霊術であることを示してくれる明確な例はスーフィのダンス、鎌倉時代に起きた一遍の「踊念仏」などが上げられよう。
不乱の舞は、「没我」に至るには欠かせなかったのだろう。
古代的な交霊は、表面的にしか物事を見ない人々には理解できない。
エンタテインメント化されたショウとしてのフラよりも、マナ(スピリチャル・パワー)と一体になったフラは偉大で神聖である。
ハワイ島では、古代と同じ”のり”で女神ペレへの感謝のフラが、今でも行われている。
これが奇跡なのだろう。
なんであれ、音楽とダンスとは一体であり、それは神楽(かぐら)だった。
日本の祭の神輿(みこし)の”のり”が、それなのだろうか。
洸惚感、あの陶酔感は、御輿(御神体)を担ぐことによって、はじめて感じることができる。
神輿を担ぐことは、スピリチャル・ダンスだった。
真の芸能には、「真如」「天応」「没我」「天恵」の4つのプロセスが必ず組み込まれている。
だからこそ喜びと生きる力を与えていた。
現代では、真のイベントは少なく、その一部か、残り物だけとなってしまっている。
それは、大音響のロックの陶酔感とはあきらかに違うものである。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/008.html
釈迦の教えが滅びた本当の理由は?
要するに、悟りを得て悩みや苦しみが無くなったら、人生の一番美味しい部分も一緒に消えて無くなってしまうのですね。
釈迦は宗教がどういうものか全く理解できなかったという事でしょうね。
私はもういいが、若い人たちが可哀想だ
人生が始まる前に終わってしまってるのだから
もうこの国は終わり
だが海外には行く気がしない
私には責任があるし、必ずこの国で人生を終えるよ
売国政治屋どもがこの国を完全破滅させた
でも実は、この国は敗戦後もずっと負け続けていたのだ
戦後は高度経済成長期で経済も良く、自民党の悪政暴政がそれほど目立たなくて
マスコミも大して報道もしないから国民は騙されてただけ
そしてそのツケが、原発にしてもTPPにしても今になって回ってきただけなのだ
良い時代は去り、これからは地獄しか待ってない
原発も54基も建ててしまえば、近い内最低でも2ー3基メルトダウンするだろw
いっそのこと、とっとと4号崩壊で良いよ
これが一番分かりやすいねw
大半の人が公正選挙だとわざわざ説明しない理由=「理屈が通じないから。『不正が無かった証拠を出せ』が反論になると思ってる馬鹿相手だから」と言うのが端的に現れたやり取りかと。
>>109
「ここは小沢氏応援サイトです、小沢氏への批判・極右〜中道左派と看做した書き込みは予告無く削除する場合がございます」って書いてあるならともかく、「ここは本当の事を一緒に探していくサイトです。」なら、小沢氏を応援する人々による掲示板の思想統制・ファシズムこそ最も嫌うべき要素であるはずなのですけどね。
上記記事を投稿した「通りかかり」です。
地上波テレビの視聴率が上がらないといわれています。1月の3週目から2月最終週(〜24日)まで、6週連続でひとつも20%超の番組がなく、テレビ界始まって以来の珍現象とか。つまらない番組を放送してきた地上波の「終わりの始まり」、もしくは価値観の多様化で落ち着くべき数字である、といった指摘もあります。さて、どう見たらいいのでしょうか。
私は子供の頃から「何曜日は何を見る」と決めていたテレビ世代だったはずなのに、21世紀になってからは地上波のお楽しみ番組がなく、せいぜいCSで昔のドラマを見る程度。ではその分、どこに時間を費やしているかと問われたら、ネットと答えるかもしれません。そういう方は少なくないと思います。時代が変わり、視聴者の価値観の多様化という面はたしかにあるのでしょう。ただ、私たちは受け手です。原因の根本は、受け手をそうさせた作り手であるテレビ局側の事情を見るべきでしょう。
地上波テレビの視聴率問題を取り上げているのは「日刊ゲンダイ」(3月4日付)です。
http://sengoshi.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_nikkangendai0304.jpg.html
「週間ランキング上位は『サザエさん』『笑点』といった長寿番組。時代を牽引する番組がなく、“テレビは終わった”といわれても仕方がない状態です。しかも今期は特に連ドラがひどい。きちんと作っているドラマは多いのですが、民放で平均15%を超えるものが1本もありません。やはり、最近話題になっている録画して見る『録画再生率』のアップが原因なのか」(放送関係者)
連続ドラマで手堅く20%をとれた番組は、おそらく『渡る世間は鬼ばかり』(2011年番組終了)が最後ではないかと思います。その最終回が22.2%でした。それでも「20%超え」が話題になったものです。
そもそも放送されていた「木9」の石井ふく子枠といえば、『肝っ玉母さん』や『ありがとう』といったお化け番組が記録的な視聴率をあげていました。それに比べれば、20%超えなどという「並みの高視聴率」で騒ぐなんてちょっと寂しいと思っていましたが、2年後の現在はそれすらとれないわけです。
もっとも、単発的な数字なら、やはり2011年の『家政婦のミタ』のように、最終回で40.0%の高視聴率を記録したものもあります。しかし、同番組は1クール。以前のテレビ界なら、好評だから放送を延長する、ということがありましたが今はそれはありません。人気番組に育っても、飽きられないうちに終わって、あとはスペシャル番組や映画化やDVD化で稼ごうというやり方に変わってきています。
ここが地上波ドラマ低落の原因のひとつだと私は見ています。通販番組台頭にもあらわれていますが、テレビの番組コンテンツのあり方が変わってきているのです。
つまり、制作したものを半年や1年かけてじっくり見せ、視聴率にかかわらずその枠を持ってくれている単独スポンサーとの信頼関係でCM料を得るという高度経済成長時代のビジネスモデルは破綻したのです。
大正製薬、ロート製薬、ブラザー工業、東芝、松下電器、三菱電機などそうでしたが、放送される番組にかかわらずその放送枠を面倒見てくれ、テレビ局は安定的にCM料を得、企業もともに発展する、という関係は、松下電器(現パナソニック)が『水戸黄門』のスポンサーを降りた時点で終焉しました。
現在テレビ局のドラマ制作は、映画化やメイキングその他を加えたDVD化など、まるで後のビジネスが実は本来の目的になってしまい、テレビ放送は成果主義的に視聴率を求める複数スポンサーのもと、1クールだけ「お試し」的に放送する“フロントエンドコンテンツ”になってしまっているのです。これでは視聴者だって本腰を入れて見ることができません。
民放某キー局などは、今や放送局ではなく不動産事業者になったともいわれています。
よく、テレビは視聴率至上主義になったからだめになったといわれますが、それはそのような経緯による結果であり、大手企業がテレビ番組枠を面倒見る、というシステムが維持できなくなってしまったことが質の後退の最たる理由ではないかと思います。
そうなりますと、これは不可逆的な変化ですから、以前のような地上波の隆盛はもうないんじゃないかと私は思います。
それにしても思うのは、プロ野球は恵まれてますね。テレビドラマ枠が後ろ盾になる単独スポンサーを失っているのに、球団は必ず買い手が出てきますからね。
ナチス政権時代の高級官僚で戦後も活躍した人間はハンス・グロプケ(首相府長官)、テーオドーア・オーバーレンダー(副首相)、ヴォルフガング・フレンケル(検事総長)などなど大勢いるんだが。
(もちろんここで挙げたのは氷山の一角でしかない)
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領の父親であるエルンストは開戦時の外務次官で独ソ不可侵条約締結をとりまとめポーランドをソ連と分割する密約をかわし、戦後は「侵略戦争の指導」や「ユダヤ人迫害への荷担」で戦犯として有罪(懲役5年)になったが、ヴァイツゼッカー大統領はその罪状を全面否定して戦犯裁判を不当だと断じている。
少しぐらい勉強してから発言しましょう。
安倍政権は原発事故以来の復興を忘れさせるほどの勢いで国防軍やら日米軍事同盟、F35導入や武器の輸出基準見直しなどと矢継ぎ早に日米の関係改善の趣旨とする旨を表明をした。大規模金融緩和を推進する政策の目的とされるのがこれなのかと不信の眼差しを向けらている世界の空気まで読んでいないのは明らかだ。
TPPに至っては日本がアメリカのパートナーになり得ないのではないかという疑念まで抱かせてしまったようである。日米関係を悪化させたのはTPP問題ではない。
日本の再軍備を世界中が関心を持って注目している中で、日本が再度、戦争準備のい目的で軍備を選択したと誤解を与えるに至っている現状の認識不足が完全KYの本質であろう。安倍政権が挫折するだろうと世界が見ていることを日本のマスコミなどは謙虚に認めるべきなのである。
成長至上主義のもと、環境問題を放置してきた政府に生活者たちの批判が集まる中、
政府は今後どのような対策を講じるのだろうか?
ネット上では、「大気汚染から逃れるため、2016年に首都を北京から河南省信陽市に移す
ことが政府決定された」という未確認情報が飛び交っている。信陽市では首都移転を見越し、
すでに不動産を買いあさる動きもあるという。また、「北京市中心を巨大ドームで覆い、
内部の空気を清潔に保つ」という出所不明の計画もネット上をにぎわせている。
広東省ブロック紙の社会部記者は、政府による大気汚染対策についてこう話す。
「内陸部の都市では、実験的に人工降雨弾を使った浄化作戦を実行している。雨によって
一時的に大気の汚染レベルを低下させようというものですが、効果のほどは不明です。また、
環境保護部の内部では『巨大な扇風機を日本海に向けて並べて、沿岸部上空を換気しよう』
という、荒唐無稽な計画も浮上しているそう。大気汚染に関してはそれだけ切羽つまっていて、
わらにもすがりたいということだろう」
PM2.5をはじめとする中国からの汚染物質は、すでに日本にも到達している。中国には、
早急に自分の尻を拭わせる必要があるだろう。(文=牧野源)
http://woman.infoseek.co.jp/news/society/cyzo_20130303_410841
3 : ターキッシュアンゴラ(関西・北陸):2013/03/03(日) 16:17:27.16 ID:US5BM7jCO
中国人全員でフーフーすればいいじゃない
5 : クロアシネコ(兵庫県):2013/03/03(日) 16:18:39.38 ID:GvCW8pe00
シャープに作ってもらえよw
7 : サビイロネコ(東京都):2013/03/03(日) 16:19:42.31 ID:f0h2YBJF0
滅びてくれないかなあこの害悪国家
そもそも、その最大市場のアメリカが車に関しては関税を維持するって言ってるんだし。
陰謀論での世界政府やら湯田キンやらは別にすると、どうにもTPPを推進することに対する
メリットが、当の輸出企業にもさほど利益あがるように見えないんだよね。
>農家の戸別補償(ベーシックインカム)で農家を保護することになるが
まずこれがTPPの理念に反しちゃってる。
戸別補償することによって、農産物をその分安く販売して海外の農産物と戦う
ことが出来るようにしてるんだから。下手したらISD条項に引っかかってアウトに見える。
>大規模化することによって 生産コストは 半減するので
これを明確に試算した人かサイトってあるならソースを教えて欲しいです。
もし根拠なく半減するだろうって話なら、鳩山イニシアチブで突然日本の
エコ技術がブレイクスルーして25%削減達成出来るに違いない!って話と
変わりない。
>この議論は 現実が 混合医療なので 決着がついている
この言い方こそ、>>6で言われてる
>現状が正しいって 前提の議論で 数字がどうのこうのって言われても
ってそのものじゃないのかな。何故保険医療より、混合医療が選択されてるのか。
ガン医療以外ではどうなのか、保険医療と混合医療でどう利益が違うのか教えて欲しいです。
そもそもWHOの最優先課題は、人類の健康を守ることではない。
70億超の人口をいかに減らすかにある。
かつてエイズ・ウイルスを混入させた天然痘ワクチン接種をアフリカで
大々的に行なったのもWHO。
石油は分留して使うもので、様々な用途に使われる。広汎な用途、という観点か
らすると、やはり麻を植えたい。燃料にもなる。プラスチックも作れる。食用にだっ
てできる。繊維は言うまでもない。
中国系沖縄人なんてほとんどいないが
中国系・朝鮮系の工作員は本土以上に多いらしい
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130302-00000059-jij-soci
>近隣に住む市民たちが見かねてクリーン作業を行ったところ、触れれば指先を切り裂けるように、ガラス片やカミソリがテープで巧妙に仕掛けられていた。また、傾斜地のフェンスには、触れれば岩が落下する巧妙な仕掛け
テロか
昔、日本本土は赤化できなかったが、沖縄を中国化できれば、英雄として彼らの待遇は非常に高くなるだろう
現地大衆は、本土のB層以上に悲惨なことになるが、愚か者が不幸になるのが避けられないのは、どこの国でも同じことだ
核爆発をシュミレートしてみれば分かるだろう。仮に自分の口にミサイルが命中し、口の中で爆発したと考えてみろ。自分を中心にして数キロないし数十キロの範囲が爆発による暴風に晒されるだろう。自分中心の同心円内の人間がどうなるか、世界で経験したことがあるのは日本人だけしかいない。
被曝した人間がどうなったか知らないから核兵器を欲しがるんだろうが、ほとんどの日本人は核兵器など要らないと言ってる現実があるんだ。自分が被曝したことを想像してみろ。そんなもん例え外国人であっても被曝させてはならないと思うのが正しい日本人だということを先ず勉強しろ。
プラナリアは頭を切っても、また生えてくる
結局、米軍維持と思いやり予算維持のかわりに、徐々に特別待遇をなくして現地人の不満を抑えていくしか沖縄の中国化を防ぐ手は無いということだが
米軍の予算減と質の劣化(日本のコスト増)は続き、一方で、中国軍(それに長期的には統一朝鮮軍)の強大化は進むので、必ず、どこかで破綻し、
日本海での覇権は確実に縮小していくことになるのだろう
リスクばかりで儲からない地域から医者がいなくなるのは当たり前
ナチス政権の高級官僚全員が絞首刑を受けていないというのは、真実に反します。37)氏もまたそこまでは主張されていないかと憶測します。
東京裁判でも、類似の状況です。
A級戦犯の元総理が、時代情勢の激変で、不起訴になっただけです。旧満州国の建国などでの同元総理の活躍について、戦後史において、肯定的または否定的に評価する論者もおられるでしょうが、しかし、東京裁判手続きにおいては、A級戦犯容疑者として取り扱われています。これもまた史実です。
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカ元大統領もまた、御尊父のための身びいきではないでしょうか。ポーランド侵略についての御尊父の役割は大きかったのです。元大統領のその弁明についてドイツ人でさえ顔を赤らめて、語ります。
投稿者の論攷の本筋からはずれた、議論は打ち止めにしましょう。
wiki/廃炉
原子炉の廃炉 [編集]
原子炉の場合は、制御棒の挿入後の数時間は蒸気が発生し、原子力発電所自体の稼働は続いており、核燃料の冷却も6箇月から3年ほどかかるため、実際の廃炉作業は約3年後から始まる。また、使用済み核燃料の運び出しとの兼ね合いも考慮しなければならない。
東海発電所の場合は1998年3月に運転終了し廃止・解体作業(23年間)を開始、原子炉領域の解体撤去は16年後の2014年から6年間で完了する予定になっている[3]。
問題点 [編集]
20世紀半ばから建設された原子力発電所では数十年の運転を終え廃炉となる原子炉が増えてきたが、建設当時の設計図が無く解体作業用ロボットが作成できない、そもそも廃炉を前提とした造りではない等で作業に大きな支障が出てきている。火力発電所であればボイラーなどに立入って確認できさらに直接解体できるが、原子炉では長年の運転により放射化が激しくなかなか立入れない状態となっているため建設当時の設計図が必要。1970年〜80年代は設計図を保管する義務がなかった事から資料の劣化が激しく或いは散逸して問題に直結している原子炉もある(東海発電所)。(NHKスペシャル 原発解体〜世界の現場は警告する〜)
また数十年間の運転中に累積した大量の放射性廃棄物の処理に関しては恒久的な措置は未だ決まっていない。低レベルの放射性廃棄物に関しては処理後廃棄処分される予定であるが、高レベルの放射性廃棄物に関してはどこでどういう方法で隔離保管するかは未定である。この隔離保管期間は数百・数千から数万年と長期に渡る為、未来の地球上生命体への負の遺産の影響をできる限り低減させる必要がある。
原子炉の廃炉方法 [編集]
IAEAが定義するところによると、廃炉方法は大きく分けて3種類あり、それぞれ
「完全密閉方式」
「遮蔽管理方式」
「即時撤去解体方式」
とされている。このほかにもさまざまな廃炉方式がある(例:完全密閉方式と遮蔽管理方式の組み合わせる方法、原子炉を直接改良更新する方法等)
wiki/東海発電所
廃止措置工程表
日本原子力発電では以下のスケジュールで解体を進めており平成32年度に解体・撤去の23年間の工程を終了させる予定になっている[1]。
詳細は右のガントチャート(工程表)を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tokai_Hairo.jpg
原子炉領域解体前工程(16年間) 西暦1998年 - 西暦2013年
原子炉領域解体撤去(5.5年間) 西暦2014年 - 西暦2019年
原子炉建屋解体撤去(1.5年間) 西暦2019年 - 西暦2020年
原子炉領域以外の撤去(18.3年間) 西暦2001年 - 西暦2020年
放射性廃棄物の短期処理(23年間) 西暦1998年 - 西暦2020年
原発廃止後の高レベル放射性廃棄物の恒久処理・隔離・管理に関しては未定である。(何百・何千から数万年間)西暦2020年 - 未定
現在までの廃止措置 [編集]
1998年(平成10年)3月31日 - 営業運転終了
2001年(平成13年)3月 - 燃料搬出完了
2001年(平成13年)10月4日 - 解体計画書提出
2001年(平成13年)12月 - 解体作業開始、使用済み燃料冷却のプール洗浄
2003年(平成15年) - タービン建屋内の機器の撤去およびタービン発電機の解体
2004年(平成16年)11月 - 燃料取換機および建屋の解体開始
2006年(平成18年)8月 - 熱交換器撤去工事開始
米国では、2008年12月末現在、104基の原子力発電所が平均90%と高稼動している。米国の原子力法では、原子力発電所の運転認可期間は40年とされていた。仮に、運転中の原子力発電所が40年で運転を停止した場合、2000年から2010年の間にはその約4割の運転が停止し、さらに2030年までにはほとんど全ての原子力発電所が停止することとなる。しかし、1995年の原子力法の改正により運転認可期間を60年に延長することが可能となり、多くのプラントで運転期間を延長したため、1998年以降閉鎖された発電炉はない。
2008年12月末現在、3万kW以上で運転停止された商用炉は22基あり、そのうちコネチカットヤンキー、トロージャン、ヤンキーロー、メインヤンキーなど8基は、これまでに解体を終了し、規制解除後にサイトを解放している。跡地は緑地化が図られたり、火力発電所へ設備転換されたケースもある。残りは、安全貯蔵等の後に解体撤去される。
<更新年月>
2008年12月
<本文>
米国では、2008年12月末現在、104基の原子力発電所が平均稼働率約90%で高稼働している。その内訳は、PWRが69基出力7,073.6万kW、BWRが35基出力3,532.5万kWである。また、1985年以来建設を中断していたWatts Bar 2が、2007年10月から建設を再開している。米国の原子力法では、これまで原子力発電所の運転認可期間が40年とされていたが、1995年の原子力法の改正により運転認可期間を60年に延長することが可能となっている。このため多くの優良プラントでは、出力増強や運転認可更新の計画が進められている。
なお、2008年12月末現在、米国で運転を停止された商用炉は22基である。表1に閉鎖した原子力発電所と廃止措置状況を示す。なお、1990年代に認可期間内であって閉鎖されたプラントの多くは、蒸気発生器などの大型機器の補修または交換などが必要となり、結果として自由経済市場での競争力がなくなったため、閉鎖された。
単なる口先だけの嘘つきヘナチョコ野郎ってことじゃん。
こうまで実行力がゼロだと、ヘンチョコ男として、アメ公からバカにされ、
中国からもバカにされ、韓国からもバカにされ、その他アジアからもバカにされ。
しかし何といっても、超競争・格差社会の韓国
いずれにせよ放射能の影響はあまり関係ないということか
米国は世界資本に吸い上げられるだけだ。世界帝国の英国は間接統治から直接統治に変えた。世界は再び白人の植民地に変わる。金と女と命は全部とられる。米国債購入、不妊ワクチンを女史中学生全員に強制注射、他民族移民をいれて韓国人を上に置とか、ナイ、アーミテイジが命令してる文書がでてるがジャパンハンドラーの国家反逆者はマスゴミに出ないどころかtpp推進売国議員連盟だなんて笑。
でtppになったとき、、ネット情報で確証とれんが、もう野田が調印してるそうらしいの隠してるマスゴミもクビになるぞ、、、、、日本は米国でおきてるようになる。会社は日本人を首にして安いシナ半島人と入れ替えて最大利益を挙げる。その米国命令が来るだろ。
でさ、日本人のほとんどがホームレスになる。自己責任の時代だから、公は全部無くされる予定だろ、アーミテイジ命令だろ。
米国ホームレスは5000万だが、属国日本は米国以下だから全員ホームレス確定。会社の役員だけが生き残る、。やつら役員は知ってやってる。でさ、役人、は全部首でホームレス。マスゴミは半島マスゴミにいれかえてホームレス。目出度く日本人のほとんどは絶滅して違う日本ができるということだ。よかったな。
10万人みれば、いいところ。
ですから、1000万人が観る方法を考えましょう
【サンフランシスコ】米著名投資家のウォーレン・バフェット氏は1日、自身が率いる投資会社バークシャー・ハザウェイの株主に宛てた年次書簡で、躊躇せずに悪い知らせを伝えた。
バークシャーは2012年に241億ドル(約2兆2500億円)の純益を上げ、同社の簿価は14.4%増加した。それでもバフェット氏は「標準以下」の成績だと考えている。
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Bloomberg News
ウォーレン・バフェット氏
バフェット氏は今回の書簡で、「バークシャーの簿価の増加率がS&Pの上昇率(価格上昇と配当を含む)を下回ったのは、過去48年間で9回目だ」と明らかにした。同氏は数十年間に及び、バークシャーの全般的な業績を簿価で計ってきた。
配当込みでのS&P500種の昨年の上昇率は16%だった。
バフェット氏はさらに、大型買収案件をまとめられなかったことにがっかりしていると記した。バフェット氏はここ数年、大型買収をあまり行っていない。さらに、「少数の象を追ってはみたものの、収穫はなかった」と続けた。
バフェット氏はまた、バークシャーの株式選択の大半を行う運用責任者として過去2年間に起用したトッド・コーム氏とテッド・ウェシュラー氏の昨年の運用実績はそれぞれ、S&P500種を2桁上回ったと指摘した。
両氏がともに、それぞれのポートフォリオ中に保有している株式は、米衛星テレビ局のディレクTV株だという。
バフェット氏は、「2人は私を圧倒した」と称賛し、「トッドとテッドはまだ若く、(バークシャー副会長の)チャーリー(・マンガー氏)や私が引退した後も長期にわたって当社の巨大なポートフォリオを運用できる。彼らが引き継ぐ時には安心していただける」と太鼓判を捺した。
両氏の昨年の見事な運用実績の結果、両氏の運用ファンドの規模は約50億ドルに引き上げられたという。
バフェット氏の株主向け年次報告書では投資や事業に関する率直な意見が示されることから、専門家・アマチュアを問わず長い間、投資家の必見書となってきた。
「象」を物色し続けるバフェット氏
バフェット氏は書簡で、バークシャーに469億ドルのキャッシュ保有があるにもかかわらず、配当支払いを実施しないという同社の理念についても説明した。バフェット氏が大型買収に巨額のキャッシュを次ぎ込む結果となっていないことから、配当が検討されている可能性に注目する向きもいる。
バフェット氏は書簡で、バークシャーは昨年12月に自社株買いの基準を変更し、最大支払額を簿価の120%に引き上げたことを明らかにした。それまでは株式買い戻しには最大で簿価の110%を支払っていた。しかし、バフェット氏は「それは非現実的だと分かった」との見方を示した。
ただ、バフェット氏は配当を嫌っているわけではなく、バークシャーは、同社の投資額が最大となっている4社から、昨年は11億ドルの配当金を得た。この4社はアメリカン・エクスプレス、コカ・コーラ、IBMとウェルズ・ファーゴ。
バフェット氏はバークシャーの株主に対し、同社の巨額のキャッシュ保有から配当を支払うことは、長期的には株式の価値に弊害をもたらすことになるだろうと明らかにした。
「配当はすべての株主に特定のキャッシュアウト(現金化)ポリシーを押しつける」と指摘。その上で、株主の多くは保有する株式の一部を売って自分たちの収入源にしたいか、あるいは長期的な見通しを持っていて、従って「支払いを全く望まないかもしれない」と続けた。
さらに、配当は税金面でも効率が悪いと述べ、配当から得られる現金すべてが毎年の税金の対象となるが、株式売却の場合は株主は売却時のみ税金を支払うことになると説明した。
バフェット氏は、バークシャーの株主は同社の配当について自身が考えを変えるとは予想すべきではないと明言した。
バークシャーは今年、幸先のいい滑り出しとなっている。ブラジルのプライベートエクイティ(PE)投資企業3Gキャピタルと組んで、ケチャップメーカーとして有名な米食品大手HJハインツを230億ドルで買収する計画を発表している。
「千夜千冊」はときどきお世話になっているサイトです。日本語書籍に手が届かないので…
不思議な驚きを感じたのは、「普通」であることが良しとされ、その基準に当てはまらない「普通外」のものは国家に害をなすという考え方は日本においての歴史的国民性(=島国根性、事勿れ主義、私は錯覚か虚構だと思うのですが)といわれているものそのものではないか、ということです。
幕末に西欧に留学した福沢諭吉らが日本に持ち込んだ近代思想の中に「統計学」に根拠をもつ国民統制術みたいなものがあったのでしょうか、右へならえ的考えは実は江戸以前よりも今のほうがひどくなっていると思います。
福沢らの啓蒙は日本人の劣等感の刺激という卑怯な手に始終していたと思います。「学問のすすめ」などは読んでいると吐き気がしてきます。やさしさが、日本から失われてゆきました。
ご紹介ありがとうございました。
通貨が回転しないのがだめなわけだから、貯めてるとこを排除するかだね。貯金と米国債の禁止だ。貯金も米国債も毎年5パーずつ減価させていく法律だな。持ってるだけで減る。昔あったよね。回転するだろ。
通貨発行量を倍にすれば、400兆円だ、物価は倍になると思うよ。簡単のをかくしてきた。○銀が外患誘致の臭いなあ。それとも無知か。それとも制度疲労か。凄いことが出来ない役所か。年寄りをやめて若いのに変えたらどうだ。全員20代30代てのはどうか。40歳で転職だ。
ホームレスでも手の届く価格となるぞ。あー良かった。
それと、南米諸国は地域ブロック経済圏を形成して
その中では関税を撤廃して他より安く製品作って輸出で
大幅貿易黒字化。
日本もTPPブロック経済圏で上手く立ち回って
南米諸国みたく儲けるのじゃ。
を兼ねて 行って来た。日本は、まだまだ大丈夫だ。人も、うじゃうじゃ居るし、
車も うじゃうじゃ走ってる。東京では、マラソンやってたし、今日は、
オリンピックの調査で、役員が来てたようだ。福島では 毎日何億ベクレル
か知らないが、放射能を垂れ流してるらしいが、ロンドンオリンピックの、入場式 に日本人は、放射能で汚染されてるので、ボイコットされて、石原珍太郎は、急遽
大名旅行を中止、電通もキャンセル料を何億円か、請求したらしい。アレレーー
いつの間にか、ポスト米英氏の癖が移ってしもた。まー勘弁してちょ。
飯山氏が言ってたよ、後3年もしたら、関東圏ににはシトは住めないーー
赤信号皆で渡れば怖くない うじゃうじゃシトが居るから大丈夫ーーそんな
気休めはやめなさい。放射能は 心筋を麻痺 させるので、元気なシトが
コトン と逝くそうです。一刻も早く西へ逃げなさい 悪い事は云わないヨ
えーーと本題を忘れてた。人口問題?? シトが多すぎる? 放つとけば良い
CIA とそのポチ達が 戦争を始めて 54基の原発にミサイルが打ち込まれ
徳川時代の人口に逆戻り お金持ちは 外国に逃げなさい。
どうしても納得出来ないシトは、マルサスの人口論〔検索〕読んでね
またお会いしましょう
>死因を自然死にしてデータを改ざんする可能性すらある。
これは、私も何かで見ました。何だったかな?
>どこまでも弱者に冷酷な国、バタバタと国民が自殺しても知らぬふりの国、
国民にとって、最悪の敵が誰なのか、いい加減、悟ってもよさそうなものだ。
地道に無料でやっていれば支援者は増えてくる。
http://www.youtube.com/watch?v=RMnpL8dSRtU
日本を支配して潰そうとしている在日権力の嫉み根性にはうんざりしてますよ。米軍によるマイノりテイを使った植民地支配で収奪でしょうが、国家反逆罪でしょ。もう止めてくれませんか。反吐がでますよ。もう帰ってくれませんか。311テロ攻撃で輿水さんの言うように日本人目覚めましたよ。
0.3マイクロ以上でチェルノでは3年で白血病が出始めたらしいね。ユーチューブでみた。子供が可愛そうだよ。なんとかなりませんか。
>八百万のこの国の精霊たちは、
「愛国」を振りかざすヒトたちに訊きたい。この国を愛するとはどういうことなのか、と。
大地も海も汚し放題。そんな奴らをのさばらせておくのが「愛国」か。
地球を尊重せず、他の生命への畏敬を持たず、金儲けのためならなりふり構わぬ守銭奴たちを守るのが
「愛国」なのか。人類など、この地球の一介の店子、借家人に過ぎないと言うのに。
そんな「愛国」なら、オレは「非国民・反日」と呼ばれることを進んで求める。
次は年金世代をターゲットか
給与減の心配のない辛某が若者の給与所得減額を心配してもなぁ
>「自分たちの利益」のみを考えて、その巨大な政治的力を行使したら、間違いなく日本は終わる。
ヨイコト ヲ イッテモ ワルイコトニ ゴカイサレテイマス。
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