菅擁護は菅を攻撃する原発推進派に対する攻撃である。
敵の敵は味方というワケだ。
菅VS原発推進勢力という対立が例え八百長であったとしても我々はこの2つでは菅を擁護しなければならない。
これが我々の本体からは最も遠い所における戦いの前線である。
我々脱原発派のコアは小出氏を事故収束の中心に据えるという事である。
小出氏には何の責任も無いのであるから責任者ではもちろん有り得ない。
ただただ小出氏に意見を求め、それに従い事故を収束させる事である。
例えばタンカーに汚染水を移動し汚染水処理施設まで運んだり地下ダムを作り放射能が地下水を通じて放射能が拡散する事を止めなければならない。
上記2つの間に無限の戦線が存在する。
その全てにおいて脱原発派は闘争すべきなのだ。
我々は全てが変化し続けている事を認識しなければならない。
我々は我々自身の行動も又情勢に何らかの変化を生じさせているという事を認識しなければならない。
自分の行動の外に客観的情勢があるかのごとく捉えるのは間違いである。
例えば菅を擁護するあるいは菅批判をする事が情勢にどのような影響を与えているのかを把握すべきなのだ。
二元論的思考を排除すべきである。
菅が悪で小沢は善などという勧善懲悪二元論に陥ってはならない。
完全なる悪も完全なる善も存在しない事は言うまでもない。
菅よりもマシな人間が誰かが答えられられないのに菅を降ろしさえすればいいというのは思考の停止だ。
「菅はダメだ。」などは子供でも言える。
で、どうすればいい?
その事に答えられて初めて議論の出発点に立つのだ。
原口や川内のマシに見える。
しかし、その根拠は?
我々は根拠を持って政治闘争を行うべきなのだ。
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