テストです。
テストです。
テストです。
★阿修羅♪ > アーカイブ > 2011年6月 > 26日16時28分 〜 ★阿修羅♪ |
|
>BBCで、北欧に地球上の全種類の種子が集められている施設があると放送していた。
どこかのNPOで、日本も放射能汚染されてない種子と土を集めたらいい。今ならまだ間に合うのではないか
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/305.html#c28
もしかして貰った物では、折角予算?があるのに配ったら癒着業者の金使えないから
買って配ってしまったってことなのか?
当時映像を見たときに一瞬でわかった。
※アホという言葉は不適切かもしれないがわかりやすいため使用した。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/397.html#c12
理由1、 現代に生きた聖者だからだ。その教えは、我々が今、生きている時代と、
近いから。理解しやすいから。
理由2、 文献、教えが、映像、テープ、書物等、
わりと、正確に残存しているから。
誰でも、図書館、本屋に行けば、手に入りやすい。
理由3、 書かれている記述が、その通りだった、から。
これは、知識ではなく、私が、直接体験したからだ。
私も、最初、疑っていたが、
私が、直接体験では、否定のしようがない。
つまり、他の人も、同じ体験をすることができる。
すると、二人の聖者の教えを、共有し、理解できるのだ。
って事はもしかしてぼぉーとしていて
何もしてない状態がある意味本気なのでしょうか?
剣士が辿り着く境地、最後は無刀が最強的な?
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/435.html#c17
どうせ日本地図から消える県なんでまあ、どうでもいいんだが。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/347.html#c43
再臨界が起きると(または、核分裂が継続すると)、なぜ、ほとんど、100%Cs133がCs134に転換されるのですか?
チェルノブイリでは、福島と比較にならないくらい膨大な30Gw以上の核分裂をしていた(中性子を生成していた)状態で、Cs133と134の混合収率は、Cs137の収率とほぼ同等であり、計測結果は、Cs137の約半分でした。
福島は、再臨界が起きる(または、核分裂が継続する)としても、非常に規模が小さく、再臨界がゆっくり進行している(中性子の発生は非常に少ない)のに、Cs133がほとんど全部Cs134に転換されているのに対して、再臨界どころではなく、30Gwの状態で核爆発を起こしたチェルノブイリは、福島より多量の中性子を発生させたのに、なぜ、Cs137の半分しかCs134が放出されないのですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/395.html#c8
http://www.meti.go.jp/press/20110328001/20110328001-2.pdf
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/384.html#c27
そ小出先生、昨日八戸で原子力について講演され、その模様が、ユーストリームに掲載されていました。
講演の動画、
http://www.ustream.tv/recorded/15604038
質疑応答の動画、
http://www.ustream.tv/recorded/15606233
講演は4時間近くあるので、質疑応答を見て、採録しました。
井戸水の汚染:福島のとなりに住んでいる人で、50m〜100mの井戸水をつかっているが、井戸水は、深いところから掘ると、表面の汚染が流れ込むことはないが、大気に放射能が汚染があり、そのレベルの井戸水汚染はたぶんない、チェルノブイリの汚染地帯、その土地を離れられないひとがいる、汚染された村に戻るしかない人がいる、そこの泉の水は、放射能汚染なしのこともある、地下水脈への汚染がないことを祈りたいが、正確なことが分からない。
東電、日本政府が小出先生から知恵をもらっていないのかについて、小出先生、20ミリシーベルトの被曝を余儀なくされている場所、健康状態に問題がないのか:東電、政府は小出先生に一切意見を求めていない、参院の行政監視委員会に出たことはある、政治は嫌いだが、今回の事故を防げなかったことについて、自分の責任もあると思い、出た。衆院の議員から話をしてくれ、公明党から話をしてくれとの要請もあるが、小出先生、来年3月まで予定がいっぱいで、新しい仕事を受けないことにしている。政府から来ても、受けることなし。政府が小出先生の意見を聞かないのは、いまさら聞けないのだろう。
小出先生の健康、心配してもらいありがたい。小出先生、実質的な被曝はない、放射能が何かよく知っている、被曝を避けられるか分かっている、防護可能である。被曝の測定も出来るが、測定不能な(ゼロではない)レベルで、原発作業員の被曝とは違う、内部被曝は測れず、内部被曝したこともあるが、大した被曝ではなかった。目に見える重大な被害は受けていないのです。
福島原発はどうなるか、早く収束できないか:これからは、正確に答えられない、一番大切なものは正確なデータであり、原子炉の水の量、温度、圧力であり、正確なデータが出ていない、1号機、原子炉の水はないと思っていたが、東電、政府は原子炉の半分は水がある、破壊を免れたと言っていた。しかし、炉心がむき出しになると水蒸気爆発が起こり、圧力容器が破壊され、格納容器も破壊され、破局的な状態で放射能放出になると思い、そうならないようにと思っていたが、5月12日、炉心に水がないと東電は言い出した、東電がデータをコロリと変えた、そのとおりなら、水蒸気爆発のシナリオはなくなったものの、圧力容器は融けて(ウランは2800℃で融ける、鋼鉄は1400℃で融ける)、コンクリートを融かしつつ落ちている。
格納容器の壁が融けたらすべて終わりで、1号は融けた塊が外へ出ており、水を入れて冷やす段階ではなく、出た放射能をどう閉じ込めるかであり、地下に10mほどの壁を作り、放射能を閉じ込めるしかない、政府、東電も届いているのに、1000億円の工事費が要るので、28日の株主総会で問題になり、それまでこの対策をしないと言うのです。小出先生の思いつくようなことは政府、東電は知っている、小出先生のところにおもちゃのような原子炉がある、現場を知り尽くしているものが事故を収束できる、東電、福島の人(昔は敵だった)にエールを送っているのです。
猛烈な被曝環境であり、周りを囲み、その中の汚染は仕方ない、それで防ぐしかないということなのです。
フランスの学者が、核燃料が600℃で融けると言っていることと、福島の子供たちの被曝線量のこと、東京も汚れている、子供を東京に置いていいのかについて:600℃で融ける、科学的にはいろいろな現象が起きるが、ウランの、酸素と混ぜた二酸化ウランは2800℃で融ける、その周囲は燃料棒、パイプはジルコニウムで出来ており、850℃で周りの水と反応して、この反応はものすごい熱を出し、ジルコニウム反応が600℃で始まっても、二酸化ウランが融けることはありえる。融けてしまうと、周りのものと化合物を作り、融点が変わるのです。何度で融けるかは問題ではないのです。
子供を守ること、東京でも1ミリ/年を越えている、そこに子供を住まわせたくない、子供が1ミリ/年以上の被曝をしないように、学校他を除染する、表土を5cmはがす、後者の除染を東京もすべきだが、青森、日本全国でやり、避難について、小出先生も分からない、避難は大変な重荷であり、生きてきた歴史を切る人は大変、一方被曝の危険もある、被曝を我慢するのか、生活崩壊を認めるのかも、一人ひとりの考えなのです。
この他、5月10日に、ジャーナリストの岩上安身さんのインタビューに小出先生が答えられたものもアップされていました。
http://iwakamiyasumi.com/archives/10401
以上、お知らせいたしました。
加來道雄教授は、CNNのインタビュアーに福島第一原発事故の現状を聞かれると、いまだに時限爆弾を抱えた危険な状態で、爪だけで崖にぶら下がっているのと同じ状況であると再び強調した。海外のニュースでもほとんど伝えられなくなったため、米国人は福島原発は、危機を乗り越えたか、問題は全て解決されたと思っているらしい。
しかし、加來教授は、ここ2週間で、福島原発の状況が悪化していることが明らかになったと語った。これまでは、部分的なメルトダウンが3基の原子炉でおこっているといわれていたが、実際は完全なメルトダウンどころかメルとスルーとなっている。放射線の量もこれまでは最小限度に収まっているといわれてきたが、実際は、チェルノブイリの放射線量を超える勢いだ。避難範囲に関しても、最初は原発から20キロ以内のみとされていたが、現在では、避難範囲の外側に4箇所のホットスポットが見つかり、3万4千人の子供たちは、学校に行くとき、線量計を持たされている。
IAEA、日本政府、東電は事態を過小評価して発表していたが、実際は、真実の状況を知っていたはずだと加來教授は断言している。それにもかかわらず、ハッピー・フェイスを装っていたと語る。
チェルノブイリの原発事故では、60万人の労働者が現地に送られ、一年間の許容放射線量に値する放射線をたったの10分間で浴びたという。1人数分間だけ作業して、ゴルバチョフ大統領からメダルをもらったという。しかし、日本は、この事故をどのように解決するかいまだにわからないまま、途方にくれている。汚染水を海に放出して海洋の環境を著しく破壊しているが、いまだに何の手立てもない。
今の政府には、この事故を解決しようとするリーダーシップも、知恵もない。小出教授がさまざまな案をだしているが、予算がかかりすぎるという理由で却下。今の政府は、日本国民の健康よりも、原発や東電の存続の方が大切なようだ。
加來教授は、チェルノブイリでは、事故処理に1年かかったが、日本では、放射線の放出が止まってからその汚染が完全に除去されるには50年から100年かかるだろうと予測している。しかしながら、放射線はいまだに放出され続けており、事故処理の状況に達するのは、まだまだ先であろう。
また、加來教授は、チェルノブイリでは原発1基の事故処理に2千億ドル(2兆円)かかったが、日本の場合は、3基が完全にメルトダウンしている上に、いまだに事故が長引いており、20基分の事故処理費用がかかるのではないかと推測している。
なんとも気の遠くなるようなおぞましい話ではないか。日本政府は、予算がかかるので原発事故の処置が遅れているとようだが、東電社員や官僚や閣僚の給与を半減して予算を生み出すなどして、一刻も早くこの原発事故を解決しなければならない。
http://minnie111.blog40.fc2.com/
===転載終了===
3基でなく4号機も実際は・・・・
それに福島第一の使用済み核燃料共有プールも実際・・・
(各号機の上にあったプール以外の共有プールのこと)
まだまだ、部分臨界しているしね。しかもメルトスルーで水が上面しか
あたっていないので、永遠に冷えない、
放射能がずーと出ているけど。・・・
冷温停止は無理だけど、とりあえず放射能が外部に放射されないようにするには、
地下200m〜300mまで壁を作って地下ダム。その上で、地上でも壁をつくって
ドーム上にして石棺で埋めるしかない。
>>チェルノブイリでは原発1基の事故処理に2千億ドル(2兆円)かかったが、日本の場合は、3基が完全にメルトダウンしている上に、いまだに事故が長引いており、20基分の事故処理費用がかかるのではないかと推測している。>>
40兆円では、できないでしょう。放射能がもれないようにするだけで、これくらいかな。
それ以外に、補償問題があるからやはり民兵が以前主張した300兆〜GDPと同等ぐらい掛かるだろう。余りにも事故の被害と補償が莫大すぎる人災だった。
でも、政府と官僚と東電は子供や国民を犠牲にすることを決めたようだ。(自分達のために)
見ない・聞かない・言わない・振り向かない・何もしないを繰り返すだけ。
車や、住宅、産業、人間の生活そのものにも同じようなサイクルが有ると思うのですが、なぜ風車だけを取り上げてそれを言うのでしょうか?
>そんな自己満足な二重三重の無駄使いをするくらいなら、
何を根拠に「二重三重の無駄使い」なのでしょうか?一連のサイクルの中ではきちんと発電もしてエネルギーも生産しているから「二重三重の無駄使い」にはならないと思うのですが。もんじゅの事を言うのならば良く判る。
>高効率(80%)に電力をまかなうのが現状で妥当なラインだろ
早くそうなって欲しいと私も思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/394.html#c14
貴方は右翼なんですか?本物の日本人(弱気母子に託け)そんなイメージを語るに、
本物の日本人像と書き込む、タマシイとは何でしょうか?こういう文章を見ると、
人間蔑視観がする。嫌な人物が書いているようで、この阿修羅も低俗な書き込みだと、嫌気がさしますね。。
ケロさんが、自分がガイコク人と罵られる立場にあったら、例えば日本を出て海外で、
そう蔑視されたら嫌でしょう。。腐敗した権力を憎むのと見えない言葉で想像して他者を憎むのを混同したら、自分に帰って還ってくると思う。都知事や大阪知事が利権に走るのは、確かに現実問題だが。。。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/314.html#c84
太陽電池にしても同様に投入された太陽光エネルギーの1%とか2%の変換効率がら出発し現在10%を超すようになってきた。実験レベルでは20%に達してきたとも聞く。使う材料も発電方式も現在はまだばらばらだ。
地熱にしても国立公園の規制がコストを押し上げている点もあるだろう。石油にしても近年より深い場所や条件の厳しい所でも採掘が可能になってきているし掘削の技術に加えてより曲げに強い材料、パイプが開発されたことが大きい。
いずれにしても今後技術的にどのようなブレイクスルーがあるかも知れないわけで、現在のコストだけで論じて結論が得られるわけではない。消費地に近い場所での発電は今は捨ててしまっている熱を直接利用することも出来るわけで単純な宣伝にはだまされないことだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/394.html#c15
それはガンマ線で分析したデータなのでストロンチウム90が存在してても
検出されなかっただけなのかもしれません。
(下記の日本分析センターHP記事参照)
http://www.jcac.or.jp/method_sea_6.html
>しかし、ストロンチウム90は、ガンマ線がほとんど放出されないで、
>ベータ線のみが放出されます。ベータ線はガンマ線と違って、
>固有のエネルギーを持っていないため、
>どの放射性物質から放出されているかを決めることはできません。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/384.html#c28
私は、あくまで、爆発が原因で(爆発後)Cs134,Cs137が生成されたと考えているのですが、水素爆発では、中性子は生成されないとすると、爆発は、単に、原子炉の蓋を解放しただけの効果しかないことになります。
それでは、Cs134を発生させる大量の中性子は、どの時点で、生成されているのですか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/395.html#c9
>放射能は風に乗って毎日のように東北から関東一体に撒き散らかっている。それが長期化すればホットスポットに溜まってきて問題になって来ている。
そのように放射能がどんどん撒き散らかっているのであれば、すでにヨウ素など半減期の短い放射性物質が無くなって、半減期の長い放射能しか無くなっている以上、東北関東地域の線量は徐々に高くなっていくわけだろう。現実はどうか。福島市と東京の例を挙げる。
福島市:http://www.fmu.ac.jp/home/lib/radiation/radiation_background_in_Fukushima_City.png
東京:http://mextrad1.blob.core.windows.net/page/13_Tokyo.html
東京の場合は過去デーからの変動傾向をも見ればよい。他の地点も調べてみればいいが、みんなおおまかには同じ傾向だろう。
福島市パターンか東京パターン。
東京は3/15に放射能雲が通り過ぎたが、一過性でほとんど後に残らなかった。ところが3/21頃の汚染はレベルこそ高くなかったが、その影響は今なお跡を引いている。福島は3/21の影響はなかったが、3/15の放射能が雪で降り積もった。これは注意深くグラフを見れば、誰にでもわかることだ。
その後、放射能(主にセシウム)が降り積もることはほとんどない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/402.html#c1
20:25 06/24 2011
Yahooや東電のホームページ、駅の電子掲示板などで表示されている
「電力使用状況グラフ」の使用率数値が、水増しされていることが分かった。
「ピーク時供給力」を、稼働可能な設備のフルの容量ではなく、そのつど東電が恣意的に決めた「供給目安」の数字とすることで分母を減らすのがその手口で、実際より15%も上乗せされている日もあった。
この指摘に対して東電は「確かに『本日のピーク時供給力』というのは分かりにくいですね。
それとは別に本当の『最大供給能力』というのがあるのは事実です」と認めたが、「今後7〜8月と需給がひっ迫してくればおのずと本当の上限値に近づきます」と、恣意的な目安に過ぎない数字をピークだと偽り続けている責任など、知らぬ顔だ。
【Digest】
◇電力使用率100%を超えたら大停電の可能性
◇東電の「ピーク時供給力」は恣意的に操作されている
◇「確かに最大供給能力ではありません」と東電
◇過度な節電は子供、高齢者の熱中症の危険性が
◇東電・政府の電力不足キャンペーンに公正中立な検証を
tinyReportsIMG_J20110624072735
http://www.mynewsjapan.com/reports/1453
「あと9%で停電」は大ウソでした 東電が数字を水増ししていたことが判明
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1309040818/
http://pika2.livedoor.biz/archives/3338227.html
====================================================
もう知らね
節電なんてしねぇ
全力でエアコン使ってやる
今だからわかるが、不必要な計画停電で交通事故で死んだ人や、
医療関係で入院や透析で医療を受けられず、亡くなった人もいた。
こいつら東電の奴らは、国民が死のうが、どうなろうが関係ない。まさしく
東電社員は人ではない。
呼吸で取り込まれる物質の内部被曝は計測対象外とし、かつ数ミリ、数センチしか
飛距離のないα線β線は外部被曝の対象として除外し、γ線だけの外部被曝
を対象とする。
これが、国の空間線量測定の定義か?、そうなら大雑把だな。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/327.html#c8
≪自分が実行しているからカルトではない、というのは理屈的におかしいですね。
それでは、お尋ね致します。
飯山一郎氏の何をもって「カルト」と認定したのでしょうか?
理屈的に正しくお答え下さい。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/112.html#c9
>そうこうしている間に、伊方原発3号機にMOX燃料が入れられてるようだ。
えっぇ〜!
そんな勝手な事して良いんかい?
国民は原発反対デモをそっちでもこっちでもやっているのに、そんなのを全部無視して、MOX燃料なんか入れて良いの?
誰がそんなこと許可したの?
こんなの審議もしないで勝手にやってしまって良いの?
それならそれは全て菅の命令って事だよね!
菅のどこが脱原発なんだよ!
菅が脱原発だから支持するとか言ってるバカは、MOX燃料がどんな怖いものか知って言ってるのか!
まず国民がMOX燃料を信任するかどうか、ドイツのように国民投票して欲しいよ。
そんな恐ろしいMOX燃料を使うなら菅は解散して、【原発を推進していく事と更にこれからはウランよりもっと恐ろしいプルサーマル化推進で今のウラン燃料をMOX燃料に切り替えて最小不幸社会の構築という政策をとる】事を国民にきちんと説明して、それを国民が納得して投票者の50%以上が菅に入れてからやるべきでしょう。
事故が起きたら死んでも良いから燃料効率が良いMOX燃料のプルサーマル化をして欲しいのかどうか。
でも事故が起きたら賛成派には何も保障はする事はないよね、そこんとこはっきり署名しておいて欲しいね。
小沢さんはその時は菅とは、はっきり逆の【脱原発で自然エネルギー発電推進と、国民生活第一と言う政策をとる】ときちんと掲げて、民主党を離党して別党を結成して国民が菅を取るか小沢氏を採るかを選択出来るようにして下さい。
その上で選挙で菅が勝ってからMOX燃料を使ったプルサーマル化を推進すべきです。
今のままでは、自民党は原発推進って言ってますし。
まぁそれは自民党はこれまで原発を日本に54基も造ってきたのですから当然ですが。
民主党も菅が今度はプルサーマル化促進でMOX燃料に切り替えていくなんて言ってるようじゃ、国民はどうすりゃ良いんですか!
「日本国民は老若男女いつでも誰でも死ぬ覚悟をしろ」って言ってるんですか!
「次はどこの原発が事故るかは、ロシアンルーレット、当たったら運が悪いとあきらめて死ね」って言うんでしょうか?
小沢さんお願いです!
助けて下さい!
どうぞ菅に解散させて、別党を結成して下さい!
もう民主党が存続とか滅亡とかそんな問題じゃないでしょう!
国民の命がかかっているんです!
科学の基本は実証にある。
福1原発でも作業員をいつでも募集している。「無給で」なんて言わないから、
是非よろこんで従事してくれ。「体を張る」のが副島センセーは大好きみたいだから。
結果は、5年後で結構。本当に正しければ、センセーのご本を買ってあげますよ。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/304.html#c3
それより、大量の電力の無駄遣いをやってる、NHK・民放の放映規制を先に行えよ。またアホみたいにページ数を無駄に使ってる新聞もだ。
まあ、このくらいは、最初から掛かると思っていた。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/403.html#c1
奴らならほんとにやりかねない。注意が必要だ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/404.html#c3
>福島は、再臨界が起きる(または、核分裂が継続する)としても、非常に規模が
>小さく、再臨界がゆっくり進行している(中性子の発生は非常に少ない)のに、
>Cs133がほとんど全部Cs134に転換されているのに対して、
とおっっしゃっていますが、「福島ではCs-133がほとんど全部Cs-134に転換されている」のは、どのデータからそのように判断されたのでしょうか。
Cs-133の収率、あるいは燃料中に含まれるCs-133の濃度がゼロではないはずなのに、なぜCs-134しか検出されていないのか、これはCs-133はすべてCs-134に変化していることを意味する、じゃあ、133→134の中性子1個はどこからきたのか、という疑問なのでしょうか。
それと、コメントですが
>原子炉運転中に生成され原子炉内部に蓄積されているCsが放出されるのであれ
>ば、Cs137の半減期は、30年だから、30年使用した原子炉には、今回、出された
>量と同程度のCs137のガスが必ず蓄積されていることになり、これでは、
>一旦、稼働させた原子炉には、すべて、今回と同様の大量の放射性物質が
>蓄積されていることになり、原子炉の廃炉は、不可能なのではないか?
とおっしゃっていますが、30年使用した原子炉といっても、Csが蓄積されるのはあくまで燃料中なのです。燃料棒は数年で原子炉から取り出して新品の燃料棒と交換して運転を続けます。廃炉にする場合は、原子炉から燃料棒さえ取り出してしまえば、燃料が持っているCsをはじめとする放射能は廃炉処理には無関係となります。
(ただし福島のように燃料溶融が起きてしまえば話は別ですが)
ただし、長年の中性子照射によって原子炉圧力容器自体や内部の構造物は放射能を帯びていますから、廃炉には特別な技術が必要となります。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/395.html#c11
風力が自然にやさしいか。数字で示してほしい。
太陽光も同じ。
バイオマスは、コストがまったく合わない。
電気代を上げれば解決すると思うが、、、、。
電気代アップ → 企業が日本から逃げる → 経済がダメになる
→ 自然エネが作れなくなる。
この悪循環から逃れる説明がほしい。
夢を言うだけではだめ。
課題をどんどん出して。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/394.html#c16
出鱈目 斑目
http://www.youtube.com/watch?v=zKwOxJuMhPs&feature=youtu.be
小出裕章と班目春樹の知能レベルを比較してくれ
http://www.youtube.com/watch?v=AksrgkxQ7pA&NR=1
雲隠れした「プルトニウムは飲んでも安心」の大橋弘忠と小出氏の知能の差を見てくれ
http://www.youtube.com/watch?v=6byKIUiuBcg&feature=related
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/314.html#c85
>>40兆円では、できないでしょう。放射能がもれないようにするだけで、これくら>>いかな。
>>それ以外に、補償問題があるからやはり民兵が以前主張した300兆〜GDPと同等>>ぐらい掛かるだろう。余りにも事故の被害と補償が莫大すぎる人災だった。>>
政府試算で20兆円と言われているけど、補償なども入って20兆円だって?
そんな安いわけがない。 封じ込めるだけでも20兆円はきついだろう。
(もっとも20兆円も、きっちりと仕事をした場合=地下ダムもつくらず適当に埋めてしまえば安く仕上げることができるので、この手を政府東電が使うかも)
岩上氏「はい、みなさんこんばんわ。ジャーナリストの岩上安見です。私は今、名古屋にお邪魔しておりまして、名古屋大学名誉教授の沢田昭二先生のインタビューをこれからお願いしたいと思っております。先生、どうもよろしくお願いします。お時間いただきまして、本当にありがとうございました。しかも、いろいろと時間変更もしてしまいまして、大変申し訳ございませんでした。えー、先生はですね、放射線の影響ということについて日本で第一人者で、大変長い間ご研究されてきて、ご自身も、被曝経験があるということでですね、放射線の怖さということについては誰よりもよくご存知だろうと思います。」
沢田氏「必ずしもそうじゃないと思いますけど。」
岩上氏「いやいやいや、まあ、かつ、大変広い視野と、それから、歴史的なパースペクティブをもってですね、放射線の難しさ、怖さ、というものについて論じてこられたというふうに伺っております。先生のご体験も踏まえながら、今の福島第一原発の、この事故の後の放射線、影響、被曝の影響について我々にご解説いただきたいなと思っております。よろしくお願いいたします。」
岩上氏「あのー、最初からなんではあるんですけど、先ほど、インタビューがスタートする前、先生が子供の頃にですね、広島で被爆された、原爆が投下された時の体験を実は伺っていて大変ショッキングな経験をされているんだなということを、ちょっと言葉が詰まる思いでお聞きしていたんですけども。もう一度、ご覧になっている人のためにですね、先生のおそらく出発点である、原爆体験というものをお話しいただけるでしょうか。」
沢田氏「当時、中学2年生だったんですね。当時の中学校2年生は戦争に協力するということで軍需工場、私の場合は、機関銃の弾丸を作る工場に動員されていたんですね。ただその日は病気なものですから、そこにいくのをやめて自宅で眠っていたんです。で、その眠っているときに原爆が爆発したんですね。原爆のことをピカドン、ピカっと光って、あとドーンと爆風がやってくるんですけど。」
岩上氏「爆心地からどれくらい離れていたんですか。」
沢田氏「爆心地から1400メートル。」
岩上氏「近いですね。」
沢田氏「気がついたら潰れた家の下敷きになって気がついたわけですよね。で、寝ていたもんですから、何が起こったのかわからない。一生懸命もがいて私はつぶれた家の上から這い出すことができたわけですけど、這い出したときは潰れた屋根の上にたって、あたりは暗闇でした。なぜ暗闇かというと、広島市全体が破壊されていますから、ものすごい土ぼこりが舞い上がって、何百メートルと思いますが舞い上がってますから朝の太陽を遮って、その下は暗闇になっていたというわけです。でも、それがこげ茶色から茶色、黄色、そして白っぽくなって、サーっと遠くが見えるようになったんです。それでつぶれた家の上に立って、日ごろは、もうよその家の屋根しか見えないんですけど、一面、広島が潰れているのが見えるわけです。それでびっくりしました。で、大きな地震が起こったんだと最初思ったんですね。で、そう思っているときに、すぐ、私の足元で、私の名前を呼ぶ母の声がしたわけです。それで、どうなっているかと聞いたら、太い柱かなにかで足を挟まれて動けないというんですね。それで一生懸命、上に乗っているものをひっぱがしてとろうとしたんですけど、なかなかうまく出せないわけですね。で、そうしてやりながら、母親のほうが私にいろんなお説教をはじめたわけです。『自分はもういいからお前は早く逃げなさい』と言ってくれたんですけど、でも、そのころは軍国主義教育をずっとうけていましたから、天皇のために命を捧げるんだという、そういう教育を受けていましたから、命が大事だなんてこと思っていなかったんですけど、母親が生き残ることが大事だと、一生懸命、お説教をはじめました。でも、それでも、なかなか逃げる気にならなかったんですけど、で、最初は言わなかったんですけど、ピカっと光ったときには、いろいろなものに火がついていたんですね。今、ちょっと考えますと、いったん燃えるものに火がついていたんですけど、爆風でそういう炎はすべて吹き飛ばされていたんですね。そしてしばらく燻っていたわけです。で、燻っていたんですけどまた一斉に燃え始めました。で、気がついたら、自分の周辺は全部火事になっているわけですよね。でも、はじめはちょっと心配するからと母親にそれを言わなかったんですけど、だんだん火が強くなったのでそのことを母親に言ったら、『もう、火事になる前にお前は早く逃げなさい。』と言ってくれたんですけど、でも、なかなか逃げる気にならないで、何時間かがんばっていたんですが、よく記憶、時計がないからわからないですけど、もう、2〜3時間いたんではないかという気もするんですけど、とうとう火事嵐、一斉にまわりが(火の海ですね −岩上氏− )火の勢いが強くなってきて、これはなんともならないなと思ったときに母親が『いますぐ逃げなさい』と、で、彼女からはそういう火が見えないわけですね。潰れた家の下敷きになっているから、でも、そういう命令調で強く言ったもんですから『お母さん、ごめんなさい』と、言ってその場を逃げることを決意をしたんですけど、という体験を持っているんですね。」
岩上氏「辛い・・・体験ですよね・・・。周囲に助けてくれる大人というのはいらっしゃらなかったんでしょうか。」
沢田氏「ときどき、大人をつかまえてやってみたんですけど。これはもうだめだと言ってみんな逃げていってしまったわけですよね。」
岩上氏「お父さんは。・・・」
沢田氏「おやじはね、その朝出張して島根県のほうに行っていたんです。おやじは山の中のほうに入っていたもんですから、広島で原爆があったなんて全然知らなかったんですね。二日後になって知ったもんだから一生懸命帰ってきたわけですが、結局3日後に帰ってくることになったわけですけど、で、おやじが帰ってきたものですから一緒に、あ、いや、僕は山に、広島の市内が見える「うし山?」のてっぺんにずっといたわけですけど、山の上からずーっと燃える広島を眺めていたんですけど、あくる日も心配だから降りて近づこうとしたんですけど、熱くて近づけないんですよね。で、3日目にやっとおやじと一緒にそこに行ったらまだ、上の土を掘ると下に火がまだ残っていました。母親の骨を、ここにあるだろうなと思ったところにすぐに見つけましたけども、骨のすぐそばに磁器とか陶器とかあって触るとぽろっとすぐに壊れるわけですね。こんなすごい熱い中で母親は焼き殺されたんだなとそのとき感じましたけど。ということで骨を集めて持って帰りましたけど。」
岩上氏「・・・。あの、先生ご自身は、そのとき被曝をされているわけですよね。まあ、被曝の影響はいろいろな形で現れるのかもしれませんけど、こうやってお元気で過ごされている・・・、何か、やっぱり、心身に、身体に影響が出るということはなかったんでしょうか。」
沢田氏「まあ、当日病気で休んでいたわけですよね。だけど原爆のあと全然そんな病気なんか『ふっと』という状況になってしまって、それに爆心地から1400mですし、それから、あまり遠くに逃げる気にならなかったものですから、爆心地から1500mくらいのところの河原に夕方までずーっといました。で、後から自分が研究した結果から見ると、放射性降下物の量をかなり受けているはずなんですね。必ず被曝をしているということが自分の計算でもわかるんですけど、ところが、そういう放射線の影響がほとんど現れてないわけです。で、普通の人より元気だという感じで、だから、冗談ですけど、『お前は放射線を浴びたから元気になったんじゃないか』とか、そういうくらい、健康状態をずっと。で。これは放射線の影響は個人差がかなり大きい。」
岩上氏「個人差があるんですか・・・。」
沢田氏「と、いうことですね。で、これは、あとでちょっとお話ししようと思いますけど、被曝の影響、放射線の影響というのは個人差がすごく大きい、ということを意識しないといけないわけですね。」
岩上氏「たまたま先生はもともとの、いろいろな遺伝的な要素を含めて、被曝の影響が表に現れにくかった、けれども、人によっては、もし、その距離で被曝していれば大変な悪影響が出ていた可能性もある。決して、これも、先生のケースは典型的なケースで、みんな、広島ではないということですね。」
沢田氏「はい。僕の弟がその日学校に行っていたんですね。学校でほとんど同じ距離で被曝をしているんですけど、弟は体中傷だらけ、私は、運良く、赤ん坊が寝る「まくらがや?」の中に入って寝ていたんですけど、ガラス戸のすぐそばに寝ていたんですけど、その「まくらがや」が麻で作った「まくらがや」だったものですからガラスの破片が一ヶ所くらい目の下に刺さっていましたけど、ほとんど怪我をしなかったんですね。だからすごく幸運だったんですけど、弟は、三十何箇所怪我をしていましたけども。」
岩上氏「それは爆風の影響ですよね・・・。」
沢田氏「校舎が倒れて2階にいて、校舎と一緒に潰れたのですから、いろいろな大怪我をしていたのですが、それでも一人でちゃんと母親のふるさとまで逃げ帰っていましたけど。でも、体全体としては被曝の影響もあったとちょっと弱いなと思ってましたけど。でも65歳になって癌を発症して、癌で死んでしまいましたが、僕は被曝の影響だと思ってますけど、だけど、急性症状という形では、起こってないので、これは、だから、両親には感謝しなくてはいけないなというのは、それは、放射線の影響に弟も僕も比較的強かった、だけど、弟のほうは、放射線の影響だと僕は思いますけど、癌で死ぬことになりましたけど。」
岩上氏「同じような年頃のこども、同じような状況で被爆者の人たちにはもっと厳しい形で出られたケースもありますか。」
沢田氏「被曝した距離では多くの人が髪の毛が抜ける脱毛、そういう急性症状を皆発症しているわけですよね。だから・・・、」
岩上氏「先生はフサフサしていますよね。私のほうが抜けていますけど・・・。」
沢田氏「僕はずっと、そうですね。だから皆冗談で僕は放射線でかえってそうなったというくらいですけど。だから個人差が大きいということを考えなければいけないですね。」
岩上氏「そうですね。生き残った人、元気な人を基準にして判断していると大間違いをしてしまうということですね。あのう、こういう影響、原体験があって、研究の道に入られたんでしょうか。」
<研究者への道> 00:12:36
沢田氏「いや、そうじゃないです。子供の頃から理科とかそういうのが大好きで、だから原爆落ちる前にですね、『子供の科学』という雑誌を講読していたんですけど、国民学校の6年生のときに1943年なんですけど、その雑誌に小さな記事で、アメリカでは原子爆弾を作っているらしいという記事があったんですよ。それを読んでたわけですけど、実際、自分の上に落っこちたのがそれとは、その時はすぐには結びつかなかったんですけど。て、ことで、子供の頃から、科学をやりたいな、そういういろんな科学の本を読んだりしていたんですね。それで大学も物理学を研究することになったんですけど、もう、中学生の頃から『自然』という雑誌があったんですけど、そういう科学雑誌を自分で購読して一生懸命難しいのをわかってはいなかったんだと思いますけど、読んだりして、そうして、素粒子物理学の分野が興味があるということで、湯川英樹先生がノーベル賞もらったり、朝永先生がノーベル賞もらったり、そういうことも、そういう雑誌なんかで、先生が書かれた核物理学とか素粒子物理学の記事を読んだりしていたわけですね。で、大学に入って、大学でもそういう分野をやろうというふうに繋がっていったわけですね。僕の専門は放射線の影響ではなくて、素粒子物理学が専門なんです。で、素粒子物理学の研究分野というのはね、すごく民主的なんですよ。湯川先生や朝永先生や、・・・の坂田昌一先生というのが、第一人者というか一番最先端で研究を、1930年代からやられているわけですよね。で、戦争が終わった後、そういう素粒子論グループという研究分野を日本に作ったときに全国の研究者が対等に議論できるような、そういう研究グループを作ったわけです。京都大学の湯川先生がノーベル賞もらったということで、基礎物理学研究所というのが作られたわけです。普通、そういう大学に作った研究所は、大学のものというふうになっているのに、全国の研究者たちが、基礎物理学研究所を全国の研究者の共通のものにしていこう、ということで湯川先生もそれを納得して、そこの運営をやるのに、全国の研究者から選挙で選ばれた人たちが運営する、それから、私たちのように若い、まだ、大学院生だった頃にですね、も、選挙で選んで、そこの研究所のいろいろな研究計画をたてる研究部員会というのがあるんですけど、僕もそれに選ばれたりして、広島大学にいたんですけど、若手の代表として選ばれて、そしてそういう研究部員ですから一緒に湯川先生や朝永先生や坂田先生と議論できるわけですよね。どこの大学の大学院生とまったく区別しないで対等に議論してくださるわけです、という研究分野なんですね。と、いうことで若い頃から第一人者たちと一緒にやる、で、同時に、そういう先生方は核兵器をなくすということでも、すごく科学者としての取り組みをされたわけです。そういうことを大学院生の頃からお手伝いをする、ということができたわけですね。そして、一緒に、科学者京都会議を作られてその事務局などをやったり、それからラッセル・アインシュタイン宣言があって、それによってパグウォッシュ会議という世界中の科学者が集まって核兵器廃絶・・・。」
岩上氏「おそらくラッセル・アインシュタイン宣言というのがわからないと・・・。バートランド・ラッセルと、アインシュタインが一緒に書いた、宣言ですよね。それは、どういう内容で・・・。」
<原水爆禁止運動とラッセル・アインシュタイン宣言> 00:16:40
沢田氏「それはですね。1954年に、アメリカがビキニ島で水爆実験をやったんですね。その実験の結果を、日本はそれから原水爆禁止運動が起こって、国民的な規模で原水爆禁止運動が起こったんですね。ちょうど私も広島大学の学生だったんですけど、自分が体験した原爆よりも1000倍も破壊力が大きい水爆ができてしまったということに、凄く大きな衝撃を受けました。」
岩上氏「はぁ・・・。広島型原爆の1000倍の破壊力をビキニの一発の水爆で・・・。これは、大衆娯楽の世界で言うとビキニの影響でゴジラが誕生した話になるのですが、あのゴジラという物語はこの水爆の影響下で生まれた物語だと思いますけども、」
沢田氏「広島の原爆は、一瞬で、火薬を、一万五千トンの火薬を一気に爆発させる、一万五千トンというと大きな船いっぱいに積んでいるものを、一瞬で爆発させたというのが広島型原爆、だから15キロトンぐらい、というわけですけど、水爆の場合はメガトンですね。15メガトン。キロトンというのが1000トンですね。メガトンですから1000000倍なわけで、ということは広島原爆の1000倍の破壊力、だから船なんかに積むなんてとても考えられない、桁違いですよね。で、自分が今から専門にしようとしている物理学がとうとう水爆という、これをどんどん作っていったら人類は核戦争で絶滅してしまう、ということを考えたものですから、クラスの人たちと議論して、大学のいろんな学生自治会でも議論して、そして原水爆禁止広島学生協議会というのを組織したわけです。そして、僕はその実行委員長になったんですけど、署名運動とかいろいろな取り組みをしました。だけど、僕は何を主にやったかというとこれは今はとても考えられないと思うんですけど、広島市と広島県から、5000円ずつの助成金をもらって原水爆展の展示を作るということをやったんですね。要するに勉強しているわけだから、原爆の影響なんかの深刻さ、水爆の恐ろしさ、放射線の恐ろしさということを、一般の人たちに、自分たちで勉強して、伝える責任があると考えたわけですね。5000円というと当時の一ヶ月の給料なわけです。」
岩上氏「50万くらいの価値ですかね。」
沢田氏「ええ、そうですね。それを両方からもらったわけですから、まあ、百万円近いお金をもらった感じになるわけですね。40数枚の大きなパネルを作って、それを広島の平和公園で8月6日で展示したら、もう、黒山の人だかりで、まだ、広島の原爆資料館がない・・・。」
(若干中断 冷房温度設定変更)
沢田氏「それで、広島の平和公園で展示をやって、いろんな新聞社に協力して、新聞社のホールで展示をするとか。いまはJRですが当時は国鉄の労働組合が協力してくださって、中国地方、四国地方の都市を巡回するということをやってくださった。今の原水爆禁止運動の始まりなんですよ。」
岩上氏「今の空気とほんとにちょっと空気が違いますね。」
沢田氏「まあ、学生でちょっと生意気だったんだと思いますけど。」
岩上氏「ああ、いやいや、でも、学生の自主性を行政も認め、労働組合やその他の様々な機関が一緒に手を携えて、いったい我々の身に何が起きているのかということを自由に考える・・・。」
沢田氏「そういう時代。」
岩上氏「空気があったんですね。それは何年ごろなんですか。」
沢田氏「1954年頃です。」
岩上氏「まさに、ビキニの直後の話なんですね。」
沢田氏「国民的に大きな運動が起こった。行政も学生も一緒になってやる。当時そういう雰囲気があったんだと思います。」
岩上氏「まあ、なんというか、今は行政がそういうことをすることは考えられないですね。」
沢田氏「ちょっと考えにくいと思いますね。学生の意識も、国によってずいぶん違うと思いますけど、学生が一般社会の人たちにどういう、自分たちがやるかということを、そういう発想なかなかできないんじゃないかなと思うんですけど、その当時の学生はそういう意識、で、僕たちが最初に原爆展をつくったのかと思ったら、その2〜3年前に京都大学の学生が、やっぱり、すでに原爆展を作っていたということがわかるんですけど、という時代なんですよ。」
岩上氏「やはり、世の中が右と左に分かれていくとか、だんだん内向きになっていくとか左右もそれぞれ制度化していってしまうとか、それは60年代70年代にかけて起こってくることなんですが、80年代以降は完全に様式化してしまうんですが、それ以前の段階では、もっともっとなんというか、風通しのいいもの、その運動、どちらの立場にいようが、皆さん、まさに、黒山の人だかりですから、情報が不足していたというせいもあるんでしょうけど、目を皿のようにして見るという・・・。」
沢田氏「日本中、津々浦々といっていいほどの皆が関心をもってやりはじめたんですね。。日本国憲法というのができていましたけども、私は、この原水爆禁止運動が起こったということが、日本の国中、ずっと広い範囲で、こういう問題を自分の頭で考えていく、そういう民主主義とか平和とかそういうものがずっと日本国民に浸透するのが、この原水爆禁止運動だと思うんですね。それまで、憲法作るときに、大きな大衆運動があってできたわけではないですからね。大きな国民的運動が起きたのはこの原水爆禁止運動が初めてなんです。だから、1954年から始まった、この原水爆禁止運動というのは日本の国民が民主主義とか平和とか、そういうことを考える上ですごく大きな役割を果たしたなと、それがそのあとの安保条約の反対闘争にも繋がっていくわけですね。だけど、それをアメリカなんかは恐れたわけです。それでCIAとかいろんなものを使ってそれを何とか抑える工作を始めたのも、その頃からなわけです。」
岩上氏「そうですね。まさに54年ということは、その翌年に55年体制が出来上がる、その前夜ですよね。まあ、社会党の合同もあり、保守の合同もあり、保革が分かれていて、二つ両極になりながら、かつ、実は補い合っているという政治構造ができ上がる。」
沢田氏「原発の問題もそのころからちょうどスタートしているわけです。核兵器廃絶の運動の問題と原発の問題と、日本社会のそういう体制化していく、というのが、ちょうどその頃が一番大きな瀬戸際だったと思いますね。だからそのころ学生だったということが僕にとってもすごく大きな影響を与えたかなと思いますけど。だから、その後ずーっと原水爆禁止運動を今日まで続けてきているわけです。で、そういう日本国民的な運動が起こったもんですから、日本の科学者たちも一緒に運動したわけです。諸外国の科学者の運動というのは、必ずしも民衆と結びついた運動ではないんですけど、日本の科学者の場合は、そういう国民的大きな運動が起こっている中で一緒に取り組んできた、というのが特徴だと思いますよね。それで、放射線の影響が深刻だということがわかったものですから、日本政府に要求してビキニの周辺の太平洋の、特に、日本はその頃、魚でたんぱく質を補うということでしたから、魚が、持って帰るマグロが全部汚染されているということで、やっぱり汚染を、ちゃんと、調べなければいけないということで、政府に要求して俊鶻丸という調査船に科学者を沢山乗せて送ったわけですよね。そして、ビキニ海域がすごく汚染されている、という事実を掴んできたわけです。で、それを世界の科学者に伝えたわけです。そして、その伝えたことを聞いたのが、ラッセルだったわけです。ラッセルはイギリスのBBC放送の討論会の中でも、その深刻さをちゃんと彼は訴えて、もっとこれを世界中の科学者にもちゃんと共有しないといけないということでアインシュタインを説き伏せて、このまま水爆をどんどん開発していって、人類が核戦争で滅亡する可能性が出てきた、ということで、『ラッセル・アインシュタイン宣言』を出してくださったんですね。そして彼らの発想は、当時は米ソは、政府間は、水爆の開発競争をやっていて、お互いにどんどん険悪な状況になっていたわけですから、政府間で話し合うというそういう条件はなかったんです。だけど科学者なら、国際会議で物理なら物理の議論をしている。そういう条件がありますから、アメリカの科学者も、ソ連の科学者も世界中の科学者が集まって、この核兵器の問題を議論して欲しい。核兵器をなくす問題を議論してほしい。という訴えがラッセル・アインシュタイン宣言なんですね。で、その中にビキニ(げん?)で第五福竜丸が被曝したことなんかも全部その中に入っているわけです。と、いうことで日本の原水爆禁止運動があって、日本の科学者が汚染状況を調査して、その情報がラッセルに伝わったことが、ラッセル・アインシュタイン宣言に繋がっているわけです。で、そのラッセル・アインシュタイン宣言に答えて、科学者たちの集まりができたのが、1955年にラッセル・アインシュタイン宣言が発表されたんですけど、アメリカの科学者も、ソ連の科学者も、政府とは違う立場で会議を開こうとするわけですから、政府は旅費なんか出してくれないですよね。自分たちでやらなければいけない。でも、科学者はお金を持っていませんから、なかなか、会議を開けなかったんですけど、2年後にやっと、カナダの漁村のパグウォッシュというところの金持ちの別荘をお借りして会議を開いたのが、バグウォッシュという村があったものですから、『パグウォッシュ会議』という名前がついたんですね。それは今日までずっと続いているわけです。という経過なんですね。」
<ICRPについて> 00:28:00
岩上氏「先生はこういう時代背景と、そして原水禁運動に関わる中で、一学生としては、素粒子物理学を勉強されていった、で、こういう大きな事件も起こる、そんな中で放射線の影響というものは、当初は詳しく、その作用機序とかメカニズムとかわかってなかったんですよね。たとえば遺伝子にどのような影響があるとか、それは学問の発達と共にわかってきたんだろうと思うんですけど。」
沢田氏「DNAがわかったのが1960年なんですよね、DNAが2重螺旋構造を持っているというのは。それで、いろんな人間に対する放射線の影響も、そういうDNAなんかが損傷を受けて、それが細胞分裂したときに、それが、次の細胞にもちゃんと継承される。」
岩上氏「傷を受ける。螺旋というのは、鎖が切断されてしまうと、そういうことがだんだんわかってきたと、それ以前は、放射線の影響というものは非常に表面的なもの、たとえば火傷だけだとか。」
沢田氏「臨床的な。」
岩上氏「臨床的な・・・。」
沢田氏「だから、放射線の影響は深刻だとわかったのが、だんだん、1950頃からなんですね。それ以前も、だから、研究者たちがいろいろ研究しているんだけど、自分も、被曝をしているわけですよね。だから、キュリー夫人なんかは結局、白血病で亡くなる。実験やってて、自分が被曝をしているということに気がつかないで、やったためにそんなになっちゃったんですね。その辺の影響が深刻だと、だんだん、わかってきたのが1950年頃から、そして、DNAがはっきりわかったのが60年ですから、だから、50年というのはそういうことが、まだ、わかる前ですけど、放射線の影響は深刻だというのはわかっていて、広島・長崎の被爆者の研究が非常に重要な役割を果たしていたわけですけど。」
岩上氏「ここが非常に重要なところですね。今日お話を伺いたいところの大きな柱の一つだと思うんですけど、今、ICRPという団体、多くの一般の日本国民はよく知らなかった、そういう団体、そういう国際機関の基準が唯一絶対であるかのように、今、言われているんですね。そのICRPの基準によればこうだこうだと、ICRPが言っているものの解釈を巡って、たとえば1ミリシーベルトと、これは、基準範囲内だと、これを20ミリシーベルトにしたと、これはICRPのどこそこのこれによれば、などという話が、議論が展開されている。毎日のように統合会見というものが行われ、毎日のように我々もずーっと中継しているんですけど、そこで記者と政府のですね、細野さん、あるいは東電、保安院の方々との間のやりとり・問答・質疑というものも、このICRPの基準を巡って、どのように解釈するかという点に集中しがちなんですね。共有されている前提は、ICRPが唯一絶対の基準である、でも、どうも、そうでもないらしいという話を他の先生がたからも聞いている。このICRPというのは、もともと、マンハッタン計画がスタート点にあるということも・・・。」
沢田氏「1940年代の終わりごろに、それまであった委員会を改組して国際放射線防護委員会が作られたんですけど、特にアメリカも同じように全米放射線防護委員会を1940年代の最後に作ったんですよね。そして、もともとの狙いは、そういう放射線防護の問題をアメリカがイニシャティブをとってやろうとしたわけですけど、その全米放射線防護委員会も、国際放射線防護委員会も、パラレルにいろんな分科会を作ったわけです。そして、外部被曝の分科会、内部被曝の分科会といくつかの分科会を作って、そのアメリカの全米放射線防護委員会の委員長がそのまま国際放射線防護委員会の委員長を兼ねるとか、委員を兼ねるとか、重なり合っているわけですね。」
岩上氏「国際放射線防護委員会というのはICRPということですね。そして全米というのは・・・。」
沢田氏「ナショナルだから、N。 “I”は“N”に換えてやるだけだと思います。」
岩上氏「NCRPと・・・。」
沢田氏「はい、で、外部被曝のほうは、アメリカの研究した結果をそのまま、国際放射線防護委員会がそのまま見つめることになったんですけど、内部被曝の分科会のカール・モーガンという人が、委員長をやっていたんですけど、彼は放射線の研究の第一人者なんですけど。彼がやっている内部被曝の研究の結果は全部発表を禁止されたんです。これは、カール・モーガン自身が自分のやってきたことを本に書いていますけど、その中にかなり克明に書いていますけど、内部被曝の影響は禁止されたんです。それは結局、広島・長崎の被爆者の内部被曝の影響も考えない、ていうのは、核兵器を使うということによると、ピカっと光った瞬間の、これを『初期放射線』というんですが、一応、便宜的に、1分以内にやってきた放射線を、初期放射線といいますが、実質上はピカっと光った瞬間までに、ほとんど、被爆者を貫いているのが初期放射線です。これは距離と共に急速に減少するんわけですよね。広島の原爆の場合は、2kmから2.5kmくらいになると、ほとんどゼロになっちゃうんです。だけど、トルーマン大統領が、1947年に、ソ連も原爆を作るということになると、将来、核戦争を起こしたときに、自分たちの軍隊や相手側の軍隊に、どれだけ放射線の影響が起きるか調べなければいけない。というのがたぶん基本的な狙いだったと思うんですけど、その、影響を調べるためには広島・長崎の被爆者に、その初期放射線の影響を調べる。ですが、初期放射線の影響に絞ったのは、原子雲がずっと上がっていって、それが広がっていって、降りてきた放射性降下物の影響というのはすごく広い範囲。」
岩上氏「原子雲ですね。いわゆるきのこ雲」
沢田氏「すごく広い範囲に放射線の影響を与えるわけです。アメリカでも、ネバダの核実験場で実験したのがありまして、風下まで、ずーっと100km、200kmと、放射性物質が流れていくのを彼らは測定してわかっているわけですね。初期放射線だけに限定すれば、核兵器を使っても、その影響をせいぜい2kmくらいで限定できる。だけど、放射性降下物の影響は、内部被曝の影響ですけど、そういうこともちゃんと考慮に入れると、核兵器を使った影響というのはすごく広い範囲に広がる。そうすると、核兵器を使うということがすごく非人道的だ。これは国際人道法で、無限定で広い範囲に影響を与えるものは使ってはならない。ということで、核兵器はもろにそれにあたる。ということで世界中から非難を受ける。ということなものですから、そういう残量放射線の影響とか、すごい広い範囲で影響を与えるような降下物の影響は無視するとい基本法則を取ったわけです。で、日本を占領した直後から、アメリカのマンハッタン計画で人体影響を調べていた責任者、ファーレル准将というのが、『もう、広島・長崎では放射線によって苦しんでいる者はいない』という記者会見をやったりしたわけですね。それは、後に残るいろいろな影響とか、広い範囲の影響は無視するという基本法則を取ったわけです。」
岩上氏「きわめてそれは、『科学的』ではない、『非科学的』な、『政治的』なプロパガンダ、かつ、軍事戦術的なプロパガンダだったわけですね。」
沢田氏「で、広島・長崎にトルーマン大統領の命令で原爆障害調査委員会、ま、ABCCと言われているわけですけど、そこで、被爆者を対象に調べるということですけど、1950年に日本は、初めて国勢調査をやって、それで、被爆者かどうか、をチェックするのをやって、被爆者を掴んだんですね、日本政府は。だけどその被爆者のリストを、ABCCに全部渡してしまって、日本政府は、何も、被爆者に対する対策は何もとらなかった。ということは、その調査というのは、アメリカの要請で調査したんじゃないかなと思うんですね。で、ABCCに渡したんですけど、ABCCは、広島市に住んでいる被爆者と、長崎市に住んでいる被爆者を調査対象にするということで、『寿命調査集団』というのを作ったわけです。そして、その被爆者の中から初期放射線の影響を引き出す、という研究を始めたわけです。そのためには、広い範囲で放射性降下物の影響を受けた人たちは被曝をしていない、で、近い距離で初期放射線の影響をうけた人の影響を引き出す、という研究をやったわけですね。ということで、結局、遠距離の被爆者は被曝をしていない、彼らの被曝影響は無視できる、という方針をとった。それは今日まで、1975年に日米共同運営になりました。」
<放射線影響研究所について> 00:38:06
岩上氏「これが、今の『放射線影響研究所』。『放影研』。」
沢田氏「はい、で、日米共同運営になったんですけど、結局、初期放射線の影響だけ明らかにする研究方針は変わらなかったんですね。」
岩上氏「この75年の段階においても。まだ、50年代の占領下における、言ってみれば、日本に全く主権がないような状態、そういう状態で、しかも、米ソ冷戦が始まりかけていた時代の極めて軍事戦略上の要請から作られた政治プロパガンダ、それが1975年になっても引きずって、まるで、科学の装いを施して、放射性降下物の影響は無視できると、いう立場をとったわけですね。それ、今でもですか。」
沢田氏「今でも、まだ、続いていますね。基本的には。」
岩上氏「うーん(溜息)。なるほど。」
沢田氏「放射線影響研究所の、『降下物の影響は無視できる』という基本姿勢は変わっていないんです。それは、裁判をやると凄くよくわかるんですね。」
岩上氏「先生はあちらこちらでの、いわゆる原爆証明裁判、原告は被爆者、被爆者の方々が国に損害賠償請求等を求める、そうした裁判の、原告側に立つ、非常に数少ない学者のお一人ということで、いろんな法律家の方々からも、敬意の念をもって見られているわけですけども、そうした裁判の中でも、やはり、こういう放影研の姿勢というのは現れてくるのですか。出てくるという・・・。」
沢田氏「はい。実は私自身もですね、放射性降下物の影響は、すごく深刻だと気がついたのは、1990年代の終わり頃なんですよ。というのは、それまでは、放射性降下物の影響は少ない少ないと言われてきたわけですから、それをある程度信じていたわけです。」
岩上氏「ある意味、そういう意味では文学者の方が、鋭く直感的には言い当てていた。たとえば『黒い雨』のような・・・。」
沢田氏「いや、『黒い雨』というのは有名なんですが、それは、それほど深刻な影響を与えたとは必ずしも考えられていないんですね。要するに黒い雨が降った地域は、かなり、限定されている。で、その黒い雨も、実は、これまでの放射線影響研究所とか日本政府とか、なんかの、放射性降下物による影響は、雨が、黒い雨が降って、その黒い雨がもたらした放射性物質が、地面の中に残っていますよね。その地面の中に残っているのが台風なんかで流されてしまったんですが、それでも残っている。それで、地面の中に残っている放射性物質を引っ張り出して、そしてそこから出てきた放射線を計って、どれくらい影響があるかというのをやっているわけです。ですけど、これは、被爆者が、受けた影響からすると、もう、2桁、3桁も少ない。で、被爆者はどういう被曝をしたかというとですね、あと、わかったんですけど、放射性の雨よりも、放射性の微粒子、雨粒になったものじゃないもの、で被曝をしているというのがわかったわけです。それに気がついたのは1990年代の終わりに、原爆手帳をもらっている被爆者は、いろんな検診とかできるわけですけど、だけど、その被爆者が、放射線の影響で病気になったということを国が認定してくれれば、原爆症認定特別手当、その人の治療費だけじゃなくて、治療を取り巻くいろいろな生活費も含めて支援するというのがあるわけですね。だけど、それは、厚生労働大臣が認めないと認可されないわけです。だけど、その認定基準がだんだん厳しくなってきた。それで被爆者が裁判をするというのが1990年代の最後で相次いで起こって、長崎の被爆者の松谷英子さん、と、京都の小西健男さんという方が、裁判を10年くらい取り組んでいたんですけど、その最後の段階で、ピカっと光った段階でやってくる初期放射線が、遠距離では過小評価になっているんじゃないかということが、裁判で問題になったわけです。で、私は広島・長崎で測定しているグループに入れていただいて、彼らの測定結果を解析すると、遠距離で系統的に過小評価になっていることがわかったものですから、それを裁判で控訴審の段階でそれを出したんですね。それから、小西さんの場合は、地裁の段階で、はじめて裁判所の門をくぐって証人になるということをやったのが1990年代の終わりです。で、その、裁判は小西さんの場合は、高裁で勝訴して終わり、松谷さんのほうは最高裁まで行って勝訴したわけです。勝訴して全部勝ったわけですけど、でも、厚生労働省は、彼らの影響が何であったかを認めないわけです。そのとき松谷さんの証人になってくださった、渡辺千恵子さんという有名な被爆者がいるんですけど、彼女は2800mのところで被曝しているんですけど、髪の毛が抜けた。松谷英子さん自身も2450mで被曝したんですけど、髪の毛が抜けた。そのほかの沢山の証人になった人たちも、たくさん、その距離で脱毛しているわけです。初期放射線は2.5kmくらいしか届かないですから、そこのところを、実験率にあわせて過小評価を是正したとしても、説明できないわけです。それで、裁判には勝ったんですけど、その、彼女たちの髪の毛が抜けるということは、放射性降下物をおいて考えられない、ところが長崎では放射性降下物の影響というのは、東側の3kmくらい離れた西山地域しかない、というのが国の基準になっているわけですね。だけど、彼女たちが被曝したのは南側なわけです。と、すると長崎でも、南のほうでも放射性降下物の影響があった、けど、雨はあまり降っていない地域です。とすると、放射性の微粒子が充満してて、それを吸い込んで病気になったと考えざるをえない。」
岩上氏「大気中の微粒子ですね。」
沢田氏「で、アメリカのネバダの核実験なんかでは、黒い雨は降っていないわけです。乾燥した砂漠では、雨粒が小さいですから、10数分くらい上空に上がるんですけど、消えちゃうわけです。後は全部、風下に遺伝子、放射性微粒子、目に見えない微粒子として風下に流れていくんですけど、それは実験ですから予め測定装置を置いていて、どれだけやってきたかというのを測定しているわけです。で、日本で、広島・長崎で原爆を投下されても、そういう微粒子は当然できるわけですよね。と、考えますと、結局、原爆が爆発して、火の玉というのができるわけです。すごく小さな太陽、だけどその中央部分に核分裂でできた放射性の微粒子が大量にたまっているわけです。それが上空に上がっていくと冷えて、それが周りの大気の中から水分を付着させて、水滴ができるわけです。水滴ができるから原子雲として認識できるわけですね。だから、原子雲を作った一番元になるものは原爆が核分裂してつくられた放射線の微粒子なんです。真ん中の部分は凄い勢いで上空に上がっていきまして、もう、10分もしない間に、1万数千メートルの高さまで上がっていくわけです。そうすると急速に上がっていきますから、水滴が急速に成長します。すると重くなりますから落ちてくるわけですね。これが『黒い雨』なんです。ところがですね、対流圏というのがだいたい1万メートルくらいの高さで対流圏が終わって、そこから先は成層圏になるのですね。そうすると温度が逆に上がったりするくらいで、上昇する勢いがないわけです。だけど、下のほうからものすごい勢いで押されますから、横に広がらざるを得ないんですね。(手を横に広げるポーズ)とくに長崎のはスケッチがあってわかるんですけど、30分もたたないうちに20kmくらい水平にわーっと、円形に広がっているわけですです。原子雲が。そこら辺の水滴は小さいですから、下に落ちてくる途中で蒸発して、また、元の放射性微粒子に戻っているわけです。」
岩上氏「あ、そういうメカニズムなんですか。雨雲になったのとはまた別途微粒子が存在するのではなく、いったん上昇し水滴を帯びて、黒い雨の元となって、だけれども、遠くに広がっていって・・・(手を横に広げるポーズ)」
沢田氏「(手を横に広げながら)それは水滴が小さいですから落ちてくる途中で蒸発してしまう。これは長崎でも沢山証言がありまして、『真っ黒い空に、真っ赤な太陽が動いていた』『火の玉』で、『怖いから逃げたんだけどついてきた』と、そういう証言がたくさんあります。『真っ黒い空』というのは放射性微粒子が大気の中に充満していたから真っ黒になって見えたのです。だけど、被爆者は雨のほうは気がつきますけどそういう微粒子は気がつかないから、呼吸なんかで取り込んでいるけど、被爆者はそういうの取り込んだのを全然意識していないわけです。ですけど、葉っぱの上に白い粉があったとか、いろいろ水とか飲んでいるんだけど気がつかない。ときどき、そういう煤がくっついて、目に見えるくらいの黒い煤になって降ってきた、だから、『黒い雪』が降ってきた、という証言もあるわけです。ということで、放射性微粒子が充満していたというのは物理的に考えて当然なわけです。で、それを被爆者は吸い込んだんですけど、風で流されていって後で計れないわけですよね。雨のほうは、雨粒に含まれていたものが地面の中に染み込んで残ったものを計るわけですよね、だけど、大部分は、大気中に充満していたものが風で流されていって、見えなくなっているわけです。」
岩上氏「たとえば地表に落ちた、そうした微粒子、放射性物質というものは、地表に、表土に降り積もっているから、これは測定可能なんじゃないですか。」
沢田氏「しばらくは、あったと思うんです。・・・は2度も、枕崎台風とか、大きな台風で大洪水で流されてしまった。長崎も流されてしまって、流された後は、いろいろな放射線による病気は急速に起こらなくなったというのをお医者さんが証言しています。『長崎の鐘』というアニメがありますけど、これに秋月さんというお医者さんが出てきますけど、彼も、台風なんかがやってきて、雨が降った後は、そういう急性のいろいろな症状は起こらなくなった、と証言されてます。環境でいうと流された。当初は広島・長崎は、もう何十年も人が住めない、と、いわれていたわけですよね。だけど、幸い、そうやって流されたものだから、被曝影響は少なくて済んだ。」
岩上氏「なるほど。この台風が来て雨で流されたということは、二つの側面があって、良い方の側面としては、そこに暮らしている人にとっては、表土に降り積もった放射性物質を流すことによって、ずーっと地表から放射線の影響を受ける、ということが少なくなった、なので、被曝の程度は軽くなった、それは良いことなんだけども、まあ、悪しき面といいますかね、裏面としては、先ほど言った、アメリカの調査、アメリカの思惑を持った調査によれば、その、この内部被曝の元にもなるんでしょうし、また、その後の、残留放射の影響というものを軽く見積もる、一つの科学的、まあ、カッコ科学なんでしょうけど、的根拠になってしまったという、実際には本当は濃厚に残っていたかもしれないものが流されたあとの数値をベースに研究が積まれたために、こうした残留放射線の影響が軽く見積もられてしまったという、こういうことになるわけですね。」
沢田氏「で、それで私はどういう方法をやったかというと、急性症状、被曝すると起こるわけですね。そういう急性症状がどれくらい起こったかという調査がもう沢山あるんです。本当は日本の放射線影響研究者たちはそういう急性症状の発症率から逆算して放射性降下物の影響なんかを調べる必要があったと思うんですけど、だけど、不思議なことに誰もそういう研究をやってこなかった。さきほどの放射線影響研究所なんかが、放射性降下物の影響は少ないと、無視できると言って来たわけですね。だから、そういうところで育った研究者たち、そういうところで影響された研究者たちが日本の放射線影響学会の中の大部分なわけです。」
岩上氏「そういうところ出身の人たちというのは、まあ学会でいうと何学会というのですか。」
沢田氏「放射線影響学会です。」
岩上氏「放射線影響学会。なるほど。」
私はとうの昔からそう言ってきたわけで、大いに同意ですよ。
>田中氏の態度は、小生が指摘した「事故そのものに関わりのないわれわれ部外者の立
>場は、東電や政府筋が発表する事故分析やデータを厳しく吟味し、偽りや隠ぺいと
>思われるものがあれば暴き出し、本当の情報を出すよう要求し続けることではない
>だろうか」に沿うものと思う。
偽りや隠ぺいと思われるものがあれば暴き出すために、「東電や政府筋が発表する事故分析やデータを厳しく吟味し」とありますが、私も同じ主旨で投稿をしていますよ。
勘違いしないで欲しいのは、私は一介の在野のおじさんであって、私の事故分析はたわごとと同価値しかないということです。
私が爆破説や2号機S/C損壊の政府・東電責任説などをいくら阿修羅で叫ぼうと、お話以外の何ものでもないです。
ですから、私の投稿をお読みいただいた方が、大手メディアが報じる事故の経緯に疑問を感じ、政府・東電の説明はおかしいという思いをもっていただければ十分なんです。
「本当の情報を出すよう要求し続けることではないだろうか」は重要だと思いますが、初めから事実を隠蔽し自分たちの都合のいいように事故の総括をしようとしている政府・東電に、ただたんに本当の情報を出せと言ってもあまり効果はないでしょうね。
彼らは、この期に及んでも、FAXに墨塗りをして3月12日早朝に1F敷地内で検出された核種を隠しています。
残念ながら、政府・東電そして大手メディアはそういった連中に牛耳られているのです。
彼らに効果があるかどうかは別として、一人でも多くのひとが、政府や東電の言っていることとは違う事実があるかもしれないと考えることのほうが重要だと考えています。
田中さんが1号機の分析に注力する意図については、事故原因を隠蔽し、いい加減な対策で再稼働することでまたまた悲惨な事故が起きることを防ぎたいということだと思っています。
田中さん:「これを僕が一生懸命やってる理由は、今次々と運転再開の話がありますよね。津波とか電源対策さえ終わればいいんだというようなことで話が進んでいくんだが。≪中略≫運転再開の条件として、今考えているものだけでいいのかを考える上で重要だということで一生懸命やっている」
この後ろで、再び事故が起きるようなことがあってはならないと語っています。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/468.html
このまま放射能の垂れ流しを続けていれば、大きなしっぺ返しを食らうだろう。
いま、ほとんどの病院で、体内被曝を測定したら、シーベルトで表現し、
その数値を外部被曝におきかえて評価する、それも外部被曝の症状に
照らしあわせるから、話がごちゃごちゃになる。
たいてい、「微量とか、基準値以内とかで問題ない」だ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/332.html#c12
まず、本論の訂正:
ゲートにかかる水圧をおよそ500トンと書いたが、ゲートは二つのプールを仕切る存在だから、両面から水圧がかかり、およそ900トンの圧力がかかっている。
(垂直なので10m水深の水圧はほとんどないから、平均水圧は5トン/m2未満)
続いて、貴殿の提示した疑念に対して:
【引用】
「何らかの理由で手動でゲートを開けることができなければ、ホース、ポンプ、発動発電機などを持ち込んで、水のあるプールから燃料プールに注水することも可能だったはずだ。
なぜそれをしなかったのか、局外者には分からないとすしか言えないが、ひとつ想像されるのは高放射線で建屋に入ることができなかった。あるいはマンパワーの不足、その他の理由が考えられる。高放射線なら爆薬を仕掛けるのも困難だったはず。手動でゲートが開けられても近づけなかったことが考えられる。
貴殿が書いたように、ホースを担ぎこんで外から注水もできたはずである。これらの選択肢をパスしてなぜ建屋が倒壊しかねないほどの愚かな爆破を敢行したのか。選択肢がこれしかなかったという十分な説明がなければほとんどの人が納得しがたいと思う。」
【コメント】
ホースを担ぎこんででも注水すべきだと当時は思っていました。
しかし、政府・東電の対応が悪すぎると言えることはありますが、高圧消防車などが到着するまで、1Fは電源不足とポンプ不足に悩まされていました。
そのため、1号機から3号機の原子炉への注水さえ、海水をくみ上げなければ注水できない状況に陥り停止されています。
(これまで地震被害情報でもその事実は出ていますが、最近公表されたリアルなFAX情報にも出ていますからご確認ください)
このような状況の改善は、3月16日からの大量の消防車やキリンなどの到着や外部電源の回復によって実現されています。
そのような状況であれば、そばに真水がふんだんにある4号機燃料プールの対応策として、爆破→水の流し込みという選択をしたことは合理的だと思います。
1から3号機の原子炉への注水のみならず、1から3号機の燃料プールへの注水もあります。
海岸べたにありながら、海水さえ思うように入手できなかったのが事故直後の1Fなんです。
>また、気象兵器は条約で禁止されています。
条約で禁止されているから気象兵器がある、と。
ロボット三原則があるから、アトムは存在するといっているようなものです。
109氏
>「HAARPはありうる」と言っている人の説明が穏やかできちんとしているのに対し、
穏やかできちんと説明している人が、
「頭の悪い人は難しい事に中途半端に首を突っ込むより」と言っています。
一つ上のコメントすら読んでないのですね。
>フシギ空間もHAARPは出鱈目だって信じて欲しかったら書き方に気をつけなきゃ。
>はっきり言ってこの投稿、逆効果だったと思うよ(笑)
いい加減、その手のコメントには慣れちゃいましたよ。
まともに中身読まないくせにこういうコメント書く人は必ず出てくるんですよね。
110氏
カルト板へどうぞ。
本日は、このくらいで。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/416.html#c147
柏崎?、すぐ廃炉だ、あたりまえだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/334.html#c7
辞めてほしいなぁ
ほんで小沢氏にタッチ!
それが『一定のめど』ならほめてやる!
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/442.html#c1
時が過ぎ、原発が出来ると、もし事故が起こると70キロ以上離れている当地にも影響を及ばすと聞いていたが、半信半疑でした。しかしそれは現実に。
10キロくらい離れた所に首都圏に電気を送る100万ボルトの送電線が通っています。
これが出来る時も反対が多かったのですが、結局札束で頬っぺたを叩いて出来たと聞いています。人間お金には弱いのですね。
震災前、遠くに送電線の高い鉄塔を見たとき、奇しくも原発事故のことを頭によぎりましたね。それが現実問題になり愕然。
福島県と言えども北海道、岩手につぐ面積の大きな県。時折原発のことを思うことがあるが事実遠い存在でしたね。
福島県の庶民はまさか原発の運転がこんなにも杜撰だと想像すらできなかったでしょう。安全安心で洗脳されていましたから。
責められるのは福島県民でなく、「知らしむべからず、寄らしむべし」の為政者達でしょう。
当地はの放射線量はそんなに高くないですが、やはり不安があります。
避難すればいいのでしょうが、避難しても暮しが成り立つのでしょうか。
金持ちや優秀な人は何処でも暮らせるでしょうが、庶民は野垂れ死にが関の山。
福島県立医大の先生は震災後11人が辞めたと聞いています。
栃木の自治医大すら辞めた医者がいるとか。小生の女房が定期健診にいったら主治医がいなかったと言っていました。
まあこれからは放射能と共存していくしかないでしょう。なるべく被曝しないように。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/288.html#c81
私はイイカゲンな男で、小出さんよりずっとカスだと自認しています。
私が「このままだと、小出さんはカスだ」と書いたのは、彼が、原発を許すことのできない存在としてその消滅のために表立って活動をしているからです。
そのような目的を持って生きているいるのなら、機に応じて少しでも効果の高い活動をしなければならず、原理論や原則論それから事故状況の説明にうつつを抜かしていてはダメという思いから書いたのです。
当時は、溢れかえる資料との格闘でいらついてもいたし、阿修羅に多くいる小出ファンに刺激を与え反応も見たいと思ったゆえの振る舞いです。
今は、小出さんは小出さんで好きなスタイルを貫けばいいと思っています。
「小出カス論」を投稿したときに、どなたかが、私のことを二面性があるとか不純を感じるというようなことを書かれていましたが、その通りだと思っています。
私は、原発をなくしたいと思っていますが、それを生きる目的にはしていません。
どちらかと言えば、支配層の支配方法にケチをつけたいという思いのほうが強いのです。
その格好のネタが原発事故だったともいえます。
(政治や政治運動には興味はありますが、政治運動に首を突っ込む気はありません)
「早くタコ部屋から脱出して、脱原発へとあなたの知力を注ぎませんか。」というお誘いですが、あと二つほど、“電源車問題”と“ベント問題”はできるだけ早く投稿したいと思っています。
ところで、たいしたものではない私の知力をどのような方向で期待しているのか、教えていただければ幸いです。
公務員辞めろ!
この広域に及ぶ放射能汚染の責任の一端はあるわけだから本当にな・・・
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/359.html#c18
抱き参らせる
それがほんとの日本人じゃ
もうほとんどおらんがのぉ
上は下で下は上
悪は善善は悪 畏怖する心は禍々しい
確かにわかりにくいが、そもそも稼動可能な設備量は、日ごろかわるものでないから、これ(ピーク時供給力)が想定したものであることは想像がつく。しかし、それを示してなにを表現したいか、今一わからなかったことも確かだ。さらに、ピークに対して朝や夜に差が出てくるわけで、平準化の程度を示しているわけでもなさそうだった。
本当に停電への目安として出していたのだろうか。単に出してみただけというのではないのか。だましていたのは、メディアかも。
http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi/status/84884287941382144
NHKと日経、どちらの記事も驚きと怒りと批判が欠落。RT @keziahjp 農水省が下水処理場の汚染汚泥を肥料として流通させる http://t.co/V9j3MF1 国内で売れない汚染魚を缶詰にしてODAで途上国に http://t.co/J2vWTOK この二つの暴挙
ーーーーーーーーーーーーーーーー
放射性物質の汚泥 新たな基準 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110624/k10013755421000.html
東日本を中心に各地の下水処理施設の汚泥などから放射性物質が検出されている問題で、農林水産省は放射性セシウムの濃度が1キログラム当たり200ベクレル以下のものについては、流通ルートなどを管理したうえで、肥料として利用できるとする新たな基準をまとめました。
この問題は、東日本を中心に各地の下水処理施設の汚泥などから放射性物質が相次いで検出されているものです。政府は、先週、放射性物質が検出された汚泥などの取り扱いについて、肥料用としては一律に「出荷を自粛する」とした方針を示しましたが、農林水産省は、24日、新たに肥料に使う場合の基準をまとめました。基準では、放射性セシウムの濃度が1キログラム当たり200ベクレル以下の汚泥や汚泥の焼却灰は肥料として利用できるとし、不法投棄を防ぐため、帳簿などを作成して、流通を管理するとしています。基準以下であれば、長期間、農地にまいたとしても、土の中の放射性セシウムの濃度は過去40年程度の変動の範囲内に抑えられるということです。一方、再来年3月までの特例として、集落排水などで発生した汚泥で放射性セシウムの濃度が周辺の農地の土壌よりも低く、1キログラム当たり1000ベクレル以下であれば地域内に限って、肥料としての利用を認めるとしています。農林水産省は「肥料の製造業者への立ち入り検査の際に放射性物質の濃度についても検査を行い、基準が守られているかチェックしていく」と話しています。
ーーーーーーーーーーーーーーー
東北復興にODA活用 水産品買い上げ途上国に供与 (日経)
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819481E0E6E2E1888DE0E7E2E4E0E2E3E39F9FE2E2E2E2
政府は東日本大震災からの復興を進めるため、政府開発援助(ODA)を使って被災地の水産加工品を買い上げ、発展途上国を支援する。ODAを被災地の経済復興に活用するのは初めて。世界食糧計画(WFP)に放射能検査を依頼し、日本の食品に輸入規制をかけている途上国にも対応する。2011年度第3次補正予算案に関連経費を40億〜50億円盛り込む。
ODAを活用した被災地支援は27日にも発表する今年度のODA重点… (以下、会員限定)
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/405.html
まっとうな人間になって生まれ変わってほしい、東電のひと。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/340.html#c8
中国の国民の大部分は、こんなこと考えていない。
ほんの一部。これをどうするか。かなり困難。
確かに、今回水不足で、弊社の工場は止まったけど、
従業員は、休めてお金貰えてラッキーがほとんど。
間もなく、工場は再稼働です。
日本の専門家が、現地に入り込む必要性が高いと思いますが。
まだまだ、環境より経済と思っている人がほとんど。
どうしたらいいのかわからない。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/428.html#c1
だったらTV局みずからが放送時間を自主規制せよ!馬鹿!
それも出来ないくせに、東電ご用達の阿る内容ばかりダラダラと一斉に流す、その無能ぶり、共謀ぶり。
東電の経営権を奪いたい! 方法はありませんか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/404.html#c7
充分採算が取れると証明した人が次々と冤罪や殺人事件に巻き込まれて行った。
「日本には地熱発電」には奴らをびびらせるそれだけの説得力があるのさ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/394.html#c17
日本中、みんな岩手県になってしまえばいいのだ。
原発どころか火力発電所もない。
やっぱりずれていますね。私はあなたと個別の問題で議論するほどの気はなく、あなたがトリウム溶融塩炉に全体として過剰な期待を抱いていることに対する批判が私の意見の本質なのだけど、批判といってもやはり個別の議論に立脚している以上、個別の論点の議論をある程度せねばならないでしょう。
トリウム溶融塩炉ではどうやって発電するんでしょう? 結局、水蒸気をつくるんでしょ。二次溶融塩ループを回して、熱交換器で水蒸気を作る。その熱交換器では、フッ化物二次溶融塩と水が金属板一枚で隔てられている。その金属板に穴が開くことは想定外でしょうか。腐食やフレッティングで。
そして、加水分解してできたフッ酸が、一次溶融塩と二次溶融塩とを隔てる金属板を腐食する可能性についても想定外なのでしょうか。
PWRでは一次−二次の熱交換器の細管が腐食することは周知の事実です。水で腐食するんですよ。
あなたはもう少し想像力を働かせたほうがいいのではないでしょうか。軽水炉だってNa-FBRだって、構想段階では夢の原子炉といわれてたんですよ。
FBRではNa漏れは起こらないことになっていますが、ロシアで稼働している研究用Na高速炉の技術者に聞くと「Na漏れ? Na漏れは起きるに決まってるだろうよ」という答えでした。
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/895.html
この動画を見た結果、非常に有用なものだと思い「文字起こし」を開始しましたが、その途中で以下において 同様の作業結果が公表されていることを知りました。
http://blog.livedoor.jp/tokiko1003/archives/2799584.html
いったんは作業を中断しましたが、すでにかなりの量の作業を進めていたこともあり、自分の学習という意味もあるため作業を再開させました。
先行する資料を参考にしながら、どうせやるのならという意味で、自分はできるだけ実際の「会話」に近いものを再現しようとしました。
また、段落ごとに整理し章題などを付け、重要と思われる箇所に強調を加えました。
この動画資料は、私がネット等で確認した中で、初学者の自分にとっては最もわかりやすく、参考になったものです。特に、ICRPの基準を援用する御用学者らが「内部被曝」について触れない理由などが『なんと、わかってしまう』のです。
私は、以前、以下のスレッドにおいて、福島の方々に「危険かどうかがわからないときは安全策をとって、避難すべきである。」「経済的破綻を恐れるならば、妻子のみを逃がすという手段もある」と主張しました。
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/586.html
本資料を作成し終わった現時点において、私はさらに「避難すべきである」という確信を強めました。20ミリシーベルト/年の是非について論争がありましたが、それについての決定的証拠はないにせよ、それを「大丈夫ですよ」と言っている人物らがどういう連中であるかということは、この作業をすることにより、かなり理解できたという思いがあります。そして、それは、あくまでも外部被曝の基準なのです。御用学者らが、内部被曝という現実の問題に正面から向き合おうとしない状態において、「何ミリシーベルトなら安全か」という議論に乗ること自体が、ある部分、彼らの戦略に嵌っているように思えるようになりました。
なお、本分はかなりの長文ですので、以下の3部にわけてフォローアップとして投稿します。
それぞれには、以下の項目(私が勝手につけました)があります。なお、項目の横にある数値は元の動画の対応する時間です。
第1部
<私の原爆体験>
<研究者への道> 0:12:36
<原水爆禁止運動とラッセル・アインシュタイン宣言> 00:16:40
<ICRPについて> 00:28:00
<放射線影響研究所について> 00:38:06
第2部
<きのこ雲の下から発想する〜当事者性の問題〜> 00:51:52
<シュミッツ=ホイルへーケ女史の論文> 00:55:02
<沢田先生の裁判資料> 01:02:00
<放射線の影響・外部被曝・内部被曝> 01:08:35
<ECRRについて> 01:22:55
<原爆集団訴訟におけるICRP専門委員らの共同意見書> 01:27:45
<小佐古元内閣官房参与について> 01:49:15
第3部
<福島第一原発事故後の政治へのまなざし> 01:56:30
<いくつかの半減期> 02:00:00
<昨今の研究事例から バイスタンダー効果・ホットバーティクル理論など> 02:08:00
<内部被曝の測定について> 02:18;22
<マスコミによる原発存続キャンペーンについて> 02:35:44
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/406.html
電気料金の売上げ減少を原発の稼働停止のせいにして電気料金を上げようって魂胆か?
岩上氏「話は元に戻しますけど、本当にこの福島第一原発のですね、事故と、それに対する政府の対応、あるいはメディアの対応を見て、ですね、異様な、おかしいとしか言いようのない、その対応を見ていると、根っこが非常に深いものがあって、遡ると、敗戦というところ、その後の占領、そして占領後に復活してくる、新たな支配層の人々とアメリカとの密通関係、というものを、『見ないと』何もわからない。『学』も支配されて、『メディア』も支配されて・・・」
沢田氏「学問の世界を、ですね、お金をどんどん、原子力予算というのはですね、それまで科学者がもらっていたような研究費とは桁違いの額なわけですね、それを、どんどんどんどん、日本学術会議なんかの考え方とは違うような分野の人たちに、どんどん、お金をだして、そして、原子力村を作る。それから、放射線影響の分野だと厚生労働省から、どんどんお金が出る、という形で、行政に従属した科学者のグループを作るわけですね。」
岩上氏「行政は、しかし、なぜ、自国の国益とかですね、自国民の益を考えず、アメリカのいいなりになっているんですか、そこはやはり・・・。」
沢田氏「アメリカいいなり、と大企業いいなり、まあ、電力会社いいなり、という構造がどんどんどんどん、続いてきた。だから、本当に真面目な科学者が言っているようなことを、なかなか聞かない。で、東京大学とか、いろんなところに、原子核工学を作って、だから、本当はそういう原子核工学で育った人たちが、自発的に研究を進めていって日本でどういう原子力発電所を作ったら安全かというかということをやれるようなことならいいんですよね。そうじゃないわけです。僕が一番心配しているのはですね。ベトナムとかいろんな国に、東芝とか、いろんなところで作った原子炉を売りつけようとしているんですよね。だけど。そういうところは、そういう科学者が全然育っていない。そういうところで原子力発電所をどんどん作ったときに、事故がすごく起こるんじゃないかなと心配なんですね。だから、儲けのために原子力発電を、使うなんてことを、やっていることが、すごく、そこに住む人たちの安全、だけじゃなくて、ベトナムで事故が起こったら日本なんかおんなじですからね、というようなことを考えなければいけないわけですね。そういうことを全然考えていない。儲かればいい、という発想では、だめです。」
岩上氏「菅政権は、『新経済成長戦略』というものを立てて、この中で目玉というものがなんにもなくて、この原発の輸出だけだったんですね。まさに、そういう進めようとする人たちが菅政権の内閣官房参与として入っていたり、なので、急には原発推進をやめる、止めるというようなことは、とてもとても言い出せない。菅政権自体が、大きな、巨大な、『官』と『財界』と『学』と『報道』の一緒になった永年の利権構造の上に、まあ、再度乗っかりなおした政権ですから・・・。」
沢田氏「だから、日本国民が、今度の事故を教訓にして、やっぱり国民のためになるような、そういう政治をやってくれる、そういう政治を実現するという意識を持たないと、原発問題をきっかけにするんですけど、だけど、もっと広い、問題意識をもたないといけないなと思うんですね。」
岩上氏「ほんとうにそのとおりだなと思いますね。そのためにどうしたらいいのかをまた、先生に伺いなおしたいと思いますが、先生のご見識とか幅広さは非常にスケールが大きくてですね、是非是非またお話を伺いたいと思います。」
<いくつかの半減期> 2:00:00
沢田氏「核兵器廃絶の問題も取り組んできて、実はこの間、フランスのオバニューという町に呼ばれて行ったんですね。そこで、私の被曝体験をこどもたちに話すという、小学生なんですよね。そこで、僕の被曝体験を二日間にわたって、話をして、一般の人たちにも話をする。そのときは、オバニューという市の市長さんが、子供たちに、ちゃんと市長さんが語って僕を紹介したり、ちゃんと計画を立てて、やってくれるんですね。そういうのが、核兵器を持っているフランスにそういう都市があるということを見て、僕、感激したんですけど。世界中でこういう都市が、子どもにも話をできるそういう都市が増えると、必ず核兵器のない世界を実現できますねとお話したら、ちゃんと、そこの新聞も僕の言ったことを書いてくれてたりしてるんですよね。」
岩上氏「あのー、ちょっとだけ話を戻させてください。この大きな話、ほんとに私関心あるんですけど、今、多分、これをご覧になっている方の、喫緊の課題は福島の第一原発であり、その影響、とりわけ、先生がお話になった内部被曝の重要性、ICRPは間違っている、内部被曝について非常に過少評価をしている。しかも、その理由というのは、きわめて政治的な理由だと、ただ、単なる愚かしさ、頭の悪さではない、もう、ちょっと、狡猾さというような、おそらく先生はそういう言葉を使ってらっしゃらないけど、私が言い直すとそういうことなのかなと・・・。」
沢田氏「だから、今、一番大事なことは、爆発で放射性物質が風下に流れて行っている。同心円ではないですね。原爆の場合はすごい勢いであがって行って広い範囲に広がって、同心円状に及んでいるんですけど、福島の原発の場合は風下にずーっと流れていった、上空まであがらないでそのまま、やってきていますよね。そしてそれが降ってきて、特に雨が降ったりすると地面に残っています。今は大気中には放射性物質はないんだけど、地面にある放射性物質は、いろんな、風が吹いたり、やって、空気中に舞い上がって、それを吸い込むということになるんですね。」
岩上氏「やっぱり、地表にある放射性物質は、普通の風で舞い上がったりするものなんですね。」
沢田氏「運動したりいろんなことをやれば・・・。」
岩上氏「そうした、人間の活動で・・・。」
沢田氏「人間の活動でも影響でますよね。」
岩上氏「ああ、なるほどね。」
沢田氏「で、そういうことを考えるときに、これから問題になるのは、ヨウ素のほうは半減期が8日ですから、測定結果みますと、実質上4日間で半分になっています。福島とか飯館村の測定結果を見ますと、半減期は8日間なんですけど、実質的に4日間で半減しています。ということは、気象的に流されていって、流されたから早く、なくなってるんですね。ということは、放射線の影響は、物理的にもっている、放射性物質が持っている、固有の半減期がありますね。今、問題になっているのはセシウムです。セシウムの半減期は30年です。だけど、日本の場合、気象的に雨が多いとか、いろんなことで、半減期は30年よりもっと短くなると思います。」
岩上氏「これは、チェルノブイリなんかとも違うんですね。」
沢田氏「チェルノブイリはいまだに、あそこ、雨が少ないですから、かなりまだ残ってます。特に、建物の風上にあるほうが、そこに当たって、斜面に残って量がおおいわけです。風下側は少ない、安達太良山なんかも福島原発側の斜面は、強いわけですね、反対側は少ない、地形の影響もすごくうけるわけですね。で、そういうことも考えると、もっときめこまかく、あの地域の放射線を計ってほしいですね。家のこっち側と、反対側とでは全然違うし、雨どいを流れてきたその近くは多いかもわからない。だから、気をつけてそういうところに近寄らないようにするとか、いろいろなことをやらなくてはいけないんですけど、そういうときに環境半減期というのを考えなくてはいけないわけです。雨なんか降ってくれば、広島・長崎なんかはそれに助けられたんですけど、環境半減期は短くなるんですね。」
岩上氏「環境半減期というのはちゃんと定義すると、環境においての半減期、つまり、物質の、実験室の中で測定された半減期の話ではなくて、実際の現実というのはいろいろな環境で左右されるから、その環境下においての半減期を見ると、そういうことですか。」
沢田氏「はい。長崎でのセシウム137の環境半減期というのが、幸い、測定されていて、だいたい7年で半分になる。」
岩上氏「あ、全然違うんですね。それは、なぜなんですか。」
沢田氏「やはり、雨が多いとか。」
岩上氏「日本は、多雨多湿であると、とうことは、チェルノブイリのような内陸性の大陸、フラットな大陸とは違うと・・・。」
沢田氏「だから、僕も気象でですね、汚染された地域がどれだけ雨降っているかというのが、天気図見ながら、雨のほうが関心があるわけです。雨が降れば川に流れていって、川を汚染させる海を汚染させることになるわけですけど、土地は、洗われるわけですね。だから海を汚染されるということでは気にはなるんですけど、広島・長崎のことなんか考えると、海は広いですからね、地域で被曝をするよりはるかに影響は少ないと思うんです。もうひとつ大事なことは生物学的半減期というのがあるんです。セシウム137は、だいたい100日たつと新陳代謝で半分になるのが、約100日です。200日たつと1/4になります。300日たつと1/8、1年たつとだいたい1/10になるわけです。そうすると2年たつと1/100になるわけです。3年で1/1000になりますよね。だけど、環境半減期のほうがもっとゆっくりです。ということは植物なんかがそれを取り込んで、葉っぱのなかにそれが蓄積しますと、それを人間が食べるとまた、体の中にもちこむんです。せっかく生物学的半減期で、どんどん、体の中にあるセシウムを体の外に排出したとしても、また、摂取すると、環境半減期によって、また、取り込むことになるわけです。だから、そういうこと気をつけて、体の中に再び取り込まないようにするという努力がすごく、今、大事なんですね。」
岩上氏「と、なると、まあ、先ほど言った粒子というのは吸入の問題であって、その次に大事なのは、食べ物、経口からの摂取ということになるわけですね。とりわけ内部被曝・・・。」
<昨今の研究事例から バイスタンダー効果・ホットバーティクル理論など> 2:08:00
沢田氏「それが、内部被曝の場合、先ほど言いましたように、外部被曝とは全然違った基準で計算をしなくてはいけないから、取ったものが、少ないように見えても、すごく深刻な影響を受ける危険性はあるわけです。だから、そういう摂取を、なるだけ避けるように、どうしたらいいかということを多くの人たちに知ってもらって、さっき、ちょっと、保健所の全国大会があるので、保健所関係の人が名古屋に集まるというので、そういう話をして、保健所の考え方もそういう点に気をつけてほしいなと、強調しようと思っているんですけどね。やっぱり被曝をできるだけ避ける、被曝の影響、先ほど僕が主に研究したのは急性症状なんですけど、もう一つに、晩発性の症状、急性症状のほうはかなり被曝をしないと、起こらないわけです、もう、個人差がずいぶんありますから、すごく、微量でも起こる人と、僕のようにかなり大量に浴びても起こらない人と、個人差がありますけど、もうひとつは晩発性の障害です。で、晩発性の障害は、非常に低線量のところはよくわかっていませんけど、でも、ある程度のところからは、被曝線量に比例していろんな病気が起こるというのがわかってきているんです。とりわけ癌ですよね。だから、浴びれば浴びるほど影響は大きいことになるわけですから、浴びないに越したことはないわけですね。今、国際放射線防護委員会は基準を作っていますけど、そういう基準があろうとなかろうと、浴びないように如何に下げていくか、ということが一番大事なんですね。だから20ミリシーベルトとかいいますけど、これは、事故が起こったときに、1ミリシーベルトと20ミリシーベルトの間で、できるだけ、下げていくように努力しましょうという、一つの努力目標の一つの上の方なんですね。それを子供たちに適用するのがおかしいというのは確かにおかしいわけです。だからこれに対する反対運動が起こって、文部科学省も努力目標ですとか言ってますけど、年間1ミリシーベルトというのは天然で浴びる量ですから、浴びないほうがいいということは、それ以下に、なるべく、したほうがいいというわけです。」
岩上氏「先生、もう一つ疑問なのは、よく、御用学者が言ってくる、言い方で、まさに今の『自然にある放射線』で、ある程度浴びる、それとは別に、人工的な、事故その他の原因で、人工的な放射線を浴びる、これは、比べると、もともと自然の放射線でこれだけ浴びていて、人間は平気で生きていられるんだから、大体問題がないんだ。などという、言い方をする。ところが、そうじゃないんだという話もありますよね。粒子の大きさが違うんだとか、これはちょっとご説明いただけますか。」
沢田氏「だから、外部被曝、内部被曝で、天然のやつは、ほとんど外部被曝で、宇宙線とかいろいろなもので、だから、外部被曝の線量として、天然、自然におけるもの、よりも、少なくしたほうがいいというのは、当然なわけです。生命、生物は、そういう外部被曝の影響を、ずーっと、受け続けるなかで進化してきたわけですね。で、そういう線量の中で生き残って、今の生命が生まれてきているわけです。だからそれよりも大量に浴びたら、今まで経験したことのないような、いろいろなことが起こってくる。ということで、自然放射能のレベル、よりはるかに大きいようなものをやったら、だめだ、ということは、僕は、進化の過程の中で培われてきたものは、大幅にずれるようなことはやらないほうがいい、ていうことですよね。それが外部被曝の場合。だけど、内部被曝の場合は、どういうメカニズムかということが十分まだよくわかっていませんけども。いろんな、まあ、セシウムはセシウムとしてあるわけですけど、そういうのを取り込んだときに、大量に取り込めば、それは、ミリシーベルトとかいう単位とは違った影響を与えるわけですね。僕が計算したのは、同じ急性放射線症状の発症率を与える被曝線量、という形でしかできないわけです。ECRRのバズビーさんたちが一生懸命数式を考案してますけど、内部被曝の場合、もっと、いろんなこと、水に溶けるか溶けないかとか、どういう元素であるか、によって随分違ってきますから、そう簡単に数式で表せない、だから、僕は、今、内部被曝の定義は、外部被曝と同じ急性症状を発症させるだけの線量と比較することはできるわけですね。データがありますから。と、いうレベルしか今はわかっていないと思うんですね。だから、数式で『こうだ』とまだ言えない段階だと思うんです。」
岩上氏「なるほど、バズビーさんというのは、ECRRの代表的な学者の一人で、この人の出している数式というのは、様々に、まあ、批判もある、先生もこれに関しては・・・。」
沢田氏「まだ、確立する段階には来ていない。これから、マイクロビームという、一つの細胞の中に放射線を当てるという技術ができつつあるんですね。日本でも何人かの人が『バイスタンダー効果』、一つの細胞に放射線当てるわけです。で、その細胞に起こった障害と同じものが、その周辺の細胞にも共通して起こる、ということが見つかっているわけです。」
岩上氏「その、周辺の細胞は放射線が当たっていない。けれども、同じような影響が出る。なぜですか。」
沢田氏「その理由はまだこれから解明しないといけないんですけど。いろんな情報が、その、起こった情報が周辺の細胞に伝わる、その伝わり方がどういうメカニズムかということが今、研究されているわけです。」
岩上氏「つまり、直接的に、その細胞の、先ほど言った2重螺旋が切られる、切断される、電離作用とかが起こる、ということでなくても、『ここ』がきられると、隣の細胞に何かの情報伝達によって直接、切断されていないのに、同様の破壊的な現象が起こってしまう・・・。」
沢田氏「そういう効果が見つかっているわけです。これ、前から言われてきて、最近になって、マイクロビームで実験して、それが確認されているわけです。そういう研究やっている人、日本にも何人かいますけど、というように、マイクロビームで分子レベルでどういうことが起こっているかという研究が、これから、急速に進むだろうと思います。そうなれば内部被曝の影響なんかについてもですね、いろんな研究が進んできて、バズビーさんが一生懸命考えようとしているような、そういう数式にのっけるようなことが将来できるかもしれない可能性はありうると思います。科学はどんどん進歩しますから、そういう状況も生まれると思うんですけど。だけど、とにかく、集団訴訟の中でですね、国側がICRPが出してきた、内部被曝と外部被曝は共通だという論文を国側は出してきたわけです。で、ホットパーティクル理論なんか否定しているんだと・・・。」
岩上氏「ホットパーティクル理論、これはちょっとご説明いただけますか。」
沢田氏「ホットパーティクル理論というのはですね、先ほど言った、水に溶けない放射性微粒子が、体の中に入ってきますよね。そして、それが沈着したところは、放射線状に放射線が出てくるわけですよね。大量の放射線が出てくるわけです。」
岩上氏「四方八方ですね。文字通りに。」
沢田氏「はい、そうすると周辺の細胞が、深刻なダメージを受けて、細胞が死んでしまうということが、その周辺で起こるわけですね。そういうのがホットパーティクル理論なんです。で、それを否定するために、国際放射線防護委員会が採用した論文を、裁判の中で、厚生労働省が出してきているんですが、それはチャールズという科学者が書いた論文なんですけど、で、彼が採用したいくつかの実験があるわけです。だけど、まだ、マイクロビームなんかがないものですから、エックス線を平行に当てて、不均一状を作るためにですね、スリットでミリ間隔ぐらいのスリットを作って、それに放射線を当てて、スリットのない場合と、スリットのある場合で、どう違うかという実験をやっているんです。」
岩上氏「スリットのあるなしというのはどういう意味なんでしょうか。」
沢田氏「スリットをやるとですね、不均一に被曝をするわけです。スリットのところでストップさせたところと、直接当たったところ、で、ムラができますよね、ですから、さっきのホットパーティクルというのは、『ムラがあるから』そういうことが起こるんだと放射線防護委員会は考えて、そういう論文を採用したわけです。だけど、そういう論文の結果は、全然違いはないということで、放射線防護委員会は、その論文に基づいて、そういうホットパーティクルみたいな放射線状に被曝をする場合と、平行ビームの場合とで違いはない、という結論を出しちゃったわけです。だから、それしかないんです。論文としては。」
岩上氏「反論のための論文というのは。」
沢田氏「それは、そういうことで、ホットパーティクルとは全然違う、内部被曝のメカニズムとは全然違う論文なわけですよね。それを基ににしているわけです。だから、放射線防護委員会も、内部被曝と外部被曝が違いませんよというのはその程度しかやっていないんです。で、ECRRが2008年に会議を開いたときに、レスボス宣言というのを出して・・・。」
岩上氏「レスボス宣言。」
沢田氏「はい、レスボス島で、国際会議を開いたので、レスボス宣言というんですけど、これは、国際放射線防護委員会がやはり内部被曝の問題をきちんと研究してその結果に基づいてやりなさい、というのが宣言の基本的な内容なんですね。と、いう状況がいまだに続いているわけです。」
岩上氏「つい、最近ことですね。」
沢田氏「はい、2008年ですから。」
岩上氏「今まさにホットな科学上の論争が行われている。真っ只中。」
<内部被曝の測定について> 2:18;22
沢田氏「原発事故なんかで起きた放射性微粒子を体の中に取り込むときに体の中で、内部被曝をする場合には、外で計っている、何ミリシーベルトなんかとは、違った影響を受けるわけですね。外から、地上から計っているのは、外部被曝の線量を計っているわけです。これは、測定できるわけです、物理的に。だけど、体の中に入ったいろんな影響がどういうふうに与えるかということは、そういう線量計なんかでは計れないんです。こんど、ホールボディーカウンターでなんかやるといってますけど、それは、外に出てくるセシウムからの崩壊したあとのものから出てくるガンマ線が計れるわけですよね。だけど、ガンマ線というのはまばらな電離作用ですから、その近くのベータ線なんかでどういう影響が与えるか、全然、違った影響を与えてるわけですから、それではわからないんです。」
岩上氏「ホールボディーカウンターでは、内部被曝を計れると、いうふうに思っているんだけども、実はそれはガンマ線だけの話であって、実は、内部被曝で重要な、他の放射線、アルファ線とかベータ線は計れない・・・。」
沢田氏「主にベータ線が問題になると思うんですけど、それは計れないわけです。だから、それだけで評価したのでは、全然、影響はあっても、わからないんです。」
岩上氏「これはどのようにしていったらいいんですか。内部被曝を計るために。」
沢田氏「だから、計れない、物理的には計れない、もう、ミクロのレベルで、せいぜい、ベータ線は2cmから3cm位、飛んだら止まっちゃうわけですから。外から計れないわけですね。だからそこでどういうことが起こったかということを丹念に調べようとすると、結局、被爆者の中で起こったことがあるわけですよね。それから逆算して、これをどう説明するかということをできれば、わかるわけですけど、そういう研究はまだ、やられてないわけですよね。さっきの下痢については内部被曝と外部被曝について、こういうデータがありますから、それで、ある程度違いがわかりますけど、だけど、今度のやつは、そういう中で、放射性微粒子のどういうやつがどういう大きさになっているか丹念に区分してやればそれなりのことはわかると思いますけど、まだ、そういう測定、微粒子の大きさがどれだけかということは、計られてないですよね。」
岩上氏「これは、放射線の核種でいうとどれになるんでしょうか、ベータ線とか・・・。」
沢田氏「今、ホールボディカウンターで、計るのはセシウムの影響です。今、一番問題になるのはセシウムだと思います。もう、ヨウ素の方は、半減期が8日だから、爆発のときからすれば、もう、崩壊してしまってますから。」
<事故収束に向けた対応について> 2:21:05
岩上氏「ただ、海洋中に出てくる汚染水もいっぱいですよね。」
沢田氏「そうそう、そちらのほうが大変だと思います。」
岩上氏「大変ですよね。これ、海洋を汚染すると、海は広いから大丈夫というわけにもいかないですね。」
沢田氏「爆発のとき、気化しやすいものは外にやってきているわけですね。気化しにくいものは、近くに落ちてきていますね。大部分は汚染水の中に気化しにくいものは入っているわけです。で、それが、ずっと海の方に流れていくと、問題のあるものが沢山含まれて流れていく。」
岩上氏「そうすると、プルトニウムだの、ストロンチウムだのいろんなものがある。それが水の中にたっぷり入ってしまって、溢れるような状態になっている。冷やすためには、注水やめられないですから、どんどん汚染水増える一方で、これが、・・・海洋投棄してしまいました。」
沢田氏「だから、僕は、すごい広い、放射性物質が広がらないようなバリアを、ちゃんと、おいて、その中に全部閉じ込める、その方針を採らないといけないと思うんですけど。海に流したら、これは、国際的にも違反ですから、」
岩上氏「でも、その違反をやっちゃっている・・・。」
沢田氏「すでに、やっちゃったんですけど。それを認めるという政府も国際的にすごい非難を受けていますよね。そして、IAEAが、いろんな国々と協力して、海洋汚染をこれから調査すると言ってますよね。そうなると益々日本は信用を失うことになる、非難を受けることになると思いますけど。でも、日本自身が漁業国ですよね。漁民が今、操業できない状況になっていますよね。それを継続させるということになりますよね。で、かなり広がって、再び漁業ができるかという、そういうことをちゃんとおさえていかないと・・・。」
岩上氏「一番近くにある海草というのが汚染されるでしょうけど、沿岸の海草を、だいたい調査していないじゃないですか。要するに濃厚な汚染というものが発見されたりすると、それは、非常にまずい、ただ、ひたすら、問題から逃げるために、そうした態度をとり続けているんだと思うんですけど。」
沢田氏「僕は、漁港ごとに、ちゃんと、荷揚げした魚の放射線を計れるような設備をちゃんとしないといけないと思うんです。今、特定の港しか計ってないですよね。それもサンプリングしかやっていないですよね。それでは風評被害も避けられないし、漁業を再開して活性化して、汚染されたものを見つければそれを廃棄すればいいけども、その他はちゃんと漁業をできるように保証していく、ということも必要だと思うんですよね。そういう処置を政府がやっていないんですよね。測定をするというのはそれなりのことは、簡易測定装置が品切れで手に入らないという状況があるかもわからないですけど、政府がいろんなところの研究所でもっているやつを集めて、配置して、当面はそこでやるとかね。そういう措置をとって、漁業とか農業を、農業なんかは上の土をどうやって取ったら、農業できるようになるかということをいろいろ研究はされてますよね。それからひまわりなんか沢山蒔いて、ひまわりがセシウムなんかを吸い込んで、そして、ひまわりをどう処理するかという問題も出てきますけど、そのようにして、土地はセシウムがないようにして、農業が復活できるようにするとかね、いかに早く、できるか、という処置を国が責任をもってやらないといけないですね。」
岩上氏「まあ、できているとは言い難いですよね。いかに原発を継続するかに、まだまだ腐心しているような。」
沢田氏「そっちのほうじゃなくて、農業とか漁業をどう回復させるか、それを最優先して、そして、住民が早く帰れるか、というと、測定して、家のどの辺が危ないか、ちゃんと、調べておけば帰ってもいいということができる可能性があるわけですね。だからそういうきめ細かいことを政府は自治体任せじゃなくて、やる必要があると思いますね。」
岩上氏「我々が被災地に対してですね、とりわけ、原発の被災地に対して、支援することができるとしたら、まず、一番大事なことは測定ではないかと思うんです。」
沢田氏「はい。」
岩上氏「でも、測定の機械もいろいろあると思うんです。どういうものが必要ですか。」
沢田氏「一番簡単なのでいいと思います。地上で何センチのところで、すぐ目盛りで、何ミリシーベルトと計れますよね。そういうものでいいと思います。それをやれば、家のこちら側と、雨どいのところとはどれくらい違うかということがわかるわけですよね。今、測定しているのは、公園の真ん中とか、ポツン、ポツンとですね。もっと、きめ細かく、どこがどういうふうに、汚染されているかということを、そこに人が住むということを考えて、そういうことをやっておいて、ここには近寄らないようにしましょうとかね。そういうことをやっていけば、住めるようになると思うんですね。」
岩上氏「なるほど・・・。まあ、本当に故郷を失うということは、大変な耐え難い苦痛だと思いますし、なるべくなら戻れるようにしたほうが・・・。」
沢田氏「早く戻れるように、そういう対策をして、戻っても構わないところはどこかということを、もっと、やらないと、だって、飯館村は、全部、ぱーっといっぺんにやりましたけど、京都大学の今中さんとか、広島大学の静間さんたちが、飯館村はかなり丹念に測定をしているんです。そうすると、どこが、どれくらいかということがわかっているわけです。そうすると、そういう地域、村全体をまとめてやるというのは行政のやり方なんですけど、場所によって、全然違うわけなんです。同じ家でも、こちら側とこちら側では違うくらいになってますから、そういうことも、ちゃんと丹念に調べて、どういうところに気をつけて、そこに暮らせるようにできるかということを調べていくことが凄く大事ですよね。そういうきめ細かいことを測定して、安全を確認して。東電なんかは、最近でも、いろいろ浴びた人がいたっていうわけですよね。あんな危険なことを許してはいけないとおもうんです。」
岩上氏「未だに、作業員と、作業現場の現状というものを公開しないですから。作業員にインタビューというか、会見への出席、これも、求めているんですけど、全くしませんし、だから、作業環境がどのようなものであるか、全然明らかにならないわけですね。我々が取材することは、裏というか、当事者に取材していくことはできるんですけども、堂々と公開しないといけないですよね。」
沢田氏「だって、原子力基本法というのは、平和利用の『自主』『民主』『公開』の3原則があるわけです。だから公開の原則をちゃんと守ってもらわないといけないわけですね。」
岩上氏「まあ、そういう姿勢が全く東電に欠けているのは事実です。」
沢田氏「だから、東電に任せているわけですよね。本当は保安院というのが、独立した機関であれば、そういう権限をもってやらなければいけないわけですね。で、今、IAEAに批判されて、菅内閣も、この間、サミットか、どこかで約束・・・。」
岩上氏「はい、IAEAに批判されて、保安院の独立性を高める、今更ながらという感じはしますが。」
沢田氏「アメリカでは、安全規制委員会というのは、3000人から4000人のスタッフがいるんですよね。で、独自に原発のところに派遣して、ずっと監視できる体制があるわけですね。本当は日本でも、緊急に、国民の立場に立って、住民の立場に立って、安全を監視する。作業している人の安全を確保するということをやりながら、ということを、やらないと、いけないわけですね。それを東電任せにしている。東電は利益優先、隠蔽する体質が残ってますから。」
<脱原発について 小型水力発電など> 2:29:50
岩上氏「まあ、その前に、安全監視の前に、原発やめたほうがいいんじゃないかと。」
沢田氏「やめないといけないと思います。僕はですね、一番だめだと思っている理由は、運転すればするほど、放射性廃棄物ができてくる。それの処理の方法が科学的に何もわかってないわけです。どんどんどんどん、蓄積する一方ですよね。で、その処理は未来の人たちに、今はなんともしょうがありませんと言って、未来の人に全部責任をおっかぶせるわけです。それを何十万年も先の、人類がいつまで生きているかわかりませんけど、でも、ずーっと未来の人たちに全部ツケをまわしているんです。そして、私たちは電力をどんどん使っているという状況がありますよね。それはすごく不道徳だと思います。だから、原子力発電所というのは事故が起こると起こるまいとそれを作るわけです。安全に、運転できたとしても、そういう放射性廃棄物をどんどんどんどん蓄積していくわけです。で、その処理の仕方はわかっていない。と、いうことをやるということは、やはり、やるべきではない。」
岩上氏「今回の福島第一原発事故でも、使用済み燃料という、もう、廃棄物になったのかな、と思われるものが、実は非常に危険なもので、熱を帯びていて、それが、爆発して、建屋がふっとぶ、あたり一体を汚染するということが明らかになったわけですね。」
沢田氏「火力発電というのはCO2とか、いろいろな問題がありますけど、運転を止めれば、もう、それでおしまいなわけです。ところが原子力発電という場合は、運転しててエネルギーを出す、これは核分裂のエネルギーを主に使うんですけど、でも、核分裂によって放射性物質が出来て、その放射性物質がずーっとエネルギーを出し続けるわけですよね。その、お守りは何十万年もやらなくてはならない、というものがずっと残るわけです。」
岩上氏「これは、ずっと、核燃サイクルでなんとかなるんだ、六ヶ所村に持っていくんだ、これは、プルトニウムを、MOX燃料を燃やして、夢の永久エネルギーのようなことが可能だというプロパガンダがずーっとされてきた。」
沢田氏「それは、燃料の方の話であって、核分裂生成物の処理の問題は全くそっちのけでやっているんですよね。で、今の電力コストにはそういうことが全然考慮されていないわけです。原子炉を廃炉するときのコストなんかも考慮していないわけですね。それは、結局、電源立地なんかで国民の税金をそっちのほうに放り込んで、電力会社なんかも、電力売って儲ければコスト安いといって売って儲けているわけですけど、本当のコストはもっともっと高いわけですね。アメリカでも最近計算して、コストはそう安くないというアメリカでも計算しているみたいですけど。と、いうモノ、未来につけを残すようなモノをやってはいけないと思うんですね。で、一方で、国民の中で、電力不足でダメになるんじゃないかという不安がありますけど、僕は国の責任でちゃんとやったら、再生可能エネルギーの重点化というのは僕は可能だと思うんです。少なくとも、普通の家庭の電力は、太陽電池をやることによって、ほとんどがまかなえるようになる、ただし、ちょっと、しばらくはコスト高いかもわかりませんけど、行政なんかが、それで、いろいろな補助をしていますよね。そういうところがどんどん増えていけば、コストはどんどん下がってくると思います。ということで、各、独自の、小さな電力の使用は、自分のところで賄えるようにする。それから、水力発電はですね、大きなダムじゃなくて、小さな昔の水車小屋のレベルの発電で、今、すごく、効率がよくなっているわけです。だから、農村地帯に送電線をずーっと張り巡らして持ってくるということをやらないで、もう、地域で発電していくということで、やっていけば、農村地域の発電も、まかなえる。これは、政府が決意してやれば出来ると思います。ということで、分散型のエネルギー、で、そういうのが集合すれば、電力会社に電気を売るくらいのことはできるようになると思います。と、やれば電力不足というのは全く問題なくなると。日本の場合、特に水力は、再生可能エネルギーとしてはすごく有効です。」
岩上氏「有効ですよね。こんなに、傾斜があって、こんなに雨が降って。」
沢田氏「水が沢山ありますからね。もう、水道水は日本中、世界中探しても、日本ほど、どこででもこんなに水道水に恵まれている国はないくらいですから、水道水と同じレベルで水力発電をやっていけば、日本はものすごく恵まれた国なわけですね。ドイツなんかよりはるかに再生利用可能なエネルギーに転換しやすいわけです。それから、潮力発電とか地熱発電とかも日本はすごく有力なところですよね。だから、そういうのを、国がちゃんと政策を決めれば、菅首相もそういうふうに転換すると言ってますけど、でも、実情はなかなかそういうふうにしないで、逆戻りをする動きがチラッとみえてますけど、本当は意識を変えてですね、そっちの方に変えていけば実現できる、その辺を国民全体も納得して、あの原発なくなったらどうしよ〜なんて、マスコミなんかもちょっと、やりはじめたので心配なんですけど。」
<マスコミによる原発存続キャンペーンについて> 2:35:44
岩上氏「いやもう、圧倒的なキャンペーンですよ。非常に巧妙化しておりまして、朝のテレビで『今日の電力』なんていうことをやるんですね。『今日の放射能』やりなさいよといいたいですけれども、今日の放射能は語らない。」
沢田氏「昨日の(6月7日放映)クローズアップ現代を見ていたら、電力不足どうするかという。あれ、全然、おかしいですよね。」
岩上氏「サイテーだとしかいいようがないですけど。本当に、NHKはああいう報道を、初期、特にクローズアップ現代の報道を含めて、クローズアップ現代は良心的な番組だなんて思われてきましたが、ものすごく信用性を失ったと思いますね。NHKの重要な財産だったはずの信用を失ったと僕は思います。」
沢田氏「クローズアップ現代はかなり信頼されていたんですね。」
岩上氏「全く信頼できない番組だなと思うようになりました。がっかりですね。というより、NHK報道全体が問われていると思います。もちろん、読売なんかとは比べようもないんですけども。」
沢田氏「僕は日本テレビのディレクターだった人が、岐阜とかに来たときに、自分はもうやめる覚悟で報道するんだと、報道規制が行われているんですね。」
岩上氏「もちろんです。もちろんあります。当然です。はい。」
沢田氏「日本テレビは正力さんが作っただけあって、すごく規制が厳しいみたいですね。」
岩上氏「わたし、フジテレビの『とくダネ』という番組に、ずーっと十何年出てきて、もう、今度やめるんですけど、僕、十何年やってきてですね、こういう言い方をしてくださいとかこれを言わないでくださいとか、いうストップがかかったことがほとんど無いんですよ。自由に発言してきました。だけれども、この間、一号機、二号機、三号機のメルトダウン、『メルトダウン』という言葉は使わないで『炉心溶融』、この炉心溶融という言葉、徹底しましたよね。すべてのメディア、政府が、もう、『メルトダウン』ですよ。炉心溶融って、そのままの訳を、なので、僕はメルトダウンという言葉を使いますよと言って、番組でも使いました。この間、菅総理の会見で、メルトダウンという言葉をあえて使って質問したら、総理自身が何回もそれにつられて、『メルトダウン、メルトダウン』と、お答えになって(笑い)、4.5回使っていたので、さすがにこの縛りも解けたでしょうと。でも、こんな『言葉狩り』もひとつの含めてですね、情報の操作行うんですね。メディアの中にいれば間違いなく感じることで、それは、総理に質問ぶつけることで解けちゃったと思いますけど、呪縛は、最近、『メルトスルー』とか言ってますけどね。意味がわからんという気がしますが。メディアは明らかにコントロールしよう、マニュピレーションしよう、情報操作を行おうという姿勢がはっきりとありますね。」
沢田氏「だから、計画停電とかね。国民を脅すやりかたを東電はとった」
岩上氏「露骨ですね。」
沢田氏「露骨ですよね。本当はそういう原発をやめて、再生可能なエネルギーに行くんだという、国のレベルでやらないとできないことなわけですね。そういう方向で行けば、素晴らしい日本、原発問題まだ、完全に、安全なところにまだきていない、東電の計画なんかを見ていても、まだ、わからないですけどね。」
岩上氏「全然、油断はできないと思います。あの、ありがとうございました。だいぶ、時間を過ぎたのでは。」
沢田氏「9時過ぎましたね。(笑)」
岩上氏「先生には本当に長時間、お話を伺いありがとうございました。」
(沢田先生、資料を 岩上氏に手渡す。)
沢田氏「資料としてですね、これは、今の、岡山で裁判している、これが僕が考えていることを総合的にまとめてあるので、本当は論文の方が。これが論文の方なんですけど、日本の科学者が書いた、それから、国の科学者が、どういうふうになっているか典型的なやつ、これに対する僕の反論、見ていただくと、わかると思います。それから、この論文の中で引用したのがですね、放射線影響研究所は、被爆者同士を比較しているわけですね。だけど、真面目な研究もあるんですね。これは、広島大学の原爆放射線医科学研究所の人たちが広島県民と広島県に在住している被爆者を比較する、被爆者同士を比較するんじゃない、研究を初めてやっているわけです。これを見ますとですね、それぞれの距離ごとにいろんな種類の病気の発症率なんか求めているんです。で、その一つを利用して、癌の発症率を研究して、裁判にも使っているんですけど、(しばし、ページをめくる)この論文をもとにして、僕は放射性降下物の影響を求めて全被曝線量、初期放射線被曝線量というのはあるわけです。だけど、降下物の影響を考えると、マイナスのところまで考えないといけないわけですけど、で、それを考慮して、癌の死亡率を計算すると、この赤い線になるんですけど、そうすると将来、ミリシーベルト浴びるとどれだけ癌が発症するかということが計算したわけですね。そういう放射性降下物の影響をちゃんと考えた、研究はこれまで無いわけです。だから、そういうことも踏まえてやろうとすると、元の論文は何かということになると、いけないので、これを。」
岩上氏「ああ、ありがとうございます。頂戴いたしました。これ、皆さんに読めるようにアップしたいと思いますので、向学心・・・・」
(沢田先生、メダルを取り出す。)
沢田氏「これが、僕初めてメダルをもらったんです。私が被曝体験をお話に行った、フランスの。オバニューと書いてあるんですけど、マルセイユの東20kmくらい離れた都市で、僕が広島市長にも長崎市長にも呼びかけている平和市長会議、随分昔から加盟しているんです。フランスの市長会議の代表をそこの市長さんが務めている。そして平和のいろいろな取り組みを市が主催してやっているんです。で、僕を呼んでくれたんです。で、僕が訪問したその日、をちゃんと、こんなかに刻んでくれて。」
岩上氏「記念のメダルですね。」(岩上氏、メダルを飾り箱に入れてカメラに向ける)
沢田氏「2011年の5月25日。スポーツ選手ならこういうメダル沢山もらうんでしょうけど、僕はメダルを初めてもらいました。」
岩上氏「先生、これは、国家から貰う勲章よりも嬉しいことじゃないですか。」
沢田氏「すごく。で、フランスのように核兵器を持っている国が、こういう平和教育を、子供たちの前で僕を市長さんが紹介して、それから、被曝体験をしゃべらせて、こどもたちにもいろいろな質問を、その中でも、福島原発のことを子供たちは質問するわけです。だから、すごい、子供たちが関心を持っているわけですよね。」
岩上氏「そういう機会を日本国内でも是非作っていただきたいと、我々も、是非、企画したいと思いますので、よろしくお願いします。」
沢田氏「こちらこそ。」
岩上氏「大変、長時間になってしまいました。かつ、東京に帰れるかという・・・。」
沢田氏「帰れます。ギリギリですか。」
岩上氏「そうですか。帰らなくちゃいけないので、まあ、慌しいんですけど、先生にお話しを伺いました。また、先生にはあらためて機会を作っていただいて、お話しを伺いたいと思います。今日はどうもありがとうございました。」
沢田氏「ありがとうございました。」
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/407.html
【長野】リニア中央新幹線「Bルート(諏訪・伊那を経由)」実現要求決議へ−県議会
毎日新聞 2009年6月12日 地方版
リニア中央新幹線の建設問題で、県議会が諏訪・伊那を経由する「Bルート」の実現を求める
決議をする方向で調整を始めたことが11日、明らかになった。今月に入り、JR東海が「1県1駅」を
表明するなど問題が動きをみせる中、改めて議会として意思を示し、Bルート実現に影響を与えたい考えだ。
同日の県議会公共交通対策特別委員会で「議会の意思を改めて表明すべきだ」などと
以前から求めてきた「Bルート」の実現を求める提案が出され、明確な反対意見は出なかった。
今後、各会派で議論し、7月1日の同委員会で意見集約。
6月定例会最終日の7月3日にも決議案を可決する見通しだ。
県議会事務局によると、県議会は89年、90年、97年の3度、国にBルートの実現を求める意見書を可決。
しかし議会としての意思を対外的に表明する「決議」は初めてとなる。
リニア建設を巡り、JR東海は南アルプス貫通の「Cルート」を念頭に置いている。5月から県内で地元説明会を始め、
今月8日には松本正之社長が「(途中駅は)1県に1駅」「建設費は地元負担を求める」などと明言した。
県や地元自治体は一貫してBルートを求めている。【竹内良和】
夏休みは新幹線で旅しよう! shinkansen-travels.jp 友達から家族まで、楽しみ満載のプランが充実!新幹線+ホテルプラン 東海道新幹線の格安プラン www.jrtours.co.jp JR東海ツアーズは、日帰りから宿泊プランまでお得なプランが満載! 超得!新幹線・JRツアー専門店 www.traintour.jp びゅう、JR東海ツアーズ等、列車とホテルがセットになった超得ツアー インタレストマッチ - 広告の掲載について
コメント(11)
長野県に1駅しか設置できないのですから諏訪と伊那の両方に駅は設置できないわけです。
また、諏訪を経由すると約60〜70Kmの延長増となるようです。当然乗車時間も長くなるのですが、その点はどう考えるのかな?
長野県内の意見と県外の意見がこれほど食い違う話も珍しい。
2009/6/14(日) 午後 7:18 [ take ]
http://www.vote-web.jp/cgi-bin/read.cgi?guid=ON&dir=rail&num=1
2009/6/14(日) 午後 7:20 [ take ]
Bルートにすると1兆円近く余計にコストがかかり、建設費・管理費・運行費増大で、利用料金が増大し、東名阪からの利用者は敬遠する。時間も新幹線と大して変わらなければ東海道新幹線や飛行機の利用で代替できるためリニア利用者は増えないことも考えられます。
2009/6/14(日) 午後 7:27 [ take ]
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20081029/527533/?P=1
2009/6/14(日) 午後 7:45 [ take ]
リニアが南アルプス貫通のCルートなら、駅の整備費を除く5.1兆円の全額をJR東海が自己負担すると公表済み。 これまでの調査で、南アルプスのトンネル整備についても技術的に可能との結果も出ており、Cルートが一番安く整備できる。
Bルートだと50〜60kmほど路線長が延び、さらに1兆円程度の整備費上積みが必要となるが、
Bルートで整備する場合の整備費負担のスキームは、事業者、国、沿線自治体(県)が1/3ずつの負担になる。
東海、国、沿線自治体の全県合計(県内路線距離の比で案分)でそれぞれ2兆円前後。
国負担の2兆円は当然国税から支出されるし、長野以外の沿線都県である東京、神奈川、山梨、岐阜、愛知の自治体負担金も
やはり自治体の税収=都民、県民からの税収で支払われる。
Bルートになった場合、品川−諏訪−名古屋の路線距離330〜340kmの25〜30%が長野県内となり、
沿線自治体負担金2兆円のうち、長野県が5000〜6000億円を負担することになるが
国が地方交付税交付金で長野県を救済するほか無くなる。原資は国税。
2009/6/14(日) 午後 8:04 [ take ]
Q どうしてBルートにこだわるのですか?
A リニア計画が持ち上がったころ長野県は提示されたルートのうちから独自の調査でBルートが濃厚と判断し、
Bルート建設予定地を地銀の八十二銀行と土建が買い占めました
知事はそれらから支持を受けて当選している
重要なのは諏訪に駅を作ることではなく、あくまでも買い占めた土地に路線を引くことです
Q どうして1県1駅にも逆らうのですか?
A 無理矢理迂回させたとなれば、諏訪に駅を作らなくてはなりません、
しかしB、Cどちらのルートでも飯田を通るため、いまさら諏訪にしか駅ができないとなれば飯田以南の住民が納得しません
Q なぜ飯田に駅ができるだけで長野県は満足しないのですか?
A 長野県は南北に広すぎて北、中央、南で経済圏が異なり、そのため飯田に駅ができても利益があるのは南信地区のみなので反対する人間が多々います
2009/6/14(日) 午後 8:06 [ take ]
現長野県知事が諏訪ルートで駅も諏訪に引っぱってくるという政治的公約をしており
県内のデベロッパーは諏訪近辺の土地を買収してる。
その金を融資したのは現長野県知事を支持した八十二銀行。
このままJRのプラン通りになると、デベロッパーの土地は単なる不良資産となり、八十二銀行の融資回収は困難になる。
・長野県知事村井氏は、Bルートを選挙公約に盛り込んでいた←中信出身
・岡谷出身の八十二銀行元頭取茅野実氏は前回選挙で村井支持
・八十二銀行は地元デベロッパーや土建会社に融資
・村井氏の後援会会長はエプソン相談役の安川英昭氏←諏訪盆地唯一の知名度ある企業
2009/6/14(日) 午後 8:09 [ take ]
村井知事は木曽福島出身
2009/6/14(日) 午後 8:11 [ take ]
県内初の新型インフル確認 飯田の27歳女性 6月14日(日)
県は13日深夜、飯田市の日本人事務職女性(27)が新型インフルエンザに感染したと確認した。県環境保全研究所(長野市)の詳細(PCR)検査で感染が判明した。県内での感染確認は初めて。
県によると、女性は今月1〜9日、旅行で米国ハワイに滞在。10日夜に飯田市の自宅に帰った後、11日午後7時ごろに39・2度の発熱があったため、13日、県飯田保健福祉事務所(保健所)に電話相談し、同市内の診療所を受診。簡易検査でA型陽性反応が出たため、感染症指定医療機関の飯田市立病院の発熱外来で診察を受け、ここでも簡易検査でA型陽性反応が出た。検体は県環境保全研究所に送られ、同日午後10時半、感染を確認した。
女性は同病院に入院。13日夜現在、体温37・4度で、頭痛、鼻汁の症状があるが、容体は安定しているという。
女性は成田空港から電車、バスを使って帰宅した。11、12日には飯田市内の職場に出勤したという。旅行には女性の家族1人が同行したが症状は出ておらず、職場の同僚などにも今のところ症状が出ている人はいないという。
2009/6/14(日) 午後 8:27 [ take ]
諏訪地区でリニア説明会 地区ごとの説明始まる
6月10日(水)
リニア中央新幹線構想をめぐり、諏訪地区の建設促進期成同盟会関係者らを対象にした説明会が9日夜、諏訪市役所であった。JR東海の担当者がリニアの基本技術などを説明。質疑では出席者から、諏訪・伊那谷回りのBルートでの整備を強く求める発言が相次いだ。
市町村の首長や議員、商工団体関係者ら約210人が出席し、冒頭以外は非公開。同盟会長の山田勝文諏訪市長はあいさつで「いつまでもリニア新幹線の応援団でいたい。中央と地方双方の発展を考えてルート決定してほしい。最良はBルートだ」と強調した。
出席者からは、中間駅の建設費が地元負担とされたことに関し、「それなら複数あってもいいのではないか」との意見もあった。JR側は「他の沿線との公平性もある。(1県1駅でも)沿線全体としては大きな利益につながる」と答えた。
地区ごとの説明会は今後、12日に中信地区(松本市役所)、13日に上伊那地区(伊那市役所)、15日に飯田下伊那地区(飯田市役所)で開く。
2009/6/14(日) 午後 8:31 [ take ]
Cルートが東京・名古屋間約280kmなのに対して、Bルートは50kmほど長くなる。
JR東海の計画では、走行距離の短いCルートを選択する。所要時間もそうだが、運営費用面でも大きく差が出る(路盤や車両の維持補修、エネルギーコストなど)。
Cルートの場合、駅間は5区間、平均約56kmとなる。車両の加速性能を 2.5km/h/秒、最高速度を500km/hとすると、最高速に達するまでに200秒、約14km走行することになり、ノンストップタイプで東京・名古屋間の所要時間は約36分ということになる。Bルートの場合だと、迂回による曲線区間での減速を無視したとしても約7分の所要時間増となるので、実際のダイヤ編成では50分と設定されるだろう。
一方各駅停車タイプは、中間駅の待避で合計20分、走行時間が10×5区間の50分で、東京・名古屋間は70分ということになる。ノンストップタイプの倍近い所要時間。
これがBルートだと長野県が3駅設置を要求しているので、中間駅は6駅、駅間は7区間となり、待避時間が30分、走行時間が約73分で東京・名古屋間の所要時間は103分。ちょうど今ののぞみくらい。
2009/6/14(日) 午後 11:21 [ take ]
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/340.html
Q−1の意味分かりますか?
Cs134が何から生成されているか? Cs133以外から生成されているとしたら何か、私にもわからないので、質問です。
逆に、Cs133から生成されるとすると、R−1に示したように、測定結果は、ほぼ100%、転換されているという結果であって、私の想像ではありません。
この測定結果は、どうしてなのか、その理屈が知りたいのです。
尚、Cs133は、放射性物質ではないので、通常、測定されません。
「Cs-133の収率、あるいは燃料中に含まれるCs-133の濃度はゼロではないはず(であり、)、Cs133はどうでもいいのです。なぜCs-134の測定結果が、このように、大きいのか?その原因は、何なのか? これはCs-133はすべてCs-134に変化していることを意味するのか?じゃあ、133→134の中性子1個はどこからきたのか、という疑問なのです。」
私は、通常の運転では、Cs134,Cs137の発生量は、びびたる量であって、燃料棒に付着する量はほとんど問題にされないと、思います、逆に、今回放出されたのと同程度、燃料棒に核物質があると、2階の使用済み燃料プールでは、人が作業できないことになりませんか?
沢田氏「ま、そういうことで、不思議な、僕は素粒子物理学という湯川先生などと同じ研究をやってきたわけですけど、ま、定年退職をしてさっきのような裁判にかかわるようになって、やっぱりそれは明らかにする責任があるなと思ったものですから、というのは、被爆者だ、というのもありまして、被爆者は『きのこ雲の下から発想する』わけです。他の科学者は『きのこ雲の上から考える』という、これは、パグウォッシュ会議などでも、これまで核兵器をなくそうと一緒に一生懸命議論してきた物理学者らなんかに、広島で1995年に初めてパグウォッシュ会議というのが開かれて、で、原爆資料館なんかに連れて行ったんですね。で、彼らは皆、資料館見て、頭を抱えているわけです。『自分たちは核兵器の禁止の問題を一生懸命議論してきたけども、原爆資料館行ってはじめて、きのこ雲の下でどういうことが具体的に起きたのかを初めてリアルに想像できるようになった。自分たちのイマジネーションの力が欠落していたことを今更ながら思い知った。やっぱり我々はあの原子雲の上からしか見ていなかった』だからああいう被曝の実情を見て、原子雲の下から発想しなければいけないと、口々に僕に感想を述べてくれたんですけど。やっぱり被爆者ははじめからあの原子雲の下にいたわけですから、そういう発想で考えるということですね。」
岩上氏「当事者性ということですよね。当事者性の欠落ということと、それから俯瞰する視点というのも、本来そんなものは加工された視点で、はるか天空から見下ろす視点なんて我々は持っているはずが無いのに、頭の中ででっち上げてしまうんですね、そういう視線のありかを。一番恐ろしいことです。」
沢田氏「放射線影響研究者も日本に沢山いて。もう、何十年間もそういう発想で、周りがそういう雰囲気ですから、それに毒されていたということで、せっかくある、いろんな調査結果があるんですけど、そこから引き出そうとする努力をしなかった。」
岩上氏「今、まさに福島第一原発の事故が起こって以降ですね。沢山の学者がテレビ・新聞に出てきて、私から見るとですね、とんでもない発言といいますか、おかしな発言をしている人たちがいっぱい出てきている。そのような人たち、まあ全員が放影研とは言いませんけど、放医研も含め、放影研は放医研の影響というのは非常に大きくて、ICRPのような国際機関と行ったり来たりしている人たちが沢山いる。そういう人たちこそ本当の専門家、オーソリティーと言われ、隣接する学問分野の人たちも、この放射線の影響というものに関しては、この人たちの意見に耳を傾けて影響を受ける、というような中で今回の事故の放射線の影響というものを、過少に、過少に評価しよう、小さく小さく見積もろうとするプロパガンダがですね、宣伝が、延々行われ続けているという印象があるんですね。そういう背景、歴史的な背景がある・・・。」
<シュミッツ=フォイエルヘーケ女史の論文> 00:55:02
沢田氏「はじめて放射線影響研究者が、遠距離の被爆者と、それから近距離の被爆者と、被爆者同士を比較して、ということをちゃんと論文に書いたのが、ブレーメン大学のインゲ・シュミッツ=ホイルへーケさんという女性の科学者が・・・彼女はブレーメン大学の物理学だけども放射線の影響も研究してきた世界的にもすごいすばらしい研究をしてきていろんな賞なんかももらっている人ですけど、今、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の会長をやってます。彼女がはじめて1980年代に、放射線影響研究所の研究が、被爆者同士を研究している、比べている、とりわけ、当時はまだ、1980年代の初め頃はですね、遠距離被爆者は初期放射線を浴びていないわけです、だから初期放射線をほとんど浴びていない被爆者と、それから入市被爆者を、もっと初期放射線を強く受けた被爆者と比較する研究をやっている。これではだめだということをですね、彼女が初めて、「遠距離被爆者と入市被爆者」を、「日本人平均」と比較したわけです。」
岩上氏「なぜ、この比較の仕方ではだめなんでしょうか。」
沢田氏「というのはですね、遠距離被爆者は・・・、彼女はなぜだめかということを論文に書いたわけです。それは本当に被曝していないのは日本人平均ですよね。被曝していない人と比べないと。」
岩上氏「対照群としてそれはちゃんとした研究にならないと。」
沢田氏「はい。疫学研究という放射線の影響を調べようという疫学研究の場合は、全く放射線を浴びてない人と、放射線を浴びた人がどう違うかということで癌が発症する率がどう変わるかとか、癌による死亡率が変わるかとか、そういうことを研究しないと、研究にならないわけですね。ところが、遠距離の被爆者は放射性降下物の影響を受けている可能性があるわけです。だから、本当はそういう人じゃなくて、全く被曝のない人たちと比べなくてはいけないのに、そういう、まず、放射線影響研究所が比べる対象にしている「遠距離被曝者」を「日本人平均」と比べたわけです。そうすると遠距離被爆者がちゃんと被曝をしている、ということを彼女は見つけたわけです。入市被爆者も早く入市したひとは白血病の発症率が高い、日本人の平均に比べて2倍以上高いということも彼女は見つけているわけですね。それを論文に書いて出そうとしたんですけど、そういう論文は掲載されないんですよ。」
岩上氏「どこに掲載されないんですか。」
沢田氏「いろいろな科学雑誌。放射線の影響を発表する論文を何度も投稿したんだけど、拒否されて、仕方が無いから、彼女は『レター』という形、レターという形だとそれは審査なしに載っかるんですね。ということで、初めて彼女は論文をレターで出すことができた。ということが世界中で行われているのです。」
岩上氏「圧力が、日本でも、そういう、非常に、科学というのはニュートラルで中立的なものかと思ったら、実は、政治的な影響を受け、そのパラダイムの中で枠組みの中で研究する、歪められているんですね。でも、世界の中でもそれがあった、アメリカの影響・・・。」
沢田氏「イギリスでもアメリカでも核兵器を持っている国の政府は、『そういう科学者』には、お金を出すけども、そうでない科学者にはお金を出さないということで、結局、世界的に、主に、研究しているのは、そういう核兵器を持っている国の科学者のほうが多いですから、そういう国の科学者もそういうふうになっているわけです。だから世界的に日本だけじゃないんです。だから、国際放射線防護委員会(ICRP)も、そういう、政府に御用が、お声がかかるような学者がだいたい集まっているわけですよね。日本も、放射線防護委員会に推薦されるというのは、厚生労働省が多分推薦しているんだと思います。」
岩上氏「なるほど。」
沢田氏「科学者団体が推薦しているんじゃない形になっているわけですね。」
岩上氏「なるほど、本当に、制度的にそういう仕組みになってしまっているわけですね。」
沢田氏「だから、彼女のような研究をやっても、なかなかそれが論文として掲載されない。という彼女のことから僕は・・・。」
岩上氏「これは何年ですか。」
沢田氏「85〜86年だったと思います。この論文は。」
岩上氏「これは、チェルノブイリの影響下で生まれたわけではなく、時期的には極めて近接しているけども、もっと、その前から・・・。」
沢田氏「彼女の動機は『DS86』という、1986年に初期放射線のコンピューターで計算したのが、初めて出来たんですよね。で、広島についての初期放射線の影響についての研究結果が出されるであろうということを予測して、で、そういうことにあわせて、それだけじゃなくって、他の影響もちゃんと考えなくてはいけないよと、気がついたもんだから、それで、初期放射線の影響を受けていない、そういう人たちの放射線影響研究所の研究はどうなっているかと疑問を感じたんですね。それで、そういう、放射線影響研究所の比較する、その、コントロールというんですが、被曝をしてないとして、それと被爆をしている人たちと比べる、そのコントロール自身が被曝をしているということに彼女が気がついて、そのコントロールを本当の被曝をしていない日本人、平均と比較するということを彼女はやったわけですね。そして、死亡率、いろんな癌の種類によって、死亡率はちょっと高い程度なんですけど、発症率がはるかに高い、ということを見つけたわけです。それから、全体の死亡率はですね、そういうコントロールの人たちは、日本人平均より死亡率が低い、ということを彼女は見つけているんですね。それはなぜかというと、コントロールの人たちも原爆手帳をもらっているわけです。そうすると毎年検診があるわけです。癌なんか早く見つかるわけですね。だから死亡率は低くなっている。ということで彼女はそういうことを指摘したわけですね。これは、だから、原爆症認定集団訴訟というのが、2003年から始まるわけです。で、僕は、その集団訴訟が始まるということなもんですから、より放射性降下物の影響をちゃんと調べる必要があると、ということで、先ほど言った、沢山の急性症状の発症率というのがデータ沢山ありますから、でも、その中でも国側が否定できないのが、放射線影響研究所がもっているABCCが1950年前後に調査した結果があるわけですね。その脱毛発症率、を元にして、ほぼ同心円状に影響の区分の・・・ですから、あるだろうと仮定して、研究したわけですね。そして、調べた結果がすごく深刻だということがわかったんですけど。」
<沢田先生の裁判資料 > 01:02:35
(沢田氏、手持ちの資料から「広島急性症状発症率」のグラフを提示)
(沢田氏、『もっと簡単な』別の資料を提示)
沢田氏「これは、放射線影響研究所の前身である、ABCCが、1950年頃にですね、ABCCがこれから調査しようという被爆者集団を、どんな被曝をしているか予め調べておこうということで、脱毛の発症率というのを調べたんですね。爆心地からの距離ごとに、赤い四角が脱毛の発症率です。で、彼らが調べたのを見てもですね、初期放射線というのは2kmでほとんどゼロになるんですけど、それよりも遠いところで脱毛の発症が起こっているわけですね。だけど、放射線影響研究所の人たちは、この四角から遠距離のほうは、これは、『わけのわからない影響』で髪の毛が抜けたと考えて、初期放射線の影響だけ引っ張り出す研究をやっているもんですから、1990年代にストラムと水野という研究者がわざわざこの四角のデータから初期放射線だけ引っ張り出すということをやっているわけです。それが所の方針ですから。で、遠距離のほうはこれは放射線の影響かどうかわからない。と、やっているわけですね。だけど、日本中・・・彼らは遠距離の脱毛は、髪の毛が抜けたのは、精神的なショックで抜けたんではないかという説明をするんですけど、日本の都市という都市が、空襲で焼け野原になっていますよね。ところが、広島・長崎以外では、脱毛という現象が爆心地からの距離とともに段階的に減っていくような、系統的に減っていくようなことは全然見つかっていないわけです。と、するとこれは放射線の影響以外に考えられないですね。で、遠距離だとすると、放射性降下物の影響しか考えられないわけです。だから、これから逆算して、この発症率から降下物による被曝を引っ張り出す必要がある、と、気がついたわけです。で、同じ、放射線影響研究所にいた人、今はもういないんですけど・・・。」
(沢田氏、別の資料を提示)
沢田氏「マウスによる実験をしているんです。この白い小さなマルが、脱毛の発症率ですね。彼らはマウスを使って脱毛の発症率を求めたんです。これも放射線影響研究所がちゃんとやっているわけです。で、これが、正規分布になるというのが、だいたい、常識なもんですから、正規分布でやると、この赤いカーブになるんですが、発症率がわかれば、発症率が10%だったら、被曝線量がイチ、テン、ナニ、シーベルトというのがわかるわけですね。て、ことで、さっきの資料を逆算して調べるわけです。そうすると求めることができて、その結果がですね、」
(沢田氏、別の資料を提示)
沢田氏「爆心地に近い1km以内はですね、もう、沢山の人が死んでしまっているので、あんまりデータがよくないだろうということで、さっきから求めるとこういうカーブが出てくるんですね。これは、近いところは、もろ初期放射線の影響を受けているからすごい推定被曝線量が大きくなるんですけど、4グレイ、グレイとシーベルトは大体同じと考えていいんですけど、4シーベルト浴びると半分の人が亡くなってしまう。」
岩上氏「この間、福島第一原発で4000ミリシーベルト、つまり4シーベルトですね。」
沢田氏「はい、4000ミリシーベルト浴びたら急性症状を起こしますし、半分の方が亡くなるという線量です。」
岩上氏「とてつもない線量ですね。」
沢田氏「まあ、まだその線量を浴びた人は、幸い、いないだろうとおもいますけど。うかつに知らないで、ばぁーっと浴びたら、作業員が浴びたら亡くなる事は起こるだろうと思いますね。ですから1km以内は強い被曝線量を浴びてますから、60日で半分は亡くなるという線量ですね。で、初期放射線の影響を差っぴいてやると、初期放射線は、距離と共に、屋内被曝が主だということで、こういう赤い点線で下がっていって2kmでほとんどゼロですね。だからこの影響を全体から差っぴいてやると、降下物の影響が出てくるわけです。すると、降下物の影響がこう出てきたわけですね。で、初期放射線の影響と降下物の影響が1200mのところで大体同じになるんです。それより遠距離はもう降下物の影響の方が大きいわけです。これまで国が黒い雨で計ったやつ広島・・・地域というんですけど、もうほとんどゼロのところに、これとは(降下物の数値)数十倍の違いがあるんですね。というのがわかったわけです。で、この違いは主に内部被曝の影響が深刻だということを示しているんですね。」
<放射線の影響(電離作用)・外部被曝・内部被曝> 01:08:35
岩上氏「なるほど。つまり、ここで内部被曝とはという話にならざるをえなくなってくるんですけど、体外被曝あるいは外部被曝、どっちがいいのかわかりませんが、外部被曝なのか、それともうひとつ内部被曝、というものは、これは全く作用の仕方が違う、別に考えなければいけない。今も、福島第一原発事故をめぐって大量の情報と報道がなされていますけど、どうも、我々自身も含めてかもしれませんが、混乱しているように思える、内部被曝というものが非常に軽く見られている可能性がある。この点について先生のお考えを伺わせていただきたいんですが。」
沢田氏「外部被曝というのはですね、人間に入ってきたときに、被曝をするときに、電離作用というのが根本なんですね。」
岩上氏「電離作用。それは電気が離れると書くんですね。」
沢田氏「はい。分子、体を作っている生体分子がありますよね。その分子をつくっている原子を結び付けているのが電子の役割ですが、その電子に放射線がエネルギーを与えるわけです。で、エネルギーをもらった電子は、それまで原子の中に結び付けられたのがエネルギーもらったらポンと飛び出しちゃうわけです。そして今まで結びつける役割をしていたものが飛び出していきますから分子がちぎれてしまうということが起こるわけですね。それが電離作用というわけですけど、放射線が持っているエネルギーというのは物凄い、単位でいうと何万電子ボルトとか何百万電子ボルトとか凄いエネルギーを持っているわけですけど、電子が電離作用で飛び出すのはせいぜい、10電子ボルトくらいです。だから一発放射線がやってくると、何百万箇所も電離作用で電子が飛び出していくわけです。切断もそれだけ起こるわけです。起こるんですけどその辺に電子がいますから、また、元の自分のところにつなぎ直す、修復作用。」
岩上氏「修復というのはそうやって行われるんですか。離れている電子をもう一回呼び戻すみたいなことになるわけですね。」
沢田氏「勝手に飛び出した奴は、物凄いエネルギーをもって逃げていくからそれを呼び戻せませんが、体の中に沢山電子がありますから、それを自分のところに引き込んで修復するわけです。」
岩上氏「なるほど。」
沢田氏「また、切れたのをつなぎ直すわけですね。ということをやっているわけです。幸い、すごく沢山切断されるけども、ほとんど元に戻るから、だけど、時々、まちがった修復をするとか修復できなかったりということが起こるわけです。で、そういうことが起こる割合は、切れた場所が近いと間違ってつなぎ直すことが起こりやすくなるわけですね。ということは電離作用をする密度が濃いかばらばらかということが影響違うわけです。透過力が大きいガンマ線は、ポツンポツンポツンと電離作用をしていくわけです。そうすると、エネルギーを失う、電離作用するということはエネルギーを与えるわけですから、自分のエネルギーが減るわけですね。だけど、ポツンポツンとやれば、何時まで経ってもエネルギーがなかなか減らないから、ずーっと透過力が強い、透過していくわけです。ところが、電子、ベータ線というのは電子なんですけど、これはそれに比べれば、集中して電離作用していくわけだから、エネルギーの減り方が早いわけです。それでエネルギーを失って止まるわけです。」
岩上氏「速度とか、あるいは飛ぶ距離とかも影響してくるのですか。」
沢田氏「速度はものすごく速いです。どんな放射線でも速いですから、速度が遅いほど電離作用の密度は高くなります。だからだんだんエネルギーを失ってゆっくりになったら、集中して電離作用を起こすということが起こるんですけど、だけど、もともと重い物ほどゆっくり走りますから、だから、重いものほど集中して電離作用することがわかっていますので、アルファ線というのは、ヘリウムの原子核ですね。で、電気を二つもってますから、余計、電離作用が濃いわけですから、もう、紙一枚通り抜けられないくらいで止まっちゃうんです。皮膚の表面で止まっちゃうのがアルファ線なんですね。ところが、それは、早く止まるということは、集中して電離作用してますから、ミクロのところで見ると、そばで、どんどんどんどん、ぶった切れる、わけですから、誤ってつなぎ直す可能性が急速に増えるわけです。ということで、外部被曝のほうは、透過力の強い放射線が体の中まで入ってきていろいろな影響を与えるわけですけども、内部被曝の場合はそういう放射性物質を体の中に取り込むわけですよね。」
岩上氏「これは、当然、放射性物質というのはいろんな種類があって、その核種というんでしょうか、種類の違いによって、その出す放射線の種類も違う、そこで今お話の出ている、ガンマ線とかアルファ線とかベータ線とか、こういうものの影響の違いというものも、核種の違いによって生じるわけですね。」
沢田氏「はい。その前に、放射性微粒子が体の中に入ってくるんですけど、水に溶けるか溶けないか、油なんかに溶けるか溶けないかと、いうことが、体の中に入ってくると、たとえば呼吸をして、放射性微粒子が5μより大きければ鼻毛にひっかかって中に入ってこないんですけど、5μよりも小さいと肺まで入ってくる。1ミクロンより小さいと、肺胞といって肺の中の袋があるんですが、袋の壁から血管の中に入ることができるわけです。そして、それが血管の中に入ったときに水に溶けやすいものだったら、もうその微粒子はばらばらに溶けて原子・分子のレベルになっちゃうわけです。そうすると原子分子になったものがどういう性質、たとえばヨウ素だったら、甲状腺に集まりやすいとか、それからストロンチウムだったら骨髄なんかに集まりやすいとか、種類によって何処に集まるか変わるんですね。だけど、それが全身をぐるぐる回っている間に、大量に回ってますから、甲状腺に集まりやすいヨウ素なんかが集まる、と、そこで濃縮されて、甲状腺にすごい集中してダメージを与えるわけですよ。それに水に溶けないで壊れないままだと微粒子のまま体の中を回るわけです。で、どっかに付着すると1ミクロンの微粒子といえども、その中に何百万個という放射性の原子核が入っているわけです。と、くっついたところで放射線を浴びせ続けますから、そこはすごく局所的ですけど、被曝をするわけですね。でも、そういう微粒子が大量に体の中に入ってくれば、体中あちこちで被曝をしているわけです。ということでいろんな病気を引き起こすことになるわけですね。ということで、微粒子が水に溶けるか溶けないか、油に溶けるか溶けないかということでも違いがあるわけです。で、その微粒子がどういう元素であるか、ということによっても影響が違うわけですね。まあ、そういうことを内部被曝の場合考えなければいけないんですけど。だから、外部被曝の場合、透過力の強いものが体の中に入ってくるわけですけど、内部被曝の場合、透過力の弱いものが、一番典型的なのは、研究で明らかになったのは、下痢なんです。下痢は、爆心地に近いところでは、脱毛なんかに比べて発症率が低いんです。それは透過力の強いもの、ガンマ線なんかがですね、腸の粘膜まで到達しないと下痢を発症させないわけですね。ところが腸の粘膜は薄いです。そうするとガンマ線は透過力が強いということは、まばらな電離作用しかしないわけです。ということは腸の粘膜薄いですからもうポツンポツンと修復できないやつができる程度で透過してしまうわけです。だから物凄く強いガンマ線でないと腸壁に傷を残すことはできないから、すごい放射線を浴びたとき初めて下痢が起こるわけです。で、国の側なんかも、放射線影響の研究者なんかも、『下痢が起こる線量ということは、人々が半分死ぬ4シーベルトよりも上の10シーベルトくらい浴びないと下痢は発症しないんだ』と、いまだに言い続けています。」
岩上氏「はあ・・・(溜息・笑)。いまだに。」
沢田氏「だけど、実は1.5kmの放射性降下物の影響の方が大きいところでは、脱毛や、紫色の斑点が出るよりも、はるかに。発症率が高いんです。下痢は。だから、彼らはそれは、放射線の影響じゃないというんですが、下痢は、今度は、体の中に入ってきたときに、内部被曝だと、透過力の弱いものが集中して影響を与えるわけです。そうすると低い線量でも、発症率が高くなるわけですね。ということが、放射線の影響を調べていくと明白に明らかになるんですね。そういうことを本当は研究者が明らかに・・・。」
岩上氏「これ、先生、ネットなどでも公開している論文ですか、これは、意見書ですね。」
沢田氏「裁判で使った。」
岩上氏「これもネット等で公開されているものですか。」
沢田氏「裁判のやつはあんまり公開されていないですよね。」
岩上氏「これは公開しないようにしているんですか。」
沢田氏「いや、別に大丈夫です。」
岩上氏「これは、我々の方で、たとえば、アップしても構わないですか。」
沢田氏「はい。これ差し上げますので。」
岩上氏「ああ、ありがとうございます。要するにこうやって観て下さった人のなかに、もっときちんと資料を見たいという人もいると思うんですよ。必要な方のために、我々、レファレンスをつけたいと思いますので。」
沢田氏「で、これはですね、川中優子さんという岡山の裁判所で敗訴した人、今、控訴しているんですけど、27の判決では被爆者の側が勝利しているんですけど、唯一岡山地裁が、一人しか原告いなかったこともあるんですけど、全く放射性降下物の影響を考えないで判決をだしているもんですから、今、控訴しているんですね。彼女の場合、4kmで被曝しているんです。4kmだとかなり放射性降下物の影響を受けているのは明白なんですよね。で、これが、先ほど言った、於保源作さんという広島のお医者さんが特に中心地に出入りしなかった、中心地に出入りしますと、残留放射線に影響を受けますから、そうでない被爆者、それから、屋外で被曝すると火傷とかいろんなことでまた病気になる可能性がありますので、屋内被爆者、というふうにいろいろわけて調べているのは、この於保さん以外にいないんですね。すごく貴重なデータなんですね。彼の研究結果でやると、これが、四角が脱毛ですね、マルが紫色の斑点、皮下出血、なんです。ほとんど、脱毛と皮下出血は共通しているんです、距離と共に、同じ振る舞いですよね。ところが下痢は近距離は、三角なんですけど、脱毛なんかよりは発症率が低いわけです。」
(グラフを提示)
沢田氏「脱毛という髪の毛が抜ける場合とか、皮下出血で紫色の斑点ができる場合、は距離と共に全く共通に変化しているんですね。ところが下痢というのは近距離では、そういうものより発症率が低くなっている、ここ、三角の印、ところが遠距離の方が高いわけです。この違いを説明するためには、近距離は初期放射線による外部被曝、これは透過力の強い放射線が腸の粘膜まで傷つける、そのためには大量の放射線を浴びないと起こらないものだから発症率が低くなっているんですね。ところが遠距離の方は、そういう放射性降下物の影響、内部被曝をしていますから、透過力の弱い放射線が影響を与えていると説明することができる、てことになるんですね。こういうことをやったのは僕が初めてなんです。こういう被曝したデータをちゃんと解析すれば、そういう外部被曝、内部被曝の違いはわかるわけなんです。それを全然これまでやってこなかったわけですね。僕は素粒子の研究者でそれまで放射線の影響なんか全然研究しなかった。で、こうやって影響が違う、急性症状の脱毛、紫斑、それから下痢という3種類の放射線の急性症状、これ初期放射線共通なんですけど、降下物の影響、全部違った、急性症状を同じ被曝線量で同時に説明できるというのも見つけ出した。てことで、論文書いて、投稿するんですけど、これを投稿すると、雑誌に掲載すると大混乱が起こる、科学的な拒否の理由じゃなくて、これ、今までと全然違うから、大混乱が起こるから掲載を拒否される。」
岩上氏「どこの雑誌ですか。」
沢田氏「これは、オックスフォードが出しているんですね。雑誌なんですけど国際的な。」
岩上氏「なんて名前の雑誌ですか。」
沢田氏「『radiation protection dosimetry』 という雑誌です。さきほどのヨーロッパ放射線リスク委員会の科学者たちも、自分たちが出した論文を毎回拒否されるから、あなたも根気強く投稿しなさい、と、激励してもらいましたけど。(笑)」
<ECRRについて> 01:22:55
岩上氏「ヨーロッパ放射線リスク委員会というのは、ECRRなんですね。」
沢田氏「ECRR。」
岩上氏「ECRRについては、いろいろな形で中傷されます。たとえば私が、ECRRについて、多少でもツイッターなどで触れると、たちまち、多分、まあ、匿名ですけども、おそらくは、少し、専門的な知識をかじっているような人から、つまり、一般の人ではないですね、何かしら少々物を知っているような人がですね、『全くECRRなんてカルトで、これこれの論文で、どれどれで、どうインチキで』とかいう中傷が来るんですね。そういう一つ一つを、あげつらっていてもしょうがない。匿名の中傷ですからね、名を名乗ってきちんとした批判を行うのであればきちんと答える必要はあると思いますが。ただ、とはいえ、こうしたECRRに対する強い非難とか批判というものには、根拠があるのかそれともないのか。このあたりをちょっと知りたいところなんですね。でも、その前提として、先ほどちょっと話しかけになりましたが、さきほどの・・・・立っている先生のお話、お名前が出てきました、ECRRはチェルノブイリ以降、なんといいますか、科学者の集団として形成されたと伺っておりますけども、どういう人たちのどんな集まりなのか、そして、その上でECRRというものを評価するとどう評価できるのか、ちょっとお話をお願いします。」
沢田氏「ECRR、かなり、今、いろんな、個性の強い人も(笑)います。まあ、個性、一生懸命、ああいうところで腰を据えてがんばれないと思いますけど。さきほどの、インゲ・シュミッツホイルヘーケさん、今、会長やっていますけど、その前はアリス・スチュワートさん、彼女は、子供の白血病ということが起こるということを一番最初に、もう、数年前に亡くなりましたが、90代でなくなったんですが、だから、イギリスで、凄い、そういう放射線を真面目に研究した方が前の会長をやっていたわけですね。それから、ロザリー・パーテルさんというカナダの研究者なんかもこれに関わっていらっしゃいまして、彼女はアメリカの核実験に参加した兵士たちの裁判の中で証人になって、裁判を支援する活動なんかもやってらっしゃいますけど、内部被曝の影響について、彼女は凄く丹念に研究しています。そういう僕が尊敬するような素晴らしい研究者が中にたくさん含まれています。」
岩上氏「女性が多いですね。」
沢田氏「女性の方が、そういう影響、自分でちゃんと思っていることを、がんばれるというのがあるのかもわからないですね。」
岩上氏「アメリカで、あるいはヨーロッパという、地域の区分け、ICRPはアメリカの研究者が多い、ECRRはヨーロッパとついているだけに、ヨーロッパの人たちが多いと・・・。」
沢田氏「でもね、以前、2008年に、私は招待されて、ギリシャのレスボス島というところで、エーゲ海大学の環境学部とECRRとが共催で、国際会議を開いた、そこに僕は招待していただいたんですね。今報告したような中身を、そこで、で、チェルノブイリなんかを研究しているロシアや、ウクライナや、ドイツやいろんなところから沢山集まってきていました。そういう連中はすごい、それぞれのところで素晴らしい研究をやっている人たちです。だからECRRを一概にそう批判するのは僕は全然当たらないと思います。そこに集まった人たちが共通に考えていることは、『国際放射線防護委員会(ICRP)は、内部被曝について、ちゃんとまともに考えてこなかった。』ということをみんな共通に認識しています。」
岩上氏「反ICRPというふうに単純なくくりじゃなくて。」
沢田氏「じゃないですね。」
岩上氏「批判をするにしても、批判に共通の視座というものがあって、共通の視座というものがあるとするならば、内部被曝についてICRPがまともに考えてこなかった、これ、さきほどのお話を遡ると、一番最初の出発点、広島・長崎の被爆者の緊急調査のときにもアメリカの思惑があって、この放射線の影響を小さく見積もりたい、そういうことが出発点としてあるわけですね。その影響が、今日のICRPにも影響を及ぼしていて、それが放射線の影響が小さく見積もるというさすがに雑駁なことではないけれども、内部被曝について小さく見積もってしまうということなんですね。」
<原爆集団訴訟におけるICRP専門委員らの共同意見書> 01:27:45
沢田氏「はい。私がたとえば、長崎で放射性降下物の影響を受けた人たち、しかし被曝をしていないということで原爆手帳をもらえない人たちが今、裁判をおこしています。私が意見書を書いたんです。私が研究した結果を丹念に書いて、出したらそれに対して批判の意見書があるわけですけれども、それを書いた人が鈴木元さんという人ですけど、それに共著者としてずらーっと名前が書いてあるんですけど、ICRPの専門委員とかですね。・・・・」
岩上氏「本当ですね。」
沢田氏「で、この鈴木さんが書いた意見書は、大きな誤りをしているんですね。先ほど僕が紹介した、脱毛の発症率のカーブ。」
(資料を提示)
岩上氏「まず、これが鈴木さんの論文ですね。」
沢田氏「意見書ですね。裁判ですので。」
岩上氏「そして、こういうふうに沢山のICRP関係の方々もいらっしゃると。」
(グラフを提示)
沢田氏「で、一番大きな過ちはですね、これ、距離と共に脱毛が変わるという線なんですけど、鈴木さんは3kmより(先)が1%のバックグラウンド、1%と書いてあるんです。でもそれを引いたら正味の影響だということになるんですね。バックグラウンドというのは、それ以外の原因で起こったものということで差っぴくわけです。でも、1%差っぴくとですね、この辺は1%以下ですから、マイナスになるわけです。」
岩上氏「(笑)。」
沢田氏「この辺は1%より大きいから残っちゃうんですね。でも、初期放射線は2.何キロくらいで終わりなわけですから、もう、全くバックグラウンドで説明できないものが残っちゃうんですね。という変なことが起こるということを鈴木さんは気がつかないといけないんですが、そういうことに気がつかないで、僕の一生懸命批判するために、これを書いているわけです。で、しかも、この間違ったことを書いた意見書に沢山の人が名前を協調者として、ずらーっと連ねているわけです。」
岩上氏「同意するという感じですね。」
沢田氏「はい。だから、おそらく、僕の知っている人も何人かいますから、そういう人たちの名誉のことを考えると、彼らはこれをちゃんと読まないで、厚生労働省から頼まれて、裁判のために名前を貸して欲しいというふうに名前をのっけたんだと僕は善意に解釈している、そうなっちゃうわけです。と、いうぐらい、さっきの、ストラム・ミズノは、一律に引くのはまずいから、ということでいろんな数値を考えて、差っぴいて、初期放射線の影響だけ引っ張るという研究をやっているから、そういう中身について全然理解していない。で、批判をしているわけですね。だから、日本の放射線影響を研究する研究者たちがそういうレベルなのか、自分たちで、こういう事実からいろんなことを引っ張り出すようなことをやった経験がないから、そういうことになるのかなと、すごく、ある意味では情けない感じになっちゃうわけです。」
岩上氏「先生、もしかしたら、厚労省の影響でやったというのであれば、それは端的に言って、知的怠惰、知的不誠実であって、きわめてそういう政治的・行政的な権力に迎合的であるということもいえるし、あるいは、これが本当に純粋に考えてそのようなことだとしたら、まあ、無能というか、あまり頭よろしくないということになっちゃうじゃないですか。」
沢田氏「やっぱり、実践的に、事実から引き出すという。そういうことについて、そういう研究集団全体が、中には真面目な方もいると思いますよ、あの、ポツポツとはね。だけど、影響力は必ずしも持ち得ないけども、そういう真面目な研究者はいると思います。そういう中でポツポツとECRRに属してやる人もいるわけですね。と、いう状況が、今、放射線影響が世界的に、そういうふうになっている、だから、内部被曝、インゲ・ホイルシュミッツヘーケさんが論文に書いているんですけど、もし、放射線影響研究所が、こういう遠距離の被爆者とか、入市被爆者について、被曝線量一般的に少ないわけですけど、そういうことちゃんと丁寧に研究すれば、もっと内部被曝とかそういうことについて、その影響について科学的にいろいろなことが明らかになったであろうにと、論文の中に書いているんです。そういう状況があるわけです。」
岩上氏「これ、あの、日本の研究者たちが怠惰だったのか、そして、政治・行政的な権力に迎合的だったためなのか、それとも、あるいは、それと同時にというべきか、日米共同である、もともとはアメリカが出発点である、アメリカの影響下にあった、占領された中でスタートし、いいなりになってきたとう歴史もあるんでしょう。そういうアメリカの意向を未だに忖度しつづけるような、言葉は悪いですけど『属国根性』のようなものが根っこにあるのか、どっちなんでしょうか。あるいは両方なんでしょうか。」
<日本における原発推進の実相 > 01:33:25
沢田氏「日本学術会議が、科学者の国会といわれているわけですけど、その影響力をどんどん、削いできたのが日本政府のやり方なんですけど。その日本学術会議は、ABCCというさきほどのアメリカが作った被爆者を調査する機関、だけど、日本自身が被爆者のことも考えて、そういう独自の研究、それに対抗できるだけの研究所を作るべきだと、提案をしたんです。だけど、結局、広島大学と長崎に、広島大学に研究所、原爆放射線医科学研究所、長崎は研究所ではなく小さな施設を作るだけにしちゃったんですね。規模も全然小さいわけです。だから、そういうところで研究しようとする人も、放射線影響研究所の研究者と共同してやらないとなかなか思ったような研究ができない、という状況がずっと続いたわけですね。と、いうことで、批判をやろうとしても、批判したら共同研究できなくなる、という状況がありますし、それから放射線影響研究所が日米共同運営になって厚生省、今の厚生労働省がお金をだすということになると、そういう研究をしようと思ったら、そういうところからお金をもらわないとなかなか研究できないわけですね。と、すると、やっぱり、あんまりそれを批判することはできない。と、いう状況にずっと置かれてきて、そして、被爆者同士を研究していると前から日本の科学者の中では批判があったわけです。一番そういう批判があったのが、1977年にNGOの国際被曝問題シンポジウムというのが東京、広島、長崎で開かれたんです。その、シンポジウムの結論として放影研が、ちゃんと、被爆者同士を比べるんじゃない、ちゃんとやりなさいという勧告を作って放射線影響研究所に出したんですけど、結局そういうことをやらなかったんですね。そういう意見をまとめたのが名古屋大学の飯島宗一さんという、名古屋大学と広島大学両方の学長をやられた病理学の専門の方だったんですけど、彼も自分の意見なんかをまとめて書いたりしているんですけど、彼、病理学だから、直接ではないですけど、そういう専門の科学者からも批判はあったんです。あったけど、それを改めようとしない。未だに続いているわけです。」
岩上氏「これは、科学の機関というより、プロパガンダの機関なんだろうなという気がますますしてくるんですけど、さきほどの質問の繰り返しになりますが、これは、日本の政府が、日本の国会に例える日本学術会議ですね、の影響力を削いできた、ま、官僚ですよね、つまり、官僚が主導して、まあ、民主的で、自由に、発想する科学者の集団の意見を、力を削いできた、なんか、政治の世界で起きていることと、なんかものすごく並行的な・・・。」
沢田氏「それが、ちょうど、原子力研究のスタートと絡んでいるんです。」
岩上氏「はぁー。その原子力研究というのは平和利用・・・。つまり原発の」
沢田氏「原発の問題です。日本が1953年頃から、そういう影響をだんだん受けて、54年3月に、中曽根さんと、改進党と自由党と・・・。」
岩上氏「保守合同ですね。」
沢田氏「えー、もうひとつ、なんか・・・、3党が、議員提案で2億5千3百万円ですか(2億3千5百万円の誤りと思われる −投稿者−)、ウラン235とあわせて予算を作ったというのが中曽根さんの説明ですけど、科学者はまだ、原子力をやるのは時期尚早だとして、学術会議は反対したわけですね。だけどそういう意見をだす学術会議を影響力を弱めるという狙いもあって科学技術庁というのを作ったわけです。科学技術庁はどんどん原子力予算を通して出していく、学者なんかの意見はそっちのけで、学者の方はまだ原子力をやるのは早い、と、批判をしていたわけですけど。どんどん進めていったわけですね。その中心になったのが正力松太郎さん。」
岩上氏「なるほど。」
沢田氏「彼はCIAの暗証番号をちゃんと貰っているそういう人物なんですね。」
岩上氏「ポダムですね。」
沢田氏「ええ。」
岩上氏「(カメラを向いて)読売の社主です。」
沢田氏「読売の社主。」
岩上氏「日本テレビの創設者。日本テレビというのはCIA、まあ、アメリカのプロパガンダ機関、宣伝機関としてスタートした、間違いないわけですが。」
沢田氏「彼は、富山県から54年に立候補して当選して、すぐ、56年には発足したばかりの原子力委員会の初代の委員長ですよね、それに、発足したばかりの科学技術庁の初代の長官、科学技術庁の長官と、原子力委員会の委員長とを兼ねるというのがそこから始まっているんですけど、それで、どんどんどんどん、日米原子力協定を結んで、アメリカの軽水炉を輸入すると、学者の国会の方は、原子力を利用するときに軍事に利用されてはいけない、ということで、原子力利用の3原則を提唱したんです。」
岩上氏「自主、民主、公開・・・の3原則ですね。」
沢田氏「一応そういう要求をしたものですから、原子力基本法の中にはそれが盛り込まれました。日本で原水爆禁止運動が起こったもんだから、軍事利用はもうあきらめたんだと思うんですね。だけど、自主というと、日本の科学者たちは、日本は地震国であるし、もっと安全性を考えたうえで安全だとわかったうえで始めなさいといったんですが、アメリカが、GEとウエスティングスハウスと、ジェネラルエレクトリックスが原子力潜水艦用に作った軽水炉をスケールアップして作ったものをどんどん日本に輸入したわけです。」
岩上氏「原子力潜水艦用に作った軽水炉?それちょっと、ご説明いただけますか。」
沢田氏「原子力潜水艦というのは。それまでは潜水艦はときどき酸素を供給しなければいけないから浮上しないといけないわけですね。それはすごい潜水艦を移動させるために火力だとか沢山燃やさないといけないから酸素がいるわけですね。ところが原子力だと酸素が要らないから、ずーっと、運転できる、潜ったままおれる、ということで、原子力にノーチラス号というのが作られたんですけど、で、それの後に次々と原子力潜水艦を作ったわけです。それは小さい規模で運転してやろうとすると原子炉を小さくしないといけないんですね。そうすると濃縮ウランを使わないとできないわけです。濃縮するほど小さい原子炉ですむわけです。ということで、今度は、一般の商業用の濃縮ウランを使う、原子炉を作って、それを日本などのいろんな国々に売りつけて、で、アメリカが、イギリスやソ連のほうが先に原子力発電をはじめたものですから、世界の市場の中でアメリカは独占することを考えるために、それを押し付けようという、もとをただせば、アイゼンハワー大統領の、『アトム フォー ピース』の国連の演説なんです、背景はだから、アメリカの濃縮ウラン産業を活性化する、核兵器を持ち続ける、という政策のもとでそういうことやって、日本にも、CIAなんかをやって、中曽根なんかも利用してやったのが日本の原発なんですね。学者たちは、原子力研究所なんかつくったときにイギリスのほうが先にやっているからということで、コルダーホール型という軽水炉でない、・・・。」
岩上氏「何型?」
沢田氏「コルダーホール型、そちらのほうが先に輸入したんですけど、それは実験用として輸入したんですね。だけど、もう、それっきりで、あとは、どんどん、予算をつけて、アメリカから原子炉を輸入する。」
岩上氏「結局、アメリカの国益、と、同時にですね、アメリカの一部、企業や資本の、まあ、『儲け』のために、日本は、あるいは日本の官僚とか、政治家とか、有力なメディア、産業のトップが、要は抱え込まれ買収され、利用されて、アメリカの走狗として走り回って、日本には必ずしも適合的ではない軽水炉を輸入した。」
沢田氏「福島原発1号炉2号炉なんてのは、地震にすごく弱い沸騰水型の、素人が見ても、圧力容器と、下の圧力調整室すごいドーナツ型のやつ、もう、みただけで地震がきたときに違った振動をするから、途中の配管が壊れやすいと、これは、原子核工学の専門家も、これはすぐ事故が起こりますよといっていたわけです。にも、かかわらず、安全だ安全だとやってきたわけですね。だから、今度の福島原発の事故でも一号炉とか、それぞれ全部地震の段階で壊れているんです。」
岩上氏「そうですね。それをひたすら(お二人で声をあわせて)『津波のせいだ』と言っているわけですね」
沢田氏「電源を喪失したから起こったんだと、でも、NHKでも最近明らかにしましたように電源車をちゃんと配置したんだけど、つないでも全然動かない、というのはもともと壊れていたんだから動かないですね。だから、地震で壊れていた。浜岡なんかは震源の真上にあるのに、規制委員会なんかは認めると、信じられないことをやってきているんですね。だから福島原発の事故が他の原子力発電所に波及しないように、ということを配慮して電源が喪失したからだと言ったんだけど、地震が起こってだめになるということは、日本の原子力発電所はほとんどだと。」
岩上氏「なぜ、こんな無茶苦茶なことをやってきたのか。端的に言って、そこから疑問に入ると、ほとんどの人が混乱すると思うんです。先生は、ずーっと、ここまで語られてきたバックグラウンドがあり、原爆の投下から、日本のアメリカの占領、占領の影響下で作られてきた放影研という、科学といっても科学を装いを凝らしたプロパガンダ機関みたいなものがあったり、あるいは日本テレビのようなものがあったり、読売新聞のようなものがあったりして世論形成してきたり、中曽根さんのような政治家が動いたり、正力松太郎のような人が方が・・・、こういうものすごいバックグラウンドをご理解していただけると、多くの人が、ああ、そういうことか、そういう中で、軽水炉が持ち込まれ、福島第一原発のようなかたちで原子炉が・・・、」
沢田氏「日本のような地震国で、適合しないものを、圧力によって、自分たちの『儲け』のために、どんどん、輸入してきたというのが日本の電力会社なんですよね。」
岩上氏「これは、その背景に、端的に言って、占領国ニッポンの悲哀といいますか、アメリカのいいなりになってきた、アメリカのご機嫌を損ねないように、いいなりになって日本の国益を損なっても構わないから、アメリカのいうとおり、アメリカの儲けのとおりに動くような官僚、財界人とか政治家とかメディアのトップというのが、この国では出世をしてきた、その結果として、こういう事故が今起こっているわけですね。」
沢田氏「だから、戦争犯罪人だったのを釈放されるという条件でアメリカに恩を着た人たちが、中心で、1950年代、まあ、岸さんが後で首相になったりするわけですね。当時は鳩山さんでしたが、だけど彼も戦犯で釈放されてなったわけですけど、そういうアメリカに弱みを握られた人たちが、1950年代中ごろにそういう原発なんかも含めてやってきて、日米安保条約を結ぶとか、そういう方向でずっときた。それが1950年代中ごろの日本の中心を担った、そして55年体制ができて、それが、ずーっと最近まで続いてきた、そういう状況なんですね。」
岩上氏「今もなお続いているという。」
沢田氏「また大連合なんかになると、まさにそれになっちゃうと思いますけど。『菅降ろし』の背景に何があるのか、ちょっと、わかりませんけど、日本国民としては、そういう・・・。」
岩上氏「ああ、大連立ですね。大連立は、全くもって『絵に書いたような読売』ですから、読売だけじゃないでしょうけど、読売新聞の論説・社説を読んでいけば、まったくもって、今の占領政策の継続にあるような、『震災の復興をTPPでやろう』というようなクレイジー極まりないことを平気で12日くらいの時点で書くわけです。」
沢田氏「国民の立場にたって考えていない、というのが、いまだに続いているし、せっかく自民党が終わって、民主党の政権になったわけですけど、勉強すればするほど、元へ帰る、それは、長い間作られた官僚組織にいろいろ教育されるとそうなっちゃうという構造がずっとあるわけですね。僕は、被爆者の集団訴訟なんかやってて、厚生労働省とつながりがあるわけですね。いろいろと折衝してみると、官僚の考え方が全然変わってないんですよ。裁判で27連敗しても、負けた根本的な理由について理解しようとしないんですよ。未だにこういう反論の意見を、だから、降下物の影響はすごく遠距離でありますよと具体的に示しても認めようとしない。」
岩上氏「事実を認めようとしない。科学的な事実を認めない。それは、彼らが、自分たちにとって、自分たちの保身を含め、自分たちが、まあ、ある意味、『国体』だと、戦後の国体だと思うものを守ろうと、護持しようとしているためなんでしょうけど。」
沢田氏「だから、今度の原発の事故でね、国民が、やっぱり国民のためになる政治をやっていかなくてはいけないんだというふうに目覚めていただければ、新しい日本がね。東日本を支援しようという声がありますね、心の中にすごく優しい気持ちが日本人の中にあるわけだけど、それを具体化するためには、本当に、政治をよくしていかないといけない。科学者も、事実に基づいて考えていくような科学者が育っていかないといけないと思うんですよね。だけど、日本の研究の研究費の出し方が、すごく、御用学者を作るシステムになっているんですね。実は、あの、こないだ、内閣官房参与を辞められた方がいらっしゃるんですけど、僕、集団訴訟で・・・。」
<小佐古元内閣官房参与について> 01:49:15
岩上氏「小佐古さんのことですか?」
沢田氏「はい、大阪地裁で、僕は証言をしたんです。そのときに、僕の証言の同じ日に国側の証言を、小佐古さんがやったんです。で、裁判官の前で、裁判官は、僕がやった証言と、小佐古さんがやった証言がまったくずれているもんですから、裁判官が質問するの普通ないんですけど、小佐古さんに裁判官がもういっぺん、確認のために質問するが、と言って、で、僕が調べた実験データが、全部、実験データによれば、DS86というのが過小評価になっているというのが明確になっているんだけど、それは確かかと言って、もう、いっぺん、裁判官が聞いたわけですね。それに対しては、明確に反論できないから、結局、裁判官は僕が言ったことを正しいと判断したんだろうと思いますね。と、同時にですね、弁護団が、小佐古さんがどういう研究をやってきたか調べたんです。5年前にも松谷さんのときに証言をやっている、この5年間に、どういう研究をやっているかという、毎年、何百万円という厚生労働省から科学研究補助金を代表者としてもらっているわけです。そのテーマにふさわしい論文を書いているかとチェックしたら、一つも書いていないわけです。そして、もらったお金を共同研究者に配分するわけですね。これ(裁判意見書)に名を連ねている人たちですね。そして、配分している人たちから、どういった研究成果をもらったかというと、一つももらっていないと答えたわけです。・・・。」
岩上氏「これは、誰がそう答えたんですか。」
沢田氏「小佐古さん。本人が、『厚生労働省から毎年お金をもらっているんだけど、もらっているのにふさわしいテーマの研究論文をやってない、書いてない、それから、共同研究者からも研究成果をもらっていない』ということを、ちゃんと裁判の中で答えているわけです。それは裁判記録にちゃんと載っかっていると思うんですけど。そして、さらに、どういう被曝線量について、質問したんですね。で、自分は放射線測定のほうの専門家で、被曝したときにどういう病気になるかというそっちのほうは、大事な問題だけど、自分は、そっちの専門家じゃないから答えられないと、答えたんですね。と、言う人が、このあいだ、20ミリシーベルトはダメだと言ってやめたわけですよね。だから、僕は彼が涙を流してやめた理由が理解できないんですよ。」
岩上氏「はははは。なぁるぅほぉどぉ。」
沢田氏「僕はおそらく、彼は電力会社に、いろんなお金を貰って、原発は安全だ安全だという講演をして回って歩いてきたわけですよね。今、多分、電力会社、東電と政府の間でかなりぎくしゃくしてきていると思うんですよね。浜岡原発をストップさせる二日前か三日前に彼はやめたわけです。と、いうことは、内閣官房参与なんてところで、浜岡をストップさせるかどうかという議論があったと思うんですね。で、自分がやってきたことと違うわけですよね。彼は電力会社のほうに偏っているんだろうと思うんですけど、そうすると、電力会社の関係と政府の間のぎくしゃくが出てくる。その前にやめた方がいいと判断したんじゃないかな、というのが僕の憶測なんですけどね。」
岩上氏「かなり政治的な判断ですね。」
沢田氏「で、その後、僕はいろんな人に聞かれたもんだから、是非、彼に20ミリシーベルトの根拠を科学的に取り直してみたらどうですかと、もともと、20ミリシーベルトに根拠は無いですから、科学的に。妥協の産物みたいなもんですからね。だから、答えられないかもわからないし、そういうこと、正直に彼が答えるかというのも関心があったので、ところが記者会見、彼は・・・しちゃったんですよね。」
岩上氏「やらないですね。」
沢田氏「近いうちにやるという話もチラッと聞いたんですけど。」
岩上氏「あの、最初に、やめるということを発表された記者会見のときに、民主党の空元さんという議員が、まあ、お弟子筋の方が、同席されて、全部その人が答えたんですね。私も一回空元さんに、こういう形でインタビューさせてもらいました。私が全部、小佐古さんの考えを代弁をしますと、小佐古さん自身はお答えにならない。まあ、空元さんと小佐古さんの考えが、本当に一致しているのかどうかも我々としては確認できないんですけど、とはいえ、そう称して、空元さんが語ること、小佐古さんがやめてくれと言ってこない限りは是認しているんだろうと、いうふうに思うんですけども、でも、不思議な感じだなあとは思っていました。」
沢田氏「彼はね、東京大学の原子核研究所に助手でいたんですね。その頃に、共同研究なんですけど、東京大学の原子核研究所が、ちょっと、事故を起こして、中性子がわぁーっと出たんですね。中性子というのはいろんなところに広がっていくわけです。そういう論文を書いたんです。」
岩上氏「え、事故についての、自分のところの事故についてですか。」
沢田氏「ええ、いろいろ書いたの。中性子がどういうふうに広がっていくかとか、」
岩上氏「なんでもネタになりますね。うははははは。自分のところで起こした事故だったのに。それは、空元さんが書いたのではなくて、小佐古さんが。」
沢田氏「小佐古さんがまだ助教だから、若い頃ですね。」
岩上氏「なるほど。」
沢田氏「と、いう論文書いたのを知っているんです。で、その後、彼は、東京大学のほうに移って、どんな研究をやっていたかは知らないんですけど。で、だんだん、御用学者的なことになっていったんだと思いますけど。だから、研究面としてはあんまり、そのあとの研究、彼、どういうことをやったかというのは、そんなに有名な研究はないように思うんですけど。」
岩上氏「でも、ICRPの委員になってたりして。」
沢田氏「だから、これは、厚生省にお金をもらって、いろんな電力会社なんかにやってきたということが評価されて、委員に推薦されたんだと思いますね。で、60歳で東京大学定年になるときには、彼はまだ、助教授のままだったんですよね。だから、あんまり、東京大学の中では評価されないで教授になれないでいたんだと思うんです。で、だけど、東京大学に新しい何かができたから、そっちに移って、教授になれて、そして、いろんなところで、また、活躍できるようになったんだと思います。でも、彼がどういう研究やったかという有名な仕事はなかなか、目にあたらないんですけど。」
岩上氏「斑目さんは。今、原子力安全委員会の委員長として、まあ『ご活躍』されているんですけど。ご存知ですか」
沢田氏「僕、あんまり、彼は知らないです。」
岩上氏「ああ、そうなんですか。」
沢田氏「小佐古さんは裁判を通じたり、東京大学の原子核研究所にいたということもあって知っているわけですけど。」
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/408.html
岩上氏「はい、みなさんこんばんわ。ジャーナリストの岩上安見です。私は今、名古屋にお邪魔しておりまして、名古屋大学名誉教授の沢田昭二先生のインタビューをこれからお願いしたいと思っております。先生、どうもよろしくお願いします。お時間いただきまして、本当にありがとうございました。しかも、いろいろと時間変更もしてしまいまして、大変申し訳ございませんでした。えー、先生はですね、放射線の影響ということについて日本で第一人者で、大変長い間ご研究されてきて、ご自身も、被曝経験があるということでですね、放射線の怖さということについては誰よりもよくご存知だろうと思います。」
沢田氏「必ずしもそうじゃないと思いますけど。」
岩上氏「いやいやいや、まあ、かつ、大変広い視野と、それから、歴史的なパースペクティブをもってですね、放射線の難しさ、怖さ、というものについて論じてこられたというふうに伺っております。先生のご体験も踏まえながら、今の福島第一原発の、この事故の後の放射線、影響、被曝の影響について我々にご解説いただきたいなと思っております。よろしくお願いいたします。」
岩上氏「あのー、最初からなんではあるんですけど、先ほど、インタビューがスタートする前、先生が子供の頃にですね、広島で被爆された、原爆が投下された時の体験を実は伺っていて大変ショッキングな経験をされているんだなということを、ちょっと言葉が詰まる思いでお聞きしていたんですけども。もう一度、ご覧になっている人のためにですね、先生のおそらく出発点である、原爆体験というものをお話しいただけるでしょうか。」
沢田氏「当時、中学2年生だったんですね。当時の中学校2年生は戦争に協力するということで軍需工場、私の場合は、機関銃の弾丸を作る工場に動員されていたんですね。ただその日は病気なものですから、そこにいくのをやめて自宅で眠っていたんです。で、その眠っているときに原爆が爆発したんですね。原爆のことをピカドン、ピカっと光って、あとドーンと爆風がやってくるんですけど。」
岩上氏「爆心地からどれくらい離れていたんですか。」
沢田氏「爆心地から1400メートル。」
岩上氏「近いですね。」
沢田氏「気がついたら潰れた家の下敷きになって気がついたわけですよね。で、寝ていたもんですから、何が起こったのかわからない。一生懸命もがいて私はつぶれた家の上から這い出すことができたわけですけど、這い出したときは潰れた屋根の上にたって、あたりは暗闇でした。なぜ暗闇かというと、広島市全体が破壊されていますから、ものすごい土ぼこりが舞い上がって、何百メートルと思いますが舞い上がってますから朝の太陽を遮って、その下は暗闇になっていたというわけです。でも、それがこげ茶色から茶色、黄色、そして白っぽくなって、サーっと遠くが見えるようになったんです。それでつぶれた家の上に立って、日ごろは、もうよその家の屋根しか見えないんですけど、一面、広島が潰れているのが見えるわけです。それでびっくりしました。で、大きな地震が起こったんだと最初思ったんですね。で、そう思っているときに、すぐ、私の足元で、私の名前を呼ぶ母の声がしたわけです。それで、どうなっているかと聞いたら、太い柱かなにかで足を挟まれて動けないというんですね。それで一生懸命、上に乗っているものをひっぱがしてとろうとしたんですけど、なかなかうまく出せないわけですね。で、そうしてやりながら、母親のほうが私にいろんなお説教をはじめたわけです。『自分はもういいからお前は早く逃げなさい』と言ってくれたんですけど、でも、そのころは軍国主義教育をずっとうけていましたから、天皇のために命を捧げるんだという、そういう教育を受けていましたから、命が大事だなんてこと思っていなかったんですけど、母親が生き残ることが大事だと、一生懸命、お説教をはじめました。でも、それでも、なかなか逃げる気にならなかったんですけど、で、最初は言わなかったんですけど、ピカっと光ったときには、いろいろなものに火がついていたんですね。今、ちょっと考えますと、いったん燃えるものに火がついていたんですけど、爆風でそういう炎はすべて吹き飛ばされていたんですね。そしてしばらく燻っていたわけです。で、燻っていたんですけどまた一斉に燃え始めました。で、気がついたら、自分の周辺は全部火事になっているわけですよね。でも、はじめはちょっと心配するからと母親にそれを言わなかったんですけど、だんだん火が強くなったのでそのことを母親に言ったら、『もう、火事になる前にお前は早く逃げなさい。』と言ってくれたんですけど、でも、なかなか逃げる気にならないで、何時間かがんばっていたんですが、よく記憶、時計がないからわからないですけど、もう、2〜3時間いたんではないかという気もするんですけど、とうとう火事嵐、一斉にまわりが(火の海ですね −岩上氏− )火の勢いが強くなってきて、これはなんともならないなと思ったときに母親が『いますぐ逃げなさい』と、で、彼女からはそういう火が見えないわけですね。潰れた家の下敷きになっているから、でも、そういう命令調で強く言ったもんですから『お母さん、ごめんなさい』と、言ってその場を逃げることを決意をしたんですけど、という体験を持っているんですね。」
岩上氏「辛い・・・体験ですよね・・・。周囲に助けてくれる大人というのはいらっしゃらなかったんでしょうか。」
沢田氏「ときどき、大人をつかまえてやってみたんですけど。これはもうだめだと言ってみんな逃げていってしまったわけですよね。」
岩上氏「お父さんは。・・・」
沢田氏「おやじはね、その朝出張して島根県のほうに行っていたんです。おやじは山の中のほうに入っていたもんですから、広島で原爆があったなんて全然知らなかったんですね。二日後になって知ったもんだから一生懸命帰ってきたわけですが、結局3日後に帰ってくることになったわけですけど、で、おやじが帰ってきたものですから一緒に、あ、いや、僕は山に、広島の市内が見える「うし山?」のてっぺんにずっといたわけですけど、山の上からずーっと燃える広島を眺めていたんですけど、あくる日も心配だから降りて近づこうとしたんですけど、熱くて近づけないんですよね。で、3日目にやっとおやじと一緒にそこに行ったらまだ、上の土を掘ると下に火がまだ残っていました。母親の骨を、ここにあるだろうなと思ったところにすぐに見つけましたけども、骨のすぐそばに磁器とか陶器とかあって触るとぽろっとすぐに壊れるわけですね。こんなすごい熱い中で母親は焼き殺されたんだなとそのとき感じましたけど。ということで骨を集めて持って帰りましたけど。」
岩上氏「・・・。あの、先生ご自身は、そのとき被曝をされているわけですよね。まあ、被曝の影響はいろいろな形で現れるのかもしれませんけど、こうやってお元気で過ごされている・・・、何か、やっぱり、心身に、身体に影響が出るということはなかったんでしょうか。」
沢田氏「まあ、当日病気で休んでいたわけですよね。だけど原爆のあと全然そんな病気なんか『ふっと』という状況になってしまって、それに爆心地から1400mですし、それから、あまり遠くに逃げる気にならなかったものですから、爆心地から1500mくらいのところの河原に夕方までずーっといました。で、後から自分が研究した結果から見ると、放射性降下物の量をかなり受けているはずなんですね。必ず被曝をしているということが自分の計算でもわかるんですけど、ところが、そういう放射線の影響がほとんど現れてないわけです。で、普通の人より元気だという感じで、だから、冗談ですけど、『お前は放射線を浴びたから元気になったんじゃないか』とか、そういうくらい、健康状態をずっと。で。これは放射線の影響は個人差がかなり大きい。」
岩上氏「個人差があるんですか・・・。」
沢田氏「と、いうことですね。で、これは、あとでちょっとお話ししようと思いますけど、被曝の影響、放射線の影響というのは個人差がすごく大きい、ということを意識しないといけないわけですね。」
岩上氏「たまたま先生はもともとの、いろいろな遺伝的な要素を含めて、被曝の影響が表に現れにくかった、けれども、人によっては、もし、その距離で被曝していれば大変な悪影響が出ていた可能性もある。決して、これも、先生のケースは典型的なケースで、みんな、広島ではないということですね。」
沢田氏「はい。僕の弟がその日学校に行っていたんですね。学校でほとんど同じ距離で被曝をしているんですけど、弟は体中傷だらけ、私は、運良く、赤ん坊が寝る「まくらがや?」の中に入って寝ていたんですけど、ガラス戸のすぐそばに寝ていたんですけど、その「まくらがや」が麻で作った「まくらがや」だったものですからガラスの破片が一ヶ所くらい目の下に刺さっていましたけど、ほとんど怪我をしなかったんですね。だからすごく幸運だったんですけど、弟は、三十何箇所怪我をしていましたけども。」
岩上氏「それは爆風の影響ですよね・・・。」
沢田氏「校舎が倒れて2階にいて、校舎と一緒に潰れたのですから、いろいろな大怪我をしていたのですが、それでも一人でちゃんと母親のふるさとまで逃げ帰っていましたけど。でも、体全体としては被曝の影響もあったとちょっと弱いなと思ってましたけど。でも65歳になって癌を発症して、癌で死んでしまいましたが、僕は被曝の影響だと思ってますけど、だけど、急性症状という形では、起こってないので、これは、だから、両親には感謝しなくてはいけないなというのは、それは、放射線の影響に弟も僕も比較的強かった、だけど、弟のほうは、放射線の影響だと僕は思いますけど、癌で死ぬことになりましたけど。」
岩上氏「同じような年頃のこども、同じような状況で被爆者の人たちにはもっと厳しい形で出られたケースもありますか。」
沢田氏「被曝した距離では多くの人が髪の毛が抜ける脱毛、そういう急性症状を皆発症しているわけですよね。だから・・・、」
岩上氏「先生はフサフサしていますよね。私のほうが抜けていますけど・・・。」
沢田氏「僕はずっと、そうですね。だから皆冗談で僕は放射線でかえってそうなったというくらいですけど。だから個人差が大きいということを考えなければいけないですね。」
岩上氏「そうですね。生き残った人、元気な人を基準にして判断していると大間違いをしてしまうということですね。あのう、こういう影響、原体験があって、研究の道に入られたんでしょうか。」
<研究者への道> 00:12:36
沢田氏「いや、そうじゃないです。子供の頃から理科とかそういうのが大好きで、だから原爆落ちる前にですね、『子供の科学』という雑誌を講読していたんですけど、国民学校の6年生のときに1943年なんですけど、その雑誌に小さな記事で、アメリカでは原子爆弾を作っているらしいという記事があったんですよ。それを読んでたわけですけど、実際、自分の上に落っこちたのがそれとは、その時はすぐには結びつかなかったんですけど。て、ことで、子供の頃から、科学をやりたいな、そういういろんな科学の本を読んだりしていたんですね。それで大学も物理学を研究することになったんですけど、もう、中学生の頃から『自然』という雑誌があったんですけど、そういう科学雑誌を自分で購読して一生懸命難しいのをわかってはいなかったんだと思いますけど、読んだりして、そうして、素粒子物理学の分野が興味があるということで、湯川英樹先生がノーベル賞もらったり、朝永先生がノーベル賞もらったり、そういうことも、そういう雑誌なんかで、先生が書かれた核物理学とか素粒子物理学の記事を読んだりしていたわけですね。で、大学に入って、大学でもそういう分野をやろうというふうに繋がっていったわけですね。僕の専門は放射線の影響ではなくて、素粒子物理学が専門なんです。で、素粒子物理学の研究分野というのはね、すごく民主的なんですよ。湯川先生や朝永先生や、・・・の坂田昌一先生というのが、第一人者というか一番最先端で研究を、1930年代からやられているわけですよね。で、戦争が終わった後、そういう素粒子論グループという研究分野を日本に作ったときに全国の研究者が対等に議論できるような、そういう研究グループを作ったわけです。京都大学の湯川先生がノーベル賞もらったということで、基礎物理学研究所というのが作られたわけです。普通、そういう大学に作った研究所は、大学のものというふうになっているのに、全国の研究者たちが、基礎物理学研究所を全国の研究者の共通のものにしていこう、ということで湯川先生もそれを納得して、そこの運営をやるのに、全国の研究者から選挙で選ばれた人たちが運営する、それから、私たちのように若い、まだ、大学院生だった頃にですね、も、選挙で選んで、そこの研究所のいろいろな研究計画をたてる研究部員会というのがあるんですけど、僕もそれに選ばれたりして、広島大学にいたんですけど、若手の代表として選ばれて、そしてそういう研究部員ですから一緒に湯川先生や朝永先生や坂田先生と議論できるわけですよね。どこの大学の大学院生とまったく区別しないで対等に議論してくださるわけです、という研究分野なんですね。と、いうことで若い頃から第一人者たちと一緒にやる、で、同時に、そういう先生方は核兵器をなくすということでも、すごく科学者としての取り組みをされたわけです。そういうことを大学院生の頃からお手伝いをする、ということができたわけですね。そして、一緒に、科学者京都会議を作られてその事務局などをやったり、それからラッセル・アインシュタイン宣言があって、それによってパグウォッシュ会議という世界中の科学者が集まって核兵器廃絶・・・。」
岩上氏「おそらくラッセル・アインシュタイン宣言というのがわからないと・・・。バートランド・ラッセルと、アインシュタインが一緒に書いた、宣言ですよね。それは、どういう内容で・・・。」
<原水爆禁止運動とラッセル・アインシュタイン宣言> 00:16:40
沢田氏「それはですね。1954年に、アメリカがビキニ島で水爆実験をやったんですね。その実験の結果を、日本はそれから原水爆禁止運動が起こって、国民的な規模で原水爆禁止運動が起こったんですね。ちょうど私も広島大学の学生だったんですけど、自分が体験した原爆よりも1000倍も破壊力が大きい水爆ができてしまったということに、凄く大きな衝撃を受けました。」
岩上氏「はぁ・・・。広島型原爆の1000倍の破壊力をビキニの一発の水爆で・・・。これは、大衆娯楽の世界で言うとビキニの影響でゴジラが誕生した話になるのですが、あのゴジラという物語はこの水爆の影響下で生まれた物語だと思いますけども、」
沢田氏「広島の原爆は、一瞬で、火薬を、一万五千トンの火薬を一気に爆発させる、一万五千トンというと大きな船いっぱいに積んでいるものを、一瞬で爆発させたというのが広島型原爆、だから15キロトンぐらい、というわけですけど、水爆の場合はメガトンですね。15メガトン。キロトンというのが1000トンですね。メガトンですから1000000倍なわけで、ということは広島原爆の1000倍の破壊力、だから船なんかに積むなんてとても考えられない、桁違いですよね。で、自分が今から専門にしようとしている物理学がとうとう水爆という、これをどんどん作っていったら人類は核戦争で絶滅してしまう、ということを考えたものですから、クラスの人たちと議論して、大学のいろんな学生自治会でも議論して、そして原水爆禁止広島学生協議会というのを組織したわけです。そして、僕はその実行委員長になったんですけど、署名運動とかいろいろな取り組みをしました。だけど、僕は何を主にやったかというとこれは今はとても考えられないと思うんですけど、広島市と広島県から、5000円ずつの助成金をもらって原水爆展の展示を作るということをやったんですね。要するに勉強しているわけだから、原爆の影響なんかの深刻さ、水爆の恐ろしさ、放射線の恐ろしさということを、一般の人たちに、自分たちで勉強して、伝える責任があると考えたわけですね。5000円というと当時の一ヶ月の給料なわけです。」
岩上氏「50万くらいの価値ですかね。」
沢田氏「ええ、そうですね。それを両方からもらったわけですから、まあ、百万円近いお金をもらった感じになるわけですね。40数枚の大きなパネルを作って、それを広島の平和公園で8月6日で展示したら、もう、黒山の人だかりで、まだ、広島の原爆資料館がない・・・。」
(若干中断 冷房温度設定変更)
沢田氏「それで、広島の平和公園で展示をやって、いろんな新聞社に協力して、新聞社のホールで展示をするとか。いまはJRですが当時は国鉄の労働組合が協力してくださって、中国地方、四国地方の都市を巡回するということをやってくださった。今の原水爆禁止運動の始まりなんですよ。」
岩上氏「今の空気とほんとにちょっと空気が違いますね。」
沢田氏「まあ、学生でちょっと生意気だったんだと思いますけど。」
岩上氏「ああ、いやいや、でも、学生の自主性を行政も認め、労働組合やその他の様々な機関が一緒に手を携えて、いったい我々の身に何が起きているのかということを自由に考える・・・。」
沢田氏「そういう時代。」
岩上氏「空気があったんですね。それは何年ごろなんですか。」
沢田氏「1954年頃です。」
岩上氏「まさに、ビキニの直後の話なんですね。」
沢田氏「国民的に大きな運動が起こった。行政も学生も一緒になってやる。当時そういう雰囲気があったんだと思います。」
岩上氏「まあ、なんというか、今は行政がそういうことをすることは考えられないですね。」
沢田氏「ちょっと考えにくいと思いますね。学生の意識も、国によってずいぶん違うと思いますけど、学生が一般社会の人たちにどういう、自分たちがやるかということを、そういう発想なかなかできないんじゃないかなと思うんですけど、その当時の学生はそういう意識、で、僕たちが最初に原爆展をつくったのかと思ったら、その2〜3年前に京都大学の学生が、やっぱり、すでに原爆展を作っていたということがわかるんですけど、という時代なんですよ。」
岩上氏「やはり、世の中が右と左に分かれていくとか、だんだん内向きになっていくとか左右もそれぞれ制度化していってしまうとか、それは60年代70年代にかけて起こってくることなんですが、80年代以降は完全に様式化してしまうんですが、それ以前の段階では、もっともっとなんというか、風通しのいいもの、その運動、どちらの立場にいようが、皆さん、まさに、黒山の人だかりですから、情報が不足していたというせいもあるんでしょうけど、目を皿のようにして見るという・・・。」
沢田氏「日本中、津々浦々といっていいほどの皆が関心をもってやりはじめたんですね。。日本国憲法というのができていましたけども、私は、この原水爆禁止運動が起こったということが、日本の国中、ずっと広い範囲で、こういう問題を自分の頭で考えていく、そういう民主主義とか平和とかそういうものがずっと日本国民に浸透するのが、この原水爆禁止運動だと思うんですね。それまで、憲法作るときに、大きな大衆運動があってできたわけではないですからね。大きな国民的運動が起きたのはこの原水爆禁止運動が初めてなんです。だから、1954年から始まった、この原水爆禁止運動というのは日本の国民が民主主義とか平和とか、そういうことを考える上ですごく大きな役割を果たしたなと、それがそのあとの安保条約の反対闘争にも繋がっていくわけですね。だけど、それをアメリカなんかは恐れたわけです。それでCIAとかいろんなものを使ってそれを何とか抑える工作を始めたのも、その頃からなわけです。」
岩上氏「そうですね。まさに54年ということは、その翌年に55年体制が出来上がる、その前夜ですよね。まあ、社会党の合同もあり、保守の合同もあり、保革が分かれていて、二つ両極になりながら、かつ、実は補い合っているという政治構造ができ上がる。」
沢田氏「原発の問題もそのころからちょうどスタートしているわけです。核兵器廃絶の運動の問題と原発の問題と、日本社会のそういう体制化していく、というのが、ちょうどその頃が一番大きな瀬戸際だったと思いますね。だからそのころ学生だったということが僕にとってもすごく大きな影響を与えたかなと思いますけど。だから、その後ずーっと原水爆禁止運動を今日まで続けてきているわけです。で、そういう日本国民的な運動が起こったもんですから、日本の科学者たちも一緒に運動したわけです。諸外国の科学者の運動というのは、必ずしも民衆と結びついた運動ではないんですけど、日本の科学者の場合は、そういう国民的大きな運動が起こっている中で一緒に取り組んできた、というのが特徴だと思いますよね。それで、放射線の影響が深刻だということがわかったものですから、日本政府に要求してビキニの周辺の太平洋の、特に、日本はその頃、魚でたんぱく質を補うということでしたから、魚が、持って帰るマグロが全部汚染されているということで、やっぱり汚染を、ちゃんと、調べなければいけないということで、政府に要求して俊鶻丸という調査船に科学者を沢山乗せて送ったわけですよね。そして、ビキニ海域がすごく汚染されている、という事実を掴んできたわけです。で、それを世界の科学者に伝えたわけです。そして、その伝えたことを聞いたのが、ラッセルだったわけです。ラッセルはイギリスのBBC放送の討論会の中でも、その深刻さをちゃんと彼は訴えて、もっとこれを世界中の科学者にもちゃんと共有しないといけないということでアインシュタインを説き伏せて、このまま水爆をどんどん開発していって、人類が核戦争で滅亡する可能性が出てきた、ということで、『ラッセル・アインシュタイン宣言』を出してくださったんですね。そして彼らの発想は、当時は米ソは、政府間は、水爆の開発競争をやっていて、お互いにどんどん険悪な状況になっていたわけですから、政府間で話し合うというそういう条件はなかったんです。だけど科学者なら、国際会議で物理なら物理の議論をしている。そういう条件がありますから、アメリカの科学者も、ソ連の科学者も世界中の科学者が集まって、この核兵器の問題を議論して欲しい。核兵器をなくす問題を議論してほしい。という訴えがラッセル・アインシュタイン宣言なんですね。で、その中にビキニ(げん?)で第五福竜丸が被曝したことなんかも全部その中に入っているわけです。と、いうことで日本の原水爆禁止運動があって、日本の科学者が汚染状況を調査して、その情報がラッセルに伝わったことが、ラッセル・アインシュタイン宣言に繋がっているわけです。で、そのラッセル・アインシュタイン宣言に答えて、科学者たちの集まりができたのが、1955年にラッセル・アインシュタイン宣言が発表されたんですけど、アメリカの科学者も、ソ連の科学者も、政府とは違う立場で会議を開こうとするわけですから、政府は旅費なんか出してくれないですよね。自分たちでやらなければいけない。でも、科学者はお金を持っていませんから、なかなか、会議を開けなかったんですけど、2年後にやっと、カナダの漁村のパグウォッシュというところの金持ちの別荘をお借りして会議を開いたのが、バグウォッシュという村があったものですから、『パグウォッシュ会議』という名前がついたんですね。それは今日までずっと続いているわけです。という経過なんですね。」
<ICRPについて> 00:28:00
岩上氏「先生はこういう時代背景と、そして原水禁運動に関わる中で、一学生としては、素粒子物理学を勉強されていった、で、こういう大きな事件も起こる、そんな中で放射線の影響というものは、当初は詳しく、その作用機序とかメカニズムとかわかってなかったんですよね。たとえば遺伝子にどのような影響があるとか、それは学問の発達と共にわかってきたんだろうと思うんですけど。」
沢田氏「DNAがわかったのが1960年なんですよね、DNAが2重螺旋構造を持っているというのは。それで、いろんな人間に対する放射線の影響も、そういうDNAなんかが損傷を受けて、それが細胞分裂したときに、それが、次の細胞にもちゃんと継承される。」
岩上氏「傷を受ける。螺旋というのは、鎖が切断されてしまうと、そういうことがだんだんわかってきたと、それ以前は、放射線の影響というものは非常に表面的なもの、たとえば火傷だけだとか。」
沢田氏「臨床的な。」
岩上氏「臨床的な・・・。」
沢田氏「だから、放射線の影響は深刻だとわかったのが、だんだん、1950頃からなんですね。それ以前も、だから、研究者たちがいろいろ研究しているんだけど、自分も、被曝をしているわけですよね。だから、キュリー夫人なんかは結局、白血病で亡くなる。実験やってて、自分が被曝をしているということに気がつかないで、やったためにそんなになっちゃったんですね。その辺の影響が深刻だと、だんだん、わかってきたのが1950年頃から、そして、DNAがはっきりわかったのが60年ですから、だから、50年というのはそういうことが、まだ、わかる前ですけど、放射線の影響は深刻だというのはわかっていて、広島・長崎の被爆者の研究が非常に重要な役割を果たしていたわけですけど。」
岩上氏「ここが非常に重要なところですね。今日お話を伺いたいところの大きな柱の一つだと思うんですけど、今、ICRPという団体、多くの一般の日本国民はよく知らなかった、そういう団体、そういう国際機関の基準が唯一絶対であるかのように、今、言われているんですね。そのICRPの基準によればこうだこうだと、ICRPが言っているものの解釈を巡って、たとえば1ミリシーベルトと、これは、基準範囲内だと、これを20ミリシーベルトにしたと、これはICRPのどこそこのこれによれば、などという話が、議論が展開されている。毎日のように統合会見というものが行われ、毎日のように我々もずーっと中継しているんですけど、そこで記者と政府のですね、細野さん、あるいは東電、保安院の方々との間のやりとり・問答・質疑というものも、このICRPの基準を巡って、どのように解釈するかという点に集中しがちなんですね。共有されている前提は、ICRPが唯一絶対の基準である、でも、どうも、そうでもないらしいという話を他の先生がたからも聞いている。このICRPというのは、もともと、マンハッタン計画がスタート点にあるということも・・・。」
沢田氏「1940年代の終わりごろに、それまであった委員会を改組して国際放射線防護委員会が作られたんですけど、特にアメリカも同じように全米放射線防護委員会を1940年代の最後に作ったんですよね。そして、もともとの狙いは、そういう放射線防護の問題をアメリカがイニシャティブをとってやろうとしたわけですけど、その全米放射線防護委員会も、国際放射線防護委員会も、パラレルにいろんな分科会を作ったわけです。そして、外部被曝の分科会、内部被曝の分科会といくつかの分科会を作って、そのアメリカの全米放射線防護委員会の委員長がそのまま国際放射線防護委員会の委員長を兼ねるとか、委員を兼ねるとか、重なり合っているわけですね。」
岩上氏「国際放射線防護委員会というのはICRPということですね。そして全米というのは・・・。」
沢田氏「ナショナルだから、N。 “I”は“N”に換えてやるだけだと思います。」
岩上氏「NCRPと・・・。」
沢田氏「はい、で、外部被曝のほうは、アメリカの研究した結果をそのまま、国際放射線防護委員会がそのまま見つめることになったんですけど、内部被曝の分科会のカール・モーガンという人が、委員長をやっていたんですけど、彼は放射線の研究の第一人者なんですけど。彼がやっている内部被曝の研究の結果は全部発表を禁止されたんです。これは、カール・モーガン自身が自分のやってきたことを本に書いていますけど、その中にかなり克明に書いていますけど、内部被曝の影響は禁止されたんです。それは結局、広島・長崎の被爆者の内部被曝の影響も考えない、ていうのは、核兵器を使うということによると、ピカっと光った瞬間の、これを『初期放射線』というんですが、一応、便宜的に、1分以内にやってきた放射線を、初期放射線といいますが、実質上はピカっと光った瞬間までに、ほとんど、被爆者を貫いているのが初期放射線です。これは距離と共に急速に減少するんわけですよね。広島の原爆の場合は、2kmから2.5kmくらいになると、ほとんどゼロになっちゃうんです。だけど、トルーマン大統領が、1947年に、ソ連も原爆を作るということになると、将来、核戦争を起こしたときに、自分たちの軍隊や相手側の軍隊に、どれだけ放射線の影響が起きるか調べなければいけない。というのがたぶん基本的な狙いだったと思うんですけど、その、影響を調べるためには広島・長崎の被爆者に、その初期放射線の影響を調べる。ですが、初期放射線の影響に絞ったのは、原子雲がずっと上がっていって、それが広がっていって、降りてきた放射性降下物の影響というのはすごく広い範囲。」
岩上氏「原子雲ですね。いわゆるきのこ雲」
沢田氏「すごく広い範囲に放射線の影響を与えるわけです。アメリカでも、ネバダの核実験場で実験したのがありまして、風下まで、ずーっと100km、200kmと、放射性物質が流れていくのを彼らは測定してわかっているわけですね。初期放射線だけに限定すれば、核兵器を使っても、その影響をせいぜい2kmくらいで限定できる。だけど、放射性降下物の影響は、内部被曝の影響ですけど、そういうこともちゃんと考慮に入れると、核兵器を使った影響というのはすごく広い範囲に広がる。そうすると、核兵器を使うということがすごく非人道的だ。これは国際人道法で、無限定で広い範囲に影響を与えるものは使ってはならない。ということで、核兵器はもろにそれにあたる。ということで世界中から非難を受ける。ということなものですから、そういう残量放射線の影響とか、すごい広い範囲で影響を与えるような降下物の影響は無視するとい基本法則を取ったわけです。で、日本を占領した直後から、アメリカのマンハッタン計画で人体影響を調べていた責任者、ファーレル准将というのが、『もう、広島・長崎では放射線によって苦しんでいる者はいない』という記者会見をやったりしたわけですね。それは、後に残るいろいろな影響とか、広い範囲の影響は無視するという基本法則を取ったわけです。」
岩上氏「きわめてそれは、『科学的』ではない、『非科学的』な、『政治的』なプロパガンダ、かつ、軍事戦術的なプロパガンダだったわけですね。」
沢田氏「で、広島・長崎にトルーマン大統領の命令で原爆障害調査委員会、ま、ABCCと言われているわけですけど、そこで、被爆者を対象に調べるということですけど、1950年に日本は、初めて国勢調査をやって、それで、被爆者かどうか、をチェックするのをやって、被爆者を掴んだんですね、日本政府は。だけどその被爆者のリストを、ABCCに全部渡してしまって、日本政府は、何も、被爆者に対する対策は何もとらなかった。ということは、その調査というのは、アメリカの要請で調査したんじゃないかなと思うんですね。で、ABCCに渡したんですけど、ABCCは、広島市に住んでいる被爆者と、長崎市に住んでいる被爆者を調査対象にするということで、『寿命調査集団』というのを作ったわけです。そして、その被爆者の中から初期放射線の影響を引き出す、という研究を始めたわけです。そのためには、広い範囲で放射性降下物の影響を受けた人たちは被曝をしていない、で、近い距離で初期放射線の影響をうけた人の影響を引き出す、という研究をやったわけですね。ということで、結局、遠距離の被爆者は被曝をしていない、彼らの被曝影響は無視できる、という方針をとった。それは今日まで、1975年に日米共同運営になりました。」
<放射線影響研究所について> 00:38:06
岩上氏「これが、今の『放射線影響研究所』。『放影研』。」
沢田氏「はい、で、日米共同運営になったんですけど、結局、初期放射線の影響だけ明らかにする研究方針は変わらなかったんですね。」
岩上氏「この75年の段階においても。まだ、50年代の占領下における、言ってみれば、日本に全く主権がないような状態、そういう状態で、しかも、米ソ冷戦が始まりかけていた時代の極めて軍事戦略上の要請から作られた政治プロパガンダ、それが1975年になっても引きずって、まるで、科学の装いを施して、放射性降下物の影響は無視できると、いう立場をとったわけですね。それ、今でもですか。」
沢田氏「今でも、まだ、続いていますね。基本的には。」
岩上氏「うーん(溜息)。なるほど。」
沢田氏「放射線影響研究所の、『降下物の影響は無視できる』という基本姿勢は変わっていないんです。それは、裁判をやると凄くよくわかるんですね。」
岩上氏「先生はあちらこちらでの、いわゆる原爆証明裁判、原告は被爆者、被爆者の方々が国に損害賠償請求等を求める、そうした裁判の、原告側に立つ、非常に数少ない学者のお一人ということで、いろんな法律家の方々からも、敬意の念をもって見られているわけですけども、そうした裁判の中でも、やはり、こういう放影研の姿勢というのは現れてくるのですか。出てくるという・・・。」
沢田氏「はい。実は私自身もですね、放射性降下物の影響は、すごく深刻だと気がついたのは、1990年代の終わり頃なんですよ。というのは、それまでは、放射性降下物の影響は少ない少ないと言われてきたわけですから、それをある程度信じていたわけです。」
岩上氏「ある意味、そういう意味では文学者の方が、鋭く直感的には言い当てていた。たとえば『黒い雨』のような・・・。」
沢田氏「いや、『黒い雨』というのは有名なんですが、それは、それほど深刻な影響を与えたとは必ずしも考えられていないんですね。要するに黒い雨が降った地域は、かなり、限定されている。で、その黒い雨も、実は、これまでの放射線影響研究所とか日本政府とか、なんかの、放射性降下物による影響は、雨が、黒い雨が降って、その黒い雨がもたらした放射性物質が、地面の中に残っていますよね。その地面の中に残っているのが台風なんかで流されてしまったんですが、それでも残っている。それで、地面の中に残っている放射性物質を引っ張り出して、そしてそこから出てきた放射線を計って、どれくらい影響があるかというのをやっているわけです。ですけど、これは、被爆者が、受けた影響からすると、もう、2桁、3桁も少ない。で、被爆者はどういう被曝をしたかというとですね、あと、わかったんですけど、放射性の雨よりも、放射性の微粒子、雨粒になったものじゃないもの、で被曝をしているというのがわかったわけです。それに気がついたのは1990年代の終わりに、原爆手帳をもらっている被爆者は、いろんな検診とかできるわけですけど、だけど、その被爆者が、放射線の影響で病気になったということを国が認定してくれれば、原爆症認定特別手当、その人の治療費だけじゃなくて、治療を取り巻くいろいろな生活費も含めて支援するというのがあるわけですね。だけど、それは、厚生労働大臣が認めないと認可されないわけです。だけど、その認定基準がだんだん厳しくなってきた。それで被爆者が裁判をするというのが1990年代の最後で相次いで起こって、長崎の被爆者の松谷英子さん、と、京都の小西健男さんという方が、裁判を10年くらい取り組んでいたんですけど、その最後の段階で、ピカっと光った段階でやってくる初期放射線が、遠距離では過小評価になっているんじゃないかということが、裁判で問題になったわけです。で、私は広島・長崎で測定しているグループに入れていただいて、彼らの測定結果を解析すると、遠距離で系統的に過小評価になっていることがわかったものですから、それを裁判で控訴審の段階でそれを出したんですね。それから、小西さんの場合は、地裁の段階で、はじめて裁判所の門をくぐって証人になるということをやったのが1990年代の終わりです。で、その、裁判は小西さんの場合は、高裁で勝訴して終わり、松谷さんのほうは最高裁まで行って勝訴したわけです。勝訴して全部勝ったわけですけど、でも、厚生労働省は、彼らの影響が何であったかを認めないわけです。そのとき松谷さんの証人になってくださった、渡辺千恵子さんという有名な被爆者がいるんですけど、彼女は2800mのところで被曝しているんですけど、髪の毛が抜けた。松谷英子さん自身も2450mで被曝したんですけど、髪の毛が抜けた。そのほかの沢山の証人になった人たちも、たくさん、その距離で脱毛しているわけです。初期放射線は2.5kmくらいしか届かないですから、そこのところを、実験率にあわせて過小評価を是正したとしても、説明できないわけです。それで、裁判には勝ったんですけど、その、彼女たちの髪の毛が抜けるということは、放射性降下物をおいて考えられない、ところが長崎では放射性降下物の影響というのは、東側の3kmくらい離れた西山地域しかない、というのが国の基準になっているわけですね。だけど、彼女たちが被曝したのは南側なわけです。と、すると長崎でも、南のほうでも放射性降下物の影響があった、けど、雨はあまり降っていない地域です。とすると、放射性の微粒子が充満してて、それを吸い込んで病気になったと考えざるをえない。」
岩上氏「大気中の微粒子ですね。」
沢田氏「で、アメリカのネバダの核実験なんかでは、黒い雨は降っていないわけです。乾燥した砂漠では、雨粒が小さいですから、10数分くらい上空に上がるんですけど、消えちゃうわけです。後は全部、風下に遺伝子、放射性微粒子、目に見えない微粒子として風下に流れていくんですけど、それは実験ですから予め測定装置を置いていて、どれだけやってきたかというのを測定しているわけです。で、日本で、広島・長崎で原爆を投下されても、そういう微粒子は当然できるわけですよね。と、考えますと、結局、原爆が爆発して、火の玉というのができるわけです。すごく小さな太陽、だけどその中央部分に核分裂でできた放射性の微粒子が大量にたまっているわけです。それが上空に上がっていくと冷えて、それが周りの大気の中から水分を付着させて、水滴ができるわけです。水滴ができるから原子雲として認識できるわけですね。だから、原子雲を作った一番元になるものは原爆が核分裂してつくられた放射線の微粒子なんです。真ん中の部分は凄い勢いで上空に上がっていきまして、もう、10分もしない間に、1万数千メートルの高さまで上がっていくわけです。そうすると急速に上がっていきますから、水滴が急速に成長します。すると重くなりますから落ちてくるわけですね。これが『黒い雨』なんです。ところがですね、対流圏というのがだいたい1万メートルくらいの高さで対流圏が終わって、そこから先は成層圏になるのですね。そうすると温度が逆に上がったりするくらいで、上昇する勢いがないわけです。だけど、下のほうからものすごい勢いで押されますから、横に広がらざるを得ないんですね。(手を横に広げるポーズ)とくに長崎のはスケッチがあってわかるんですけど、30分もたたないうちに20kmくらい水平にわーっと、円形に広がっているわけですです。原子雲が。そこら辺の水滴は小さいですから、下に落ちてくる途中で蒸発して、また、元の放射性微粒子に戻っているわけです。」
岩上氏「あ、そういうメカニズムなんですか。雨雲になったのとはまた別途微粒子が存在するのではなく、いったん上昇し水滴を帯びて、黒い雨の元となって、だけれども、遠くに広がっていって・・・(手を横に広げるポーズ)」
沢田氏「(手を横に広げながら)それは水滴が小さいですから落ちてくる途中で蒸発してしまう。これは長崎でも沢山証言がありまして、『真っ黒い空に、真っ赤な太陽が動いていた』『火の玉』で、『怖いから逃げたんだけどついてきた』と、そういう証言がたくさんあります。『真っ黒い空』というのは放射性微粒子が大気の中に充満していたから真っ黒になって見えたのです。だけど、被爆者は雨のほうは気がつきますけどそういう微粒子は気がつかないから、呼吸なんかで取り込んでいるけど、被爆者はそういうの取り込んだのを全然意識していないわけです。ですけど、葉っぱの上に白い粉があったとか、いろいろ水とか飲んでいるんだけど気がつかない。ときどき、そういう煤がくっついて、目に見えるくらいの黒い煤になって降ってきた、だから、『黒い雪』が降ってきた、という証言もあるわけです。ということで、放射性微粒子が充満していたというのは物理的に考えて当然なわけです。で、それを被爆者は吸い込んだんですけど、風で流されていって後で計れないわけですよね。雨のほうは、雨粒に含まれていたものが地面の中に染み込んで残ったものを計るわけですよね、だけど、大部分は、大気中に充満していたものが風で流されていって、見えなくなっているわけです。」
岩上氏「たとえば地表に落ちた、そうした微粒子、放射性物質というものは、地表に、表土に降り積もっているから、これは測定可能なんじゃないですか。」
沢田氏「しばらくは、あったと思うんです。・・・は2度も、枕崎台風とか、大きな台風で大洪水で流されてしまった。長崎も流されてしまって、流された後は、いろいろな放射線による病気は急速に起こらなくなったというのをお医者さんが証言しています。『長崎の鐘』というアニメがありますけど、これに秋月さんというお医者さんが出てきますけど、彼も、台風なんかがやってきて、雨が降った後は、そういう急性のいろいろな症状は起こらなくなった、と証言されてます。環境でいうと流された。当初は広島・長崎は、もう何十年も人が住めない、と、いわれていたわけですよね。だけど、幸い、そうやって流されたものだから、被曝影響は少なくて済んだ。」
岩上氏「なるほど。この台風が来て雨で流されたということは、二つの側面があって、良い方の側面としては、そこに暮らしている人にとっては、表土に降り積もった放射性物質を流すことによって、ずーっと地表から放射線の影響を受ける、ということが少なくなった、なので、被曝の程度は軽くなった、それは良いことなんだけども、まあ、悪しき面といいますかね、裏面としては、先ほど言った、アメリカの調査、アメリカの思惑を持った調査によれば、その、この内部被曝の元にもなるんでしょうし、また、その後の、残留放射の影響というものを軽く見積もる、一つの科学的、まあ、カッコ科学なんでしょうけど、的根拠になってしまったという、実際には本当は濃厚に残っていたかもしれないものが流されたあとの数値をベースに研究が積まれたために、こうした残留放射線の影響が軽く見積もられてしまったという、こういうことになるわけですね。」
沢田氏「で、それで私はどういう方法をやったかというと、急性症状、被曝すると起こるわけですね。そういう急性症状がどれくらい起こったかという調査がもう沢山あるんです。本当は日本の放射線影響研究者たちはそういう急性症状の発症率から逆算して放射性降下物の影響なんかを調べる必要があったと思うんですけど、だけど、不思議なことに誰もそういう研究をやってこなかった。さきほどの放射線影響研究所なんかが、放射性降下物の影響は少ないと、無視できると言って来たわけですね。だから、そういうところで育った研究者たち、そういうところで影響された研究者たちが日本の放射線影響学会の中の大部分なわけです。」
岩上氏「そういうところ出身の人たちというのは、まあ学会でいうと何学会というのですか。」
沢田氏「放射線影響学会です。」
岩上氏「放射線影響学会。なるほど。」
政府開発援助(ODA)配分など2011年度の国際協力重点方針案が26日、判明した。東日本大震災被災地の水産加工食品などを購入して途上国に提供するなど、国際社会にも「開かれた復興に資するためのODA活用を最優先課題とする」と明記。被災地に外国人研修員を積極的に受け入れることで風評被害防止にも取り組むとした。
27日に決定する。震災復興に巨額の経費がかかることからODAを削減すべきだとの意見が出ていることを意識し、復興への貢献を前面に打ち出した形。一部は11年度第3次補正予算案に盛り込む考えだ。
2011/06/26 17:36 【共同通信】
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/556.html
国内では再生可能エネルギーのことを盛んに発言する菅総理だが、一歩国外に出ると全く違う。
6月にボンで行われた地球温暖化対策の国際会議で、菅政権はなんと日本が途上国に建設する原発による二酸化炭素削減分を、日本の京都議定書の目標にカウントするように申し入れ、福島の事故後にそんなことをまだ言うのかと、国際社会の大ヒンシュクをかった。
日本政府のあまりのひどさに、各国の環境保護団体から、交渉に後ろ向きな発言をした国を対象とする「化石賞」が贈られた。
菅政権は、原発輸出に力を入れているようだが、果たして日本は原発輸出ができるのだろうか。
専門家の意見はNOだ。
というのも、日本国内で原発を建設する時に、プロジェクトの様々なリスクを管理するのは電力会社だ。雨が降ったり、風が吹いたりしてプロジェクトが遅れた時に、電力会社がそのリスクを全部かぶる。原子炉メーカーは、言われたとおりの作業をするだけだ。
もちろん電力会社は、プロジェクトの様々なリスクを全て、総括原価の中に入れて消費者に転嫁している。なんのことはない消費者がプロジェクトのリスクを背負っている。
国内でプロジェクトのリスクをとらない原子炉メーカーが、海外でもその調子でやれるだろうか。
海外の原子炉プロジェクトは、ターンキー、つまりスイッチを入れれば動くようになった状態で引き渡す契約だったり、あるいはオペレーションまでやる契約だったりする。
つまり、プロジェクトに関するリスクをとらなければならない。
原子力発電所のプロジェクトは極めてリスキーだ。例えば、フランスのアレバは、ジーメンスと組んでフィンランドの原発プロジェクトを落札した。当初のコストはなんと5倍近くにふくれあがり、ジーメンスは離脱。アレバはキャッシュフローを確保するために、儲け頭の送電網を売却する羽目になった。
このプロジェクトは、2005年に始まり2010年に完成する予定が、2010年になって2014年に引き渡し、今年になって2015年に引き渡しと工期が遅れ、アレバの赤字がさらに膨らんでいる。
韓国が落札したアブダビのプロジェクトも極めて難しくなっているようだ。元々赤字覚悟の落札と言われたが、赤字幅が相当に拡大しているようだ。例えば、原子炉まわりの溶接ができる人材は世界的にも限られていてその確保ができなかったり、世界各国からの労働者に指示するためにかなりの数の通訳が必要になったり、安全基準が変わったり...。
アメリカのサウステキサスの原発プロジェクトも2基で52億ドルという構想が、実際に詰めていくと180億ドルになり、投資家も撤退。そこに飛びついたのが東芝と東京電力。このプロジェクトは最後はいくらになるか読めないとまで言われたが、311で向こうから契約が破棄された。たぶん、日本側は救われたのだろう。
ベトナムの原発プロジェクトも、他のプロジェクト同様に、プロジェクトの運営がうまくできない可能性が極めて大きいと言われている。政府保証などでこのリスクが日本国民に転嫁されることがあってはならない。
いい加減に菅内閣は、海外の原発ビジネスから撤退を宣言するべきだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/410.html
誰でもボヤキたくなる
東京が田舎に・・・か、リアルにありそう。
メルトスルーで溶けた燃料は上面しか水が掛からないから、
絶対絶対絶対に冷温停止できない。
コンクリにめりこんでるだろう? そのうち、土壌にめりこむ。
東電社員がタングステン合金の柄杓で汲み取れ。部分臨界しているだろうけど・・・
意外と思われるかもしれませんが、どうも北朝鮮も金正日も日本を嫌っていない
ようです。日本人拉致も日本を嫌ってたからではないようです。
そういうわけで、別に積極的に日本を滅ぼそうとは考えてはいないと思われます。
北朝鮮が岩国基地を核攻撃するとすれば、それは反撃のためであり、
目標は基地です。ただ、北朝鮮のミサイルは命中精度が悪いので基地周辺の
民間地域に飛んでくる可能性があるだけです。
北朝鮮の核ミサイルがアメリカ本土を射程に入れれば、北朝鮮が岩国基地に
対して核を使う可能性が急増します。アメリカが反撃をためらうからです。
ただ、アメリカ本土を射程に入れる事ができない場合でも、ソウル市民と
東京都民は人質みたいなものですから、アメリカが韓国や日本を大切に思えば、
たとえ岩国基地が核攻撃されて数百人くらいアメリカ兵が死んでも
北朝鮮を報復核攻撃せず停戦になる可能性もあります。
ちなみに岩国基地が北朝鮮の核ミサイル攻撃を受けてもアメリカ兵の大部分は
空襲警報で地下壕に入るので大半は生存し、アメリカ兵の死者は千人未満
でしょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/371.html#c6
「墓穴を掘る」と表現する。
政府とゴミマスコミともどもだ。腐れマスコミは今さら原発批判に転じてももう遅いのだよ。今までさんざんくだらぬ捏造報道に明け暮れていたため正常な感覚がマヒしていたわけだ。
リニア中央新幹線整備計画の決定を受けて(平成23年6月21日)
リニア中央新幹線の実現に向けては、平成22年2月24日、国土交通大臣から交通政策審議会に対し、「中央新幹線の営業主体及び建設主体の指名並びに整備計画の決定」について諮問がされ、同審議会の中央新幹線小委員会で関係者や有識者等から意見を聴取しながら審議が行われてきました。
平成23年5月12日、小委員会での議論や国民からのパブリックコメントを経て、交通政策審議会は国土交通大臣に対し、「南アルプスをトンネルで貫くCルートとした整備計画や営業主体・建設主体をJR東海に指名する」とした答申をしました。
その後、国土交通大臣は、平成23年5月20日、営業主体・建設主体としてJR東海を指名。5月26日、中央新幹線の整備計画を決定。5月27日、JR東海に建設の指示を行いました。
この間、本市は、諏訪地域の市町村や経済団体とともに、国土交通省のパブリックコメント等に対し、「既設の交通網と相まって、さらに質の高い交通網を構築でき、本県及び諏訪地域の経済発展に資することができる諏訪・伊那谷回りのBルートが最良である」と主張し続けてきました。
ここに、これまでの諏訪地域における取組みの経緯と今後の対応について見解を申し述べさせていただきます。
詳細は以下のファイルをクリックしてご覧ください。(PDFファイルが開きます)。
リニア中央新幹線整備計画の決定を受けて(1602KB)
以下の情報は、平成23年6月21日までのものです。
リニア中央エクスプレスとは
リニア中央新幹線は、全国新幹線鉄道整備法の基本計画路線に位置付けられている「中央新幹線」を、時速500キロメートルで走行する「超電導リニアモーターカー」によって結ぼうとするもので、東京都を起点に、甲府市付近、名古屋市付近、奈良市付近を主な経過地として、大阪市を終点としています。 計画が実現すると、東京から大阪までが約1時間で結ばれることになります。
リニア中央新幹線実現に向けて
リニア中央新幹線の長野県内ルートは、Aルート(木曽谷回り)、Bルート(諏訪・伊那谷回り)、Cルート(南アルプスをトンネルで貫く)の3つのルートが想定されていますが、長野県では、経済波及効果の大きいBルートの実現を目指すことが決定され、誘致活動等が行われています。
茅野市は、「リニア中央エクスプレス建設促進諏訪地区期成同盟会」、「諏訪地区商工団体リニア駅建設促進同盟会」に加盟し、Bルートによるリニア中央新幹線の実現と駅の誘致に向けて、各種団体と連携した運動を展開しています。
リニア中央新幹線の概要図
※地図 長野県が実現を目指すBルート
リニア中央新幹線について詳しくお知りになりたい方は、以下のリンク又はファイルをご覧ください。
1 リニア中央エクスプレス建設促進諏訪地区期成同盟会
リニア中央新幹線の実現に向けて、経緯、総会決議など
こちらをクリックしてご覧ください(外部ページへジャンプします)。
2 リニア中央新幹線Bルートをお願いしている諏訪広域連合の見解
平成21年6月、JR東海によるABC各ルートの建設費の試算が公表されました。
諏訪広域また長野県が、20数年前からリニア中央新幹線の早期建設をめざして運動を展開してきた経過を踏まえ、Bルートを支持する見解を申し述べさせていただきます。
詳細は以下のファイルをクリックしてご覧ください。(PDFファイルが開きます)。
リニア中央新幹線Bルートをお願いしている諏訪広域連合の見解(373KB)
3 リニア中央エクスプレス建設促進期成同盟会
東京都、神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県、三重県、奈良県及び大阪府の沿線9都府県で構成
こちらをクリックしてご覧ください(外部ページへジャンプします)。
4 鉄道・運輸機構及びJR東海、発表資料(以下のPDFファイルをクリックしてご覧ください)
中央新幹線(東京都・大阪市間)地形・地質等調査報告書(概要)(9KB)
(平成20年10月22日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
中央新幹線地形、地質等調査範囲図(727KB)
(平成20年10月22日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
中央新幹線調査の今後のスケジュールと工事費等(東京都・名古屋市附近間)について(1353KB)
(平成21年6月18日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
中央新幹線の維持運営費、設備更新費、輸送需要量(東京都・名古屋市附近間)について(78KB)
(平成21年7月21日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
中央新幹線の維持運営費、設備更新費、輸送需要量、ルート別の工事費等(東京都・名古屋市附近間)(3798KB)
(平成21年9月1日、JR東海公表)
中央新幹線 東京都・大阪市間のデータについて(52KB)
(平成21年10月13日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
中央新幹線 東京都・大阪市間のデータについて(1353KB)
(平成21年11月12日、JR東海公表)
報告書のとりまとめについて(9KB)
(平成21年12月11日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
中央新幹線(東京都・大阪府間)調査報告書の提出について(20KB)
(平成21年12月24日、鉄道・運輸機構、JR東海公表)
1号炉の燃料にウラン235だけではなく、他の何か(プルトニウム?MOX?)が実験的に使われていたのではないか?ということでしょうか?
違います。1号機でも、3号機(MOX燃料使用中)でも、測定結果では、Cs134とCs137の発生量が、ほぼ、等しいのです。
水素爆発では、中性子は発生しないのですから、1号機、3号機は、水素爆発で壊れたのではない。中性子を多量に発生させる全く別の原因は考えられないのか?
というのが、1点。
「1号機の爆発が「臨界事故」であったら、この割合は成り立つのでしょうか?」という観点からは、「臨界事故」より更に反応の激しい、チェルノブイリの核爆発事故でも、Cs134は、Cs137の約55%しか、放出されていません。
Cs134がCs137と同程度放出される爆発事故とは、物理的に、どのようにしたら、再現できるのか? その方法が知りたい。これが、2点め。
核反応生成物からみれば、たしかにセシウム割合は、ウラン235以外の何かが必要だと思います。
ただ判らないのは、1号機の爆発が「臨界事故」であったら、この割合は成り立つのでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/395.html#c14
いいじゃない、反原発!と腹をくくって足りない時は炉端とローソク生活したら。
見えない放射能で苦しんで死ぬか、熱中症であっというまに死ぬか、私は後者選びます。
高い電気代払わなくて済むし。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/361.html#c27
私はかつて民主党の支持者でした。その頃は岡田某も「別に」という感じでした。この卑怯者を今は大キライです。コヤツが幹事長を辞め(というより議員を辞めてヒトのリーダーにならなければ)民主党と日本はずいぶん良くなると思っています。
コヤツは放射線と同じで「煮ても焼いても」食えません。選挙でトリプル・スコア以上で負けても責任をとりません(というより重要選挙で勝ったことがない能なしです) ヒトのカネをチョロまかします。
菅がやめるのが先か? 岡田がやめるのが先か?
PS 出世もカネも捨ててチェルノブイリの子ども達を助けた日本人外科医の話です(42分)
http://www.youtube.com/watch?v=cJu-rU4-Xyk&feature=related
チェルノブイリ原発事故後に子どもに多発した甲状腺ガン。彼らを助けた日本人がいました。数年後に福島で見られる可能性が極めて高い現象を見つめてください。
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062601000514.html
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/556.html
東日本大震災被災地の水産加工食品などを購入して途上国に提供するなど、国際社会にも「開かれた復興に資するためのODA活用を最優先課題とする」と明記。
☆東北復興にODA活用 水産品買い上げ途上国に供与
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819481E0E6E2E1888DE0E7E2E4E0E2E3E39F9FE2E2E2E2
政府は東日本大震災からの復興を進めるため、政府開発援助(ODA)を使って被災地の水産加工品を買い上げ、発展途上国を支援する。ODAを被災地の経済復興に活用するのは初めて。世界食糧計画(WFP)に放射能検査を依頼し、日本の食品に輸入規制をかけている途上国にも対応する。2011年度第3次補正予算案に関連経費を40億〜50億円盛り込む。
===転載終了===
日本はテロ国家そのものになるようです。
高濃度放射能汚染品をODAとして供与。
放射能も全部測定していないだろう??? 54種もあるのに、
セシウムだけだろうが、調べているのは・・・
テロ支援国家でなく、テロ国家そのものだな。
日本人は日本脱出もできなくなって、今海外にいる人も石打、追放されるぞ。
この『開かれた復興に資するためのODA活用を最優先課題』という題もよく意味がわからない。
手が打てないのはよく解るが、官僚も脳死状態だな。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/411.html#c1
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110626-00000475-yom-pol
民主党の前原誠司前外相は26日、神戸市での講演で、菅首相の「脱・原発」の姿勢について、「振り子が急激に振れた時、国民の生活がどうなるのか考えるのが本来の政治だ。ポピュリズムで政治をしてはいけない」と批判した。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/412.html
「大阪の橋下知事が新税提案 太陽光発電普及促進で」
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062501000990.html
東電はダメダメだと思うなぁ…
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/404.html#c13
民主党の前原誠司前外相は26日、神戸市内で講演し、中部電力に対する浜岡原発停止要請などを引き合いに菅直人首相の「脱原発」に向けた動きをけん制した。「ポピュリズム(大衆迎合)政治をしてはいけない。一時的な国民受けをあてにするのは絶対に慎まなければならない」と述べた。
その上で「急に『脱原発』となれば電気料金は跳ね上がり、極端な節電が必要になる。日本でものづくりはできなくなり、働く場所もなくなる」とも強調した。
東日本大震災の復興財源として消費税率の引き上げ案については「デフレを脱却し、安定した経済成長に移るまでは増税すべきでない」と指摘。首相に早期退陣を重ねて要求した。
毎日新聞 2011年6月26日 19時16分
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/415.html
関係ないって。原発推進はそれでご飯を食べている人がいるから。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/337.html#c11
同意見です。部分的な再臨界の結果として放出された蒸気にヨウ素131が含まれ、それが風に乗って首都圏までちょびちょび流れてきているんだと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/372.html#c5
お忙しい中、申し訳ありません。
Test投稿板と間違えて送信してしまいました。
下記の削除をお願致します。
Test
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/414.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 6 月 26 日 19:27:54: FjY83HydhgNT2
Test
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/413.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 6 月 26 日 19:26:46: FjY83HydhgNT2
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/116.html
Test
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/413.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 6 月 26 日 19:26:46: FjY83HydhgNT2
Test
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/414.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 6 月 26 日 19:27:54: FjY83HydhgNT2
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/103.html#c21
http://www.ntv.co.jp/program/detail/122245482.html
NNNドキュメント’11 「原発爆発 安全神話はなぜ崩れたか」
放送日時06月20日(月)0:50〜1:45
番組内容
原子力発電所の爆発を世界で初めてカメラがとらえた。住民達を苦しめる原子力発電所事故の背景を検証する。安全神話は、なぜ崩れたのか。
詳細
大地震の翌3月12日、日本テレビ系のカメラだけが捉えた福島第一原発1号機の水素爆発。3基の原子炉が制御不能になり、放射性物質がまき散らされた「レベル7」の原発事故に大学教授や技術者、電力業界の関係者、地震学者たちに多くの衝撃を与えた。取材を進めていくと、事故を警告する出来事や提言は幾つもあったことが判明。それは何故生かされなかったのか。アメリカの原発規制も紹介しながら事故の背景を検証する。
-------------------------------------
【関連サイト】
http://g2o.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/11-d500.html
2011年6月20日 (月)/[ドキュメント'11] 原発はなぜ爆発した?
農林水産省は、22日に首相官邸で開かれた「エネルギー・環境会議」に提出した資料で「耕作放棄地のうち、約17万ヘクタールが太陽光発電や風力発電に利用できる」と指摘した。鹿野農相の発言は農水省の見解よりも踏み込んだもので、自給率向上の観点からも議論を呼ぶ可能性がある。
(2011年6月26日19時20分 読売新聞)
最新主要ニュース8本 : YOMIURI ONLINE トップ今週のPR情報
データベース
ヨミダス歴史館 明治からの新聞を読む よみうり報知写真館 明治からの時代を見る
経済ニュース 最新記事
トップ
耕作放棄地で太陽光発電、鹿野農相が前向き発言 (6月26日 19:20)
大手行の中核資本、上積み…バーゼル委 (6月26日 15:36)
大分・熊本県、小水力発電を本格導入へ (6月26日 15:30) 電力
次期OECD事務次長に玉木財務官が就任へ (6月25日 20:46)
メス甲羅に「とるな」…豊前本ガニ、海へ戻す (6月25日 19:40)
安い・うまい・気軽…大阪の「ビニシー」とは? (6月25日 18:16)
シティグループのカード情報流出、被害2億円 (6月25日 11:45)
銀座・和光本館が改装…時計台に「SEIKO」 (6月25日 09:16)
NY株3日続落、1万1934ドル (6月25日 05:47)
子会社・東電不動産売却へ…総資産1800億円 (6月25日 03:03) 福島原発
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/342.html
>「予算がかかりすぎるという理由で却下」
確かに、金も人も足りない。
汚染は、ダダ漏れのまま。
日本終了だな、これは。
>「冷温停止は無理だけど、とりあえず放射能が外部に放射されないようにするには、地下200m〜300mまで壁を作って地下ダム。その上で、地上でも壁をつくって
ドーム上にして石棺で埋めるしかない。」
本気でやろうとしたら、これくらいの規模のことは、やらなければならないと、俺も思う。しかし、ファンタジーに思えてしまうのは、俺だけだろうか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/403.html#c6
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1742381784&owner_id=6445842
1990年代初めの事です。ニューズウィーク(英語版)と記憶しますが、或るアメリカの雑誌にチェコ人が書いた興味深い投書が載った事が有りました。
その数週前に、その雑誌は、ベルリンの壁崩壊後、ドイツの企業が、チェコを含めた東ヨーロッパで、著しい進出を遂げて居る、と言った内容の特集記事を掲載したのでした。その記事について、記事を読んだチェコ人が書いた投書だったのですが、それは、非常に興味深い投書でした。
記憶では、私は、その特集記事自体は読まなかったと思ひます。しかし、その投書の内容から判断して、その特集は、冷戦後の東ヨーロッパにおけるドイツ企業の進出を懸念を持って伝えた記事だった様で、特に、例によって、第二次大戦の話を持ち出して、ドイツと東欧諸国は上手くやって行けるのか?と論じた記事の様でした。
記憶で書くので、正確に再現は出来ませんが、そのチェコ人の投書は、大旨
次の様な物でした。
「我々(チェコ人とドイツ人)はとうに和解して居る。第二次大戦中の事など、我々チェコ人にとっては、もう些細な事でしかない。そんな事より、我々チェコ人が直面して居る課題は、40年も続いた共産主義体制の遺物をどう克服して行くかと言ふ問題だ。あなた達の記事には、共産主義体制が崩壊した東欧で、ドイツの企業に先を越されたアメリカの悔しさが感じられる」
もう一度言ひますが、記憶で再現して居るので、正確ではないかも知れません。ですが、大旨こんな内容の事を、そのチェコ人は、その投書の中で述べて居たのでした。
もっとも、ドイツ人の側は、大戦末期から大戦直後に、チェコ人がチェコ領内のドイツ系住民に加えた残虐行為を許して居る様には思へないので、この投書は、チェコ人のドイツへの片思ひと言へなくもありません。
ところで、下の記事ですが、この記事には、この戦車が、第二次大戦末期に、プラハに突入した最初のソ連軍戦車であった事が書かれてありません。
だからこそ、プラハに最初に突入したこの戦車は、戦後、チェコがソ連の支配下に入った後、「チェコをドイツから解放したのはソ連軍である」と言ふプロパガンダの道具として、利用されて来ました。ソ連のロボットであったチェコの共産主義者は、この戦車を「教材」にして、チェコの人々に「ソ連は解放者だった」と言ふ歴史観を広めようとし、同時に、ソ連に対して自分たちの忠誠心を示して来たのです。
その「聖なる戦車」をチェコ人がピンクに塗った時、私は、たまたまチェコに居ました。今は故人と成ったチェコ人の友人が、笑ひながら、この戦車がピンクに塗られた事を話してくれましたが、彼の話を聞きながら、私は、複雑な気持ちがした事を覚えて居ます。
共産主義体制が終はり、チェコが民主化された結果、人々は、ソ連のチェコ支配の象徴でもあったこの戦車をピンクに塗る事が出来る様に成りました。ソ連の過酷な支配が続いた共産主義時代を想起させるこの戦車をピンクに塗って、私の友人の様に笑ったのです。
しかし、その笑ひは何処か寂しい笑ひだったと私は思ひます。
チェコ人は、何故、この戦車を撤去しなかったのでしょうか?
ピンクに塗って笑ふ事は出来ました。しかし、撤去する事は出来無かった。
私は、「出来無かった」と感じたし、今もそう感じて居ます。
いかにチェコが自由に成ったとは言っても、この戦車を撤去する事は、ソ連のチェコ支配を否定するのみならず、「ソ連はチェコをドイツから解放した」と言ふ「歴史観」を否定する事に成る、と、チェコ人は感じたのではなかったか?と、私は思ひます。そこまで歴史の見直しを進めると、チェコ人の側が戦争末期から戦争直後にチェコ領内のドイツ系住民を虐殺した歴史を含めた「パンドラの箱」が開く事をチェコ人は直感したのではないか?又、この戦車を撤去まですると、ロシアを刺激する事を懸念したのかも知れません。
(第二次大戦末期から直後に、チェコのドイツ系住民が体験したチェコ人からの迫害については、浦沢直樹氏の劇画『モンスター』は、お読み下さい。この作品は、この問題を主題にした稀有な作品ですが、余りにも長く成った事と、こうしたチェコの歴史が余り知られて居ない為、この秀逸な視点が十分理解されて居ないと、私は思ひます。)
↓
http://www.amazon.co.jp/Monster-18-%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%B5%A6%E6%B2%A2-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4091852785/ref=cm_cr-mr-title
(ここの掲載されて居る私の書評をお読み下さい)
こんなニュースにも、大国に挟まれたチェコと言ふ国の歴史の複雑さが感じられます。
平成23年6月26日(日)
西岡昌紀(内科医)
(第二次世界大戦末期のチェコにおけるドイツ人迫害の悲劇についてはこの日記をお読み下さい)
↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=427722414&owner_id=6445842
-------------------------------------------------
プラハにピンクの戦車、旧ソ連軍の駐留終了から20年
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1644696&media_id=52
(ロイター - 06月21日 14:10)
--------------------------------------------------
6月20日、チェコの首都プラハ中心部で、第2次世界大戦中に旧ソ連軍が使用した戦車が、ピンク色に塗られて展示されている(2011年 ロイター/David W Cerny)
---------------------------------------------------
[20日 ロイター] チェコの首都プラハ中心部で、第2次世界大戦中に旧ソ連軍が使用した戦車が、ピンク色に塗られて展示されている。
この戦車は大戦以降、同市で展示されていたが、1991年に地元のビジュアルアーティストのダビド・チェルニー氏が、友人らとともにピンクに塗装した。
チェコでは現在、ソ連軍の駐留終了から20周年となるのを祝う記念イベントが開催されているが、戦車は20日、1週間貸し出されていた軍事博物館からプラハに移すために船で輸送された。
メルトダウンを早期にあったとのストーリーですが、メルトダウンで原子炉圧力
容器の穴の大きさなど各種の条件をパラメーター化して出力をデータと合わせる。
グラフにパラメーターをプロットして最適な条件を出せば良いのですが失敗して
います。
地震の影響をストーリーに入れずに、水位計の実測データが間違いとはね。
データ改ざんです。メルトダウンの開始時刻をさらに早めたらどうでしょうか。
今度は水素爆発の時刻が実際より早まってしまいすか。
どうしても地震でなく津波が原因で早期メルトダウンにしたい理由は何だろう。
原子力安全機構?とクロスチェックをしたそうですが、クロスチェックの目的は
ストーリーの不適切さやデータの読み間違いや恣意的な操作を防ぐために
行います。
独立した機関が、独自の方法でシュミレーションしてから、結果を比較します。
両者の結果を合わせて、データと矛盾とは常識では考えられません。
原子力安全機構?のシュミレーションも地震要素が入っていませんね。
初めに独立でなく、両者でストーリーを相談されたとしか考えられません。
独立で行って両者がこの結果になるのは隕石が原発に衝突する確率より低い?
クロム38のデータ誤りの件でもクロスチェックは電力関係の仲間内でした。
原子力情報室とのクロスチェックを望みます。
このシュミレーション結果がすでにIAEA報告になった。
5月25日の段階で、東電は地震の影響について「配管に漏れがあるという
前提で解析すると実際とあう可能性は否定できない」。
政府の細野氏もあらゆる可能性を調べる、でした。
それがIAEAに報告とは政府にとって都合の良い結果であり、今後もこの結果で
行くとの表明。
政府の選任した調査委員会の結果が目にみえるようです。
田中三彦氏のさらなる分析に期待してます。
日本の原発立地図です
http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/data/image/jp_npp-location.jpg
有名事実です。原発って 東京・大阪・名古屋… 都市にはありません。青森・福島・福井… 人口の少ない地方が犠牲になってエネルギーを作っています。そして 大きなエネルギーロスを出して都会に送電しています。
地図の佐賀県。玄海原発を再稼働させる or not とか。地図の福井県。「もんじゅ」の引き抜き作業が成功したので再稼働に向け準備に入るとか…
地震列島日本。これほど多くの原発が存在しているとは… あらためて驚きます。
PS 「原発がイヤなら今すぐ電気の使用をやめろ!」 というオドシには反論しようね
原発の推進派の人が鬼の首を取ったように言うセリフ。「原発がイヤなら電気を使うな!」 という主張。
現在日本の火力発電所は48%しか稼働していません(2005)。原発をメイッパイ使って いかにも必要に見せるために休ませています。 休眠中の火力発電を自然エネルギーが軌道にのるまでの2,3年を再稼働させる。 原発は全く必要ありません。
「原発がいやなら電気を使うな!」 という無知なヤカラは 精一杯の軽蔑をしてOKです。
日本の原発立地図です
http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/data/image/jp_npp-location.jpg
有名事実です。原発って 東京・大阪・名古屋… 都市にはありません。青森・福島・福井… 人口の少ない地方が犠牲になってエネルギーを作っています。そして 大きなエネルギーロスを出して都会に送電しています。
地図の佐賀県。玄海原発を再稼働させる or not とか。地図の福井県。「もんじゅ」の引き抜き作業が成功したので再稼働に向け準備に入るとか…
地震列島日本。これほど多くの原発が存在しているとは… あらためて驚きます。
PS 「原発がイヤなら今すぐ電気の使用をやめろ!」 というオドシには反論しようね
原発の推進派の人が鬼の首を取ったように言うセリフ。「原発がイヤなら電気を使うな!」 という主張。
現在日本の火力発電所は48%しか稼働していません(2005)。原発をメイッパイ使って いかにも必要に見せるために休ませています。 休眠中の火力発電を自然エネルギーが軌道にのるまでの2,3年を再稼働させる。 原発は全く必要ありません。
「原発がいやなら電気を使うな!」 という無知なヤカラは 精一杯の軽蔑をしてOKです。
これはひどい。
絶対にやってはいけないことだろ。
日本人としてのプライドにかけて、全力で阻止すべき。
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/405.html#c4
竹田恒泰氏は、明治天皇の玄孫にあたる保守派の憲法学者です。
竹田恒泰氏は、そして若い頃から反原発運動に加わって来た筋金入りの反原発派でもあります。
その竹田恒泰氏が、今回の福島第一原発の事故を憂慮し、新著を発表して居ます。
原発はなぜ日本にふさわしくないのか [単行本]
竹田 恒泰 (著)
この本について、保守派の論客で、尊王派で核武装論者の藤井厳喜氏は、以下の様な書評をアマゾンに書いておられます。
↓
------------------------------------------------------
31 人中、30人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 よくぞ書いてくれました!原発推進派にこそ読んでほしい快著, 2011/6/18
By 藤井厳喜 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 原発はなぜ日本にふさわしくないのか (単行本)
「保守派はイコール原発推進派でなければならない」という迷妄を打ち破った名著です。
原子力発電について考える全ての人々に、特に日本の伝統を重んじる人々に読んで欲しい本です。
著者の竹田恒泰さんは、既に広く知られているように、明治天皇の玄孫にあたる憲法学者です。
この本で始めて知ったのですが、竹田さんは学生時代から反原発の市民運動に参加されてきたのだそうです。
本で取り上げられている反原発の理由は、皆、科学的であり常識的であり、納得のゆくものばかりです。
この本のユニークさは、原子力発電という危険で未完成な技術が、日本という国のありよう、日本の国ぶりにいかにそぐわないか、という事を、著者が強調されていることです。
「原発には愛がない」という序文の言葉が、ズバリこの本のテーマを言い表しています。
私はおそらくこの本の出版を最も喜んでいる人間の1人です。それは、私自身が「脱原発」を唱えているからです。
私は、所謂「保守」の人間と見られていますが、(保守の定義が何であるかは人によって異なるでしょうが…)
3・11以降、明確に「脱原発」の言論を活発に展開してきました。
この為に、多くの心ないありとあらゆる中傷や、非理性的な批判を受けてきました。
これらの批判の寄って立つところは、大体において「保守は原発推進でなければならない」という思い込みです。
日本列島を守り、日本の伝統を守る立場からすれば、反原発ないし脱原発は当然の主張です。
多くの所謂「保守」の人々が、深い考えもなしに、未だに原発推進を唱えているのは、日本国を滅ぼす愚論中の愚論と思えてなりません。
この本は、特に原発推進が国益にかなうと勘違いしている人達にこそ、読んでほしい本です。
我田引水になりますが、私がブログで公開している脱原発論と合わせて読んで頂けると一層、説得力がある議論になると思います。
私は主に、安全性の点は勿論、日本のエネルギー自立と核武装実現という戦略的な視点から「脱原発」を唱えています。
日本の文化・文明の在り方と、原子力発電という技術が相いれないものである事を、論証してくださった竹田恒泰さんに心から感謝します。
また、この時期に、批難の嵐を覚悟で、この書を公にされた著者の勇気を称賛したいと思います。
---------------------------------------------------------
自身を保守と見なす皆さん、是非、この本をお読み下さい。
既に脱原発を月刊『Will』誌上で唱えた西尾幹二氏や、永年の脱原発派である藤井厳喜氏に加えて、超保守とも呼ばれる事の有る竹田恒泰氏も、この様に、反原発を唱えて居ます。
原発推進派こそは、最大の反日勢力ではありませんか。
(藤井厳喜氏のブログです)
↓
http://www.gemki-fujii.com/blog/
平成23年6月16日(日)
西岡昌紀
-------------------------------------------------
■自民・谷垣氏、原発再稼働は必要との見解
(読売新聞 - 06月25日 18:59)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1650193&media_id=20
自民党の谷垣総裁は25日、鹿児島市で記者会見し、定期検査により停止中の各地の原子力発電所について、「検査した後に『再稼働が必要ではない』と言ったら、全部の原発を止めなければならなくなる。
それでは(電力供給は)とてももたない」と述べ、再稼働が必要だとする見解を示した。再稼働の前提となる安全確認については、「国が責任を持ち、基準をはっきり示さなければならない」と指摘した。
おいこら! 谷垣
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011062600165
再生エネより仮払い法案優先=谷垣自民総裁
自民党の谷垣禎一総裁は26日午後、福島県郡山市で講演し、菅直人首相が再生可能エネルギー促進法案の今国会中の成立に意欲を示していることに関し、「反対ではない。しかし、(福島第1原発事故で)東京電力がきちんと損害賠償できるような体制をつくっていくのが先だ。国が仮払いする法案が先じゃないか」と述べた。自民、公明両党などが提出した、東電に代わり国が被害者への賠償金を仮払いする法案の成立を優先させるべきだとの考えを示したものだ。
また、民主党の岡田克也幹事長ら執行部からも首相の早期辞任を要求する声が出ていることについて、谷垣氏は「自民党で言えば大島理森副総裁、石原伸晃幹事長、石破茂政調会長らが『谷垣、年貢を納めろ』と言っている状況だ。これだけの人に辞めろと言われたら、私は菅さんみたいに粘る自信はない」と語った。(2011/06/26-19:27)
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/415.html#c2
もはや我慢比べの段階だ。
現場から、だれが最初に逃げ出すか。
総員退避の命令が出されたら、首都圏も危なくなる。
放射能汚染は漏れ続けているから、事故発生から3カ月汚染は絶え間なく蓄積が続いていることになる。
まだまだ、大丈夫と、・・・いよいよ我慢比べだな。
健闘を祈る
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/403.html#c7
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > アーカイブ > 今月