08. 2012年5月14日 15:03:32 : 1c7rONR15M
昨年、震災のために来日できなかったシモンチーニさんが2012年8月26日に来日します。
特別講演や個別相談もしてくれるそうです。
www.simoncini-cancer-center.com
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/374.html#c8
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2012年5月 > 14日15時03分 〜 ★阿修羅♪ |
|
特別講演や個別相談もしてくれるそうです。
www.simoncini-cancer-center.com
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/374.html#c8
>>07さん
マダラメ氏が言ってますよね、こんな事。
最後は金でしょ、って言ってますよ、マダラメさんは。
金を2倍、3倍、4倍と吊り上げていけば何処かで折り合いがつくと。
有る意味斑飯のほうがこの11人と町長よりず〜と正直ですよ。
*マダラメ氏がyoutube出言っている事。
原子力発電に対して、安心する日なんかきませんよ。せめて信頼して欲しいと思いますけど。安心なんかできるわけないじゃないですか、あんな不気味なの。
核廃棄物の最終処分をすることに技術的な問題はなくても、 そこを受け入れる場所が、なければ、今、困っちゃいますもん。 ないですよね、探せても、イギリスまで、うん、ないですよ。それは、大きな問題じゃないですか。え、いや、だから、あのー、えーと、基本的に、その何ていうのかな、 今の路線で、今の路線がほんとに正しいかどうかは別として、今の路線かなんかで、替えがあるだろうと思ってるわけですよ。
というのは、最後の処分地の話は、最後は結局お金でしょ。 あの、どうしても、その、えーと、みんなが受け入れてくれないっていうんだったら、 じゃ、おたくには、今までこれこれっていってたけど2倍払いましょ。 それでも手を挙げないんだったら、5倍払いましょ。 10倍払いましょ。どっかで国民が納得することがでてきますよ。 それは、経済的インセンティブと、そのー、あの、処理費なんてたかが知れているから、えー、たぶん、その、齟齬は来さないですね。
今、たしか、最終処分地を受け入れてくれるボーリング調査させてくれるだけで、すごいお金流してますね。 20億円ですよ。あれがたかが知れてるらしいですよ、あの世界は。 そうなんですか。原子力発電所って、ものすごい儲かっているんでしょうね、きっとね。 そりゃそうですよ、原子力発電所1日止めると、1億どころじゃないわけですよね。 だから、そういう意味からいくと、今動いている原子力発電所をつぶす気なんてアメリカ毛頭ないし、 日本も電力会社、あるものはあるもの、できる限り使いたいというのがこれが本当、本音ですよ。
【以下省略】
まあ、読もうと思えばそう読めるけど・・・(笑)
先週、300人委員会の代理と思われる男と会い、話をする場が設けられた。結論から言うと、彼との話し合いにはまだ折り合がついていない。その人物は、『欧米における権力の維持が約束されるのならば、反対勢力に対して ほぼ無制限にお金を渡し続けてもいい』との内容を伝えてきた。ただしその条件として、彼らはこれまで通り独占的にドルとユーロを製造する権限を主張している。
この時も、その人物がElizabeth Victory Bondという1200兆ドルもの天文学的な額面が記載された債券をオファーしてきたのだが、世界の年間GDPが75兆ドルであることを考えると、これは極めて非現実的な数字である。さらに、彼らは同じような巨額債券を数百枚も保有しているというのだから、その数字自体、
無意味としか言いようが無い。
このように交渉は延々と平行線を辿っているわけだが、その人物からは、何より日本植民地化の実態について多くの新情報を得ることとなった。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/510.html#c2
こんな極左のキチガイ文章初めて見たわ
2chでも見たことないし、心が震えるほどの怒りを感じている
絶対に許せない
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/624.html#c58
過去はロクなことがなかった
金環日食が日本経済にトドメを刺す? そんな不気味な臆測が流れ始めている。金環日食は今月21日の早朝に起こる。関連グッズや関連本は飛ぶように売れ、イベントも各地で開催される。経済効果は少なくないはずなのに、ヤバイという話で持ち切りなのだ。
「部分日食まで含め、日食のあった日の前後1カ月は平均株価が1.3%ほど下落しているのです。アノマリー(根拠のない現象)とはいえ気になります。しかも今回は金環日食。過去の例からすると凶兆です」(マーケット関係者)
戦後、日本で金環日食と皆既日食は、48年、63年、87年、88年、09年の5回観測されている。63年度の平均株価は24%も下落している(63年3月末と64年3月末の比較)。87年といえば、ニューヨークでブラックマンデーと呼ばれる大暴落が起きた年だ。09年はリーマン・ショックの翌年で、日経平均株価が終値ベースの最安値7054円をつけている。
そして今年は、ご存じの通りユーロ危機の再燃で株価が暴落。1万円を大きく下回り、10日は一時9000円を割り込んだ。やはり凶兆か……。
だが一方で、ニッセイ基礎研究所の新美隆宏主任研究員は「金環日食は吉兆か?」をまとめている。
「悪いものだけに目を向ければ凶兆になるかもしれません。でも、金環日食のあった87年度の平均株価は22%上昇しているし、09年度も37%上昇です。逆境から好転する年とみることもできるのです」(新美氏)
マーケットは期待と不安が入り交じっているが、ユーロ崩壊の足音が聞こえているだけに凶兆が多数派を占める。とんでもない経済パニックが待っているかもしれない。
それが目当てで入ってくるスタッフもいます。
男の子・女の子の区別はありません。
政府は、もっと、監視して欲しいものです。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/515.html#c5
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/189.html#c5
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/629.html#c27
町に来る原発関連交付金がありました。
ただしこれは公的なお金で、電力会社が私的に出す金とは入ってません。
双葉町 歳入61億円中 20億円が原発関連交付金
大熊町 歳入75億円中 17億円
富岡町 歳入61億円中 9億円
楢葉町 歳入74億円中 9億円
原発からの固定資産税は、減価償却で年々低下し、このお金で作ったり
東電から寄付された公共施設の維持費は年々高くなります。
まあ原発の毒マンジュウを一度食べると止めれなくなる。
だいたい住民の3分の1は原発関連企業で仕事してますから、再稼動しないと
仕事をクビになる人間が異常に多い。
>>12 関西住民には、今夏の電力使用制限令と計画停電を受け入れるしか選択肢はない
関西電力の発送電分離を先にすべき。
送電会社であれば、民間企業や中国電力、中部電力からでもまじめに買電するよ。
電力会社なんて風力発電は屁理屈をつけて買電せず、儲かりそうだからと自分で
風力発電を作るような会社だからね。お金儲けが最優先!
ーーーー引用開始ーーーー
風力発電は風況により出力が大きく変動することから、電力系統への連系量が
増大した場合、電力品質の一つである周波数への影響が懸念されるため、当社
では、お客さまへ安定した品質の電力をお届けする観点から、現時点での風力
発電の連系可能量を15万kWに設定しています。
なお、現在、北陸電力グループでは、石川県志賀町福浦港地区において、発電
所規模2万kW程度の福浦風力発電所(仮称)の開発を計画し、2010年度
までの運転開始を目指して鋭意調査を進めています。
(平成19年2月7日 北陸電力株式会社 声明)
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/680.html#c16
14年前に、愚息一号が高1の時、親友がバイク事故を起こし
脳挫傷で意識不明の状態が続いていた頃に、初めて聞いた曲です。
たしか、このアンプラグドヴァージョンです。
ツレアイと行った風変わりな喫茶店でながれていまして
それが、ものすごく拘りのお高そうな音響機器?を備えてあって
CDなのに臨場感がハンパないんです。目の前でやってるみたいで・・。
「あ、クラプトン。ええ曲じゃねぇ・・・」とかいいながら
その友達のことを考えていたら・・・切なくなってきました。
あほんだら高校は、その頃バイクが禁止されてなくて
毎年、必ずといっていいほど、男子生徒が最低1名は事故死していました。
で、結局その子は奇跡的に助かって、半身不随も免れて
懸命のリハビリの結果、また歩けるようになりました。
少し足を引きずって、左手は動かなくなりましたが
それでも、本当に良かった良かった、と誰もが思いました。
いまだに脳の手術を定期的に行う必要があるそうで・・・
向こう見ずな16歳の頃にバイク免許を取らせるのは
マズイんじゃないか、という気がしました。
息子も乗ってましたが、飛ばさない(飛ばせない)性格なので
許しておりましたが・・・。
それが、その翌年だかに、同級生がバイク事故で即死してしまって・・
それ以来、校則でバイクは全面禁止になりまして、全然乗れなくなり
今日まで長年事故も死亡のニュースも聞いたことがなかったんですが
残念なことに、ついこの前、大学生になったばかりの子だかが
亡くなったらしくて・・・ご両親はどんなお気持ちだろうかと・・・。
クラプトンの息子さんは、とても愛らしいぼっちゃまだったんですね。
まあ、なんとも言いようがないです。今年で16歳・・・。
CONOR CLAPTON
1986-1991
BELOVED SON
最後の曲もしみじみと聞きました。
居合と抜刀
さて「近世詩儒伝」というのに、
「井上石香は江都の詩をよくする者の筆頭。三河松助が本名にして、千葉周作をその
支配である神田於玉ヶ池に招き、その道場を立てて己の配下に刀術を学ばせる。石香
も同道場師範として、その剣技令名あり」と出ている。
これだけ見ると、石香というのは千葉周作のパトロンで、どこかの大名の御隠居の
様に想われる。そして「石香談話」には、
「抜刀術にて吾に比するものなかりき」
といった個所がある。だからどうしても、「北辰一刀流の千葉周作から抜刀術の極意」
なるものを授かり、西部劇の早撃ちのようにサァッと刀を抜く術に優れていたものと
解釈しがちである。
ところが拳銃を素早く引き抜き1秒もかからず引き金を引く所作のように、刀の鯉
口を切り己の長刀を抜く技術は山田次郎吉の「日本剣道史」を見ても、これは「居合」
という呼称をされている。つまり「抜刀」とは言われないのである。
が、表向きに「抜刀」をその流派に冠するものもないではない。幕末に金比羅大神
宮の御利益で田宮坊太郎という少年が親の仇をめでたく遂げたという辻講釈が、金比
羅溝の信者により宣伝され世に広まった後、「北条早雲記」という読み本が刊行され、
その中に田宮平兵衛成政という長柄の刀を帯びた剣豪が興味本意に創造されている。
そして「柄の長い刀は抜くのに厄介だろう」という発想のもとに、ここに流行に便乗
し「田宮流居合術」という呼称が生まれた。何しろ12歳の坊太郎少年が1メートル
余の大刀を、大地を蹴って飛び上がり、スラリと抜き打ちにできたというので、講談
を本当と思いこむ人士も多く、ついに紀州や水戸までこれは広がった。
(松井源水の長刀抜きが大道芸で広まったのもこの影響である)
しかし田宮流抜刀といっても、万治元年に死んだこの派の水野新五左は、自分で
「水野流居合術」と改めているし、その派の加藤権兵衛も「水府流居合」と直して、
誰も「抜刀」という名称は避けている。なぜ「居合と抜刀」とは相違するのであろう
か。
これこそ今までは解明されなかった一般武芸と捕物武芸の分岐点のようなものであ
る。だが、それを解く前に井上石香を本名の三河松助から考究する必要がある。通称
「三松」とよばれた彼は「福山史料」に現れる「三八」と同じであって、弾左衛門家
世襲の手代六人衆の一人なのである。
弾家というのは幕末に三田屋敷で御用盗を指揮していた薩摩の益満休之助が、
「おはんのところは源頼朝の直裔ではごわせぬか」と言いにいったような家門で、室
町にいた頃は「室町弾左衛門」を名乗っていた。現在の日本橋室町の三越から日銀ま
でにその居宅があって、麹町平河から左岸は弾家の土地だったという。
天正18年に徳川家康が江戸に入った際、土地を譲って墨田川向こうに移ったが、
幕末に到るまで、その敷地内には棟割長屋232棟、猿飼15戸、外に品川、代々木、
神田、日本橋に飛び地を持ち60棟ぐらいの長屋があって、慶応3年の調べでは弾左
衛門配下は江戸だけで6000人。これに奥州までの12カ国に6562カ所の支配
村落を持っていて、そこに散財している配下は女子供を入れると約50万人。この他
に「道の者」といって、墨屋、筆屋、獅子舞、鳥追いといった行商や遊芸で旅から旅
へと渡り歩く弾左衛門鑑札の者が20万人。しめて70万人の人間から人頭税を取っ
ていたのが弾家で、一人から年に一両とったとしても年間70万両の現金が入る家柄
である。そこで三田村玄竜の考証によると、
「江戸の札差の金は全部、弾家の金で、後世の日銀のような役割をしていた」という。
だから世襲の手代といっても実質は何万石の家老ぐらいの実権やみいりがあったから、
千葉周作に道場の一つも立ててやるぐらいは何でもなかったろう。
しかし弾家というのは初めはそれ程の地盤でなく、これは墨田川の関屋別所を合併
してかららしい。といって弾家の意志でなく、家康入国の時に他地方なみに牢獄と刑
場を一つにして弾家の責任にしようとしたところ、関屋別所長吏の石出帯刀が300
石どりの武士になってしまって牢獄奉行になり、所属地を一切あげて弾家に任せてし
まった故である。 徳川政権の奉行職は次々とお役目替えがあるのに石出帯刀の子孫
だけは300年にわたって世襲であったのはこのためであった。
また千住関屋の丑田にある千葉山西光院という寺に石出帯刀の石碑があるが、後に
その素性のところだけは判読できぬように石を削り除かれているのも、理由はそこに
ある。
弾家は今の南千住駅前の昔の小塚原刑場だけが担当の仕事なので、破戒僧とかで人
別帳を削られてきた非人共の払い下げを受け、それを奴隷代わりに処刑人として使用
し、ここを6人の手代の一人にやらせていた。山田浅右衛門、通称「首斬り浅右」が
それで、御一新前は門人にやらせて自分で斬首などやらず、もっと威張っていたもの
だという手記が残っているが、「山田流居合抜き」とよばれて名高い神免流据物斬り
は、代々その山田家に伝わってきたものである。
白は逃がせ黒を捕らえろ
では山田浅右の居合抜きに対して井上石香の抜刀術とは一体なんであったのか。
この区別が今日では全く判らなくなってしまっているが、「石香談話」の中に、
「われ十手をもち刀の下げ緒に引っかけ栗形(鯉口の下にある鞘紐通し)叉は反角
(かえりつの・・腰に差したとき鞘が滑らないように引っかける所)にこじり通して、
その鞘を抜くはこれ百発百中なりき」
という箇所がある。普通のこれまでの既成概念で考えると、刀を叩き落とすならわか
るが、鞘を抜くというのは理解に苦しむだろう。しかし文字どおり「自分の刀を抜く
のが居合術」「相手の刀を抜くのが抜刀術」なのである。だから従来の武芸観からゆ
くと、どうも「刀法とは相手を早く斬り倒すもの」と考えてしまい判らなくなるが、
江戸期に武芸を専門に鍛錬していたのが捕物側であった事を思い出せば、「抜刀させ
る必要性がそこにあったのだ」と帰納せざるを得ない。
つまりこれは、「鯉口三寸抜いたなら、お家は断絶、その身は切腹」というのが千
代田城内だけの事と今では考えられているが、あれは帯刀する者全部への掟だったの
である。警官が外勤の時拳銃を佩用しているが、持っているからといって、むやみに
パンパン撃てないように、刀を差しているからといって誰もがやたらに許可なく抜刀
はできなかったのである。
天保期から幕末にかけて治安が悪化したのはこのタブーが無視されて、気ままに抜
刀する輩が現れた為で、それまでの世情では国家権力は棒だけで取り締まりが可能だ
ったのである(やくざが勝手に持っていた私刀に関しては抜刀しても誰のとがめも受
けなかった理由もあるが)。
抜刀の末の斬り合いが希有だった例証としては、切り傷に対する漢方医の処置法と
いうものが幕末まで全くなかった事実がある。
会津藩事務局頭取玉虫左太夫が明治2年4月に西軍に命じられ自刃する前に書き残
した「官武通記」にも、外科の手当を知らずに難渋した旨の記載があるし、これは子
母沢寛の「からす組」や「狼と鷹」にも、蘭医松本良順が外科の処置を教えに行くま
で東北諸藩の医者は手当が判らずてんでに傷口を消毒するどころか温めたり冷やして
いた野放図さかげんがでている。つまり「需要があって供給が生まれる」原則からし
て抜刀し斬り合いをよくしていたものならば、漢方医といえどどうしても切傷手当の
外科はやっていた筈である。
なのにその需要が全くなかったというのは、とりもなおさずチャンバラはなかった
事になる。こうなるとこれまでの通俗時代小説など絵空事でしかない。
では、何を被捕物側は振り回し、国家側の捕物陣営と争ったかといえば、「鞘ごと」
である。だからして必要上鞘の末端には「こじり」とよぶ鉄の尖った物が冠せられ、
すぐ下には「責め金具」とよぶ鋭い鉄枠がつき、鞘が割れぬように「足金物」で厳重
にベルトが締められていた。
それゆえテレビや映画と違い、被捕物側は本当は刀を抜かず、80センチの鞘ごと
向かってくるからして、それなら2メートルの樫棒の方がはるかに優位だったのであ
る。
しかし鞘ごと振り回すのを召し捕っても、もし容疑が晴れたら虻蜂とらずである。
一旦捕らえるからには起訴事実を作っておかねば徒労になる。そこで考案されたのが
「抜刀術」である。十手の下の方の出っ張りは、あの間に打ちかかってくる刀身を挟
むのという不可能な事をするのではなく、鞘を引っかけて無理に鯉口を切らせ、刀身
を露出させ罪に落とす為である。
「さすまた」にしろ「絡み棒」にしろ、用途は「抜刀させて罪にする」目的だった。
芝居などでは首へ差し込み挟み込むが、あの幅は15センチ間隔であるから。Mサイ
ズの頚なら入るがLサイズの相手では入らない。
また十手それ自身でも、3センチの十手の二股の空間に、斬りかかってくる刀身を
すっぽりと入れる事はパチンコのチューリップへ玉を入れるよりも難しいし、もし抜
身なら十手のほうが怪我をしてしまう。今ならすぐ手当も受けられるが昔はそうはい
かない。クロロマイセチンや抗生物質のなかった時代では小さな怪我でもすぐ傷口が
膿んで破傷風ともよばれたが、命とりになってしまう。
だから、そうした事を考えると捕物道具というのは「棒」が主要武器であって、十
手も初めは軍配や采配のような性質だったのが、点数稼ぎの末端の警吏に抜刀用に利
用されだしたものらしい。
さて話は八一二年戻って文治二年。九郎判官義経が捕えられぬのに業を煮した源頼
朝が、日本全国六十六国に対する、「総追捕使」を自分でかって出た時、各地に警察
署を設けるわけにはゆかないから、六十六国に散在している二千有百の同族神徒系の
別所の長吏に、逮捕と処罰の警察権をもたせてしまった。ところが、この連中は足利
期に入ると、「城旗党余類」とよばれるように、白旗をいつもたてている部族なので、
自分らの事を、「仁田のしろ」「武田のしろ」と自称するくらいだから、捕らえてき
たのが源氏の末裔で、同じ神信心の部族の者と判明するや、
「白じゃ。同族の情けぞ」放免してしまう。
しかし、そうそう見逃していては起訴できぬから、補充の意味で、墨染の衣をまと
う仏教系の反源氏の者を代用に捕らえてきては、「黒じゃ」と適当に罪科をつくって
処罰してしまった。あまりにでっちあげがひどいからというので「嘘の三八」という
言葉も伝わっているのは前述したが、目安箱に投書などをして、黒の者が白の役人に
再審請求することを、「黒白を争う」といったのはこの為である。
八世紀にわたって日本全国で、鉢屋とか八部ともいう連中のボスの長吏が、代官手
先となって片っ端から捕らえて廻り、番屋の番太郎や目明し下っ引きの類も、
「白か」「黒か」とやったから、今でもこの用語は生きているが、薩摩系に警察権が
変った明治七年からは、今や実際には白黒は反対になったのである。
そして村役人や番太だった八部衆が、「村八分」にされたように、長吏も関西では
仕返しのため「長吏ん坊」として苛められた。
二束草鞋と源氏屋
また今日では「二束草鞋」という呼び方をして、博徒で御用聞きをつとめた者を悪
くいうが、「無職(ぶしょく)」というのは職がないのではなくて、職をもたなくて
もよい身分の者のことなのである。といって豪いというのではなく、これは七世紀に
仏教をもって天孫系が日本列島へ入ってきたとき、原住系を捕らえて別所という捕虜
収容所へ入れたが、「延喜式」といった古記録にもあるように、給食給衣の宣撫策が
とられ治外法権の民とされた。
大江匡房の書き残した「傀儡子記」にあるような、
「一畝の田も耕さず、一枝の桑も作らず、己れらに主君はなしとし、生涯、貢租や課
役なきを誇り、夜ごとに白神をまつり白酒をあげて鼓舞しあう」といった無職渡世の
気侭な伝統を幕末まで持ちこし暮していた。
つまり天孫系は各檀那寺に人別帖とよぶ戸籍台本を作られ、それで年貢をとられた
り、「助郷」とよぶ労力奉仕にかり出されるから、どうしても職というものが必要だ
った。
が、原住系は百姓の作った米を、蔭では(勧進)と悪口をいわれようが、御用風を
ふかし巻き上げ徒食していた。この結果が天孫系はなにをやるにしても努力し銭にな
るよう、励まねばならぬから勤勉で仕事にすぐ熟練した。
ところが原住系は何によらず遊び人気質が抜けず慣れないというので、前者を黒人
(玄人‥‥くろと)、後者を白人(素人‥‥しろと)といった区別の仕方すらある。
さて、ぶらぶらしているのが博徒になるのは当たり前だし、その素性からして、代
官所の下働きとして、御用の十手を預けられるのは、これまた当然である。
つまり、「二束草鞋」の方が主流派の存在であって、今でこそ有名だが、清水の次
郎長とか黒駒の勝蔵といった連中の方が、「半可打」という反主流派だったのである。
だから次郎長や勝蔵は自分の土地に居られず、旅から旅へと逃げ廻っていたのである。
ところが、この双方の纏め役を、のちにかって出た安東の文吉になると、これは二
足草鞋の主流派だから、博徒といっても今日でいえば警察署長、当時の地方公務員だ
から、生涯旅がらすなどは一度もせずに、畳の上で大往生をしている。
さて、春日局の実子で小田原城主だった稲葉美濃守から、駿府城代大久保玄蕃頭宛
慶安四年八月二十七日付書面で、「由井正雪の親類を探索のため、江戸から目明しが
来る」というのが現存している。だが、この場合は、「面通し」の意味で、俗にいう
目明し岡っ引きの類は、地方の八部、三八と同じで、江戸では弾左衛門配下の手代井
上石香に属していた。
しかし弾家は人頭税はとるが給与は出さない。では何処から貰っていたかというと、
吉原が日本橋蠣殻町にあった頃より、ここから支払われていた。なぜかというと、遊
女屋というのは誰でも出来る商売ではなく、源氏の末裔の原住系の者だけが営める燈
心と同じような限定営業で同族だったせいである。だから遊女の名を源氏名というし、
目明しの下っ引きなどでぶらぶらしている者を源氏屋と昔はいったものである。
さて日本の学生運動の草分けともいうべき1864年(元治元年)水戸の時雍館
(じようかん)生徒二十歳の田中源蔵が、学生三百を率いて決起したとき。
いまは日立市になっている茨城の助川城に彼らがたてこもる前から、これを追撃し
ていた公儀機動隊というのが、水戸領鯉淵村他五十三村の八部衆たちで、彼らは昔な
がらの源氏の白旗をたてて総督田沼意尊の命令下に九月二十七日の早朝には、水戸額
田村の博徒隊寺門組二百、同じく博徒のうこん組の二百ずつと合流した。
つまり源氏屋とよばれる二束草鞋の博徒が主力となって、これに奥州二本松の丹羽
軍をはじめ近接諸藩の軍勢が加わり二万の大軍をもって、田中隊の助川城を包囲攻撃
したのである。
博徒といっても公儀御用の機動隊だから、みな鉄砲を持っていた。その銃口の前に
立ちふさがって教え子を庇うために、
「時習館教授方尾形友一郎」
「潮来館教授方林五郎三郎」
をはじめ、師と仰がれる多くの先生たちが散華していった。もちろん結果的には、十
三、四歳の少年までが捕われ、身体が小さいため斬首できぬからと木に吊るされ撲殺
されはした。
だが、かつての師には、身をもって教え子を守る気概があったからこそ、三尺下っ
て師の影をふまずというような考えもあったのである。今日のように教官や教授がサ
ラリーマン化しては、バカヤロー呼ばわりされるのがいても無理はない。
やくざ論考
破坊法時代
雨宿りに映画館へとびこんでびっくりしたことがある。当今の事ゆえ常識的に席は
たくさん空いているものと思ったが、さて入ってみたら驚いた事に満員だった。
筋書きは高倉健の扮する博徒が、もう刃物は使うまいと暴力を否定しながら、終局
的には追い詰められて、やむなく背中の刺青をみせ日本刀で斬り込んでいくという、
ありきたりのパターンだが、観客は熱っぽく咳一つせず皆画面に見入っていて、クラ
イマックスには掛け声までが突如として起こる。
そこで好奇心にかられ、極道ものというのも見に行ったら結構これまた満員である。
交番へ極道一家が押し掛けていって、制服の官憲をこづきまわす場面があったから、
「さては反安保的心情派によって、こうした傾向のものは迎えられているのか」とも、
その時は思った。だが古い「週間朝日」のスクラップで、当時同友会の名で呼ばれて
いた院外団団長である故海原清平の報告を見ると、
「参議院における破防法通過のため、官房長官保利茂と法務総裁の木村篤太郎から私
に緊急電話があった。学生共が左翼議員から登院章を貰って、参議院へなだれこみ破
防法の邪魔をする動きがあったからだ。そこで特審局の情報に基づき、日本街商連盟
総裁の私は各地親分に電話をして、腕っ節の強い若い衆100名あまりを集め、これ
を参議院内に配置したところ、何事もなく破防法は成立した。今後も反共の一点ばり
でやりたいと考え、また実行する組織もここにできている
引用が長くなったが、これは昭和27年の破防法の時のものだが、とても18年も
前の事とは思えぬくらい、生々しさがある。
だからまるで、為政者がおおいに「やくざ映画」を奨励しているような感がしない
でもない。なにしろ皮肉なことは、土曜のナイトショー以外では、こうした映画の観
客層が「やくざ志願」といった青少年より、学割入場者の方が圧倒的に多いという現
象である。
勿論ノンセクトの学生達にしろ、これまで好むと好まざるとに拘らず、衝突場面は
実地に何度も見ているだろうからして、
「映画のやくざが追い詰められ、自分等より装備の優れた敵に向かって敢然と突入し
ていく」といったプロセスに心情的に加担でき、その画面に惹かれてゆくのか。
または、「親の血を引く兄弟よりも」と、たった一杯の杯のやりとりで「義兄弟の
情愛」を生み出していくといった奇跡的なものに、現在めいめい自分等の胸中に抱い
ている疎外感から羨望というか憧憬にも似た想いを走らせ、「相互間における闘争の
連帯性」といったものを画面から安易に感じてしまい、願望の現われとして受け入れ
ているのか。そうでなければ殺人行為を画面で見ることにへの、自己投入の満足感か。
または反対に、斬られる側に自分を置き、
「あんなにバッサリやられ、スカッと爽やかに死んでしまったら、きっとせいせいす
るな」
と現実逃避の精神を清涼飲料水並に扱い、それで堪能している場合もないではないと
思われるがどうであろうか。
なにしろ殺すとか殺されるという事は、生存している物体には、これは妙に魅力が
あるので、推理小説でも殺人事件のないのはあまり読まれないというほどである。
しかし、妙な話しだが、こういった大量殺人の映画が流行しだすと、これまでの例
では、(では実地にミニ殺人をさせてやろうか)とでも優しく親心を示してくれるの
か、我々が税金を納めている政府は、かつては「宣戦布告」といった穏やかではない
声明を過去にはよくやったものである。つまり、「死を鴻毛の軽さにみさせるため」
そうした映画を見せられているような気もしてならない。
役座が「やくざ」に
これまで唯一の研究所として、故田村栄太郎著「やくざ考」改題「やくざの生活」
(吉川弘文館)という本があるが、これには「八九三」を以て「やくざ」の語源とし、
花札3枚の勝負で合計20は役に立たない数だから、その隠語から出たものだと巻頭
に解明してある。これが戦前からの説で、今では通説になりつつある。
しかし花札賭博が一般化したのは極めて近世で、「八九三」のオイチョカブの如き
は明治時代に入ってからのものなのである。
文献的に明らかにされている庶民的博打は応仁の乱の頃より、「宝引き」(ほうび
き)という藁しべの束から引き合って、長短または印によって勝負をつけるものがあ
り、戦国時代には流行し、後にはこれから「褒美」という言葉も生まれている。次に
「波形」と呼ぶ銭の裏表を当てる賭博。
そして京の周辺では「賽子勝負」が飲茶博打と共に古くからあったが、賽子の本物
は入手困難だったから、大根などを角に切って用いていた。今日「大根を賽の目に切
って・・・」等と今日言うのもこの頃の名残であろう。
さて、名暦二年版の「武者物語」の中に、陣中賭博の禁として、
「古き侍の物語に曰く。荒らし子(力持ちの小者)部屋の役付きもの(部屋頭)寝茣
蓙を特にたまわるを役座というが、陣中にまで卷き持ち来たりて、これにて藁の長短
を引く勝負をさせ、その内より損料としての役座銭をとるという」云々の記載がある。
すると、「やくざの語源が八九三」というのは明治時代以降の後世の説で、戦国時
代は足軽部屋の頭分を「お役座」とよんでいたのだから、この方が語感からも本当で
はなかろうかと訂正したい。
さてまた、田村栄太郎著では「寺銭」の事を、
「寺社奉行管轄の社寺で博打をすれば江戸時代は手入れがなかったから、そこで始め
たのが語源」
とあるが、これもどうであろうか。というのは江戸時代どころか足利時代の「看聞御
記」という伏見宮貞成(さだふさ)親王の応永23年(1416)の日記には、
「茶七所当て、各賭け物と取り合う。相残りし賭け物は寺銭に取り落とす」と、はっ
きり「寺銭」の文字が出てくるからである。この博打は口に次々に茶を含んで、その
産地を当て合うのだが、「勝負なしだった分は寺へ奉納」という事になっている。つ
まり室町時代は茶の栽培や輸入の権利が各寺院にあったせいである。
が、この親王様の日記には、
「抹香をもりて一寸燃やす間、各賭け物をかけ争う」等という箇所もある。
いま焼香に用いている香を3センチぐらいの山に各自積み上げ、それに点火して、
親王様や女御様達がフウフウ息を吹きかけ、
「それ二番ッ、あっ三番でました」
興奮して勝敗を争っていたものらしい。
つまり室町時代の寺は現代と違って、カジノであって、ルーレットやスロット・マ
シンはないが、色々な博打をさせ、これを「ご開帳」と呼び、どんどん寺銭をとった
から、「坊主丸儲け」の言葉も案外こんなところから生まれたものかもしれない。
しかし月にむら雲、花に風のたとえで、現在の美濃部東京都都知事のような人が現
れ、「ギャンブル追放」を命じた。織田信長その人である。
それまで寺の本堂で、「茶賭博」で勝負するのはエリートだけだったが、門前の小
僧習わぬ経をよむで、いつか庶民も門前に集まって真似をしだしたから、「賭け茶屋」
というのさえできた。後の賭け茶屋のことである。そこで、
「一茶(いっちゃ)やるべし」のちの(いっちょうやるべぇか)と、飲みわけの青茶
勝負。蓋をとって茶柱でかける唐茶勝負が盛んになった。
ところが繁盛しているその「闘茶勝負」を、呑むだけの侘しい茶へ信長は変えさせ
たのである。これが今も伝わる「わびすきの茶」だが、さて寺から博奕権を奪ったば
かりでなく、
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と彼は、延暦寺、高野山と片っ端から焼き討ちまでし
た。 ところが、織田信長の父信秀たるや、「山科言継卿記」の天文二年(1533)
7月14日の記載によれば、
「朝飯の時、織田信秀来たり、盆の料(しろ)として飛へ百疋、予と蔵人へ五十疋持
ち来たる」とある。
これは京では食えなくなってきて、蹴鞠の家元飛鳥井中納言と都落ちした一行が、
信秀の城で百姓を呼び集めて、てんでに勝負に賭けさせた分の配当で、一疋とは銭十
文である。
「盆をしく」とか「盆のしろ」というと近世の言葉のようだが、織田信長の生まれ
る一年前に、時の従三位権中納権のお公卿様が、その自分の日記に書いているのだか
ら、当時もギャンブル時代だったといえよう。
流浪の民
また信長などの率いていた戦国武者というのは、室町御所奉行衆などと違って、
「丹羽の五郎左」「前田の犬千代」のように、上に在所の地名をつけ、「の」の字を
入れて呼びあっていた。
つまり後年の「清水ノ次郎長」「黒駒ノ勝蔵」などというやくざの呼称と同じであ
る。 また、「次郎長十二人衆」といった言い方なども、「黒ほろ十人衆」「赤ほろ
十人衆」等という戦国時代の呼び方そのままである。
さて織田の時代が終わり、豊臣の世になり、やがて徳川の天下となると、処世に巧
みであった者の他は、あわれや浪人となった。
ところが今の「一般大衆とは百姓」と誤られた見方では、「帰農」というようにこ
れを扱う。だが、戦争中に疎開した人たちも、みな田舎へは行ったが本格的な百姓は
していなかった筈である。
今も昔も耕せる所は決まっているし、それに、百姓がやたらに田畑など他人に貸す
わけがない。
では浪人やその家族はどうなったかといえば、かつては武者や侍でも浪人すれば
「何々分限帳」等と呼ばれる城の人別からは削られるから、山へ入って、そこの頭目
の下で「きこり」「石切り」「漁師」「炭焼き」になるか、街道筋を流して歩く「流
浪の民」となった。
しかし物乞いばかりしてもいられぬから、やがてこれが行商や旅芸人の群れへと世
過ぎの為に変貌していった。
もともと戦国武者というのは、
「天孫系渡来の時に、戦いに破れて山へ逃げ込んだり、捕らわれたりして別所とよば
れる収容地域に押し込まれた浮囚の末裔」
であって、これが応仁の乱の人手不足で山から人買いの手で集められて、一条兼良な
どに「悪党」とよばれる存在となり、戦場での矢よけの楯代わりにされ、この集団が
「足軽」という新興階級になり、その中で辛うじて生き残れ連中のうちで、戦場でか
っぱらった槍や鎧で恰好をつけた者らは、「寸法武者」とよばれ、立身したのが「戦
国大名」にまでなった素性だから、また時世時節で落ちぶれてしまうと「落つれば同
じ谷川の水」というわけで、山へ入ったり流浪したのだが、この連中こそ「やくざ」
の源流という事になる。
だから慶応元年12月20日、もと新徴組の酒井家見廻り組の隊列へ「ご直参であ
るぞ」と、それを鼻にかけた旗本永島直之丞が馬を乗り入れてきたとき、
「おのれっ」
と素早く眼にも止まらぬ早業で「無礼者ッ」跳躍して斬り倒してしまい、月番老中岡
崎五万石の本多美濃守や立花出雲守の指図で、やむなく屠腹する段になっても、
「切る前にはよく腹の皮を揉んでおこう」
にこにこ笑顔で腹を指先で揉みほぐしてから、見事に臍を中心に十文字に切り、芝
増上寺塔頭清興寺の酒井家代々の殿様の墓と並んで石碑の立っている中村常右衛門も、
「甲州博徒祐天之助子分で、とんがり常」というのが、その前名であった。
この祐天仙之助一家の隊士の中には、のちハワイへ渡って女王の用心棒となり、壮
烈に死んだのもいるが、この他に黒駒の勝蔵一家とか、尾張集義隊の雲風一家など数
えきれぬほどに、維新の官軍にはやくざが多い。
しかし利用されるだけで最後は捨てられ、明治に入ると自分らの血を流して作った
新政府の博徒総刈り込みで、生き残った者も牢へ放り込まれてしまう運命になる。
だが、「やくざは戦国武者の成れの果ての子孫」という事を誰もこれまで解明して
いないが、この筋道がわかるとすべて納得しやすい。
江戸時代には「百姓」と「民」が別々であって、「無職(ぶしょく)」とよばれた
のは(というのも、江戸時代には百姓と民が別々であって、無職といわれるのは「石
切り、左官、きこりといった非農耕系上がりだった」と説明するのが面倒だから、講
釈師がみな有名やくざを百姓の庄屋の次男三男から身を持ち崩したようにしたせいで
ある)
さて、それまでの途中、というとおかしいが、江戸中期の年代において、(今は流
浪の民になり行商人をやっていても、将来はやくざになるであろう)ところの彼らに
眼をつけ、これを利用しようとした飛んでもないのが現れた。
大岡越前守忠相
江戸後期から明治初年に、少しも実録ではないものを「実録小説」と銘打って版木
屋が出版し、大いに流行させた。そしてその中の白眉は何といっても「大岡政談」で、
死後250年たつが、「名奉行」という通説がまかり通っている。
しかし大岡越前の名判官ぶりというのは、皆中国からの翻案物に過ぎないのは衆知
である。となると歴代百五名もいた江戸町奉行の中で、なぜ大岡だけがこわもてした
のか、という事になるが、これには理由がある。
つまり、大岡越前守の実像というのは、
「裁判の公正と市政の整備に心を配り、後世まで名を知られた」などと角川版「日本
史辞典」に記載されているような存在ではなかったらしい。
現在、日本のあらゆる雑誌や書籍に「奥付」という項があるのも万国条約で定まっ
たものだが、日本では彼の考案で、
(何書物によらず、こんご新版の物は、作者並に版元の実名奥書に致させ申すべき事)
と、亨保七年(1722)に発令されたのがその後今も続いているのである。
その他、家康の事には絶対触れてはならない。これまでの通説を破るような親切は、
絶対に世上へ流布させてはならない、この御停止を破ったら厳罰に処する、などと、
大岡越前は徹底的に今でいう出版統制令をひき、事前検閲制度まで行った。
(私は尾張徳川史料で、厳秘とされる「重代記」を昭和44年に見せてもらうまでは、
この家康のことについて触れるなという厳命は、当時の作家に対する弾圧策と思って
いた。ところが驚くなかれ、この布令の相手は尾張宗春だった。
俗説では宗春は吉宗と将軍職を争って破れ、放蕩三昧に日を送ったのが、幽閉にさ
れた理由というが、真相は「桶狭間合戦における家康」を「庚申聞記」として、堀杏
庵に、「二人の家康の決戦」を堀田恒山に書かせたのが失脚の原因だった‥‥詳細は
「徳川家康は二人いた」七百枚に解明してある)
さて、越前が名奉行の如く今日まで伝わってきた事の真相は、「彼が国家権力を握
って猛威をふるった」結果であり、だから死後も彼を讃える事によって奉行所の心証
をよくしようと、名判官物語を各版元が出したからに過ぎない。
警察国家を目指した越前は、享保二十年(1735)11月6日に、
「江戸在住の香具師(やし)連中は出頭せい」と召集し、5日後には早くも
「御趣(おんおもむき)」とし、彼らに「抜け荷をして売買する者を見つけ次第、ご
領主御代官または地頭の役所にとめ置き、その旨を御月番まで訴えでるべし」と命令
をした。 アメリカ州並に、各大名の領国で法が違っていたこれまでの地方警察制に
対し、統一国家警察体制を越前は初めてここに樹立した。
また、抜荷」と呼ぶ密貿易を重大視したのは、従来の説のような珊瑚や唐絹の類で
はない。日本では一片も産出しない火薬原料の硝石を、長崎出島だけで徳川家は独占
輸入していたから、その密輸入の取締まり。勝手に各大名が入手するのを弾圧し、反
乱を防止する為の方策だった。
さて、和製FBIの原型を越前守は創案したのだが、この「やし」の分類に「暦売
り、易者、飴屋」等に混じって、辻講釈や祭文語りまでが含まれていたから、「講釈
師、見てきたような嘘をいい」で大岡越前は彼らの張り扇や四つ竹でも有名となり、
立派にもされてしまったが、不思議な事に「歌舞伎」や「文楽」には現れてこないの
である。
何故かというと、これにはわけがある。これらのものは各地とも弾左衛門(地方に
よっては弾正または太夫)の取締まりに入っていたから、
「大岡なんて、なんだ。あの野郎ッ」と彼らは、それを芝居にしたり、人形芝居にす
ることを拒み通してしまったからである。
この理由は、呼び出しをうけた中でも、「江戸にいつも在住の者」は除外され、
「諸国往来の行商や旅芸人」に限られたせいで、この「御用申付け」によって、元々
は一つの流浪の民だった原住系の勢力を分散させるため、越前が二分してしまったか
らである。
つまり、今の小説やテレビのごとく、「隠密や忍びの者が、鳥追いや飴屋」に変装
するのでなく、正真正銘それらの者へ、「兼務」でFBIの探索方を命じたのゆえ、
これでは除けられた方が憤る筈である。
さてそのうちに道中往来をするはずだった者が定着、という現象も起きてきたが、
それでも特権を笠にきて、浅草元旅篭町の兵助、清次郎は、寛政八年[1796]二
月に町奉行所へ、
「私どもは大岡様御勤役の時代に、やしとして別扱いされてきましたのに、五年前よ
り下谷山崎町の仁太夫という者から、葭簀囲いにて一ヶ所で立ち商いを続けるなら、
これは吾ら手下の家業である。よって人頭税を一人頭四十八文ずつ支払えと責められ
ております。しかし、仁太夫手下になりますと、猿若太夫や門付けなみとなって、旅
に出た場合も泊まる宿その他で難儀します」
と訴え出ている。
弾左衛門配下とは、あくまで別のものだと今日でいう保護願いをだしている。
この文中の仁太夫というのは「山崎仁太夫」といい、首斬りで知られた「山田浅右
衛門」と同様に、浅草新町の「弾左衛門六人手代衆」の一人である。
つまりそれまでは道中往来の者だけが「お上御用の探索方」と決まっていた区分が、
この時から崩れた。そして従来、弾正または弾左と名乗る定着居住の頭領の下に、
「破戒僧、逃散百姓、相対死損い」といった寺人別帖から名を削られた連中が、「非
人」の名目で払い下げられてきて、これが牢番とか処刑人というのを勤めてきたのが、
「捕える警察権だけは、改めて定着したやしの親分たちに」と、ここに分離してしま
い、二足草鞋のやくざが発生する土壌が生まれてきた。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/638.html
狭い日本そんなにプルトニューム溜め込んでどうするの?
って思うもん。
9月に稼動されちゃうよ!
この燃料再処理工場だけで原発30気分の放射能が毎日出るよ。
そういう工場だよ、燃料再処理工場って。
使用済み燃料って世界のどこも引き取ってくれない放射能廃棄物でしょ。
でも使用済み燃料のプルトニューム含有量って1パーセントって言うじゃないの。
それでさえみんながこれほど怖がっているのに、この六ヶ所村の燃料再処理工場はその使用済み燃料を細かく砕いて、それに硝酸を混ぜて拡販してMOXというとてつもなく猛毒の燃料になるんでしょう?
プルトニューム含有量20パーセントでしょ?
そのMOX燃料を普通の原発でも使っちゃおう、というのがプルサーマル計画でしょ。
それが又危ないんでしょ。
あぁそれなのにそれなのに、福井の大飯町のバカたれが!
福井だけが爆発して死ぬんなら全滅しても別にかまわないけど、その為に他の原発まで再稼動の引き金になったら、どうしてくれるんだ!
他の地域まで被害を受けたらどうしてくれるんだ!
火力発電所なら、たとえ爆発してもそこだけの被害だよ。
でも原発は違う!
大飯町は許さないから!
【放射能漏れ】7割が海に、大型魚で濃縮 長期化懸念
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120514/scn12051408150001-n1.htm
2012.5.14 08:05 産経新聞
東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質の影響が海洋生態系に広がっている。東北地方で放射性セシウムを含む魚介類が次々に見つかったほか、東京湾の魚からも微量のセシウムが検出された。海底での食物連鎖や河川からの流入で汚染の長期化が懸念されており、専門家は継続的な監視が必要だと指摘している。(伊藤壽一郎)
■河川から流入
日本原子力研究開発機構が3月に発表した試算によると、福島第1原発から出たセシウム134と同137は計2万4700テラベクレル(テラは1兆)で、約7割の1万7100テラベクレルが海洋に入ったとみられる。陸上と海上の放射線量から推計した。
原発の汚染水経由で海に直接流入したのは7100テラベクレルで、残る1万テラベクレルは大気中に拡散してから海面に降下したという。
これを基にセシウム137の海洋拡散をシミュレーションしたところ、1リットル当たり0・1ベクレル以上の海水は3月時点で沖合約4千キロの中央太平洋まで拡散。同機構の小林卓也研究副主幹は「2年後には5千キロ以上離れた米ハワイ諸島に届くだろう」と予想する。
ただ、これだけ広範囲の拡散のため、濃度は非常に低くなる。昨年6月、沖合30〜600キロを調査した東京大大気海洋研究所の西川淳助教は「全域で国の飲料水基準値(1リットル当たり10ベクレル)を下回る低濃度だった」と話す。
■海底で食物連鎖
東北地方の太平洋岸では事故後、多くの魚介類から国の食品基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超えるセシウムが検出された。汚染はどのように拡大したのか。東京海洋大の石丸隆教授は「まず植物プランクトンが吸着し、食物連鎖で広がった」と解説する。
汚染された植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、これらがイワシなどの小魚の餌に。小魚はスズキなどの大型魚に捕食され、汚染は濃縮されて食物連鎖の上位へと広がった。
海水魚に取り込まれた放射性物質は尿とともに排出され50〜80日で半分になるため、汚染は長引かない。だが、これは海の中層と表層での話で、海底では事情が違う。
中・表層の生物の死骸や糞(ふん)は放射性物質を含んだまま海底に降り積もる。それをカニなどの甲殻類や貝類、ゴカイ類などが食べ、カレイなど小型の底魚、マダラやエイなど大型の底魚に連鎖していく。底魚の死骸や糞は海底に堆積して再びゴカイ類などの餌になり「放射性物質が循環して汚染が長期化する」のだ。
実際、昨年7月と10月に福島県いわき市の沖合10キロで石丸教授らが行った調査では、表層のプランクトンのセシウム濃度は1キロ当たり最大7・19ベクレルだったが、海底のウニの仲間、オカメブンブクは同854・4ベクレルと非常に高かった。
福島県水産試験場の調査でも「事故直後、福島県沖の魚介類でセシウム濃度が高いのはシラスやコウナゴなど表層の魚だったが、最近は大半が底魚」(藤田恒雄漁場環境部長)という。
■東京湾でも検出
さらに現在、懸念が広がっているのは、陸上に降下した放射性物質が河川経由でじわじわと海洋に流入する汚染ルートだ。
東京都の調査で今年2月、江戸川区葛西沖のスズキ(表層魚)から1キロ当たり9・3ベクレルのセシウムを初検出。4月には江戸川河口のスズキから同12・3ベクレルを検出した。都農林水産部の岩田哲担当部長は「陸上に降下したものが江戸川・荒川水系経由で東京湾に流入したのでは」とみる。
現時点で東京湾のスズキは基準値をはるかに下回り、食べても健康に影響はない。だが、森林などに付着したセシウムは何年にもわたって河川経由で流入するとみられる。
国も事態を重くみて、今年度から東京湾で海水や魚類の放射性物質調査を開始した。岩田氏は「今後も調査を継続し、推移を監視していく必要がある」と話している。
米国から提供されたプルトニウムは何トン。
30年の日米原子力協定の期限が2018年。
米国に返還したのではないか。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/650.html#c13
反原発、原発推進以前に、天皇陛下を罵倒するようなキチガイの国賊は
即刻処刑するべきだ
いくらネットでも許されることではない
経産省、経団連、利権政治家、原発マフィア、放射能以下の極左が
この世に存在することが日本の不幸だ
現在の先進国の低成長は、企業が国内の期待利益率を低いと想定し内部留保を増やしていること、
それを補うため国がGDP比での過大な歳出を行い、構造的に財政赤字が発生する点にある
本来、過大な財政赤字(借金)がある場合は、金利上昇で強制的な圧縮を強いられるが、
日米英などでは、中央銀行やアラブ・新興国等の購入による国債バブルが、累積赤字の積み上げを可能にしている
結果として、世界のGDPに対して、金融資産(負債)は歴史的な水準にまで上昇している
欧州では国債バブルは弾けつつあるが、日米英では通貨安という形で、バブルが長期にわたって維持され、
金利抑制の必然の結果として、先進国の経済下押しと金融リスクの上昇が続くことになるが
それが反転するとしたら、やはり新興国経済の成長による高インフレが、国債バブルを破綻させるか、激しいインフレを先進国に引き起こすときということになるか
縄張り争い
しかし道中往来のやし連中が定着したからといって、なにも初めから賭場を開いたわ
けではなかった。なにしろ横井弘三の「露天研究」にも、
「名誉ある地位及び十手捕縄、朱鞘の脇差を賜っていた」
とあるぐらいだから、各地のやしの親分連中は、行商や遊芸の旅廻りの配下が戻って
くると、稼ぎ高の上前をはねながら、
「何か聞き込みはなかったか。しょっぴいて牢へ放り込めそうなのは居らぬか」と、
点数稼ぎにうきみをやつしていたのだろう。
ところがやしの商売の中には、「吹き矢当て」とか「ぶん廻し」とよぶ射幸心を煽
る業務もある。終戦直後に流行した「でんすけ」という、ピースを三つ並べ、「ちょ
いな、ちょいな」と指さきで操るのもその類だから、つい業務拡張というか、「香具
師仲間掟のこと」というのが文久二年(1862)に決まるまでは、やしの親分の営
業活動ににギャンブル部門も入ってきて混同してしまっていた。
なにしろ、それまでの庶民の賭場は各大名家の仲間小者達が、戦国時代からの伝統
で部屋頭を「お役座」とよんで仲間部屋でやるか、またはそうした連中を扱う口入れ
屋の溜まり場。街道筋の伝馬や荷物担ぎの人夫小屋。
と鉄火部屋が決まっていて、小屋頭や部屋頭の上には元締めがいたから、荒っぽかっ
た
。だから素人は怖いので寄りつけもしなかったが、やし仲間の方は、なにしろ。「呼
び込み」が本業だから、そこで人当りも柔らかい。
「寄ってらっしゃい、お遊びに」と、揉み手などして誘い込むものだから、入りやす
くなって、幕末ギャンブル・ブームの時代がきた。
また、足軽仲間達も、自分らどうしで取ったり取られたりするよりは面白いから、
そ
ちらへも出入りしだした。
しかし部屋頭も、「やしは公儀御用」だから、これに対して縄張りを荒らすなと、
文句のつけようもなく放任した。
だから大名屋敷や公儀伝馬溜でない民間の賭場が各地にでき、
「二足の草鞋を履く親分」
なるものが現れた。
これが意味するのは、博打渡世者が、現代でいえば地方警察、当時では、お上御用
の十手捕縄を兼任で預かる事をいうのであるが、現代の小説やテレビでは、まるっき
り、二束草鞋といえば「悪い奴」の代名詞にされている。
昔のこととはいえ、反撥的心情があって、国家権力を表徴する十手に、一般が烈し
い嫌悪感を抱くからそうなるものなのか。今日的感覚によって、
「縛られる博徒と、縛る十手捕縄を兼業」する事への大衆の反感からか、いずれかだ
ろう。
しかし、こういう発想は現代になってからのもので、江戸時代には目明し兼業の方
が「公儀賭場」を持っていたのだから、「本物」としておおいに幅をきかせていた。
ところで何故、(昔はギャンブルが放任されていたか)というと、当時の国家権力
や地方自治体権力には、現代のような才覚がなく、「宝くじ」「競輪」「競馬」「競
艇」を開催して、寺銭をとるような事はしていなかったから、お上としては別に彼ら
と、縄張り争いの必要を感じなかったせいであろう。
つまり博奕業で警察の費用を捻出するのが一人の親分でやりくりされ両立できたの
もこのわけである。
今でもオランダのアムステルダムへ行けば、飾り窓の遊郭の入口に、英国と同名の
スコットランド・ヤードの第二分署があり、その二階に拳闘のジムやルーレット賭場
があって、人手が入用のときはブザーを、「ジイ、ジイ」と推すと、拳闘クラブや賭
博場の若い衆が、西部劇の補助シェリフなみに、「スペシャル・ポリス」の星マーク
をつけ、「御用ッ」とくりだし、人手不足を補うような便利な仕組みになっているの
と同じであろう。
さて話違ってテレビや映画では、悪い親分が当時の警察上層部の「代官」に、嫌が
る娘を取り持ったり、ずしりと小判の包みを持って、「へっへ」と贈賄によって十手
を貰い、地区警察署長に任命されている。
しかしあれは、
(法というものの運用の蔭には、こういう操作があるものだ)と、時代劇という画面
に隠れてディレクターや脚本家が、権力暴露へのアジテーションをしているのかも知
れぬが、実際においては全く事実無根なことである。
代官個人の裁量で採用できるのは、手代役ぐらいのものであって、各地の十手捕縛
は、その地区で定着していた連中の中から、
「今度はあれが、これが」
と彼らの方から決めてくるのであって、代官が小判や女と引換に自由に任命し、三宝
にのせた十手を渡すという事はなかった。
何しろ義務制で無給だから、余録はあったろうが一種の課役制だったのである。も
しテレビみたいに悪い親分が十手を貰い、住民保護は放ったらかしにして暴力団化し
ていたら、地方警察制度ばか
りでなく、当時の連邦警察にばかりでなく、当時の連邦警察にあたる大岡忠相創案の
和製FBI組織も崩壊し、もっと早く徳川家は倒れ革命になってしまっていただろう。
なのに徳川の世の中が長く保ったというのは、二足草鞋がみな良い親分だったから
なのである。
新興やくざ
天明三年(1784)の浅間山噴火の降灰で関東地方の不作をから、上州より信州、
ついに江戸大坂までがしまいには米騒動になった。
なにしろ物価が年々暴騰していき、真面目に働いても入る収入では追いつかなくな
り、やけくそになった民衆の「打ち壊し」に暴動が全国的になった。そこで勤労階級
までもが、宝くじや場外馬券を求めるように賭博場へ出入りしだした。
「一か八か」ギャンブルでもするしか、生きていく目標がなくなったからである。
つまり清水港の米屋の倅の長五郎や甲州黒駒の庄屋の倅の勝蔵たちが賭場通いして、
しまいには、すってんてんにされだしたのもこの頃である。
さて今日なら、まさか馬券ですったからと自分で中山競馬場を新設して、胴元にな
る事はできないが、当時は「賽子と茶碗と茣蓙一枚」さえあれば盆が敷けた。
そこで、取られる側から取る側へなろうと宗旨変えをした新興博徒がここに誕生し
た。これは、お上から御用の十手を預かり、警察署長として部下の人権費を捻出する
ため賭場を持っていた各地の親分衆にとっては、「既得権益の侵害」という事になる。
そこで十手持ちの既存親分と新興博徒との縄張り争いという事になってきた。この
係争は、江戸において公儀御免新吉原の遊廓商売が儲かるのに眼を付け、真似して
「岡場所」ができたのとそっくりである。
そして江戸の目明しは新吉原から給料を貰っていたから、それっと営業妨害してい
る非公認の岡場所へ
「御用ッ」と押しかけ、主人は牢へ、女は新吉原へ連れてきて只で働かせた。これゆ
え「岡っ引き」と目明かしはよばれるのだが、さて女なら引っ張ってきても役にたつ
けれども、男では仕様がないので、新興やくざは初めは放っておかれたものの、寛政
二年(1790)からは「人足寄せ場」というのを江戸石川島に新設し、ここで強制
労働をさせたり、佐渡の金山へもっていって使役にあてた。
そこで、十手もちの側に捕まると、営業妨害のかどで唐丸駕に入れられ、島送りに
されるから、各地で新興やくざと十手もち親分の衝突がおき、随所で血なまぐさい争
いが始まった。
しかし一代きりの素人上がりのやくざと、大岡越前の時代から、でんと構えて、跡
目跡目と継いでいる側とは比べものにならなかった。
清水次郎長を例にあげても、講談や浪花節では有名だが、駿河の国は、
「東は三島、西は大井川までが駿河府中安東村の文吉親分の縄張り」
「三島から先は、伊豆の金平親分とその兄い分の大場の久八親分」
「大井川より西は見附までは大和田友蔵」
「光明山までは、森町の五郎一家」
「その先は浜松伝馬町の御用亀こと国領屋亀吉親分」
ぴったり図面に線をひいたように、土地に根をおろした昔からの親分衆が押さえて
いる。
だから次郎長が地味にこの社会で身を立てようとするのなら、清水を押さえる安東
文吉一家の誰かの子分になるしか途はない。しかし文吉には代貸だけで何百と頭数が
いて、末端まで加えると二千といわれた。そこへ素人あがりの次郎長が入れてもらえ
たとしても、代貸のまた子分になるのが精一杯のとこである。
現在でいえば従業員数二千の安東文吉商事へ入社し、各地でひらく賭場で客人に湯
茶のサービスをしたり、捕物の時は殺される覚悟で真っ先にとび出さねばならぬ身分
である。 そこで次郎長は自由やくざの立場を選んだが、これでは土地で賭場などは
開けない。
そこで次郎長は年中旅から旅へと廻って、人手のないところをみつけ、臨時雇いで
稼がせて貰ったり、喧嘩のあるところでは、目当てや礼金目当てに子分と共にはたら
いたのである。
文久二年[1862]になってようやく「やし連中」が、神農さまを祭る「たかま
ち」商売一筋に代って、賭博業から足を洗うようになったとき、
「よし、これからずらよ」張りきった次郎長も既に、四十三になっていたが、「やし」
と「やくざ」が、はっきりここに分離して、それまで「半可打ち」といったよび方で
扱われていた十手持ちでない新興やくざが、初めて時代の脚光を浴びるようになった。
やくざ流行
明治九年3月28日に、「佩刀禁止令」が新政府から公布された。
今では誤って解釈されているが、武士の佩刀というのは、あれは義務制であって、
「公刀」と呼称されていたものなのである。つまり武士の表道具は槍であるが攻撃用
具だから、平和時には主君や己れ自身を守るため、槍で攻められた時に打ち払う防禦
用具として、刀はさしていなければならなかったのである。
「佩刀が禁止されたから武士がなくなった」のではなく、もう武士がなくなったか
ら、「公刀をささんでよい」となったのである。しかし長脇差というのは私刀である。
そして大岡越前が、やしに十手捕縛と共に、いざという時の威厳をつけるため、一
目でわかる朱鞘の公刀を差すように命じたが、
「文久二年戌三月二十日付」で、やし仲間の人別帖を作るように命ぜられた時、四月
二十九日付をもって受書を出し、彼らやしは賭博業もやめたが、公刀も返してしまっ
ている。 そこで、「公刀佩用の禁」は出たものの、「私刀(長脇差)の禁止」は出
なかったから、やくざ側の帯びている長刀は自前ゆえその侭で、ここに、やくざの黄
金時代がきた。
明治九年の熊本神風連から萩の乱、そして自由民権を叫ぶ不逞分子が各地で「暴動」
、「反逆」を叫ぶのに対し、明治政府はジュラルミン楯やガス銃がまだなかった頃な
ので、「壮士」または「侠客」とよんで、全国のやくざをおだてて、彼らの私刀をお
おいにふるわせ、「自由」とか「民主主義」などと喚く暴徒の群れに各地で斬り込み
をかけさせた。 だからこの時分東京旧市内だけでも、
いまの千代田区では(住吉町の梅、だんなの小金、三河町の上総屋、外神田の米市)
中央区は(茅場町の石定、同遠山、小網町のデコ岩、蛎殻町の古賀吉、同ヒョロ藤)
有名な貸元がきら星の如く並んでいた。
そしてテレビや映画もなく寄席だけだった時代なので、神田多町の興津は市場亭、
屋根屋の弥吉は並木亭、本所四つ目の上万は四つ目亭と、みな小屋を持っていた。
そこで博徒上がりの桃林亭東玉とか錦城斎典山、大坂では二代目石川一夢あたりが、
「男の中の男一匹、幡随院長兵衛」といった古典から、新作ものでは、自分らが実地
に見聞したものをやった。
もちろん東玉や典山といった貞山派の講釈師というのは、やくざ社会では立身しな
いから、長脇差をやめ張り扇を叩く方に転身した連中ゆえ、安東の文吉などという大
親分は雲の上の存在で顔を拝んだ事もない。しかし次郎長や忠次ぐらいなら、旅先で
姿を見た事もある。そこでいつのまにか、
「やくざの主流派と反主流派を反対にする」
という作業を舌先三寸でやってしまった。
つまり本来の豪い方は一つ所に頑張っていて、あまり面白くもおかしくもないが、
「渡り博徒」とか「流れ博徒」といわれる、生国では縄張りがもてず、旅から旅へと
渡り鳥みたいに流れている手合いの方は、
「さて次の宿場では、はたまた如何なる事になりましょうか。はい明晩のお楽しみ」
と、お客をつないでいく上には都合がよいから、専ら旅行専門のやくざ物になった。
そこで工事場の仕事が終わると、次の現場へ流れてゆかねばならぬ土方連中が、
「また、旅か」と口癖にするのを失敬し、「足で歩くのだから、股旅」と猫も愕くよ
うな翻案をしたのが、かつて全盛をきわめた股旅小説の類である。
そして、「利根の川風、袂へ入れて」で知られるこうしたやくざ礼讃は、明治三十
九年に、空っぽの寄席を尻目に堂々と「満員札止め」の看板を本郷座の正面や、国民
新聞に広告した桃中軒雲右衛門の浪花節によっても拡まり、彼が得意とした「国定忠
次」や「安中草三」が国民的英雄にさえ、かつてはなって大いにもてはやされたが、
田村栄太郎の考証によれば、
「浪花節語りとなると、兄弟分になるには二の腕の生血をとり、互いにこれを啜りあ
って兄弟の盟約を立てるから、博打打ちの義理そっくりで少しも違いがなかった」と
いう。
ともするとやくざの黄金時代は「天保から幕末まで」といわれる。
つまり西暦1830年から67年までの37年間に、大前田英五郎とか忠次、次郎長、
「天保水滸伝」の笹川の繁蔵、飯岡の助五郎、小金井の小次郎、黒駒の勝蔵その他の
群雄が一度に出現して、各地で地の雨を降らせ、パァッと花を咲かせ、「明治の聖代」
に入るや、前非を悔いて、みな正業についた様な受け取り方をされているが、どうも、
その全盛期というのは、
「彼らを講談や浪花節、映画テレビで謳歌する明治、大正、昭和の方ではなかろうか」
とも想われる。何しろ、かつて東亜同文書院長根律一は、
「国土を育てる為に侠客学校を創立せよ」と、大真面目に説いているし、
「仁侠の徒こそ共に語り得る同志」とまで揚言した、おらが大将こと田中義一首相は、
「大東亜戦争の発端になる張作霖殺害事件」を引き起こしている。だから、どうも日
清日露の戦争から後は、変な事例だが、
「やくざものが流行し、バッタバッタと殺したり殺されるのがもてはやされる時代」
というのは、いつもすぐその後から戦争が忍び足で近寄って来ていた。杞憂であれば
よいけれど、心配したくなる具象ではあるまいか。
演歌論考
演歌における義理
「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」が、<唐獅子牡丹>の歌詞の
始まりだが、その重たいといわれる<義理>とは、はたして何だろう。
古い戦記ものなどでは、局限を意味して、
「もはや義理義理のところまで追い詰められ、かくなる上は止むを得ずと、長物とっ
て群がる敵の中へかけ分け駆りこみたり」
などと、「加越闘争記」という戦国時代の門徒一揆と武者どもとの争いを書いたもの
には出てくる。
しかし、普通は、頭のつむじの異名で、「義理義理から爪先まで」などという。だ
が、(頭のてっぺんの事か、そこがでっかちだから義理は重たいのか)というのでは
ニュアンスが少し違う。
また義理義理から義理だけのニ字に分けると、これはdutyという単語にコンサ
イスなどでは置き換えられ、
「英帝国は各自がそのdutyを祖国に尽くさん事を望む」
と、トラファルガー海戦に際して発せられたネルソン提督の訓辞などが引用されてい
る。こうなると、義務・本文と、全く同義語になるが、日本の新聞の社会面などには、
「汚職議員逮捕」といった見出しの記事に、「義理から便宜を計ったに過ぎぬ。受け
取った金は政治献金で、決して収賄ではない」と、本人の言い分などが掲載されてい
るが、こうなると、まさか義務で贈賄収賄が行われたものと思えぬから、そこでこれ
は、(付き合い)を意味するものかと思うと、「いつの間にかそこで戦争が起き、我
等も銃を取らされる。そんな義理もないのに」フォーク・ゲリラなどのガリ版刷り5
0円の歌集には出てくる。
しかし、演歌の世界では、「恋と義理とを秤にかけりゃ、義理が重たい仁義の世界。
涙隠して啖呵を切れば」と唐獅子牡丹のイミテーションみたいなのもあらわれるし、
また近ごろでは修身の本がリバイバルで売られる世相を反映してか、
「天に一つの陽があるように、この世に義理がなくてはならぬ。どんな立派なそぶり
よりも、人は心だ‥‥」
などと戦前の修身の本にさえなかったような唯物主義のものさえ巷には流れ、
「国民精神総動員運動でも、既に復活されたのか」
と、粗忽な私などはびっくりさせられる。
しかし、戦争中のその時代でも演歌の中に、こんな義理のウエイトはなかった。
「泣くな、よしよしねんねしな」の<赤城の子守唄>にしろ、<吉良の仁吉>の、
「ひくにひかれぬ意地の道、止めてくれるな名が廃る。いやな渡世の一筋に」や、
「意地の筋金、度胸のよさも、人情からめば、涙ぐせ」の<沓掛時次郎の唄>にしろ、
「意地」の二字こそあれ、「義理」の文字など、どこにも一つも出てこない。
やくざを扱った演歌に義理のギの字もないのは、今の時点からすると不思議な感じ
がするが、次に流行した<勘太郎月夜唄>にしても、
「なりはやくざにやつれていても、月よ見てくれ心の錦」となり、その眼目は、
「菊は栄える、葵は枯れる。桑をつむ頃、逢おうじゃないか」と、勤皇精神鼓吹やく
ざ演歌となっている。
さて、当時の小学校の教科書は、「国定々々」となっていたため、小学生にもその
語呂からして、「国定忠治」が親しまれていたせいらしく、
(せっかくの赤城山を、子供を背負ってゆく板割の浅太郎の一人舞台にしておくのは
惜しい)
というのでもあろうか。昭和十二年になると、
「月にかざせば万年溜の、水に清めた白刃が光る」の<赤城月夜>、
そして二年後には追いかけて、
「男心に男が惚れて、雁が鳴いてく赤城山」の「名月赤城山」も出て唄われた。
だが、「義理」などという言葉は、それらの歌詞のどこを探しても、赤城の子守唄
同様に全く現れてはこない。ついでに生まれた<赤城しぐれ>となると、
「昨日追分あしたは越路、風が身にしむ、はかない旅路、末は落葉に」
といった詠嘆調で、これは、<忠治子守唄>が、
「捨てた赤城が恋しじゃないが、男忠治もついほろり」
となっているのと同工異曲で、やはり歌詞の何処にも「義理」の義理の字も使われて
いない。
<佐久の鯉太郎>というのも、
「草鞋の先よ故里へ、向いちゃ落葉が無駄になる、なるな涙に、旅がらす」
とか、<大利根月夜>が、「浮世を三度笠」といった個所も歌詞にはあるのに、唄い
出しの冒頭を、
「あれを御覧と指さすかたに、利根の流れをながれ月」
と叙景でおすのと同じである。つまり、「好いた女房に三下り半を、投げて長脇差
(ながどす)、ながの旅」
と唄うところの<妻恋道中>にしろ、同じ藤田まさと作詞の、
「夜が冷たい心が寒い」で知られている<旅笠道中>、そしてやはり同氏の、
「どうせ一度はあの世とやらへ、落ちて流れて行く身じゃないか、泣くな夜明けの」
で有名な<流転>にしろ、また、
「ままよ短いこの命、張るも意地なら、勝目の背に、何故か淋しい山の鐘」
で結びがつく黒川弥太郎主演映画主題歌の<弥太郎笠>の歌詞を並べてみても、戦前
に「義理」という字を扱ったやくざの演歌は、驚いた事に全く一つもないのである。
戦後は、
「やくざ物の映画や流行歌が全盛をきわめた頃から、戦争の匂いがしだして、やがて
本物になって、しまいには自分らまでが本物の竹槍を持たされた」
といった記憶が生々しいうちは、やくざ物は敬遠されたが、戦後十三年たって、<ち
ゃんちきおけさ>で当てた三波春夫が、<雪の渡り鳥>という阪妻の頃のもののリバ
イバルをやって、「意地に生きるが男だと、胸にきかせて旅暮らし」を浪曲調で流行
させ、この二年後の昭和三十五年には、橋幸夫が、「潮来の伊太郎、ちょっと見なれ
ば」と、<潮来笠>をもってデビューした。
しかし、現在のようには、まだ「義理」といった字句は何処にもない。やがて、現
代の新興やくざ節のはしりともいうべき、<網走番外地>が、高倉健の人気で広まっ
たが、この唄とても、
「酒(きす)ひけ、酒ひけ、きすぐれて、どうせ俺らの行く先は、その名も網走番外
地」
と悲壮なメロディーだが、義理にも、「義」の字はまだ四節中にただの一つもない。
といって、それでは、これまでそういう用語法の流行歌はなかったかというと、
「人生劇場」という尾崎士郎の自伝風な青春小説が映画化された昭和十三年に、佐藤
惣之助が、その主題歌を受け持ち、
「義理が廃れば、この世は闇だ、なまじとめるな、夜の風」
堂々と使っている。だから、禁句でもないのに、何故やくざを題材にした演歌が、昭
和四十年代までそれを用いず、「七十年安保」の声がやかましくなった時点から、ま
るでとってつけたみたいに、「義理だ」「義理と人情を秤にかけりゃ」「天に二日な
く、義理こそ太陽である」といったCMソングを急に流行させたのだろう?
義理とは何か
「義理で始まり仁義で終わる」と、突然変異のようにアッピールされ始めたのが、以
前の歌にはない。だから、昭和四十年代の新造語かと錯覚もさせられるが、そうでも
ないらしい。
もう一度遡って調べてみると、井原西鶴も、その『好色五人』に「義理を詰めてそ
しりける」と用い、『好色一代男』では「言わねばならぬ義理となり」とあるが、
『男色大鑑』になると、「他人の悲しむは、ありゃ義理の念仏」などとも書いている。
さて、今の演歌では、「義理と人情」が並べられるが、芝居の『夏祭』では、「義
理も瓢箪もないわえ」である。近松門左衛門の『傾城反魂香』にも、「こちゃ義理ず
くめになったのか」とある。つまり、こうした例証の範囲内では、「義理」というの
は、江戸中期の用い方では水商売用語だったのではあるまいかと思われる点もある。
たとえば、「義理ずくめになった」という表現が、女が身売りするのにあてはめられ
ているからであるし、小春の言う「ひくにひかれぬ義理」というのも、男に妻がいる
から、それへの義理というのではないらしい。もし、相手の妻に、現代的解釈の義理
を感じたら、その夫である男と心中などできよう筈もない。つまり、この(ひく)は、
身をひくの「引く」ではなく、「落籍」の「ひく」ではなかろうか。
身請けの金さえ都合がつけば、遊女の小春は落籍してもらって別宅を持ち、紙屋治
兵衛の本宅とも睦まじくやってゆけ、円満におさまりもする。が、そのひく金が何と
もならなくては、苦界の借金の義理に縛られた小春としては、「ああ、死にましょう
わいな」としか言いようがない。それが、1720年に竹本座で初演された頃の、実
存的な当時の感情ではあるまいか。
唄は世につれというが、言葉も時代でまったく意味が違ってくるようである。つま
り、現在流行している演歌の<兄弟仁義>でも、
「義理だ恩だと並べてみたら、恋の出てくる隙がない」
と、義理と恩と並べたて、
(義理とは、恩を受けた事へのお返し)といったような扱いをしている。
さて、こうなると、義理というものは、「報恩」という形式になり、相対的に、<
その恩とは何か>という命題に突き当たる。
つまり、明治大正から昭和三十年代までの、「やくざを主題にした演歌」に、てん
で義理の二字がなかったのは、これは股旅小説などでは、「一宿一飯の義理」などと
説いても、一般的にはその程度の恩では、それは時価換算してみても、せいぜい千円
ぐらいだから、それでとても義理を感ずるという程には納得できかねるので、「説得
力」を短い形式に入れねばならぬ作詞家が、そんなあやふやな義理という文字を、こ
れは意識的に用いまいとしたのだろう。
ということは、ひっくり返せば、(1960年前後を境にして)、それ以前の「や
くざ」なるものは、どうも、(義理を感ずる必要のあるような恩は、どこからもてん
で受けていなかった)ことにもなろう。
さて、話は違うが、最近では、「暴力団汚染地域」という指定もあって、いわゆる
やくざへの取り締まり体制が強化され実施されている。しかし、取り締まりのない時
には恩を施されたり恵まれるもないだろうが、そうした強化の時にこそ、かえってそ
ういう恩の貸し借りは政治家によってできているのではあるまいか。
地方などでは、れっきとして親分が町会議員市会議員になっているケースが多い。
長崎の県議会議長も刺殺されなければ、同地一帯の貸元などと、全国的に知れ渡るこ
ともなかったろう。しかし、こういう具合に、やくざが与党の議員として陽の当たる
場所へ堂々と顔を出し、体制協力する政治家にもなるようになったのは、これはきわ
めて最近の事らしいという。
任侠決死隊
映画やテレビでは、賭博をしている所へ、「誤用ッ、神妙に致せ」と十手をもって
とびこんでくる捕方の群れが出てくるが、あれは事実を全く誤認した現代的な解釈で、
昔はああした事はあり得ないのである。
大岡忠相が街道すじの「やし」の元締に、亨保二十年(1735)に十手捕縄をわ
たし、彼らを日本版FBIに仕立ててから、日本全国が縄張り分けされ、各地の親分
が今でいう「地方警察署長」になり、署員の給与や防犯費用充当のため、興行や鉄火
場を開いていたのは前述したが[『やくざ論考』を参照されたし]、「半可打」とよ
ぶその資格のないのが、自分の縄張り内で盆を敷けば、これを営業妨害罪で捕らえて
簀巻きにして川へ放りこんだりした。
が、普通の賭場はいざという時に、「御用ッ御用ッ」ととびだす捕方どもが、三下
奴ゆえ、
「へえっ、お遊びに‥‥ひとつ如何さまで」
と客引きしていたのだから、まさか「自縄自縛」に、自分らの賭場へ手入れする筈は
なかった。つまり賭場は場所によって勤務差し支えになるからと、禁令が出されてい
るところもあったが、実際には、どうという事はなく、賭博自体は何でもなかったら
しい。
ところが、「明治十七年一月四日付」賭博犯処分令というのが発令され、初めてこ
の時から正式に賭博は犯罪という事になったので、「博徒総狩り込み」というのが、
立法化した翌月から始まった。つまり幕末までは体制協力者として「お上御用」も請
け賜わっていた博徒が、別に警察ができ、もはや不用になったため、明治十七年の二
月から五月までに根こそぎ狩り込みをされ、投獄され臭い飯を喰わされた。
明治初年には、それまで十手、捕縄を預かっていた安東文吉や大和田友蔵らが、新
政府となったので、ひとまずそれらを返済したので、改めて、「道中探索方」通称
「捕亡役頭」という肩書で、十手捕縄を明治政府から貰っていた清水の次郎長あたり
でさえ、時に六十五歳だったが、懲役七年の刑で静岡井ノ宮監獄に放り込まれた。つ
まり、謀者なども勤めて体制側についていた者らが、今度は裏切られて追われる側の
反体制となったのである。
しかし、このままでは渡世上困るので、「日清戦役」「日露戦争」にあたっては、
「軍夫」の名目で子分を率いて、軍に協力した酒井栄吉らの大親分もいた。しかし、
賭場の取り締まりは軍部でなくて、警察の方の仕事である。そこで、何とかして取り
入ろうというのか、又はお上の側についてお目こぼしを願おうと意図したのか、大正
から戦前まで「特高」のあった頃は、その協力者となったり赤化防止同盟などを作っ
た親分もいる。
しかし、このように渡世保護のため、大いにお上に犬馬の労をいたしたが、これが
あまり効果的でなく、義理を感ずる程には恩が得られなかったらしく、それが昭和三
十年代までの演歌の文句に、義理の見当たらない原因でなかったろうかと思う。
さて、やくざが公的権力の末端の警察に働きかけようとして巧くゆかず、かつての
軍部も今のところはない事になっているのに、
「はたして何処と結びつき、義理を感じなければならぬ程の恩を受けているのか?」
そして、1960年前後に、どんな転機があったのか。また、十八世紀の大岡越前忠
相のごとく、彼らを利用し昭和アンタッチャブルにしようと意図したのは、それは誰
か。いろいろと疑惑はあるが、各地の親分衆が与党に籍をおいて立候補し、地方政治
の権力の座に座っているところをみると、これはどうやら「政治に繋がりをもったの
だ」ということまでは判る。
なにしろ、昭和二十七年に破防法を成立させる時、その頃は重宗参議院議長のごと
く、二分間で大学立法を通すような人材がいなかったので、当時の与党は苦労したら
しい。
そこで、このとき与党院外団団長が大岡越前の真似をして各地の親分衆にそれぞれ
電話をして、「我が党に協力しろ」と渡りをつけた。
これが共産党か社会党なら恐らく二の足をふんだろうが、天下第一党のことゆえ、
「へぇ、ようがす」
二つ返事で引き受けた親分衆は、腕のたつ威勢のよい兄い達を呼び集めた。
さて、百余名もの威勢のよいのが揃うと、
「敵は幾万ありとても、すべて烏合の衆みたいなものじゃ。諸子は任侠道において与
党のために力を貸してほしい」
院外団の団長自身から直接にさとされた兄い達は勇んで参議院へ引率されて赴き、ま
さか刺青をちらつかせたり、片肌脱ぎにもなれぬから守衛の制服に身を固め、
「やがて夜明けのくるそれまでは、意地で支える夢ひとつ、背中(せな)で呼んでる
くりから紋々」
と徹夜で頑張って、ここにめでたく「破防法成立」が成り、与党のために貢献した。
よってその後、60年安保の際には「任侠決死隊」というのまで組織されたというか
ら、ここの係り合いも明白である。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/639.html
飯田哲也氏は
「そもそも適地など無い。」と明確に細野氏の発言を否定した。
https://twitter.com/#!/iidatetsunari/status/201912156457926656
さあ、LOVE!LOVE!ハイロに続いて最終処分場づくりを始めましょう。
47か所平等に作りますか。それが一番もめないような気がしますが。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/682.html#c1
何故、学生は?
さて、今や映画館はエロダクションものでなければ、白鞘の日本刀を振り回す任侠
ものが全盛である。東映の当事者などは、あれは時代劇であると言い放つが、映画館
には、「汝の敵を愛せよ」というのだろうか、やくざでない学生の観客がきわめて多
いのである。
彼らは高倉健が映画に現れても、掛け声をかけたりカッチョイイといった声援はし
ない。おとなしい観客であるが、熱っぽい瞳でじっと見入っている。
だからして、全共闘の学生運動と、やくざ映画についての関連性といった事も口に
される。つまり「唐獅子牡丹」においては、主人公は白鞘の短刀を厄介になっている
志村喬に預ける程に、あくまで暴力否定である。
だが隠忍自重して自分を押し殺していても、あくなき挑発に堪りかね、しまいには
「もはやこれまで」と、背中の刺青を出して死地へのりこんでいくのである。
また、「懲役三兄弟」は、高倉健の扮する旅人が、病気の子供を救われた恩に対し、
その子を亡妻の里へ預けて出直してゆき、中古軍袴の恰好のまま中国人の別府東洋会
の本拠へ、殺された恩人への義理を果たしに、日本刀を抱え斬死覚悟でのりこむとい
うストーリーである。
「博徒百人」で高橋英樹の扮する主人公も、父を殺され、義兄弟の江原真二郎を倒
された仕返しに、仇の許へ単身んのりこんでゆく。
つまり、こうした話の組み立ては、相手が「組織暴力」で、武装も優れ、衆をたの
んで向こうの方から命令一下襲いかかってくる設定になっている。
たとえば、長屋住まい者達が広場に集まって、皆で仲良く歌など歌っていると、こ
こは立ち退きだから座り込んだり立ち止まってはいけないと、圧倒的な数で意地悪を
され、追い立てられるようなものであるとする。
もし、そこで抗議でもしようものなら、すぐさま、
「こっちへ来い」
と、乱暴な子分にごぼう抜きにされて、叩かれたり蹴られたりする。時には親のない
子のように、娘っ子までが引っ張ってゆかれ悪親分に苛められる。
そこで、我慢に我慢し、耐え難きを堪え、忍び難きを忍んでいたのが、
「もう、辛抱できん」
と、捕まればどんな目にあうか判っていながら、向こうの悪い親分の家まで止むに止
まれぬヤマトダマシイで突入していき、
「男なら、桜の花みたいに散ってくれよう」
玉砕精神をもって果敢な抵抗をする。もちろん映画では、相手の悪い親分は、「あっ」
と最後血を噴いた額を手で押さえて倒れるように設定されている。
また、画面の高倉健や高橋英樹は、「いざ」という時は、もろ肌脱ぎになるが、学
生達はあべこべで、そればっかりは真似などできない。うっかり素肌なんか出して恰
好よくしようものなら、催涙ガスにかぶれて全身に炎症を起してしまうからである。
だから、夏でも、なお暑苦しくタオルで顔まで二重に覆って突っ込まねばならない。
それに、手にするものも、三尺の秋水とはゆかず、せいぜい2メートルの角材くらい
である。しかし、心情的には、(勝ち目がないと頭から判っていても、どうしても決
起し突入するしかないのだ)といった気持ちが、<任侠仁義>の、「一人ぐらいはこ
ういう馬鹿がいなきゃあ、世間の目はさめぬ」に共通するものを、ぐっと感じるらし
い。
学生にしてみれば、文科、法科と志願学科の選択をするように、ML、革マルをサ
ークル活動にしなければならない必然性はない。ノンポリを決め込んでいても、誰か
らも「惰情」とそしられる事もない。かえって「賢明」そのものなのかもしれないの
である。
なのにヘルメットをかぶって、あけくれ訓練しているプロに衝突してゆくのは、や
はり、(一人ぐらいは、こういう馬鹿が‥‥)の心境と同じもの、つまり連帯的悲壮
感からだろう。また規制された場合、学生側は手出しをしなくとも捕らえられ、相手
は仕事だから殴っても罰せられないという矛盾にも曝される。
「向こうは法秩序を守る任務だから当然だ」と思うのは世俗的な大人の考えで、若い
世代の学生にそれは通用せず、
「警棒とヘルメットに身を固め、大きなジュラルミンの楯を持ち、学生の足を突き、
頭をボカスカ殴る。こんな恰好のよい仕事はない」
などと、彼らは<機動隊ブルース>を合唱しつつ、
「車の衝突でも人間の喧嘩でも、先にぶつかった方が悪いに決まっとるじゃないか」
殴られながらも不条理をおおいに訴える。つまり彼らがすぐ、カエレカエレと一斉に
シュプレヒコールを始めるのも、
(一人ぐらいは、こういう馬鹿が)とは思っても、殴られれば痛いし持ってゆかれる
のも辛い。だからして、(無病息災、帰路安全)を願い、(お祓い)の意味でのシュ
プレヒコールとは祝詞で、「退散」を祈る呪文に他ならないようにも見える。
が、そんな呪いをかけたからとて、
「帰れ、帰れと蛙が鳴くから帰ろ」とは、それまで給料をとっている連中が「ピイッ」
と口笛一声、引き上げる筈もない。職務に忠実な側は、あべこべに、「わあっ」とジ
ュラルミンの楯をかざし、アーサー王の騎士の如く勇ましくかかってくる。
時と場合によるだろうが、一度捕らえられると、後は向こうのペースで処理される。
学校みたいにエスケープもできない。
(危険率が高い割には効率の少ない、目先の判断では、無償みたいな行為)とは、学
生達にも判っている。そこで、(一度死んだら二度とは死なぬ)と、やくざ映画を手
本みたいに瞼に浮かべ、突入する勇気を奮い立たせるのではなかろうか。
つまり、映画の高倉健や若山富三郎の扮する主人公が、成功報酬を貰いためとか、
金で雇われた殺し屋として殴り込むなら、とても「共感」は呼ばないだろうが、任侠
映画のヒーロー達は皆言い合わせたように、「馬鹿を承知で」淋しく微笑んでみせ、
多人数の中へきわめて少数、時には単身で孤独な斬り込みをかけてゆく。ここに観客
である学生層は若い血潮をたぎらせ、「おのが姿を影とみて」つまり高倉健や高橋英
樹の主人公に、自分の顔や姿をオーバーラップさせてしまい、主義主張とはまったく
隔絶した物語とは承知しながら、いざとなった時、整列して合唱したり、その幻想の
中に、「行くか血の雨、男の意気地」とつっこんでゆくのではなかろうかと想像され
るのである。
孤独の点と点
昔の髷ものの任侠映画では、
「死んだ親分さんにはお前も厄介になっている。さぁ、後はかまわず男らしくやって
おいで」
と気丈に励まし、その後ろ姿を泣いて見送る母親の場面もあったが、ここ二十余年は
「出征」という現象はないし、今時、危なっかしい所へ出かけてゆく伜を、大いに励
まして出してやるような母親もいない。そこで、
「親でさえ手を出さずに育ててきた息子を、他人さまにぶん殴られる所へなどやれま
すか」
と止めるか、または、
「頭を叩かれたらバカになる‥‥後遺症が残ったらどうしますか」
と、息子をつかまえて、親は医学的に反対する。
父親だって、『巨人の星』は漫画の世界の話で、ああいった男親なんか滅多にいな
いし、「自分の信念でしっかりやれ。捕まったら、俺が酒をやめても息子達のために
保釈金は作ってやる、安心しろ」と、そこまで物わかりのよいのもいない。
だから、母親とも父親とも結び付かないまま、
「男がこの手を振った時は、腹を決めたという事さ。泣いてくれるなおっかさん、俺
は俺らの道をゆく」
と、やくざ映画のバックミュージックに流れる演歌に、すうっと心をもってゆかれ、
(俺の事を唄っているようだなぁ‥‥)
と、ほろりとする学生がいるのもこの為であろう。
なにしろ日本は四面を海に囲まれている。国外への脱出は殆ど不可能だったため、
遥か昔から家畜の如く飼い馴らされ、「長いものには巻かれろ」式で、生きてきたこ
れまでの伝統の諦めをもつ親が、お上に追われるような運動に、己れの子女を加えた
がる筈がない。権力へ従順なのが良民とされ、少しでも反対意志を示せば、これまで
の日本では、「非国民」という烙印を押された過去もあったから、どの親でも、みな
心配して反対するのである。だから、当人達にしてみると、「親は何故ああなのか」
と恨めしくなり、
「俺の親が‥‥はたして彼らなのか?」
といったエスカレートした疑問までもってしまい、「時には母のない子のように」と
いった歌が、かつて流行したのもこの背景があったからであろう。つまり絶望にも似
た孤独感から、「親はあっても、なきに等しい」といった観念がどうしても生まれて
くるものらしい。だからして、現在のやくざ映画では、主人公やその同調者は、これ
ことごとく、親に死別したり生別したことに設定がなされているのも、やはりこれに
迎合する為であるらしい。
つまり、戦後のやくざ映画や、そのジャンルの演歌は、家畜の仔としてでなく野生
の生物として解放された世代の「孤独」に合致させるため、彼らの類は類をもって集
まるというか、同じ境遇の孤独の個と個の繋がりを、しきりに強調しその連帯感を、
「親の血をひく兄弟よりも、固い契りの義兄弟。こんな小さな盃だけど‥‥」
といった表現、つまり同志的結合を義兄弟といった形で表現し、また最近の若い世代
は、男も恰好よいのに憧れるから、
「俺の目を見ろ、何にも言うな。男同士の腹のうち‥‥」
といった歌詞でそれを支える。
もちろん親に反対され周囲の大人からも、
「そんな事をしていると、大会社や官庁に就職できなくなるぞ」
と言われて、時には自分でもむなしく感ずる事がないでもないだろうし、同じように
デモっても、運悪く捕まる者と逃げられた者とでは両者差もきつい。だから、
「ばかと阿呆の兄弟がらす、あばよで別れてゆこうじゃないか‥‥」
自嘲というか、自虐めいたのも流行するが、さて、この「義理」とか「人情」といっ
たものは、NHKなどでは浪花節で復活させようとしているらしいが、また日本には、
これが時代に逆行してカムバックする機運ができているのであろうか。演歌が怨歌に
ならぬようしみじみ考えざるをえない。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/640.html
遊女論考
プロフェッショナル
スキポオール空港からは遠いが、セントラル・ステーションつまり中央駅からなら
近い。向かって右のセントリュームの方角に耳をすましていると、ヘ長調に鳴りわた
る教会の鐘が聞こえる。七分間は鳴り響いているから、駅前広場の右側二本目の水路
にそってゆけば、おびただしいアベックの群れに出会う。
そこが映画でも馴染みのい「飾り窓」である。もちろんフィルムはセットだから綺
麗にみえたが、実物は古い石造の家の通路に面したところへ硝子窓をくっつけたもの
だけのものが多い。
そして、それが一区画ずつとびとびに繋がっている。水路といっても五米幅の運河
なみのが、その間にここからアムステルダムの町を流れ、また二町おきくらいに横に
細い水路が水を岸すれすれに満たしている。初めてここへ行った時、
「こりゃあ日本の、昔の玉の井だ」
と思った。ただ、違うところは、お歯黒溝がいつもすえたように臭かったのに、この
オランダは海面より土地が低いせいで水が早く流れるから、てんで澱んだ匂いがしな
いだけである。
むかし日本に遊郭のあった頃、決まって入口に交番があって、うろん臭そうな眼で
人相の悪いお巡りが立っていたものだが、この飾り窓のある一画の入り口にも、「ス
コットランド・ヤード」と、英国と同名のもののセカンド・オフィス、つまり第二分
署の建物がやはりある。ただ日本と違うのは、レストランみたいなガラスばりになっ
ていて、十五、六人のポリスの勤務状況が、彼らに給料を払っている納税者の市民か
らまる見えになっている。
さぼって煙草ばかりくゆらしているのでもいようものなら、通行人がガラス戸を叩
く。すると中からヤァと手を振って、ポリスは、何の帳簿か判らないが、まじめくさ
ってそれをひろげたりする。日本みたいに官僚主義を発揮して、「公務執行妨害罪で
逮捕するぞ」とは脅かさない。
さて、第二分署の二階は、ジム・クラブである。警官達の武道練習所かと思ったら、
ここは別個の民間経営で、西部劇の補助シェリフみたいに、第二分署で人手の足らな
い時などは、日当で応援する事もあるという。
ここのジムに昔、私と大学で同期だったキムとよぶコリアンがいて、マネージャー
をしている。だから私はアムステルダムへ行くと、決まってよくここへ寄る。
するとキムも喜んで迎えてくれるが、もっと歓迎してくれるのは階下のポリスども
である。なにしろ、日本国内にそうした施設がなくなってからというもの、日本男児
は台湾の北投(ペイトウ)へ往復十万円の飛行機代を払って一晩五千円のクーニャン
を買いにいくし、オランダへ彼らがくるのも、観光用に市内には一つだけ保存されて
いる風車を見る為でもなく、またダイヤを求めるためでもなく、男性自身をスパーク
させる為にくるのが多い。
随行員を十名あまりも引き連れ溝川の鉄柵もとれたところに、突っ立っている超一
流会社の社長も見たが、一晩にどこから集まってくるのか、日本男児は多く、なにし
ろ百名ではきかない。
ところがオランダの貨幣はギルダーで計算がわかりにくい。そこで日本男児は気前
がよいわけでもないが、勘定が厄介だから「よきに致せ」と財布ごと出してしまう。
当人とすれば、相手が適当にその中から掴み出しおつりをくれるものと思っての事
だろうが、女はレジスターではない。
メルシイ・ボクウ。フィーレン・ダンケ。モテル・グラツィエ。ムーチャス・クラシ
アス。どうもありがとう。女は財布ごとのいただき。チップと認めて何も返してはく
れない。
諦めてしまうのもいるが、旅費までとられたと第二分署へ泣き込んでくるのも多い。
ところが日本人がオランダ語が苦手なように、アムスのポリスも日本語にはてんで弱
い。だからキムの友達の日本人とわかるとバッジなど貸してくれて仲裁役を頼んでく
る。ところがこのバッジさえ持っていると役得で、何処の店へものこのこ入ってゆけ
る。
さて、アムスの飾り窓の通りに、いつもひしめきあい覗き込んで通るアベックの群
れを、初めはなんの冷やかしかと怪しみ、
(まだものにしていない相手を同伴して、もし要求を入れなければ、俺はここの女と
寝てしまうぞと脅すための作為ではあるまいか)とも考えたが、さてバッジをつけて、
カーテンを閉めたままの店へでも横から入れるようになると、事の意外さに驚かされ
たものである。
なにしろアベックは男女一組のままで店に入り、そこで店の女から実地教育指導を
受けているので、初めは偶然かと思ったが、そうでもないらしい。
アベックの殆どは若夫婦か婚前交際中らしく、カーテンをこしたガラス窓の向こう
を通るさんざめく群集にも頓着なく、熱心に彼らはノートまでとって教示を仰いでい
る。
客のアベックを裸体にしてベットに重ね、店の女が体操教師のように位置を直して
いるのも見たし、店の女によって夫が満足してゆく過程を、ぐるぐる周囲を廻って覗
きこみ、その途中で交替を申し込んだ妻が、自分も観察した通りに振舞い、女からフ
ォームを直してもらっている情景も見た。日本にも「セックス・カウンセラー」と名
乗ってものを書く人もいるが、ここでは全てが実技指導である。だから「夫婦生活の
知恵」といったような本は書店に売っていないわけで、もっと判りやすく手をとり腰
をひっぱって二人にむく体勢を伝授しているのである。
ただし、そうはいっても飾り窓の女が全部そうではなく、「Klove nier
s河岸のHoogsir」通りにかたまっている三十代のベテラン揃いのところに限
定されている。目下修行中の十代ぐらいの若い娘のところでは、まだ自分が勉強する
のに精一杯らしく、男だけで通りかかるのに、ウエスタンのカウボーイ・スタイルま
でして、「ヘイ、ユゥ」と黄色い声で呼びかける。こうして訓練してやがては人に教
えられるような立派なプロフェッショナルになるのだろう。
皇室と遊女
「歴史」はヨーロッパでも十九世紀までは「学」ではなく、何の目的もはっきり持
たぬ単なるお話でしかなかった。
ヴォルテールがギリシャ神話などに現れてくる超人や怪竜や、それらの魔物と戦っ
た英雄談をば、歴史としては認めない方針をうちだし、人間社会がその風土や風習に
よって左右される因果関係をモンテスキューが見つけ出した後、へーゲルの歴史哲学
である彼の相対性弁証法のもとに、Aという通史とBとよばれる裏目の反史をつき合
わせ、Cとよぶ史観を生むようになり、方法論として、これがオーギュスタン・ティ
エリによって、小説家スコットの歴史小説に啓発され、その書き方をまねた記録的実
証的なものが、今日の歴史学の基礎となった。
日本では明治二十年代になって、それまで家系を作るための系図用の歴史、古びた
茶碗を高価に売れるようにとカタログ代わりにした歴史を追放すべく、田中義成、星
野恒、久米邦武、日下寛といった人々が「歴史」に取り組んだ。しかし、「通史」と、
その裏目の「反史」をつき合わせる事が至難というより、全く不可能だったらしい。
通史を再検討する事が、精一杯の侭で明治三十年代に入り、やがて歴史は明治軍部に
よって参謀本部の「作戦資料」となったり、各華族の「祖先顕彰史料」といった利用
方面にのみ追い込まれてしまった。
だから日本史は戦いの歴史となり英雄の歴史となり、そして今も、茶道具の名称を
ことさらに列挙するおかしな形態をとって平然と通っている。みな賢い人ばかりだか
ら、何の益にもならない反史を調べたり、それと通史をつき合わせるような無駄な努
力をするよりも、ありふれた通俗史のままで押し通す方が抵抗もなく楽だからであろ
う。
そこで日本ではこのために誰が悪いのか知らないが、まるで反対の事でも今も平気
でまかり通り、それが歴史と信じられ常識化されていることが多い。
たとえば「秘境部落」というのがある。源氏に追われた平家が山中へ逃げ込んだも
のと、今ではされている。おまけに、
「おまや平家の公達ながれヨーオーホイ、おどま追討の那須の末ヨー」
といった那須の大八と鶴登美の悲恋をあつかった「ひえつき節」などが弘まって、も
はや今日では誰も疑おうとするものもない。そこで下関市の赤間神宮の祭礼などでは、
「敗れし平家の女たち哀れ、みな遊女となりました」と仮装遊女の行列さえ催されて
いる。
だが、厳島神社に納められた遺品をみても判るように、平家というのは海洋民族で
ある。壇ノ浦でみな船にのり鎖で繋ぎ合わせたのも、折りからの貿易風にのって逃げ
る筈だったのではあるまいかと思われる。なにも海戦をするために連絡させたのでは
ない。それなのに風より早く源氏がエンヤトット小舟によって群がってきて戦になっ
たからとはいえ、いくら負けても海洋民族が山の中へ入って落人部落など作れよう筈
がない。
今日いわれている「平家部落」とは、
「源頼朝の死後に、代わって政権をとった北条氏に追われた源氏の残党の逃避行した
部落」
でしかない。あれは徳川時代に犬の血統書作成みたいに「系図」が流行したとき、み
な祖先を藤原鎌足や源頼光式にしたので、
(山の中に源氏部落があってはまずい)と適当に名前をすりかえてしまったものらし
い。
さて、前に書いた「切腹論」は日本では私が初めてだが、「遊女論」は昔からある。
最古のものは大江匡房(まさふさ)の「遊女記」で、これは、「群書類従」にも収録
されている。平安後期の人間だった彼は、
「遊女とは、允恭天皇の妃であった衣通(そとおり)姫の後身の一族で、東三条は小
観音という遊女、上東門院は中君とよぶ遊女を愛された」
と、遊女を貴種とし、また「傀儡記」に、
「紅をさし粉をたたき美しく装った女は、一夕の歓のため男から金の刺繍布や錦衣、
金かんざしといった莫大なものを献じられた」当時の遊女の権勢ぶりを書いている。
もちろん、万葉集にも遊女は出ていて、
「凡有者左毛右毛将為乎恐跡(オホナラバカモカモセンヲカシコミテ)振痛袖乎忍而
有香聞(フリタキソデヲシノビテアルカモ)」
と天平二年(730)に太宰師(だざいのそつ)大伴卿が九州へ戻ってゆくのを遊女
が名残りを惜しみ、これを俗っぽく判りやすく訳すると、
「左の毛、右の毛をこすりあわせカモカモしたいのを、おおみことのりを恐れかしこ
も、わたしは袖をふるのさえ忍んで見送る。アーモレヤアーモレ、アーモレミヨ」と
いう、そのものずばり遊女の相聞歌になり、これが後年の「チンチンカモカモ」の語
源であるとされている。
さて藤原氏全盛の頃までは、歴代の勅撰歌集には、数多くの遊女の作品が出てくる
し、また、
「宇多天皇が河尻で遊女白君と過されしこと」
「小野の宮が二条関白と、遊女香炉の奪いあいをして喧嘩をなされた話」
「関白藤原道長が遊女小観音より奈良七大寺参拝の帰りに薄情と抱きつかれたこと」
「京極大臣宗輔の娘で遊女になった和歌の前というのが永久三年(1115)に、時
の鳥羽天皇に召され寵愛された」
など、まるで遊女とは皇室専用か、宮内庁御用達の感がある。
だから「徒然草」の中でさえ、
「後鳥羽天皇は亀菊とよぶ遊女にいれあげ、彼女の為に長江と倉橋に広大な荘園を二
ヶ所も賜わった。自分は男に生まれてしまい遊女になれぬが恨めしい」
と吉田兼好は書いている。
また、その遊女亀菊によって承久三年の鎌倉幕府追討の院宣は出されたのだと「吾
妻鏡」にもその名が出ている。
つまり、日本の遊女というのは、天皇家の繁栄と共にあって、やがて皇室の御衰微
と共に遊女もしぼんで哀れになったらしい。しかし一般の常識でゆくと、今では、
「遊女とは横暴な男性の欲望を満たす為、その犠牲として存在したものだ」との既成
概念が強い。しかし、今も昔も「女」とは、それほど男に都合のよいものだろうかと、
これは考え直さざるを得ない。
なにしろ女性に生まれついてきた特権で、そのもの自身で楽に暮らせたり、生活の
安定が得られるということは、これは麻薬中毒のように一度その味を覚えたら止めら
れるものではない。だからして八百年以前においても、
「女が女を振り廻し生きてゆけるのに、男は男をいくら振り廻しても、それによって
儲けられる事はなく、かえって損するだけではないか」ひがんだ男達がみな不平をも
ったらしい。
そこで源頼朝は鎌倉に新政府をたてるや、
「女性自身を利用する権利は、みなもと族に属する婦人に限る」旨を発令した。
文治二年(1186)のことである。
そして頼朝は、平家退治に手柄のあった清水冠者義高と里見義成という高名な武者
を、「遊女別当」に任じ関東関西に分けて受け持たせた。この取締は源氏の遊女だけ
をエスコートして、権利のない女性にモグリ営業をさせない為である。
だから、大正昭和までの公認の遊廓では、
「うちの妓は、もぐりではありませんのさ」と女達に「源氏名」というものをつけさ
せた。
これに関し日本歴史学会長故高柳光寿氏も、
「平家の一門が壇ノ浦で滅亡したとき、平家の婦女や官女が遊女になったと説をなす
者もいるが、平家の彼女達が遊女になれる権利などあるわけはない。中世までは、女
なら誰でも遊女になれると思ったらそれは誤りである」
明解にその著で説いておられる。
和泉式部も遊女
室町御所の時代に入っても、やはり女なら誰でもが有するものをもって生活してゆ
ける事を野放しにしていては、一人の男だけに縛られて苦労するような妻になど、ば
かばかしくてなり手がいないと、「傾城局」という官庁を足利幕府は作った。「室町
日記」には、「専売局」とする。
つまり鎌倉時代に「遊女別当」と呼ばれた婦人局長官が、「傾城官」となったもの
で、初代長官武内重信の名も伝わっている。つまり女の中の女でなくては、やたらに
昔は遊女になれなかったのである。
さて、話は戻るが、相場長昭の「遊女考」に、「白き小袖の上にから綾をひき重ね
た装束」で、「しずやしず、しずのおだまき繰返し」と舞った静御前も、吉田兼好の
著では、「磯の禅師とよぶ高名なる遊女の娘なり」と純粋遊女血統であった事が証明
されている。
また、「源氏物語」を書いた紫式部と共に有名な和泉式部あたりでも、古文献の
「御伽草子」では、「和泉式部は遊女にして」となっている。また小野派一刀流の真
の始祖といわれ、秀吉の妻の女祐筆であった「小野於通」とよぶ絶世の美女も、「八
十翁寿物語」という古書では、
「浄瑠璃の初めは、小野於通とよぶ遊女が語りだしたるものなり」とある。
つまり近世までは「遊女」は褒め言葉で、ファースト・レディの意味だったらしい。
が、儒教が朱子学の型で日本へ入ってからは、金を阿堵物と蔑む風潮が弘まって、こ
のため、「金をとって身体をまかせる女」というのは軽んじられるように変化したも
のらしい。
しかし、それでも江戸期の黄表紙本などは、やはり評価を、
「あんな女は、ただでもいやだねぇ」とか、
「いくら金をつけられたって、あんな女じゃ」
と、やはり女性評価を貨幣でしている。
ところが、その江戸時代には、はっきり定価表をつけた吉原という一廓があったが、
「御府内備考」第二十江戸新吉原の条に、
「吉原の開祖庄司甚右衛門のことを『君がてて』とよぶ」
とある。これは故柳田国男の、「テテと称する家筋」によると、古くは、「帝々」と
書いて「てて」とよぶのだとある。
つまり、遊女というものの存在は、「君が帝々」であって、それからして、「遊君」
というし「何々の君」とも言うのであるらしい。
どうも皇室専用だった名残りから尊敬されていたようで、寛永十七年までは江戸城
の評定所へも、元吉原から遊女が三名ずつ赴き、花を活けたり茶をたてたりしていた。
「遊女」というものに対して今日のような観念が出来上がってしまったのは、「明烏
(あけがらす)」の芝居で、雪中でやり手婆に遊女が折檻される場面や、故沢正の
「国定忠治山形屋の場」で、「可愛い一人娘を苦界に沈めた五十両。よくも藤蔵、て
めぇはとりゃがったな」といったところからピティ[pity]な存在になってしま
ったらしいが、正保二年(1645)十一月には、元吉原角町並木屋の佐香穂という
遊女は馴染み客が死んだからと、堂々と廃業して尼さんになっているし、畠山箕山の、
「色道大鏡」の内の<扶桑列女伝>に出てくる勝山という遊女は、丹前風呂から召捕
られ廻されてきた一生奉公の身分の女だが、明暦二年の春に、
「今年中に思う子細があって廓を出ます」
宣言すると、そのとおりにさっさと吉原を出てしまったとある。今日想像するのと違
って、吉原というのは、山東京伝作万治二年の、「しかた噺」にも、
「江戸のうかれ女は葭原(よしわら)という所に集まり、ここの遊君は雨など降ると
自分では歩かず、奴という男を呼び寄せ、一名に傘をささせて、一名の肩に己れを背
負わせ廓内を行くのである」
と、そねむような書きぶりを今に残している。
これは銀座のバーの女達が、大の男のボーイを顎で使って灰皿を替えさせるのと同
じで、ありていに言うならば、「女性優位」を露骨に地でいける、そういう職場では
なかったのだろうかと思える。
また、かつて儒教が道徳であった時代には、
「女人が行為によって、歓喜の声を迸らせたり失神すること」は、慎みがないとされ、
「不道徳」の烙印が押され、行為は女人にとっては苦痛でしかないように、そんな教
育をされたものである。
だから女性たるものは、そうした行為は欲せざるところ、好まぬものと意志表示を
するような処世法をもつことが、これが賢明とされた。その結果が、行為を反覆繰り
返す職業は、「苦界」とみられ、哀れな存在といった扱いをされたらしい。
しかし、女人にとって、それほどまでにそうした行為が苦々しいものであるならば、
「おめでとう」と、なぜ婚礼のときに周囲は祝うのだろうか。相手が一人ならおめで
たく、それが複数になると同情すべき結果になるとは何であろうか。欲望というもの
は、「効用淵源の法則」によって、一より二、二より三の方が良くなるという定理と
矛盾しないものかと疑いたくなる。
さて、なにしろ儒教が普及するまでは、女人も本当の事を口にしたらしく、吉原の
開祖六代目庄司勝富の残した「異本洞房語園」に、
「この里に住みてうきことなし、夜ごとかわる枕も面白しといいはべる女ども多く」
などと、はっきり残されている。
現在はなくなったらしいが、まだ「親孝行」というモラルが、かつてあった頃は、
「お三味線や踊りを習って芸妓さんになって、いい旦那をもって、おとっつぁんやお
っかさんを左団扇にさせるんだぁ‥‥あたいだって綺麗なおべべが着られて仕合わせ
だぁ」
将来の希望をそこにおいて憧れる少女が、昭和二十年までは、まだかなりいたもので
ある。しかし、時世、時節で、今でも行為を職業とする女性は多いらしいが、親のた
めというのは殆どいない。彼へ貢ぐ為というのが多い。つまり彼との行為の為に、他
との行為を致すのであるらしい。
遊女は職人
が、何といっても日本語の難しさは、「遊女」の意味からして解釈しにくい。これ
を現在のように「遊ばせる女」と読んだ時、はたして該当する存在が、紅燈の巷やネ
オン街にも今あるかどうか疑わしい。
よく遊ばせてくれるというのは「藝」であるが、これは自動的でなくてはならない
のに、そうした女性は今はいないのではないか。つまり、酒場の女でも、煙草に火を
つける事と、おしぼりを持ってくるしか知らぬのが多い現代では、お客の方が女を遊
ばせる事があっても、その逆はあまりなく、まして肝心な方においてをやであろう。
ところが、「遊ぶ女」とみた場合には、昔のように恐れ多くも主上を手玉にとった
り、搾り奉るような不敬なのはいないが、これなら今でもハント・バーあたりへ行け
ばいくらでも居る。が、自分の方が遊ぶのだからして、男に対しあべこべにサービス
を求めるのである。
室町時代に土佐絵をもって一世をならした光信の作に、「七十一番職人歌合わせ」
という絵巻物がある。二十世紀では職人というのは一日何千円の手間代をとるから立
派だとはいうものの、学校出の技術屋に比べ、学歴がないからと冷たくみられる向き
がないでもない。しかし四、五世紀前には学校出はいなかったから、職を持っている
人間はきわめて尊敬された。
つまり土佐光信も絵描という職人であるし、医師も当時は病気を直す職人だった。
そして、「遊女職」というのも、立派な職人だった。熟練工といった意味でか、この
七十一の職業別絵巻物に、遊女は堂々と入っているのである。
これは幕末安永年刊の「咲分論」にも、
「いくら初見世だからといって、丸太ん棒を二本ならべた丸木橋みてぇに寝ていられ
ちゃ曲もねぇ。商売だったら商売らしく、てめぇの職にすこしはまじめに励みやがれ。
それじゃあ、かたぎの嬶とおんなじだ。何事もやりさえすれば、それでいいってもん
じゃねぇ筈」
と、お説教が出ているのをみても、やはり、
「遊女というのは、並の女性のように唯あるものを使うというのではなく、そこには
職人としてのプライドをもち、芸を切磋琢磨する必要」
が要求されていたものらしい。
しかし、かつて女性の中の特権階級だけが職人の誇りをもって司り、権利のない女
類には許されなかった職業も、徳川中期以降の近代資本主義の勃興によって、やがて
抱え主とよぶ資本家と労働者という立場に変わったから、そこからすべてが違ってき
たらしい。
そして政治の貧困から江戸府内でも、岡場所と呼ぶ権利なき女達の私娼街が、いく
ら弾圧されても次々と現れてきだした。しかし腐っても鯛で、吉原は職人女の集団で
プロフェッショナルだったが、私娼というのは未訓練女性で、てんで職人気質をもっ
ていないものようだったらしい。
そこで、家にありあわせるようなものを外で求めるのはつまらんだろうというので、
奇篤な男が身をもって現地取材をした。弘化二年三月二十三日発禁処分となったが
「東辻君花の名寄せ」というのがそれで、その刊行物の内容は、
東両国 はる16優 ふく17優 きく27良 ひろ21可
浅草橋 ふじ25優 たき21良 かつ28可 とし18可
永代橋 むら17優 そで33優 なみ22良 とく21可
本所通 さだ19優 よね35優 ひさ17良 ひろ17可
芝久保 まき21優 かね34優 たき21可 たみ25可
赤坂通 てふ18優 ふさ16良 つね15可 よし16可
今から百五十年前の女性の勤務評定をずらりと並べているが、今になっては役にも
たたないから後は省略するが、優は努力する職人タイプ。良は自然の結構さ。可はや
めておけの事だそうである。
さて、
「他人の不幸ほど喜びを得られるものはない」
というカーライルの言葉を利用して、「戦国時代の女性は哀れだった」とか、「遊女
はみじめだった」とかいって読者に媚る本も多いが、性病などが輸入されなかった頃
は、実際にはそうでもなく、「遊女職」として、遊女がその権利を行使していた源氏
から北条、足利時代にあっては、志望者が殺到して選ばれてなったというから、彼女
らは今のプレイガールより遥かに仕合わせであったものらしい。
また吉原の太夫に権式があって威張っておられたのも、俗説の如く茶湯や仕舞、琴
が弾け遊芸に通じていたからというのではなく、もっと本質的に、その途のテクニシ
ャンで、技巧をもつ優秀な職人だったせいではあるまいか。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/641.html
その地区がどれだけ汚染されているか、そこらでやっている測定よりずっと正確なデータがとれるだろう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/676.html#c7
今回は、ガンダーセン夫人とのQ&A形式です。
(要約)
「福島第一4号機はどの程度危険か?また地震や津波に襲われる可能性があるが」
4号機は最大の懸念事項。
火災になったら東京から逃げなさいと、本にも書いた。
他よりも保管してある燃料が多い。使用後すぐのものもある。
しかも燃料プールは格納容器には納まっていない。
大きな地震が起きたら4号機建屋はもたないだろう。
使用済み燃料は常に水冷する必要がある。空気に触れれば、ジルカロイの被覆が燃える。
放射性物質が燃え上がり、日本をそして世界を覆う。
今までに人類が行なった核実験で出た放射能総量よりも燃料プールの放射能総量は多い。
できるだけ早く燃料を取り出して移動しなければならない。
日本政府は、2013-14年に4号機を別の建屋で囲い燃料を移動する計画を発表した。
4号機の燃料移動は最優先事項であるが、東電・政府の動きは遅すぎる。
燃料プールには覆いがなく露天状態だ。
ブルックヘブン研究所の報告では、18万7千人がプールの火災により発ガンすると指摘されている。
東電も日本政府も深刻に考えていないのが問題。
松村昭雄氏の主張が世界でやっと理解された。政府・東電に早急に対応するようにお願いしたい。
「セシウムの危険性と放出された他の放射性同位体について」
セシウム137の半減期は30年、300年は危険だ。
カリウムと間違えて体内に取り込まれる。筋肉に蓄積されガンやいろいろな異常を引き起こす。
心臓にはいるといわゆるチェルノブイリ・ハートとなり、心筋に回復できないダメージを与える。
他の放射性同位体が引き起こす問題の大半をセシウムは生じさせる。
「3号機爆発は即発臨界によるものというが、その根拠は?」
1号機の爆発は音速以下で爆燃(deflagration) が起きた。
3号機の爆発は全く異なり爆轟 (detonation)である。爆発速度は超音速。
どう爆発したかより爆轟であったことが重要な点だ。
格納容器は爆燃は耐えられても爆轟には耐えられない。
原子力業界は無視しているが重要な問題だ。
ではどうして爆轟が起きたのか。水素爆発では爆轟は起きない。
ヒントは2つある。
NRCの昨年3月の報告では、2キロ先で3号機から飛び出した燃料破片が見つかったとある。
炉心、格納容器が壊れて破片が飛び出したとすれば、汚染がもっとひどいはずだ。
燃料プールの中で起きたに違いない。ビデオが示すようにプールの位置で爆発が起きている。
建屋天井付近に溜まった水素が爆発したなら、下向きに圧力が加わるはずだ。
これでは破片は外に飛ばない。
プール内で即発臨界爆発が起きたに違いない。
燃料はラックにぎっしり詰めているので臨界は起きやすい。
40年前のBORAX実験の爆発に似ている。
即発臨界は、連鎖反応は核爆弾よりは遅いが原子炉内よりは速い。
もう一つは、プール上部の屋根が完全に吹き飛んでいることだ。原子炉上部の屋根は残っている。
格納容器上蓋が内部圧力によって持ち上げられ、隙間から放射性ガスが吹き出した。
しかし、それがあの爆発を引き起こしたという証拠にはならない。
「水素爆発について。どうして起きたか」
福島の事故で最も大きな謎は4号機の爆発。
東電は3号機から配管を通って来た水素が爆発したと主張している。
3号機格納容器は壊れていて、4号機に水素を押し出すほどの圧力はなかっただろう。
爆発原因は4号機建屋内にあったろう。2つ考えられる。
佐治博士の説は、プールの水が分解して水素が発生した。水温が上がり水素が上昇して爆発。
もう一つは私の説だが、プール内燃料の上部が一部露出し、空気に触れて水素を発生し爆発した。
原子力業界は全く考えていないが、プール水温が80度でも部分的が沸騰することはあり得る。
プールで水素が発生し爆発することは誰も予期せず、設計にも考慮されていないが、
実際に起きてしまった。沸騰水型のみならず世界の全原発400基に対策が必要である。
「4号機プールで即発臨界が起きた可能性は?また4号機が放射性物質を放出する可能性は?」
1年以上経っているので、事故直後に比べ燃料の温度は下がっているが、
もう2年は水冷は引き続き必要。水素が発生して爆発可能性は低い。
最大の懸念はプールの水がなくなること。プールに亀裂が走って水がなくなる。
燃料がむき出しになって燃え出す。それが一番恐い。
風向き次第で東京も避難が必要になる。本州が2つに分断される可能性もある。
燃料を取り出すまで地震が起きないよう、神様にお祈りするしかない。
「スリーマイル島、チェルノブイリと比べて放射能の危険性はどうか」
スリーマイル島事故で死者はいないとNRCは言っているが、実際はガンが増え亡くなっている。
スティーブ・ウィング博士の報告にもある。
ピッツバーグ大学の報告では、今になって白血病の増加が認められるとある。
チェルノブイリや福島よりは100分の1以下のはるかに軽微な事故だったにもかかわらずだ。
福島からは、チェルノブイリの3倍の放射性不活性ガス雲が放出され北西に広がった。
ヨウ素、セシウム・ガスについてはチェルノブイリにほぼ等しい量が放出された。
内陸のチェルノブイリと違って福島では海に流れたのが不幸中の幸い。
もう一つ幸運だったのは、地震が金曜日に起きたこと。
週末だったら係員が手薄で迅速な対策が取れず、さらに悲惨なことになっていただろう。
夜中や週末は係員が少なく、事故が起きたら非常に危険だ。
コストダウンのために係員を減らすのは問題だ。
「ホットパーティクルの危険性について」
非常に懸念している。ホットパーティクルには何十万もの放射性原子が含まれる。
肺や肝臓にはいりこみ、常に組織を冒し続けガンを引き起こす。
カルトーフェン氏は車のエア・フィルタの汚染を見せてくれたが、われわれの肺もあれと同じ。
子供はとくに危険。これから長い人生を生きなければならないし細胞分裂も盛んだ。
これから先30-40年は、福島を含め日本の子供たちが、福島原発から放出された
ホットパーティクルでガンにならないか注意が必要だ。
「福島原発の教訓は何か」
この事故の前に、事故の起きる可能性について話した。
どこで起きるかわからないが、マークI沸騰水型原子炉が事故を起こすだろうという予想は的中した。
だが、福島の教訓は原発事故は国家を崩壊させうるということだ。
ゴルバチョフは回想録の中で、ソ連を崩壊させたのはペレストロイカではなく、
チェルノブイリだったと書いている。
これから20年で5千億ドルもの費用がかかるだろう。
日本は今、分岐点にいる。
エネルギー政策を根本から考え直して、スマートグリッドを構築して、
エネルギー源を分散化しエネルギーを互いに融通するか。
あるいは、今まで通り20世紀型中央集中型のエネルギー供給に頼り、原発を続けて、
また事故を起こすかだ。
21世紀のコンピュータ社会では中央集中型のエネルギー供給は不要だ。
分散型エネルギー供給技術で日本は世界をリードし、それでビジネスをすることができる。
世界はそういった日本の技術を待ち望んでいる。
福島の事故は人類史上最悪の産業事故だが、日本にとってはビジネスの方向を変える
チャンスでもある。
私は日本が前者を選択することを望んでいる。
-------(コメント)------------
いつもの通り、ガンダーセン氏の話は非常に論理的かつ明快です。
最後の日本への要望は全くその通りであり、アメリカ人にこういうことを指摘されることは
恥でもあります。しかし、日本を外から見ているからこそできる提言でもあるのです。
ウクライナやベラルーシには日本のような産業も技術もお金もない。
事故が起きてもなお原発に頼らないければならないのは理解できる。
しかし日本は違う。世界一の省エネ・省資源技術。自然エネルギーの技術。コンピュータ制御技術。
こんな国は他にどこにもありません。
さっさと原子力に見切りをつけて、エネルギー技術の転換をはかり、安全で効率的な
エネルギー供給技術を開発する。そしてそれでビジネスをする。
ハイブリッド車で自動車の世界に革命を起こしたように、エネルギー供給技術でも革命を起こす。
それができるのは世界でも日本だけです。
それこそが世界が期待しているものであり、日本に大きな利益をもたすでしょう。
前世紀の遺物である原子力に固執する限り、日本の未来は有り得ません。
関連リンク
原子炉暴走実験
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E5%AE%9F%E9%A8%93
BORAX実験動画
http://www.youtube.com/watch?v=qIl97ByeU_M
http://www.youtube.com/watch?v=yUhVGH-WHKk
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/686.html
ご子息の旅立ちに
それも事故で悲惨な旅立ち方
(旅立ちのほとんどは、悲惨かもしれませんが・・)
自分ならどうだろうか・・
克服して、エリックのように前向きに
生きていけるかどうか・・
そんなことを、つい、考えてしまいます。
そんなエリックも今は、
確か二人くらい娘さんがいるのでは?
確か、違う奥様かと思いますが・・
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/247.html#c4
別に実用的な成果を期待する必要もない
道路、地震、原発など日本の多くの産業と癒着した科学と比べ、大した税金が浪費されているわけでもない
最近は、実験事実や物理の基礎理論と整合的な理論を作る試みも増えているし
まあ長い目で暖かく見守るのが正しいだろう
他でも書いたと思うが、LEDは砒素を含んでいるとかいう報告がありましたよね。
豪州では従来の電球が廃止、製造禁止になり、水銀入りで
製造するのに従来品よりよほどの電力を使わなければいけないうえに
ゴミはかさが増えておまけに毒性廃棄物となったクルクル蛍光灯がメインで販売されています。
#従来品の数倍の値段で
>投稿者は、隠れ「反橋下派」
隠れてませんよ。(^O^;
ずっと批判してます。
>「実は、電力は足りる」のキャンペーンを張って
当然でしょう。実は足りるのだから。
もっとちゃんと調べてくださいね。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/670.html#c18
日中記者交換協定同様のカラクリ)
現場の警察官の間でも
「公安のマル」
との呼び名で、取り締まれない連中として問題視されている。
例えば
米軍関係者の不祥事等はことの他盛大に報道等されるが、
中国公安部が何をしようと、日米には取締りの権限すら無い。
JAL123便核攻撃惨事が隠蔽され続けているのも、中国公安部マルキスト部隊が中心的に関与していたからである。
↑を書くと、すぐに、中国勢が家におしかけて来ている。(2012年5月14日15:00現在)
http://ja8119.iza.ne.jp/images/user/20120514/1807641.jpg
http://ja8119.iza.ne.jp/images/user/20120514/1807660.jpg
http://www.asahi-net.or.jp/~rz3t-ysn/MVI1497_AVI
原油、金で目立つ「売り仕掛け」 ----(日本経済新聞)
2012/5/14
原油や金などの国際商品相場が下げ足を速めている。新興国景気の先行き不安や欧州危機の再燃で投資マネーが商品市場から流出している、というのが最も平均的な解説だろう。ただ、商品市場には参加者の不安感をあおりながら売りを仕掛け、下がったところで買い戻して利益を稼ごうともくろむファンドも多い。足元の市場データはこうした「売り仕掛け」の増加を示す。
米商品先物取引委員会(CFTC)が11日発表した大口の売買動向は、米原油先物の買い越しが8日時点で18万3960枚(1枚=1000バレル、オプションを除く)となり、1週間で4万2683枚(19%)も減少した。依然として高水準の買い越しには変わらないが、直近で見れば2月7日以来、3カ月ぶりの水準まで減少した。
買い越しの減少=投資マネーの流出という見方は少し単純だ。買い越し幅はあくまで先物市場の買い残高から売り残高を引いた数字だからだ。中身を見れば、たしかに買い残は5月1日時点の37万4537枚から35万6626枚へ5%減っているものの、注目すべきなのは売り残高の急増だ。前週の14万7894枚から17万2666枚と17%も増えている。売り残高の多さは、昨年10月下旬以来になる。
投資マネーがどれだけ市場に入っているかを見る総建玉は8日時点で約159万枚と前週から1万1千枚しか減少していない。マネーの動きが買いから売りへと大きく変わったのだ。売り仕掛けはどこかで「買い」に変わる。昨年秋は売り残高が20万枚を超すファンドの売り攻勢で米原油先物の期近限月は10月4日に一時1バレル74ドル台まで下げ、その後は買い戻しで急速に相場が上昇していった。
金先物の売り仕掛けはもっと激しい。4月30日のニューヨーク先物市場では朝8時半のわずか1分間に7500枚(1枚=100トロイオンス)、量に換算して23トン強の売り注文が殺到。取引は一時停止に追い込まれた。市場には「ファット・フィンガー(誤発注)」か、との声も上がったが、取引再開後の相場は急落を演じた。
アジア市場の時間帯は実需の買いが下支えても、ニューヨーク市場に入るとまとまった売り注文が舞い込んでズドンと下げる場面がその後も頻繁に起きる。マーケット・ストラテジィ・インスティチュートの亀井幸一郎代表は「ファンドのHFT(高頻度取引)を狙った売り仕掛けではないか」と推測する。
現在の市場では、プログラムに従ってコンピューターが自動売買する取引がかなりの割合を占める。まとまった売りを仕掛け、下げのモメンタム(勢い)を引き出せば、そこにHFTの売りが追いかけて相場の下落に勢いが付く。下値のメドとなるチャートポイントなどは格好の仕掛けどころだ。仕掛けたファンドは、思惑通り下がったところで買い戻せばひともうけ、という戦略だ。
もちろん、上昇相場でも同じような動きは起きる。HFTには市場の売買を活性化する効果もあるが、相場の振幅を必要以上に大きくしてしまう側面が現在の市場では顕著だ。しかも、それが新たな「仕掛け」を誘発している。
---------------------------------------------------------------------------------------
[コメント]
この記事で触れられていない事があります。それはHFTの売りを誘っているのが実はHFTだという事です。
実はHFTは「売り」だけとか「買い」だけではありません。
肝心なのはHFTは超高速で「売りこし」、「買いこし」を行うプログラムだと言う事です。
超高速で取引を行う「目的」は相手より先に注文を出す為です。
そうでなければ、相手にロス・カットさせる程に価格を動かせません。
相手より先に安い値段で大量に買い、高くなり売り注文が少なくなった時点で相手よりも先に売り注文を出す。
相手より先に高い値段で空売りし、安くなり買い注文が少なくなった時点でば相手よりも先に買い戻す。
こうすることによって、相手よりも有利に売買を行います。これがHFTの目的ですが、単純に厚い売りを出すだけでは、それよりも多い買い注文が入れはば価格変動はそこで終わってしまいます。
相手の買い注文よりも1株でも売り注文が多ければ価格は下がります。
つまり価格を変動させる為には、相手よりも1株でも多い注文を連続して出すことができなければ、価格の変動は一瞬で終わってしまうことです。
その点でHFTは有効で、超高速で相手よりも多い注文を連続して出すことができます。
ある程度価格が下がれば、自動的に利食い注文を超高速で出すので、最小限の手元資金で相場のイニシアティブを取ることができます。
相場を動かすのに最も嫌われるのは資金の固定化だが、相手よりも格段に高速なHFTを使用し、相手よりも多額の資金を保有している場合は、超高速で売り・買いの注文状況を判定しため、自ら「買い上がり」ながら「売りこす」ことや「売り崩し」ながら「買い戻す」ことが比較的容易だと言われている。
岩手県千厩町(現一関市)だって、町内で最大の企業ソニー千厩が全面撤退したって、な何とかこうにか、工夫して我慢して、うすらうすらと衰退しながらもがんばって行くしかない。
こんな地方の町なんて、今日び幾らでもあるさー。
原発とその立地場所だけが“特別扱い”される訳がねーべーさー!
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/680.html#c17
先日、三村知事に近い親戚が介護施設で大腿骨骨折させられ、全治二ヶ月でおいらせ病院に入院している。
また、以下の文章を掲載書き込み等したところ、中国勢と観察される連中がおしかけてきている。(2012年5月14日15時現在)
http://ja8119.iza.ne.jp/images/user/20120514/1807641.jpg
http://ja8119.iza.ne.jp/images/user/20120514/1807660.jpg
http://www.asahi-net.or.jp/~rz3t-ysn/MVI_1497.AVI
日本には中国公安部が徘徊暗躍しており「公安のゼロ」と呼ばれる。日米欧派を弾圧するマルキスト部隊である。
しかし、
この中国公安部「公安のゼロ」を取り締まる権限が日本の警察公安には無い。(
日中記者交換協定同様のカラクリ)
現場の警察官の間でも
「公安のマル」
との呼び名で、取り締まれない連中として問題視されている。
例えば
米軍関係者の不祥事等はことの他盛大に報道等されるが、
中国公安部が何をしようと、日米には取締りの権限すら無い。
JAL123便核攻撃惨事が隠蔽され続けているのも、中国公安部マルキスト部隊が中心的に関与していたからである。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/141.html#c8
「メタンハイドレートは資源ではない」石井吉徳・元国立環境研究所長--(オルタナ)
今回の原発事故の後、メタンハイドレートを原子力の代替として注目すべきとの論も出てきた。しかし東京大学名誉教授で元国立環境研究所長の石井吉徳さんは「そもそもメタンハイドレートは使えるような資源ではない」と断言する。その論を寄稿して頂いた。
■資源は質がすべて
3・11の原発事故を契機として、日本独特ともいえる、エネルギーについての、とんでもない誤解が喧伝されている。「日本近海の海底下にはメタンハイドレートが膨大にある」「日本のメタンガス消費量の100年分もある」というものだ。
NHKを含めたメディアでも、派手なキャッチフレーズで登場する。その姿は「溺れる者藁をもつかむ」かのようで、私は機会あるごとに警告してきたが、一向にその勢いは衰えない。
そもそも、資源について重大な誤解がある。「量」だけで資源を見る一方で、「質」の視点がない。その期待感は、あたかも太平洋戦争が敗色濃厚の時、日本は神国、いまに神風が吹く、そして鬼畜米英をやっつけてくれる、との神がかりの話になりかねない。それなのに、あたかも実際に起こるかのように喧伝され、国民もそれに期待し、願った。
これを批判すれば国賊のように言われたものである。当時、幼かった私は「大人は何と馬鹿なのだろう」と思ったことを今でも覚えている。
今のメタンハイドレートも、そのようなお話だ。そこで改めて「資源とは何か」、小学校の理科レベルの話をしなければならない。何せJOGMECなどの経済産業省傘下の政府機関、東大を含めた学界、石油技術協会などの専門学協会などがメタンハイドレートを容認し、宣伝している。すでにかなりの税金すら投入されている。
メディアでも、まるでメタンハイドレートを3・11後のエネルギーの救世主のようにもてはやす。神話は原発安全神話だけではないのだ。これでは3・11後の日本の未来が危ない。
そこで「資源とは質が全て、量ではない」と述べる私のHP、下記:「資源とは」をまず参照されたい。
www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/oil_depletion/netenergy.html
一言すれば、エネルギーはEPR=Energy Profit Ratioで判断すべき、入力エネルギーと出力エネルギーの比=エネルギー収支比で考えるべきだ。これがエネルギーの絶対条件だ。簡単なことである。
■在来型ガス田と全く違う
メタンハイドレートは、普通の天然ガス田と違い、掘削しても自然に噴出しない。固体のメタンと水の水和物、メタンを中心に周囲を水分子が囲んだ形に、包接水和物は低温かつ高圧の条件下で、水分子は立体の網状構造を作り、内部の隙間にメタン分子が入り込み氷状の結晶になっている。
固体なので、火をつけるとメタンが分離するので燃える。このために「燃える氷」とも言われる。この水和物1 立方メートルを1気圧の状態で解凍すると164 立方メートルのメタンガスを得る。分子式は CH4•5.75H2O、密度は0.91 g/cm3である。
日本列島の周辺の海底下にも、堆積地層内有機物の分解で生じたと推定されるメタンが固体の水和物メタンハイドレートとして広く分散して存在している。この水和物は低温、高圧で安定する。
シベリア、カナダなどは低温なので、メタンハイドレートは地表近くに存在する。一方、日本などでは水深1キロメートル程度の深海底、地層内に分布している。四国沖、御前崎沖なで存在が確認されている。
メタンハイドレートは日本のみならず、世界の海域で広くその存在が昔から知られているが、それを在来型の天然ガスと同じとは考えてこなかった。その量は膨大であることも分かっていた。
これが資源として価値があるかどうかだが、前にも述べたようにメタンハイドレートは濃集して存在していない。だから資源として価値がない。
その性状をもう少し、説明しよう。メタンハイドレートの堆積層は地中深くなるにつれて地温が高くなるためガス化する。そのため海底斜面内、水深500-1000 m程度でその下数十から数百mにしか存在できない。
そこで固体状メタンハイドレートより、その下の遊離メタンを通常のガス田のように採取できないかが、話題になったこともある。だがその後の掘削事例から、その可能性がないと分かった。
■日本での取り組みの経過
1990年ごろ、元通産省傘下の日本エネルギー総合工学研究所が、様々な非在来型の天然ガスの可能性を、業界、学会からの識者を集めた委員会で調査研究したことがある。私はその委員長を務めた。
その検討の中で取り上げたのがメタンハイドレートだった。資源かどうか判然としないメタンハイドレートを論点整理した。経済大国となった日本が、もう欧米追従だけでなく、国費を費やして資源価値があるか整理することとした。そして研究調査すべきと報告した。
それから20年を経て、何となく資源と決め付けたのか、毎年かなりの額の国費が投じられる公共事業化事業と化したようである。資源かどうかの見極めの総投資額を100億円程度と思っていた。その後の経過は詳しくは知らないが、毎年の規模となったようである。
■いわゆるメタンハイドレートは、濃集されていない
繰り返すが、資源は質が全て、量ではない。濃集されていないものを集めるにはエネルギーが要る。ところが日本ではその意味が理解されない。
例えば、1996年の時点でわかっているだけでも、メタンハイドレートは天然ガス換算で7.35兆立方メートル、日本で消費される天然ガスの約96年分、以上あるというのである。
これは原始埋蔵量であって、経済的に可採な資源量と違う。大事なのは「エネルギーコスト」だ。良く話題になるマネーコストは殆ど無意味である。
海底面下に薄く分布するメタンハイドレートは固体である。通常のガス田のように掘削しても噴出するわけでない。先ず地層中に安定分布する固体からメタンガスを遊離しなければならない。
だが、当然、ガス化にはエネルギーが要る。EPR(エネルギー収支比)は低い。一言すれば問題にならない。
■膨大なメタン回収エネルギー
資源3条件とは1)濃集されている 2)大量にある 3)経済的な位置にあるもの−−だ。
資源にするには、この3つの条件を満たすべきだが、社会では殆ど理解されておらず、専門家の間ですら誤解がある。
地学雑誌という専門誌(末尾参照)、2009年特集号にメタンハイドレートが総説されている。そしてメタンの「原始資源量」は日本近海に膨大と記されているが、この原始埋蔵量とは地下に存在するという程度の意味のようで、資源としての経済性とは無関係だ。
「メタンハイドレート鉱床」という表現もある。本来この言葉にはもう少し具体的な意味がある。金属鉱床において、品位が低いと幾何級数的に投入エネルギーが増大するという意味が込められている。
資源は品位が大事であって、ただ量が多いではダメである、特にエネルギー源では、EPR(エネルギー収支比)が極めて重要だ。
通常の天然ガス田では、掘削すればガスは自噴するが、固体のメタンハイドレート層では自噴しない。固体としての濃集条件も大事であろう。それも満たさないから、井戸を掘って回収出来るものでもない。
だが、その性状は昔からある程度はわかっていた。1930年代ころ、天然ガスパイプラインを塞ぐ邪魔者として知られていた。海洋地質学的には国際深海底ボーリングで、コアも採取されていた。
しかし一方において掘削時の暴発も大いに警戒されたものである。 アメリカのバミューダ沖は魔の三角地帯、海底地すべりに伴うメタンの暴発が船、航空機に災害を起こす地帯として大いに恐れられた。
一般的な海洋地質研究には、アメリカ東海岸、ウッズホール海洋研究所が有名である。私も訪問したことがあるが、フロリダ沖などでの総合的な研究成果は素晴らしかった。しかし彼らに、メタンハイドレートが資源という意識は殆ど無かった、と記憶している。
■長年の研究プロジェクト、その経過と成果
メタンハイドレートの調査研究には音波探査、ボーリングが欠かせないが、近年は石油探査に使われる大規模な海洋地震反射法も用いられる。
反射記録断面に強い反射波列として、メタンハイドレート層が表現されるからである。音響インピーダンスの顕著な変化のためで、ボーリングさらに具体的に調べるのである。コア採取で、メタンハイドレートはシャーペット状に観測、採取されるものである。
日本では最初、エネルギー総合研究所に設置された委員会(委員長石井吉徳)で1990年ころから研究調査を始められた。その後、石油天然ガス・金属鉱物資源機構と関連する民間の探査、海洋掘削会社に引き継がれた。そして年100億円もの税が投入されるようになった。
南海トラフでは、ボーリングによって、メタンハイドレートが確認された。そして2002年には、国際共同作業として、カナダのマッケンジー・デルタで永久凍土地帯の浅層を掘削、メタンハイドレート層に熱水注入してメタンガスが回収されている。
2008年に、同じく永久凍土1100mのメタンハイドレート層から、減圧法でメタンガスが連続回収された。これを受けて、2018年頃にはメタンハイドレート事業が商業化すると言われたが、その経済性は不明のままだった。
■膨大な回収エネルギー、見積もられない収支比、EPR
かくして20年が経過した。だが上述のように経済性は不明のまま、EPR(エネルギー収支比)も未評価で、納得できる回収エネルギー分析もされていない。
カナダでは地下1000mのボーリング孔から80℃の温水を注入、メタンは遊離回収されたが、これはメタン生産に別エネルギーが使われたことになる。
減圧法も試みられた。しかしそれだけでは不十分とみられている。減圧法が主体だが、他の+αが必要とされている。例えば分解促進にメタノールの注入、そして分子置換に二酸化炭素の挿入も考えられる。それはメタンより二酸化炭素のほうが安定トラップされるからである。だが技術的には可能であっても、エネルギーコストはさら増大しよう。
私が委員長を務めて、資源かどうか見極めようと述べてから、もう20年ほどが経過した。だが依然としてEPR(エネルギー収支比)による科学的な経済評価は何時になるのか見当もつかない。
その反面、楽観的な話ばかりがメディアに流される。既に利権構造化しているのであろうか、「メタンハイドレート・ムラ」が出来上がったようだ。
もう止めにして欲しいものである、税を負担しつつ幻想を
追う国民が哀れである。
参考:地質雑誌2009年特集号「メタンハイドレート(Part I):産状,起源と環境インパクト」http://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/118/1/1/_pdf/-char/ja/ 「メタンハイドレート(Part II):探査と資源ポテンシャル」 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jgeography/118/5/_contents/-char/ja/
石井吉徳(いしい・よしのり) 東京大学理学部物理学科(地球物理学)卒、工学博士 、東京大学名誉教授、「もったいない学会」会長。東京大学工学部(資源開発工学科)教授、国立環境研究所所長(第9代)、日本リモートセンシング学会長、物理探査学会長、石油技術協会副会長、NPO地球こどもクラブ会長。専門は地球環境学、地球物理学、エネルギー・環境科学、リモートセンシング、物理探査工学
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/163.html
自業自得
という意見には同意できません。
改憲する前に9条の素性を正しく認識する必要があります。
9条は天皇制保持のための条項です。
「非常識の憲法を押し付けられて、未だに敗戦ショックを引き摺っている」
というのはプロパガンダです。
豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波新書2007年初版より抜粋します。
『1946年2月の上旬にマッカーサーの指示のもとに、GHQ民生局が10日間ばかりの”突貫工事”で現行憲法の草案をまとめあげ、日本側に”押しつけた”ことは良く知られている。しかし、なぜマッカーサーはそれほど急がねばならなかったのであろうか。それは、同月26日からワシントンにおいて、極東委員会が発足することになっていたからである。それではマッカーサーにとって、なぜこの極東委員会の発足が決定的な意味をもっていたのであろうか。
それは、1945年末のモスクワにおける英米ソ三国外相会議において調印された「モスクワ協定」によって、極東委員会が日本占領の最高政策決定機関と位置づけられ、「憲政機構の根本的変更」も同委員会の権限に属するものとされたからである。「憲政機構の根本的変更」とは、明治憲法を改正し新憲法を制定することを意味しており、同委員会にこの制定作業が委ねられることになったのである。現にマッカーサー自身、1月末には「憲法改正問題は、モスクワ協定によって私の手を離れてしまった」と、”あきらめ”の心境を語っていたのである。
しかし、極東委員会を構成する11か国の中には、ソ連はもちろんカナダ、オーストラリアなどを始めとして天皇制に批判的な国々が多く、制定作業が開始されれば天皇制の維持はきわめて困難になることが予測された。そこで、この”苦境”から脱する方策を提示したのが、奇しくも、明治憲法の骨格を残す「松本案」を毎日新聞がスクープしたのと同じ2月1日に、ホイットニー民生局長がマッカーサーに送った「憲法の改正について」と題するメモであった。
そこでホイットニーは、憲法改正について「極東委員会の決定があれば我々はこれに拘束される」ことを再確認したうえで、同委員会が発足する以前であれば最高司令官たるマッカーサーは「いかなる『措置もとりうる」と述べて、同月26日までの”空白期間”に「既成事実を作ってしまおう」(吉田茂)という、一種の”脱法行為”を主張した。だからこそマッカーサーにあっては、”突貫工事”によって憲法改正草案をまとめて日本側に提示し、あたかも日本政府が策定した創案のように”装う”ことが至上命題となったのである。こうして、日本政府が「日本案」を閣議決定したのは、まさに極東委員会が発足する2月26日その日であった。
以上の経緯に明らかなように、天皇制を支持する立場にたつならば、マッカーサーに心からの感謝を捧げこそすれ、非難する根拠は皆無なのである。マッカーサーによる「押しつけ」がなければ、憲法改正作業は極東委員会に委ねられ、おそらく天皇制は廃止されていたであろう。
しかし、天皇制を残すことについて国際社会の了解を取り付けるためには、日本の非武装が不可欠の前提となった。この意味で憲法九条と一条は“ワンセット”として位置付けられたのである。その後、日本は再軍備の道を歩むことになったが、マッカーサー発言に鮮明に示されているように、実は憲法九条は沖縄の犠牲のうえに成り立ってきたのである。同じく、安保体制が、在日米軍基地の75%近くを、狭い沖縄に押しつけて維持されてきたことも周知のところである。
そもそも沖縄は、本土防衛の「捨て石」として4人に一人が血を流すという悲惨な沖縄戦を体験した。そればかりでなく、戦後の米軍支配のもとで、強制的な土地収用、米軍の作戦行動や演習に伴う事故、米兵による凶悪犯罪、基地公害などによって、大量の血を流すという歴史を歩んできたのである。つまり戦後体制とは、憲法体制においても安保体制においても、沖縄の犠牲のうえに成立してきた体制に他ならない。
とすれば、真の意味での戦後体制からの脱却とは、このような沖縄を犠牲にしてきた体制からの脱却でなければならないはずである。沖縄に犠牲を押し付ける枠組みを残したままでの脱却とは、実はその本質において戦後体制の継続そのものなのである。確かに米軍再編のプロセスにおいて負担の軽減が強調され、一定の基地の返還と一部海兵隊のグアムへの移転が計画されている。しかし実態は、沖縄北部への基地の集中化と恒久化である。自衛隊の肩代わりも含め、沖縄のもつ軍事基地としての機能は、将来的にも維持されることは明らかである。そもそも一つの島や地域が、60年以上にわたって過重な軍事的負担を一方的に押し付けられる事態が続くということは、世界的にも異常であり、このままいけば戦後体制は、一世紀にもおよぶ恐れさえ予測される。
憲法改正によって初めての自主憲法が制定される、と喧伝している。それでは、果たして自主憲法の誕生によって、沖縄の何が変わるというのであろうか。沖縄に外交自主権でも付与されるのであろうか。イラク戦争の総括もされずに勧められる米軍再編による、新たな恒久基地の設置を拒否する自由が認められるのであろうか。いずれは梯子を外されるであろう新たな中国封じ込め政策の軍事拠点となることを、拒否する自由が与えられるのであろうか。嘉手納に配備されたAC−3の迎撃によって、核爆発や核汚染にさらされる危険から逃れる自由が生み出されるのであろうか。そもそも、沖縄が基地のないちゅら(美しい)島となって初めて、日本は「美しい国」になり得るのではなかろうか。』
進藤榮一『分割された領土』岩波現代文庫より抜粋します。
『寺崎は、「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」としてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。
「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることになる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民がロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭し、ロシアが事件を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。
天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島峡)の軍事占領は、日本の主権を残存させた形で、長期の‐二十五年から五十年ないしそれ以上の‐リースをするというフィクションの上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、とくにソヴィエトと中国の権利を要求するのを差し止めることになるだろう。
そのための手続きに関し寺崎は軍事基地権の獲得が、連合国の対日講和の一部としてではなく、アメリカと日本との間の二国間条約によってなさるべきだと考えている。寺崎によれば前者の方法は、強制された講和の色彩を著しく濃くし、アメリカに対する日本国民の同情的理解を危うくする恐れがあるからである。」
戦略的信託統治方式によらず、潜在主権を残した形で沖縄を租借する方法は、当時沖縄統治にかかる出費に悩む米陸軍と国務省首脳にとって、まさに格好の代案と受け止められた。国務長官マーシャルは、この文書をシーボルトから受けたあとただちにケナンに回送・・・ケナンは沖縄に関する特別勧告書をしたためる。「政策企画部は、南琉球をアメリカが統治する原則を承認する。政策企画部はこの方式を戦略的信託統治の代案として十分検討すべきものと考える」
翌48年3月初旬、ケナン訪日と入れ違いに、国務省は再度、寺崎‐シーボルトのラインを通じアメリカがソ連の侵略と浸透から守るため、東アジアの防衛前線を確認し、新たに南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能ならば台湾をアメリカの防衛前線として画定するよう要請したメッセージを受ける。』
『一個人』が日本国憲法について特集していますが、
マッカーサーと天皇の共同作業については言及していません。
9条押し付け論者・井上和彦は、
日本の動脈たるシーレーンを死守するために、
改憲と核武装を論を展開しています。
彼は9条の素性が分からないので、
当然の帰結としてシーレーン構想の依って来たるところも分かりません。
鬼塚英昭『二十世紀のファウスト』成甲書房より以下抜粋。
『昭和天皇の「シーレーン」構想
一九四七年八月、日本にやってきたカウフマンは、財閥解体計画に関する極東委員会の「FEC230」なる極秘文書のコピーを入手した。・・・マッカーサーがこの文書を忠実に実行すべく行動していたからである。・・・日本企業の七五%を実質的に支配していた六十七の株式会社を解体し、競争的な資本主義を創出し、軍国主義者が政権を乗っ取るのを防止し、中産階級を成長させるという内容のものだった。
三者会談(ケネス・ロイヤル陸軍長官、ジェームズ・フォレスタル海軍長官、アヴェレル・ハリマン商務長官)でハリマンは「米ソの対立が激しくなっていく今、日本を再軍備し、対ソ基地にするためにも財閥解体を阻止しなければならない」と主張した。ロイヤルとフォレスタルはハリマンと同一意見であると表明した。ここから日本の再軍備が始まるのである。
カーン、カウフマン、パケナムを中心として、やがてジャパン・ロビーなるものが形成されていく。・・・一九四七年九月、昭和天皇の御用掛であった寺崎英成はマッカーサー司令部の外交局長ウイリアム・シーボルトを訪れ、「天皇のメッセージ」を差し出した。昭和天皇はこのメッセージの中で、「沖縄をアメリカの戦略的基地として貸与してもよい。対共産主義の防護壁とすべきである」と書いていた。シーボルト外交局長はこのメッセージをマーシャル国務長官に送った。・・・ケナン政策企画室長はマーシャルから「天皇のメッセージ」を渡された。マーシャルはケナンに言った。「ケナン、まだ君よりも天皇の方が先を読んでいるようだな」
一九四七年九月十八日の夜、羽田空軍基地でマッカーサーはジーン夫人同伴で新陸軍次官ウイリアム・H・ドレイパーを出迎えた。・・・日本の「逆コース」はドレイパーの日本政策から始まるのである。「日本とドイツは今や非軍国化され、非ナチ化された。両国は今や国際社会で自尊心と自立心を持つ一員となった。それゆえ、しかるべき復興を許されるべきである。
ドレイパーの日本訪問の目的の半分はデイロン・リード社の利益のためであった。・・・ハリマン・コネクションの一人である。・・・マッカーサーはこのドレイパーのマジックにかかり、財閥の解体を骨抜きにされ、日本の再軍備を進めるようになるのである。一九四七年の暮れまでに日本の財閥解体を防ぎ、日本を軍事国家として世界に再登場させ、近未来にやってくる共産主義国との戦争の砦とするアメリカの方針が出来上がった。
一九四八年一月、またドレイパーが日本にやってきた。直接の目的は日本経済を急ピッチで再建し、来たるべき限定戦争の基地とするためであった。ハリマンとアチソンが進める「次なる戦争」のためである。ドレイパーは敗戦国の日本が支払うことになっていた賠償を撤廃することに成功する。デイロン・リード社には日本向けの債権があった。ドレイパーはこの債権をアメリカ国家に片づけてもらった。
デイロン・リード社は国際ユダヤ資本が作った会社の一つである。そして財閥解体を免れた日本の大企業と密かに大口契約を結んだ。来たるべき朝鮮戦争で、日本企業に厖大な仕事がいくことをドレイパーは知っていた。そのための秘密契約だった。・・・解体されるべき企業は三百二十五社から九社にまで減らされた。マッカーサーは敗北した。・・・ドレイパーはマジシャンだった。日本はこの戦争に役だった功績が認められ国家賠償を最小限にしてもらい、高度経済成長へと突っ走るのである。
一九四八年二月末、天皇の御用掛の寺崎英成が再びシーボルト外交局長を訪ねた。シーボルトは「覚書」をマーシャル国務長官に送った。「寺崎氏は、同氏の考える現実的な政策とは、南朝鮮、日本、琉球(沖縄)、フィリピン、可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶというものであろうと述べました。同氏は米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として明確に設定されるならば、東洋における米国の対場が鉄壁のものになるであろうと考えていました。
寺崎氏は可能性として考えられるソ連の侵略、ないし侵攻に備え、米国が中国本土を除くこれらの地域の保全のために鋭意努力する様を心に描いているのであり、中国は自らを救う策を案出する同国の才覚として任せるべきであるとの考えでした。右の見解は寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な後続との議論に基づくものと考える理由があります。」・・・寺崎は在アメリカの外交官だったときも、二重スパイとしてアメリカの秘密機関と通じていた。
ケナンが昭和天皇のシュミレーションを読んで驚いたのは無理もない。ケナンらの構想と昭和天皇の構想がほぼ一致していたのである。昭和天皇は、中国が共産党の手に落ちるであろうこと、その中国を中心にしてソ連が朝鮮半島で戦争を仕掛けるであろうことを予言していた。昭和天皇はマッカーサーの支配から脱出しようとしていた。そのためにハリマンの力に頼ろうとした、と私は思うのである。』
↑
(昭和天皇が山形有朋の支配から脱出しようとして、頭山満の力に頼ろうとしたのと同じ手法です。)
つまり井上和彦がいう日本のシーレーンの動脈とは、
『米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として明確に設定されるならば、東洋における米国の対場が鉄壁のものになるであろう』
という昭和天皇の負の遺産を指しています。
井上和彦はここを死守するために核武装しろといいますが、
それが国防のために使われるという保証はどこにもありません。
日米共同演習では十数年以上前から、
戦術核の模擬弾がバンバン使われています。
これを実地にやれという話になります。
いったいどこで?誰の命令で?
日本の制空権はいまだに米軍の管制に従っていると、
井上和彦自身が書いています。(2009年時点)
『一都八県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる広大な空域は、米軍の航空管制空域となっている。したがってこの空域を飛行する民間機を含むすべての航空機は米軍の管制を受ける。』
自衛隊の最高指揮官は内閣首相ということになってますが、
いざふたを開けてみたらそんなものは吹っ飛んでいるでしょう。
福島原発事故の対応を見ても分かるように、
日本人なんか皆殺しにしてもかまわないと思っている連中が、
自衛隊の指揮を執るだろうことは容易に想像できます。
そうしてまたぞろ自衛官の若者たちが消耗品として投入されるでしょう。
すでに9条は朝鮮動乱の前夜に実質的に骨抜きにされています。
1959年ン6月22日、
ニューズウイークの東京支局長パケナム邸に、
天皇のスポークスマン松平康昌、
吉田茂のコネクション辰巳栄一、
大蔵省の渡辺武、
国家地方警察体企画課長の海原治、
外務省の澤田廉三、
米大統領特使ジョン・フォスター・ダレス、
米国務省アジア課長ジョン・アリソン、
が集まって日本の逆コースが決定し、
三日後に朝鮮戦争が勃発します。
朝鮮戦争は用意されていた「次なる戦争」です。
『大戦が終わったとき、プラウテイは沖縄にいた。日本の抵抗が続いた場合に備え、そこには少なくとも30万の兵力を維持できるだけの軍事物資が保管されていた。その物資が那覇港で海軍の艦船に積み込まれるのを見て彼はアメリカ本国へ送り返されるのだと思ったのだが、実際は違った。半分は朝鮮半島、残りの半分はインドシナに運ばれようとしていたのだ。・・・それにともなってCIANの支局は東京のホテルから厚木基地へ移動・・・基地では正体を隠すために六〇〇六飛行大隊を名乗っている。』(桜井)春彦『テロの帝国アメリカは21世紀に耐えられない』三一書房より
朝鮮戦争とベトナム戦争は昭和天皇のシーレーン構想をもとに、
沖縄がアメリカの前線基地の一つとなって遂行されたものです。
いまあえて9条を改憲しようという潮流が顕著になってきたということは、
すでに9条改憲は最高支配層では決まっている、
橋下徹はこの既定事項のために見繕った使い捨てのコンプラドールである、
ということを意味していると思います。
昭和49年の時点で戦前の軍事態勢が復活し、
日本が戦争に巻き込まれることを忠告している文章を抜粋します。
羽仁五郎『黙示録の時代』潮出版社昭和49年7月25日初版
『憲法に忠誠を誓えぬ不思議
第二の問題は”十二月八日”というのはまた来るか、という問題ですが、これは歴史的に判断すれば、必ずまた来るんだね。来るかも知れないというのんびりした話ではないんです。必ずまた来る。なぜまた来るかというと、あの十二月八日が出現したのと同じような条件がいまあるわけです。同じ条件があれば同じ結果が出てくるというのは論理ですよね。
あの十二月八日にあったおので、日本にいまなくなったものはあるかどうか。何かひとつでもいいからあるかね。天皇陛下はいらっしゃるし、軍隊はあるし、三井・三菱は健在だしね。
十二月八日になかったものはあるよね。多少はね。いまのような主権在民の憲法というようなものは、あの十二月八日にはなかった。だけどこの主権在民の憲法というものを、文部省でさえ、学校で教えなくていいというんだからね。学校で教えなくていいんだから、それはあっても無きに等しいんだよ。それを文部省が公然とやるんだから、教育学部‐教師になる大学生が、憲法を勉強しなくていいというんだよ。
ぼくは参議院議員をいていたころ、自衛隊を視察して、自衛隊の教育を全部調べてみたんだが、自衛隊でも憲法を全然やっていないね。もっともこれはやれないやね。やりようがないんだから。これは憲法がやれないような軍隊なわけだよ。外国の軍隊はすべて憲法に忠誠を誓うんだ。世界の軍隊で憲法に忠誠を誓っていないのは日本だけだ。その意味では十二月八日の時よりももっと恐ろしいね、現在の方が。
本当に冷静にしっかり認識していて下さいね。なるだろうか、ならないだろうかという、そういう素人考えはやめて下さい。なるかならないかの話ではないんですよ。なるにきまっているんです。しかもなる場合、歴史の大事な法則として、時間がたっていれば、第一回よりも第二回の方が、幾何級数的に大きなものが来るということです。
だから第一次世界大戦よりも第二次世界大戦の方が比較にならないほど大きなものだったんです。この次の十二月八日はこの間の十二月八日と比較にならないほどすごいものが来るんです。これは来るか来ないかの話じゃないということを重ねて念をおしておきます。断言してはばからない。だからそれを阻止するためにあらゆる努力をせざるを得ないんです。』
先決問題として国家カルトの呪縛を解き、
自衛隊が真に国軍足り得ることが最も肝要だと思います。
私は日米戦争はアメリカ参戦のための口実であり、
アメリカの主戦場はあくまでヨーロッパであったという、
桜井春彦氏の卓見に同意します。
日本の主戦場が中国であり、
日中戦争の実態は麻薬戦争であったこと、
天皇と財閥たちが麻薬栽培で荒稼ぎして、
それが国際連盟脱退の真相だったことが語られることはまれです。
改憲派の筆頭の一人、
桜井よしこの中国批判には麻薬のまの字も出てきません。
中矢伸一氏がインサイダーに聞いたところでは、
法案を決めているのは日本人ではないということです。
この呪縛状態で9条を改憲するのは、
「福島原発事故による被害は広島原爆投下の千個分に相当する」
という小出教授の談話から想定すると、
おそらく日本壊滅を意味すると思います。
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/378.html#c1
「経済援助」、という言葉が使われる以上、価値観は、むしろ収縮しますね。そして、ドイツにとっても不幸な事でしょう。
「企業年金が消える日」〜民主党「チーム仙谷」が大暴走「財界のみなさん、喜んでいただけますか」〜週刊ポスト2012/05/25号
企業年金は企業と社員が交わした契約であり、法律で守られている。一部の企業では、脱法スレスレの誤魔化しでそれを減額したり廃止したりする横暴が罷り通っているが、あろうことか、労働者の権利を重視する立場だったはずの民主党の一部の議員らは、大企業に尻尾を振って、企業年金廃止に手を貸そうとしている。国民生活を蔑ろにする大陰謀を暴く。
■基金解散で受給額ゼロ
国会ではいよいよ消費税増税法案が審議入りした。
大メディアは早速、「与野党は大胆に歩み寄り、早期の成立を目指すべきだ」(読売新聞5月9日付社説)と増税礼賛一色になり、国民は生活破壊への不安を募らせている。
こういうときが最も危ない。国民の視線が一つの問題に釘付けにされている間に、別のとんでもない謀略をめぐらすのは霞が関のよくやる手だ。
案の定、野田政権は大増税の陰で密かに国民の老後資金を収奪する仕掛けを打っていた。
大型連休直前の4月24日、蓮舫元行政刷新相座長とする民主党の「年金積立金運用の在り方が及びAIJ問題等検証ワーキングチーム」が重大な報告書をまとめた。
『AIJ問題再発防止のための中間報告』という表題で、一見、運用を受託していた企業年金2000億円の大半を消失させたAIJ投資顧問事件の被害者救済策のようだが、内容は正反対のものだった。
中間報告はこう結論付けている。
<厚生年金基金制度は、一定の経過期間終了後、廃止する>
被害者救済どころか、逆に企業年金の方を潰してしまえというのだ。この一文がどれだけ重大な問題を孕んでいるのかきちんと報じたメディアは皆無だった。
企業年金には、大別すると「厚生年金基金」「確定給付企業年金」「企業型確定拠出年金(401k)」の3種類の制度があり、11年3月末時点の加入者総数は約1545万人で、厚生年金に加入する民間サラリーマンのざっと4割が企業年金に加入している計算だ。401kを除く資産残高は約73兆円にのぼる。
そのうち大企業から中小企業まで約450万人のサラリーマンが加入するのが厚生年金基金であり、AIJ事件で最も被害が多かったのがこのタイプの企業年金だった。民主党のワーキングチーム(WT)は被害者を救済するどころか、事件の被害を受けていない厚生年金基金を含めて制度そのものの廃止を打ち出したのである。
企業年金は国民年金や厚生年金のような政府が運営する公的年金ではない。労使協定に基づいて社員が年金の形で受け取る「退職金の一部」である。日本経団連の調査では加盟企業などの75%が退職一時金と退職年金(企業年金)を併用している。退職金だから掛け金は当然、事業主が拠出する。また、退職金は企業が社員に”サービス”で渡すものではなく、法律上は「労働の対価」と見なされるのが普通だ。つまりサラリーマンの権利なのである。
民主党の方針は、国家権力が労働者の権利を奪うことを意味する。
厚生年金基金が廃止されるとどうなるか。
中間報告には具体的な方法として、<厚生年金基金には、@解散させるか、A代行資金を返済した上で、確定拠出型年金ないし確定給付型年金に移行するかを選択させるべきである>として、解散要件の大幅緩和まで盛り込んでいる。
厚生年金基金の解散は、06年に政府の産業再生機構によって解体されたカネボウ。グループのケースがよく知られている。同社の基金には子会社を含む約1万4000人の現役社員と約2万2000人の退職者(受給権者)が加入していたのが、基金の資産残高約910億円を社員と退職者に分配して解散し、企業年金は打ち切られた。社員が受け取ったのは本来もらえるはずの金額の4割程度だった。
それでも積立金が残っていたカネボウ社員はまだ恵まれている。厚生年金基金は複数の企業が共同で設立した総合型など全国に578あるが、4割の212基金は積立金がゼロだ。本来なら不足分を企業が拠出しなければならないが、解散すれば企業は年金債務から逃れることができ、一方で社員やOBは受け取る企業年金が最悪、ゼロになる。
厚生年金基金から別の企業年金制度への移行の場合も退職金減額に直結する。
公的年金や企業年金制度に精通する「年金博士」こと社会保険労務士の北村庄吾氏が指摘する。
「厚生年金基金の場合、企業が社員の給料の何%分かに相当する金額を拠出し、基本はそれを5・5%の予定利率で運用した金額を退職後に企業年金として支払うことを就業規則で約束している。現在の市場環境ではそんな運用利回りは無理だが、これは労働者との契約だから、不足分は企業が追加拠出することになっている。運用成績が悪いから企業年金を減らすというのは労働条件の『不利益変更』にあたり、加入者の3分の2以上の同意が必要で、企業が潰れるとか、よほどの事情がない限り認められません。
ところが、企業側は退職金拠出を減らすために厚生年金基金から他の企業年金制度に変更し、そのドサクサに制度や法律に詳しくない社員を丸め込んで同意させ、予定利率を1・5〜2%程度まで引き下げるケースが多い。民主党報告書の厚生年金制度の廃止は、企業年金カットの格好の口実にされるでしょう」
予定利率が下がれば退職金がいくら違うかを試算すると、例えば、退職金2000万円のサラリーマンが1000万円を退職一時金、残る半額を年金方式(60歳から25年間)で受け取る場合、予定利率5・5%なら月額約6万1959円だ。それが予定利率を2%に引き下げると、企業年金は月額4万2684円と3割カットになる。総額500万円以上カットされるのである。
■財界の悲願だった「運用リスクは社員に」
この厚生年金の廃止は財界の悲願だった。
日本経団連は2012年に発表した『企業年金に関する制度改善要望』の中で、「2000年代前半の厳しい運用環境の連続、さらに08年秋以降の世界同時不況と金融危機の発生など運用環境が激変する中で、企業年金制度の持続可能性をいかに確保するかという課題への対応を迫られている」として、企業年金から企業型確定拠出年金への移行と、」給付削減要件の緩和を要求している。
企業型確定拠出年金は、01年に創設された制度で、企業が一定の予定利率で社員に企業年金の支給額を保障する「確定給付」型ではなく、企業は決まった金額の拠出金を負担するだけで利回りを保証せず、運用方法を社員に選択させる仕組みだ。運用利回りが低かったり、赤字になれば社員の受取額は大幅に減るが、企業に補填の義務はない。運用リスクを全部社員に転嫁する制度だが、それだけに労組などの抵抗が強く、導入は進んでいない。
「3種類の企業年金のうち企業が社員に高い予定利率を保証している厚生年金基金と確定給付企業年金は大幅な運用赤字です。だから財界は企業年金そのものの廃止か、そうでなければこの機会に確定拠出年金に切り替えて将来の年金債務なくしたいのが本音です。しかし、投資環境が悪くて運用のプロでも利益が出せないのに、投資の素人である社員に自分で運用して利益を出せというのは無理がある。企業年金は国民の老後を保障する制度のひとつであり、その趣旨から考えても本末転倒です」(北村氏)
実は、財界が企業年金から早く手を引きたがっているのには理由がある。現在、国際的にIFRS(国債財務報告基準)という新たな企業会計基準の導入が進められており、日本も今年中に新基準による決算義務付けを決定する予定だ(導入は最短2015年の決算から)。日本の上場企業は企業年金の運用赤字で8兆円以上の積立不足があるとみられているが、新基準が導入されるとそうした積立不足の”隠れ債務”を全額負債に計上しなければならなくなり、決算が一気に悪化する。
そこで新会計基準導入前に赤字を抱える企業年金を精算してしまいたいのだ。
あまりに虫がよすぎる。
もともと厚生年金基金(1966年創設)は高度成長期に公的年金の給付水準が引き上げられた際、保険料負担を抑制したい財界の要望で導入されたものだ。その仕組みは企業が国に納めるべき厚生年金保険料の一部をかわりに運用し、社員への厚生年金(報酬比例部分)の給付を代行する制度だ。運用益で企業分の保険料負担を減らし、さらに企業年金に回して退職金の一部まで賄うことができる。高金利の時代は社員に5・5%の予定利率を保証しても十分おつりがきた。国に納める厚生年金保険料という他人のふんどしで退職金の一部を賄ってきたわけである。
しかも、企業年金を保障することで「3階部分があるから公的年金を手厚くし過ぎる必要はない」と厚生年金給付の引き上げまで抑制してきた。
ところが、バブル崩壊で超低金利政策が始まり、企業の年金運用が赤字に転じると、経済界は政府に働き掛けて企業年金の抑制に走った。それまで企業年金の減額はできなかったが、政府は97年に年金局長通達(厚生年金基金設立認可基準)で減額を認める例外措置を導入した。次に政府は01年に前述の「企業型確定拠出年金」制度を創設し、企業年金制度の大改悪を行った。その翌年にはうまみがなくなった厚生年金基金による保険料運用の代行を国に返上する制度ができた(それまでは返上できなかった)。
金利が高かった時代はサラリーマンの年金資金を好きに運用して自分たちの懐を温めておいて、低金利時代で損失が出ると「公的年金は国が運用してくれ」「企業年金は社員が運用しろ」とリスクを押し付ける財界の図々しい要求を歴代の自民党政権が実現してきたのである。
同じことを、民主党もやろうとしている。
■ハゲタカに魂を売った謀略トリオ
民主党の蓮舫チームは、党政策調査会の財務金融部門会議の下に置かれている。蓮舫座長とともに報告書をまとめたのはモルガン・スタンレー証券出身で経済同友会の「金融システム改革委員会」委員などを歴任した大久保勉政調副会長だが、いかに財界とのパイプが太いとはいえ、厚生年金基金の廃止という企業年金制度の根幹に関わる重要な方針を一介のWTが決めたのは奇妙だ。
企業年金の解散権限を持つ小宮山洋子厚労相も蓮舫チームと一蓮托生だ。中間報告がまとまる前、蓮舫氏は小宮山氏と会談して厚生年金基金制度の廃止について協議したとされる。
「年金局は財務体質が悪化していない厚生年金基金まで制度ごと廃止するなど考えていなかった。ところが、小宮山大臣は蓮舫氏の中間報告を了承し、省として反対できなくなった。財界と民主党WTと大臣の間で事前に役人抜きで話ができていたことに年金局は青くなっている」(厚労省中堅)
その蓮舫、小宮山、大久保の3氏は東電処理と原発再稼働で財界とガッチリ手を組む仙谷由人政調会長代行の「チルドレン」たちだ。蓮舫、小宮山両氏は仙谷側近として知られ、大久保氏も仙谷氏が自ら会長を務めて最も力を入れている民主党の東電・電力改革プロジェクトチームの副会長に起用されている。
企業年金廃止に慎重な民主党政調幹部が舞台裏をこう明かした。
「蓮舫氏や大久保氏の狙いは内外の金融機関が求めている年金資金の運用自由化。資金運用の専門家の大久保氏は年金資金はもっとハイリターンな金融商品で運用できるというのが持論で、もともと120兆円ある年金積立金の運用規制を大幅緩和するWTを設立しようとしていた。本来ならば年金問題を担当する厚生労働部門に作るのが筋だが、そこにAIJ事件が起きたので、『投資顧問会社はこっちの所管だ』と、大久保氏が座長を務める財務金融部門会議にWTを置いた。厚生年金基金の廃止を打ち出したのも、企業年金を401kにした方が金融機関は年金資金でもっと自由に金融商品を買えるという思惑が透けている。WTではこれから運用自由化の議論が始まる。AIJ事件では日本の年金資金が不良業者に食われたが、その対策を口実に今度は公的年金も企業年金もハゲタカに餌食にされかねない」
中間報告の背後には、退職年金債務を切り捨てたい財界と巨額の年金資金の運用を狙う金融界の意向が反映されていることをうかがわせる証言だ。
大久保氏はこう答える。「厚生年金基金の高い料率では、会社の経営が圧迫されて雇用が失われかねない。また、受給者のために現役世代が高い年金の掛け金を負担する世代間格差も生じる。厚生年金基金は一定の期間後に廃止すべきです。廃止に伴う不利益変更は民間の問題であり、企業が責任を持って対処すればいい」
まったくの見当違いである。厚生年金基金は積み立て方式であるから世代間格差は生じない。現在、リタイア世代の年金を現役世代が負担しているのは、過去にも基準を逸脱した積立不足があったからだ。そうした運用の問題を解決することこそ政治家、政党の仕事だろう。
「増税はシロアリの餌食」「年金は国が税金で面倒を見る」といって政権を取った連中のやっていることが、これである。本誌は追及の手を緩めない。
メリットが今ひとつ見えてきません〜…
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/156.html#c1
偽装停電はうんざり
どうも橋本氏は信念がなく風見鶏のようにころころ
変わるから信用できない
橋下氏が2月に経産省や民主党幹部と隠密裏に意見交換した後から
心変わり?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/680.html#c18
お返事、ありがとうございます。
>権力(に属する者)はそもそも、始めから正直な生き方はムリ
大体このイルミナティ(と呼んでおきますが、絶大なる権力を持つ大金持ちの極悪犯罪者たち)に支配された世の中で、そこからの影響を受けない職についている人のほうが多分少数だろうと思うのですよ。そうなると、自分の生活が彼等の嘘に乗って存在している(とは言い過ぎなところもあるだろうけど)から、それを直視すると自分の生活も危うく(本当は変えればいいだけだが、それって大変だから)なるので、見ないのですね。
01さんの書いてることとはズレがあるかもしれないが、9/11の疑問を広めているときに、知人から
言われましたよ。成長した息子等も、すでに歯車に入っているから、見ないと。
>科学というカルト信狂
これには同意。
医療板にも転載した
「初のエイズ予防薬」、FDAが問題なく認可するであろうこの薬を開発したのは、誰か?と思って見てみたら...
http://insidejobjp.blogspot.com.au/2012/05/fda.html
も同じ伝ですね。
小出さんが以前、温暖化人為説の嘘についてのやり取りをしていたときに
「科学者というものは疑って疑って、疑い尽くして、それで絶対に100%『こうだ!』と
言えない限りは、そう言う者ではない」という主旨のことをおっしゃったのですが、その通り。
本来はそうあるべきなのに、誰かに都合のいいような"事実"を出してきて、それを
「科学的に証明されている」などと偽って人々を騙している。
>新聞社が如何に権力の所有物であるのか、小学生から
やはりそういう下地があったからこそ、ゴルゴを見たときに点と点が繋がっていくのですよね。
そういうものがなければ、たとえば上の院長サイトのコメントにあったけど、離婚した経験が
いい影響になったというような、何かしら人生上の出来事によって開眼するということもあるだろう
と思います。
>「自分という存在は、如何に無意味で無価値で無力であるか」という思い込みに、無意識に支配されている
これまでも何度か書いているのですが、日本人の場合、それに加えて「お上と下々」の感覚が
抜けていないと思います。それが余計に人々を、権力者やメディアの言うことしか信じないように
していると思う。
最近は、それこそが米国であらゆる面での「愚民化」が非常に強力に展開されてきた利用だろう
と思うのですよ。豪州も同類だけど、米国より日本にちょっとだけ近いかな。
つまり比較すると、アメリカ人というのは日本人などよりよっぽど独立独歩で疑問を呈する傾向が
強い。そうした彼等を支配するために、あらゆる「愚民化」攻撃をされて、今に至ったと思う。
日本人はその点、手なずけ易い、洗脳しやすい、誤誘導しやすいという傾向はあったと思います。
>人生とは「意識、その人そのものが一つの宇宙そのもの」
他方、インドで修行してきたみたいな人たちは、「全部繋がっていて、ひとつなのだ」と
主張していますよね。それと、01さんの言う「自他を分けて考えられない」とはちょっと別物だ
という気がしますけど。
>日本の官僚も政治やも、軍産複合体の傘下起業も金融機構も、アメリカを看板とする支配構造に恫喝されて、奴隷(日本国民)から搾取し、それを貢ぎ、僅かなおこぼれを掠め取る権利だけを飴として与えられ、逆らえば抹殺の恐怖に震えながら現在に至りました。
故にこの一見独立主権の国に見せかけられてきた日本の政治は、その存在目的である「奴隷の利用価値の見切り」役であり、既に世界経済ATMとして貢ぐ力量に陰りが見えたとたんに、「実験台」への
>変更へ、と役割を切り替えられた
↑ここには全く、100%同感です。
利用されるだけ利用された挙句に、その利用価値がなくなってきたから
ひとつ、やってやれ という感じです。同じ人間と思っていないから出来る超・蛮行。
>人間が世界観、人生観(=時間観念)を一変させる、そういう時代に到達した
多くの、教えられてきたことが嘘であったと気づかないと
変革も難しいです。
02さんは、福島県内を走ってきたのですか?
>さくつけしていましたので、米はいいんですね?
そうではない人もいるかもしれないが、作れば出荷したいでしょうし
偽って売って商売するために買う人はいるだろうし。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/673.html#c3
誤魔化されなかった人達は命まで狙われていたし、なかには殺された人もいるかもしれない。
このような事がわかっても大飯原発を動かそうとするなんて・・・。
「愚者は経験から学ぶ」って言うけど、頭のいい大学でた人達は愚者より劣るということですね。
それとも勉強のしすぎで精神がおかしいのかな?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/661.html#c12
日本の二次産業も、終わってますな。
除染は嘘。
廃棄物処理は焼却というデタラメ。
低レベル廃棄物の処分も密閉とは程遠いデタラメ。
高レベルも、デタラメに違いない。 そもそも技術無いし。
適地があるとすれば、独占資本と産廃ヤクザが儲かる場所が、「適地」なのだろう。残念な国だな。
バカは理論で考えれないので話しても無駄だった。子供のために頑張ったけど。バカは死なないと無理、バカの筆頭がはやく○んでくれることを願ってる。子供が手遅れになるまえに。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/673.html#c4
万遍なく散らないからこそ問題なのだ。
直接飛んでこなくても、車などに付着して東京までやってきて、
それがまた舞って君の肺にはいることは十分あり得る。
ウィキによれば、プルトニウムの急性毒性による半数致死量は吸入摂取13mg
長期影響の観点では吸入摂取で0.26 mgだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0
10kgを0.26mgで割ると約3846万、偶然にも関東圏の人口と同じだ。
10kgは大したことのない量に思えるが、均等に吸入させれば
関東の住民を全員ガンにさせることができる。それほど毒性が強い。
ガンダーセン氏の土壌サンプルの1つからはプルトニウムが検出されている。
4箇所で適当に採取した土から見つかるということは、首都圏ではどこにでもあるということ。
これが極めて深刻だとわからない人間には何を話しても無駄だろう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/579.html#c99
F35戦闘機(米ロッキード・マーチン社提供)
【ワシントン=佐々木類】日本が導入を予定している最新鋭戦闘機F35の納期遅れが懸念される中、米側は、日本への納期を書類上順守する代わりに機体は未完成のまま米国内で管理する見通しとなった。米国防総省関係者が明らかにした。日本に実際納入されるのは、米軍で戦闘機の運用能力や量産が承認されて開発が完了する2019年以降となり、日本が契約しても防空網に穴が開くことは不可避な情勢となる。
防衛省は17年3月末までに最初の4機を調達する予定だが、米側の関係者は「納期は守ることができるが、性能は保証できない」と明言、日本側が要求するコンピューターソフトの最新版「ブロック3」が搭載されず未完成の状態のまま、日本側に所有権だけ移す可能性を示した。
「ブロック3」は、僚機や軍事衛星、イージス艦などと情報を共有しながら戦闘空域の状況を即座に把握する能力があるとされる。
F35をめぐる契約は、米側が価格や納期を変更しても違反を問われない有償軍事援助(FMS)。書類上契約しても実物を日本に引き渡せないのは、FMSの規定により特例がなければ、米軍としての開発完了を意味する「初期運用能力(IOC)」の承認前に、装備品を米国外に輸出できないためだ。
F35は米空軍、海軍、海兵隊向けと、異なる3機種の「開発と生産」を同時に進めているが、不具合が生じると3機種分の機体やソフトの修正が必要となるため、生産の遅れにつながっている。
国防総省は今年3月、IOCを獲得した段階で許可されるF35の量産承認について、19年以降になるとの報告書を議会に提出した。
米軍関係者はまた、高騰が懸念される日本向けの価格について「開発の遅れと同盟国の買い控えで、米軍への売却価格の上昇はもちろん、日本への売却額も当然上がる」としている。
国防総省は4月末、日本が導入予定の42機の売却額が計100億ドル(約8千億円)と議会報告。パイロットの訓練費や諸経費を含めた価格は、1機当たり2億3800万ドル(約190億円)となっている。
国防総省は産経新聞の取材に対し、「事業は順調だが、今後はもっと
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/326.html
佐藤記者)深夜電力9.17円は赤字になるのか
広瀬社長)深夜の9.17円ですが、フラットで運転する火力は、安い火力なので、この値段
9.17円でも赤字にならない「安い火力」を東電は隠し持ってるようです。
その「安い火力」を拡充すれば電力不足は解消し電気料金は値下げできます。
要は、総括原価方式なんてものを時の政府に作らせて国民の血税を好きなだけ垂れ流してもらうシステムを作って、その国民の金で原発をドンドン造って来たくせに、その原発をも純資産だと言いその純資産が増えれば増えるほど血税が流れるような仕組みして、さらに使用済み燃料も資産だと嘯き、その使用済み燃料を又使い回しする為に燃料再処理工場だの、もんじゅだのという、とてつもない金のかかる施設を造り、しかもその燃料再処理工場は猛毒のMOX燃料を作り、もんじゅはそのMOX燃料を使う、世界にも日本にしかない高速増殖炉という恐ろしい原発。
燃料が水ではなく金属ナトリュームに入っている恐ろしい物だってよ。
うぴするに政府が独占企業を許し、それを擁護し、自分達もそのおこぼれに預かってきたから、やめられちゃ困るんじゃないのかって国民の多くが疑っているわけよ。
だったら普通に商売をさせろよって事!
ドンドン参入させて競争させろよって事!
もっともっと言いたい事有るけど、一度に書いたら誰も読みたくなくなるから、ここまでにしておくよ。
それで何で営利目的に営業しちゃいけないんだっけ???
日本では店も企業も全部慈善事業じゃないとなんでいけないのかい?
聞かせてね、そのご巧拙を、是非。
福島県は14日、東京電力福島第1原発事故を受けた18歳以下の医療費無料化を10月1日に始めると正式決定した。約47億円の補正予算案を6月議会に提出する。
子育てしやすい環境を整備し、人口減少を食い止めるのが狙いで、これまで秋からの実施方針は固まっていた。18歳以下の子どもは約36万人。
県によると、既に全市町村で小学3年までは医療費が無料化されており、県は小学4年から高校3年について、各市町村に全額補助する。県外避難している1万7千人余りの子どもも対象とする。財源には県民健康管理基金を活用する方針。
(共同)
==================================================================
あの手この手で、子供たちが避難しない様にしている
としか見えませんね。
それから別件ですが、この医療板トップに出ている
医療 アクセス数ランキング(24時間)
2012/05/14 16:00更新
だと、5位は
社説:5大疾病 新時代の精神科医療へ(毎日新聞) 元引籠り(267)
なんですけど、「もっと見る」を開けると、同じ「2012/05/14 16:00更新」なのに
↓
2012/05/14 16:00更新
rank_up 5(←「上昇中」の意)
「初のエイズ予防薬」、FDAが問題なく認可するであろうこの薬を開発したのは、誰か?と思って見てみたら... 千早@オーストラリア 278
http://www.asyura3.com/rnk/ranking_list.php?code=sjis&q=%88%E3%97%C3&term=1
と、私が先日投稿した記事が5位になっているのですよね。
また隠されたってか、毎度のことですが。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/520.html
いまだに、「原発を導入していない沖縄は電気料金が高い」なんていう「まやかし」が大手を振ってる。
「原発の使用済み核燃料の保管・廃棄コスト、原発の廃炉コスト」、再処理施設からもんじゅまで、
「表に見えない(返す見込みのない)コスト」が山ほどある。
更に、経産省や文科省など「原発の普及や管理」などを当たり前の業務としている部署がどれだけあるだろう。
役立たずのSPEEDIやオフサイトセンターなどは「ダムや道路」同様の「金の生る箱物」だっただろう。
そういう「通常の予算の中にある『原発関連費用』などを積みあげていった場合」
どれだけの予算が、原発が稼働する事で「当たり前の様に注ぎ込まれていたのだろう」。
その中の氷山の水の上に出ている部分が「原子力村」なのであろう。
だからこそ、「今、やめなけらば取り返しがつかなくなる」。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/659.html#c12
大阪府市統合本部 古賀茂明特別顧問も言ってるよ。
関西電力にこの間エネルギー戦略会議で関西電力に質問してみたんですね そしたら彼らが言ってるのは 電力が足りないから動かすんじゃありませんと 電力需給と原発を動かすかどうかは関係ありませんというふうに、はっきり何回も聞いたんですけど、はっきり言い切りました。
だそうです。
関西電力は記者会見VTRでこんな発言。
基本的に安全な原子炉は稼働させていただきたい。
需給の問題とは切り離して考えております。
夏場の需要とは関係を考えておりません。
だから、いくら節電しても、この夏の計画停電だか節電だか料金値上げだかそういうのは、電力会社は原発を動かす為に、国民に見せしめの為なの。
電気が足りないからじゃないの。
国民はあの戦時中に政府に教えてもらった、あの
欲しがりません、勝つまでは
の精神で一体になって対抗するほか無いね。
もうこうなったら、矢でも鉄砲出も持って来い!
江戸時代だろうが、縄文時代だろうが受けてたつ!
って心意気で立ち向かわないとダメだね。
何しろ国民は原発をどうしても賛成しないなら集団自殺になるだろう、だかするだろう、だか恐ろしい事になりそうだから。
計画停電でも受けてたってやろうじゃないの!
これが良いワ!
値上げしたって、電気は減らないんだから。
計画停電してみな!
その前に昼間のTV局は全部停電にしなさいよ!
ちょっと調べてみます。
今までよく知らなかったことがたくさんありました。
2004年には、ナイトの爵位に次ぐ「大英帝国第三級勲位」(CBC)が授与された
とか、エアヴァンゲリオンのキャラクターデザイナー・貞本義行氏のファン
で、アルバムジャケットの制作依頼をしたことがあるとか・・・。
女子関係もまあ・・・・あきれた。
ブルースとともに歩んだ人生 エリック・クラプトン
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/e-clapton.htm
芸術家とはそういうものかも知れませんが・・ジョージにそっくりの
ぼっちゃまの母さんは、そのパティさんなのか?知りたくなりましたww
アメリカのせいであるのが原点でしょうが、
まず日本としてそれに乗っかった人々に反省謝罪してもらいたいのです。
フィリピンでもベトナムでも国に傀儡政権ができると それに乗っかる
国民がいるから 傀儡が成り立つ訳ですから。
アップの仕方を教わったおかげです。
今頃はあの丁寧なやり方をしないもんだから
やっぱり右に偏ってますね。
今度からまたまじめにやってみますね。
プロ野球のちんたらプレーって(笑)おもしろ。
その曲はまた後できいてみます。
ホントにばかばかしいことをしたもんだね〜。
今度はもっとうまくやるのかね。
火力発電所がうまい具合に真夏に故障続出、とか。
いいよ!
やって!
ただしその前にTV局を全停止しろ!
それでも原発再稼動はダメだ!
1基たりとも再稼動は許さない!
日米同盟だと言って、思いやり予算、グアム移転費等、取れるだけ取りまくっている。日本も、いつか姿勢を正さんといくらアメリカだと言ってもついていけない。
財政破たんだと言って、消費税増税と言っている時に、よくもこんな金があるな!
国民にきっちり説明せよ!
国民の了解無しに、隠れて契約は許さないぞ。
購入するのなら、消費税増税など更にハードルが高くなる。
日本に戦争をしてくる国があるのか?よく考えよう。
あるとすると、アメリカが裏で操作している北朝鮮だが、韓国がバリアーになる。
攻めてくる国などないのだ。
外交をしっかりしておけばよい。
が万が一、国民の命、財産を守るため、軍隊強化、核保持は必要ではないか?
国民の同意はいるが、、、
自衛力の無い国に、自由はあり得ない。
そう思いませんか? (わかっているけど、言っても唇寒し、、ですか)
日本も、法外な戦闘機を買わされるより、自ら開発したらどうか?
技術力はアメリカに負けない?。
日本無しに、アメリカも戦闘機開発ができないのだからな。
日本の自立を望んでおります。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/326.html#c1
「経営者=才能」は、なんとなく理解できるのですが、「奴隷=真摯」というのはどのような事でしょうか?
あまり勉強してこなかったせいかわかりません。偉人か誰かそんな人がいったのですか?
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/442.html#c7
ドル80円付近で停滞、ユーロや豪ドルは下げ渋り
アングル:金融市場で広がる短期筋の「共食い」、投資マネー細りで
ドイツ連邦債先物が最高値更新、ギリシャ政局の混乱受け
焦点:中国の成長リスク、財政出動の必要性を示唆
[バルセロナ 12日 ロイター] スペインでは財政緊縮策と銀行救済に対する抗議活動が勢いを増しているが、銀行救済コストが最も悲観的な予想に沿った水準に達しない限り、スペインはユーロ圏からの離脱ではなく、衰退に向かう可能性の方が高い。
ギリシャの場合は、国際支援の条件を順守する新政権が発足しなければ、突如として輸入代金の支払いにさえ困る恐れがある。しかしスペインは、潜在的にじわじわと人心が荒廃するという、ユーロ圏債務危機を取り巻く全般的な特徴に近い。ユーロ圏各国では緊縮策により政治家が信任を失い、経済の失策で社会構造がほころびを来している。
バルセロナ商業会議所の経済研究責任者、ホアン・ラモン・ロビラ氏は「問題は社会的なもの。失業率が25%に達している時に何ができるだろう。劇的な状況だ」と話す。
カタルーニャ州の州都バルセロナでは病室が閉鎖され、学校の1クラス当たりの生徒数は増え、大学の授業料は上昇している。
この結果、人々の態度は硬化し、さまざまな団体が既得権益を守ろうと訴えている。カタルーニャ州の独立を支持する人々は、中央政府への資金拠出をますます嫌がるようになり、中央との政治対立が高まってきた。
カタルーニャ州のアルトゥール・マス知事の報道官は「スペインはわれわれにとって重過ぎて背負い続けられない荷物だ。わが州の発展が犠牲になっている」と述べた。
<輸出は増加、住宅価格は下落>
バルセロナ商業会議所のロビラ氏は、カタルーニャ州の輸出が順調に伸びているとし、スペインの危機乗り切りを楽観視している。
スペインの輸出は昨年11%増加した。ユーロ発足後の賃金高騰で失われた競争力を徐々に回復した結果だ。政府の予想では、2007年に10%でピークをつけた国内総生産(GDP)経常赤字比率はことし、1%を割り込む見通しだ。
コメルツバンク(フランクフルト)のチーフエコノミスト、ヨルグ・クレーマー氏は、危機に先立って起こった相対的労働コスト悪化の半分を取り返したと推計。最近の改革で賃金と労働契約が柔軟性を増したため、改善傾向は続くとみている。
対外的な経済不均衡是正が進展しているのとは対照的に、国債利回りの上昇により財政赤字の削減は遅れている。
スペインの銀行が抱える不動産関連の不良債権は1800億ユーロを超え、景気後退により企業向け融資や住宅ローンの貸し倒れが増えれば、事態はさらに悪化すると恐れられている。
スペイン政府は大手銀行のバンキア(BKIA.MC: 株価, 企業情報, レポート)を実質国有化したのに続き、11日には国内銀行に合計300億ユーロの貸倒引当金積み増しを命じ、投資家の信頼回復に努めた。しかし金融市場は納得していない。
独立系エコノミストのエドワード・ヒュー氏は、政府の取り組みが遅すぎたとし、銀行の不良債権処理はまだ終わらないと予想。「一番の問題は、不動産価格がどこで下げ止まるかだ。それが分かるまで(最終的な処理額は)すべて当て推量に過ぎない」と言う。
住宅価格は2007年以来、約25%下落した。11日公表のロイター調査によると、2012─13年中にさらに15%以上の下落が予想されている。
モルガン・スタンレーの基本シナリオでは、スペインの銀行の資本不足額は250億ユーロ。ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドは向こう3年間で680億ユーロに達すると予想している。
ルービニ・グローバル・エコノミクスは、損失額が1300億ユーロから3000億ユーロの範囲に及ぶと予想。60%の確率で、スペインは2015年に救済と債務再編が必要になるとみている。
しかしある地方銀行のチーフエコノミストは、スペインの景気後退が数年続くと想定しない限り、市場が要求する貸倒引当金の積み増し額は疑わしいと指摘。「信頼性を回復し、われわれの社債のリスクプレミアムを減らすのに必要なら、(貸倒引当金積み増しを)やらざるを得ないのだろう。しかし市場は行き過ぎていると思う」と述べた。
<地方政府との確執>
JPモルガンによると、昨年のスペインの一般政府財政赤字は対GDP比8.5%で、このうち55%を地方政府の赤字が占めた。中央政府は地方政府が支出を抑制しない場合、予算を直接管理する可能性を盛り込む新法を可決した。
しかしバルセロナから見ると、ことはそう単純ではない。
カタルーニャ州やその他の地域は、公共サービスの管理に責任を負っているが、大半の規制や課税・支出の権限を握るのは中央政府だ。景気の厳しい時期には、これが摩擦の火種になる。税収は激減するが、医療・教育支出への需要は増大する。
この結果として、バルセロナはたびたび中央政府に資金不足の穴埋めを懇願するはめになる。カタルーニャ州はスペインで最も富裕な地域で、毎年GDPの8%以上に当たる税収を中央政府に拠出しているにもかかわらずだ。
その上、カタルーニャの中道右派与党、カタルーニャ同盟(CiU)の主張では、中央政府は権力の中央集中とカタルーニャ州の抑圧を目的に、約束した投資資金を棚上げにしている。
カタルーニャ州のアンドレウ・マス・コレル経済相は「われわれはスペインが危機にあり、改革が必要だということは分かっている。全員が1つのボートに乗っているのだ。いら立たしいのは、わが州の自治権を制限したり、過去の約束を反故にする機会として、危機が利用されていることだ」と語った。
カタルーニャ州は自治権拡大に結び付く新たな財政合意の交渉を望んでいるが、債務が州GDPの22%に近づいているため、政治力が弱まっているようだ。
同州は医療支出や地方公務員給与の削減など、追加的な財政支出削減策に取り組んでいる。経済相は「われわれは危ない橋を渡っているが、有権者は厳しい状況を理解してくれるはずだ」と述べた。
<不公平感>
バルセロナでの会話からは、人々が緊縮策の必要性を理解していることがうかがえる。重要なのは、スペインでは家族の絆が強く失業時のセーフティーネット的な役割を果たしていることだ。それでも犠牲の負担が公平ではないと感じられている。
社会学者として働くフェリペ・アラングレンさん(59歳)は「腐り切った」国内銀行に怒りをぶつけ、富裕者の課税を増やし、資金を公共事業に投じるべきだと訴える。
ただアラングレンさんは、ユーロを離脱してもスペインの苦境は収まらないと指摘。「経済的な事はすべてブリュッセルで決まるため、スペインはなすすべがない。しかしユーロを離脱しても、問題がまた一つ増えるだけだ」と語った。
(Alan Wheatley記者)
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/160.html#c1
書いた途端にちゃんと表示されましたね。
みんなに見(知)られちゃ困るから
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/520.html#c1
何の目的で戦いをするのだ?
はっきり説明しろ、アメリカ国民は主張する必要がある。
テロとの戦い?
もとより、9.11事件は、胡散臭い!
悪いことするから、イスラム国家より反撃食らっているだけではないのか?
悪いことしなければよい。
(イスラエルは、不条理国家である、と認めなくてはな。)
静かに経過を見守るだけで、戦争は終わりそうだ。
日本からの戦費調達しない限りは!
財政破たんと言っているからな!財務省は、、、、
国民に内緒でアメリカに戦費調達し、金庫が空になったのか????
小泉の時は、ブッシュにくれてやっていた、貴重な税金を。
戦闘機、法外な価格で購入する?
これが、戦費に回るのか?
戦闘機など買うな!いらぬ。
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/325.html#c1
考え過ぎ。
チベさんは、文末の「w」からしてジョークで言ってます。
デマなんて流したことないよ。
東大でた専門家や国や電力会社の原発は爆発しない、活断層は、ないなどという数々のデマ、そのために何の対策もとられずにきて福島の人々が大変な生活を強いられている。
それなのに、まだ、彼らは高報酬をもらって権力を持ったままだ。
それはなんともないの?
言論人というよりも、たんなる目立ちたがり屋。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/674.html#c13
私にとっては不幸。配偶者と親族がバカなので、私の子供の寿命と健康がより害されてる。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/682.html#c3
ひと昔前には、極めて大きな200Kg前後の人々を目にしたが、今ではほとんど見かけなくなってしまった。
よく、米国英国悪玉論がネット上にはびこっているが、
食事ですらこのような有様である。
謀略等仕掛けられる余力は無い。
実際には中国や中東から侵食されているのが現状である。
例えばアフガンの戦いにしても
「タリバン」とはイタリアデルバンコ金塊資源マフィアの略であるが、
膨大な資金を扱うゲリラ原住民勢力に対し苦戦している。
背景には、中国のエリア51対米国のエリア51の戦いがある。
欧米の宇宙は比較的性質が良い。
よって日本は欧米とつきあうべきである。
基本的に正義は勝たねばならない。
今は中露台やイラン、インドネシアといったところが資源略奪で栄えているが、金銭的経済が潰れれば、何も残らないから注意がむやみに付き合わぬよう必要である。
日本の役人や宗教といったところにも、中国べったりの人々が氾濫している。
欧米の懐具合が悪くなったからと言って中露台イラン等に日本勢力が寝返った例は1985年8月12日のJAL123便核攻撃惨事で先例がある。
欧米系だった日本のフリーメーソンが突如としてアジアに寝返ったのだ。
日本では、学校の教頭試験以上や、官僚になるためにはフリーメーソンに加入しなければならない。
よって、
日本のフリーメーソンが欧米の正義の組織から、突如として、極悪の中露台イラン等に寝返ってしまった1985年8月12日のJAL123便核攻撃惨事は、重大な教訓である。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/147.html#c12
だからこそ、漏れる前からの法律で、放射能管理区域から物を出したらだめだったんでしょ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/676.html#c8
アメリカ産 糞尿入り飼料生育牛肉豚肉
日本産 放射能汚染食品
中国産 殺虫剤、地溝油食品
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/147.html#c13
ただ比べる前に、爆発しないと大嘘をつきつづけた国の官僚や、電力会社、政治家、専門家がなぜ、そんなことを言ったのかを先に知りたいと思っているだけ。
私の地域では、活断層があったのにないとうそを言い続けたよ。
まあね。官僚は自分の天下り先を確保したいし、電力会社は、自分たちの高報酬を
維持したいし、潤沢なお金があれば、企業としても力を持てる、政治家は
原発マネーで、ラクラク当選を果たし、政策なんかめんどうなことにかかわりたくない、専門家は、表から裏からしっかりお金がもらえるし、国の審議会も原発以外のことでもお呼びがかかり、また儲かるし、権力に近づける。
国民が、りっぱと思うような肩書き、権力、お金を維持するためには、平気でうそをつくってどういうことなんだろ。
そんな人々が、まだ反省もなく謝罪もなくえらそうに言うことができるっていうのは、どこの国とくらべたらいいのかな?
ロジェクトキャメロットのブログにてケリーが紹介していたフリーランスの人が書いた内部告発記事です。
記事リンク
--- 翻訳 ---
この3号機の写真は3月24日に撮影されました。3号機が爆発の危機にあるというメディアの嘘をやめさせてください。3号機はとっくの昔になくなっています。3号機はすでにありません。メディアの話は最初から全て嘘です。本当の真実はJimstonefreelance.comをごらんください。
3号機は疑いも無く全て消えています。これは事故では起こりえません。完全に3号機が消えた唯一の理由は、核兵器です。核以外に有り得ません。マグマBSPという核兵器がこの中の巨大カメラの中に隠されていたと思います。(追記参照) 3号機の中に設置されていたのでしょう。
2つの塔はスリーマイル島の事故の後に設置されました。スリーマイルでは水素漏れによりメルトダウンし、その後に水素爆発を起こしました。これらの塔は多くの核施設で水素を漏らしメルトダウンのあとの爆発を防ぐために設置されています。福島で起こった水素の話がとても信じがたくなります。
スリーマイルで水素が発火したとき、建物や備品には全くの影響がありませんでした。福島では、きのこ雲が見られました。3号機がすでに完全にメルトダウンしており、メルトダウンの後に発火しているときにも他の施設には何の問題もおきていないのであれば、なぜきのこ雲ができたのでしょうか?
私達は騙され日本人は騙されていると思います。全ての国もまた騙されています。唯一意味が通るのは;うそをついているのはメディアを所有しているのと同じ人々であり、メディアは嘘の製造所となっているのです。
戦争に行くとわかると思いますが、情報のコントロールが全てです。ここでおきていることもそうです。2011年にオサマが死んだと人は信じています。私達はまた福島についても騙されています。継続して騙され続けるでしょう。スリーマイル島には証拠となるプールがあります。歴史は重要です。
この図のような銃タイプの核兵器マグマBPSが福島にもたらされたのでしょう。(ウラン銃タイプの核兵器)
「私は、三号機の隔壁内に設置された彼らの非現実的に巨大なカメラの一つの中に、 Magna BSPが核兵器を隠したと思っている。」
Magna BSPとは、イスラエルの安全管理会社の名前です。その会社が今回の事件に加担しているということでしょうね。参考までに、さてはてメモ帳さんの記事を貼っておきます。
http://satehate.exblog.jp/16081021/
---
下記画像にある赤丸で囲んだ部分が、電気を使わなくても緊急時に水素を取り除く塔です。スリーマイル島の事故後に開発され設置されているそうです。このため水素漏れによる爆発は有り得ないというのが、著者の主張です。
http://www.jimstonefreelance.com/reference.jpg
それから下記リンク先の福島に関するサイトは、サーバーの攻撃にあっているそうです。モデムがアタックされ、書いた本人がサイトにつながりにくくなったそうです。いずれサイトが閉鎖される可能性があるので、できるだけ情報拡散にご協力くださいということです。リンク元を入れれば転載大歓迎とかかれています。
http://www.jimstonefreelance.com/fukushima.html
このサイトの後半部分の主な主張は、地震の規模が9.0とは有り得ないという説です。
地震当時のNHK岩手の揺れの映像がたいしたものでないこと、そして津波に襲われる際に町の建物がほとんど被害を受けていないのに、過去最大の地震の規模というのは有り得ないと沢山の写真をのせて説明しています。
そんなにたいした地震でもないのに津波が来るというは、人工地震と人工津波である証拠だと話しています。
震源が9.0なのに、すぐ近くの地震の震度は5.63となっています。
上記のデータは改ざんされる前のものだそうで、改ざん後は7.9、そして8.4→8.8→9.0へと上っていったそうです。
それから以下の文章はジムストーン氏が気が重いといいながらも書いている主張です。日本は核を人質いとられていたと思っています。そうすれば意味が通じます。
1. 日本はイスラエルの偉大なる悪魔のイランに向けてウランを豊富に提供した。
2.すぐにイスラエルはセキュリティ会社としてフロント会社を設置した。日本の核施設のセキュリティを獲得した。4ヵ月後にDimona Dozenが現れた。水面下で福島のハートにアクセスするセキュリティ契約を結んだ。彼らはウィルスを設置した。本物のカメラを施設の外に設置し、中にある核カメラを隠した。これに加えて、彼らは承認されていないデータコネクションをインストールし、ウィルスを通して全ての施設のコントロールを行った。(彼らはこのコネクションについて認めた。このページの後で説明する)
3. その後でStuxnetと核をインストールし、緊急停止を行った。
4. イスラエルは津波爆弾を隠すため自然の地震が日本に来るのを待った。すでに日本の地底に設置していた。VLFコミュニケーションが設定され、水を刺激する爆弾が設置された。DimonaのDavidが日本から6.67の地震のデータを読み取った。バーン! (新証拠により地震はほとんど自然でないことがわかります)津波が到達し、発電所のstuxnetを浸水させた。合成カメラからの直接の撮影し、セキュリティ会社は承認されていないチャンネルを通してDavidをインストールした。Davidはいつジェネレーターを切断するかを知っていた。他のチームは福島の職員がとってくる測定を妨害した。作業員らは全てがおかしくなっていく理由を何も理解していなかった。
5. イスラエルの首相は日本に電話をし、イランに提供したお礼だと言った。あと5つの核が日本の海岸にある。私達は全部設置しており、あなたの海岸の都市を破壊する。もし6.67を9といわなければ。津波の効果を偽装しろ。そして私達は全ての原子力を取り去ることを要求する。そうすれば二度と私達に攻撃されないだろう。私達は福島第一を爆破する。あなたは言うとおりに何でもしろ!
6. デービッドと彼の仲間はリモートデータリンクを通じて施設の全てのバルブを閉じた。彼らはそれらをインストールしてフルスロットルにしたことを認めている。メルトダウンをするために。その間、ウィルスが部屋をコントロールし続け、誤った情報を表示し続けた。何も起こっていないかのようになっていた。充分に混乱をさせたあとで、彼らは核をオフにして、空の高くまで吹き飛ばした。
たとえ地震が本当だとしても、核が8.4に充分に近いところにあった。私は最期の詳細はまだやっていない。たぶん十分に彼らをつるしたと思う。その理由は;
1. 私は本当のseismicデータを得ている。地震が彼らが言うとおりのものではなく、実際に6.8だったという証拠を。それは日本にとっては脅威ではないものだ。
2.多くのソースがStuxnetは本当にイスラエルで書かれていると証明している。
3.日本は本当にウランをイランに提供している。イスラエルはイランの施設を破壊しようと試みていることを文書化している。たぶんそうした。日本はイランの核に貢献している。日本はイランと同様に将来イスラエルの敵となりうる。イスラエルはそれを取り除きたいと思っている。
4. イスラエルのチームの文書には、歴史を通して継続してイスラエル人の防衛のために働いていることと、日本の核施設に制限なくアクセスすることができるとある。それは増加している。
5.4号機は燃料が抜かれていることが証明されている。そのため説明は不可能だ。4号機では一体に何が起こったのか? 燃料プールがメルトダウンし、火災が起きて、水が沸騰し、最悪にも循環できなくなった。ひどく汚染されている。何もない。爆発はなかった。4号機は建物7だ。終了。外の放射能壁がふきとばされ(4フィートの厚さ)内側の放射能壁画もっと厚かった? 4号機は今にも終わろうとしている。どうやって?
6. 日本の政府は科学的な9.0の証明の話につきあっている。それには理由がある。私の推測は、イスラエルは日本の海岸の都市を津波で吹っ飛ばすと脅しをかけた。日本には他の継続した脅しにつきあう理由はないはずだ。
イスラエルのセキュリティ会社は事実であるし、彼らが福島原発を制御できる立場にあるのは事実です。
イスラエルがイランの核施設を攻撃するという情勢は数年前からあったようで、それがなぜ日本に及んだかというのが謎ですが、やったのはイスラエルであるとすれば、イスラエル-英国の深いつながりからニューワールドオーダーの計画の一部なのかもしれません。
イスラエルの怒りを買った?イランへの濃縮ウラン提供か? → http://classical.mo-blog.jp/blog/2012/04/post_5a8c.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/629.html#c33
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20120514-OYS1T00150.htm
2011年05月09日01:55 【原発問題】玄海原発が月内にも再稼働 九州電力、計画停電回避へ 地元自治体「浜岡は停止なのになぜ…」 [11/05/08]カテゴリ3拍手 1 名前:焙煎特派員φ ★:2011/05/08(日) 23:59:44.19 ID:???0
経済産業省の原子力安全・保安院は6日、九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の緊急安全対策について
「適切に実施されている」との確認結果を発表した。九州電力は今回の結果と地元の意向を踏まえながら、
定期検査中の2、3号機を月内にも再稼働、6月中に送電線に電気を流す営業運転の再開を目指す。
九州の計画停電は回避される可能性が強まった。ただ、地元自治体には「浜岡原発(静岡県御前崎市)には
停止要請なのになぜ……」と戸惑いや不安を訴える声も強い。
九電は同日、「現時点で判明している知識と見解に基づく安全対策は実施できたと考える。
新たな知識と見解が得られれば反映し、地元の方々をはじめ、広く九州の皆様に説明し、
不安解消に努める」とのコメントを発表した。
九電は当初、玄海2、3号機を3月下旬から4月上旬に再稼働し、実際に送電する営業運転は5月中を目指していた。
合計出力は約174万キロワットと九電の全発電能力の約9%になる。
5月10日からは川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市、89万キロワット)が定期検査に入る予定で、
玄海2、3号機が再開できなければ「夏場には必要な電力の20〜25%が不足する」(同社)見通しだった。
計画停電回避の可能性が強まり、九州の経済界からは歓迎の声が上がった。
地場製粉大手、鳥越製粉は「製粉工場は24時間稼働しており、通常通り稼働できれば大変ありがたい」
(小田博之常務執行役員)とした。
システム開発のジェイエムテクノロジー(福岡市)の植木一夫社長は「仕事が増えており、
(停電の不安がなくなれば)安心して雇用を拡大できる」と話した。
東京電力福島第1原発の事故を踏まえ、国は3月30日、電力各社に緊急安全対策を実施するよう指示した。
電源、冷却機能などが失われた場合でも炉心の損傷を防げる対策を求めている。
http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1516366.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/628.html#c8
だから、使用済み核燃料=ゴミを資産として粉飾決算し、その決算をもとに総括原
価方式で高値に設定された電気料金を騙し取る原発はもうやめてくれと、議論して
いるんですけど、何をどう勘違いすれば、こういう書き込みになるのですかね?
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/487.html#c297
不要だった原発の放射能にに今我々は殺されようとしているのだ。
で、需給で問題の無い東電は燃料費を理由に電気料金の値上げで今度は
恫喝してくる。
計画停電恫喝、値上げ恫喝、恫喝、恫喝・・・・
そんな会社が存続できるわけも無く、さっさと国有化する力の無い政府も含めて
いづれ共に消え去るのが運命だ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/672.html#c22
その通りだろう
現状の高い企業年金の重い負担を衰退する日本の企業が負えるはずがなく
無理に押し付ければ弱い所から連鎖倒産するだけだ
>厚生年金基金は積み立て方式であるから世代間格差は生じない。現在、リタイア世代の年金を現役世代が負担しているのは、過去にも基準を逸脱した積立不足があったからだ。そうした運用の問題を解決することこそ政治家、政党の仕事
つまりさらに税金でバラマキのツケを現役世代(他の会社)に負担させるということか
このままだと結局破綻して、今の老人だけが食い逃げするだけに終わりそうだな
「パニックに陥った人々の世界には、・・・同類同士が傷の舐め合うことができます。しかも現実の煩わしさの少ない、ネットでの情報のやり取りが多かったのです。さらに自分の頭で考えることを放棄できます。」
これは笑えます。
「原子力村の主張にひれ伏す人々の世界には、・・・同類同士が傷の舐め合うことができます。しかも現実の煩わしさの少ない、マスコミを通じた権威ある大量の情報を受け身で受け入れればよかったのです。さらに自分の頭で考えることを放棄できます」
とでも言った方が、よほど正確だ。
とりわけ、最後の一文「自分の頭で考えることを放棄できます」のところは。
まあ、池田氏本人が、自分の頭で考えてもそうでなくとも、さして変わりない内容を書き散らしているのだから、こんなことを言っても無駄なのかもしれない。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/674.html#c14
地方自治体は(くれるモノはもらってもいいけど)補助金なしでもやっていける未来を模索しよう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/680.html#c20
昨年、我が家もこのままだと最悪、離婚や親子断絶まで繋がりそうな気配でした。
理系で放射線関連の資格も持つ相方ですが、TVによく登場の専門家同様、相変わらずの安全神話に立っています。
悩みに悩み眠れない日々を過ごしましたが・・ある境地(これから先、夫・子供に何が起ころうとも想定内)に行き着き、気分的にかなり楽になりました。
夫(単身赴任)及び子供は関東圏暮らし、私はものすごく西の方面暮らし。
うちでは基本的にメールで放射能関連の話題はタブー・・
保険金を今一度確認し、一人残された時のシュミレーションも時に頭に浮かんでいます。
【放射能 あじの開き、ぶりの照り焼きからセシウム(生活クラブの魚)】
生活クラブ連合会(生協)が独自検査を行ったところ、「アジの開き」「ブリの照り焼き」からセシウムが検出されたということです。
・鯵のひらき :29ベクレル(千葉漁連)
・ブリ照り焼き:28ベクレル(千葉漁連)
*数値は、1キロあたりのセシウムの量。
以下、生活クラブのHPからの引用です。
5/11-13の放射能検査結果は以下の7検体を除き不検出でした。
・生椎茸(JA甘楽富岡)からセシウム合計19 Bq/kgを検出しました。
・生椎茸(中伊豆椎茸部会)からセシウム合計21 Bq/kgを検出しました。
・生椎茸(町田地場生産組合)からセシウム合計24 Bq/kgを検出しました。
・ナメコ(JA甘楽富岡)からセシウム137を5 Bq/kgを検出しました。
・生椎茸(JAちちぶ)からセシウム合計37 Bq/kgを検出しました。
・あじ開き(千葉県漁連)からセシウム合計29 Bq/kgを検出しました。
・お弁当用焼き魚(ぶり照り焼き)(千葉県漁連)からセシウム合計28 Bq/kgを検出しました。
(ソース)
・生活クラブHP(5月14日公表分)より。
http://seikatsuclub.coop/coop/news/20110905top.html
つまり自宅近くで2か月間程生き延びることができるように、テント・寝具・水食料・燃料等を自ら準備しておけと言うことだろう。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/320.html#c8
緊縮不況で消費が減らされるの避けようとしても
完全デフォルトとユーロ離脱後には、激しいインフレで実質消費は減らされる
違いは
前者は日本と同じく、将来世代にとっては緩慢な死だが、一部の富裕な年金高齢者は、それほど生活水準は下がらないで何とか逃げ切れる、
後者は既得権損を中心に、短期的には多くの犠牲が出るが、うまくやれればアルゼンチンのようにV字回復で経済は回復、
失業率も改善し、将来世代の実質負担は軽くなる
オレには分からなかったので誰かわかったら教えてね。(笑)
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/316.html#c11
コラム:国債にバブルの兆し、警戒必要な「政治ショック」
コラム:ムンクの「叫び」高額落札、金融緩和の象徴に
コラム:インドルピーに下値不安、負の連鎖招く恐れ
コラム:米中は人権めぐる争い避けよ、陳氏問題が「試金石」に
田巻 一彦
[東京 2日 ロイター] 大型連休明けの市場は、4日に発表される4月米雇用統計の結果で、大きく方向感が分かれるだろう。強めの結果が出れば、足元で進んできたドル安/円高の流れはドル高/円安方向に押し戻され、弱めの結果になれば、再びドル/円は80円を割り込んで円高が加速するリスクが高まると予想する。
ただ、米連邦準備理事会(FRB)はよほどの景気下押しがなければ、量的緩和第3弾(QE3)にカジを切らないだろう。とすれば今回のドル安は短期間で収束する可能性もある。
<非農業部門雇用者が17万人増なら、円高トレンドは一服>
最近の市場は、米経済の動向をめぐって一喜一憂し、ややブレが大きくなっている。4月27日に発表された2012年第1・四半期の国内総生産(GDP)が、予想の前期比プラス2.5%を下回る同2.2%だったことで、米景気回復への懸念が表面化。ドル安が広がり、対円でも80円割れまで下落した。だが、1日の4月米供給管理協会(ISM)製造業景気指数が予想比強めに出ると、弱気に傾いた心理が緩和され、ドルも買い戻されている。
これまでの米経済指標をみると、概ね2%台半ばの成長を続けているイメージのデータが多かったが、3月米雇用統計が弱めに出て、市場の懐疑的なムードを高めた側面がある。その意味で4月米雇用統計の結果が、米経済の足取りを確認する上で、市場関係者から通常時よりも注目されている。
ロイターの実施した市場予測調査によると、4月米雇用統計における非農業部門雇用者数は、前月比17万人増と3月の同12万人増から勢いが増す見通し。もし、この予想通りなら、米景気失速懸念は後退し、ドルは主要通貨に対して買い戻されるだろう。対円でも80円割れの円高懸念は後退し、80円後半から81円前半の水準で堅調な推移になるのではないか。
<弱い雇用統計なら、政府・日銀も警戒強める>
一方、非農業部門雇用者数が予想を下回り、3月の12万人増やそれ以下にとどまった場合、投機筋のドル売りを巻き込んで、ドルは軟調地合いになるだろう。ドル/円も80円を割り込み、大型連休明け7日の東京市場では、78円台での取引になっている可能性もあると予想する。
そうなれば、円高が日本株安につながり、企業や個人の心理を冷やして、日本経済の前向きな動きに冷水をかけることになりかねない。政府から円高をけん制する発言が出て、日銀も為替動向に神経をとがらせるのは、円高の進展具合によっては、日本のマクロ政策のスタンスにも大きな影響を与えるという警戒感があるからだと考える。
ただ、投機筋のドル売りは「QE3期待」が主体だ。市場の一部には根強い期待感が存在するものの、QE3が6月の米連邦公開市場委員会(FOMC)で決断されるかどうかといえば、その可能性はかなり低いと指摘したい。
バーナンキFRB議長は4月25日の会見で、米景気が失速した場合などを想定し、QE3を含む追加策の選択肢があることを認めた。だが、これまでのところ、米経済の失速を示すデータはない。市場が反応した第1・四半期GDPも前期比プラス2.2%であり、景気失速からは相当の距離がある。また、景気のエンジンである個人消費支出は前期比同2.9%と、前期の同2.1%から加速している。
4月米ISM製造業指数も、景気指数を筆頭に強めのデータが多く、直ちにQE3へとカジを切る可能性は低いとみるべきだ。その前提に立てば、仮に4月米雇用統計が弱く出て、いったんドルが全面安になったとしても、QE3がなければ、ドル安を促す米長短金利の低下が限定的となり、特に2年米国債利回りの低下がなければ、ドル/円での円高も、大幅に進まずに反転する可能性があると予想する。
<日米株価のかい離、IT競争力を反映>
ただ、足元で顕著になっている日米株価の大幅なかい離は、たとえ78円を突破する大幅な円高進展とならなくても、日本株の不振でさらに差が開く可能性もある。東京市場では円高が日本株の競争力を奪っているという見方が多いが、それは要因の一部を指摘しているに過ぎない。大型テレビ分野における日本企業の大規模な赤字計上を見れば明白だが、IT分野における日本企業の敗退は、経営者の戦略ミスが大きく影響している。
一方、米国ではアップル(AAPL.O: 株価, 企業情報, レポート)、インテル(INTC.O: 株価, 企業情報, レポート)、IBM(IBM.N: 株価, 企業情報, レポート)、マイクロソフト(MSFT.O: 株価, 企業情報, レポート)など、株価上昇のIT企業が目立つ。シティグループ証券の調べによると、2012年3月末時点で、過去1年間の世界の株価上昇率トップ20社のうち、16社が米国企業であり、その中心に米IT企業が並んでいる。同社の藤田勉副会長は「米企業は、スマートホンや電子決済など世界最大の成長分野であるモバイルインターネット関連商品で、強い競争力を発揮している。株価はそれを反映している」と指摘している。
日本の株価低迷は、得点力の低下した野球チームのようにも見える。かつて主力打者だった主要な電機メーカーは精彩を失い、下位打者のような打力しか示せない。四番打者不在のチームでは、いつまでたっても株価の大幅高は期待できない。イノベーティブな経営者が増えなければ、円安になってもかつての栄光は取り戻せないだろう。
日米株価に大きなギャップがある今こそ、「円高元凶論」にメスを入れるべき時だと指摘したい。
*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/133.html#c5
レス頂きまして、ありがとうございます。
>>01さんの書いてることとはズレがあるかもしれないが、9/11の疑問を広めているときに、知人から
言われましたよ。成長した息子等も、すでに歯車に入っているから、見ないと。
いえいえ、全く持っておっしゃるとおりです。
このシステムを確立すれば、気がついた人間でも、支配体制に反旗を翻さないわけですよね。巧妙です。
>>人生とは「意識、その人そのものが一つの宇宙そのもの」
>他方、インドで修行してきたみたいな人たちは、「全部繋がっていて、ひとつなのだ」と
主張していますよね。それと、01さんの言う「自他を分けて考えられない」とはちょっと別物だ
という気がしますけど。
これも、別物ではないと思いますよ。「全ては一つなのだ」というのが、量子力学に到達した人間の知りえたものでしたか。つまり、「世界とは自分が観察することで、初めて存在する」ということでした。
修行を通じて到達した世界の実相とは、世界と我はそもそも分かつ事などありえないという理解と同義です。
ただ、その理解に至るまでに段階というのもはあって、ごく普通の日常を送る人々の意識では、完全には世界が我(意識)とは自覚されていなくて、でも物質オンリーではないということは、自分の中で根付いている意識状態で、普通に「他人を放ってはおけない」という想いがある、そういう段階にあるということです。
見ることが世界を成り立たせている、だから自分とは関係ないという世界の状態が、そもそもありえない、ということに、修行を経て到達し、自覚した意識(もうこの状態では人間とは呼べないです)と、まだ唯物観念も持っているけれども、「我さえよくば、今さえよくば」とも思えない、という新たなる世界観の芽生えを持っている状態の人々ということだと思います。
>同じ人間と思っていないから出来る超・蛮行。
恐ろしい蛮行ですね。人類家畜化計画と言うと、ほとんどの人間は、「アニメ?空想しずぎ!」と、見ようともしないですね、しかしまさに家畜化に邁進して来たわけです。人間とは思っていない。
優性種という驕りですが、この発想の根底はやはり「恐怖」だと思うのです。唯物観念とはその元々からして消滅のシステムです。自己否定と自己破壊にその根底を持っている以上、存在自体が恐怖なわけです。
その恐怖を何とかしたくて仕方がないから、態度はその真逆で、高圧的で暴力的で刹那的にならざるえない。
常に自己の観念により、恐怖が増幅し、他人を支配せずにはおられない。それが蛮行に至らしめる背景と思えます。
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/673.html#c6
緊縮が続けば、じきに急進派が多数をとってデフォルトに向かうのは時間の問題
今回、仮に先延ばしができても各国の銀行救済のための時間稼ぎで終わり
負担はIMFやEFSFに出資した日本にも押し付けられそうだ
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/151.html#c3
報復しろ。
イスラエルを攻撃しろ。
水爆をイスラエルに落とせ。
100発の水爆をロンドンとイスラエルとワシントンに落とせ。
でないと再び核攻撃されるぞ。
なんてことだ。
>>に書いてありますように、
下のコメント欄に、阿修羅掲示板の投稿規定2011.09.12版 から投稿規定をコピーして貼り付けてコメント投稿をお願いします。
その後それを3回お読みいただき、読み終わったら、読み終わったことをコメント欄で報告をお願いします。
良くわからないことがあればコメント欄で質問してください。
どうぞよろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2590.html#c1
に書いてありますように、
下のコメント欄に、阿修羅掲示板の投稿規定2011.09.12版 から投稿規定をコピーして貼り付けてコメント投稿をお願いします。
その後それを3回お読みいただき、読み終わったら、読み終わったことをコメント欄で報告をお願いします。
良くわからないことがあればコメント欄で質問してください。
どうぞよろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2592.html#c1
CTBTO高崎では検出されていないが(事実を隠蔽している可能性もある)、米国では、4月30日から5月8日にかけて、半減期12日のバリウム140が検出されたようだ。これは福島原発で臨界が起きたことを示している。
http://pissinontheroses.blogspot.jp/2012/05/alert-barium-140-indications-of.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/686.html#c2
http://www.cnn.co.jp/images/cnn/2012/05/12/10/55/37/birds-museo-san-antonio-3.jpg
(CNN) ペルー沿岸で5000羽以上の海鳥が死亡した問題で、ペルー政府当局はペルー沖の海水温の上昇が原因と結論付けた。
ペルー国立エルニーニョ現象研究センターが今週はじめに発表した報告書によると、今年2月以降、世界中の海で発生する海流の影響でペルー沿岸に大量の暖かい海水が流れ込み、海洋生態系に変化をもたらしたという。
この暖かい海水の影響で、海面に生息していたアンチョビなどの魚が、海のより深くまで潜ってしまい、さらに南方に追いやられた。その結果、それらの魚を餌にしていたペリカンなどの海鳥が餓死してしまったという。
同報告書は「この状況が続けば、秋に入っても(ペルー)沿岸の他のエリアに影響が広がり、死亡する海鳥の数は増え、他の海洋生物にも影響をもたらす」と指摘する。
ペルー環境省は、今のところ魚介類は食べても安全としている。またペルー当局は先週、ビーチでの遊泳に対し警告を出したが、ビーチで身動きの取れなくなったペリカンやイルカなどに触れなければ健康上問題ないとした。
ペルーでは今年初めから約900頭のイルカが死亡しており、当局が原因を調査している。現在、ペルー保健省は、以前イルカの大量死の原因となった麻疹ウイルスを探すための分子解析の結果を待っている。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/321.html
ネットの書き込みを信じて、土井たか子を在日認定した2ちゃんレベルのバカ。
週刊現代の元木と共に東電のゴチで中国旅行の常連。
元フォーカスの鈴木隆一(Willのワック出版社長)と組んで企業の提灯持ち雑誌創刊。
「雑誌ってこんなに簡単に儲かるんだね、」と自慢してたの田中康夫ちゃんにバラされる。
●雑誌の電力系PRランキング(調査対象:1P以上の広告)
順位 雑誌名 合計(原発+原発以外) 原発 原発以外
1位 ソトコト 75P 0P 75P
2位 WiLL 50P 14P 36P
3位 潮 31P 24P 7P
4位 週刊新潮 29P 12P 17P
5位 婦人公論 28P 20P 8P
6位 プレジデント 23P 9P 14P
7位 中央公論 22P 10P 12P
8位 WEDGE 21P 11P 10P
9位 文藝春秋 20P 12P 8P
10位 Voice 17P 14P 3P
10位 テーミス 17P 4P 13P
(11位以下は省略 「日本を脅かす! 原発の深い闇」(宝島社)より)
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/885.html#c9
国民が娘を売って払った税金だぞ。
戦前の半島人が税金を払わずに、日本人の血税で作ったインフラを強奪したような、人でなしなことはするな。
若い衆を、戦車を、世界権力に向けたらどうだ。奥の院に突撃するべきだろうが。
通常時のペルー〜エクアドル沖では、深海から湧き上がる海水(湧昇流)は、海底に堆積した有機物も一緒に巻き上げてくるため、浅海でそれを栄養とするプランクトンが大発する。そしてそれを食べる魚(例えばカタクチイワシ(アンチョビ))がたくさんに生育でき、世界でも有数の良い漁場となっている。また、アンチョビを食べる海鳥が巣をつくっている島に糞をする。その糞がよい肥料にもなる(グアノの呼ばれるリンを含む肥料)。だがエルニーニョ時のペルーは、付近の海水温が上がるために気温も上がり、雨も多くなる(洪水を招くこともある)。湧昇流が弱まり漁業もとなる。さらには肥料の生産も落ちる。こうして、エルニーニョは、ペルーの漁業・農業に影響を与えていた。
現在では、エルニーニョはこうした地域的な影響ばかりか、全世界の気象に影響を与えていることがわかっている(下図参照)。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/321.html#c1
■ 2012夏にエルニーニョ発生も 気象庁
2012年4月10日 気象庁は、2012年3月のエルニーニョ監視速報を発表した。
それによると、3月はエルニーニョ現象もラニーニャ現象も発生していない平常の状態が続いており、夏にかけても平常の状態が続く可能性が高い。
しかし夏(2012年6〜8月)にはエルニーニョ現象が発生する可能性もあるとのこと。
エルニーニョ現象やラニーニャ現象は、異常気象を引き起こす要因といわれている。
ちなみに夏以降は確実な予測が難しいという。
気象庁 リリース PDF
http://www.jma.go.jp/jma/press/1204/10a/c_kanshi_joho.pdf
2012年4月10日(火)23時13分配信 時事通信
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-10X391/1.htm
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/321.html#c2
エルニーニョ/ラニーニャ現象
4月の実況: エルニーニョ現象もラニーニャ現象も発生していない平常の状態が続いている。 エルニーニョ監視海域の海面水温は基準値に近い値(基準値との差は0.0℃)だった(図1、表)。太平洋赤道域の海面水温は中部で平年より低かったが、東部では平年より高かった(図2、図4)。太平洋赤道域の海洋表層の水温は、西部から中部にかけてと東部の南米沿岸寄りで平年より高かった(図3、図5)。大気では、太平洋赤道域の対流活動は平年並だった(図6、図7)。これらの海洋と大気の状況はエルニーニョ現象もラニーニャ現象も発生していない平常の状態が続いていることを示している。
今後の見通し: 夏と秋の期間中にエルニーニョ現象が発生する可能性もあるが、平常の状態が続く可能性の方がより高い。 エルニーニョ予測モデルは、エルニーニョ監視海域の海面水温が、夏から秋にかけて基準値より高い値で推移すると予測している(図9)。夏と秋の期間中にエルニーニョ現象が発生する可能性もあるが、予測の不確実性が大きく、モデルの特性を考慮すると、平常の状態が続く可能性の方がより高い。
西太平洋熱帯域およびインド洋熱帯域の状況
西太平洋熱帯域: 4月の西太平洋熱帯域の海面水温は、基準値に近い値だった(図1)。今後夏には基準値に近い値で、秋には基準値に近い値か基準値より低い値で推移すると予測される(図10)。
インド洋熱帯域: 4月のインド洋熱帯域の海面水温は、基準値に近い値だった(図1)。今後夏から秋にかけても基準値に近い値で推移すると予測される(図11)。
エルニーニョ監視海域の海面水温の予測(5か月移動平均)
エルニーニョ/ラニーニャ現象の経過と予測
左の図は、エルニーニョ監視海域の海面水温の基準値との差の5か月移動平均値(指数)の推移を示す。2月までの経過(観測値)を折れ線グラフで、エルニーニョ予測モデルによる予測結果(70%の確率で入ると予想される範囲)をボックスで示している。指数が赤/青の範囲に入っている期間がエルニーニョ/ラニーニャ現象の発生期間である。
次回発表予定日時:6月11日14時
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/321.html#c3
政府は国民の借金だ、孫子の代まで
借金を背負わせるのか!とか
売国的な事ばかりして何の有効な策も打たず
とんまな事を言って国民を騙そうとしているが
国民にとっては立派な財産そのもの。
なめるのもたいがいにしろ!と言いたい
ところで借金の話しばかりしている政府
いったいどれだけのお金を海外に貸し付け
日本が、どれだけの莫大な対外資産を
持っているかは一切言わないという、
ふざけた話しです。どなたかお示し願いたし。
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > アーカイブ > 今月