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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu125.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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帝国海軍こそが日本を敗戦に追い込んだ「A級戦犯」である。
マリアナを要塞化する石原莞爾の防衛構想を無視した海軍
2006年8月8日 火曜日
◆国海軍が日本を破滅させた 「日本の戦争」を徹底検証 佐藤晃著
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031743513&Action_id=121&Sza_id=A0&Rec_id=1004&Rec_lg=100401
◆島に要塞をつくり艦隊は後方補給路を絶てばよかった
1944年(昭和19年)5月から6月にかけて展開された太平洋方面の戦闘を回顧すると、無念さよりも情けなさが先立つ。あの戦闘は、国防を任務とする軍人のやったものとはとても思えない。米国の対日作戦も、ここまで補給線が伸びきれば、なんとか手の打ちようもあろうというものである。
石原莞爾(1889〜1949)がつとに言っていたように、マリアナの防衛構想は、あの島々を堅固な要塞にし、長々と曳く敵の後方隘路に攻撃を加えるべきであった。くり返すが、それは戦前から決められた戦略構想である。
サイパンを例に取れば、あの島の大部分は海抜数百メートルのタポッチョ山を中心とする山岳地帯である。その島に、艦砲射撃空爆の効果を無にする地下陣地をつくり、弾薬・食糧・を溜め込んでおけば、半年や1年はもつ。平坦な硫黄島でも敵に多大な損害を与えながら1ヵ月以上ももった。
そして、後方破壊の通商破壊戦、すなわち遊撃戦を展開すべきである。潜水艦はもちろん、空母も太平洋全域に散って遊撃戦を戦うべきである。
マリアナの防衛陣地が数カ月も抵抗し、その「後方補給線」が脅かされたら、いかに第5艦隊の空母機動部隊が精強でも奔命にll疲れざるを得ないであろう。無期隈に戦闘などできるものではない。
マリアナの重要諸島の要塞化を棄てて戦った1944年(昭和19年)6月の現実に立ち返っても、まだ可能な打つ手はある。宇垣纏の第1戦隊で、計画通りの「こん作戦」を実行すればよかったのである。そして、アイケルバーガーの上陸軍に、「武蔵」「大和」以下の巨弾の雨を降らせ、第2海上機動旅団を上陸させる。おそらくビアクの米軍は、残敵掃討戦のように」壊滅させられたであろう。
小沢の第1機動艦隊主力はマリアナなどに行かず、ビアクの敵の護衛艦隊と輸送船団を撃減した後、後方基地ホーランジア(現ジャヤプラ)を襲撃すればよい。第5艦隊の機動部隊には歯が立たぬ小沢艦隊でも、マッカーサーにともなった護衛艦隊ぐらいなら負けることはあるまい。角田の第1航空艦隊(基地航空)も「豪北」に戦力集中すれば、いくらかはものの役に立ったであろう。
マリアナ戦に参加していない4隻の戦艦も敵の海岸陣地に砲火の雨を降らせればよい。ホーランジアの敵作戦基地も、砲爆撃で粉砕することができよう。「敵に優る戦力を集中」可能の戦場は、マリアナでなく「豪北」なのである。
ホーランジアを叩き終わった小沢艦隊は、太平洋に散り、敵の後方の通商破壊戦に挺身すべきである。スプルーアンスヘの挑戦など考えてはいけない。それは、奉天戦の永沼・長谷川挺身隊がミシチエンコのコサック騎兵軍団に挑戦する.ようなものである。
小沢のやることは、日露戦争で騎兵挺身隊がやったように、スプルーアンス機動部隊を後方できりきり舞いさせることである。撃減などできもしないことを考えずに、敵の主カを戦力から外すことを汚えるべきだった。
サイパンに上陸されたとき、大本営はわが第5艦隊(巡洋艦数隻)の護送で陸軍部隊の逆上陸も考えたそうであるが、小沢が後方輸送でスプルーアンスを慌てさせていたら、逆止陸は無理でも第5艦隊のサイパン砲撃ぐらいできたかもしれない。もちろん、米軍は、サイパンに続くテニアン、グアムの攻略なども当面はできなくなるであろう。
だが、小沢がビアクを棄てて、マリアナで惨敗したため、なにも.かも無駄になってしまった。第1機動艦隊の空母飛行隊が、敵第58任務部隊の歴戦のパイロットに対抗できると思ったことが、そもそもよろしくない。第1航空艦隊が、事前に第58任務部隊の攻撃に抗す術もなく壊減した先例が目前にあったにもかかわらず、である。敵も知らず、味方も知らなかったということである。(P209−P211)
◆通商破壊戦を行わない日本海軍の不思議
ここで、大東亜戦争における通商破壊戦に、再度触れておく。本書・上巻の「日露戦争関係」の章では、後方破壊戦という一項を設けて日露両軍の後方破壊戦を述べた。だが、地球上の半分にも及ぶ広大な海洋を戦場とする戦闘でありながら、通商破壊戦はもっぱら米軍のためにのみあり、日本海軍にはその欠片も見出せないのである。
あの戦争中のわが方の船舶喪失量(100トン以上の船舶)は、次のとおりである。
わが方の船舶は、まるで一方的に沈められている。特に南東方面では、敵の航空攻撃で数多くの船舶が沈められているが、大東亜全域に及ぶ敵の潜水艦攻撃による被害をトン数で言えば、全喪失量約800万トンの約60%、約500万トンに及ぶ。
これに対し、わが潜水艦か敵の船舶を沈めたという話を聞くことはない。戦争初期、マレー半島の西海岸のペナンを基地とするわが潜水艦が、インド洋通商破壊戦にあたろうとした時期もあったかに聞さ及ぶが、その潜水艦隊もガ戦が始まるや太平洋に引き戻されてしまった。
戦争全期間にわたって、わが潜水艦の沈めた敵の船舶数は、日露戦争で、ロシアのウラジオストック艦隊が沈めたわが船舶量にも及ばない気さえするのである。
戦争後半、太平洋の彼方から大輸送船団をともなった敵が、孤島に送られたわが陸軍部隊を玉砕させながら本土に迫ってきた。そのとき、わが海軍は、潜水艦ですらもその輸送線を攻撃しようとしなかった。米軍は、輸送船団に護衛もつけずに、太平洋を自由航海させたのである。
そもそもである。800万トン、2千数百隻の船舶が、積荷・人員もろともに沈められては、せっかく苦心してつくった兵器も弾薬も、そして陸軍部隊も目的地に着く前に、その多くが沈められていることになる。
日本海軍とは、敵の輸送線を攻撃しないばかりでなく、味方の輸送線保護の意志すら持ち合わせない軍隊だった。当然のように、シーレーンはまさにズタズタであった。
戦後、書店の店頭には、海軍善玉論に浮かれた元海軍軍人の手になる海軍善謀勇戦物語が氾濫したが、いずれもその敗因を生産力の差にしたものばかりである。「沈めても、沈めても、墜しても、墜しても、敵は次々に新戦力を投入してきた。遂に海軍は刀折れ矢尽きて敗れざるを得なかった」というご高説である。
海軍自身の常識外れに拙劣な作戦にはまったく触れず、敗因を生産カの差にしている。もちろん、通商破壊戦を取り上げたものなどない。
敗戦後60年、元海軍軍人たちは、いまだにあの戦争における通商破壊戦の重要さに気づいてはいない。
では、敵の方では、わが通商破壊戦をどう見ているのであろうか? ニミッツ(1885〜1966)は、次のように言っている。
「古今の戦史において、主要な武器が、その真の潜在能力を少しも把握されずに使用されたという稀有の例を求めるとすれば、それはまさに第2次大戦における日本潜水艦の場合である」
世界の近代国家の海軍力の起源は通商破壊戦である。味方の通商路を守り、敵の通商路を破壊する、そのために海軍なるものは設けられた。
あの時期、おそらく日本海軍は、米国艦隊に次ぐ史上第2位を占めた大艦隊であっただろう。その日本海軍は、味方の輸送線も守らず、敵の後方輸送線の破壊も考えない史上稀有の劣悪軍隊だったのである。
建軍70年、わが海軍はその本来の職務ともいうべき通商破壌戦をまったく意に介しないまま、その幕を閉じた。(P223−P226)
◆あまりにも愚劣な負け方に追悼の言葉もなし
服部卓四郎(1901〜1960)が総理秘書官から参謀本部作戦課長に返り咲いて間もなく、ブーゲンビル・ギルバートの超誇大戦果が海軍から発表された。
くり返すが、わが国の不幸は、服部がそのウソ戦果に乗せられてしまったことである。戦前から海軍との接触が深く、海軍への同調的雰囲気の濃厚な瀬島等、少壮幕僚の意見に後押しされたものであろう。
「敵が来たら海軍航空が出撃して敵空母を撃減する」と海軍に言われて派兵したマーシャルは、敵の機動部隊に「鉄槌でマッチ箱を叩くように」潰された。海軍航空などそれこそクソの役にも立っていない。
マリアナは、海軍航空が潰減させたはずの敵機動部隊に攻略された。
一方、航空戦に期待をおかず、原始的手段によって地上戦を戦ったビアクの葛目部隊は善戦した。ペリリューの中川部隊、アンガウルの後藤大隊も同様であった。精強海軍航空と米機動艦隊壊減という2つ大きな幻影を持った参謀本部作戦課の、服部〜瀬島ラインの作戦介入がなかったのが幸いしている。
だが、作戦課が現地軍(第14方面軍)の原始的手段によるルソン内陸決戦構想を転換させて、あえておこなったレイテ航空戦重視の比島戦は惨敗に終わった。そして、硫黄島の完全な原始的手段である「拠点式地下陣地」は、海軍部隊の事実上の作戦妨害にもかかわらず、わが軍をはるかに上回る犠牲を敵軍にしいた。
沖縄戦では、八原高級参謀の言う「米軍の工業製品量(艦砲・爆撃)に対し我の原始的土壌量(地下陣地)」で戦った間は善戦しながら、航空戦主体の作戦方式に切り替えられて地下から飛び出したとたんに敗北した。
ブーゲンビル・ギルバートの超誇大戦果のウソが最後までたたっている。あのウソが、精強海軍航空の幻影を「服部〜瀬島ライン」の作戦課に抱かせ、マーシャル派兵、マリアナ防備の怠慢、比島の敵前戦略転換、沖縄の5月4日の攻勢移転等々の数々の致命的敗因をもたらした。
どんなに遅くとも、トラックが潰減したときには、航空戦の幻影を棄て、地上戦主体の作戦構想を拠り所とすべきであった。南東方面の戦闘を経て海軍航空なるものは、つとに消え失せていたのだから、当然の話である。
大東亜戦争の敗因を過去にさかのぼると、迫り来る日露戦争の国家的危機に乗じて海軍大臣・山本権兵衛(1852〜1933)がかすめとった海軍の独立統帥権、日露戦争直後の「帝国国防方針」での海軍の対米敵視方針、その海軍が犯した戦略研究の放棄、作戦研究の怠慢、通商破壊戦の放棄、そして超誇大戦果のウソ、そのウソに限りなく願され続けた参謀本部少壮幕僚の愚かさと続く。
人智の隈りを尽くした作戦の結果の敗戦なら、もって瞑することもできるかもしれない。
だが、愚劣な組織と他愛ない知識から来る作戦構想で、太平洋遠く送られたうえ、航空戦の幻影による作戦指導で、玉砕・餓死を繰り返した陸軍将兵には追悼の言葉もない。
◆誰も責任を取らず、誰もきちんと検証もせず
沖縄戦が終わって本土周辺の戦闘は終わった。
わが国がポツダム宣言受諾に向けて動きだそうとしているとき、陸軍の最大戦力は本土防衛とまったく無関係なはるか彼方にいた。太平洋のはるか、ニューギニア、ビルマ、中国大陸などなど、その数は百数十万に及んだであろう。それらの将兵が、本土防衛にまったく役立たぬ遊兵にされていた。
「戦捷の要は有形無形の各種戦闘要素を綜合して敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り」(作戦要務令)という。国力に劣る日本が、かくも多量の戦力を決戦場と無関係の地域に分散遊兵化して勝つことができるはずもあるまい。
わが国を惨敗させた敵の主力は、中部太平洋をまっすぐにやって来た。マリアナを攻略し、パラオを落とし、比島を攻略し、硫黄島、沖縄と続いた。
その米軍の攻撃を迎え撃つ作戦正面の南洋諸島には、海軍が陸軍の立ち入りをかたくなに拒否し続けた。南洋諸島は、海軍の聖域ともいうべき“縄張り"という理由で。
中部太平洋における敵の総反攻が開始されたとき、慌てた海軍が陸軍の派兵を要求したが、派兵箇所は絶対国防圏のはるか彼方のマーシャルなどであった。
マリアナに陸軍部隊が入ったのは、敵の上陸の半月前である。その島々には前から海軍陸戦隊はいたが、陣地構築もしていなかった。わが本土防衛の作戦正面のマリアナ、パラオなどは、まるで海軍部隊のリゾート地域の様相を呈していた。
もとはといえば、真珠湾のわずかな戦果に過剰反応した海軍の命令違反にさかのぼらねばならない。開戦直前のわが国の基本戦略「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」によれば、太平洋方面はマリアナ、パラオを結ぶ南北の線での長期持久戦略だったのである。
ラバウル、ソロモン諸島、ガダルカナル島、東ニューギニア、ギルバート島、マーシャル諸島、ミッドウェー島、アリューシャン列島などに作戦地域を拡大したことは、まったくの基本戦略違反である。
その海軍の命令違反行為が大失敗したとき、海軍は航空戦のウソの大戦果を叫び続けた。水上艦隊の海戦では勝敗をごまかすわけにはいかないが、遠く出撃する航空戦では、ウソの戦果握造は容易である。
軍艦マーチに編された参謀本部の下僚たちが、海軍の言いなりに陸軍部隊を攻勢終末点の彼方に送り続けた。いちばん大事なマリアナなどをもぬけの殻にしたままである。
開戦前の既定方針通りにマリアナに堅固な障壁を築いて、作戦地域の拡大など余計なことをしなかったら、「対支大作戦」と「西亜作戦」を真面目にやっていたら、第2次世界大戦の帰趨も大きく変わったことであろう。
だが、こうした見解も、結論が出たあとの「下衆の後知恵」である。だが、この国ではそんな「後知恵」さえもきちんと検証されてこなかった。
そして誰も責任を取らないまま、まるで「戦争はなかった」かのようにされてきた。そして今や、若い世代では日本がアメリカと戦争をしたことさえ知らない人間もいる。
2006年5月に朝日新聞が行った世論調査では、国民の7割が東京裁判を知らないという。誰も責任を取らず、誰もきちんと検証もせず、ないものとしてきた結果がこの体たらくである。
これではあの戦争の犠牲者300万人とも言われる死者の魂も、まるで浮かばれないではないか。私はそれが、口惜しくてならない。(P310−P315)
(私のコメント)
昨日のNHKスペシャルで「硫黄島玉砕戦」をやっていましたが、生存者の証言は痛々しくて悲惨であった。とくに捕虜とならず自決も出来ず、戦う武器もない悲惨な状況では地下壕で身を潜めているしか方法がなかった。それでも米軍に対して多大な損害を与えて日本本土上陸作戦を延期して、戦略爆撃機による空爆作戦に切り替えたほどだ。
もし開戦前の防衛構想のようにマリアナ諸島を要塞化して防御を固めていたら戦況も変わっていただろう。ところが日本軍は広く中国から太平洋の各地にまで散開してしまって、肝心のマリアナ諸島やパラオが手薄になってしまった。サイパン島なども硫黄島のように要塞化されていれば反撃の機会もあったかもしれない。
ところが帝国海軍は航空決戦にこだわりガダルカナルで貴重な航空戦力を失ってしまった。どうして帝国海軍はインド洋作戦を中止してまでラバウルからガダルカナルまで進出してしまったのだろうか? たとえ作戦に成功しても距離が遠すぎて補給が出来ない事はわかりきっていたことだ。
インド洋の作戦を継続してインド洋のイギリス軍の補給路を断っていれば、北アフリカ戦線やインドビルマ方面の戦線は有利な戦闘になったことだろう。そしてマリアナからパラオの防衛ラインを固めていればアメリカ軍も攻略するのに多大な損害を出して攻めあぐねた事だろう。
しかし帝国海軍は戦線を広げるだけ広げて日本軍の戦力は拡散して補給が出来ないまま遊軍と化してしまった。帝国海軍は日本近海での艦隊決戦を戦略としていたはずですが、どうして戦略を変更したのだろうか? ミッドウェーの攻略も無意味であり作戦の主力は東南アジアからインド洋に置くべきだったのだ。
もちろん東京空襲のような米機動部隊による奇襲攻撃もあったのですが、それで帝国海軍は国民の非難を恐れてミッドウェー作戦に踏み切ってしまった。その為に日本の機動部隊は致命的な損害を蒙ったのですが、行なわなくてもいい無駄な戦闘であった。そしてマリアナやパラオに攻めてくる米機動部隊を迎え撃てばよかったのだ。
日本の戦前の戦略はまったくご破算にされて補給の出来ないような遠方まで戦線を拡大して、ただでさえ限られた戦力を分散させてしまった事が敗戦の原因であり、帝国海軍が大東亜戦争の敗戦の原因を作ってしまったのだ。陸軍は海軍の作戦のミスに協力させられて、補給もほったらかしにされてしまった。
◆佐藤晃著 『太平洋に消えた勝機』 東京裁判のA級戦犯で帝国海軍の軍人がいないのは米国に内通していたのだろう 2005年9月21日 株式日記
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/260.html
《 日露戦争以来なにもせず、役にも立たぬ「武蔵」、「大和」以下の戦艦群をつくって国力を衰退させ、戦争になれば、その戦艦群も空母も、職業軍人たちもほとんど戦闘に参加せず、特務士官や下士官、さらにかき集めた予備学生や予科練からなる基地航空を湯水のように死地に送り込み、ありもしない戦果をまるで大戦果のように報じ続けてメンツを保っただけの組織だったからだ。
提督や職業軍人や戦艦、巡洋艦などは、逃げ回ったあげくに行き場を失い、日本近海で袋叩きにされたにすぎない。空母などは搭載する飛行機の搭乗員すらいなくなっていた。海軍兵学校には航空兵科もつくらなかったのである。あの特攻すら、海軍兵学校卒業者を探すのは、関行男大尉をのぞけば至難のワザである。
東京裁判はA級戦犯の汚名を着せて、7人を絞首刑にし.た。ただ1人の外交官・広田弘毅をのぞいて、他は全員陸軍の将軍たちである。リメンバー・パールハーバーでアメリカ国民を激昂させた海軍の軍人は1人も含まれていない。あの奇襲作戦すら、アメリカに対する貢献度の高い戦いだったのである。
そのGHQの意図にそって、マスメディアが誕生させたのが、「日本悪玉論」イコール「陸軍悪玉論」であり、その裏返しとして生まれたのが「海軍善玉論」という奇妙な現象である。ミッドウェー以降の3年あまり、,南東方面の戦闘という基地航空の愚かな自滅作戦、マリアナ沖の七面鳥撃ちと言われたマリアナ沖海戦と、栗田艦隊の敵前逃亡のレイテ沖海戦をのぞけば、海軍に戦闘らしきものはまったくない。 》
◆NHKスペシャル 「硫黄島玉砕」
(私のコメント)
せっかくのNHKスペシャルも硫黄島玉砕の問題点が絞られておらず、生存者の単なる証言だけに終わってしまっている。大本営の無責任な戦争指導や戦場における無茶な命令は指摘されているが、帝国海軍の無能な戦いに比べ陸軍は栗林中将以下の激烈な戦いぶりは、大東亜戦争においてまともに戦ったのは帝国陸軍であり、帝国海軍は戦力温存と称して逃げ回ってばかりいた。
「帝国海軍が日本を破滅させた」という本によれば、硫黄島においても帝国海軍はトーチカなどを作っていましたが、米軍の艦砲射撃で瞬く間に破壊された。海軍は何とか補給が出来て物資も届いていたのに、陸軍部隊は補給もままならず、栗林司令官の命令も海軍は聞かなかった。海軍は飛行場の拡張や海岸線の陣地などを作っていたがまったく役に立たなかった。
このように硫黄島の戦闘においても陸軍と海軍との作戦の違いにより指揮命令に亀裂が生じていた。栗林司令官によれば海軍は陸軍の邪魔にしかならなかったという記述がある。せっかくのNHKスペシャルも製作スタッフの不勉強振りが気になった。本当の大東亜戦争の検証が行なわれるようになるにはまだ先のことになるのだろう。
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