17. 2011年10月02日 19:12:54: XzayNcSFXc
除染が可能なのは首都圏などの都市部のみ。
コンクリート、瓦、道路などは、放射能を遮断できるような性質のものを上塗りして、線量を減らすなどの方法が現実的かと。
剥いでも取れないし、取れたところで、持っていくところがないのだから。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/136.html#c17
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コンクリート、瓦、道路などは、放射能を遮断できるような性質のものを上塗りして、線量を減らすなどの方法が現実的かと。
剥いでも取れないし、取れたところで、持っていくところがないのだから。
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文献は語る −日本神話
1.天孫降臨
天孫降臨の話は、基本的には高天原の神々がその直系の神を高天原から地上の世界へ降ろし、地上を支配していた国津神たちから国土を譲り受ける、あるいはそのまま支配する話なのだが、これは以下のような構成になる。
(1)天菩比神と天若日子の派遣
(2)建御雷神と事代主・建御名方神の交渉
(3)迩迩芸命の降臨
(4)迩迩芸命と木花之咲夜姫
このうち(1)、(2)はオオクニヌシの支配する葦原の中津国、すなわち出雲地方のことで、この物語は天孫降臨よりも、「出雲の国譲り」としてのほうが知られている。しかしこれも意味合いから言えば天孫降臨である。「国譲り」とはぶんどった方の呼び方であって、取られた方からすれば略奪であり、占領である。
難波や日向に天下った際には特別な記事はないのに、出雲だけ何故建御名方神が抵抗したのか。おそらく、当時の国々の中では出雲だけが、高天原(天津神(渡来して北九州にいた集団)たちの国)に抵抗できるだけの体制(軍備・文化・技術等々)を持っていたからに相違ない。これは、出雲が北九州とは独立して、遙か昔からの先進文化を受け入れていたことを示している。
葦原中国を平定後、アマテラスは最初、我が子天之忍穂耳命(オシホミミノミコト)に、葦原中国を統治するように命じたが、オシホミミノミコトに子が生まれ、アマテラスは、その子番能邇邇藝(ホノニニギノミコト)を降臨させる。 最初命を受けたオシホミミノミコトが、降臨の役目を辞退してしまうのはなぜかよくわからない。アマテラスは、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、布刀玉命(フトダマノミコト)、天宇受売命(アメノウズメノミコト)、伊斯許理度売命(イシコリドヒメ)、玉祖命(タマノオヤ)を孫のニニギノミコトに付けて、共に地上に行くように命じ ニニギノミコトに、八尺の勾玉(ヤサカノマガダマ)、八尺鏡(ヤタノカガミ)、そして草薙剣(クサナギノツルギ)を授ける。更に、思兼神(オモヒカネノカミ)、天手力男神(タヂカラヲノカミ)、天石門別神(アメノイハトワケ)、らにニニギノミコトと一緒の天降りを命じた。ニニギノミコトには、
「この鏡を私の魂と思って、私の前で拝むような気持ちでいつも敬うように」
と下命した。一行の降臨を国津神の猿田彦神(サルタヒコ)が待ち受けていた。こうして、ニニギノミコトは、高天原を離れ、随行する神々と、途中、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の峰に天降った。
この地は韓国に向き、笠沙の岬にまっすぐ道が通じていて、朝日がまぶしくさす国であり、夕日が明るく照りつける国でもあった。ニニギノミコトはここに宮殿を造るが、ニニギノミコトが天降った高千穂という伝説地は、宮崎県西臼杵郡高千穂町と宮崎・鹿児島両県にまたがる高千穂峰が有名である。天孫降臨の話は、古事記と日本書紀では若干違っており、日本書紀では本伝のほかに多くの異伝を伝えている。天上から地上への降臨による地上支配の発生という神話は、東アジアを中心にして多くの民族に共通し、それらを北方的な要素とみなす見解もある。 天孫降臨のあとは、いわゆる日向神話における山幸彦・ウガヤフキアヘズ命の誕生を経て、初代神武天皇へと直結する。
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古事記での「天孫降臨」
故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖、天の浮橋に宇岐士摩理、蘇理多多斯弖、竺紫(=筑紫)の日向の高千穂の久士布流多氣(くじふるたけ)に天降りまさしめき。故爾に天忍日命、天津久米命の二人、天の石靫を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、天の眞鹿兒矢を手挾み、御前に立ちて仕へ奉りき。故、其の天忍日命、天津久米命是に詔りたまひしく、
「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」
と詔りたまひて、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原の氷椽多迦斯理て坐しき。
(倉野憲司・武田祐吉校注「古事記・祝詞」岩波書店、1993年)
日本書紀での「天孫降臨」
「時に、高皇産靈尊、眞床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊々杵尊に覆ひて、降りまさしむ。皇孫、乃ち天磐座を離ち、且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯(たかちほのたけ)に天降ります。既にして皇孫の遊行す状は、くし日の二上の天浮橋より、浮渚在平處に立たして、そ宍の空國を、頓丘から國覓き行去りて、吾田の長屋の笠狹碕に到ります。」
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注「日本書紀 上」岩波書店1993年)
(注;)日本書紀では複数ヶ所に「天孫降臨」が記されている。すべて「一書に曰く」という引用によるものであるためそれぞれに表現が異なっており、天孫降臨の地も上記「高千穂峯」の他に「くしふるの峰」「二上峰」「添(そほり)の山の峰」などと記されている。
日向國風土記逸文での「天孫降臨」
「日向の國の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(=高千穂)の郷。天津彦々瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色別き難たかりき。ここに、土蜘蛛、名を大くわ・小くわと曰ふもの二人ありて、奏言ししく、「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ」とまをしき。時に、大くわ等の奏ししが如、千穂の稲を搓みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴り、日月照り光きき。因りて高千穂の二上の峯と曰ひき。後の人、改めて智鋪と號く。」
(秋本吉郎校注「日本古典文学大系2 風土記」岩波書店)
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梅原猛は、この神話は一般に「天孫降臨」として知られるが、最初は「天子降臨」だったのではないか、という指摘をしている。この神話の原典は古事記・日本書紀・万葉集だが、万葉集が一番古い資料で、古事記・日本書紀では確かに 「天孫降臨」になっているが、万葉集では『日の皇子』という表現になっていて、『皇孫』ではない。そこで梅原は、万葉集の原型が作られたのが、まだ持統天皇の子供の草壁皇子が生きていた頃で、その後草壁皇子が早死にしてしまい、持統天皇は孫の軽皇子(後の文武天皇)に位を譲るべく活動していた時に、この孫に国を治めさせるという話が成立したのではないか、としている。なかなか興味深い推察である。
天孫が降臨した「高千穂」を巡っても諸説ある。古事記では、竺紫(=筑紫)の日向の高千穂の久士布流多氣(くじふるたけ)、日本書紀では「一書に曰く」と諸説あるため、高千穂峯(たかちほのたけ)、久志振流岳(くじふるだけ)などに降臨した事になっているが、宮崎県の高千穂町と、鹿児島の霧島山系・高千穂の峰が「高千穂峯」の本家争いをしているのは有名な話である。しかしその「くじふるだけ」という呼び方から、大分県の「久住岳」(くじゅうだけ)と言う意見もあるし、福岡県の英彦山には、天忍穂耳神が降臨されたという伝説があり、農業や鉱業などの守り神として今も信仰されている。
本居宣長(1730年〜1801年)は、高千穂は二説あり、どちらか決めがたいと言っている。「彼此を以て思へば、霧嶋山も、必神代の御跡と聞え、又臼杵郡なるも、古書どもに見えて、今も正しく、高千穂と云て、まがひなく、信に直ならざる地と聞ゆれば、かにかくに、何れを其と、一方には決めがたくなむ、いとまぎらはし。」(『古事記伝』十五之巻)
また宣長は、二説併記のみならず、移動説も提示している。「つらつら思ふに、神代の御典に、高千穂峯とあるは、二処にて、同名にて、かの臼杵郡なるも、又霧嶋山も、共に其山なるべし、其は皇孫命初て天降坐し時、先二の内の、一方の高千穂峯に、下着賜ひて、それより、今一方の高千穂に、移幸しなるべし、其次序は、何か先、何か後なりけむ、 知るべきにあらざれども、終に笠沙御崎に留賜へりし、路次を以て思へば、初に先降着賜ひしは、臼杵郡なる高千穂山にて、其より霧嶋山に遷坐して、さて其山を下りて、空国を行去て、笠沙御崎には、到坐しなるべし」
(『古事記』十七之巻)
前出梅原猛氏は、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく 新潮社刊」の中で、この本居宣長説について、ニニギノミコトが稲作技術を持って笠沙御崎に上陸したが、シラス台地は稲作に適した場所ではないため、弥生時代中期から後期頃に臼杵郡の高千穂に入り、西都から霧島へ移動したのではないかとこの説を補強している。
2000年9月14日(木)から17日の間、第38回歴史倶楽部例会で、「南九州/神話・遺跡の旅」と称して、宮崎神宮・西都原古墳群・高千穂町・上野原遺跡・橋牟礼川遺跡・水迫遺跡などを廻ってきた。高千穂町はほんとに山深い鄙びた町である。こんな所に神々が降ったとは一寸思えない。しかしそれは、一大生産地としての観点から見ればであって、神話に言うただ降りてきただけの「降臨の地」とすれば納得できない事ではない。山深い幽玄な雰囲気はそれを十分感じさせるだけの説得力を持っている。だが神話を離れて、外来民族か或いは他地方からの民族移動を「天孫降臨」だとすれば、この地はあまりに辺境すぎる。あまりにも山の中である。天孫ニニギの尊が、「葦原の中つ国」を治めるために降りて来るには一寸ばかり山峡すぎる。日向に三代に渡って住んだと記紀は書いているが、高千穂から日向の国へ移ったという記述はない。とすれば、降りてきた高千穂にニニギニミコト、ウガヤフキアエズ、カンヤマトイワレビコと三代住んだと考える方が自然だろう。それにしてはここはあまりにも山の中である。ここでは東に良い国があるなどという情報も到達しないのでは、と思える程辺境だ。
(以下古事記による。)
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爾くして、天照大御~・高木の~の命(みことのり)以ちて、太子(おおみこ)正勝吾勝勝速日天忍穗耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)の命に、
「今、葦原中國を平らげ訖(おわ)りぬと白す。故、言依(ことよ)」
さし賜いし隨(まにま)に降り坐して知らせ」
と詔りき。爾くして其の太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命、答えて、
「僕、將に降らんと裝束(よそ)える間に、子、生まれ出でぬ。 名は天邇岐志國邇岐志(あめにきしくににきし)天津日高日子番能邇邇藝(あまつひたかひこほのににぎ)の命、此の子を降すべし」
と白しき。 此の御子は高木の~の女、萬幡豐秋津師比賣の命に御合して生める子、天火明(あめのほあかり)の命、次に日子番能邇邇藝の命【二柱】也。是を以ちて白しし隨に、日子番能邇邇藝の命に科(おお)せて、「此の豐葦原水穗の國は汝が知らさん國と言依さし賜う。
故、命の隨に天降爾くして日子番能邇邇藝の命、將に天より降らんとする時に、天之八衢(あめのやちまた)に居て、上は高天原を光し、下は葦原中國を光す~、是れ有り。故、爾くして天照大御~・高木の~の命以ちて、天宇受賣の~に、
「汝は手弱女人(たわやめ)に有りと雖も、伊牟迦布(いむかふ)~と面勝(おもかつ)~ぞ。故、專(もは)ら汝往きて將に、
『吾が御子の天降らんと爲す道に、誰ぞ如此して居る』と問え」
と詔らしき。 故、問い賜いし時に答えて、
「僕は國つ~、名は猿田毘古(さるたびこ)の~也。出で居る所以は、天つ~の御子、天降り坐すと聞きし故に、御前に仕え奉らんとて參い向い侍る」
と白しき。
爾くして、天兒屋(あめのこやね)の命・布刀玉(ふとだま)の命・天宇受賣(あめのうずめ)の命・伊斯許理度賣(いしこりどめ)の命・玉祖(たまのおや)の命、并せて五伴緒(いつとものお)を支(わか)ち加えて天降しき。是に其の遠岐斯(おきし)、八尺勾(やさかのまがたま)、鏡、及び草那藝の劍、また常世思金の~、手力男の~、天石門別(あめのいわとわけ)の~を副え賜いて詔らさくは、
「此の鏡は專ら我が御魂と爲て、吾が前を拜むが如く伊都岐(いつき)奉れ。次に思金の~は前の事を取り持ちて政を爲せ」
と、のりき。此の二た柱の~は、佐久久斯侶伊須受能宮(さくくしろいすずのみや)を拜み祭る。次に登由宇氣(とゆうけ)の~、此は外宮の度相(わたらい)に坐す~也。
次に天石戸別の~、またの名を櫛石窓(くしいわまど)の~と謂い、またの名を豐石窓(とよいわまど)の~と謂う、此の~は御門の~也。次に手力男の~は佐那縣(さなあがた)に坐す也。故、
其の天兒屋の命は【中臣連(なかとみのむらじ)等の祖(おや)】。
布刀玉(ふとだま)の命は【忌部首(いんべのおびと)等の祖(おや)】。
天宇受賣(あめのうずめ)の命は【猿女君(さるめのきみ)等の祖(おや)】。
伊斯許理度賣(いしこりどめ)の命は【鏡作連(かがみつくりのむらじ)等の祖(おや)】。
玉祖(たまのおや)の命は【玉祖連(たまのおやのむらじ)等の祖(おや)】。
故、爾くして天津日子番能邇邇藝の命に詔りて、天の石位(いわくら)を離れ、天の八重の多那(たな)雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖(いつのちわきちわきて)、天の浮橋に宇岐士摩理蘇理多多斯弖(うきじまりそりたたして)筑紫の日向の高千穗の久士布流多氣(くじふるたけ)に天降り坐しき。故、爾くして天忍日(あめのおしひ)の命、天津久米(あまつくめ)の命の二人、天の石靭を取り負い、頭椎(くぶつち)の大刀を取り佩き、天の波士弓(はじゆみ)を取り持ち、天の眞鹿兒矢(まかごや)を手挾み、御前に立ちて仕え奉りき。
故、
其の天忍日(あめのおしひ)の命【此は大伴連(おおとものむらじ)等の祖(おや)】、
天津久米(あまつくめ)の命【此は久米直(くめのあたい)等の祖(おや)也】。
是に詔らさく、
「此地は韓國に向かい、笠紗(かささ)の御前に眞來通(まきどお)りて、朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國也。 故、此地は甚吉(いとよ)き地」
と、詔りて、底津石根に宮柱布斗斯理(ふとしり)、高天原に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て坐(いま)しき。
【ホノニニギの、諸文献における表記】
古事記 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命
天津日高日子番能邇邇芸命
天津日子番能邇邇芸命
日子番能邇邇芸命
日本書紀 天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊
天国饒石彦火瓊瓊杵尊
天津彦国光彦火瓊瓊杵尊
天津彦根火瓊瓊杵尊
彦火瓊瓊杵尊
天之杵火火置瀬尊
天杵瀬尊
火瓊瓊杵尊
天津彦火瓊瓊杵尊
風土記 天津彦火瓊瓊杵尊
天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊
天国饒石彦火瓊瓊杵尊
天津彦国光彦火瓊瓊杵尊
天津彦根火瓊瓊杵尊
彦火瓊瓊杵尊
瓊瓊杵尊
哀能忍耆命
先代旧事本紀 天津彦火瓊瓊杵尊
天饒石国饒石天津彦々火瓊々杵尊
ホノニニギの神名の多さと長さは記紀にもあまり例がない。ちょっと異常と思えるほどだが、想像をたくましくすれば、北九州の高天原からあちこちへ降臨した神々がいたのではないかと思わせる。日向へ降ったホノニニギはその一人で、神話が形成されていく過程で、ホノニニギ一人に集約されたもののようにも思える。ホノニニギの「ホ」は「穂」であり、ニニギは「にぎにぎ」の意で「賑やかな」「賑わう」と解釈し、稲穂が豊穣に実っている様を表していると言われる。
また、ホノニニギは「天神御子」とも称され、神から天皇へ繋がる系譜上の重要なポイントに位置し、先に見たように、記紀編纂当時の、持統天皇・草壁皇子・文武天皇の皇位継承問題の事情が反映されているのではないかとも言われる。日本書紀九段本書では、天孫降臨の任務は初めからホノニニギであり、赤ん坊の姿でマトコヲフスマに包まれて降臨している。ホノニニギは、崩じた後日本書紀によれば「可愛之山綾」に葬られ、現在その場所は、鹿児島県川内市宮内町や、宮城県延岡市北方の可愛岳などが想定されている。
「国譲り」神話を、何らかの史実を秘めた伝承であるとする立場からすれば、冒頭にも記したように、これは明らかに民族間の領土移譲を含めた権限委譲である。若干の武力抗争もあっただろうが、「国譲り」と表現されるような、圧倒的な軍事力の違いの前に、国を譲らざるを得ないような状況があったのだろうと想像できる。見てきたように、それは北九州の高天原に、出雲の葦原の中津国が屈したのだと考えれば、以後の歴史展開が、考古学の成果も含めて一番説明が容易である。そうやって北九州の、当時の日本列島で一番勢力が強かった一団が、出雲や畿内や南九州を屈服させていったのだろうと思われる。天孫降臨は、それらの屈服させた領地へ派遣する司令官とそのお供の武官達を任命した、いわば壮行会であり、辞令交付式だったのだろうと思われる。そして時代を経て、それは高天原と国津神たちの支配する中津国とのお話として神話となって伝承された。
高天原の神々が降臨に用いる乗り物は天の磐船であり、雲であり、その上に乗って大勢のお供とともに天下っている。これは明らかに海上を船によって移動したことを示唆している。陸上を馬や徒歩で移動したのであればこういう表現にはなっていない。これは高天原が少なくとも近畿ではなかったことを強く物語る有力な証左である。
2.日向三代
天孫「ニニギの尊」が高天原から高千穂に降臨して以来、「ウガヤフキアエズ」「カンヤマトイワレビコ(神武天皇)」と、三代に渡って日向に住んだという事になっており、これを「日向三代」と呼ぶ。「神武東征」については、「邪馬台国の東征」と並び古代史の重点項目である。戦前、戦中は真剣に(現代でもそうだが。)、高千穂の峰や「日向三代」の所在を巡って大論争が巻き起こっていた。今日の視点からすればずいぶんと滑稽な論争もあったようである。
神話を全く否定した「唯物史観」の立場にたてば、神話そのものの基盤が虚構なのだから、その上に立っての議論など何の意義もないと言うことになろう。しかし、すぐ側の西都原(さいとばる)古墳群を見ると、確かに、古代この地方に何らかの有力な勢力が存在していた事を実感させる。古墳群は現にここにあるのだから、これを否定する事はできない。呼応して我が国の古史がそれに似た話を残しているとなれば、もっとその方面の研究がなされてもいいような気もする。
こういう意見を言うとすぐ「軍国主義」とか「皇国史観の復活」とか言われるのは困ったものである。いいかげん、学問からイデオロギーを取り去って欲しいもんだが。
さて、ニニギの尊が地上に降りてからある時、海岸で一人の美女に出会う。迩迩芸命が名を尋ねると
「私は大山津見神の娘で木花之咲夜姫(このはなのさくやひめ)といいます。」
と答えた。そこでニニギは咲夜姫に結婚を申し込むが、咲夜姫は
「私の父に言って下さい」
と答える。そこで迩迩芸命が大山津見神の所に行き、咲夜姫との結婚を申し込むと大山津見神は喜んで、姉の石長姫も一緒に娶ってくれといい、婚礼用品を添えて二人の娘をニニギの元にさしだした。
ところが石長姫の方は醜女だったため、ニニギは大山津見神の所へ返してしまう。すると大山祇神は怒り、
「石長姫とも結婚していたら、あなたの子孫は石のように永遠の命を持てたのに。咲夜姫とだけの結婚でしたら、あなたの子孫は木の花のようにはかなく散り落ちていくでしょう」
と答えた。古事記は、だから代々の天皇の寿命は短いのだとコメントしている。
さて、その咲夜姫だが、ニニギとは一度しか交わらなかったのに、その一回の交わりだけで妊娠してしまう。ニニギは、1回交わっただけで妊娠するとは、と疑った。咲夜姫は、
「これは間違いなくあなたの子供です。その証拠に私は火の中で子供を産みましょう。私が正しければ神の加護があるはずです」
と言い、産気付くと家に火を付け、その中で3人の子供を産み落した。その子供は産まれた順に、火照命・火須勢理命・火遠理命という。火照命が別名海幸彦、火遠理命が別名山幸彦である。山幸彦はまた、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)という名を持つ。
海の神の娘、豊玉姫神と結婚し、やがて鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を産む。彼は豊玉姫の妹で、育ての親でもある玉依姫神(たまよりひめのかみ)と後に結婚して、神武天皇が産まれる。
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是に天津日高日子番能邇邇藝能命、笠紗の御前に麗しき美人に遇いき。爾くして、
「誰が女ぞ」
と問いき。答えて、
「大山津見の~の女、名は~阿多都比賣(かむあたつひめ)、またの名は木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)と謂う」
と白しき。また、
「汝、兄弟有りや」
と問いき。答えて、
「我が姉、石長比賣(いわながひめ)在り」
と白しき。 爾くして、
「吾は汝と目合(みあ)わんと欲う。奈何に」
と詔りき。答えて、
「僕は白すことを得ず。僕が父、大山津見の~、將に白すべし」
と白しき。故、其の父の大山津見の~に乞い遣りし時に、大きに歡喜びて其の姉の石長比賣を副(そ)えて、百取(ももとり)の机代の物を持たしめて奉り出だしき。故、爾くして其の姉は甚凶醜きに因りて、見畏みて返し送り、唯に其の弟の木花之佐久夜毘賣を留めて一宿、婚爲き。爾くして大山津見の~、石長比賣を返ししに因りて大きに恥じて白し送りて、
「我(あれ)の女、二並(ふたりとも)に立て奉りし由は、石長比賣を使わさば、天つ~の御子の命、雪零り風吹くと雖も、恆に石の如くして、常わに、堅わに動かず坐さん、また木花之佐久夜毘賣を使わさば、木の花の榮ゆるが如く榮え坐さんと宇氣比弖(うけいて)貢進(たてまつ)りき。此く石長比賣を返らしめて、獨り木花之佐久夜毘賣を留むる。故に天つ~の御子の御壽(みいのち)は木の花の阿摩比能微(あまひのみ)坐(ま)さん」
と言いき。故、是を以ちて今に至るまで天皇命(すめらみこと)等の御命(みいのち)は長くあらぬ也。
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豊玉姫は妊娠し、天津神の御子は海の中で生んではならないと地上へやってきた。そして渚に鵜の羽を茅葺(かやぶき)にした産屋を建ててくれと山幸彦に頼み、異郷の者が出産するときには、すべて元の国の姿になるので、出産現場を見ないでくれと頼む。山幸彦は見ないと約束するが、心配と好奇心で産屋を覗いてしまう。そこに居たのは、八尋(やひろ)ワニの姿に戻った豊玉姫がいた。驚く山幸彦に、約束を破って姿を見られたからにはもうここにはいられないと豊玉姫は、我が子ウカヤフキアヘズノミコトの世話を、妹である玉依姫神に託すと単身海の国へと戻っていった。
山幸彦ことホヲリノミコト(火遠理命)は、日向で580年生き、高千穂の山の西に葬られた。ホヲリノミコトの子、アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズノミコト(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)は、やがておばの玉依姫神と結ばれ、イツセノミコト(五瀬命)、イナヒノミコト(稲氷命)、ミケヌノミコト(御毛沼命)、ワカミケヌノミコト(若御毛沼命)が生まれた。ワカミケヌノミコトの別名は、カムヤマトイハレビコノミコト(神倭伊波礼昆古命)と言った。
ミケヌノミコトは常世国へ行き、イナヒノミコトは母のいる海原に入った。
故、後に木花之佐久夜毘賣、參い出でて、
「妾(あれ)は妊身(はら)みぬ。今、産む時に臨みて、是れ天つ~の御子にして、私(わたくし)に産むべきにあらぬが故に請(もう)す」
と白しき。爾くして、
「佐久夜毘賣、一宿(ひとよ)にや妊(はら)める。是れ我が子に非ず。必ず國つ~の子ならん」
と詔りき。爾くして答えて、
「吾が妊(はら)める子、若し國つ~の子ならば、産むこと幸くあらず。若し天つ~の御子ならば幸くあらん」
と白して、即ち戸の無き八尋殿(やひろどの)を作り、其の殿の内に入り、土を以ちて塗り塞(ふさ)ぎて、方(まさ)に産まんとする時に火を以ちて其の殿に著(つ)けて産む也。 故、其の火の盛りに燒ゆる時に生める子の名は、火照(ほでり)の命【此は隼人(はやと)の阿多(あた)の君の祖(おや)】。
次に生める子の名は、火須勢理(ほすせり)の命【須勢理の三字は音を以ちてす】。
次に生める子の御名は、火遠理(ほおり)の命、またの名は天津日高日子穗穗手見(あまつひたかひこほほでみ)の命【三つ柱】。
(略)
是に海の~の女、豐玉毘賣の命、自ら參い出でて、
「妾(あれ)は已(すで)に妊身(はら)みぬ。今産む時に臨みて此(これ)を念(おも)うに、天つ~の御子を海原に生むべくあらず。故、參い出で到れる也」と白しき。爾くして即 ち其の海邊の波限(なぎさ)に鵜の羽以ちて葺草と爲て産殿を造りき。
是に其の産殿の未だ葺き合えぬに御腹の急(にわ)かなるに忍(た)えず。故、産殿(うぶや)に入り坐しき。爾くして將方(まさ)に産まんとする時に其の日子に白して、「凡そ他(あた)し國の人は産む時に臨みて本(もと)つ國の形を以ちて産生(う)むぞ。故、妾(あれ)今本の身を以ちて産まんと爲(す)。願う妾を見る勿(なか)れ」
と言いき。是に其の言(こと)を奇しと思いて竊かに其の方(まさ)に産まんとするを伺えば、八尋和邇(やひろわに)と化りて匍匐(はらば)い委蛇(もごよ)いき。
即ち見驚き畏みて遁(に)げ退(そ)きき。爾くして豐玉毘賣の命、其の伺い見る事を知りて心恥(はずか)しと以爲(おも)いて、乃ち其の御子を生み置きて、
「妾は恆に海の道を通りて往來(かよ)わんと欲(おも)う。然れども吾が形を伺い見ること、是れ甚(いと)(はずか)し」
と白して、即ち海坂(うなさか)を塞(ふさ)ぎて返り入りき。
是を以ちて其の産める御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草不合(あまつひたかひこなぎさたけうがやふきあえず)の命と謂う。然くして後は、其の伺いし情(こころ)を恨むと雖ども戀(こ)うる心に忍(た)えずして、其の御子を治養(ひた)す縁(よし)に因りて、其の弟(おと)の玉依毘賣(たまよりびめ)に附(つ)けて歌を獻(たてまつ)りき。
(略)
故、日子穗穗手見(ひこほほでみ)の命は、高千穗の宮に坐(いま)すこと伍佰捌拾歳(いほとせあまりやそとせ)。御陵(みささぎ)は、即ち其の高千穗の山の西に在り。是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命、其の姨(おば)の玉依毘賣の命を娶りて生みし御子の名は、五瀬(いつせ)の命。次に稻氷(いなひ)の命。次に御毛沼(みけぬ)の命。
次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、またの名は豐御毛沼(とよみけぬ)の命、またの名は~倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ)の命【四つ柱】。故、御毛沼の命は浪の穗を跳(ふ)みて常世(とこよ)の國に渡り坐し、稻氷の命は妣(はは)の國と爲(し)て海原に入り坐しき。
古代、南九州には隼人と呼ばれる一族がいた。山幸彦に降伏した海幸彦は、溺れたときの所作を演じ、ふんどしをつけ顔や手足を赤く塗り、俳優の技をして弟を慰めたといい、そして、この子孫が隼人であるといわれる。海幸・山幸神話は、皇孫である山幸彦に隼人の祖である海幸彦が服従するという、隼人の朝廷への服従起源でもある。この話は、もともと南九州にいた隼人族の伝承であったといわれており、その伝えていた芸能隼人舞の由来話という形で、その首長の前で演じられていたのではないかといわれている。猟具の交換を発端とする海底国への訪問、失った釣針などに類似する話としては、喜界島の「竜神と釣縄」という話があり、そのほか、パラオ等、インドネシアからミクロネシアにかけて類似した話が語られている。
日向国が、現実の南九州の日向であったかどうかについても色々な議論がなされている。日向とは現在の宮崎県ばかりでなく、大隈と薩摩を含んだ地域であるとすると、それは隼人族の住む未開の地でもあるので、皇室の祖先はそうした未開の地は原郷にしないという説もあるし、日向とは単なる「太陽の照らす聖地」という意味にすぎないという説もある。そもそも邪馬台国問題と同じで、或いはそれ以上に情報量は少ないので、神話や民俗学に興味がある者なら、いかようにも解釈できることになる。
日向三代の神話が全て隼人族の伝承だったとすると、「コノハナサクヤヒメの神話」「海幸山幸の話」も同じくインドネシア、ミクロネシアに類似した神話が多くあるので、隼人族そのものも南方種族ではないかとする説もあり、かなり有力視されている。しかし、日向三代神話が隼人の伝承であったとすると、これを大和朝廷が皇室の神話系譜の中に取り入れたのは何故なのか、またいつごろなのかという問題が残る。
北九州の高天原から南九州へ移動した一団がほんとにいたのだと解釈すれば、宮崎に残る西都原古墳群やこの神話の持つ意味も理解できる。日向に三代も住めば、そこが地理的に日本列島の統治にとって都合のいい場所ではないと判明したかもしれないし、もっと実りの多い、稲作に都合の良い平野を抱えた地方が東にあるという情報も、派遣した先兵や偵察隊が報告していたかもしれない。実際に、後に神武天皇と呼ばれる人物が東を目指して旅だった可能性も高いが、私が邪馬台国東遷説にいまだ同意できないのは、もし、高天原=北九州、天照大神=卑弥呼だとすると、その後の邪馬台国はどうなったのかという疑問が未だに解けないからでもある。邪馬台国から日向へ降りてきたニニギは日向で勢力を発展させるが、では北九州に残った邪馬台国はどうなったのだろうか。依然として勢力を保っていたのなら、東遷するのは北九州の高天原でなくてはならない。しかるに、近畿を平定するのは日向に住んだイワレビコなのだ。
3.神武東遷
初代の天皇である神武天皇(カムヤマトイハレビコノミコト)は、日向国に天下りした邇邇芸命(ニニギのみこと)の曾孫にあたる。神武の時期から人代で、それ以前は神代とされる。神武の一族は、日向国高千穂宮に住んでいたが、兄のイツセノミコトと共に、東国に豊かな土地を求めて移住を始め、豊国宇佐足一騰宮(あしひとつあがりのみや:
大分県宇佐市)、竺紫岡田宮(福岡県遠賀川河口)、阿岐国多祁理宮(たけりのみや:広島県府中町)、吉備高嶋宮 (岡山市高島)、青雲の白肩津(東大阪市日下町)、紀国男水門(大阪府泉南郡樽井町)、熊野村(和歌山県新宮町)、吉野の川尻(奈良県吉野郡)を経て、宇田(奈良県宇陀郡)へ到着した。
岡田宮に一年、多祁理宮に七年、高島宮には八年も滞在したとされる。瀬戸内海を渡った神武は、難波の津で長髄彦に抵抗され、兄・五瀬命を失うが、和歌山の大台ヶ原から大和に入り、長髄彦を破って大和の平定に成功し、辛酉年春正月一日に、橿原宮で即位し、百廿七歳で、橿原宮にて死んだ。
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宇佐に行く前、二人は速吸門(はやすいのと:豊予海峡)で亀の甲羅に乗って釣をしている人間を見つける。お前は誰かと尋ねると国つ神だといい、海路をよく知っているというので案内人とし、サヲツネヒコ(棹根津日子)という名をあたえる。
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一行は難波に上陸するが、登美(奈良市富雄町)の豪族、ナガスネビコ(那賀須泥昆古)が軍勢を率いて攻めてきた。戦闘はナガスネヒコが優勢で、イツセノミコトも敵の矢を受ける。イハレビコは
「日の神の御子である我々が、日に向かって攻め入ったのが良くなかった」
として、日を背にして敵を撃とうと紀州沖を南下し熊野から内陸をめざすが、兄のイツセノミコトは船上で絶命してしまった。今、イツセノミコトの御陵が紀伊の国の竈山にある。
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イハレビコは、和歌山から南に回って、熊野村に到着したが、大きな熊に出会い、やがて一行の兵士達は突然気を失い、次々に倒れ伏す。そのとき一振りの太刀をもった男が現れ、イハレビコに剣を献上した。この太刀で、イハレビコは熊野の山の荒ぶる神を退治した。この時剣を献上したタカクラジ(高倉下)が、イハレビコに剣を渡した訳を説明する。
夢をみて、夢にアマテラスとタカギノカミが現れ、二人は、タケミカヅチ神を呼び寄せて
『葦原中国はひどく騒然としており、我が御子たちは病み悩んでいるようだ。かの国はそなたが服従させた国なのだから、もう一度そなたがいって御子たちを助けてこい。』
と。タケミカヅチは、
『私が降らなくても、かの国を平定した太刀がありますから、このサジフツノカミ(佐士布都神)を降しましょう』
と、タカクラジが授かって届けに来たのだという。さらにタカクラジは、夢の中で、タカギノカミからの伝言を預かっていると言う。
「荒れすさぶ神がたくさんいるから、天つ神の御子をこれ以上奥に行かせてはならない。」
「今、天上からヤタガラス(八咫烏)を遣わそう。そして、そのヤカガラスが先導するので、その後についていくように。」
ヤタガラスの後を追いながら吉野川の川下にたどりついたカムヤマトイハレビコは、魚をとっている人物に出会った。 さらに進むと、井戸から尾の生えた人物に出会った。さらに、山に入ると尾の生えた人物が岩を押し分けで出てきた。それぞれ、天津神の御子が来るというので、出迎えにきた国つ神だった。そして、奈良県の宇陀という場所にたどりついた。タケミカヅチから授かったこの霊剣、サジフツノカミは別名、フツノミタマ(布都御魂)といい、現在石上神宮に鎮座している。
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これが神武東征神話の概略である。戦前は史実として流布され、戦後は一転して全面的に否定された。辛酉年は紀元前660年にあたり、1月1日は太陽暦の2月11日にあたるとされる。神武天皇は、なぜ辛酉年に即位したと考えられたのだろうか。中国人の革命思想は、天地を支配する天帝は、人民の中から仁の心に富んだ男を選び、愚民を支配する権力を委任する。
天子は道徳的な力に満ちた男であるが、その権力を譲られた子孫はそうとは限らない。人民を痛めつける天子は、もはや天子ではなく、新たに自分が天子だと自覚する男が、これを殺すことが正当化される。これを革命(革令)といい、このうち、辛酉年には新しい王朝が建てられるという。ただし、60年ごとの辛酉年ではなく、60年の21倍の1260年ごとの辛酉年である。600年代はじめ、推古天皇の摂政だった聖徳太子を責任者として、国史の編纂が行われた。西暦601年が辛酉年であり、ここから1260年さかのぼった紀元前660年が、神武天皇の即位の年と計算され、日本書紀にも引き継がれたのである。神武天皇は、紀元前660年の人物であり、この時期は縄文時代とされているから、とても実在の人物とはいえない。産能大教授の安本美典説では、歴代天皇の平均在位数の計算から、天皇の在位期間は、過去にさかのぼればさかのぼるほど短くなる。そして一代の天皇の平均在位年数は約10年とする。これは日本だけでなく、中国の王の在位年数の場合も、西洋の王の場合も同じ傾向を示しているのである。
ここから導き出される結論は、神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えても、神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかならない。つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになる。つまり大和朝廷の始まりは、邪馬台国以後である、ということになるのである。
これは、邪馬台国=弥生時代、神武以後=古墳時代という私の史観と合致する。わたしはこの「神武東遷」に象徴される、九州からの勢力が東へ東へと進み大和朝廷を築き上げたと考える説に賛同する。それは中国の文献や我が国の考古学の成果とも、今の所は一番合致していると考えるからである。しかし神武天皇に比定される人物、或いは一団が、ほんとに日向から来たのか、それとも九州の他の地域から来たのかまでは、まだわからない。
だが明らかに、弥生時代から古墳時代に移り変わる我が国の考古学上の状況は、西から新しい文化文明が東へ移ってきたことを示しているし、奈良盆地の中に縄文人が古くから住み付き、純粋な日本人として培養されて、やがて稲作を取り入れ、農耕具や青銅器を自分たちで考えたとはとうてい思えない。それらは明らかに西の九州から来たのであり、厳密に言えばそれは北九州で、更にその源は朝鮮半島であり、中国大陸である。そしてそれらは、散発的な移動はともかく、神武東遷に象徴される、北九州の一団によって近畿地方にもたらされたものとする考え方が一番合理的である。
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古事記・日本書紀に書かれている天孫降臨や神武東遷伝承が、大和朝廷の役人達によって机上で述作されたものであるという考え方は、全くの想像である。記紀が編纂されてから今日まで、そういう事を書いてある古文献は1点も存在しない。それを、述作されたものであるとか、創作されたものだとする考えは、完璧に主観的判断に基づいて、歴史をねつ造しているのと同じである。
歴史学者・考古学者たちの第二次世界大戦における敗戦のショックと、戦前・戦中を通じて、強権に確執を醸せなかった自らの贖罪を求める気持ちはよく理解できる。同胞が、戦時中に近隣諸国に対して行った行為に対して、それらの国々に対する謝罪の念も持って良い。しかし、そういったイデオロギーと学問の世界における真理の追究とは全く別物であるということに、もうそろそろ気づいても良い頃だ。古事記・日本書紀という、我が国最古の歴史書に書かれ、また多くの伝承を持ち、長きにわたって多くの研究がなされてきたこれらの日本神話が、戦後50数年間にわたって、歴史家によって殆ど無視され、語られもしなかった事実は全く異常としかいいようがない。教科書にも載せず、読み物にも書かれない今の現状では、やがて日本人は、自分たちの祖先が語った多くの神話と、その中にもしかしたら潜んでいるかもしれない歴史の核を、まるで理解できない、世界でも希有な民族になってしまう。
私は古代史を学んで、日本国家の成立を探り、天皇家の起源を探り、ひいては自分が誰なのかを探ろうとしている。それには、掛ければ色や形が変わって見えてしまう、イデオロギーというサングラスだけは絶対に掛けたくないと思う。
http://inoues.net/yamahonpen10.html
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日本人の思想の原基
吉本さんと梅原さんが、中沢新一さんの司会で、1994年に対談をしている。その対談を収録した本「日本人は思想したか」(新潮社)の第一章『日本人の「思想」の土台』から、「縄文時代までさかのぼる」という問題意識を語り合っている部分を抜書きしてみる。
中沢
いま期せずして国家という問題が出てきました。これは日本の思想というものを考える時、一番のカギになる言葉だと思います。たとえば日本人の思想がどうしてお茶の思想とか、お花の思想というふうな、個別的で具体的な表現の形態として出てくるかということにも、深く関係していると思います。日本人が何か創造的な思想を試みようとすると、実感や情念がとらえているものと、仏教や儒教や道教のような、超越的ないし普遍的な表現のちょうど中間のようなところで表現を試みていたように思います。たとえば、仏教はとても普遍的な表現の体系を持っているけれども、日本人の創造的な思想家は、その体系の中で作業をしたわけではなくて、自分の実感と普遍の体系との間(はざま) というか、ずれというか、そういうところに立脚して思想をつくり出そうとしてきて、そのずれというようなものが、日本的な仏教とか日本化された儒教としてあらわれてきて、そのことが一番出ているのが国家にかかわる問題なのだろうと思います。
普遍的な国家という考え方を、近代日本人はヘーゲルなどを通じて知りますが、一日本人にとって国家が実体性を持った意味を含み始めた時に、とても重要な意味を持ったのは中国に発生した国家という考え方だったと思います。梅原さんは古代史をめぐるさまざまなお仕事をなさってきましたが、そのとき日本に起こることを、つねに広いアジア史の中でとらえようとしていらっしゃったように思います。日本人の国家という概念は、ヘーゲルが考えたような国家とも違うし、中国人がとらえていた国家とも違う。日本がおかれていた位置や環境とのかかわりで、国家というものについて日本の特殊性が発生している。いつまでたっても日本人には国家というものが、ヘーゲルや中国人が考えたようなものにはなり得ない。その日本的国家という問題を、梅原さんはいつ頃を起点にして考え始めたらよろしいとお考えでしょうか。
梅原
私が日本研究に転向した時に、一番の問題は、戦争中からの日本主義はイコール国家主義であった。そして日本の思想家も、非常にリベラルな思想家と言われる人も、戦争中には完全に国家主義になった。日本的であることが国家主義であるような、そういう日本主義とは無縁なものを私は探していた。だからいま出たヘーゲル的な国家論は、日本でたとえて言うと和辻哲郎の『倫理学』にある。あれは見事な哲学的体系なんですよ。人間を個人と考えず、人間の間柄で考える。間柄という概念には個人主義を止揚する重要な思想が含まれている。私は儒教思想の現代版だと思いますけど、現代でもなお十分傾聴に値する哲学的思想だったと思うんです。しかし結論は、全部国家の中に飲みこまれてしまう。最終的には国家が万能であり、普遍的なものである。まあ、ヘーゲルの日本版だと思いますけど、そういう和辻に対して、私は厳しく批判した。それから鈴木大拙ですら、最後はやっぱり国のために死ぬことだ、それが無だというようなことを言っている。そういうことも一切私は許すことができなかった。私はそういうものの批判者として登場した。
特に私が仏教をやったのは、明治以後の神道は完全に国家主義になってしまって、そういう神道に対するアレルギー反応を長い間脱却することができなかったからです。神道に対してアレルギーを脱却できたのは、アイヌの宗教を知ってからです。仏教は比較的国家主義の色彩が少なかった。また、その時は万葉集にもアレルギーがあって、万葉より古今を、と言った私の最初の論文の『美と宗教の発見』で、古今を日本美の中心においたというのも、一種のアレルギー反応でしてね。国家というものはとにかくかなわない、という意識が非常に強かった。そんなことを考えていたのですが、偶然のように、七、八世紀の、吉本さんの言った日本国家成立期の歴史を勉強するようになった。そしてそこで『隠された十字架』や『水底の歌』が書かれた。そこで私が見出したものは、国家成立期に権力から排除されて、怨みを飲んで死んでいった怨霊の姿だった。たとえば、聖徳太子は一度は体制側の人だったけど、やがて藤原氏が律令体制をつくると、それに滅ぼされて、そして怨霊になった。柿本人麿も同じように一旦は律令体制で高い地位につくがやがて失脚して水死刑死をする。聖徳太子とか柿本人麿の怨霊というような、国家形成の影に隠れた怨霊が十何年の間、私のパトスそのものだったんですね。怨霊がのりうつったわけですが、なぜ怨霊が外ならぬ私にのりうつったのかはよく分らない。
私の七、八世紀研究は、主として怨霊の研究に始まったのですが、しかし自ら七、八世紀の日本の考察をせざるをえない。七、八世紀は、日本が中国から律令制度を移入し、それで日本国家をつくった。しかしそれは中国の律令制度がその まま移入されたものではない。あれは中国から借りて国家をつくったんですけど、その中国文化は変質させられた。変質させたのは、それよりも前に日本に存在した何かだろうということに気づいたんですね。その前に何があるか、それからいろいろ思想的に問い詰めると、どうも縄文文化がそれではないか。そして、アイヌと沖縄に縄文文化が残っているんじゃないかというふうに考えてきた。そうすると、吉本さんと思弁の方法は違うんですけど、結論は大変似ているところに行っているような気がしているんだけど。そういうふうに日本を奥へ奥へと掘り下げてゆくことによって、国家という枠を超えた、むしろ普遍的なところに達した。そういうところに達したことによってやっと神道に対するアレルギーを捨てることができた。アイヌや沖縄の宗教に、神道の原初的な姿を見た。そこから見れば明治以後の神道は、これは神道と言えないようなものだ。しかし神道の国家主義化はすでに律令時代に始まっていて、だから神道は二度大きな国家主義化を受けた。ひとつは律令時代、ひとつは明治以後。明治以後の神道は、神道とさえ言えない、プロイセン主義なりナポレオン主義に伝統の殻を着せただけのようなものだといま考えているんですけどね。
中沢
いま梅原さんから、同じ言葉が二度出ました。ふたつのちがう意味をこめて、「普遍」という言葉を二回使われました。
ひとつは、実感を超えて超越である普遍。これはたぷんヘーゲルの国家概念や中国の国家みたいなところにたどりついて行くんだと思います。ところが最後に梅原さんが、たとえば神道のようなものを通して普遍へ行くんだとおっしゃったその普遍は、まえの普遍とちょっと違うのでしょうね。
梅原
ちょっと違いますね。
中沢
その、あとの方の普遍というのは、いまとこれからの日本が超近代というような形で出てくるものとして探っている普遍なんじゃないかと思うのですね。それはひょっとすると日本の国家が、前方へむかってさぐっているものとつながっているんじゃないか。梅原さんの考えてらっしゃるアイヌの神道などは、ヘーゲル的な普遍とは異質な、もうひとつの普遍に触れているのかも知れませんね。
梅原
そうと言えるかもしれん。
中沢
それは神道以前のもので、ひょっとするとそれは、オーストラリア原住民の神道とか、南中国の少数民族の神道とか、チベット人の神道とか、そういう神道につながっていて、そういう形でもうひとつの普遍というものがいま大きく浮上してきた感じがしますが、このふたつの普遍が混同されて、普遍という問題を考える時に、日本人の思考を混乱させているのではないでしょうか。
これは吉本さんが超近代の問題として考えているテーマとつながっている、と僕は思います。
古代の向こうにあるもの、アジア的なものの向こうにあるもの、それを吉本さんはアフリカ的という言葉で表現しようとしています。それは新しい普遍につながる考えです。
いまお二人の話の中に期せずして普遍という言葉の、二通りの使い方というものが浮上してきて、ヘーゲル的な普遍の国家や神道や日本国家に取り込まれてしまって、見えなくなってしまうもうひとつの神道がそこで同時に出てきました。近代の原理を解体していくものと、壊していくものと、縄文や南島のテーマが浮上してくるプロセスが、お二人の思想の中では同時進行しているような感じを受けるのですが。
吉本
僕はそうだと思いますね。梅原さんのアイヌについての論文は、柳田国男の初期の仕事から延長していくと大変よくわかり、位置づけがしやすいんですが、とても重要で、僕はずいぶん影響を受けたように思うんですね。
アイヌの問題や沖縄の問題は、いま「遡る普遍」という言い方をすれば、どうしても出てくるんじゃないかなという感じです。それをヘーゲル、マルクス流の国家と直かに対応させることはなかなかできないので、現在は、対応できそうな超近代のところを睨んで持っていくよりしょうがないと思います。でも「遡る普遍」のところでは、かなり確実に出てくるんじゃないかと思い込んでいるんです。
ちょうど中間のところで、梅原さんの言われた神道があって、それはふたつの理解ができます。明治以降、天皇制神道、あるいは伊勢神宮神道と結びついた意味の神道と、それからそうじゃなくて、田舎へ帰れば鎮守様があって、お祭りがあって、とてもいいんだ、というのと二重性があるような気がするんです。明治以降の天皇制神道と結びついた部分は、僕も梅原さんと同じでアレルギーが多い。つまり自分が戦争中イカレた分だけアレルギーがあって、ということになります。そこで、遡る神道といいましょうか、あるいは村々の鎮守様へ行く神道とはちょっと分けなくちゃいけないよ、ということになってくる気がします。鎮守様としての神道みたいなのは宗教というふうに言わなくて、もっと風俗・習慣というところで生きられる部分があるように僕は思ってます。これは国家神道にまで編成されちゃったものと区別しないといけない。国家神道に収斂させられてしまったものは、何となく第二次大戦までが生命だったという気がして、それ以降はあるとしても、そんなに生きられるものとしてあるというわけではなく、壊れつつある過程としてあると考えたほうがいいんじゃないか、僕はそう思ってます。
以上のやり取りで、梅原さんと吉本さんが、方法論は違っていても、同じ問題意識を持って日本人の思想の原基にアプローチしようとしていることが分かると思う。 この後、梅原さんは「アイヌや沖縄の宗教に、神道の原初的な姿を見た。」という前段の発言を敷衍してその内容を詳述しているので、その部分を抄録しておく。
七、八世紀の神道は祓い、政の神道なんですよ。それが私、なかなかわからなんだ。『古事記』の書かれた時代、国家に有害なやつは祓ってしまう。そしてまだ祓わんやつは禊をさせて改心させる。やはりこれは律令国家体制の産物だ、という点を考えんと神道は理解できない、と思った。そこまでは行ったんですけど、それから向こうの神道が見えてこなかった。
そしてアイヌをやった時に、ほんとに目から鱗が落ちるようなショックを受けたのは、アイヌ語の神の概念、神をあらわす言葉が全部、古代日本語と一致し、しかもその古代語の中にラマットなんていう言葉がある。ラマットというのはヤッコラマットという、祝詞や宣命にわずかに出てくる言葉で、本居宣長もこれは古代語が残ったんだと言ってる。そのラマットという言葉が魂という意味でアイヌ語にある。それを知った時に、アイヌ語と日本語は同起源である、やっぱり日本の古代語の縄文語がそこへ残ったんだろうということと同時に、神道の古い形がアイヌの神道の中にあるという直観があったんですね。それでアイヌの神道をいろいろやってると、国家主義なんて全然関係ない。それはやはり森の中で人間が宇宙の精霊と、魂たちと共存して生きて、その魂の力で自分たちの生活を守り、そして死んでいき、あの世へ行ってまた魂がこの世へ帰ってくる。そういう信仰であるということがわかった。
その眼で沖縄を見ると、沖縄の神道もアイヌと同じような神道ではないか。柳田国男や折口信夫は、今まで日本研究の外におかれた沖縄を日本研究の中に取り入れた。しかしそれは弥生時代で日本本土を沖縄と結んだ、米で結んだ。つまり沖縄は弥生時代の古い米文化が残ったものだとした。これはいわゆるあの柳田の南方の島を伝わって稲がやって来るという説ですが、この説は実証的に否定されている。こういう沖縄と本土を結ぶと、米栽培しないアイヌは落ちて、それは日本じゃないということになる。私は柳田も記紀の史観に無意識に影響されていると思う。私は、それは違う、沖縄と日本というのは縄文でつながるんじゃないか。アイヌ、沖縄、日本、この三つを結ぶものが日本的じゃないかと。ずっと思弁してそういうふうになってきたんですけどね。私はそこへ来て初めて、この原理はどうもいわゆる普遍的なんじゃないかと思った。それは恐らく、中沢さんのおっしゃったようにアボリジニーやアメリカ・インディアンとも同じだし、あるいはシベリアの狩猟採集民族と同じ、あるいはケルトとも同じもので、一時代前の、人類の普遍的な原理がまだ残っていたんじゃないか。それが日本国家をつくった後にわずかに日本に残ってる。
「日本本土と沖縄」を米で結ぼうとし、「米栽培しないアイヌ」を見落としてしまうことは、柳田や折口の民俗学が「日本=瑞穂の国」という虚像の枠の中で展開されていることからくる限界を示している。「日本=瑞穂の国」という虚像については、いずれ取り上げる予定でいる。
縄文人と弥生人
吉本、梅原、中沢三氏の鼎談より8年前(1986年)に、吉本さんと梅原さんは対談をしている。その対談が「対話・日本の原像」(中央公論社)という本になっている。 その本の中に梅原さんが日本語の源流について次のような意見を述べている。
縄文人のつかう縄文語というのがあって、これはかなり日本列島全体に行き渡っていただろう…‥。縄文土器が朝鮮半島にはほとんどないのに、日本列島にはほぼ全体に普及している。そのように、だいたい同質の言語が南は沖縄から北は千島まで、多少のローカルカラーがあるけれども、日本列島に普及していたのではなかったかと思います。
そして弥生人が入ってきて日本列島の中枢を占領した。そして弥生人はまったく縄文人とは違う言語をもってきたけれども、言語学の法則として、少数の民族が多数の民族の中に入ってきて、それを支配する場合、その言語は被支配民族の言語になるが、発音その他は相当な変更を蒙り、そして、支配民族が新たにもってきた新文化や技術にかんするものの名称は支配民族の言語で呼ばれる、というふうな法則がある。こういうことが弥生時代以後、起こったのではないでしょうか。
だから縄文語が弥生時代以来かなり変質した言語が倭人の言語であり、それが日本語の源流になったのじゃないかと思うんです。そして南と北により純粋な縄文人が残っていて、縄文語がより純粋な形で生きのびて残ったのではないだろうか。琉球は朝鮮や中国とも近いから人種も混血し、言葉もかなり変質しているけれども、あそこは稲作農業には不適な所なので、かなり強く縄文文化が残っている。北の方は中国などとの交渉も薄いし、沿海州あたりとの接触があるにせよ混血も少なく、縄文語がいちばん強く残った。それが小進化してアイヌ語になったと考えているんですけれどね。
この梅原さんの仮説と考古学の成果を照らし合わせてみよう。
近年、古代遺跡の発掘がいよいよ盛んで、古代像のさまざまな仮説・通説が書き換えられている。その近年の考古学の成果をまとめた本がある。天野幸弘という方の著作で、こちらの書名は「発掘・日本の原像」(朝日選書)という。
この本から梅原さんの仮説に関係すると思われる部分をまとめてみる。もちろん、考古学による学説もいまだに仮説レベルのものも多い。さしあたってはそれらの学説から古代のおおまかなイメージが描ければよいとする。
まず縄文人について。
東アジアで縄文人と似た人骨が判明した例は今のところない。ということは、特定の集団が日本列島になだれこんで縄文人になった形跡はないわけだ。こう考えて、京都大学霊長類研究所の片山一道教授(人類学)は科学誌『サイアス』(1997年5月2日号)に書いた。タイトル「縄文人は来なかった」は刺激的だ。これまでに見つかっている縄文人骨の特徴を詳しく分析したうえで、「縄文人は日本列島で生まれ、育った」と結論づけている。決着がついたとされるルーツ探しより、これまでに数千体見つかっている縄文人骨の精査の方が大切だと考える片山さんは、「混血しなくても体格が変わるのは、われわれ現代人も経験した通りだ。生活の変化も大きな要素だ」。だから縄文人がどのように形づくられたか、生活の復元こそが問題だ、と強調する。例えば「海民的な性格が加わるなど、大陸の人びととは別の道を選んだ結果なのだろう」。
確かに、縄文時代は独特だ。その次の弥生時代から現代までの五倍弱、一万年近くも続いた。ところが北海道から琉球列島に至るまで、人びとの体格などに地域による大きな違いはなかった。地域差より、時代の推移に伴う変化の方が目立つといわれる。アメリカ人の生物学者エドワード・S・モースが東京の大森貝塚を発掘調査し、七体の縄文人骨を見つけて以来、120年間にわたる調査や論争、研究の結果である。そして、「縄文人は先住民などではなく、現代日本人の祖先だ」というのが、大方の研究者の見解になってきた。
(中略)
この年(1998年)、北海道の北西端の離島、礼文島にある船泊(ふなどまり) 遺跡でも、同じころの縄文時代の人骨約三〇体分が発掘された。サハリンやバイカル湖周辺で見つかるのと似た形式の貝製装飾品、日本列島南方産の貝製品も副葬されていたため、「縄文時代に大陸から来た渡来者か」と注目された。先の片山教授の説と食い違いが出そうだったが、専門家の詳しい鑑定による結論は「すべて典型的な日本列島の縄文人」だった。もちろん、縄文人の活発な行動力を印象づける発見として、重要な遺跡が新たに分かった意義ははかりしれない。
弥生人は縄文人に比べて顔が細長く彫りが浅く、縄文人より長身だ。それまでの縄文人とかなり異なる体格などから「渡来系」とされてきた。では弥生人はどこから来たのか。
「土井ケ浜遺跡人類学ミュージアム」館長の松下孝幸さん(人類学)たちは中国社会科学院考古学研究所の韓康信教授らと共同で、山東省出土の紀元前5世紀から400年間ほどの人骨500体分を調べた。その結果「体の各部の計測データや顔面のプロポーションのほか、神経が通る頭の骨の小さな穴といった細かい部分も土井ケ浜人とそっくりだった。」
調査は新たに黄河、長江の最上流部の青海省へ舞台を移す。「人と文化はおそらく、中国では大河に沿ってつながるに違いない。これまでの南北の流れとは別の『東西の道』を探りたい」からだ。中国原郷説への自信がのぞく。
青海省での1998年までの日中共同調査でも、山東省に似た結果が出た。李家山など三遺跡から出土した約3000年前などの人骨計約300体は、いずれも土井ケ浜や佐賀県の吉野ヶ里などから出た渡来系弥生人骨の特徴をそなえていた。「黄河、長江上流の人びとが北部九州など一部の弥生人の祖先だった可能性がある」という分析結果なのだ。
1999年の共同調査では、長江下流の江蘇省梁王城(りようおうじよう) 遺跡と福岡県筑紫野市の隈・西小田遺跡出土の二体の人骨の、母系遺伝子に限定されるミトコンドリアDNAの塩基配列がぴったり一致する例まで分かった。縄文時代の稲作伝播も長江との関係で考えられており、重視されている。
一方、縄文人そっくりの弥生人の人骨が発掘されている。 阪神・淡路大震災の被災者住宅の建設に先立つ調査(1997年)のときに出土した人骨は、紀元前三世紀の前半、弥生時代前期のものである。しかしその人骨は縄文人そっくりの特徴を示していた。典型的な弥生時代の遺物、遺構の中から、土井ケ浜遺跡で見つかったような渡来系の人ではなく、弥生以前に一万年近くも続いていた縄文時代の人の体つきの人骨だったのである。
福岡県志摩町新町遺跡から出土した人骨も「縄文的な弥生人」だった。しかもこの遺跡の墓は中国東北部から朝鮮半島にかけて築かれているものとよく似ているという。さらに、中国・秦時代(紀元前221〜202年)の銅貨や新時代(紀元8〜23年)の硬貨も出ている。またその近くの、明らかに稲作が行われていたとみられる曲り田遺跡では出土した土器のうち朝鮮半島由来の無文土器はごくわずかで、多くは縄文時代の流れを汲む土器だったという。
これらの事実は何を物語っているのだろうか。
縄文的な特徴をとどめた弥生人骨は、西北九州などからも出ている。ところが、遺物との関係がつかめないことが多い。この新町や神戸の新方は数少ない例である。「朝鮮半島から渡来人が稲作などをもたらした時、地元がそれらの中からいいものを選び取った。土器が激変しないのは渡来人がそんなに多くはなかったためで、やがて在来人は彼らと融合しながら変わっていった」と、中橋さんは見る。「大勢の渡来人が縄文人を追い払い弥生時代になった」という人もいる。しかし近年、調査・研究が進むにつれて、ひとことではいえない複雑な様相が弥生当初、各地で繰り広げられたことが浮き彫りになってきた。
中橋さんが数学者の飯塚勝さんと連名で1998年に『人類学雑誌』(106号)に発表した論文「北部九州の縄文〜弥生移行期に関する人類学的考察」は、その面からも興味深い仮説といえる。弥生時代の中期、渡来系弥生人と見られる人びとが占める割合は80〜90パーセントにのぼっている。これは中期初めまでに形成された人口構成と見られる。しかし、初期の渡来人はこれまでの発掘成果から見て、少数だったようだ。そうすれば、200〜300年間にこの逆転現象が一体、なぜ起きたのか。その答えは「渡来系集団の人口増加率が、水田稲作などの進んだ文化を背景に、土着系集団を大きく上回り、弥生中期には圧倒的になった可能性が大きい」というものだ。弥生の開花期はこうして始まったようだ。その後、人びとの行き来は次第に頻繁になり、多くの渡来人が来た、と歴史書にも記されている通りだ。
天皇制の古層(1)
どうやら、琉球・蝦夷とヤポネシア中央部との間の大きな断層とは、まったく無関係という意味の断層ではなく、ヤポネシア全体に分布していた古層の上に、中央部だけ新来の人種が覆いかぶさって新たな層=天皇制の基層を形作った結果である、と考えてよさそうだ。そうであれば、天皇制の基層とその下の古層との関係を明らかにすることは天皇制を相対化あるいは無化する上で重要な課題となる。
「第314回」(6月28日)の引用文の中で梅原さんは、アイヌ語の魂を表す言葉ラマットが祝詞や宣命に残っている古代日本語=倭語と一致していると指摘していた。日本文化の古層にあるアイヌ文化の痕跡を言葉の面からもう少し探ってみる。「対話・日本の原像」から拾い出す。二つの第一級の思索が響きあう対話は気持ちよく読める。内容もとても興味深いものなのでそのまま引用する。
まず吉本さんが地名を二つ重ねる枕詞を論じている。枕詞については吉本さんは著書「初期歌謡論」(枕詞論・続枕詞論)で詳細に論じているが、ここでは「初期歌謡論」を調べる労はとらない。「対話・日本の原像」で話題にされたものでその大略を知ればよいとする。
枕詞の中に地名を二つ重ねる枕詞がある。例えは「春日の春日」――「ハルヒノカスガ」と読みましょうか ―― とか「纏向の檜原」とかね。これはとても古い、原型にちかいタイプの枕詞なんです。
『古事記』に、ヤマトタケルが東国へ遠征してきたところ、海が荒れ、オトタチバナヒメが海に飛び込んで海を鎮めるという話がありますね。そこのところで、オトタチバナヒメが「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」という歌を詠んで飛び込むのですが、この「さねさし相模」の「さねさし」というのは、どういう意味か全然わかっていないんです。アイヌ語に、陸地がちょっと海の方へ突き出た所という意味で「タネサシ」という言葉があって、僕は、「さねさし」はアイヌ語の地名じゃないか、というふうに考えました。
つまり相模もちょっと出っ張った所ですから、そこに昔、アイヌあるいはそれに近い人たちが住んでいたときに地形から「タネサシ」というふうに言われていた。それをもうひとつ重ねて「さねさし相模の小野に燃ゆる火の」とした。「さねさし」という枕詞はアイヌ語だとするのが一番もっともらしいのじゃないか、そこのところで、柳田国男の地名の考え方にちょっと接触していくのです。
柳田は、アイヌ語の地名は自然の地形をそのまま名づけた所が多いのだという。なぜアイヌ語の地名が残っているのかというと、それは単にそこにアイヌ人が住んでいたからではなくて、アイヌ人またはそれに近い人たちが住んでいたときの地名があった所へ、後から移り住んで来た人間がいる。先住民たちを完全に駆逐してしまったら、その地名はなくなってしまう。そこで地名が残っているということは、アイヌ人たちと後から来た人間たちとが共存状態であったのだろう、というふうに柳田は言っています。
つまり、アイヌ語の地名という問題はそういう意味でとても大切なことになってきます。先住民と後住の人とが異なった人種であっても、共存していたか、駆逐してしまって新しい地名をつけたか、またはこの「さねさし相模」みたいに、枕詞の形で残したか ―― そういうふうに分けると微妙にいろんな段階があって、それはとても重要なことだなと、たしか『地名の研究』の中で言っているんです。
これを受けて、梅原さんは次のように応答している。
枕詞の発生はそういう二つの異言語の接触、いってみれば「春日の春日」というのは、「カスガ」をどうして「春日」と書いたかという謎を説明しているわけですね。そういう言語の違う二つの文化が接触して、そこで生ずる言語のギャップを枕詞によって埋めようとしたという説はたいへん興味深いのです。私もぼんやりそういうことを考えていました。「さねさし」は「タネサシ」から来ているだろうとおっしゃるのは、きっとそうでしょう。「タンネ」というのはアイヌ語で「長い」という意味で、「種子島」も「長い島」ですからね。アイヌ語で解ける地名が東北地方に広がっているのは当然ですけれど、もっとはるか沖縄にまであるということは非常に重大な問題だと思います。
日本の真ん中にはなくて、北と南の両端にだけ残っている言葉がだいぶたくさんあるんですね。例えば沖縄ではサンゴ礁と海の境目を「ヒシ」といいますが、アイヌ語でも、海と浜との境目−海岸線を同じように「ピシ」というんです。ところが興味深いことには、『大隅風土記』に必志の里というものがでてきて、その必志の里に「海の中の州は隼人の俗の語に必志という」と註がついています。ということは、『大隅風土記』が作られた八世紀現在でもヒシという言葉はもう中央ではわからなくなっていたけれど、大隅の国では方言として残っていたということです。
そうすると、ヒシという言葉はアイヌと沖縄に現在も存在し、本土では八世紀にわずかに大隅地方の方言として残っていた、この問題をどう考えるかということです。いまの「タネ」の問題でもそうですが、そういうのがたくさんありますね。たとえば「ト」という言葉はアイヌ語では湖あるいは沼を意味しますが、古くは海を意味したと知里其志保はいいます。ところが『おもろ草子』に「オクト」とか「オオト」という言葉が出てきますが、それは「奥の海」「大きい海」を意味します。本州の「トネガワ」とか「セトノウミ」の「ト」も海あるいは湖の意だと思います。利根川は海のような川、セトはおそらくセプト、広い海ということになります。
私も枕詞についてそういうことを考えることがあって、例えば「チハヤ」という言葉があるでしょう。「チハヤビト宇治」とか「チハヤフル神」とか、『古事記』には、「チバノカドノニ」という言葉がある。「チハヤフル」「チハヤビト」「チバノカドノニ」 ―― 全部神様につながっているけれど、意味はよくわからない枕詞なんですね。
ところが「チバ」というのは、アイヌ語では「ヌサバ」なんですよ。つまり神に祈る時にイナウというものを作るのですが、イナウが集まったものを「ヌサ」という。日本の古代語では御幣そのものをヌサというけれど、アイヌ語では御幣の集合をヌサといいまして、ヌサのある所がチバなんです。そうすると「チハヤフル」は神を祭るヌサのあるチバが古くからある、だから神につく。「チハヤビト」というのはヌサ場で一族が集ってお祭をする、だから氏につく。「チバノカドノニ」というと、チバの多くあるカドノニ。平城京跡からたくさんイナウが出てきた。古代日本にも到る所にチバがあったと思います。私はそういう解釈で、「チハヤフル」などの枕詞は理解できるのではないかと思うのですよ。
だから、おっしゃるように、そういう異言語の接触で、枕詞として古い言葉を残しておくというのはたいへん興味深い解釈で、いま言われた「さねさし」が「タネサシ」から、というのは私は気がつかなかったのです。これは柳田国男の洞察に敬意を表したい。枕詞をもう一度、アイヌ語で考えてみることは必要なんでしょうね。金田一(京助)さんのようなアイヌは異民族でアイヌ語は異言語、アイヌ文化と日本文化とは全くの異文化であるという通説、その通説について私は批判しましたが、その通説のタブーさえなくなればいまのような解釈は十分成立可能だし、そう考えることによって、日本の古代語研究は飛躍的に進むと思いますよ。
記紀歌謡をもういちど、アイヌと琉球の歌謡との比較を通して見直してみる必要があると、お二人の意見は一致している。枕詞だけではなく、記紀歌謡の中で、どう考えても近世以来のこじつけに近い解釈が多々ある。もしかすると、そういうことは全部、アイヌや琉球の歌謡とよく照合することができれば、解明できるのではないかと考えている。
そういう観点から、枕詞の次に取り上げられたのは「逆語序」という文法面での古層だった。
吉本さんの問題提起。
これは地名の重ねと同じことになるんですが、琉球の古い歌謡の『おもろ草子』の中にも例がありますが、古い問題ではないかと考えていることが一つあるのです。それは僕が考えたというよりも、その前に折口信夫が「日琉語族論」などでいちはやく指摘していることなんです。
現在の常識でいえば、地名を呼ぶ場合、東京都中央区とか京橋何丁日というふうに、大きか地域の地名を先に言って、だんだん小さくしていきます。
ところが、折口さんは古い形はそうじゃなくて逆語序になっていて、小さい地名を先にいって大きい地名を後でいう言い方があったんだと指摘しているんですね。その例は『おもろ』の中にいろいろあります。
「ヒルカサリ(辺留笠利)」という場合に、「カサリ」村の中の何とかという意味で「カサリ」の方が地域的に大きい。
逆語序の関連でいうと、「大工の吉本」というのが普通の語序ですが、『おもろ』の中では「吉本」を先にいって「吉本が細工」のように、大工だから細工人というような言葉を後でいう言い方がある。折口信夫は「それは古い言い方なんだ」といっているんですね。
たとえば「山があってその傍に村がある」とすると、それをヤマカタという。それをカタヤマというふうにいうと、後世は「片山」という言い方になってしまって、片方が削げている山みたいに思うかもしれないけれど、本当は、昔はそうじゃなくてヤマカタと、いって、山の傍という意味で、山の途中をそう呼んだと、折口さんは言っているわけです。
それらを全部合わせて、いわゆる「逆語序の時代」というのがあったというのが折口さんのとても大きな指摘で、 僕らも初期歌謡を調べてその種の例をいくつか見つけて、折口さんの説が正しいということを論じたことがありま す。その種のことを考えていくと、これは梅原さんのご領域でしょうが、日本の古代あるいは古代以前のことは、 どうも半分だけわからないところがあるような気がしてしょうがないのです。
この問題について、梅原さん次のように応えている。
地名を小さい順から書くというのは、外国もそうですね。アイヌと沖縄の形容詞の書き方を比べてみると、アイヌ語はわりと自由で、形容詞が名詞の前にきていたり後にきていたり、いろいろあると思うのです。どちらの形が古いのか、そこのところはまだ検討していないのですが、たいへん面白い問題を含んでいると思います。
これは少し大胆すぎる意見かもしれませんが、アイヌ語では顔のことを「エ」および「へ」といい、お尻のところを「オ」あるいは「ホ」というんです。古代日本語でも上と下の対立を「エ」と「オト」で表現します。「エヒメ」「オトヒメ」、「エウカシ」「オトウカシ」などです。また、「エボシ」とか「エダ」とか、上のほうを「エ」あるいは「へ」という。それでお尻のほうも尻尾のことを「尾」という。「山の尾」というのも山の裾ではなくて、ちょうど山のお尻にあたる所と考えるとよくわかる。
ところでアイヌ語では動作を表すのに「ホ〜」「へ〜」というのが実に多いんです。人間の動作を、顔と尻の二点でだいたい表現している。それが名詞の前にもおかれ、「へ何々」「ホ何々」という。「へ何々」というのは、何々に顔を向けて、何々の方へとなり、「ホ何々」は何々の方へ尻を向けて、何々から、ということになる。こういう言葉から、さらに「へ」および「ホ」が言葉の後について、「何々へ」「何々ホ」「何々ヲ」となる。こうなると日本語の助詞「へ」と「ヲ」に近くなる。日本語の助詞と非常に似ている。「東京を発って京都へ行く」は、東京に尻を向けて京都へ顔を向けるという意味であるということになるわけです。
そういうふうに考えると、肉体の部分を表す「エ」あるいは「オ」が前置詞のように用いられ、後に後置詞になって、助詞になってゆくという、そういう助詞の成立の過程がわかるように思うんです。さきの逆語序という問題とこの問題とはつながっているように思われて、私にはたいへん興味深い。
それから吉本さんが「わからない部分がある」とおっしゃったのは、まさにその通りでして、私はついこの間まで、縄文文化というのはわからないと思っていたのですね。考古学ではある程度物質生活は知ることができるが、精神生活を知りえない。いくら頑張っても、考古学だけでは縄文人の精神生活や宗教意識がわかるはずがない。ところが私はいま、アイヌ文化を発見して、沖縄文化との対比で考えると、あるところまで縄文人の精神構造や宗教意識が理解できるのではないかと思うようになったのですね。今までわからなかった縄文文化を解く鍵が多少みつかってくると思います。
琉球やアイヌの文化を読み解くことによって、縄文人の精神構造や宗教意識が理解できるのではないか、と梅原さんは言っている。それは同時に天皇制の古層を掘ることでもあり、天皇制の相対化あるいは無化へと向かう道筋でもある。
吉本さんと梅原さんの対話は、ヤポネシアを広く覆っていたであろう天皇制以前の精神文化や宗教意識の問題へと続く。吉本さんの問題提起から。
たとえば、中央部でも岩磐とか巨石とか樹木信仰というのがありますね。これはむしろ先住民の信仰だと考え、そこに天皇家みたいなものが入ってきて、それをそのまま容認したんだというふうに考えると、三輪山信仰でも考えやすいところがあります。
それから、たとえば諏訪神社の信仰もそうですが、どうもこれは北方系あるいは東北からきているんじゃないかと思えるのですが、信仰の形として男の生き神様を造って、それは生涯不犯で神事ばかり司って、その兄弟が政治を司るみたいな形がいろんな所に見えるのですね。諏訪地方の信仰もそうですが、瀬戸内海でも大三島の信仰のあり方もそうです。
そういうのと、そうじゃなくて母系制で、耶馬台国のように女の人が神事を司り、その御託宣によってその兄弟が――これは沖縄もそうですが――政治を司る、そういう形と両方あるような気が僕はするんですね。
ですから神話の中でも、実在かどうかわかりませんが、神武というのがいて、その兄に五瀬命(イツセノミコト)というのがいますが、これは神事を司っていた長兄と思われますが、遠征の途中で登美の那賀須泥此古(ナガスネヒコ)と戦って撃退され、熊野の方に廻って転戦して、戦死してしまうことになっています。この五瀬命が、神人というか神事を司っていたと考えると、男系の匂いもするんですね。
そうはいうものの、たとえば神武が熊野から入っていって三輪山の麓まできて、その地の村落共同体の首長の娘を嫁にもらうか入婿するかどちらかわからないが、それと結婚する。すると、それはどうも母系制に従っているようにも思える。ところがいろんなところを見ていくと、男系の神様を奉っておいて、兄弟が村落を支配するという形が、どこかにほの見えたりして、よくわからないところがあるんです。 これをどういうふうに理解すればいいのかということです。それはつまり時代の差異とか、そういうものを象徴しているのか、あるいはまた先住・後住ということを意味しているのか、それとも系統が違うということなのか、そこがよくわからないんです。
この問題について、以下のように対話が続く。
梅原 おっしゃるように、どれが縄文文化なのか、どれが弥生以後の文化なのか、またどれが記紀にいう神武天皇という新しい支配者が出た大和朝廷以後の文化なのか、それを分別するのは容易ではないですね。私は構造として縄文文化を根底において、次に弥生文化を――神武伝承以前の弥生文化というものもあると思いますけれど――その次に神武伝承以後の大和朝廷の文化を考えますと、三輪山はどこに属するのか。朝鮮などに行くと、そっくりそのまま三輪山みたいな山があって、同じように崇拝されている。こう見ると、これは端的に縄文文化とはいえない。あるいは神武以前の弥生文化の遺跡ではないのかとも思われますが、それらは重層的に重なり合っているので粘り強く一つ一つ解いていくよりしょうがないだろうと思います。
最後に出された男系の問題ですが、男の司祭の問題は、私は気がつかなかったが、たいへん面白い。それも父系社会と双系社会の問題と関係するのではないでしょうか。社会学者の中根千枝さんなどの考え方でも、中国・韓国は父系社会であるけれども日本はそうじゃなくて、双系社会だという。ところがアイヌも双系社会なんですね。どういうふうに違うかというと、父系社会というのは、本貫を同じくする氏により団結がたいへん固い。ですから当然大家族制になってくる。そして同姓娶らず、その範囲では結婚はできない。中国や韓国は今でもそういう社会です。
そういう社会だと姓は増えないわけです。だから韓国は全部で二百姓ぐらいしかない。中国も百姓といいますが、今ちょっと増えましたが、少数民族を含めても五百くらいでしょうね。こういう父系社会では同姓を超えた団結はなかなか生まれません。会社でも同姓で集まるし、異姓の人が入っても絶対に社長になれないから、どうしても会社に対する帰属感がない。
ところが日本ではそうではなくて、父系社会の団結が弱い。古代では「物部鹿島」というような複姓がある。父は物部氏、母は土着の鹿島の人、そこで物部鹿島という姓ができ、物部氏から独立する。だから姓は無数にふえる。日本の苗字というのはほとんど地名ですが、結局、氏、血よりも今住んでいる土地のほうが大事なんです。だから苗字が何十万とあるわけです。
またアイヌでは、財産を継承するときに、男のものは父系で相続、女のものは母系で相続するのです。弓矢のような男の持ち物は男の血縁で相続され、女の持ち物は女の血縁のほうに行く。上代日本もそうではないかと思われます。それから、「同姓娶らず」の韓国では本貫を同じくする同姓のものが結婚したら、禽獣の行為だとされるくらいたいへんです。同姓を娶ったら法律で罰せられて、監獄に行かなければならない。それを免れるためには亡命をしなくちゃならん。現に最近でもそういう悲劇の実例があるのを私は知っていますよ。
ところが古代日本の場合は、父親が一緒でも母親さえ違えば兄妹でも結婚してもかまわない。それは父系社会からみれば、まったくの禽獣の行為としかみえないかもしれないけれど、それはそれで双系社会の掟はある。母親が一緒だったら、これはやはり畜生の行為ということになるわけです。
いまの話でいうと、初期天皇家が父系的な社会であったか、双系的な社会であったか――私は、入ってきたとき、初めは父系的であったと思います。けれど、いつの間にかだんだん双糸的に変ってきたのではないかという気がしてしょうがないんです。
入婿の話が出ていましたが、父系社会では入婿は絶対あり得ないわけですね。
吉本 あり得ないですね。
梅原 ところが、神武天皇が大和を支配するために入婿みたいな形になっていますね。
吉本 入婿ですね。三輪山の麓の長の娘と結婚して、そこに入婿していますから。そこで僕は思うんだけれど、初期天皇でも、十代目ぐらいまでたいてい長男坊ではないですよね。それは長子相続ではなかったという意味なのか、それとも長男というのは隠れているけれど、宗教的な司祭をしていて、全然子孫を残さないことになっているから、長男ではなかったのか、そこがよくわからない。
梅原 末子相続でしょう。
吉本 それに近いと思います。
梅原 アイヌも末子相続です。アイヌは家が小さいから、大家族はできないのですね。長男が嫁さんをもらうと独立をしてまた家をつくる。兄弟がだんだん独立をすると、最後の子どもが年とった親父さんと一緒にいる。だからアイヌは財産は子どもにみんな平等に分けるけれど、最後まで親父さんと一緒にいるのは末子ということになる。ここに末子相続的な原理が含まれていると思うんですね。
それと、いま吉本さんがおっしゃった、天皇家はだいたい末子相続ということとつながりが出てくるような気がしますね。応神天皇の時、ウジノワキイラツコとオオササギノミコトが皇位をゆずりあって困り、ついにワキイラツコが自殺したという事件がありますが、あれも伝統的な末子相続と儒教的長子相続の争いと見られます。この場合、末子相続法によって皇位の相続の権利を主張できるワキイラツコが儒教信者であり自分は相続すべきではないと考えたところに悲劇の原因があったと思います。とすると古代日本社会はアイヌ社会に似ていた。だからいまの問題は言語だけでなくて、習俗というものを考えても、アイヌと沖縄をみると古代日本のことがいろいろわかってくることになるのじゃないかと思いますね。
吉本 そう、アイヌの問題を調べていくと、弥生時代から残っているいろいろな宗教的な行事とか文化的なもの、風俗・習慣もそこに保存させている部分がありますから、そういうことがとてもわかってくるという問題があるわけですね。
梅原 しかし、アイヌにないものを調べることも大事だと思いますね。弥生時代にすでにあってアイヌにまったくないものは何かということです。それは外から持ち込んできたものである可能性が高い。アイヌでは消えてしまった可能性もありますけれど。そういうものをいろいろと比較・検討してみると、今までわからなかったものが、少しずつわかってくるのじゃないかという気がしますね。
縄文文化と弥生文化を対比するとき、その違いは非農耕民と農耕民の違いに還元される部分が多いと思う。そして非農耕民と農耕民という場合、縄文人と弥生人という対比の外にもう一つ考慮すべきことがある。「山の民」と「里人」の対比である。
山の民=山人とは何か。
私たちは普通「山人」というと、木地師や 木樵などと呼ばれている人たち、さらに は狩猟を仕事とする「マタギ」や「山窩」と呼ばれている人たちを考えると思う。しかし山人研究をしていた柳田国男は、 放浪の鍛冶屋とか 鉱山師、あるいは放浪の修験者とか放浪の宗教者みたいなものも山人として考えてい たらしい。
柳田は山人研究を半ばにして放棄しているが、これについて梅原さんが次のように言っている。
吉本 柳田さんはそれ(山人)を異人種、人種が違うと考えていたんでしょうか。
梅原 初期にはそうでなかったと思いますね。『山人の研究』で「自分の生まれたところは昔、異族が住んでいたところだと『播磨風土記』にある記事を見て、自分も山人の子孫の血が入っているのじゃないかと思った」という意味のことを言っている。それが彼にはショックだったと思いますね。だから彼はたいへん厭世的になり、民俗学の研究に入っていく。あの玉三郎が演じた泉鏡花の『夜叉ケ池』で竜の女と住む学者は柳田さんがモデルだといわれているくらいですからね。自分の血とつながっているそういう山人の文化のすばらしさを明らかにし、里人をおどろかしてやろうという気特が、山人の研究に入っていった彼の気持であり、それが『遠野物語』になってゆく。彼の民俗学の出発点は明らかに「山人研究」「異族研究」なのです。
しかし柳田さんは大正六年頃を境として変った。山人研究は完成しなかった。おそらく私は、幸徳事件などが間接的な原因と思います。山人研究を続けていたらたいへんなことになると心配し、それは天皇制とぶつかって危険だと、官僚でもある柳田さんはそこで転向し、山人研究から里人、つまり常民の研究者となる。自分を山人じゃなくて里人と一体化する。そこで新しい柳田民俗学が生まれたと思います。そういうふうに、柳田さんには微妙な転換があるような気がしますね。だから、初期の柳田さんはアイヌに対する関心が非常に強かったのだけど、どこかの段階で捨ててしまった。柳田さんを考えるときに、そのへんがいちばん大事になってくるのじゃないか、と私は思うんです。
山人研究から常民研究への柳田の転向の理由を幸徳事件と結びつけるのは、私には穿ち過ぎのように思える。しかし、そういう結びつきを想像できる要素が山人研究には濃厚に含まざるを得ないのは確かだ。 吉本さんと梅原さんの対話は、天皇制の基盤である農耕民とその古層の狩猟採集民との関係を神話から読み解く議論に移っていく。
吉本 そういうところから考えますと、柳田さんは何を日本人というふうに見ていたのでしょうか。
『海上の道』でもそうですが、よくよく突きつめてみると、柳田さん流にいえば、稲作をもって南の島からだんだんと東北の方に行った、そういうものを日本人と呼んでいるみたいに思えます。これではとても狭い気がしますね。そうすると、ほとんどが日本人じゃない、ということになりそうな気がしてくるところがあるんですが、それはどうでしょう。
梅原 柳田さんは農林省ですか、勤めていたのは。
吉本 農商務省ですね。
梅原 やはり農商務省の役人としての職業意識が強くなると、どうしても日本を農業国と考える。稲作農耕民の渡来によって日本の国はできたと考えた。しかしその背後には記紀史観の影響があると思いますね。
アマテラスオオミカミ、というのは明らかに農耕民族の神だし、その孫のニニギノミコトも農耕民族として日本の国に来た。ところが土着のクニツカミ、というのがすでにいた。たとえばオオヤマヅミというのは山民ですし、ワダノカミというのは漁撈民でしょう。ニニギとその子孫が、そのオオヤマヅミやワダノカミ、の娘を娶った曾孫が神武天皇です。ですからあの神話は、農耕民がやってきて、山地狩猟民や漁撈民と混血して、日本民族ができたということを物語っている。
日本人は渡来の農耕民が土着の狩猟民を支配してつくった国家だ――こういう記紀史観が当時の日本人の共通の史観になっていた。それに柳田さんも影響されているのではないかと思います。だからどうしてもアマツカミ、主体の歴史観だった。われわれは今は、クニツカミを重視した歴史観を考えていかねばならないと思いますよ。
しかし記紀のニニギから以後の九州での話は、事実そのままではないとしても、日本人の成立の過程についてたいへん正確に語っていると思われます。渡来した稲作農耕民を父系、土着の狩猟採集民を母系に、その二つの混血によって日本人はできてきたということをその神話は示している。そのために出産のときにトラブルが起きたりする。文化が違うと出産がいちばん問題だと思います。出産のときに必ず文化のトラブルが起きてくる――そういうものを、とてもうまく語っていると私は思いますけれどね。
次いで、「マタギ」と「山窩」の社会習俗や宗教が話題となる。
吉本 それから、柳田さんのいう山人の中に事実として、たとえば山の中腹から煙が立っているのを見て、「あれは山窩の人がまたやってきたんだ」というような言い方で出てくるけれど、山窩というのは、つまり山人のうちにどういうふうに位置づけられるのでしょうかね。
梅原 まあ、柳田さんを読むとびっくりするのは、大正天皇の御大典のときに、京都の若王子の山の中腹から煙が出ていた、あれは天皇の即位を祝って山人がたいた火の煙だと書いてあるんですね。僕は若王子の山裾に住んでいるんで、どうしてそんなことを柳田さんが考えたか、びっくりしてしまいますけれど。(笑)
山窩とかマタギという人たち――山窩とマタギとはどう違うのか。マタギというのは東北に住んでいる狩猟民で、山窩というのはもうちょっと中部の山岳地帯に住んでいる狩猟民ですね。マタギのほうがまだ農耕民との間の、ある種の友好関係があるけれど、山窩は差別され非常に迫害されていた、と考えていいのではないでしょうかね。
ところがマタギ社会ですけど、ご承知のようにカメラマンの内藤正敏さんがダムで埋没する新潟県のマタギの社会を撮っていますね。この間、私も山形県の小国町という所のマタギ部落へ行って、マタギの熊祭を見てきましたよ。マタギ部落というのはもうどこでもほとんどなくなってしまいましたが、まだそこには少し残っているんです。
熊を獲るのに、今はライフルですから、かなり遠い所からでも撃てるはずなんですよ。ところが、そんなふうにパッと撃たないで、やはり勢子が出て、熊を下の方から追い上げ、一の鉄砲、二の鉄砲、三の鉄砲が待ちうける。そしてずーっと追い詰めてきて、一の鉄砲から順に撃って行く。武器がすっかり近代的に変っても、昔、熊を追い込んで、槍で仕止めるのと同じ方法でやっているんです。
ここにどうしてマタギ社会が残ったのかというと、彼らは片方で農耕をやっている。冬になって農耕ができなくなってからマタギの生活に入るんですね。ふだんは農耕をやって、冬の間だけマタギですから、かえって純粋に残ったのです。
そこでいろいろ聞きましたけど、完全な共産社会ですね。分配が実に公平です。つまりマタギの親方を能力によって、今度の熊狩りには誰がいちばんいいか相談して決める。一種の職能的な秩序が完全にできていて、親方はご飯も炊かなくていいし、寝ていればいい。しかし親方の命令には全部従う。その代り、親方は責任をもたなくてはならない――そういう形でやっているわけです。ところが熊を獲って、熊の肉を分けるのはみんな平等で、狩りに参加できない未亡人とか年寄りにもちゃんと平等に分けるんです。ですからマタギ社会は見事な平等社会で、長は機能に応じてできる………というので、私は感動しましたね。
そんな彼らが熊祭をしている。それがいつやるかというと、マタギをやめるとき、つまり熊が冬眠からさめて出て来るときに熊を獲るわけです。ですから熊を獲り終ると春で、彼らはそれから農耕生活に入るんです。その熊祭もやはり、アイヌの熊送りに似ていました。熊の魂を天に送るという、そういう意味が残っているようでした。同時に、熊祭を終えて、自分たちはこれからマタギをやめて農耕の生活に変るという、そういう意味ももっているけれども、どこかにアイヌの熊祭の面影を保っていました。
ところで、そういうマタギとか山窩――山窩はまたちょっと生活が違うと思いますけれども ――彼らの生活習慣を見ていると、ふつうには、山人はやはり異民族だと考えられるんじゃないかと思うんです。しかし、分配の見事な平等主義の社会を実際に見ると、やはり感動しましたね。
記紀歌謡の中には近世以来のこじつけに近い解釈が多くある。このことと山窩が結びついて思い出したことがある。
吉本さんは著書「共同幻想論」で柳田国男の「遠野物語」や「記紀」の神話の他に三角寛の「サンカの社会」 を素材に用いている。その「共同幻想論」の「規範論」に、古事記の中の次の歌の意味について論じているくだりがある。
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁徴爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)
通説ではこの歌を
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
と読み下している。そしてその意はおおよそ
「八雲の幾重にも立ちのぼる出雲の宮の幾重もの垣よ。そこに妻をむかえていま垣をいくつもめぐらした宮をつくって共に住むのだ」
とするのが通説だ。 学者たちは何故そのような読解と解釈をしたのか。
この歌は、「天津罪」を犯して高天原を追放されたスサノオが出雲を平定し、その地に宮を作ったという物語に挿入されている。
故ここをもちてその速須佐之男命、宮造作るべき地を出雲国に求ぎたまひき。ここに須賀の地に到りまして詔りたまひしく、
「吾此地に来て、我が御心すがすがし。」
とのりたまひて、其地に宮を作りて坐しき。故、其地をば今に須賀と云ふ。この大神、初めて須賀の宮を作りたまひし時、其地より雲立ち騰りき。ここに御歌を作みたまひき。その歌は、
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁徴爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
「其地より雲立ち騰りき」という物語の地の文にとらわれてのことであるのは明らかだ。勿論これは古事記の編者の意図であっただろう。しかし、記紀の歌謡については、物語の部分とは別個に考えなければならない場合が多いことが一般に認められている。伝承の歌があってそれをもとに物語が作るられたり、物語の前後の関係からその物語にうまく会う伝承歌を挿入されたりした可能性があるのだ。
実はこの歌はサンカの社会にも伝承されていて、サンカの解釈はまったく違うという。吉本 さんが「サンカの社会」から引用している部分を孫引きする。
サンカは、婦女に暴行を加へることを「ツマゴメ」といふ。また「女(め)込めた」とか、「女込んだ」などともいふ。この「ツマゴメ」も、往古は、彼らの得意とするところであった。そこで、「ツレミ」(連身)の掟( ヤヘガキ)ができて、一夫多婦を禁じた。それが一夫一婦(ツ レ)の制度(ヤヘガキ) である。
ここで問題になるのは、古事記・日本書紀に記された文字と解釈である。すなはち、
(古事記)夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐都麻碁微雨夜幣賀岐都久留骨能夜幣賀岐衰
(日本書紀)夜句茂多菟伊都毛夜覇餓岐菟磨語妹爾夜覇餓枳菟m盧贈廼夜覇餓岐廻
右に見るやうに、両書は、全く異った当て字を使ってゐるが、後世の学者は、次のやうに解釈してゐる。
八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を
と、決定してゐるやうであるが、サンカの解釈によると、(昭和11年、富士山人穴のセプリ外 18ヶ所にて探採)次の通りである。
ヤクモタチ(ツ)は、八蜘昧断ち(つ)であり、暴漢断滅である。
イヅモ、ヤへガキは、平和を芽吹く法律で、ツマゴメ(ミ)ニは、婦女手込めにし、である。
ヤへガキツクルは 掟( ヤヘガキ)を制定して、コ(ソ)ノヤへガキヲ、はこの 掟( ヤヘガキ)をこの守る憲法を―で、これが「一夫一婦」の 掟( ヤヘガキ)である。
それで出雲族を誇示する彼らは、自分たちのことを、「沢瀉(おもだか) 八蜘蛛断滅」だと自称して、誇ってゐるのである。
吉本さんは「サンカの伝承の方が確からしく思われてくる」と言い、その理由を次のように述べて いる。
なぜこういう解釈に吸引力があるかといえば、スサノオが追放されるにさいして負わされた〈天つ罪〉のひとつは、農耕的な共同性にたいする侵犯に関しており、この解釈からでてくる婚姻についての罪は、いわゆる〈国つ罪〉に包括されて土着性の濃いものだからである。『古事記』 のスサノオが二重に象徴している〈高天が原〉と〈出雲〉における〈法〉的な概念は、この解釈にしたがえば大和朝廷勢力と土着の未開な部族との接合点を意味しており、それは同時に〈天つ罪〉の概念と〈国つ罪〉の概念との接合点を意味していることになる。
「規範論」はこのあと「〈天つ罪〉の概念と〈国つ罪〉の概念との接合点」を論究していく。
前回、梅原さんが「こういう記紀史観が当時の日本人の共通の史観になっていた。それに柳田さんも影響されているのではないかと思います。だからどうしてもアマツカミ、主体の歴史観 だった。われわれは今は、クニツカミを重視した歴史観を考えていかねばならないと思います よ。」と言っていた。上記のような記紀歌謡の洗い直し、あるいは記紀の神話の古層の掘り 起こしはそのことと別のことではないと思う。網野さんのお仕事もその線上にある。
サンカの誰かが里に下りてきて、古事記あるいは日本書紀を読む機会をもった。その中の「ヤクモタツ・・・」という歌を知り、自分流に解釈しなおしてサンカ社会に流布した、なんてとても考えられない。とすると「ヤクモタツ・・・」の歌は古事記の編者が伝え聞いた伝承と同じ発祥のものを、古事記編纂の時代よりずっと古くから、古事記とは無関係に、サンカの祖先の社会に伝承され、今日まで伝えられてきたと考えるのが自然だ。そういう点からもサンカの人たちが解く解釈の方が確からしい。
サンカの人たちは出雲族を誇示しているという。出雲族というのは歴史的な信憑性のある種族だろうか。
出雲神話はまったくの作り話だというのがこれまでの通説だが、梅原さんはこの通説にも疑問を呈している。
実はこの間、出雲にすばらしい銅剣がたくさん出たので見に行きました。銅剣が356本。これは今まで日本全土で出ているより多い数です。それに銅鉾が16本、銅鐸が6個――ちょっと日本の古代史を書き換えなくてはならない。われわれもそうですが、長いこと「出雲神話」はフィクションだと考えてきた、これは津田左右吉に影響された日本の古代史家が一様にもってきた考え方です。
ところが、「出雲神話」の中心地である斐伊川の近くの、ほんの小さい丘からそれだけのものが出てきて、国譲りの話をそのままあらわしているようなことになってきた。
それから、和辻哲郎の銅鐸文化圏、銅剣・銅鉾文化国の対立で弥生文化を、近畿文化圏と北九州文化圏の対立と考える図式もすでにおかしくなってきましたが、この荒神谷遺跡の出現でもう一度大きく問い直されなければならなくなった。
そこで、どうしてそんなものがそこに埋められていたか、いろんな説が出ていますが――最初、銅鐸を使って地の祭をしていた。ところが今度は太陽を祀る宗教になったから、要らなくなって埋めたという説が有力のようですが、埋めたにしては数が多すぎる。それと同時に、地の神から太陽の神へと、そんな簡単に信仰の対象が移るものかどうか。どうにもうまい説明がつかないんですね。私はこの遺跡がヤマトタケルと関係する記紀や『風土記』のタケルべの里であることを考えて、やはり出雲権力の大和権力への降服儀式ではないかと思いますね。
「発掘・日本の原像」がこの神庭荒神谷(かんばこうじんだに) 遺跡に関連した記述をを書き出してみる。
島根県松江市に弥生時代の戦場跡らしい遺跡がある。田和山遺跡という。この田和山の西約 40kmに出雲大社、約17km西南西に神庭荒神谷と加茂岩倉の両遺跡がある。
この田和山遺跡は標高46mの丘陵にあり、2100年あまり前の弥生時代前期後半につくられ、200 年ほど続いた不思議な遺跡だという。まるで砦か、聖地のようだという。人が住んでいた形跡はない。こんな弥生遺跡はきわめて珍しい。見晴らしの良い丘陵に、倉庫にしてはあまりにも小規模、しかも厳重な防衛態勢をとって営まれた形跡が濃い。いったいどんな施設だったのだろうか。神庭荒神谷遺跡はこうした周辺の遺跡とも関連して考えなければいけないだろう。
神庭荒神谷遺跡から大量の銅剣、銅鉾、銅鐸が発掘されたのが1984年。梅原さんがそれに注目して上記のような発言をしたのが1986年のこと。その後、1998年には吉野ヶ里遺跡から九州初の銅鐸(高さ約26cm)が発見されている。さらに99年6月、これまで6種類以上の鋳型が出土している大阪府茨木市東奈良遺跡から、朝鮮式小銅鐸と日本式銅鐸双方の特徴をもち、「日本式が考案される過程でつくられた祖形のひとつで、絶滅してしまった型の遺物」ともいわれる古い銅鐸(高さ14.2cm)が出土している。同じ年の9月には奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡で、類例のない文様の銅鐸鋳型が見つかった。このように近年、銅鐸関係の新発見が続いている。しかし、鋳型が見つかった約35ヵ所のうち、30ヵ所を近畿地方が占めている。
このため、春成秀爾・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は「近畿に銅鐸の中心部があったことは依然、揺るがない」という。そして「高度で繊細な技術やデザインなどから見ても、銅鐸は当時の地域集団にとって、格別なものだった。とても対価を支払って入手できるものではなく、製作も限られていた。贈り主と贈られた相手の間には、半永久的に従わざるを得ないような関係ができたに違いない」とし、社会統合の象徴とも考えている。
銅鐸はこれまで、その用途や埋納目的に関心が向きがちだった。奈良国立文化財研究所は、加茂岩倉銅鐸の原料産地などの科学分析を始めている。詳しい分布状態や製作推定地、兄弟関係などから、銅鐸の「動き方」が解明されれば、ここからも弥生社会の実態が見えてくるだろう。
農耕があると富の蓄積がきくわけですね。狩猟社会というのは絶えず移動していますから、富を一カ所に貯蔵することはなかなか困難ですね。だから例のオオクニヌシノミコトが袋を背負っていくというのは、狩猟民族の移動方法を示しているのではないかと私は思います。
獲物があった場合でも食べられない分は腐ってしまいますから、自分だけ一人占めにすることはできないだろうし、部族の全部に分ける――そういう、非常に共産主義的な社会だったと思います。
ところが農耕が発明されて、富の集中が可能になり、そしてそこから国ができる。国ができれば国家を統一する大宗教、世界宗教が出てくる。そして巨大な神殿ができてくる。それからそれに対して必ず文字が出てくる――ということになると思うのですが、縄文文化というのは、そういう意味でいうと、すでに世界の他の地区にそういう大文明が出現しているのに、一時代前の生産方法のもとにかなり精神的に高い文化を発展させた特殊な文化であったと思いますよ。
日本では農耕の成立が遅れ、巨大な国家の出現が遅れたために、富の集中する社会が出てくるのがたいへん遅かった。それから文字の出現も遅かったと思いますが、それはいいことではなかったか、といま僕は考えているんですよ。
国家のできるのが遅かったからよかったという考え方です。巨大国家が造られたときは富の集中があって、階級社会ができて、うんと金持と貧乏人の差ができる。そういうところから生ずる人間の心の歪みがたいへんきつい。そのきつい歪みを世界宗教が反映しているのではないかと、私は思うんです。
縄文文化は、巨大国家や大文明は生み出さなかったが、それはむしろよいことだったのだと言っている。大文明の代わりに「精神的に高い文化を発展させ」ていた。現代の人類が陥っている陥 穽から人類を救い出し人類の未来を開くための新しい思想あるいは倫理を創出する手懸りが、 縄文文化を発掘・考究することによって得られるのではないか。梅原さんと吉本さんの対話から、 こんな壮大なモチーフが浮かび上がってくる。
さて、いきおい、お二人の話題は「日本国」ということになる。 梅原さんの要請に従って、吉本さんが「共同幻想論」のモチーフと方法論を次のように語っている。
吉本
制度的というか、政治的というか、そういうところから考えると、日本人の歴史と、日本国家、つまり初期の大和朝廷成立以降の国家らしい国家が農耕を基礎にしてできあがったことは同じではありません。つまり日本国の歴史と日本人の歴史は違って日本人の歴史の方がずっと古いわけです。それこそ縄文早期、あるいはもっと前から始まっているかもしれませんから。日本人の歴史と日本国の歴史――もっといえば天皇家の歴史とを全部同じものとして見るのは不当ではないかという感じ方はあったのです。
だから、天皇家の始まりが日本国の始まりというのはまだいいとしても、天皇家の始まりが日本人の始まりだ、というのは少なくとも違うから、日本人の歴史というところを掘り起こしていけば、天皇家を中心にしてできた日本国家の歴史のあり方を相対化することができるのではないかということが問題意識の一番初めにあったわけです。
網野さんの厳密な定義に従えば、日本国成立以前には「日本人」はいなかったことになるが、吉本さんが「日本国」と「日本人」とを使い分けている意図が網野さんの問題意識と同じであることは言うまでもないだろう。吉本さんは「日本人」という語を「日本国の国制の下にある人間集団をさす言葉」として用いているのではない。ヤポネシアを「日本列島」と呼ぶときと同じで、吉本さんがこの文脈で「日本人」というときの「日本」は国名ではなく地名を表していると考えてよいだろう。
不要な解説だったかもしれない。吉本さんの発言の引用を続ける。
ですから初めの頃、熱心にやったのは、天皇家の即位の仕方とか宗教の作り方というもの――僕は主としてそれを琉球・沖縄をみて、沖縄にずっと後まで、十世紀以降まであった聞得大君(キコエオオキミ)という女官の制度的な頂点にいる、宗教を司る女性たちの即位の仕方と比べると、たいへん似ているところがあるのではないか、そこを知ろうとしました。
『共同幻想論』の中では何を考えたかというと、能登半島などの田の神が来訪してくるという田の神の儀式と、大嘗祭の神事のやり方とがわりあい似ているのではないか。同じ型があるのではないか――それを調べて研究すると、日本人の歴史という問題と天皇家の成立以降の国家の歴史、あるいは天皇家の祭儀や祭の中に残っている制度的な名残りなどを類型づけられるのではないかというふうに考えて、初めはそんなことばかりつつき回していたように思います。
初期の天皇家が大和盆地に入ってきて、そこで地域国家らしきものを造っていくときの信仰のありかたは、沖縄の聞得大君の即位のときの信仰のやり方と似ていて、いずれもはっきりいえば一種の巨石信仰あるいは樹木信仰みたいなもので、その巨石や樹木、あるいは小高い丘の頂点から神が降りてくるという感じがあって、それは同じ類型づけができるのではないかと考えたんです。
それが、天皇家あるいはもっと普遍化して農耕民に特有な信仰だったのか、あるいはそれ以前からあった信仰を継承したのか、そこがわからないから、初めは農耕民のいちばん古い祭の仕方を、天皇家が大和盆地で継承して最初にやったのだと考えたのですけれども、後になるにつれて、それは前からいた先住民の信仰ではないのかと思えるようになってきているんです。でも本当は、そこがよくわからないんです。
つまり初期の天皇をみていても、相続は少なくとも長子相続ではない。しかし婚姻になるといつでも姉と妹がいて、入婿的で、女系的な匂いがするのは確かです。そうすると、そこのところはどういうふうに理解したらいいか。つまり宗教的な為政と、現実に一族のあり方としてとっている相続の形とがどうしても混合していて、よくわからないというのが問題です。
これと異質なのは、縄文時代からの狩猟民的な祭式といわれる、諏訪湖のほとりの諏訪神社の祭のあり方と相続の仕方です。あれは男系の子どもを連れてきて、何十日かその子どもを籠らせたあと、岩盤みたいなものの上で相続の儀式をする。それは一種の生き神様の役割をさせるという形で、大和朝廷が近畿地方、大和盆地でやったやり方とちょっと違うんですね。
それと、瀬戸内海の大三島神社の古くからの相続の仕方――河野氏の祖先でしょうけれども ――あのやり方が、兄が生き神様を相続して、それは生涯結婚できず子孫を残すことかてきないことになっていて、弟が支配するという形を強固に保ってきた――わずかにその二つぐらいが異質だということがわかっていた。
江上(波夫)さんのいうように、もし大陸からやってきたのが天皇家だというのならば、そのとき大勢の原住民がいて宗教的な形態も決まっていた、そこに支配的な民族が土着の人たちより少人数という形で入ってきた場合に、自分たちの宗教を押しつけるものなのか、あるいはそこに元からあったものをうまく使うのか――僕は、そこのあたりの解明がとても重要ではないかという感じがします。
梅原
記紀の記事を尊重すると、神武天皇の次に重要なのは崇神天皇でしょう。神武天皇も崇神天皇も、どちらもハツクニシラススメラミコトといわれている。どうして二人に同じ名前をつけたのかという問題が生じてくるけれども、政治支配は神武天皇から始まっている。記紀の記述に従って南九州からやってきて、巨大な統治政権を固めたのが神武天皇だとすれば、それの宗教的な基礎を固めたのが崇神天皇であるということになる。そういう意味で崇神天皇が神武天皇とともにハツクニシラススメラミコトと呼ばれるのだと思います。
崇神天皇の時代に疫病がはやってたいへん多くの人が死んだことがある。どうして疫病がはやるのか占ってみたら三輪の神様が崇っている。そこで三輪山の神様の子孫であるオオタタネコを見つけ出して三輪山を祀らせたら、疫病はおさまって日本の政治はうまくいったという記事が『古事記』にも『日本書紀』にも出ているんです。
これは、神武天皇以後九代までの天皇が向こうからもってきた、近くは南九州、その前はおそらく朝鮮半島からもってきた宗教で交配しようとしたけれどうまくいかない。そして世の中がいろいろ乱れたので、結局、先住民が信仰していた宗教を祀ることによっておさまった、ということではないかと私は解釈するんです。三輪山の宗教が縄文時代までさかのぼるものか、それとも弥生時代に始まるものか、これまた難しい問題ですが……。
一応、日本の国を考えるときに、言語だの宗教だのはだいたい土着のものを基本にして、それを継承したのではないか。そうしないと、少数の支配者が多数の被支配者をうまく治めることはできないだろうと、そう考えているんです。
それでは先住民、縄文住民の宗教はどうであって、弥生初期にどう変って、再びいまの天皇家の祖先が来たときにどう変ったかということはなおわからない。私は、いわゆる神様が山の峰に天降って、それが現在の支配者の祖先だという考え方は、天皇家が大陸のほうからもってきた思想ではないかと思っていました。ところがそれもやはり、それ以前の縄文時代の人たちがすでにもっていた考え方ではないか――沖縄やアイヌの例もあって――そういうふうに今は考えております。
アイヌでもかれらの祖先が降った山が必ずあるところを見ると、天上から神が降臨するというのがアマツカミ渡来農耕民の考え方であるとはいえないようです。
http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/nippontoha.html
ヤマト王権の出自(1)
吉本さんと梅原さんの対話が次に取り上げたのはヤマト王権の出自である。この問題に まつわる事柄はいまだほとんど仮説の域にあるが、それらの仮説を照らし合わせたり組み合わせたりしながら、より信憑性のある説を作り出すほかはない。そのときの基準・方法は たぶん、「常識的な感性」だと思う。
ヤマト王権は弥生文化を生活基盤とする人たちによって樹立された。ヤマト王権の出自を問う前に弥生文化がだれがどこからどのようにヤポネシアに伝えたのか、まず歴史学者の見解を聞こう。「岩波講座・日本の歴史1」所収の山尾幸久氏の論文「政治 権力の発生」を利用する。山尾さんはもちろん、考古学や文献学の成果を論拠にして論を進めているが、それらの論拠は省いて、大まかな論旨だけを追うことにする。
朝鮮に青銅器文化が始まったのは遅くとも前四世紀ごろを下らないとといわれている。やがて中国戦国時代末期、前240年代〜前220年代、燕や斉の亡命者が鋳造鉄器を朝鮮にもたらした。 漢が朝鮮に四郡を設置(前108年〜前107年)した後には錬鉄鍛造品も作られるようになったという。 南部朝鮮が鉄器時代に入るのはさらに一時期遅れて一世紀とされている。
燕や斉の亡命者は鉄だけではなく、鉄とともに稲をももたらしたと考えられる。 「日本の弥生文化複合の物質的二大要素すなわち鉄と稲」はまず朝鮮半島に伝えられた。
そのころの南部朝鮮の人々の生活様式特色の一つは西南部の多島海などでの漁撈活動にあり、 造船・航海術にも習熟していたことが察せられる。また、低湿地では初期的な水稲栽培が行われていたと考えられる。
さて、中国を統一した漢は朝鮮を征服して四郡を設けた。そのうち「真番」という郡は早くも26年後(前82年)完全に放棄された。その理由として反乱などの外的要因は考えられない。そこで山尾さんは次のように推論している。
漢の郡県制支配の特色の一つは、前後三回行なわれた戸口調査を基礎とする人頭課税と力投 徴発であるが、国家権力の基盤「庶民」「編戸の民」の中心、力役や兵役を負担する15〜56歳の男子が種々の方法で国家権力の掌握から逃れて減少し「荒地」(『魏志』韓伝)と化した場合、 長吏を派遣して郡県として維持する意味は稀薄になる。真番郡廃止の理由の一つとして、この ような事情があったのではなかろうか。(その逃亡者たちが)豪族の私的経済機構に流入する といった事態は考えられないから、郡県支配の及ばぬ地に、かなり多数の人々が新たな安住の地を求めて移動したのであろう。
漢の郡県制を嫌った南部朝鮮の人々の中にヤポネシアにまでやってきた人たちがいただろう ということは、地理的条件や北九州の海民たちの活動からも容易に考えられる。山尾さんの説は次のとおりである。
北部九州人の縄文晩期以来の南部朝鮮人との接触または歴史的親縁性を前提として、当初の ある期間、弥生文化の主として物質的・技術的領域などが学ばれていたのであろう。その後し ばらくして伊勢湾沿岸までの西日本に、比較的短期間に人間集団が飛び地的に移住することに より、この文化が伝播したとされる。その人間集団は南部朝鮮の系統であったらしいが、しか し水稲栽培がなぜ日本列島に定着したかとは一応別個の説明を要するはずの、南部朝鮮からな ぜ人間集団が移住したかの問題は、いまだ必ずしも明らかではない。弥生時代の開始期を想定するについても、その時期の南部朝鮮の可耕地がどのように分布しており、いかなる稲作がど の程度行なわれ、人間集団を移住させた特殊歴史的な事情はなにであったのか、あまり関説されてはいないように思われる。小稿のように鉄と稲との大同江流域への伝来を前三世紀後半と考え、南部朝鮮への伝播や北部九州人の海を越えての接触による習得の期間をある程度考えた場合、前三世紀じゅうに、南部朝鮮人または北部九州でのその二世などが、畿内から伊勢湾沿 岸にまで移住して弥生文化を伝えたといったことは、あまり考えられなくなる。かりにそのよ うなことがあれば左に述べる特別の政治的事情は畿内などへの弥生文化伝播の第二波であった ことになりかねないが、小稿は、前記した前108年ないし前82年の、真番郡の設置から放棄まで の時期に、注目したいのである。
朝鮮半島西南部全羅道地方の、鉄器を使用し稲作を行ない、航海にも長じた半農半漁民の一 部分が、漢の郡県制支配を忌避して朝鮮半島東南部慶尚道地方などに移住する過程で、さらに その一部分は、すでにかなり長期にわたって接触があった北部九州にも渡来し、西日本の各地に初めて進出したと考える可能性もあるのではなかろうか。
こう考えると朝鮮四郡の設置は、北部九州などに限られていた弥生文化の西日本各地への伝播の直接的契機であり、弥生文化は縄文晩期のそれを基礎とし南部朝鮮の文化を受容して成立した ことになり、朝鮮のそれ自体が、江准地区や山東地方の稲作や墓制、北アジアに系譜がたどれる遼寧地方の牧畜民の青銅器文化や墓制、もちろん戦国期の四大文化系統の一つとされる燕・斉の鉄器文化等々が、朝鮮半島西南部の河畔・沿海の漁撈生活者としても特色があった人々の新石器 文化を基礎として、習合したものであったことになるであろう。
http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-588.html
山尾さんの説から当面のテーマに沿った部分を取り出してみる。
1. 朝鮮半島西南部と北部九州とはかなり長期にわたって接触があった。
2. 北部九州に朝鮮からの本格的な移住が始まったのは、真番郡の設置から放棄までの前108年〜前82年ごろからである。
3. 弥生文化は縄文晩期のそれを基礎とし南部朝鮮の文化を受容して成立した。
また、山尾さんは中国の史書の記述を詳細に吟味して、そこに登場する倭人の「国」の地理上の位置を次のようにまとめている。すなわち『前一世紀中葉ごろの北部九州の多数の「国」、一世紀半ばの那珂郡の「奴国王」、二世紀初頭の北部九州の「倭国」とその王、三世紀中ごろ、「親魏倭王」が都する畿内の「邪馬台国」』。「邪馬台国」畿内説を採用しているが、「邪馬台国」がどの地方の「国」なのかという問題は、いまは問題としない。そのかわりに初期ヤマト王権の王と考えられている「倭の五王」の記事が「宋書」に書き留められたのが413年〜502年であることを付け加えておきたい。
以上のことを前提として梅原さんと吉本さんの対話に戻る。
まず江上波夫さんの「騎馬民族渡来説」が取り上げられる。「騎馬民族渡来説」は、たぶんいまは歴史学会ではまったく問題にされていないのではないか。吉本さん、梅原さんももちろん否定的取り上げている。
吉本さんは時間の幅を問題にする。異質の宗教と乗馬の技術と武器をもった一団が、何の抵抗もなくスーッと入ってきて短期間に畿内へ進出したと考えるのは不自然だという。 ヤマトにやってきたヤマト王権の祖先が騎馬民族だったのか、北九州の定住民だったのか、あるいは記紀が記述するとおり高千穂の峰あたりからやってきたのか、いずれにしても九州に定住した弥生人であり、幾世代もの定住を経ながら漸進してきたと考えるのが自然だという。
そのそのように考えるヒントの一つとして柳田さんの考えを紹介している。
そこで、興味深いと思えるんですが、稲の種子とか耕作をもって南の島づたいに来た人たちはどうやって近畿地方に入ってきたかについて、柳田さんが言っていることは、外側、つまり四国の土佐の太平洋側を海岸伝いに通って近畿地方に入るのは、それほど高度な航海術や大きな船でなくても可能であったということです。けれど、豊後水道か北九州の関門海峡かわかりませんが、そこを通って瀬戸内海を航海するというのは、相当な航海術と船の大きさとがなければできなかったといっています。
だから、柳田さんの考え方を敷術すると、琉球・沖縄から島づたいにやってきた、稲作をもった人々は、南のほうからやってきて、海峡を通って瀬戸内海から近畿地方に入るという船の技術が充分に身につくまでは、そこまで来るコースによって北九州か南九州かわかりませんが、そこへんの沿岸に何代かにわたって住んでいた、というふうに潜在的に考えていたんじゃないか、と僕は思っているんです。
(中略)
つまり日本列島で人類が発生したと考えない限りは、どうせ大陸から渡ってきているわけですから、おおざっぱにいえば王権も民衆も大陸から渡ってきたというのは確かでしょう。しかし、それは時間的にたくさん幅をとらないといけないので、あまり早急に考えると違ってくるのではないか。
柳田さんは稲と稲作技術が南の方から伝わってきたという説に依拠している。私が冒頭にまとめた朝鮮渡来説とは真っ向から対立する説である。南方渡来説が今なお有力な説の一つなのかどうか詳らかにしないが、ここでは太平洋側の海岸伝いの航海より瀬戸内海の航海のほうが難しいという点に注目したい。そして、弥生人の移住が本格的に始まってから「倭の五王」までに数百年の時間があることを考慮すれば吉本さんの「時間的にたくさん幅をとらないといけない」という判断はきわめて「常識的」だと思う。
この吉本さんの考えを受けて、梅原さんも「騎馬民族説」を二つの点で退けている。一つは歴史書にその反映がないこと、二つは騎馬民族は父系社会で日本は双系社会と間には相当に断絶があるという点をあげている。そして、梅原さんはさまざまな新説よりも記紀の記述のほうがずっと納得できるといっている。
その点、『古事記』にあらわれているニニギノミコトから神武天皇までは――曾孫ですね。これは非常に自然ではないでしょうか。ニニギノミコトというのは向こうから来た種族にしても、その次に来ると、オオヤマヅミノミコトの娘のコノハナサクヤヒメとの間に次の子ができて、それが二代にわたってワダノカミの娘との結婚によって神武ができるということになると、外国から来た血統が結局、八分の一になってしまいますね。そういう土着の血が入らないと渡来民が、なかなか日本を支配することは難しいのじゃないかという気がしますね。
それでもしかし、神武天皇が大和に入ってくれば、さっそく土地の娘を娶らなきゃならんということになる。次代の天皇は、九州の女の子どもではなくて、大和の三輪山の神の血を引く娘の子どもでなければならぬという――こういうところにそれが事実でないとしても日本の国の成り立ちが、大変よく説明されているような気がするんです。ですから、いろいろな人が頭で考えた戦後のあれこれの新説よりも、日本の国の成り立ちというのは記紀に記されている話の方がずっと納得可能なのではないかと、この頃思うようになりましたよ。
http://adat.blog3.fc2.com/?no=589
それを認めても、決して国家主義の史観にはならないのではないか。天皇家の祖先が日本列島にやって来る以前から日本人があり、日本文化があった、そう考えさせるものがすでに記紀の中に秘かに含まれているのじゃないか、という気がしてしょうがないんですね。柳田国男とちがって記紀神話を、天つ神の方からでなく国つ神の方から読むことが可能ではないでしょうか。
「天皇家の祖先が日本列島にやって来る以前から日本人があり、日本文化があった」というくだりの「日本人」「日本文化」は、もちろん「縄文人」「縄文文化」と読まれるべきだろう。また「天つ神の方からでなく国つ神の方から読む」という読み方により新たに開けてくるものがあるかもしれない。梅原さんの仮説を聞いてみよう。
そして、それは南九州の権力が大和に攻めてきたということになっている。文化的にみると、北九州は弥生時代にすばらしい文化をもっているわけで、北九州文化圏あるいは大和文化圏と二つの文化圏があって、弥生時代の末になって一つに統一される、ということが大体いえるわけですね。そこで和辻(哲郎)さんは、北九州権力が大和に攻めてきて、統一したのではないかと考えている。私もそういう考えでしたが、だんだん記紀神話どおり、北九州権力ではなく南九州権力が大和へ攻めてきたと考えた方がいいのではないかと考えるようになってきた。
大体、そういう言葉があるように、金持ちはあまり喧嘩しないもんでね(笑)。アレキサンダーとかジンギスカンのように、遠征したり冒険したりするやつは、みんな貧乏でハングリー精神をもっている(笑)。だからおおよそ弥生末期にいわゆる天孫族が外国から日本に入ってきたとしても、北九州のいいところは全部、先に来た部族に押えられていて南九州にゆくより仕方がない、そして南九州は環境的にとても不利なところですよ。ああいう所で農業をしていたら食っていけないに決まっているから、そこで大きな賭に出た。今でも薩摩の人は気が荒い。おくればせに日本にやって来た天孫族とアマ族との混血の部族集団が大和へ攻めてきたと考えてよいと思う。
そして、宮中儀式に使ういろいろなものは、南のものが大変多いですね。例の仁徳天皇の豊楽の式のときに、紀州でも南の新宮地方にしか出ないようなミツナガシワが必要になって、それを求めるために仁徳天皇の皇后のイワノヒメが紀州に行く。すると、その間に天皇はワカイラツメと浮気をしていた。カシワの葉を船に積んで帰ってくる途中でその浮気のことを聞いたイワノヒメは、怒って摘んできたカシワをみんな海へ捨てたという話がありますけど、そんな南にしかないものが即位の式に必要だということは、やはり南方説をどこかで裏付けているような気がしますよ。だから僕は、そういう意味で、記紀神話というのが意外に事実を忠実に伝えているのじゃないかと考えているんです。
どうやら弥生人は稲と鉄とともに、中国大陸の殺戮・略奪・征服による富と権力の樹立方法をも携えてきたようだ。縄文時代の穏やかな暮らしは一変する。
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話題は再度、精神文化とくに信仰や祭祀の問題が取り上げられる。まず神道について梅原さんが自論を展開している。その根源を縄文時代までさかのぼれる宗教としてとらえている。
日本の土着宗教は二度、国家による大きな変化を受けた。一度は律令時代、もう一度は明治以後。ふつうわれわれが神道と考えるのは律令神道で、これも当時としては大変新しいものだったのではないだろうか。国家を造っていく場合に、
「要らないやつは祓ってしまおう。そして、心の悪いやつを改心させよう」
という、祓い禊の神道ですが、これもそれほど古いものではないと思うんです。あの時代、7,8世紀に、むしろ道教などの影響を受けながら作られたものだと思います。
ちょうど明治以後の国家神道が、ヨーロッパの国家主義を伝統宗教で受け止めようとして生まれたように、律令神道も律令国家建設という大きな歴史的課題のもとで、道教を神道の伝統と結ぴつけてつくりだされたものだと、僕は考えるのですね。
この観点から、政治家たちが政治的に利用して日本の伝統と妄言している「靖国神社」について、次のように述べている。
靖国神社にしても、あれは日本の国のために死んだ人だけ祀っているんでしょう。ところが、日本の神道の本来はそうじゃないですよ。自分たちがやっつけたほうを祀っている。それのほうが恨んでいるわけですから、それの鎮魂をする知恵なんです。だから敵を味方にする知恵ですね(笑)。自分のほうだけ祀るのでは、昔の敵はいよいよ恨みを深める。これは、日本民族の知恵と反対のやり方だ。だから僕は、明治の国家神道は、ほとんど外来のものだと思うんですよ。
では国家による作為を受ける以前の土着宗教はどんなものだったのだろうか。
日本の土着宗教の最も基本的な哲学は、やはり霊の循環という考え方じゃないかと、この頃思うんです。人間の生まれてくるのは、霊が肉体に宿ることから始まりますが、その霊がやがて肉体を離れて天に帰って行く。すぐには天に行けないから山にゆき、そこで清められてから天に行く。そして天に何十年、何百年いて、またこの世に還ってくる……。これは人類が自分の住んでいる世界を考える場合、すべてそういう循環の理に従っていると考える。太陽が朝昇って夜没する。そして次の朝また出てくる。太陽も生きて、死んで、また復活してくる。月が満月になったり欠けたりするのもそうだ。植物も春夏秋冬と生死のリズムを繰り返す。昆虫も同じである。そういう循環する世界を見ていたら、人間の霊魂も、一度天に昇って、また還ってくると考えるのは、きわめて自然でしょうね。
その霊魂が人間・動物・植物みんな共通で、そういう生死の輪廻を無限に繰り返しているという世界観は、旧石器時代の人類に共通したもので、とくに狩猟採集文化が後代まで続いた日本では非常に色濃く残っているのじゃないか、といまは考えているんです。
神道の本質は基本的にはそういう思想にあるんじゃないかと、この頃考えているんです。で、僕はそういう考え方がだんだん好きになってきたな。死んで地獄へは行きたくないけれども、極楽へもあんまり行きたくはない(笑)。極楽を考えるのは、よっぽどこの世で恵まれてない人間ですよ。向こうへ行ったら、今度は腹いっぱい食べて女にもてたいと思っている。死後の地獄極楽という考えの中には、この世はどうにもならない悪の里だという考えがある。(笑)
ところがキリスト教のようになってくると、イエスが再臨して、最後の審判がある。そこで良いものと悪いものが二分され、裁判される。これはニーチェのいうように復讐心の末世への投影である。仏教は少しちがうが、やはり地獄極楽に分かれる。キリスト教や仏教の世界観は、厳しい階級社会から生まれてきたもので、どうも日本人の本来もっている世界観のそれとは違う。死んでも、ときどきはお盆やお彼岸には孫の顔を見に還ってきて、あんまり邪魔しないで三日ほどで帰っていって、何十年、何百年、天に留まって、また子孫に生まれかわってこの世に還ってくる……。こういう世界観が、だんだん好きになってきました。
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楕円構造の文化
梅原さんは日本の文化を中心(焦点)が二つある楕円構造をしているものとしてとらえることを提唱している。
僕は日本文化を楕円構造をもつものと考えると一番いいと思っている。一つの中心は縄文文化で、もう一つの中心が弥生文化です。日本の精神構造は縄文的なものに大きく影響されていますが、技術的なものや制度的なものは、やはり弥生の精神で、弥生時代以来、ずっと日本人は大陸から先進文化を輸入している。古い伝統的な縄文文化を精神の根底にしながら、絶えず海外の文化や制度を貪欲に輸入している。この二つの面を考えないと、日本文化は解けないと思いますよ。
ただ、私も一貫して日本とは何かを考えてきた点でナショナリストですけれど、日本文化の根底をずっと掘っていくと、今の人類が失ってはいるが、かつて人類が共通にもっていたものにぶっからざるをえないと思います。
私はそれを「縄魂弥才」といっているんですよ。縄文の魂に弥生の知恵――日本人は、そういう矛盾する魂を自己の中にもっている。たしかに狩猟採集時代の文明にふさわしい魂をもっているが、弥生時代から新しい文明を海外から移入し続けていることを、つまり私のいう弥才と称するものを考えないと日本文化は十分よく解釈されない。この縄魂弥才が後に和魂漢才になり、また和魂洋才になったというのが私の考え方です。
吉本さんは、日本文化はわからないことが多いと謙虚におっしゃるが、それは本当だと思います。まだ分からないことが多い。私のは一つの仮説ですがこの仮説は誤っているかもしれない。日本の文化が世界の文化の中で、どのような特質をもっているのか、そしてそういう特質をもった日本文化が今後の世界にどのような役割を果たすべきなのか、こういうことを個別科学の正確な認識にもとづいて、多くの学者でそれを明らかにすべきです。そしてその仮説は出来るだけ多い方がよい。多い理論が自然に淘汰され必要なもののみが生き残るのが歴史の摂理なのです。だけど仮説なしには生きてはゆけない時代が来ているように思うのです。
一方、吉本さんは日本を日本の中から見る眼のほかに上から大きく見る鳥瞰の眼をもつ必要があると指摘している。また、日本と日本人の分からなさのゆえんを述べて、梅原さんが言うところの楕円構造と同趣旨の意見を述べている。
これは、梅原さんの日本学というものの根本的なモチーフになるわけですが、僕はとても内在的といいますか、自分の中から見る眼を使うと、とても面白い考え方だと思いますし、それはとても重要な問題提起だと思えるんです。でももうひとつ、いわゆる鳥瞰というか鳥の眼で見る見方からいきますと、どう考えても日本国は東アジアの片隅の、小さな島に過ぎません。先ほどの地名でいきますと、アジア・オリエントの一般的な制度・風俗・習慣・思想・宗教を考えてみますと、アジア・オリエントのそういうものがまず最初にあって、その次にたとえば東アジアの風俗・習慣・宗教・思想というのがあって、そこに今度はまたもう少し島という条件がひとつ加わって、この島も地形がかなり細長くて北と南にわたっているから、とても特殊な島でしょうけれど、そういう島という条件があって、その条件をまたアジア・オリエントの一般条件の中から特殊に考えていかないと、日本の問題はわからないよ ――と考えています。つまり大きな地名から小さな地名、それからまたその下にある小さな地名……と考えていきますと、「日本学」というものを取り出して、つくりあげていくという考え方と、もうひとつ鳥の眼で見る見方と……その両方の交錯点的なものを想像力の中で入れてないと、なんとなく特殊の普遍化みたいな感じがするんですね。
そういう点はどうでしょうかね。そういうところが、梅原さんの日本学という概念は、特殊をとても普遍化するといいましょうか、そういう感じがしないこともないです。
僕は、いま梅原さんが言われたことと同じことなんですが、ニュアンスを違えて考えて、日本も日本人も、よくわからないなと思っているところがあるんですね。
つまり先ほどから、アジアの全体から見て東アジアの片隅の小さい島だと考えて、地勢的には済んでしまうところもあります。現在の日本を考えると、世界第二の先進国だというのが気になってきます。現在の日本の社会の規模と高度さを支えている技術の多様さは、ちょっとどうしようもないくらい高度なものです。多分、理屈とか技術の詳しい内容はわからなくても、この間行なわれた筑波万博を見ても、秋葉原の電気製品街を歩いても、どんな高度な技術製品が並べてあっても、民衆の誰もびっくりしない。何か一種の古さと、わけのわからないほど高度になっている新しさとが共存している奇妙なあり方はたいへん不思議な気がします。これはちょっと、日本というのはわからないぜ、というのが僕の実感ですね。
梅原さんが言われたように、僕も楕円というのを考えていて、世界有数の高度な技術を持っている技術民としての現在の日本あるいは日本人と、依然としてアジア的な農耕社会の共同体意識を残している古い面の日本あるいは日本人と、この二つの軸を中心として回っていて、しかも共通に重なり合う部分もあると思います。この二つの軸を強いて一致させてはいけないのではないかというのが僕の考え方です。そう考えていかないと日本についての理解は間違えるのではないかと漠然と考えています。
梅原さんが日本の歴史の深層を掘っていき、弥生的と縄文的という両方の軸を考えないといけないと言われたのは、そういう意味でとても興味深いことですね。
網野さんが農耕民以外の人たちに焦点当てたり、島国の中だけでなく海の方にも視線を向けてるのも、梅原さんや吉本さんと同じモチーフによるものだと思う。
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梅原さんは記紀神話には歴史的な投影があるという仮説のもとにヤマト王権の祖先を南九州から大和に侵略してきた種族だと考えている。この問題をもう少し追ってみる。
久しぶりに本屋をのぞいたら「歴史としての天皇制」という本が眼にとまった。その中に書名と同じ「歴史としての天皇制」というテーマでの網野さんと吉本さんの対談が収録されている。川村湊さんが司会役ということで参加しているが、むしろ鼎談といったほうがよいだろう。その鼎談がもたれたのは 1987年で、「対話・日本の原像」の一年後ということになる。 その鼎談の中に次のような興味深い話がある。
吉本
ぼくは高千穂というところに行ったことがあるんです。車で3時間も4時間もかかる山のなかへ皇族というのが参拝に来ていて、記念の植樹とかあるんです。だけども、なんとなく、おおっぴらには参拝に来たことを、言えないみたいなところもあるんですね。
なぜならば、おおっぴらに高千穂神社に参詣したと言っちゃえば、神話のなかの、自分たちの出自はあそこらへんの縄文中期に栄えた山のなかの村落にあったんだと認めたことになっちゃいますからね。天皇制がさ。つまり神話のとおりに、自分たちの祖先は南九州の山のなかの縄文時代の村落がたくさんある、そういうところが出自だとおおっぴらに認めることになるわけでしょう、間接的に。
だから、ぼくはなんとなく、これはひっそりと来ているなという感じを持ったんです。それはとても面白かったですね。あれは、ひっそりと参詣に来て、ちゃんと何々が来た、記念のなんとかと、ちゃんとあるからね。だから、ひっそりとは、ちゃんと参詣しているんですね。
それは神話にそう書いてあるから、なんか自分たちの祖先はあそこだというふうに、一応なっているんじゃないでしょうか。ひそかになっているんじゃないですか。でもそれをおおっぴらにしたら、別になんてことはないじゃないか、おまえの祖先は田舎の山の奥の奥の縄文人だったんじゃないかっていうことを認めたことになるわけでしょう。
しかしみんな来てるなというのが、ぼくの印象で、とても面白かったです。
川村
「象徴天皇」のなかに出てますが、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の陵なんてのもちゃんとあるらしいですね。
吉本
みんなありますよ。ちゃんと対応関係は皆ありましたね。ちゃんとそれは出来ているんですよ。
川村
やっぱりほんとうに神話のなかの天皇なんですね。
吉本
これまた考古学者の仕事なんでしょうけども、とにかく大規模な縄文村落の発達したところですから、もちろん可能性だってあるわけだし、出自だという象徴的必然はあるわけなんですよ。 だけど、それをほんとうに認めたら、別になんていうことじゃない、この人たちは、ということにも、なってしまいます。
つまり、畿内にきて初期王朝を築いたみたいなところにきちゃえば、堂々たる中央の大きな王権のはじめなんだということを言えるんだけど、しかし、もともとはあそこだったんだということを認めたら、それはどうということはないわけです。 ぼくの印象はひっそりと来てるなという感じです。
川村
何とかの別荘に行くときには新聞に出るけれども、そういうときは出ないですね。
吉本
出たらおかしなことになりそうな気がしますね。別におかしかないんだけど、日本人の先入の印象とはぜんぜん違っちゃうみたいなことになり、イメージダウンにつながります。
神話はヤマト王権のふるさとが高千穂の山の中の一集落だと語っている。
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「対話・日本の原像」には巻末に、対話で取り上げられた話題について、吉本さんが「註記」と題する補足を書いている。その中の「信仰・祭祀」に関する部分を読むことにする。
ここには日本列島の住人の種族における南北問題と、縄文期、弥生期を貫き初期古墳期にいたる歴史時間の問題が複雑にからみあっていて、神話、伝承、地域信仰や習俗を解き分けてゆかなければ、とうてい一義的な確定が得られそうもない。この問題を具体的に整理してみる。
(1) 諏訪地方に諏訪神社を中心とした大祝祭政体が成立していたことが、比較的よく研究されている。このばあい男性の生き神大祝と随伴する共同体の政事担当者の起源の関係は、神話の伝承に入り込んでおり、時代を降ってまた中世・近世の態様も比較的よく知られている。
(2) 神話伝承の最初期の天皇群(神武から崇神まで)の祭政の在り方は、『古事記』『日本書紀』の記載の読み方によっては、長兄が祭祀を司り、末弟(またはそれに準ずるもの)が政治を司る形態とみられなくはない。これらは次第に皇后が神事を司り、天皇が政治を司る形、皇女が分離した祭祀を司る形へと移行する。
(3)おなじように長兄が祭祀を司り、生涯不犯の生き神として子孫をのこさず、弟が共同体を統括する形は、瀬戸内の大三島神社を中心とする祭司豪族河野氏の祖先伝承として存在するとされる。
(4)沖縄地方では姉妹が神事を司り、その兄弟が政治を司るという形態が古くからあり、聞得大君の祭祀的な村落共同体の統轄にまで制度化された。
(5)樹木・巨石の信仰は、日本列島の全域にわたって遺跡が存在する。諏訪地方における諏訪神社信仰。三輪地方における三輪神社信仰。高千穂地方における岩戸神社信仰。沖縄における御岳信仰。これらは神話や伝承に結びついているが、その他制度化されていない形で無数に存在する。そしてこの信仰は狩猟や木樵の祭儀の形態と農耕祭儀の形態とを重層しているばあいもあれは、狩猟だけ、農耕だけの祭儀に結びついているはあいもある。
(6)神話、伝承の考古学的な対応性ともいうべきもの、また民俗学的な対応性ともいうべきものが存在する。それは縄文期、弥生期、古墳期のような区分が、日本列島の地理的な条件の上では、地勢の海からの標高差に対応している面があるからである。狩猟、木樵、漁業、農耕(水稲耕作)などの差異は、地勢上の標高差の問題と対応し、縄文、弥生、古墳期のような歴史以前と歴史時代初頭の問題との対応をもっている。
「神話・伝承」と「民俗学」の対応の一つとして、吉本さんは柳田国男の例をあげている
わたしたちはこの問題について民俗学者柳田国男を論じたとき、柳田国男が民俗学の眼から神話をみていた視点を想定して、つぎのように述べたことがある。柳田国男のばあいには、この種の対応は、海流と航海技術と造船技術が、神話とのある対応関係にあるとみなされていた。
このところには柳田国男の『記』『紀』神話にたいする微妙な異和と同和とが同時にふくまれている。始祖の神話の持主である初期王権が、いわゆる「東征」といわれたものの起点を南九州(もちろん日向の沿海であってもいい)においているところまでは「船」を仕立て直す休息点(あるいは「日本人」が成長してゆく熟成点)として、柳田の「日本人」がはしってゆく流線と、一致できるものであった。
だがそこから瀬戸内海にはいる経路と土佐国の沿岸を連ねる経路とのあいだの〈分岐〉〈異和〉〈対立〉は、柳田のいわゆる常民「日本人」と初期王権の制度から見られた「日本人」との絶対的差異として、柳田の容認できないところであった。
初期王権が『記』『紀』のなかで始祖神話の形で暗喩している支配圏や生活圏の版図は、北九州から南九州にわたる沿海地帯と、瀬戸内海の四国側寄りの沿海地帯や島々にかぎられている。わたしのかんがえでは、柳田国男はこの神話の暗喩する版図になみなみならない親和感をいだいていた。この親和感が、南九州(日向沿岸でもよい)のどこかで南西の島から東側海岸に沿ってやってきた柳田の「日本人」が、「船」を整えなおしたというかんがえに愛着した理由だとおもえる。
またしいていえば柳田が、本来無意味なのに、じぷんの常民的な「日本人」の概念を、制度や王権の問題にまで無造作に拡大して、朝鮮半島を南下したいわゆる騎馬民族が初期王権に坐ったという説に、抜き難い不信を表明した理由であった。
もうすこしくわしくできるだろうが、柳田のいう「日本人」は、地上二米以下のところしか歩いたり、走ったり、願望したりしない存在だから、制度や王権にかかわりない、まったくべつの概念であった。
(吉本「柳田国男論」第T部「国文学 解釈と教材」29巻9号、59年ア月号)
整理しなおすと次のように言っていると思う。
柳田の「原」常民は宝貝を求めてはるか南の方からやってくる。南九州で「船」を仕立て直した「原」常民は「土佐国の沿岸を連ねる経路」を通っていくはずである。しかるに「記紀」神話が描く経路は「瀬戸内海にはいる」。
「北九州から南九州にわたる沿海地帯と、瀬戸内海の四国側寄りの沿海地帯や島々」という「記紀」神話が描く支配圏・生活圏を柳田は原「常民」の版図と考えたいのだが、ヤマト王権がたどる経路が柳田の「原」常民の経路と整合しない。その矛盾は、もともと、「制度や王権にかかわりない」常民という概念を「制度や王権の問題にまで無造作に拡大」したためだ。
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ヤマト王権の出自(続き)
(3)即ち、鳥見(とみ)の長髄彦(ながすねひこ)、菟田(うだ)の兄猾(えうかし)・弟猾(おとうかし)、吉野の井光(ゐひか)、同じく磐排別(いわおくわく)、苞苴担(にへもつ)、国見岳の八十梟帥(やそたける)、磐余(いわれ)の兄磯城(えしき)・弟磯城、磯城の磯城八十梟帥、高尾張の赤銅(あかがね)八十梟帥、兄倉下(えくらじ)・弟倉下、波?丘岬(はたのおかさき)の新城戸畔(にいきとべ)、和珥坂(わにさか)の居勢祝(こせほふり)、臍見長柄丘岬(ほとみのながらのをかさき)の猪祝(ゐのほふり)、高尾張の土蜘蛛(つちくも)などとあります。地名は動く可能性もあり、また奈良朝人の想定も予測されるが、地名と部族名が平行して出て来るところから、古くからその部族がそこに住んでいたという気がします。これらの地名を現在の地図にあてはめると、全部標高 70m線以上にあります。若し神武紀が奈良朝に偽作されたものならは、考古学や地質学の知識のない、しかも地盤隆起の原則を知らなかった奈良朝人は、これらの地名のうち一つ位は地盤の低い所をあてても良いと想像される。このようなところに案外、古代人の活躍の史実が古典に投影しているのではないかと思われるわけです。
古い土地、つまりより標高の高い土地70m以上のところには土着の人たち、たぶん縄文人と弥生人が融合しながら平穏な社会を営んでいた集落があった。
更にこれらの遺跡を発掘してみますと、全部が縄文土器終末期のものです。最近、晩期縄文土器の年数設定が出来た。炭素放射能の減退量をミシガソ大学が測定したところによると、近畿地方の中期弥生式土器は大体今から二千四百年ほど前、そして晩期縄文土器は約二千六百年前のものと測定された。もちろんプラス・マイナス二百年の誤差はありますが、この事実は科学的に信用せざるを得ないのではないでしょうか。従って神武天皇遺跡は大体において少なくとも二千六百年、更にはそれ以上前の湖岸もしくはそれよりも高い所の地名が舞台になっていると云うことが出来ます。14の遺跡すべてが一致してその如くであることは、単なる偶然としては見過ごされない事実でして、寧ろ必然的な史実の投影があったと考えた方が妥当かと思います。
樋口さんは土器から推定された紀元前600〜400年という年代をそのままヤマト王権の初期の大王たちの時期とみなしているようだが、私たちが史書の記録から100〜300年頃と推定した年代とはるかに異なり、容認しがたい。その反論の根拠は素人としさし控え、深入りしない。
しかし「14の遺跡すべてが一致してその如くであることは、単なる偶然としては見過ごされない事実でして、寧ろ必然的な史実の投影があったと考えた方が妥当かと思います。」という点は、その可能性は否定しがたいと思う。
(4)しかも橿原遺跡は、奈良県では珍らしく大きな縄文末期のものです。この岡で人間は半水上生活をしていたこともわかっております。舟も着きやすく、見張りにも便であり、三方が水であってみれば敵から守ることにも都合がよかったようです。そしてこの遺跡から出た食糧を眺めると、水の幸・山の幸の両面に恵まれた生活であったことが想像出来る。即ち、鼬廃鼠(いたち)・野兎・猪・鹿・狼・山犬・狸・狐・河獺・熊・穴熊・猿・鶴・白鳥・鴨・鳩・鴫・山鳥・鯨・石亀・?(えい)・鯛・河豚・鯔(ぼら)・鱸(すずき)・海豚など、まことに多種多彩です。魚類にしても近くの淡水魚はもちろん、?(えい)・鯛・鯔などの海魚は恐らく遠く大阪湾から持ち運んだと思われ、また鯨・海豚などは紀伊方面からの経路が想定されます。更にこの遺跡から出る石器の石質は吉野地方の緑泥片岩であって、かくみると、橿原遺跡の生活圏或は物資伝播の経路は非常に広いということになります。所で、檪(くぬぎ)・樫はやや亜寒地性のところに好んではえる植物で、今の大和平野にはありませんが、当時の気温環境はより寒冷に近いものだったことも同時にわかって、まことに面白いと思います。 このように縄文晩期の聚落はこの地に栄えていましたが、或る時期に川が流れて来て半島の先をけずり、水で包んでしまったために木は枯れ、その上から堆積土が2mも重なり長い間地下に埋まってしまった。もし橿原の地名が畝傍山の東南にあったとしても、その地名は消え去ってしまう可能性が肯けるのであります。
かく云う私は、神武天皇個人の存在を無条件で認めているわけではない。神武天皇紀の説話に、 歴史的信憑性があり、歴史の投影があると云っているのです。
吉本さんのコメントで結論付けると、樋口さんは
「これらの根拠から、神武東征の神話が、北九州の稲作や製鉄器の技術を伴った弥生式の文化が、畿内に伝播し、流入する経路を象徴するに足りることを結論している。」
ことになる。 しかし私が注目したいのは、ヤマト王権がよそから畿内に侵略してきた種族だとすると、その侵略までは縄文人 たち(弥生人との融合を深めながら)が豊かで平穏な社会を営んでいたらしいということである。
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樋口さんは、畿内にやってきた勢力がどこから来たのかという問題には言及していない。「ヤマト王権の出自」についての諸説をまとめてみる。
「第328回」(7月11日)で紹介した論文「政治権力の発生」の筆者・山尾幸久さんは邪馬台国畿内説を採っている。その邪馬台国が発展して「倭の五王」につながっていくと考えているようだ。従ってイワレヒコの東征についてはまったくの歯牙にもかけていない。
一方、邪馬台国北九州説を採る人たちはその所在地を筑後山門郡とする説が有力のようだ。「神武天皇」(中公文庫)の著者・植村清二さんはその説に同意して、邪馬台国の所在を筑後御井付近、投馬国は薩摩の川内付近としている。そして北九州の連合国家の支配権を手にした邪馬台国が東征して畿内に入ったと考えている。東征したのは邪馬台国ではなく薩摩にあった投馬国だという説もある。
これらの諸説に対して、「戦後のあれこれの新説よりも、日本の国の成り立ちというのは記紀に記されている話の方がずっと納得可能なのではないか」という梅原さんの考えを先に述べた(第329回)。梅原さんは「記紀」の記述の通り、ヤマト王権の始祖は日向から東征したと考えている。
人生は、そう簡単には、行かないことが、多い、と言う事を、
経験で知っている。
たとえ金持ちでも、精神的には不幸な人が多いのだ。
貧乏人は、今日のカネにあくせくし、不可視に関して、
余裕が無いのです。時間的にもね。稼がなアカンから。
これと同じ事を、バグワン・シュリ・ラジニーシも言及していた。
年をとると、金持ちは、ヒマだから、
自分の死を、認識しだすのです。
若い時は、この博士も、不可視の事は、全然、考えなかった。
給料もらったら、稼いだら、
飲みに行く。オンナと遊ぶ。バクチで、忙しかった(爆笑)。
ところが、自然と若いうちから、不可視を勉強しだす者がいる。
これは、その人の過去生の、影響なのだ。
本人は、理由を知らなくても、不可視では、
過去生の努力が、無意識に、その人を、動かすのです。
不可視の高次元の者たちは、この過去生の努力を、その人の情報を、
すでに知っているのです!
ゆえに、偶然はない!
↑
おいおい、w
そのおかげでおまえは、いまこんなところで大きい口を叩いていられるのだろ?
親のすねを齧って学校を出、贅沢三昧に暮らし、電力も湯水のごとく使って育ってきながら、そりゃあ、ねえだろ。w
いくらなんでも身勝手だ。w
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/118.html#c30
問題をそらすのが目的かね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/138.html#c13
訂正します。
正しくは、「岩井俊二氏は、高畑 勲氏とは親戚関係にある。」でした。
高畑 勲氏は宮崎 駿氏と同じスタジオジブリのブレーンです。
比喩?
なんの比喩だ?
仮に「恋ずる原発」というタイトルがなんらかの暗喩だとしても、それは文学愛好家の間でのみ通ずる符丁のようなものだ。
文学愛好家たちだけが愉しめば、そのような趣向に興味の無い大衆、とくに、そのような「隠喩」を知らずに目にする福島の惨禍にあえぐ人たちや
福島の惨禍に心痛める人たちを、一瞬でも傷をつける可能性をきみは排除しないのか?
ほんとうに文学的な味わいのある「比喩」とは、一部の文学愛好家でなくとも、何も知らない人でも、その言葉から何らかのメッセージを受け取るものだ。
そういう意味でこのタイトルの「比喩」は間違っている。というかセンスもなければイメージの喚起力もない。
ただ、原発という世界中が注目する題材を振り回してお祭り騒ぎしているだけだ。
要するに「ちゃらちゃらしている」ことが露骨に伺える「比喩」だ。
このバカ作家が、少なくとも一年は沈潜して原発事故をみつめていれば、間違って受け取られて、だれかを傷つける可能性のある、そんな不遜な比喩は恥ずかしくて使えなかっただろう。
と、おれはおもうね。
いずれにせよ、比喩もくそもねえ。ダメなものはダメだと早大側が言えば、よそをあたればいいのだ。w
こんなものは、ニュースですらないし、まして「弾圧」とは片腹痛いわ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/118.html#c31
よって日本は米国とは運命共同体どころか、まさに米国が倒れるときはその下敷きになるべく存在させられているということを、属領民としてしっかりと認識しておかなくてはならないのだ。
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/444.html#c15
福島第一原発事故後の脱原発を求める市民運動を記録した映画「脱原発 いのちの闘争」の上映をめぐり、鹿児島県出水市が公共施設の利用を許可しなかったことが1日、わかった。上映を計画した関係者は「タイトルが政治的、と市に指摘された」としているが、市側は「政治的、とは言っていない。他の市施設の利用を勧めた」としている。
映画は福岡県古賀市在住の記録映画作家西山正啓さん(63)が監督した110分の作品。九州電力の情報公開のあり方や原発の安全対策に疑問を深めた市民の抗議デモや、川内原発(鹿児島県薩摩川内市)3号機の増設予定地でウミガメの保護に取り組む住民などを記録しており、大阪、福岡、北九州など各地で上映されている。
薩摩川内市に隣接し、市域が原発の30キロ圏内に入る出水市での上映を計画した同市の自営業永池美保さん(49)によると、地元の市民交流センターで10月下旬に上映会を開くことを決め、9月28日に窓口で仮予約。センターは市民の交流や商店街活性化を目的に2009年、市が整備した。
だが2日後、窓口担当者からセンターの使用について不許可の連絡があった。永池さんがセンターを所管する市商工労政課に電話で理由を尋ねたところ、担当者は「タイトルが問題です」と答え、さらに「『闘争』が政治的」と指摘し、「上の判断」と答えたという。永池さんは「闘争という言葉についてしばらく議論になったので、印象に残った」と話す。
センターの使用許可要領では、「特定の宗教や政治団体の宣伝及び勧誘の色彩の強い利用目的と認められる場合」は不許可と明記されているが、市民運動の会合や記録映画上映は不許可の対象になっていない。
担当者は朝日新聞の取材に「施設の目的に照らして(利用は)非常に厳しいと答えた。タイトルも話題になった」と認める一方、「政治的だとか、上の判断とは言っていない」と説明。上映会による集客が「市民の交流や商店街の活性化」につながる可能性もあることを認め「思いが至らなかった」と話した。また上司にあたる産業振興部長は「もう少し慎重に対処すべきだった」と話した。
監督の西山さんは「言論や表現の自由の封殺だ」と批判している。山口県出身で30年以上前に記録映画の世界に入った。水俣病被害を撮り続けたことで知られる故土本典昭監督の助監督を務め、潜在被害を掘り起こすため、土本さんと熊本県・天草地方などの漁村を100カ所以上回る活動もした。沖縄にも20年以上通い、在日米軍基地被害と闘う市民の姿を記録し続けている。(田中久稔)
【転載おわり】
おかしいよ!
脱原発か原発推進かを国民投票でもしないと既得権益者は納得出来ないのか?
今まで脱原発は30%とか40%だと言っていた新聞が先日やっと98%の国民が脱原発に賛成だと書いていた。
それなのに脱原発の映画には施設を貸さないとは、いったい誰の税金で施設を建てたのだよ!
誰が納めた血税であなた方市の職員は毎日の「おまんま」を食べていられると思っているのだ!
お前達が自前で建てた施設か????
ふざけるなよ!
> セシウム137、37kBq/m2(462.5Bq/kg)以上に汚染された地域には2,105,200人>が住んでいた。子供は50万人だった。大まかに見積もって、領土の4分の1、人口>の5分の1が被災した。
>(これはいかに、もしかすると日本の方が深刻と言うことか?--訳者)
この論文は、ベラルーシだけについてなので、こういう数字になっているのではありませんか。
ロシアとウクライナの数字を考える必要がありますね。
でも、人口密度は日本の方が、ずっと大きいですよね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/143.html#c5
だから大戦争で誤魔化す?
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/444.html#c16
東電は既にメルトダウンを発表していたはずだ。燃料が溶融しているからメルトダウンと云ったのだろう。
それを今更「溶融したら」と云うのはまだ溶融していなかったという事を意味する。
メルトダウンしていると云う指摘に対し、メルトダウンしていないと云っていたにもかかわらず、突然メルトダウンしているという事になり、またもや前言を翻しメルトダウンしていなかったかのような表現をする。
一体どうなっているのか?私たちは東電や政府に翻弄されている。
もういい加減振り回されるのはやめにしたい。
目くらましに会っているのではないか?無条件で信用せず裏の意図(落とし穴があるのではないか)を探るべきだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/126.html#c25
どなたか宜しくお願いいたします。
をまさに地で行っちゃったよ!
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/888.html#c30
【10年前に書き出して一度失敗し、再挑戦したこの小説。大震災のチャリティー・アダルトヴィデオを作るために奮闘する男たちの愛と冒険と魂の物語ですw、たぶん。うまく行けば、明け方には、大団円にたどり着く予定。では、行ってきます。
8月16日】
↓↓
http://twitter.com/#!/takagengen/status/104435059062341632
「大震災のチャリティー・アダルトビデオを作る男たちの物語」。
たしかに福島原発の部外者にはとても面白そうな題材であり、趣向ではある。あいかわらず、この作家らしく吐き気がするほど「あざとい」としてもだ。
大震災を原発事故に書き換えた。そのほうが話題性があるからだろうが、それほどあざとくとも、面白ければいい。
この小説を読んでだれもが笑って幸せになれるのならば。
しかしこの概要を読んだ限りでは「だれもが」は、ありえないだろう。
とくに小説の趣向に無知というか興味の無い、放射能の被爆に心を奪われている人たちには不快だろう。
現実にそういう人たちの心を傷つけかねないという憶測が、事前にこの小説を排除したのならば、致し方ないとわたしはおもう。
自費出版すればいいだけの話だ。
また、
早稲田で講演できなければどこかの広場でやれ! 甘ったれてんじゃねえ、このゴミ野郎!
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/118.html#c32
この自給率は、主要先進国の中では最低水準である。食糧の中でも穀物に限ってみれば、さらに自給率は低くなっており、日本の穀物自給率は28%。世界173カ国の中で130番目、先進国の集まりであるOECD加盟30カ国の中では28番目という低さである。人口1億人以上を抱える国の中では、’栄えある最下位’に甘んじている。
アメリカは新たな国家戦略としてアフリカ大陸をアメリカ製の遺伝子組換え作物の実験場にしようとしている。その背後にはビル・ゲイツやヘッジファンドの帝王たちの新たな野望が見え隠れする。今、世界の自然環境と食糧ビジネスは新たなマネーの流入で大きく変貌しようとしている。
2009年5月5日、ニューヨークはマンハッタンにあるロックフェラー大学の学長でノーベル化学賞の受賞者ポール・ナース博士の邸宅に世界の大富豪とヘッジファンドの帝王たちが集まった。この会に名前はついていないが、参加者たちは「グッドクラブ」(善意の集まり)と呼んでいる。
主な顔触れはデービッド・ロックフェラーJr、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルムバーグ、テッド・ターナー、オプラ・ウィンフレーと言った超豪華メンバー。この集まりを呼び掛けた人物はパソコンソフトの標準化を通じて寡占状態を築き上げ、個人資産5兆円を超すビル・ゲイツである。
これほどの大富豪たちが一堂に会し、密かに議論したテーマは何であったのか。実は世界の人口増大をいかに食い止めるか、そのために彼らが所有する巨万の富をいかに有効に活用すべきか、ということであった。
議長役としてこの会を取り仕切ったビル・ゲイツによれば、「人類の未来に立ちふさがる課題は多いが、最も急を要する問題は人口爆発である。現在67億人が住む地球であるが、今世紀半ばには100億人の可能性もありうる」
「このままの状況を放置すれば、環境・社会・産業への負荷が過大となり地球環境を圧迫することは目に見えている。なんとしても人口爆発の流れを食い止め、83 億人までにとどめる必要がある。各国政府の対応はあまりにスローで当てにはできない。潤沢な資金を持ち寄り、我々が責任をもって地球の未来を救うために独自の対策を協力して推し進める必要がある」とのことであった。
ゲイツはその思いをすでに具体化するために、あるビッグプロジェクトに資金を注いでいる。それが現代版「ノアの方舟建設計画」に他ならない。
この計画は2007年から本格的に始まった。人類がこれまで手に入れてきたあらゆる農業遺産を保護することを目的としている。
あらゆる国の農業で不可欠の役割を果たしてきた種子を未来のために保存するということである。見方を変えれば、生き残れる人類とそうでない人類を区別することもできる。
この計画を推進してきたのは、ノルウェー政府であるが、資金面で協力してきたのがビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金。この慈善事業団体を通じて、毎年 15億ドルを使わなくてはならないゲイツ氏はこれまでエイズの撲滅やがんの治療ワクチンの開発等に潤沢な資金を提供してきた。
その彼が、2007年、ノルウェーのスピッツベルゲン島に建設された「あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」に巨額の資金を提供していることはほとんど知られていない。ゲイツのお陰で、この貯蔵庫は2008年2月26日に正式オープンを迎えた。
核戦争が勃発したり、地球温暖化の影響で種子が絶滅したような場合でも、未来の人類がこれらの種子を再生できるように保存するのが目的だという。しかし、この種子の提供を受けなければ将来は食糧を手に入れることはできなくなってしまう可能性は高い。
しかも、ゲイツ基金の他にロックフェラー財団、モンサント、シンジェンタ財団、CGIAR(国際農業調査コンサルグループ)なども、未来の作物の多様性を確保するため300万種類の植物の種子を世界から集めて保管し始めたのである。ちなみに、シンジェンタはスイスに本拠を構える遺伝子組換え作物用の種子メーカー。CGIARはロックフェラー財団とフォード財団が資金提供を行っている組織。
この計画に共同提案者として協力しているグローバル・クロック・ダイバーシティー・トラスト(GCDT:世界生物多様性信託基金)のカーリー・パウラー博士によれば、「我々は毎日のように作物生物の多様性を失いつつある。将来の農業のため、そして気候変動や伝染病などの危機から人類を守るため、あらゆる環境に適用する種子を保存する必要がある。いわば、あらゆる危機に生き残る種子を集めたフエール・セーフの金庫が必要だ」。
このGCDTは国連食糧機構(FAO)とCGIARによって設立された。この会長はフランスの水企業スエズの経営諮問委員会に籍を置くマーガレット・カールソンである。
ビル・ゲイツをはじめ農薬や種子をビジネスとするモンサントやシンジェンタは、いったいどのような人類の未来を想定しているのであろうか。
また、ロックフェラー財団はかつて食糧危機を克服するという目的で「緑の革命」を推進した中心組織である。当時の目論見では在来種より収穫量の多い高収量品種を化学肥料や除草剤を投入することで拡大し、東南アジアやインドで巻き起こっていた食糧不足や飢餓の問題を解決できるはずであった。
ロックフェラー財団の農業専門家ノーマン・ボーローグ博士はこの運動の指導者としての功績が認められ、1970年にノーベル平和賞を受賞している。しかし、緑の革命は石油製品である化学肥料や農薬を大量に使用することが前提であった。
メキシコの小麦やトウモロコシ栽培で見られたように、導入当初は収穫量が2倍、3倍と急増した。しかしその結果、農作地は疲弊し、新しく導入された種子も年を経るにしたがい収穫量が減少し始めた。そのためさらに化学肥料を大量に投入するという悪循環に陥ってしまった。
最終的には農薬による自然破壊や健康被害も引き起こされ、鳴り物入りの緑の革命も実は伝統的な農業を破壊し、食物連鎖のコントロールを農民の手から多国籍企業の手に移そうとするプロジェクトにすぎなかったことが明らかになった。
とはいえ、このおかげで石油産業をベースにするロックフェラー一族やセブンシスターズ、そして世界最大の種子メーカーであるモンサントをはじめ、大手アグリビジネスは空前の利益を上げたことは言うまでもない。
ノルウェー政府が推進している「ノアの方舟計画」に参加しているモンサントやシンジェンタにとって、どのようなメリットが種子銀行にはあるのだろうか。
種子を押さえることで食糧生産をコントロールできるのである。
これら遺伝子組換え作物の特許を所有する多国籍企業にとっては「ターミネーター」と呼ばれる技術特許が富を生む源泉となっている。要は、この技術を組み込まれた種子を捲いて育てても、できた種子は発芽しないように遺伝子を操作されているのである。
言い換えれば、どのような状況においても一度この種子を導入した農家は必ず翌年も新たな種子を買わなければならないのである。いわば種子を押さえることで食糧生産をコントロールできるようになるわけだ。
緑の革命を推進してきたロックフェラー財団やターミネーターを開発し、世界に普及させようとしている巨大なアグリビジネス、そしてマイクロソフトを通じて独占ビジネスに経験と知識を持つゲイツが世界の終わりの日に向けて手を結び、世界中から植物や作物の種子を収集している狙いは明らかだ。
この種子貯蔵庫が建設されたスピッツベルゲン島のスエルバードという場所は北極点から1100キロメートル離れた場所に位置している。周りに人は一人も住んでおらず、まさに氷に閉ざされた場所であり、種子の保存には最適の自然環境かもしれない。とはいえ、この地下130メートルの収蔵庫は鋼鉄で補強された厚み1メートルのコンクリート製の壁で覆われ、核攻撃にも耐えうるといわれるほどの堅固なつくりとなっている。
スピッツベルゲン島自体が永久凍土の一部を形成しており、マイナス18度が最適と言われている種子の保存にとっては理想的な環境といえるだろう。しかも、この一帯は地震の恐れがまったくないという。
この地下貯蔵庫に集められた多くの種子は数千年の保存期間が保障されている。大麦の場合は2000年、小麦で1700年、モロコシでは2万年もの長期保存が可能といわれる。現在は300万種類の種子が保存されているが、今後さらに保存対象の種子を増やす計画のようだ。
実はこのような植物や動物の種を保存するための種子貯蔵庫は世界各地に作られている。その数1400。にもかかわらず、既存の種子貯蔵庫を遙かに上回る規模でノルウェー政府がこのような巨大な地下貯蔵庫を建設した理由は何であろうか。
意外に思われるかも知れないが、各地に作られた種子貯蔵庫は最近の経済金融危機の影響を受け、管理維持が難しくなりつつあるという。
我が国で議論されている自給率の低下、耕作放棄地の増加、農業後継者の不足、農業の株式会社化といった問題とはまったく異質の食糧問題が、世界を飲み込もうとしている。アメリカの動きはやはりすさまじい。バイオ、IT、金融、農業を統合する戦略を追求しようというわけだ。
こうした長期的な食糧独占計画を、アメリカ政府は、かつて「緑の革命」を推進した国際開発庁が中心となり、モンサントらとともに進めているのである。これほど強力な外交交渉における武器はないだろう。なぜなら、アメリカの政策に反対するような国に対しては、「食糧生産に欠かせない種子の提供を拒む」という交渉カードを切ることができるからだ。すでにアメリカ政府は、アフリカ大陸における遺伝子組み換え農業の推進に着手している。
遺伝子組み換え作物の普及が広まる一方で、農業の世界には新たな波が押し寄せようとしている。それは「分子農業」である。分子農業とは、植物に、人間など他の生物の遺伝子を導入して、その遺伝子がつくり出すタンパク質を植物内でつくらせ、抽出・精製して医薬品をつくること。植物医薬品工場、植物細胞工場ともいう。遺伝子組み換え食品が消費者の反発を受けたことから、植物バイオ企業は分子農業へと方向転換を始めている。
米ヴァージニア大学の研究チームが、クロップテック社と共同で、タバコを用いて人間の遺伝子を発現させ、タンパク質をつくり出す研究が、この分野の先駆けとなった。
「工場」として用いる植物は、大量にタンパク質をつくり出すものでなければ効率が悪い。そのため、タバコとトウモロコシが最初の候補となった。タバコは葉にタンパク質を蓄積させるため、葉を収穫して分離・精製する。トウモロコシは種子にタンパク質を蓄積する。その後、稲やジャガイモなどさまざまな作物で開発が行われている。組み換え体をつくるだけでなく、効率よく生産させるための栽培条件や、密集栽培が研究されている。
日本でも、農水省とアレルゲンフリー・テクノロジー(AFT)研究所のグループが、人間の乳腺から取り出した、ヒトラクトフェリン生産遺伝子を、トマト「秋玉」に入れて発現させた。
AFTでは、すでに稲にヒトラクトフェリン遺伝子を導入して発現させ、この研究は現在全農が受け継いでいる。この米は、通常の稲の約2倍の鉄分を含むため、機能性食品としての販売を目指している。また、抗生物質耐性遺伝子を用いない方法の開発が、全農と農業生物資源研究所、日本製紙で進められている。しかし、消費者や患者には、正確な情報は知らされない。分子農業のプラス、マイナス面を明らかにし、国民にきちんろした形での情報公開を行う必要があるのではなかろうか。
我が国における農業ベンチャーの取り組みは、海外の動きと比べれば、極めて保守的と思われる。欧米のアグリビジネスは遺伝子組み換え作物の研究開発に加え、分子農業や種子の遺伝子特許取得に先行投資を振り向けている。彼らの狙いは、種子や遺伝子情報を押さえることによる「農業の世界制覇」である。
日本も無策のまま衰退の道を歩もうとしているわけではない。我が国農林水産省と経済産業省は新たな取り組みを模索し、共同事業を打ち出した。それが「植物工場計画」である。人工的な光や温度を管理することによって、通常の10倍から20倍もの増産が可能になるという、夢のような技術農法である。必要な補助金制度も創設されることになった。すでに各地で実験的な植物工場が稼働し始めている。
日本の誇るIT技術や食の安全にかける衛生管理技術の蓄積をテコに、この種の植物工場や野菜工場が軌道に乗れば、日本の農業にも海外と太刀打ちできる可能性が生まれてくるだろう。
≪三菱重工被害で警視庁公安部捜査へ≫
防衛産業最大手の三菱重工業に対するサイバー攻撃で、ウイルス感染したサーバーが
海外サイトに強制的に接続され社内の情報が流出したことが分かった。
攻撃者が遠隔操作する画面で中国語が使われていたことも判明。
単なるサイバー攻撃ではなく、軍事情報を盗み出す国際的なスパイ事件の可能性があり、日本を代表するカウンターインテリジェンス(防諜)機関である
警視庁公安部が捜査に乗り出す。
三菱重工や関係者によると、本社や造船所、製作所など国内11拠点にあるサーバー、
パソコンなど計83台がウイルスに感染。
一部がウイルスの指示で海外サイトに強制的に接続させられていた。
IPアドレス(コンピューターに割り当てられる識別番号)など社内の
ネットワークシステム情報が流出したという。
三菱重工はホームページで「ウイルスの特性により情報漏洩(ろうえい)の危険性も
判明し、警察当局に報告、相談した」と説明。警視庁公安部は被害届を受理次第、不正
アクセス禁止法違反や業務妨害、ウイルス作成罪などの適用を視野に本格的に捜査する。
■IHIにも攻撃
護衛艦、航空機のエンジンなどを製造するIHIもこの日、2009(平成21)年7月ごろから、情報漏洩を引き起こす恐れのある大量のウイルスメールが送られるサイバー攻撃を受けていたことを明らかにした。
■「見えない敵」に挑む
情報セキュリティー会社、米トレンドマイクロによると、三菱重工を含む世界の
防衛8社がサイバー攻撃を受けた。ウイルスに感染したコンピューターを遠隔操作する
画面に、中国大陸で使われる簡体字が使われていたケースもあったという。
日本の政府機関は昨年秋と今年7月にサイバー攻撃を受け、
警察庁は「発信元の約9割が中国」と断定。米欧諸国で多発するハッカー攻撃も、
その大部分が「中国人民解放軍による組織的犯行が濃厚」とされている。
警視庁公安部はこれまで、1976(昭和51)年に中国人貿易商を逮捕した
汪養然(おう・ようねん)事件をはじめとして5件の中国スパイ事件を摘発しているが、今回は海外にいるかもしれない“見えない敵”に挑むことになる。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/it/internet/528908/
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/582.html#c37
の中には居る気配がしなかった。
だから、集団ストーキングという行いをしているモノの中には創価は居ない。と
自分で自分がおかしな事を言っているという事に気付きませんか?
どれだけ世界を狭く見てるんですか?
とりあえず電脳世界だけでなく現実世界にも目を向けてください。としか・・・
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/585.html#c8
だからずっと前から細野はダメだっていくら書いても分らない人がいるんだよ。
細野はねあの小沢氏が「政治とかね」とか言われている最中に田原が司会するサンデーモーニンクだっけ、あれに出て田原に小沢氏の「政治とかね」の事ですけどといわれるが早いか「私はやってません!」「私はやってません!」その後又詰問されたら又「私はやってません!」で、番組中細野がしゃべった事といったら「私はやってません!」の連発のみ。
細野はそういう男です〜^^
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/888.html#c31
こんな状況で日本国民には厳しいカネに関するお役所仕事体質が
ここで朝鮮に甘くしやがったら
どんな圧力が政府及び外国から掛かっているか。
凄く気になるわ。
強行したら朝鮮に対する従属体制が明らかじゃないか
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/589.html#c1
千成さん、お疲れ様です。
鹿一です。
シドニーのおちんさんブログに、近未来の日本の予言が書かれています。
予言したのはシドニーのオカマの方の様です。
何でも東京は、錆びれる様な事が書かれています。
【行ってきますた、オカマの霊能者んとこ ご報告の巻】
http://sydneyochin.blog65.fc2.com/blog-entry-43.html
一部転載開始
で、最後に、オカマはオマケと言って、ワタスの知りたかった日本と、世界の未来を少し、話してくれますた。
オカマのオマケ、オマケのオカマ。
オカマのオマケ。
なんか似てますが違う言葉です。
おっと、今、ワタスは、書こうか、書くまいか、少し迷ったようです。
だもんで、オカマのオマケに集中してしまいますたが、やはり、ここはブログなので、書いておきましょう。
ただし、もう眠くなってきてしまいますたので、オカマが垣間見た近未来の日本だけ、にします。
オカマは数年前、日本に旅行したそうで、東京を知ってますた。
で、近い将来、東京に人がおらん、と言うのです。
ァキィハブァラーにも、シンジィクーにも、ハネィダァにも、なんでだか、板橋三丁目だかにも、人がおらんというのです。
東京は、車もあまり走ってない。
人がパラッパラしかおらん。
お店も閉まってる。
さびれた町だというのですた。
理由はわかりません。
大災害があったのか、と訊くと、わからない、と答えますた。
では、地震は起きるか?と訊いたら、夏の終わりに、日本の真ん中の方の山の中、と、日本のどこかの小さな島で起きる、というのですた。
それが、今年の夏なのか、来年の夏なのか、オカマはわからないそうです。
オカマは、未来の映像を見ておるらしいのですが、時間を特定することが難しいようです。
夏、というのは、暑い、ということがわかるのと、なんとなく、夏の終わり、という感じがするのだそうで、断言はできん、というのですた。
経済の話、世界の動向等は、あとで機会があれば触れることにして、今日はこんなところの報告でいったん、〆ましょう。
中国の人で特に上海の人に多いのですが彼らは国家という概念を持ちません。
皆利己主義に凝り固まっている人が多く、共産党にゴマをすっていれば大きな
キックバックがもらえるので、誰も文句も言わないのです。
普通日本では、国民全体の福祉をまず考える世論が主流ですよね。
しかし中国では国民国家の意識が皆無なのでそうではないのです。
ですからこんな国があと50年は民主化するなどありえません。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/583.html#c9
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/580.html#c10
「核戦争用語辞典(The Language of Nurclear War)」では、電磁パルスが次のように説明されている。
「核爆発の直後に生じる爆発的放射。基本的には電場と磁場が爆心点より広がっていく現象である。電磁パルスは電子回路を焼損させ、通信システム、コンピューター、その他の高度な電子機器を破壊する。電磁パルスの効果についてはいまだ不明な点が多いが、大型核爆弾を米国中央で爆発させた場合、米国全土で停電が起こる可能性があると指摘する専門家もおり、ミサイルの回路を損傷させて目標到達能力を失わせる可能性もある。電磁パルスは1962年のジョンストン島での核実験において初めて検出された。」
HAARPの初期の文書を読むと、施設を利用して人工的な電磁パルスを生み出す可能性が検討されていたことがわかる。だが、イーストランド博士が世間に知れ渡るようになると、公式の文書からはこの手の記述がすべて消えた。
多くの研究者は、HAARPが大気上層で電磁パルスに似た効果を発生させられると考えている。HAARPの電波は、電離層のβ粒子(電子)を励起して光速近くまで加速する(イーストランド博士はこれを「相対論的粒子」と呼んだ)。HAARPの照射を受けた領域(正確にはそれによって生じた、電離層から上空に広がる物質の上昇流)を通過した宇宙船やミサイルは、この粒子によって損傷する。この相対論的粒子の殻(プルーム、雲)は電磁パルスと本質的に同じ作用を持つが、こちらは持続するため、より大きな破壊力を有することになる。
一部の研究者は、HAARPでこの方法がすでに実用化され、いつでもー今この瞬間にも敵の(あるいは味方の)ミサイルやスパイ衛星を落下させられる状態にあるという。
HAARP計画管理者のシェルドン・Z・メス博士は、空気レーザーと磁気流体力学爆弾(MAHEM)の研究プログラムも統轄していた。レーザー開発を率い、特殊な爆弾を設計していた人物が、大気の最上層が電波にどう反応するか調べていたというのは、なんとも奇妙な事実ではないだろうか。
特に注目してもらいたいのは、DARPAのホームページや、「HAARPを用いた応用・研究の可能性」という報告書において、「応用」「活用」という言葉が使われている点だ。「高度な防衛に先端的な電離層・無線科学技術を‘活用‘する研究」、「新たな軍事システムのために電離層および高出力無線技術を‘活用‘すること」という文言を見ればわかるように、HAARPは単なる研究ではなく、実用を想定しているのである。「HAARPを用いた応用・研究の可能性」に明言されているとおり、この計画は「電離層の研究から技術の確立と応用へと踏み出す」ためのものなのだ。それを彼らは「電離層強化」と呼んでいるのである。
HAARP計画の重要な目的の一つは、深海の潜水艦と交信することである(アラスカ大学の職員はこのことを認めようとしないが、他の関係者は認めている)。すくなくとも一つは軍事的用途がはっきりしている。
HAARPの将来の活用例として、「宇宙にある保有機器を緊急の非対称脅威から保護するシステムの開発と整備につながる科学的原理の研究と改良」が挙げられている。「非対称脅威」については、2002年9月に国立公共政策研究所が「米国がさらされる可能性のある‘非対称‘脅威について」(ランバキスらにより作成)という報告書をまとめている。
「非対称脅威」という言葉は様々な意味で使われるようになっており、基本的な定義はない。誰かがこの概念に基づいて「非対称な敵」と言うときには、多くの場合、狡猾・予想外・間接的ないしは非情な手段で我が国の脆弱性を衝いたり、軍事的優位を損なわせることを狙う者のことを指す。(中略)一般には、この言葉は我が国が防御できない攻撃形態を指し、道徳的に問題があるか、法的合意で禁じられているという理由で我が国の政府が用いることのない戦術を意味する。
「非対称」というのは、2001年9月11日に米国に対して行われたテロ攻撃を形容するのに用いられた言葉である。しかし、一部の人に言わせれば、HAARPの目的は「宇宙にある保有機器を緊急の非対称脅威から保護する」ことではなく、むしろHAARP自体が「他の国の保有機器に対する非対称脅威」であって、自国に対しても脅威になる可能性がある。
2003年2月1日、スペースシャトル・コロンビア号が大気圏に再突入した際に分解し、7名の宇宙飛行士全員が死亡したが、研究者の中にはこれにHAARPが関わっていると考える人たちがいる。
HAARPを連想させる技術の12件の特許(すべて研究者たちが所属していたAPTI社に譲渡された)のうち、3つがバーナード・イーストランド博士によるものであった。博士の第2の特許は「地表面より高い高度で相対論的粒子の殻を形成する方法」というもので、その方法とは次のようなものであった。
高密度、高エネルギーのプラズマ領域を地表面よりおよそ1,500KMより上空に形成する。地球磁場の磁力線と実質的に並行な第1の周波数の円偏向電磁波を送信し、高度およそ250KMより上空に通常発生しているプラズマに電子サイクロトロン共鳴加熱を起こして鏡面作用を発生させ、その高さのプラズマを高度およそ1,500KMより上空に上昇させる。さらに第2の周波数で加熱を続け、プラズマを前述の磁力線の頂部まで広げて、少なくともその一部がその磁力線と鏡面点の間に閉じ込められて振動するようにする。プラズマは隣接する磁力線に挟まれた状態で広がり、地球の一定領域に相対論的粒子の殻を形成する。
これは簡単にいうと、「相対論的粒子の殻」を通過した電子機器を破壊する‘死の領域‘を創ることだ。スパイ衛星や核ミサイルなど、電子装置を搭載したものはこの領域を通るとすべて使いものにならなくなるのである。この特許は1991年に米国特許5038664として承認されている。
ColumbiasSacrifice.comというサイトには、スペースシャトル・コロンビア号の事故について独自に調査報告がなされている。
調査をしたのは、カリフォルニア州立工科大学ポモナ校で機械工学学士号を取得したジョン・ヒックスという人物だ。彼は同大学で副専攻として航空宇宙学を学び、とりわけ大学卒業後にマクドネル・ダグラス・エアロスペース社に入社し、多くの経験を通じてさまざまな工学・電子システムの故障パターンを見極める能力を磨いた。その彼がコロンビア号の事故を分析したところ、NASAの公式の調査に多くの隠蔽が発見された。これを見る限り、控えめに言っても調査報告は疑わしいと言わざるを得ない。
ヒックスは技術者の視点で次のように結論付けている。「コロンビア号は再突入だった13時47分32秒に、航空電子機器と誘導・飛行プログラムの大部分が破壊されるような何らかの事態に陥った可能性が高い」。つまりコロンビア号は、一定時間かけて溶解するうちに順次システムが破壊されていったわけではなく、ある種の突発的な電子的異変に見舞われたのである。ヒックスは、意図的かどうかはともかくコロンビア号がHAARPの電磁的手法で破壊されたことを示唆する証拠を挙げている。ヒックスは、電磁パルス(EMP)ないしはそれに類する現象でコロンビア号が墜落したと結論づけている。
「シャトルは設計により3重・4重の電子システムを搭載していますし、油圧系や電力系も3つの完全に独立したシステムになっています。また、各ミッションに先立っては徹底した保守点検が行われますから、シャトルの特定の機能を担ったシステムがすべて同時に停止する確率は極めて微小です。計算で細かい数字を出してもあまり意味がないようなレベルで、これらの誘導・制御システムが、通常の宇宙飛行で起こる事象によって同時に影響を受けることはありえないと考えられています。コロンビア号には、ミッション飛行に必要十分なバックアップシステムが備わっていました。つまり、単独の機械的・電子的故障で1つか2つのユニットがやられたのではなく、何らかの想定外の異常事態でシャトルの設備全体が影響を受けたと考えられるわけです。
詳しく調査を進めたところ、事故は2つの可能性に絞り込まれました。1つは、コロンビア号の再突入の際、近くで核爆発が起こって電磁パルス(EMP)が放射された可能性です。コロンビア号の飛行経路と交差するタイミングで核弾頭ミサイルを発射すればそういうことは十分起こりえますが、1960年代と70年代の高高度核爆発関連の文献によるとこのような爆発は何百キロも離れた場所からでも見えるので、現実問題として考えにくいでしょう。事故が起こった時に、高高度核爆発のものと思われる異常が空で観測されたという報告はありません。
2つ目の可能性は、電磁パルス(EMP)と同様の効果を狙って生成された高速β粒子の領域をコロンビア号が通過したケースです。この種の効果に関する学術的論文では例外なく、弾道ミサイル防衛のためにそのような状態を作り出すことが可能だとされています。とりわけ冷戦時代は、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の攻撃を防ぐために複数の国がそのようなシステムの開発を試みていたことが知られています。これらの試みが成功したかどうかは不明です。そのような情報は最高度の機密事項になっていると考えるべきでしょう。」
HAARPでコロンビア号を安全に帰還させようとして、あるいは潜水艦との通信(HAARPのオペレーターがシャトルのことを知らずたまたま潜水艦に通信を送っているときと重なってしまったのかもしれない)や、シャトルとHAARPを使った実験の最中に、何らかの想定外の事態が起こってコロンビア号の悲劇がもたらされたと考えるのはうがちすぎだろうか。過去のシャトルのミッションでも、そうしたことが行われていた可能性はある。
NASAの元研究員で、教育関連NPO法人テディ・スピークス財団の理事長兼研究責任者を務めるマーシャル・スミスは、機械工学と電子工学、物理学の学位を持ち、無線技士および上級コンピューターシステム解析者として長いキャリアのある人物だ。彼はNASAのスペースシャトル計画、タイタン・トライデント・トマホークの3つのミサイルシステム、SDI向けレーザー・粒子ビーム装置の開発などに、現場の人間として、またアドバイザーとして長年関わってきた。軍産官のさまざまな極秘研究施設の情報も知る立場にある。
彼もまた、HAARPの監視を続けており、自身のホームページ(BroJon.com)上で、スペースシャトル・コロンビア号が再突入を試みる90分前よりHAARPが相対論粒子生成モードで使用され、同機の信号が途絶した90分後まで運用されていたと主張している。北朝鮮が米国に向けて放ったミサイルを破壊した際に、コロンビア号が巻き添えを食ったのだという。
これを裏付ける証拠もいくつかある。コロンビア号が再突入時に分解した後、アラスカで北朝鮮のミサイルのノーズコーンが発見された可能性があるのだ。
2003年2月4日、韓国の大手新聞「韓国日報」は、韓国議会の代表団が核兵器やミサイルをめぐる北朝鮮との地域的対立の報告書をまとめたことを伝えたが、この記事には、日本の元外相が「北朝鮮のミサイル弾頭の最後の部品がアラスカで発見された」と述べたと書かれている。
ところがその後、「ロサンゼルタイム」と「アンカレッジ・デイリニュース」に「韓国日報」の報道を否定する内容の記事が掲載された。彼はノーズコーン発見の報道が否定されたのは隠蔽工作だと主張している。「韓国日報」の記事自体も、ネットに掲載されてからいろいろ尾ひれが付け加えられている。HAARPがスターウォーズ計画の防衛の盾として実際に活用されていることを隠すため、大規模な隠蔽工作がなされたのだろうか。それとも、最初の報道が単にずさんだったのか。マーシャル・スミスは、この問題に関する見解を述べている。
「イーストランドが1991年に取得した「HAARP」の特許はそれ自体が情報撹乱の一環です。特許ではアラスカのパイプラインの石油のほとんどを使って送信装置を持続的に運用し、世界規模の放射エネルギーの盾を造って米国領空へのミサイル進入を防ぐという使途が示唆されていますが、これはそもそも荒唐無稽です。そんなことをすれば現在軌道上にある何百もの衛星がすべて破壊されてしまいます。ISS(国際宇宙ステーション)も、放送や通信用の静止衛星もすべてダメになります。HAARPの理想的な使い方とは到底言えないでしょう。イーストランドの特許に書かれているのは完全な絵空事です。軍事的なミスリードであり、情報撹乱にほかなりません。
公の特許に書かれていない実際の使われ方は、持続的にではなく3秒のごく短いパルスを発射するというものです。これにより、高いエネルギー効果でエネルギーを放射しつつ、中国や朝鮮から発射されてアラスカ上空を経由するミサイルを一掃できます。1基や2基ではなく、数百機という規模でまとめて落とせるのです。そのうち何基かが残ったとしても、10秒後にもう一度パルスを発射すれば始末できます。アジアから放たれたミサイルがHAARPを通過することはできません。
また、短距離で直接狙い撃ちすれば、味方の衛星や宇宙基地を避けつつ、空軍や北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の指示に基づいて飛来するミサイルを選択的に撃ち落とすことも可能です。HAARPの放射は細く的を絞ったビームや光線のようなものではありません。爆発的なエネルギーを宇宙に拡散放射するもので、殺虫剤をスプレーして何百匹もの蚊をいっせいに殺すのと似ています。もちろん、中国やISSなど味方の宇宙機の軌道に沿ってミサイルを撃ってくれば、厄介なことになります。
2003年2月1日、中国の弾頭を搭載した北朝鮮のミサイルがカンザス州中部に向けて放たれたときがそのような状況でした。このとき、スペースシャトル・コロンビア号が着陸のために数千キロ南のハワイ上空を飛行していました。NORADは北朝鮮のミサイルを通過させるか、南方を飛んでいるコロンビア号を危険にさらすかの二者択一を迫られたのです。結果についてはあなたもご存じの通りです。」
マーシャル・スミスは、米国との対話が物別れに終わったために北朝鮮が(中国の指示で)米国にミサイルを発射したのだという。HAARPの防御シールドの範囲を知りたがっていた中国が、北朝鮮の走狗たちの尻を叩いてコロンビア号が再突入しているときにミサイルを発射させたというのが彼の主張だ。HAARPが狭い領域しかカバーしていなければ、北朝鮮のミサイルだけが撃ち落とされてコロンビア号に影響はないし、広い領域をカバーしていれば、HAARPのオペレーターがコロンビア号を巻き添えにすることを恐れて使用を控え、ミサイルが通り抜ける可能性があるわけだ。
もしこの推測の通りだったとすれば、HAARP関係者が防御シールドの大きさを正確に把握していなかったか、米国の都市を守るためにコロンビア号をあえて犠牲にしたかのどちらかということになる。
スペースシャトル計画の情報を網羅したサイト(ColumbiasSacrifice.com)を主宰するジョン・ヒックスは北朝鮮のミサイルが事故に関係していたというマーシャル・スミスの主張を否定している。彼はつぎのように語っている。
「わかっているのは、アジアの大手新聞がアラスカでミサイルの弾頭が発見されたと報道されたということだけです。残念ながらこの報道そのものは何の証拠にもなりません。いつミサイルが発射されたのかを確定できる証拠があれば、まだ検討の余地はあります。コロンビア号が分解する数分前に発射された、あるいは少なくともコロンビア号が再突入する日の午前中に発射されたといった程度まで時間を特定できれば、マーシャルの説にもそれなりに信憑性は出てきます。しかし現状では、ミサイルはコロンビア号の事故の1カ月前に発射された可能性もあるわけです。米政府も北朝鮮も沈黙しているので、真相はわかりません。まあ、彼らが何も言わないのも、むべなるかなという感じではあります。」
仮にHAARPが実際にコロンビア号の破壊に関係していたのだとしても、シャトルの安全な(放射線のない)帰路を確保しようとして、何かの手違いが起こった可能性は考えられないだろうか。あるいはHAARPのオペレーターがシャトルのことを知らずたまたま潜水艦に通信を送っているときと重なってしまったのかもしれない。ヒックスは、電磁パルス(EMP)ないしはそれに類する現象でコロンビア号が墜落したと結論づけている。
お前が”幼児”だ。
どこのコメントでも同じことを書くな。
興味ないなら、ここへ来るな。
誰も、お前に興味ないけどな
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/144.html#c5
あんたは弾圧はないというでしょ。それに対し、こちらは弾圧であるという。
同じ一つの妄想または現実の裏と表なのだ。
そうである限り、アンタの言い分もこちらの言い分も
大差ない。同じ妄想または現実を裏から表から確認し合うにすぎない。
同じ妄想または現実とは、ほかでもない、福島第一原発事故、メルトスルー事故
およびそれに伴う権力または反権力をめぐる攻防である。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/142.html#c25
>米国経済の抱える問題として、失業率の高止まりがあるのは、よく知られていることだ。
>だが、実際に一般の人びとがどういう状況に置かれているかは、日本では見えてこない。
>現実は、おそらく多くの日本人の想像をはるかに超えて厳しい。現地からのレポートをお送りする。
厳しいのはどっちだよ。
アメリカ人の純個人金融資産4500兆円、日本人は借金含んで1400兆円。
破綻は確実に日本が先なのに肩代わりをするバカッ面日本人、政府。
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/443.html#c17
神奈川県茅ケ崎市は2日、同市内の千ノ川で、ボラやフナなど魚数千匹が約2・5キロにわたって死んでいるのが見つかったと発表した。市の調査では水質や水中の酸素量に異常はないという。
市によると、2日午前7時ごろ通行人が発見した。周辺の工場などに聞き取り調査するとともに、県の試験場で死骸を詳しく調べる。
2011/10/02 19:13 【共同通信】
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/721.html
EUR/JPNが113円になって93円まで落ちれば
103円が93円よりも売りで10円値幅が多くとれる。
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/458.html#c5
>もし福島原発が決定的にやばい事になったら。政府は首都圏から西に向かう高速道路、新幹線、飛行機とガソリン販売を止めるだろう。
わたしはそうは思いません。決定的にヤバイという情報を掴んだ政治家、官僚、金持ちは「こっそり」首都圏を脱出すると思います。国民には何も知らせないでしょう。知らせれば、パニックになって、自分達が逃げるときに渋滞に巻き込まれます。自分達が先に逃げてから、後から、「実は・・・被爆させてごめんね」となるわけです。まず、自分達が助かるのが先です。国民なんて、映画『天空の城ラピュタ』に出てくるムスカ大佐が言ったように、虫けらなんですから、わざわざ知らせてあげるなんてしないでしょう―被爆して勝手に死ね。いまだって、放射線管理区域の福島で子どもを被爆させている最中です。関東軍が満州から撤退するときも、こっそり幹部だけ逃げました。全員を逃がすことができない場合、自分達だけ逃げます。伝統的に日本の支配層が行う行動パターンは変わっていません。
22
この人は、工作員でしょう。低脳性が疑われます。さっさとバイトを止めましょう。電力会社から下請けを介して雀の涙ほどのバイト料をもらって、世論を撹乱すべく掲示板に書き込む仕事を夜中までするなんて、そんな後ろ向きな仕事ではなく、もっとまともな仕事に就くべきです。
23さん
情報ありがとうございます。身の引き締まる思いです。3.11に対する大きな余震が来たら、有無を言わさず、とりあえず、関東地方を離れた方がいいということですね。大きな地震が来たら、どうせ、政治家は何も言わず、東海道新幹線に乗って逃げます。ここで大きな地震のレベルが問題です。マグニチュード6.5までなら注水作業を継続できるけど、マグニチュード7を超えたらアウトなのか?判断が難しいです。逃げれそうにない人は、石綿でも除去できるDS3レベルのマスクを買っておいた方がいいでしょう。あと、ヨウ素剤の用意です。
24さん
極めて重要なご指摘です。原発の放射能で東日本が滅びそうなときに、「国際総合戦略特区」などという茶番を強引に推進しているのは、もう一つの危機が迫っていると考えられます。つまり、Trans Pacific Partnership(TPP)推進のための拠点・橋頭堡が神戸・横浜などの貿易港に作られようとしています。TPPの目的は、農業の自由化ではありません。
「アメリカの保険会社・医療機関(医師)・銀行・大学を、日本で営業させ、日本でアメリカ人を公認会計士・弁護士・医師・大学教員・建築士・看護師の仕事に就かせろ。そして、簡易保険・郵便貯金・医療保険などは民営化し、アメリカの保険会社や金融機関を儲けさせろ。国民がせっせと溜めた円の貯金で、米国債を買わせておいて、金本位制をあるとき導入し、アメリカの借金をチャラにする。」
要するに労働力の完全な自由化であり、国境を取り払い、日本を完全に植民地化するような侵略です。日本人の奴隷化政策といってもよい。日本人が余ったアメリカ人を養え!といっているのです(米国では弁護士は職にあぶれて余っています)。日本国憲法よりもTPPの法規定の方が優先されるので、日本国の法に対して上位規範が設定され、治外法権が実現します。日本語の壁があるから連中が日本で営業するのは難しいだろうと考えるのは甘いです。日本語などアメリカのエリートが本気になれば、すぐマスターできます。フィリピン人の看護婦だって、日本語を勉強すればすぐ上達します。国難です。絶対にTPPに加盟してはなりません。政治家は自分だけ助かればいいので、TPP加盟に反対しないでしょう。また、野田どじょう総理も頭が悪くて、TPPの意味が理解できないでしょう―そもそも、頭が悪くて操縦しやすいから総理に選ばれたわけですが。
疑問:日本人は生き延びれるのだろうか・・・・
25さん
東電は、まだ核燃料が全て溶けて地中に潜ってしまったわけでなく、格納容器周辺のどこかにいろいろ残っていると考えて冷やしているのです。東電の想定が正しいなら(また額面通り受け取るなら)、注水を継続しないといけないでしょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/126.html#c26
22. 2011年10月02日 19:08:28: 9sgsaTCGB6 よりお借りしました。
久しぶりに原発作業に従事している知人に会いました。
詳細は書けないのですが下記の様な話しでした。
*メルトアース状態
*冷温停止はしていない。
*避難解除は作業員の不足を補う為。(帰宅すれば余命限定になる)
近隣住民の中に作業に手慣れた人が多く呼び戻す事が目的。
*既に作業員不足は深刻な状況。
*東電は三次下請けまでしか実態の掌握していない。
*廃炉まで100年でも難しい(200年?)
*ライブカメラは常に捏造されている。
*カメラ前に何かを唱えていた作業員は雇用環境の事ではなく
ライブカメラの捏造と原発の実情を訴えていた。
*一時期、吹き出ている蒸気の問題があったが
放射能物質は混入は事実。
*配管の水素問題が取り上げられ爆発の危険はないと発表されたが
いつ爆発しても不思議ではない状態。
その場合、東北は無論、関東は壊滅。
*除染は全くの茶番で無駄な作業。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/142.html#c27
はい、不勉強を恥じるばかりです。
ビームで、ガンガンやっつけられるようなイメージになっていました。
>自然と若いうちから、不可視を勉強しだす者がいる。
これは、その人の過去生の、影響なのだ。
本人は、理由を知らなくても、不可視では、
過去生の努力が、無意識に、その人を、動かすのです。
不可視の高次元の者たちは、この過去生の努力を、その人の情報を、
すでに知っているのです!
ゆえに、偶然はない!
「偶然はない」、という意味もおおよそ理解できました。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
・・・
気まぐれな風さん、ときどきは顔をみせてくださいよ。(ノω;)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111002-00000059-jij-pol
細野豪志原発事故担当相は2日午後、福島県庁で佐藤雄平知事と会談し、東京電力福島第1原発事故で9月末まで緊急時避難準備区域だった地域への住民の帰還を促すため、厚生労働省が地元病院の経営を支援する「医療従事者確保支援センター」を開設すると表明した。同県沿岸部の相双地域に近く設置される見通し。
会談では、佐藤知事が「医師、看護師など医療スタッフが極めて不足している。医療再生が帰還の大きな条件になる」と説明。細野担当相は「どの病院にどういった方が必要か把握し、厚労省が結果で示す」と語った。
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/722.html
優秀ならこんな地震国に50いくつもの原発を認可するわけねえだろよがよ、馬鹿。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/138.html#c16
◆「国会に原発事故調査委員会設置で何だろう」
◆「原発の汚染物の置き場いろいろ」
◆「所得税、法人税、たばこ税大増税、消費税も別にあり」
◆「陸山会 小沢氏3秘書有罪をどう見る」
◆「オバマ大統領広島訪問を外務省役人が断る」
◆「ギリシャ問題」
<コメンテーター>
早野透(桜美林大学教授)、今井一(ジャーナリスト)、川村晃司(テレビ朝日コメンテーター)、荻原博子(経済ジャーナリスト)、横尾和博(社会評論家)
http://www.youtube.com/watch?v=mamp7k4ZRHA&feature=bf_next&list=PLC985E3F325419E8D&lf=plpp
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/136.html#c19
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http://www.asyura2.com/11/test23/msg/471.html
今こそ、「主権者は私たち国民」、声をあげよう!!!
僕たちは知りたい真実の情報を 私たちは信じている情報の力を
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http://www.asyura2.com/11/test23/msg/472.html
第二原発を稼動して何になる。3月の地震でボロボロになっているのだ。
次の事故を起こして第一の収束作業もできなくなるのが関の山。
バカはすっこんでろ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/147.html#c2
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http://www.asyura2.com/11/test23/msg/473.html
この記事は 燃料の大部分が格納容器内に残っていると 言ってるわけで
予想の範囲内である
===
格納容器内にメルトダウンした ペレットは 格納容器の底にたまるわけだけど
たとえば 50センチの厚みだとすると
底に穴が開いていない状態だと 上の方の10センチくらいは 水によって冷やされるが
それ以上下には 水は入らない 入った水は すぐに温められて 水蒸気になる
水蒸気になれば 冷却効果はない
私が 依然 「ご飯のオコゲ」って表現した状況になっていたはずだ
結局 下部は 2200度になり 格納容器は 熱で穴が開き メルトスルーになる
===
しかし メルトスルーになった瞬間に 下部の2200度のペレットは
格納容器から下に落ちるはずだが 上の方の水で冷やされた ペレットは
格納容器内に 残ると考えられる それ以後は 熱せられた水は 格納容器の
下の方にもれるので 下の方まで水がまわって それ以上は メルトスルーしない
この仮説は 格納容器の底に どの程度の(何センチの)穴が開いてるかに
かかっているが 誰も見に行くことはできないので 推測でしかない
===
当然 格納容器に 大きな穴が開いていなければ 大部分のペレットは
格納容器の中にあるのだから 注水を止めれば 再度 メルトスルーは始まる
はずだ
二号機が水蒸気爆発でない理由について
*** 愛の愛は愛の こんな簡単な理論 ***
おそらく 1号機と3号機は 地震でパイプが壊れていて
水素がもれて 部屋に充満していたはずだ それに火がついたわけだ
だから 「水素爆発」となるわけだ けど
その後 緩やかな メルトダウンがおきるわけだ
2号機は ちょっと状況が変わる 地震でパイプが壊れなかったので
格納容器は 燃料棒露出とメルトダウンのため 超高温 超高圧となった
そして格納容器の底が 一気に抜けたため 高温の水蒸気が噴出した
急激なメルトスルーが起きた
結果的には 原子炉建屋は 吹き飛ぶわけだけど 爆発と 水蒸気爆発では
地震計に乗るか 乗らないかの差がでるのだろう
===
結論としては 地震で原子炉は 壊れる
地震で壊れなくても メルトダウン メルトスルー は起こる って〜〜ことで
原発なんて 使い物になる 技術ではない
9月29日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、フジテレビ編成部から社内に俳優・松方弘樹(69)の"使用禁止令"が出されたと報じている。記事によると、禁止令の具体的な内容は「当面のキャスティング見合わせ」「他のタレントがトークでネタにすることもNG」などとされており、松方本人が不在の番組でも写真や名前すら出せないという、事実上の"完全追放"を意味するもの。
暴力団との交際によって引退した島田紳助(55)の騒動や「暴力団排除条例」の施行に絡み、テレビ業界は警視庁と協力して"芸能界浄化作戦"に乗り出しているといわれ、テレビ局は独自に暴力団と縁の深い芸能人をリストアップしたブラックリストを作成しているともいわれる。
以前から暴力団との交際がささやかれ、暴力団の会合に出席した映像が流出したこともある松方が、最初のターゲットにされたのではないかというのだ。とはいえ、暴力団とのつながりが強いタレントは松方だけではなく、会合に出席した際の写真や映像が存在する芸能人も数多い。松方がターゲットになった理由について記事では、松方の独立トラブルが影響していると推察している。
今年8月、松方はバーニングプロダクションから独立したが、金銭トラブルなどもあって円満な退社にはならなかった。同社から独立した水野美紀(37)が「踊る大捜査線」シリーズを降ろされたように、バーニングからの圧力と暴力団排除の名目によって、松方も干されるのではないかと記事は伝えている。
「昔から芸能界で生きているタレントでヤクザと関わりのない者なんて、ほとんどいません。そのくらい、芸能界と暴力団は密接な関係にありました。芸能プロや番組制作にも暴力団の影はありましたから、いわば業界ぐるみです。暴力団と関係を持ったタレントを全て芸能界から排除したら、番組に出られるタレントがいなくなってしまいますよ。当然、局側も承知の上で、独立トラブルを抱えていたり、高額ギャラがネックになるタレントを干す口実にするつもりでしょう。それに加えて、具体的にタレントを排除することで、暴排条例を推進する警視庁に対して『排除を進めている』という実績を見せる目的もある。ほとんど"魔女狩り"に近いようなものですから、タレントはいつターゲットにされるか戦々恐々でしょうね」(芸能関係者)
ヤクザとの関わりは、大御所タレントに限った話ではない。過去に警視庁の暴力団関係の捜査資料が流出した事件があったが、その中でグラビアアイドルのKらが暴力団組長の「情婦」とされ、巨人軍の元コーチSが「フロント企業の取締役」と記されているなど、暴力団の影響は幅広く浸透している。
ビートたけし(64)は週刊誌のインタビューで「これからは条例を盾に(暴力団からの誘いを)断れる」と語ったが、テレビ局からすれば、条例を理由にタレントを追放することができるようになったともいえる。このような形で進められている"芸能界浄化作戦"に、本当に効果はあるのか。
「繰り返しになりますが、古くからの付き合いがある芸能界と暴力団との関係は業界ぐるみ。暴力団と関係の深い芸能プロは数多く存在しますし、紳助を引退させた吉本ですら、過去の"お家騒動"の際に暴力団の影がチラついていた。本来、テレビ局や警察が問題視すべきなのはタレントよりも、組織ぐるみで暴力団と関係している芸能プロの方でしょう。しかし、テレビ局が暴力団との交際を理由に芸能プロとの関係を断ったという話は聞いたことがない。世間に分かりやすい排除対象として、タレントがスケープゴートにされているのでは」(前同)
いずれにせよ、松方クラスの大物ですら追放の対象になるとすれば、条例の施行は芸能界に予想以上の大きな影響を与えそうだ。
(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops)
久しぶりに原発作業に従事している知人に会いました。
詳細は書けないのですが下記の様な話しでした。
*メルトアース状態
*冷温停止はしていない。
*避難解除は作業員の不足を補う為。(帰宅すれば余命限定になる)
近隣住民の中に作業に手慣れた人が多く呼び戻す事が目的。
*既に作業員不足は深刻な状況。
*東電は三次下請けまでしか実態の掌握していない。
*廃炉まで100年でも難しい(200年?)
*ライブカメラは常に捏造されている。
*カメラ前に何かを唱えていた作業員は雇用環境の事ではなく
ライブカメラの捏造と原発の実情を訴えていた。
*一時期、吹き出ている蒸気の問題があったが
放射能物質は混入は事実。
*配管の水素問題が取り上げられ爆発の危険はないと発表されたが
いつ爆発しても不思議ではない状態。
その場合、東北は無論、関東は壊滅。
*除染は全くの茶番で無駄な作業。
皆さん力強く生き続け 核・原発廃絶の世界を見届けるまで生き続けよう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/147.html#c3
日本の政府によって、今、多くの外国人が 「日本人」として入国することを
容認され、入国が非常に容易になってきています。
多くの外国人を入れることで、
当然その諜報活動(=スパイ活動)にも注意しなければいけません。
外国人を国内に入れるなら、日本を守る当然の 「抑止力」として
「スパイ防止法」を導入してください。
これこそ 国益と国民を守る重要法案です。
先進国の中でも、日本は「諜報機関をもっていない」 ことで有名ですが、
諸外国から入り込む
「スパイによる情報流出」 も 非常に大きな問題です。
もともと「スパイ防止法」は、
「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」として、
1985年に自民党より議員立法として提出されましたが、
当時の野党(日本社会党・公明党・民社党・日本共産党・社会民主連合他)から
強烈な反対にあい、廃案となった法案です。
国益にかなう この法案に、なぜ多数の日本人の議員
・弁護士、メディア等の方々が反対したのか疑問 ですが、
この法案は、日の目をみることなく、今に至っています。
(軍事・産業についは、2009年4月、自民党 麻生政権時に 「不正競争防止法」 という形で、衆議院で可決・成立している。懸案として残っているのは 「国家機密」。
「国家機密」 についての事項に規制する法案がない、まさに危険な状況。)
国の危機に直面している 今だからこそ、国益を守るための 「スパイ防止法」
をぜひ復活提案してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/4402107.html
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/582.html#c39
乳幼児が1年後にがんを発症するケース
子どもががんを発症5年後
若者 10年後
中高年 25年後
高齢者 50年後
新陳代謝速度の違いでこうなる
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/136.html#c20
久しぶりに原発作業に従事している知人に会いました。
詳細は書けないのですが下記の様な話しでした。
*メルトアース状態
*冷温停止はしていない。
*避難解除は作業員の不足を補う為。(帰宅すれば余命限定になる)
近隣住民の中に作業に手慣れた人が多く呼び戻す事が目的。
*既に作業員不足は深刻な状況。
*東電は三次下請けまでしか実態の掌握していない。
*廃炉まで100年でも難しい(200年?)
*ライブカメラは常に捏造されている。
*カメラ前に何かを唱えていた作業員は雇用環境の事ではなく
ライブカメラの捏造と原発の実情を訴えていた。
*一時期、吹き出ている蒸気の問題があったが
放射能物質は混入は事実。
*配管の水素問題が取り上げられ爆発の危険はないと発表されたが
いつ爆発しても不思議ではない状態。
その場合、東北は無論、関東は壊滅。
*除染は全くの茶番で無駄な作業。
皆さん力強く生き続け 核・原発廃絶の世界を見届けるまで生き続けよう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/888.html#c33
http://www.dailymotion.com/video/xlfi0j_2011y10y2yyyyyyyyyy-yyy_news#rel-page-under-1
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/142.html#c28
あの装甲の厚さならそこそこ放射線を防げるだろうし、ドーザー付けてるから瓦礫をどかすのに丁度良いと思ったんじゃないかな? 74式だから引退する戦車だしね。
2号機建屋の写真を見たら穴が四角く開いてたから砲弾で開けたわけでは無さそうだよ。
ところで2号機って爆発したんだっけ??
爆発しないように穴開けるって話しか聞いてないけれど。。。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/134.html#c7
なぜアホかと疑うのか示してください。
わたしも、01さんとほぼ同じ感想を持っています。私もアホですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/105.html#c3
農産物も畜産物も水産物も放射能の高いものまで全国の国民が応分の負担をして食べなければいけない。
放射能汚染物質も分かち合い全自治体がその処理について負担しなければならない。
税金も国民みんなで負担し合うのが当然だ。
ひどい政府だ。責任逃れも度が過ぎている。
戦時中の一億総玉砕と同じだ!
いつの間に日本は北朝鮮になったのだ!
野田も菅も鳩山も小沢もみな信用できない!
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/133.html#c11
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111002-00000468-yom-soci
脱原発をテーマにした映画の上映会について、鹿児島県出水市が出水市民交流センターの利用を不許可にしていたことがわかった。
映画は「脱原発 いのちの闘争」(西山正啓監督)。東電福島第一原発の事故後、福島県から福岡県内に避難した家族の生活や、九州電力玄海原発2、3号機の再稼働に抗議するデモなどを追っている。
上映会を企画した市内の自営業、永池美保さん(49)によると、9月28日にセンターを訪れ仮予約した。ところが、30日に市商工労政課の担当者に電話したところ「政治色が強いものは断っている」と不許可になったという。
永池さんは「政治色などなくショックだ」と話す。
市の大内山裕・産業振興部長は「映画の上映自体が『住民の交流』というセンターの利用目的にそぐわず、上映機材もないので他の施設を紹介した。行き違いがあったようなので、改めて説明する」と話した。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/148.html
会場で大橋のにやけた笑いに同調し笑った人達も同罪!!!
おそらく同調したであろう自分を想像すると
恥ずかしくなります。
当時から信念を曲げずに、
孤軍奮闘しておられる小出教授の姿に敬服致します。
大橋弘忠くん、君に福島原発の高濃度汚染水を、
更に煮詰めて腹いっぱい飲ませてあげたい。
(回答先: 小沢議員・石川議員・大久保秘書・池田秘書裁判関係 投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 2 月 03 日 19:18:28)
h_hirano
気になることがある。小沢3被告裁判を担当する登石郁朗裁判長のこと。この人は大久保裁判を担当、検察側証人の証言で無罪がほぼ確定しかかっているにもかかわらず、検察が再度大久保氏を逮捕し訴因変更を求めてきたときにそれを認めた裁判官である。明らかに検察寄りの裁判官である。知っておこう。 約1時間前 webから
過去に八百長はなかったといった放駒理事長。この人は現役時代八百長をしないガチンコ力士の筆頭格、その弟子の横綱大乃国もやらなかった。その大乃国が優勝記録を伸ばした千代の富士の千秋楽の場面をテレビで見て「あんな記録なんて意味ない」と悔し泣きしたという。「週刊文春」2/17より 約2時間前 webから
「週刊文春」2/17で、相撲記者によるガチンコ力士を公表。栃煌山、豊ノ島、安美錦、嘉風、豊真将、豪栄道、豪風、土佐豊、北太樹、雅山、琴春日、若荒雄、木村山、豊響、栃乃洋、稀勢の里、高見盛、若の里──以上の18人であるという。大関は一人もなし。 約3時間前 webから
朝日新聞の菅政権傾斜がひどい。同社聞がどのような状態かお知らせしよう。販売部数は1月の朝刊が765万5千部、前年比20万部近いマイナス。ボーナスは2年前から3分の2、給与の3割カットも検討されている。現在同社では名物記者がどんどん辞めており、辞めて欲しい人が残っている。 約3時間前 webから
少し前にツイートで書いたが、それに加えて菅政権は「新聞代を無税にする」法案を準備している。これは大マスコミのロビー活動の成果である。メディアにおもねる菅政権ならやりかねない。大マスコミを味方にするためなら何でもやる政権である。それほど総理を辞めたくないのだ。醜い話である。 約3時間前 webから
記者クラブにはそこに属するメディアにとっておいしいことがたくさんある。情報を独占できるだけでない。官邸が機密費で接待してくれる。小沢氏は早くから記者クラブ廃止を唱え、鳩山政権である程度進んだが、菅政権は元に戻し、自民党時代よりもひどくなっている。これでまともな報道はできない。 約3時間前 webから
財源がないから公約を見直すと菅政権はいっている。しかし、電波オークションを自らやめることによって財源を放棄している。ここから生まれる財源は2兆円である。どのように電波オークションを潰したかは、「週刊ポスト」2/18号に詳しく出ている。内部文書が流出したのだ。 約11時間前 webから
小沢氏が民主党の代表のとき、電波による利権システムにメスを入れたのである。諸外国のように電波オークションを導入し、適正な利用料を取ることと、新聞社がTV局を持つことを制限するクロスオーナーシップ規制を公約に掲げたのである。しかるに現政権はそれを潰してTV局に擦り寄っている。 約11時間前 webから
大マスコミは最大の収入源はTV局を持っていること。TV局を持たない新聞社は長くはやっていけないだろう。なぜ、TV局か。電波は国民資産であるのに、それを公益のためという大義名分でタダ同然で使える権利を政府から得ている。TV局はそれによりCMやネット物販などやりたい放題儲けている。 約11時間前 webから
大新聞やTVが小沢氏を叩く理由は何か。現在の報道はコト小沢氏に関してのそれは「異常」そのもの。3つ理由がある。第1は「電波利権」、第2は「記者クラブ」、第3は「機密費」である。菅政権はこの3つついて 大新聞やTV寄りのスタンスを取り、おもねっている。 約11時間前 webから
野党が民主党の実力者──といっても今や一兵卒で被告人──小沢氏を叩くのは分かる。彼が選挙の実権を握ると危険であるからだ。民主党は小沢氏が選挙から離れて以来連戦連敗だが、負けても誰も責任は取らず、すべて小沢氏のせいにする。だから、野党、とくに自公は菅政権で選挙を戦いたい。 約11時間前 webから
遂に日本航空の稲盛会長が苦言。「民主党の現在の体たらくには大変落胆している。こういうことのために支援してきたのではなかった」と。稲盛氏は無給で会長を引き受けて民主党を支援。現在では民主党に利害関係のある人以外は民主党を見はなしている。現民主党の閣僚や役員をよく記憶しておこう。 約13時間前 webから
なぜ、この時期に小沢処分なのか。裁判が進行するにつれ、ますます無罪の方向性が確実に出る。だから、強制起訴された今やるというのか。もし強行すると、3分の2採決のさい、小沢派が数人腹痛を起こす可能性をなぜ考えないのか。それとも亀井静香氏のいうように、首相は算数ができないのか。 約13時間前 webから
「こども手当」の地方負担で地方が反乱。これは民主党が悪い。昨年度原口総務相は「負担をお願いするのは今年だけ」と明言している。しかし、現政権はその原口発言を無視している。かりそめにも大臣の発言である。なぜ重く受け止めないのか。 約13時間前 webから
「王政復古のクーデター」とは何か。どのようにして「朝廷+薩長」は幕府から権力を奪ったのか。明治天皇は16歳。そのとき開かれた朝議で何が起こったのか検証する。http://electronic-journal.seesaa.net/article/184987859.html 約13時間前 webから
弘中氏の談話の続き。検察は「ゼネコンから小沢氏側に1億円の裏金が渡った」ことを立証するとしているが、それが事実ならば、なぜそちらで立件しないで、政治資金収支報告書の虚偽記載という形式的な罪で起訴したのか。検察はすべてが終わったとき、重大な責任をとらされることになる。 1:54 AM Feb 8th webから
「週刊朝日」2/18で小沢弁護団の弘中惇一郎弁護士が「なんでこれが犯罪なのか」という題でレポート。「日曜日に代金を支払った土地を、法務局が休みなので、月曜日に移転登記した場合に、月曜日に取得したと書くことは犯罪なのか」と疑問を呈している。全ては小沢氏を貶めるための化粧道具だ。 1:47 AM Feb 8th webから
エジプト暴動の凄さ。日本は世界一デモの起きない国といわれる。その日本で、昨年秋から「検察批判デモ」と「小沢一郎支持デモ」が頻発している。3ヶ月間に北陸から沖縄まで15回のデモが起きている。新聞はなぜ報道しない。ネットは既に加熱しつつあるが、このまま行くととんでもないことになる。 10:20 PM Feb 7th webから
仙谷代表代行はナゴヤで民主党が惨敗すると、河村氏らに対して「ヒットラーやナチスの手法だ」と批判。失礼な話であり、名誉毀損になりかねない暴言。しかし、大新聞は一切報道しない。聞くところによると、菅内閣は新聞代は無税にする法案を準備しているという。この内閣はタガが緩んでいる。 10:11 PM Feb 7th webから
念のため、政治資金規正法第4条の「収入」の規定を書いておく。「収入」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の収受で、第八条の三各号に掲げる方法による運用(銀行預金など)のために供与し、又は交付した金銭等の当該運用に係る当該金銭等に相当する金銭等の収受以外のものをいう。 9:34 PM Feb 7th webから
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コメント
01. おおお 2011年2月13日 17:31:07: 8Y6E4wB8DcuYE : x81cAD5d1g
大手新聞は本当の事を書いているか、週刊誌の記事の方が真実の様な気がする
http://grnba.com/iiyama/index.html#ws1002">◆2011/10/02(日) オーラを放つ「闇の仕掛け人」
大変なVIPが志布志に(お忍びで)来らたことは昨日書いた.
どのような御方か? 詳しいことは書けないが…,
「闇の仕掛け人」として政財界では知るヒトぞ知る大物である.
数千億円という巨額資金を,ヒョイと車を買うような感じで動かす人物である.
その「闇の錬金術師」と私は,昨夜は11時過ぎまで,本日は午後3時まで,
胸襟をひらき,腹をわって,思う存分に語りあった.
結論は…,
滅びゆく,いまの日本は,何としても救わねばならん! ということである.
もちろん,光合成細菌と乳酸菌には「重役」をになってもらう! ということも
議題になった.
そのために「闇の仕掛け人」は,乳酸菌研究の第一人者である東大の教授を
つれてこられた.この東大の先生は,終始にこやかに私の話を聴いてくれた.
議論の合間をみて…,
志布志にある汚泥処理施設,乳酸菌農業の農地や養豚場や,http://grnba.com/iiyama/more12.html#ws1201">模擬砂漠など,
グルンバと乳酸菌が活躍している様々な現場を見ていただいた.
「これはいける! (かもしれない…)」
おおむね満足気な表情を残し,本日午後,「闇の錬金術師」御一行は帰途に
つかれた.
------------------------------------------------------------------------
一昨年,志布志のシラス大地に模擬砂漠をつくった! (中央が筆者)
http://www.asyura2.com/11/test23/msg/474.html
大変なVIPが志布志に(お忍びで)来らたことは昨日書いた.
どのような御方か? 詳しいことは書けないが…,
「闇の仕掛け人」として政財界では知るヒトぞ知る大物である.
数千億円という巨額資金を,ヒョイと車を買うような感じで動かす人物である.
その「闇の錬金術師」と私は,昨夜は11時過ぎまで,本日は午後3時まで,
胸襟をひらき,腹をわって,思う存分に語りあった.
結論は…,
滅びゆく,いまの日本は,何としても救わねばならん! ということである.
もちろん,光合成細菌と乳酸菌には「重役」をになってもらう! ということも
議題になった.
そのために「闇の仕掛け人」は,乳酸菌研究の第一人者である東大の教授を
つれてこられた.この東大の先生は,終始にこやかに私の話を聴いてくれた.
議論の合間をみて…,
志布志にある汚泥処理施設,乳酸菌農業の農地や養豚場や,模擬砂漠など,
グルンバと乳酸菌が活躍している様々な現場を見ていただいた.
「これはいける! (かもしれない…)」
おおむね満足気な表情を残し,本日午後,「闇の錬金術師」御一行は帰途に
つかれた.
---------------------------------------------------------------------------
一昨年,志布志のシラス大地に模擬砂漠をつくった! (中央が筆者)
>この程度のことはどこの国だってあたりまえのこと
あたりまえだからなんだ?当たり前だから反対するなと
あんたはいう。ぼくはそんなことが当たり前の社会は
最悪だという。
>駄々っ子が反原発運動なんかやってられないぞ
だだっ子だから反原発運動やるんだよ。
原発震災に黙ってられるかばか。かば。
大人はみんな、目先の仕事と金に囚われず
原発反対に声を上げるだだっ子になるべきだ。
今をおいてないぞ。
原発推進地域の首長は、自治体経営に躍起になり
金と仕事がないと地域がまわらないから企業誘致もだめだったし
縋るおもいで原発建設賛成してるのがふつうだ。
そこへしかし、貧しくっても健康がいい豊かな海がほしいからと
原発建設反対してる人たちが、しっかり、いるんだよ。
黙ってなんかじゃ、反対の意思が公表できないだろ、ばか。
何が黙って黙々とだ。
これでもみてこい。
2011年10月2日奇跡の海の原発計画(上関町)
http://www.dailymotion.com/video/xlfi0j_2011y10y2yyyyyyyyyy-yyy_news#rel-page-under-1
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/144.html#c6
1.どこまでも懲りない日本のマスコミ人
2011年10月2日のテレビ番組・TBSサンデーモーニングを観ていて、ギョっとしました。レギュラーコメンテーターの毎日新聞・K氏が、小沢氏秘書裁判(注1)の判決を“極めて妥当な判決だった”と堂々と述べたからです。すぐに、スイッチを切ったので、その後の展開は観ていませんが、この発言には正直、驚きました。
この番組のスポンサー企業はクレームをつけないのでしょうか、よくもまあ、こんな反国民的な番組にオカネを払うなと思います。
この仰天発言を聞く前、ゲストの神保氏と佐高氏が至極真っ当な発言をしていたのでTBSも変わったのかなと一瞬、期待しました。そして、さすがの悪徳ペンタゴン・マスコミもこの裁判があまりに異常だったので、同じ穴のムジナである悪徳ペンタゴン司法官僚に批判的になったのかと、筆者は一瞬、思ったわけです。だから普段はもう観なくなったこの番組を久し振りにちょっとだけ観ていたのですが、とんでもありませんでした。
K氏のこれまでの数々の発言から同氏は典型的な悪徳ペンタゴン・マスコミ人のひとりとみなせるのは確かです。したがって、上記のようなK氏の発言だけを聞いていたら、いつものとおりだと別に驚かなかったかもしれませんが、神保氏と佐高氏の真っ当発言の直後に、このK氏仰天発言が飛び出したのでビックリしたわけです。K氏は、両ゲストの発言に冷水を浴びせたわけです。このやりとりを観ていた国民は、どう感じたのか知りたいところです。
なお、上記、悪徳ペンタゴン日本人および彼らを動かす米国戦争屋の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
2.前代未聞の“推認”裁判が妥当だった?:TBSや毎日新聞の神経を疑う
法律の素人から見ても、あの裁判レベルがあまりに拙劣・幼稚だったので、ネットでは、あの裁判が異常だったと小学生でもわかるほどだと揶揄されています。いずれにしても、東京地裁は事前に、本裁判にて検察の調書を証拠として採用しないと表明していたのですから、常識的には有罪判決は下せなかったはずです。したがって、“推認”のみで有罪判決を下したこの仰天裁判結果を、いったいどういうつもりで、K氏は“極めて妥当な判決”と全国ネットのテレビ番組で公然と述べられるのか、心底、理解不能です。この人物はいったいどういう神経をしているのでしょうか、ほんとうに信じられません。
K氏発言の前に、ゲストが、このような裁判の前例が生まれると、今後、日本の司法がとんでもないことになるというような懸念と警告を述べているにもかかわらず、K氏はそれを平然と無視しているわけです。
こんな異様なシーンが全国ネットのテレビで堂々と放映されるとは、この日本は、もうとんでもない悪徳ペンタゴン居直り社会に転落してしまったと痛感せずにおれません。
同番組が今回出演させた、珍しく真っ当なゲスト二人が懸念していたのは、小沢氏秘書事件の有罪判決結果そのものではなく、推認のみで有罪判決が下されたという判決事例が生まれた点、この1点でした。これまで、戦後日本の裁判所が、国民の最後の砦として絶対的権威を維持できてきたとすれば、戦後日本の裁判所は、少なくとも、いかなる事件でも確たる証拠のない限り、被告を有罪にしてこなかった点(推定無罪原則)にあると言って過言ではありません。だから、国民はいかなる裁判でも、その判決を真摯に受け止めてきたわけです。
ところが、上記の小沢氏秘書事件の裁判では、国民からの裁判所に対する絶対的信頼の拠り所を、いともあっさり捨て去ったわけです。だから、これはまさしく前代未聞の深刻事態です。
繰り返しますが、この前代未聞の深刻事態が理解できれば、確かに、小学生でも怖くなります、なぜなら、国民はいったん被告にされたら最後、裁判所の裁量で簡単に有罪にされてしまうからです。
さて、そのK氏は小学生でも怖くなる深刻事態が日本で発生しているのに、自分は関係ないと思っているようですが、こんな人物をTBSや毎日新聞は会社の顔として平気で重用しているわけです。
3.マスコミ界では小沢氏を無力化することが絶対的正義となっている
悪徳ペンタゴン・マスコミは、2009年、小沢民主党が政権交代を実現して以来、小沢氏を一貫して敵視してきたのは確かです。今回のK氏の仰天発言から伺えるのは、悪徳ペンタゴンサイドからは、彼らの天敵・小沢氏に打撃を与えた今回の判決は大喝采ということです。その心根には“小沢よ、ザマーミロ、これでお前も年貢の納め時だ!”というような敵視感情が透けて見えます、中立性が命のジャーナリストにあるまじき心根です。
その結果、K氏は井の中のカワズとなって、知らぬ間に、自分の常識が国民の非常識と化していることに気付かなくなっています。
K氏はとにかく、天敵・小沢を一刻も早く、消し去りたい一心なのでしょうが、筆者を含む一般国民から見れば“自民党にも献金疑惑のある議員がゴマンといるのに、なぜ、小沢氏だけが司法に狙われるの?”という素朴な疑問が依然、消えません。
にもかかわらず、献金疑惑議員のデパート・自民党は、日本の司法の危機には目をつぶって、ハレンチにも小沢を国会で証人喚問しろと、この異常裁判を小沢氏攻撃に利用しています、まさに世も末です。
4.小沢氏秘書事件裁判の有罪判決を喜ぶ輩は悪徳ペンタゴンとネットウヨ
ネットでは、小沢支持者以外の第三者でも、小沢氏秘書事件裁判の推認判決を、司法の危機という視点から批判する人が圧倒的に多いのは確かです。上記、TBSも、それを知っているからこそ、不承不承で、珍しく真っ当なゲストを呼んで、この裁判を批判させて見せて、このTBS番組が政治的中立性を保っているかのように装ったつもりだったのではないでしょうか。ところが、この番組の常連・K氏の仰天発言であっさり尻尾を見せてしまったわけです。そして、ゲスト発言直後の同氏の仰天発言が視聴者に極めて不自然に映り、TBSの政治的偏向性が露呈し、TBSは愚かにも悪徳ペンタゴン・マスコミの正体を視聴者に気付かせてしまいました。
ところで、ネットでは、このK氏同様に、上記の仰天裁判の有罪判決を喜ぶ輩が少なくありません。彼らの多くは、本ブログから見れば、いわゆるネットウヨです、なぜなら、彼らは一般的にアンチ小沢だからです。彼らネットウヨは小沢氏が親中国派だからという理由で単細胞的に小沢氏=反日政治家とレッテルを貼るわけです。
一方、上記K氏に代表されるアンチ小沢の悪徳ペンタゴン・マスコミ人は、小沢氏が悪徳ペンタゴンの既得権益に手を突っ込もうとする政治家と断じて、小沢氏を敵視しているわけです。
その意味で、今回の小沢氏秘書事件裁判の有罪判決を喜ぶ輩は悪徳ペンタゴン、および悪徳ペンタゴンや似非右翼から往々にして踊らされるネットウヨということになります。
その似非右翼に踊らされるネットウヨは、悪徳ペンタゴン・マスコミの雄・フジテレビを反日マスコミ(親半島系マスコミ)と批判しているわけです(注2、注3)。
このように、今の日本には不健康な政治的倒錯人間が氾濫しています。それもこれも、米国戦争屋の巧妙な極東分断統治戦略(注4)の結果です。お人好し日本国民は、上記K氏のような人物が跋扈する悪徳ペンタゴン・マスコミに必要以上に依存せず、彼らマスコミを疑った上で、刮目してネット情報にもアクセスしてみてください、さもないと、とんでもない目に遭わされます、十分注意ください。
注1:本ブログ No.457『小沢氏秘書裁判:俺様に逆らう奴は、証拠がなくても有罪にしてやるという政治家全員への恫喝だ!』2011年9月27日
注2:本ブログ No.448『フジテレビや花王に抗議したいお人好し日本国民よ、誰かに利用されないようくれぐれもご用心ください!』2011年9月17日
注3:本ブログ No.450『フジテレビ抗議デモ:韓流偏向に留まらず、国民のマスコミ不信の爆発とみなせる』2011年9月19日
注4:本ブログ No.199『米国戦争屋の東アジア分断統治戦略を日本人は知っておくべき』2011年9月22日
ベンチャー革命投稿の過去ログ
テックベンチャー投稿の過去ログA
テックベンチャー投稿の過去ログB
http://www.asyura2.com/11/test23/msg/475.html
20110703 大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話 2
http://dai.ly/oLzXlJ
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矛盾 ビキニ事件、平和運動の原点/大石又七著
評者 小森陽一 東京大学教授
「しんぶん赤旗」 2011.10.02 日刊紙 7面 「読書」欄
「原子核を探し出し」「核爆弾」をつくり、「底知れぬ恐怖におびえ」るようになった人類は、次に「核の平和利用と謳って」「原子力発電」を「全面に出した」が、「その原発が今、牙をむいている」(「おわりに」)。
本書は、こうした「3・11」後の現状認識をふまえて、人類の歴史全体の中で「ビキニ被曝体験」をとらえ直そうとしている。そして長い歴史的射程の中で、世界と日本の近代以後の戦争の歴史に、「ビキニ事件」をあらためて位置づけ直そうともしている。
なぜなら「第五福竜丸」事件をめぐる真相が、著者への取材をもとにNHKの番組として制作される過程で、事実のねじまげや押し隠しが、元漁労長までをも巻き込んで行われたからである。
これまでの歴史は、戦争の勝者として、権力を掌握した者らが自己正当化のために書いてきた。そうした歴史を、偏見と差別と抑圧のもとにおかれつづけた、「ビキニ被曝体験」者の側から書きかえる実践によって、「見えない裏側の中に」ある「本質や真実」を明らかにすること。
著者は、この実践こそが、「戦いで死んでいった世界中の霊に報い」、同時に「未来の子どもたちに命を繋」ぐことだと読者に呼びかけている。
著者の戦後史認識は、「アメリカの核抑止力の有効性への理由のない信頼」と、「原子力発電所の安全性への理由のない確信」とが「つながって」いるとした、大江健三郎氏のル・モンド紙での発言と共鳴し合っている。
本書末尾のビキニ事件関連年表の最終項目は、第五福竜丸展示館で行われた大江氏との「核をめぐる対話」(ETV特集、2011・7・3)であり、そのときの写真が本書のとびらに掲げられている。
核兵器と原発を同時に無くすことが、九条の思想なのだ。
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大石又七著『矛盾』 ビキニ事件、平和運動の原点
283p / 19cm / B6判 ISBN: 9784943898986
武蔵野書房 税込1890円
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【関連サイト】
メルトスルーして穴が開いた圧力容器に水などありません。
広瀬隆が田中三彦から聞いたところでは、恐らく空気の温度を図っているのだろうと。
マスゴミは理解して記事を書いているとは思えない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/126.html#c29
逃げたと言う事は何もかも放り投げて行く事で
一気に事態が悪化するのは目に見えて明らかです。
次に震度6が来ればアウトだと言う事でしょう。
他にも聞いた事がありますが守秘義務のある彼ですので
公表は差し控えますがでも6月の時点で彼から聞いていた事が
悉く当っているので本当に私もどうして良いのやら・・・
こうなると自宅のない人や自営ではない人の方が
助かる確率が高く?なるかも知れませんね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/126.html#c30
みなさんが気になるストロンチウムの量ですが、文科省が分析もせず、発表していません。けしからん事態です。 しかし、東電が発表したF1から500m地点のストロンチウム値は、浪江町のセシウムの値の100分の1ほどです。ストロンチウムの漏えいはセシウムに比べて福島では少ないのでした。
ということは、福島では、圧力容器と格納容器が不完全ながらも存在しているので、粒子状や金属性の核種がかなり閉じ込められていると考えられます。これが、炉心が暴走破壊を起こしたチェルノブイリと大きく異なる理由でしょう。詳しくは炉物理の専門家に聞きたいところですが。
1.どこまでも懲りない日本のマスコミ人
2011年10月2日のテレビ番組・TBSサンデーモーニングを観ていて、ギョっとしました。レギュラーコメンテーターの毎日新聞・K氏が、小沢氏秘書裁判(注1)の判決を“極めて妥当な判決だった”と堂々と述べたからです。すぐに、スイッチを切ったので、その後の展開は観ていませんが、この発言には正直、驚きました。
この番組のスポンサー企業はクレームをつけないのでしょうか、よくもまあ、こんな反国民的な番組にオカネを払うなと思います。
この仰天発言を聞く前、ゲストの神保氏と佐高氏が至極真っ当な発言をしていたのでTBSも変わったのかなと一瞬、期待しました。そして、さすがの悪徳ペンタゴン・マスコミもこの裁判があまりに異常だったので、同じ穴のムジナである悪徳ペンタゴン司法官僚に批判的になったのかと、筆者は一瞬、思ったわけです。だから普段はもう観なくなったこの番組を久し振りにちょっとだけ観ていたのですが、とんでもありませんでした。
K氏のこれまでの数々の発言から同氏は典型的な悪徳ペンタゴン・マスコミ人のひとりとみなせるのは確かです。したがって、上記のようなK氏の発言だけを聞いていたら、いつものとおりだと別に驚かなかったかもしれませんが、神保氏と佐高氏の真っ当発言の直後に、このK氏仰天発言が飛び出したのでビックリしたわけです。K氏は、両ゲストの発言に冷水を浴びせたわけです。このやりとりを観ていた国民は、どう感じたのか知りたいところです。
なお、上記、悪徳ペンタゴン日本人および彼らを動かす米国戦争屋の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
2.前代未聞の“推認”裁判が妥当だった?:TBSや毎日新聞の神経を疑う
法律の素人から見ても、あの裁判レベルがあまりに拙劣・幼稚だったので、ネットでは、あの裁判が異常だったと小学生でもわかるほどだと揶揄されています。いずれにしても、東京地裁は事前に、本裁判にて検察の調書を証拠として採用しないと表明していたのですから、常識的には有罪判決は下せなかったはずです。したがって、“推認”のみで有罪判決を下したこの仰天裁判結果を、いったいどういうつもりで、K氏は“極めて妥当な判決”と全国ネットのテレビ番組で公然と述べられるのか、心底、理解不能です。この人物はいったいどういう神経をしているのでしょうか、ほんとうに信じられません。
K氏発言の前に、ゲストが、このような裁判の前例が生まれると、今後、日本の司法がとんでもないことになるというような懸念と警告を述べているにもかかわらず、K氏はそれを平然と無視しているわけです。
こんな異様なシーンが全国ネットのテレビで堂々と放映されるとは、この日本は、もうとんでもない悪徳ペンタゴン居直り社会に転落してしまったと痛感せずにおれません。
同番組が今回出演させた、珍しく真っ当なゲスト二人が懸念していたのは、小沢氏秘書事件の有罪判決結果そのものではなく、推認のみで有罪判決が下されたという判決事例が生まれた点、この1点でした。これまで、戦後日本の裁判所が、国民の最後の砦として絶対的権威を維持できてきたとすれば、戦後日本の裁判所は、少なくとも、いかなる事件でも確たる証拠のない限り、被告を有罪にしてこなかった点(推定無罪原則)にあると言って過言ではありません。だから、国民はいかなる裁判でも、その判決を真摯に受け止めてきたわけです。
ところが、上記の小沢氏秘書事件の裁判では、国民からの裁判所に対する絶対的信頼の拠り所を、いともあっさり捨て去ったわけです。だから、これはまさしく前代未聞の深刻事態です。
繰り返しますが、この前代未聞の深刻事態が理解できれば、確かに、小学生でも怖くなります、なぜなら、国民はいったん被告にされたら最後、裁判所の裁量で簡単に有罪にされてしまうからです。
さて、そのK氏は小学生でも怖くなる深刻事態が日本で発生しているのに、自分は関係ないと思っているようですが、こんな人物をTBSや毎日新聞は会社の顔として平気で重用しているわけです。
3.マスコミ界では小沢氏を無力化することが絶対的正義となっている
悪徳ペンタゴン・マスコミは、2009年、小沢民主党が政権交代を実現して以来、小沢氏を一貫して敵視してきたのは確かです。今回のK氏の仰天発言から伺えるのは、悪徳ペンタゴンサイドからは、彼らの天敵・小沢氏に打撃を与えた今回の判決は大喝采ということです。その心根には“小沢よ、ザマーミロ、これでお前も年貢の納め時だ!”というような敵視感情が透けて見えます、中立性が命のジャーナリストにあるまじき心根です。
その結果、K氏は井の中のカワズとなって、知らぬ間に、自分の常識が国民の非常識と化していることに気付かなくなっています。
K氏はとにかく、天敵・小沢を一刻も早く、消し去りたい一心なのでしょうが、筆者を含む一般国民から見れば“自民党にも献金疑惑のある議員がゴマンといるのに、なぜ、小沢氏だけが司法に狙われるの?”という素朴な疑問が依然、消えません。
にもかかわらず、献金疑惑議員のデパート・自民党は、日本の司法の危機には目をつぶって、ハレンチにも小沢を国会で証人喚問しろと、この異常裁判を小沢氏攻撃に利用しています、まさに世も末です。
4.小沢氏秘書事件裁判の有罪判決を喜ぶ輩は悪徳ペンタゴンとネットウヨ
ネットでは、小沢支持者以外の第三者でも、小沢氏秘書事件裁判の推認判決を、司法の危機という視点から批判する人が圧倒的に多いのは確かです。上記、TBSも、それを知っているからこそ、不承不承で、珍しく真っ当なゲストを呼んで、この裁判を批判させて見せて、このTBS番組が政治的中立性を保っているかのように装ったつもりだったのではないでしょうか。ところが、この番組の常連・K氏の仰天発言であっさり尻尾を見せてしまったわけです。そして、ゲスト発言直後の同氏の仰天発言が視聴者に極めて不自然に映り、TBSの政治的偏向性が露呈し、TBSは愚かにも悪徳ペンタゴン・マスコミの正体を視聴者に気付かせてしまいました。
ところで、ネットでは、このK氏同様に、上記の仰天裁判の有罪判決を喜ぶ輩が少なくありません。彼らの多くは、本ブログから見れば、いわゆるネットウヨです、なぜなら、彼らは一般的にアンチ小沢だからです。彼らネットウヨは小沢氏が親中国派だからという理由で単細胞的に小沢氏=反日政治家とレッテルを貼るわけです。
一方、上記K氏に代表されるアンチ小沢の悪徳ペンタゴン・マスコミ人は、小沢氏が悪徳ペンタゴンの既得権益に手を突っ込もうとする政治家と断じて、小沢氏を敵視しているわけです。
その意味で、今回の小沢氏秘書事件裁判の有罪判決を喜ぶ輩は悪徳ペンタゴン、および悪徳ペンタゴンや似非右翼から往々にして踊らされるネットウヨということになります。
その似非右翼に踊らされるネットウヨは、悪徳ペンタゴン・マスコミの雄・フジテレビを反日マスコミ(親半島系マスコミ)と批判しているわけです(注2、注3)。
このように、今の日本には不健康な政治的倒錯人間が氾濫しています。それもこれも、米国戦争屋の巧妙な極東分断統治戦略(注4)の結果です。お人好し日本国民は、上記K氏のような人物が跋扈する悪徳ペンタゴン・マスコミに必要以上に依存せず、彼らマスコミを疑った上で、刮目してネット情報にもアクセスしてみてください、さもないと、とんでもない目に遭わされます、十分注意ください。
注1:本ブログ No.457
『小沢氏秘書裁判:俺様に逆らう奴は、証拠がなくても有罪にしてやるという政治家全員への恫喝だ!』2011年9月27日
注2:本ブログ No.448
『フジテレビや花王に抗議したいお人好し日本国民よ、誰かに利用されないようくれぐれもご用心ください!』2011年9月17日
注3:本ブログ No.450
『フジテレビ抗議デモ:韓流偏向に留まらず、国民のマスコミ不信の爆発とみなせる』2011年9月19日
注4:本ブログ No.199
『米国戦争屋の東アジア分断統治戦略を日本人は知っておくべき』2011年9月22日
ベンチャー革命投稿の過去ログ
テックベンチャー投稿の過去ログA
テックベンチャー投稿の過去ログB
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/367.html
早稲田でできないのは
官民足並み揃った政治権力による弾圧だから。
つうことは、何処かの広場なるものはことごとく弾圧の対象であるということだ。
早稲田じゃなければだめなんだということが、
すなわち、早稲田以外でもやることが困難である、ということだ。
夢ばかりみてるんじゃないよ。
この一つの、あの一つの、現実の闘争が大事な事態なんだ。
闘争から逃げてたらいつか、どこでも排除されてしまうんだ。
いまはまだ、あそこでだめならここならいいかもしれない。
今はね。いずれはどこでもだめになるんだ。そうならないように、
今ここにしがみついて、今ここでの実現を争うべき事態だ。
今ここがだめなら、あそこもないのだ。
歴史を学び直せ。
ドイツは日本はどうなったんだ。
どんな立場も、程度の差と時期の差こそあれ、馬鹿以外は
最終的に迫害されたんだ。
今ならまだ、相対的にだだっ子になることがたやすい、
今から声を上げ、大騒ぎしなくてはならない。
いずれ、何も言えなくさせられる前に。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/118.html#c33
阿修羅でもこれを理解しているのは一握りしかいないよ。
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/444.html#c19
2011年10月2日 No.459 記事
タイトル:どこまでも懲りない日本のマスコミ人:小沢氏秘書裁判は妥当判決だと強弁するとは
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/26783525.html
(以下に全文転載しますが投稿者は番組観てないのでメインスポンサーは???)
1.どこまでも懲りない日本のマスコミ人
2011年10月2日のテレビ番組・TBSサンデーモーニングを観ていて、ギョっとしました。レギュラーコメンテーターの毎日新聞・K氏が、小沢氏秘書裁判(注1)の判決を“極めて妥当な判決だった”と堂々と述べたからです。すぐに、スイッチを切ったので、その後の展開は観ていませんが、この発言には正直、驚きました。
この番組のスポンサー企業はクレームをつけないのでしょうか、よくもまあ、こんな反国民的な番組にオカネを払うなと思います。
この仰天発言を聞く前、ゲストの神保氏と佐高氏が至極真っ当な発言をしていたのでTBSも変わったのかなと一瞬、期待しました。そして、さすがの悪徳ペンタゴン・マスコミもこの裁判があまりに異常だったので、同じ穴のムジナである悪徳ペンタゴン司法官僚に批判的になったのかと、筆者は一瞬、思ったわけです。だから普段はもう観なくなったこの番組を久し振りにちょっとだけ観ていたのですが、とんでもありませんでした。
K氏のこれまでの数々の発言から同氏は典型的な悪徳ペンタゴン・マスコミ人のひとりとみなせるのは確かです。したがって、上記のようなK氏の発言だけを聞いていたら、いつものとおりだと別に驚かなかったかもしれませんが、神保氏と佐高氏の真っ当発言の直後に、このK氏仰天発言が飛び出したのでビックリしたわけです。K氏は、両ゲストの発言に冷水を浴びせたわけです。このやりとりを観ていた国民は、どう感じたのか知りたいところです。
なお、上記、悪徳ペンタゴン日本人および彼らを動かす米国戦争屋の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
2.前代未聞の“推認”裁判が妥当だった?:TBSや毎日新聞の神経を疑う
法律の素人から見ても、あの裁判レベルがあまりに拙劣・幼稚だったので、ネットでは、あの裁判が異常だったと小学生でもわかるほどだと揶揄されています。いずれにしても、東京地裁は事前に、本裁判にて検察の調書を証拠として採用しないと表明していたのですから、常識的には有罪判決は下せなかったはずです。したがって、“推認”のみで有罪判決を下したこの仰天裁判結果を、いったいどういうつもりで、K氏は“極めて妥当な判決”と全国ネットのテレビ番組で公然と述べられるのか、心底、理解不能です。この人物はいったいどういう神経をしているのでしょうか、ほんとうに信じられません。
K氏発言の前に、ゲストが、このような裁判の前例が生まれると、今後、日本の司法がとんでもないことになるというような懸念と警告を述べているにもかかわらず、K氏はそれを平然と無視しているわけです。
こんな異様なシーンが全国ネットのテレビで堂々と放映されるとは、この日本は、もうとんでもない悪徳ペンタゴン居直り社会に転落してしまったと痛感せずにおれません。
同番組が今回出演させた、珍しく真っ当なゲスト二人が懸念していたのは、小沢氏秘書事件の有罪判決結果そのものではなく、推認のみで有罪判決が下されたという判決事例が生まれた点、この1点でした。これまで、戦後日本の裁判所が、国民の最後の砦として絶対的権威を維持できてきたとすれば、戦後日本の裁判所は、少なくとも、いかなる事件でも確たる証拠のない限り、被告を有罪にしてこなかった点(推定無罪原則)にあると言って過言ではありません。だから、国民はいかなる裁判でも、その判決を真摯に受け止めてきたわけです。
ところが、上記の小沢氏秘書事件の裁判では、国民からの裁判所に対する絶対的信頼の拠り所を、いともあっさり捨て去ったわけです。だから、これはまさしく前代未聞の深刻事態です。
繰り返しますが、この前代未聞の深刻事態が理解できれば、確かに、小学生でも怖くなります、なぜなら、国民はいったん被告にされたら最後、裁判所の裁量で簡単に有罪にされてしまうからです。
さて、そのK氏は小学生でも怖くなる深刻事態が日本で発生しているのに、自分は関係ないと思っているようですが、こんな人物をTBSや毎日新聞は会社の顔として平気で重用しているわけです。
3.マスコミ界では小沢氏を無力化することが絶対的正義となっている
悪徳ペンタゴン・マスコミは、2009年、小沢民主党が政権交代を実現して以来、小沢氏を一貫して敵視してきたのは確かです。今回のK氏の仰天発言から伺えるのは、悪徳ペンタゴンサイドからは、彼らの天敵・小沢氏に打撃を与えた今回の判決は大喝采ということです。その心根には“小沢よ、ザマーミロ、これでお前も年貢の納め時だ!”というような敵視感情が透けて見えます、中立性が命のジャーナリストにあるまじき心根です。
その結果、K氏は井の中のカワズとなって、知らぬ間に、自分の常識が国民の非常識と化していることに気付かなくなっています。
K氏はとにかく、天敵・小沢を一刻も早く、消し去りたい一心なのでしょうが、筆者を含む一般国民から見れば“自民党にも献金疑惑のある議員がゴマンといるのに、なぜ、小沢氏だけが司法に狙われるの?”という素朴な疑問が依然、消えません。
にもかかわらず、献金疑惑議員のデパート・自民党は、日本の司法の危機には目をつぶって、ハレンチにも小沢を国会で証人喚問しろと、この異常裁判を小沢氏攻撃に利用しています、まさに世も末です。
4.小沢氏秘書事件裁判の有罪判決を喜ぶ輩は悪徳ペンタゴンとネットウヨ
ネットでは、小沢支持者以外の第三者でも、小沢氏秘書事件裁判の推認判決を、司法の危機という視点から批判する人が圧倒的に多いのは確かです。上記、TBSも、それを知っているからこそ、不承不承で、珍しく真っ当なゲストを呼んで、この裁判を批判させて見せて、このTBS番組が政治的中立性を保っているかのように装ったつもりだったのではないでしょうか。ところが、この番組の常連・K氏の仰天発言であっさり尻尾を見せてしまったわけです。そして、ゲスト発言直後の同氏の仰天発言が視聴者に極めて不自然に映り、TBSの政治的偏向性が露呈し、TBSは愚かにも悪徳ペンタゴン・マスコミの正体を視聴者に気付かせてしまいました。
ところで、ネットでは、このK氏同様に、上記の仰天裁判の有罪判決を喜ぶ輩が少なくありません。彼らの多くは、本ブログから見れば、いわゆるネットウヨです、なぜなら、彼らは一般的にアンチ小沢だからです。彼らネットウヨは小沢氏が親中国派だからという理由で単細胞的に小沢氏=反日政治家とレッテルを貼るわけです。
一方、上記K氏に代表されるアンチ小沢の悪徳ペンタゴン・マスコミ人は、小沢氏が悪徳ペンタゴンの既得権益に手を突っ込もうとする政治家と断じて、小沢氏を敵視しているわけです。
その意味で、今回の小沢氏秘書事件裁判の有罪判決を喜ぶ輩は悪徳ペンタゴン、および悪徳ペンタゴンや似非右翼から往々にして踊らされるネットウヨということになります。
その似非右翼に踊らされるネットウヨは、悪徳ペンタゴン・マスコミの雄・フジテレビを反日マスコミ(親半島系マスコミ)と批判しているわけです(注2、注3)。
このように、今の日本には不健康な政治的倒錯人間が氾濫しています。それもこれも、米国戦争屋の巧妙な極東分断統治戦略(注4)の結果です。お人好し日本国民は、上記K氏のような人物が跋扈する悪徳ペンタゴン・マスコミに必要以上に依存せず、彼らマスコミを疑った上で、刮目してネット情報にもアクセスしてみてください、さもないと、とんでもない目に遭わされます、十分注意ください。
注1:本ブログ No.457『小沢氏秘書裁判:俺様に逆らう奴は、証拠がなくても有罪にしてやるという政治家全員への恫喝だ!』2011年9月27日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/26714643.html
注2:本ブログ No.448『フジテレビや花王に抗議したいお人好し日本国民よ、誰かに利用されないようくれぐれもご用心ください!』2011年9月17日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/26561374.html
注3:本ブログ No.450『フジテレビ抗議デモ:韓流偏向に留まらず、国民のマスコミ不信の爆発とみなせる』2011年9月19日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/26594807.html
注4:本ブログ No.199『米国戦争屋の東アジア分断統治戦略を日本人は知っておくべき』2011年9月22日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/18808617.html
ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm
テックベンチャー投稿の過去ログ
http://www.elmstadt.com/news/techventure.html
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html
それはさておき、ドミノの後には、良い芽が顔を出し、良い世の中になるのでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/423.html#c11
確かに日本政府のやってることを言い当ててる。
俺の知識では高汚染地には、ソ連並みには避難させるべきと思うが
残念ながら人道的には下になってる。
6万Bq/m2〜60万Bq/;m2のセシウム範囲が福島市から群馬県の
沼田市までも延びてるけどソ連では、希望者移住から強制移住範囲になる。
日本では学校を除染するくらいで誤魔化してるから、人間的暖かさでは日本
がソ連よりまだ劣ってるといえる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/143.html#c7
定期検査中の北海道電力泊原発(泊村)1、2号機の再稼働問題が争点となった岩内町の任期満了に伴う町長選が2日投開票され、原発容認派の上岡雄司氏(61)=無現=が、反対派の元町議大石美雪氏(63)=共新=を破り3選を確実にした。
岩内町は泊原発の半径10キロ圏にあり、道の防災計画で対策の重点地域に指定されている。
上岡氏は、泊原発について「新たな安全監視体制を早期に確立する」と主張。将来的な代替エネルギー導入に意欲を見せたほか、2期8年で財政健全化を進めた実績をアピールし支持を広げた。
大石氏は脱原発を掲げ、再稼働は住民投票で判断すべきだと訴えたが、及ばなかった。
2011/10/02 21:59 【共同通信】
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/151.html
「日給2万円で福一に死にに行け!嫌なら辞めろ!」
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/147.html#c4
反原発で身を挺して闘ってきた原子力の研究者や物理学者は、たくさんいます。
04さん
>>管理人からの一言。
>文字に起こしましたが、必ずまずは動画で見てください。そういう作品です。情報ではなく情感で、私たちに多くのことを伝えます。
この文章は冒頭にもありましたが、「管理人」とは、「阿修羅の管理人」さんなのですか?
しかし、この問題は、「情感」でもって語るべき性質のものでしょうか?
その意図するところが、よくわかりません。
それから、04さん。小出氏は「ノーベル平和賞」ではなくて、
今年の山下俊一氏と同じく、がん患者の大量発生に寄与する発言の功績が評価されて、
来年度の「朝日がん大賞」に内定していることを、ご存じないのですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/142.html#c29
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111002-00000540-san-pol
連合、原発政策見直しへ 推進から脱原発依存に転換
産経新聞 10月2日(日)22時7分配信
民主党最大の支持組織である連合(古賀伸明会長)は原子力政策をこれまでの推進から脱原発依存へと転換する方針を固めた。4日の定期大会で正式表明する。野田佳彦首相は9月の所信表明演説で、電力の原発依存度引き下げを明言しており、連合も支持団体として政権と足並みをそろえる必要があると判断した。
新政策では、現在稼働中の原発の即時運転停止は求めず、耐用年数を過ぎた原子炉から廃炉とし、新たに増設はしないことを打ち出す。代替エネルギーの開発を進めて順次振り替える。
ただ、中国や韓国など近隣諸国は原発を今後も増設予定であり、日本が原発新設を停止することで技術力や原発輸出における国際競争力が弱体化する恐れもあるため、今後1年程度検討して具体的な方針をまとめる。
連合内には原子力政策について電力系労組などを中心に推進論がある一方で、慎重論も根強かったが、昨年8月にまとめた「エネルギー政策に対する連合の考え方」で、新増設を「着実に進める」として推進の立場を初めて明確にした。
しかし、3月の東京電力福島第1原発事故を受けた5月の中央執行委員会では「より高度な安全確保体制の確立、地域住民の理解・合意という前提条件が確保され難い状況にある」として、推進方針の凍結を決めた。
首相は1日に古賀氏と会談した際、「早急に乗り越えなければならない課題があるので連合の支援をお願いしたい」と述べ、原発問題を抱えるエネルギー政策などの推進に向けた協力を要請した。
首相は9月13日の所信表明演説で、来年夏までに政府のエネルギー基本計画を見直し「中長期的には原発への依存度を可能な限り引き下げていく」と述べた。
福島第一原子力発電所正門前で、4月10日午後2時に計測しました。私は防護衣、防護マスク、メガネ等は装着せず、普通の恰好でした。ここではガンマ線線量率、毎時35マイクロシ−ベルト、1日線量0.84ミリシーベルトでした。ということは、胸部X線撮影8枚分くらいです。1日中この場所にいた場合です。24時間もここに立つ人はいないと思いますが、24時間立ち続けるならばX線撮影8枚分ということになります。
いきなりここに立ったわけではなくて、福島市から車で少しずつ接近していって、20キロメートル圏内の調査も含め、いろいろな調査を終え最終的に、もちろん安全を確認しながら接近接近していったわけです。
さてこの値は、チェルノブイリがよく引き合いに出て、ニュースにも「チェルノブイリと同じレベルの災害レベル7である」と出ているわけですが、このデータを見るかぎり核放射線レベルとしては全く低いレベルで、チェルノブイリ4号炉の緊急時に比べ、線量的には2000分の1ということになります。
この推定は当時の放射線防護上の、いくつかのデータから見積もっています。チェルノブイリの勤務医、ベクロン医師が負傷した人たちを救急的に対処していて、急性放射線障害になっています。チェルノブイリの敷地内で急性放射線障害を起こす線量というのは、シーベルトでいきますと1〜3シーベルトです。この医師は死亡しておりません。仮に2シーベルトとしますと私の線量の2000倍以上ということで、チェルノブイリと比較すると福島第一原子力発電所正門あたりの線量は2000分の1以下ということになるわけです。
チェルノブイリ事故のときは急性放射線障害での死亡者はおよそ30人います。今回の地震はマグニチュード9.0、それに続く巨大津波で発電所が大きな影響を受けたわけですが、このときに急性放射線障害で死亡した運転員は1人もいないということです。したがって、線量的に高いものがなかったということは、そこでも見えています。
甲状腺の線量検査ですが、調査員の私たちも含めて89人検査しました。例えば放射性ヨウ素131を体内に入れると甲状腺に蓄積するので、甲状腺に線量率計を持っていくと顕著に放射線が検出されます。その線量率から甲状腺にたまっている放射性ヨウ素131の放射能の量を評価することが可能です。私は10年前に内部被曝線量その場評価法で甲状腺のヨウ素を評価する方法を研究していました。その方法を使って今回、福島県の人たちを測定したわけです。
甲状腺に蓄積した放射能は3キロベクレルというのが最大値です。ということで、暫定ですが、甲状腺線量が7.8ミリグレイと推定されました。これに対しチェルノブイリの被災者の最大値は50グレイ(=50,000ミリグレイ)です。私たちが今測っているのはミリですから6000分の1になるわけです。福島県のほとんどの人たちはもっと低いということで、甲状腺がんの発生のリスクはないと判断できます。チェルノブイリではどうであったか。甲状腺の線量が最大で50グレイ(=50,000ミリグレイ)、ある地域の平均が3グレイ(=3,000ミリグレイ)で4000人以上の子供に甲状腺がんが発生しています。線量の違いから、福島県の場合は、甲状腺がんは発生しないという予測になります。
「チェルノブイリ原発事故と同じレベル7」は、だいぶ現実と乖離していると言わざるを得ない。どういう専門的な評価でこうなったのか、これから確認していかないといけないと思いますが、一部の原子力安全・保安院等の見当だとしたらまずいのではないか。国内の専門家が発電所のなかに入っていないというのが問題だといろいろなところで言われています。災害対策本部も科学的な専門家の体制はいかがなものか、非常に疑問に思っています。
日本でも今、福島県やその周辺地域で生産された牛乳の安全性が問題視されている。確かに、牛乳は水道水などと異なり、食物連鎖によって放射性ヨウ素の濃度が高まり、この汚染牛乳を飲み続けると、放射性ヨウ素が甲状腺に蓄積して甲状腺の健康被害が懸念される。
しかし、3月20日の報告によれば、福島県の牛乳は1キロあたり5200ベクレルの放射性ヨウ素に汚染されているとして出荷停止措置がとられたが、仮に出荷停止前のこの原乳を最大で5リットル飲んだとしても、それは0.6ミリシーベルト(レベルE)以下で、甲状腺へのリスクは無視できる。
今回、福島県で20キロメートル圏内からの避難住民を中心に、甲状腺に沈着した放射性ヨウ素量を県民希望者66人に対し検査したが、最も値が高かった人でも3.6キロベクレルで甲状腺がんのリスクは全くない範囲。レベルでいえば、全員がF〜Dの範囲であった。
チェルノブイリの被災者の場合には、福島の1000倍以上のヨウ素を取り込んだことからも、放出放射能量が福島とは比べものにならないほど多く、地域全体がヨウ素欠乏地帯であったことも災いした。日本人の食生活は、海藻類など普段から安定ヨウ素を取り込んでいるので影響は少ない。
福島のある地域では、搾乳したばかりの生乳をそのまま廃棄処分にしているが、これなど本当にもったいない。というのも、放射性ヨウ素の半減期は8日なので、例えば80日もすれば、放射能は1000分の1になり、ほとんどなくなってしまう。先の汚染牛乳でバターを作った場合、80日後の放射能は、キログラムあたり、わずか5ベクレル。私たちの体には、放射性カリウムが体重1キログラムあたりおよそ67ベクレルあるので、これに比べても十分低い。
したがって、汚染された牛乳を使ってアイスクリームやバター、チーズなどを作り、しばらく保管してから出荷すれば問題ない。
政府は牛乳を一括で買い上げて乳製品に加工して「東日本大震災復興商品」などと売り出せばよい。それが酪農家への救済にもなるし、経済の悪化を食い止める一つの方法だと思う。科学技術立国日本の知恵と勇気を世界に示すチャンスである。
また、ホウレンソウについても、大きな誤解に基づく風評被害が出ている。まず、野菜は洗った後で食べるので、その時点で1%〜10%の放射能を減らすことができる。茨城県日立産のホウレンソウは1キロあたり540〜5400ベクレルなので、洗浄後、1回に50グラム食べるとすると25〜250ベクレルとなり、4回食べても1000ベクレル以下ということになる。
私は1997年にチェルノブイリ事故調査で現地入りした際、ロシア最大の汚染地とされたザボリエ村でセシウムの放射能が4000ベクレルに達したキノコを食べた。その後、調べてみると、私の内部被曝線量は0.04ミリシーベルト(レベルE)に過ぎない。
セシウムの物理半減期は30年だが、人体の代謝により実行半減期は100日と短い。さらに、人体にはもともと平均4000ベクレルの放射性カリウムの放射能があり、人や動物には体内の放射能に耐性がある。
さらに、病院での核医学検査では多量の放射能を患者さんに投与する。例えば、PET診断での投与量は、副甲状腺撮像で放射性炭素が4億ベクレルである。
また、4月段階の福島を含めて、東日本の放射線状態を高めている原因核種はヨウ素131であり、これは2カ月もすれば大幅に減少する。放射性セシウムは体内で筋肉全体に分布するが、生物半減期は短い。これによる発がんなどの健康被害はチェルノブイリ20年間の疫学調査で見つかっていない。
2011年4月9日、10日と2日間にわたり20キロメートル圏内に突入し、放射線環境を調査しながら、徐々に福島第一原発敷地境界に接近していった。
敷地内にプルトニウムが検出されたとの報道があったので、念入りに境界付近数か所の地表面でアルファ線計測を実施した。結果は最大で毎分7カウントしかなかった。空中ではアルファ線は検出されなかった。すなわちプルトニウム微粒子が空中を漂ってはいないのだ。アルファ粒子はプルトニウムが放射するが、空気中を5センチメートルしか飛ばないのだ。少しだけ、敷地境界近くの地表面にプルトニウムがあるかもしれないと考えられる。
私のセミパラチンスク核実験場内の地表核爆発地点の調査では、毎分200カウントもの値だった。しかも、空中でも10カウントも計測されたのであった。その地表は、顕著にプルトニウムで汚染しており、プルトニウムの微粒子が舞い上がっているのだ。
これと比較しても、福島第一原発での調査時に、プルトニウム微粒子の吸い込みのリスクは無視できる。したがってマスクは不要だったのだ。プルトニウムの吸い込みは、肺がんリスクを高めるが、この心配はいらなかった。
私はオンサイト近傍で最大10ミリシーベルトの被曝を覚悟していたが、実際は100分の1と低く、拍子抜けするものだった。さらにマスクと簡易防護衣を用意はしていたが無用だった。
放射性物質は風向きなどによって数値が変わってくるため、ある一定時間測り、たとえその時、値が低くても決して安全とはいえないのではないかと疑問に思われるかもしれない。ところが、今回の調査では5日間にわたって常に放射線量を測定している。福島20キロメートル圏内を出入りした3日間の積算線量は0.10ミリシーベルト(=100マイクロシーベルト)であった。すなわち、今後の放射性ヨウ素の減衰を予測すれば、現地に1カ月滞在しても1ミリシーベルト(=1000マイクロシーベルト)にも満たないのである。
さらに、毎日、自分自身の喉元の計測もしたが、甲状腺線量は検出下限以下の範囲であった。
もちろん、核緊急事態にある福島第一原発の敷地内が高線量であるのは別である。それは病院放射線科のがん治療用装置が致死線量を発するのと似た意味である。
放射線防護学研究者談
つまり日本の原油買い付け価格は、信じられないくらいの安値買い付けのハズ
当然、エネルギー供給会社の仕入れ値は半値以下になってるだろうに・・・
反対にガソリン代も電気代も値上げかよ
しかも、その半分は税金
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/450.html#c2
東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、
アメリカでも市民の間で原発の安全性を疑問視する声が高まるなか、
1日、脱原発を求める市民の集会が全米各地で開かれました。
脱原発を求める集会はアメリカの15か所で開かれ、このうちニューヨークでは、
ハドソン川に面した公園でおよそ300人が参加しました。
104基の原子炉を抱えるアメリカでは、福島第一原発の事故はニュースで
大きく取り上げられたほか、最近ではアメリカの原発でも
竜巻や地震などによって緊急停止するなどの事態が起き、
市民の間で原発の安全性を疑問視する声が高まっています。
集会では市民団体の代表が演説し、地元ニューヨーク州で
40年近くにわたって稼働している原発の閉鎖を求めました。
また、ニューヨークに住む日本人女性が福島県の現状について
「母親たちが子どもにマスクをつけさせるべきか、
外で遊ばせないべきかと自問自答しなければいけない毎日です」と訴えました。
参加した人たちは「福島での事故は原発に対する私の意識も変えた。
日本で起きるのであれば、どこでも起きうることだと思うようになった」とか
「この問題は日本だけの問題ではなく、国際社会の悲劇だと思う」などと話し、
原発から環境にやさしいエネルギーへの転換を求めていました。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/152.html
3.11の後、気がつけば、友達がふえていた。 3.11の東日本大震災で、日本は大きな傷を負った。 多くの命が、大切なものが奪われた。福島第一原発事故はチェルノブイリ以来の大事故となった。 今後、日本と世界はこの問題を長く抱えて生きて行くことになるだろう。 気がついたら、いろんな人たちと語り合っていた。新しい友達もふえていた。その『友人たち』が語る震災当時と、その後、そして今。 そこから浮かび上がる日本の今と未来、問題と課題を描きたい。 岩井俊二
宮城県仙台市出身の映画監督、岩井俊二氏がナビゲーターとなって 東日本大震災後の日本の今、未来を、ゲストとの対談で綴るドキュメンタリー。
監督=岩井俊二
ナビゲーター=松田美由紀
出演=山本太郎、小林武史、北川悦吏子、鎌仲ひとみ、上杉隆、小出裕章、飯田哲也、岩上安身、田中優、藤波心 他
■小出裕章&松田美由紀&岩井俊二 friends after 3.11
http://www.youtube.com/watch?v=xgBWpmRiajM
■飯田哲也&吉原毅&タン・チュイムイfriends after 3.11
http://www.youtube.com/watch?v=-10IumyOpBM
■岩井俊二監督「friends after 3.11」エンディングテーマ
野田洋次郎 - ブレス RADWIMPS
http://www.youtube.com/watch?v=qTNyCYxkv5A
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/153.html
一度は事業仕分けをして、凍結とされていた朝霞公務員宿舎が野田首相が財務相時代、当時レンホウ行政刷新担当相も、公務員宿舎費を 削減する見直し案で、解凍した経緯がある。
事業仕分けで華々しく発表した割には、解凍の際は、説明不足も甚だしい。
国民の知らぬ内に、ちゃっかり復活した朝霞宿舎だが、ここへ来て野党側や、国民から多くの批判を浴びて、野田首相主導で凍結の方向へ進むのではないかと言われている。
朝霞宿舎復活として、安住財務相は”他の公務員宿舎を処分して、朝霞宿舎を作った場合、まだ15億円程度の利益が出る、”と、売却収入と建設費の差額を復興財源に回すと強弁していたが、今日、新報道2001を見ていたら、長妻議員と同席していた大串内閣府政務官が、計ったかのように全く同じような発言をしていた。
”他の公務員宿舎12カ所分、処分するということとセットのことなんだと。もし、朝霞の住宅を造らないということになると、10億から20億円の利益が出ないということになります。その分、復興に向けた財源をどこから探してくるのかと。”
もっともらしく言っているが、この議員は元々は財務省出身者だけに、財務省の代弁者になり下がっている。
安住もしかり。
財務省の振り付け通り語っているだけで、庶民から見た発想がまるでないのが特徴だ。
民主党は、国民生活が一番と言っていたが、今の所大ウソだ。
他の宿舎を処分すると言う事は分るが、それと引き換えに朝霞を建てる意味が分からない。
12宿舎を売り払い、朝霞宿舎も白紙に戻したら、220億円もの財源が出てくると言われているから、それで充分財源になると思うが。
どいつもこいつも、財務省の指示通り動いている。
朝霞宿舎ばかりが話題になっているが、杉並の公務員宿舎も12月着工と言うから、本当に国民を馬鹿にした話だ。
>杉並の公務員宿舎、12月着工 凍結一転…
産経新聞 10月2日(日)7時55分配信
>行政刷新会議の事業仕分けで凍結された国家公務員宿舎の問題で、東京都杉並区の公務員宿舎(方南町住宅)は12月に工事を再開することが1日、分かった。
なんだか、だまされた感で一杯だ。
財務省の言い訳として、”宿舎はすでに民間業者と工事契約済みで、着工が遅れれば賠償金が発生する懸念もあるとしている”が、自分たちは事業仕分けなど何も怖くなかったのだろう。
後でこっそり予算を復活させられるのだから。そしてなにかあると賠償金を持ち出せば国民を屈服させられると思っているのだろう。
そして、言い訳の最たるものは、”何か災害が発生した時、すぐに駆けつけられるとしている”だ。何も宿舎に住まわなくても、民間アパートに住んでいても、駆け付けられないわけではない。
詭弁もいいところだし、今、民間では社宅はどんどん減っている。
公務員も宿舎に住まわなくても、この財政難を乗り切るためにも住宅手当で充分だと思うが。
いつまでも浮世離れしているのが、この国の公僕達で、時代の波も知らないでいるような気がしてならない。
コメントありがとうございます。震度とマグニチュードのおおよその対応は以下のようです。震度6弱の地震が、福島原発の直下で起きれば、終了だと思って逃げます。マグニチュード7を超えるような震度6強の地震が、福島原発直下ではなく、福島や茨城沖で起きた場合も、ほぼ終了でしょう。福島・宮城・茨城沖でマグニチュード8前後が起きた場合は、間違いなく終了ですので逃げます。
震度6弱 M6.2〜M6.7
震度6強 M6.8〜M7.3
震度7 M7.4〜M7.9
ttp://book.geocities.jp/u_jishin_yochi/Mars_PlateTectonics_Info_Power_Mexchange.htm
補足(TPPについて):
中野剛志 京都大学準教授
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1069.html
http://www.youtube.com/watch?v=nRmNJpUj5sI
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20101218
原発危機と双璧をなす危機、TPPの危機があります。Trans-Pacific Strategic Economic Partnershipの略ですが、要するに、本質は、国家統合です。日本という国が米国にいよいよ併合されます。昔、日本は植民地である韓国を併合し、日本国の一部としました(それと同じ)。併合されれば、国家主権は奪い取られ、アメリカの法律が日本国内で適用され、関税やパスポートもなくなります。EUのような超国家的なもの(実態はアメリカ)を作ろうとしているのです。米国が小泉や竹中に推進させた新自由主義政策は、TPP完成のための捨て駒だったわけです。
まず、日本人みんなが銃を持つようになるでしょう(銃所持解禁)。そして、関サバなどのブランド農産物は値段がベラボーに上昇し、日本人は食べれなくなるでしょう。それらは多国籍企業の支配階級が食べるものとなります。また、食糧自給率は限りなく0%に近づくでしょう。日本人は、米国産の遺伝子組み換え食品にたっぷりと発ガン性の防カビ剤を塗ったチープなものしか食べれなくなり、どんどん癌になります。
340兆円の郵貯簡保の資金は外資に乗っ取られ、自由に米国債やサブプライム証券を買ってパーにされてしまいます。どうせそのうち金本位制に戻るでしょうから。年金・郵貯・健康保険などの制度は、民営化され、日本人の預金は吸い取られてしまいます。低賃金労働者および高賃金労働者が大量に日本に流れ込み、職を失った日本人は、奴隷的労働しかなくなります―残るのは原発での労働くらいかもしれません。
TPPは、日本破壊工作であり、日本のアメリカへの併合(吸収)&奴隷化です。反対しましょう。そして、日本語の壁を利用して、日常会話の中に古文や漢文を混ぜ、仏教用語も多用するような非常に難しいコミュニケーションを行いましょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/126.html#c31
圧力容器の中にはもう、燃料がないわけですから
100度以下に下がらなければ、むしろおかしいのです
空っぽの容器をを測って
「温度が下がったぞ〜」・・・と言っているようですが
*粒子状や金属性の核種がかなり閉じ込められていると考えられます。
80キロまでしか調べないのになぜわかるのですか
15日の夕方、那須塩原で強い金属の焦げる臭いがしてきて
すぐに避難・・・臭いは(150キロぐらいかな?)宇都宮を過ぎるまでついてきました。
細かい粒子状の核種がかなり遠くまで移動したと思いますが
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/108.html#c25
南相馬市小高をすぎて、国道6号を南に向かっている時だった。運転席のジローくん(仮名)が左側を指差した。
「ほら、あれ、略奪されたコンビニ」
一見するとどこにでもある普通のコンビニだが・・・。
え? ぼくは戸惑った。被災地では略奪はなかったことになっているのでは?
「ATMが壊されて金が盗まれたらしいス」
広い駐車場にワンボックスカーを入れた。今度も手短にお願いします。国道はパトカーが多いですから。ジローくんはそう言って、また「見張り役」を引き受けてくれた。
セブン-イレブンに歩み寄る。向かって左側の側面のガラス壁が割られていた。人がくぐれるくらいの穴があいている。
破壊されたATM、中身がぶちまけられた商品
頭を中に入れたとたん、何か邪悪な空気が気道に流れ込んできて、胃からすっぱい塊が上がってきた。それは肉や野菜が腐った匂いだった。
私は中で何が起きているか、察知した。コンビニが1軒まるごと腐っているのだ。
破壊されていたATM
こういう匂いは殺人事件の取材で経験があった。私はマスクの上から頭にかぶっていた手ぬぐいを巻き、後ろで縛った。そして深呼吸して、鼻から息を吸わないようにして、中に入った。
真っ先に目に飛び込んできたのは、破壊されたATMだった。パネル画面の下の引き出しのような部分(こんな部分が隠れているとは知らなかった)が前に出ている。何か巨大なニッパーでねじ切られたかのように、金属部分がちぎれていた。紙幣か何かを収容していたらしい。空っぽだった。
息が荒くなった。こらえても邪悪な空気が鼻に入ってくるのだ。
そして暑い。カメラを握る指先が汗でぬるぬるした。
床が見えないくらい商品が散乱していた。いや、もう商品ではなかった。スナック菓子の袋が引き裂かれ、カップ麺の容器はちぎれて中身がぶちまけられている。
レジ横に、カップ麺用なのか白い電気ポットがあった。その周辺に、ブルーベリージャムが点々と落ちている。
なぜここにジャムが?
よく見ると、それは鳥のフンだった。動物らしい泥の足跡もある。誰かがコンビニのガラスを破って中に入ったあと、鳥や動物が入って食べ物を荒らしたのだ。なるほど、ポテトチップやスナック菓子の袋を破って中身を食べたのはカラスや鳥かもしれない。
商品が床に散乱するコンビニの店内
店内を一周する。ホワイトデーのギフトバッグが手つかずで並んでいる。3月11日の朝刊がそのままになっていた。ひからびて雑巾のように蒸し器にへばりついた肉まん。サラダは溶けてどす黒い液体になっていた。
一見、そこは私の家の近所にあるセブン-イレブンと同じだった。だが入ってみると、それはミイラになったセブン-イレブンだった。
なくなっているもの。おにぎり。サンドイッチ。そしてペットボトルの水やお茶。やっぱり。ペットボトルを盗むのは動物や鳥じゃない。床を見ると、買い物かごに野菜ジュースやコーヒーだけが仕分けられている。持ち出そうとしてやめたようだ。
歯ブラシ。歯磨き。タオル。ひげ剃り。なるほど洗面用具か。これは動物が持ち去るわけがない。人間の仕業である。
そして店内をぐるりと回って雑誌スタンドの前に来て、力が抜けた。数ある雑誌の中で、アダルト本コーナーだけが、きれいに抜き取られて空っぽになっていた。
放射能災害の現場で略奪するものが、エロ本かい!
私は心の中で略奪犯にツッコミを入れた。
なぜみんな防護服を着ていないのか
「タバコ、ありました?」
車に戻ると、ジローくんが言った。見てないけど、あったかも。そう言うと「じゃあ取ってこよう」とカジュアルに言う。やめた方がいいですよ、と止めるも、スタスタ歩いて行ってしまった。
「ぎゃあ! くせえ!」
破れたガラスの前で叫ぶと、ダッシュして戻ってきた。
「くっせえ! なんすか、あれは!」「わ! 防護服までくせえ!」
袖をくんくん嗅いでいる。私はげらげら笑った。悪いこと考えるからですよ。
一刻も早く立ち去ろう。ガラスの破れたコンビニの前で、騒いでいる防護服の2人組はどう見ても怪しい。
誰もいないはずの20キロ圏内で、時々車とすれ違った。警官ではない。がれきや廃材を積んだトラック。老夫婦が軽四輪を運転していたこともある。しかも、みんな平服で、防護服など着ているのは私たちだけなのだ。そういえば、警官もごく普通の制服だ。
「あれは、一時帰宅ですかね」
「さあ?」
2人で首をひねった。一時帰宅なら、20キロラインのちょうど外にある南相馬市の「馬事公苑」に集合してバスで入るはずだ。
「何か商売かな? 許可証をもらんたスね。いずれにせよ」
ジローくんもわけが分からないらしい。これでは一体何のための立ち入り禁止規制なのだ?
線量計を見る。毎時0.2マイクロSv(シーベルト)。これでは福島市や郡山市と同じだ。いまの福島県の感覚では「平常」「やや低め」である。
一体どうなっているのだ。ここは政府が立ち入りを禁止しているゾーンなのだ。福島第一原発から10キロ前後なのだ。逮捕するとまで言っているのだ。新聞やテレビは「線量が高く危険」と取材に入ろうとしないのだ。もしここがそれほど危険なら、福島市や郡山市も立ち入り禁止にしなくてはならない。
学校に吸い寄せられる放射線
もう1カ所立ち寄ったのは、学校だった。「鳩原小学校」と地図にはある。だが、どうもピンとこない。向こうに白い校舎らしい建物が見える。手前にサッカーゴールやブランコが見える。確かに学校らしいのだ。
背丈ほどのセイタカアワダチソウで埋まった小学校のグラウンド
が、問題は、自分がいま立っている校門から校舎の間までずっと、背丈ほどのセイタカアワダチソウが埋めていることだ。サッカーゴールの下半分が草原に埋まっている。風でその草原がざわざわと揺れる。
まったく見たことのない風景なので、ここが学校だと言われてもピンとこない。
地面を見ると、自分が立っているのがグラウンドらしいと分かった。が、表面は雨で流れ、塩田のようにひからびている。シカやヤギらしい足跡が点々と続いていた。
線量計を取り出した。毎時1.57マイクロSv。がっくり力が抜けた。いちばん放射線の影響を受けやすい子どもが過ごす学校に限って、線量が高くなる。そんな話は、先立って訪ねた飯舘村でも聞いた。
舗装面では、雨が降ると、地表に落ちた放射性降下物(いわゆる死の灰)を洗い流す。が、校庭やグラウンドは露地なので、降り積もったままになる。地面にしみ込む。校舎は屋根の面積が広く「大きな漏斗」のように雨を集める。雨と一緒に落ちてきた放射性降下物が集まり、雨樋で1カ所に流れ込む。行き先の側溝や水はけ口の線量が高くなる。飯舘村で聞いたのはそんな話だ。
ブランコも登り棒も、セイタカアワダチソウに埋もれていた。日が西に傾き始めていた。私はここを子供たちが駆け回る姿を何とか想像しようとしたが、だめだった。暑さと疲れで頭がぼんやりし始めていた。
モンスターまであと5キロ
南に走った。ジローくんも私も黙っていた。疲れてきた。汗でぐっしょり濡れたズボンが重く冷たかった。
浪江町に入って何分くらい走ったのだろう。ジローくんが突然車を止めた。標識を見ると、もう少しで福島第一原発のある双葉町だった。私はジローくんを見た。ジローくんも私を見た。唇がかすかに動いて、小さな声がした。
「双葉町に入るのは、ちょっと・・・」
私は言葉に詰まった。口にはしなかったが、ジローくんの目には、怯えの色が走っていた。
目の前には、がらんとした無人の国道と街が続いていて、西日が長い影を落とし始めていた。
るるる、というエンジンの音だけがした。外は海底のように静かだった。
もう少し行けば、福島第一原発が見えるかもしれない。いま人々をこれほどの惨事に追い込んでいるモンスターの姿を確かめたい衝動にかられた。しかし、モンスターを見た瞬間、自分だけではなくジローくんの体も危険にさらされるのだ。あと5キロ。
「帰りましょう」
言葉が私の口から出るやいなや、ジローくんはハンドルを反転させてアクセルを踏んだ。そして無言で前をじっと見つめたまま加速した。
遠くにうずくまっている怪物の息づかいが聞こえたような気がした。
私は何度も振り返った。何度も何度も。ジローくんも私も、ずっと黙ったままだった。
20キロ圏の外に出る検問では、警官は私たちに関心すらないように形式的にチェックをした。
そのすぐ前を、自転車に乗った子供や、イヌを連れたおじさんが行き交っていた。
「日常の世界」に戻ってきたのだ。
福島県にあった別の惑星
何だか夢を見ていたような気がして、後ろを振り返った。検問の向こう側には、雑草に埋もれた無人の世界が、確かにあった。
4時間、私はどこか違う世界に行っていた。この日本、この福島県にある土地なのに、その姿はまるで別の惑星のような異質な記憶になって頭にこびりついていた。
どこか別の惑星にある、日本そっくりの街。そんな感じなのだ。
路肩に車を止めて防護服を脱いだ。蒸された体が外気に触れて、ひんやりした。
法律上は、これも立派な「低レベル放射性廃棄物」である。原発では放射線マークつきの黄色いドラム缶に入れて保管するような「危険物」なのだ。ジローくんはそれを無造作にビニール袋に突っ込み、後部座席に投げ込んだ。
「それ、どうするの?」
「ちゃんと捨てときます」
そう言ってニヤリと笑うと、ジローくんはワンボックスカーにもたれ、たばこをふかした。私はすっかりぬるくなった「おーいお茶」を飲み干した。
疲れた。街路樹の葉っぱが色づいて、はらはらと散っている。そこにも降下物がつもっているのだろう。その下を子どもが自転車で走り抜けた。
かつてなら炉心そばのような線量の区域にいた私は「被曝者」なのか? 靴の裏には放射性物質が付いているのか。これを履いたまま東京の自宅に帰っていいのか?
ふと不安にかられて、線量計を確かめた。出発した時とほぼ同じ、毎時0.2マイクロSvだった。
関係ないかも知れないけど、太陽活動の活発化が何を起こすか分からない状況ですので、下のリンクをご覧ください。
宇宙天気ニュース
http://swnews.jp/
私は逃げるべきだと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/140.html#c12
1.全原発の即時廃炉
2.放射能汚染食物の生産・漁獲・出荷・流通・加工・販売・購入の全面禁止
3,廃棄物処理による放射能拡散の全面禁止
(小出氏は福島の第一次産業を守るために、日本の全国民に対して放射能汚染食品を積極的に
食べるように提言しています)
私は「原発推進派」でしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=Eoclvn7oiB4&feature=player_embedded#!
聞き違えかな。そんなことはないだろうね。自殺者の半分は他殺の可能性があると言ってるのかね。だろうね。朝鮮通信しは鶏を盗むほどの道徳のなさだったそうです。今も無道徳の在日が日本をあらしてる。通信士は江戸城裏門からしか入るのをうるされなかった。かれらは朝貢にきたのだ。宣伝されてる歴史は嘘ばかし。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/189.html#c1
庭の隅にでも埋葬してあげましょうね
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/123.html#c21
期待せずネットで情報を集めて、身近な人に伝えることを続けたいと思います・・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/152.html#c2
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13174534196411
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/147.html#c6
内閣の認証式は
複数の天照大神 ⇒ 天皇(三種の神器は日本の王の証し)⇒ 総理及び大臣の認定
を意味する。
反日感情のある朝鮮人を 内閣閣僚に認定するのが おかしい。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/187.html#c5
ゆえに、偶然はない!
↑
・・・・・・。
恐れずにお聞きします、叱られるかもしれませんが
聖者は今、この時を生き、この瞬間、瞬間の変化を臨機応変に今に努力する。
しかしその聖者も常に完全な瞬間に合わせられているわけではないのでは
ないでしょうか?
数年前、仕事中、ぼぉーとしていると
1度だけ瞬間を生きれたのか何者かが体に入り込んだのか
わかりませんが
数分間、体が満たされ、心が満たされもの凄いエネルギーが体にじわじわと
伝わり、立っているのがやっとでした。
それはあまりに物凄いエネルギーで段々体が耐えられなくなって
くるのですが体が歓喜の悲鳴をあげているのです。
(まるで1ワットの体に1万ボルトを流されているような)
そのエネルギーは体がもうこれ以上はもたないと思ったときにゆっくりと
消えていきました。
その日は1日自我も調子がよく何も言ってはこなくなりまた
深く考えませんでした。
そしてそのうちにその事について考えないようになりました。
今思うとあの感じが今に意識を合わせる感覚だったのか?
しかし、あれを常に受けたら体がもたないような気がして・・・。
けれどもそもそも今を生きるとは状況の瞬間、瞬間の変化に対応する事で・・・。
彼岸を体験したのもこの日から近いのも気になります。
あーけど何で今までこんなにその事の原因をつきとめなかったのだろう。
余裕が無いのです。時間的にもね。稼がなアカンから
↑やっぱこれが原因かな?。
哲郎
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/582.html#c40
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