ニュースの匠:AIJ企業年金損失問題=鳥越俊太郎
http://mainichi.jp/opinion/news/20120407ddm012070008000c.html
毎日新聞 2012年04月07日 東京朝刊
◇「運用」の落とし穴
「AIJ」という名前の投資顧問会社が企業年金から運用を任された約1500億円の大半を消失させた、というニュースが一時期新聞、テレビで流れました。大半の読者の方は自分には関係ない、“人ごと”だと思って見ておられるでしょう。しかし、この損失を被ることになる企業年金団体は主として中小企業関係が多く、人によっては痛い思いをされる方もおられることでしょう。
このニュースのポイントはAIJが運用損を出しているのを隠して勧誘していたのではないか、つまりだましていた=詐欺行為に当たるかどうかにあるようです。報道もそのポイントに焦点をあてて行われています。
しかし、ここではこのニュースを事件性があるかどうかという角度ではなく、話の大前提として使われている言葉「運用」という点に絞って考えてみたいと思います。
皆さんは「運用」と聞いてどういうイメージを持ちますか? 「新明解国語辞典」(三省堂)によると「運用」とは
「資金や規則などをうまく使って最大限に活用すること」
とあります。
この文章から見ても「運用」は“いいこと”のように思えますね。「資金の運用」という言葉を見ると、私たち日本人は何となく、それは前向きで、肯定的な善なる行為のように思えてしまいます。
実はここに大きな落とし穴があるのです。
昔の日本では「運用」という言葉は今のように大手を振って闊歩(かっぽ)していたわけではありません。日本では「貯蓄」が美徳だったのです。いつごろからでしょうね? 「運用」とか「ファンド」という言葉が大きな顔をしてまかり通るようになりました。
ここで確認しておきたいのは「運用」とは所詮「カネがカネを生む」という資本主義の基本−金利に足を置いているということです。これはモノを作って富を生産するという本来の資本主義ではなく、アメリカで発達した“ギャンブル資本主義”を生み出しました。
今回のAIJもアメリカ発の金融派生商品「デリバティブ」の取引で大損を出しています。
「運用」にはリスク(損)とリターン(得)が付いて回るということを改めて確認したいですね。善ではないのです。