今、戒めるべきは「根拠の無い楽観的空気」
田坂 広志
2012/02/08
筆者は、東京電力福島第1原発事故を受け、内閣官房参与として2011年3月29日から9月2日まで、官邸において事故対策に取り組んだ。そこで、原発事故の想像を超えた深刻さと原子力行政の無力とも呼ぶべき現実を目の当たりにし、真の原発危機はこれから始まるとの思いを強くする。これから我が国がいかなる危機に直面するか、その危機に対して政府はどう処するべきか、この連載では田坂氏がインタビューに答える形で読者の疑問に答えていく。
―― 田坂さんは、今年1月17日に上梓された『官邸から見た原発事故の真実』(光文社新書)において、福島原発事故は、「最悪の場合には、首都圏三千万人が避難を余儀なくされる可能性があった」と述べられていますね。これは、最悪の場合を想定したシミュレーション計算をご覧になったからと述べられていますが、それは、昨年末に原子力委員会が発表した昨年3月25日付のシミュレーション計算でしょうか?
田坂:同様のシミュレーション計算の結果を、私も、昨年3月末に見ています。
この原子力委員会のシミュレーション計算の結果は、「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」というメモとして、すでに公表されていますので、多くの方がご覧になっていると思いますが、このメモは、この福島原発事故が最悪の事態に進展した場合、「強制移転をもとめるべき地域が170km以遠にも生じる可能性」や「年間線量が自然放射線レベルを大幅に超えることをもって移転を希望する場合認めるべき地域が250km以遠にも発生することになる可能性」があったことを明らかにしています。
首都圏三千万人避難の可能性もあった
メモの中では、「首都圏三千万人の避難」という言葉は直接には使われていませんが、「170km以遠」「250km以遠」ということは、端的に言えば「首都圏三千万人の避難」にも結びつく可能性があったということを示しています。
―― その深刻な「最悪の事態」は、直ちに起こる可能性があったのでしょうか?
田坂:いえ、その「最悪の事態」は、あの時点においても、直ちに起こる可能性はありませんでした。原子力委員会のメモにも書かれているように、「最悪シナリオ」とは、次のようなものです。
まず、1号機の格納容器や圧力容器で水素爆発が起こり、容器外への大量の放射能の放出が生じる。これに伴ってサイト内の被曝線量が急激に増大し、作業員はサイトからの退避を余儀なくされる。その結果、すべての原子炉と使用済み燃料プールの注水と冷却が困難になり、時間の経過とともに、原子炉と燃料プールがドライアウトを始め、まず、4号機プールに保管してある使用済み燃料が溶融崩壊を起こし、コンクリートとの相互作用により、大量の放射能の環境への放出が始まる。そして、それに続いて、他の原子炉や燃料プール内の燃料も溶融崩壊を始め、さらに大量の放射能の環境への放出が起こる。
これが、「最悪シナリオ」と想定されたものです。
従って、このシナリオが起こるためには、「水素爆発が起こる」「サイト内放射線量が急激に増大する」「作業員が退避を余儀なくされる」「原子炉と燃料プールの注水と冷却が不可能になる」「原子炉と燃料プールの核燃料の溶融崩壊が起こる」といった事象が連鎖的に生起することが前提となるわけです。
そして、原子力委員会のメモによれば、この「最悪シナリオ」が起こっても、最も早く放射能の放出が始まる4号機の燃料プールでも、最初の放射能の放出が始まるのが「6日後」であり、本格的な放出が始まるのが「14日後」という試算結果となっています。
従って、この「最悪シナリオ」は、「直ちに」起こるものではありません。
もし、深刻な水素爆発が起こっても、「最悪シナリオ」に向かって、最低でも1週間近くの時間的余裕は存在する状況でした。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120207/226949/?mlp&rt=nocnt
―― お話を伺うと、それは、かなり「最悪」の事態を想定したシナリオかと思いますが、田坂さんは、なぜ、そのシナリオが起こり得ると、懸念をされたのでしょうか?
田坂:まだ、あの時点では、「何が起こってもおかしくない状況」だったからです。
例えば、この「最悪シナリオ」の引き金を引くのは「新たな水素爆発」ですが、これは、いつ、どこで起こってもおかしくない状況でした。そもそも、炉内に燃料の存在しない4号機の建屋でも水素爆発が起こったわけですが、現場では、どうしてそこで水素爆発が起こったかが分からなかった。隣の3号機からつながっている配管から水素が漏れてきたのではないかなど、様々な推測をしましたが、あたかもミステリーのように、現在もその正確な原因は分かっていないのです。
すなわち、我々は、あの時点において、事故の状況を正確に把握できておらず、「何が起こっているかが分からない状況」だったのです。そして、「何が起こっているかが分からない状況」というのは、「何が起こってもおかしくない状況」を意味していたわけです。
実は、この「何が起こっているかが分からない状況」というのは、現在も同じです。先日、ようやく炉内にファイバースコープを挿入して水位の確認ができましたが、予想に反して、水位が大幅に低下していたわけです。「事故の収束宣言」がなされた現時点においても、事故の状況が正確に把握できていないという問題は、全く変わっていないのです。
もう一つの最悪シナリオ
―― 田坂さんが懸念された「最悪シナリオ」は、「水素爆発」だけだったのでしょうか?
田坂:いや、もう一つ懸念した「最悪シナリオ」がありました。
原子力委員会のメモでは語られていませんが、もう一つの「最悪シナリオ」は、大規模な地震と津波が再び原発サイトを襲い、4号機燃料プールの構造体が崩壊し、冷却水の喪失が起こり、プール内燃料のドライアウトと溶融崩壊が起こることでした。
これも、3月11日以降、日本列島全体が「地震列島」の様相を呈しており、各地で余震が頻発していましたので、起こってもおかしくない出来事でした。
特に、あの当時は、原子炉と燃料プールの安定冷却機能が全く回復していない状況でもあり、もし、「新たな水素爆発」や「地震と津波の再来襲」が起こった場合には、事態は、「最悪シナリオ」に向かって進展していく可能性があったのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120207/226949/?P=2
―― しかし、幸いなことに、今回の事故では、新たな水素爆発も、地震や津波の再来襲も起こらず、安定冷却に漕ぎ着けることができた。それで、田坂さんは、この事故が収束に向かったのは「幸運だった」と言われるのですね?
田坂:そうです。もちろん、事故が収束に向かったのは、何よりも、福島原発の現場で、冷却システムの設置やプールの構造体の補強など、様々な作業に携わった方々の献身的な努力のお陰ですが、その努力が水泡に帰する最悪の出来事が起こらなかったという意味では、やはり、「幸運だった」と言わざるを得ないのです。
いま広がる「根拠のない楽観的空気」
そして、私が、敢えて、この「幸運だった」ということを申し上げるのは、いま政界、財界、官界のリーダーの方々の中に、「根拠の無い楽観的空気」が広がっているからです。残念ながら、これらのリーダーの方々の中には、今回の事故の深刻さを直視することなく、また、事故原因の徹底的な究明をすることなく、「もう福島原発事故は収束した」「もう同じ事故を起こすことはない」という楽観的意見を語る方がいます。
実は、そうした「根拠の無い楽観的空気」こそが、今回の福島原発事故を起こした遠因であることを、我々は、肝に銘じるべきでしょう。
実際、3月11日以前に、「想定よりも高い津波が来る可能性がある」「全電源が喪失する可能性がある」との指摘はあったわけですが、それらの指摘に対しても、「そうした極端な出来事は起こらないだろう」という楽観的空気が、事前の対策を怠らせたわけです。このことの真摯な反省が無ければ、我が国は、また、同じ過ちを繰り返すことになると思います。
―― この「幸運だった」という現実は、リスク・マネジメントの観点から見ると、どのような意味を持つのでしょうか?
田坂:「幸運だった」ということは、リスク・マネジメントが有効に機能していないことを意味しています。なぜなら、リスク・マネジメントにおいては、そもそも、二つのことが極めて重要だからです。
一つは、「起こった危機の原因、経緯、現状が、明確に把握できていること」。
もう一つは、「起こった危機への対処、管理、制御が、明確にできること」。
もとより、真のリスク・マネジメントとは、未然の対策によって危機を発生させないことですが、もし、不幸にして危機が発生してしまった場合にも、この二つのことができていれば、リスク・マネジメントは、それなりに有効に機能します。すべてが「人知の及ぶ範囲」にあるからです。
しかし、残念ながら、福島原発事故は、この二つとも極めて不十分な状況でのリスク・マネジメントになってしまったのです。すなわち、それは、「人知の及ぶ範囲を超えた状況」になってしまったということであり、事態の推移を、文字通り「運」に任さざるを得ない状況になってしまったということなのです。
ある意味で、リスク・マネジメントの専門家から見た福島原発事故の問題の深刻さは、事故が起こったことだけでなく、事故の原因、経緯、現状が明確に分からないこと、事故への対処、管理、制御が十分にできないことだったのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120207/226949/?P=3
―― なるほど、福島原発事故が、「最悪シナリオ」にも発展し得る極めて深刻な状況にあったことは理解しましたが、現実に、もしその「最悪シナリオ」へと進展した場合にも、4号機の燃料プールからの放射能の放出が本格的に始まるのは、「14日後」と予測されていたわけですね。すなわち、もし万一「最悪シナリオ」に進展した場合にも、首都圏の住民への避難勧告や避難の実施には、比較的、時間の余裕があったのかと思いますが、どうでしょうか?
田坂:問題は、それほど簡単ではないでしょう。
なぜなら、この「最悪シナリオ」へと進展した場合には、最初に直面する最大の問題は、住民の「健康的リスク」ではなく、社会全体の「心理的パニック」だからです。
例えば、もし「最悪シナリオ」への進展が始まった場合、「いったい、どの時点で、どのような表現で、その危機をメディアと国民に伝えるのか」という極めて難しい問題に、政府は直面します。
なぜなら、社会心理的には、たとえ「十分な避難の時間的余裕はあります。直ちに健康には影響はありません。混乱を避け、焦らずに避難してください」と伝えたとしても、必ず「社会的パニック」が起こるからです。
「進むも地獄、退くも地獄」
そのとき、必ず、メディアと国民の間に、「政府は、本当に真実を伝えているのか」「本当は、もっと危険な状況ではないのか」といった不信感と疑心暗鬼が広がるからです。その結果、必ず、首都圏全域において極めて深刻な「社会的パニック」が起こるでしょう。
それは、三千万人という人口と人口密度を考えるならば、福島原発周辺の住民の方々に避難勧告を伝えたときの比較にはならないほど、想像を絶する状況になるでしょう。しかし、一方、その「社会心理的パニック」を避けることを理由に、メディアと国民に危機を伝えることを遅らせるならば、多くの住民が被曝することを容認することになってしまうわけです。
―― それが、田坂さんが著書の中で、「進むも地獄、退くも地獄」と形容されている「最悪の状況」ですね。しかし、そうした政府に対する不信感と疑心暗鬼から生まれる「社会心理的混乱」は、すでに、様々な形で起こっていますね? 政府は、その不信感と混乱に対して、どうすればよいのでしょうか?
田坂:それは、今後の原発事故対策と原子力行政を考えるとき、極めて重要な質問です。
そもそも、原子力の問題を語るとき、多くの識者は、「安全」と「安心」が重要であると言われますが、実は、「安全」と「安心」よりも重要なものがあるのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120207/226949/?P=4
「安全」「安心」よりも重要な「信頼」
それが、「信頼」です。
なぜなら、どれほど政府が「安全です」「安心してください」と国民に語っても、その政府自身が国民から「信頼」されていなければ、そのメッセージは意味を失うからです。
そして、残念なことに、「絶対に大規模な事故は起こしません」と語り続けた原子力発電所が、あの深刻な事故を起こしたことによって、国民から政府と原子力行政に対する「信頼」は、決定的に失われてしまったのです。政府と原子力行政は、まず何よりも、その事実を直視し、深く理解するべきでしょう。
―― では、どうすれば、政府と原子力行政は、その「失われた信頼」を回復することができるのでしょうか?
田坂:その質問には、いくつかの視点からお答えする必要があるのですが、第一に重要なことは、「リスク・コミュニケーション」です。すなわち、こうした深刻な危機が発生したとき、政府は国民に対して、いかなる形でコミュニケーションをするか、そのときに大切にすべきものは何か、ということです。
次回、そのことを語りましょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120207/226949/?P=5