・観念体系=人々の集団的思い込みによって働く思考とそれによる行動パターン。
そこに沿う考え方を受け容れることは全て洗脳された状態。
・洗脳=ある観念を受入れる事により,その恩恵を受けとると云うもの。
例えば苦手意識の克服や、身体症状の回復、精神治療などに幅広く利用出来る。
その状態とは被術者の意識的集中によって起こされる。
よって自己暗示の場合に見られる様に被術者は同時に催眠術師でもある。
催眠効果とはある一点の領域に深く意識を集中して、
他の領域を意識から閉め出すことにより得られる。
意識の集中された状態の中に新たな観念が吹き込まれる。
新たな信念は患者そのもののエネルギーの質を大きく変えてしまう。
自ら「観念を受入れる」という同意が取り交わされていなければ、
その領域に対して当人の意識の集中は行われない。
つまり、人を支配する為の道具にはならない。
ただし、それに対する精神治療として使われる"人工的薬物"による
強制的な自我の抑制もまた、患者の意識にえも知れぬ執行の恐怖を抱かせ、
そしてそこに"自我は殺されている"。
"人工的な麻薬"による使用者の狂乱が何故起こりうるのかを
ここに理解することができる。
自ら使用する者もまたしかりである。それは同意なき自我の強制執行である。
そしてその後そこには、新たな自我が生まれて来るのである。
純粋なペット動物もまた、飼い主の観念を自ら受け容れてそれを解釈している。
それは謂わばテレパシーというもので行われている。
人もまったく同じことをしている。
受け容れた観念に依ってその当のペットもまた健康状態や精神状態をつくり出す。
それが身体の病気を生み出すことになっても、
それは自己の経験の為に利用しているのである。
それが彼らに進化を促す。
すぐれた医者や呪術師及びヒーラーは、そのように患者の観念を変える。
あらゆる方法を使ってショーを生み出し、
そこに意識を集中させて患者本人の観念を換えることで治療できている。
それが成功するかどうかは、患者自らがその治療法を信じて居るかどうかにかかっているとも言えるし、自然な治癒力がその間に働くことだけである。
そこに見えるすべての治療法の根本原則はたったひとつ、
当事者の観念を変えると云う事だけである。
そしてまた個々の細胞それぞれもまた、意識的に自己の望みを求め続ける存在である。極少の物質単体すべてのそのような意識的存在である。石も水も塵もすべて。
そして洗脳における施術者と被術者の関係とは信頼関係である。
ひとつの観念体系(社会的な枠組み)に生きる人々は、
そこで生まれた選択と信念に沿って行動が促されるがそこに限定されもする。
社会全般に対する意識的な関心もまた病気や老化についての観念をつくり出している。
そしてそれに従う様に人々は自己を絶えずチェックし、観念に沿って認識し続けている。
現代の平均寿命に関する観念や、平均身長の増加に関する現代の考えは、
科学的見地を通して客観的性質として齎される。故に事実として認識される。
しかし、そこにも大きく催眠術の術師と被術者の関係が組み込まれている。
研究者の信念は観察対象に大きく影響している。
その観念を観察される対象(患者側)もまたそれを受け容れて、
望みの結果を生み出している。
だが真実(たったひとつの事実)として、物事とは(あなたもまた)
ひとつの観念体系などに縛られる存在などではけしなく、
なにひとつ縛られて存在している訳ではないと云う事だ。
事実として存在のすべての基盤としてあるといえるものは
それらすべてを包含して余りある許容量を誇る。
求めよ さらば与えられん
純粋な動物達もまた、常に純粋に何かを求めつづけている
多様で奇抜な彼らの環境に適した進化はその事を見事に象徴している
人間もまたそのように求め祈っている。
しかし祈りに依って聞き届けられる者とは人間の作り上げた言葉による意味ではない。
そこに齎されるものとは、その存在の求めている表現の「本質」だけである。
あなたがテレパシーで発信しているのは自己の本質である。
つまりそれが無言の祈りであり、常にそれは発信され続けている。
そうして求められる常に累積した祈りはひとつの種を次世代の進化へと導く
人々の"祈り"は決して無駄にはされない。恩恵は次の自分に置き換えられ必ず齎される。